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2025年5月18日日曜日

[レビュー][歴史]『怪盗ジゴマと活動写真の時代』〜岡田斗司夫ゼミ




[レビュー][歴史]『怪盗ジゴマと活動写真の時代』〜岡田斗司夫ゼミ
永嶺重敏『怪盗ジゴマと活動写真の時代』〜岡田斗司夫ゼミ
2025.4.1
岡田斗司夫ゼミ/ 怪盗ジゴマと頗る非常な活弁士の時代
今日は大正時代の映画活動写真について話しします。テキストは先週も紹介しましたけども永嶺重敏著『怪盗ジゴマと活動写真の時代』ですね。この他の参考書類も色々ちょっとここに並べてあるんですけども,この辺はプレミアムの方で紹介します。
大正時代とは何かというとですね,1912年が大正元年なんですよね。で『鬼滅の刃』が大体ストーリー始まったのも大正元年あたりだし,あとタイタニックが沈没したのも大正元年(1912年)ですね。あと明治天皇が崩御し明治という大きい時代が終わったという色んなものが詰まってる時代なんですけどもですね,大正時代の分かりやすい資料っていうのはまァ資料というか『鬼滅の刃』が案外いい資料なんで,ちょっと今回使ってみようと思ったんですけども。
■ 大正時代
これ『鬼滅の刃』に出てくる浅草です。あまりに明るすぎて華やかで人が多いから第7話ですね。炭治郎が超ショックを受けるシーンなんですけど,浅草の円形で,いっぱい旗が立って,で夜も電気で赤々と輝いてるわけですね。 で炭治郎は何故この明るい浅草区にショックをうけたのかっていうと,電気があるからじゃないんですね。すでに炭治郎の村でも電気って当たり前なんですよ。もう1話で近所の村に炭を売りにくシーンで,近くの村に行ったら電線ですね,すごい高い電線が生えてて,ものすごくたくさんの電柱が生えてて,電線走ってるんですよね。で,エンディングでも電車がやっぱりこう見えてるわけですよね。で,このエンディング,これ何やってるところかというと街に向かって炭を売りに行ってるシーンですね。つまり,炭治郎の家と麓の村の間にはもう電線が走ってるんですよ。だからすでにもう村では電気が当たり前になって,もうあと何年か待てば炭治郎の住む家のあたりに電気が来てもおかしくないんですね。で「いやいやそんなこと言ってもまだまだ炭治郎が住んでる山奥の一軒家まで電気なかなか来ないんじゃないか?」っていう風に考える人いるかも分かりませんけど,これ後で話しますけども,大正時代っていうのはものすごい早さで電化が進んだ時代なんですね。ガス水道は遅いんですけども電気はすごい早いんですね。 で普及率もめちゃくちゃ高くなるんですよ。つまり炭治郎が見上げていた空ですね,あの作品の中でアニメでもゲームでも僕ら彼らが見上げていた空っていうのは,ついつい青空を考えちゃうんですけど,違うんですよ。彼らが見上げた空っていうのはよっぽどの山奥でない限り,大体電線が空を走ってる,電線が空を区切ってる,僕らが見ていた空に割と近いそういうお話なんですね。大正時代ってそういう話時代なんですよ。で具体的に言うと明治15年(1882年)ですね。今日話すお話の30年ぐらい前に,もうすでに東京銀座に日本初の電灯が灯もっています。で,この頃は30年前は電気珍しかったんですよ。わざわざ電気で灯った明かりを見るために人々が来たぐらいだったんですけど,しかしこの炭治郎がこのあのさっきの浅草に行ったのは,もうえそれから30年経ってるんですね。ですでに日本全国に発電所が建ち出してます。すごいですよね。で電灯は東京を中心に急速に普及して,さらにエレベーターとか電車などで電気は動力用としても利用されてます。で大正5年に全国の工場では50%超えてる電化率,つまり日本全国の工場が,もうすでに石炭とかそういうのではなくて,電気になって5割になってるのが大正という時代なんですね。で,まだ家庭では囲炉裏とか薪で炊いてるのがあったと思うんですけど,ただそれも明治時代の石油ランプとか廃れて,上水道とかガスとか電気がどんどんどんどん普及していきました。これも明治の末の話です。で,家庭用電化製品が出たのも大正時代で,扇風機出るは,電気ストーブ出るは,電気アイロン出るは,電気コンロがもうすでに普及し始めてます。大正の元年で。でブリキとかセルロイドの新素材のおもちゃも登場してるので,炭治郎が子供たちに買おうかなと思ってるおもちゃっていうのは,もうすでに僕らの持ってるようなものと,そんなに変わらなくなっているんですね。カレーライス,トンカツ,コロッケは大正の3大洋食と言われるぐらいで,人々のご飯も急激に変わっていたのがこの時代ですね。
■ 活動写真
まァこれが大正時代ですよ。面白いことで,そんな時代に人々が熱狂したのが活動写真ってやつですね。『鬼滅の刃』にも活動写真出てきます。炭治郎が歩く浅草の町ですね。ここにちょっと見えにくいんですけど,この部分に「活動」って書いてるんですけど,これ別のカットなんですけど,ここにあの映画の看板みたいのがあるんですけど,これ多分有名な浅草の電気館だと思います。
✔キネトスコープ
で,活動とか活動写真っていうのは英語の「Motion Picture」の直訳なんですね。ま今の言葉でいう本当に映画ですね。で「毎月1日は映画の日,この日はみんな1000円じゃ」って言ってるじゃないですか?あれ何故っていうと,1896年に神戸でキネトスコープ,映画の元祖みたいなのが公開されたのが,マァ本当は10月25日か26日ぐらいだったらしいんですけど,期間があったので,じゃあもう11月1日にしましょうということになって,実は日本では映画の日っていうのが11月1日になってる。なので,記念で毎月1日は映画の日で,それで映画が1000円で観れるわけなんですよ。 
で,キネトスコープどうなのか?っていうとえこんなんですね。 エジソンの発明です。中にフィルムはこう入っていて,でコイン入れておっさんがこう覗いてるんですよね。いつもが発明品です。でこれ1人しか覗けないので決して便利な発明ではなかったんですけど,当時はとにかく絵が動くというか,写真が動くだけで驚きだったんですね。でエジソンは,この特許とか取らなかったんですよ。
✔シネマトグラフ
当時,この時代のエジソンあんまりお金持ってなかったんで,これそんなヒットすると思ってなかったので,とりあえず1つ作って満足して,発表して記者に色々言われて「天才だ」とか「発明王だ」とか言われていい気になって言われてる時代だったんで,特許取らなかったんですよね。 なので世界中で模造品がいっぱい作られました。で,世界中で模造品を作った1人というか1組がフランスのルミエール兄弟っていうのがいたんですね。で,フランスのルミエール兄弟っていうのは,このキネトスコープを改良してシネマトグラフっていうのを作りました。 シネマトグラフって,これ何かっていうと,撮影することもできれば映写することもできる機械なんです。で,このシネマトグラフによって,スクリーンですね,壁とかにフィルムの映像を映写することができるんだ。 と。で,これのおかげで,もともとエジソンが作った機械は1人が除いてみるしかできなかったんですけども,50人ぐらいでも楽々観れるようになったんですね。 
✔バイタスコープ
でこれを知ったエジソンが「これはいかん,俺が映画の発明者じゃなくなってしまう」と思ったんで,他人の発明を買いとったんですよ。エジソンは,キネトスコープ作った覗きからくり作った段階で気がするんじゃったので,そこから先開発してなかったんですけども,アメリカでも同じようにフランスのリベール兄弟みたいに,壁に映写する方式っていうのを作った人がいたんです。その人の発明の特許を買い取ったんですね。もうこの頃の時代のエジソンて毎週,何曜日だったかな?新聞記事に間に合う日の昼間にアメリカ上,新聞記者読んでランチ発表会やってたんですよ。で,毎週毎週「今週の発明はこれです」っていう風に発表をやってたら,みんな「すごい」って言って,それを翌週の新聞に間に合うように記事にしてたっていう,なんかもうやり口がもうほとんど炎上系YouTuberみたいだったので(笑) エジソンていうのは,それで他人から買った発明品を自分が発明したように見せるというのずっとやってたんですけども,これも同じ方式ですね。 他人の発明を買ってバイタスコープって言います。「Edisons greatest marvel Vitascope」って,エジソンは宣伝屋だから分かりやすいですよね。さっきのルミエール兄弟のシネマトグラフよりもこの方が分かりやすい。観客がいっぱいいて絵が動いてます。エジソンの素晴らしくとんでもないバイタスコープっていうのがこう書いてあるという風になってるんですけども。
でもこの時期に欧米では,もうすでにこのスクリーンと写真のシネマトグラフが普及していて,エジソンが最初に発明した1人しか覗けないキネトスコープっていうのはもう時代遅れで売れなくなってたんですね。なので日本という東洋の国に二束三文で売られたそうです。で,それが神戸で公開されたのが1896年の11月1日前後ということなので,そのエジソンの時代遅れの発明が,時代遅れになっちゃったんで安く叩き売られたので,日本に入ってきたおかげで,毎月1日に映画を1000円で観れるとこういう風な流れになってます。
 で日本に来たキネトスコープなんですけども,当たり前ですけど,日本でもあっという間に廃れるんですよ。だって1人しか覗けないわけですからね。で,スクリーン上映式のバイタスコープっていうのは大流行しました。で当時日本にあった芝居小屋っていうのは,大体月に1回か2回ぐらい特別上映として,このシネマスコープかバイタスコープのどっちかを上映してたっていう風に言います。 
■ 駒田好洋
で,ここでポイントはですね,ちょっと待てと。キネトスコープは流行遅れだから日本輸入されたんだけども,日本全国で大体月に1回ぐらい芝居がやってるって言っても,そんなに映写機があったのか?っていう問題と,そもそもどんな作品を上映したのか?っていう問題があると思うんですね。で,まずは映写機問題です。高いんですよ。本当に高いんですけども,ドイツかとかアメリカから輸入してました。で買ったのは興行師ですね。映画を売り込む人が買うんですよね。で,彼らは映写機を買って,フィルム作品を買って,同時に説明士っていうのになったんですね。説明士って何か?っていうの,ちょっと言い方は難しいんですけども,これ見てください。 この右上に「自称東洋のエジソン,頗る非常に駒田好洋」って書いてありますね。この駒田公洋っていう人,実は19歳なんですね。19歳のチンドン屋さんの店員さんなんですよ。昔懐かしいチンドン屋さんというのがいますよね…っていうか,もう見たことない人も,大体どんな方知ってると思うんですけど,そういう会社の店員さんだったんですね。その人が「エジソンのバイタスコープ,ちょっとこれ,俺がやります」って言って,最初はそのチンドン屋さんの中に事業部みたいなものを作ってそれをやるっていう風に言って,最終的に自分がそれを買い取って,日本全国で興行するとこまで行ったんですけども,そのバイタスコープの映写機とフィルムを持って楽団15人を連れて日本中を廻る,そういうなことをやったんですよ。で,おそらくこの映写機の電気で回すようなクランクを手で回すわけなんですけど,このクランク操作と説明を駒田好洋は自分でやるわけですね。クランク操作自分でやってると同じシーン何回も見せれるんですよ。で,スピードアップもスピードダウンも思いのままだから,自分が説明しやすいところはゆっくりと回して「はい,ここが聞くところですよ」っていう風に言って,「ここら辺ちょっとよく俺もよくわかんないよ」って早回しで客を笑わせるとか,いろんな手札を使って見せたわけですよね。でそういう公式の記録に残ってる,電気の本当にない北海道の最果てまで公洋は来た。ですから,炭治郎の村って,さっきのあの電信柱の話思い出してください。電気あるんですよ。電気のない村にまで行った好洋が電気がある街に来てないわけがないんですよね。でおまけに駒田好洋以外にも興行師っていうのは山のようにいたんですね。 いっぱいいて,で,そいつらが日本中ぐるぐる回ってたんですよね。
で,上映作品は,まず1番の売りになったのがこの『かっぽれ』ってのと,あとこの右上の方にある『三井呉服店』っていうのがあるんですけど,これが割と呼び水になったと言いますね。あと『頗る非常なる栄会』って,この3つですね,当時の日本の風俗とか風景ですね。で,1番下にある『芸者の手踊り』っていうのがあるんですけど,これなんか日本初の商業映画っていいます。駒田好洋自身が金出してカメラ買って,多分本当に22歳ぐらいなんですけど,金出してカメラ買って自分で撮影して日本初の商業映画撮っちゃったんですけど。でところが,そういう風に客を呼ぶのはこのかっぽれ踊りとか日本橋のご服屋だったんですけども,実際に見せてみると人気が爆発してるのが海外の風景なんですね。当時日露戦争に勝った日本の大衆っていうのは,外国の情報,外国の映像に関して頗る非常な興味を持っていたという風に伝えられています。 
…という訳で無料パートはここまでです。とにかく俺思うんだけども,明治時代のユタボンだよ。実行力があるユタボンでさ,15歳ぐらいで家出してるすごい変なヤツで,言ってることの1/3ぐらいが嘘って,ここら辺も何かユタボン臭がして(笑) じゃあ後半行こう。 今日のメインテキスト『頗(すこぶ)る非常! 怪人活弁士駒田好洋の巡業奇聞』『怪盗ジゴマと活動写真の時代』ですけども,ここに「怪人活弁士」ってあります。活弁っていうのは活動映画の弁士の事。無声映画の時代,映画に声も音もついてなかった時代に,映画のセリフとか音を喋る人の事を「活弁士」って言ったんですけど,当時彼らは自称「説明者」って言ってます。活弁士っていうのは,何かちょっと身分が下っぽく見られて嫌がられたんですよね。
で例えば映画『Shall We Dance?』の監督をした周防監督が2019年に作った『活弁』って映画があるんですよ。 で,その中で,田舎の村に活弁士が映画と一緒にやってきます。一座を引き連れてやってくる描写があります。 で,映画で『怪猫』という無声映画のシーンが出てきます。明治の化け猫の特撮映画なんですよ。 でスクリーンの左の方に,ちょっと暗くてよく分かりにくいんですけども声色弁士がいます。声色弁士っていうのは,それぞれの担当の役を2〜5人がかりで1本の映画の台詞を分けて話す,本当に声優ですね。でこの『怪猫』はチャンバラ劇なんですよ。いわゆる明治時代なんですけども,その時代にはないチャンバラ時代劇っていうのをやる時は声色弁士を使うんですね。 
しかし当時人気作だった海外映画はスター弁士が1人やってるんですね。これは人気のスター弁士が出てくるシーンなんですけど,フロックコートを着て完全な洋服を着て,銀幕の前に立ってるんです。何故銀幕っていうのかっていうと,スクリーンは白いシーツなんですけども,映写前に,助手がスクリーンに樽で水をパッと綺麗にぶっかける。そうすることによって,白いシーツ自体はただの白い布なんですけども,キラキラと光ってまるで銀のように見えたって事から,「銀幕」っていう風に今でも言います。別に当時の映写スクリーンの成分に銀が入ってたとか,そういうことじゃなくて,ただ単に上映前にバケツでスクリーンに水を綺麗にパーっとぶっかけると,それに光が当たってキラっと光って見えたから銀膜っていう風に言ったそうです。で,その銀幕の前でフロックコートを来たおしゃれな弁士が一人で喋るわけですね。で,当時は海外からフィルムと同時に台本も取り寄せたんですけど,台本に書いてある台詞だけでは内容伝わらないですよ。
当時の明治37年ぐらいにヒットしたのが,ローマ時代の戦争映画の『アントニーとクレオパトラ』ですね。 『アントニーとクレオパトラ』って明治の終わりに,それぞれイタリアとアメリカで映画化されてるんですけども,もうそんなの観てもわかるはずないんですよ。これ公開当時の浅草の様子です。浅草電気館で『アントニーとクレオパトラ』って書いてあって,なんかローマっぽい絵が描いてあって,ものすごい人が集まってるんですけども,こんなに人が観ようと集まった。しかもこの映画尺が58分。長い。当時の映画としたら破格の長さ。当時のフィルムって1巻ごと,ワンリールごとで10分ぐらいなんですよね。短いので7分,長いので13分ぐらいしかない。なので,その10分ごとにリール入れ替えなきゃいけないんですよ。 その時に次の上映のこともあるから,1回リール抜いて,予備のリールに全部前のやつを巻き取って,頭とお尻をもう一回逆にして,次のリール入れてやるから,最低でも5分,長ければ10分ぐらい時間がかかるんです。かなり時間費やされるんですよ。でそれでも大ヒットして,ここに新聞記事が載っています。でこの交代時間…リールを交代する時に,説明士…活弁士って後に言われた言葉で,彼らは自分たちのことを「説明士」とか「説明者」って言ってたんですけど,説明士が,このリール交換の時に,これまでのまとめ話してくれるんです。10分ぐらいの訳のわからない海外の無声映画を観て,生演奏があるから音楽だけはついてるんですけど,で,それが終わると,ここまでもまとめての話してくれて,この先の展開も大体ざっと話してくれるんです。「アントニーの運命やいかに…」とか。あと当時の時代背景も説明してくれるんですね。「当時,エジプトはローマ帝国の支配にあって,女王クレオパトラはそこで捕虜になって,一回ローマに連れてかれたんだけども,絨毯の中に隠れて,アントニーが出てきて,そこでラブラブになっちゃうんだよ…」っていうのが説明される。これシェイクスピアが戯曲で書いて,ヨーロッパアメリカでは,そのシェイクスピアをエリート層は教養として読んでるし,舞台も観てる。『アントニーとクレオパトラ』って,当時の日本人にとっての『忠臣蔵』の討ち入りものとか,現在の日本人にとっては『ちびまる子ちゃん』や『ドラえもん』の基本設定みたいなもんですね。知ってて当たり前のもんなんですね。だから海外では映画として成立するんですけども,東洋の果ての日本では,誰もシェイクスピアとか読んでる人は禄にいないんですよ。だから,本当はこんな大衆の街浅草に人々が詰めかけたところで,絶対ヒットするはずがないんですよね。 なので,ヨーロッパとかアメリカでは,この『アントニーとクレオパトラ』が作られて上映されて58分の映画やった時は,説明士いなかった。あの,ちょっと言っとかなきゃいけないのは,説明士活弁士って日本特有の文化だった。当時,日本の影響化にあった,当時の日本の植民地だった韓国とか台湾とか,一部の東南アジアの国では,映画上映された時に日本と同じように活弁士が出てきて「…どうなるでしょうか?」ってやったんですけども,日本以外の国では,映画上映で誰かが出てきてストーリーを説明するとか全くないんですよ。 日本だけなんです。映画誕生当時は,最初は活弁士あったんですよね。 エジソンのキネトスコープにしても,フランスのリュミエール兄弟にしても。なんせ,フランスにリュミエール兄弟がやってる映画なんて,工場の出口から女の人が仕事が終わって出てくるというのを撮っただけの映画なんですよ。5分もないわけですよ。 それを金取って観せるわけだから,持たないんですよ。 5分だから尺がないので,どの国も日本もそうなんですけど,まず口上というのやるんです。 「さて,ここに取りい出したるは,かのエジソン翁が発明してましたる,頗る非常な世紀の大発明でありまして,モーション・ピクチャア,日本語で活動写真と申し上げます…」みたいなことを30分喋べる。30分喋ってみんなが「早く観せろ」ってなって,「フランスの工場から婦人たちが…」って,これもう世界中でそうだったんですよ。 なのでその黎明期はトークというのがついてて当たり前だった。当時のエジソン社が作ったフィルムってのも,エジソン社の庭に水を撒くというだけのフィルム。 一応ギャグが入ってて,水を撒いてると,途中のホースを子供が踏んでで,水撒いてる人が「あれ?水出なくなった」と言って顔向けた瞬間に,子供がホースから足を外して顔にバシャってかかって,ここで一笑いが起こる。これも本当に数分しかないフィルムなんですけど,これを公開するのにやっぱり,「これは何なんだろう? 」ってなるから「これははホースといって,管から水が…」って言わないと観客はまあまあよくわかんないわけですね。 なので,映画の説明者っていうのは最初は世界中にいたんです。尺を繋ぐ問題もあるし,内容を説明する必要があったんですけども,フィルムがどんどんどんどん長くなっていくんですね。そして映画の中に字幕が入るようになって,ストーリーが語られるようになると,説明者解説者というのはいなくなった。 日本以外では。ところが日本だけは唯一残ったんですね。 
日本で活弁士が残った理由は何かっていうと,地方巡業が多かったっていうことが一因じゃないか。この本にはあんま書いてないですよ。何故日本だけ活弁士が残ったのかっていう,その明確な理由って,それぞれの説あるんですけど,書いてないんですけども。日本では,最初見せた,いろんなフィルムをまとめた1枚のポスターありましたけど,あんな風にいっぱいいろんなものを見せなきゃいけなかったんで,中継ぎで説明をいっぱいする必要があったと。だから,まず日本では真ん中の説明が盛んだったんですね。で,これを真ん中の説明「中説(なかせつ)」っていう風に当時から言われるようになりました。映画と映画の間で「このフィルムはこのようです,さて,次はこんなフィルムなんですよ」っていうのを説明することを「中説」って言うんです。で,それに対して, 映画の前に「さてここに取りい出したる,映写機というものをご存知でしょうか?電気の力で動きます…」という,映画の前にする前説明,これが略して「前説(まえせつ)」と呼ばれる。今僕らが,お笑いの現場とかテレビとか,そういう所でよく聞く「前説やらせてもらってました」とかよく言うじゃないですか?僕もよく言いますよね。1番最初に生放送が始まる時にですけど,前説っていう風に言うんですよ。前説っていう言葉ですね。このルーツは,実はこの活動映画からですね。ところがこの『アントニーとクレオパトラ』みたいな40〜50分尺の映画作品になると,活弁士というのが一切姿が消す。で何故日本だけ活弁士が残ったのか?とか,一応,この本の中身をまとめた説明後でやります。
で,さっきも話した通り『アントニーとクレオパトラ』は58分あって,でも欧米で当たり前のですね。ローマ帝国,エジプト,海上の戦闘とか,そういう常識が日本人は全くありません。で,一応映画の途中とか合間とかに,活弁士が思いっきり説明しないともう本当に話がチンプンカンプンなんですね。 なので,日本は映画といえば,活動写真といえばスクリーンの横で弁士が付きっきりでずっと喋ってるのが当たり前だったんです。で,弁士によってセリフが違うんですよ。これも当たり前ですね。正確なセリフの台本が来るわけじゃないから,みんな想像で喋るんです。で「お茶の子さいさい…」「任せろ合点だァ…」とか,日本語の符丁もガンガンガンガン入れる。だから弁士によって面白さが違うんですよ。 同じ『アントニーとクレオパトラ』でも,この人がやると世紀の悲恋の物語,ところがこっちの人がやると大爆笑の喜劇にしてしまう。当時の世相をテーマにパロディとかをやった,今でいう爆笑問題がやってるような世相漫談みたいなものにしてやってしまう弁士もいたそうです。当時の日本の首相とか,陸軍の大臣とか,或いはなんか笑い話があったらそれを巧みに話の中に盛り込んでやるということもやってたそうです。で,それが理由で映画よりも弁士の方が人気があった,そういう時代だったんですね。
で,その時代に, 明治から大正にかけて日本一と言われたのがこの駒田好洋ですね。1877年(明治10年)7月1日生まれですから,僕と同じ誕生日です。 やっぱりペラペラ喋るヤツっていうのは同じ運命の星ですね(笑) 明石家さんま,駒田好洋,岡田斗司夫,全部7月1日生まれで,全部言ってることは半分言い加減で全部ペラペラ喋るっていうヤツですね(笑)  ウィキペディアによると,映画の興行するばかりではなく,日本初の商業公開用の映画を制作し,さらに日本初の劇映画も作ったということで知られているそうです。そこそこ新しいフロンティアを切り開いたんだけど,それで大儲けしたわけではないというところもそっくりですよね。生まれたのは大阪です。で実家は呉服屋なんですけども,15歳で家出して,そのままアメリカへ行く。神戸の舶に乗って密航で行ってしまいます。で2ヶ月間アメリカ放浪したんですけども,まあまあ仕事もなくて,貧乏で浮浪者になってたのを警察に捕まっちゃって,日本へ強制送還されました。はっきり言えばこの家出は大失敗だったんですよ。ところが日本に帰ってきた好洋は,「アメリカでもうほとんど乞食やってましたとか,ホームレスやってました」っていうのを「アメリカでエジソンの弟子になった」って嘘を言う。嘘っていうか,これ駒田好洋の自伝って本当にわかんないそうなんですよ。ていうのは,本人自身が乗って書いて,面白いようにどんどんどんどん盛って話すから,ある人は「ほとんど嘘だ」と言うんですけど,ところがとことん調べてみると割と本当だったっていう。ここら辺もなんか俺親近感覚えるなーって思うんですけどもですね。 
で,「エジソンの弟子だ」と言ってるのは,これは100%嘘だと思います。で,日本に強制送還された後,次は実家の呉服屋に帰らずに東京に逃げるわけですね。で,東京に逃げたら,まあまあそういう大阪での悪い評判伝わってないので,「神戸からアメリカに行って,エジソンの弟子になった」っていうホラ吹いて,そのプレゼン能力が買われて,東京一のチンドン屋さんの会社「ひろめ屋」っていう,話を広める,宣伝を広めるから「ひろめ屋」っていうところに店員として入店しました。でさっきも話したように,この時代,駒田好洋が始めた映画興行のポスター。無料の最後も見せたこのポスターですね。元々チンドン屋さんなんで,こういう風に自分たちのことをものすごいように書いて盛り上げて,で街へ入る時も普通に入るんではなくて,街の少し前でトラックを降りて,パレードしながら街に入ったそうです。で,自分から「天上天下唯我独尊」っていう風に言っちゃったんですね。 日本での活動ですね,「元祖・頗(すこぶ)る非常に大博士」って言います。で,駒田もやっぱり活弁士という風に言われるのを嫌って,自分のことを「映画の教育者」「フィルム教育者」という風に名乗ってました。 
駒田が優秀だったのは何かっていうと,やっぱチンドン屋さんのちょっと大きくなった広告代理店ぽくなるんですけど,「ひろめ屋」の一部門だった映画興行部門を,その得意の大ボラと名調子でどんどん大きくしたことだと思うんですよね。 で,活動写真が流行る前,普及される前にして,すでに日本では実はスライドによる上映店が流行ってます。スライドで上映で日露戦争の戦争写真とか,あとは日本の様子みたいなものをスライド写真を投影してお客さんにトークするのはすごい流行ってたんです。で,この駒田は,この語りが頗る非常に大得意で,芝居小屋を次々と活動写真の専門館,あるいは併用館に変えた。つまり,普通の芝居小屋より暗くしなきゃいけない。芝居小屋なら,普通の芝居もやって役者の顔が見えるように明るく作る。明りもいっぱい灯けて,そんなにドアも閉め切らない。 それを完全に締め切れるようにして,前にデカい幕を置いて,何より大事なのが映写機から割とでかいノイズがあるので,映写機を入れるブースみたいなのを作る。トイレみたいな小部屋を映画館の後ろの割と真ん中に置かなきゃいけないんですね。そういう風なものを作らせる。で,これは芝居小屋とかが嫌がることもあったんですけども,とにかく映画やったら,活動写真やったら客が入るもんで,駒田のプレゼンの上手さもあって,日本中の芝居小屋がどんどんどんどん少なくとも映画も上映できるようになっていった。もう早めに映画館に切り替えちゃった芝居小屋も多かったんですけどね。 
■ 東京市の人口の5倍の観客が押し寄せる
で駒田の活躍でどんな変化が起きたのか?ですね。 東京都の観劇者人数の推移のグラフでみると,明治40〜45年,この時期に映画だけでなく,お芝居舞台を観に行く人の数っていうのは340万人>>520万人>>730万人>>ってなってますけども,この時の明治40年前後の東京市の人口はたった250万人なんです。これ変でしょ?たった人口が250万人なのに何故お芝居に行ってるのが340万人もいるんだ?730万人もいるんだ?それだけ異常だったんですよ。それだけ当時,芝居とか映画が大ブームだったんですね。しかし本当にすごいのが,こっから先の伸び率なんです。明治45年が270万人って,これ戦争とかで一回ちょっと東京市の人口が減ったからなんですけども,大正になって,いきなり1200万人って,いきなり3倍に増えちゃうんですよ。で,この3倍に増えた理由が明らかに映画なんです。東京市の人口変わんないですよ。人口250万人のままで,活動写真の影響でその人口の5倍の人数が映画館に行くという事態になってるんですね。 で,これ何故かというと,明治天皇のお葬式映像があったからです。明治天皇のお葬式映像があって,で次の新しい大正天皇の映像とかスライドがあったので,みんな本当に「行かにゃいかん」って行ったんですよ。これを見なきゃいけないという風なことで,かつての東京オリンピックの比ではないですね。いわんや『鬼滅の刃』の比ではないです。とりあえずこれを観なければ日本人であるはずがないという風なぐらい盛り上がって,それでみんな映画館に詰めかけたわけですね。で,それ以上に…明治天皇のお葬式以上って言ったらもう失礼になるかわかんないですけど,それよりもヒットしちゃったのが,この大正元年の『怪盗ジゴマ』でした。『怪盗ジゴマ』,本当にこれメガヒットした。
で,東京都の人口はさっきも言ったように,ほとんど変化がないので,もう今で言うとコンビニ行くぐらいの頻度で,とにかくポケットに今の値段で言うと200円以上ある人は全員行ってたぐらい映画に行ってるんですよ。で,このさっきも話した,東京市の人口の5倍行ってる,3倍に増えた映画人口,劇場人口って,まるまる映画の観客層なんですよね。で,東京に住んでる人は大体,大人も子供も,家庭の主婦も老人も,みんな週に1回か少なくとも月に2回,映画に行ったって言われてます。で,この辺りは江戸川乱歩なんかの小説を読んでみると,どんなに当時の人が映画に当たり前のように行ってたのか,芝居を観なくなって,映画に当たり前に行くようになったのかっていうのを書いてあります。で,その行った人のほとんどが,駒田好洋を始めとして,映画よりも活弁士で観るものを選んでいた,そういう時代でありました。 
■ 活弁のルーツを辿る
何があったんだろう?って本当僕も思いますよね。で,後で紹介しますけど,じゃあその『怪盗ジゴマ』って面白いのか? 今もYouTubeで観れるんですけども別に面白くないんですよ。 ただ何故それに皆そんなハマったのか?っていうのが,今日の話なんですけどもですね。「今でいうカリスマYouTuberみたいな感じ?」…そうですね。 もう本当に登録人数500万人超えのYouTuberを10人集めたぐらいの知名度とヒットと,あと皆の陶酔度,本当にその人の話を聞きたくて聞いたことだと思ってください。それが結構頻繁にどの村にも来るんです。駒田好洋が去ると次は誰それが来る…ってことで,毎週のように新しいその活弁士が自分のチームを率いて自分の村に来るんですね。大体何人かの楽団を率いて来る。で,前半の時代劇の古い映画,忍者映画とかそういうやつでは声色活弁士を使って話をしたりしてるんです。でも後半の,ちょっと高級なアメリカ映画,ヨーロッパ映画,イタリアやフランスの映画とかだと,フロックコート着た超かっこいい活弁士がやる。それを聞いてそれが去ると,また,次の週には新しい活弁士が観たことないフィルムを持っていく…そういう風な時代だったんですね。 
じゃあ何故その日本人はその映画,海外のようにフィルムそのものを観るんではなくて,活弁士で観るっていう方法を選んだのか?ですね。これは今,僕らが現にYouTubeでどんな動画を観てるのか?っていうアナロジーで考えると分かりやすいと思います。大体みんなYouTubeでどんな動画観るかって言うと,ニュースですよね。あとまとめですよね。これどうなってんだ?っていうまとめとか,あと切り取りですよ。まァひろゆきとかそういうのがどんなこと言ったって切り取り。ここら辺観るんですけども,これ要するに,それはもう僕ら皆同じで,「面白いかどうかわかんないことに無駄な時間を使いたくないから」なんですよ。つまり時間的なコスパをよくするために,まずはまとめとかを観ると。テレビでニュースを観るんではなくて,その「観たい部分のニュースだけをタイトルつけて,YouTubeで公開してくれたらニュース観るわ」っていうやつですよね。で,これ現代人気質じゃないんですよ。江戸時代からの当たり前なんですよね。「江戸ッ子は気が早い」って言ってるんですけども,日本人ってその江戸の頃から気が短くて,YouTubeのまとめとか観るのは別に現代人だからではなくて,それはもう江戸で本当に僕ら日本人として当たり前なんですよね。落語ってあるじゃないですか。あれ,僕,落語家になろうと思ったことが20年ぐらい前にあって,その時に落語家の起源調べたんですよ。で,よく本に載ってるのは「落語の起源っていうのは,豊臣秀吉が持っていた御伽衆(おとぎしゅう)っていうのがいて,その御伽衆が色々な面白い諸国の話をしてくれて,その中に曽呂利新左衛門(そろりしんざえもん)という,実はそれは忍者の一派で諜報活動みたいなのをしていて…」って載ってるんですけども,実際に実は落語の起源っていうのは何か?っていうと,芝居の幕間にショートカットするの役割だったそうですね。当時,江戸時代半ばぐらいから,お芝居のストーリーがどんどんどんどん長くなっていった。で一つの話を連続で観せようとしたら3時間以上超えるのが当たり前だったんですね。で,当時その琵琶法師とかが三国志とか語るわけですよ。 語るんですけども,もう三国志を語り始めて2週間か3週間経つ頃に,ビラをいきなり出して「今夜より諸葛孔明登場」って書くんですよね。そこまで諸葛孔明出てこない。つまり,その1人の演者がガーっと話して,お芝居の内容っていうのは話しても,話し終えるのに3週間とか4週間ぐらい語るような,それぐらいの分量。話の蓄積がすごく多くなってきた。なので,芝居に行くっても一日仕事になっちゃうんですよ。お芝居の幕の内弁当っていうのを幕間に食べるというのは当たり前で,朝から行って,下手したら暗くなるまでずっと観てるのがお芝居だったんですよ。で,こうなると観る方も疲れるし,大変になってきますよね。 でやる方もとりあえず予算もかかるし,疲れて1日に1回しかできないから大変だということで,面白い部分はやりますと。だし人気がないんだけど,必要な部分どうしようかってことですね。そこで説明士が生まれるんですね。これが後の落語家で,そのAパートやったら次Bパートやるんですよ。 で,BパートとCパートは口でペラペラしゃべるんですね。 でこれが,その舞台の真ん中に座布団を敷いて,話して,で,一応お芝居話すもんだから,右左話分けをやって,お芝居みたいなものをやるっていうのが,これが落語家の始まりだっていうのを,僕20年ぐらい前に調べてそうだったのかってすごい!びっくりしたんですけども。 
だから噺家が生まれるのは,日本人が話のうまい人の語りを聞くっていうのがもう大昔からあったからなんですね。なので,これ分かりやすいのは,日本人のYouTuberっていうのは語りで観せる人結構多いんですよ。でも海外のYouTuber観たら,実演主義なんですね。つまり何かやってみせて,その合間に話をするっていうのは,海外のYouTuberの特徴なんですけど,日本のYouTuberって,割とカメラ目線でずっと話してっていう人が結構いるじゃないですか?あれって日本人のYouTuberの特徴なんですよ。海外のYouTuberって観せて話すんですよ。観せながら実演しながら。ところが日本人のYouTuberにももちろん実演系はいるんですけども,でもそれより多いのが,話すだけっていう人。話すだけを退屈せずに聞いちゃう。 それが日本人の観客層の特徴なんですよね。 
「絵解き」っていうのがあるんですね。 「絵解き」っていうのは鎌倉時代よりもっと前の平安時代中期ぐらいからあったそうなんですけども,説話画っていうのを見せながら僧侶が説明するのを「絵解き」って言うんですけども,説話画って分かりますか?仏教のありがたい絵のことですね。地獄とか描いてる場合もありますし,お釈迦様の誕生の話もあります。「お釈迦様が悟りを得た時にこんな事件がありました」みたいの,あるじゃないですか。そういうありがたい説話を,巨大な絵を見せて,偉い徳のあるお坊さんがそれについて庶民に話をするっていう,これを「絵解き」という風に言ったんですけども。 この時代は極楽浄土とか地獄とかいう,本当に仏教的な話だったんですよね。しかし鎌倉時代ぐらいになってくると,もう偉いお坊さんである必要ないんです。それよりはトークがうまいヤツがいいんですよ。なので,お坊さんのコスプレをしただけの大道芸人がやるようになったんですね。 さらに室町時代になると,もうもはやコスプレもしなくなったんですよ。ただ単にちょっと派手な格好した婆娑羅な歌舞伎な格好した元気のいい若者が,ハイテンションで喋るっていう,本当にYouTuberみたいになったんですよ。もう室町時代になると,話す内容ももう絵解きじゃなくなったんですよ。絵は使うんですけど,仏教のあり方のお話しじゃなくて,有名人の話をするようになった。例えばその楠木忠重の生涯をイラスト化したものを持ってって「泣けるねっていう風に話したり,「オイオイオイ…赤穂浪士が討ち入りしたって言うじゃないか,あれ,実はこんな話があってな…」っていうようなニュースの裏話みたいな。本当にYouTuberと同じような事を,その一応ボードを使って説明しながら話すっていう。で,あと「絵解き比丘尼(びくに)」っていうのが室町に現れた。「比丘尼」って女性の尼さんのことですね。女性の尼さんのことなんですけども,ちょっとエロい絵解きをやってるんですよ。極楽の図に裸が描いてあったり,地獄の図に裸が描いてあるんですね。 そのちょっとエロいヤツを「ああ,そんな無体なことを…」「エイ!まだ吐かぬか!そうなればこうやってキリキリ攻めてやる」「はあァ…」みたいなことをエロ声で言って,で絵解きが終わったらそのまま売春するっていう,すげえ職業があったんですけど,こういう文化が,日本には江戸時代の前からあったんですよね。
で,こんな感じで,江戸時代は完全に僧侶による元々の説話画っていう文化が衰退して,それと分離して,本当に面白い事件,みんなが関心を持ってる出来事を絵にして,それを前にして声色を使って話してっていう,ほとんどアニメとかYouTuberに近いような芸能として,日本では完成してた。これもやっぱ他の国にはないんですよ。この日本という国の特殊なところって,どの辺がよくわかんないですけど,こういうのがどんどんどんどん進化していくんですよね。で,絵解きのポイントというのは,もう絵というのはもう途中からどんどんどうでも良くなってるんです。「解き」なんですよ。つまり説明なんですよ。説明がポイント。でこれをその戦後,日本の娯楽がない時代に復活させたのが「紙芝居」。紙芝居というのは,実は室町時代の絵解きにすごい近い。大体あれぐらいのサイズの絵を見せて,ゆっくりと話しながらチラチラ見せながら「続き観たい人はアメ買っておくれ」っていう,あれは,その語り部として室町時代の絵解きっていうものを復活させたというポジションになってます。 すなわち落語とか講談っていう話芸の大元っていうのは絵解きだったんですね。
しかし,江戸中期になると絵解きより芝居が増えてくる。古臭い絵よりも豪華な舞台で観たい。舞台でイケメンや美女が演じるのを観たい,それで芝居が人気になって,絵解きは廃れていく。ところが芝居は,話が長くなって,登場人物も増えていく。で江戸ッ子は気が早いから,舞台に30人上がったら35人上げないと満足しない。そうやって芝居の規模が増えて,しかも人気役者が引き抜かれたり死んじゃう事もある。それどころか,人気役者が下手すると,ただ単に年をとっただけで人気が落ちてくわけですね。だから,本当に安定的な収入限ではないんですよね。そんな中生まれたのが人形浄瑠璃と写し絵です。 人形浄瑠璃って関西のルーツなんすけど,何が面白かったって,操り人形なんですよ。で,操り人形にハードな恋愛話とか恨み節をさせるんですよ。つまりお芝居では割とスタンダードな「このままでは…いっそ一緒に死のうか」みたいなものをお芝居でやるんですよ。ところが人形浄瑠璃では「一緒に死のうか…」と言って,実は男は死にたくなかったので,女をこっそり殺すと,赤く変わった女の人形が「この恨み…」みたいなドロドロの話になるんですよね。 つまり江戸時代の『まどか☆マギカ』や『ひぐらしの鳴く頃に』だと思ってください。 「萌えキャラだからドロドロが面白い」,これが人形浄瑠璃のポイントだと思っておけば,古典芸能をちょっと面白く観れると思うんですけど。萌えキャラにきつい話をさせるのがすごい流行ったわけですね。 
写し絵っていうのは,この人形浄瑠璃よりさらにコストを下げるわけですよ。 コストを下げて,もっと見せ物として楽しくしようとした。人形浄瑠璃の方は,人形だから手間はかかるというのもあるし,操作も大変なんですけども,どんどんどんどんお話がドロドロになっていってちょっと楽しく見るような話じゃないんで,もっとドラえもんとかポケモンみたいな楽しい話にできないの?っていうことですね。江戸末期に登場したのが写し絵ですね。 これは歌川広重が描くいた『流行浮世写絵』っていう版画じゃなくて肉筆で描いた絵画ですね。 プリントですけども1867年,江戸の末期に描きました,この時代の流行を書いたやつなんですけども,観客が観てるのは,イラストじゃないんですよ。世界初のアニメーションなんですね。 写し絵の原理って,観客がいたら間にスクリーンがあって,裏側に箱を持った人がいっぱい立ってるんです。で,スクリーンに要素は写ってません。 ダルマとか花とか,1つ1つごとに実はスライド映写機があって裏から投影してるんですよ。これが世界初のアニメーションなんですけど,おまけにこのスライドの機械見ると,カシャカシャと切り替わるようになって,つまり絵を動かすことができたんです。で明りは油です。映写器の中にロウソクとか油が入っていて,それをレンズで拡大する。大体,江戸時代中期ぐらいに西洋から渡ってきたギアマン,ガラスを磨いて作ったレンズです。当時日本でもガラスは作れた。 それを使ってこういう風なものをやってた。で,これってスクリーンの裏側からスライドを映して,キャラごとに違うプロジェクターを手持ちで動かしてアニメーションを作ったわけです。きっかけは,さっき話したオランダから入ってきた新しい素材ギアマンガラスですね。で,江戸の地域には,このギアマン製の風輪とかコップもあったという風に言われてまして,かなり一般的だった。ギアマンを使ったスライド自体を発明したのは2世紀の中国です。 それが17世紀ぐらいになって,ヨーロッパでスライドショーが大流行したんですよ。 で,ただこれ日本では,このヨーロッパで流行ったスライドを,小回りのできる携帯プロジェクター「風呂」,お風呂と同じ風呂っていう字ですが,風呂に進化させました。 風呂と種板は,今の時代に復元されたんですけど,風呂と言われる,光源が入った,明りが入った箱に,レンズが何枚かついていて拡大できます。 で,この種板と言われるガラスの板が入ってます。この種板ってよく中見るとこのだるまが上下逆さに投影されるから逆さになるんですけど,上下逆さのだるまの,ちょっとずつ違う絵がガラスの上に直に描いてあるんですね。これを切り替えることで,まるで動いてるように見せるわけです。中にはこの種板の端の部分がリング状にくり抜かれてて,そこに円盤型の種板と周りの縁が埋め込まれて,糸が張って,でこの糸を引っ張ると種板がくるくるっと回転する。つまり中に入っている人物キャラクターがトンボ返りをしているように見える。そういう種板もあったんですよ。 本当にもうアニメーションなんですね。 で,さっきのあの最初に見せたやつに戻りますけども,舞台上にまず巨大な和紙が貼ってあるんです。巨大な和紙に水をかけて透明度を上げます。 で,観客と和紙との間に簡単なセットを組んでる。もうミニチュア特撮の原理ですね。舐め物としてのセットが組んであって,この間で煙を炊いたりして雰囲気を出す。でこれ,1969年の少年マガジンで大友庄司さんが解説した機構なんですけども,まず岸辺の風景だけを映すのに風呂が1台。これ,固定式です。 川の水を移すのに移動式の風呂が2台用意してあります。で,この船を写す専門の風呂ですね,で,船の上に乗ってる船頭さんを動かしたり,映すのにまた風呂1台で…
で,この写し絵っていうのは,実は20世紀の半ばぐらいまで,欧米には伝わってなかったんですね。なので,今現在映画の歴史が,実はヨーロッパの世界でも書き変わってて。エジソンとかフランスのルミエール兄弟より先に,日本で本当に大衆向けに公開された興行としての世界初のワイドスクリーン映画であって,世界初のアニメーションであると。 そういう風に研究が進んでる。まだヨーロッパのウィキペディアでどうなってるのか僕知らないんですけども,徐々に徐々に写し絵って言葉が出てきてるそうです。
で日本人ってその渡来した鉄砲を,オランダとかポルトガルから渡ってきた鉄砲を異常に進化させたんですけど,同じようにスライド映写機とかスライドフィルム自体,ガラス板自体を徹底的に改良進化させたわけですね。
で,こういう写し絵なんですけど,やっぱり弱点はセリフがないんですよ。 で説明士が要る。一説によると,吉原の口上師ですね。「ここの界隈はここここだよ」「お兄さんお金がこれぐらいしかないか,だったらここのお店がおすすめだよ,みんな性格良くて器量良し,嗅いでから匂いなんて,本当にすっと鼻から入ってきて…」みたいなことをいう口上師って,吉原にはその口上を言うだけの口上師っていたんですけど,そういうのを引き抜いて,この写し絵の説明士として使ったそうですね。これ江戸末期なんですけど,で,江戸が終わって明治が始まる頃,芝居小屋ではお芝居以外のいろんな見せ物をやる総合エンタメ施設になってたんですよ。 そして進化するしかなかった。っていうのは,さっきも話したように,お芝居は本当にコストも手間もかかるんですね。なので,怪しげな見世物をやったり,落語やったり,歌歌うだけの歌謡みたいなものをやったり,踊りやったり,ひどいところは,服はだんだん脱いでいく,ストリップの原型みたいなことをやったり,あと,パノラマを見せる,いわゆる海外の風景とか,そういう風なものをミニチュアでジオラマも作ってそれを覗かせるパノラマっていうのも流行ったそうです。で,それぞれに口上師が必要なんですね。説明が必要なんです。 で,それで面白さとか見所っていうのをみんなに説明するわけですね。 で,今例えばセブンイレブンで新製品のお菓子とかサンドイッチが出ると,YouTuberが安いだの,おいしいだの,スカスカだとか詐欺だとか騒ぐじゃないですか?なんかああいう紹介があるのと全く同じで,そのYouTube文化って僕ら思ってるものは,実はその江戸時代から明治時代に渡るメディアの進化っていうのをきっちりなぞってるんです。全く同じような進化を遂げてるところが面白いと思います。
■都市型ホラー『怪盗ジゴマ』
話戻って,そんな時代に輸入された最新の見物が,シネマスコープとシネマグラフなわけですね。で,これも説明士を必要としたんですけど,やっとここで話が繋がるんですけど,日本では,その平安時代の絵解きから始まる口上文化,説明士文化,語り部文化があるので,西洋では説明士が必要なくなった後も,日本ではずっとその方が面白いからという理由で活弁士は生き残ってたわけです。映画だけを観るよりは情報量として,横でずっと内容と関係ない話とか脚注みたいなものをどんどんどんどん話してくれる方が情報量として高い。それを処理する能力があるっていうことですね。日本人は映画というフィルム情報だけでなく,音楽って音楽情報だけでなく,さらに耳からストーリーとか雑学みたいなものをどんどん取り込んで,同時に楽しむっていうような文化を楽しんでいたんですね。独自の進化を遂げていた。 そのこそ大正の世を揺るがした『怪盗ジゴマ』なわけです。まァここまででもう1時間半喋ってるからここで終わりっていうのもできるんですけど,それではなんか『怪盗ジゴマ』をまだ話をしない方終わっちゃうんで,続けさせてください。 
さて,初期の活動写真では,説明士が不可欠だったわけですね。最初言ったように,エジソン社の庭撒きとか,リュミエール兄弟の,汽車がこっちへ向かって走ってくるというだけの映像見せたもんだから,これ何か?って,まず汽車というものの説明も必要だったわけなんですけども,興行がヒットするようになると,さっきも言った通り,次第に説明士,口上師目当てでお客様が来るようになった。 弁士にファンがつくようになって,追っかけみたいなことも行われるようになったと。で考えてみたら,お芝居っていうのは同じ演目を誰がやるのかで観たりするんですよ。歌舞伎もそうですよね。ストーリーがみんな知ってるんですよ。お話はみんな知ってるんですけども,その知ってる話を誰がやるのか,誰が演じるのか,誰が喋ってくれるのかっていうので観に行く。海外のシェイクスピア劇とかも同じですね。知っているものを演じる人がどのように解釈つけて演じるのかっていうのを観に行くわけなんですね。 だからある意味,言い換えればネタバレしてから観に行くっていう,リスク回避とあとコスパ上げてると全く同じ行為なわけです。もう定番で知ってるお話,誰がやっても面白いと決まってるものをどんな風にさらに面白くしてるのしてくれるのか?と観に行くわけですから。これはもうやっぱコスパを上げる行為になってんですよ。リスク回避とでコスパで駒田好洋はこの活弁士として大成功しました。で,その人気をさらに押し上げたのが『怪盗ジゴマ』です。
現存するフィルムに残っているシゴマですね。 悪そうな顔けども何がそんなにヒットしたのか? 舞台はパリです。謎の強盗や殺人事件が続発し,その現場には必ず「Z」の1文字が。私立探偵ポーランは,怪しい車を尾行すると偶然そこは見つかりそうになりながら,ちょっとドタバタあった後で彼らZ団は一斉に車で移動してパリの一流ホテルの宴会場で「我々の悪事は大成功した」っていうんでZ団のなんか大パーティーが始まるわけです。「Zの文字,それはジゴマのことだ」みたいな,もう分かりきったのがあって,ジゴマがいい調子でみんなにこういいこと言ったりして,悪そうな顔で笑ったりしてるっていうのをポーランが見てるという。 ポーランはパリ市警に連絡を取って,その宴会場に踏み込みました。 しかしその怪盗ジゴマは変装の名人であって,おまけに部下も全員変装の名人なんです。部下が階段降りてる最中に他のお客さんの後ろにすっとしゃがみ込んで,次のシーンで立ち上がると全員服が違うんですよね。これ僕YouTubeで観てちょっとおかしかったんですよ。コマ落としの簡単なトリックなんですけど,しゃがんでるともうみんな服が違う。そうするともうポーランも警官もわかんなくて「あ?Z団はどこ行った?ジゴマはどこ行った?」って逃しちゃうんですね。 で,ポーランは階段降りて降りて,ここにもいない。ここにもいないと降りてって階段の1番下まで行くと,Z団は上からグランドピアノをポーランの上に落とすんですね。むちゃくちゃなことをするわけですよ。で,ポーランはやられてしまった。 高笑いをする怪盗ジゴマ,ポーランはどうなってしまうんだろうかというところで前編終わりなんですけど,これで30分ぐらいあるのかな? 映画が終わるんですけども。第2部ではこのポーリンがですね‥ポーランとポーリンと2つ記載があるんです。で,今の大体研究ではポーランだそうなんですけど,ポーランはもう死にかけてですね。 上からグランドピアノ落とされたから死にかけて病の床にあるのを,私立探偵ニック・カーターが引き継ぐ。「もうこれからのことは心配なさらないでください,あなたの悔しい思いあなたのこの意思はきっとこの私立探偵ニック・カーターが引き継ぎます。 」みたいなこと言う。 本当にもうドイツ表現主義,考えてること全部体で表現しなきゃいけない。でニック・カーターはジゴマの敵を討つために潜入していってジゴマの彼女を味方につける。ジゴマは彼女がいるんですけど,それでそっから情報得て,ついにジゴマは倒されるのであった…って話になってるんですけども。さてジゴマっていうのが変装の名人で実は配下っていうのがいて,私立探偵の1人が追いかけていって…というところで敵に殺されてしまう。 その意思を受け取って,私立探偵ポーランが死んだ後,ニック・カーターが引き継いで,ついにはその部下ですね,ジゴマの彼女であったり,部下みたいなものをだんだん攻めることによって,ジゴマの正体を特定して,そしてジゴマをやっつける…って,この話で何かというと『デスノート』なんです。デスノートの元ネタなんですよね。このデッキ,僕どっかで見たことあるなと思ったら,そうか,それでLとか引き継ぎやってんの,これなのか? という風に思ったんですけども。
でジゴマの怖さ。電車の中でジゴマが強盗する話なんですけども,それまで紳士みたいだったジゴマが変装剥ぐと怪しい人間になって,拳銃を持ってて,でこの同じ列車の中にいる貴族たちからお金取り上げたり言うこと聞かないと銃で撃ったりするんですよ。でこれが怖いって言われた。何故怖いって,吸血鬼とかゾンビの怖さ。あなたの隣人もジゴマかもしれない。変装の怖さ。川戸炭治郎の時代にはない怖さ。村の人はみんな知ってる人で,家族はみんな知ってる人でっていう世界にない恐怖ですね。都会にのみ出てくるホラーの話なんですよね。電気で街が明るくなると,都会の恐ろしさの話が出るんですよ。実際にそのロンドンが怖くなったのはガス灯の光で夜も明るくなったロンドンの時代です。切り裂きジャックやシャーロック・ホームズの時代のロンドンなんですよね。切り裂きジャックとかジキルの都市型の犯罪者が出てきたのが,夜明るくなった街なんですよ。で,それは何故変装が恐ろしいのかっていうと,おそらく身分社会の崩壊と,来る市民社会全体に不安があるんだろうなというのをざっとわかるんですけども,その変装の名人っていう設定自体は,例えばモーリス・ル・ブランのルパン・シリーズですね。 ルパン・シリーズとかでアイデアはあったはあったんですけども『怪盗ジゴマ』はその変装の名人っていうのを映画化映像化することでルパンより有名になっちゃう。だから当時の日本人で教養人っていうのは,全員やっぱりジゴマの名前憶えてるんですね。 で,そういう都市の時代に,文明が開いた時代に怪人とか悪役のシンボルになりました…

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2025年4月3日木曜日

[ネタ][スポット] 絶滅メディア博物館(25.4.1)〜伊集院光『深夜の馬鹿力』






[ネタ][スポット] 絶滅メディア博物館(25.4.1)〜伊集院光『深夜の馬鹿力』
TBSラジオ・伊集院光『深夜の馬鹿力』
伊集院光『深夜の馬鹿力』〜30年振りに母親に会う
2025.4.1
■エイプリルフール
どうも! 芸能界きっての伝説の巨根・伊集院光です。いやいやエイプリルフールとかではないですよ(笑) 皆さん「エイプリルフールだから」ってみたいな顔してますけど,エイプリルフールとかではないです(笑) 俺のキャッチフレーズですけど,事実をキャッチフレーズとして言ったまでですけど。
もう日付が変わったんで,エイプリルフールものの,いろんなXとか出てくるけどさ,なんすかね…今時エイプリルフールとかやっているのが悪いとは言わない。悪いけど怒る人いるから。 けど僕のセンスと全く合わないです。あれ,何なの?エイプリルフールって?俺らの子供の頃は,エイプリルっていう言葉がそこまで定着してないから「4月バカ」っていう本当にバカっぽいネーミングで,「どうやら嘘をついてもいい日らしい」みたいなね。「昨日アメリカに行ってきた(嘘〜)」「なんてね! エイプリルフールだよ〜」なんつって。企業のエイプリルフールが,そのレベルと変わってないよ?俺の中では。みんなも今,例えば「#エイプリルフール」で,例えばXをちょっと検索してみると分かりますけど,どうしたいの?っていう。例えば銀のさらの公式アカウントが
「これから配達の寿司桶,銀製の寿司桶を使います(嘘〜)」(銀のさら) 
っていうのを出してきてんだけど,何? 何っていうか,皿でもなくない?「銀のさら」っていう話でもないじゃん。「銀の桶を使います」って言われて,俺らは「え?銀の桶使っ…ンだよ…エイプリルフールかよ…センスあるな〜おい! 頼んじゃおうかな」みたいな人いる? (笑) そういう人いる?いるのかどうかだけ訊きたいんだよね。 かんたん酢も出てきますね。
「かんたん酢を使った,髪の毛を金髪にするブリーチ剤が出ました(嘘〜)」(かんたん酢)
みたいな。「え!?かんたん酢から?そっか〜,エイプリルフールだからまんまと騙されちゃった(笑)」ってなる?(笑) もう意味が分かんなくて。ほっかほっか亭は
「ライス単品の販売やめました(嘘〜)」(ほっともっと)
みたいの出してんのね。 うん,そういうご時世じゃん?そういうご時世だから思うんだけど,公式に「#エイプリルフール」って入ってて。てかゴメン,「#エイプリルフール」って何? その感じ?っていう。 分かんないけど「さっき俺ウンコ食べたよ(嘘〜)」みたいな。何なの?これ?このエイプリルフールって? だからちょっと今年に関しては,俺も目をつぶるよ。 今年に関しては目をつぶるけど,今後はちゃんと,みんなこれから決めよう。来年からエイプリルフールで「お前何なの?」って思ったヤツには,俺いつもやるMy懲役っていう。自分が不便になるだけなんだけど,「こういう嫌なお店に関しては懲役2ヶ月だから2ヶ月行かない」っていう。でも美味しかったりはするから,行かないことは俺にとってのマイナスなんだけどみたいな。 その代わりエイプリルフールの超面白いヤツは倍買うっていう。もう速攻で倍買うみたいなのを決めてやらないと,もうダメなのがなくなんないじゃんて。あとよくわかんないのが,
「ドミノピザが世界中にジェット機を使って配達します(嘘〜)」(Domino Pizza)
っていうヤツ。なんかわかんないけどさ,俺はダジャレが嫌いじゃないけれども,なんか子供の頃,全然面白くないダジャレをすごい面白い感じで言ってくるオッサンとかすごいムカつかなかった?(笑) わかんないけど,こっちはもうどうすることもできないじゃん。 「ハハハ…ハァ…」ってなるだけじゃんか。この気持ちは絶対返してもらえないじゃんか? だけどエイプリルフールさインこれ多分こんなこと言ってるからさ。みんなこれ悪くはないけど,悪いこと言ったってしょうがないじゃん。「じゃちょっと見てみようかな」ってやっちゃうじゃん。 ハッシュタグで。まんまとこの感じじゃん。んで全員が「ハハハ…ハァ…」ってなってるわけじゃんか?多分これ企画したプランナーとかは「こんだけヒットしたから」つって褒められていくじゃん。絶対褒められていって,「これ良かった,企画料も出ますよ」って,そのキャンペーン使ってお金も出るじゃないですか?もう止まらないでしょ。これどっかでみんなが3月ぐらいに「我々はこうします」と。「今回エイプリルフールで滑った方に関しては,基本的に利用を少し控えます」と。で,さらには「今回エイプリルフール面白かった人に関しては俺もうバリバリそこを利用します」の意思表明をみんなでやっとかないと,なんかわかんないけど,一方的に「俺のユーモアが親戚中にウケた」つってお正月いい気持ちで帰ってくオッサンみたいなあの感じを毎年俺らは受けていくのか?っていう。 ただ問題はえっと俺のセンスが全てじゃないから,今超喜んでる人が「超〜面白ェよ」なんてつって「もう明日の朝会社で言ってやろう」なんてこれ見て言ってる人とかいるかもだから。「見て見て(嘘〜)エイプリルフールだよ〜(笑)」なんてつってね(笑) もう想像するだけでちょっとゾクゾクしますけどね。 まあ,毎年こんな思いをしていくんでしょうか? 
■ 謎のドライヤーの広告
何だろうな…この一方的に広告をぶつけられて,こっちはなんかどうすることもできない感情を,なんていう感じで言い表したらいいかわかんないんだけど。タクシーよく乗る人とそうじゃない人いるからよくわかんないけどさ。タクシーの広告が,乗った人の歳格好みたいのをAIがキャッチして,それで合う広告流すようにしてるみたいな時期もあったじゃん。で一時期日はそのセンサーを切ってくれみたいなボタンもついてて,今どうなってるのか知らないから,俺にばっか出んのかわかんないけど,高級ドライヤーのCMが繰り返し出んのよ。なんかちょっと派手なお姉ちゃんが「こんな高級ドライヤー,プレゼントされたら最高だ」っていう話をずっとするわけ。それ見て感じるモヤモヤ。 これまた難しいのは,港区女子ってさ,多分自分は相手にされないであろうという劣等感も含めて,あの港区女子っていうもののかもし出す空気が嫌なの。 「アタシ港区女子だから〜」って,どんな感じ?っていう。さらにはその港区女子の周りを取り巻く界隈。港区女子を呼んで,何かこう稼いだ小金をくれてやる感じの…全部言い方悪いわ。俺はそこの界隈にいないから分かんないけど,何なの?その感じ?っていう。その港区女子は集(たか)らせ方みたいなことを公言してて,その集らせていることを楽しみにしてもよくわかんないじゃん。 全部がよくわかんないわけだけど,タクシー広告って基本的にはタクシーにちょくちょく乗る裕福な層の人に訴えるっていうことがタクシー広告を募っている広告会社の言い分だから,多分正しいんだと思うんですよね。めちゃめちゃそこで「うわ〜こんなの貰ったらメチャメチャテンション上がっちゃう」って本当にやるヤツと,それを本当にあげるヤツの関係が出来上がってて,あれがもう穿った見方でしか見られないけど,どうせ俺なんて関係ねえしっていう目線でしか見られないけど,アイツら同じの3台もらって2台売ってるんだろ? 俺はもうそういう考え方だから。どうせそうだろ…みたいな。そのCMが目の前30cmんとこですっげえ流れんの。で,これはちょっと難しいのは,「タクシーにあんま乗んないから分かりませんよ」っていう人と,さっき言ってたその,タクシーがなんか判断する機能がついてCM流れてるんだとすれば,俺はそういうヤツって思われてるから,それが流れるの?みたいな。 その感じとか,全部に感じるあれは何?俺のあれは何なの?俺は何?脳のどの部分を切開すれば,できればあれを嫌だとは思わない脳になれる?あのCMにさ,タクシーで聴くラジオっていうものをブン取られた感じがすごいしてる。だから多分元からあそこにいい思いをしてないと思うんだけど…今CM中に,その高級ドライヤーがメルカリにどれぐらい出品されてるかって見たんだけど,尋常じゃない量が出品されてる上に,俺の思ったのと違って,やったら売れてんの。これどういう風に分析すればいいわけ?俺がもう関係ない世界で何か回ってるよね? これ。なんかそのすごい勢いで回ってて,どっちかわかんないの…
■ 絶滅メディア博物館
えっと短事では,前回ちょっと話したNHKBSの番組『偏愛ミュージアム』っていう,もう見逃すためにプログラムされたって言われている番組。逆に言うと,本当に隙間がない中,伊集院のプログラムでなんとか時間を確保しようと思うと,なかなかこうバッチリの時間帯が取れなかったせいで,30分番組6話なんだけど,2話まとめて放送されるっていう番組。何故1時間番組じゃねえんだ?という。しかもやってる1回目と2回目で曜日が違い,2回目と3回目で時間帯が違うっていう謎の放送の仕方をしたんだけど,TVerがあるおかげで結構な回転の仕方をしてて。で中には面白かったって言ってくれる人も多くて。
ちょうど土曜日かな。土曜日の夜11時半ぐらいから,その5回目と6回目っていうのか,3回目ってか分かんないのが放映されたんだけど,その中に「絶滅メディア博物館」っていう,秋葉原からちょっと歩いたぐらいの所にある個人博物館。神田か秋葉原か最寄り駅忘れちゃったけど,絶滅メディア博物館。ちょっと前の回に「昔こういうこうビデオカメラあったよね」みたいな話してたのは,実はその絶滅メディア博物館に行った後で。そこ場所が良すぎて。東京のど真ん中で。 あと,展示品とかも相当ちゃんとしてて環境がいいのと,あと,その館長が俺より若い人だけど,とにかくこの絶滅したメディアの話をしたい。古くは8mmフィルムからビデオカセットから今のハードディスクレコーダーまで,メディアの話が好きな人とメディアの話を分かち合いたい人だから,とにかく行くといろんなこと教えてくれるし,話めちゃめちゃはずむから,マンツーマン・ディフェンスとかに近くなってくる(笑) でそうするとさ,入場料2000円ぐらいするんだけど,それこそ東京の一等地にあって,大きさもそこまでじゃない。私設博物館だから見渡す限りの博物館とかではない。 全然狭いから,それこそ秋葉原にあるこじんまりとした電気屋さんだから。だけどきっちり50年ぐらいの新製品が並んでる。で,地階と1階と2階もあったかな。3フロアぐらいでやってる所。これが難しいのは,おそらくバーって行って混んじゃって面白いのかっていうとそういうことでもない。 本当に私設博物館のミュージアムのバランスの難しいとこで,並んで待ってギリ詰めで行って面白い所ではない。だから流行りすぎても困る。 だから,そのフィルターと家賃とかの関係で2000円が多分出来上がってると思うんだけど。いいのは今すぐ行こうっていう熱量じゃくて,よく秋葉原とか行く人がスマホのマップに一発この絶滅メディア博物館を打っておいて,あ,今近いから覗いてみるかぐらいがいいと思うんだけど。
早速うちのその若手構成陣の大谷君(29)がちょっとテレビ観て,面白そうだったからって行ってみたんですよ。 ちょっとそれが面白かったのは,僕が食いつくところと年齢的に親が今29歳の大谷君の食いつくとこが全然違うのよ。俺的には,やっぱり我が家にVHSのビデオデッキがやってきた辺りからワクワクし始めるんだけど,大谷君が一番驚いてたのは昔のブラウン管の初代iMac。 この番組の対象年齢が分かんないんで。今も僕iMac使ってますよ。だけど,我が家に初めてiMacっていうものが来た時のiMacは,俺にしたら「可愛いパソコン出たな」っていうか「可愛すぎて信用できねえ」ぐらいの感じだったから。可愛い基準でパソコンを選んだことないから「可愛いってなんだよ?」っていう。うちのカミさんが2代目か3代目のiMacにどんどんカラーが増えてきた時の「ピンク色が可愛いからこれ欲しい」って言った。 俺は「いやいや,可愛いとかでパソコン買わねェから」みたいので,だけどカミさんは「私はあなたみたいに別になんかコンピューターグラフィックやりたいとかないから,別に可愛い方が優先だから」みたいな喧嘩になったぐらいのヤツなんだけど,大谷君(29)からしたら,「クソでけェ」っていう。そのブラウン管のコンピューターのイメージがないからビックリしてて。若い人に分かるように言うと,「可愛いくしてるけど,無骨すぎだろう」ってことでしょ? あれ? だから『魁!男塾』で枢斬暗屯子(スーザンアントンコ)って出てきたじゃん。 あの感じ(笑)  セーラー服で2mぐらいあって,で髪の毛おさげで髭面っていう枢斬暗屯子(スーザンアントンコ)っていう。あれ『魁!男塾』に出てくんだけど,その感じ。可愛いくしてるけど,なんでそんなごっついやつなん?ていう感じだったりとか。
あと俺らがノートパソコンていうもんに憧れて,増しては,そのアップルコンピューターに憧れて,ノート型のマックがもう欲しくてしょうがない時に,目玉飛び出るような値段だったと記憶してるPowerBook。俺が最初にアップルのノートパソコンを買ったっていうか,アップルのイベントをやって,ギャランティーとして貰ったんですけど。俺悪知恵働いてて。ギャランティーとしてもらう分には,まさかホリプロがキーボードをいくつか剥がして持ってかねえだろうっていう。要するにほぼノーギャラのイベントに出てるんだけど,帰りにこれをもらえるっていうシステムで。ちょっと年代忘れたけど,PowerBook 5300Cっていうノート型パソコン。5〜60万したと思うよ。その値段のヤツをもらって最初使ったんだけど。で,えっとその頃のノート型携帯型のマックを大谷君(29)は見て「これ本当持ち歩いてたんですか? 」っていう。「何が?」「いやいやこのデカいやつ本当に持ち歩いてたんですか?」って言うんだけど,PowerBook 5300Cって,あれ3kg切ってんだよ?2.9kgで電池も全然持たなくて。で,さらに当時最先端だったのは,フロッピーデスクドライブを抜くことができて。抜いて,そこにもう1本でっかい追加のバッテリーを入れると確か2時間ぐらい持つんだよね。 フルに使うと。「PowerBook」って言うだけに,持ち歩くにはそれぐらいのレベルでパワーいるからっていう(笑) もうそれは,だから,大谷君には,もうその辺の見たこともない遺跡としてのMac。 今自分はMacBook Airを使ってるけど,Airだってもっと軽くならないかなと思うわけじゃん。だって今新しいWindowsのノートパソコンは800gとか,下手すりゃ600gのも出てきてるわけだから。Airって1kgちょいぐらいでしょ?Airにしても重いって言ってた自分を戒めるためにも,3kgあったんだみたいな。あの辺がめちゃくちゃ面白いと。
でさらに行くとそういう展示物自体は普通は近代に近づくほど,現代に近づくほどいっぱい手に入るわけです。 そうやっていっぱい手に入るから,どんどん熱くなっていきそうなもんなんだけど,iPhoneっていうか,スマホの出現によって全部が呑まれてく。その8mmフィルムで映像を撮り,その横にあるデンスケで録音機材で音を録りとか,写真はスチールカメラで撮るっていう,いろんな担当が,全部ゆっくりiPhoneに集結していって,その先はもうほぼiPhoneしかないみたいな感じで。さらに最新のものを手に入れようとすると,全部揃えた今,それが今なんとか出してるような,ちょっと昔でいう運動会に撮るみたいな形のビデオカメラで撮ってるのは,パソコンの内蔵ハードディスクにとってあんだけど,あれとかも揃えたいと思うと,まあまあの値段するじゃん。だけど,こういう個人ミュージアムのすごいところは,「家にあったヤツ 捨てちゃうぐらいだったらこれ飾ってくれませんか?」っていうことが多い。で,これがもはやどんな古いものでも,そのカテゴリーさえ合っちゃうと「捨てる時にお金がかかるんです」って持ってくる。そうやって考えると,もしくは集めてた人のものが丸々ここに来る。そうなってくると,逆に無料で手に入るのが割と多いわけで,大宅壮一文庫っていう,それこそ自分たちの仕事してる人間が資料を漁りに行く,ありとあらゆる月刊誌・週刊誌・雑誌があるミュージアム/図書館があるんだけど,あそこも実は,例えば「僕が〇歳から〇歳まで買った少年ジャンプ全部持ってるんです」って人が寄贈してくれるんだって。だけど寄贈して欲しいのは1冊ずつなんだよね。 1冊ずつで,もしくはそのさっき言ってた絶滅メディア博物館の「もうその機種1台しかいらない」ってのと同じで。でっかいiMacは1台あれば充分なわけ。 2台目からはここにおいてもいらないものになってくから,下手すればゴミになってくし。「そうは言っても受け取ってくださいよ」って言われても,無尽蔵に土地がある訳じゃないじゃん。で,さらには,これをじゃあiMacって多分7色とかあったから,7色全部展示したいってなっても,展示スペースの問題もあるし,展示したいってなって,やっと集まった7色目の人が元々コレクターで元々集めてたのをやめる人の場合に同じヤツもう7個来るから(笑),それが痛し痒しらしくて。結局のとこ,それを維持しようと思うのに,どんどんお金がかかっていくみたいなんだけど。
特に「秋葉原に行く」の定義も,今変わってきてるのか? 家電好きな人とか,それこそ未だにこういうガジェットに興味ある人とかは,多分絶対自分のツボにはまるところがあるんだよね。一時期周りはそんな流行ってないけど,「モバイルギア」っていう謎のPDA。電池で動くノートパソコンみたいなもんなのね。でいてWindowsの中でもそれも今はなくなっちゃったWindows CEっていう最低限のことしかできないWindowsが入ってて。で画面がワープロを打つのなら15行あればいいだろうつって15行ぐらいしかない。だから,横に2つに割ってあるヤツで,それ俺とこの番組の構成やってた渡辺君だけ,必ず新型買うのか出ると買ってたんだけど,いつの間にか無くなってて。そのあまりに何もできない。で,元々はインターネットが見れて,ワードが打てる。で,ワードのフォーマットで文章が打てて,そこに電話線をつげることができて,その電話線で方方にファックスが送れてメールが送れるっていう。俺らの仕事とかしたらベストだったんだけど,これが難しいのは,インターネットが進化していくと,インターネットのサイトやホームページの映像とか画像がどんどん進化していくから,このコンピューターではインターネットが見れなくなってくみたいな。で便利にしなくて俺は良かったんだけど,そこで急にそのモバイルギアの時代が終わったりとか。そういうものも置いてあるのね。
で番組『偏愛ミュージアム』の中でも触れたけど,館長がすごいいいこと言ってたのは,まァ金かかると。で自分は好きだから,こういうものに関して見るの好きだし,あと来てくれた人が「これ俺最初のボーナスで買ったんだよ」とか,もしくは「雑誌に書いてあったけど,実物これなんだ」みたいな。で,それぐらいの人数だったらば,おそらく1人1人別に管理しなくていいし,これぐらいのレアさだったら,善意の人しか来ないから,例えばすごい昔のあの頃30万して今でいうiPhoneよりも全然機能が弱いビデオカメラみたいのを実際持ってみることができたり,担いでみたりとかファインダー覗いたりできる。それがすごいから,でもそれが前で館長が見てられるぐらいのとこでしかやらないし,善意の人は,じゃあもしそれを落としても,逃げるような事はあんましないだろうから大丈夫だけど,これが大混雑になってきたら,盗まれることもあるだろうし,その辺は難しいだろうね。で,館長本人に「これ,僕思ったのは,もっと全て細かいとこまで網羅するために公営のものにするとか,それからソニーだったらソニー,パナソニックならパナソニックみたいな企業がやるとかした方がいい,絶対そうした方が良くて,個人が苦労してお金の採算しながらやるんじゃなくてその方がいいと思うんですけど,そう思いませんか?国からの助成金とか企業からの助成金とかあった方がもっと良くないですか?」って言ったら,本人が言ってたのは「企業は負の遺産を残したがらない」「自分からすればその失敗があったから,割とその後に繋がったようなヤツが可愛い。下手すればあん時もっとすごいこと期待して買ったんだけど,全然できなかったなみたいなものを愛したいから,そうすると企業がこれをやるようになると割とそれはなかったことになる」っていう。憶えてますかね?ソニーのティザー広告っていうか,そのホームページに「〇〇が〇月〇日いよいよ発表されますよ」つって,みんなが期待して期待して期待した結果,ソニーが「踊るスピーカー」という卵型のスピーカー出した。憶えてる?もうみんなこれぐらい忘れてんだ。みんな「何が来るんだろう? ソニーがここまで入念にイメージ広告打ってくるんだから…」ったら,出来上がったのが,丸い卵型の,ハローを楕円形にしたみたいなヤツなんだけど,音楽流しながらくるくる回ったり,パパパパって耳の蓋が開いたり閉じたりするっていうヤツ出た時の俺らの「?なんじゃそりゃ?」っていう。これじゃない感。いやいや,これじゃないよりもこれじゃないけどってヤツが出て。でもその期待感を抜いて今どうだったのかよくわかんないし,そういうのもソニーだから,それがソニーっていう感じはある。なんかわかんない斜め上のヤツとかも出るんだけど,でもおそらくソニーがもし絶滅メディア博物館やろうと思うと,あんま前の方には展示しねえなってのは間違いないわけ。 
でもいいのはそれが個人が苦労してお金を工面してやってるミュージアムだからこそ,やっぱこういう味が出るし,そういうなんか「これ良かったんで期待したんだけど,思ったよりだったんだよな…」みたいなカメラとかいっぱいあっていいなっていう。でもその人の思い出だから。
■シャレコーベミュージアム
で,もう一個行ったのは,神戸かにある「シャレコーベミュージアム」。お父さんが脳外科医だったかのお医者さんで財をなした人で,とにかく骸骨グッズを集めたいって言い出して。まずえっと住んでる家だよ。 住んでる家をリフォームして,外観を頭蓋骨の形にするっていうところから入るの。いや本当に。よくわかんないのは,もう家族が「恥ずかしいから,お願いだから道路向きにしないで欲しい」っていう(笑) で,さらには設計図を出した段階で心配ごとは,前はきちんと広い道路なんだけど,この道路で「何じゃ?ありゃ?」って道路の角の曲がったところぐらいにあるの。左折してきた左手のとこで「なんじゃこれ?」ってなって車が事故る可能性があると。これで何故か表向きは普通に白い建物なんだけど,裏に回ると骸骨の形をしているっていう。 頭蓋骨で,お父さん,その中にいろんな頭蓋骨のものを収めて,でお嬢ちゃんに「お前継いでくれ」って言ったまま死んでいくっていう。 でも,お嬢ちゃんがいい子で,普通の仕事しながら,お父さんがこんな好きで,しかもマニアの人たちは通い詰めてる人がいるから,だから,さすがに壊せないからっていう理由で,頭蓋骨シャレコーベミュージアムずっとやってる。なんか継ぐパターンすごいね。 なんか託されるパターンみたいのもあるらしい。マニアからマニアに「お願いだ,これを俺が死んだら受け取ってくれ」みたいなパターンもあんだけど,全然関係なくて親父がやってたことを継ぐってすげえなと思ったり。まだ見逃し配信で観られると思いますので,よかったらこの『偏愛ミュージアム』ご覧になっていただきたい。 

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✔絶滅メディア博物館とは?
「絶滅メディア博物館」は「紙と石以外のメディアはすべて絶滅する」という考え方にもとづき進化の過程で滅んだ、もしくは滅びつつあるメディアとメディア機器を収集展示する私設博物館です。
「動画カメラ」「写真カメラ」「タイプライター」「パソコン」「記録メディア」「音楽プレーヤー」「ケータイ電話」「PDA」「キーボード付きモバイル端末」などを収蔵・展示しています。収蔵数は約3000点でうち1500点を常設展示しています。すべての収蔵品を自由に手に取ることができる「触れる博物館」となっています。製品の構造を細かく観察したり手にとって素材の質感や重さを実感することが出来ます。特に家庭用動画カメラの収集に重点を置いており、8mmフィルムカメラ(9.5mm、ダブル8、シングル8、スーパー8)からビデオカメラ(ベータマックス、VHS、VHS-C、8ミリビデオ、DV)、そしてメモリーカメラへの進化がひと目で理解できるよう展示されています。
入館料をお支払いいただくと、収蔵品の写真・動画撮影・3Dスキャンが自由に出来ます。収蔵品の鑑賞だけではなく書籍やカタログ資料などの館内ライブラリーも利用できます。1回のご来館で2時間を目安に滞在できます。来館者により撮影された収蔵品が世界中のメディア・ブログなどに分散記録されその姿が永遠に残ることが最終目標です。ぜひ収蔵品を撮影してご自身のSNSやメディアに公開して下さい。すべての展示品は映画・ミュージックビデオ・テレビ番組・自主制作映画などの小道具としても個別に1週間単位でレンタルが可能です。ミュージアムショップでは博物館のポストカード、シール、キーホルダーなどここでしか買えないオリジナルグッズを販売しています。
✔アクセス
絶滅メディア博物館
〒101-0047 東京都千代田区内神田2丁目3−6 楓ビル 1階
所在施設: 楓ビル
03-5256-5700

絶滅メディア博物館
https://extinct-media-museum.blog.jp/otemachi/







枢斬暗屯子/すうざんあんとんこ
枢斬暗屯子とは、宮下あきらの漫画「激!!極虎一家」のキャラクターじゃ! 犯したる!!
✔概要じゃ!犯したる!!
私立極道高校生徒会副会長。一応女性なのだが、筋骨隆々の体格に口髭でオッサンにしか見えない。一応女子高生なので制服(セーラー服)を着ている。口癖は「犯したる!」で、内面や行動もおよそ女性らしくないが、ポエムを吟じる一面も。出囃子は松任谷由実の「守ってあげたい」。満を持して遂に『真!!男塾』で(やっと)再登場した。
名前の元ネタは歌手のスーザン・アントンだが高身長以外の共通点は無い。彼女にとっては、まさしく風評被害である。永井豪の「まぼろしパンティ」にはパロディキャラ「枢斬暗屯子男」が登場する。また、この名前のユーザーもおり、「こいつで抜かないでください」を世に送り出した。こち亀の第28巻にも登場している。

Pixiv
https://dic.pixiv.net/a/%E6%9E%A2%E6%96%AC%E6%9A%97%E5%B1%AF%E5%AD%90









大宅壮一文庫
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大宅壮一文庫(おおやそういちぶんこ)は、東京都世田谷区八幡山にある専門図書館です。評論家・大宅壮一(1900-1970)が収集した膨大な雑誌コレクションを基盤として、1971年5月17日に開館しました。
✔概要
 * 日本初の雑誌専門図書館: 明治時代以降の150年以上にわたる多種多様な雑誌を所蔵しています。
 * 豊富な蔵書: 約1万種類の雑誌、78万冊にのぼる雑誌バックナンバーに加え、約7万冊の書籍も所蔵しています(2018年2月時点)。
 * 雑誌記事索引データベース「Web OYA-bunko」: 所蔵雑誌の記事を検索できるオンラインデータベースを提供しています。1888年~現在までの約732万件の雑誌記事インデックスを収録しており、キーワード検索、人物検索、記事種類での絞り込みなどが可能です。
 * 大宅式分類法: 大宅壮一が考案した独自の分類法で資料が整理されており、一般的な分類とは異なる視点からの記事検索が可能です。人名索引と件名索引が特徴です。
 * 世田谷本館と越生分館: 世田谷区八幡山に本館、埼玉県入間郡越生町に分館があります。越生分館では書籍の他、大宅壮一の遺品なども展示されています。
 * 公益財団法人運営: 公益財団法人大宅壮一文庫によって運営されています。
✔歴史
 * 1944年:大宅壮一が東京・八幡山に居を定める(現在の本館所在地)。
 * 1951年:大宅資料室(雑草文庫)を創設。
 * 1956年:大宅式分類法による資料の整理を開始。
 * 1970年:大宅壮一死去。
 * 1971年:財団法人大宅文庫設立、世田谷本館開館。
 * 1982年:菊池寛賞を受賞。
 * 1997年:越生分館開館。
 * 2002年:Web OYA-bunko(教育機関版)サービス開始。
 * 2006年:Web OYA-bunko(法人会員版)サービス開始。
 * 2012年:公益財団法人に認定。
✔利用方法
 * 来館利用:
開館時間: 月曜日~土曜日 午前11時~午後6時(日曜・祝日・年末年始は休館)
入館料: 一般 500円(15冊まで閲覧可能、追加料金でさらに閲覧可)、学生割引あり。会員は無料。
利用方法: 受付で手続き後、雑誌記事索引などを利用して閲覧したい雑誌を検索し、申込書を提出します。書庫には入れませんが、スタッフが雑誌を用意してくれます。館内閲覧のみで、貸出は行っていません。
複写: 著作権法の範囲内で複写サービス(有料)を利用できます。
 * Web OYA-bunko:
有料サービス: 個人、法人、教育機関向けに有料で提供されています。
利用方法: 事前登録が必要です。契約形態により利用料金やサービス内容が異なります。
主な機能: 雑誌記事のキーワード検索、人物検索、記事種類での絞り込み、検索結果の保存、オンラインでの複写申し込み(FAXまたは郵送で受け取り)。
✔特徴
 * 雑誌記事情報の宝庫: 過去の社会情勢、文化、流行、人々の関心などを知る上で貴重な情報源です。
 * ユニークな検索性: 大宅式分類法による独自の検索が可能で、思いがけない発見につながることもあります。
 * 研究・調査に最適: ジャーナリズム、歴史、社会学、文化研究など、様々な分野の研究者や調査担当者にとって不可欠な存在です。
大宅壮一文庫は、貴重な雑誌資料を保存・公開し、社会の情報アーカイブとしての役割を果たしています。利用を検討される場合は、公式サイトで詳細な情報や利用方法をご確認ください。
公式サイト: https://www.oya-bunko.or.jp/

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シャレコーベミュージアムへようこそ。当館は、世界でも類を見ない頭蓋骨に特化した私設博物館です。脳神経外科医だった創設者の河本圭司氏が世界中から集めた約8000点におよぶ頭蓋骨コレクションを展示しており、その中から厳選された約1000点をご覧いただけます。

シャレコーベミュージアム
http://skull-museum.jp/




2025年3月22日土曜日

[健康][メンタル] メンタルメモ/2025.3〜スマホ脳,鬱病



[健康][メンタル] メンタルメモ/2025.3〜スマホ脳,鬱病
小西公太: 「電気まみれ」の生活で僕が失ったもの〜メンタルメモ
インドの沙漠で痛感した日本人のヤバい「劣化」、電気まみれの生活で日本人が本当に失ってしまったもの
2024/12/31(火) 7:32
多様性の時代、文化人類学の必要性がだんだんに認知されるようになってきました。本稿では一人の人類学者が「自分壊し」の旅に出た顛末をつづった『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく』より、沙漠での狩で感じた「電気に支配された日本人」が失ったものについて解説します(一部抜粋・再構成しています)。
■驚くほど目がいいインド人
彼らの生活を観察していくなかで驚かされたことはたくさんある。その1つに、沙漠で暮らす人々の身体能力の高さがある。まず、彼らはとにかく、目がいい。
沙漠では、ラクダが生活必需品だ。何かを運ぶにも、どこかへ移動するにも、観光客を乗せて歩くのにも、ラクダがいなければどうにもならない。また、立派なラクダを所持していることとか、毛並みや装飾が見事であることとか、何頭持っているかなどが、社会的なステータスをあげたり、家族やコミュニティの誇りとなったりする。しかし、沙漠の民たちはラクダを、僕らが飼う犬のように鎖で繫いだり、犬小屋に閉じ込めたりしない。両足にゆるい足輪(手錠ならず、足錠とでもいうのか)をはめて、放し飼いにするのだ。この足輪は歩くスピードこそ弱めるが、その緩さゆえに、ラクダの移動を可能にする。夕方になって集められたラクダたちは、足輪をされて放置される。その後彼らは、左右の前足を(足輪の小さな緩みを利用して)前後にこまめに動かしながら、トテットテッと好きな方向に歩き始める。どこに向かうのかは、風まかせ。夜も暗くなってくると、もはや自分たちのラクダがどこに移動してしまっているかは、わからない、はずだった。
ある時パーブーが密造酒のグラスを傾けながら、深夜に尋ねてきた。
「コーダイ、いまラクダがどこにいるかわかるかい?」
その日は新月。沙漠は真っ暗闇に沈んでいて、星の光は瞬いているが、地面は静かな風の音がたゆたうばかり。光を発するものなど、ほぼ何もない。
「こんなに真っ暗じゃ、わかるわけがないだろう?」
と告げると、その場で火を囲んでいた5~6名の男たちが、一斉に笑い出した。
「わからないだって?ハハッ!!さすがにジャパーニー(日本人)だ。どこに行ったって電気まみれで、夜なんて経験したことがないんだろうよ!」
■日本は「電気に支配された国」と思われている
彼らは、「メイド・イン・ジャパン」という言葉だけは知っていて、日本といえば全部がテクノロジーに侵され、電気に支配された国だと思っている(そして、それはあながち間違っていなかったりする)。
「そうか、こんなに暗い闇の中でも、君らにはラクダの場所がわかるっていうんだな。だったら、僕がこれから指示するので、一斉にラクダのいる場所を指差してみろよ。そうしたら信じてやるよ」
と僕は偉そうな口を叩き、カウントダウンをはじめた。
エーク、ドー、ティーン!(1、2、3!)
すると彼らは、前述の「ヌーンキー・ツリー(チンコの木)」がある方角に近い、バス道に向かう方向の少し右に逸れたあたりを一斉に指差し、ほらみろ! と、これでもかというほど見事なドヤ顔を決めた後、大笑いを始めた。僕はというと、指を差されたとて、それが正解なのかどうかわからない。あまりに悔しいので、バッグから双眼鏡を取り出し、注意深く地平線を眺めた。地面と大地が混ざり合う、その微妙な境界線にはうっすらと光の差異が見られ、双眼鏡ならラクダを見つけられるだろうと思ったからである。しかし、それでも僕は、ラクダの姿を捉えることができなかった。その日以来、僕は「ラーティンドー(夜に目が見えなくなるヤツ)」というあだ名がついた。
失敗ばかり繰り返す僕は、夜どころか日中ですらちゃんとモノ(の道理)が見えていないヤツ、といった意味合いだろう。いや、まさしくその通りだ。ちなみに彼らは、翌朝になってから、まさにその指差した方向に向かい、ラクダの足輪を外して、あっさりと連れ戻してしまった。彼らの目には、赤外線レーダーでもついているのだろうか。彼らの目の良さは、狩りでも絶大なる力を発揮した。そう、言うのを忘れていたが、彼らは本来「狩猟採集民」として(そして有事には王族の歩兵隊として)生計を立てていた部族だ。つまり、狩人・猟人だったのだ。
■数百メートル先の茂みの中が見えている? 
その血は、生業としての狩猟をとうの昔にやめてしまった子孫たちの中にも、しっかりと息づいていた。違法所持しているライフルを片手に、夜中から未明まで漆黒の闇を走り回るシカや、飛び回るウサギや穴に逃げ込むオオトカゲの捕獲、投石器を使ったムクドリの狩猟など、それは多岐にわたっていた。彼らは暇を見つけては、「おい、今日やるか」と目の中の炎をたぎらせて、仲間内でひっそりと夜の狩猟活動に心を躍らせるのだ。かくいう僕も、随分と付き合わされた。日中の太陽ですっかり疲弊した僕の身体にとって、肌寒い夜の沙漠を太陽が昇るまで歩き、走り続ける猟は、それはそれは過酷なものだった。
「おいコーダイ、そっちに行ったぞ!  回りこめ!」
などと命令されながら、足を取られるひんやりとした砂地の上を走り続ける。体力勝負だ。しかし、ここでも彼らの「目の良さ」が遺憾なく発揮される。数百メートル先の茂みの中に、確実に動物たちの気配を感じ取り、遠距離から動物たちの目にピンポイントでライフル弾を撃ち込む彼らの手腕には、ゾクゾクするほど感激したものだ。そこでは4~5時間ものあいだ、動物の息づかいや臭いと、彼らが駆け抜ける地形との、微細で複雑な対話が続けられる。それでも、ダメな時はダメだ。動物たちの才覚に、完敗することも多い。それは、敵陣のゴールまで戦略的にボールを運ぼうとするサッカーのような集団プレーにとてもよく似ていて、緊張と弛緩の波が目まぐるしく変化する、究極のゲームなのである。
「Game」という英語が、狩猟の意味を帯び、かつギャンブルの語源となっているのも、全くもって納得する。動物の「気」を読み、地形と風の流れを読み、微細な光の変化を読む。それは人間と動物の織りなす、生命の遊戯だ。
■ここでの「ゲーム」に勝つには課金でなく努力がマスト
ボードゲームもトランプもスマホもSwitchもNetflixもない彼らの世界では、彼らを取り巻く環境と、そこに息づく生命たちとのバトルという名の対話が、最高の遊びとなっている。そのゲームに参加し勝利するためには、課金をしてアイテムを揃えたり、敵を倒してレベルアップするのとはケタ違いの努力――自身の身体を鍛え上げ、動物と対話をするためのアンテナとセンスを磨き、全ての感覚器官の感度を高め、危険極まる世界に飛び込んでいくためのゆるぎない自信を構築していく、絶え間ない努力と実践知の蓄積――が必要とされるのだ。僕らは、夜にものを見る能力をずいぶんと失ってしまったが、彼らの本領発揮はまさに夜。目が良くなくては、世界と対話することができないのだ。風を読み、匂いを感じ、微かな物音に反応する、五感をフルに活用した感覚器官の総合的な能力も同様だ。ある意味、「退化」した僕の身体と感覚器官では、もはやこのゲームに参加することはできない。それはとても悲しいことだった。一方で僕は、月明かりの中でライフルを構える彼らの隆々とした上腕二頭筋の凹凸がうっすらと浮かび上がる時、人間の鍛え抜かれた身体の美しさに、惚れ惚れとしてしまうのだ。そして冷え切った沙漠を機敏に走り回り、時に静止してじっとこちらの様子を伺う動物たちの姿に、ほんのりと光るシカやウサギたちの体毛の美しさに、僕の心臓は飛び出さんばかりに魅了されてしまう。ひんやりとした砂や風が舞う、月や星の光がその淡い輪郭を浮かび上がらせる大地の美しさにも、心惹かれていく。ああ、僕はいったいここで、何をしているんだろう? 自分という存在の儚さと小ささだけが際立っていく。しかし、ここで感受することのできる世界の、この溢れんばかりの美しさは、いったいなんなのだろう?  僕は命令されるがままに走り続ける沙漠の中で、生きてるって、こういう感覚なのかな、と漠然と感じていた。それでも僕の身体は、数時間の沙漠の徘徊に、あっという間に悲鳴をあげ、動物たちを射止めるその瞬間に至る以前にしゃがみ込み、彼らの動きを遠くから眺めるか、サボテンの裏で息も絶え絶えに身体を横たえてしまうのだった。なんというヘタレ。たいてい気がつくと、狩りを終えた男たちにゆさぶり起こされ、その日の猟の成果を興奮気味で語る彼らに付き合わされることになるのだ。
■「電気まみれ」の生活で僕が失ったもの
僕は思う。彼らのいう「電気まみれ」の生活や、便利さと快適さを追求した近代的生活の様式によって、僕はすっかり人間に本来備わっているあらゆる能力を低下させてしまった、と。夜を見通す目、砂地を駆け回る筋力、自然や動物たちとの対話の力、根気強く動物たちを追い詰める気力や体力、ゆるぎない自信、そして世界とつながるためのアンテナやセンス。
僕は、失ったそれらの力を埋め合わせるように、他者の評価やテストの点や断片的な知識の量を増大させ、かりそめの尊厳をかろうじて保っているような人間だった。そしてそれらの相対評価の獲得競争は、自然の中で生き抜く感度や能力、つまり動物を獲って食べるという、生命維持のために最も必要とされる実践知にとって、何一つ役に立たないことだった。このことは、「生きる」ということの根源的な問いを、僕に強く投げかけるのだった。
小西公太

Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3f750626b8dea158bddbd44e89720521cb789d9&preview=auto


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研究結果:5G周波数への曝露はうつ病を引き起こす
2022/12/14 00:00
5G周波数にさらされるとうつ病を引き起こすことが公式研究で判明
5G通信で使用される周波数にさらされると、うつ病などの神経障害を発症するなど、人間の認知機能に問題が生じることが公式調査で明らかになりました。この研究結果は「マウスのおける空間記憶と情動に対する5G通信からの無線周波数フィールドの影響」として、2022年11月22日に国際環境衛生研究ジャーナルに掲載されました。研究者らはまた、これらの有害な周波数にさらされると、扁桃体の形態変化をもたらす炎症性細胞死であるパイロプトーシスを引き起こす可能性があることも明らかにしました。
Expose-news.com が報告:中国の研究者は、900MHzの放射線-1時間/日、SAR:1.15W/kgを28日間ラットに照射した別の研究、Narayanan et al. 2018を発表しました。Narayananらは、扁桃体のニューロンの減少を発見し、これはこの最新の研究と一致していました。
「このような5G曝露によって、マウスでは脳障害が発生しました。肝心なのは、安全性が保証されていないことです。将来の世代に対するリスクがあまりにも大きいため、各国政府は5Gの配備を中止しなければなりません。私たちは、適切な安全性試験を行うことなく、新技術の導入を急ぎ続けるべきではありません」と、環境衛生トラストの社長であるデブラ・デイビス博士(MPH)は述べています。この新しい研究の結果を気にしていない読者のために言うと、研究はすでに何年も前に5G放射線への曝露が人体に有害であると決定していました。実際、2017年以降、医師や科学者は、生物学的および環境的な健康上のリスクのために、地球および宇宙でのモラトリアムを求めており、科学者の大多数は配備に反対しています。
(8) Dr. Hardell The Majority of Scientist Are Opposed to 5G Until Safety is Shown - YouTube
注):上記の動画は、スウェーデン・オレブロ大学病院の腫瘍学・がん疫学教授であるレナート・ハーデル博士が、2019年6月3日にエストニア・タリンで行った講演から抜粋したものです。71分間の講義の全貌はこちらからご覧いただけます。
2020年1月、ハーデル博士はスイス連邦大統領に宛てに、無線周波数電磁界(「RF-EMF」)と5Gによる健康リスクに関する専門家による評価は、利害関係のない専門家が行う必要があるとする書簡を書き送りました。 この手紙は、複数の国際的な専門家によって支持されました。ハーデル博士は、これらの利益相反に関する論文として、国際腫瘍学雑誌にに掲載された「世界保健機関、無線周波放射と健康–a hard nut to crack(レビュー)」、米国産業医学雑誌に掲載された「がん研究における業界との秘密のつながりと利益相反」などいくつかの論文を発表しています。また、2018年以降、5Gを起動した後に人や動物が症状や体調を崩したという報告もあります。 さらに、2019年には通信事業者の幹部が、「5Gが安全であるという独立した科学的証拠はない」と議会で証言を行いました。さらに最近では、一部の研究者は、活性化がCovid-19感染症だけでなく数百万とは言わないまでも数十万の鳥の死にも寄与している可能性があると警告しています。
📝Exposure to 5G Frequencies Causes Depression, Official Study Finds - News Punch
Full article: Effects of radiofrequency field from 5G communications on the spatial memory and emotionality in mice (tandfonline.com)
5G通信からの無線周波電磁界がマウスの空間記憶と感情に与える影響
コロ助などの感染経路に気を付けましょう
📝ファイナル・ロックダウン&「スピニング・デス・レポート」
THE FINAL LOCKDOWN & SPINNING DEATH REPORT -- Hope & Tivon (bitchute.com)
📝パート1:見えない牢獄への鍵
MUST HEAR: THE KEYS TO THE INVISIBLE PRISON -- Hope & Tivon (bitchute.com)

メモ・独り言のblog
http://takahata521.livedoor.blog/archives/16978875.html













「ジョブズは自分の子どもにiPadを使わせなかった」ことが意味する「極めて危険な現実」
橘玲/現代新書
2024.11.14
ふつうに生きていたら転落するーー! あまりに残酷な「無理ゲー社会」を生き延びるための「たった一つの生存戦略」とは?
作家の橘玲氏が、ますます難易度の上がっていく人生を攻略するために「残酷な世界をハックする=裏道を行く方法」をわかりやすく解説します。
※本記事は橘玲『裏道を行け』(講談社現代新書、2021年)から抜粋・編集したものです。
SNSに「ハマる」理由
2021年10月、フェイスブックの元幹部が大量の内部資料をメディアに提供したうえで、米上院小委員会の公聴会で、「インスタグラムを利用するティーンエイジ女子の3人に1人が自分の体形が劣っていると感じている」などの社内調査を、自社の利益を優先するために隠していたと証言した。スウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンの『スマホ脳』(新潮新書)は、SNSの危険性を説いて日本でもベストセラーになった。この本でハンセンは、フェイスブックのようなSNSは脳の報酬系をハックするようにつくられていて、その過剰な利用が不眠やうつの原因になり、子どもの健全な成長を阻害すると警鐘を鳴らしている。徹底的に社会的な動物として進化してきたヒトには、食べることとセックスする(愛される)ことと並んで、もうひとつ決定的に重要な欲望の対象がある。それが「評判」だ。よい評判は仲間内での地位を高め、安全の確保や性愛のパートナーの獲得につながる。逆に悪い評判がたつと共同体から排斥され、旧石器時代にはこれは即座に死を意味しただろう。このようにしてヒトは、よい評判を得ると幸福感が増し、悪い評判によって傷つく(殴られたり蹴られたりしたときと同じ脳の部位が活性化する)ようになった。わたしたちはもともと、自分の評判(他者からどう見られているか)にきわめて敏感なように「設計」されている。フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどは、評判をリアルタイムで可視化するというイノベーションによって脳の報酬系にきわめて強い刺激を与えている。
■行動依存をもたらす「6つの要素」
心理学者のアダム・オルターは「依存テクノロジー」を論じるにあたって、ハンセンと同じく、スティーブ・ジョブズが自分の子どもにiPadを使わせなかったというエピソードから始めている。ジョブズだけではなく、『WIRED』元編集長のクリス・アンダーソンやツイッターの創業者エヴェン・ウィリアムズなどIT業界の大物たちも、子どもにデジタルデバイスを買い与えなかったり、その使用に厳格な時間規制をしていたという。オルターによれば、行動依存には6つの要素がある。
(1)目標:ちょっと手を伸ばせば届きそうな魅力的な目標があること
(2)フィードバック:抵抗しづらく、また予測できないランダムな頻度で、報われる感覚(正のフィードバック)があること
(3)進歩の実感:段階的に進歩・向上していく感覚があること
(4)難易度のエスカレート:徐々に難易度を増していくタスクがあること
(5)クリフハンガー:解消したいが解消されていない緊張感があること
(6)社会的相互作用:強い社会的な結びつきがあること
これは〈フロー〉の条件と同じで、SNSやオンラインゲームは6つの要素のほとんどすべてを備えている。そのためわたしたちは、スマートフォンから手を放すことができなくなってしまったのだ。さらに連載記事<「トランプ再選」に落胆する「リベラル」がまったく理解していない、世界中で生きづらさを抱える人が急増した「驚きの原因」>では、人生の難易度が格段に上がった「無理ゲー社会」の実態をさらに解説しています。ぜひご覧ください。
*本記事の抜粋元・橘玲『裏道を行け』(講談社現代新書)では、残酷な社会を生き抜いて人生を攻略するための「思考のヒント」をさまざまな観点から解説しています。世界が複雑化し、ますます人生の難易度が上がっていく時代に必読の1冊です。

ゲンダイ
https://gendai.media/articles/-/141162?page=1&imp=0













“スマホ依存症”のやす子が「100時間スマホなし」の社会実験をした結果…SNSでメンタルがダメになるこれだけの理由
2024/3/6(水) 6:00
■やす子が「100時間スマホなし生活」を強いられたら? 
今どきの若者らしくスマホが手放せないやす子さん(25)
2月22日に放送されたテレビ番組「社会実験バラエティー『マル日後にわかるホント』」(日本テレビ系)をご覧になって、他人事ではないと感じた方も多いのではないだろうか。
番組の序盤で取り上げたのは「スマホ依存症」の問題。“社会実験”の対象は、お笑い芸人のやす子だ。
1日10時間以上もスマホに接しているという彼女には、依存症気味という自覚がある。ついエゴサーチをしてしまうだけではなく、Xで寄せられた声すべてに「いいね」を押すといったサービス精神を発揮していることも、長時間使用の原因となっているようだ。そんな彼女に、番組側は「100時間スマホなし生活」を課す。その結果、普段は気にもとめなかった風景に目を留めたり、食事にも気を使うようになったり、と良いこともあるのだが、一方で「スマホに触りたい!」と叫ぶという明らかな禁断症状も…。禁断症状のあたりは、芸人ならではのリアクションという感じもするものの、全体として情緒が不安定になっていく様を番組はリアルに紹介していく。
その結果、「スマホなし生活」体験を経て、やす子はスマホとの適切な距離を取ることの重要さを知る――というわかりやすい展開が途中まで見られるのだが、興味深いのは番組が追加取材した直近の彼女の状況だろう。実は「スマホを使い過ぎていた」という反省はあっという間にどこかに消えて、すぐにもとに戻っていたことが判明した、というのがオチになっていた。
彼女のチャレンジは、現代人にとっていかにスマホが生活の中心を占めているかを面白く示した“社会実験”になっていたといえるだろう。スマホからたった数日離れただけで「触りたい!」と叫ぶ姿はいかにも芸人らしく笑いを誘うものになっていたわけだが、一方で、自分だったらどうだろうかと考えた時に、ああはならないと自信を持って言える人は、どのくらいいるのだろう。やす子の場合は、不特定多数の人とつながること自体が仕事と直結している。対して、多くの一般人は、そこまでつながる必要はないのに、ついついつながり、それによって余計なストレスを抱えてしまっているのではないだろうか。そしてそれに気づいているのに、抜け出せないでいる、つまりは依存症に陥っているのではないか。
■スマホが招くメンタル危機
番組にも登場し、「100時間スマホなし生活」のためのアドバイスを送ったのが、『スマホ脳』の著者で知られるアンデシュ・ハンセン氏だ。スマホ依存の危険を説いた同書は世界的ベストセラーとなった。
そのハンセン氏の新著『メンタル脳』(マッツ・ヴェンブラードとの共著、久山葉子訳)には、近年、特に若い世代のメンタルがスマホやSNSによってダメージを受けていると警鐘を鳴らしている。ハンセン氏の母国、スウェーデンでは、「ここ20年、不眠で受診する10代の若者が10倍に増えています」という。その大きな理由の一つが、スマホやSNSというわけだ。ハンセン氏の説は概ね以下の通りである。
――もともと人の脳は「他人と連帯すること」、つまり、つながりを得ることに幸せを感じるようにできていた。集団生活に歓びを感じないと、外敵に立ち向かえないし、生活を維持できないからだ。孤独でいるよりも、誰かとつながっていることに快感をおぼえるようになっていることになる。
そうした脳の基本的な性質は変わっていない。しかし、一方で、技術の進歩により、必要以上に他人とつながるようになってしまった。これが深刻なメンタル危機の理由となっている――。
ハンセン氏が説く「SNSがメンタルを下げるメカニズム」を詳しく見てみよう(引用は『メンタル脳』より)。
負け犬感を増すSNS
今ほど自分がダメに思える理由が多い時代はいまだかつてありません。SNSでは常に、見た目には完璧な人生を見せつけられます。友人の修整済みの写真投稿(誰だって1番素敵な自分を見せたいですし、満足した写真しかのせません。それは皆同じです)、さらには何千人というインフルエンサーのキラキラした人生が連続投下されてきて、それと自分を比べてしまいます。後ろに見えている景色からインテリア、化粧、照明まですべてプロの手を借りていると頭ではわかりつつも、です。写真はもちろん編集されていて、ちょっとした難点くらいいくらでも隠せます。その結果、とてもではありませんが自分には手の届かないようなレベルになっています。
自分にとっての自分(脳が見せる自分のイメージ。お世辞にもイケてるとは言えません)と他の人(彼らが見せたい素敵なイメージ)を比べたら、いつだって自分が負け犬、もう本当に完敗です。そして私たちの多くが、起きているほとんどの時間スマホを手にしているため、常に自分よりもかっこよく、賢く、リッチな人気者がいることを思い知らされることになります。その影響で、私たちはヒエラルキーの下へ下へと落ちていき、グループから追い出されるリスクが高まったように感じるのです。それを脳は何よりも恐れているはずなのに。とはいえ「人間はこれまでもずっと自分を他人と比較してきたのでは?」と思うかもしれません。それはそうなのですが、昔はグループも小さくてぱっと見渡せるくらいのサイズでした。ところが現代の私たちは世界中の人と競っているのです。
■なぜスマホはメンタルを下げる? 
SNSを見ている時間やインフルエンサーの存在がどれだけ影響を与えているのか、正確に証明することはできませんが、グループのヒエラルキー内で自分の地位が下がり続けていると感じると、心の健康を害するのは実に当然のことです。様々な調査で、1日に4~5時間SNSをやっている若者は「自分に不満を持っている」「不安や気分の落ち込みを感じている」ことが示されています。とりわけ10代の女子にそれが顕著なのは、女子の方がスマホを見ている時間の多くをSNSに費やしているからかもしれません。平均的に言うと、同世代の男子はもっとゲームをしています。調査対象になった15歳女子の62%が心配、腹痛、不眠といった長期的なストレスの症状を訴えていて、80年代に比べてその数は倍になっています。私たちは必死でグループに属していようとした人たちの子孫です。1日に何時間も他人の完璧な生活と自分を比べてしまうことで、脳は「自分はヒエラルキーの1番下にいる。グループから追い出されるかも!」と勘ちがいしてしまうのです。それならば、自分にそんなメッセージを送る時間を制限する、つまりSNSを見る時間を減らすのが良いでしょう。不安には深呼吸が効くというアドバイスをしましたが、ここでは「SNSに費やす時間を1日1時間に留める」というのがアドバイスです。そうすれば心が元気になる可能性も上がります。
■セロトニン・レベルの影響
脳の中でつくられる「セロトニン」は驚くべき物質で、メンタルの様々な仕組みに影響するため、その役割も複雑です。しかし最も重要な仕事は、私たちが「どのくらい引きこもりたいのか」を調整することでしょう。セロトニンのレベルが低いとその人は自信を無くし、後ずさり、自分の殻に閉じこもってしまいます。これはうつによくある行動なので、一般的な抗うつ剤にはセロトニンのレベルを上げる効果があります。セロトニンの役割を理解するために、わかりやすい例を2つ挙げてみましょう。
1) セロトニンのレベルを上げる薬の混ざった水に小さな魚を入れると、魚たちは自信満々になります。慎重ではなくなるので、大きな魚に食べられてしまう危険が上がります。逆にセロトニンのレベルを下げる薬の入った水に入れると魚は隠れてしまい、飢え死にする危険があるほど慎重になります。つまりセロトニンのレベルがちょうど良くないと自然界では命に関わるのです。
2) カニはよくケンカをしますが、たいていは優勢な方のカニが相手を引き下がらせます。しかし劣勢なカニにセロトニンのレベルを上げる薬を与えると、そのカニは自分がヒエラルキーの上にいると思い込み、引き下がろうとしません。サルや人間といった大型生物のセロトニンもほぼ同じように機能します。ヒエラルキーの上位にいる個体は、人間でも脳のセロトニンのレベルが高いようです。それが社会的な自信につながっているのでしょう。
さてここで、「グループの中の居場所を失うのが怖い」という話に戻ってみましょう。もうわかると思いますが、その恐怖はセロトニンのレベルが下がったことからきています。セロトニンのレベルを上げる薬を飲むと、多くの人のメンタルが回復するのもよくわかります。なぜこんな寄り道をしてまで魚やカニの話をしたかというと、「自分が思っているヒエラルキーの位置」と「その人の精神状態」は大いに関係があることを示すためです。先ほどの「SNSの時間を限定する」というアドバイスを思い出し、自分のメンタル改善に役立てましょう。
アンデシュ・ハンセン(Anders Hansen)
1974 年スウェーデン・ストックホルム生まれ。精神科医。ストックホルム商科大学でMBA(経営学修士)を取得後、ノーベル賞選定で知られる名門カロリンスカ医科大学に入学。現在は王家が名誉院長を務めるストックホルムのソフィアヘメット病院に勤務しながら執筆活動を行い、その傍ら有名テレビ番組でナビゲーターを務めるなど精力的にメディア活動を続ける。『一流の頭脳』は人口 1000 万人のスウェーデンで 60 万部が売れ、『スマホ脳』はその後世界的ベストセラーに。『最強脳』『ストレス脳』なども合わせた日本での同氏の著作は累計 110 万部を突破している。
マッツ・ヴェンブラード(Mats Wanblad)
1964年スウェーデン・ストックホルム生まれ。児童文学作家。
協力:新潮社 Book Bang編集部
Book Bang編集部

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ザウルス: 「スマホ脳」ほか“スマホ問題”の本6冊読んでみた 
書評:「スマホ脳」ほか “スマホ問題” の本6冊 
21/04/11 08:47
「スマホ脳」という本がベストセラーになっているというので、さっそく取り寄せて読んでみた。著者はスウェーデンの精神科医である。“スマホ依存” が日本のみならず、今や世界中で問題化してきていることを物語っているようだ。
書名に 「スマホ」 が入っている、“スマホ問題” について書かれた本が日本でもすでに多く出版されている。この際、まとめて読んでみようと思い立った。今回の書評で取り上げるのは以下の6冊である。お断りしておくが、全体としては容赦のない、かなり辛口の書評である。(笑)
6冊を順に書評するというのは初めての試みだが、分量の都合で以下のように2冊ずつ記事にすることにした。
当記事
・「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン 新潮新書 2021
・「スマホ依存から脳を守る」 中山秀紀 朝日新書 2020
・「スマホが学力を破壊する」 川島隆太 集英社新書 2018
・「その「もの忘れ」はスマホ認知症だった」 奥村歩 青春新書 2017
・「スマホ廃人」 石川結貴 文春新書 2017
・「スマホ汚染」 古庄弘枝 鳥影社 2015
このリストの番号は出版年の新しい順である。◆「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン 新潮新書 2021
表紙のカバーと帯を使った本の紹介と著者の紹介はごく普通のことだが、以下に紹介する本では、まずそれらをできるだけ尊重して紹介していく。
「スマホ本」 の中では現在一番売れているようだが、この本の人気の秘密は著者自身の理論や洞察によるよりは、スマホに関するさまざまな興味深い最新の研究を紹介してくれていることによるように思う。また、著者の写真が、ネクタイ姿でも、白衣を着たものでもなく、Tシャツ姿でラフなヘアスタイル、しかもなぜか首を傾けた、非常にカジュアルなイメージ(しかも、そこそこイケメン?)なのも、著書の販売戦略上、かなり計算されていると思われる。実際、著者は医学の他に経営学でMBAを取得している。(笑) 
“テレビ受け” はしそうだが(笑)、精神科医としての実績・業績は相当あやしい。しかし、ビジネスマンとしてはかなり成功している印象がある。(笑)つまり、金儲けには長けていそうである。(笑)
著者の説の土台となる、脳の報酬系がスマホにハイジャックされているために人々がスマホの奴隷になっているという 「報酬系理論」 は、特に新しいものではなく、以前から依存症研究の定石である。しかし、おそらく依存症についてほとんど知らない一般の読者には 「なるほど!」 と思うような話かもしれない。(笑) 多くのスマホアプリがそうした報酬系理論を応用して計算ずくで利用者の脳を自社アプリに巧妙に依存させている “あこぎな手口” が暴かれている。
また、この本が紹介しているさまざまな調査結果のうち、以下のものは特に印象的である。
「大学生500人の記憶力と集中力を調査すると、スマホを教室の外に置いた学生の方が、サイレントモードにしてポケットにしまった学生よりもよい結果が出た。学生自身はスマホの存在に影響を受けているとは思ってもいないのに、結果が事実を物語っている。ポケットに入っているだけで集中力が阻害されるのだ。」
ただ、本書でしばしば展開される 「進化論的適応説」 は欧米ではかなり昔から流布している理論であり、著者はこれを精神病に応用して本書の土台としているのだが、科学的な根拠は非常に疑わしいと言わざるを得ない。たとえば、“甘いものや脂っこいものをたくさん食べたがる遺伝子を持った人々” は、狩猟採集時代では生存の確率が高かったが、そういった高カロリーな食品が安くていくらでも手に入る現代では逆に生存の確率が低くなる、と説明される。そして、人間の脳は狩猟採集時代と大して変わっていないから、われわれは脳の反応にそのまま従うわけにはいかないのだ、と言われる。つまり、“原始人” と “現代人” とを単純に比べているのだ。たしかに非常にわかりやすいではないか!「うーむ、なるほど・・・」 と読者は思わされる。(笑) 
どうやらこの著者はまったく知らないようだが、実は人間の脳は、約1万年前に狩猟採集社会から農耕社会に移行した頃に、劇的に変わっているのだ。とにかく脳の容量がテニスボール1個分減少しているのだ。この変化の重要性については、すでに当ブログの別記事で詳細に論じている。
人類の第2次低脳化現象  (1) 人類は過去に一度 “低脳化”  している
さて、別の章では、逆の例が出てくる。“うつ病” は、現代では社会生活上、“不適応” な病理と判断されがちだが、狩猟採集時代にあっては、不必要な行動をできるだけ慎んで引き籠るというのはむしろ生存確率を高めていたと説明される。読者はここで “狩猟採集時代のうつ病患者” を想像する必要に迫られることになる。洞穴の奥でスマホを持ってうずくまっているのだろうか?(笑)
そして、うつ症状が 「危険な世界から身を守るための脳の戦略」 なのだとまで言われて、多くの読者は 「目からウロコの思い」 で先を読み進めることになる。(笑)「そっかー、うつ病にも適者生存の意味があったんだ!」(笑) うつ病のひとにとっては、みずからの “ネガティブで非活動的な生活パターン” をそのまま正当化してくれるような、“天からの福音” ではないか!(笑) 
精神科医という肩書を有する著者は、実際に何百人、何千人もの自分のうつ病患者にこうした説明をして彼らを安心させ、喜ばれ、感謝され、そして、熱く支持されてきたに違いない。(笑)
「真実の光! 先生、ありがとう!」(笑) 
それならば、同じ論理で、ぜひ “自閉症”、“睡眠障害”、“摂食障害”、“てんかん”、“発達障害” も、実は狩猟採集時代にも存在して、それぞれ「危険な世界から身を守るための脳の戦略」であったという説明もお願いしたいものだ。(笑) 「うつ病」 について言えるのなら、“自閉症” についても言えないわけがないだろう。どうだろうか?(笑) それぞれ生存戦略上の意味やメリットについての “おとぎ話” を紡ぎだせば、救われるように思ってくれる患者はもっともっと増えて、大いに “人助け” になるのではなかろうか?(笑)さらに、“精神病” について “進化論的適応説” が当てはまるのならば、“身体的な病気” については、なおさら当てはまるはずではなかろうか? (笑) そして、“胃潰瘍” “アトピー性皮膚炎”、“肺がん”、“前立腺炎”、“白血病” も、生存上意味のある身体の反応だという理屈も “進化論的適応説” を使えば十分に成立するはずだろう。(笑)この精神科医にすべて任せれば、もはや医者などは要らなくなるかもしれないではないか?(笑) “リウマチ”、“糖尿病”、“花粉症” も石器時代には生存の確率を高めるための人間の身体の戦略だったと言えば、そうした患者は目を輝かせて納得してくれるかもしれないぞ。(笑) うつ病1つに限定することはないだろう!(笑)ケチケチしないで、もっと大奮発したらいい!(笑)精神科医は、悩みを抱えたクライアントに自信と希望を与えるためには、どんな理屈でも方便として使うのだろうか?そうだとしたら、“精神科医” は、“占い師” や “手相見” と大して変わらないことになる。けっきょく、“口先だけの商売” ということだ。こうした浅薄な “話のうまさ” がこの本の随所に感じられる。精神科医の中には、このようにクライアントの心理を自らの弁舌で巧みに操り、いわゆる精神病が治るような錯覚を与えて診察料をせしめている輩(やから)がけっこういるという現実がある。(笑)
この本はスマホに関するさまざまな研究(つまり、他人の研究)を紹介してくれているという意味では、たしかにそれなりに価値はある。しかし、著者自身の最終的な結論としてのアドバイスは、
1)スマホの使用はほどほどに。 
2)もっと身体を使った運動を。 
という実に凡庸なものである。著者はスウェーデンのテレビなどにも頻繁に出演して人気があるようだが、ある意味では、スウェーデンの知的レベルのほどが知れるとも言える。日本でもテレビによく出る学者にロクなのはいない。読む人が読めば、“ツッコミどころが豊富な本” で、必ず不満の残る本であり、そうでない多くの読者には 「目からウロコの本」 かもしれない。(笑)なお、翻訳の日本語には 
「生き延びる可能性が高かった」 
「実際には可能性が少ないのに」 
「生存の可能性が高まる」 
「遺伝子を残せる可能性が高かった」 
という “可能性の高低、多寡” を前提にした訳文が随所に見られて、非常に目障りであった。これらのフレーズ中の 「可能性」 は 「確率」 もしくは 「公算」、「蓋然性」 とすべきところである。なぜならば、“可能性” というものは、論理的に言って、あるかないかのどちらかであって、高低や大小はないからである。スウェーデン語の原文では、英語の possibility に相当する語ではないはずである。「可能性が高い、低い」 のおかしさに気づかない人々
◆「スマホ依存から脳を守る」中山秀紀/朝日新書,2020
職業としては同じ 「精神科医」 ではあっても、「スマホ脳」 の著者のアンデシュ・ハンセン氏の写真の作為的なポーズをいろいろ見てくると、ネクタイに白衣の、愚直な “センセイ” のイメージは、却って自然で好感が持てる。(笑)「スマホ脳」 のアンデシュ・ハンセン氏はスウェーデンの精神科医でありながらも、経営学修士を取得するなど、したたかなビジネスマインドもそなえた人物のようだが、こちらの中山秀紀氏は日本における依存症治療のための国立の大病院 “久里浜医療センター” というガチガチの医療機関の精神科医長である。同業者でも実に対照的である。(笑)
まず、著者の中山秀紀氏は “依存症” 治療の専門家である。「スマホ問題」 をあくまでも “スマホ依存” として、アルコール、薬物、ギャンブルといった依存症のうちの “現代における最新のパターン” としてとらえている。実に手堅いアプローチである。(笑)そして、序文に書いているように、「スマホ依存(症)は、スマートフォンの依存(症)の他にインターネットやゲームなどができる機器の依存全般について指します。」 としっかりとした定義から出発している。つまり、“ネット系の機器への依存全般” を中心的テーマとして話を進めているのだ。とはいえ、著者が挙げる事例の多くは、ゲーム依存の極端なケースである。ゲーム依存にはまった青少年の凄惨な実例がいろいろ出てくる。
著者は依存症とはどういうものかの説明から、その危険、治療の困難さについて語る。実際の治療にあたっている現場の人間の言葉だけに、説得力がある。「依存症」 としての 「スマホ問題」 というアプローチとしては、非常に一貫性があり、「依存症」 としての 「スマホ依存」 という問題提起にはたしかに重みはある。しかし、読み終わって思うのは、極端な、病的な “依存症” のケースに「誰もがなり得る」 と言われても、正直言って実感としては “他人事” のように思えてしまうのだ。(笑) やはり、依存症治療専門の久里浜医療センターにまで行く必要があるひとは世の中のごく一部のひとであって、多くのひとが押し寄せるわけではないであろう。たしかに極端なケースというものは、実際の一般的なケースが誇張され、強化されて表れているだけあって、とらえやすく、分かり易いかもしれない。しかし、たとえば重度のアルコール依存症のひとのケースを示され、「普通の人にもこうなる可能性がまったく無いとはいえない」と言われて普通のひとが困惑してしまうようなものだ。(笑)これは、「電磁波過敏症の人は現代のカナリアである」 というのとはわけが違うように思う。電磁波はひとり一人の判断力やモラルに関係なく、物理的環境として世の中の人々を無差別に同様に覆う。しかし、依存物に依存するかどうかは、当人の理性、判断力、モラルに大きく関わるので、一般化しづらい面があるように思える。早い話が、個人の性格、価値観、倫理観によるのだ。たしかに、治療の現場で日々苦労している医療従事者の経験や知見は貴重である。しかし、社会的な現象としての “スマホ問題”、 “スマホ依存” は、極端で病的なケースの治療のノウハウだけでは解明も解決もできない面があるように思える。とは言え、“依存症” という切り口で “スマホ問題” を捉えようとするならば、この本が必読書であることに議論の余地はない。科学界の流行の理論を散りばめたような、口先だけのレトリックではなく、依存症の歴史、依存症の構造について、きちんと臨床的な経験に基づいた裏づけのある説明をしようとしているところには信頼性があるように思う。ただ、いくつかどうも腑に落ちない点がある。
1「快楽を得たい、気持ちよくなりたい。そのために依存物を使うことを、“正の強化” という。そして、依存物を使わないと  “不快” になる。その “不快” を解消するために依存物を使うことを “負の強化” という」 と説明される。なるほど、非常に論理的で整合的な説明のように聞こえる。具体例として、“痒み” という不快さが挙げられる。痒いのを我慢できずに衝動的に掻いてしまうのが、“負の強化” とされる。しかし、“不快さ” の典型例として、果たして “痒み” は適切であろうか? “不快さ” の典型的かつ代表的な例は、むしろ、“痛み” ではないか? 擦りむいたり、ぶつけたりとか、歯の痛みといった身体的な痛みこそ、典型的な “不快さ(取り除くべき感覚)” ではなかろうか?“痛み” の場合、その “不快さ” を取り除くための衝動的な行動に駆り立てられることは特にない。せいぜい “痛み” のある個所をさすったり、負傷箇所を保護しようと(痛みを増大させないように)する行動を多少惹き起こすかもしれないだけで、それらは決して痛みという刺激に対する生理的反応ではない。“痒み” の場合は、とにかく、“引っ掻く行動に駆り立てる生理的刺激” が存在するのである。これは “痛み” の場合にはほとんどない刺激である。“痒み” には、引っ掻くことに対する “報酬としての快感” が用意されている点が、“痛み” とは根本的、決定的に異なると言えるのではないか?痒いところを引っ掻いているときは、引っ掻くことによって得られる快感を夢中でむさぼっているのである。(笑) 違うだろうか?
“不快な感覚” を除去しているというのとは違うのだ。実は “不快な感覚” ですらない可能性がある。それは、実は “快感への誘(いざな)い” なのだ。そうである、“痒み” とは、“快感への誘惑” なのだ。そして、引っ掻くこと、掻きむしることは、その “誘惑に屈すること” なのだ。
「依存物を使わないと “不快” になる。その “不快” を解消するために依存物を使うことを “負の強化” という」  という著者の、というか、現代の依存症理論のいうところの 「不快」 とは、要するに 「不快」 でも何でもなく、単に、“快感までちょっと距離があること” に過ぎないのだ。(笑) つまり、“負(マイナス)の強化” というのは言い過ぎなのだ。けっきょく、“痒み” とは、プラスがマイナスに逆転するようなものではないのだ。マイナスではなく、プラス、つまり、“快感への誘導” なのだ。“快楽への道すじ” であって、全然マイナスなんかではないのだ。(笑)もし、「依存物を使わないと “不快” になる。その “不快” を解消するために依存物を使うことを “負の強化” という」 ということならば、以下のようにも言えるはずだ。
「依存物を使わないと “不快” になる。」
たとえば、“肩こり” にアンメルツを塗らないでいると、痛みが感じられて “不快” になる。
「その “不快” を解消するために依存物を使うことを “負の強化”  という」 
それでは、“不快” の一種である “肩こり“ を和らげるためにアンメルツを使うことは “負の強化” ということになるのであろうか? もちろん、理論上、“痛み(不快)” を和らげるためにアンメルツを使うことは、“負の強化” ということにならざるを得ないだろう。いや、むしろ “典型的な負の強化” ということになるはずだ。しかし、これを “依存” や “依存症” と呼ぶことに我々は同意するであろうか?「肩こりによくアンメルツを使います」というひとは、そのまま “依存症” ということになってしまうのであろうか?もしそうならば、狭心症で苦しくなった際にニトログリセリンを服用するひとも “依存症” ということにならざるを得ない。たしかに、アンメルツやニトログリセリンを、生活上不可欠に思うひとたちはいるかもしれない。しかし、だからと言って彼らを“依存症” と呼ぶのはいかがなものか? 彼らを “依存症” と呼ばざるを得なくなるような、著者の信奉する現代の依存症理論には、どこか問題があるように思えてならない。
2「依存症は、借金に喩えることもできます。」 と著者は言う。「脳内借金としての依存症」 とも言う。うまいことを言うものだ、と最初は思った。(笑) 直感的イメージとして的確に言い得ている気が何となくしたのだ。しかし、イメージとしてはよくわかるのだが、理論的、かつ論理的に言って、誰の誰に対する借金なのかがどうも曖昧模糊としている。そこで、じっくり考えてみた。経済的、商法的な意味での “借金” であれば、借金をした人間は “債務者” であり、金を貸した側は “債権者” である。それでは、依存症の場合はどうなるのだ?ふつうに考えれば、“依存症患者” が、借金をしている “債務者” であろう。それでは、金を貸している側の “債権者” は誰なのだ? 家族か? 学校か? 社会全体か? たしかにアルコールであれ、薬物であれ、ギャンブルであれ、ゲームであれ、依存症患者が家族に対して疚(やま)しい気持ちを抱いていることは想像できる。しかし、返済すべき疚(やま)しい債務を負っているという意味で、その “負い目” を、“借金” と言うのだとしたら、これは依存症患者にとっては、かなりシビアな表現ではなかろうか?しかも、その債務を返済すべき相手が家族だけでなく、学校の先生、病院の医師、延いては社会全般まで拡大されて意味されているとしたら、依存症患者にはもう逃げ場はない状態だ。いやいや、そんなことまでは意味していない、と著者は慌てて言うかもしれない。しかし、商法的概念を背景に持つ “借金” という言葉1つから必然的に “債権者” と “債務者” という対立的構図が否応なしに浮かび上がってきてしまうのだ。そして、“借金” をしている側が返済すべき ”債務” と、金を貸した側が返済を求める “債権” とが対置されてしまうことになる。つまり、“借金” というたかが言葉1つ ではあっても、その言葉を拒絶しない限り、依存症患者は、家族や社会に対して “負債” を負う関係にある という、“常にバックグラウンドに潜む恐ろしい構図” を受け入れることを期待されているのだ。しかも、“借金“ が金銭的な意味ではないことは誰にでもわかる。ということは、逆にまさに “精神的債務” “道徳的負債” というふうに理解すべきということなのだ。これはある意味で、依存症患者に対する “社会的断罪” である。「お前らはわれわれに迷惑をかけてんだがら、その分その借りは返せよ!」 と言っているに等しい。そういう “上から目線” を “借金” という一語が雄弁に物語っているのだ。「うまいことを言うものだ、と最初は思った。」と書いたが、最初にそう思った時点ではそういった “上から目線” が構造的に潜んでいる ことにはまったく無自覚であった。
◆「スマホが学力を破壊する」 川島隆太 集英社新書 2018
この著者のメッセージは明快である。「子供にスマホを持たせていると子供がバカになるぞ!」 という警告である。しかし、著者本人によるこの本の中の言葉は、以下のようにもっと深刻で過激である。(笑)
「もし、これからも安寧な社会の継続を願うのであれば、人類の文化の深化と成熟を祈るのであれば、スマホを捨てなくてはいけません。少なくとも今すぐに法律を作って未成年のスマホ使用を禁じなくてはいけません。」p.4  
この著者は、これをどうやら本気で言っているようだ。(笑)
著者の川島隆太氏は、そもそも、かつて一大ブームともなった 「脳トレ」 の仕掛人である。(笑)ゲーム機であるニンテンドーDSのソフト「脳トレ」は、世界中で3,300万本売れた、ゲームソフトのベストセラーであった。このゲームソフトは、日本人のみならず世界中の多くの人々を日常的に “携帯用電子的デバイス” に親しませることに大きく貢献したと言える。
実際に脳の働きが向上したかどうかはさほど重要ではない。(笑)人類史における第二次低脳化現象の不可逆な流れにあって、「脳トレ」 は1つのジョークである。携帯用電子的デバイス、電子的情報端末が21世紀の人類の “身体の延長” になる下地を作るのに、日本の一大学教授が大きく貢献したということにしか意味はない。そして今日(2021)、世界中で “スマホ” という電子的情報端末が、人類の “手の延長” どころか、“脳の延長” にまでなっているという、10年前には信じられないような現実が日々繰り広げられている。
今21世紀に、人類社会に導入されてしまった “スマホという電子的情報端末” が、 “トロイの木馬” としてうごめき始めているのだ。
さて、医学博士、川島隆太氏のこの本、「スマホが学力を破壊する」 は、彼が仙台市の市立中学校と市立小学校の約7万名の生徒を5年間にわたって追跡調査した結果をまとめたものである。この調査研究の “強み” は、以下の通りである。
1) 著者が所長を務める “東北大学加齢医学研究所” が、地元 “仙台市の教育委員会” の協力を得て実施した大掛かりな共同研究プロジェクトの成果である。“研究者冥利” に尽きるとはこのことだ!
2) 小中学生の “学業成績” と “一斉アンケート” いう数値化できるデータが、有意な結論を引き出すのに十分なだけ利用できている。
3) “5年間にわたる時系列的な調査” も含み、一貫性のあるデータ解析がなされている。
4) 著者が得意とする 「脳機能マッピング技術」 によって、実際の脳の活動状態がリアルタイムで観察・記録されている。
この本で紹介されているこの共同研究プロジェクトの成果は、かなり信頼性のあるもので、簡単に覆すことは困難であろう。実際、学校教育におけるこれほど広範な調査は、世界のどこにもなされていないだろう。著者が率いる東北大学加齢医学研究所チームは、能う限りの客観性、一貫性、整合性、をもって個々の結論を引きだしており、本書を読む限り、データ解析の信頼性は相当高いと判断せざるを得ない。この共同研究プロジェクトを統括している、著者をリーダーとする東北大学加齢医学研究所はすでに浩瀚な英語の論文を世界に向けて公表しているようだが、この日本語の本はその一部を日本の一般向けにわかりやすくまとめたものと理解していいだろう。
この共同プロジェクトを始めた当初の著者には、“子供たちの学業成績” に対してスマホをはじめとする電子的情報端末が何らかの悪い影響を与えているのではないかという “予想” があった。どんな研究者も、調査に先立って何らかの予想をするものだ。当然だ。もちろん、著者は、スマホが学業成績に対して何らかの “マイナスの作用“ をもたらすことを予想していた。しかし実際、データが出そろって解析してみると、その 「マイナスの作用」 は予想をはるかに超えていたのだ。(笑) 「こりゃ大変だ!」 と危機感を感じた著者は、日本社会に警鐘を鳴らす義務を感じて本書 「スマホが学力を破壊する」 を出版したようなのだ。
実は、この本の元となった論文の紹介は2か月前に以下の別記事で済ませているので、ぜひご覧いただきたい。
スマホを使う子供ほどバカになるという医学論文:好き放題にスマホを使わせてきたバカな親はこれからどうする?(笑)
<スマホ元凶論の問題点>
たしかに、著者が丹念にまとめたデータを見る限り、スマホを使う生徒ほど成績が低いという相関関係は覆えりそうもない。しかし、相関関係が因果関係であるとは言えないのだ。仮に因果関係があるとしても、スマホの何が原因なのかまで絞り込めているとは到底言い難い。ザウルスは、スマホには以下の3つの側面があると考える。
1) ワイヤレス同時通信端末(多機能携帯電話)
2) 依存物
3) 有害な電磁波源
さて、“スマホ諸悪の根源説” の川島隆太氏は、1)と2)の側面は、十分に考慮しているようだが、3)の電磁波源としての側面に関してはまったく考慮外のようで、何の言及もない。「電磁波」という単語は1度も出てこない。「スマホへの依存」を強めるということは、スマホという電磁波源との接触頻度、接触時間が増加すること、つまり、“電磁放射線被ばく量の増大” をも意味するのではなかろうか?スマホを使う生徒ほど成績が低いとしても、それではスマホの何が原因なのかまでは解明できているとは言い難い。スマホによらない電磁波にさらされることによって成績が下がる可能性も否定できないだろう。たとえば、WiFi 教室、学校のそばの携帯基地局アンテナ、自宅の WiFi、自宅のコードレスフォン等々。実際、スマホ、WiFi、コードレスフォンの電磁波である “マイクロ波” は、右の表が示すように、“脳を含む自律神経系” の働きにさまざまな悪影響を与えることが明らかになっている。
「記憶力の衰え、部分消失」
「知的レベルの低下」
「頭痛」 
「疲労感」
「日中の眠気」 
「夜間の不眠」 
「志気の低下、消沈」
「神経衰弱、神経疲労」
これだけの影響が “電磁波” によって生じるのであれば、「成績の低下」 に十分つながる可能性があるのではなかろうか?
◆「その「もの忘れ」はスマホ認知症だった」 奥村歩 青春新書 2017
別の切り口からスマホの流行に警鐘を鳴らしている医師がいる。医師としての学歴、経歴、経験は非の打ち所がない。認知症が専門だったのが、「もの忘れ外来」にやって来る患者に中年層、若年層が増加していることから、「スマホ認知症」の危険を訴えている。豊富な臨床経験に裏打ちされた持論の展開は非常にわかりやすく、ある意味でごく常識的である。(笑)
「アルツハイマーによるもの忘れは、過去にあったことを “忘れている” のではなく、新しい体験を “覚えられなくなっている” ために起こっている」p.27 と著者は言う。
いっぽう、「「スマホ認知症」によって表れるもの忘れは、「検索・取り出し」 の機能が低下するタイプ」p.29 なのだそうだ。そして、
「スマホ認知症」のもの忘れの人には、過剰な情報インプットにより、脳内の情報をうまく取り出せなくなっているという特徴がある」p.30 のだそうだ。ふむふむ(笑)
「私はこうした脳の処理力が落ちた状態を「脳過労」と呼んでいる」p.5 のだそうだ。 なるほど。(笑)
こんなに分かり易い話はない!(笑) しかし、ある意味ではこれは現実なのだ。(笑)
「私はこのようにスマホなどからの過剰な情報インプットによってバランスを崩し、機能を落としてしまっている脳を 「スマホ脳」 と呼んでいます。」p.53
ご注意頂きたい。この本の出版年は 2017 年である。アンデシュ・ハンセンの「スマホ脳」の日本語訳の出版年は 2021 年である。そもそもハンセン氏のスウェーデン語の原書の原題は Skärmhjärnan (英語:Screen Brain) である。「スマホ脳」というタイトルは訳者の久山葉子氏か出版社が付けたものだろうが、おそらく奥村歩氏の著書のこの部分から持ってきたのであろう。(笑)
さて、著者はさらに、「スマホ認知症」や「脳過労」が 「うつ病」 につながると警告する。
スマホ  →  スマホ認知症・脳過労  →  うつ病
「「スマホ認知症」や「脳過労」の患者さんは、記憶力低下やもの忘れ以外にも、決まって多くの体調不良を訴えられます。具体的に症状を挙げると、だるさ、疲労感、頭痛、めまい、不眠、肩こり、腰痛、冷え、動悸、息切れ、吐き気、便秘、下痢、胃痛、腹痛、食欲不振など。」p.44
「そして、「スマホ認知症」や「脳過労」をちゃんと治さずに、こうした不調症状を放っていると、ほとんどの方がうつ病に移行していくようになる」p.44-45  と言う著者は「日本うつ病学会」の会員でもある。
さて、大多数の人がスマホを使うようになった今日、その大多数の人が「スマホ認知症」や「脳過労」に陥る可能性があることになる。そうした状態でのさまざまな体調不良を放置していると、今度は 「うつ病」 になる、という、実にシームレスな展開だ。
スマホ  →  スマホ認知症・脳過労  →  うつ病
しかし、医者が病名診断(たとえば、「うつ病」)を下すことと、その病気の “本当の原因” を突き止めることとはまったく別のことである。
デジタル教科書は児童虐待?(3)あまりにもお粗末な、日本の “電磁波” 常識
電磁波、 うつ病、 自殺 の関係
スマホには以下の側面があるとザウルスは考えている。
1)ワイヤレス同時通信端末(多機能携帯電話)
2)依存物
3)有害な電磁波源
ほとんどの “スマホ本” は、“電磁波源” としてのスマホの有害性、危険性に触れようとしない。まるで、“電磁波問題” が “マスコミ業界におけるタブー” であることをあらかじめ知っているために周到に避けているかのようなのだ。(笑)なお、電磁波源としては、基地局アンテナ や  WiFi  や 5G といった、スマホ使用を可能ならしめるインフラ全体としての電磁波環境を想定すべきである。“水道の蛇口” だけでなく、“流れるものをコントロールするインフラ総体” を視野に入れるべきなのだ。
スマホは誰の目にも見え、文字通り手で触れることもできる。しかし、それを “ワイヤレス同時通信端末” として機能させている “電磁波じたい” は目には見えないのだ。現代社会において、多くの人たちはこうした目には見えなくとも濃密に錯綜する有害な電磁波の海に浸(つ)かって生活している。しかし、どんなにどっぷり浸かっていても、目には見えないので、ほとんどの人はそんなものはあたかも存在していないかのようにして毎日生活しているのだ。ここが多くの “スマホ本” に共通する “スマホ元凶論” の落とし穴であり、同時に多くの人々の盲点でもある。医師や精神科医はたしかに専門家であろうが、通例電磁波は専門外だ。そして、専門家ほど自分の専門外のことについて語ることはタブーと思って、自分のタコツボから脱け出せない。その結果、自分の専門分野から一歩も出ずに “スマホ元凶論” でほとんど説明ができる錯覚に陥るのだ。たとえば、この著者、奥村歩氏は “まさに脳神経外科の専門家として” 以下のように言うのだ。
「「スマホ認知症」や「脳過労」の患者さんは、記憶力低下やもの忘れ以外にも、決まって多くの体調不良を訴えられます。具体的に症状を挙げると、だるさ、疲労感、頭痛、めまい、不眠、肩こり、腰痛、冷え、動悸、息切れ、吐き気、便秘、下痢、胃痛、腹痛、食欲不振など。」p.44
「そして、「スマホ認知症」や「脳過労」をちゃんと治さずに、こうした不調症状を放っていると、ほとんどの方がうつ病に移行していくようになる」p.44-45  
しかし、ここに挙げられている “体調不良” のほとんどは “有害な電磁波” によっていくらでも惹き起こされるものなのだ。“電磁波という目には見えない物理的作用” が原因である可能性について、著者はまったく気づいていないように思える。気づいていないわけではない、としたら、巧妙に避けているのだ。(笑)電磁波の専門家ではなく、普通の素人であっても “電磁波の悪影響” くらいは思いつくのではなかろうか?
週刊新潮 「スマホ認知症」 記事は “巧妙な電磁波問題回避” か “忖度” か?
満員電車のスマホ族、 “電子レンジ通勤” で命を削る?
下記の記事では、“電磁波 → うつ病 → 自殺”  の連鎖が疑われる海外の事例を紹介している。
“うつ病” が目には見えない “電磁波という物理的作用” によって起こる可能性があることは海外ではほぼ常識になっているのだ。
電磁波、 うつ病、 自殺 の関係
◆「スマホ廃人」 石川結貴 文春新書 2017
かなりインパクトのあるタイトルではある。(笑)
実は、似たようなタイトルの記事をこのブログでも書いたことがあるので、もしや、同様の切り口で論じているのかと思いきや、視点はまったく違っていた。
スマホ依存症、“国家的人体実験” 進行中! 10年後は廃人続出?
上の当ブログの記事は4年前の記事であるが、当時から当ブログでのスマホの捉え方は一貫して “電磁波問題” の一環である。(笑)しかし、この本では、残念ながら、他の多くのスマホ本と同様、電磁波問題はまったく “スルー” であって、もっぱら “スマホの依存性” を問題視している “スマホ元凶論” である。スマホの強い依存性、中毒性をさまざまな階層の人々の事例を通して描き出している。ご苦労さんである。(笑)著者、石川結貴氏の強みは、足を使った地道な取材とインタビューのようだ。たしかに本書中でも専門家から市井の人々までさまざまな人々から “貴重な言葉“ を引き出していて、そこそこ面白く読ませる。著者は4年前(2017 年)の本書の 序文で以下のように言っている。
「内閣府の「消費者動向調査」によると、スマホの世帯普及率(67.4%)がガラケーを上回ったのは 2015 年で、私たちの生活にスマホが浸透したのは、ここ数年の話と言える。
押し寄せる進化と変化に対し、多くの人は息つく間もなく、ほとんど無防備に向き合っている。私たちはスマホとともに、この先どこへ向かうのか、果たしてそこに、想定外の事態が待ってはいないだろうか。」p.10読んでいくと、4年前とは思えないくらいに今日の状況を先取りして語っているように感じる。逆に言うと、今日の状況は、この本が書かれた頃よりもはるかに先を行っている状況になっていると考えられるわけで、ちょっとコワい気がする。(笑)
第1章の「子育ての異変」 では、以下のような話が語られる。(太字、画像は引用者)
「取材の際にも、「教えてもいないのに、子供がスマホを操作をすぐに覚えた」とか、「ひとりでどんどん使っている」といった声がたくさん上がるが、要はスマホを与えさえすれば幼児はたやすくおもちゃ代わりにしてしまう。」p.29
これが、4年前の 2017 年である。話はさらに続く。
「外出先でもスマホは必須アイテムだ。特に病院や役所などの公共の場所では、子どもが騒いで周囲の迷惑にならないようにと必ず使わせている。スーパーで買い物をする際、「お菓子が欲しい!!」と駄々をこねる娘たちに対し、お気に入りのゲームをさせて落ち着かせることもある」p.32
なるほど・・・。(笑)
「家事の間もスマホを与えておけば安心だ。子どもがおとなしく座っているうちに揚げ物をしたり、食器を洗ったり、ベランダで洗濯物を干したりできる。単に家のことが片付くという話ではなく、子どもが調理器具にさわってヤケドをするような危険も防止できるから「一石二鳥」だと笑う。」p.32
あまりにも説得力がありすぎて(笑)、ちょっとコワくなるのはわたしだけであろうか? 次には子育てママのナマの声がそのまま引用される。
「「世間では、スマホなんかに頼って子育てをして、と批判もあるでしょう。でもそれは、今の子育てを知らない人の考えだと思いますね。以前から子どもをおとなしくさせるのに、テレビを見せたり、お菓子を食べさせたりしたでしょう。そういう形がスマホに替わっただけの話です。現実に役に立っているし、子どもも喜んでいる。わたしのストレスだって減るから、結果的には子育てがうまくいくことになるんじゃないでしょうか。」」p.33
ムムムムム・・・。いやはや、庶民の論理のしたたかさに、ちょっとクラクラしそうである。(笑)しかも、これは4年前である!さらに追い打ちをかけるように別のママの声が続く。
「「ママ友同士でもこどものスマホ利用を話題にすることがありますが、私の周囲ではみんな肯定派です。いつでもどこでも使えるし、子どもの反応もいい。なんといってもお金と手間がかからないことが大きいです。クレヨンやノート、おもちゃ、絵本、そういうものを買わなくてもスマホだけあればいろんな遊びができます。しかも新作がどんどん出るので、飽きっぽい子どもにはピッタリだと思います。ちょっと遊ばせてまた次、今度はこれと試そうってできるから、タダで使えるおもちゃ箱を持っているようなものですよ。」」p.34
うーむ、スマホ依存もここまで開き直られて自己正当化されると、「もう勝手にしろや!どうぞ、どうぞ!」と言いたくなる。まあ、これが現実なのであろう。(笑) 
そして、これは4年前の 2017 年の話なので、4年後の現在(2021年)では、母親と幼児のスマホ依存はさらに深まっていて、もはや “スマホなしの子育て” はあり得ないくらいになっているのではないか?(笑)
第4章の「エンドレスに飲み込まれる人々」 では、以下のような話が語られる。(太字、画像は引用者)
「ところが今、自分の意思とは無関係に、否応なくスマホを手放せない人たちが現れている。業務用、会社支給のスマホを使うことで位置情報やリアルタイムの状況を管理され、延々と拘束されてしまうのだ。」p.165
“デジタル的監視社会” は中国のことかと思っていたら、自由と民主主義の日本でもじわじわと同等の監視システムが “政府” よりも “民間” から広がりつつあるようだ。(笑)
「スマホを使った勤怠管理や行動把握、場合によっては物理的、精神的な監視下に置かれるような状況も出現している。」p.165
「飲食店向けの店舗管理を行う会社で営業職をする山本(仮名・30歳)は、「会社支給のスマホを使うと、自分が奴隷になったような感覚です。」と嘆息した。現在地や移動ルートがスマホのGPS 機能で上司に把握され、一日の行動を監視されているという。」p.166
これはほとんど ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界 だ。(笑)
この話は2017 年の話だ。4年後の今の状況をちょっとネットで調べてみた。以下は 2021年 のデータである。
「スマホの会社支給は半数以下」と言っているが、“半数近くもある” ことに驚くのは、わたしだけであろうか? しかも、昨今では、“業務用に特化したスマホやタブレット” もかなり出回っているではないか!もう逃げ場はない!(笑)
「スマホの危険性」 とは?
さて、一般的に、携帯電話やスマホの 「危険性」、「ヤバさ」 というと、日本では
1)「ネット上で金銭や個人情報等が騙し取られること」 と、
2)「特に未成年がネット犯罪に巻き込まれること」 
の2つが問題になるようだ。どちらも、要するに “ネット犯罪の被害者になる可能性” であり、日本ではそれを 「スマホの危険性」 と言っているようなのだ。この 「危険性」 とは、けっきょく金銭的被害、精神的被害、性的被害のいずれかである。なぜか日本では スマホの電磁波による物理的で日常的な “健康被害” については、ほとんど問題にされない。実際、この「スマホ廃人」 という本でも、「スマホの危険性」 として、特に未成年の女子のケースを取り上げているが、“電磁波による健康被害” については、まったく言及がない。あまりにも庶民目線で問題を追っているとこうなるのだろう。実際、海外の動向への目配りが乏しく、せいぜいが「スティーブ・ジョブズは子供にスマホを与えなかった」 というような話どまりだ。(笑)けっきょく、日本の大衆の度の過ぎたスマホ依存を面白おかしく紹介しているのにとどまっている印象だ。たしかに、“ネット犯罪の被害者になる可能性” は存在することは存在するが、これが主たる危険性と認識されている日本に対して、海外では別の危険性も問題になっていることも触れるべきではないか?
以下の検索結果は日本語と英語で比べたものである。images  で検索すると、カテゴリー別になって表示されるので、全体像を把握しやすいメリットがある。それをさらに色分けしてみた。日本語で 「スマホの危険性」 を検索した結果では、ネット犯罪、つまりセキュリティ関連の危険性(黄色の枠)が圧倒的に多く、カテゴリの半数を超える。“oppo” や “中華スマホ” が出てくるのは、個人情報が中国に盗まれるという、セキュリティ上のリスクによるものであろう。そして、次に来るのは、「歩きスマホ」等の、スマホによる不注意事故(緑の枠)のリスクに関したものである。スマホの危険性としては、主なものはこの2種類だけである!
以下は、英語で検索した結果である。ただし、なぜかフランス語の検索結果も混じっている。
黄色の枠 は、日本にもある “セキュリティ上のリスク” であり、未成年(teens, children, teenagers)に対する懸念が海外でも現れている。しかしそれでも全体の4分の1ほどだ。
赤枠 は、“電磁波” “健康” に関したリスクである。これは日本語での検索ではほとんど出てこないものだ。この重要なカテゴリーが丸ごと抜け落ちて、黄色と緑の枠だけになっているのが日本なのだ。
紫色の枠 は、“スマホ依存” の危険性である。これは今回取り上げたほとんどのスマホ本の中心的テーマでもあり、事実としてはたしかに日本にも存在している。しかし、日本語で「スマホの危険性」で image 検索してもカテゴリとしては出てこないのだから、問題意識としては日本では表面化していないことを物語っていると言える。しかし、海外(英語、フランス語圏)では、“addiction 依存”  “スマホ依存 smartphone addiction” としてキーワード化している。
日本では、“歩きスマホ” で人にぶつかることを除けば、“ネット犯罪“ に巻き込まれるリスクこそが “スマホの危険性” の最大のものと認識されているようだ。海外でももちろんネット犯罪は存在し、当然その被害もあるが、“スマホの危険性” としては、“電磁波” や “依存性” も問題になっている。“セキュリティ上のリスク” はたしかに存在するが、誰もが日常的にその被害を受けているわけではなかろう。スマホを使う老若男女が 金銭的被害、精神的被害、性的被害 を日々こうむっていると言えるだろうか?せいぜい、「そういうことも起きるかもしれないから、注意しよう」 という程度のことだろう。しかし、スマホの電磁波による直接的で物理的な被害である、“健康被害” はスマホを使う老若男女が日々リアルタイムでこうむっている実害である。ただ、電磁波が人間の目には見えないだけである。さまざまな健康障害が発生しているのだが、まさか目にも見えない電磁波が原因だとは思わないのだ。しかし、海外では目に見えなくても、実際に健康被害に関連付けられて問題視されているという現実がある。
どうやら日本ではマスコミと電通が巧妙に操作して、最も重大な “電磁波の危険性” を隠蔽するために “ネット犯罪の危険性” を過剰に警告している疑いすらあるように思う。つまり、スマホ、携帯電話、WiFi、インターネットといった “無線通信インフラに関しての危険性” には、セキュリティ(PCウイルスワクチン、フィルタリング等)の向上で十分に対処できるような錯覚を与えているのだ。手品のような “問題のすり替え” である。(笑)
さて、今回取り上げた6冊の “スマホ本” の中で “電磁波の危険性” を問題視している唯一と言っていいほどの本が、以下の最後の本である。
◆「スマホ汚染」 古庄弘枝 鳥影社 2015
この本のサブタイトルは「新型複合汚染の真実!」 であり、ノンフィクションライターである著者の問題意識はかなり広範で、しかも掘り下げも深い。今まで見てきた5冊のスマホ本はすべて新書本であるが、この本は単行本で 500 ページもある労作である。タイトルに 「スマホ」 が入っているが、スマホが最も身近な電磁波源であり、著者は電磁波の危険性を特に問題視しているからである。それでは、この本は電磁波の本なのかと言うと、そうとも言えない。著者が危険とみなすものは、まだ他にもある。右の、本の赤い帯の裏表紙部分をご覧いただきたい。
著者は、今日 “環境破壊” がさまざまなレベルで進んでいることに警鐘を鳴らしている。もちろん、その筆頭は “電磁波環境の破壊” である。その最も身近な例として、スマホがあるということだ。電磁波(電磁放射線)には以下のように自然のものと、人工的なものとがある。
著者にとって、電磁波問題はスマホに限定されない。当然だろう。スマートメーターも、WiFiも、5Gも、ユビキタス社会も根は同じで、“人工の電磁波” が問題なのである。それでは、人工の電磁波の何がいけないのか? すでに上でも論じたが、筆頭は “健康被害” である。以下のリストをじっくりご覧いただきたい。あなた自身に該当する項目はゼロだろうか?すでに前記事で取り上げた4冊目の 
「その「もの忘れ」はスマホ認知症だった」 奥村歩 青春新書 2017 では、以下のような文があった。
「「スマホ認知症」や「脳過労」の患者さんは、記憶力低下やもの忘れ以外にも、決まって多くの体調不良を訴えられます。具体的に症状を挙げると、だるさ、疲労感、頭痛、めまい、不眠、肩こり、腰痛、冷え、動悸、息切れ、吐き気、便秘、下痢、胃痛、腹痛、食欲不振など。」p.44
ほとんどの “スマホ本” は、“電磁波源” としてのスマホの有害性、危険性に触れようとしない。まるで、“電磁波問題” が “マスコミ業界におけるタブー” であることをあらかじめ知っていて必死に避けているかのようなのだ。(笑)なお、電磁波源としては、基地局アンテナ や  WiFi  や 5G といった、スマホ使用を可能ならしめるインフラ全体としての電磁波環境を想定すべきである。“スマホ” は誰の目にも見え、文字通り手で触れることもできる。しかし、それを “ワイヤレス通信端末” として機能させている “電磁波じたい” は目には見えないのだ。現代社会において、多くの人たちはこうした目に見えない濃密に錯綜する有害な電磁波の海に浸かって生活している。しかし、どっぷり浸かっていても、目には見えないので、ほとんどの人はそんなものはあたかも存在していないかのようにして毎日生活している。ここが多くの “スマホ本” に共通する “スマホ元凶論” の落とし穴であり、多くの人々の盲点なのだ。医師や精神科医はたしかに専門家であろうが、電磁波は専門外だ。そして、専門家ほど自分の専門外のことについて語ることはタブーと思って、自分のタコツボから脱け出せない。そして、自分の専門分野から一歩も出ずに “スマホ元凶論” でほとんど説明ができる錯覚に陥るのだ。アフリカから日本に来た人が、「おみやげに何がほしいですか」と聞かれて「水道の蛇口」と答えたことがあるという。蛇口をひねるだけで安全な水がいくらでも出てくる “恩恵の源泉” だからだ。スマホを問題にする多くの人々は、電磁波を使ったワイヤレス通信のインフラが視野に入っていないので、端末に過ぎない “スマホ” という道具が “恩恵の源泉” から今度は “諸悪の根源” に変わっただけなのだ。水道の端末に過ぎない “蛇口” しか見えていないのと同じなのである。(笑)
さて、「スマホ汚染」の著者は、特定の分野の専門家ではない強みもあってか、より広い視野で物事や問題を見ることが出来ているように思える。実際、海外の動向への目配りも怠らない。この本の目次をお見せすれば、どれだけ広く、深く掘り下げているかがわかろう。とは言え、本書は大著であるので、12章あるうちの5章までである。それでも大変な量だ。それぞれの章に赤で見出しをつけてみた。
「その「もの忘れ」はスマホ認知症だった」の著者は、以下のように語っていた。
「そして、「スマホ認知症」や「脳過労」をちゃんと治さずに、こうした不調症状を放っていると、ほとんどの方がうつ病に移行していくようになる」p.44-45  
こう語る著者は「日本うつ病学会」の会員でもある。
脳波は超微弱な電磁波である。スマホ、WiFi  の電磁波は非常に強く激しいマイクロ波という電磁放射線である。強烈な人工的電磁放射線が人間の脳や精神状態に何らかの悪影響を与える可能性は皆無だろうか?1から5までのスマホ本のすべてにおいて、子どものスマホ使用に関しては、たしかに強い警告がなされている。子どもの方が “スマホという依存物” に対して大人よりも無防備だから、はまりやすいからというのがその理由のようだ。そして、「スティーブ・ジョブズは子供にはスマホやタブレットを与えなかった」という話などにつなげて、ネット時代の輝かしいヒーローの権威にひれ伏しているのだ。(笑)しかし、今まで見てきたスマホ元凶論の5冊のいずれも、“子どもの方が大人よりも電磁波に対して、より無防備で、より悪影響を受けやすい” という “物理的、解剖学的現実” についての言及はいっさいないのだ。そもそも 「電磁波」 という単語すら、1~5の新書版の5冊にはいっさい出てこないのだ。けっきょく “スマホ” を “ポケットに入る蛇口” のようにしか捉えられていないのだ。情けない限りである。(笑)
さて、最後に紹介した 「スマホ汚染」 は、実は6年前に出版された 2015 年に、すでにわたしは読んでいる。今回、他の5冊を読んだ後にあらためて読み直したが、最初に読んだ時のインパクトがよみがえってきた。わたし自身、この本の影響を受けていると思う。振り返ってそう思う。スマートメーターの危険性を知ったのもこの本のお陰であったと思う。この本は、スマホを入り口として “電磁波問題” を広く扱っているという意味で、他のスマホ本の中でも頭一つ抜きん出ていると言える。6年経った今でもそうなのだ。残念なことだが、他のスマホ本が 「群盲象を撫でる」 のレベルにとどまっているのだ。スウェーデン人は除外するとして(笑)、他の新書本の著者たちは執筆前に 「スマホ汚染」 を読んでいないのだろうか?もし読んでいないとしたら、同じく 「スマホ」 を含んだ書名の本を書く立場として、まったく調査不足、勉強不足であろう。仮に読んでいなくても、スマホという “無線通信端末” についての本を書くのであれば、それを機能させている “電磁波” について何らかの言及があってしかるべきであろう。逆に、読んでいるのだが、それでも電磁波については敢えていっさい触れていないのだとしたら、非常に偏屈な発想であり、却って視野の狭さをさらけ出す結果になっている。
“スマホ” には以下の3つの側面がある、とすでに書いた。
1)ワイヤレス同時通信端末(多機能携帯電話)
2)依存物
3)有害な電磁波源
スマホの “電磁波源” としての側面と言うと、“点” のイメージがあるが、実際は社会を覆う “面” である。つまり、“電磁波環境” なのである。より正確に言えば、“社会のワイヤレスインフラを支える人工的電磁波層” である。この “人工的な電磁波層” は、現代の科学技術をもってしても、人間を含む生命全般にとって無害なかたちで成立させることは不可能である。ということは、そうした “人工的な電磁波層=スマホの電磁波” は、原理的に 人体や地球の生命全般にとって有害かつ危険なものである。そして、この “人工的電磁波層” は “5G” などによって、ますます濃密に人間社会にのしかかっているのだ。非常に危険なものなのであるにもかかわらず、この電磁放射線は単に「目に見えない」というだけで、問題にされていない。それどころか、目に見えない電磁放射線の危険性を語ると、“オカルト扱い” するおかしな人間もいるほどだ。(笑) しかし、原子力(核)発電所が事故の際に放出する “放射線” も帯域は異なるが、同じ “電磁放射線” であり、同じように目に見えないことを忘れてはいけない。以下の1~5のスマホ本は、“ごく狭い可視光線の帯域” の範囲で物事を見ているようなものだ。それに対し、6のスマホ本は “より広い不可視の帯域” までも視野に入れて物事を論じていると言える。
・「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン 新潮新書 2021  ★★★☆☆
・「スマホ依存から脳を守る」 中山秀紀 朝日新書 2020 ★★★☆☆
・「スマホが学力を破壊する」 川島隆太 集英社新書 2018 ★★★☆☆
・「その「もの忘れ」はスマホ認知症だった」 奥村歩 青春新書 2017 ★★★☆☆
・「スマホ廃人」 石川結貴 文春新書 2017 ★★★☆☆
・「スマホ汚染」 古庄弘枝 鳥影社 2015 ★★★★★

ザウルスの法則
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ハワード・ヒューズ....20年間の密室暮し〜大富豪の奇妙な人生
20年間の密室暮し
ハワード・ヒューズ(1905〜1976)は映画プロデューサーとして,また世界有数のアメリカの大富豪として知られているが,それよりも生前から謎につつまれた伝説的な人物として有名であった。50 歳をすぎる頃から公開の場に姿をあらわすことをやめ,その生活は秘密の厚いヴェールにおおわれ,その死亡は遺体解剖と指紋照合とによって確認されるほどだった。この謎の大富豪をめぐってはさまざまな憶説がとびかいにせの伝記が出版されたりしたこともあったが,彼のかっての部下が書いた信頼できる手記などが発表されるに及んでわかってきたのは,彼もまた淋しい大富豪の一人であったという事実である。もちろん、彼ははじめから大富豪でも孤独な人間でもなかった。人間というものは行を先が皆目見当のつかない生きものである。老年になって若い頃の願望を達成するのはそれはそれで願わしいことではあるが,順望の実現が必ずしも願わしい結果を生むとはかぎらないのが人生という長すぎる旅路である。
彼は10代のはじめに四つの人生の目標をたてた。
1.世界一のゴルファーになること
2.一流の飛行家になること
3.世界で最も有名な映画プロデューサーになること
4.世界一の大富豪になること
このうち,1を除き他の3つの目標はほぼ達成された。世界一の大富豪という目標については,世界一はともかく,莫大な富の所有者になったのは事実である。父親から工作機械側造会社を相続したヒューズは,この会社から得た資金を飛行機メーカー,エレクトロニクス産業,航空会社,映画産業,レジャー産業などに投資して「ヒューズ帝国」と言われる大企業集団を築いた。ラスベガスのカジノを買収し,そのあがりの15パーセントは酒もタバコもやらないヒューズの懐にはいった。映画プロデューサーとしては1920年代後半から約30年間にわたって映画の製作にたずさわり,ジーン・ハーローやジェーン・ラッセルなどの肉体派女優を売り出し,凡作が多かったがアクションを取り入れたり,セックス・アッピールを売りものにしたりしてともかくも世に知られた。......
■細菌恐怖の世界
たいていだれにもなにかこわいものがある。カミナリがこわいという人がいる。毛虫がこわいという人がいる。蛇がこわいという人がいる。『ロジェ同義語辞典』を見ると,60以上の恐怖症が列挙されている。たとえば,尖端恐怖症,対人恐怖症,雷恐怖症,爬虫類恐怖症,書物恐怖症,広場恐怖症,閉所恐怖症,高所恐怖症,水恐怖症(恐水病).....。この世に存在するほとんどすべてのものが恐怖の対象になりうるわけであるが,たいていの人はなにかこわいものがあってもふだんはそんなことは忘れているものだ。カミナリのこわい人はカミナリの音を耳にするや恐怖にとらわれるが,カミナリが去ればけろりとしたものである。
ところが,いつもなにかがこわいと思い続け,それが頭からはなれないようになるとことは面倒になる。その恐怖の対象といつも戦っていなければならなくなり生活のすべてはその戦いのために犠牲にされるという事態にたちいたる。ハワード・ヒューズの身におこったのはまさにこういうことであった。いまでは彼が細菌恐怖症 (bacteriophobia)にとらわれていたことは,彼を親しく知る人びとの証言ではっきりしているが,はじめは単なるきれいずきといった程度だったようである。それというのも両親が早死にしたので(50 代で死亡),ヒューズは自分も早死にするかもしれないとおそれ,命をむしばむ細菌を警戒するようになったためであった。風邪をひいている人は避け,家に帰ったらうがいをする―たいていの人がしているのと同じことをヒューズも励行していた。ところがやがて50 代にさしかかるころから,人ごみを極度におそれだれとも握手をしなくなり,人に会うのを避けるようになった。そしてたとえばドアの取っ手に触れるのをきらい,部屋の出入りにはだれかにドアをあけさせた。どうしても自分であけなければならないときには、ハンカチで取っ手をつかんだ。ヒューズはすべては「長生き」のためなのだとまわりの者に説明した。病気になることを彼がどれほどおそれたかを語るこんなエピソードがある。あるとき,のどに異常が生じたと思いこんだことがあった。彼は一週間というものひとことも喋らず,会話はすべて筆談で通した。のどの調子がもとにもどるとふたたび喋りはじめた。一週間も口をきかないというのは並大抵のことではない。よほど堅い決意と思いつめた心がなければできるものではない。わずか一日でも口をきいてはいけないと言われたら,たいていの人は閉口する。しかし彼には執念にとらわれた人間に特有の忍耐力と持続が,病気にならないようにするためどんな困難もものともせずに実行できたのである。
■二十台のシボレー
はじめはきれいずきといった程度だった人間がこれほどの細菌恐怖症になったのはどういうわけなのか?心に変調をきたすことになるきっかけや原因はなかなか特定しがたいものであるが,その原因のひとつと思われるのは、50歳近くになる頃から、自動車事故の後遺症によるものと見られる神経衰弱の兆候を示したことである。そして細菌恐怖症とともに彼を一種の孤独地獄とも言うべき密室にとじこめることになったのが,極度の秘密主義である。ピュリツァーも秘密主援者であったが,ことによると世の孤独な大富豪の共通点として秘密主義をあげることができるかもしれない。経営上ならびに一身上の秘密保持のために,そして護身のために20台のシボレーを買い,毎日ちがうシボレーに乗ることにしていたが,ヒューズのすることはなにごとも極端である。どう考えても20台は多すぎはしないだろうか?そのうえ「そっくりヒューズ」の男まで雇っていたのであった。ヒューズに接する者はすべて口のかたい人間でなければならなかった。彼は専任の理髪師を雇っていたが,ヒューズのことについて新聞記者などに話をもらしたりするとただちにくびになり新任が採用された。口がかたく規律をよく守るというのでモルモン教徒の理髪師が選ばれた。もちろん理髪師にも完璧な清潔が要求され,調髪にあたっては,手術に臨む者がするように両手をよく洗ったうえで外科用のゴム手袋をはめ,けっしてヒューズに話しかけてはいけないことになっていた。その徹底した秘密主義を如実に物語っているのが厳重このうえない身辺警護である。彼は家庭というものを持たずホテルに住んでいたが,いつも最上階のすべての部屋を占領し,ヒューズがいる部屋の真下の部屋はあいたままにさせた。もちろんだれか「敵」に盗聴などされないためである。ヒューズが占領する最上階は8時間勤務三交代制でガードマンによって警備され,最上階のエレベーターの前には武装したガードマンが待ちかまえるというものものしさに加え,ドイツ産の大きなシェパードをつれたガードマンが屋上をパトロールするという念の入れようである。
晩年のヒューズはラスベガス,バハマ,カナダのバンクーバー,ニカラグア,ロンドン,ふたたびバハマへというように各地を転々としてホテル暮しを続けていたが,いつも移動は極秘のうちに行われた。ラスベガスからバハマに移るときなどは雇っていた警備員にも内緒で,夜明け頃を見計らって非常階段から「脱出」するという有様である。このように細菌恐怖症と極度の秘密主義にとりつかれた大富豪は真っ暗なホテルの密室にとじこもって生きるという,まるで蓑虫歯ごもりの金のような生存様式を選び,それ以外の生き方ができなくなっていた。そしてテレビを見ることもなくなり,新聞を読むわけでもなく,外部からの情報の入手も途絶し数メートル四方の空間が彼にとっての世界のすべてとなった。一日中そして一年中,そのわずかな空間のなかを歩きまわったり,大部分の時間はベッドに横になったりすること,それが彼の行動のすべてである。彼は閉所恐怖症にだけはならなかった。
■感覚遮断の実験
ところで人間の精神活動は外界からの何らかの刺激を受けることによって営まれるものである。自然の風を眺めたり,人間の顔を目にしたり,人と話をしたり,本を読んだり,音楽を聞いたり,絵画や彫知を見たり―人間の精神活動をうながすためには外界からの刺激が必要だ。人間の精神活動の中心にあるのは意志や意欲といった,心のなかに秘められたものであるが,それだけでは精神の活動は雲のようにつかみどころのないものとなる。外界から得る刺激は彫刻家にとっての大理石のようなものであり,意志や意欲はノミと槌である。両者が用意されてはじめて精神は健全な活動を保証される。ところが外界からの刺激がなくなったらいったいどういうことになるだろうか?
感覚是断実験の実験報告によると感覚を遮断された密室の状態にないあいだ置かれた人間は,まず注意力や思考力が減退しやがて幻覚が生ずるようになるという。たとえば机がいくつもいくつも積み重なっているといった幻覚を見る。はじめは自分が見ているものは知覚であるとわかっているが,やがてそれを現実の映像と思い込むようになってしまう。あるいは幻聴が生ずることもある。このような実験からはっきりわかってきたのは,人間は外部からの感覚の刺激を遮断されると,感覚や知覚に変調をきたし正常な思考力を失うということである。
ヒューズが置かれた状況は,まさしくこのような感覚遮断実験のための実験室にほぼ等しい。彼の晩年は感覚遮断実験にささげられたようなものである。残念なことに彼が「実験室」のなかでどのように感じ,どのように考えていたかについてはわかっていないが,たぶん幻覚を体験したことはまちがいないだろう。また「ヒューズ帝国」に対して密室から出す指令などもだいぶ混乱していたのではなかろうか。もはや「ヒューズ帝国」は彼の手の届
かないところにあったのではなかろうか。彼は自分を巨大な企業集団の支配者だと思い込んでいたが,実のところ彼が自由にできたのは自分をホテルの密室にとじこめておくための費用だけにすぎなかったのではなかろうか?ヒューズは細菌の巣である世界,自分をつけ狙う「敵」でいっぱいの世界をシャットアウトしようとした。しかし気がついてみるとヒューズ本人の方が世界から隔離されていいのではなかろうか?そのことに気がついていたかどうかはわからないが,しかし気付いたところで,彼もはや密室から外の世界に脱出することはできなかった。「ヒューズ帝国」の幹部達は,いつまでもヒューズがホテルの最上階の密室に滞在することを望んでいたに違いない。彼はいわば監禁の身であったのだ。すべては相互のはたらきかけのなかにある。押す着は押される者でもある。頬を打つ手は頬によって打ち返されてもいる。自分を世界から隔離することは同時に自分が世界から隔離される事でもある。....
―孤独の研究,木原武一,    
       
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2024年12月20日金曜日