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2014年4月17日木曜日

[機器] PDA, HP200LX,HP50G

HP200LX,HP50G
HP50G



[機器] PDA, HP200LX,HP50G
HP200LX,HP50G 夢の競演
2014/4/17(木) 午後 7:00
HP200LXとHP50Gが一日だけ一緒にいました。
その後HP200LXは売られて行きました。(;_;)/~~~

巻雲、ココア、PDA。
https://blogs.yahoo.co.jp/cirrus_cocoa/





HP 50g
2014/4/14(月) 午前 7:53
念願のHP 50g を手に入れました。
理想の関数電卓を求めてさまようのを終えることができそうです。

巻雲、ココア、PDA。
https://blogs.yahoo.co.jp/cirrus_cocoa/




2006年7月13日木曜日

[機器] シャープPC-1350


[機器] シャープPC-1350
06-07-16
ジャンクの籠にポケコンが転がっていたので買ってきた。
シャープのPC-1350。新しいCR2032に入れ替えたら普通に動作した。
問題といえば増設メモリ用の蓋が無い位で、落下とか改造とかの大きな破損も無い模様。
もう一つの問題は、俺には桁の多い電卓程度の使い方しか出来ない事。

untitled 
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley/1065/diary/06-07.html



1982年9月23日木曜日

1981年7月20日月曜日

[機器] Casio VL-1(VL-TONE)





[機器] Casio VL-1(VL-TONE)
CASIO VL-TONE VL-1
2018年11月17日(土) 21時16分54秒
テーマ:アーカイブ
いつも朝からFMラジオを聴きながら仕事してるのですが、
朝の番組で、YMO特集をやってまして、懐かしいテクノポップ連発で!
それで、シンセサイザーの走りという、
小学生の頃に持っていた「CASIO VL-TONE」を思い出して、
クローゼットを探してみたら、ありました!
裏の保証書には、昭和56年5月10日となっています!
で、今は無くなってしまった四日市一番街の文化センター白揚で買ったようです!
ネットで調べてみると当時1万円以上したようですが、お年玉で買ったのでしょうか??
35年以上ぶりぐらいで、電池を入れてみたら、ちゃんと使えました

南野クラフト建築設計室
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/

南野クラフト建築設計室 きまぐれ日記2
https://ameblo.jp/ncraft/entry-12479790893.html















演算機器の歴史
年月 国名 事象
1981年 アメリカ
IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが
「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
1981年 日本
カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、
電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。
1982年10月 日本
NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで従来のPCユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。
1983年06月 日本
パソコン既存メーカーに対して出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表された。米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格。
1983年07月 日本
任天堂より家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。 8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03で、ゲームプログラムはROMカートリッジで提供した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界に広がった。
1984年06月 日本
トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げて、デジタル家電で広く使用されている。
1984年08月 アメリカ
IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指すした。
1985年11月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場した。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。のちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。
1985年11月 日本
日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。
1998年11月 日本
ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。
1990年05月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。
1990年10月 日本
日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。
1991年09月 スェーデン
リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。
1993年06月 アメリカ
Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。
1993年11月 日本
航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。
1994年06月 日本
富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。
1994年12月 アメリカ
カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。
1994年12月 日本
ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。
1996年 日本
本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。
1997年06月 アメリカ
インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。
2000年 日本
本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。
2001年11月 アメリカ
マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、Windows 8ではエンターテインメントブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。
2002年06月 日本
JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。
2004年11月 アメリカ
ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。
2010年10月 日本
政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
2011年06月 日本
文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。
2013年06月 アメリカ
ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年11月 日本
東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。
2013年11月 中国
国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。
2014年06月 日本
理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。

1981年1月12日月曜日

[ゲーム][ゲーム電卓] カシオ計算機/ゲーム電卓シリーズ,デジタルインベーダー(1981)~数字インベーダーを撃墜せよ!








ゲーム電卓,デジタルインベーダー
ゲーム性 ★★★★★ 数字でよくここまで要素を盛り込んだ
操作性 ★★★★ 2つしかキーを使わない!
キャラクタ ★★ ゲーム電卓ではしょうがない
サウンド ★★★ ゲーム電卓ではしょうがない
ハード ★★★★★ 意味無し音楽機能がグ~!
総合 ☆☆☆☆ 本当に気軽に遊べる














デジタルインベーダー
カシオ計算機/ゲーム電卓シリーズ/1981年頃
(C)1981 CASIO COMPUTER
■ゲーム解説:感服!数字だけなのに無理のない内容!
 カシオ計算機が発売した電子ゲーム「ゲーム電卓」シリーズ。初めて見た時は衝撃的でした。
何せビジネス使用の電卓でゲームが出来てしまうのですから。
どんなゲームが遊べるのか想像が出来ませんでした(当時、電卓を所有している小学生なんていませんでした)。
当時、社会現象にまでなったゲームに「スペースインベーダー(タイトー)」(以下、業務用)があります。
(ゲーム電卓発売時にはブームが沈静化してしまってたのか知りませんが・・)
おなじみのインベーダーゲーム、名前を聞いただけで誰でも分かるゲームです。
この「デジタルインベーダー」も名前から分かる通り、業務用を意識した内容となっています。
ただ画面が数字表示だけなので、業務用の雰囲気どころかインベーダーそのもの自体、再現は無理だろうと
思われるでしょう。無理もありません。なんてったって数字だけですから。
しかし、このゲームには電卓でインベーダーゲームを作ってしまおうと言う頑張りが見え隠れしていたのです。
▼ゲームキーを押すと最高得点を表示
最高得点表示
▼次にゲーム条件表示
ゲーム条件表示
そして、ゲームスタート!!
▼数字インベーダーが侵略してきた!
ゲーム画面!インベーダー侵略開始!
▼ここまで来られたらピンチ(?!)
おお、どんどん向かってくるぞ!
※砲台(自機)の右側にある、
3本表示は残機を表しています。  まず、ゲームキーを押すと最高得点が表示されてゲームスタートです。
最高得点の次に「ゲーム条件」が表示されてインベーダーの戦略が始まります。
画面左端が自機である砲台(と言っても数字ですが)でインベーダーは右側からじわじわと侵略してきます。
[AIM]キーを使って砲台の数字を変化させます(数字は0・・9→n→0と変化していきます)。
数字インベーダーと同じ数字にして[FIRE]キーで撃破!!
砲台と同じ数字のインベーダーが消えます。もちろんどの位置にいる数字インベーダーでも狙って消せます。
実はこの辺にこのゲームの戦略性が見え隠れしているのです。
数字インベーダーを撃破すると、撃破した位置によって得点が加算されます。
砲台の手前から10点・20点・30点・・となっており、出現と同時に撃破すると60点が加算されます。
素早く撃破しろって事ですね。
たまに出てくるUFO(”n”)が出てきたら、高得点のチャンス!
砲台を”n”に変化させて[FIRE]キーを押して素早く撃破しましょう。UFOを撃破すると300点加算されます。
逆にインベーダーやUFOに侵略されるとミスとなり、砲台を1つ失います。
砲台を3機失うとゲームオーバーです。砲台の数はゲーム中の砲台の右側に表示されています。
(UFOの要素や「侵略」されるところなど、業務用を意識していますね。数字ながら本当に頑張ってます。)
☆インベーダー撃破・オペレーション・マニュアル☆
[AIM]キーで照準を
合わせろ! 照準が合ったら・・・ [FIRE]キーで
発射! 数字インベーダー撃破!
[AIM]キー [AIM]キーで数字を変えろっ! 撃破したい数字インベーダーと同じ数字に合わせて・・
[FIRE]キーを押せっ! 数字インベーダー撃破!
説明が前後してしまいましたが、ゲーム前に表示される「ゲーム条件」は左の数字がパターン内に登場する
数字インベーダーの数になっています。全てのインベーダーを撃破すると無事パターンクリアとなる訳ですが、
ゲーム条件の右の数字がクセ者です。これは1パターン内で発射出来るミサイル数なんです。
要注意なのが、パターンをクリアする前に全てのミサイルを発射してしまうと即ゲームオーバーになってしまう
と言う事です。ケチったな地球防衛軍!!(笑)。
数字インベーダーが寄ってきたり、パターンが進んで数字インベーダーの動きが
速くなったりすると緊張してしまって間違いを起こしがちです。
焦って発射ミスしないよう極力気を付けましょう(ちなみに命中音とハズレ音は違うので分かります^^)。
まだまだ特質すべき事があります。9パターンをクリアすると、今度は「パート2」は始まるのです!
パート2は右から2桁目から数字インベーダーが出現する様になり、
得点が倍(砲台手前から20・40・60・80・100点)になります。
パート2のパターン9をクリアすると、再びパート1のパターン1に戻る訳ですが、
ここまで業務用の要素を取りこんでいるのには驚きです(業務用にも続編の「パート2」があります)!
高得点のコツですが、業務用と同じくUFOを上手く出現させる事にあります。
業務用のUFOにも出現の法則(16発目、23発目等)がありましたが、このゲームのUFOにもあります。
そのパターン内の撃破した数字インベーダーの数を足して、10の倍数になると出てくるのです。
ただやみくもに数字インベーダーを撃破していては高得点は望めません。
出来るだけ10の倍数になるように効率良く数字インベーダーを撃破していきましょう。
高得点には算数が出来なくてはいけないんですね。
ただし、ゲーム後半はかなりスピードが上がりますので高得点にこだわりすぎてミスしない様にしましょう。(^^;;)
ちなみにこのゲームの説明書には様々な遊び方や得点によるランク表等が書かれており、
プレイヤーの遊び心に拍車を掛けるニクイ演出となっています。
得点加算表
得点加算表
UFOの出現の謎、解明!
(マニュアルに書いてあるって ^^;)
UFO出現!!
ゲームオーバー画面  はっきり言って、このゲームは名作の分類に入ると思います。
数字表示と2ボタンだけでここまで「スペースインベーダー」の雰囲気に近づけたデジタルインベーダーの制作者には
感服せざるを得ません。業務用とはまた別な面白さがあるこのゲームをぜひ入手して下さい。
■本体解説:メロディ機能付き電卓?!
本体は何の変哲も無い電卓です(^^;)。業務に使用しても全く違和感がありません。
本体左上にあるモード切り替えスイッチは左から、「OFF・音楽モード・電卓&ゲームモード」になっています。
何とこの機種はゲームが出来るだけで無く、電子オルガン(何か言い方が古い^^;)としても使用できるのです!
しかも音楽モードの時にゲームキーを押すと、「聖者が街にやってくる」のメロディが流れるではありませんか!!
電池の消費が激しいので私はあまり使用しませんが、ここまで遊び心の入った電卓はめずらしいと思います。
今なら携帯電話の着信メロディの作成に使えそうです。この機種にはカード型のタイプもあります。
カシオのゲーム電卓シリーズは同じゲームでも数種類の機種が存在するのでコレクターの頭を悩ませます(^^;;)。
謎の宣伝の紙(?!)
■備考
ゲーム電卓を購入すると以下の様な宣伝用の紙(?)が入っていました。
よく覚えていませんが、カシオの箱入り電卓を購入するとこういうのが入っていた気がします。
特に「打ち落とせ数字軍団」や「ピ、ピッと新発売」のキャッチコピーが笑えます。
いったいいつの新発売なんでしょう?(笑)。
この紙の上の部分には「只今、戦争中」となっており、切り取って立て掛けて置く事で
仕事中でも(ボスに)許してもらえる・・・そんな訳ないですね(笑)。
■当時の思い出
 当時って訳では無いのですが、前の勤務先でカードサイズ型のデジタルインベーダーを発見しました。
昼休みに突然鳴ったピコピコ音に、過剰反応してしまったのは言うまでもありませんが・・・・。
結構高級感あったので、是非欲しいと交渉したのですがダメでした。チェッ!

JUN AMANO'S HOMEPAGE             
http://homepage3.nifty.com/lsigame/

         
     
         
       

1979年2月13日火曜日

[エレメカ] SHARP ソロカル





そんな商品もあったことに感謝する
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2012/5/31(木) 午後 11:52
ちょっと前の昭和 小学校
変な商品?安直な発明?同じ機能のものを、ただ合体させるなんて…
このソロバン電卓は、実用のほどは、なんとも疑わしい。
よーいドンで、これ一台で計算を競わす時に使ったのか?
それとも、どちらかで計算して、他方で検算するためか?
発売されて直ぐ、これを学校に持ってきて、自慢したとんでもない奴も居た。
だいたい、小学校に電卓を持ち込むのは、元来ご法度である。そやつは、先生に電池を抜かれていた。
でも、
もし、ソロバンと電卓の数字が同調していたら、スゴイ!のだけど…まさかね。
ともかく、画像のように、今は博物館にお蔵入り。過去のものとして展示されている。
(って今、売ってないよね・・・確認してないけど)
さて、ドッキング商品といえば、同じ頃にゼブラの“シャーボ”も登場したっけ。
進級祝いでもらって大切に使っていた。
シャープペンシルとボールペンは、書くこと自体は同じでも、用途は異なるし。
なので、今もよく売れているようだ。現在は多色ボールペンと一緒だね。
蛇足だが、ボールペンにデジタル時計が着いたものも、持ってたなあ。
重たくて不便だった。
電池が切れたら、分解して、潰してしまった。
目くそ鼻くそを笑うで、道具を嘲笑しても、人のことは言えない。何を隠そう、私のこのブログも、
内容は全く役に立たない雑学ばかり。そんな、わがまま好き勝手な記事ばがり、
「こんなおもろないブログなんか、アクセスしたくないぞ!」
と、お叱りのコメントもなく、最後までスクロール賜りましてありがたく、
これもひとえに、私の一人の人徳の致すところでございます。笑いは明日への活力、笑いこそ人間の潤滑油、
笑え、笑え、笑う角に福来る、またのアクセス賜らんことを願いまして、本日の記事、之にて終了でございます。

若葉マークの都市建築研究所
http://blogs.yahoo.co.jp/momonakai/

1973年9月14日金曜日

[機器] カシオミニ(Casio Mini), CASIO MINI CM-603(1973)

CASIO MINI CM-603(1973)



_/_/_/_/_/ 卓上計算機の進化 _/_/_/_/_/
19世紀に入ると、1820年ごろチャールズ・ザビエ・トーマス・ド・コルマが発明したアリスモメーター(Arithmometer)が近代の機械式計算機の始まりとなった。
1886年Arithmometer       
1903年に矢頭良一の「自働算盤」
アリスモメーターは、1886年にアメリカで量産されるようになった。
日本でも明治36年(1903年)に矢頭良一が「自働算盤」という機械式計算機の特許を取得。歯車式で1個の円筒と22枚の歯車などで構成されていた。
タイガー計算器(国立科学博物館の展示)
大正13年(1924年)3月に大本寅治郎によって「タイガー計算機」が販売され、1970年代まで売られていた。
当初、国産品は「壊れやすい」との風評で売れなかったが、商品名を「虎印」から「タイガー」に変更した途端に売れた・・・との逸話も残っている。
これら汎用の機械式計算機は、主に会計経理、統計など実用的な分野に利用されていたようだが、土木工学や兵器開発に伴う微積分などの高度な計算機も機械化が進んだ。
すでに普及していた真空管を使って世界初の電卓「Anita Mark8」をBell Punch and Sumlock-Comptometerが1961年10月に発売した。次第に電子式電卓が機械式にとって代わる先駆けとなった。
更に、真空管はトランジスタなどの半導体に置き換えられ、集積回路がになり、専用大規模集積回路の時代になる。
ビジコン社 BUSICOM 141-PF
ビジコン社(旧、日本計算器販売)が昭和46年(1971年)10月に、インテル社と共同開発した「インテル 4004」で、世界初のマイクロプロセッサを搭載した電卓「ビジコン 141-PF」を発売した。このintel 4004が、後のパーソナル・コンピュータの発展の元になった。
◆CASIO MINI CM-603 electronic calculator (1973)
当初は数十万円していた電卓を、昭和47年(1972年)8月にカシオ計算機が一気に12,800円の低価格を実現した
「カシオミニ」(Casio Mini)
を売り出して、パーソナル向けに普及した。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html





ENIAC,1942


1972年8月22日火曜日

[機器] タイガー/タイガー計算器

タイガー計算器




_/_/_/_/_/ 卓上計算機の進化 _/_/_/_/_/
19世紀に入ると、1820年ごろチャールズ・ザビエ・トーマス・ド・コルマが発明したアリスモメーター(Arithmometer)が近代の機械式計算機の始まりとなった。
1886年Arithmometer       
1903年に矢頭良一の「自働算盤」
アリスモメーターは、1886年にアメリカで量産されるようになった。
日本でも明治36年(1903年)に矢頭良一が「自働算盤」という機械式計算機の特許を取得。歯車式で1個の円筒と22枚の歯車などで構成されていた。
タイガー計算器(国立科学博物館の展示)
大正13年(1924年)3月に大本寅治郎によって「タイガー計算機」が販売され、1970年代まで売られていた。
当初、国産品は「壊れやすい」との風評で売れなかったが、商品名を「虎印」から「タイガー」に変更した途端に売れた・・・との逸話も残っている。
これら汎用の機械式計算機は、主に会計経理、統計など実用的な分野に利用されていたようだが、土木工学や兵器開発に伴う微積分などの高度な計算機も機械化が進んだ。
すでに普及していた真空管を使って世界初の電卓「Anita Mark8」をBell Punch and Sumlock-Comptometerが1961年10月に発売した。次第に電子式電卓が機械式にとって代わる先駆けとなった。
更に、真空管はトランジスタなどの半導体に置き換えられ、集積回路がになり、専用大規模集積回路の時代になる。
ビジコン社 BUSICOM 141-PF
ビジコン社(旧、日本計算器販売)が昭和46年(1971年)10月に、インテル社と共同開発した「インテル 4004」で、世界初のマイクロプロセッサを搭載した電卓「ビジコン 141-PF」を発売した。このintel 4004が、後のパーソナル・コンピュータの発展の元になった。
CASIO MINI CM-603 electronic calculator (1973)
当初は数十万円していた電卓を、昭和47年(1972年)8月にカシオ計算機が一気に12,800円の低価格を実現した
「カシオミニ」(Casio Mini)
を売り出して、パーソナル向けに普及した。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html