[機器][スマートフォン] iPhone1発表(2007/1)
====Newton NEVER DIE!!!!!!====
2007/1/10(水) 午後 3:07 shigeの書庫 Macintosh
現地時間1月9日で行われたMACWORLD SAN FRANCISCOにて行われたApple基調講演にて噂だけ先行していたハンドヘルドデバイスの 形をした
『iPhone』
が発表された!!!!。
電話という形ではない!、PDAの形態をしている。
アップルジャパンではテキスト形式の発表しかしていなので Appleのページから画像を拝借させていただく!。
ハッキリ言って欲しい!!w。
でも、以前萌えたアップルMP130やApple MP2100では非常に苦い想い・・・、煮え湯を飲まされた想いがあるので、しかも携帯電話と銘打っているから日本ではどのキャリアから出るか現時点では不明である!。
ハッキリ言って日本の3大キャリアから出して欲しい!。
イヤだよ~!ボーダ・・・、
SoftBankはw。
J-フォンなら許せるかも!。
ここで驚くのは
『operating system — OS X — is now available on a small』であり、
『desktop-class applications and software』である!!!!。
はいっ↑?!、
Macに載っているOS Xの縮小版で、Macに載っているアプリケーションと同等のモノが用意されている・・・!!!!。
こうゆうPDAやハンドヘルドは安っぽく貧弱さが拭い去れない場合が多いが『iPhone』はいかがか?。
OSがMac OS X small(仮、w)なら
それも心配ない・・・、のかね。
恐らくデータ共有という思想はPalmのHOT SYNCと同じ感じなのかもしれない!。
米国では2007年6月に、欧州では2007年後半に、そしてアジアでは2008年に発売とのロードマップのようである。
Newtonの開発が凍結されて9年・・・、こいつが発売される2008年はNewtonで買った現CEOスティーブ・ジョブスへの恨み辛みは消えていくのだろうか・・・。
『iPhone』という名前なので3G携帯電話にiPodみたいな毛が生えた程度かと思ったけど、Macintoshを思いっきりPDA・ ハンドヘルドにしてしまっている。
デザインも良いし値段も そこそこ良いのならこれは売れる・・・、のかな~w。
shigeのバンドブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/shigehiko_0705/45790521.html
Technical Specifications
Screen size 3.5 inches
Screen resolution 320 by 480 at 160 ppi
Input method Multi-touch
Operating system OS X
Storage 4GB or 8GB
GSM Quad-band (MHz: 850, 900, 1800, 1900)
Wireless data Wi-Fi (802.11b/g) + EDGE + Bluetooth 2.0
Camera 2.0 megapixels
Battery Up to 5 hours Talk / Video / Browsing
Up to 16 hours Audio playback
Dimensions 4.5 x 2.4 x 0.46 inches / 115 x 61 x 11.6mm
Weight 4.8 ounces / 135 grams
shigeのバンドブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/shigehiko_0705/45790521.html
■影を潜めたマイクロソフトの活躍
八十年代以降、コンピューター世界の派権を握り続けてきた企業は、いうまでもなくマイクロソフトだ。
IBMのパソコンにMS-DOSというOSを搭載して以来、パソコン使用にあたってはマイクロソフトのソフトウエアを使用するというのがパソコンでの作業では当たり前とみなされてきた。エクセル、ワード、パワーポイント、インターネット・エクスプローラ、そしてウインドウズ。言い換えれば、パソコンの使用とは、イコール、マイクロソフトのアプリケーションを使うということだった。
これらソフトを使うためにパソコンを購入したと表現すればよいのだろうか。
ところが、最近、マイクロソフトは影が薄い。新製品を発表してパッとしないし、評判もあまり聞かない。業績はまあまあの状態を維持してはいるが、これら利益のほとんどは既存の製品からの売上に依存している。
■マイクロソフトとアップルの拮抗
その一方で、飛ぶ鳥を落とす勢いなのがAppleだ。2010年の第二四半期において、Appleは過去最高の売上と利益を計上した。
しかも、この業績はマイクロソフトと肩を並べるほど。13年前、スティーブ・ジョブスがAppleに復帰した時、Appleは瀕死寸前だったことがウソのことのようにさえ思える。
しかし、なぜこんなにもコンピューターを巡る企業の情勢が変化してしまったのだろうか?今回は、これについて考えて見たいと思う。その際,注目したいのはソフトウェアだ。
僕はソフトウェアをどのように時代状況にあわせてコンピューター市場に適合させるかがコンピューターの世界を左右するキーポイントと考えている。結論を先取りしておけば、マイクロソフトはソフトウェアに固執したがゆえに、パソコンの世界で覇権を獲得したと同時に、現在、覇権を失いつつある。いっぽう、Appleはソフトとハード二つにこだわり続けたゆえに派遣を取りそこねたと同時に,現代では逆にこれにこだわり続けるがゆえに,派遣を握ろうとしている。
次回からはソフトウェアの攻防を巡ってコンピューター世界がどのように変容してきたのか、またどのように変容していくのかを考えていこう。
■80年代以降、マイクロソフトはいかにして覇権を握ったか
80年代初頭、まだ数あるソフトウェア企業の一つ でしかなかったマイクロソフトがあっという間に派遣を握ることができたのは、その技術力によるのではない。むしろ技術を売る巧みさにあった。
当時、コンピューター企業の巨人であったIBMは、意外なところから脅威を感じはじめていた。
「意外なところ」とは、ヒッピー文化から誕生した「パーソナル・コンピューター」(以下「パソコン」)という、さながら玩具のようなコンピューターだった。
今でこそ、パソコンといえばコンピューターの代名詞的な存在だが、当時、コンピューターとは大型汎用フレーム、つまり一部屋を優に占用するようなバカでかいマシーン=システムを意味しており、もっぱら企業が利用するものだった。
当然、費用も膨大なものとなるのだが、こういったシステムの構築に関して、IBMは巨人的な存在だった。
ところがホビー・マシンとしてしか捉えていなかったパソコン、具体的にはAppleのAppleⅡが、意外にも取り回しが良く、ビジカルクなどの表計算ソフトがビジネス・ユースにも使えることがわかり、人気を博するようになると、IBMはこれを脅威とみなすようになり、対向手段、つまりIBM製のパソコンを急遽開発する必要が生じるに至った。
つまり、IBMは明らかにあわてていたのだ。
急ごしらえパッチワーク・パソコンを作ったIBM
しかし、ちんけなコンピューターであるパソコンとて、そう一朝一夕で開発できるわけではない。そこでIBMは製品のほとんどを外部から集め、これを一つの箱のなかに収め、箱にIBMのロゴを貼りつけて売り出すという急ごしらえの方法を思いつく。その時選ばれたCPUがインテル社のもので、OS、つまり基本ソフトがマイクロソフトのMS-DOS(Microsoft Disk Operation System)だったのだ。
そしてこの時、マイクロソフトは大企業を相手に極めて狡猾なビジネスを展開する。
CEOであるビル・ゲイツはMS-DOSをIBMに売却するのではなく、リースしたのだ。
しかも独占使用権すら与えなかった。
ようするにゲイツはIBMが焦っていることを察知して、弱小ソフトウェア・ハウスが巨人から、自分の商品を保持したまま膨大な金をまきあげることにまんまと成功したのである。
他人のふんどしで相撲をとったマイクロソフト
いや、それだけで話がすむわけではない。
マイクロソフトは巨人の背中に乗っかって、あたかも他人のふんどしで相撲をとるかのようなビジネスを展開する。
IBMがパソコンを販売するということは、その圧倒的な力で、即座にパソコン市場を席捲することを意味している。
そして、それは必然的に搭載されているMS-DOSが市場を席捲すること、つまりMS-DOSがパソコンOSの業界標準になることも意味する。
つまりIBMのネットワークに乗っかることで、IBM自体がマイクロソフトの広告媒体として機能したのである。
これはうまいやりかただった。
いや、それだけではない。
マイクロソフトはIBMとOSのリース、つまり利用契約を結んでいるにすぎない。
前述したように、独占使用権もIBMは持っていない。
いうことは、マイクロソフトは他のエレクトロニクス・メーカーにもMS-DOSをリースしても構わないということだ。
そして、実際、ゲイツはそれを実行した。
その結果、IBMは単なるマイクロソフトの宣伝媒体に成り下がってしまう。
「巨人IBMが採用しているのなら、ウチでも安心して採用していい」
こんな認識が業界全体に漂うようになったのはまもなくだった。逆にIBMの立場からすれば、これはとんでもないことだった。売れば売るほど、他のメーカーも同じものを作ってくるのだから、これは単純に価格競争の激化を生むことになる。儲かるのは、結局のところマイクロソフト(とCPUを提供したインテル)ということになってしまった。(続く)
■Appleを駆逐したのはIBMではなくマイクロソフト
Appleに脅威を感じ、これを駆逐しようとたくらんだIBM。
実際、その目論見自体は見事に功を奏する。
MS-DOSを搭載したパソコンは、瞬く間に市場を席捲した。
しかし、その原因はIBMがパソコンを発売したからではなく、マイクロソフトのOSを搭載したパソコンが様々なメーカーから発売され、Appleのマシンを囲い込んでしまったからだった。これに対抗すべく、1984年Appleはウインドウをベースにした画期的なOSであるMacOSを搭載したパソコン・Macintoshを市場に投入するが、多勢に無勢という状態になってしまった(そのあまりの高額さにユーザーの腰がひけたということもあったということもあったのだが)。
ただし、勝者はIBMではない。
勝ったのは他人のふんどしで相撲をとったマイクロソフトだった。
結局、市場に出回ったのはIBMのパソコンではなく、マイクロソフトのOSを搭載し、インテルのCPUが内蔵されたパソコンだったのだ。
IBMはApple駆逐とともに、自らの首もまた絞めることになってしまう。
最終的に競争に敗北したIBMは2004年、パソコン部門を中国の企業・Lenovoに売却、この市場から撤退する。
IBMの市場を縦横無尽に活用
マイクロソフトの罠にまんまと引っかかったIBM。パソコンを巡る攻防の勝利者は対立したAppleでもIBMでもなく、第三者のマイクロソフトだったのだ。マイクロソフトはIBMにコバンザメのようにぶら下がることで、両者を駆逐することに成功。パソコン業界に帝国を築くまでになっていく。そのプロセスはパソコンと関わってきた人間なら周知のことだろう。MS-DOSに続き、ほとんどAppleのMacOSのパクリに等しいWindows95をリリース。この時点でOSの機能としてはMacOSに比べてはるかに性能的には劣るにもかかわらず、IBMを利用して奪い取った市場を利用して市場をさらに拡大することに成功する。
この成功は、いわば缶コーヒーのジョージアが売れるのと同じ仕組みだ。缶コーヒーはBOSS、Wonda、Fireなど様々な商品が各メーカーから発売されているが、シェアはジョージアがダントツである。これはなにもジョージアが飛び抜けてうまいからだからではない。そうではなくて、ただ単に日本国内でコカコーラ・ボトリングの自販機が圧倒的に多いことから来る結果だ。
マイクロソフトの製品についてはまさにこれと同様で、要するに市場にはWindows95をインストールできるマシンがあちこちにあった。だから、その使い勝手などはともかく、ユーザーは自らのマシンにお手軽にWindows95をインストールしたのである。
二十世紀に現れた二人の巨人は発明していない
ビル・ゲイツは、しばしば「二十世紀最後の巨人」と称されることがある。これは二十世紀最初の巨人がエジソンであったことになぞらえて呼ばれている。
ただし、それは相当の皮肉を込めてであるのだが。
二人は技術については二十世紀を代表する発明家と言うことに表面的にはなる。ただしエジソンはある側面からすると評判が悪い。電球、録音機など、エジソンは様々な発明をした発明王としてつとに有名ではあるが、実のところ彼自らが発明したものはほとんどないと言われている。では、あれら一連の発明はどうやったのかというと、これらを発明した人間から著作権を買い取ったり、奪い取ったりした結果なのだ。つまり人のやったものに自分の名前を貼り付けて売り出したのだ。それが、結果として「発明王」という代名詞になった。
一方、ビル・ゲイツも同様だ。
IBMに搭載されたMS-DOSというOSはキル・ドールが発明したCT-MとというOSをちょっとだけ改造して、MS-DOS名前を貼り付けただけなのだ。
ウインドウズについても同じだ。
これは明らかにMacOSのパクリなのは周知のことだろう。
では、なぜエジソンが二十世紀最初の巨人で、ビル・ゲイツが二十世紀最後の巨人と皮肉を込めて揶揄されるのか。それは、二人には法律に詳しいという共通する特徴があり、法律を縦横無尽に駆使し、自分の地位を築いたからに他ならなかった。要するに「発明王」になるためには、発明の才に長けているよりも法律に詳しいことのほうが大事なのである。
ただし、そうはいっても市場にパソコンを広げることに多大なる貢献をしたのがマイクロソフト=ビル・ゲイツであることを疑う余地はない。そして、それはソフトウエアに特化したことから起きたことであることも。80年代以降、IBMの市場を縦横苦心に駆使しながらマイクロソフトはどのようにして覇権を握っていったのだろう。(続く)
■ソフトとハードを分離したオープン戦略でマイクロソフトが勝利する
マイクロソフトは、いわばオープンな展開をすることで市場を席巻することに成功したと言えるだろう。「オープンな展開」とはソフトとハードを分離し、様々なメーカーのハードに自らのソフトを搭載可能にするやり方をさすのだが、こうすればそれぞれのマシンの特性に依存することなく、ユーザーは自由にマイクロソフトの製品を使用することが出来る。
実を言うと、それまでのコンピューター、パソコン企業のほとんどはこのような考え方とは逆、つまりソフトとハード一体型と展開を基調としていた。しかもハード重視タイプの戦略。つまりエレクトロニクス・メーカーは自らのハード=機械を売りたいがために、これを使用するためのソフトを、いわば「オマケ」的に開発し、販売していたのだ。だが、そういった一体型の売り方というのはいわば「抱き合わせ販売」のようなもの。一旦ソフトがもはや時代の流れに合わないものになってしまったならば、ハードごと全てを取り替えなければならない。これはユーザーの側からすれば少々博打的な色彩を含むものになってしまう。ハードを買って使ってみたらソフトがダメだったということになったとき、それはソフトの交換ではすまされず、ハード=システム全てを交換しなければならなくなるからだ。
ところがマイクロソフトの製品はそうではない。
一般的には大方のマシンに搭載可能だ。だからユーザーは安心してこれを求め、一方でソフトとハード一体型のメーカーは撤退することを余儀なくされていったのだ。
事実上の抱き合わせ販売で他のソフトウエアハウスを凌駕する
ただし、これだけの条件ならば、それはマイクロソフトに限った話ではない。他のソフトウエア・ハウスもマイクロソフトのOS上で稼働するのだから、MS-DOSやWindows以外のアプリケーションに関しては参入の余地があるはずだ。
ところが、ここにもマイクロソフトは、こういった他業種を閉め出す対策をきちんと整えていた。
一つは自らの販売することをマイクロソフトのOSに最適化したこと。
典型的なのはワープロ、表計算、プレゼンテーションソフトなどからなるアプリケーション・スイートのMicrosoft Officeで、これらはパソコンを買うならマイクロソフトのOSを購入し、マイクロソフトのOSを購入するならばOfficeを購入するという流れを作ってしまう。実際、パソコンにはあらかじめOSがインストール済みなのがあたりまえになり、さらにはOfficeも標準装備かオプションで選択可能というハード販売をハードメーカーに指示するというまでになっていく。またインターネットの世界への参入が遅れたことを察知するやいなや、ブラウザのインターネット・エクスプローラーを投入して失地挽回を図ったのだが、これはなんとWindowsのOSに無料で標準装備されていたのだ。これによって、これまでネットスケイプの独壇場だったインターネット・ブラウザの世界はすっかりエクスプローラーによって凌駕されてしまったのだ。
(こういう強引なやり方は、やがて法律的に不可能になっていくのだが)。(続く)
■革新的なパソコン・マッキントッシュだったが
アップルもまた典型的なハードとソフト一体型の企業だった。そしてアップルもまた当初、ライバルとして危惧していたのはマイクロソフトではなくIBMだった。
だから1984年にマッキントッシュを発表した際にも、販売の際に標的としたのはIBMのパソコンだったのだ。
1984年スーパーボウルのテレビ中継のハーフタイムに一回きりで放映されたマッキントッシュのCMはIBMを明らかな仮想敵にしていた。
そのCMのキャッチコピーは
「1月24日、アプルコンピュータがマッキントッシュを発売します。
今年、1984年が『1984』年のようにならない理由がおわかりになるでしょう」
だったのだが、この『1984年』とはジョージ・オーウェルの小説をさしている。
この作品の中ではビッグブラザーと呼ばれる支配者が人々を一元管理し、人々に自由がなくなるという状況が描かれているのだが、
この物語をCMはもじっている。IBMの代名詞はビッグブルーであったのだが、視聴者にはビッグブルー=ビッグブラザーの図式を暗示することで「IBMのパソコンを購入すると飛んでもない管理社会が登場しますよ。マッキントッシュを使って自由な世界をつくりましょう」とアピールしたのである。
実際のところ、マッキントッシュ(以下、マック)は革命的なパソコンだった。
ウインドウを開きマウスでポインタを操作するという、現在のウインドウの概念のほぼ全てを既に実現していた。
実質的にこれが発売された1984年の時点で、11年後にマイクロソフトがブレイクさせたWindows95よりも優れたOSを構築していたいってもよいくらいだったのだ。
■クローズドな展開がAppleを窮地に追いやる
しかし、前述したようにアップル(当時の名前は「アップルコンピュータ」)もまた敵を間違えていた。
本当の敵はIBMではなく、ソフトをスタンドアローンで展開するマイクロソフトだったのだ。
だから、いくら優れたマシンを作り上げたところで、マックもまたハードとソフト一体型のクローズな製品。
他の撤退を余儀なくされた企業と同様、オープンな展開をおこなっているマイクロソフトには太刀打ちできなかったのである。
ただし、その秀でた機能でマックは唯一、マイクロソフト帝国の中で生き延びることは出来た。そのすばらしさを指示する一部の層(デザイナー、編集業者、医者、そして弁護士)が、マックを買い求めたからだ。
こういったユーザーに限定されたのは、機能的な側面でマックが必要(デザイナー、編集者)か、あるいは高額なオモチャとして所有したいか(マックは極めて高額だった)の、どちらかのニーズしかなかったからだった。
とはいうものの、マイクロソフトの狡猾さはこれだけに留まるのではない。ビル・ゲイツはどこまでも賢いCEO。他にも様々な手を打っていた。
(続く)
ソフトウエアが覇権を握ると言われたコンピューター業界。
しかし、それだけなら何もマイクロソフトが一人勝ちすることはあり得ない。
他のソフトウエア・ハウスにもそのチャンスは平等にあるからだ。
ところがマイクロソフトだけが一人勝ちした。
そしてその理由がパソコンの業界標準であるマイクロソフトのOS(MS-DOSやWindows)に自社のアプリケーションを最適化させたことに一人勝ちの理由があったことは、このブログの前々回で取り上げておいた。
しかし、マイクロソフトのアドバンテージはこれだけに留まらない。
■当初マイクロソフトのアプリには、事実上プロテクトがかかっていなかった
その、もうひとつは、アプリケーションにほとんどプロテクトがかけらていなかったことにある。
前述のOfficeがその典型で、ユーザーたちはこぞって、違法にこれをコピーして使用するようになった。
そしてマイクロソフトはこれを黙認した。
いわば「タダでばらまく」ということをユーザーにやらせたのだ。
これだったら儲けはあがったりということになりかねないが、
ところが、むしろこうすることでマイクロソフトはさらに収益を上げていくことになる。
■タダ乗りユーザーを背後に持つことで巨大なマーケットが獲得される
そのからくりは、ユーザーを二つに設定したことにある。
ひとつは企業や合法的にアプリケーションを使おうとするユーザー。
この手のユーザーは、ルールを守るのでアプリケーションをちゃんと購入した。
そしてマイクロソフトにとっては大事な収入源である。
もうひとつは違法ユーザー。
こちらはおそらく合法ユーザーよりもはるかに多いと考えられる。
ところが、この違法ユーザーたちがこぞって業界トップのアプリケーションであるMicrosoft Officeをタダで使用することで、Officeのユーザーが世界に遍在するようになる。
となれば、Officeの各アプリケーションは、事実上、
業界の基準ソフト=デフォルト・アプリケーション
となる。だがみんなが使うとなれば、やはり一定の割合で正規にアプリを購入するユーザーも存在するわけで、このユーザーが購入するだけで、その利益は膨大なものとなるのだ。
わが国では、このやり方で締め出しを食らってしまった典型的なアプリケーションがジャストシステムの“一太郎”だった。
一太郎は日本におけるワードプロセッサーの業界標準の地位から引きずり下ろされてしまった
(現在、ジャストシステムは、日本語環境だけに特化したされたアプリケーション、フロントエンド・プロセッサ=日本語入力メソッドATOKの企業という位置づけになっている。
日本という文化にローカライズされているがために、この分野だけはマイクロソフトに駆逐されることがなかったのだ)
ちなみにOfficeはいまだに違法コピーが可能だが、事実上の業界独占となったマイクロソフトのOSに関しては、アクティベーションによって極めて強固なプロテクトがかけられている。
つまり「釣った魚に餌はやらない」。
ようするに、自由にコピーさせ、これによって市場を独占した暁には、突如としてプロテクトをかけ、金を払わせるようにする。
「それなら、マイクロソフトOSの使用をやめてやればいい」
ということになるのだが、もう市場は事実上、独占されてしまっていて、ユーザーは選択肢を失っているというわけだ。
マイクロソフトがやったことは、こうやって実質的にアプリケーションをタダでばらまくことで高額な収益をもたらすという、極めて狡猾な方法、近年話題になり始めたFree Businessの先駆け的な営業展開だったのだ。
こうやってパソコン業界は完全にソフトウエアが世界を牛耳るという構造になった。
しかし、このソフトウエア至上主義の支配は21世紀になるとその様子が怪しくなってくる。それが、今回特集のタイトル「マイクロソフトは何故ダメなのか」と言うことになるのだが……(続く)
■21世紀におけるソフトウエア至上主義の崩壊
ソフトウエアがハードウエアを凌駕し、パソコン市場の方向性を決定するという神話は未来永劫続くと思われた。
マイクロソフト帝国が、一層の支配を進め、ビル・ゲイツのもと情報化社会はこれからも動いていくと誰もが疑わないような風潮が21世紀の初頭にはいわば当然のように語られていたのだ。しかし事態は以外の方向に展開する。しかも新展開をもたらしたのはデジタル電子プレイヤーという、意外なハードだった。
■iPodというハード?ソフト?の出現
2001年9月、アップルは突如として、これまでとは全く異なったジャンルのハード機器を発表した。
アップル・コンピュータとは一見、関係なさそうなデジタル音楽プレイヤーだ。
スティーブ・ジョブス復帰以降、アップル・コンピュータは製品ラインナップの大幅な整理を断行していた。
パソコンをディスクトップ、ノートそれぞれたったの二種類、都合四種類に統合し、プロユースの製品には冒頭に”Power”、一般ユーザー向けには”i”を冠し、一方、デスクトップには”Mac”、ノートブックには”book”という表記に統一した。た。つまり
プロユースのデスクトップ=PowerMac、ノート=PowerBook、
一般ユースのデスクトップ=iMac、ノート=iBook
という組み合わせである。そしてこの音楽プレイヤーにも一般ユース用の”i”がつけられていた。
ご存じiPodだ。
スティーブ・ジョブスはキーノートのスピーチの中でiPodを「画期的なソリューション」だとぶち上げたが、一般のマック・ユーザーには全くわけのわからぬピント外れなものに思われた。ユーザーは八百屋が肉を売り始めたような感覚に襲われたのだ。
ただし、この時、ジョブスは「デジタル・ハブ」という構想を併せてぶち上げている。
パソコンがインターネット、テレビなど、様々なメディアの中心となって、これらを機能させるようになるという考えで、こういったハブ構想の一環としてiPodは位置づけられたのだ。
とはいっても、当時の人間からすればこの考えは理屈はわかっても、まったく持ってリアリティのないものだった。
iPodにしたところでいちいちパソコンに繋ぐなんてややこしいことをするよりもCDプレイヤーにCDを入れて、あるいはMDプレイヤーで聴けば十分と考えていたのだ。
■またもやソフト-ハード一体型をチョイスしたアップル
iPodはその内部のソフトウエアはアップルが独自に設計したもので、またもや例によってソフトとハードの一体型という、旧態然としたスタイルをアップルは踏襲した。いやそれどころか、これを操作するためにはパソコン側にiTunesというソフトウエアが必要で、ここでもまたiPodユーザーはアップルが独占的に提供するソフトウエアを使用しなければならないという条件に置かれる。だから、ソフトウエア至上主義・絶対主義の時代には、どう見てもアナクロな戦略としてしか思えないし、事実、多くのマックユーザーさえもがそう思っていた。
ところが、iPodは意外な展開を遂げる。当初こそ、その売れ行きはどうということもなかったのだが、iTunesがウインドウズマシンにも搭載可能となり、しかもこれをアップルが無償で提供するようになると、iPodは突如としてブレイクしはじめたのだ。(続く)
■カセット・テープの後継を巡る覇権争い
(録音メディアとしてカセット・次世代を争ったCDとMD。しかし覇者はどちらでもなかった)
ソフトウエア至上主義・絶対主義の時代の時代に、何故、旧態然としたソフト-ハード一体型のiPodがデジタル音楽プレイヤーとしてブレイクしたのだろう?
当時、携帯型音楽プレイヤーは、音楽のデジタル化に伴い、カセット・テープ式のものから他のメディアへの方式によるものが模索されていた。
そしてカセットの後継となるのはCD(Compact Disk)式かMD(Mini Disk)式と目されていた。
たとえばCDについてはPanasonicが、MDについてはSONYがこれを強力に推進していた。
ただし、まだどちらが決定打となるかはハッキリしていなかった。
どちらも決定力に欠けたのは、それぞれがハンディを背負っており、カセットに代わる決定打とは言い難い存在だったからだ。
CDはレコードの次世代メディアとしては、もはや定着していたので、これをそのままプレイヤーに挿入すればすぐに聴くことができるという点で、
CD式はアドバンテージを備えていたが、その反面、約5インチというディスクの大きさ以下にプレイヤーを小型化することが出来ないため、可搬性という点では、明らかにカセット式よりも一歩後退してしまう。
つまり、がさばるのが欠点だった。
一方、MDのほうだが、これは大きさも2.5インチとコンパクトゆえハード本体も小型化が可能だったが、開発元のSONYに追随するメーカーがおらず、また音質的CDに比べると劣ると指摘されたこともあって普及が進むことはなかった。
■CD、MDに共通するデメリット
CD、MDに共通するデメリットも存在した。
一つはコピーがしづらかったこと。
もはやこの時代から、音楽というのはコピーして聴くというのが一般的な入手方法となっていた(そのため98年をピークにCDの売り上げは年々減少を続けている)。つまり、友人からCDを借り受けたり、レンタル店でCDを借り受け、これをコピーするというスタイルが一般化していた(これを防止するためにコンピューターでデータを読み取り不可能にするCCCD(Copy Control CD)が発売されたこともあった)。そして、これをいちばん簡略にやれたのはカセット・テープだったのだ。CDは当時の技術では一枚を焼くのに結構な時間がかかったし、これを焼くためにはCDライター機能付きのパソコンが必要だった。MDの場合はコピーこそ早いが、レンタルビデオ店がMDをほとんどレンタルしなかったため、コピーするものがないという状況だった。また、どちらにしても当時はメディアが高額だった。一方、これがカセット・テープなら音質こそ劣化するが、価格も安く、カセットデッキやラジカセで気軽にコピーが可能だった。だから、カセット・テープによるコピーというのはまだまだ実用的だったのだ。
iPodは、こうした攻防の隙間にCD、MD二つがそれぞれ、そして共通に持っているハンディをクリアし、また新しい魅力を付け加えることで割って入っていく。しかもコピーが横行する時代にもピッタリと適合するかたちで。(続く)
■CD、MDのデメリットをクリアするiPod:コピーが手軽
次世代の携帯音楽プレイヤーの派遣を巡って争っていたCDとMD。だが、ともにそれぞれ、そして共通のハンディを持ち、カセット・テープ式のプレイヤーからの以降は遅々として進んでいなかった。
コピーのスピードが速い
こういったCD、MDの持っているディスアドバンテージをクリアしていたのがiPodだった。
まずコピーの速度。
iPodのコピー方式はCDをコンピュータに挿入しAAC(当初はMP3)というファイル形式でデータを取り込むやり方で、CDのCD-DA方式に比べ圧縮率が高いため(1曲に必要となるメモリー量が十分の一程度になる)、CDからCDにデータをコピーするよりもはるかに早い時間でコピーが完了した(ただし、音質は劣化する)。
コピーする手続きが速い
また、コピーの速さという点では、「機械的なスピード」のみならず、その「手軽さ」というスピードも注目すべき項目だ。つまり転送速度が速いと言うことだけではなく、転送=コピーにいたるまでのプロセスもまた、スピーディなのだ。CDをパソコンのドライブに挿入する。すると即座にアプリケーションのiTunesが立ち上がり「ディスクをコピーすしますか?」とたずねてくる。そしてリターンキーを叩けば、自動的にコピーが始まる。
次に、コピーしたアルバムのリストをiPodの楽曲リストの中から選択して同期すれば、これで出来上がり。それぞれ二度か三度程度のボタン操作で全てが終了するのだ。また、取り込んだ後の本体側での操作も同様で、ほとんどのコントロールがこれまた三つ以内のボタン操作で実現する(これはジョブスが口うるさく指摘したと言うことで知られている)。また操作スイッチが極端に少ない(中央のホイール・ボタンと、あとスイッチ程度)ので、どのボタンを押せばいいのか迷うことがほとんどない。とにかく、簡単なのだ。
実は、iPod以前にデジタル音楽プレイヤーは既に存在していた。にもかかわらずiPod出現までこれらが普及することがなかったのは、ここまで述べてきたようなプレイヤーに取り込むまでの作業が極めてややこしかった、また取り込んだ後のプレイヤー側での操作が面倒くさかったという事情がある。要は煩雑なわけで、これが一般のユーザーの取っつきを悪くしていたのだが、iPodはこのハンディをiTunesと最小限のボタン数、ボタン操作でクリアしたのである。
コピー時代(音楽ソースはコピーされるのがあたりまえとなった時代)のユーザーのニーズを心憎いまでにえぐり出したやり方だった。
だが、iPodの既存のメディアのハンディを克服するだけには留まっていない。
より積極的な機能が付加され、それが絶大な支持を受けることになるのだが……(続く)
■iPodの手軽さ、スピーディさの背後にあるアップルのアナクロ的な思想
パソコン業界における、戦略としてのソフトウエアの位置づけの変容について考えている。
前回、iPodがカセット式の次世代ポータブル音楽プレイヤーとして、CD、MDを押しのけて、その覇権を握った理由として、手軽さ、スピーディさ、ライブラリーの持ち歩きにあると言うことを指摘しておいた。だが、他の形式には存在しなかった、このような利便性をiPodが持ち得たことの背後には、アップルが頑固に持ち続ける、いわばアナクロ的な思想がある。そう、それはマイクロソフトによって否定されてしまったハード・ソフト一体型という考え方だ。今回の特集では、マイクロソフトがパソコンのハードとソフトを分離し、ソフトだけで展開したことによってパソコン業界の覇権を握ったことを指摘しておいたが、iPodではその逆のやり方を頑固にやり続けることで、むしろ成功を遂げることになる。
iPodは、単体で使用することが出来ない。
まずパソコンに楽曲をコピーし、これをiPodにコピーする必要がある。
しかも、まだこれだけではダメで、パソコンとiPodを接続する専用ソフトであるiTunesを使用しなければならない。
しかも、これ以外は接続不可能だ。ユーザーが選択できるインターフェイスはMacを選ぶか、あるいはWindowsを選ぶかと言うことだけだ。
Windowsを選んだところで、接続するためにはWindows用のiTunesをダウンロードして使わなければならない(iTunesは無料)。
要するに選択肢が全くといっていいほどないのだ。
これはソフトウエア至上主義的発想からすれば極めてマーケットを狭めてしまうやり方といえる。
ところが、このクローズドなやり方が見方によってはアドバンテージにもなり得る。
そしてこのことをアップルはiPodで実践して見せたのだ。
ではアドバンテージとは何か。
■機能の複雑化のために必要なこと
確かにハードとソフトを一体化することで、一旦はマーケットが限定される。
しかし、この一体化によってハードとソフトの連携を密にし、より使いやすさを追求したらどうなるだろう?
それがiPodのやり方だったのだ。
つまり手軽さ、スピーディさを極めるためにはソフトウエアだけではだめで、そのソフトウエアにピッタリとあったハードウエアを必要とする。
このことは機能が増えれば増えるほど該当する。
機能がどんどん多機能、複雑になっていき、これに併せて様々なハードが対応すると言うことになれば、ハードとソフトの連携がどんどん中途半端になっていく。つまり「煩雑」になるのだ。マイクロソフトのWindowsがその典型で、あらゆるハードに適合するように作られていると言うことは、操作系がゴチャゴチャになり、反面、それぞれのハードに適合するために勢い、OSは重くなり、なおかつ膨大なメモリーを食うと言うことになる。
そういった機能の多機能化、複雑化に伴うデメリットを一手に引き受けてしまったものこそマイクロソフトのWindowsVistaだった。あまりの重さ、そして既存のアプリケーションへの対応の悪さ、そしてメモリー食いに、さすがのWindowsユーザーも呆れてしまい、旧バージョンのXPにダウングレードしたり、ネットブック搭載の標準OSとしてXPが採用されたり(廉価なネットブックではAtomというロースペックのCPUが搭載されており、これでVistaを稼働させるのはかなり無理があったのだ)という事態が発生。マイクロソフトはVistaを早々にあきらめ、より軽快でメモリーを食わないWindows7をリリースしたことはWindowsユーザーなら周知のことだろう。
Officeは使えないけど、iTunesなら操作できる
iPodはまさに、この機能の複雑化に対する回答を提示していたのだ。
つまり前述したようにハードに適合するソフトを限定してしまいクローズな環境にする代わりに、アップル独自の技術でハードとソフトを一体化し、手軽でスピーディな操作環境を実現する。
たとえばパソコンさえ持っていればiPodの操作は、ほとんど人間が操作可能な簡単なものになっている。
その操作についてはほとんど三つの手順で出来ることは前述したとおりだ。
こうすることで、たとえばワードやエクセル、インターネットブラウザを操作できな人でもiTunesは操作できるということになった。
だからケータイに夢中でパソコンになんてほとんど関心のない若者たちが、ケータイの音楽プレイヤー機能は使わずに、iPodを携帯してこれを使うという事態が生じたのだ。
■複雑になるからこそ、単純化しなければならない
要するに、ここまで情報化が進み、操作が複雑になっていくと、逆に操作系を単純化しなければならないという現象が生じるのだ。
そのまま複雑にしていったならば、それは一部のコンピューター・ナード/コンピューター・オタクのホビーにしかならなくなる。そうではない。こういったテクノロジーをより多くの人間が気軽に使えなければならない。ならばソフトとハードを一体化して、一元管理の下で、操作系を整えるというのがベストと言うことになる。これを推し進めた結果、パソコン音痴の若者までもがこぞってiPodを求めるようになったのだ。もちろん、そのためにはそれぞれの操作系の取り回しの良さを徹底的に研究し、一般の人間までが自由に使いこなせるよいなインターフェイスを用意しなければならないのだが、これが出来る、現状での唯一のメーカーがアップルだったというわけだ(アップルはジョブズの指揮の下、常にインターフェイスが一元管理されるという状況にある)。(続く)
■iPodの先にあるiPhone、そしてiPad
前回、アップルがiPodのソフトとハード一体型戦略によって、複雑化する情報化時代に新しいコンピューターユーザーを掘り起こすことに成功したこと。それは、いいかえればソフトウエア絶対主義から再びソフトととハードが一体化することが優位になる時代の始まりであることを指摘しておいた。
こういったソフトとハード一体型による一元管理をさらに推し進めたのが、言うまでもなくiPhoneだ。しかもiPhoneはiTunesでデータをやりとりする。つまりiPodと同じ感覚で手軽かつスピーディーに操作が可能。さらにホイールボタンではなく、全てタッチ・スクリーンでこれを行うことが出来る。
しかし、例によって一元管理はそのまま。いや、iPod以上に徹底されていると言っていい。
iPhoneのライバルは、現状ではアンドロイドを搭載したSONY製のExperiaとされている。
しかし、この勝負は、少なくともモバイルフォンの分野ではiPhoneの勝ちだろう。
ここまで展開してきたソフトとハード一体型の設計による一元管理の点でiPhoneは圧倒的なアドバンテージを有しているからだ。
ExperiaはWindowsと同様、様々なハードに搭載可能で汎用性が高いが、それゆえ、かえって操作が煩雑。
だから、これを使用するユーザーは一部の「コンピューターに詳しい人間」に限られることになるからだ
(ただし、OSであるアンドロイドはなにもモバイル専用のOSというわけではないので他の分野で用いられるだろうが)。
そして、さらにこの先にアップルがソフトとハード一体型として打ち出したのがiPadだ。
これもまた、複雑な工程をiPhone以上に簡単な操作で可能にするというものだ。
■iPod、iPhone、iPadとパソコンの分離
この「機能の複雑化をソフトとハード一体のシステムで一元管理する」というやり方をアップルは一層推進しようとしている。しかもiPodではじめたパソコンとの接続をやめること、つまりパソコンとの関係を薄くしていくことによって。iPodのラインナップの内、iPod TouchにはWi-Fi機能が標準装備されている。つまりネットをブラウズしたりすることが出来るのだが、その中のアプリケーションには標準でiTunesとAppStoreが搭載されている。前者は言うまでもなく、これまでパソコンにインストールされていたもので、これをWi-Fi経由で利用すればパソコンを使用することなく音楽を購入したりすることが出来る(ただし、コピーは無理)。またAppStoreではApp Apriと呼ばれるアプリケーションが使用可能で、これまたパソコンを介さず様々なソフトを直接購入し、使用することが可能だ。
こうなると、パソコンに関する知識はほとんど必要なくなる。それは、ここまで述べてきたような複雑性をより単純化することを可能にするわけで、そうなると、これまでパソコンにはほとんど関心を示してこなかった若年世代、高齢者の関心を惹起することが出来る。私事で恐縮だが、iPadを母に見せたとき(母は80歳でパソコンを使ってネットブラウズとメールのやりとりをやっている)、母は目を輝かせた。母にとってパソコンは便利な道具だが、厄介な道具でもあり、しばしば操作がわからなくなる、ウイルスが入った、突然壊れるなどでトラブルに巻き込まれるものでもある(そしてその対処を僕がやらされる)。それがiPadならただタッチするだけなのだから。そして原則トラブル・フリーでもある。あやしげなコマンドやウイルスもやってこない。
こういったこと実現しているのは、要するに、ここまで何度となく指摘してきたソフトとハードを一体化したことによるのである。
ヘタにいじれないと言うことは、言い換えれば送り手側が徹底管理してしまうと言うことは、トラブルを最小化する格好の手段なのだ。
コンピュータに関して当初考えられたいたハードとソフト一体型の設計は、ソフトウエア至上主義・絶対主義の時代を経た。
そして機能が一層複雑化することによって、再びハードとソフト一体型の設計へと戻っていったのだ。(続く)
■パソコンが消えていく?
コンピューター業界の覇権を握るキーがソフトウエアから再びソフトウエア-ハードウエア一体型の戦略に回帰しつつあることをここまで指摘してきた。
ただし、この一体型の構想は、さらに拍車をかけつつある。スティーブ・ジョブスは今年iPhone4を発表するにあたって、ハードそれ自体とともに、より重要な発表を行っている。
それはiPhoneに搭載されるOSの変更だ。
これまでiPhone搭載のOSはMacに搭載されているものとは多少異なるものの、これをベースにしているゆえMacOSと謳っていた。
ところが、今回これをiOSと言い換えたのだ。
というより、これはMacOSに代わるiPhone専用のOS。
つまり、ハードとソフトの一層の一体化を求め、iPhoneはMacOSと袂を分かったのだ。
iOSにはスピードアップした自社製の新しいプロセッサー・Apple A4が用意されたため、課題だったマルチタスクも実現している。
そして、このOSは秋以降、iPadにもバージョンアップのかたちで搭載されることになる(既存ユーザーは無料でアップデートできるはずだ。だからiPadもマルチタスク化するだろう)。こうなるとアップルのアイデンティティであるマッキントッシュというパソコンとは異なるレベルでのアップルの展開が今後のアップルの中心になることが予想される。アップル・ファンの中では「遂にMacが切り捨てられた」と嘆くものまで出る始末だ。切り捨てるかどうかはともかく、iPod、iPhone、iPadのような、いわば「電子家電」こそが、情報化時代の一般的なユーザーのニーズを掘り起こすこと、一方、パソコンというハード・メディアのスタイルが旧式のものになろうとしていること、これだけは確かなようだ。
■それでも、アップルはソフトウエアの会社
ソフトとハード一体型の会社アップル。
この戦略がここに来て功を奏しつつある。
こういった展開で話進めてきたが、最後にここまで展開してきた、アップルがソフトとハードを一体で売るという見方は、
実は間違いであると、この立ち位置をひっくり返すような話で今回の特集を閉じたいと思う。
つまり、ちょっと「ちゃぶ台返し」をしてみよう。
今回のブログで展開したきた、ソフトからソフトとハード一体型へというコンピューターの流れをちょっとひっくり返すみたいになってしまうが。
それは、こんなエピソードだ。
ジョブズはアップルのことをソフトウエア会社と言っている。
つまり、マイクロソフトと同じ形態の企業だと宣言している。
実際、よくよく考えてみればアップルが自社開発しているハードというのはほとんどない。
MacにしてiPodにしてもiPhoneにしても、iPadにしても解体してみれば、そこからはサムソンの液晶や東芝のハードディスク、インテルのプロセッサーが出てくる(最近は前述のA4プロセッサーを自社開発しはじめたが、これとて元々は他の会社が開発していたものを買い取ったものだ)。そう、1981年にIBMがアップルに対抗してパーソナルコンピューターを発売したときと同じことをやっているのだ(プロセッサーに至ってはともにインテル製だ)。
では、どこがマイクロソフトと違うのか?つまりソフトウエア会社としてアップルはマイクロソフトとどう差異化しているのか。その答えをジョブズは用意していいる。
「アップルは最高のソフトウエアを作りたい。そしてそのソフトウエア上でマシンを最高の状態で動かしたい。そのためにはソフトウエアにあったハードも自社で作らなければならいないんだ」
この発言をアップルは厳守している。IBMと違っているのは、買ってきてそのままそれをハードの一部として搭載するようなことが決してない点だ。
買い取った後、自らのソフトウエアの設計、トータル・デザインに合うように徹底的にカスタマイズした後に、これらをはじめて搭載する。つまりハードはソフトのためにあるという認識なのである。
勝手にメディア社会論
https://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/61870348.html
https://blogs.yahoo.co.jp/mediakatsuya/61890159.html