PC-9801
正式名称 |
PC-9801 |
発売日 |
1982年?月?日 |
定価 |
298000円 |
CPU |
i8086 |
メモリ |
RAM |
128KB(最大640KB) |
ROM |
|
GDC |
μPD7220 |
昔のマニュアルって結構詳しかったね。
2010/6/13(日) 午後 10:49 PC-98x1関係 パソコン
皆様、こんにちは。
ネタがないので、PC-9801Fのマニュアルのご紹介。^^;
昔のPCのマニュアルって、結構技術的な内容も載ってましたね。
当時は、これが結構役立ちました。
まだまだ、PCって物が一般向けではなかった証ですね。^^;
おいらの趣味(興味)
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PCの普及率は今では相当高いものでしょうが、私が最初に触ったPCは高校の実習室にあったシャープのMZ-2000ちうもの。そして自分で初めて買ったのはNECのノートPCのPC98-NS/Tというもの。
当時、20万もの大枚をはたいて買ったものですが、これがなければ私の修論はできなかったといっても過言ではないもの。もちろんWindowsなんか使い物にならなかった時代でMS-DOSのもので、マックなんかは100万近くしてた時代のもの。化学屋としてはマックのケミドローというソフトが魅力的でしたが、そこはレタリングや手書きでベンゼン環を書き上げ、切り貼りしてたような感じです。卒業シーズンでふとその当時を思い出したので、下記認めた次第です。
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(-.-)
懐かしいですね。1987年頃持ってました。i80286のマシンですね。外付けの40MBのハードディスクで使ってました。
(-.-)
VX 懐かしい。
80286「速い」と感動した覚えがあります。
VMというマシンにだいぶお世話になりました。
(-.-)
現役で活躍とは驚きです。懐かしいですね。私は30年ほど前はPC-9801F2に新発売の21インチディスプレイを揃え、家内に渋い顔をされましたね。N88BASICからMS-DOSになり、馴染めなくMACに転向しましたが、仕事ではどうしてもWindowsが必要で、現在も並行して使っています。
(-.-)
当時アマ無線の交信記録のソフトを開発して、無料で配布していた人がいました。このプログラムを素人でも利用できたPCがこのシリーズでした。私は友人から中古のマシンを4万円で譲ってもらいました。無線交信ハムログ以外に使用した事がありません。というより、その他の使い方がわかりませんでしたので。
(-.-)
NECのPC-98シリーズはディスクを入れないとBASICが立ち上がりますが、当時の98互換機のEPSON PC-286シリーズはBASICのディスクかMS-DOSのディスクが起動に必要でした。
(-.-)
左から8インチ、5インチ、3.5インチフロッピーディスクですね。
http://livedoor.blogimg.jp/bakattan/imgs/c/4/c46ac360.jpg
(-.-)
DOSV機が出回り始めた頃は、同じソフトが98用とDOS/V機用の2種類で出回っていましたね。
(-.-)
windows98のことをキューハチっていう人が結構いて違和感ありまくりでした。その頃にはPC98が廃れていたのは事実です。
(-.-)
80286のコプロセッサが80287でしたね。当時よほどの数値演算が必要な人以外は無用の代物でしたが...。80486の時代になると、倍速で動くプロセッサー(DX2やDX4)の差し替えが流行しましたね。
(-.-)
当時はNEC製のMSDOSのEPSONチェックを外すためのソフトがEPSONから無料で配布されてましたね。今だと不正競争防止法違反になってしまいますが(汗)
(-.-)
今の一般的なキーボードとの違いはALTキー、半角/全角/漢字キーが、ないのと、流石にWindowsキーはなかったですね。今のキーボードにないキーとしては、STOPキーやGRAPHキーというのがありましたね。
Facebook
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_/_/_/_/_/ 電卓からパソコン _/_/_/_/_/
旧満州・奉天市に設立された商事会社「昌和洋行」が母体となって、戦後「日本計算器販売」に改編し、手回し計算機の製造販売を行っていた。
昭和41年(1966年)には磁気コアメモリを採用した「ビジコン161」を当時としては破格の298,000円で発売した。
シェアが15%を超えて伸びようというところで、事務機工業会の会長、通産省の課長による雑誌発表中止要請を受け、更に三菱電機からダイオードの供給増加を拒否され増産ができなくなるなどの圧力を受けたと云われている。
昭和44年(1969年)、日本計算器販売はプログラム制御の電卓を計画し、インテルにそのためのチップセットの開発を依頼していた。開発意図は電卓用という意味では専用チップというものだった。
日本計算器販売の嶋正利とインテルのフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)が中心となって、専用LSI(大規模集積回路)として設計開発が行われて「Intel 4004」は完成した。
インテルはこのチップの汎用性に着目して、ビジコン(1970年に「日本計算器販売」から社名変更)から、コンピュータ部分の販売権を得た。
そしてインテルから1971年11月に「Intel 4004」として出荷が開始された。
因みに嶋正利は8ビット並列処理になった「Intel 8008」の開発にも関わっている。
8008は1974年に「Intel 8080」に進化して、更に高速なプログラム処理を可能にした。
一方、モトローラ社は同じ1974年に、ミニコンのアーキテクチャとプログラム手法に基づいて
8ビット「MC6800」
を開発した。
やがてフェデリコ・ファジンは、世界初のマイクロプロセッサ企業「ザイログ」を創業し、8ビットCPU「Z80」がコンピュータ普及に貢献した。
以降、Intel 8080、MC6800、更に周辺チップが高度化して、後述の大規模な演算処理装置に匹敵するようなコンピュータが卓上で可能になった。
R2E社「Micral N」
ソード電算機システム「SMP80/20」
MITS社「Altair 8800」
昭和48年(1973年)~昭和49年(1974年)、8080を使ったフランスのR2E社「Micral N」、日本のソード電算機システム「SMP80/20」、アメリカのMITS社が「Altair 8800」を相次いで開発し、卓上コンピュータを世に送り出した。
インテル「SDK-80」
東芝「TLCS-12A EX-0」
日本電気「TK-80」
更に、8080系のコンピュータプログラミングの教育用、アマチュア研究向けにキットが売り出された。
最初にインテルの評価キット「SDK-80」、東芝から「TLCS-12A EX-0」、日本電気(NEC)から「TK-80」が昭和50年(1975年)から昭和51年(1976年)にかけて10万円前後で売り出された。
決定的だったのは、機械語プログラムを手入力していたが、
ビル・ゲイツ(Bill Gates )とポール・アレン(Paul Allen)らによってマイクロソフト(Microsoft Corporation)を設立、8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア」(Altair)上で動く、BASICインタプリタ(人間が認識しやすいBASIC言語をコンピュータが認識する機械語に変換するプログラム)を開発した事だろう。
ハードウェアでは、1976年7月にスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(Stephen Wozniak)が起業したアップルで、最初期に製作した「Apple I」の発表もマイクロ・コンピュータの考え方を一新させた。
SORD M200
SEIKO 5700
PET 2001
TRS-80
昭和52年(1977年)、
ソード電算機システムのZ-80オールインワン型「M200」や
精工舎(i8080A)の「SEIKO 5700」
は業務向けで高価だった。
一方、
カナダ、コモドール社(MOS 6502)の「PET 2001」、
アメリカ、タンディ(Z-80)の「TRS-80」
は低価格で、教育向けパーソナルユースを狙ってきた。
Basic Master
MZ-80K
PC-8001
翌年の昭和53年(1978年)~昭和54年(1979年)、日本は相次いで低価格機をラインナップした。
日立(HD46800)「ベーシックマスター」、シャープ(Z-80)「MZ-80K」、日本電気(μPD780C-1)「PC-8001」などが、個人ユーザーに広がった。
Home computer Apple II
日本製のパソコンが世界に広がりつつあった時期に、アップル社が威信をかけて1977年に6502で「Apple II」を発表したが、
市場に出たのは1979年10月になってからだ。
アップル2は、低価格帯ながらI/O拡張性が豊富で5インチデスク(オプション)がつなげるなど、新たなコンセプトを打ち出した。
やがてCPUも8ビットから16ビット並列処理になり、プログラム処理速度も一段と向上していった。
◆NEC PC-9801
1982年10月にNECは、日本国内シェアを席巻した「PC-9801」を販売した。
CPUはμPD8086。
以降、約10年間に渡って、ビジネスと個人の膨大なソフトウェアを生み出した。
大型コンピュータを主力にしていた富士通が、パソコンに参入したのは、昭和56年(1981年)の「FM-8」からである。
CPUはMC6809であった。
同年に眠れる獅子であった、IBMもパソコン市場に参入してきた。
IBM MODEL 5170
IBMは1984年08月、CPUのIntel 8088を使った「モデル5170」 を発売した。
これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指した。
日本のパソコンメーカーを中心に、この「PC/AT」規格を採用して、「IBM PC互換機」として、次第にパソコン規格の統一が図られ、大きく普及する結果となった。
日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html
[機器] NEC PC-9801
巨大な電源? ~ PC-9881電源調達の巻
2011/11/13(日) 午前 11:28 PC-98x1関係 パソコン
皆様、こんにちは。
前回に引き続き、PC-9881に命を吹き込む為に、初代PC-9801に生贄になって頂きます。
初代PC-9801の内部を実機で見るのは初めてです。
開けてみる。
埃だらけです。^^;
何やら大きな基板があります。
メモリーボードでしょうか?
詳細は分かりません。
※追記
NECのD7220D(GDC)が乗っていますので、内蔵のグラボのようです。
もう一枚。
これば漢字ROMボードかな。
これらと電源を取っ払うと。
こんな感じ。
8086は中央部にあります。
むむ! 腐食部分発見!
内蔵電池の液漏れが原因でしょうか。
電池周りが腐食しています。
電源入れたら危なかったかも。
外した電源は、歯ブラシとエアーダスターでお掃除しました。
この状態で、電源を入れてみました。
ファンが回っています。
使えそうです。
さて、ようやくPC-9881が動かせるかな。^^
あと、初代PC-9801にはCバスが6つありますが、1つは最初から使われています。
ボードが挿してあります。
とあるHPによると、BIOS関連のボードだそうで、Cバスとして組み込む事により、後々の改良をし易くしたらしいです。
おいらの趣味(興味)
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=2
演算機器の歴史
年月 |
国名 |
事象 |
1981年 |
アメリカ |
IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが
「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。 |
1981年 |
日本 |
カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、
電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。 |
1982年10月 |
日本 |
NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで従来のPCユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。 |
1983年06月 |
日本 |
パソコン既存メーカーに対して出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表された。米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格。 |
1983年07月 |
日本 |
任天堂より家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。 8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03で、ゲームプログラムはROMカートリッジで提供した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界に広がった。 |
1984年06月 |
日本 |
トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げて、デジタル家電で広く使用されている。 |
1984年08月 |
アメリカ |
IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指すした。 |
1985年11月 |
アメリカ |
マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場した。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。のちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。 |
1985年11月 |
日本 |
日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。 |
1998年11月 |
日本 |
ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。 |
1990年05月 |
アメリカ |
マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。 |
1990年10月 |
日本 |
日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。 |
1991年09月 |
スェーデン |
リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。 |
1993年06月 |
アメリカ |
Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。 |
1993年11月 |
日本 |
航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。 |
1994年06月 |
日本 |
富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。 |
1994年12月 |
アメリカ |
カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。 |
1994年12月 |
日本 |
ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。 |
1996年 |
日本 |
本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。 |
1997年06月 |
アメリカ |
インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。 |
2000年 |
日本 |
本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。 |
2001年11月 |
アメリカ |
マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、Windows 8ではエンターテインメントブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。 |
2002年06月 |
日本 |
JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。 |
2004年11月 |
アメリカ |
ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。 |
2010年10月 |
日本 |
政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。 |
2011年06月 |
日本 |
文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。 |
2013年06月 |
アメリカ |
ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。 |
2013年11月 |
日本 |
東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。 |
2013年11月 |
中国 |
国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。 |
2014年06月 |
日本 |
理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。 |