1973年1月30日火曜日

1973年1月2日火曜日

[機器][ゲーム] MagnaBox社,BROWN BOX~家庭用テレビゲーム登場






[機器][ゲーム] MagnaBox社,BROWN BOX~家庭用テレビゲーム登場
海外のテレビゲームの歴史
History of Overseas Videogames
■世界初の家庭用テレビゲーム
この時代には、まだ家庭用と業務用(アーケードゲーム)という区別はありませんでした。つまり、商品としてのテレビゲームはまだなかったわけです。
最初に商品として世にでたテレビゲームは、ナッチング・アソシエイツ社が1971(昭和46)年に発売した「コンピュータースペース」です。
遊園地などにおいて、コインを投入して遊ぶために作られたもので、つまり、アーケードゲームの第1号機です。テレビゲームの父といわれる、ノラン・ブッシュネル氏が開発したこのゲームはあまりにも有名で、テレビゲームの歴史関係の書籍を開けば、まずまちがいなく出てきます。
では、家庭用テレビゲーム第一号はなんでしょう。
それは、マグナボックス社が1972(昭和47)年に発売したオデッセイです。
オデッセィの原形は1967(昭和42)年頃にさかのぼります。
米・サンダールアソシエイツ社のR&D;(研究開発部門)チーフであったラルフ・ビア(Ralph Bear)氏が中心となり、ビル・ハリソン(Bill Harrison)氏とビル・ラッセル氏(Bill Rusch)の3人で、ブラウン管を利用したエンターテインメント製品の開発が始められました。
このマシンは「ブラウンボックス」と呼ばれ、テニスゲームのようなものが遊べるマシンとして完成をみました。 
画期的な製品として、ケーブルTV会社や大手家電メーカーへのライセンス供給という形で売り込みがなされたのですが、それぞれ、金銭面、条件面で折り合いがつかず、陽の目が見えない状況が続きました。
BROWN BOX
ブラウンボックス(試作品/サンダール・アソシエイツ社・1967年)
このブラウンボックスの技術に注目し、テレビゲーム特許に関してサンダール社と独占契約を結んだのが、家電メーカーのマグナボックス社です。
さっそく、ラルフ・ベア氏指揮の元、このブラウン管をつかった新製品の研究開発がはじまり、1972年の5月、世界初の家庭用テレビゲーム「オデッセイ(ODYSSEY)」が発売されました。
オデッセィ(マグナボックス社・1972年) ・・・詳しくはオデッセィのページをごらんください。
「テレビテニス」で遊べたポンテニスゲームよりもさらに初期のもので、得点も音もでません。ゲーム機というより”オブジェクト表示機”といった方がしっくりくるかもしれません。

オデッセィ
http://www.ne.jp/asahi/cvs/odyssey/history/index.htm