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2004年9月2日木曜日

[機器][携帯電話] Motorola V628 (StarTac 2004)



StarTac 2004
2005/8/24(水) 午前 6:41 携帯/PHS/PDA 携帯電話
これも欲しい。Motorola V628、通称 StarTac 2004
もう脈絡なさすぎなんだけど、欲しい物はしょうがない。
http://www.motorola.com.cn/V628/
ここで\43,680。
https://www.mobilephone.co.jp/cdma/motorola_v628_cn.html

ひろのつれづれ
https://blogs.yahoo.co.jp/hiroslife/9460318.html

Motorola
http://www.motorola.com.cn/V628/

1998年2月1日日曜日

[市場] Motrola StarTac, 韓国徘徊記



[市場] Motrola StarTac, 韓国徘徊記
韓国徘徊記
昨年に引き続き今年も職員旅行で海外へ行くことができました。今年は韓国のソウルに行くことになりました。
当初はこの時期にはセルラーの海外ローミングサービスが始まっていると思われたので期待していたが、どうも全然間に合わなくなったので、しょうがなくドコモのworld walkerを借りていくことになった。そのためにKDDと国際電話契約とかいろいろ面倒があったけど無事借りれることができた。機種はモトローラのstar tacで電池も国内仕様のHP40M、T217と共用できよかった。
でそのstar tacだがさすが韓国用ということでテンキーにハングル文字がプリントされていた。サイズは国内版tacs機star tacと同サイズでホルスターもそのまま使え快適だった。
でいざ韓国に行ったが、この旅行期間はなんと 旧正月にあたり携帯電話屋さんがほとんどあいてませんでした。最終日になんとか1件だけあいてましたがあまり廃な活動はできずに帰ってきました。一応電話屋さんのwindowを写真に撮ってきました。

Egup's Homepage
http://www2s.biglobe.ne.jp/~egup/diary.html

1996年8月7日水曜日

[機器][携帯電話] DDI-IDO/Motrola StarTAC





STARCKの待受け画面
2006/3/28(火) 午前 8:10
STARCK/DESIGN 工業デザイン
やや強引な今日のエントリー。
昨日、Nokia 702NKより機種変更したSamsung804SS。
「デザイン携帯」って狙いすぎのamadanaのようで、どうも好きになれず。
もちろん壁紙はSTARCK。
デザインはMotのRazorのパクリといわれてますが、StarTACっぽくもあったりします。
1996年に登場した銘機StarTAC。
Sバッテリーは待受8時間、夕方には電池切れてました。
もちろんメールもないアナログ電話機で、13万もしたのでまるで売れなかったです。

S+ARCKコレクターの日記
https://blogs.yahoo.co.jp/debis_japan/30087320.html







IDOのモトロな端末、StarTAC!改訂版
さてさて、その後のStar様ですが、解約してしまいました(涙)。単に私の経済状況ゆえなのですが、、。ただ、ラッキーなことに、灰ロムで帰ってきました(爆)。IDOプラザへ解約しにいったのですが、お姉さんがStar様をいじって奥へ持っていき、他の人とごにょごにょ、、、。で、しばらくして「お待たせしました」と電源オフにして返してくれました。解約は終わったのですが、電源を入れてみると、バーが立ってる!!うほ!らっきー、灰ロムぢゃん、というわけでした。さらに裏コマンドをぱこぱこ、、、。完璧です。電測もアノコトもできる。うふふふ。 しかし、なんで白くできんかったかなぁ?? 
閉じたところ。やはり美しい(笑)。これが全てです。これ以外に何もStarTACに要求してはいけません(笑)。 横ちょから見た所です。なんと「)」みたいな感じで弧を描いているんですよね。このあたりのコダワリには脱帽です。さすがアメリカンですねぇ。マックに通ずるモノがあります。おまけに、圏内か圏外か閉じていても分かるように、LEDのインジケータがピカピカ光ってます(爆)。どうりで電池が持たないわけです(苦笑)。 ところで、ドコモのStarTACスタイルのPDC「M204」はどうなったんでしょ??いつの間にか時代は206シリーズになっとりますが(^^;)。 

Staroのモバイル部屋
http://member.nifty.ne.jp/staro/keitaihyouka.html







◆Motrola StarTack, 
最初にフィリピンに定住したのが1996年、当時日本の携帯電話は、今の親子電話の子機くらいの大きさでした。
フィリピンではノキアとモトローラの携帯のみが販売されていました。まだアナログの時代です。
自宅用にはノキアの携帯電話を購入したのですが、仕事の関係で日本から電話がよく掛かってくるため自分用の携帯を買いました。
アメリカのドラマの主人公達が劇中で、挙って使っていたのがこの携帯電話でした。
二つ折りというよりフリップの付いたデザインで名前から連想されるようにスタートレックのコミュニケーターを気取った小さく、軽いものでした。
本体も軽いのですが当時としては珍しいリチウム・イオンのバッテリーを装備していました。
◆Nokia
時代はアナログからデジタルに変わりつつあり2機目はノキアのGSM携帯にしました。この携帯を選んだ理由は、世界で始めて携帯からインターネットに接続できるプロトコルWAPを搭載したものだったからです。
日本のiモードのように文字情報ばかりのWEB閲覧で欲しい情報も少なく電子メールくらいの使い道しか無い物でした。
この頃は、この携帯と日本製のPDAを2台持ちしていました。
横目ではHandSpring社(Palmからスピン・アウトしたメーカー)の電話の出来るPDAを睨んでいたのですが、フィリピンでも取扱店がMacの正規販売店で店員が「貧乏な一般人はけえれ」てきな対応、さらには不当な値段設定がされていたので買えませんでした。
◆HandSpring Treo650
三代目は、HandSpringが送り出した携帯+PDA(スマートフォン)でした。
キーボード付きカラーが出るまでじっと我慢していたのを思い出します。2002年くらいだったでしょうか。
こういったフリップが開く携帯はスタートレックのコミュニケーターのように見えるので、プログラムを自作してフリップのオープン・クローズ時にスタートレックのコミュニケーターの音を出すようにしました。Wave再生機能は無かったので大変な作業だったことを思い出します。
交換式のバッテリーでは無かったので例のMacの取り扱い店に何度かバッテリー交換をしてもらいました。
◆PalmOne Treo650
スマートフォン2台目はPalmOne(PalmとHandSpringが合併)のTreo650です。
Treo270は大変気に入っていたのですが、メモリーカード・スロットが無い点と早いバッテリーの劣化があったので買い替えました。
OSが変わったのでプログラムの移植が大変でした。
◆Palm Centro GSM
スマートフォン3台目はPalm Centroです。
Treo650の悩みはその厚さでした。
当時、小さなクラッチ・バックを持ち歩いていたので嵩張るのが難点でした。
Treo650と同じスペックで小さくなったCentroを、たまたま見つけてしまい衝動買いしてしまったものです。
◆Nokia E71
最後は今も使っているNokia E71です。
Centroは今でも一番好きな携帯ですが、日本で使えないのが問題でした。
数ヶ月日本に行く必要があって日本でも使える携帯として買ったものです。
タッチ・パネル式ではありませんが、
Treo270,650,Centro
と使って来て、片手操作メインのキーボード付き携帯にはタッチ・スクリーンは必要無いと思っていたので問題ありませんでした。
流石にノキア製だけあって不都合を感じる事はありませんでした。
同時にスマートフォンに対する情熱(?)も醒めてしまったようです。
私にとってのスマートフォンとは、
「何でも出来る」
「必要があればOS領域すら動作を書き換えられる」
事ができるものを指すようです。
じゃじゃ馬的な動作や気に入らない操作性を自分で作成したプログラムで書き換える事が楽しかったのだと気がつきました。
銃=>バイク=>車=>小型ガジェット=>銃=>バイク・・・
と周期的に趣味の傾向が変わっておりますが、今度、携帯に興味が出てくる頃には第2のPalm社が出てきて携帯が様変わりする頃でしょうか。

My 3D My Guns
https://blogs.yahoo.co.jp/teknotes2430/28809588.html






[雑記]::さよなら、パーム
2011/2/13(日) 午前 0:26
雑記 練習用
Palmという会社をご存知だろうか?
世紀末にPalm PilotというPDA(Personal Digital Assistant)携帯情報端末を送り出し、
以降マイクロソフトのWindowsCE(Pocket PC)と伴にPDAの発展を計ってきた会社である。
日本ではソニーがClieというPDAを販売していた時期もあったが基本設計はPalmのPDAに準ずるものであった。
PDAの位置づけはPCの下位であり、PCを母艦としてPCで収集した情報を外に持ち出す、さらには外で収集した情報をPCに送り返す役割であり、
母艦となるPCと情報を同期するのが目的であった。
逆に言えばPC無しでは十分に働けないものであった。特にネットワークにある情報に直接アクセス出来ないのは致命的であった。
まだ公衆無線LANが普及していない時代の話である。
そこで当時既にネットワークが広く展開されている携帯電話との融合が計られた。
今で言うスマートフォンである。
携帯電話のネットワークを通じてネットワーク内に保管されている個人情報と直接同期することと、
汎用のブラウザを用いてウェブにアクセスする事が狙いである。
このような狙いを受けてインフラが整備されてくると、それに乗っかった新しいビジネス・モデルに対応させるためのスマートフォンも登場してくる。
iPhoneやAndroidのスマートフォンである。
iPhoneは音楽、映像、アプリケーション・プログラム等のソフトウェアのマーケットを確率させ、出品者や購入者に課金する端末であり、
AndroidはPDA時代のPCの役割に取って替わる存在となりグーグルおよびグーグルのサービスが将来的に必要不可欠になることを狙った端末である。
こういった商業的な狙いでユーザーを必死に確保しようとする会社と、Palmやマイクロソフトのように特に商業モデルもなく、ただPDAのあるべき姿を追求しているだけのメーカーではユーザーへのアピールやサービスに違いが出てくるのは当然であり、
PalmやWindowsMobile,Nokiaのスマートフォンまでも衰退の傾向にある。
そんな環境の変化の中で、Palmはヒューレット・パッカード(Hp)に買収されてしまいPalmの名前はすっかり消えてしまった。
HPに吸収されることでPalmは生き残ると思えれば、まだ良いほうなのだが、HPという企業は、過去に自社のPDAをコンパックと合併するために消し去り、新たに得たiPaqというブランドもPalmの吸収で消し去り、Palmの後継機も最後はAndroidに乗り換えるために消し去る運命が見えるようである。
さて今回はPalm消滅記念ということで、フィリピンに来てから購入した携帯を紹介して終わりにしようと思います。

My 3D My Guns
https://blogs.yahoo.co.jp/teknotes2430/28809588.html







MOTORAZR 
2006/12/23(土) 午後 10:22 無題 練習用
ちょうど12年使っていたAU(IDO)からDOCOMOへ携帯を換えた。
MNPのおかげ?(影ではバカと言われてる。)
マイクロTACは使わなかったがIDOのstartacからAUのC100M(買ったときはIDO)
そして本日からdocomoのMOTORAZR(M702Si)
何がいいって?
やっぱMotorolaでしょ、Mマークでしょ、日本人には使いにくいでしょ。
日本には無いデザインと無線機会社では世界一でしょ。

Jeep改め「ランクル70と365日仕事」