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2017年6月7日水曜日

[データ][DL] Old Radio World



Free Old Time Radio Shows from "The Golden Age of Radio!"
Welcome to Old Radio World!
Here at OldRadioWorld.com you will find some of the most popular radio programs of the 1930s, 1940s and 1950s.
Before television, radio provided entertainment by presenting radio plays and programs of mystery, intrigue, and comedy.
There was also news and soap operas.
If you are new to old time radio, have a look at how the sound men created the broadcasts with sound effects.
The nine minute video, "Back of the Mike", begins with a child listening to the radio and his imagination is put on the screen.
The camera then goes to a 1930s era radio sound studio where the program is originating.
This video gives you an insightful look at how those intriguing and astonishing sounds were created.

Old Radio World
http://www.oldradioworld.com/

1990年4月30日月曜日

1984年10月13日土曜日

[機器][PC] NEC PC-8801
















昔のPC NEC 8801 9801
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2012/4/7(土) 午後 9:41 
昔のパソコン パソコン
パソコンの紹介ばかりで芸がないので、ここで趣向を変えてやっぱりパソコンの紹介。でも自作ではありません。
私がはじめて買ったパソコンはNECのPC-6001でした。現在残っているのは、NECのPC-8801 FEとPC-9801 LVです。懐かしいと思ってくれる人もいるかも。昨年電源を入れたときはまだ普通にうごいていました。
8801には今は亡き5inch FDDがついていました。

techno-dependency
https://blogs.yahoo.co.jp/kawasaki19600207
https://blogs.yahoo.co.jp/kawasaki19600207/folder/448815.html














PC-8801の部屋
ここはNECのベストセラー8ビット機、PC-8801系のマシン(N-BASIC含む)に関するページです。
少しずつ情報を集めていきたいと思います.
当時、88とFM-7とMSX2(とベーシックマスターJr.)の3台(実は4台)のパソコンを所有していた自分は何というぜいたく者だったことか・・・
ただし、やたら安いと思ったら88のディスプレイは200ラインデジタルで、アナログ色を表示できませんでした
(グラディウスの細胞の面のアナログならば暗くて見にくい壁の色がはっきりしてとてもプレイしやすいのですが、逆に最終面は緑の背景に壁が黄色という目に悪い表示に・・・)。
また、友達から借りてきた400ライン用の「カサブランカに愛を」をプレイしようとしたら画面の上半分と下半分が同時に重なって表示されてショックだったです(結局400ラインが使えなくて困ったことはこの1回だけでしたが・・・)。

昔のPCに関するホームページ
http://ahirudanna.html.xdomain.jp/
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/






400ライン用の「カサブランカに愛を」




200ラインディスプレイで400ライン専用のソフトを走らせるとどうなるのか
教えてくれた「カサブランカに愛を」(シンキングラビット)
で、これだけのマシンで雑誌からプログラムを打ち込みまくりました。
楽しかったですね。
PC-88で御世話になったのはもっぱらベーマガでした。
ゲームだけでなく音楽プログラムも良かったですね。
自分でもゲームプログラムをいくつか組んだのですが、PC-88用のプログラムが雑誌に採用されたのは結局1回だけでした
(というか、そもそも2回しか投稿してないですね・・・どちらかというとFM-7の方がずっとゲームを組みやすかったです。
文字を拡大できるSYMBOL文の存在が大きいのとグラフィック関係の処理がかなり速かったので・・・)。

昔のPCに関するホームページ
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/








①エミュレータ上で入力不可能な文字を入力する方法
-エミュレータ上でキーボードからは入力不可能な文字を入力する方法-
現在でもエミュ上でガンガン昔のベーマガ等のプログラムを入力しているのですが、グラフィックキャラクタの入力は結構大変です。
とりあえず、対応表を作ってそれを見ながら入力するのですが、中には出せない文字もあります
(自分の環境の場合は縦棒と逆Tの字が出せません)。しかし、KEYコマンドを使ってファンクションキーに割り当ててしまえば良かったんですね。
  KEY 1,CHR$(&H96)
  KEY 2,CHR$(&H90)
これで問題解決です。
PC-88は画面下にファンクションキーに割り当てられた文字列を表示してくれるので、とても使いやすいです。
これに気付くまではわざわざグラフィック文字を含んだリストをテキスト出力するプログラムを組んでマージしてました・・・
恐ろしい手間です。というかアホすぎ・・・
ファンクションキーのところに内容が表示されるのがとても便利です。
なお、FM-7でも同じことができますが、キーリストはデフォルトでは表示されません。

昔のPCに関するホームページ
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88_kowaza01.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/







グラフィックパターンコンバータ FM-7⇒PC-88
これは、ベーマガなどに載っているFM-7用のPUT@文用の32×16ドットのグラフィックパターンをPC-88のN88-BASIC用のデータに変換するプログラムです。
データを手入力で入力していきます。
間違えた場合は「-」を入力すると1つ前に戻ります。
変換後のデータです。ファイル名を付けてN88-BASICのDATA文として保存できます。
元々FM-7上のプログラムをPC-88上に移植する際にPUT@文のデータが似ていることに気付き、色々試しているうちに変換プログラムができました。
押入れの中をあさっていたらプリントアウトしたプログラムリストが見付かったので、無事に復活することができました。
雑誌に掲載された打ち込みゲームなどの写真はそれほど鮮明ではないので、移植をする際にはグラフィックパターンを描きなおすのが大変でした。
こんな手動式のプログラムでも当時は結構重宝したものです。
今さら需要は無いとは思いますが、一応データを公開しておきますね。
・GRACON88.LZH

昔のPCに関するホームページ
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88_gracon.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88_kowaza01.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/data/gracon88.lzh
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/


















<懐古話>
PC-88関連の昔話です。
・ザナドゥの思い出('11.04.17)
ただの懐古話です。ザナドゥを初めてプレイしたのはFM-7ではなくPC-88SR版でした。
(FM-7のディスクドライブがあまりに高くて大学に入るまで買えなかったため)
・ロードランナーの追加データ('10.10.25)
こいつはPC-88版の話なので雑文のページから引っ越してきました。
でも、よく考えたらFM-7版も出てますねこれ。
<小技>
Pオプションの外し方でもまとめようと思ったのですが、全く思い出せなくなっていました・・・
・エミュレータ上で入力不可能な文字を入力する方法('11.07.31)
エミュレータでグラフィック文字を入力するのは結構面倒なのですが、ちょっとした工夫です。
・グラフィックパターンコンバータ FM-7⇒PC-88('11.04.09)
雑誌等に掲載されているFM-7用のグラフィックパターンのDATA文をPC-88用に無理やり変換するプログラムです・・・

昔のPCに関するホームページ
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/






<魅惑のNモード>
PC-88シリーズの重要な点といえば、元祖のPC-8001との互換性をほとんどの機種で守っていたことでしょうか。
パソコンの黎明期でのベストセラー機PC-8001にはまるで先カンブリア期のように多様なソフトが作られ、色々な可能性が試されていました。
また、かなり後期になってもベーマガ上に多くの力作ソフトが投稿され、88ユーザーの一種の「力試し」の場になっていました。
このPC-8001用(Nモード)用プログラムを抜きにしてPC-88を語ることはできません・・・
・PC-8001用Frog The Lively ('11.08.18)
あの「ハイドライド」シリーズの作者・内藤さんがアマチュアの頃にI/Oに投稿したゲームです。
・PC-8001用マリオブラザーズ ('10.10.09)
雑文のページから引っ越してきました。
・DRAGON 'N' SPIRIT ('12.08.18)
ベーマガに投稿されたNモード用ゲームの傑作です。
あと、PC-8001の時代は著作権の概念がとっても甘かったので、雑誌にスペースインベーダーとかのパクリゲームのリストが普通に載っていました
(このへんもとても面白かったのですが、ここで紹介するのはちょっとまずいのかもしれません・・・)。
他に、Nモードの傑作としてはマイコンマガジンに掲載されていたデモプログラム「THRILLER」のデモ(有名な森くん(=森巧尚さん)作)があるのですが、プログラムファイルをどっかに紛失してしまいました(ヒマな時にもっかい打ち込むかな・・・)。
<打ち込みゲーム>
ベーマガ等から打ち込んだプログラムの紹介です。
・不思議の国のアリス('11.12.30)
ベーマガに載っていたプログラムです。よく出来ていました。
PC-8801FHはキーボードのキータッチが良くてプログラムの入力が非常にしやすいです。
でも、強制空冷ファンの音は結構うるさくて、最初に買ってきたときにびっくりしました。
FM-7は何の音もしませんでしたからね(でも、FM-7は真夏にぶっ続けで遊んでいると熱暴走しましたが)。

昔のPCに関するホームページ
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/





■マイコンから始まったパソコンの歴史
https://middle-edge.jp/articles/I0001760
マイコンから始まったパソコンの歴史 現在のWindowsパソコンが登場する以前、
ホビーパソコンとも呼ばれた懐かしの8ビットパソコンを振り返ってみます。
NEC TK-80
当時はパソコン(パーソナルコンピュータ)ではなくマイコン(マイクロコンピュータ)と呼ばれた。
NEC PCシリーズ
PC-8001
出典 www.neko-net.com
・ホビーパソコンの先駈けとなったシリーズ。Z80Aを搭載し、当時としては性能の割に廉価を感じさせる製品だった。豊富な周辺機器と共に、ユーザーが競うように膨大な数のソフトウェアを開発したために、使用環境がどんどん切磋琢磨されていった。
出典・ホビーパソコン - Wikipedia・
PC-8801
パソコンのゲームタイトルはほぼPC-88シリーズで出てましたね・・・。
当時、FM-77ユーザーであった私はゲームソフトのメーカーがPC-88からFM-7へ移植してくれるのを半年、1年と待っていました・・・が、我慢できず遂にPC-8801MHを購入しました・・・。
X1  SHARP製品
パソコンテレビX1。型名はCZ-800シリーズ
MZと違い、X1はホビーユースの為に生まれたパソコンで、後のX1turboが旗艦機種となる。 
■OSの歴史(汎用コンピュータ)
パソコンOSの歴史
http://www.kogures.com/hitoshi/history/pc-os/index.html
ここでは、パソコン初期を除き、Windows、しかも個人向けのWindowsに限定しています。
汎用コンピュータOS、UNIXやLinuxは、それぞれ別章で取り扱っています。
なお、OS全体の歴史概要は「OSの歴史」にあります。
スマートフォンのOSに関しては「スマートフォンの歴史」にあります。
参考URL
Scott Granneman「Computing History 1968-Present」(英語)
http://www.granneman.com/techinfo/background/history/
竹内照雄「計算機概論 11.PCの時代へ」
http://visio.sc.niigata-u.ac.jp/s1008/2009s1008_12.pdf
Altair☆「DOSの歴史セミナ」
http://hp.vector.co.jp/authors/VA000199/history.html
阿久津良和「Windowsの20年 - その足跡のすべて、そしてVistaへ」
http://journal.mycom.co.jp/special/2006/windows20years/menu.html
野嵜健秀「Windowsの歴史」
http://members.jcom.home.ne.jp/pctips/windows/History.html
mint.tech「Windows10までのWindowsの歴史」2016
http://minto.tech/windows-history/
UNIXやLinux、Windowsなどのパソコン用OSは、それぞれ別章で取り扱っています。
参考URL
アルテシード「「メインフレーム・コンピュータ」で遊ぼう」
http://www.arteceed.net/
Wikipedia「オペレーティングシステム」
http://ja.wikipedia.org/wiki/オペレーティングシステム
宝剱純一郎「OSの歴史」
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/lecture/20070423/269171/
OSとは
OS(Operating System)とは、コンピュータのハードウェアやソフトウェア(データも含む)を管理するソフトウェアであり、人間とコンピュータの間に存在するインタフェースを実現するソフトウェアでもある。
パソコンでの代表的なOSには Windows や MacOS などがあるが、ここでは汎用コンピュータでのOSを対象にする。
当然、現在のオープン系OSは汎用コンピュータOSの発展の上に存在するのであるが、歴史的背景により、異なる性格をもつ面もある。
オープン系OSが個々のメーカーが必要に応じて発展させてきたが、汎用コンピュータOSが発展した1960年代中頃から1970年代までは、IBMがほぼ独占的なリーダーであった。
IBMは、マイクロソフトやアップルなどと比較して、体系的整然性を重視する文化があり、しかも環境変化が現在と比較すればゆっくりとしていたため、「OS」が明確に定義されていた。
オープン系OSでは、初心者を含む多様な利用者が多様な処理を行うことを前提としているので、「使いやすさ」が最大の目的になっている。
汎用コンピュータ時代では、一定のレベルの知識をもつ技術者が利用し、定例的・定型的な業務処理が多く、その効率性が重視された。  
オープン系ではサーバ以外では1台のコンピュータを同時に多数の人が使うことはないが、汎用コンピュータでは1台のコンピュータを多目的の多数のジョブを同時に処理するのが通常である。
すなわち、現在の多数のサーバを1台のコンピュータで処理するためのOSが必要だったのである。 
■TRONプロジェクト
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/TRONプロジェクト
TRON プロジェクト(トロンプロジェクト)は、坂村健による、リアルタイムOS仕様の
策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトである。
プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「HFDS」
(Highly Functional Distributed System: 超機能分散システム。
「どこでもコンピュータ」などとも)を掲げている。
1984年6月開始。
日本生まれのOS トロン - TCNWEB :: トップページ
http://tcnweb.ne.jp/~folth/contents/colums/os_tron.htm
日本生まれのOS トロン
まず、タイトルを見て驚かれる方もあるかも知れません。
そんな物が存在するのか、と。
まず一応名前は知っているであろうこの「OS」について少し説明をしたいと思います。
そもそもOSとは、「オペレーション・システム」の略であることはよくご存知だと
思います。またの名を「基本ソフト」とも言います。
これはその名の通り、「コンピュータを動かすに当たって、
その操作を人間に代わって行うプログラム」のことです。
日航機墜落事故の真相!『幻のトロンOS』に対する陰謀とは?
https://sekirintaro.com/jal123
今から30年以上も前の出来事(1985年8月12日)なので 若い人は知らない人も多いかもしれない。
『日本航空123便墜落事故』という悲劇。
520人もの犠牲者を出したこの事件を調べていくと あまりにも不自然な点が多く、これが単なる事故ではなくて隠された狙いがあって仕組まれた陰謀ではないかという噂が世間で囁かれたんだ。
ただ、30年以上たった今でも納得のいく説明はされず、真実は闇の中・・・
あまり知られていない日本独自のOS「TRON」
https://matome.naver.jp/odai/2138007259887254301
2013/09/25
パソコン市場では、市場を奪えなかったものの、あらゆる家電製品や自動車、携帯電話などに使われるOSとして、こつこつとその市場占有率を高めて行った。
そして今やトロンなしでは、車も家電も動かないまでになった。
TRONプロジェクトの坂村健氏曰く、TRONをつぶしたMSではなく孫正義
https://it.srad.jp/story/14/12/08/0320246
2017/12/08
ストーリー by hylom 2014年12月08日 12時59分
そのまま導入されていたらどうなっていたのだろう 部門より
TRONプロジェクトの30周年を記念したイベントで、同プロジェクトの中心人物である坂村健氏が、TRONに対し圧力をかけたのはMicrosoftではないとの見解を述べたという
(マイナビニュース)。
1980年代後半に「教育用パソコン」としてTRONが導入されるという動きがあったが、アメリカ合衆国通商代表部がTRONを貿易障壁として挙げる事態があり、結局導入は阻止された(Wikipedia)。
坂村氏はこれについてMicrosoftの関与を否定し、
『大人げないため、ここでは語らないが、(発表会で配った雑誌「TRONWARE」を手に)ここで書いた』
と発言した。この雑誌には
『実は米国の企業ではなく日本人だということは後年分かったことだ。
(中略)孫氏は(中略)TRONつぶしに動いたらしい』
と書かれていたとのこと。
TRONつぶしの黒幕が孫正義氏であることは1999年に刊行された
「孫正義 起業の若き獅子」という書籍に書かれていたとのことで、一部では話題になっていた。
その資料のTRONの説明には、間違いというか抜けてるところがある TRONのRはRealtimeであって、そもそもTRONはパソコン用OSを目指したものでは無い
パソコンOSは米国に先を越されたから、標準の存在しない工業用 ...
御巣鷹、日本航空123便墜落事故/狙いは日本のOSトロンの技術者だった?/Windows躍進、米世界戦略
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/3def952e0c12bf5525e7efb01579b2f9
御巣鷹、日本航空123便墜落事故/
狙いは日本のOSトロンの技術者だった?
/Windows躍進、米世界戦略/
「トロン」が完成していれば、Windowsの躍進は無かった!
日本航空が墜落した現場からミサイル片が発見されており…
トロン―国産OSが世界標準になる
https://www.yomiuri.co.jp/feature/quarterly/20180426-OYT8T50034.html
2018/05/01
組 情報通信の世界では、あらゆるモノをインターネットにつなげようという
「IoT」の技術が、製品開発や産業応用の中心となりつつある。
そのIoT分野で6割以上の市場占有率を誇るのが、
日本で生まれたコンピューター用基本ソフトウェア
(OS=オペレーティングシステム)「トロン」だ。
このトロンが、米国電気電子学会の標準規格として認定される手続きが進んでいる。
順調に進めば、国産のOSが、「世界標準」になる。
■IoT時代がやってきた
IoTという言葉を最近よく目にしたり、聞いたりするという人は多いだろう。
インターネット・オブ・シングスの略で、「モノのインターネット」と訳されることが多い。
生活空間のあらゆるモノ、あらゆる場所に小さなコンピューターやセンサーを組み込み、ネットワークにつないで便利な情報化社会を目指そうという技術である。
ひと昔前まで「ユビキタス・コンピューティング(ユビキタスはラテン語であまねく存在するという意味)」と言っていた技術と同じだ。
1980年代は「どこでもコンピューター」と呼ばれていた。
その基本となるアイデアを提唱したのが、坂村健博士(東洋大学情報連携学部長、東京大学名誉教授)だ。
坂村博士は、昨年3月に東京大学教授として最後に行った講義で
「私が30年以上研究開発してきたIoT=どこでもコンピューター=が、ようやくビジネスになる時代が来た。私は時代を先取りしすぎていた」と、
しみじみ述懐していた。
トロン計画の始まり
国産OSトロンの生みの親がこの坂村博士で、トロンはIoTとともに育ってきたと言っていい。
幻の国産OS『トロンOS』とは?日航機墜落事故との関係とは【TRON】
https://xtreeem.com/I0000896
日本国産である「TRON」を皆さんご存知でしょうか?
TRONとは日本国産の基本ソフトで世界のWindows等にも引けを取らない日本OSでもあります。
しかし、このOS、トロンOS知っている人が少ないのでTRONとトロンOSについてご紹介したいと思います。
目次
・日本に技術も進んでいる!幻の国産OS【トロンOS】
・幻の国産OS『トロンOS』とは?TRONって何?
・ソフトバンクで知られる孫正義も「国産トロンOS」を潰しにかかった!?
・全米も恐れた日本独自のOS【トロンプロジェクト】と日航機墜落事故
・トロンOSは復活している?TRONがトヨタで復活の兆し
・国産OSである「トロンOS」は現在日本ではどこで使われている?
・スマートフォンにトロンOSはできる?
・まとめ、日本中に今後も知れ渡りさらなる期待がもたれるトロンOS

志葉楽のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/w41dg2hb/15248943.html






1975年4月30日水曜日

[機器][PC][AppleI] Apple AppleI~個人用コンピュータ(パーソナル・コンピュータ)誕生

Apple1

















APPLE1
ここに1台のワンボードコンピュータがある。
まだ「パーソナルコンピュータ」と言う言葉が無い時代のマシンであるが、何かオーラさえ感じる。
前年(1975年)にリリースされたAltair、IMSAIと言った、動作をLED点滅によって表示するMicro Computer(マイコン)と一線を隔する能力を秘めている。 それらのマイコンと異なり、たった1枚のシンプルで搭載パーツも少ないマザーボードで構成されている。見た目は簡素にもかかわらず家庭用TVに出力でき、カセットインターフェースボードを1枚挿せば、カセットテープを外部ストレージとして用いることが出来、Basicさえも簡単に走らせることが可能なマシンである。
この世界初の個人向けのコンピュータは天才Stephen Gary Wozniak が創造した傑作Apple1(正確にはApple Computer 1)である。1976年当時200台程度しか作成されていないと言われるこのマシンは後世にパーソナルコンピュータの始祖と呼称されるようになる。

APPLE1(1)
















Proto Type








































[機器][AppleI] サンノゼ歴史博物館のAppleI
サンノゼ歴史博物館の Apple-1
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書庫日記
カテゴリ練習用
2013/7/13(土) 午後 2:59
さて、今回はコンパチじゃなくて本物の Apple-1 の話題です。
去る6月18日、サンノゼ歴史博物館(History San Jose)で、「Apple-1 を動かす会(?)」みたいなものが開催されたそうです。5台の本物の Apple-1 が集合しました。
経緯としては、最近(特にジョブズが亡くなってから)オークションでの Apple-1 の落札価格が高騰している(最新のものは6800万円?)が、特に高値になるのは「動作する」Apple-1 だということがわかったので、サンノゼ歴史博物館では、所蔵する Apple-1 が動くかどうか試したい、ということになったそうです。
そこで Apple-1 に詳しい人たちに連絡をとり、どういう手順でやったらいいかみんなで検討し(何しろ高いものだから、いきなり電源を入れて燃えてしまったりしてはとんでもない損失になってしまう)、事前に何度も集まって整備・打ち合わせをしたそうです。Dr. Wendell Sander、Daniel Kottke、Allen Baum といった Apple-1 オーナーの人たちと、サンノゼ歴史博物館のボランティア Ralph Simpson が集まりました。
整備というのは Apple-1 からチップを全部はずして足を磨き、チップのない Apple-1 に通電して電源が正常か調べ、はずしたチップは1個ずつ Apple-1 コンパチに挿して正常に動作するか確認する、という大変なものだったようです。
6月18日の当日にはWoz夫妻にも来てもらって、サンノゼ歴史博物館の Apple-1 の最初のスイッチ・オンをしてもらったそうです。Wozも自分の Apple-1 を持参したけど、自分のは動作しないという・・・(笑)
映像が2つ YouTube に上がってますが、Wozがとっても嬉しそうです。そりゃそうですよね!
詳細は History San Jose のブログ 
www.historysanjose.org/blog/ 
に載っています。
映像はこれ:
www.youtube.com/watch?v=d1UbWoJAFis 
www.youtube.com/watch?v=y5KCX-XELrw
う~む、すごいイベントだ・・・^_^;
A.Suzuki/MHA00053
      
mha00053のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/mha00053
https://blogs.yahoo.co.jp/mha00053/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=4
        
Apple IIGS
https://blogs.yahoo.co.jp/ushi_cow
https://blogs.yahoo.co.jp/ushi_cow/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=10
https://blogs.yahoo.co.jp/ushi_cow/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=23
https://blogs.yahoo.co.jp/ushi_cow/MYBLOG/yblog.html
             
             
             



スミソニアン博物館の Apple-1
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書庫日記
カテゴリ練習用
2013/7/23(火) 午後 10:27
先日はサンノゼ歴史博物館の Apple-1 の話題でしたが、今日はスミソニアン博物館の Apple-1 についてです。
何の本で読んだのかはわかりませんが、米国ワシントンDCにあるスミソニアン博物館に Apple-1 が展示されている、という話はかなり前に聞いていて、当時「ぜひ一度見てみたい」と思っていました。今から8年前、仕事で米国に行った際、見に行った時(2005年6月11日)の状況です。
スミソニアン博物館は実際には博物館群で、どの博物館なのかわからなかったので、事前に FAPPLE の誰かに聞いて行ったので、スムースに行き着くことができました。「National Museum of American History」の「Information Age」という展示がそれです。
ちょっと予想と違っていたのは、Apple-1 だけではなく、Apple II あり、Mac あり、Altair あり、SOL あり、IBM・コモドール・TRS-80 等、写真のようにいろいろありました。で、黒板と人形で展示されてるのがホームブリューコンピュータークラブの再現で、Altair, SOL, Apple I の3つに説明が付いています。
この展示、「15年間展示したが2005年4月で展示を終了、一部がまだ左手を下ったホールに展示中」と張り紙があり、それで見られたんですが、現在はもう無くなってしまったらしいです。残念ですね。この Apple-1 は博物館の倉庫にあるんでしょうか?
A.Suzuki/MHA00053
      
mha00053のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/mha00053
https://blogs.yahoo.co.jp/mha00053/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=4
        
Apple IIGS
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https://blogs.yahoo.co.jp/ushi_cow/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=10
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https://blogs.yahoo.co.jp/ushi_cow/MYBLOG/yblog.html
             
             
             
   



1971年12月18日土曜日

テープレコーダー




古い写真が出きましたので、再掲載しました。
書庫オーディオなど技術関係
2013/3/8(金) 午前 8:03
赤井電機製のAT-2型、テープレコーダーメカニズムキットを組み立てました。
「昭和33年6月頃」
昭和33年6月頃 完成したテープレコーダー 母と僕です。
ある日福井県の勝山市に居る伯母さまが遊びに来ました、
其の勝山の伯母さまの家は勝山の町で一番大きな呉服屋をしていました。
其の伯母が夕飯を食べながら、最近テープレコーダーという、便利な機械が最近あるそうだけれども 作れるものかと聞かれました。
それで僕は事もなげに「うん作れるよ」といったところ 
「そんなら作って頂戴よ」といって4万円置いて帰られました。
その当時はまだテープレコーダー
というのは、一般家庭にはあまり知られていない時で、学校か 公民館位にしか有りませんでした。 
それでこれまでテープレコーダーなど自分で作る等と言うことは、まったく頭に無かったけれど、
色々な本や雑誌で自作可能である事は知っていました、
そこで翌日早速テープレコーダーの部品一式を発注しました。
部品が来るまでに一週間程掛かりました、
その一週間の間にテープレコーダーに関する 勉強をしました、
そして部品が届いて早速 組み立てに掛かりました。
記号式回路図と部品の実体図を見ながら組み立ててみると、ラジオの組み立てと殆ど変わり無く、
別にたいしたトラブルもなく出来上がりました
最初に出来上がった一台は自分の家に置くことにして、
すぐにもう一台部品を取り寄せて組み立てました、そしてすぐに勝山の伯母の所へ送りました。
テープレコーダーなどまだ物珍しい時代だったっので、近所の人たちが良く見に来ました。そして僕のことを何処からどのように耳に入ったのか、毎日新聞の人がたずねて来 ました、「その時すでに家の前にテレビ・ラジオ組み立て修理の小さな立て看板を出し てあった」のでそれを見付けたのかも知れませんが、父と僕に色々と話を聞いて帰りま した、そして二・三日して 昭和33年12月3日付けの毎日新聞の記事として載りま した。僕の家から四,五件隣に住んでいた、大聖寺高校の福田先生という理科の先生が テープレコーダーを見にこられました、その時に話のついでにこういう話をなさいまし た。「実は大聖寺高校の卒業生で、一人アメリカへ働きに行っている人から、テレビを 一台送って頂たたところ暫らく見ていたら故障してしまい、そのまま棚のうえに置いて 有ったのですが、勿体ないので直るものなら修理してほしい」とのことでした。
そして早速翌日持ってこられました、それは当時としては、珍しい10インチのポータブル型でとても斬新なデザインでした。
早速スイッチを入れてみると横線一本が出るだけでした分解してテスターで調べてみたところ、
垂直出力トランスが断線であることがすぐに分かりましたが、当然の事ながら使っている部品が全部アメリカ製なので、
電気的規格も寸法的にもなかなか、日本製の部品と合う物が見付らず、
色々と数社の垂直出 力トランスを取り寄せて、どうにか合いそうなものを見付けて取り付けのネジ穴をあけ直して修理することが出来ました、大変喜んで持って行かれました。
福田先生は学校で校内放送の、技術担当をして居られたので、それから後も度々放送に使う、拡声器やテープレコーダー等が故障すると持ってこられるようになりました。
急ぐときなどはどうかすると父と先生と三人で晩おそくまで修理することもありました 
「ああ これで助かった、あすの運動会に間に合わせることが出来た」
と云って喜んで 持って行かれることもありました。
当時はまだ一般の人たちは、自分の声や歌を自分で聞くなどということが、殆ど出来なかった状態だったので
僕の家にあるテープレコーダーを珍しそうにして、マイクに向って喋るやら、歌うやらして自分の歌を初めて聞いたといって感激して、
帰って行く人もありました。
そんな人達の中で近くに住んでいる、北川君というギターの好きな高校生が居ました。 
そして自分のギターを録音してそれを、聞きながら又ギターを弾いて、先生以上に勉強になるなあーと、云って喜んでいました。

言葉の寄木細工
http://blogs.yahoo.co.jp/takahash_yuuzan19/folder/940678.html