―雑誌『Mac World 1997年』
▼スティーブ・ジョブズがアップル社を退社 (1985年9月)
筆者がこのニュースを知ったとき,今後アップルがどうなるのか非常に興味があった。彼のようにカリスマ性がある人物は必ずアップルにいなければいけないと思っていた。 不安は的中しその後のアップルはこまめに数多くの機種を揃えて発売する某国民機メーカーと同じようなポリシーのない企
業になってしまった。 ジョブズが帰ってきた今
年(1997) は, やっと機種を統合する動きが出てきた。 こうした措置はユーザにとって良いことだ。
ジョブズ復帰後のアップルの変化はめまぐるしく,元ネクストの社員がトップに立っている現状を見ると,とてもアップルがネクストを買収したとは思えない。むしろ逆のように見える。
▼ビジネスランドがNEXTを販売(1989年3月)
アメリカでは,ビジネスランドからNeXTが販売されることとなった。 当時どうにか海外で安く買えないかと考えていた筆者はビジネスランドについて調べたがインターネットの利用環境が発達してなかった日本ではすぐに分からなかった。 アメリカでは学生や教授が安く買えると聞いて非常に羨まし
く思っていたのを覚えている。
▼IBMがNEXTSTEPライセンス取得 (1988年4月)
「あのIBMがNEXTSTEPライセンスを取得した」ということで非常に話題になった。当時のIBMのカタログにはNEXTSTEPがラインナップされていたが,当時オブジェクト指向はまだまだ一般的な技術ではなかったのでIBMに問い合わせても不明という
解答が多かった。 Macintosh自体も今ほど市場に氾濫していなかったためGUI自体がマニアの産物だったので,きっと理解できなかったのだろう。
▼NeXT Cube発表 (1988年10月)
MegaPixelモニターとBlackCubeはコンピュータの歴史に残る作品だと思う。Cubeのモニターは1,120×832サイズの2ビットモノクロ表示だったが解像度が高いので非常に美しい。なんとモノクロながら94dpiだ。それにフロッグデザインによるあの美しいデザインワークは素晴らしいものだった。CPUは68030/25MHzを使っていたが,FPU(68882)やDSP (DSP56001)も標準で装備されていた。
ただDSPに接続できる機種があまり発売されなかったのは残念だった。キーボードには輝度と音量を調整するキーとPowerキーが備えられており,電源のオン・オフをキーボードから出来るようになっている。
キヤノンのエンジンを使ったNeXT Laser PrinterはPostscript対応していた。 本体のPostscriptをビットマップに変換するために機構が非常に簡単で小型に作られている。 ドラフトで300dpi,標準で400dpiの解像度は,当時としては最先端のスペックだった。プリントアウトの速度が非常に速いので筆者は現在も愛用している。 最新のMacintoshを使って印刷するよりもずっと速く,プリントは今でもこれに限る。NTX-Jのカートリッジが使えるので安心だ。
Mac OSがRhapsodyに変わった時は,誰もが印刷の処理が非常に早くなったことに驚くだろう。 それにBlue BoxのMac OSは通常のMac OSよりもずっと早く動くだろう。 NeXTはCubeの頃すでにInterface
Builder, Display Postscript Mach OS (Mac OSではない)に載せており,その先進性には驚くばかりだ。 Macintosh IIxが出たばかり,OSは漢字Talk2.0の時代で全く世界が違うというほかはない。
ソフトウェアのバンドルも面白くMacintoshでも良く使ったWrite NowやMathematica, be Quotations, Webster の辞書も標準装備されていた。Mac OSにGUIを乗せただけと悪口を言う人もいるがそれを差し置いても素晴らしい。
▼キヤノン,NeXTの株を取得(1989年6月)
キヤノンがネクスト社の株の16.67%を100万ドルで取得したのは記憶に新しい。以降,日本でもNeXTが販売されることになるが,目が飛び出るほど高価だったので結局マニアしか購入しなかった。 ただ、開発環境 (Interface Builder) や価値の高いバンドルソフトウェア (Mathematica) がバンドルされていたので決して法外な価格とは言い難いが,パソコンユーザから見れば高嶺の花だった。 Lisaが売り出された当時,指をくわえて見ていたのと全く同じような状況だった。 ちなみに1990年の価格表では、
NeXTdimention/1.4GB/16MB RAM
(64MBまで拡張可能) が526万8,000円とメルセデスなみの価格だった。 16MBメモリーキット(4MB SIMM×4) が64万円,NeXT LBPが49万8,000円と恐ろしい価格だった。さらに1.4GB HDは130万円,筆者
所有の5MB HD ProFileは100万円近くした。 今でこそCPUの中古が20~30万円くらいで入手できるが,当時は誰にも手が届かない夢のマシンだった。もちろんアメリカの価格に比べて高く設定してあったのだがこれでは売れる訳がない。
結局ハードウェア部門から撤退する頃になってようやく安価になった。それと比べると今のMacintoshの安いこと。30~40万円もあればハイエンドマシンが入手できる。もともとが高価なOSなだけにアップルとの合併はRhapsodyが安価になるのでユーザーとしては非常に嬉しい。
▼NEXTSTEP1.0リリース(1989)
製品として発売されたときのバージョンが0.9 だった。 BeOSと似ている。 だが0.9から1.0までの道のりは大変だったようだ。 「The NeXT Book」の初版本などは1989年7月発行なので、0.9を基本に書かれている。あちこちに「1.0だとこうなります」という記述がいくつか見られる。しかし改めて見ても先進的で洗練された画面には驚かされる。あたりまえだが,すでにNeXTmailがあり音声も入力できるという機能は8年前からあったのだ。
NEXTSTEPはその後も進化を続け,最終的に3.3までバージョンアップするが,とにかく安定性が抜群だ。 筆者はメールサーバとDNSサーバにNEXTSTEP3.3を使っている。
NEXTSTEPはOPENSTEPを経てRhapsodyに発展することになるわけだが,Yellow BoxとしてWindows
やMacintoshにも開発環境が乗るなんて,当時誰が想像しただろうか?
IBMがNEXTSTEPをきちんとサポートしていれば、パソコンの世界はIBMの勝利に終わっていたかもしれないが,時代はアッブルに幸運を運んできたようだ。
【筆者あとがき】
はっきり言って今回のYellow BoxはOPENSTEP+Javaで広範囲なプラットフォームで動くので非常に魅力的だ。これでMac対Windows,あるいはMac対UNIXといったつまらない比較が無くなるかもしれない。もしLinuxにYellowBoxを移植してくれたら世界はすっか変わるように思う。
案浦浩二
koji@annies.co.jp
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