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2021年1月14日木曜日

[機器][pc] IBM 5100

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ジョン・タイター: アメリカの未来〜Nデイ後の世界(2001)
「未来人ジョン・タイターの予言」に、ちょっとだけはまってみる。
ジョン・タイター
タイムマシン
2006年3月27日 19:19
10分で読めます。
「やじうまWatch」さんの3月1日付の記事で紹介されたので、知っている人も多いと思いますが、西暦2036年からやってきた、未来人ジョン・タイターの話題です。昨年の11月発売の「ムー」2005年12月号に載ってた「謎の時間旅行者 ジョン・タイター」という記事を、たまたま立ち読みしたんですよ。この記事って、12月号の「ムー」の記事の中でも、あまり大きい扱いじゃなかったんですが、西暦2036年からやってきた、未来人ジョン・タイターが、ネットの掲示板に書き残していった予言の数々が結構リアルだったので、他の荒唐無稽な予言に比べて信憑性が高かったので面白いと思ったんですヨ。1999年の予言でお馴染みの「ノストラダムスの大予言」が外れて以来ここ数年、この手の話題からは離れていたので、その時は、あっそという感じで流していたんですが、「やじうまWatch」さんの記事がきっかけでネットで検索してイロイロと情報を集めてから、昔から、この手の話しは好きだったお陰か、ちょっとはまっちゃっています。
で、その未来人ジョン・タイターが残していった予言のというのは「2ちゃんねる」の「未来から来た男 ジョン・タイター」関連のスレッドで、うまくまとめられていたので、ちょっと長いですけど、全文引用します。より深く知りたい方は、英文ですが、「John Titor Times」っていうサイトがあります。
■実現した予言,実現していない予言
イラクが核兵器を隠しているという理由で第2次湾岸戦争が起きる。
アメリカ国内にも狂牛病が発生する。
中国人が宇宙に進出する。
新しいローマ法王が誕生する。
まだ実現していない主な予言
世界オリンピックは2004年度の大会が最後になり、2040年度にようやく復活する。(注:冬季オリンピックは含まないというのが大筋の見方)
アメリカの内戦は2008年に全面化する。
その直後、アメリカ初の女性大統領が誕生する。
中東の国同士で大量破壊兵器が使用される。
アメリカやヨーロッパ諸国の不安定化に乗じて、中国は覇権主義を強め、 台湾、日本、韓国を強引に併合する。
2011年、新世界政府が誕生する。
2015年、全面核戦争が勃発し、30億人近くが死に、世界の人口は半減する。
2020年、アメリカに新憲法が制定される。
■事の経緯
ジョン・タイターとは、2036年から「軍事作戦」の目的で2001年アメリカに訪れたとする、未来から来た「タイム・トラベラー」。本人は某BBSにて01年に数々の「予言」を投稿。その内容が衝撃的だったため、後に注目を集めることとなる。現代の実家はフロリダにあり、タイター氏の2036年の生活もフロリダ周辺でのもの。またタイター氏の誕生年は1998年であることから、タイター氏自身は、現代へのタイムトラベルはこれで二度目であり、自宅に住む3歳の自分と一時的に生活している。またフロリダに住むタイター氏の両親は、これらの事情を承知していると言う。タイター氏はその初期の投稿の中で、彼が軍事作戦で2001年に来ており、その作戦内容は「IBM5100型コンピューター」を回収することだと述べている。氏によれば、その機種にはカタログスペック以外の機能があり、将来それが旧型コンピューターを運用する上で必要になったため、としている。タイター氏によると、未来は「タイムライン」というものによりそれぞれ異なりタイター氏の住む未来と、現代のこの世界の延長線上にある未来は必ずしも一致しないという。「予言」には、それをすると未来に大きな影響を与えすぎる場合が主に3つあり、タイター氏はこれらに影響を与える予言は行わないとの事。
確率による死を免れ得る予言。(例:自然災害や核爆発の具体的日時など。)
金銭的な利益が目的の予言。(例:株価予想やスポーツ競技の結果など。)
予言により現代において特定の人物の人生や人命に影響が出る場合。(例:未来の歴史上において、重大な出来事の直接的原因となる人物の実名など。)
■アメリカの未来
2004年以降、アメリカは特に都市部で急激に警察国家化し、それに対し都市外部と都市内部で抗争が発生。この年に発生した暴動が、2008年には連邦政府の手に負えなくなる程拡大し、最終的にはアメリカ合衆国は五つに分裂して内戦状態となる。2015年は「Nデイ」と呼ばれている。(Nはニュークリアー(核)の略と思われる)この年、ロシアの核攻撃により、米国の都市部のみが完全に崩壊する。これはロシアがアメリカの反乱部隊を「援助」するための核攻撃。そのためEMPを起こすための上空の核爆発は起こされず、都市部のみ、地上擦れ擦れでの核爆発となる。これにより殆どのコンピューターやインターネット・インフラは温存され、その大部分は後に使用可能となるらしいが、同時に巻き起こった死の灰により、爆心地近くの水源などでは危険なレベルの放射能汚染が長く続く。(予言をした2036年時点でもひどい汚染は続いてる。)2012年は特に何も起きない。ワシントンDCへの核攻撃は2015年3月某日と仄めかしている(詳しくはサイト参照)が、日付などは、彼のこの発言により「この世界」では恐らく別な日付に変わってしまうらしい。その他の出来事も同様だそう。従って彼の住む世界とこの世界とでは、出来事の起こり方も内容も異なる。ただ、おおむね起こるであろう事や、その結果などは同じらしい。それは人々の全般的な行動が変わらない限りそうなるとの事。中国軍は、2004年以降起きた米国の内乱に便乗し、2015年の「Nデイ」迄には台湾、朝鮮半島、日本を全て併合してしまっていると述べている。これはアメリカが内戦状態で、その外交機能が麻痺してしまっているのが理由。その為、アメリカの同盟国では、条約で保障されていた筈の「核の傘」から外れ、軍事侵攻されてしまう。この戦争の死者は30億人を数える。ロシアの攻撃は中国、アメリカ都市部、及びヨーロッパ。欧州はこの攻撃で壊滅的打撃を受ける。またロシアは米国の反撃により崩壊するらしい。オーストラリアは中国軍の上陸は許さないが、やはり都市部は核攻撃 により完全に壊滅する。2036年の時点では、オーストラリアとアメリカとは「仲違い」状態らしい。(軍事同盟を完全に裏切る形になったためと思われる。)核攻撃の結果、アメリカの内乱は急速に収束へ向かうとし、2020年迄には都市部の勢力の完全な敗北により、国内治安はほぼ回復するとしている。その後のアメリカは現状に近い連邦制を採用するようになるが、中央の権限は現在に比べ遥かに弱いものとなる。 また合衆国の国旗の「星」の数を五つだけにするかの議論が2036年時点であるらしい。この核戦争の後、人類は戦争に疲れ果て、それぞれの国が孤立化し現在のような活発な外交関係は無くなるとの事。海外への航空便などは存在するが、本数は今とは比較にならない程少なくなるらしい。ただ、核兵器が完全に無くなった訳ではなく、世界中にはまだ核兵器は山と存在してる状態らしい。2036年にはテレビ(プラズマ、液晶)はあるが、放送局が存在しないため、放送は一切ない。その代わり、過去の番組をデータベース化したものがインターネットを通じて見られるようになるそう。
都市部の大型サーバーは核攻撃により完全に破壊されるため、インターネットは主に数ある「無線ノード」(現在の携帯無線アンテナのような物)により成立する。
社会生活。新たな合衆国は各コミュニティが基本の生活になるそう。基本的にはその中で食料が生産され自給される。当然、農作物の輸送などはある。ただ、移住はコミュニティ単位で承認プロセスを経た後でなければ、認められなくなる。そのコミュニティの存在に害となる人物は容赦なく追放されるか、移住そのものが認められない。2036年から2001年にやって来たタイター氏は、フロリダの実家近くのスーパーの陳列棚に並ぶ、数十ガロンの「ミルク」を見て、その量に腰が抜けたそうだ。ただ、その品質には疑問を持ったらしい。大気汚染も現代の方が深刻と述べてる。生死観。2036年には死は非常に身近なものとなり、人間の平均寿命も60歳に満たなくなる。また、警察国家を信望する勢力を壊滅させたからと言って、それらが完全に消滅したわけではなく、そうした勢力が、彼らの住むコミュニティ外には存在しているらしい。そうした集団との殺し合いは続いてるそう。タイター氏によると2036年では、過去の米国崩壊の原因が人々の「身勝手さ」に起因したとの歴史観が大勢を占めているため、コミュニティの存続に危険と判断され、そこに移住を許されないそうした「身勝手」と烙印を押された者は、容赦なく殺害されるそうだ。職業。2036年の時点では現代のような巨大企業は存在しない。タイター氏が2001年の時点で新聞などで見た企業(デルなど)は、そのどれもが存在すらしていないらしい。〜矛盾点〜タイター氏はコンピューター技師と思われる点がいくつかある。IBM5100についてもそうだが、氏自身の父親が5100シリーズの開発に携わっていた事を認めているらしい。(サイト中に言及部分がある。もっとも、タイター氏はそれゆえ選ばれて現在に送られてきたとも言っている。)女性の権利を聞かれていた部分では、矛盾した発言を一度している。タイター氏の「タイムライン」では、2000年問題(Y2K問題)が原因でアメリカが内戦に突入したことになっている。("この世界"のように9/11テロが原因とは言ってないらしい。)ただ「ニューヨークの摩天楼の輪郭が異なる」とは述べている。現在の混乱した中東情勢への言及がほとんど無い。最も、世界情勢全般についての言及そのものが、その発言中少ないのもまた事実。(意図的?)
■矛盾しない点
この「IBM5100型」には、タイター氏の言及通り、「カタログスペック外」の機能が存在する。つまり、この機械はタイター氏が述べるようにAPLやBASIC以前のIBM独自仕様の特殊なコンピューター言語をデバッグすることが可能なのだ。タイター氏が言及する2038年問題。これは明らかに存在する。(詳細は「2038年問題」参照のこと)当時のBBS内でのやり取りにかなり現実味がある。
この年表によると、これからの30年間の世界は、なかなか素晴らしいほどの混乱ぶりということなります。上記を面倒臭くて読まなかった人のために、どういう流れなのか簡単に説明しますと、アメリカで内戦が発生し、それによりアメリカの国力の低下が起こります。次に、アメリカの覇権が弱まった隙に、中国が、次の覇権を目指して蜂起したりして、次々と世界の地図が書き換わっていくらしいです。で、最終的に中国を快く思わないロシアと核戦争が勃発。アメリカを巻き込んで拡大していきます。最終的にこの戦争は人類の大半の人口を死に至らしめ、最後はロシアが勝利して、アメリカ(5つに分裂している)は新憲法を制定、世界はロシアの意向を受けて社会主義国家として再出発するという話しです。
唯一救いがあるとすれば、人類は滅亡を免れていて存続しているしている事ぐらいですかね。我が日本はどうかというと、朝鮮半島、台湾と共に中国に併合されてます。個人的には、台湾は武力で併合されますが、朝鮮半島と日本は無血併合されると思っています。上記には書いていないのですが「ムー」の記事によると、併合後数年して中国が崩壊(ロシアの核攻撃で北京が消滅した為)してしまうので、短期間で独立を回復するみたいなんですが、今の中国のやり方を考える(チベットやウイグルで行っている民族浄化等の人権蹂躙)と、日本的な文化は全て破壊されているでしょうね。反日日本人や、在日朝鮮人達の努力もあり限りなく民度が低くなり中国化した、今とは似ても似つかない日本になっているでしょう。
最終的に勝利するロシアによって、世界中の政治システムが社会主義に移行して、戦争で疲弊した人類はギリシャ時代の都市国家のような国の形態に選択するそうですから、世界中、個人や政党による独裁だらけになりそうです。まぁ、世界中独裁だらけなんだから日本だけがと悲観する必要はないが、戦争で生き残っても暗い生活が待ってそうです。
ただ、上記で信憑性が高かったと書いてますが、アメリカの内戦の部分は、現在のアメリカ国内の状況を考えると、マイノリティ層のデモとかはあるものの戦闘状態まで発展しそうな焦臭さは無いし、9.11テロやそれに続く、アフガン戦争と、第2次湾岸戦争(この部分は予言されてない)で、アメリカの国民の関心がそっちにいってるので、この部分は外れているんじゃないかと思ってます。予言で語られている2004年はコレといって大規模な暴動も無く、現在でも都市外部内部での武力を伴う大規模な抗争事件(大規模なデモは起こってるけど、暴動ではない)みたいなものも起こっていないですからね。
不気味なのは、東アジアに関する事、中国の覇権主義の部分は、当たりそうな悪寒。
日・台・韓の知識や技術を使えば、政治的にも軍事的にも、アメリカに匹敵するような大国になることも可能でしょうからね。ただ、あの見栄っ張りで拝金主義の国が、オリンピックや万博をやめるという自国を国際的に信用を落とす行為をしてまで他国へ攻め入るとは考えにくいのですが、オリンピックや、万博をへて、大国へとのし上がったとおごり高ぶった中国だとやりかねない気がします。大イベント終了後の気抜けから崩壊が危惧される中国のバブル経済と、地域間の経済格差、水資源の問題が一気に悪化して、無くしかけた見栄と金を取り戻す手っ取り早い解決方法として他国への侵略を中共政府が選択する事はあるんじゃないかという事です。しかし、いまの現状だと、そんなことを思わせるのに足る戦力が整う前に、これら問題によって中共政府の足下がぐらつきそう(自爆フラグ立ち)な勢いで事態は進行しているように見えますから、ジョン・タイターの予言通りに事が動く可能性も無いとは断言できないとも思います。
しかし、上記の引用文の矛盾点で指摘されている部分意外にも、個人的に懐疑的な部分があるんですよ。例えば、人類の人口が今の1/16ぐらい(現在の世界人口は64億人なんですが、今後10年で10億人ほどプラスして74億人として、まず戦争初期に半分の30億人、核ミサイルの撃ち合いで30億人が犠牲になり、最終的には14億人以下ぐらい)に激減するぐらい核ミサイルを撃ち合って戦争をしているのに核の冬すら経験せず、19世紀末の人口並に減った人口と、世界中の国の主要な都市や生産施設が徹底的に破壊されたにかかわらず、現在とさほど変わらぬ文明レベルを保っている事とかね。既に当たっているとされている事も、当時でも調べれば、確実に起こることが分かる事柄ばかりですもんね。予言が書かれた当時でも、法王ヨハネ・パウロ2世は十二分に高齢だったんだから、死なないと予想しない方がおかしいですもん。
こんな感じで、ちょっとはまって書いている以外にもイロイロと考えてみたのですが、個人的な結論としましては、この「未来人ジョン・タイターの予言」は、(「ムー」が初出ということもあり)ほぼ信じられないということにしました。まぁ、信じる信じないよりも前に、彼の世界では2000年問題(Y2K問題)が原因でアメリカが内戦に突入したことになっているらしいので、この時点は外れ確定なわけです。2000年の正月には、いつもの年と同じように雑煮食って正月番組を楽しんでましたからね。ただ、ここまで荒唐無稽な事件(核戦争とか、全世界社会主義化とか)は起こらないとしても、アメリカの国力低下とか、ロシアの大国への復権、中国の暴走による朝鮮半島・台湾・日本の一部(沖縄など)への中国侵攻と、併合ぐらいはありかもとは思ってます。
で、そんなこんなで「未来人ジョン・タイターの予言」で調べていたら、「2ちゃんねる」のオカルト板で「JJ氏の予知夢」というのに出会っちゃいました。日本の未来は、コッチの方がイイです。
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Naga Blog
http://www.naga-blog.com/archives/2006/03/271919.php




コメント [23]
すごく面白いです!!
小説みたいなのになぜか心配になってきます。SFでノンフィクションな世界
ゲームのFFや映画なんかより見ごたえあり!!!
Posted by たかし 
2006年5月 4日 13:19
みらいをしりたければ
ファテイマの預言
ラ・サレット27の告知
をみろ
Posted by Anonymous 
2006年5月 7日 19:44
>たかしさん
「未来人ジョン・タイターの予言」は、現実に即した部分も多くあり、実現しそうな雰囲気がありますが、矛盾点も多いので、個人的にはフィクションな世界で止めている方が良いかと思います。
>匿名さん
ラ・サレットの預言を拝見いたしましたが、あまりに宗教色が強くて、ご神託ですねコレは。予言としては現実感が薄いです。個人的には他の荒唐無稽に予言と同じレベルです。読み解けるほど宗教的知識あれば、もっと楽しめたと思うのですが…。どうにでも解釈できるものは、ちょっとね。後、予言と預言は、普通なら見通せない未来の出来事・有様を、こうなると言う事という意味ですが、預言には、キリスト教などで、神の霊感を受けて、神託として述べること。その神託。という意味もあるので、預言と書かれている場合は、後者の方の意味が強いと思っていた方が良いと思います。
Posted by naganaga 
2006年5月 8日 15:22
2012には人類覚醒するらしいが
http://fiction.bbs.thebbs.jp/1147989818/21-40
この掲示板内でそれを思わせるスレがあった
このように彼の説は有力である。
たとえ未来人ではなくても当たる可能性は十分ある
Posted by 最強 
2006年5月29日 20:21
>最強さん
一部で騒がれてるフォトン・ベルトってやつですね。イロイロとサイト回ってみましたが、これって昔放送していたアニメ「戦国魔神ゴーショーグン」に出てくる意志を持ったエネルギー「ビムラー」によく似てますね。まんま設定を使っているんじゃないかって思うほどです。なのでアニメチックな設定のフォトン・ベルトの話しはフィクションとして読むと面白いですよね。荒唐無稽さトップクラス認定ですヨ。
Posted by naganaga 
2006年6月 5日 09:33
こちらも参照になってみて下さい。
http://oriharu.net/jstand.htm#2013_33_80
Posted by オリハル 
2006年9月22日 19:40
タイター氏の話は、起こりそうな気がする
が、ロシアとアメリカが全面核戦争になれば、
もはや地球は、核の冬に突入する。
核爆発の膨大なススや灰が太陽の光をさえぎり
地上から、太陽の光を奪う。
地球は、真っ白な雪のボール「スノーボール」
となり、白い雪や氷は太陽からの光や熱を
反射して、数万年もの氷河期に突入するそうです。
別名「地球全面凍結」ともいいます。
どうもタイター氏の核戦争だけの部分の話は甘い
のではないでしようか、
アメリカ本土に核攻撃されれば、当然、原子炉
施設も標的になり、被害は想像を絶するでしよう。
Posted by ニュークリア 
2006年10月29日 20:56
>ニュークリアさん
ご指摘の通り、ジョン・タイターの予言で、全面核戦争の被害予測はかなり甘々です。社会情勢も、先日の北朝鮮によるミサイル発射と核実験後の中共のあわてふためきぶり見ると、領土拡張の意志があったとしても、実際に実行に移すのは、ここ数年は難しいと思っています。なので、自分の中では、予言の的中は、ほぼ無いと考えております。
Posted by naganaga 
2006年11月 9日 09:02
http://moon.ap.teacup.com/kurosu44/75.html
↑うわあぁあああぁああ
いきなり絶叫してスイマセン。
ジョン・タイターさんのお話が面白くてネットを徘徊してます。naganagaさんがしっかりと事の詳細や意見を書いておられるので、書き込みました。予言内容に関しては私も半信半疑ですね。しかし大統領選挙が気になってます…。(あとこの話にたまに付いてるネメシスとか何者なんでしょwカッコイイけどサwww尾ひれが付いてますね、明らかに。)
それと、私は思うんですよ。今の深刻な環境問題。果たして2036年まで人類は生きているのか?とか。なにやらジョンタイターさんによると環境問題はさほど騒がれてないそうですが、このままでは将来的に絶対にヤヴァイ事になると思うんですよ。
あとこの話自体、映画の宣伝らしいのですが、元ネタが
なんだろう?っと思ってます。あー、明るい未来になると良いのですけどネ
Posted by メガネ男 
2007年7月23日 10:31
私は今日初めてWikipediaでジョン・タイターのことを知りました。よく見るような曖昧な予言ではなくて、何年に何が起きるということが明確で、「こいつは本物だ・・・」と思いました。私も彼に何か質問したかったな~・・・
別のことかもしれませんが、2012年までには地球におかしなことが起こり続けるというのを何かの本で読んだ気がします。これも関係してるのでしょうかね。興味が尽きません。
Posted by アルラウネ 
2007年8月16日 19:37
>アルラウネさん
亀レスですみません。
信じる信じないはアルラウネさん次第なので、本物だと思われる事にマァ問題はないと思うのですが、個人的には、タイターさんは外しまくっている気がしてます…。
2012年とか言う話は、フォトンベルトっていう何だかよく分からないものに地球がすっぽりと包み込まれ、それが影響してイロイロや厄災が起こるって話だったと思います。かなり荒唐無稽な話なので、調べてみると楽しいですヨ。
Posted by naganaga 
2007年8月23日 09:16
これだったら、未来は、変えられないっていうことですよね!!
そんなこと、あるはずが、ないと思いますが。どうでしょう?
ブラジルの予言者「ジュセリーノ氏」だって、
未来は、変えられるものだ!
と、いってましたよね?
Posted by じゅー 
2008年12月 8日 11:05
第2次湾岸戦争は予言し、ぴたりと当てているようです。
Posted by 職人 
2010年11月20日 02:39
タイターの言葉を借りると
彼の予言は彼のいた世界線での出来事を語ったものであり、彼が過去(我々にとって今)に跳んできてそれを書き込んだ時点で世界は大きく分岐してしまったので、起きたであろう事故や事件が形を変えるか消えるかしてしまったのではないだろうか
って事になりますなww
でも、彼が本当の未来人で彼の予言が本当の事であったとしても、変わってしまった未来を観測することは、今の科学力では出来ないんですよね
Posted by 黒の天魔 

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志賀隆生: コンピューター小史(1991)
文/志賀隆生
パソコンが1950年代にすでにマクルーハンの予見していた電子時代のメディアツールとしてますますその重みを増している今日にあっては,同様に多くの逆説,パラドックス,アイロニーに満ちた20世紀そのものとして,あるいは20世紀的テクノロジーを象徴する存在として,あの夢の機械を位置づけても許されるのではないかとさえ思わせるのである。
計算技術が大きく変貌するのは,形式化した論理演算というテクニックとその時代に利用可能な テクノロジーとが上手に結びついたときであり,さら に高度な計算技術を要請する文化・社会的背景が存在 したときであることは容易に想像がつく。今日のコン ピュータの原形と誰もが認めるのは,19世紀の英国の 数学者チャールズ・バベッジが考案した差分機関と解 析機関だが,産業革命が世界市場を大きく変えていくなかで,バベッジの大量高速計算機械はたぶん切実な技術時代の要請だったはずである。もっとも,このバベッ ジの夢のエンジンは,時代の欲望が当時の科学技術力 をあまりにも大きく上回りすぎていてついに完成することはなかった。。
■1940年代
次のステップは,20世紀初頭の英国の数学者チューリングの計算可能性の数学的定就とその具体的検証としての「チューリング・マシン」だろう。このいかにもこのいかにも20世紀的なチューリングの発想は計算技術の徹底的な形式化の追及作業であり,形式化が徹底しているぶん,人はなぜ計算するのかという問いは失われている。
しかし20世紀半ばに,人類はこの問いかけに対して新しい答えを発見する。それは<力>である。
1944年,ハーバード大学のアイケンはリレー式計算機MARKIを制作する。モークリーとエカートによる世界最初の電子計算機ENIACは1943年から研究を開始し1946年に完成する。後のノイマン方式と呼ばれるストアドプログラム方式による最初のコンピュータEDVACは1951年に完成している。これらは第二次世界大戦中は大砲の弾道計算に使われ,その後は原爆開発重要なツールとなった。このように計算技術の進歩によって生みだされた<力>は,コンピュータの神話学に大きな影を落とすことになる。
■1950年代
人はなぜ計算をするのか?これはけっして哲学的な問いではない。古代インド,アラビア,中国を見ればわかるとおり,歴史的に計算技術の発達した地域はつねに大規模市場が形成された土地だった。人が計算が計算する理由はただ一つ,公正さを保つためである。
こうした計算技術の行き着く先が,正確さと早さを至上命題とするコンピュータであるとすれば,事務計算の専門会社Computing Tabulating Recordingがその後International Business Machine(IBM)と社名を変更して業界トップの位置につくのは歴史的必然といえる。 
1950年代に入ると、コンピュータは大企業の経
営部門の中枢と,産・官・学の研究機関の内部に入り込んでいく。そこでは<金>と<力>を生みだすことが技術の使命であり、コンピュータの存在理由だった。
ところが,意外なことに<金>と<力>を手にしたはずのコンピュータの前に,大きな落とし穴が待ち構えていた。それがハッカーである。
人類史上最初のハッカーは1959年MIT(マサチューセッツ工科大学)に発生したと言われる。当時,大学の電気計算機室に設置されていたIBM製のコンピュータに,テック鉄道模型クラブのメンバーが無許可で進入し悪戯をしかけたのがハッキングの始まりとされる。これは1950年代のコンピュータが神殿のなかにおさまるご神体のような扱いを受け,その操作者がまるで司祭のような振る舞いをしていたことに対する反発から来たものであり,そこに20世紀的理想主義を見いだすことは容易い。
ほかの誰でもない,技術の理想のために,ハッカーは危険を犯す。ハッカーはその意味で20世紀的な理想(至上)主義の化身であり,20世紀をモダニズムの世紀ととらえれば,ハッカーはまさに20世紀的存在の化身ということができる。ここにコンピュータ・テクノロジーのパラドックスを見ることができるだろう。技術(コンピュータ)が20世紀的存在(ハッカー)を呼び起こす。誰のためでもない,おそらく巨大な権力,あるいは制度に奉仕するために生みだされたメインフレーム・コンビュータが,やすやすと個人の悪戯ものの手に落ちてしまうという,あまりにも20世紀的なアイロニー。計算技術あるいはその具体化した姿としてのコンビュータは<金>と<力>という時代の欲望を増幅する機能をはたしたと同時に,ハッカーのような技術理想主義的思戯ものの欲望をも増幅してしまう。メインフレームのコンビュータがその能力を極限まで発揮し,その生みだす<金>と<力>で世界を囲い込もうとしても,つねに/すでにそこには微細だが決して修復できない穴が穿たれている。それがコンピューター・テクノロジーの本質であることを,MITのハッカーたちはほとんどコンピュータの創世記に証明してしまったのである。。
ー雑誌StudioVoice,1991年

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2020年12月15日火曜日

[機器][PC] レノボ,ThinkPad T420














[機器][PC] レノボ,ThinkPad T420
レノボ、ThinkPad T新シリーズ「ThinkPad T420」「同 T420s」「同 T520」
2011/03/29 14:19
レノボ・ジャパンは29日、同社ラインナップで最高レベルのパフォーマンスと生産性を特徴とするノートブックPC「ThinkPad Tシリーズ」の新製品として、「ThinkPad T420」「ThinkPad T420s」「ThinkPad T520」の3機種の販売を開始した。"Sandy Bridge"世代のIntel Coreを採用するほか、電気消費量の削減に貢献する"ピークシフト機能"も搭載する。
ピークシフト機能、Enhanced Experience 2.0、NVIDIAR Optimusに対応
3機種とも、省電力マネージャーの新機能として、バッテリからPCを駆動するか、ACアダプタからPCを駆動するかのスケジュールを設定することで、電力消費量がピークに達する時間帯の電気の使用を自動的に避けることができる「ピークシフト機能」を搭載する。
また、PCパフォーマンスをスピードアップする「Lenovo Enhanced Experience 2.0 for Windows 7」のほか、ディスクリートGPU内蔵モデルでは自動でGPUを切り替えバッテリ駆動時間と処理スピードの両立をはかる「NVIDIAR Optimus」に対応している。
「ThinkPad T420」
主な仕様は、CPUはIntel Core i5-2520M(2.50GHz)/i3-2310M(2.10GHz)/i7-2820QM(2.30GHz)から選択可能、チップセットはMobile Intel QM67 Express、
グラフィックス機能はオプションでNVIDIAR NVS 4200M 1GBを選択可能、
メモリは最大8GBのDDR3を搭載可能、ストレージは最大500GBのHDDもしくは最大160GBのSSDを搭載可能、
光学ドライブはDVDスーパーマルチ、OSは標準でWindows 7 Professional 32bit。
ディスプレイは14.0型LED液晶で、最大で解像度1,900×1,080ドットのパネルを選択可能。
主なインタフェースは、USB 2.0×2、Powered USB×1、eSATA/USBコンボ×1、34mm Express Cardスロット、4-in-1メディアカードリーダなどで、Wi-Fi無線LANのほかオプションでWiMAX通信モジュールも搭載できる。バッテリ駆動時間は標準6セルバッテリ搭載時で最大約6時間。本体サイズ/重量はW340.5×D233×H30.1~30.5mm/2.24kg(6セルバッテリ搭載時)。
価格は構成によるが、参考までにCore i3-2310Mを搭載する最小構成時の直販価格は129,150円。

マイナビ







秋葉原のPCショップで10000円で売られていたT420(2020.12)。。
Win10Pro搭載でメモリは4GB。内容は遜色ないものの,PC本体は2011年,だいたい10年前のモデル。言い換えれば10年前のモデルでもメモリとHDD,その他手を入れれば使えるという事だろう。。
2020.12時点での秋葉原市場の概況としてはメモリ容量は
16GB:ゲーミングモデル
08GB:中古PC/3~10万円台
04GB:中古PC/1~2万円台
だった。。ChromeBookなどでもWin8モデルが8000円台だったし,それよりも高額で扱われていたし,違和感はなかった。業界全体が日々進化しているようで,でもよくよく見るとそんなに変わっていない。という部分はあるという部分は実感できた。10年前のモデルでも16GBメモリを載せられればゲーミングPCとして使えるのかもしれない。。

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2019年5月20日月曜日

[動画][資料] IBM ThinkPad X60s SSD換装 ..HardOff324円ジャンクを復旧させる


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#ジャンクPC #ハードオフ
ハードオフでジャンクノートPCを324円で購入!そして...Win10&SSD化!【ゆっくり解説】
xp2000
2019/01/10に公開済み
今回はなんと驚き324円でジャンクノトパを購入しました!!
そして無謀にもWin10化に挑みますw
あ、そういえば皆様新年明けましておめでとうございます(遅
今年もxp2000を宜しくお願い致します!
前回【ハードオフ巡り愛知県東部編】↓
https://www.youtube.com/watch?v=AaS1Z...
前々回【ハードオフ巡り愛知県西部編】↓
https://www.youtube.com/watch?v=FqD1h...
主の代表作【2160円ジャンクPC】↓
https://www.youtube.com/watch?v=OPnxV...

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2019年4月3日水曜日

[動画][資料]IBM Think Pad:1620円で購入したジャンクノートPCを修理&魔改造でハイスぺPCへ!?



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IBM ThinkPad,若松通商ショップ,2001.3
商品番号 商品名 備考 価格(円) 在庫 かごに入れる
0140-0066 IBM ThinkPad R30(2656-40J)  最新機種 R30がこの価格 129,800
0140-0073 IBM ThinkPad R30(2656-C0J)  Windows2000Pro搭載 139,800
0140-0049 IBM ThinkPad S30(2639-42J)   Win2000Pro ThinkPadブラックボディ 189,800
0140-0076 IBM ThinkPad S30(2639-45J)   2月限定特価 162,800
0140-0063 IBM ThinkPad T21(2647-G5J)   P??-850,32GB,DVD,Win98SE 228,000 ×
購入不可
0140-0084 IBM ThinkPad X22 (2662-93J)   携帯.拡張性に優れたビジネスノートPC(WinXPモデル) 238,000 ×
購入不可
0140-0081 IBM ThinkPad X22(2662-9DJ)   新製品 ワイヤレスLAN内蔵 268,000 ×
購入不可
0140-0085 IBM TranceNote 右利き用(2675-61J)  TranceNoteがこの価格(品切れの際はご容赦ください) 109,800 ×
購入不可

2006年8月12日土曜日

[社会] 日米スーパーコンピュータ戦争

[社会] 日米スーパーコンピュータ戦争
近年、「スーパーコンピュータ」は超高速の演算処理を可能にした。
1993年5月ジャック・ドンガラ(Jack Dongarra)によりLINPACKベンチマークが提供され、TOP500がリスト化され、そのトップを期別(半年ごと)に表にした。
2010年06月から消費エネルギーを加味した「Green500」が開始され、2013年04月からデータベースなど大規模データ処理を競う「Graph500」が新たに始まり、アメリカ、日本、ドイツなどは、そちらに主戦場を移して、主に日米でトップ争いが続いている。
ところで2009年11月、政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
この表で明らか様にその翌年に中国のNUDT(国防科学技術大学)の「天河一号A」が見事に一位に輝いている。
日本では相変わらず「国防」という言葉が使いづらいようだが、スーパーコンピュータは、気象、地殻変動、宇宙開発、天文分析、遺伝子研究など多岐にわたるが、現在は兵器開発、核開発、衛星ロケット、通信技術など国防にも欠くべからざる道具であろう。
政治家、官僚、マスコミも正面切って言えないのだろうが、歴史の経緯を見れば一目瞭然だが、この同調圧力を早期に排除して頂きたいものだ。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html










スーパーコンピュータ

製造年月
設置国 ベンダ 名称
1993年06月 アメリカ TMC CM-5
1993年11月 日本 富士通 数値風洞
1994年06月 アメリカ Intel Paragon XP/S 140
1994年11月 日本 富士通 数値風洞
1995年06月 日本 富士通 数値風洞
1995年11月 日本 富士通 数値風洞
1996年06月 日本 日立 SR2201
1996年11月 日本 日立 CP-PACS
1997年06月 アメリカ Intel ASCI Red
1997年11月 アメリカ Intel ASCI Red
1998年06月 アメリカ Intel ASCI Red
1998年11月 アメリカ Intel ASCI Red
1999年06月 アメリカ Intel ASCI Red
1999年11月 アメリカ Intel ASCI Red
2000年06月 アメリカ Intel ASCI Red
2000年11月 アメリカ IBM ASCI White
2001年06月 アメリカ IBM ASCI White
2001年11月 アメリカ IBM ASCI White
2002年06月 日本 NEC 地球シミュレータ
2002年11月 日本 NEC 地球シミュレータ
2003年06月 日本 NEC 地球シミュレータ
2003年11月 日本 NEC 地球シミュレータ
2004年06月 日本 NEC 地球シミュレータ
2004年11月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2005年06月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2005年11月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2006年06月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2006年11月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2007年06月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2007年11月 アメリカ IBM Blue Gene/L
2008年06月 アメリカ IBM Roadrunner
2008年06月 アメリカ IBM Roadrunner
2008年11月 アメリカ IBM Roadrunner
2009年06月 アメリカ IBM Roadrunner
2009年11月 アメリカ Cray Jaguar
2010年06月 アメリカ Cray Jaguar






2000年8月20日日曜日

[機器] IBM WorkPad 30J(Palm OS)




[機器] IBM WorkPad 30J(Palm OS)
書庫中華タブレット
カテゴリその他コンピュータ
2012/3/23(金) 午前 1:39
中華PADとか触っていたらこいつの存在を思い出した。
いわゆるPDAという奴なんだが、現在のスマホはコイツに電話機能を付けた物だと思えばよい。
こいつもオプションでPHSユニット内臓すれば今のスマホみたいになるんだけど、
当時はそんな金のかかる事をする個人はあまりいなくて企業向けと思われた。
当時はそこそこ売れたPDAだが携帯電話にiモード,eメールやスケジュール(PIM)機能が
標準装備されると急速に存在意義がなくなっていった。
Palm OSはなかなか使いやすくて良かったのだが今見れば欠点も多かった。
・現在当たり前のMP3や動画再生がこのモデルでは出来なかった。(Palm OSの後期機種は出来たが)
そもそも4MBしかメモリも搭載していない。(MP3一曲が約4MB)
・サウンド機能も無くBeep音(ブザー)しか鳴らないのにはガッカリした。
・モノクロの低解像度160x160だったので電子ブック端末としては使えなかった。
 (JPEG表示アプリすらプリインストールされていなかった)
・最大の欠点が電池切れるとFlashROMの内容が消えアプリが初期化される事
 (毎回母艦PCからバックアップを書き戻すのが面倒)→不揮発性のメモリが普及する前だった。
※「xtra xtra Pro」→ 拡張スロットを使う増設メモリ。(うち不揮発性メモリ2MB)
RAM 4MB → RAM 8MB + FLASH ROM 2MBになる。
乾電池が切れてもデータやアプリ消えない。すげぇ!欲しい。
・CPU:Motorola MC68EZ328(DRAGON BALL EZ)16MHzでは、ゲームボーイエミュレーターなど入れたが遅くて使い物にならなかった。
・現在のMicroSDみたいな外部ストレージが使えないので母艦PCとのやり取りが大変(クレードル経由RS232 Serial)
・PHSユニットが無いとメールやWebがPDA単体で、できないので何のメリットも無かった
(メールは下書きが母艦PC接続時に転送され送信できPCの未読メールをPDAで読めたが…。)
※当然当時「WiFi」機能などは無い。
・ハードウェアキーが十字キーでは無いのでゲームをする時やりにくい。
上下キーはあったのだから操作性では非常に惜しい。
良かった点
・ハードウェアキー操作が多かった時代にタッチペンでアイコンをタップするという
先進的なインターフェースはスマートだった。
・電池の持ちがレジュームして1週間程度と(比較的)良かった。
・赤外線学習リモコンになるアプリ「リモコンコン for Palm OS」(シェアウェア)
が面白かった。
・買ったときにすでに型落ちでえらく安く買えた(たしか5千円以下)
・スタイラスペンが本体に収納できて外装が頑丈だった。
・Androidのようにフリーソフト等を入れる事により環境を自由にカスタマイズできた。
・GUIがアイコン形式でとっつきやすかった。
・電子辞書や乗り換え案内アプリが便利だった。
・起動が早く軽量設計のOSは省電力でレジュームからの復帰も一瞬だった。
WorkPad 8602-30J
発売:1999/02
RAM:4MB
Dynamic Heap:128K
Flash ROM:2MB
OS Ver.:3.1
CPU:Motorola MC68EZ328(DRAGON BALL EZ)16MHz
Display:16 greyscale TDF film , 160 x 160 pixels
電源:単四×2
Size (mm):119×81×18
Weight (電池含):162g (190g)
Interface:RS232 serial
拡張機能:背面拡張スロット
IR (赤外線):あり
【漫画をPDAで・・・】
http://blogs.yahoo.co.jp/ichikara_rc/36705537.html

104のBLOG
https://blogs.yahoo.co.jp/ichikara_rc/45933180.html
https://blogs.yahoo.co.jp/ichikara_rc/47529296.html

















2000年6月19日月曜日

[機器] IBM Workpad 30J, PDA





PDA(IBM Workpad 30J)を懐かしむ
書庫中華タブレット
カテゴリその他コンピュータ
2014/4/29(火) 午前 2:06
2014/04/28
スマホ時代にPDAって何ぞや?
投売り数千円で買ったIBM Workpad 30J(Palm OS 3.0)を懐かしんで、
Windows98の母艦にパラレル接続のクレードルを繋いで思い出しながら
データをリストアしました。(USB->RS232C変換ケーブルが無いもんで)
乾電池容量がなくなるとメモリ内容(RAM領域)が消える(初期化する)のが痛い。
電源切れても内容が消えないフラッシュメモリが搭載されるのはまだ先の話。
増設フラッシュメモリ(xtra xtra Pro)とMicroSDスロットが欲しい。
ついでにMP3音楽と動画再生できるCPUも...。
まぁCPUはメガドラと似たようなMotrola DragonBall-EZ(68EZ328)-16MHzなので能力的に厳しいか…。
その前に解像度の高い液晶パネルも...PalmOSはデキが良かった。
結構使い方忘れてる事も多くて、うまく動かないアプリケーションもあったが
当時のように試行錯誤しながら全部動作させる事ができた。
PDAを知らない相方に渡してPalmRis(テ@リスもどき)とかやってたのを
遠目に見たら周囲でスマホやってる人と比べても(デザイン的に?)違和感が全然なくて、
時代が時代ならスマホのOSはPalmだったのかも…とニヤニヤ1人妄想するのだった。
オプションの内蔵PHS拡張ユニットは存在していてデータ通信は出来たが、月額料金がべらぼうに高い頃でネット環境は高嶺の花だった。
(米国では通話機能付Palmが発売されていたそうですが。)

104のBLOG
https://blogs.yahoo.co.jp/ichikara_rc/47529296.html
















1999年4月8日木曜日

[機器][PC] Ken1-Town~わがDOS/V機


[機器][PC] Ken1-Town~わがDOS/V機
このページは、DOS/Vのページです
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
◆ダイナブックEZ425
以前勤めていた会社で使っていた。B5?サイズノート。
DOS5とメニュー・ロータス2.4J・一太郎ダッシュがROMで搭載されていた。
ロータス・一太郎しか使わないユーザーに最適のマシン。G/AがVLバス接続で搭載。
設定をミスると起動しなくなり、何度も冷や汗をかいた。でも、ROMDISKで使用ならばクラッシュの心配無し。初心者向け?でも今はWINの時代か・・
社外作業で大活躍。なんといってもコンパクトだもんね。
◆自作マシン
intelのM/B ADVANCED/EVがついに引退しました。
今度はSOYOのSY-5EHMというベビーATフォームのM/B。
メモリはSIMMも使えるがK6のパワーをフルに引き出すためにDIMM(PC100)の128MB(まだ高いなあ)を使用。
またG/Aも古いやつだったのでG200を購入。立ち上げはちょっとばかりてこずったが異常なく立ち上がった。
K6-2 300を100MHz×3.5で駆動し、P2 300に勝てるスペックとなる。112MHz、124MHzの設定もあるんだけど動作せず。うーん、残念。
まだHDが足を引っ張ってるので近いうちに交換予定。ケースもいずれは、ATXにするつもり。
しばらく今のまま様子見をして、チューニングしてみようと思う。
   ケース       A6601(流用)
   M/B       SOYO SY-5EHM
   メモリ       DIMM 128MB(バルク)
   G/A       MATROX G200
その後  (12/20追加)
 ――― 電源交換の巻 ―――
AT仕様のケースのため電源のソフトパワーオフができず(M/Bは対応している)面白くないのとファンの音がうるさいので電源交換を計画。
ATX電源を購入し交換するが、ここでわかってはいたが問題が浮上。電源SWが合わない。しかたないので、リセットSWを代用する。
(ちょっと使いにくいが、まあいいか。でも、かなり静かになった。リアパネルにはメインSWが有りいざというとき役に立つかも。)
 ――― G200破壊の巻 ―――
周りのクロックアップ成功話を聞くにつれじっとしておれずM/Bを覗きこんでいると、なんとCPU電圧設定を間違えていた。
正しく設定し直した。ここで終われば良かったのだが、さらなるクロックアップを目論み電圧設定をO.1V刻みで上げながら試すとなんと、100×4までいけた。
しばらく走らせても問題がないようなのでこのまま使うことにする。
翌日、たまにおかしい動作をすることが見られたが余り気にせず使い続ける。
G/Aカードの熱が気になりファンをつけねばなるまいと思いはじめると同時にマシンの調子が悪化した。ここで、正規の設定にすぐに直せばよかったのだがその日はそのままにしていた。
(IEがおかしかったり起動時に立ち上がらないことがある)
翌日、目に見えて不調になり設定を元に戻すが、症状はひきずっている。(起動時にかたまることがある。あとHDBENCHの図形描画のテストで画面が乱れ途中でかたまる。
しかし、ほかのベンチはどれも問題なし??)
完全に動作しないような状態なら諦めやすいのだが、ふつうに起動はするので諦めにくい…。しかたがないので手持ちのPW864PCIとさしかえ。
◆IBM PS/V 2405
ジャンク市で¥980で購入。
PS/2でISAバスにわかれを告げ、MCA(マイクロチャネル)バスを採用したが、互換機メーカーは追従せず大失敗作となった。
このため、再びISAへと変更したマシン(VLバスも搭載)。G/AがVLバス接続となっている。
企業使用だったらしく程度はよかったが増設は一切無し。カバーがノッチを摘んで引くだけという造りに感動する。
  M/B   LPX規格。ライザボードにISA×2 VL×1(自信無い)
  CPU   DX4-33
  G/A   S3 805(だったと思う)VLバス接続
メモリがP付なのにはまいったね。(KEN1のは72P SIMMだったが、32Pもあるので購入の際は注意!)PC-DOSやWIN95をいれて遊ぶ。
M/B入れ替えをもくろむがLPXはATの倍ぐらいするので断念。
 (アイデクソン中央・LISE(?)などのメーカーが入れ替えM/Bを出している。
後輩の元へ嫁ぐ。
◆DEC VENTURIS FX 5166
ショップのジャンク市でケース&M/Bのみとゆうかたちで購入。(多分新古品)
本体DECでキーボードがコンパックとうゆうなんとも皮肉な構成になっちまった。
K6-2300に下駄を履かせて使用するも4.5倍速では起動に不具合があり
泣く泣く4倍速で使用中。
さすがにDEC、つくりの良さを感じさせるマシン。G/Aもオンボードで割安だった。
M/BはNLXなんで載せ替えはむりか・・。(このM/Bは、とりつけに一切ねじを必要としない。ケースカバーも1個ローレットねじをはずすのみ)
WIN98をサポートしていない。電源関係で不具合発生らしい。
自作マシンをグレードアップしたのでそちらがメインマシンとなりお蔵入りする。
そのうち、セカンドマシンとしてよみがえるかも。もしかしたら、後輩の元へ嫁ぐかもしれない。
 ’98 12月ついに旅立ち
後輩を中継し、元勤務先の系列会社社員宅へ。
購入より約3ヶ月と短い間であったが一時はメインマシンとなった。
DECが買収された今、人手に渡さずにおけばとも思ったがぷーたろ ーの身日銭を稼ぐため手放す。
使ってみた感想としては、しっかりした造りであったがデスクトップでちょっと面積を食うのが欠点。立てて使えれば手放なさかったかも
SSK-BELL(エスエスケー 旧鈴木製作所) New Swift NSW150E  ’99/02/06
http://www.ssk.co.jp/
中古PCショップで購入したサブノート。
なにせマイナーメーカーなので情報がすくないので、ユーザーの方情報提供お願いします。
主な仕様
    ・CPU
      486DX2-50
    ・メモリ
      オンボード 4MB
      増設    4MB (8MB,16MBも有り)
    ・PCMCIA
      TYPE ?U × 2 または TYPE ?V × 1
    ・FDD
      外付け 3モード対応
    ・LCD
      10.4インチ 640×480(256色)
               800×600(16色)外部CRT接続時
    ・ポインティングデバイス
      トラックボール内蔵
    ・その他
      SCSI I/F 内蔵(LANのタイプもあるらしい)
      ICSのサウンドチップ搭載(詳細不明、調査中)
      マニュアルはちょっとお粗末(失礼)だったがキャリングバッグ(純正かは不明)が付属していた。
買ったその日に、キーボードに不具合があり返品した。しかし、その後よくなったとのことで再度手元へ復帰する。
WIN95を入れてみたが予想どうりメモリ不足でスワップ多発。しかし、メールチェックするぐらいはなんとか使えそうかな。
メモリーボードを見ると4MBなのだがいっしょに16MBのパターンも造られているので載せかえできそう。
 (搭載可能メモリチップ調査中。分かり次第換装の予定)
メモリ換装がうまくいったら次はCPUだな。

Ken1-Town    
http://www.interq.or.jp/japan/tanoken/mypage/dosv/dosv.html

SSK-BELL/旧鈴木製作所
http://www.ssk.co.jp/

しーど君の工作記
http://seedkun.orz.hm/menu.html

Lacis
http://www.ksky.ne.jp/~musa/hard/epson_ix.htm

EPSON PC ROOM
http://www.mal-o.com/epson%20pc/epsonpchome.htm

どるこむ
http://www.dorcom.net/





1997年10月27日月曜日

[機器][PDA] IBM PalmTopPC110



[機器][PDA] IBM PalmTopPC110
購入は96年5月。パソコンをさわり始めて8ヶ月の頃だった。この購入を境にぼくはシリコンの奴隷へと転落して行く。
買ったのはYD1と言うモデル。CPUが486SX-33MHz、RAMが8MB。HDはなく、(HDはおろか、ポートすらなかった)DOSの最小限のファイルとPersonawareというソフトがインストールされているのみの状態だった。
最初にパソコンに触れたのがWin3.1で、もちろんDOSの上で動いていたのだが、当時はWin3.1を終了したときに見えるDOSの画面など、電源を切る合図ぐらいにしか思っていなかった。また、95年の7月末にパソコンを購入し、11月末にはWin95に移行したので、DOSなどまったく縁のない生活だったわけだ。
今までに買ったものは、CompactFlash10MB,ポートリプリケータ(通称ポトリ)HDカード(170MB,260MB)、ACアダプタ(仕事場用)、替えのバッテリ(2本)、モデム、タイプアダプタ、カード型デジカメ(Canon CE300)などである。フロッピィドライブに関しては220のが使えたのでラッキーだった
このマシンはほんとに楽しいマシンだ。あのサイズでWindowsが動いているのを見るとほんとにすごいと思う。未だに世界最小のWindowsマシンという座は揺るいでいないわけだ。
また、電話機になるとか、手書きメモパッドなどというギミックもいい。
個人的にもDOSに触れたという意味でたいへん重要なマシンである。スペックの低いマシンでもDOSで使えば十分使えることがわかった。(もっとも110はWin3.1を動かすには十分なスペックだが)
May 14 1998
CompactFlashを32MBのに換装した。
10MBのCFはIntertopにまわした。
容量が増えたわけだが,かと言って何もしていない。
May 28 1998
デジカメ用の4MBフラッシュをふっ飛ばしてしまった。
デスクトップにはパラレル接続のPCカードリーダを使っているのだが,そこに入れてみたら認識しない何度かやってみてもだめだったので,もとにもどしたらおかしなことになっていた。
なんでだろ?
PalmTop110の周辺機器
Canonのカード型デジカメ。画質もそこそこ。ソフトの操作性も含めてお気に入り。CE-300を挿すと,UltramanPCはCamaramanPCとなる。
花の写真はだいたいこれで撮っている。
CE300はTぞね@新宿で手に入れた。
ノーブランド4MBフラッシュ。CE-300を使用するときはこれがメディアとなる。
ノーブランドとなってるが,日立製のようだ。
現在,ATAフラッシュは
200LX(40MB),MobileGearCS-11(20MB),MobileGearMK-12(10MB),CE300(4MB)という構成であるが,110にも40MBぐらいのフラッシュが欲しい。
そうすれば,フラッシュにWin3.1を入れられるのだが。
ポートリプリケータ。これがあってやっと,パラレルポート,シリアルポート,フロッピィディスクが使用できる。
最初に110を購入したときはYD1と言う素のモデルで,ファイルのやりとりをするのに,Niftyを使ってた。
ポートリプリケータは現在(98年3月)極めて品薄で,入手するのは非常に難しいらしい。
EPSON(America)の170MB HDカード。これにWin3.1をインストール。Word,Excelなど十分実用的な速度で動く。一番上の110は260MBのHDカードにWin95を入れているが,これはみせびらかしモードかな。他に10MB CompactFlashでWebBoyなどを使用している。
CFをもうちょっと大きいのに替えたいのだが。
現在CFは
110(10MB),InterTop(6MB),CanonPowerShot350(2MB)と言う構成だが,これを
110(15MB or larger),InterTop(10MB),PowerShot(6MB),FD代わり(2MB)という風にスライドさせたい。
Microtech製260MB HDカード。一応Win95を入れてあるが.....
まあ,入れてあるだけです。
メモリが8MBじゃさすがに実用とは言えない。
おなじみX-Jackモデムである。WebBoyではPaldio321Sが使えないのが残念。歩きながらのWebサーフィンができない。
下がIBM製純正リチウムイオンバッテリィ,上がPanasonic製ビデオカメラ用リチウムイオンバッテリィである。おんなじものである。ノート用のバッテリィは専用品が多く,後々入手に困ることがあるが,これは家電用品の店で入手可能なのはとてもよいと思う。
チャンドラもこの電池で動く。
110用のACアダプタ。110では220のアダプタも使えるし,逆もだいじょうぶ。このアダプタは小さくて悪くないのだが,コンセントが折りたためるともっとよいと思う。電圧も240Vに対応してたらもっとよかった。
GreyStonePeriPeripheralsのタイプアダプタである。Type?Uのスロットで,Type?VのPCカードを使うためのアダプタである。
こういうマイナーな部品というのは高い。
確か新宿のTぞねで,\5kぐらいした。
IMES(アイメス)製パラレルポート接続のCD-ROMドライブ。倍速だけど,110にソフトのインストールをするときには重宝する。

Burgundy
http://www.bekkoame.ne.jp/~burgundy/doc/110.html 














1996年10月14日月曜日

[機器] Aptiva H5E


[機器] Aptiva H5E
パソコン環境
Aptiva H5E
製品紹介
購入は、96年の11月。
買った直後にMMXのCPU搭載モデルが登場して、 結構悲しい思いをしました。
まぁ、製品使用を見ていただけば判るとは思いますが、
この機種、ベースクロックが60MHzなので、 オーバードライブプロセッサーを積んでも180MHzにしか ならないのです。
仕様
CPU:Intel Pentium 150MHz
Memory:96MB(標準:16MB)
Disk:2.5GB x2(標準:2.5GBx1) WesternDigital社製 WDAC22500
Modem:なし(標準:IBM MWAVE)
Sound:CreativeLab AWE64Gold(標準:IBM MWAVE)
LAN:ELECOM Laneed 10Base2/T(PCIバス)(標準:なし)
注)IBMのMWAVEのカードは外しました
通信環境:
回線:ISDN(NTT INS64)
サービス:INSテレホーダイ+ダイアルイン
ルーター:NTT-TE東京 MN-128(DSU内蔵)

パソコン環境
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/1051/pc.html












みなさん、こんにちは!
みなさんはゲイツ君は好きですか?
マイクロソフトは好きですか?
私はとっても好きです。
彼の会社の製品はとってもすばらしいです。
このページだって彼の会社が作ったFrontPage 2000と言うソフトで作ってます。
すっごく便利です。
というわけで、ビル=ゲイツとマイクロソフトが好きな人は、お立ち寄りください。
もしかしたら、有益な時間を過ごせるかもしれません。
というか、プログラミングの初心者、中級者のひとにも立ち寄ってほしいです。
というか、もう、いろいろな人に立ち寄ってほしいです。はい。
注:一部のUNIX信者の方へ、、、
マイクロソフトがとっても好きな私のページを見て怒らないでください。
私だってUNIXのソースコードを公開したり、移植を意識した文化は好きなんです。
TeXとかMuleなんて、芸術品だと思っています。
でも、WordやPowerPointが使えないと仕事にならないことも事実だって言うことをわかってほしいと思います。
ご意見、ご要望、訂正などありましたら、tsuyo25@butaman.ne.jpまで、メールをください。
無断でこのページに掲載する気はありませんけど、もしかしたら掲載をお願いするかもしれません。
意味のない中傷メールには返事を書きませんのであしからず。
でも、議論は好きなので根拠がある批判は大歓迎です!
このページの最終更新日は 2000年 08月 24日 木曜日 です。

ビバ ゲイツ
http://www.butaman.ne.jp/~tsuyo25/index.html



1988年8月25日木曜日

[社会] 演算機器の歴史

[社会] 演算機器の歴史
演算機器の歴史(まとめ)私見
書庫技術立国の源流
カテゴリ工学
2017/2/20(月) 午前 7:01
ナイル川源流地域(コンゴ東部)で発見された約2万年前の「イシャンゴの骨」、
紀元前3000~2600年頃の「古代インド数学」、
紀元前1900年から1600年頃の「バビロニア数学」、
紀元前1600年頃~1046年の中国の殷王朝時代の数学
など、紀元前から史料が人類と数学の結びつきを示している。
以前に「日本人と数学史」でも考えてみたが、前漢・後漢の紀元前1世紀から紀元後2世紀に出来上がった「九章算術」を元に日本の数学も広がったと云われている。
演算装置(機器)の歴史を追ってみたが、「通信技術」と同様に軍事技術と密接に関係があることが解った。
演算機器の歴史(上) 17世紀 1960年
演算機器の歴史(中) 1961年 1980年
演算機器の歴史(下) 1981年 2015年
道具を使った高度な演算は、17世紀初頭にスコットランドのジョン・ネイピア(John Napier)によって発表され、6年後にイギリスのエドムント・ガンター(Edmund Gunter)が対数尺を考案した記録が残っている。
ガンターが発明した計算尺は長さ60cm、幅4cmの長い板に、数直線とそれに対する三角関数の値と対数値などが刻んであり、この計算尺は電卓が広まる1970年代まで広く使われたようだ。
更にイギリスのウィリアム・オートレッド(William Oughtred)が複数の円盤スケールをずらして計算を行う方法で、通常の対数目盛の他、三角関数等の関数値のほか、乗除計算もできるようになった。
TRIGONOMETRY
機械式計算機が生まれたのはフランスで、パスカルの原理、パスカルの定理などで知られるブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)が、1642年に歯車式計算機を完成させた事だろう。
歯車式計算機「パスカリーヌ」
パスカルは、わずか17歳で歯車式計算機を計画し2年後に完成させて、「パスカリーヌ」(Pascaline)50台の試作機を作ったと云う。
ドイツのシッカートの計算機(1623年=未詳)、同じくドイツのライプニッツの計算機(1670年代)と比較されるが、この時代に機械式の計算機が発展して行ったことは間違いないだろう。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html






演算機器の歴史
年月 国名 事象
1981年 アメリカ
IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが
「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
1981年 日本
カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、
電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。
1982年10月 日本
NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで従来のPCユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。
1983年06月 日本
パソコン既存メーカーに対して出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表された。米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格。
1983年07月 日本
任天堂より家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。 8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03で、ゲームプログラムはROMカートリッジで提供した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界に広がった。
1984年06月 日本
トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げて、デジタル家電で広く使用されている。
1984年08月 アメリカ
IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指すした。
1985年11月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場した。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。のちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。
1985年11月 日本
日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。
1998年11月 日本
ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。
1990年05月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。
1990年10月 日本
日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。
1991年09月 スェーデン
リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。
1993年06月 アメリカ
Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。
1993年11月 日本
航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。
1994年06月 日本
富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。
1994年12月 アメリカ
カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。
1994年12月 日本
ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。
1996年 日本
本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。
1997年06月 アメリカ
インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。
2000年 日本
本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。
2001年11月 アメリカ
マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、Windows 8ではエンターテインメントブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。
2002年06月 日本
JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。
2004年11月 アメリカ
ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。
2010年10月 日本
政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
2011年06月 日本
文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。
2013年06月 アメリカ
ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年11月 日本
東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。
2013年11月 中国
国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。
2014年06月 日本
理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。

1985年12月1日日曜日

IBM Altair(アルテア)880b

アルテア880b /Altair 8800b 
(10ボード,altair 8800bシステム,)




[OS} Windows NT
マイクロソフト研究1(サイト)
2005/10/23(日) 午前 1:42
無題 ホームページ
マイクロソフト研究(サイト)
公式サイト
http://www.microsoft.com/
http://www.microsoft.com/japan/
***
マイクロソフトというとウィンドウズ、ビルゲイツ、オフィスまではいえてもそれ以上をいえる方は少ない。この文は実は映画「ネットフォース」に関
連して自分でマイクロソフトについて勉強するために作成したレポートである。
時間の都合もあり先人の業績にかなり負っている。

現在マイクロソフト社(Microsoft Corporation /NASDAQ: MSFT)は世界90ヶ国以上に展開するグローバルIT企業である。
実質、パソコンのソフトウェアにおいてグローバルスタンダードを形成している。
「マイクロソフト (Microsoft Corporation) は、世界最大のコンピュータ・ソフトウェア会社であり、ハードウェアも扱っている会社。1975年4月4日に
ビル・ゲイツとポール・アレンによって設立された」(1)。
「マイクロソフト社は現在もっとも成功した会社といわれる。また、その創業者であり現CEO のビル・ゲイツ氏は、ここ数年、世界一の金持ちである。
(フォーブス誌によると1994年以来、ビル・ゲイツは常に世界一の富豪である。)
そのため、彼は、アメリカン・ドリームを実現させた天才といわれている」(2)
今回はマイクロソフト社の歴史をウイッキペディア百貨辞典から引用したのち、対外的問題、対内的問題を指摘してみる。
*****引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/

概要
本社はアメリカ合衆国ワシントン州レッドモンド市(シアトル郊外)にあり、広大な敷地に中低層のビルが点在し、運動場もあることから、大学のキャンパスになぞらえて「マイクロソフト・キャンパス」と呼ばれている。
これにちなんでマイクロソフトのことをレッドモンドと呼ぶことがある。
当初は、世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア (Altair)」上で動く、BASICインタープリタの開発・販売で成功を収めた。
当初はネイティブ環境(カセットテープベースでOSは無く、ROM-BASICに近い環境のもの)であったが、CP/Mが標準プラットフォームとなると、CP/Mベース
のMBASICを発表する。グラフィックス機能をつけたGBASIC、16bit用のGWBASIC(GWのWは16bitを意味するダブルバイト/ワードだとされている)が登場する。
ついで、IBM-PC上のOSの開発を請け負い(シアトルコンピュータプロダクツの86-DOSの権利を購入し改良、86DOSの開発者ティム・パターソンは後にマイクロソフトに引き抜かれMS-DOSの開発メインスタッフとなる)、PC-DOS(自社ブランドでMS-DOS)を開発。IBM-PCとそれら互換機の普及と共に OS の需要も伸び、現在に至る地固めを確かなものとした。
マイクロソフトは、MS-DOSを改良するほかに各機種用のBASICやC言語・Fortranなどの開発を手がける一方、Macintoshの影響を受けて、MS-DOS上で動作するGUIシステム「Windows」の開発に注力した。
また、ビジネス向けの表計算ソフトやワープロソフトなどを開発し、先行する他社と「買収か潰すか、どっちか」とまで言われた熾烈な競争を繰り広げ、各方面で賛否を仰ぎながらも、多方面のビジネスソフトでシェアを独占するに至った(
このビジネスモデルにより、後にブラウザ戦争や、Java陣営・Linux陣営との確執なども行われている)。
黎明期の1970年代後半-1980年代前半には、当時早稲田大学の学生であった西和彦(アスキー創業者、元社長)がビル・ゲイツと意気投合し、マイクロソフトの副社長を務めるなどした。このことは、マイクロソフトの日本進出に大きく作用している。
アスキーは、MSXやAXの共同展開や、日本法人設立までの日本代理店を務めるなど、大きな貢献をしていたが、80年代後半にマイクロソフトが日本法人を、アスキーから一部の社員が独立する形で設立したため、いったん提携を解消した。
OSはMS-DOSの他にXenixの開発や、IBMと共同でOS/2の開発もしていたが、その後DECの開発チームを移籍させるなどしてWindows NTを開発した。
このノウハウを元にWin-dowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したWindows95を発売し、世界中で独自規格のパソコンをPC/AT互換機に移行させた。また、このときにアスキーとの復縁もアピールした。
その後もWindowsの改良を進め、何度もマイナーチェンジを繰り返した他、インターネット経由やCD-ROMなどで大量のパッチを配布している。Windows NTによりサーバー市場への進出も果たした。
最終的にはMS-DOS系のWindowsをWindows NT系に統合した。
また、ゲーム機としてXboxを2001年に発売した。因みに何の因果か、ゲー-ム業界ではライバルである任天堂の米国法人(ニンテンドー・オブ・アメリカ)とは、立地上お隣同士である。(1 2005年10月22日現在)
***
問題点の1はCP/M(正確には互換OSの86-DOS)をMS-DOSに改良して販売した点にある。
この互換OSはシアトルプロダクツのプログラマーが開発したものだが、マイクロソフトはその互換OSを、25000ドルで買い取り、MS-DOSという名で、販売した。
それは独創的なものとは言いがたいものだった(これはBASICに対してもいえ
ることである)。
問題点の2はウィンドウズはコントロールパネルやメニュー操作など、マッキントッシュ(MAC-OS)の操作性を模倣したことになる、初期のバージョンではウインド
ウズはマックよりも遅く、思うように操作もできなかったため問題にならなかった。
しかし、1993年、MS-DOSの上で動作する3.1が発表され、さらにMAC-OSの開発プログラマーを大量にスカウトし、ウィンドウズ95が完成するとアップル社との係争が持ち上がった。
ウインドウズ95はMS-DOSなしで単体で動作するOSで、操作性がMAC-OSとほぼ同じで、ごみ箱やフォルダ、ショートカットなどデザインも同一だった。
それは独創的なものとは言いがたいものだった。
問題点の3は抱き合わせ販売である。パソコンメーカー各社は自社のパソコンに他社のワープロや表計算といったソフトウェアをあらかじめバンドルして販売していた。
マイクロソフトは、そこに目をつけ、自社のワープロや表計算をバンドルすれば、ウィンドウズのライセンス料金を軽減するという措置をとったのである。それはインターネットの普及と共にサイト閲覧用のソフトであるブラウザ(ME)にも及んだ。

以上が社会的問題だが、以下は同社の戦略における問題である。
問題点の4。2001年のITバブルの崩壊においても一時的には収益の拡大をすることができたが、パソコンの需要が伸び悩み収益が頭落ちになっている。
問題点5としてはゲーム機市場での出遅れである。2000年のゲームデベロッパーカンファレンスにおいてX-BOXというゲーム機の発表がなされたが、市場への投入は遅れた。
これはそれまでのOSと同じ調子だが、ITバブルの崩壊と共にゲーム機のバブルもはじけたといわれる時期に発売がされた。
これはインターネットの時の対応遅れと同じには行かないだろうと思われる。既にゲームはネットゲームの時代に入ってしまった。
***
マイクロソフトについてのサイト
やはり、WIKIが大変よい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/

日本語
宮井氏のものは簡潔であり、内容もぬきんでている。
映画のページもあるが「ネットフォース」がないのは残念である。

http://www.asahi-net.or.jp/~fu8h-myi/microsoft.html
(参考にさせていただいた)

マイクロソフトの独禁法(抱き合わせ禁止条項)違反事件については日本でも
問題となった。
法律の専門家の研究サイトだが、分かりやすい用語で書いてある。
( http://www.dokkinken.gr.jp/ )
http://www.dokkinken.gr.jp/study/microsoft.html

マイクロソフトのソフト自体の問題の指摘サイト
linuxのプロによる指摘。
http://www.ntlug.org/~cbbrowne/msprobs.html
***
マイクロソフトをもっとも簡単に知るサイト
「がんばれゲイツ君」
http://www.asahi-net.or.jp/~FV6N-TNSK/gates/
***
参考本
「ビル・ゲイツの野望」、脇英世、講談社、1994年。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=19424564
ブックオフによくある。
「マイクロソフトの蹉跌」ディーン・タカハシ、永井訳、ソフトバンク、
2002年、2400円。*)
プロジェクトX-BOXの真実とあるように、マイクロソフトのゲーム機参
入の遅れを指摘している。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31042013

ビル・ゲイツの著書
「ビルゲイツ未来を語る」西和彦訳、アスキー、1995年、1835円。
ブックオフによくある。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=19670767
私は英語の勉強に原書を買った。ハードカバーで286ページ。
両親にささげられているだけあって読みやすい。コンピューターの歴史から情報ハイウェイ、コンピューター家電まで述べられているが、ネットの指摘は少ない。
「思考スピードの経営」ビル・ゲイツ、大原進訳、日経新聞社、1999年、2000円。*)
ビル・ゲイツ自ら、インターネットへの対応の遅れを反省している。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30530365

マイクロソフト社理解のための映画
直接名指しているものでないが、「ネットフォース」がある。
この映画もマイクロソフト問題を知る上で早道である。
(エンターテイメント特有の誇大な表現はあるが・・)
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=vd&cf=0&id=37725
内容は以下のサイトが詳しい。
http://store.nttx.co.jp/_II_D110470343
アバタはアニメ調から実写調へとなる。2005年にはなっているはずだが・・
ビルさん、および関係者の方、急いで作りましょう。
*)
*印は次回解説。

いまどきの経済
https://blogs.yahoo.co.jp/pxd025462002jp/14719958.html