1982年8月15日日曜日

[機器] シャープ・ツインファミコン


[市場] 二光通販・その日からシリーズ





[市場] 二光通販・その日からシリーズ
二光通販・その日からシリーズ。
その日から恍惚プレイ!
pinterestより引用。

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(-.-)
すいません!コレ買いました(^o^;)
(-.-)
アンプが電池しきだったりして~~その上出力5Wってさ~なんなの!!
(-.-)
 このころの少し前はグヤトーン、テスコ、エルク、そして後発のヤマハでした。
グヤトーンのLGシリーズは12500円ぐらいから、テスコのチェックメイトシリーズもそのぐらいでした。
昭和43年にグヤがモデルシャープファイブを発売し、すぐに予約しました。(2か月ほどまたされました)5万円ぐらいでした。(大卒初任給の倍ぐらいです)
その後ヤマハがモデルブルージーンズを発売しました。
当初寺内タケシが使っていましたが、自分が開発にかかわったのですが気に入らずモズライトに戻りました。
加瀬邦彦はモデルブルージーンズの12弦で「思い出の渚」をヒットさせました。あの間奏の12弦の音色はヒットの理由のひとつだと思います。
当時、フェンダーは20万円、モズライトは27万円と、サラリーマンの年収に近いものでした。
半世紀まえのモデルシャープファイブは今もなります。
(-.-)
小生が初めて手にしたエレキはトーマスのテレキャスターもどきで、5wのアンプ付きで¥9800でした。新聞配達のバイトでやっと買えたんです。
ラワンに焦げ目をつけたようなチンケなサンバーストでしたが自分にはかけがえのない盟友でした。
コイツでノーキーさんを必死で耳コピしたあの頃が自分のギター人生のスタート地点でした。
この広告を見て懐かしくて涙が出そうでした。UPありがとうございました。
(-.-)
ひねくれ者だったので、こういうの全く信じませんでした。でも、近所のディスカウントショップで怪しげなエロテープ(音だけ)をうっかり買ってしまいました。聞こえてくるのは延々ひげ剃りしてる様な音と、わざとらしいあえぎ声…(笑)
高校時代の不覚です(笑)
(-.-)
二光カタログだぁ‼️
高校時代ボロボロになるまで毎晩みてました👍✨そしてトムソン、トーマス…
今の自分のバンド人生があるのも、このブランドあってのことです。懐かしぃ〜😆

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1982年8月6日金曜日

[ゲーム][LSDゲーム] バンダイ,Dr.デンタル(Dr.DENTAL)(1982)~バンダイLCDゲームデジタルシリーズ




Dr.デンタル(Dr.DENTAL)
ゲーム性 ★★★★ オジャマ菌の存在が憎い。テンポの良いシューティング、名作です
操作性 ★★★ 機敏な操作を要求されるが、ボタンが少し小さい(子供には問題なし?)
キャラクタ ★★★★ とても可愛らしいキャラ達、患者が泣く姿もGOOD!
サウンド ★★★★ 消毒液を発射して虫歯菌をやっつけるまでの音がこのゲームならでは
ハード ★★★ とても良く合ってるカラーリング
総合 ☆☆☆☆ さすがバンダイ、アイデア勝利的なモノが見えます。是非GETせよ!





Dr.デンタル(Dr.DENTAL)
バンダイ/LCDゲームデジタルシリーズ/1982年頃
(C)1982 BANDAI ELECTRONICS
■ゲーム内容:とてもいやな歯医者だが・・・
Dr.デンタルの画面1  歯医者と言えば、子供が嫌いな所ナンバー1と言っても過言では無い場所でしょう。
あのウィーンウィーンの音には、大人も嫌になってしまう程です。
子供が泣くのも当然でしょう。私も例外ではありませんでした。
電子ゲームの大御所とも言えるバンダイは、日常生活からアイデアを取り入れた作品も多く、
この作品も言うまでも無く「歯医者」から取ったものですが、非常にうまくゲーム化されていて
いやな歯医者とは思えないほど面白く仕上がっています。
まず注目したいのは、患者でしょう。絶滅寸前のアフロヘアーなのです(笑)。
ゲーム中は目をパチパチしています。やっぱりチクチク痛いのでしょう。
(それにしても、こんなに虫歯菌に好まれるなんて何を食べていたんでしょう?)
次によく考えると、このゲームは「シューティング」の分類に入ると思います。
シューティングと言うと、TVゲームでも電子ゲームでも戦闘機ものばかり。
それを歯医者に当てはめるなんて、さすがバンダイ・・・と思いました。 Dr.デンタルの画面2
Dr.デンタルの画面3  さて、ゲーム内容ですが、ゲームが始まると上の歯に虫歯菌が現れます。
虫歯菌が歯をカジカジ囓って虫歯にしてしまうので、Dr.デンタルを操作して消毒液を発射し(FIREキー)、
虫歯菌をやっつけます(2点加算)。
ただし下の歯には、オジャマ菌が居て、Dr.デンタルの消毒を妨害します。
オジャマ菌は下の歯を虫歯にする事はありませんが、消毒液がオジャマ菌に当たった場合は
消毒液は消えてしまいます(1点加算)(オジャマ菌も消えます)。
つまり、オジャマ菌のおかげで消毒液が虫歯菌に届かない間は、虫歯菌はやりたい放題です。
虫歯菌がしばらく歯を囓ると、1段階虫歯になります。これが3段階になってしまうと患者が泣き出してしまいミスになります。
これはバンダイのお約束システムなのですが、得点1,000点毎におっかけダンス(左写真)が始まり、
ボーナス500点加算されます。つまり「パックマン」のコーヒーブレイクみたいなものですね。
このゲーム、オジャマ菌のおかげでゲームがとても面白くなっています。
オジャマ菌が原因でミスになる事がよくあります。本当にジャマな存在です(笑)。可愛いけどイヤなヤツですね。
なんとなく音もコミカルで楽しいものとなっています。ゲーム中、たまにある「間」も、虫歯菌との駆け引きには欠かせません。
是非、可愛いキャラの「Dr.デンタル」を是非プレイして下さい。
ちなみに、このゲームの虫歯菌・オジャマ菌がバンダイらしいキャラだと思った人はかなりの通だと思います(笑)
注:キャラの名称などは説明書を紛失してしまった為に正確な名称ではないかもしれません。ご了承下さい。
■本体解説
ゲームデジタル3,980円シリーズについては、「ハンバーガーショップ」「影忍者」をご覧下さい。
カラフルなカラーリングが多いシリーズですが、Dr.デンタルの青は意外に落ち着いていてマッチしていると思います。
■当時の思い出
私はこのゲームがかなり好きでやり込みましたが、当時は歯にこういった虫歯菌が居るモノと信じていた時期がありました(汗)。
当時、「どうしてDr.デンタルと言うんだろう?」と疑問を持った私は英和辞典で調べたら・・・納得。これで「DENTAL」と言う英単語を覚えました。
ゲームで遊べて英単語も学べる・・・うーん、さすが電子ゲーム!(オイオイ)。
     
JUN AMANO'S HOMEPAGE               
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1982年8月3日火曜日

[機器][PC] SHARP MZ-1200















Seed-種をまいた人-
高橋ピョン太インタビュー
このページは、現在のゲームの原点となったゲームを制作した方に、インタビューをするコーナーです。
と言っても今後、別の方にインタビューする機会があるかわかりませんが(逝)
また、テープをおこすという作業自体が初めてなので、見苦しい点があるかも知れません。予めご了承下さい。
ちなみに、ダイアルアップで接続されている方は、オフラインで読んだ方が良いと思います(逝)
今回インタビューをお願いしたのは、元ゲームプログラマーであり、元ログイン編集長の高橋ピョン太さんです。
2時間ものインタビューにつき合って頂きまして、有り難うございました。
色々な面白い話が聞けたのですが、全部を載せるわけには行かないのが残念(笑)
高橋さんのコンピュータに触れたきっかけから、ログインで働くまでの経緯を紹介したいと思います。
ただ、インタビューと言うよりも、雑談かもしれません(逝) 
でもこの話の中には、今のゲームやパソコンが失ってしまった、大切な何かがあると思っています。
注:敬称略です(^_^;
(1998年9月収録)
愛妻 お久しぶりです。
高橋ピョン太(以下、ピョン太) どうも。相変わらずだね(笑)
愛妻 今日はですね、昔ゲームを作ったときのきっかけとかを聞きたいんです。いまゲームをやっている人たちが「昔はこういう感じだったんだ~」というのをホームページに載せたいんですよ。それで今日、インタビューをお願いしたんです。
ピョン太 じゃあ、僕がなんでゲームを作ったとか、そういう事を言えば良いんだね。
愛妻 まあ昔話でも良いんですけど(笑) こんなゲームが面白かったとかそんな感じで良いんです。えーと、ピョン太さんのことはログインの紙面とかにバンバン出ていたので、知っている人は多いと思うんですが、元プログラマーだと言うことを知っている人は、あんまりいないと思うんですよ。ログインの隔週の最後に、その事が載りましたよね?
ピョン太 『デジしょく』だね(笑)
愛妻 そうです(笑) それで知ったと言う人も周りには結構居たので、じゃあ「こういうのを作ってたんだよ」みたいなのを載せたら面白いかな~と。
ピョン太 最近よく、「元プログラマーだったんですよね」とかね、言われますよ(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 基本的に昔のパソコンっていうのは、あっ、まだマイコンって言っていた時代なんだけど。
愛妻 ええ(笑)
ピョン太 マイコンって言うのに興味があって買った人は、なんだかのプログラムをしないとさ、何も出来なかったんだよね。
愛妻 そうですよね。
ピョン太 そこでしょやっぱ(笑)
愛妻 そこですか(笑)
愛妻 シャープ系のマシンはそうでしたよね。
ピョン太 そうそう。クリーンコンピュータね(笑)
愛妻 ええ、それです(笑)
ピョン太 だからまず、ベーシックを立ち上るとシステムが起動して、それで何をやるかというと、ベーシックが立ち上がっている状態だから、何らかのプログラムをロードするか、もしくはプログラムを入力しないと動かない。
愛妻 ですね。
ピョン太 で、その入力するという自体が、コンピュータの、マイコンのもっともベーシックな使い方なんだよね。そうすると自分で組むか、雑誌の後ろに付いていた・・・。
愛妻 リストプログラムですね。
ピョン太 そう。そのリストプログラムを打ち込むと。少なくとも、例え自分で作らなくても、プログラミング作業みたいな事はやらざるおえなかった。
愛妻 そうですよね(笑)
ピョン太 最初オレが始めたときは、市販ソフトという概念もなかったし。『I/O』っていう雑誌か『ASCII』。後は『マイコン』、『RAM』っていう・・・。
愛妻 ああ、ありましたね(笑)
ピョン太 その4大マイコン雑誌(笑) それで入力するしかなかった。
愛妻 『I/O』があまりの厚さで、人が殺せるっていうときですね(笑)
ピョン太 そうそう(笑) それで1番『I/O』が面白いプログラムが沢山あって。投稿がメインだったんだけど沢山載るようになって。それが楽しみで、毎月毎月プログラムが出たら自分のマシンに入力していたんだけど、そのうち入力するのが苦になって来るんだよね。マシン語なんて数字の羅列だから、面倒くさくてしょうがなくて(笑) 間違ったら動かないし、何処が間違えているのかが判らないっていうのがあって。
愛妻 結構泣けますからね。間違いが見つからないと。
ピョン太 すると『I/O』がテープサービスというのを始めたのね。プロラグラムをカセットテープにセーブしてあってそれで模範する。そういう流れだから。基本的には、必ずプログラムするよね。
愛妻 それが高じて、ゲームを作り始めたのですか?
ピョン太 オレがコンピュータでプログラムっていうか、ゲームをやろうと思ったのは、そもそもゲームが好きだったから。
愛妻 いつから、っていうか、最初にプレイしたゲームっていうのは、何なんですか?
ピョン太 それは歳がばれるから(笑)
愛妻 でも僕だって『インベーダー』とか、そういう時代ですから(笑)
ピョン太 ああ、そうなんだ。『インベーダー』をやって、『インベーダー』自体がマイコンで出来ているっていうのを知ったときに、本当に面白そうだなと思ったのね。で、最初はTK-80っていうのを見てて、買った訳じゃないんだけど見てて。高校が秋葉原に近かったから良く観に行っていて、欲しいなと思っていたんだけど手持ちが無くてナイコン(爆笑)
愛妻 はははナイコン(爆笑) やっぱりこれですね(笑)
ピョン太 ナイコンをしばらく続けていたときに、TK-80にベーシックが乗るようなシステムなったやつがあって、それでちょっとベーシックを見て、「ああ、面白そうじゃん」と思って。で、高校を卒業したときに親の仕事を手伝うって言って、それで先にMZ-80Cっていうシャープのマシンを買って貰った。それで返済するっていう形で月賦で買ったんだけど、いつの間にか親が払っていた(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 それでマシンが来たときに、その中に入っているベーシックの説明している本を見て遊んでいる内にプログラムを覚えたという感じ。で、プログラムを覚えているときに、アメリカで「アップルIIでスタープログラマーが誕生!」みたいな本を読んだのね。それをオレが見たのはね、『ポパイ』っていう雑誌があるでしょ。その『ポパイ』のニュースのところで、アメリカの億万長者じゃないけど、それに近い人というのが居て、新しい世代の新しいお金持ちみたいな感じで載ってたんですよ。それでオレもなんでか知らないけど、「これだ!」って(笑)
愛妻 凄いっすね(爆笑)
ピョン太 就職もせず日々コンピュータと接していたとき、「もしかしたら出来るかも」って言っていたくらいの頃が、『I/O』のテープサービスが始った頃だったのね。で、ポツポツと『I/O』の投稿プログラムの方にソフトを作るソフトハウスもどきなのが出てきて、ハドソンとかスタークラフトとかが『I/O』創刊の頃にそういう作業をしていて。唯一そういうところが、ちゃんとソフトハウスとして活動してたのね。えーと、九十九電気もそうだね。
愛妻 あ、そうですね。
ピョン太 お店でソフトを売ってて。
愛妻 昔のパソコンソフトって、お店を展開していて、そこにプログラムが好きな人とが集まってきて、いつの間にか会社になったというのが多いですよね。
ピョン太 そうそう。そんな感じのが多かった。
愛妻 日本ファルコムとかもそうですしね。
ピョン太 ショップを中心としたコミュニケーションの場があって、そこに集まったソフトウェアがなんだかの形で市販されるって言うかね、そんな感じですね。九十九もそうで、九十九でパソコンを買うとソフトが何本か付いてきて。まあこれも素人が作ったのだから、今で考えるとほんと”おまけ”的なソフトなんだけど、それでも全部が新しかったから、ムチャクチャ面白かったね。
愛妻 今までにない体験ですからね。
ピョン太 それで、最初に作ったのが『スタートレック』。
愛妻 はいはい(笑)
ピョン太 今だと版権がうるさいからそんな簡単には作れないけど、当時は『スタートレック』っていうのはスタンダードなゲームのルールとシナリオがあって、新しいマシンが出る度に必ず移植されていた物なのね。
愛妻 昔の雑誌とかを調べていますと、市販された『スタートレック』のゲームが、その本を書いた人が載せた数だけでも、結構な数だったんですよ。
ピョン太 『スタートレック』は必ずあった。
愛妻 その中で、どれが一番出来が良いかという事を記事にしていましたけど・・・。『スタートレック』というのは、日本ではポピュラーな物だったんですか? 私が知っていて古いというのは、深夜帯のしか知らないんですが。深夜帯で放映していたのですか?
ピョン太 ううん、最初のは違う。オレが子供の頃は、アニメーションもやっていたし。凄くメジャーだったよ。オレが高校生ぐらいのときに夕方4時とかで再放送とかしていたし。だからファンとかは沢山いて、コンピュータをやるようなやつはSFが好きが多いから、『スタートレック』なんかはまさに良いテーマだったんだよね。で、その『スタートレック』のベーシックなゲームっていうのは、もの凄くコンピュータゲームとしてはポピュラーなゲームだったんだ。誰もがやり方がわかっていたし。毎回同じように遊べるんだけど、乱数で敵とかが出てくるんで、いつでも楽しく遊べた。そんな感じで、当時遊べるシナリオっていうゲームは『スタートレック』しか無かったから、それで徹夜するよね(笑)
愛妻 なるほど(笑) 今の子供たちとゲームの遊び方が違うというのは、自分で遊びを考えるじゃないですか。例えば、プログラミングして出来た。んで、飽きた。じゃあどうしよかってなるんだけど、他にやるゲームがないから、なんかよくわからないけどベーシックを勉強して、「ここをこう変えて、なんかスピードが速くなった」とか、そんな単純な”遊び”でも楽しめたじゃないですか、昔って。
ピョン太 それが直ぐにダイレクトに出来るプログラムだったから、もちろんそういう”遊び”が楽しくてしょうがないし。例えばそのプログラムのある変数を変えると、全然自機が減らないとか、そのプログラムを作った人のコピーライトを変えるとか、そういうプログラム的な遊びで喜んでいたんだよね。
愛妻 今楽しめないじゃないですか。ガチガチに決まっていて、プロテクトも掛かっていて。それにプログラムを勉強しようと思う人はいても、実行するのにはハードルが高いと思うんですよ。今だと媒体がCD-ROMとかになっちゃって容量も大きくなっているし、言語自体もアセンブラとかC言語とか難しい言語になっちゃって、何が書いてあるかわからなくなっていますよね。何もプログラムを知らない人が覚えるための”きっかけ”というのが、今の人には少ないんじゃないかと思うんですよ。
ピョン太 完全にブラックボックスになっているからね。逆に言うと可愛そうだよね。
愛妻 そうですよね。

ピョン太 立ち上げたときにベーシックが入っていて、ペンティアムとか8086のマシンが組めるとしても、それがもう、いきなりハードルが高いからね(笑) 昔は立ち上げたら直ぐのマシンだったから(笑)
愛妻 そうですね(笑)
ピョン太 ベーシックにしてもマシン語にしても、そんなにハードルが高くない時代だったから。今は、開発用のツールを買うだけでも凄い金が掛かっちゃって、そう考えると”プログラムをしよう”と考える人じゃないと、出来ない仕組みになっちゃっているよね。だからプログラマーが増えて欲しいというのは、割とみんな希望としてあるんだけど、それをやる手順がない。でも、最近見えてきたのがHTML。ホームページを作るのにHTMLを少しやると、プログラム的な楽しみがあって、やっぱり基本的な楽しみというのでは、昔のベーシックを楽しむというのと同じように、そういった簡単なものがないとハマれないよね。それが唯一、HTMLかなって思っているんだけど。それからCGIで、画面が動いたりすれば、少しは8ビット時代に近いところで楽しめる所はあるんだけど、そこまで気が付かせるのって、結構やっぱり大変でしょう?(笑)
愛妻 ええ(笑)
ピョン太 パソコン買ってきて電源入れてそれになっていれば良いけど、そうじゃないでしょ。もし覚えられる、新しいユーザーに覚えて貰えるとしたら、やっぱりホームページ周りかなっていうのがあるね。
愛妻 ピョン太さんがパソコンとかでゲームを作ろうと思ったのは、もちろんゲームを作りたかったというのがあるんでしょうけど、組んでいて楽しかったというのもあるんですよね、きっと。
ピョン太 それはそうだよ。でも、”それ”しか無かったという良い環境なんだよね、要は。
愛妻 あ~、なるほど。
ピョン太 プログラムを組んで遊ぶしかコンピュータの使い道がなかったから。アプリケーションを立ち上げて、ワープロをやるなんていうのも無かったし、最初のコンピュータにはワープロなんて物もないわけだし。
愛妻 そうですよね(笑)
ピョン太 オレが初めてワープロというのを触ったのは、月刊アスキーに載っていたワープロの特集で、88(PC-8801の事)とFM-8のワープロが載っていて、それもやっぱりテープサービスみたいな感じで。値段は忘れちゃったけど1万円しないやつが載っていて、それを速攻で買って来て。で、漢字プリンターというのもとても高くて。
愛妻 昔は高かったですよね。
ピョン太 オレが買ったのは、漢字ROMが付いているやつで、16万ぐらいかな(笑)
愛妻 たかーい(笑)
ピョン太 「オオ、スゲェ! 20万円切った」とか喜んでいた時代で(笑) それはもう第1水準漢字しかでなくて。そういう時代だったんで、ワープロも、そんな機能的なものじゃなくて、ワープロで1ページ目を書いて2ページ目に行くのに、ページ切り替えに3分ぐらいかかるし(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 だからそんなにコンピュータっていうのは、実用性がなかったから、プログラミングで遊ぶしかないっていう感じ。
愛妻 なるほど~。じゃあ、コンピュータって言うのを知ったというのは、たまたま秋葉原の近くだっからとか、そういう事じゃないんですよね?
ピョン太 それもあるけど、やっぱり電気系のことが好きだったから。昔から電気工作とか好きで。
愛妻 高校は工業系だったんですか?
ピョン太 工業系だけど・・・建築科(笑)
愛妻 (笑) じゃあ、CAD/CAMみたいなものを・・・。
ピョン太 無い無い(笑)
愛妻 そんなの無いですか(笑)
ピョン太 無い無い。製図板とT定規で。少しプログラミングみたいのもあったんだけど。それがオフィスコンピュータというか、ミニコン。ミニコンレベルだね、プログラムっていうのは。だからちょっと質が違う。でも、その頃からマイコンの存在は知っていたし、そういうのが好きだったから、それはそれでやりたいと思っていたし。それでアキバが近かったし、アキバにも通っている内に、まあこれで『インベーダーゲーム』が出来るかなって(笑)
愛妻 家でゲームが出来るというのは、夢のような話でしたよね。
ピョン太 もう、憧れ。
愛妻 憧れでしたよね。
ピョン太 それまでは確かに、ゲームセンター行ったりとか、そういうことでゲームで遊んでいるし、『インベーダーゲーム』以前にも、電子系のデジタルゲームっていうのがあったじゃない。そういうのはやっぱり魅力的で、よく遊ぶわけだよね。で、よく遊んでいる中で、やっぱり家でもゲームが出来るとなると、これはやっぱりやらざるおえない(笑)
愛妻 そうですよね(笑)
ピョン太 だから基本は先にゲームがあって、電子系が好きでデジタル系へ進んでいったら、プログラムをやるっていう方向へ行って、プログラミングをやるからには、そんな表計算ソフトみたいのを作っている場合じゃないっていう(笑) で、ゲームを作り始めたわけ。それがきっかけ。
愛妻 なるほど~。
ピョン太 で、アメリカでスタープログラマーっていうのが出てきたっていうのを知って、ちょっと商売してみようかなっと思ったとき、何処だけっかな? コンテストみたいのが始まった、というか応募が始まって、エニックスとかアスキーとか・・・。
愛妻 ポニカとか。
ピョン太 まあ、ポニカとかもそうだけど。『スパイ大作戦』はポニカから出たんだけど、あれってコンテストの前で、それは『スタートレック』を出した会社って言うのが通販専門の会社だったのよ(笑)
愛妻 はいはい(笑)
ピョン太 そこに『スパイ大作戦』を作って持っていったときに、たまたまポニーキャニオングループの人が誰かのつてで来て、「会社を作るんでソフトを探しているんですけど」と言ったときにあったのが、『スパイ大作戦』(笑)
愛妻 あ~なるほど。
ピョン太 それで「これどうですか?」って出して。で、その時にね、ちょうど『スパイ大作戦』ってPC-6001が最初だったんだけど、それがオリジナルで。『スパイ大作戦』の最初の「おはようフェリプス君」って言う所でテープが回るんだけど、テープレコーダーの名前を『S○NY』っていう名前で書いて出していたのね(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 これは困るりますねって言われて(笑) 「直ぐに”S”を”P”に直して」って。『PONY CANION』だから『PONY』で良いやって言って。そういうノリでゲームを作って。「じゃあ出しましょう」って出したのが『スパイ大作戦』。
愛妻 じゃあ『スパイ大作戦』は『PONY』製品で言うと、何本目のソフトになるんですか?
ピョン太 えーと。
愛妻 コンテスト前の・・・。
ピョン太 何本目だったけかな。3本目か4本目ぐらいかな。第1段が出ていて、第2段が出るときに『スパイ大作戦』がっていう形になっていたから。
愛妻 では、デビュー作が『スパイ大作戦』と言うことですね。
ピョン太 いや、『スタートレック』。
愛妻 ああ、そっか。
ピョン太 あ、『スタートレック』と『スパイ大作戦』の間にもう1本あって、『アフリカンコープス』というシミュレーションゲームを作っているんです。
愛妻 『アフリカンコープス』・・・。それは一体、どういうゲームなんですか?
ピョン太 ウォーゲームで、HEXを書いて。これもPC-6001なんだけど。まず・・・早い話、将棋みたいなんだけど、自分の駒をこう並べて。これは砂漠の・・・えーと、勉強していたんだけど忘れちゃったよ(笑) 要はロンメルの戦車軍団。
愛妻 有名なやつですね。
ピョン太 あ、そうだ。タイトル名が『ロンメル戦車軍団』で、オープニングの画像の所に『アフリカンコープス』って出して、ロンメルが辿ってきたものをシミュレーションするって言う形。
愛妻 じゃあ正式な名前は、『ロンメル戦車軍団』なんですね。
ピョン太 『ロンメル戦車軍団』。それが『スタートレック』を出したところから出てきた第2段。で、順番としては『スパイ大作戦』の方が先。同じぐらいだったかな? それは片方はポニーから出して、片方はイマージュソフトっていう通販専門のお店なんですけど。
愛妻 イマージュソフトって結構有名じゃなかったですか?
ピョン太 いや、有名でもないよ。
愛妻 広告をよく見た気がしますよ。
ピョン太 広告はいっぱい出てた。イマージュソフトっていう所で2本出して、『スパイ大作戦』が3作目になるのかな。
愛妻 実際に反響とかはあったんですか?
ピョン太 『スパイ大作戦』は最初のポニーのやつで1番売れて、それで移植しましょうって事になって、移植した。
愛妻 結局、何機種ぐらい移植したんですか? 全部自分でやられたのですか?
ピョン太 88以外は、全部自分でやった(笑)
愛妻 ははは、凄い(笑)
ピョン太 (笑) 88版は実はね。これは今だから言っても良いかもしれないけど、どっかの若い訳わからないね、ヤ○ザっぽい人が勝手に出して、オレが作った様なフリをしてPONYに持ってって、出させて。だから最初、印税が入ってきていなかったのね。そういうゴタゴタもあったんだけど。
愛妻 はぁ~。これはオフレコじゃなくて良いんですか?(笑)
ピョン太 良いよ。後で見たら、殆どオレが作ったプログラムで、絵だけを変えているって感じ。
愛妻 ひゃ~。
ピョン太 それは、ちょっとそういうことがあった。
愛妻 なるほど~。実際には、中のプログラムをごっそり持っていっちゃって、自分の物にしちゃっていることですね。
ピョン太 そうそう。
愛妻 コピー物っていう事ですよね。
ピョン太 でも一応パッケージには、名前が全部書いてあったから、外から見たら全部オレが作っているように見えるんだけど、内部的には違う人が関わっていることになってる。
愛妻 その問題はクリアされたんですか?
ピョン太 まあ、ある程度ね(笑)
愛妻 ははは、はい(笑) 
ピョン太 60(PC-6001の事)と80(PC-8001の事)と88と。えーとMZ-1200とMZ-2000の5機種かな、『スパイ大作戦』は。
愛妻 互換機を合わせれば、もうちょっと量が増えますね。って言うことは。88以外の機種を移植したって事は、他の機種は自分でお持ちだったのですか?
ピョン太 買った(笑)
愛妻 買ったんですか!?
ピョン太 最初の印税で(笑)
愛妻 凄い儲かったって事じゃないですか!(笑)
ピョン太 メチャクチャ儲かった。『スパイ大作戦』と・・・。あと『スタートレック』と『ロンメル戦車軍団』の両方を合わせても、数的には6、7千本ぐらいは売れたのかなぁ。そのときは通販だから、オレに印税だけで30%入ってくる時代だったから。
愛妻 3、30%ですか・・・。
ピョン太 それで計算すればわかるでしょ?(笑)
愛妻 ウヒョヒョヒョ(笑) 
ピョン太 メチャクチャ儲かって。『スパイ大作戦』はそれ以上に儲かったから。そういう風に入ってきたお金を全てマシンにつぎ込んだっていう感じかな。
愛妻 なるほど。私はてっきり、会社で用意されている物を使ってやったのかと。
ピョン太 あ、違う違う。その後ぐらいかな? 会社で作って欲しいって依頼が来るようになったのは。で、マシンを貸し出すからっていう感じで。
愛妻 じゃあ一辺に何機種も入ったわけですね。
ピョン太 それでテクポリ(テクノポリスという雑誌が昔あった)に取材されたことがあってね。テクポリのプログラマーの取材のところでオレの部屋が写っているんだけど、殆どその機種が全部畳の上に並べてあるんだよ。
愛妻 えっ? テクポリって、そういうページがあったんですか?
ピョン太 昔あった。最初の頃のテクポリなんだけど。プログラマーの家を訪問して。
愛妻 あれ~?見ていないなー。一応、昔のゲームを調査するために古いゲームの本は読んでいるんですけど。
ピョン太 あのね、何年何月っていうのは全然覚えていないんだけど、黄色い表紙で川島なおみが表紙なんだよ。
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 それだけ覚えている(笑)

Nostalgia
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/interview/Talk.htm
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/interview/Talk2.htm