[通信] Vodafone live!BB
Vodafone live!BB「ラクラク転送ツール」が機能アップ
2006/4/4(火) 午後 2:39
vodafone Report 練習用
ボーダフォンは4月3日、PC経由で大容量コンテンツをダウンロードし、携帯に転送して楽しめるサービス
「Vodafone live!BB」専用のデータ転送ツール
「ラクラク転送ツール」
をバージョンアップした。Vodafone live!BBのポータルサイトから無料でダウンロードできる。
ラクラク転送ツールは、PCでダウンロードしたVodafone live!BBのコンテンツを、携帯本体や外部メモリの専用フォルダに簡単に転送できるソフトだ。
新バージョンの2.0では、Vodafone live!BB専用のブラウザとRSSリーダーを搭載し、単体で新着情報の取得から携帯への転送までができる。従来は単純に「機種選択」「転送先選択」「コンテンツのドラッグアンドドロップ」を行ってデータを転送するソフトだった。
Vodafone live!BBでは2005年5月からラクラク転送ツールを提供しているが、コンテンツを選びダウンロードする作業はブラウザで行う必要があった。また2005年12月からは、更新情報のRSS配信を開始したものの、RSSリーダーは別途用意しなくてはならなかった。これらの機能を統合することで、転送ツールの使い勝手が大幅に向上している。ただし、ブラウザとRSSリーダーはVodafone live!BB専用で、ほかのサイトは利用できない。
対応機種 転送先 904SH/903SH
902SH/804SH
802SH/703SH
703SHf 904T
803T 903T
902T 804N 802SE 702NK
702NKII 702MO
702sMO
本体メモリ ○ ○ ○ ○ ○ × ×
外部メモリ ○ ○ × ○ ○ × ×
PCに接続したメモリカード ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
804SSはVodafone live!BBに対応しているが、転送ツールには対応していない。802Nと703NはVodafone live!BBには非対応
Φ Mobile Phone Unlimited Φ
https://blogs.yahoo.co.jp/strike_extreme2
2006年4月9日日曜日
2000年12月20日水曜日
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン>>J-Phone/Kenwood J-K02~着メロ・メール機能付きケータイ
[機器][携帯電話] J-Phone J-K02~着メロ・メール機能付きケータイ
私の携帯歴 その一
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2007/1/31(水) 午後 9:21 デジタルグッズ 練習用
最近携帯の電池の持ちが悪くなってきました…。
ども、たっさんです。
私が初めて携帯というものを持ったのが2000年7月の事。
それ以来機種変を繰り返し、今もっているのが7代目です。
というわけで、今日から暫くは私の携帯歴を書いていこうかなと思っています。
記念すべき(?)第1回目は、人生初の携帯です。
機種名はJ-K02。
今は無きJフォンの機種です。
これは当時流行(?)だった、0円機種の一つでした。
液晶は白黒、着メロ(今や死語!?)は当然単音。
メールはスカイメールのみ対応。ネット関連もスカイウェブのみ。
本当に電話とメールができるだけの機種でした。
しかし当時としては、どこでも電話ができ、文字を送信できるとあって、自分の中ではすっごく感動した事を覚えています。
最初はとりあえず電話出来ればいいやと、あまり欲が無かったのですが、
その後、上位機種が出るたびに目移りしていくハメになるのでした…。
ちなみにこの機種、今でも持っています、ハイ。
箱はとうの昔に捨てましたが、説明書、充電スタンド共に健在です。
ま、人生初の携帯という理由で、記念に(?)保管しています。
しっかし、今触ってみるとボタンが異様に小さいと感じるのは
気のせいだろうか…(--;)
たっさんのお気楽ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/tattsuan0403
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン>>J-Phone/Kenwood J-K02
J-K02(ケンウッド製)。
この頃、社名もJ-Phoneに。
DP-134と同じく、アンテナ表示がケンウッド独自仕様。
ボタンがプラになったのは良いが、受話と終話ボタンにバックライトが無く、
夜、外で電話を受けると、ボタンを探すのに一苦労。
あと当時は関東を出るとデジタルツーカーのローミングとなり、電話代が高かった・・・。
風呂くん・はぁと
https://blogs.yahoo.co.jp/nexttinmemachine/15511373.html
携帯画像・・・
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書庫携帯
カテゴリ練習用
2007/2/19(月) 午前 6:30
PHSからデジタルツーカー、J-PHONEへと・・・
デジタルツーカー時代に使ってたSONYが行方不明・・・
画像は機種変後のJ-PHONE、J-K02というモデルです。
この機種からメールというのを覚えました★
keroro 365DAY
https://blogs.yahoo.co.jp/big_thunderjp/14215527.html
1995年12月14日木曜日
[機器][PHS] 東京デジタルホン/Kyocera
[機器][PHS] 東京デジタルホン/Kyocera
僕が始めて持った携帯です(PHSですが)
部屋を片付けてたら出てきました★懐かしいなぁ(^^♪
現代の携帯に比べて無駄にデカいですが一応パカパカです(爆)
確かこの後3台ほど機種変しましたが見当たりません(涙)
keroro 365DAY
https://blogs.yahoo.co.jp/big_thunderjp
1995年7月11日火曜日
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン/Sharp DP-201, 1995年シャープ初のケータイ登場
2007/2/11(日) 午後 9:09
ひとり言 練習用
携帯電話はみなさんどこの会社?
僕は新進気鋭のソフトバンクです。
というより、正確にはソフトバンクに変わってしまった一人です。
東京デジタルホンからはじまって、東京デジタルホン→Jフォン→ボーダフォン→ソフトバンク
いろいろと社名が変わりました。
Jフォン→ボーダフォンに変わったときは、請求書と一緒にボーダフォンのシールが送られてきて、仰せの通りに、携帯に記されたJフォンのブランド名の上にボーダフォンのシールを一生懸命に貼ったものです。
それでもなぜ他の携帯会社に移らないの?と聞かれますが、そこはなぜか頑固一徹。
変更するのが面倒くさいのと、いまさらD社を使うと今までの携帯歴が否定されているようで・・・
がその正直な理由です。
僕の携帯電話歴って、何の自慢にもなりませんが、結構長いのです。
かれこれ平成5年ころからのお付き合いです。
今でこそ、一人1台の時代で、みんな普通にバシバシ使ってますけど、当時は通話料金も高く、山手線のなかでも話す人はほとんど皆無で(当然ながら車内通話禁止のルールなんてありませんでした)
携帯で話しをしていると、周囲の人から羨望??(もしくは宇宙人を見るような?)のまなざしを受けていたものです。
最初の記念すべき1台目は、ノキア社製(東京デジタルホン)でした。
このブログでこの名機の写真を紹介したかったのですが、残念ながらあるはずの引き出しの中から見つけることができませんでした。
ちなみに上の写真は、私の3台目の名機KENWOOD社製(東京デジタルホン)です。
なにしろお弁当箱のような大きさ、単音の着メロに懐かしさを憶えますが、注目すべき一番は、今の携帯の3台分以上の重さです。
なにしろスーツの胸ポケットにしまうと、スーツが左右大きくずれてしまうんですから・・・。
まあ携帯というよりトランシーバーであったような・・・、そんな携帯電話でした。
もり太郎のひとり言
https://blogs.yahoo.co.jp/morita33311/45253.html
シャープの歴代ケータイ端末
2015/3/16(月) 午後 10:56 電子技術関連 スマートフォン
【情報端末】携帯電話端末 歴史
◆ガラケーはどう進化してきたのか - シャープ20年のケータイの歴史を振り返る
マイナビニュース(2015/1/24)
『 シャープがAndroid搭載でスマホ的な要素を搭載したケータイ「AQUOS K」を発表したことが話題になっている。
シャープは、1月21日に開催した同端末の発表会において、2015年は携帯電話業界参入20年目の節目にあたるということで、
会場に歴代のケータイを展示。
これまでの歩みを紹介した。
1995年:シャープ初のケータイ「DP-201」登場
シャープが携帯電話市場に参入したのは1995年。
デジタルホン(現:ソフトバンクモバイル)の端末として「DP-201」を発売した。
当時はまだiモードをはじめとする携帯電話IP接続サービスがないだけでなく、国内でも地方への移動の際にはローミングが必要という時代だった。
その後1997年に、コンパクトでキーパッド部分のカバーを開閉して使えるタイプの「SH201」でNTTドコモへの参入も果たしている。
左がシャープ初のケータイ「DP-201」、右が「SH201」
1998年:WEBサービス対応第1号機「J-SH01」、1999年:初のカラー液晶モデル「J-SH02」
1997年にはNTTドコモの「10円メール」やJ-PHONEの「Sky Walker」といった携帯メールサービスが開始され、
1998年にはJ-PHONEのネット接続サービス「スカイウェブ」がスタートしたが、その対応端末として「J-SH01」が発売された。
「スカイウェブ」のWEBサイトを閲覧でき、画面に48文字表示できるなど当時のケータイとしては大画面であることが話題に。
ただし、画面はモノクロ表示だった。
左が「J-SH01」、右が「J-SH02」。
また、中央はケータイとしてもPHSとしても使えるドコモの「ドッチーモ」対応端末である「SH811」
WEBサービス対応に続くシャープのケータイ開発のトピックは「カラー液晶」だ。
1999年、「J-SH01」を小型軽量化した上でカラー液晶を搭載した「J-SH02」を発売。
当時はNTTのiモード対応機種もカラー液晶搭載携帯が登場し、携帯はただWEBサービスが利用できるだけでなく、液晶のきれいさを求められるように。
その後、2000年にはシャープ初の二つ折りケータイ「J-SH05」ではTFTカラー液晶を搭載し、6万5536色が表示できると話題になった。
技術屋みやびまん
1995年6月6日火曜日
1995年5月23日火曜日
[機器][携帯電話] 東海デジタルホン-J-Phone/Panasonic DP-145
[機器][携帯電話] 東海デジタルホン-J-Phone/Panasonic DP-145
2番目の機種 DP-145 東海デジタルホン時代
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2007/4/28(土) 午後 1:57
携帯電話 携帯電話
この機種は使いやすかった。
メールも打てたし・・・。
けいたい電話について語る
http://ameblo.jp/osagoto/
https://blogs.yahoo.co.jp/osamushi007
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Panasonic DP-144
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Panasonic DP-144
携帯購入備忘録
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2012/3/21(水) 午後 9:24 ひとり言 練習用
最初に買った携帯。
DP-144(パナ製)。
「電話に縛られたくない」と粘っていたが、必要に迫られ購入。
当時、ブランド名がJ-Phoneで社名が東京デジタルホン。
ロゴも東京デジタルホンのもの。
車上荒らしにあい、半年で解約。
風呂くん・はぁと
https://blogs.yahoo.co.jp/nexttinmemachine/15511373.html
1995年4月2日日曜日
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Kenwood DP-134
[機器][携帯電話] J-Phone/DP-134
携帯電話遍歴
2008/5/4(日) 午前 10:59
携帯電話 携帯電話
引越しの準備のため、少しずつ荷物をまとめているところ・Part-4。
これまで使ってきた携帯電話だ。
私はSoftBankの携帯ユーザー(J-PHONEの時代からずっと)。
◆初代:DP-134
初代はKENWOODのDP-134。
液晶はモノクロ(当時はそれが当たり前)で、6文字×3行表示。
イルカをイメージした「ドルフィンライン」という流線形のボディがそのころは目新しく、形が気に入ってこの機種にした。
当時、「(藤原)紀香ケータイ」として一世風靡し、J-PHONEのシェア急拡大に貢献したらしい。
◆2台目:J-SH01
2台目はJ-SH01。
J-PHONEにおけるSHARP初代機。
私はこれ以降ずっとSHARPを使っている。
液晶が当時としては大きい8文字×6行表示。
(当時、他のは2行~せいぜい4行程度だった)
液晶の大きさと、バックライトが明るくきれいな青緑色のELなのが気に入ってた。
◆3台目:J-SH02
携帯初のカラー液晶搭載機。
ちなみに厳密に言うと、カラー液晶は、発表は本機が世界初だったが、発売はDoCoMoのF502iに先を越された。
で、液晶は8文字×7行で、かつ256色表示可能なカラー液晶。
事前にどこからか情報を仕入れて、発売日(か、せいぜい数日後)に機種変した記憶がある。
◆4台目:J-SH04
携帯初のカメラ搭載機。
カメラそのものはワタシは特に必要ではなかったが、目新しさを演出するには十分だった(笑)
液晶は8文字×9行。画面が広くなったのもさることながら、
SH02に比べると遥かに画面が明るいのに惹かれた。
備考:
この次に、携帯初のTFT液晶搭載機であるJ-SH05が発売された。
液晶フェチ(?)なワタシはこれもかなり欲しかったが、SH04の機種変から時間がたってなかったこともあって、機種変できなかった。
◆5台目:J-SH08
イメージ 6携帯初のカラーサブ液晶(背面液晶)。
登場したときは「裏までカラーにするか!?」と思ったものだが、ワタシは飛びついたのである(笑)
ただし背面液晶は画面が狭く細長く
また暗く発色が悪かったため視認性はあまりよくなかった。
メイン液晶はサイズはSH05から変わらず
TFTの120×160ドットだが、1670万色表示可能で、かつ、さらに明るくなっている。
熱心に機種変してたのはこの頃まで・・・
それまでハイエンドのSHARP機を選び続けてきたが、ほどほどの性能でそんなに重くないものを望むようになった。
◆6台目:V301SH
V301SH。
これはVodafoneのラインナップの中ではむしろエントリーモデルになる。
「携帯初」の機能は何もない。
ただ、エントリーモデルながらメイン液晶は2.2インチQVGA(240×320)、
サブ液晶は64×96ドット。
必要十分な液晶を搭載していて、かつコンパクトで薄く、軽かった。
けっこう長く使ったな。2年ちょい?
備考:
このしばらく後に携帯初のVGA液晶搭載機であるVodafone 904SHが発売された。
2.4インチでVGA(480×640ドット)ということは、解像度としては333dpiとなり、普通の印刷物よりも解像度が高いことになる。
実際、液晶に目を近づけて見ても、ドットは見えないくらい細かい。
ただ、やはり重いし、このときは3Gにしたくなかったので、機種変せず。
◆7台目:810SH
SoftBankの810SHで、現在使用している端末である。
これも、特に「携帯初」の機能はない。
ただ、VGA(480×640ドット)液晶が(当時としては)だいぶコンパクトな端末に収まるようになったので機種変してみた。
コンパクトといっても上のV301SHよりは大きくなってしまったのだが。
3Gで、SoftBankらしい新しいサービス(Yahoo!連携など)やおサイフ機能などあるが、これらの機能はほとんど使ってない。
携帯に音楽を落として聞くというのも当初はやったが、胸ポケットに入れるには重くまた使い勝手もイマイチなので、使わなくなった・・・
ただ、パソコン用のWEBサイトも見れるブラウザを搭載しているので、たまに出先で調べ物をするときなどに使っている。
「最近の機種らしい使い方」で、VGA液晶の高解像度が役に立つシーンだ。
他は、サブ液晶が、消灯しているときは鏡のようになるのが気に入ってる。
携帯を選ぶのはもうそんな理由になってきた・・・
これも1年半くらいになる。
もうこれ以上の機能はいらない(ワンセグも)。薄いのが欲しいな・・・
iPhoneがSoftBankから出たら、SHARPをやめてiPhoneにするかで激しく葛藤しそうだ。。。
いかん、こんなことばっかりしてると引越しの片づけが全然進まない(笑)
Fill her up!
https://blogs.yahoo.co.jp/mappleaflet/37620017.html
我がケータイ史
2009/1/3(土) 午前 4:11
備忘録 その他趣味
今使っているケータイを見て思った。
何てカラフルなんだ、と。
最初に使ったケータイは2行表示モノラルだったのに...
たかだか10数年で凄い進歩だよ。
最初にケータイ、いやPHSを買ったのは大学に入ったすぐ。
高校の頃はポケベルを持ってなかったせいか、嬉しかった記憶。1997年頃だったか。
今は亡きキャリアである「アステル」。
覚えている人の方が少ないのかも知れない。
画像はなかったが、三菱製のフリッパータイプだったはず。
あの頃はケータイよりピッチの方が安かったしなー。
◆J-Phone/DP-134
しっかーし、ガビーンとカッコいいケータイを見つけて
J-Phone (今のソフトバンク)に乗り換えてみた。
この頃はまだデジタルホンだったかな?
ケンウッドのドルフィンライン。欲しい色がなくてなくなく黒を買った記憶。(1998年/DP-134)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_0?1230923467
◆J-Phone/J-P01
それから、1年毎に新製品に替える事が数年続く。
どうも飽きっぽいようで。(1999年/J-P01)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_1?1230923467
◆J-Phone/J-SH03
次はシャープ製にしてみた。
以後、しばらくシャープ製が続く、使いやすかったから。
この頃からディスプレイがカラーになった。(2000年/J-SH03)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_2?1230923467
◆J-Phone/J-SH07
次は折りたたみ型に替えてみた。
ちょっと前から流行りだして妙に羨ましかったのだ。
この頃からカメラケータイになりだした。
写メールが流行ったのはこの頃だったかな? (2001年/J-SH07)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_3?1230923467
◆J-Phone/J-SH51
次はSDカードが付くようになった。
でも、それだけでそう変わり映えがしなかったかも。(2002年/J-SH51)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_4?1230923467
◆J-Phone/J-SH53
で、次はデザインだけで乗り換えた。
この頃からボーダフォンに変わる。
ジーンズと一緒に洗濯してダメにしてしまい、同じ端末をもう1台購入した記憶。(2003年/J-SH53)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_5?1230923467
◆DoCoMo/P900iV
東京に転勤になったのを機に、ドコモに替えた。
理由はなんとなく。
あと、シャープが嫌いになったので、メーカーも替えた。
何だか変なケータイだったなぁ。(2004年/P900iV)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_6?1230923467
◆DoCoMo/SO902i
さすがに折りたたみケータイが飽きてきてた。
よって、久々のストレートタイプ、やっぱりソニー好き。
ボタン操作はやりづらかったのが難点。(2006年/SO902i)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_7?1230923467
◆DoCoMo/SO905iCS
これはつい最近。
端末価格が高くなって、頻繁に替える気がトンとなくなった。
スライドタイプのごっついケータイに憧れて替えてみた。
サイバーショットケータイ、本当にゴツい...(2008年/SO905iCS)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_8?1230923467
あと10年経ったらどうなってるんだろ?
ふと思った正月休み。
Good Times Bad Times
https://blogs.yahoo.co.jp/gtbt9212/59616689.html
私はかつて、なぜか携帯電話に異常に興味を持っていた時代がありました。
その当時は買うわけでもないのに、カタログをもらってきては、いろんな製品の機能等のマニアックな情報を趣味的に集めていました。
スマホが全盛となった今では、ほとんど興味がなくなってしまいましたが・・・。
ちなみに私の携帯電話の機種歴は以下のとおりです。
①1998年 ケンウッド DP-134(J-PHONE)・・・ドルフィンラインのデザインが秀逸。
②1999年 シャープ J-SH01(J-PHONE)・・・初めてのWEB対応。
③2000年 東芝 J-T04 (J-PHONE)・・・初めてのカラー液晶。釣りゲームにハマる。
④2002年 シャープ J-SH52(J-PHONE)・・・初めてのカメラ機能。30万画素。SDカード対応。
⑤2004年 シャープ V602SH(vodafone)・・・初めての光学ズーム。200万画素。アプリのゲームにハマる。
⑥2007年 シャープ 910SH(SoftBank)・・・カメラが500万画素。見かけはまるでデジカメ。
⑦2009年 シャープ 930SH(SoftBank)・・・ワンセグを多用している。もうこれ以上携帯に望む機能はない。
事務系公務員の『仕事に効く』文房具
https://blogs.yahoo.co.jp/suvemanju/30694221.html
シャープの歴代ケータイ端末
2015/3/16(月) 午後 10:56 電子技術関連 スマートフォン
【情報端末】携帯電話端末 歴史
◆ガラケーはどう進化してきたのか - シャープ20年のケータイの歴史を振り返る
マイナビニュース(2015/1/24)
『 シャープがAndroid搭載でスマホ的な要素を搭載したケータイ「AQUOS K」を発表したことが話題になっている。
シャープは、1月21日に開催した同端末の発表会において、2015年は携帯電話業界参入20年目の節目にあたるということで、
会場に歴代のケータイを展示。
これまでの歩みを紹介した。
1995年:シャープ初のケータイ「DP-201」登場
シャープが携帯電話市場に参入したのは1995年。
デジタルホン(現:ソフトバンクモバイル)の端末として「DP-201」を発売した。
当時はまだiモードをはじめとする携帯電話IP接続サービスがないだけでなく、国内でも地方への移動の際にはローミングが必要という時代だった。
その後1997年に、コンパクトでキーパッド部分のカバーを開閉して使えるタイプの「SH201」でNTTドコモへの参入も果たしている。
左がシャープ初のケータイ「DP-201」、右が「SH201」
1998年:WEBサービス対応第1号機「J-SH01」、1999年:初のカラー液晶モデル「J-SH02」
1997年にはNTTドコモの「10円メール」やJ-PHONEの「Sky Walker」といった携帯メールサービスが開始され、
1998年にはJ-PHONEのネット接続サービス「スカイウェブ」がスタートしたが、その対応端末として「J-SH01」が発売された。
「スカイウェブ」のWEBサイトを閲覧でき、画面に48文字表示できるなど当時のケータイとしては大画面であることが話題に。
ただし、画面はモノクロ表示だった。
左が「J-SH01」、右が「J-SH02」。
また、中央はケータイとしてもPHSとしても使えるドコモの「ドッチーモ」対応端末である「SH811」
WEBサービス対応に続くシャープのケータイ開発のトピックは「カラー液晶」だ。
1999年、「J-SH01」を小型軽量化した上でカラー液晶を搭載した「J-SH02」を発売。
当時はNTTのiモード対応機種もカラー液晶搭載携帯が登場し、携帯はただWEBサービスが利用できるだけでなく、液晶のきれいさを求められるように。
その後、2000年にはシャープ初の二つ折りケータイ「J-SH05」ではTFTカラー液晶を搭載し、6万5536色が表示できると話題になった。
技術屋みやびまん
https://blogs.yahoo.co.jp/miyabiman_now/26501019.html
車上荒らしにあい、半年で解約。
しばらく携帯の無い生活を送ったが、やっぱり必要に迫られ購入。
DP-134(ケンウッド製)。
当時、アンテナ3本仕様が普通だったが、液晶が別にあり、パワーゲージで表示される異色機。
ただ、ボタンがゴムだったので早打ちが出来ず。
(ファミコンの四角ボタンが連射できないのと同じ)
風呂くん・はぁと
https://blogs.yahoo.co.jp/nexttinmemachine/15511373.html
まだいけるぞ!
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2006/9/10(日) 午後 2:03
a その他文化活動
今日の午後早く、前々から懸案事項だった
「東京デジタルホン時代の携帯電話(PDC)は、今でも携帯電話として使えるのか?」
を試してみた。まずは近くのボーダフォンショップへ。
「持ち込み新規でこの電話登録できるかな?」
とショップのオネーチャンに相談開始。オネーチャン初めて古い携帯電話を見るらしく、コネクタ位置がわからない。
ちなみに機種は東芝の名機DP-172。裏面にあるんですなこれが。
「まずは登録できるかどうか確認してみます」
と店の奥へ。待つこと数分「これから確認しますので製造番号を教えてください」電池パックをはずして製造番号をメモしてもらい、オネーチャンは再び奥へ。
そしてオネーチャンは出てくるとこういった。
「登録完了まで30分くらいかかりますのでご連絡先をこちらに書いてください。完了次第連絡しますので・・・」
というわけで連絡先を記し、ショップを出た。マックで軽く昼を食べ、ゴールデンバットを3本吸ってもういいかな、くらいの時間になったのでショップへ戻る。
できてました!
DP-172復活です!
故障したら後にはDP-174が控えています!
まだまだいけます!みんんなも古い電話器をもっていたら試してみよう!
ただし、ツーカー、ドコモのシティフォン、ドコモPHSは新規受付は終了しているのでできませんので念のため。
凡庸なるつれづれ
https://blogs.yahoo.co.jp/kenbo9454/41591284.html
1995年3月6日月曜日
1995年1月4日水曜日
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン DP-113
07/10/20
右、押し入れの奥から出てきたA1304T。左、また興味本位で買ったDP-113。
DP-113は電池が消耗しているのでACアダプターを繋がないと電源が入らない。
電池パックが入手できたらどこかで契約するかも?
人間の耳と口の間はそう変わる物ではないから折りたたみ携帯の開いた時の長さは何世代違っても大差無い。
機能が増えたり、薄くなったり小さくなったり、性能が向上した程度で根本的な所はあまり変らない。
A1304Tは随分前に解約した端末ながら、たまに充電をして完全に息絶えない様にしている。
この機種に保存している電話帳やEメールには殆ど価値は無いが、惰性で保存している。
サブディスプレイ破損、筐体にヒビ、アンテナ等パーツ欠損と随分ギリギリの状態で、
数ヶ月ぶりに電源を入れたのにも関わらずまだメモリが飛んでいなかった事に奇跡を感じる。
A1304Tは、2003年9月26日にA1012KIIを解約した後に新規契約した物で、
着信/発信/Eメール履歴を見る限りには2004年9月7日まで使用していた模様。
今になって手にしてみると、現在使用中のWX300Kよりちょっと良い。
WILLCOMの最新ラインナップには東芝の端末が有るが、それは使いやすいのだろうか?
新機種には興味が無くなって長い為、どうとも言えないのだが。
A1304Tを解約した後にAH-K3001Vを使っていたが、手にした当初はUIの変りっぷりに不平を垂れていたのを思い出した。
しかしもう京セラのUIに慣れきってしまっている/さほど使わないのでちょっと不便でもどうでも良くなったのでもう気にならない。
A1304Tには現用のWX300Kに無いスケジュール機能が付いている事に気付いた。
WX300Kが遅れているのか、A1304Tが先進的なのか。どっちだろうか。
流石に暇の毎日が続く生活では無くなったので、ある程度予定を管理しなければならない必要性が出てきて、
現段階では紙の手帳を買うか、WorkPadで管理するか、携帯電話に任せるかの三択に有る。
WX300Kはスケジュール機能が無いのでここで選択肢が一つ減る。
WorkPadに任せると紛失/故障時にどうにもならないし、ポケットには限りがある。
紙の手帳は無くすか燃えない限りデータが消えることは無いが、これも普段持つのは煩わしい。
となると全ての選択肢が却下されたような物だが、脳での管理は絶対無理と思われる。
さてどうしよう。
最近携帯電話/PHSのEメール機能について疑問性が高まってきたので、
旧世代の携帯電話/PHSに機種変更しようと試行錯誤中。
本当に必要な要件なら電話が来るだろうとの読みだがどうだろうか。
Untitled
http://www.geocities.co.jp/1065/diary/07-11.html
1994年4月20日水曜日
1994年4月6日水曜日
[機器][携帯電話] DoCoMo/東京デジタルホン/NEC DP-111,
2010/3/31
「PDCユーザ包囲網(終)ソフトバンクPDC停波と新機種と思い出と」
無線・通信
まだ金沢に住んでいた15年くらい前だったろうか。
そろそろ周囲にも携帯を持つ人間が出始めて、一般加入電話しか引いていない筆者は当時の携帯への割高な通話料金設定に戸惑い、「JR系だから」という理由で市外電話契約をしていた日本テレコムのコールセンターに「携帯電話との通話に対する割引サービスを検討していないのか」と聞いた事がある。
対して先方の回答が「そういうサービスの予定はありませんが、「デジタルホン」という携帯電話サービスがスタートしますのでよろしかったらご検討下さい」てな感じの内容。
日本テレコムが東名阪で携帯電話会社を立ち上げるのは知っていたので言葉を濁しながらも礼を言って電話を切ってから、当分大都市だけだしドコモやセルラーとローミングできない上に受信も出来ないデジタル方式だし(当時の筆者にとって、アナログ全盛だった携帯は他の無線同様「聴くもの」、正確に書くと「電波法に触れない程度に聞き流すもの」であった)、意味ねえよなあ、と思ったものだ。
その後、ツーカーに出資していいた日産と日本テレコムが双方の携帯を地方で使えるように、と合同でデジタルツーカーを設立、デジタルツーカー北陸の進出で意外と早く北陸でもそのチャンスがやってきたが、貧乏学生風情に携帯は要らぬと特に気にもせず。ただ将来持つなら鉄としては鉄道関連企業であるデジタルツーカーにしよう、とは思っていた。
新潟に戻ってほどなく妹が進学で一人暮らしを始めるにあたり、一般加入電話は引かず携帯だけ持とうということになった。そこで迷わず勧めたのがデジタルツーカー。無論ただ自分が持たない代わりに持たせてみたかっただけ。ただ当人にとっては割合相性が良かったと見えて、現在に至るまでMNPもせずソフトバンクを継続し、なぜか最初に持ったT4以来東芝機を使い続けている。
その後筆者も社会人2年目の1999年秋にようやくデジタルツーカーSH4を購入して携帯を持つこととなったが、その時の大きな理由は仕事で必要だからでも何でもなく「デジタルツーカーブランドが無くなるから」。
これは日産がツーカーとデジタルツーカーから資本を引き揚げ、デジタルツーカーについては共同出資者の日本テレコムに譲ったことで、少し前からデジタルホンが使っていたブランド名Jフォンにデジタルホン・デジタルツーカーを統一したことによるもの。
変更直前の9月末に契約したため、契約自体はデジタルツーカー東北とだったが契約完了のお知らせ等は社名変更したJフォン東北からだった。
それから10年半。今日午前2時を以てデジタルツーカー時代から続いたソフトバンクのPDCサービスが終了した。
この間会社は更にJフォン東京と北海道との合併でJフォン東日本東北支社、
Jフォン東海と西日本との合併でJフォン東北支社、
日本テレコムが手放して外資となってボーダフォン、
意のままにならなかったケータイガラパゴス日本市場を見捨てたボーダフォンがソフトバンクに渡して現在のソフトバンクモバイルと変遷。日本テレコムもJRが手放して外資に行ったり何やかやで結局ソフトバンク傘下のソフトバンクテレコムになって結局立場は違えど同じ企業グループに。
ここまでしぶとくSH4を使い続けたのもどうかと思うが、短文とはいえiモードよりも早い時期からEメールのやり取りができた機種であったため、ほとんど不自由は無かったから使ってこられた事が大きい。
クリックすると元のサイズで表示します
さて、今回のソフトバンクPDC終了が2年前のツーカー終了の時と違うのは、周囲に「(Jフォン当時)鉄系だったから」「(あくまで契約当時)料金が断然安かったから」「(みんな3Gに機種変したから)コミケで繋がる」てな理由で、かつ最期を見届けたいからという理由で周囲にPDCユーザが大勢いる事。そういった人らはホワイトプランだったのでそちらから掛けてもらってその時を迎えた。何しろこちらは料金プランもデジタルツーカー東北のローコールプランをここまで「動態保存」しており、高くついてしまうので甘えさせてもらった。
ちなみに左が予備PDC回線として購入したプリペイド契約の201SH(カード残高は使い切って着信専用化していた)、真中がSH4、ついでにサービス終了後もソフトバンク基地局へのローミングでアンテナバーだけは立っていたツーカーのプリケー、PT11。
現役2台からイヤホンコードが伸びてるが、これを両耳に入れてそれぞれと三者通話まがいの状態で話しつつツーカーの番号を引き継がせた912Tで撮影、とそういう光景。
3時まで話し続けたが切断される様子が無いのでそれぞれとつないだまま就寝、5時50分頃まで接続は維持されていた。
若干仕事内容に余裕のある水曜日だったので配達のついでにソフトバンクショップで機種変。
これまで他社がサービスを終了した時と比較して移行時の優遇措置などがあまりにもとんでもない対応であった事嫌気がさしたり怒りを覚えたりで離れる方も多いようだが、私としては端末代を払ってでもソフトバンクを維持する道を選んだ。
端末も料金プランも継続は出来ないが、メールについてボーダフォン時代の「h.vodafone.ne.jp」ドメイン、更に実は今なお受信専用として使えるJフォン時代の「jp-h.ne.jp」ドメインを動態保存したかったのと、会社の営業さんにはソフトバンクの法人契約端末が貸与されているので、仕事上の通話で会社に余計な費用を掛けさせない、自分がいい加減余計な費用をかけたくない為もある。何しろローコールの通話料金って主にレジャー目的での携帯使用を想定していて平日昼間が高く設定してあり、仕事の電話ではえらい目にあってたもんで。
新機種は931P。以前修理中の代機でデジタルツーカーP4を使って以来のパナ携帯。
これの機種変する時は、また新しい携帯電話サービスに替わる時なのかもしれないな・・・。
広坂ぼやき亭(旧館)
1992年11月13日金曜日
[市場][社会] ポケベル文化
ポケベル自由研究 010 186[7
ポケベル(ポケットベル)って何?!という人へ。
■Q&A
Q1.ポケベルが全国的に流行ったのはいつ?
A1.1994年~1997年にかけて。95年96年(平成7年8年)辺りが全盛期です。
A2.初めて気軽に(基本料が月2、3000円と安い)携帯できるコミュニケーションツールだったから。
A3.学生(高校・専門学校・短大・大学)や若い社会人中心。女子は所有率↑。
Q4.ポケベル用語を教えて?
A4.ベル(ポケベルを更に略して)、ベル番(ポケベルの番号)、ケツ番(メッセージの最後に入れる数字化した名前、東海~関西でしか通じない?)、ベル友(メッセージを送り合う会った事も無い人)、ベルナン(テキトーなベル番にメッセージを送りナンパ)、空ベル(文字数オーバー等で受信したメッセージが空)、シカベル(受信したメッセージを無視)、イタベル(イタズラベルの略)、偽テレ(偽造テレホンカード、10枚1000円程で繁華街等でたむろするイラン人らしき人から買えた)、保護る(メッセージを保護する)。
Q5.LINEやメールと似た感じ?
A5.ちょっと違います。ポケベルは受信専用で直接メッセージは送れず、送られてきたメッセージは誰からなのか不明です(衰退期に携帯のように着信番号表示可)。既読スルーみたいなものも基本的に存在しません。一部例外を除いて、電波の届かない地下にいたり電源オフの場合は二度とメッセージが受け取れないし、本体のメッセージ保存数も数件~数十件程度と少なく、相手が確実に読んだ保証がありませんでした。
Q6.誰からのメッセージかどうやって判別したの?
A6.送信側がメッセージにケツ番や名前、イニシャル、仲間内の暗号を入れて判別できました。
Q7.語呂合わせの数字で暗号みたいなメッセージをやりとりしたって本当?
A7.本当です。90~94年頃の数字表示しかできないポケベルが中心の時です。語呂合わせや暗号のたった12文字の数字(ドコモなら)でやりとりする渋谷の女子高生をメディアがよく特集していました。但し、94年にテレメのカナ自由文表示可能ポケベルが登場しその文化は衰退していきました。
Q8.メッセージはどうやって送るの?
A8.メッセージを入れたい相手のベル番(一般電話の番号)に電話して、ボタンをあれこれプッシュして最後に#を二回(一回の場合も)で送ります。メッセージが届くまで30秒程かかる時も。現在のドコモの0903101655に電話してSMSを送る方法が近いです。
Q9.公衆電話に行列って何?
A9.学校の休み時間や放課後に公衆電話にはポケベルのメッセージを送る学生の列ができました。20秒程度で1メッセージ送れたので、大体30秒で一人交代していく感じです。
Q10.公衆電話見かけないけど?
A10.携帯の普及と共に減りました。
Q11.キャリアは?
A11.ドコモとテレメッセージ。全国統一サービスではなく(ドコモ中央や東京テレメッセージとの契約)、一県のみや数県でしか使えませんでした。契約エリア外へ旅行の際はポケベルは家で留守番というパターンも一般的。(ドコモは後に全国利用可)
Q12.ドコモが人気だったの?
A12.地域や世代により異なりますが、自分の大学は8割以上がテレメッセージに感じました。(東海や関西はテレメが強かった模様)
Q13.ベル友ってどうやって作るの?
A13.上述のベルナンや、じゃマール等の雑誌で自分のベル番を載せて募集しました。
Q14.メッセージは何文字送れたの?
A14.96年頃だと地域差があり、全角カナ12~14文字(テレメ)、全角カナ11~14文字(ドコモ)でした。
Q15.面倒じゃない?
A15.そういう意見もありましたが、他に選択肢が無かったし便利に感じた人が多数です。
Q16.ポケベル世代って?
A16.ブーム期に高校生だった70年代半ばから後半生まれの世代です。mixiでも76~78年生まれのコミュニティだけポケベルのスレがありますね。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
これを踏まえて全盛期までの流れを補足&まとめ。
■全盛期までの流れ
89・90年、渋谷のチーマーが集合をかける連絡手段やステータスとしてポケベルを持ち始める。暗号や語呂合わせ誕生。
91・92年、チーマーと繋がりのある渋谷の女子高生もポケベルで語呂合わのメッセージのやりとりを始める。その周辺女子達にも徐々に波及しブームを形成。コミュニケーションに主体を置く、より複雑な語呂合わせや暗号が使用される。92年は雑誌等でポケベルが取り上げられ始める。
93年、秋元康企画のドラマ『ポケベルが鳴らなくて』放映。コミュニケーションツールとしてのポケベルが全国的に知れ渡る。ドラマ放映前後にポケベルを含め渋谷の女子高生特集が様々なメディアで頻繁に組まれる。個人所有者増加。
94年、テレメが初のカナ自由文表示ポケベル(全角カナ9文字まで)発売。カナで簡単に読める手軽さが受け、学生や若い社会人(特に女子)を中心に普及が加速。本格的なブームとなる。
95年、東京全盛期。ドコモがカナ自由文表示可能なセンティーシリーズ(全角カナ12文字まで)を発売。一部テレメも12文字まで対応に。ベル打ちによるカナ自由文がメッセージの主流になる。契約数の急増で回線がパンクするので新規契約受付をストップしていた(東京テレメ・一部ドコモ中央)時期がある。
96年、地方全盛期。一部テレメが全角カナ14文字まで対応になる。ドコモのネクストポケベル(全角カナ11~14文字まで)登場。
■ポケベルが残したもの
生みの親が語る「ケータイ絵文字」14年の軌跡と新たな一歩
ドコモのベルで使えた♥マークからiモードメールに絵文字が採用された。
携帯メールの絵文字は各キャリアが採用し、より豊かな感情表現を可能に。
LINE開発者が明かす、大人もハマるLINEスタンプ“ヒットのヒミツ”
この絵文字文化が現在のLINEスタンプにも継承。
もう一つが着メロ。ベルも携帯も最初はピーピー鳴るビープ音やピリリリ鳴る電子音の着信音だけで、94年発売のテレメのモーラという機種でホルディリディアという曲の着メロが搭載。(着メロ初搭載はカシオの機種のようだが機種は不明)
この着メロは携帯電話に引き継がれ、更にサービスは進化して着うたに。
■ポケベル衰退の歴史と所有率のデータ
1399075204065.png
愛知県名古屋市の愛知淑徳短期大学生(女子校)のポケベル・PHS・携帯電話の年別利用率をまとめたもの。
特にベルを今までに利用した事がある率が高いのは
7期生(74年生)60%強
8期生(75年生)80%弱
9期生(76年生)約90%
10期生(77年生)90%強
11期生(78年生)80%弱
12期生(79年生)60%強
ポケベル全盛期の95年96年に大学に進学した76年や77年生まれという事が分かる。
更にデータをよく見ると
8~10期生が大学入学後にポケベル所有率が最も大きく跳ね上がっている。
高校卒業→進学後にベル所有率が上がった理由は
①高校時代は所有を親から許されなかったが、バイトするようになり自分のお金で購入した。
②8期生が進学した94年はベルの本格ブーム期、9・10期生は全盛期にあたるため。
と想像できる。
世間一般にはポケベル=女子高生のイメージが強いが、ブーム期に所有率が高いのはむしろ高校卒業後の進学生の方であり、愛知県に関してはポケベル=高校卒業後の名古屋の学生の方が一般的と言えるのではないだろうか。
自分も上のデータの10期生と同年で、愛知の田舎の高校から名古屋の大学に進学という経歴。ベルを持っていた高校同級生は数える程、大学一年のクラス会の時は半数以上はベルを持っており、大学の同級生に関しては8割前後がベル所有者でした。
ここでPHS(別名ピッチ、廉価版携帯電話とでも言えばいい?)の話。上のデータでも分かる通り、96年97年にPHSの小ブームがあった。(東京ではブームに)
PHSが学生に一時普及した理由は
①携帯が欲しいけど利用料が高いのでPHSで我慢。
②96年にDDIポケット(現ウィルコム)のPHSにメール機能が搭載された。
③公衆電話を使わずともPHSでベルにメッセージを送れる。
④97年から一部機種がテレネームという機能(本来は通話発信者が着信側の画面に名前を表示させようとするもの、この時は携帯やPHSに発信者番号通知機能は無かった。20字程度を送れた)に対応しており、これを利用しワン切りで無料メールのように使う人もいた。
が挙げられるだろうか。
ただ、PHSは当時はエリアが狭い、高速移動に弱い、携帯と相互通話不可等の弱点があり、整備の進んでいない地方ほど所有率が低かったようです。
周りではあまりピッチは見かけなかったなぁ。自分も買ったのでなんだけど、変わり者がたまに持ってた印象。大学の同級生もベル→携帯組がほとんど。
ピッチは走行中の車等で全く使い物にならなかったし、自分はすぐに携帯を買い足した。
続いては携帯。どの世代も97年にはポケベル所有率が下がり携帯所有率が上がり始める。
93年頃で携帯を手にする初期費用に15万円程必要で、80年代なら30万とかお金のある社会人の持ち物だった携帯は、高額な保証金制度の廃止や新規加入料の値下げと廃止、基本使用料や通話料の低下、本体代の低下もあり94年から先ずは一般社会人を中心に普及が進み始め、段々学生にも持ちやすいイメージに。
そして、決定的だったのは携帯にメール機能が搭載された事。
①97年6月 ドコモ ショートメール 全半角共に50文字まで
②97年9月 IDO(現au) プチメール 全角64半角128文字まで(関東・中部)
③97年11月 J-PHONE(現SoftBank)orTU-KA スカイメールorスカイメッセージ 全角64半角128文字まで
特に機種代0円とかでばらまかれたauとJ-PHONEは学生に受け、98年からの高校より上の学生の爆発的な普及に繋がった。公衆電話がなくても簡単にメッセージが送れる携帯がベルに取って変わった年だった。(高校生は非所有PHS携帯ベルの混在状態に)
同級生達もこぞってベルから携帯に買い換え、スカイメールのJ-PHONEやTU-KAかプチメールのIDOどっちを買おう?とよく話題になっていた97~98年だった。
ポケベル契約数推移とドコモ契約データ
ポケベル契約数のピークは96年6月の1077万6800。
ドコモの91年度は法人契約9割→96年度は個人契約7割と劇的な個人利用の増加が分かる。また20代女性(学生や若いOL)にかなりの契約者がいたようだ。法人契約の半減も伺えるが、大部分がより便利な携帯(法人契約や個人携帯へ通信費支給)へ移行したと想像できる。
94年の雑誌の渋谷の女子高生特集。電話は家や公衆電話から、ポケベルが広がりつつあるという内容。
96年の雑誌のアンケート調査では、平均年齢19.7歳の女性が回答しポケベル所有率52%、携帯電話所有率23%。僅か二年程で女子高生だった子は携帯を持っている子もいるという時代の流れの速さ。
■東京のデータ
97年9月東京都実施の調査
女子高生の48.8%がポケベル所持、28.3%が携帯orPHSを所持。
男子高生の21.8%がポケベル所持、26.3%が携帯orPHSを所持。
女子は男子の二倍以上ポケベルを所持していた。
また、アクロス(97年12月号)という雑誌の渋谷女子高校生調査では65.1%がポケベル所持、61.3%がPHS所持、7.5%が携帯所持という結果に。
渋谷の女子高生恐るべし!ベルとピッチの二刀流もかなり多かったようだ。
■富山大学のデータ
99年に取ったデータのようだが、東京と同じくポケベル所持率は女子は男子の倍に。
しかし、全体的にポケベル所持率が低い。淑短では90%強だった10期と同年の富山大四年のポケベルを利用した事がある率は24.1%。女子が男子の倍以上持っていた計算をしても40%に届かず、淑短の半数に及ばない。
地方ではベルはあまり普及しなかった?
■96年総務庁調査
調査対象の岩手・埼玉・愛知・和歌山・鹿児島の高校生のポケベル所有率は、女子でも僅か12.1%、男子6.9%。
やはりポケベル=女子高生というのは東京とかの都心で、普及がそれ程進まなかった地方では遊んでるor流行に敏感な一部高校生の持ち物だった場合が多そう。
よって、ポケベルは確かに流行ったけど、全国的に見るとポケベル世代でも買わなかったよ!って人はけっこう多いツールと分かる。
語呂合わせの数字の読み方
左が95年でテレメベース、右下は94年頃のドコモベース。地方や世代やキャリアによって読み方や使い方に違いが。
右上は93年頃の語呂合わせや暗号。お洒落は暗号で753で表す場合も。他に-015←ボーリング行こ、-000-←だんごとか。[]をいっぱい並べて、かっこつけすぎってのを当時雑誌で読んだ記憶も。
数字のメッセージを見る事は滅多になかった(96年名古屋)けど、五十音全ては数字と記号で表せた。テレメの自分達の頃は確かこんな感じ。
よく使われたのは
101010→ただいま
[]→学校
8110→バイト
[7→かな(?が使えないのでその代わり)
数字でベルを入れるにはベル番に電話、そのまま数字を打てばいい。
数字打ちの時は
-→*2
[→*4
U→*5(*0の場合も。ドコモ非対応)
]→*6
スペース→*8
を打ち込むと記号やスペースが使えた。
(例)学校に行ってきまーす 今日は会えるかな みさき、と入れたい場合
*4*62*8121090*23*894*58*8186*47*8339♯♯
と打ち電話を切る。
↓
相手のベルに
[]2 121090-3 94U8 186[7 339
というメッセージが届く。
ミスチルのinnocent worldの歌詞を数字で
カナ入力の変換表
左上テレメ(♥マーク実装以前)、右上ドコモ(センティーシリーズ)、一番下は♥マーク実装後のテレメとドコモネクストシリーズ以降(機種により異なる場合あり)
カナ変換コードはテレメは*2*2(こめにこめに)が基本。しかし、95年までの中部テレメの機種は*6*6、関テレは**9のように、地方でコードが違う場合もあった模様。
同様にカナ解除コード(基本は*8)と終了コード(♯♯or♯)にも違いが見られる。
ドコモはセンティーシリーズは変換コード無、ネクストポケベルから*2*2を採用。
よく使う人は間違いなくこの表が頭に叩きこまれていたはず。但し、カナと一部の記号だけ。英数字まで頭に入ってる人は凄い。
カナでベルを入れるにはベル番に電話、最初に*2*2と押した後に、それぞれの文字に対応した数字を打ち込む。
タ→41、ル→93という感じ。
(例①)今日はありがとう なおき、と入れたい場合
*2*22285136111922104451388711522♯♯
と打ち電話を切る。
↓
相手のベルに
キヨウハアリカ゛トウ ナオキ
というメッセージが届く。
大学の公衆電話は休み時間の度に行列!(97年まで)1メッセージに収まるよう指折り文字数を数えて待つのがお約束。実際に自分が並んでいた学校の公衆電話。
ここからはベル実機画像、テレメから☆地方により機種・ロゴ・本体カラーが異なるのが特徴。
自分達の世代では断トツ人気のTELSONA(テルソナ、95年発売)!女子の着信音の定番はエレクトリカルパレード。上は東京×2 、山口?・広島・東北?・中部・関西・福岡。東海三県の皆はこめろくこめろくしたはず(笑)
mola(モーラ、通称マンボウ、94年6月発売)、白・黄・緑・黒色有。Ⅱもある。
自由人(94年3月発売)、テレメ初のカナ自由文表示機種。東京・岡山・山陰?
Arkiss(アーキス、96年発売)、着メロ自作可、うんちの絵文字も人気の理由。上の画像は中部、下の画像は東京×2・関西×2、中上が東北?残り五つは不明、キティ・マイメロ。
TechnoJoker(テクノジョーカー)
STELLA(ステラ)、ステラ2
ベルカム、フェニックス、フェニックスFW
プレル、リエゾン2、ジュリオ、ベルコスモ、トレミーフィーノ、ヴィクトライン、トレミーモア、ルカート
ニコット、テルソナカード、ベルスイート、コロンボ、ナージ、リトルベル
上は90年代初期の関テレと、同か後継機の静岡テレメ、残りはカードバイブFでデザインを選べた模様。
二機種共、機種名不明。上からカシオ製・東芝製、中部テレメのCMコピー編・お散歩編で中谷美紀が使用。
93年頃の東京テレメのラインナップとドラマポケベルが鳴らなくてで使用されたベル。左上の二機種?
Simplet(シンプレット)、SIDE44(サイド44、真っ黒・デザイン性無し、いわゆるゴキベル)
映画バブルへGO!!でも登場。『アイシテル ナツミ』しかし、設定の90年3月でこのような使われ方をしていた可能性は低い。
92年の雑誌の特集。ゴキベル?と吉田栄作ヘアが眩しい。
■テレメッセージのポケベルの歩み
平成6年(94年)以降登場したポケベル
自由人(右上)・モーラ(中下&右下)・テルソナ(左下)・アーキス(真ん中)はテレメの中で特に人気が高く、全盛期を支えた機種と思われる。
残りはドコモ。左上はセンティーC、中左はセンティーD、中右はベルミー。
ドコモのポケベル。センティーA(上)とセンティーネクストA11(下)
ほぼ一緒のデザインで間違えやすい。センティーAは人気があった。
左上センティーB、右上センティーD、左下センティーE、右下センティーF
センティーシリーズはベル本体でボタンを押してカナに変換。
左上は92年にドコモになる前の初期タイプ(ドコモロゴ版有)、右上からカードV、パルフィーV、パルフィーペンダント。
一番下はドコモ関西限定のタイガースポケベル、着信音に六甲おろしが入ってるらしい。左上から三番目のグレーのモデルがベース。
おそらく97年(夏服・キティのストラップから)、女子高生と左からDDIのPS-701、プリ帳、センティーA、DDIのCarrots(DL-S25P)
センティーネクストA12、A21、B11、B12、D11、D21 、F11、G11
インフォネクストC11、D11、D15、A55、B55、 D55、G55
Jリーグポケベル
インフォネクストB55RH広末涼子モデル(限定1000台?)
91年のCMより
[01]80 11-30のメッセージを受けた女性が
『高嶋くん、あと80km、11時半に着く』と読む。
[01]=高嶋政宏←二人で決めた暗号はいいとして、80が80kmはちょっと強引(^^;)
ポケベル早押しPiポパ
ベルがコミュニケーションツールとして使われていた期間は
黎明期(~91年)
ブーム初期(92~93年)
ブーム中期(94~95年)
ブーム後期(96~97年)
衰退期(98年~)
に分類できるだろうか。
■ポケベル関連曲
国武万里『ポケベルが鳴らなくて』
ドラマポケベルが鳴らなくてOP
同名ドラマの主題歌で50万枚以上を売り上げた93年のヒット曲ポケベルが鳴らなくて、の歌詞解説。
この歌は独身女性が妻子ある相手を思う不倫の歌。
この頃、一般人には携帯電話やインターネットメールは普及しておらず、相手の男性と連絡を取るにはポケベル以外だと相手の自宅に電話するしかないが、奥さんが出るといけないから
『私の方から電話できない』
二人を繋ぐ唯一の手段がポケベルで、相手が自分のベルを鳴らしてくれない事には電話したり会う事が出来ない。
相手が今どこで何をしているか知る術もなく、ベルへの連絡をひたすら待つしかない状態。
以上より『ポケベルが鳴らなくて恋が待ちぼうけしてる
ねえあなたは今どこで何をしているの?』の歌詞となる。
この歌詞を現代風にすると
『(留守電も)メールもLINEもSNSもその他諸々の連絡を取ったり何をしているか知る手段も全て役に立たなくて
恋が待ちぼうけしてる
ねえあなたは今どこで何をしているの?』
になるでしょうか。現代は直接的にも間接的にも誰がどこで何をしているか知る手段に溢れていますね。
その他ポケベル関連曲
大黒摩季『あなただけ見つめてる』
広瀬香美『ドラマティックに恋して』
EAST END×YURI『DA.YO.NE』
安室奈美恵『SWEET 19 BLUES』
globe『Is This Love』
SPEED『Go! Go! Heaven』
吉川ひなの『ハート型の涙』
平家みちよ『GET』
広末涼子『恋のカウンセル』
岡本真夜『DREAM』
東京プリン『携帯哀歌』
MOMO『*ポケベルNightは5643#』
MOMO『ポケベルが鳴りっぱなし』
■ポケベルを販売する90年代の店舗や看板
ベル全盛期の96年頃だとロンバケでキムタク人気は最高潮、アムラーやシノラーがいましたね。
この頃と今で違う文化を一つ。
それは写真
今みたいに気軽にスマホや携帯で!旅行にはデジカメ~♪ではなく、ほぼ持ってる人がいなかったデジカメってどんなん?だし、カメラ付携帯も登場していないので写メ(もう死語)なんて言葉も存在せず、イベントのお供には写ルンです等の使い捨てカメラが一般的だった。
観光スポットのお店には必ず使い捨てカメラが売っていて、コンビニにもほぼ100%ありました。
後は、調べ物はネットではなくまだ図書館が主流でしたね。
PHSを除いて初めてカメラ付携帯が登場するのは、20世紀最後の年の2000年。
ミレニアムイヤーの一年、個人でのポケベル所有者は基本的に一部の物好きだけで、三年前までは普通に持っている人がいたのが信じられない位、もうすっかり過去の産物に。
この頃の携帯が出来たのは通話・メール・コンテンツが少ない&非対応が多数のネットぐらいのもの。
カラー液晶携帯が増加し、着信音は単音から和音に。赤外線通信が出来る機種はごく一部で、ワンセグ?おサイフケータイ?着うた?アプリ?GPS?QRコード?Bluetooth?スマフォ???とまだまだ発展途上。
通話用のアンテナも伸びるのが普通。光るアンテナも流行。現在のような内蔵式アンテナが散見されるのは翌年から。
ガク割や安い料金プランが登場し、高校生以下にも携帯の普及が進みました。
当時の携帯端末供給メーカー。人気のあった順にキャリアの壁を越えて個人の主観で並べる。
NEC、パナソニック、シャープ、三菱電機、三洋電機、京セラ、東芝、ソニー、鳥取三洋、富士通、日立、デンソー、カシオ、ケンウッド、ノキア、モトローラ、エリクソン、パイオニア、日本無線、国際電気
上位6メーカーは特に一般人気が高かった。
国際電気はドコモのポケベルでおそらく一番売れたであろうセンティーAのメーカー、携帯電話事業では振るわなかった。
自分のポケベルの思い出を。
ベルを買ってすぐ、変換表片手に何人かにベルを入れた。
『ホ゜ケヘ゛ルカツタヨ』
『アーキス052△△△○○○○』
『*2*2ヨロシクネ シンイチ』
メッセージが返ってくる。
『コレカラヘ゛ルトモタ゛ネ60』←らん
『オソツ!ノリオクレタ゛ワ814』←へいじ
『ケツハ゛ント゛ウスルノ?3ー]』←そのこ
『オメテ゛トシヨシンシヤ♥U39』←ゆうさく
メッセージを返す。
『ヘ゛ルトモイチコ゛ウ!401』
『ウツサイ!ワルイカー401』
『401テ゛ヨロシクテ゛ス』
『キヨウカラフ゜ロニナル!401』
特に内容も無いメッセージのやりとり。しかし、今までは離れた相手と連絡を取るには家電話は必須。実家住まいの相手に電話をかければ親が出る確率は高く、電話口に読んでもらう手間があった。夜9時を過ぎてくると失礼があってはいけない、とかけるのに躊躇し、10時を過ぎたらもうかける事はできなかった。
でも今日からは違う、親に気兼ねなく家電や公衆電話があれば好きな時にメッセージを送り連絡が取れる。いつでもおやすみがメッセージで伝えられる新鮮さ。新しい1日が始まった!そんな気分だった。
ベル友の思い出も。
自分にも何人かいたけど、突然『ヘ゛ルトモニナツテ』的なメッセージが来るのは当時ベルを持っていた人なら経験した事がある人も多いはず。
大学の空き時間、皆で時間を持て余していた時
『オトコカナ?オンナカナ?』
『コウサンノタ゛ンシ ヨロシク』
『052△○△○△○△』
と自分のベルにメッセージが入った。
どうせ暇だし、ベルを返す。
『ヘ゛ンキヨウシナヨ!オトコ』
ベルが返ってくる。
『ヘ゛ルトモニナツテクタ゛サイ』
返してあげる。
『タ゛カラオトコタ゛ツテ』
返ってくる。
『オトコテ゛モイイテ゛ストオル』
・・なんつー寂しがり、いやあっちの人か?なんて疑念も抱きながら、彼とベル友になった。しかし、さすがに会った事もない年下の男子に興味が湧く訳も無くすぐ疎遠に。
ベル友に会った!という話もたまには聞いたけど、警戒している人も多かったと思う。犯罪に巻き込まれる可能性や性別を偽ってイタベルする事例もあるって話も聞いてたし。
96年にドコモからメッセージ再送機能が使えるネクストポケベルが登場するが、何らかの事情で受信できなかったメッセージを契約者が自分のベルに再送するには、公衆電話や一般電話から操作、別途料金がかかった。
実際に大学の同級生が使っていたが、電波の入りが悪い訳じゃないのにメッセージを飛び飛びで受信する場合が多く、その同級生はいつもブツブツ言いながらメッセージ再送機能を使っていた。
また、ドコモのセンティーシリーズにカナでベルを入れる時は
スペース→09
♥→88
だったのに対しテレメの場合は
スペース→88
♥→89(96年以降実装)
といった違いがあり、うっかりドコモの人にテレメの癖でスペースを88で打ち込み意図しない♥を送ってしまうという悲劇もよくあったようだ。
しかし、ドコモのネクストポケベルからはテレメに合わせた文字コードとなった。
なので、ベル番を交換する時には確認事項があった。
①テレメか、ドコモか。
②96年以降の機種か(中部は*6*6or*2*2確認)、ネクストポケベルか。
③ケツ番は何か。
当時の自分達は相手のキャリアや機種を大体把握した上でベルを打っていた。
ケツ番の由来について
ポケベル用語で全国区と思っていたらそうではなく(ゴキベルも)主に東海~関西でしか使われていないようだ。そしてこの言葉を一番使用しているのが愛知県民という印象。
愛知とケツ番の関係、このケツ番という言葉、パチンコ台の末尾の番号を指してケツ番と言う事が。愛知といえばパチンコ発祥の地でメーカーが集い盛ん。おそらくそっち関係の人がこのケツ番になぞらえて命名したのではないかと。
そして名古屋に来る人の多い隣接他県(岐阜三重)に広がり、岐阜はJR名神、三重(伊賀辺りから関西と密接)は近鉄、愛知は近鉄JR名神で関西は比較的身近。
東海は関西と繋がりが強く文化の流出があったのでは?と想像。
調査期間が97年の7月~10月
工学院大学(東京)男28女9名
成蹊大学(東京)男267女154名
城西国際大学(千葉)男169女54名
慶応義塾大学(東京)男14女14名
以上の学年不明者が対象。
ポケベル所有率は25.9%
PHS所有率は22.3%
携帯所有率は25.1%
ポケベル所有率は男が17.6%、女が42.1%。やはり女子人気は高かった。
オマケ①
97年の11月頃?の群馬大学、77年生まれの二年生中心のデータ。
ポケベル所有率約32%、PHS所有率約13%、携帯所有率約16%?
ポケベル所有率は男が20.8%、女が44.6%。
オマケ②
小樽商科大学(北海道)で時期不明学年不明の96年?に実施された調査。
ポケベル所有率は約15%。男10%弱、女20%強。
オマケ③
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97年10月~11月に実施した調査。
都内私立女子大は
ポケベル所有率37.5%、携帯所有率55%!PHSも携帯と一緒にして携帯が高い結果となっているっぽいが、それでも東京が先を行っている証。
オマケ④
96年の4月と7月に愛媛県松山市の二つの大学の学年不明者に行われたもの。
4月ポケベル所有率27.8%(男21.2%女31.5%)、PHS所有率6.7%(男10.8%女4.3%)
7月ポケベル所有率30.8%(男17.5%女37.4%)、PHS所有率12.7%(男14.4%女11.9%)
ドコモ、au、ソフトバンク!携帯好きってウケが悪い
https://ameblo.jp/5763942/entry-11839864777.html
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