1987年9月30日水曜日

[機器][PC] Apple Macintosh IIci




個人的な過去のアップル製品たち1
2014/4/30(水) 午後 4:52
Macintosh Macintosh
なんとなく思い付きと懐かしさで今までに使用してきたアップル製品の記録をつけてみようと思う 
あくまで個人的な記録なので不正確だったり、どうでもいい思い出もあるので気にしないでね 
私の初めてのパソコンというものの記憶は小学生3年くらいの頃に突然父親が買ってきたFM7とかいうものだった 
ゲームのカセットをセットして、本記載されたコードを打ち込んでいくとゲームが始まる仕組み(これくらいしか出来なかった) 
まぁこれはアップル製品ではないしあまりに遠い記憶なのでこれ以上は書くつもりはないが、
記憶装置がカセットテープだったいうのは今から考えるとものすごいことだ 
◆ Apple Macintosh IIci
時は流れて1994年 私はどういう訳かニュージーランドに留学する事になった 
そこで初めて出会ったのがMacintoshというものだった 
学校のコンピュータールームと言うものがあり、そこにずらっと並ぶマック達 
機種は良く覚えていないのだがMacintosh II CI かCXのどちらかだと思う 
本体にCDはなくフロッピーのみ 一部の機体には外付けAppleCDが付いていた 
昔懐かしのディスクをカートリッジに入れるタイプだ 
主な使用目的はレポートの作成だったので速度的にはまぁ不満はなかった 
というか、これしか知らなかったからこんなものだったのだけど
Apple Performa 5210
初めてのMy Macintosh: Performa 5210
1年生の頃は日本から持ち込んだ親のお古のワープロも使っていたのだが、
マックのマウス操作に慣れてしまうとキャノン製の当時のワープロは使いにくいもの以外の何者でもなくなっていた(その後壊れたし) 
2年目の夏休みに一時日本に帰国し、その時に親にパソコンを買ってもらえないかと相談してみた 
2年目からは学校から離れた家でホームステイをしている事、
当時車を持っていなかった事などから自宅にパソコンがないとレポートなどはいっさい書けないからだ 
私は車の免許を持っていなかったので免許はニュージーランドで取得するという条件でOKをもらった 
というのも現地で免許を取れば3万くらいでとれたからだ(たしか) 
日本で取ると30万はかかった気がしたので その分をマックにまわせると言う計算 
で、当時はマックの事なんて全然知らなかったし、相場や性能もいまいち分からなかった 
ただ、学校の図書室で調べたマック情報誌によると、PowerPC搭載機が速く、今後の主流になることは知っていたので
まだ当時在庫として残っていたLC630などの680系はやめる事に 
新型として出ると言われていたPerforma 5200シリーズが一番の候補に挙がった 
というか、一番かっこ良かったんだなぁ 
当時店頭にはPowerPC601搭載のPowerMac6100とかが投げ売りされていた記憶がなんとなくあったのだが、
設置場所の関係などで一体型がよかった事と6100は電源がいまいち 
画面上でシャットダウンした後に本体の物理スイッチを切ると言う仕様がえらく古くさい仕様だったのだ 
で、Performa5210を購入 メモリを16MB追加して24MBにした 
確か30万円くらいだった 
スペック的には75MHzのCPUに500MB(ギガじゃなくメガ)のHDDという今からは考えられないもの 
でもまぁ当時としては速くはないが、標準的なパソコンだった感じだ 
少なくとも学校のパソコンよりは非常に高速だったし、CDロムも普通に使えた 
学校の外付けCDは尋常じゃなく遅かった(壊れてるかと思うくらい)
SPEC
CPU: PowerPC603(75MHz)  
HDD: 500MB
4倍速CD-ROM /FDD
15インチモニター
キーボード/マウス付属(当時のPowerMacシリーズはキーボードは別売りだった)
初心者向けのソフト多数

チビ助のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/chibisukechibikoro/






Macintosh
2010/8/28(土) 午後 10:34 その他 練習用
自分が使っているコンピュータはMacintoshです。
就職したての頃、まだWindowsなんてなかったんですねえ。
MS-DOSの時代です。その当時パソコン自体非常に高価なものでした。
しかもカラーなんてまだ無かったです。
職場では、エルゴメータのための試験というか実験のような事をしておりました。
そのとき自分の上司だった人が、Macintoshを使っていました。
カラークラシックだったかな。ひょっとしてカラーではなかったかも
当時、自分は実業団で選手兼、社員というかたちで自転車に乗っていました。
そのとき、チームドクターだった先生は 自分の大学の大先輩であり、またこの方もMacintosh使いだったんですねえ。
たしかSE-30あたりを使っていたかと。
自分が最初に買ったコンピュータは NECのラップトップでした。
それはそれで、仕事に使っていたのですが、やはりMacintoshは魅力的で
実際、職場でPowerMac8100を24インチのモニターで使った時は感動ものでした。
その後、初めてのMacintoshは、powerbook540cでした。
まだ、powerPcではなかったんですが、それでもさくさく動いてくれましたし、なんと言っても、初めてトラックパッドを採用し、カラーもかなりきれいでした。
ああ、懐かしい。その当時は はじめはHYPERCARDでプログラムをして楽しんでいました。
そのうち、デレクターやSUPERCARDなんかを使ってプログラムをつくってたなあ。
いまもMacintoshを使って入るものの、自分で何かを作るという点ではこの頃が一番楽しかった。
やがて、Macintoshも540CからPOWERMAC7500になり、その後はiMacになりました。
eMacを試した事もありましたが、ファンの音がうるさすぎて駄目でした。
最近はというと、大福iMacの20inhですねえ。いまのメインマシン。
そしてサブマシンは、去年に買った iBookG4 12inh
今はG5を経てintelMacintoshですが、いまだ powerMacは頑張ってますよ。
年々新機種は安くなって来ていると言うのに昔ほど(独身時代)いまは大金出せないもんね。
まだまだ大事に使っていきたいなあ。 
でも、一応intelMacintoshも持ってるんだけど。
今イチ使ってない。もったいないねえ。
Mac miniもっと活用しないとねえ。

日々の記録
https://blogs.yahoo.co.jp/googoo8818/18777860.html







mac



志賀隆生: コンピューター小史〜コンピューター誕生からマッキントッシュ誕生まで(1991)
マッキントッシュ小史
文/志賀隆生
Macintoshの歴史は多くの逆説,パラドックス,アイロニーに満ちている。
Apple I,IIからLisaそしてMacへと至る,成功と失敗,熱狂と落胆の歴史,しかしその間わずか10数年という,何かを達成するには余りにも短いその歴史は,その一挙手一投足がつねに世界中のパソコンマニアの注目を集めていたという点で,パーソナル・コンピュータの歴史そのものと言っていいほどだが,パソコンが1950年代にすでにマクルーハンの予見していた電子時代のメディアツールとしてますますその重みを増している今日にあっては,同様に多くの逆説,パラドックス,アイロニーに満ちた20世紀そのものとして,あるいは20世紀的テクノロジーを象徴する存在として,あの夢の機械を位置づけても許されるのではないかとさえ思わせるのである。
計算技術が大きく変貌するのは,形式化した論理演算というテクニックとその時代に利用可能な テクノロジーとが上手に結びついたときであり,さら に高度な計算技術を要請する文化・社会的背景が存在 したときであることは容易に想像がつく。今日のコン ピュータの原形と誰もが認めるのは,19世紀の英国の 数学者チャールズ・バベッジが考案した差分機関と解 析機関だが,産業革命が世界市場を大きく変えていくなかで,バベッジの大量高速計算機械はたぶん切実な技術時代の要請だったはずである。もっとも,このバベッ ジの夢のエンジンは,時代の欲望が当時の科学技術力 をあまりにも大きく上回りすぎていてついに完成することはなかった。。
■1940年代
次のステップは,20世紀初頭の英国の数学者チュー
リングの計算可能性の数学的定就とその具体的検証としての「チューリング・マシン」だろう。このいかにもこのいかにも20世紀的なチューリングの発想は計算技術の徹底的な形式化の追及作業であり,形式化が徹底しているぶん,人はなぜ計算するのかという問いは失われている。
しかし20世紀半ばに,人類はこの問いかけに対して新しい答えを発見する。それは<力>である。
1944年,ハーバード大学のアイケンはリレー式計算機MARKIを制作する。モークリーとエカートによる世界最初の電子計算機ENIACは1943年から研究を開始し1946年に完成する。後のノイマン方式と呼ばれるストアドプログラム方式による最初のコンピュータEDVACは1951年に完成している。これら
は第二次世界大戦中は大砲の弾道計算に使われ,そ
の後は原爆開発重要なツールとなった。このように計算技術の進歩によって生みだされた<力>は,コンピュータの神話学に大きな影を落とすことになる。
■1950年代
人はなぜ計算をするのか?これはけっして哲学的な問いではない。古代インド,アラビア,中国を見ればわかるとおり,歴史的に計算技術の発達した地域はつねに大規模市場が形成された土地だった。人が計算が計算する理由はただ一つ,公正さを保つためである。
こうした計算技術の行き着く先が,正確さと早さを至上命題とするコンピュータであるとすれば,事務計算の専門会社Computing Tabulating Recordingがその後International Business Machine(IBM)と社名を変更して業界トップの位置につくのは歴史的必然といえる。 
1950年代に入ると、コンピュータは大企業の経
営部門の中枢と,産・官・学の研究機関の内部に入り込んでいく。そこでは<金>と<力>を生みだすことが技術の使命であり、コンピュータの存在理由だった。
ところが,意外なことに<金>と<力>を手にしたはずのコンピュータの前に,大きな落とし穴が待ち構えていた。それがハッカーである。
人類史上最初のハッカーは1959年MIT(マサチューセッツ工科大学)に発生したと言われる。当時,大学の電気計算機室に設置されていたIBM製のコンピュータに,テック鉄道模型クラブのメンバーが無許可で進入し悪戯をしかけたのがハッキングの始まりとされる。これは1950年代のコンピュータが神殿のなかにおさまるご神体のような扱いを受け,その操作者がまるで司祭のような振る舞いをしていたことに対する反発から来たものであり,そこに20世紀的理想主義を見いだすことは容易い。
ほかの誰でもない,技術の理想のために,ハッカーは危険を犯す。ハッカーはその意味で20世紀的な理想(至上)主義の化身であり,20世紀をモダニズムの世紀ととらえれば,ハッカーはまさに20世紀的存在の化身ということができる。
ここにコンピュータ・テクノロジーのパラドックス
を見ることができるだろう。技術(コンピュータ)が20世紀的存在(ハッカー)を呼び起こす。誰のためでもない,おそらく巨大な権力,あるいは制度に奉仕するために生みだされたメインフレーム・コンビュータが,やすやすと個人の悪戯ものの手に落ちてしまうという,あまりにも20世紀的なアイロニー。計算技術あるいはその具体化した姿としてのコンビュータは<金>と<力>という時代の欲望を増幅する機能をはたしたと同時に,ハッカーのような技術理想主義的思戯ものの欲望をも増幅してしまう。メインフレームのコンビュータがその能力を極限まで発揮し,その生みだす<金>と<力>で世界を囲い込もうとしても,つねに/すでにそこには微細だが決して修復できない穴が穿たれている。それがコンピューター・テクノロジーの本質であることを,MITのハッカーたちはほとんどコンピュータの創世記に証明してしまったのである。。
■1970年代
1970年代に入ると,コンピュータ・テクノロジーの城塞に巣食った微細な穴は徐々に拡大を開始する。。
まえぶれは1971年にインテル社が作り出した4ビットマイクロプロセッサ4004であり,その後改良を加えて1974年に発表された8080は世界最初のパーソナル・コンビュータキットAltair8800を生みだすことで穴の存在を決定的なものとした。オルタナティブ・テクノロジーとしてのコンピュータ。こうした発想はどこかの国の国家予算規模のプロジェクトだったENIACやPEOVACからは生まれてこない。
さて,このAltair8800は誰もが予想しなかった成功を成し遂げ,それに刺激れて多くのミニハッカーたちが自分たちの手製のパソコンを世に送り出すようになったのだが,その中に,後にアップル社の創設者となるスティープ・ウォズニアクとスティーブジョブスがいた。
この1970年代はオルタナティブ・テクノロジーとしてのコンピュータにとって重要な時代だった。
1970年,シリコンバレーの一角,小高い丘の中腹に建てられたゼロックス社のパロアルト研究所には,後にパソコン界を先導する重要な技術や技術者が集い,意見を交換しながら理想のコンピュータを追及した。1960年代後半にダイナブックの構想を得たアラン・ケイはパロアルト研究所で,1972年にオブジェクト指向言語Small Talkを開発,1974年には暫定的なダイナブックと呼ばれたパーソナル・コンピュータ「Alto」を開発する。同じ1974年にはインテル社やザイログ社から,8080,Z80など時代を席捲する8ビットマイクロプロセッサが世に送り出され,さらに同年に,ハイパーテキストの提唱者テッド・ネルソンは「COMPUTER LIB」を自費出版,ビル・ゲイツは8080用BASICを開発,マイクロソフト社を設立している。パーソナル・コンピュータを取り巻く状況はこの時期慌ただしく動いている。
1976年にApple Iを,翌々年にApple IIを発表して大きな成功を収めたアップル社は,その後,1980年のApple IIの失敗と1981年のIBM-PCという有力なライバルの出現により苦境に立たされることになった。


1978年にパロアルト研究所を探防しAltoに強い感銘を受けたジョブズは,AItoのようなコンピュータを作ろうとして1983年Lisaを発表する。Lisaにはワンボタンマウス,アイコンのドラッグ,プルダウンメニュー,クリップボード,オーバーラップ可能なウインドゥ環境など後のMacintoshに特徴的な機能はほとんど実現しているうえに,マルチタスクOS,ワープロ,スプレッドシート,データベース,ドローイングなどデータを共有できる6つの標準アプリケーションが添付されていた。しかし機能が高い以上に価格が高くなり営業的にはまったくの失敗に終わった。そこで低価格化を図るためにLisaから必要最小限の機能を残したパーソナル・コンピュータを作成したのだが,それが1984年に発表されたMacintosh 128Kである。この128Kの登場が,コンピュータ・テクノロジーの巨大な城塞を崩す最後の一撃となったのは疑いないところだろう。この金とも力とも無縁のパーソナル・コンピュータが,メインフレーム・コンピュータの権力構造を揺るがし始めるのは時間の問題だった。
ここでもう一度,人はなぜ計算をするのか?という
聞いをMacintoshの前で発してみよう。いったい
どのような答えが返ってくるだろうか。一つ言えることは,<金>でも<力>でもない何か,これまで人類が手にしたことのない何かをわれわれは得ようとしているということだ。もっともそれがどのようなものであるかは,まだもうまく言うことはできていない。
ー雑誌StudioVoice,1991年,特集☆マッキントッシュの伝説

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