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1995年9月19日火曜日

[機器][携帯電話] 京セラ,PS-601,PHS



ぼくの携歴
2007/2/1(木) 午前 0:15 中の人の詩 その他趣味
さて、まえーにポリ様がやっていたとは思うのですが
自分の携帯暦を振返ってみよう~♪をやってみたいと思います
まず初めて「携帯電話」を持ったのは、東京に出てきてすぐの事
貧乏だったので、携帯ではなくPHSでした
秋葉原の電気街をうろうろとしていたら「100円」の文字
なんてすばらしいんだ、秋葉原!!
と感動して、機種を選ぶ事もなく決定
◆京セラ,PS-601
当時はネットなどとは縁遠く、情報もありませんでした
ただ、パカッっと開くギミックと質感の良さが気に入り
なによりその安さで、京セラの「PS-601」を手に入れたのが事の始まりでした
後で知ったら、結構売れた機種だったようです
この時のPHSは通話のみ
メールもなければ、テレビも見れません(アタリマエ
ずんぐりむっくりの可愛さが、とても気に入っていましたが
しばらくしてから、ある事情により機種変を考えました
遠距離恋愛に電話はつきものです
それと同時に、その通話料たるや恐ろしい額に膨れ上がります
家電話とPHS。なんて考えただけでもオゾマシイですね
KENWOOD ISD-P37,XIT(ザイト)
そこでコレ!「ISD-P37」
KENWOODのXIT(ザイト)と呼ばれる頼れるやつ
某ザイド兄(暗黒)とは違いますので、あしからず
これPメールが出来たんですよ
10円で一通。全角10文字くらいまでだっけ?
今考えると高いけど、当時としては画期的でした
あと便利だったのが、電話掛けて相手が出たらブルッっと震えるの
多分今より電話掛ける事が多かったと思います。不思議だw
かなりしばらくの間、PHSだったのですが
N501i
しばらくして、高速道路上の警備のバイトにつきました
高速上じゃPHS使えないのね…
という事で、とうとう携帯デビューです
な、なんと時代は変わり
携帯電話でインターネットが出来るというではありませんか!
すごすぐるっっ!!
折り畳みギミックに惹かれ
当時バカ売れしていた「N501i」を買いました
確かコレも1円とか
次のモデルも出てた頃だと思います

黒い旋律ξてんぺ
https://blogs.yahoo.co.jp/tenpest_phoenix/44419527.html

1995年8月21日月曜日

[機器][携帯電話] DoCoMo/Sharp DP-201, 1995年シャープ初のケータイ登場



シャープの歴代ケータイ端末
2015/3/16(月) 午後 10:56 電子技術関連 スマートフォン
【情報端末】携帯電話端末 歴史
◆ガラケーはどう進化してきたのか - シャープ20年のケータイの歴史を振り返る
マイナビニュース(2015/1/24)
『 シャープがAndroid搭載でスマホ的な要素を搭載したケータイ「AQUOS K」を発表したことが話題になっている。
シャープは、1月21日に開催した同端末の発表会において、2015年は携帯電話業界参入20年目の節目にあたるということで、
会場に歴代のケータイを展示。
これまでの歩みを紹介した。
1995年:シャープ初のケータイ「DP-201」登場
シャープが携帯電話市場に参入したのは1995年。
デジタルホン(現:ソフトバンクモバイル)の端末として「DP-201」を発売した。
当時はまだiモードをはじめとする携帯電話IP接続サービスがないだけでなく、国内でも地方への移動の際にはローミングが必要という時代だった。
その後1997年に、コンパクトでキーパッド部分のカバーを開閉して使えるタイプの「SH201」でNTTドコモへの参入も果たしている。
左がシャープ初のケータイ「DP-201」、右が「SH201」
1998年:WEBサービス対応第1号機「J-SH01」、1999年:初のカラー液晶モデル「J-SH02」
1997年にはNTTドコモの「10円メール」やJ-PHONEの「Sky Walker」といった携帯メールサービスが開始され、
1998年にはJ-PHONEのネット接続サービス「スカイウェブ」がスタートしたが、その対応端末として「J-SH01」が発売された。
「スカイウェブ」のWEBサイトを閲覧でき、画面に48文字表示できるなど当時のケータイとしては大画面であることが話題に。
ただし、画面はモノクロ表示だった。
左が「J-SH01」、右が「J-SH02」。
また、中央はケータイとしてもPHSとしても使えるドコモの「ドッチーモ」対応端末である「SH811」
WEBサービス対応に続くシャープのケータイ開発のトピックは「カラー液晶」だ。
1999年、「J-SH01」を小型軽量化した上でカラー液晶を搭載した「J-SH02」を発売。
当時はNTTのiモード対応機種もカラー液晶搭載携帯が登場し、携帯はただWEBサービスが利用できるだけでなく、液晶のきれいさを求められるように。
その後、2000年にはシャープ初の二つ折りケータイ「J-SH05」ではTFTカラー液晶を搭載し、6万5536色が表示できると話題になった。

技術屋みやびまん
https://blogs.yahoo.co.jp/miyabiman_now/26501019.html




1994年11月11日金曜日

[機器][携帯電話] DoCoMo PV2~初期MOVAケータイ


[機器][携帯電話] DoCoMo PV2~初期MOVAケータイ
★mova PV2
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書庫★携帯電話
カテゴリ練習用
2015/7/1(水) 午前 7:23
1994-12-24           
NTTドコモ携帯電話     
\39,346/ドコモショップ日本橋
販売開始日 1994年11月
mova Pv2
高さ 約143mm
約49mm
厚さ 約31mm
重さ 約210g
連続通話時間 約80分
連続待受間 22時間
初の携帯電話です。
仕事上必要に迫られて買いました。
一般の人にはまだそれほど普及はしなかったと思います。
当時レンタルにするか買取にするかとか仲間内で話ていました。
アナログ波で高速で走ると音途切れする。
当時はメールなんて機能も言葉もありませんでした。
バッテリーの持ち時間は実用上せいぜい12時間程度・・・
本品は1996年にデジタル携帯のF101の交換で下取りに出しました。

DoCoMo
http://www.docomo-cs-tohoku.co.jp/museum/kishu/p.html
http://www.docomo-cs-tohoku.co.jp/museum/kishu/p.html
http://www.docomo-cs-tohoku.co.jp/museum/tanmatsu/img/pv2.jpg
    
アリさんマークの探検隊の物品購入の足跡【懐古録】 
https://blogs.yahoo.co.jp/arisanmark2009a
https://blogs.yahoo.co.jp/arisanmark2009a/folder/1571777.html




   

1994年10月28日金曜日

[広告] DoCoMo Mova



あったぁ~~~( 笑)
2011/11/18(金) 午前 9:54
最近ネタ切れ状態なのでゴソゴソと物置を物色(笑)
あったぁ~~~!!
今やスマホやの時代
その前はFOMA
更にその前はmova
わたくしレンタル時代から契約(笑)
契約期間17年8ヶ月でした(劇笑)
当時はDOCOMOではなくNTT移動通信網って会社
この頃はバブリーな人かチョット粋がった人しか持って無かったですね携帯は(劇痛)
しかし今や小学生でも携帯を持ってる時代
連続通話時間は70分(笑)
待受時間17時間(劇笑)
i-modeなどは存在しませんでした(腸劇痛)
しかも重たかったなぁバッテリー(劇痛)
料金・・・・・基本料金で50,000円近くしたような・・・・
毎月100,000円近く携帯代金に使ってた記憶
今やガッツリ使っても10,000円前後ですからね
便利で快適になりました
o(^o^)o

Fishing Challenger ケンケン
https://blogs.yahoo.co.jp/kenkenaqua/1496232.html






一年前の今ごろ
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2006/6/5(月) 午後 3:00
この電気通信局の事業政策課長というのは、第一種電気通信事業者の認可をするところで、NTT民営化前後から現在までの歴代事業政策課長は、その後事務次官、郵政審議官(ナンバー2)などになり、
現在の郵務局長、貯金局長、通信政策局長なども事業政策課長経験者。
大蔵省は“ノーパンしゃぶしゃぶ”で解体。
しかし、そこの最高責任者が現、日銀総裁なのだから冗談はきつい。
通産省解体は・・・・
既存原発解体処理に未曾有の税金投入や、原発開発、石油開発公団等に絡む汚職で。
運輸省は、関空汚職、羽田沖空港開発、あアクアマリン、本支架橋等々汚職問題で解体・・・・・
ここには二度と浮かび上がれない“亀井静香”や自殺した“新井将敬”、そしてテロラレタ“石井紘基代議士”の問題がある。
厚生省の“ベッドレンタル汚職”、“特老建設汚職”や“新薬許認可汚職”・・・・
これら厚生汚職は“株式市場”とも大きく絡んでいる。
結果、厚生省の解体・・・・・
労働省解体・・・・・
リクルート事件に端を発した“労働省汚職”は労働法、派遣業法の改正や、それに伴う、“新資格ビジネス汚職”に、職業訓練大学“建設汚職”が理由。
建設省は、言わずと知れたそれらの建設と、国土開発、都市再開発、建築基準法改正汚職・・・・・
バブル期の土地汚職を闇に葬るための建設省解体。
橋本行革の“省庁再編”は・・・・・・第二の“敗戦処理”に他ならない。
その第二の敗戦処理も1945年と同じで、“A級戦犯”は獄に繋がれたものの、大阪の末野興産にしろ、東京の桃源社にしろ経済犯、数百億円を盗んで(債権放棄と公的負担)、数億円の罰金で保釈、釈放されている。
厚生汚職の茶谷課長補佐、岡光事務次官の逮捕で幕としたが、その後の彼らは優雅であると写真週刊誌は報じる。
そして、時の最高責任者が現内閣総理大臣の、小泉純一郎厚生大臣。
大東亜戦争時の官僚と政治家がそのままであったように、バブル経済“内戦”の日本全土を巻込んでの構造汚職の当事者が・・・・・
今もそのままが、“司馬遼太郎”風のこの国の形。
そして“坂の上の雲”はいつまでたっても坂の上・・・・・
そこを書かずに“司馬遼”は逝っちまった。
国会、予算委員会の閣僚席を見れば一目瞭然(笑)。
そして与野党議員席もそれこそ枯れ木も山の賑わい・・・・・
それどころか“ゴミタメ”に腐臭をぷんぷん撒き散らしている。
“掃き溜めに鶴”の一羽もいない(笑)。
この橋本行革の時代に遡ること昭和47年に“上毛通信サービス”(ポケットベル)が設立された。
資本金4,000万円(小渕系30%株式保有)。
その後、昭和63年には他のポケベル4社(全国)と合併してNTT中央移動通信(株)という会社になり、さらに平成5年にはその前年にできたNTT移動通信網(ドコモ)に吸収合併され、“資本金4,700億円”株式時価総額“38兆円”(現在)の会社に。
そして小渕総理の実兄と秘書官“金庫番”の株は600万円から70億円に化けたのです。
 全国のポケベル4社とも小渕系、
 旧郵政省関連の既得権益者にこの利益配分がなされたことは言うまでもありません。
そしてNTTをも解体されました。
5兆円にも及ぶ“電話加入権”(施設負担金)・・・・・・
本来なら営業収益からその債権分を充当されるべきで、
法的に“質権”等、譲渡権、財産権を有する証券を“無価値”にして、実質的に国民の私有財産を“没収”するに及ぶ行為を、政府は“罠営化”の名の下に実行したのです。
それも・・・・・誰かが食っちまった。電話加入権5兆円(笑)。
一部国民が加入権の返戻を求め訴訟をはじめたが・・・・・・

KINEZUKA倶楽部
https://blogs.yahoo.co.jp/clark_kenta/35880060.html
https://blogs.yahoo.co.jp/clark_kenta/




1994年4月6日水曜日

[機器][携帯電話] DoCoMo/東京デジタルホン/NEC DP-111,












2010/3/31
「PDCユーザ包囲網(終)ソフトバンクPDC停波と新機種と思い出と」  
無線・通信
まだ金沢に住んでいた15年くらい前だったろうか。
そろそろ周囲にも携帯を持つ人間が出始めて、一般加入電話しか引いていない筆者は当時の携帯への割高な通話料金設定に戸惑い、「JR系だから」という理由で市外電話契約をしていた日本テレコムのコールセンターに「携帯電話との通話に対する割引サービスを検討していないのか」と聞いた事がある。
対して先方の回答が「そういうサービスの予定はありませんが、「デジタルホン」という携帯電話サービスがスタートしますのでよろしかったらご検討下さい」てな感じの内容。
日本テレコムが東名阪で携帯電話会社を立ち上げるのは知っていたので言葉を濁しながらも礼を言って電話を切ってから、当分大都市だけだしドコモやセルラーとローミングできない上に受信も出来ないデジタル方式だし(当時の筆者にとって、アナログ全盛だった携帯は他の無線同様「聴くもの」、正確に書くと「電波法に触れない程度に聞き流すもの」であった)、意味ねえよなあ、と思ったものだ。
その後、ツーカーに出資していいた日産と日本テレコムが双方の携帯を地方で使えるように、と合同でデジタルツーカーを設立、デジタルツーカー北陸の進出で意外と早く北陸でもそのチャンスがやってきたが、貧乏学生風情に携帯は要らぬと特に気にもせず。ただ将来持つなら鉄としては鉄道関連企業であるデジタルツーカーにしよう、とは思っていた。
新潟に戻ってほどなく妹が進学で一人暮らしを始めるにあたり、一般加入電話は引かず携帯だけ持とうということになった。そこで迷わず勧めたのがデジタルツーカー。無論ただ自分が持たない代わりに持たせてみたかっただけ。ただ当人にとっては割合相性が良かったと見えて、現在に至るまでMNPもせずソフトバンクを継続し、なぜか最初に持ったT4以来東芝機を使い続けている。
その後筆者も社会人2年目の1999年秋にようやくデジタルツーカーSH4を購入して携帯を持つこととなったが、その時の大きな理由は仕事で必要だからでも何でもなく「デジタルツーカーブランドが無くなるから」。
これは日産がツーカーとデジタルツーカーから資本を引き揚げ、デジタルツーカーについては共同出資者の日本テレコムに譲ったことで、少し前からデジタルホンが使っていたブランド名Jフォンにデジタルホン・デジタルツーカーを統一したことによるもの。
変更直前の9月末に契約したため、契約自体はデジタルツーカー東北とだったが契約完了のお知らせ等は社名変更したJフォン東北からだった。
それから10年半。今日午前2時を以てデジタルツーカー時代から続いたソフトバンクのPDCサービスが終了した。
この間会社は更にJフォン東京と北海道との合併でJフォン東日本東北支社、
Jフォン東海と西日本との合併でJフォン東北支社、
日本テレコムが手放して外資となってボーダフォン、
意のままにならなかったケータイガラパゴス日本市場を見捨てたボーダフォンがソフトバンクに渡して現在のソフトバンクモバイルと変遷。日本テレコムもJRが手放して外資に行ったり何やかやで結局ソフトバンク傘下のソフトバンクテレコムになって結局立場は違えど同じ企業グループに。
ここまでしぶとくSH4を使い続けたのもどうかと思うが、短文とはいえiモードよりも早い時期からEメールのやり取りができた機種であったため、ほとんど不自由は無かったから使ってこられた事が大きい。
クリックすると元のサイズで表示します
さて、今回のソフトバンクPDC終了が2年前のツーカー終了の時と違うのは、周囲に「(Jフォン当時)鉄系だったから」「(あくまで契約当時)料金が断然安かったから」「(みんな3Gに機種変したから)コミケで繋がる」てな理由で、かつ最期を見届けたいからという理由で周囲にPDCユーザが大勢いる事。そういった人らはホワイトプランだったのでそちらから掛けてもらってその時を迎えた。何しろこちらは料金プランもデジタルツーカー東北のローコールプランをここまで「動態保存」しており、高くついてしまうので甘えさせてもらった。
ちなみに左が予備PDC回線として購入したプリペイド契約の201SH(カード残高は使い切って着信専用化していた)、真中がSH4、ついでにサービス終了後もソフトバンク基地局へのローミングでアンテナバーだけは立っていたツーカーのプリケー、PT11。
現役2台からイヤホンコードが伸びてるが、これを両耳に入れてそれぞれと三者通話まがいの状態で話しつつツーカーの番号を引き継がせた912Tで撮影、とそういう光景。
3時まで話し続けたが切断される様子が無いのでそれぞれとつないだまま就寝、5時50分頃まで接続は維持されていた。
若干仕事内容に余裕のある水曜日だったので配達のついでにソフトバンクショップで機種変。
これまで他社がサービスを終了した時と比較して移行時の優遇措置などがあまりにもとんでもない対応であった事嫌気がさしたり怒りを覚えたりで離れる方も多いようだが、私としては端末代を払ってでもソフトバンクを維持する道を選んだ。
端末も料金プランも継続は出来ないが、メールについてボーダフォン時代の「h.vodafone.ne.jp」ドメイン、更に実は今なお受信専用として使えるJフォン時代の「jp-h.ne.jp」ドメインを動態保存したかったのと、会社の営業さんにはソフトバンクの法人契約端末が貸与されているので、仕事上の通話で会社に余計な費用を掛けさせない、自分がいい加減余計な費用をかけたくない為もある。何しろローコールの通話料金って主にレジャー目的での携帯使用を想定していて平日昼間が高く設定してあり、仕事の電話ではえらい目にあってたもんで。
新機種は931P。以前修理中の代機でデジタルツーカーP4を使って以来のパナ携帯。
これの機種変する時は、また新しい携帯電話サービスに替わる時なのかもしれないな・・・。
      
広坂ぼやき亭(旧館)

   
      
   
            
   
      
   


1994年3月6日日曜日

[機器][PHS] DoCoMo/NEC,TZ-822~デジタル・ムーバ

 [機器][PHS] DoCoMo/NEC,TZ-822~デジタル・ムーバ





1991年8月20日火曜日

[機器][携帯電話] ポケベル(ポケットベル), NTT Pocket




[機器][携帯電話] ポケベル(ポケットベル), NTT Pocket
ポケベル~
書庫日記・情報
カテゴリその他サブカルチャー
2018/12/30(日) 午前 7:02
おは~(/▽\*)
スーパーに行ってきた私です♪
近所のスーパーって言うと
だいっ嫌いなイオン
でも、行かないといけないのであ~る♪
年末だし、人が多いかな~って思ったらそうでもない♪
まあ、買い出しは30~31日ですよね
で、ね…
店内を見てたら鏡餅や、しめ飾り売ってるんです
一般的にはもう飾ったり御供えしたりしているはずですが~
ギリギリになって飾る人居ますから仕方無いです
あまり売れないだろーなってお客さん達の買い物カゴ見たら
イルワ、イルワ
鏡餅、買い物カゴにインですよ
アハハ…
≧(´▽`)≦
もしかして、31日にはもっと鏡餅を買う人多かったりして…まさかね…
んでっ~今朝はポケベルのお話♪
さすがに…見た事ない…
でも、小さいし
数字や文字の表示とか出来るんですよね
なんか、便利そうですが~
来年、終了するらしい
東京テレメッセージが、提供してきたポケベルのサービスを、来年9月30日に終了すると発表しました(同社は国内で唯一、サービスの提供をしていました。なお、東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県でのみの提供でした)
ポケットベル(ポケベル)
(pocket bell)(ページャー:pager)は液晶表示画面を持った小型の携帯用無線受信端末、及びそれを利用した電文サービスの事です。
無線呼出しサービス,または、ページングサービスと言われます。
日本でのポケットベルサービスは、
1968年7月から東京で150メガヘルツ帯を用いてサービス開始
その後全国に拡大しました
元々150メガヘルツ帯では周波数の割り当ては少なく,加入者増加に伴い
1978年8月、新しく250メガヘルツ帯を用いるとともに、受信機の小型化、連続使用時間の延長、周波数当りの収容可能な加入者数の増大を行い
その結果、1997年には1000万を超える加入数になります
しかし、携帯電話の普及に伴い減少を始め
2001年3月時点で加入数144万。
2000年代に入ると、ポケットベル本来の役割が、携帯電話にとってかわられます
その後、ポケットベルはニュース速報、天気予報、株価情報等 緊急性の高い最新情報を伝えることに重点が置かれるようになってきました。
利用目的が個人から特定多数へのデータ配信をする事がポケットベルの特徴となり、
NTTドコモでは、2001年1月1日からポケットベルの名称変更(クイックキャスト:Quickcast)
その後も加入者数は減少を続け、
2005年に新規受付を停止、
2007年3月末で全国サービス終了

MIAのブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/mia_kirisima/37664439.html





ポケットベルの使い方は…
ポケットベル端末携帯者に対して急用が発生した場合、そのポケットベルの呼出し番号を有線電話網を通じてダイヤルします。
この情報は無線基地局に送られ、そこから発射される信号電波によって、加入者のポケットベルが鳴り、呼出しを行った電話番号が表示され(呼出しに数字、文字を用いた電子メールで短い電文を送る事も出来た)
ポケットベル端末携帯者は、公衆電話などで表示された連絡先に電話をすれば、用件の内容を知る事が出来るシステムです。
「ポケベル」って、50年も使われてたんだね
現在の利用者は1500人以下らしい
ポケベルは1968年にサービスをスタートしました。
ピークは1996年で、1078万人ほど契約者が居たそうです
んで~ポケベルがどーなるかですよね
実は、生き残りそうなんです
ポケベルの電波は遠距離まで届く上、情報を文字で送るので、データ量が少なくて済みます
つまり、受信しやすいという長所が♪
遠くまで届くので基地局が少なくて済み、コストも安い 防災にうってつけです
現在の防災では役所や自治体、警察、消防等限られた場所でしか最新情報を得にくいんです
開発中なのはポケベルの電波を活用したラジオ型の防災無線機。
受信専用ですが…
これは、自治体が防災情報の文字を発信すると、個人で購入した専用の端末が受信し、音声に変換して内容を知る事が出来ます。
これは、イーんじゃないかな
ネットだとデマが混ざってて本当の事がわからないですから♪

MIAのブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/mia_kirisima/37664439.html





1991年3月21日木曜日

[機器][電話機] NTTDooMo/三菱電機,初代TZ-803型,自動車無線電話用移動無線機,










■初代TZ-803型
年代 1990年代
メーカー 三菱電機
モデル TZ-803型
仕様 自動車無線電話用移動無線機
初代TZ-803型
AZ-011

1988年7月26日火曜日

[市場] 国産一般向け携帯電話登場




[市場] 携帯電話登場
1988年,携帯電話登場。
契約費用298300円。
月額使用料23000円。
NTT。

fsfgdgdf pc



『携帯電話』
「携帯電話」はとっても便利。自分の若い頃にあったら、どんなによかったろうとすごく感じます。だって彼女の家に電話して、お父さんがでたらどうしようとする『ドキドキ』感を味あわなくてよいですし、待ち合わせのさい会えない緊張感から解放されますから。(笑)写真もとれますしね。LINEも最高。 (^^♪
でも初期の携帯料金は高かったです。『保証金』と『設備料』で20万円くらい必要。月額の電話代は『基本料』だけで2万円強。『通話料』は『ちょっと使うと2~3万円』理不尽なほど高かったですね。でも当時、ちょうどバブルが始まった頃で結構街中で会話している人を見たりしました。
【追加情報】1985年にNTTが「ショルダーホン」を発売。肩にかけて持ち運ぶもので、重量は3Kg。「携帯電話」と称したものは1987年にNTTから発売されており、体積は500cc、重量は900g。

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1985年5月3日金曜日

[機器] G1世代携帯電話,DoCoMo











(-.-)
自動車電話?
アナログショルダーホン?
デジタルショルダーホン?
ショルダーホンも受話器の外側にボタンでしたっけ?
スゲ〜て、見てただけだからハッキリ覚えて無い…
(-.-)
掛けても掛かって来ても料金が発生する電話だよね☺️バッテリーは電池だったと記憶してます。
(-.-)
これを使っていた頃、取引先の業者の営業さんが、「北海道にかけた時より硬貨が落ちるのが早いです(^^ゞ」ってこぼしてたのを思い出します。
(-.-)
80年代にカーフォンを紹介している動画です。
https://youtu.be/hPBVXZe8Hrs
(-.-)
コレのセルラー版使ってました。車載キットとショルダーフォンのセットでしたが、バッテリーが40分(確か待ち受けで)で全然使えませんでした。※どんだけジジイ😁※

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1977年8月17日水曜日

[機器][携帯電話] ワイヤレスフォン,試作品,



[機器][携帯電話] ワイヤレスフォン,試作品, 
大阪万博の電気通信館で展示されていたワイヤレスフォン
これが日本で開発された携帯電話第1号

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