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1982年7月16日金曜日

[機器] タカラTOMY,ぴゅう太














ぴゅう太、そのシリーズ
ぴゅう太は、シリーズ化される程、超人気のあった(気がする)、16Bitマシンだ。そのぴゅう太シリーズを周辺を含めて、確認したい。 
■~素晴らしきぴゅう太ファミリー~
ぴゅう太、ぴゅう太Jr、ぴゅう太mkII
ぴゅう太(知育玩具)、ぴゅう太くん(メダルゲーム)、TUTOR
・ぴゅう太
ぴゅう太は、ぴゅう太シリーズの元祖となる16Bitマシン。
当時、おもちゃ会社の発売するマイコンとして、珍しがられた。
まだ、ファミコンも各種ゲーム機やマイコンのひとつに過ぎず、ぴゅう太ユーザーも少なくなかった。
ファミコンが勢力の伸ばす中、ディスカウントストアで、約35000円で売られるようになった。
それでも、非常に高価なおもちゃマイコンだったのだ(定価59,800円であった)。
標準で、グラフィックを描画する機能があったが、ドローペイントタイプではなく、
セルと呼ばれる8×8マスに1つずつ書いていくもので、非常に面倒だった。
また、表示能力もMSXのSCREEN2並みの8ビットの横ラインに2色までの制限があり、
奇麗な絵を描くのは難しかったが、ゲーム画面風の絵を描くには充分だった。
MSXのSCREEN2用の8×8のパターンエディタで、フル画面のCGを描く事を想像してもらえば、かなり近いと思う。
プログラミング言語は、当時画期的な独自の日本語ベーシックを搭載していた。
「カケ」「マワレ(FOR文の事)」など、意表を付く命令で、チビッコの度肝を抜いた。
ぴゅう太後期には、BASIC1と呼ばれる拡張BOXをポートに差し込む事で、
PRINT等が使えるようになった(通常のBASICは日本語G-BASICである) 。
・ぴゅう太Jr
ぴゅう太Jrは、ぴゅう太の廉価版として発売された、こっちは正真正銘のゲームマシン。
キーボードは付属しておらず、ぴゅう太ユーザの増加には貢献したが、
ぴゅう太のマイコンとしての座を逆に下げた皮肉な結果になった。
後に、マイコンでもゲーム機でもない、コウモリ野郎と呼ばれる原因となった。
ただ、ユーザー数の少なかったぴゅう太ユーザーには、仲間が増えた事で、歓迎された。 
・ぴゅう太mkII
ぴゅう太mkIIは、ぴゅう太後期に登場した、本格的なキーボードのマイコンだ。
BASICは日本語でないG-BASICと多少普通のパソコンに歩み寄るが、
しょせんはG-BASIC。多機種との互換性の無さは致命的であった。
特筆すべきは、やはりそのキーボードで、ぴゅう太がいわゆるケシゴムキーボードだったのに対し、
mkIIは、現在のパソコンのキーボードような作りだった。
当時はまだ、現在のキーボードが主流な訳ではなく、ケシゴムキーボードを搭載したマイコンも多かったのだ。 
mkIIという名称で、機能をUPして登場したぴゅう太だったが、時既に遅く、
ファミコンの牙城が築かれている中、敗者として埋もれていったのであった。 
・ぴゅう太くん(知育玩具)
ぴゅう太の敗北から、十数年後。ぴゅう太は帰ってきたのだ。
知育コンピュータとして。セガのPICOの登場とともに、
知育コンピュータという分野が確立された。コンピュータを使っている、
知育玩具も少なくない。
TOMYの電子系知育玩具として「ぴゅう太」は帰って来たのだった。
もちろん、ゲーム機やマイコンではなく、あくまで知育玩具なので、当時のぴゅう太とは、全く違う。
しかし、TOMYのマイコンの名称は「ぴゅう太」の伝統は受けつがれていたのだ。
かわいらしく「ぴゅう太くん」と。自分もトイザらスで1度だけ実物見た事があり、
感動しました。詳しい情報をお持ちの方、お寄せ下さい。
ぴゅう太くんは、情報によれば、TVと接続し、スロットマシンのようなミニゲームが楽しめるもののようだ、
次の紹介する、メダルゲーム版ぴゅう太くんと非常に密接な関係があると言える。
残念ながら知育コンピュータ市場は、PICOの圧倒的な独占状態だが、
ぜひ、ぴゅう太くんにも頑張って欲しい所だ。価格は一万円程らしい。
・ぴゅう太くん(メダルゲーム)
なんとぴゅう太はゲーセンにまで、進出していたのだ。
よくあるコインを入れて、賭けて、当たりだと増えるタイプのコインゲーム。
TV画面を使うものも、最近は珍しくない。
その1つに「ぴゅう太」の文字が!。画面にはTOMYのコピーライトも付いてる。 
まさか、これは!!!!。そう「ぴゅう太」ブランドはここまで、来ていたのです。
自分は2回程見かけた事があります。同じく、詳しい情報をお持ちの方、お寄せ下さい。 
(※ついに発見しました。激録!ぴゅう太くんへ) 
・TUTOR
しかもぴゅう太は外国に渡っていたのだ、名前はTUTOR。ぴゅう太と似ている所がすごい。
意味的にもいい感じだ。写真によると、ぴゅう太そのまんまで、キーボードの文字が英語だけになってる。
なるほどJISキーボードではないらしい。追って調査を続けたい。 
ぴゅう太は、いつもあなたの側にいます。LOOKING FOR ぴゅう太!!

ぴゅう太の館
http://www.geocities.co.jp/Playtown/1763/








ぴゅう太、そのすごいところ
ぴゅう太の、そのすばらしい機能をここで確認したい。
■キーボード
ぴゅう太のキーボードは、今で言う、ケシゴムキーボードで、ゴム質の押したかどうか若干わかりずらいタッチのキーボードだった。
しかも、子ども向けのマイコンだったのにもかかわらず、「ヌフ」で始まるJIS配列キーボードで、後MSXが子ども向けで50音配列キーボードが少なく無かったのに対し、あえて標準を採用していたのが、とても、斬新だった。
日本語BASICを採用していたので、カナでプログラムを入力するため、ぴゅう太をマスターする頃にはJISキーボードでカナがばりばり打てるようになる、というおまけもついた。
FEPがパソコンに標準で搭載し、ローマカナ変換時代の今では想像ができない。また、非常に使用頻度の高い、MODキーや、カナキーは、ケシゴムキーボードの特徴上、だんだんキーに書いてある文字が消えてくるという驚きのマジックが見る事ができた。
■コントローラー
今でこそ、ファミコンの十字キー+2ボタンの、あのデザインが主流かつ、標準的デザインであるが、ぴゅう太発売当時、コントローラーのスタンダードというものはなく、各社色々であった。
ぴゅう太のは、今思うと、よくこんなでプレイできたなというデザインで、ぴゅう太カラーのブルー&ホワイトで、未来派だった。
後には、ジョイスティックタイプも発売というカタログもあったが、発売された所を、自分は見た事がない。
■グラフィック機能
ぴゅう太のグラフィック描画機能は、いわゆるドローペイントタイプではなく、セルと呼ばれる8×8マスに1つずつ書いていくもので、非常に面倒だった。
セル番号はセル1つ1つに振られていれ768個だった事から、32×24のセルから成り立っていたと言える。
後のMSX並みで、色彩能力もMSXのSCREEN2並みの8ビットの横ラインに2色までで、当時としてはまぁそれなり奇麗な絵を描く事ができた。
これを元にBASICで制御する事もできたが、それは結構難しいものだった。
記録には、テープレコーダーと、カセットテープで10分近く、時間がかかった。
次にロードをした時、自分は読み出せた事が一度もなく、ぴゅう太専用データレコーダは、当時秋葉原を探してまわったが、どこにも置いていません、という言葉が帰ってきた。
■プログラミング機能
ぴゅう太に採用されたプログラミング言語は、当時画期的な独自の日本語ベーシックを搭載していた。
「カケ」、「マワレ(FOR文の事)」など、一見わかりやすそうで、他社の命令とあまりにも違い、逆にわかりずらかったかもしれない。
ベーマガに当時、プログラムが長期にわたって掲載されていたが、ぴゅう太の場合、ソフト的にグラフィックを書く機能がない為、セルのドット絵も掲載されて、他のマシンとは違う雰囲気を出した。
ぴゅう太後期には、BASIC1と呼ばれる拡張BOXをポートに差し込む事で、PRINT等の標準的な命令が使えるようになり、ソフト的にキャラクターを作ったりでき、他のマイコンにもひけを取らなかった。が時既に遅く、ぴゅう太Mk?UキラーとなったMSXにその座を奪われていったのであった。
やはり記録はテープレコーダーだったが、記録に成功した事は一度も無かった。
■拡張ポート
ぴゅう太はその拡張ポートも活用されていた。1つはゲーム拡張BOX。
もう1つはBASIC拡張BOXだった。ゲーム拡張BOXは、より高度なゲームができるという触れ込みで登場したBOXで、BOX自体にカートリッジ挿入口があって、ベースボール等が発売された。
しかし、ソフトは数本が発売されたのみであった。
もう1つのBASIC拡張BOXは、先のBASIC1の事で、高度なプログラミングが可能になるのが魅力であった。
ぴゅう太は、その家庭向けの発想は、今でも古さを感じさせない。

ぴゅう太の館
http://www.geocities.co.jp/Playtown/1763/