ATARI,コンピュータースペース
2018年07月22日11:01
世界初のアーケードビデオゲーム
世界初のアーケードビデオゲーム「コンピュータースペース」の紹介です。
コンピュータースペース(Computer Space)は1971年にNolan Bushnell(ノーラン・ブッシュネル)とTed Dabney(テッド・ダビニー)によって創られました。
1962年に誕生したビデオゲーム「スペースウォー(Spacewar!)」をモチーフにしたシューティングゲームです。
プレイヤーは宇宙船を操ってUFOや敵宇宙船の砲火を避け,ミサイルを発射し,戦闘を行います。
目標は一定時間内に敵の宇宙船より多くのヒット数を獲得することです。
これにより,次のラウンドが無料でプレイできるようになります。
このゲームは,ブッシュネルが未来的にデザインした赤・青・黄・緑の4色のガラスファイバー(FRP)製のキャビネットに収納されています。
このゲームは1970年から71年にかけて2人が設計,開発したもので,「
」を硬貨投入式で運営するものです。
「スペースウォー」のコンピューターはコストや大きさの面でそのままアーケード化することはできなかったので,この2人は当時発売されていた「Data General Nova」などの16ビットのミニコンピューターで「スペースウォー」を実行する方法を探していましたが,見つけられませんでした。
その後,ゲームを実行するメインコンピューターに専用のカスタム設計のハードウェアを使用するという考えに至りました。
アイデアを構築して,Syzygy Engineering社(シジギエンジニアリング社)を設立し,Nutting Associates社(ナッチング アソシエーツ社)に「コンピュータースペース」の製造を委託しました。
このとき「コンピュータースペース」と同様に「スペースウォー」をモチーフにしたアーケードビデオゲームである「ギャラクシーゲーム」が他者から発表される3ヶ月前(1971年8月)でした。
展示会やロケーションテスト(実際に店舗等にゲーム機を設置して行うテスト)の際,販売代理店の熱狂的な反応が少なかったが,ナッチング アソシエーツ社はヒットを予期し,2000台の販売予測をたてて,1500台の初期生産を命じました。
このゲームは1976年中頃までに1,000台以上を販売し,最終的には1,300ー1,500台を販売しました。
初期生産分しか売れず,期待していた大ヒットとはなりませんでした。
売れなかった原因は取扱説明書を見なければプレイが難しかったことと,(ロケーションテストで大学の近くのバーに設置し,学生は難易度が多少高くてもゲームをプレイし,人気が出た。しかし,当時の一般的なアーケードゲーム機の市場は複雑なゲームの解読に関心が薄い労働者階級のバーであった。また,テストプレイしたブッシュネルの友人は全員エンジニアだった。これがゲームの難易度の調整に失敗した原因となる。)その時すでにナッチング アソシエーツ社の経営が傾いており,十分なマーケティング,広告宣伝ができなかった。
また,モニター映像がぼやけており,キャラクタを画面に沢山出していたので,処理速度が遅かった。
1972年にコンピュータースペースのクローン(模倣)ゲーム「スタートレック(Star Trek)」がうまれ,1973年にナッチング アソシエーツ社は独自に「コンピュータースペース」の2人対戦版を発売した。
ブッシュネルはAtari(アタリ)社を設立し,シジギエンジニアリング社はアタリ社に組み込まれ,1972年,世界で初めて商業的にヒットしたアーケードビデオゲーム「PONG(ポン)」を生み出しました。
・「スペースウォー(Spacewar!)」(1962)
Spacewar!-PDP-1-20070512
・「コンピュータースペース(Computer Space)」(1971)
「コンピュータースペース 2人対戦版(Computer Space 2 Player)」(1973)
・「スタートレック(Star Trek)」(1972)
コンピュータースペースのクローン(模倣)ゲーム
・「Galaxy Game(ギャラクシーゲーム)」
世界で二番目に誕生したアーケードビデオゲーム
Galaxy_Game_1971_first_arcade_game
・参考
http://www.atarimuseum.com/videogames/arcade/arcade70/computerspace.html
atarimuseumより(2018/7/22)
https://en.wikipedia.org/wiki/Spacewar!
ウィキペディアより(2018/7/22)
https://en.wikipedia.org/wiki/Computer_Space
ウィキペディアより(2018/7/22)
https://ja.wikipedia.org/?curid=628392
ウィキペディアより(2018/7/22)
https://en.wikipedia.org/wiki/Galaxy_Game
ウィキペディアより(2018/7/22)
https://en.wikipedia.org/wiki/Ted_Dabney
ウィキペディアより(2018/7/22)
https://ja.wikipedia.org/?curid=564369
ウィキペディアより(2018/7/22)
いろいろゲームズ情報局
[東京秋葉原] SEGA秋葉原3号館Retro-G
#ゲームセンター
SEGA秋葉原3号館6Fはレトロゲームフロア。
■21.8
21.8初訪問。全フロアのレトロゲームは圧巻。歴史的な1971年のアーケードゲーム1号機コンピューター・スペースがあって驚く。22時頃の入店だったためか,客はまばらだった。缶酎ハイ飲み飲み,時間かけて攻めたい。夏の終わり。明日は酎ハイ片手に長期戦になりそう。終の住処になるかも?
#レゲー#レトロ
#レトロゲーム
auMkdn pc
MITスペースウォー
スタートレック(Star Trek)
電子ゲーム黎明期
在鳩飛鳥
最近,ゲーム専門誌の発売予定リストを見たことがあるだろうか? なんとこの1991年2月だけで150を超えるタイトルが並んでいるのだ。これに業務用やPCも加えれば,恐らく200では利かないだろう。さらに,ドリキャス,カラーGBをはじめとする新ハードの発売,PS2の噂……と,いま日本は未曾有のゲームバブルにあるのだ。これだけ隆盛を極めているかに見えるゲームは,一体どこから来て,どこへ行こうとしているのだろう。
■遊技場からアミューズメントへ
ゲーム史を語る際,真っ先に出てくるのは1962年にMITで作られた「SPACE WAR」と1972年に作られたアタリの「PON (テレビテニス)」であり,それに続くものとしての「ブロック崩し」と「スペース・インベーダー」が挙げられる。
確かに,これらなくしてゲームを語ることはできないが,この他にも現在のゲームの在り様に大きく貢献したものがある。それがエレメカだ。1970年代以前に少年期を過ごした人にとってのゲーム原体験は,決してビデオゲームではない。それは遊園地やボーリング場,デパートやスーパーの屋上,果ては駄菓子屋の脇など様々な隙間に存在した「ゲームコーナー」に並んでいた名も知れぬゲームである。
こうした場所に置かれていたのは,ピンボールやパチンコ等のボール系,メダルゲーム、ラムネ等を商品としたプライズ系,そして『モグラタタキ』等の エレメカ系であった。一見すると、大半は過去のものとなってしまったかのように見えるが,本当のところはどうなのだろうか?
メダルゲームは,より派手な演出が施されたプッシャー(可動式台に押し出されたメダルを下の受け皿に落とす物)やギャンブルとして生き続け,ピンボールは2~3階層,電光表示が当たり前となったが,基本的には変化していない。プライズ系はそのまま「UFOキャッチャー」になった。ゲームではないが,観光名所にあった記念メダル作成機と3分間写真が合体して「プリクラ」へと進化したことも言うまでもないだろう。
薄暗いゲームコーナーにひっそりと置かれていたゲームは,インベーダーブームによって生まれたゲームセンターへ,そして最新のアミューズメント施設へと進化していった。。
ー雑誌スタジオボイス/1999.2
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