ポケベル自由研究 010 186[7
ポケベル(ポケットベル)って何?!という人へ。
■Q&A
Q1.ポケベルが全国的に流行ったのはいつ?
A1.1994年~1997年にかけて。95年96年(平成7年8年)辺りが全盛期です。
A2.初めて気軽に(基本料が月2、3000円と安い)携帯できるコミュニケーションツールだったから。
A3.学生(高校・専門学校・短大・大学)や若い社会人中心。女子は所有率↑。
Q4.ポケベル用語を教えて?
A4.ベル(ポケベルを更に略して)、ベル番(ポケベルの番号)、ケツ番(メッセージの最後に入れる数字化した名前、東海~関西でしか通じない?)、ベル友(メッセージを送り合う会った事も無い人)、ベルナン(テキトーなベル番にメッセージを送りナンパ)、空ベル(文字数オーバー等で受信したメッセージが空)、シカベル(受信したメッセージを無視)、イタベル(イタズラベルの略)、偽テレ(偽造テレホンカード、10枚1000円程で繁華街等でたむろするイラン人らしき人から買えた)、保護る(メッセージを保護する)。
Q5.LINEやメールと似た感じ?
A5.ちょっと違います。ポケベルは受信専用で直接メッセージは送れず、送られてきたメッセージは誰からなのか不明です(衰退期に携帯のように着信番号表示可)。既読スルーみたいなものも基本的に存在しません。一部例外を除いて、電波の届かない地下にいたり電源オフの場合は二度とメッセージが受け取れないし、本体のメッセージ保存数も数件~数十件程度と少なく、相手が確実に読んだ保証がありませんでした。
Q6.誰からのメッセージかどうやって判別したの?
A6.送信側がメッセージにケツ番や名前、イニシャル、仲間内の暗号を入れて判別できました。
Q7.語呂合わせの数字で暗号みたいなメッセージをやりとりしたって本当?
A7.本当です。90~94年頃の数字表示しかできないポケベルが中心の時です。語呂合わせや暗号のたった12文字の数字(ドコモなら)でやりとりする渋谷の女子高生をメディアがよく特集していました。但し、94年にテレメのカナ自由文表示可能ポケベルが登場しその文化は衰退していきました。
Q8.メッセージはどうやって送るの?
A8.メッセージを入れたい相手のベル番(一般電話の番号)に電話して、ボタンをあれこれプッシュして最後に#を二回(一回の場合も)で送ります。メッセージが届くまで30秒程かかる時も。現在のドコモの0903101655に電話してSMSを送る方法が近いです。
Q9.公衆電話に行列って何?
A9.学校の休み時間や放課後に公衆電話にはポケベルのメッセージを送る学生の列ができました。20秒程度で1メッセージ送れたので、大体30秒で一人交代していく感じです。
Q10.公衆電話見かけないけど?
A10.携帯の普及と共に減りました。
Q11.キャリアは?
A11.ドコモとテレメッセージ。全国統一サービスではなく(ドコモ中央や東京テレメッセージとの契約)、一県のみや数県でしか使えませんでした。契約エリア外へ旅行の際はポケベルは家で留守番というパターンも一般的。(ドコモは後に全国利用可)
Q12.ドコモが人気だったの?
A12.地域や世代により異なりますが、自分の大学は8割以上がテレメッセージに感じました。(東海や関西はテレメが強かった模様)
Q13.ベル友ってどうやって作るの?
A13.上述のベルナンや、じゃマール等の雑誌で自分のベル番を載せて募集しました。
Q14.メッセージは何文字送れたの?
A14.96年頃だと地域差があり、全角カナ12~14文字(テレメ)、全角カナ11~14文字(ドコモ)でした。
Q15.面倒じゃない?
A15.そういう意見もありましたが、他に選択肢が無かったし便利に感じた人が多数です。
Q16.ポケベル世代って?
A16.ブーム期に高校生だった70年代半ばから後半生まれの世代です。mixiでも76~78年生まれのコミュニティだけポケベルのスレがありますね。
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これを踏まえて全盛期までの流れを補足&まとめ。
■全盛期までの流れ
89・90年、渋谷のチーマーが集合をかける連絡手段やステータスとしてポケベルを持ち始める。暗号や語呂合わせ誕生。
91・92年、チーマーと繋がりのある渋谷の女子高生もポケベルで語呂合わのメッセージのやりとりを始める。その周辺女子達にも徐々に波及しブームを形成。コミュニケーションに主体を置く、より複雑な語呂合わせや暗号が使用される。92年は雑誌等でポケベルが取り上げられ始める。
93年、秋元康企画のドラマ『ポケベルが鳴らなくて』放映。コミュニケーションツールとしてのポケベルが全国的に知れ渡る。ドラマ放映前後にポケベルを含め渋谷の女子高生特集が様々なメディアで頻繁に組まれる。個人所有者増加。
94年、テレメが初のカナ自由文表示ポケベル(全角カナ9文字まで)発売。カナで簡単に読める手軽さが受け、学生や若い社会人(特に女子)を中心に普及が加速。本格的なブームとなる。
95年、東京全盛期。ドコモがカナ自由文表示可能なセンティーシリーズ(全角カナ12文字まで)を発売。一部テレメも12文字まで対応に。ベル打ちによるカナ自由文がメッセージの主流になる。契約数の急増で回線がパンクするので新規契約受付をストップしていた(東京テレメ・一部ドコモ中央)時期がある。
96年、地方全盛期。一部テレメが全角カナ14文字まで対応になる。ドコモのネクストポケベル(全角カナ11~14文字まで)登場。
■ポケベルが残したもの
生みの親が語る「ケータイ絵文字」14年の軌跡と新たな一歩
ドコモのベルで使えた♥マークからiモードメールに絵文字が採用された。
携帯メールの絵文字は各キャリアが採用し、より豊かな感情表現を可能に。
LINE開発者が明かす、大人もハマるLINEスタンプ“ヒットのヒミツ”
この絵文字文化が現在のLINEスタンプにも継承。
もう一つが着メロ。ベルも携帯も最初はピーピー鳴るビープ音やピリリリ鳴る電子音の着信音だけで、94年発売のテレメのモーラという機種でホルディリディアという曲の着メロが搭載。(着メロ初搭載はカシオの機種のようだが機種は不明)
この着メロは携帯電話に引き継がれ、更にサービスは進化して着うたに。
■ポケベル衰退の歴史と所有率のデータ
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愛知県名古屋市の愛知淑徳短期大学生(女子校)のポケベル・PHS・携帯電話の年別利用率をまとめたもの。
特にベルを今までに利用した事がある率が高いのは
7期生(74年生)60%強
8期生(75年生)80%弱
9期生(76年生)約90%
10期生(77年生)90%強
11期生(78年生)80%弱
12期生(79年生)60%強
ポケベル全盛期の95年96年に大学に進学した76年や77年生まれという事が分かる。
更にデータをよく見ると
8~10期生が大学入学後にポケベル所有率が最も大きく跳ね上がっている。
高校卒業→進学後にベル所有率が上がった理由は
①高校時代は所有を親から許されなかったが、バイトするようになり自分のお金で購入した。
②8期生が進学した94年はベルの本格ブーム期、9・10期生は全盛期にあたるため。
と想像できる。
世間一般にはポケベル=女子高生のイメージが強いが、ブーム期に所有率が高いのはむしろ高校卒業後の進学生の方であり、愛知県に関してはポケベル=高校卒業後の名古屋の学生の方が一般的と言えるのではないだろうか。
自分も上のデータの10期生と同年で、愛知の田舎の高校から名古屋の大学に進学という経歴。ベルを持っていた高校同級生は数える程、大学一年のクラス会の時は半数以上はベルを持っており、大学の同級生に関しては8割前後がベル所有者でした。
ここでPHS(別名ピッチ、廉価版携帯電話とでも言えばいい?)の話。上のデータでも分かる通り、96年97年にPHSの小ブームがあった。(東京ではブームに)
PHSが学生に一時普及した理由は
①携帯が欲しいけど利用料が高いのでPHSで我慢。
②96年にDDIポケット(現ウィルコム)のPHSにメール機能が搭載された。
③公衆電話を使わずともPHSでベルにメッセージを送れる。
④97年から一部機種がテレネームという機能(本来は通話発信者が着信側の画面に名前を表示させようとするもの、この時は携帯やPHSに発信者番号通知機能は無かった。20字程度を送れた)に対応しており、これを利用しワン切りで無料メールのように使う人もいた。
が挙げられるだろうか。
ただ、PHSは当時はエリアが狭い、高速移動に弱い、携帯と相互通話不可等の弱点があり、整備の進んでいない地方ほど所有率が低かったようです。
周りではあまりピッチは見かけなかったなぁ。自分も買ったのでなんだけど、変わり者がたまに持ってた印象。大学の同級生もベル→携帯組がほとんど。
ピッチは走行中の車等で全く使い物にならなかったし、自分はすぐに携帯を買い足した。
続いては携帯。どの世代も97年にはポケベル所有率が下がり携帯所有率が上がり始める。
93年頃で携帯を手にする初期費用に15万円程必要で、80年代なら30万とかお金のある社会人の持ち物だった携帯は、高額な保証金制度の廃止や新規加入料の値下げと廃止、基本使用料や通話料の低下、本体代の低下もあり94年から先ずは一般社会人を中心に普及が進み始め、段々学生にも持ちやすいイメージに。
そして、決定的だったのは携帯にメール機能が搭載された事。
①97年6月 ドコモ ショートメール 全半角共に50文字まで
②97年9月 IDO(現au) プチメール 全角64半角128文字まで(関東・中部)
③97年11月 J-PHONE(現SoftBank)orTU-KA スカイメールorスカイメッセージ 全角64半角128文字まで
特に機種代0円とかでばらまかれたauとJ-PHONEは学生に受け、98年からの高校より上の学生の爆発的な普及に繋がった。公衆電話がなくても簡単にメッセージが送れる携帯がベルに取って変わった年だった。(高校生は非所有PHS携帯ベルの混在状態に)
同級生達もこぞってベルから携帯に買い換え、スカイメールのJ-PHONEやTU-KAかプチメールのIDOどっちを買おう?とよく話題になっていた97~98年だった。
ポケベル契約数推移とドコモ契約データ
ポケベル契約数のピークは96年6月の1077万6800。
ドコモの91年度は法人契約9割→96年度は個人契約7割と劇的な個人利用の増加が分かる。また20代女性(学生や若いOL)にかなりの契約者がいたようだ。法人契約の半減も伺えるが、大部分がより便利な携帯(法人契約や個人携帯へ通信費支給)へ移行したと想像できる。
94年の雑誌の渋谷の女子高生特集。電話は家や公衆電話から、ポケベルが広がりつつあるという内容。
96年の雑誌のアンケート調査では、平均年齢19.7歳の女性が回答しポケベル所有率52%、携帯電話所有率23%。僅か二年程で女子高生だった子は携帯を持っている子もいるという時代の流れの速さ。
■東京のデータ
97年9月東京都実施の調査
女子高生の48.8%がポケベル所持、28.3%が携帯orPHSを所持。
男子高生の21.8%がポケベル所持、26.3%が携帯orPHSを所持。
女子は男子の二倍以上ポケベルを所持していた。
また、アクロス(97年12月号)という雑誌の渋谷女子高校生調査では65.1%がポケベル所持、61.3%がPHS所持、7.5%が携帯所持という結果に。
渋谷の女子高生恐るべし!ベルとピッチの二刀流もかなり多かったようだ。
■富山大学のデータ
99年に取ったデータのようだが、東京と同じくポケベル所持率は女子は男子の倍に。
しかし、全体的にポケベル所持率が低い。淑短では90%強だった10期と同年の富山大四年のポケベルを利用した事がある率は24.1%。女子が男子の倍以上持っていた計算をしても40%に届かず、淑短の半数に及ばない。
地方ではベルはあまり普及しなかった?
■96年総務庁調査
調査対象の岩手・埼玉・愛知・和歌山・鹿児島の高校生のポケベル所有率は、女子でも僅か12.1%、男子6.9%。
やはりポケベル=女子高生というのは東京とかの都心で、普及がそれ程進まなかった地方では遊んでるor流行に敏感な一部高校生の持ち物だった場合が多そう。
よって、ポケベルは確かに流行ったけど、全国的に見るとポケベル世代でも買わなかったよ!って人はけっこう多いツールと分かる。
語呂合わせの数字の読み方
左が95年でテレメベース、右下は94年頃のドコモベース。地方や世代やキャリアによって読み方や使い方に違いが。
右上は93年頃の語呂合わせや暗号。お洒落は暗号で753で表す場合も。他に-015←ボーリング行こ、-000-←だんごとか。[]をいっぱい並べて、かっこつけすぎってのを当時雑誌で読んだ記憶も。
数字のメッセージを見る事は滅多になかった(96年名古屋)けど、五十音全ては数字と記号で表せた。テレメの自分達の頃は確かこんな感じ。
よく使われたのは
101010→ただいま
[]→学校
8110→バイト
[7→かな(?が使えないのでその代わり)
数字でベルを入れるにはベル番に電話、そのまま数字を打てばいい。
数字打ちの時は
-→*2
[→*4
U→*5(*0の場合も。ドコモ非対応)
]→*6
スペース→*8
を打ち込むと記号やスペースが使えた。
(例)学校に行ってきまーす 今日は会えるかな みさき、と入れたい場合
*4*62*8121090*23*894*58*8186*47*8339♯♯
と打ち電話を切る。
↓
相手のベルに
[]2 121090-3 94U8 186[7 339
というメッセージが届く。
ミスチルのinnocent worldの歌詞を数字で
カナ入力の変換表
左上テレメ(♥マーク実装以前)、右上ドコモ(センティーシリーズ)、一番下は♥マーク実装後のテレメとドコモネクストシリーズ以降(機種により異なる場合あり)
カナ変換コードはテレメは*2*2(こめにこめに)が基本。しかし、95年までの中部テレメの機種は*6*6、関テレは**9のように、地方でコードが違う場合もあった模様。
同様にカナ解除コード(基本は*8)と終了コード(♯♯or♯)にも違いが見られる。
ドコモはセンティーシリーズは変換コード無、ネクストポケベルから*2*2を採用。
よく使う人は間違いなくこの表が頭に叩きこまれていたはず。但し、カナと一部の記号だけ。英数字まで頭に入ってる人は凄い。
カナでベルを入れるにはベル番に電話、最初に*2*2と押した後に、それぞれの文字に対応した数字を打ち込む。
タ→41、ル→93という感じ。
(例①)今日はありがとう なおき、と入れたい場合
*2*22285136111922104451388711522♯♯
と打ち電話を切る。
↓
相手のベルに
キヨウハアリカ゛トウ ナオキ
というメッセージが届く。
大学の公衆電話は休み時間の度に行列!(97年まで)1メッセージに収まるよう指折り文字数を数えて待つのがお約束。実際に自分が並んでいた学校の公衆電話。
ここからはベル実機画像、テレメから☆地方により機種・ロゴ・本体カラーが異なるのが特徴。
自分達の世代では断トツ人気のTELSONA(テルソナ、95年発売)!女子の着信音の定番はエレクトリカルパレード。上は東京×2 、山口?・広島・東北?・中部・関西・福岡。東海三県の皆はこめろくこめろくしたはず(笑)
mola(モーラ、通称マンボウ、94年6月発売)、白・黄・緑・黒色有。Ⅱもある。
自由人(94年3月発売)、テレメ初のカナ自由文表示機種。東京・岡山・山陰?
Arkiss(アーキス、96年発売)、着メロ自作可、うんちの絵文字も人気の理由。上の画像は中部、下の画像は東京×2・関西×2、中上が東北?残り五つは不明、キティ・マイメロ。
TechnoJoker(テクノジョーカー)
STELLA(ステラ)、ステラ2
ベルカム、フェニックス、フェニックスFW
プレル、リエゾン2、ジュリオ、ベルコスモ、トレミーフィーノ、ヴィクトライン、トレミーモア、ルカート
ニコット、テルソナカード、ベルスイート、コロンボ、ナージ、リトルベル
上は90年代初期の関テレと、同か後継機の静岡テレメ、残りはカードバイブFでデザインを選べた模様。
二機種共、機種名不明。上からカシオ製・東芝製、中部テレメのCMコピー編・お散歩編で中谷美紀が使用。
93年頃の東京テレメのラインナップとドラマポケベルが鳴らなくてで使用されたベル。左上の二機種?
Simplet(シンプレット)、SIDE44(サイド44、真っ黒・デザイン性無し、いわゆるゴキベル)
映画バブルへGO!!でも登場。『アイシテル ナツミ』しかし、設定の90年3月でこのような使われ方をしていた可能性は低い。
92年の雑誌の特集。ゴキベル?と吉田栄作ヘアが眩しい。
■テレメッセージのポケベルの歩み
平成6年(94年)以降登場したポケベル
自由人(右上)・モーラ(中下&右下)・テルソナ(左下)・アーキス(真ん中)はテレメの中で特に人気が高く、全盛期を支えた機種と思われる。
残りはドコモ。左上はセンティーC、中左はセンティーD、中右はベルミー。
ドコモのポケベル。センティーA(上)とセンティーネクストA11(下)
ほぼ一緒のデザインで間違えやすい。センティーAは人気があった。
左上センティーB、右上センティーD、左下センティーE、右下センティーF
センティーシリーズはベル本体でボタンを押してカナに変換。
左上は92年にドコモになる前の初期タイプ(ドコモロゴ版有)、右上からカードV、パルフィーV、パルフィーペンダント。
一番下はドコモ関西限定のタイガースポケベル、着信音に六甲おろしが入ってるらしい。左上から三番目のグレーのモデルがベース。
おそらく97年(夏服・キティのストラップから)、女子高生と左からDDIのPS-701、プリ帳、センティーA、DDIのCarrots(DL-S25P)
センティーネクストA12、A21、B11、B12、D11、D21 、F11、G11
インフォネクストC11、D11、D15、A55、B55、 D55、G55
Jリーグポケベル
インフォネクストB55RH広末涼子モデル(限定1000台?)
91年のCMより
[01]80 11-30のメッセージを受けた女性が
『高嶋くん、あと80km、11時半に着く』と読む。
[01]=高嶋政宏←二人で決めた暗号はいいとして、80が80kmはちょっと強引(^^;)
ポケベル早押しPiポパ
ベルがコミュニケーションツールとして使われていた期間は
黎明期(~91年)
ブーム初期(92~93年)
ブーム中期(94~95年)
ブーム後期(96~97年)
衰退期(98年~)
に分類できるだろうか。
■ポケベル関連曲
国武万里『ポケベルが鳴らなくて』
ドラマポケベルが鳴らなくてOP
同名ドラマの主題歌で50万枚以上を売り上げた93年のヒット曲ポケベルが鳴らなくて、の歌詞解説。
この歌は独身女性が妻子ある相手を思う不倫の歌。
この頃、一般人には携帯電話やインターネットメールは普及しておらず、相手の男性と連絡を取るにはポケベル以外だと相手の自宅に電話するしかないが、奥さんが出るといけないから
『私の方から電話できない』
二人を繋ぐ唯一の手段がポケベルで、相手が自分のベルを鳴らしてくれない事には電話したり会う事が出来ない。
相手が今どこで何をしているか知る術もなく、ベルへの連絡をひたすら待つしかない状態。
以上より『ポケベルが鳴らなくて恋が待ちぼうけしてる
ねえあなたは今どこで何をしているの?』の歌詞となる。
この歌詞を現代風にすると
『(留守電も)メールもLINEもSNSもその他諸々の連絡を取ったり何をしているか知る手段も全て役に立たなくて
恋が待ちぼうけしてる
ねえあなたは今どこで何をしているの?』
になるでしょうか。現代は直接的にも間接的にも誰がどこで何をしているか知る手段に溢れていますね。
その他ポケベル関連曲
大黒摩季『あなただけ見つめてる』
広瀬香美『ドラマティックに恋して』
EAST END×YURI『DA.YO.NE』
安室奈美恵『SWEET 19 BLUES』
globe『Is This Love』
SPEED『Go! Go! Heaven』
吉川ひなの『ハート型の涙』
平家みちよ『GET』
広末涼子『恋のカウンセル』
岡本真夜『DREAM』
東京プリン『携帯哀歌』
MOMO『*ポケベルNightは5643#』
MOMO『ポケベルが鳴りっぱなし』
■ポケベルを販売する90年代の店舗や看板
ベル全盛期の96年頃だとロンバケでキムタク人気は最高潮、アムラーやシノラーがいましたね。
この頃と今で違う文化を一つ。
それは写真
今みたいに気軽にスマホや携帯で!旅行にはデジカメ~♪ではなく、ほぼ持ってる人がいなかったデジカメってどんなん?だし、カメラ付携帯も登場していないので写メ(もう死語)なんて言葉も存在せず、イベントのお供には写ルンです等の使い捨てカメラが一般的だった。
観光スポットのお店には必ず使い捨てカメラが売っていて、コンビニにもほぼ100%ありました。
後は、調べ物はネットではなくまだ図書館が主流でしたね。
PHSを除いて初めてカメラ付携帯が登場するのは、20世紀最後の年の2000年。
ミレニアムイヤーの一年、個人でのポケベル所有者は基本的に一部の物好きだけで、三年前までは普通に持っている人がいたのが信じられない位、もうすっかり過去の産物に。
この頃の携帯が出来たのは通話・メール・コンテンツが少ない&非対応が多数のネットぐらいのもの。
カラー液晶携帯が増加し、着信音は単音から和音に。赤外線通信が出来る機種はごく一部で、ワンセグ?おサイフケータイ?着うた?アプリ?GPS?QRコード?Bluetooth?スマフォ???とまだまだ発展途上。
通話用のアンテナも伸びるのが普通。光るアンテナも流行。現在のような内蔵式アンテナが散見されるのは翌年から。
ガク割や安い料金プランが登場し、高校生以下にも携帯の普及が進みました。
当時の携帯端末供給メーカー。人気のあった順にキャリアの壁を越えて個人の主観で並べる。
NEC、パナソニック、シャープ、三菱電機、三洋電機、京セラ、東芝、ソニー、鳥取三洋、富士通、日立、デンソー、カシオ、ケンウッド、ノキア、モトローラ、エリクソン、パイオニア、日本無線、国際電気
上位6メーカーは特に一般人気が高かった。
国際電気はドコモのポケベルでおそらく一番売れたであろうセンティーAのメーカー、携帯電話事業では振るわなかった。
自分のポケベルの思い出を。
ベルを買ってすぐ、変換表片手に何人かにベルを入れた。
『ホ゜ケヘ゛ルカツタヨ』
『アーキス052△△△○○○○』
『*2*2ヨロシクネ シンイチ』
メッセージが返ってくる。
『コレカラヘ゛ルトモタ゛ネ60』←らん
『オソツ!ノリオクレタ゛ワ814』←へいじ
『ケツハ゛ント゛ウスルノ?3ー]』←そのこ
『オメテ゛トシヨシンシヤ♥U39』←ゆうさく
メッセージを返す。
『ヘ゛ルトモイチコ゛ウ!401』
『ウツサイ!ワルイカー401』
『401テ゛ヨロシクテ゛ス』
『キヨウカラフ゜ロニナル!401』
特に内容も無いメッセージのやりとり。しかし、今までは離れた相手と連絡を取るには家電話は必須。実家住まいの相手に電話をかければ親が出る確率は高く、電話口に読んでもらう手間があった。夜9時を過ぎてくると失礼があってはいけない、とかけるのに躊躇し、10時を過ぎたらもうかける事はできなかった。
でも今日からは違う、親に気兼ねなく家電や公衆電話があれば好きな時にメッセージを送り連絡が取れる。いつでもおやすみがメッセージで伝えられる新鮮さ。新しい1日が始まった!そんな気分だった。
ベル友の思い出も。
自分にも何人かいたけど、突然『ヘ゛ルトモニナツテ』的なメッセージが来るのは当時ベルを持っていた人なら経験した事がある人も多いはず。
大学の空き時間、皆で時間を持て余していた時
『オトコカナ?オンナカナ?』
『コウサンノタ゛ンシ ヨロシク』
『052△○△○△○△』
と自分のベルにメッセージが入った。
どうせ暇だし、ベルを返す。
『ヘ゛ンキヨウシナヨ!オトコ』
ベルが返ってくる。
『ヘ゛ルトモニナツテクタ゛サイ』
返してあげる。
『タ゛カラオトコタ゛ツテ』
返ってくる。
『オトコテ゛モイイテ゛ストオル』
・・なんつー寂しがり、いやあっちの人か?なんて疑念も抱きながら、彼とベル友になった。しかし、さすがに会った事もない年下の男子に興味が湧く訳も無くすぐ疎遠に。
ベル友に会った!という話もたまには聞いたけど、警戒している人も多かったと思う。犯罪に巻き込まれる可能性や性別を偽ってイタベルする事例もあるって話も聞いてたし。
96年にドコモからメッセージ再送機能が使えるネクストポケベルが登場するが、何らかの事情で受信できなかったメッセージを契約者が自分のベルに再送するには、公衆電話や一般電話から操作、別途料金がかかった。
実際に大学の同級生が使っていたが、電波の入りが悪い訳じゃないのにメッセージを飛び飛びで受信する場合が多く、その同級生はいつもブツブツ言いながらメッセージ再送機能を使っていた。
また、ドコモのセンティーシリーズにカナでベルを入れる時は
スペース→09
♥→88
だったのに対しテレメの場合は
スペース→88
♥→89(96年以降実装)
といった違いがあり、うっかりドコモの人にテレメの癖でスペースを88で打ち込み意図しない♥を送ってしまうという悲劇もよくあったようだ。
しかし、ドコモのネクストポケベルからはテレメに合わせた文字コードとなった。
なので、ベル番を交換する時には確認事項があった。
①テレメか、ドコモか。
②96年以降の機種か(中部は*6*6or*2*2確認)、ネクストポケベルか。
③ケツ番は何か。
当時の自分達は相手のキャリアや機種を大体把握した上でベルを打っていた。
ケツ番の由来について
ポケベル用語で全国区と思っていたらそうではなく(ゴキベルも)主に東海~関西でしか使われていないようだ。そしてこの言葉を一番使用しているのが愛知県民という印象。
愛知とケツ番の関係、このケツ番という言葉、パチンコ台の末尾の番号を指してケツ番と言う事が。愛知といえばパチンコ発祥の地でメーカーが集い盛ん。おそらくそっち関係の人がこのケツ番になぞらえて命名したのではないかと。
そして名古屋に来る人の多い隣接他県(岐阜三重)に広がり、岐阜はJR名神、三重(伊賀辺りから関西と密接)は近鉄、愛知は近鉄JR名神で関西は比較的身近。
東海は関西と繋がりが強く文化の流出があったのでは?と想像。
調査期間が97年の7月~10月
工学院大学(東京)男28女9名
成蹊大学(東京)男267女154名
城西国際大学(千葉)男169女54名
慶応義塾大学(東京)男14女14名
以上の学年不明者が対象。
ポケベル所有率は25.9%
PHS所有率は22.3%
携帯所有率は25.1%
ポケベル所有率は男が17.6%、女が42.1%。やはり女子人気は高かった。
オマケ①
97年の11月頃?の群馬大学、77年生まれの二年生中心のデータ。
ポケベル所有率約32%、PHS所有率約13%、携帯所有率約16%?
ポケベル所有率は男が20.8%、女が44.6%。
オマケ②
小樽商科大学(北海道)で時期不明学年不明の96年?に実施された調査。
ポケベル所有率は約15%。男10%弱、女20%強。
オマケ③
1399211143945.png
97年10月~11月に実施した調査。
都内私立女子大は
ポケベル所有率37.5%、携帯所有率55%!PHSも携帯と一緒にして携帯が高い結果となっているっぽいが、それでも東京が先を行っている証。
オマケ④
96年の4月と7月に愛媛県松山市の二つの大学の学年不明者に行われたもの。
4月ポケベル所有率27.8%(男21.2%女31.5%)、PHS所有率6.7%(男10.8%女4.3%)
7月ポケベル所有率30.8%(男17.5%女37.4%)、PHS所有率12.7%(男14.4%女11.9%)
ドコモ、au、ソフトバンク!携帯好きってウケが悪い
https://ameblo.jp/5763942/entry-11839864777.html