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2005年6月23日木曜日

[機器] Macintosh Quadra900

[機器] Macintosh Quadra900
Quadra900が出てきた!!
2005/4/7(木) 午後 10:38 色々 Macintosh
昔、まだMacがコンピュータとして認知されていた時代
まだMacが賢い人の代名詞だった時代
まだコンピュータが高価だった時代
そう、そんな時代の68kMacが物置から出てきた…。
電源とICMの外付けHDD、四角いマウス、拡張キーボードを繋いでみる
そしてキーボードの電源を押してみる
チョーン
MacOSという起動ロゴの後、アイコンが表示されていく…。
外付けHDDはどうやらクラッシュしていたらしい。フォーマットしてくれと表示された
また見れるかもしれない。その思いを込めて、フォーマットはキャンセルした
OSを確認してみる。
MacOS8らしい
すごく重たい
データは全て外付けドライブに入れていたのでOS以外何も無い
とりあえずジグソーパズルをやってみる
ふっ
昔は作るのが困難だったのに…いまじゃ3分で完成してしまう
ジョブスよ…昔のMacはどこへ行った
ジョブスよ…完成したOSをバージョンアップし続けるなよ
ジョブスよ…ライバル社無しでは発展しないぞ
ジョブスよ…いくら性能が良すぎてむかついたからってPC/AT互換機用のOSXの開発をやめるなよ…
本当か嘘か知らないけど、MacのCPUはPentiumのお下がりの設計図をベースに使ってるとか某雑誌やページに書いてあったし…。
まぁ、ほっといて。自分が言いたいのは『OSXなんて真のMacじゃない!!』という事
と言うことで、MacOS8.1搭載の俺の林檎の使い道募集
希望では、ゲームとかしたいんですが…。何か面白いこと出来そうならぜひぜひ

真夏の半田付け~No Sub Title~
https://blogs.yahoo.co.jp/aka_heru/1278637.html?__ysp=YmxvZ3MueWFob28gIDY4ayBtYWM%3D


1995年9月28日木曜日

[機器][PC] Apple Power Macintosh 8000シリーズ

Power Macintosh 8100AV




華麗なる転身
2006/2/6(月) 午前 1:01 無題 Macintosh
自慢じゃないけど 私の趣味と言えばパソコンをいじるくらいしかない。
でも、最近どうにもつまらなくなってきた。
かつてはサークルで映像編集をかじったこともあり、PCの速度にはちょっとうるさかった。
「少しでも速く!」を目指してメモリを増設したり CPUを乗せ換えたりとしたもんだ。
(オーバークロックまではやらなかったのはひとえに私がヘタレだから)
しかし最近のやつは体感速度をはるか越えて速い速い。
CPUが2.4GHzを越えたあたりでなんの不満もなくなってしまった。
うーん これじゃ張り合いがない。なんか面白い遊び方はないものか・…
と考えてはや半年 ついに結論にたどりついた。
「そうだ! マックユーザー になろう!」
というわけで PowerMac 8100/80 を200円で買ってきました。
(写真はサンプルです。実物はキズだらけでCDドライブのパネルがない)
販売当時の価格は40万円か 私はこの言葉に弱いのだよ。
送料1500円を払うのがばからしいのでそのまま持って帰り、腰を痛めた
話はまたこんどいたしましょう。
モニタをつないで、なぜか持ってるマウスとキーボードを挿してスイッチオン!
・・・なにやらフロッピーの上でハテナマークが点滅しています。
ははーん。つまりシステムが破損しているのか。
しょうがない こんど買ってきて入れてやろう。
とうわけで マックユーザーへの道を歩み始めた渡邊でした。
ゑさん。 もう付き合い始めて何年にもなるのに
あいかわらず私を白い目で見ますね。たぶん今もそうでしょうね。
PS
内部を分解してみたのですが、特に悪いところはないようです。
ハードディスクをつながないままスイッチを入れると、車のブレーキ音とクラッシュ音が出ることを知りました。なるほど!

北京の六日
https://blogs.yahoo.co.jp/nave_1975/24846931.html




Power Macintosh 8500 







[機器][PC] Apple Power Macintosh 8500 
個人的なアップル製品たち3
2014/5/4(日) 午前 0:54 Macintosh Macintosh
通常使用で購入したマックたちは1や2で紹介したが、通常使用ではない というかコレクション的な意味合いだったりサードマシン的(特定用途)な目的で購入したマシンがある これらは用途的にA級なマシン性能は必要なかったので中古で購入した もちろん購入時での性能は低く、現役でいられる期間は短いのだが・・・ しかし本当に今まで無駄使いをしたものだ 今では考えられないが、これら中古のマックよりも自作マシンの方がもっと散在しているのだが まぁこういう経験があって今の分解技術につながっているのだが(たいした技術ではないが)
OS9が使いたくて/ Power Mac 8500 
自宅のマシンが完全ウィンドウズ化したあたりかG5になったときかは忘れたが、ふと旧MacOSでやっていたゲームをやりたくなった 
例えばSimCity2000とかTowerとか。しかし当時、自宅にはOS9で起動できるマシンはなかったのだ 
G4は父親に譲り、iBookは友人に売却してしまった。
そんなわけで中古で8500を購入してきた 
たかが古いゲームをちょっとやりたいだけでマシンを一つ買うなんてなんて無駄使いをしていたんだろう?と非常に後悔する 
懺悔 
それはさておき、購入してきた8500 
うちにあった7600用のG3/233アップグレードカード(本体は従兄弟にあげてしまった)を装着 
まぁPerforma5210の時に購入したゲームなのでパワー必要なく、かといって本格的用途にはG3/233では今更焼石に水だ 
結局このマシンはたいして使われずホコリをかぶり放置され、引っ越しのときに処分という運命になってしまった 
ちなみにこのマシン、正確にはPM 8515とかそんな型番(プレートにもそうあった)
で、どうもVRAMの増量やその他ビデオ編集に特化した仕様のパブリッシングモデルだったようだ。 
Quadraの頃はなんてかっこいい機体だと思ったが・・・さすがに古くさい

チビ助のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/chibisukechibikoro/56192156.html


大掃除中、PCを処分
2019/1/7(月) 午前 10:58 日常 練習用
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年末から大掃除をしているんですが
かなり大胆に大規模にやっていて
いままで置物化していたPC関係も一掃することになりました。
パソコン:Apple PowerMac 8100AV

”林檎使い”かけみぃの落書き
https://blogs.yahoo.co.jp/kakerumiu/66679103.html






Power Macintosh 8600 



さようなら、相棒
2007/10/12(金) 午後 3:15 生活 家族
先日から4日間にわたる闘病もむなしく、PowerMac8600が昇天しました(泣)
起動不良やカーネルパニック、ソフトの不正終了等、非常に調子が悪い。
メモリ増設にHDD新規入れ替え、再セットアップ・・・
考えられる事全てやりましたが、最後には起動不能に。
これは寿命ですね。
1997年デビュー、現役11年目を迎えてなお、うちではバリバリに働いてくれました。
ロジックボードの故障という、乗り越えられない事態に、パパはショックです。
代わりのボディを探す事も考えましたが、なにせ古いものなので、まともな出物が無い。
泣く泣くあきらめる事にしました。
新人を誰にするか?まだ決めかねてますが、店頭でのプレゼンという大切な役割を担っているので、慎重に決めたいと思います。
ありがとう、8600。
君の事は忘れない。
いや、本当に、よく働いてくれました。ありがとね。

New!館主のひとり言
https://blogs.yahoo.co.jp/momohiro2000/18329488.html





PowerPC601 (IBM CPU)

◆PowerPC601
http://ja.wikipedia.org/wiki/PowerPC
PowerPC G2第1世代の石です。
PowerMac 8100 に搭載されていました。

カピバラの部屋
https://blogs.yahoo.co.jp/capybara_rooms/13199120.html








やけくそMac
書庫分類できないe.t.c.
カテゴリMacintosh
2008/9/7(日) 午後 2:22
PowerMac G5が壊れちゃったので「もうデカイPCは、いいやぁ」て、思っていましたが、やっぱり何かと不便。
つなぎに、大昔のMacを引っ張り出してきました(PowerMacintosh 8500 :1995年発売)。
発売当初は高くて買えなかったけど、何年かたったら、激安で中古やさんに売っていたので、夢をかなえるために購入したMacです。
設置してみてわかったんですが、MacOS9に対応したモダンブラウザってないんですよね。Firefoxも対応していない。Safariも使えない。
こういうところにAppleのクールさ(冷淡)というか、アフターケアの悪さを感じるんだと思います。OS9からMacOS Xに切り替わったのって、そんなに昔だったかな…。

SHUTTER chance/写真(機)が好きっ!
https://blogs.yahoo.co.jp/hirox30/45139724.html





やばい 
2007/10/9(火) 午前 11:50 生活 家族
シーズン本番直前、店頭のPowerMac8600が最悪の状態に(泣)
お客様へのプレゼン用に朝から晩まで起動しっぱなし、おまけに11年物のご老体ですから、しょうがないっちゃしょうがないんだけど・・・
OS10.4ではソフトの不正終了、最後にゃカーネルパニック。
OS9.1ではフリーズの嵐、OS10.4に戻そうとしたら、OS10.4の入ってるHDを認識せず、終いには「初期化しますか?」だって(号泣)
ええ、ええ、調子悪けりゃ初期化しますけどね。
大変なのよ、ほんと。
時間掛かるし。
新しいマック買えって?
それが一番早いのは百も承知です。
でもねえ、お金掛かってるんです、この8600( ̄▽ ̄;)
計算するのが怖いくらいね。
当時は何でも高かったからねえ(遠い目)
なんとか復帰計画立てたいけど・・・
はてはて、どうなる事やら。
とりあえず代役はPowerBookに頼もう。

New!館主のひとり言
https://blogs.yahoo.co.jp/momohiro2000/




1992年9月23日水曜日

[機器][PC] Apple Macintosh IIVi(1992年/漢字Talk7.1)




私の愛用してきたMacのラインアップ
書庫Mac Life
カテゴリMacintosh
2016/10/22(土) 午後 10:05
私がこれまで愛用してきたMacの顔ぶれです。
今顧みると、そのどれもが懐かしく、多くの想い出が浮かんできます。
1988年代になってワープロ専用機がようやく手の届く値段で発売されるようになり、それを使い始めたのですが、
やはり欲しいのはパーソナルコンピュータ。それも当時は音楽とグラフィック編集に長けていたAppleが高嶺の花の存在でした。
その後値段が下がるのを待ち続けていましたが、音楽編集に使いたい気持ちとCDドライブが搭載されだしたことから、1993年の春にとうとうそれを買ってしまいました。
◆Macintosh IIVi(1992年/漢字Talk7.1)
Macintosh IIVi(1992年/漢字Talk7.1)
CPU : 68030 / 16MHz / 4MB RAM  / 40MB  HDD
購入時は本体に付属しているのはマウスのみで、ディスプレィはもちろんキーボードも別途購入しなければならず、30万円ほどかかったように記憶しています。更に利用したいアプリケーションを購入し、メモリとHDの容量を増やしてアクセラレータも搭載し、プリンタやスキャナ、そしてモデムなども買い揃えると、更に30万円を遥かに超える出費となったように思えます。何しろ当時はメモリだけでも増設しようとすると1MBにつき1万円くらいの値段でしたから。
Power Macintosh 7100/80AV(1995年/漢字Talk 7.5)
Power Macintosh 7100/80AV(1995年/漢字Talk 7.5)
CPU : PowerPC 601 / 80MHz / 16MB RAM  / 350MB  HDD
モトローラの「Power PC」というCPUを使ったPower Mac シリーズの1機種。
Power Macの時代に入っても、相変わらず一長一短の多くの機種が乱発されてAppleの経営が悪化し始めた頃です。
Power Macintosh G3 Blue and White(1999年/Mac OS 8.5.1)
Power Macintosh G3 Blue and White(1999年/Mac OS 8.5.1)
CPU : PowerPC G3(750) / 350MHz / 128MB RAM  / 12GB  HDD
Steve JobsがApple社に復帰し、iMacを大ヒットさせると共にデスクトップタイプも一新してこの機種を発売しました。
ドライブもCDからDVDへと変わっています。
Power Macintosh G4 (Graphite)(2001年/Mac OS 8.6)
Power Macintosh G4 (Graphite)(2001年/Mac OS 8.6)
CPU : PowerPC G4 / 400MHz / 128MB RAM  / 80GB  HDD
Power Macintosh G4
Power Macintosh G4 (Mirrored Drive Doors)(2003年/Mac OS X 10.2 / OS 9.2)
CPU : PowerPC G4(7455v2.1) / Dual 867MHz / 1.25GB RAM  / 130GB  HDD
Dualコアを装着し一段とスピードアップされたタイプで、システムがOS X とOS 9.2が併用できる機種でした。
以前からのアプリケーションも使い続ける事ができ、デザインも一番気に入っていた機種でした。
 Power Macintosh G5
Power Macintosh G5 Dual 2GHz(2006年/Mac OS X 10.4.2 )
CPU : PowerPC G5 / Dual 867MHz / 4GB RAM  / 160GB  HDD
この機種もかなり長い間使い続けていましたが、海外へ出ることが多くなり仕事先でも必要となってきたことから、
これまで使い続けてきたAppleのデスクトップ型はこれが最後となり、これ以後はコンパクトなノートタイプへ移行することにしました。
MacBook Pro 13-inch
MacBook Pro 13-inch , Mid2012(2012年/Mac OS X 10.7.4 Lion)
CPU : Intel Core i7 / 2.9 GHz / 8GB RAM  / 750GB  HDD
オーディオ機器を接続し、MIDIインターフェィス経由でMIDI音源やデジタルピアノを使ったり、大きな画面で製図をしたり画像処理をし、合計10TBのハードディスクを利用する為にこれまでデスクトップ機種に拘ってきたのですが、現在では細部にまで融通がきくようになりこれ一台で全て賄えるようになっています。
自宅で使用する時はThunderboltに接続した27inchディスプレイで表示させ、これまで使い慣れた外付けキーボードをUSBポートへ接続すれば、これまでのデスクトップ機種での使用感と全く変わりません。
このMacBook Proはメモリが最大8GBと記されてありましたが16GBのメモリを装着しても問題なく作動し、HDをSSDに入れ替えてからは増々快適に動いてくれています。
この機種も間もなく5年目になるので、そろそろ買い換え時でしょうが、最近のMacBook ProにはDVDドライブが搭載されなくなっていることから、その使用頻度がまだ高い私としては踏み切れずにいます。
上記の機種以外にも娘の為に購入したiMacやiMac mini、そしてサブマシンとして使用していたWindowsのノートパソコンなどもありますが、こうして自分がこれまで使用してきたMacを改めて並べてみると、それなりの時の流れを痛感します。
確かに最近のMacは誰にでも使い勝手が良くなってはいますが、初期のMacintoshやそのアプリケーションは諸設定は難しかったものの、その反面、ResEditやHyperCardなどを使って簡単に自分の好きな形にアプリケーションに手を加えたり自分で作ったり出来る楽しみもありました。
パソコンの普及がインターネットに後押しされ、今ではスマートフォンがそれに取って代わり、段々とパソコンの売れ行きが悪くなっているようです。かつてのワープロ専用機のようにこのまま消滅することはないでしょうが、一般家庭から離れ、まだまだ需要が望めるビジネスやグラフィック、音楽や映像関係などで求められる形へとこれから変化していくことでしょう。

気侭に
https://blogs.yahoo.co.jp/ac2essk/40746934.html









1991年4月2日火曜日

[機器] Apple Centris 610

Centris610, Google+,Mickael氏所蔵,











◆MC68040 25MHz (Motrola CPU)
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC68040
68030へキャッシュを追加した高速版です。
石の表記は、XC68040 
Macintosh Centris 660AVに搭載されていた物です。

カピバラの部屋
https://blogs.yahoo.co.jp/capybara_rooms/13199120.html


1990年10月20日土曜日

[機器][PC] Apple PowerBook Duo230~Motrola68030CPU搭載の初期DUOモデル




[機器][PC] Apple PowerBook Duo230~Motrola68030CPU搭載の初期DUOモデル
210との違いはクロック周波数だけですが、表からもわかる通りHDの容量が選べるようになっていますね。
CPUも68030と使い方次第ではまだまだ現役です!
本来、型番は写真のようにアップルマークの下ではなく左右に別れて書かれています。この230は液晶交換をしたものですが、交換時に現在のパネルになったそうです。(後期モデルのロゴはこうなっているらしい)
持ち主のProphet氏はこのロゴ位置をとても気に入っています。
蛇足になりますが液晶交換になった理由は、「煙を噴いた」からだそうです。う~んさすがDuo、ただのPowerBookではありません!?
販売価格は、
HD80MBモデルが¥528,000、HD120MBモデルが ¥598,000でした。('92)

Duo-Zone~最強のDuoを創る会
http://www.powerbook.org/duo-zone/Museum/Duosystem/duo230.html

1990年4月18日水曜日

[部品] Motrola CPU Mac用



◆MC68040 25MHz (Motrola CPU)
http://ja.wikipedia.org/wiki/MC68040
68030へキャッシュを追加した高速版です。
石の表記は、XC68040 
Macintosh Centris 660AVに搭載されていた物です。
◆PowerPC601
http://ja.wikipedia.org/wiki/PowerPC
PowerPC G2第1世代の石です。
PowerMac 8100 に搭載されていました。

カピバラの部屋





Apple用CPU Board

1987年9月30日水曜日

[機器][PC] Apple Macintosh IIci




個人的な過去のアップル製品たち1
2014/4/30(水) 午後 4:52
Macintosh Macintosh
なんとなく思い付きと懐かしさで今までに使用してきたアップル製品の記録をつけてみようと思う 
あくまで個人的な記録なので不正確だったり、どうでもいい思い出もあるので気にしないでね 
私の初めてのパソコンというものの記憶は小学生3年くらいの頃に突然父親が買ってきたFM7とかいうものだった 
ゲームのカセットをセットして、本記載されたコードを打ち込んでいくとゲームが始まる仕組み(これくらいしか出来なかった) 
まぁこれはアップル製品ではないしあまりに遠い記憶なのでこれ以上は書くつもりはないが、
記憶装置がカセットテープだったいうのは今から考えるとものすごいことだ 
◆ Apple Macintosh IIci
時は流れて1994年 私はどういう訳かニュージーランドに留学する事になった 
そこで初めて出会ったのがMacintoshというものだった 
学校のコンピュータールームと言うものがあり、そこにずらっと並ぶマック達 
機種は良く覚えていないのだがMacintosh II CI かCXのどちらかだと思う 
本体にCDはなくフロッピーのみ 一部の機体には外付けAppleCDが付いていた 
昔懐かしのディスクをカートリッジに入れるタイプだ 
主な使用目的はレポートの作成だったので速度的にはまぁ不満はなかった 
というか、これしか知らなかったからこんなものだったのだけど
Apple Performa 5210
初めてのMy Macintosh: Performa 5210
1年生の頃は日本から持ち込んだ親のお古のワープロも使っていたのだが、
マックのマウス操作に慣れてしまうとキャノン製の当時のワープロは使いにくいもの以外の何者でもなくなっていた(その後壊れたし) 
2年目の夏休みに一時日本に帰国し、その時に親にパソコンを買ってもらえないかと相談してみた 
2年目からは学校から離れた家でホームステイをしている事、
当時車を持っていなかった事などから自宅にパソコンがないとレポートなどはいっさい書けないからだ 
私は車の免許を持っていなかったので免許はニュージーランドで取得するという条件でOKをもらった 
というのも現地で免許を取れば3万くらいでとれたからだ(たしか) 
日本で取ると30万はかかった気がしたので その分をマックにまわせると言う計算 
で、当時はマックの事なんて全然知らなかったし、相場や性能もいまいち分からなかった 
ただ、学校の図書室で調べたマック情報誌によると、PowerPC搭載機が速く、今後の主流になることは知っていたので
まだ当時在庫として残っていたLC630などの680系はやめる事に 
新型として出ると言われていたPerforma 5200シリーズが一番の候補に挙がった 
というか、一番かっこ良かったんだなぁ 
当時店頭にはPowerPC601搭載のPowerMac6100とかが投げ売りされていた記憶がなんとなくあったのだが、
設置場所の関係などで一体型がよかった事と6100は電源がいまいち 
画面上でシャットダウンした後に本体の物理スイッチを切ると言う仕様がえらく古くさい仕様だったのだ 
で、Performa5210を購入 メモリを16MB追加して24MBにした 
確か30万円くらいだった 
スペック的には75MHzのCPUに500MB(ギガじゃなくメガ)のHDDという今からは考えられないもの 
でもまぁ当時としては速くはないが、標準的なパソコンだった感じだ 
少なくとも学校のパソコンよりは非常に高速だったし、CDロムも普通に使えた 
学校の外付けCDは尋常じゃなく遅かった(壊れてるかと思うくらい)
SPEC
CPU: PowerPC603(75MHz)  
HDD: 500MB
4倍速CD-ROM /FDD
15インチモニター
キーボード/マウス付属(当時のPowerMacシリーズはキーボードは別売りだった)
初心者向けのソフト多数

チビ助のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/chibisukechibikoro/






Macintosh
2010/8/28(土) 午後 10:34 その他 練習用
自分が使っているコンピュータはMacintoshです。
就職したての頃、まだWindowsなんてなかったんですねえ。
MS-DOSの時代です。その当時パソコン自体非常に高価なものでした。
しかもカラーなんてまだ無かったです。
職場では、エルゴメータのための試験というか実験のような事をしておりました。
そのとき自分の上司だった人が、Macintoshを使っていました。
カラークラシックだったかな。ひょっとしてカラーではなかったかも
当時、自分は実業団で選手兼、社員というかたちで自転車に乗っていました。
そのとき、チームドクターだった先生は 自分の大学の大先輩であり、またこの方もMacintosh使いだったんですねえ。
たしかSE-30あたりを使っていたかと。
自分が最初に買ったコンピュータは NECのラップトップでした。
それはそれで、仕事に使っていたのですが、やはりMacintoshは魅力的で
実際、職場でPowerMac8100を24インチのモニターで使った時は感動ものでした。
その後、初めてのMacintoshは、powerbook540cでした。
まだ、powerPcではなかったんですが、それでもさくさく動いてくれましたし、なんと言っても、初めてトラックパッドを採用し、カラーもかなりきれいでした。
ああ、懐かしい。その当時は はじめはHYPERCARDでプログラムをして楽しんでいました。
そのうち、デレクターやSUPERCARDなんかを使ってプログラムをつくってたなあ。
いまもMacintoshを使って入るものの、自分で何かを作るという点ではこの頃が一番楽しかった。
やがて、Macintoshも540CからPOWERMAC7500になり、その後はiMacになりました。
eMacを試した事もありましたが、ファンの音がうるさすぎて駄目でした。
最近はというと、大福iMacの20inhですねえ。いまのメインマシン。
そしてサブマシンは、去年に買った iBookG4 12inh
今はG5を経てintelMacintoshですが、いまだ powerMacは頑張ってますよ。
年々新機種は安くなって来ていると言うのに昔ほど(独身時代)いまは大金出せないもんね。
まだまだ大事に使っていきたいなあ。 
でも、一応intelMacintoshも持ってるんだけど。
今イチ使ってない。もったいないねえ。
Mac miniもっと活用しないとねえ。

日々の記録
https://blogs.yahoo.co.jp/googoo8818/18777860.html







mac



志賀隆生: コンピューター小史〜コンピューター誕生からマッキントッシュ誕生まで(1991)
マッキントッシュ小史
文/志賀隆生
Macintoshの歴史は多くの逆説,パラドックス,アイロニーに満ちている。
Apple I,IIからLisaそしてMacへと至る,成功と失敗,熱狂と落胆の歴史,しかしその間わずか10数年という,何かを達成するには余りにも短いその歴史は,その一挙手一投足がつねに世界中のパソコンマニアの注目を集めていたという点で,パーソナル・コンピュータの歴史そのものと言っていいほどだが,パソコンが1950年代にすでにマクルーハンの予見していた電子時代のメディアツールとしてますますその重みを増している今日にあっては,同様に多くの逆説,パラドックス,アイロニーに満ちた20世紀そのものとして,あるいは20世紀的テクノロジーを象徴する存在として,あの夢の機械を位置づけても許されるのではないかとさえ思わせるのである。
計算技術が大きく変貌するのは,形式化した論理演算というテクニックとその時代に利用可能な テクノロジーとが上手に結びついたときであり,さら に高度な計算技術を要請する文化・社会的背景が存在 したときであることは容易に想像がつく。今日のコン ピュータの原形と誰もが認めるのは,19世紀の英国の 数学者チャールズ・バベッジが考案した差分機関と解 析機関だが,産業革命が世界市場を大きく変えていくなかで,バベッジの大量高速計算機械はたぶん切実な技術時代の要請だったはずである。もっとも,このバベッ ジの夢のエンジンは,時代の欲望が当時の科学技術力 をあまりにも大きく上回りすぎていてついに完成することはなかった。。
■1940年代
次のステップは,20世紀初頭の英国の数学者チュー
リングの計算可能性の数学的定就とその具体的検証としての「チューリング・マシン」だろう。このいかにもこのいかにも20世紀的なチューリングの発想は計算技術の徹底的な形式化の追及作業であり,形式化が徹底しているぶん,人はなぜ計算するのかという問いは失われている。
しかし20世紀半ばに,人類はこの問いかけに対して新しい答えを発見する。それは<力>である。
1944年,ハーバード大学のアイケンはリレー式計算機MARKIを制作する。モークリーとエカートによる世界最初の電子計算機ENIACは1943年から研究を開始し1946年に完成する。後のノイマン方式と呼ばれるストアドプログラム方式による最初のコンピュータEDVACは1951年に完成している。これら
は第二次世界大戦中は大砲の弾道計算に使われ,そ
の後は原爆開発重要なツールとなった。このように計算技術の進歩によって生みだされた<力>は,コンピュータの神話学に大きな影を落とすことになる。
■1950年代
人はなぜ計算をするのか?これはけっして哲学的な問いではない。古代インド,アラビア,中国を見ればわかるとおり,歴史的に計算技術の発達した地域はつねに大規模市場が形成された土地だった。人が計算が計算する理由はただ一つ,公正さを保つためである。
こうした計算技術の行き着く先が,正確さと早さを至上命題とするコンピュータであるとすれば,事務計算の専門会社Computing Tabulating Recordingがその後International Business Machine(IBM)と社名を変更して業界トップの位置につくのは歴史的必然といえる。 
1950年代に入ると、コンピュータは大企業の経
営部門の中枢と,産・官・学の研究機関の内部に入り込んでいく。そこでは<金>と<力>を生みだすことが技術の使命であり、コンピュータの存在理由だった。
ところが,意外なことに<金>と<力>を手にしたはずのコンピュータの前に,大きな落とし穴が待ち構えていた。それがハッカーである。
人類史上最初のハッカーは1959年MIT(マサチューセッツ工科大学)に発生したと言われる。当時,大学の電気計算機室に設置されていたIBM製のコンピュータに,テック鉄道模型クラブのメンバーが無許可で進入し悪戯をしかけたのがハッキングの始まりとされる。これは1950年代のコンピュータが神殿のなかにおさまるご神体のような扱いを受け,その操作者がまるで司祭のような振る舞いをしていたことに対する反発から来たものであり,そこに20世紀的理想主義を見いだすことは容易い。
ほかの誰でもない,技術の理想のために,ハッカーは危険を犯す。ハッカーはその意味で20世紀的な理想(至上)主義の化身であり,20世紀をモダニズムの世紀ととらえれば,ハッカーはまさに20世紀的存在の化身ということができる。
ここにコンピュータ・テクノロジーのパラドックス
を見ることができるだろう。技術(コンピュータ)が20世紀的存在(ハッカー)を呼び起こす。誰のためでもない,おそらく巨大な権力,あるいは制度に奉仕するために生みだされたメインフレーム・コンビュータが,やすやすと個人の悪戯ものの手に落ちてしまうという,あまりにも20世紀的なアイロニー。計算技術あるいはその具体化した姿としてのコンビュータは<金>と<力>という時代の欲望を増幅する機能をはたしたと同時に,ハッカーのような技術理想主義的思戯ものの欲望をも増幅してしまう。メインフレームのコンビュータがその能力を極限まで発揮し,その生みだす<金>と<力>で世界を囲い込もうとしても,つねに/すでにそこには微細だが決して修復できない穴が穿たれている。それがコンピューター・テクノロジーの本質であることを,MITのハッカーたちはほとんどコンピュータの創世記に証明してしまったのである。。
■1970年代
1970年代に入ると,コンピュータ・テクノロジーの城塞に巣食った微細な穴は徐々に拡大を開始する。。
まえぶれは1971年にインテル社が作り出した4ビットマイクロプロセッサ4004であり,その後改良を加えて1974年に発表された8080は世界最初のパーソナル・コンビュータキットAltair8800を生みだすことで穴の存在を決定的なものとした。オルタナティブ・テクノロジーとしてのコンピュータ。こうした発想はどこかの国の国家予算規模のプロジェクトだったENIACやPEOVACからは生まれてこない。
さて,このAltair8800は誰もが予想しなかった成功を成し遂げ,それに刺激れて多くのミニハッカーたちが自分たちの手製のパソコンを世に送り出すようになったのだが,その中に,後にアップル社の創設者となるスティープ・ウォズニアクとスティーブジョブスがいた。
この1970年代はオルタナティブ・テクノロジーとしてのコンピュータにとって重要な時代だった。
1970年,シリコンバレーの一角,小高い丘の中腹に建てられたゼロックス社のパロアルト研究所には,後にパソコン界を先導する重要な技術や技術者が集い,意見を交換しながら理想のコンピュータを追及した。1960年代後半にダイナブックの構想を得たアラン・ケイはパロアルト研究所で,1972年にオブジェクト指向言語Small Talkを開発,1974年には暫定的なダイナブックと呼ばれたパーソナル・コンピュータ「Alto」を開発する。同じ1974年にはインテル社やザイログ社から,8080,Z80など時代を席捲する8ビットマイクロプロセッサが世に送り出され,さらに同年に,ハイパーテキストの提唱者テッド・ネルソンは「COMPUTER LIB」を自費出版,ビル・ゲイツは8080用BASICを開発,マイクロソフト社を設立している。パーソナル・コンピュータを取り巻く状況はこの時期慌ただしく動いている。
1976年にApple Iを,翌々年にApple IIを発表して大きな成功を収めたアップル社は,その後,1980年のApple IIの失敗と1981年のIBM-PCという有力なライバルの出現により苦境に立たされることになった。


1978年にパロアルト研究所を探防しAltoに強い感銘を受けたジョブズは,AItoのようなコンピュータを作ろうとして1983年Lisaを発表する。Lisaにはワンボタンマウス,アイコンのドラッグ,プルダウンメニュー,クリップボード,オーバーラップ可能なウインドゥ環境など後のMacintoshに特徴的な機能はほとんど実現しているうえに,マルチタスクOS,ワープロ,スプレッドシート,データベース,ドローイングなどデータを共有できる6つの標準アプリケーションが添付されていた。しかし機能が高い以上に価格が高くなり営業的にはまったくの失敗に終わった。そこで低価格化を図るためにLisaから必要最小限の機能を残したパーソナル・コンピュータを作成したのだが,それが1984年に発表されたMacintosh 128Kである。この128Kの登場が,コンピュータ・テクノロジーの巨大な城塞を崩す最後の一撃となったのは疑いないところだろう。この金とも力とも無縁のパーソナル・コンピュータが,メインフレーム・コンピュータの権力構造を揺るがし始めるのは時間の問題だった。
ここでもう一度,人はなぜ計算をするのか?という
聞いをMacintoshの前で発してみよう。いったい
どのような答えが返ってくるだろうか。一つ言えることは,<金>でも<力>でもない何か,これまで人類が手にしたことのない何かをわれわれは得ようとしているということだ。もっともそれがどのようなものであるかは,まだもうまく言うことはできていない。
ー雑誌StudioVoice,1991年,特集☆マッキントッシュの伝説

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1986年4月2日水曜日