2022年8月19日金曜日

[ゲーム][TV] ファミコン版ドラクエⅣの魅力






[ゲーム][TV] ファミコン版ドラクエⅣの魅力
FC版ドラクエ4が最高だ vol.1 - 勇者に居場所はない(エンディング考察)
2020年05月12日22:46 
カテゴリ:Video Games
ドラクエは、ファミコン版の4が最高だ。なぜなら、エンディングの最後で、勇者が気が◯って●ぬからである。
この度、私がドラゴンクエストシリーズで一番好きな「ファミリーコンピューター版のⅣ」について、その魅力を連載形式で記してみたいと思う。第1回目の今回は、エンディングのシーンを題材に、私がドラ4でもっとも惹かれた点である 「勇者の立場とその心情」 について考察する。なお、エンディングを扱うということは、すなわち「究極のネタバレ」ということである。本記事は、ドラ4を(リメイク版でもいいので)1回以上クリアしてから読まれると、十分に楽しめるであろうことをお断り申し上げる。また、本連載は、主に、私が最後にドラ4をクリアした学生時代の記憶に基づいて書いている。記憶違いについては何卒ご容赦願いたい。
■勇者には、帰りを待ってくれる人がいない
標題の事象が一番端的に現れているのが、本作のエンディングのシーンである。お転婆姫の帰国はまだいい。王国の跡継ぎという存在は、もともと庶民には縁遠いものである。国家に属さない、山奥のひなびた田舎(隠れ里)の村で育った「17歳の無職少年(もしくは女子少年)」にはなおのことだ。
勇者にとって一番つらかったのは、トルネコの帰宅シーンを目にしたことだろう。出迎える妻ネネ、駆け寄ってくる息子(『トルネコの大冒険』では「ポポロ」)。そして、満面に喜びの色を浮かべて、夢中で息子を抱きかかえるトルネコ。30後半で脱サラして事業を起こし、戦争を契機に国家に食い込んで政商となり、アベ友バリの随意契約で勝ち取った甘い汁を公共事業支援(ブランカ洞窟)にぶち込んで名声を金で買い、さらに、勇者一行に帆船を乗組員ごと用立てて、その名誉を不動のものとする…。死の商人(武器商人)として、世界の混乱に乗じて商才を開花させ、イケイケドンドンで成り上がり続ける、基本的に悲壮感とは無縁な、事業家としての自信に満ちているトルネコ。彼とはどこか、反りの合わないものを、勇者は冒険中から感じていたと推察される。しかし、そんなことは、このエンディングのワンシーンの破壊力に比べたら、とるに足らないものである。トルネコには、帰りを待ち望んでいる家族が居る。自分(勇者)には居ない。
この現実を、この数秒間の間に、勇者(とプレイヤー)は、厳然と叩きつけられることになる。トルネコ一家を邪魔しないように「2マス」距離を空け、静かに眺める勇者。この侘しさ。え?「天空城に実母がいる」だって? 確かに、実母は勇者と共に暮らしたがっているかも知れない。しかし、17年以上ぶり(旅立ち時点で勇者は満17歳)で会って、いきなり「私が本当のお母さんよ」と、それまで1度も会ったことのない、髪の毛の色くらいしか似ていないオバサンに言われて、果たして勇者は、ポポロ(仮)がトルネコにしたように、無邪気に、自然に抱きつくことが出来るだろうか。否である。いくら血がつながっていると言っても、勇者と実母は明らかに、精神的には他人同士だ。マスドラが喜ぶように感動の再会の演技をしたとしても、そのよそよそしさに、少なくとも思春期真っ盛りの「17歳の無職少年(もしくは女子少年)」は、30分と耐えられないだろう。
■勇者は、この世界では “珍獣”
この、勇者の抱える絶望的な孤独に、導かれし者たちの中で最初に気づいたのは、恐らくライアンだと思われる。地元に帰ってきた、家に帰ってきた喜びが爆発し、勇者のことは眼中から消えてしまっている他の仲間たちと違い、ライアンは、バトランド王との謁見の際、冷静に、王に勇者を紹介している。他のキャラクターらのはしゃぎぶり(滑らかな動き)とは大きく異る、しゃちほこばった、儀礼的な動き。そしてバトランド王も、丁重に、勇者を国に迎えたい旨を申し出る(ように見える)。それを、あっさり断る勇者。このシーンのポイントは、ライアン(そして、ライアンの意を咄嗟に酌んだバトランド王)が、強く引き止めていないことである。長く職業軍人を務め、また、休職後は何年間も、独りで世界を旅していたライアンは知っている。勇者は、これまでの旅の道中と同じく、仲間以外のいわゆる一般人からは、同じ人間ではない何か珍しい存在のように扱われるだろうこと。勇者や王の意図にかかわらず、勇者がバトランド王の配下に入ることは国家間のパワーバランスを一変させるため、政治的に極めて機微な問題となること。「狡兎死して走狗烹らる」で、良くても飼い殺しになるだろうこと。そして「現実社会に適応しろ。大人になれ」と言うには、勇者はまだ若く、しかも数年間のうちに苛烈で凄惨な体験を味わい過ぎていて、その経験を受け入れるのには、長い休息を要するだろうこと。を。
王の方も、勇者が申し出を断ってくれて、内心ホッとした公算が高い。バトランドは、この世界の中では明らかに小国に属する。この国力では、他国との摩擦の種になり得る勇者を、持て余すに決まっているからだ。このシーンは、極めて儀礼的で、そっけない印象を受けるが、それらは全部、ライアンの心遣いの表れと言える。なるべく勇者の孤独感を刺激しない形で、「お前のことを気にかけている」というメッセージを伝えたい、ということなのであろう。
■勇者は旅の過程で、人間の暗部をコレでもかと見てきた
17歳まで、山奥の隠れ里で、村人全員から家族同様に接せられてまっすぐ育ってきた勇者の目には、世間はひどく汚く、冷たいものに映ったに違いない。口の悪い木こりのおじいさんにこそ、人間の暖かみを感じられたであろう。しかし、ブランカ王は口先だけ。(王の権威を実感できぬ勇者は、王直々の声がけに有り難みを感じることは出来ない)ホフマンは人間不信。最初に仲間になるのは、見目麗しいが育ちの悪い、擦れっ枯らしの怪しい水商売のお姉さま2人。しかも、露出狂で男にだらしない姉は、この若さでアル中かつギャンブル依存症。そんな姉の世話をずっとしていた妹は、明らかに「アダルトサバイバー(アダルトチルドレン)」であり、幼少期からの無理がたたって険のある人格。「2人揃って魔法使い」という鉄板の怪しさ。ソレッタ国の貧困…はむしろ人間の健気さか!?キングレオによる圧政の爪痕(バハラタ等)。ロザリー婦女暴行・傷害致死事件
エビプリが裏で糸を引いているとは言え、騙されることにも責任があるし、人間は、魔族に対しては幾らでも残酷になれる好例。しかも「ピサロナイトを倒した自分が悪い」と匂わせられる、という追い打ち。アッテムト鉱山の公害。公害病で死者累々にもかかわらず、経済的利益のため採掘が継続されている、という非情ぶり。(自分にとっては本当の)家族、恋人、家族同然の村人たちを殺した敵の大将もまた、命を慈しみ、自分の家族・同族を守るべく行動していた有徳の士であり、人間に虐げられてきた歴史があった。
全部マスドラが悪い。実父を殺し、実母を引き離し、自分を、来たるべき危機に備えて戦の駒に育て上げた諸悪の根源が、堂々と神様ヅラして偉そうにふんぞり返っている。しかも「事情を知らぬ子羊どもからは、かなりの崇拝を受けている」という救いの無さ。と、勇者はこれでもか、これでもかと、人間(及びマスドラ)の暗部を見せつけられてきた。しかも勇者は、その暗部のお陰で、何万匹もの魔族を手に掛け、自らも多々血を流し、あまつさえ「ミネア、メガザル頼む」に代表される、非人道的発言及び行動をする羽目になってきたのである。
そして、黒澤映画「七人の侍」ばりに、「どうかデスピサロを倒してください」と判で押したように平身低頭で自分達に拝み倒してきた世界中の民は、危機が去ったら 「勇者様御一行、ばんざ~い\(^◯^)/」 と叫んで、後は用済み扱いで知らん顔。罪悪感なくやっている分だけ、一般庶民が一番たちが悪いのかも知れない。この状況でどうやって、家族・恋人・友人知人を皆殺しにされた挙げ句、自分の意志に反して勇者様に仕立て上げられた「17歳の無職少年(もしくは女子少年)」が、育った村の住人以外の人間に、親しみが持てると言うのか。外の世界を知れば知るほど、勇者は、「自分は、村の外の人間とは違うんだ」という断絶を、深く感じていったのではなかろうか。
■そんな世界に、勇者はNOと言った
そして、自分を手駒として扱う世界に、勇者は最後にNOを突きつける。今まで、プレイヤーに1から10まで操作されていた、コントロールされていた勇者が、エンディングにおいて、最初で最後の自己主張をする。彼は、彼の世界で至高のアホ存在である、マスドラの申し出を拒否する。言葉は要らない。というか、言葉にならない。言葉にできるほど、彼は、彼の熾烈な体験を、アタマで消化できていない。しかし、心は叫んでいる。天空城は、自分の居るべき場所ではないと。そして、ルーラを使えるにもかかわらず、わざわざ時間をかけて、気球で1軒ずつ、仲間たちのホームタウンをめぐる。そして、彼らの帰宅を見届けると、そっと、画面端に消える。
最後に、生まれ育った村にたどり着く勇者。これまでずっと、ほぼ画面中央に陣取り続け、プレイヤーに操られ右往左往していた勇者のアイコンが、画面左下から、ヨタヨタと這い出してくる。そして、廃墟となった村の、シンシアとの思い出が詰まった花壇跡の脇に寝そべり、天を仰ぐ。世界中の人々は、喜びに沸いている。世界は、希望にあふれている。自分だけが、その輪から漏れている。自分だけが、救いようのない喪失感の中に居る。村が襲撃されて以来、生きるために命を殺め、恨みを晴らすために戦ってきた勇者。そして、結果として手に入れたのは、「自分はこの世界で1人きり」という、厳然たる事実。共に行動する仲間はいるものの、本当に会いたい人は、もうこの世には居ない。デスピサロを倒したことで、「常に魔族に命を狙われ続ける」という強烈なプレッシャーが急に無くなった勇者の心は、あたかも、「急激に水揚げされたため、水圧が無くなって体がバラバラになってしまう深海魚」の如く破裂。
こうして勇者は、Zガンダムのカミーユ・ビダンよろしく、夢の世界の住人となる。自分を戦いの駒とし、戦いが終わればポイ捨てする世界。そんな狂った世界に、勇者の――少なくとも、正気を保ったままの、勇者の居場所はない。
■8bit機の人形劇で、表現し切った凄み
私が初めてこのエンディングを目にしたのは、確か小学校4年生の頃、隣の集落の友人宅においてだったと思う。親から強烈なゲーム禁止令を喰らっていた自分は、友人宅でしか、ゲームに触れられなかった。子供心に「なんて辛い終わり方なんだ」と、おなかに、消化不良時のような痛みが走ったことを覚えている。また、一緒に居た友人達が「気ぃ◯って死んだ~」とゲラゲラ笑い転げていたことも、鮮明に。
それから約10年後。大学に入って親元を離れ、アパートにネットを引き、何気なく “ネットサーフィン” していたところ「ドラクエ4の最後はシンシアが生き返って、ハッピーエンドで本当によかった♪」という書き込みを偶然見かけた。しかも、リメイク版ではなく、ファミコン版の話題。そうだ、そうだ、みたいな感じになっている。これを読んで、私は大層驚いた。そして私は、自分の記憶の正誤を確かめるべく、ドラクエ4をプレイし、公式ガイドブックや攻略サイトを参考に早解きをした。(ちなみに、この時初めて「ロザリー婦女暴行・傷害致死事件」のイベントがあることに気づいた。)そして迎えたエンディング。やはり私には、勇者は気が違って死んだようにしか見えなかった。
ドラクエ4は、前作のドラクエ3から比べ、画面がとてもスッキリして綺麗になった。4をプレイした後に3をプレイすると、画面がとても荒々しく感じる。(私は、ファミコン版の3の画質に耐えられず、3はスーファミ移植版をやり込むことに相成った。)しかしながら、結局のところ、ファミコン画質である。ドットは荒く、色数は最大でも20色強、サウンドも、PSG3和音+ノイズだけ(少なくとも、エンディングではデルタPCMを使ったと思しき音は鳴らない。もちろん、拡張音源もない。)この条件下で、本作は、効果音もセリフの字幕も使わず、一種のサイレント映画(サイレント人形劇)の手法でもって、本記事にこれまで書いてきたような内容を、私に強く訴えてきた。友人宅で、友人がプレイするのを何回か見ただけの、小学生の私に、である。
この、ドラクエ4のエンディングを超える表現力を持つ作品を、私は寡聞にして知らない。どんな小説よりも、どんな映画よりも、そしてどんなゲームよりも、ドラクエ4のエンディングのシーンは、私に強烈な印象を残した。よって、少なくとも私にとっては、Skyrim まで含め、今までプレイした中では、ドラクエ4が至高のRPGである。なお、ファミコンというハードの性能と、512KBという容量という制約によって、本作は「サイレント人形劇」という表現しかできなかった。そのため、受け手・プレーヤーは、場面の内容を各自が空想で補完する必要、即ち「思考の映像化」を行う必要に迫られる。それが結果として、強い印象を与えることに繋がった、と解釈することもできる。
■本作は、人間の醜さを描ききった傑作
前作のドラクエ3は、
「魔王は絶望をすすり、憎しみをくらい、悲しみの涙でのどをうるおす」=大魔王ゾーマは、人間のネガティブな感情を糧にして、みずからの力を蓄えている?
※参考:「おおぞらはおまえのもの バラモスは15年近くもなにをしていたのか(2)」
という形而上の争い、人間と非人間との争いがメインテーマだった。アリアハンの世界侵略についての話は出てくるものの、それは序盤に薄っすらと、世界中で同じ言葉が通用することのエクスキューズ的に触れられるに過ぎず、ゲーム進行に直接絡んでくるわけではない。(※参考「おおぞらはおまえのもの なぜアリアハン王はバラモス退治に軍隊を使わないのか」)
それに対して本作は「人間同士の争いがテーマ」と言ってよい。第一、ラスボスのデスピサロですら人間臭い。(もともと、シナリオ担当の堀井雄二氏には、ピサロを仲間にする構想があったとのことなので、当然とも言えるが。)そして、醜い人間が寄り集まって作り上げた人間社会において、自分だけは純粋であろうとすることは許されない。実祖父のように世間を離れ、脱社会的に生きるか、アリーナ一行のように、歪んだ人間社会を御して利益を得るか、トルネコのように、その歪みから滴り落ちる果実を貪るか、マーニャのように、全てを呑み込んだ上で、あえて先のことを考えず、今に集中して享楽的に生きるか…。(※参考: 内田樹 著「下流志向」)
何れにしても、世間の中にあって、自分ひとりが身ぎれいであろうとすることは不可能なのだ。前記したように、勇者もまた、己の手を血で真っ赤に染めている。この事を、初心者向けの牧歌的なRPGである「ドラゴンクエスト」という枠組み(少なくとも1~3までは)の中で、表現し切った事実には感服する。
■「勇者が勇者で居られる世界」を作るべきは我々
そもそも勇者にはなりたくなかった主人公に、人間社会の変革、人の意識の変容の実現まで、求めるのは酷である。マスドラ他の支援(という名のコントロール)と、世間の期待を一身に浴びて、デスピサロを倒し世界を魔物の脅威から救ったこと。至高の存在であるマスドラ(つまり、ゲームの駒という役割)にNOを突きつけ、プレイヤーに強烈なメッセージを送ったこと。この2つの実績だけでも大したものだ。特に「2」については、並の人間どころか、並の物語の主人公にも、なかなか達成できない偉業である。
勇者が、ありのままで居られる世界
勇者が戦闘員ではなく、シンシアと静かに暮らせる世界
を作るのは、勇者の仕事ではない。それは、ドラゴンクエスト4で遊んだ、我々プレイヤーが実現すべき課題である。
■余談
※関連記事
ドラ4は国家公務員ゲー 〔FC版ドラクエ4が最高だ vol.2〕 - いいげるブログ
私がドラゴンクエストシリーズで一番好きな 『ファミリーコンピューター版のⅣ』について、その魅力を連載形式でお伝えする 〔FC版ドラクエ4が最高だ〕 シリーズ。第1回「勇者に居場所はない(エンディング考察)」から2年近くも間が空いてしまったが、今回は、ドラクエ4の隠れた魅力「サラリーマンが大活躍する」という点について、導かれし者たちの職業構成を中心に考察したい。なお、本連載は主に、私が最後にドラ4をクリア...

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ドラ4は国家公務員ゲー 〔FC版ドラクエ4が最高だ vol.2〕
2022年03月20日22:33 
カテゴリ:Video Games
私がドラゴンクエストシリーズで一番好きな 『ファミリーコンピューター版のⅣ』について、その魅力を連載形式でお伝えする 〔FC版ドラクエ4が最高だ〕 シリーズ。
第1回「勇者に居場所はない(エンディング考察)」から2年近くも間が空いてしまったが、今回は、ドラクエ4の隠れた魅力
「サラリーマンが大活躍する」
という点について、導かれし者たちの職業構成を中心に考察したい。なお、本連載は主に、私が最後にドラ4をクリアした学生時代の記憶に基づいて書いており、また、私は最近のドラクエ作品については全く疎い。記憶違いに加え、本作以外にも「サラリーマン、従業員」が主役級の活躍をするものがあったらとしたら、何卒ご容赦願いたい。
■半分が公務員!「導かれし者たち」
1-1. 官民格差の存在
まず、下の表を見てほしい。(table タグは評判が悪いみたいなので dl タグで作成)
導かれし国家公務員ライアン(王宮戦士)
アリーナ(王族)
クリフト(キャリア官僚)
ブライ(定年再雇用)
導かれし民間人トルネコ(武器販売店従業員
 → 個人事業主 [武器卸売、小売])
マーニャ(個人事業主 [ストリッパー])
ミネア(個人事業主 [占い師])
勇者(☆無職☆)
ドラ4の8人の主人公うち、なんと半数が国家公務員! 命の危険が大きい軍人ばかりだが、身分は安定している。皇太女であるアリーナまで公務員扱いするのはナンだが、まあ「税金でメシを食っている」「国家の繁栄に奉仕している」ということでお目溢し願いたい。
それに対して民間人は、死の商人に水商売に無職と、なんとも安定性に乏しい生業ばかり。この厳然とした官民格差の存在は、現代社会の写し鏡なのかも知れない。
1-2. 第1章、第2章は公務。クリフトは職務に忠実
第1章 「王宮の戦士たち」 のメインストーリー 「連続子供失踪事件の解決」 は、命令権者(バトランド王)から発令された正式な公務。公務員として、国家の公共の福祉に奉仕する役割(Role)を演ずる(Playing)ことができる。
第2章の内容も、後付ではあるが 「皇女の研鑽旅行とその護衛」 という立派な公務だ(実態は、アリーナの私事旅行だったとしても)。
なお、サントハイム王による 「研鑽旅行とその護衛」 の発令は、第5章を終えアリーナが城に帰還するまでずっと有効。よって、リメイク版における、クリフトの
回復の際に常にアリーナを優先する
という AI の傾向は、彼の職務専念義務からすれば至極当然のことと言える。(本人は「役得」と思っているのかも知れないが。)
1-3. ブライは定年再雇用
宮廷魔術師のブライが、サントハイム王国に所属する国家公務員であることには異論の余地がない。ただし私は、ブライが、現代で言うところの「定年再雇用」のポジションにあるものと考えている。その論拠は、70代と高齢であることもさることながら、混乱時における
イオナズ…… しまった!呪文をど忘れしている!
という彼の言動。ドラクエ世界において 「イオナズ……」 とはもちろん、爆発魔法の最上位 「イオナズン」 のこと。混乱した際に、とっさにイオナズンを唱えようとし、しかも 「ど忘れ」 つまり思い出せなかった。これは即ち 「ブライは若い頃、イオナズンを使えた」 ということを意味しているのではなかろうか。ブライはゲーム中、イオナズンに代表されるイオ系の魔法は使えない。実際に使えるのは、MP消費の割にはやや高威力で、敵単体、敵グループ、敵全体と効果範囲のバリエーションも一通り揃っているヒャド系。しかしながら、ヒャド系最高位のグループ魔法「マヒャド」よりも、全体魔法の「イオナズン」の方が高威力で使い勝手がいい。大物錬金術師の実子とはいえ、一介のストリッパーの小娘でも唱えられる「イオナズン」すら使えずして、エンドールやキングレオと並ぶ大国、サントハイムの宮廷魔術師に上り詰め、あまつさえ「アリーナ姫教育係」 という大役を任せられるまでになるだろうか。「先代サントハイム王の恩人」等の縁故任用の可能性もなくはないが、私は、ブライは、現役時代はあらゆる魔法を自在に扱う、国を代表するバリバリの大魔道士で、軍の魔法部隊を率いる大将であったが、高齢のため引退。その後は、心身への負担が大きい攻撃魔法を自己暗示によって封印するも、自衛手段として「ヒャド」だけは残し、姫の教育係に転身。
というところが妥当な線なのではないかと思う。
なお、ブライの同僚で、神学校主席卒業の新卒キャリアであるクリフトは、ミントスで病に臥せってしまう。それに対してブライは、辛い長旅が堪える様子もなく、後期高齢者ながら元気いっぱい。戦闘経験を重ねるうちに、往年の身体能力や各種呪文を取り戻す有様だ。「松尾芭蕉忍者説」 は眉唾ものだそうだが、このブライの健脚ぶりも、現役時代は鍛え抜かれた職業軍人であったことを暗示しているものと思われる。
1-4. “宮仕え” では冒険できない?
少なくともアリーナ以外は “宮仕え” であった公務員チームから一転、第3章から登場する民間人チームは皆、自営業者(と17歳無職)である。
トルネコが武器小売店従業員である間はカイシャと家との往復しかできず、破邪の剣の取り扱いで資金を貯めて独立して初めて、レイクナバの町から出られるのは非常に象徴的だ。他にも、ライアンは「失踪事件」解決の報奨として無期限の休職が国王に認められてからでないと、自由な旅に出られない。例の17歳の無職少年(もしくは女子少年)が、山奥の村が崩壊すると外に出てくるのは、どちらかと言うと、雇用形態よりも「NEET、引きこもり問題」に親和するケースなのかも知れないが、いずれにせよ 「サラリーマンでは、冒険はできない」 ということだ。サラリーマンの活躍は、あくまで「雇用者の想定の範囲内でのみ」認められる。それが嫌なら独立するしかない。その事実を、3章冒頭の店番イベントで全国のキッズ達に叩きつけたのが、本作「ドラゴンクエスト4」である。ただし、クリフトのように、雇われの身であるからこそ輝ける人生もある。そもそも、皆が皆 「自分の人生の主人公になるんだ」 と言って、魔物と命のやり取りをするような生活を送る必要はない。そんな社会は非効率的であり、コミュニティが成り立たなくなる。モブにはモブの幸せがあり、知らない方が幸せなこともある(ロザリー婦女暴行・傷害致死事件とか)。そんな側面がちゃんと描かれているのも「ドラゴンクエスト4」である。
1-5. マーニャはフリーランス
勘違いされやすいが、マーニャは 「旅の踊り子」 が公式設定であり、モンバーバラの座付きの踊り子ではない。だからこそ、妹のミネア(こちらも自営業)と一緒に、さっさと自己判断で旅に出られるのである。まあ、万が一座付きだったとしても、他国まで名が知られる大人気ダンサーであるマーニャの身分は、現在のキャバ嬢、ホステス、風俗嬢、ストリッパーらと同じく 「個人事業主」 となるだろう。なお、モンバーバラの酒場の2階では、同じく個人事業主である 「ぱふぱふ嬢」 の活躍が垣間見える。
2.導かれてない者たちまで含めると…
さて、ここまで「導かれし者たち」の身分について考察してきたが「導かれていない者たち」まで範囲を広げてみればどうなるだろうか。そう思って、下記のとおり、改めて表にしてみたところ……、
国家公務員ライアン(王宮戦士)
アリーナ(王族)
クリフト(キャリア官僚)
ブライ(定年再雇用)
社長、会社役員トルネコ(武器販売店従業員
 → 個人事業主 [武器卸売、小売])
マーニャ(個人事業主 [ストリッパー])
ミネア(個人事業主 [占い師])
ロレンス(個人事業主 [傭兵])
スコット(個人事業主 [傭兵])
ホフマン(使用人兼務役員 [宿屋の息子])
パノン(個人事業主 [旅芸人])
ネネ(使用人兼務役員 [武器屋婦人])
デスピサロ(事業主 [魔王軍主宰、魔王代行])
従業員ほか勇者(☆無職☆)
ホイミン(魔王軍配下
 → ライアンの従者
 → 無職)
オーリン(エドガン工房従業員)
ルーシア(天空城勤務)
ドラン(天空城勤務?)
リンダ(モンバーバラ酒場勤務)
ジル(バハリア酒場勤務)
シンシア(マスタードラゴンの手先)
いいスライム(ホイミンの友人、魔王軍配下ながら職務放棄)だいぶサラリーマンの割合が減ってしまった。レベルの上がらないNPC戦闘員 (お助けキャラ) については「エドガン工房は事実上消滅状態(営業をしていない)」「ホイミンは一時雇いから無職へ転身」「ドランはまだ子ども」であることを考慮すると、純粋な月給取りは「転落OL」のルーシアしかいない。水増しで、非戦闘NPCも灰色文字で入れてみたが、リンダあたりは酒場2階組と同じく、税務上は個人事業主に当たるのかも知れない。ホフマン、ネネ(トルネコの妻)あたりは解釈が分かれるだろうが、使用人ではあるものの明らかに経営側に近い立場に身をおいているので、会社役員に分類するのが妥当と考える。
2-1. 月給取りのまま、冒険をするには
どうも、ドラクエ4について考察すればするほど 「サラリーマンでは、冒険はできない」 が真であるように思えてくる。国家公務員3名を従え、勇敢にデスピサロに挑む 「無職(勇者)」 こそが希望の星……ではないことは、前回記事に書いたとおりだ。
FC版ドラクエ4が最高だ vol.1 - 勇者に居場所はない(エンディング考察) - いいげるブログ
ドラクエは、ファミコン版の4が最高だ。なぜなら、エンディングの最後で、勇者が気が◯って●ぬからである。この度、私がドラゴンクエストシリーズで一番好きな「ファミリーコンピューター版のⅣ」について、その魅力を連載形式で記してみたいと思う。第1回目の今回は、エンディングのシーンを題材に、私がドラ4でもっとも惹かれた点である 「勇者の立場とその心情」 について考察する。...
どうしても、月給取りのまま冒険をしたいのなら、ドラクエ世界においても、現実社会と同じく、国家公務員を目指すしかない冒険的な組織、職種に就くべきなのだろう。

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