八十年代以降、コンピューター世界の派権を握り続けてきた企業は、いうまでもなくマイクロソフトだ。
IBMのパソコンにMS-DOSというOSを搭載して以来、パソコン使用にあたってはマイクロソフトのソフトウエアを使用するというのがパソコンでの作業では当たり前とみなされてきた。エクセル、ワード、パワーポイント、インターネット・エクスプローラ、そしてウインドウズ。言い換えれば、パソコンの使用とは、イコール、マイクロソフトのアプリケーションを使うということだった。
これらソフトを使うためにパソコンを購入したと表現すればよいのだろうか。
ところが、最近、マイクロソフトは影が薄い。新製品を発表してパッとしないし、評判もあまり聞かない。業績はまあまあの状態を維持してはいるが、これら利益のほとんどは既存の製品からの売上に依存している。
■マイクロソフトとアップルの拮抗
その一方で、飛ぶ鳥を落とす勢いなのがAppleだ。2010年の第二四半期において、Appleは過去最高の売上と利益を計上した。
しかも、この業績はマイクロソフトと肩を並べるほど。13年前、スティーブ・ジョブスがAppleに復帰した時、Appleは瀕死寸前だったことがウソのことのようにさえ思える。
しかし、なぜこんなにもコンピューターを巡る企業の情勢が変化してしまったのだろうか?今回は、これについて考えて見たいと思う。その際,注目したいのはソフトウェアだ。
僕はソフトウェアをどのように時代状況にあわせてコンピューター市場に適合させるかがコンピューターの世界を左右するキーポイントと考えている。結論を先取りしておけば、マイクロソフトはソフトウェアに固執したがゆえに、パソコンの世界で覇権を獲得したと同時に、現在、覇権を失いつつある。いっぽう、Appleはソフトとハード二つにこだわり続けたゆえに派遣を取りそこねたと同時に,現代では逆にこれにこだわり続けるがゆえに,派遣を握ろうとしている。
次回からはソフトウェアの攻防を巡ってコンピューター世界がどのように変容してきたのか、またどのように変容していくのかを考えていこう。
■80年代以降、マイクロソフトはいかにして覇権を握ったか
80年代初頭、まだ数あるソフトウェア企業の一つ でしかなかったマイクロソフトがあっという間に派遣を握ることができたのは、その技術力によるのではない。むしろ技術を売る巧みさにあった。
当時、コンピューター企業の巨人であったIBMは、意外なところから脅威を感じはじめていた。
「意外なところ」とは、ヒッピー文化から誕生した「パーソナル・コンピューター」(以下「パソコン」)という、さながら玩具のようなコンピューターだった。
今でこそ、パソコンといえばコンピューターの代名詞的な存在だが、当時、コンピューターとは大型汎用フレーム、つまり一部屋を優に占用するようなバカでかいマシーン=システムを意味しており、もっぱら企業が利用するものだった。
当然、費用も膨大なものとなるのだが、こういったシステムの構築に関して、IBMは巨人的な存在だった。
ところがホビー・マシンとしてしか捉えていなかったパソコン、具体的にはAppleのAppleⅡが、意外にも取り回しが良く、ビジカルクなどの表計算ソフトがビジネス・ユースにも使えることがわかり、人気を博するようになると、IBMはこれを脅威とみなすようになり、対向手段、つまりIBM製のパソコンを急遽開発する必要が生じるに至った。
つまり、IBMは明らかにあわてていたのだ。
急ごしらえパッチワーク・パソコンを作ったIBM
しかし、ちんけなコンピューターであるパソコンとて、そう一朝一夕で開発できるわけではない。そこでIBMは製品のほとんどを外部から集め、これを一つの箱のなかに収め、箱にIBMのロゴを貼りつけて売り出すという急ごしらえの方法を思いつく。その時選ばれたCPUがインテル社のもので、OS、つまり基本ソフトがマイクロソフトのMS-DOS(Microsoft Disk Operation System)だったのだ。
そしてこの時、マイクロソフトは大企業を相手に極めて狡猾なビジネスを展開する。
CEOであるビル・ゲイツはMS-DOSをIBMに売却するのではなく、リースしたのだ。
しかも独占使用権すら与えなかった。
ようするにゲイツはIBMが焦っていることを察知して、弱小ソフトウェア・ハウスが巨人から、自分の商品を保持したまま膨大な金をまきあげることにまんまと成功したのである。
他人のふんどしで相撲をとったマイクロソフト
いや、それだけで話がすむわけではない。
マイクロソフトは巨人の背中に乗っかって、あたかも他人のふんどしで相撲をとるかのようなビジネスを展開する。
IBMがパソコンを販売するということは、その圧倒的な力で、即座にパソコン市場を席捲することを意味している。
そして、それは必然的に搭載されているMS-DOSが市場を席捲すること、つまりMS-DOSがパソコンOSの業界標準になることも意味する。
つまりIBMのネットワークに乗っかることで、IBM自体がマイクロソフトの広告媒体として機能したのである。
これはうまいやりかただった。
いや、それだけではない。
マイクロソフトはIBMとOSのリース、つまり利用契約を結んでいるにすぎない。
前述したように、独占使用権もIBMは持っていない。
いうことは、マイクロソフトは他のエレクトロニクス・メーカーにもMS-DOSをリースしても構わないということだ。
そして、実際、ゲイツはそれを実行した。
その結果、IBMは単なるマイクロソフトの宣伝媒体に成り下がってしまう。
「巨人IBMが採用しているのなら、ウチでも安心して採用していい」
こんな認識が業界全体に漂うようになったのはまもなくだった。逆にIBMの立場からすれば、これはとんでもないことだった。売れば売るほど、他のメーカーも同じものを作ってくるのだから、これは単純に価格競争の激化を生むことになる。儲かるのは、結局のところマイクロソフト(とCPUを提供したインテル)ということになってしまった。(続く)
■Appleを駆逐したのはIBMではなくマイクロソフト
Appleに脅威を感じ、これを駆逐しようとたくらんだIBM。
実際、その目論見自体は見事に功を奏する。
MS-DOSを搭載したパソコンは、瞬く間に市場を席捲した。
しかし、その原因はIBMがパソコンを発売したからではなく、マイクロソフトのOSを搭載したパソコンが様々なメーカーから発売され、Appleのマシンを囲い込んでしまったからだった。これに対抗すべく、1984年Appleはウインドウをベースにした画期的なOSであるMacOSを搭載したパソコン・Macintoshを市場に投入するが、多勢に無勢という状態になってしまった(そのあまりの高額さにユーザーの腰がひけたということもあったということもあったのだが)。
ただし、勝者はIBMではない。
勝ったのは他人のふんどしで相撲をとったマイクロソフトだった。
結局、市場に出回ったのはIBMのパソコンではなく、マイクロソフトのOSを搭載し、インテルのCPUが内蔵されたパソコンだったのだ。
IBMはApple駆逐とともに、自らの首もまた絞めることになってしまう。
最終的に競争に敗北したIBMは2004年、パソコン部門を中国の企業・Lenovoに売却、この市場から撤退する。
IBMの市場を縦横無尽に活用
マイクロソフトの罠にまんまと引っかかったIBM。パソコンを巡る攻防の勝利者は対立したAppleでもIBMでもなく、第三者のマイクロソフトだったのだ。マイクロソフトはIBMにコバンザメのようにぶら下がることで、両者を駆逐することに成功。パソコン業界に帝国を築くまでになっていく。そのプロセスはパソコンと関わってきた人間なら周知のことだろう。MS-DOSに続き、ほとんどAppleのMacOSのパクリに等しいWindows95をリリース。この時点でOSの機能としてはMacOSに比べてはるかに性能的には劣るにもかかわらず、IBMを利用して奪い取った市場を利用して市場をさらに拡大することに成功する。
この成功は、いわば缶コーヒーのジョージアが売れるのと同じ仕組みだ。缶コーヒーはBOSS、Wonda、Fireなど様々な商品が各メーカーから発売されているが、シェアはジョージアがダントツである。これはなにもジョージアが飛び抜けてうまいからだからではない。そうではなくて、ただ単に日本国内でコカコーラ・ボトリングの自販機が圧倒的に多いことから来る結果だ。
マイクロソフトの製品についてはまさにこれと同様で、要するに市場にはWindows95をインストールできるマシンがあちこちにあった。だから、その使い勝手などはともかく、ユーザーは自らのマシンにお手軽にWindows95をインストールしたのである。
二十世紀に現れた二人の巨人は発明していない
ビル・ゲイツは、しばしば「二十世紀最後の巨人」と称されることがある。これは二十世紀最初の巨人がエジソンであったことになぞらえて呼ばれている。
ただし、それは相当の皮肉を込めてであるのだが。
二人は技術については二十世紀を代表する発明家と言うことに表面的にはなる。ただしエジソンはある側面からすると評判が悪い。電球、録音機など、エジソンは様々な発明をした発明王としてつとに有名ではあるが、実のところ彼自らが発明したものはほとんどないと言われている。では、あれら一連の発明はどうやったのかというと、これらを発明した人間から著作権を買い取ったり、奪い取ったりした結果なのだ。つまり人のやったものに自分の名前を貼り付けて売り出したのだ。それが、結果として「発明王」という代名詞になった。
一方、ビル・ゲイツも同様だ。
IBMに搭載されたMS-DOSというOSはキル・ドールが発明したCT-MとというOSをちょっとだけ改造して、MS-DOS名前を貼り付けただけなのだ。
ウインドウズについても同じだ。
これは明らかにMacOSのパクリなのは周知のことだろう。
では、なぜエジソンが二十世紀最初の巨人で、ビル・ゲイツが二十世紀最後の巨人と皮肉を込めて揶揄されるのか。それは、二人には法律に詳しいという共通する特徴があり、法律を縦横無尽に駆使し、自分の地位を築いたからに他ならなかった。要するに「発明王」になるためには、発明の才に長けているよりも法律に詳しいことのほうが大事なのである。
ただし、そうはいっても市場にパソコンを広げることに多大なる貢献をしたのがマイクロソフト=ビル・ゲイツであることを疑う余地はない。そして、それはソフトウエアに特化したことから起きたことであることも。80年代以降、IBMの市場を縦横苦心に駆使しながらマイクロソフトはどのようにして覇権を握っていったのだろう。(続く)
■ソフトとハードを分離したオープン戦略でマイクロソフトが勝利する
マイクロソフトは、いわばオープンな展開をすることで市場を席巻することに成功したと言えるだろう。「オープンな展開」とはソフトとハードを分離し、様々なメーカーのハードに自らのソフトを搭載可能にするやり方をさすのだが、こうすればそれぞれのマシンの特性に依存することなく、ユーザーは自由にマイクロソフトの製品を使用することが出来る。
実を言うと、それまでのコンピューター、パソコン企業のほとんどはこのような考え方とは逆、つまりソフトとハード一体型と展開を基調としていた。しかもハード重視タイプの戦略。つまりエレクトロニクス・メーカーは自らのハード=機械を売りたいがために、これを使用するためのソフトを、いわば「オマケ」的に開発し、販売していたのだ。だが、そういった一体型の売り方というのはいわば「抱き合わせ販売」のようなもの。一旦ソフトがもはや時代の流れに合わないものになってしまったならば、ハードごと全てを取り替えなければならない。これはユーザーの側からすれば少々博打的な色彩を含むものになってしまう。ハードを買って使ってみたらソフトがダメだったということになったとき、それはソフトの交換ではすまされず、ハード=システム全てを交換しなければならなくなるからだ。
ところがマイクロソフトの製品はそうではない。
一般的には大方のマシンに搭載可能だ。だからユーザーは安心してこれを求め、一方でソフトとハード一体型のメーカーは撤退することを余儀なくされていったのだ。
事実上の抱き合わせ販売で他のソフトウエアハウスを凌駕する
ただし、これだけの条件ならば、それはマイクロソフトに限った話ではない。他のソフトウエア・ハウスもマイクロソフトのOS上で稼働するのだから、MS-DOSやWindows以外のアプリケーションに関しては参入の余地があるはずだ。
ところが、ここにもマイクロソフトは、こういった他業種を閉め出す対策をきちんと整えていた。
一つは自らの販売することをマイクロソフトのOSに最適化したこと。
典型的なのはワープロ、表計算、プレゼンテーションソフトなどからなるアプリケーション・スイートのMicrosoft Officeで、これらはパソコンを買うならマイクロソフトのOSを購入し、マイクロソフトのOSを購入するならばOfficeを購入するという流れを作ってしまう。実際、パソコンにはあらかじめOSがインストール済みなのがあたりまえになり、さらにはOfficeも標準装備かオプションで選択可能というハード販売をハードメーカーに指示するというまでになっていく。またインターネットの世界への参入が遅れたことを察知するやいなや、ブラウザのインターネット・エクスプローラーを投入して失地挽回を図ったのだが、これはなんとWindowsのOSに無料で標準装備されていたのだ。これによって、これまでネットスケイプの独壇場だったインターネット・ブラウザの世界はすっかりエクスプローラーによって凌駕されてしまったのだ。
(こういう強引なやり方は、やがて法律的に不可能になっていくのだが)。(続く)
■革新的なパソコン・マッキントッシュだったが
アップルもまた典型的なハードとソフト一体型の企業だった。そしてアップルもまた当初、ライバルとして危惧していたのはマイクロソフトではなくIBMだった。
だから1984年にマッキントッシュを発表した際にも、販売の際に標的としたのはIBMのパソコンだったのだ。
1984年スーパーボウルのテレビ中継のハーフタイムに一回きりで放映されたマッキントッシュのCMはIBMを明らかな仮想敵にしていた。
そのCMのキャッチコピーは
「1月24日、アプルコンピュータがマッキントッシュを発売します。
今年、1984年が『1984』年のようにならない理由がおわかりになるでしょう」
だったのだが、この『1984年』とはジョージ・オーウェルの小説をさしている。
この作品の中ではビッグブラザーと呼ばれる支配者が人々を一元管理し、人々に自由がなくなるという状況が描かれているのだが、
この物語をCMはもじっている。IBMの代名詞はビッグブルーであったのだが、視聴者にはビッグブルー=ビッグブラザーの図式を暗示することで「IBMのパソコンを購入すると飛んでもない管理社会が登場しますよ。マッキントッシュを使って自由な世界をつくりましょう」とアピールしたのである。
実際のところ、マッキントッシュ(以下、マック)は革命的なパソコンだった。
ウインドウを開きマウスでポインタを操作するという、現在のウインドウの概念のほぼ全てを既に実現していた。
実質的にこれが発売された1984年の時点で、11年後にマイクロソフトがブレイクさせたWindows95よりも優れたOSを構築していたいってもよいくらいだったのだ。
■クローズドな展開がAppleを窮地に追いやる
しかし、前述したようにアップル(当時の名前は「アップルコンピュータ」)もまた敵を間違えていた。
本当の敵はIBMではなく、ソフトをスタンドアローンで展開するマイクロソフトだったのだ。
だから、いくら優れたマシンを作り上げたところで、マックもまたハードとソフト一体型のクローズな製品。
他の撤退を余儀なくされた企業と同様、オープンな展開をおこなっているマイクロソフトには太刀打ちできなかったのである。
ただし、その秀でた機能でマックは唯一、マイクロソフト帝国の中で生き延びることは出来た。そのすばらしさを指示する一部の層(デザイナー、編集業者、医者、そして弁護士)が、マックを買い求めたからだ。
こういったユーザーに限定されたのは、機能的な側面でマックが必要(デザイナー、編集者)か、あるいは高額なオモチャとして所有したいか(マックは極めて高額だった)の、どちらかのニーズしかなかったからだった。
とはいうものの、マイクロソフトの狡猾さはこれだけに留まるのではない。ビル・ゲイツはどこまでも賢いCEO。他にも様々な手を打っていた。
(続く)
ソフトウエアが覇権を握ると言われたコンピューター業界。
しかし、それだけなら何もマイクロソフトが一人勝ちすることはあり得ない。
他のソフトウエア・ハウスにもそのチャンスは平等にあるからだ。
ところがマイクロソフトだけが一人勝ちした。
そしてその理由がパソコンの業界標準であるマイクロソフトのOS(MS-DOSやWindows)に自社のアプリケーションを最適化させたことに一人勝ちの理由があったことは、このブログの前々回で取り上げておいた。
しかし、マイクロソフトのアドバンテージはこれだけに留まらない。
■当初マイクロソフトのアプリには、事実上プロテクトがかかっていなかった
その、もうひとつは、アプリケーションにほとんどプロテクトがかけらていなかったことにある。
前述のOfficeがその典型で、ユーザーたちはこぞって、違法にこれをコピーして使用するようになった。
そしてマイクロソフトはこれを黙認した。
いわば「タダでばらまく」ということをユーザーにやらせたのだ。
これだったら儲けはあがったりということになりかねないが、
ところが、むしろこうすることでマイクロソフトはさらに収益を上げていくことになる。
■タダ乗りユーザーを背後に持つことで巨大なマーケットが獲得される
そのからくりは、ユーザーを二つに設定したことにある。
ひとつは企業や合法的にアプリケーションを使おうとするユーザー。
この手のユーザーは、ルールを守るのでアプリケーションをちゃんと購入した。
そしてマイクロソフトにとっては大事な収入源である。
もうひとつは違法ユーザー。
こちらはおそらく合法ユーザーよりもはるかに多いと考えられる。
ところが、この違法ユーザーたちがこぞって業界トップのアプリケーションであるMicrosoft Officeをタダで使用することで、Officeのユーザーが世界に遍在するようになる。
となれば、Officeの各アプリケーションは、事実上、
業界の基準ソフト=デフォルト・アプリケーション
となる。だがみんなが使うとなれば、やはり一定の割合で正規にアプリを購入するユーザーも存在するわけで、このユーザーが購入するだけで、その利益は膨大なものとなるのだ。
わが国では、このやり方で締め出しを食らってしまった典型的なアプリケーションがジャストシステムの“一太郎”だった。
一太郎は日本におけるワードプロセッサーの業界標準の地位から引きずり下ろされてしまった
(現在、ジャストシステムは、日本語環境だけに特化したされたアプリケーション、フロントエンド・プロセッサ=日本語入力メソッドATOKの企業という位置づけになっている。
日本という文化にローカライズされているがために、この分野だけはマイクロソフトに駆逐されることがなかったのだ)
ちなみにOfficeはいまだに違法コピーが可能だが、事実上の業界独占となったマイクロソフトのOSに関しては、アクティベーションによって極めて強固なプロテクトがかけられている。
つまり「釣った魚に餌はやらない」。
ようするに、自由にコピーさせ、これによって市場を独占した暁には、突如としてプロテクトをかけ、金を払わせるようにする。
「それなら、マイクロソフトOSの使用をやめてやればいい」
ということになるのだが、もう市場は事実上、独占されてしまっていて、ユーザーは選択肢を失っているというわけだ。
マイクロソフトがやったことは、こうやって実質的にアプリケーションをタダでばらまくことで高額な収益をもたらすという、極めて狡猾な方法、近年話題になり始めたFree Businessの先駆け的な営業展開だったのだ。
こうやってパソコン業界は完全にソフトウエアが世界を牛耳るという構造になった。
しかし、このソフトウエア至上主義の支配は21世紀になるとその様子が怪しくなってくる。それが、今回特集のタイトル「マイクロソフトは何故ダメなのか」と言うことになるのだが……(続く)
■21世紀におけるソフトウエア至上主義の崩壊
ソフトウエアがハードウエアを凌駕し、パソコン市場の方向性を決定するという神話は未来永劫続くと思われた。
マイクロソフト帝国が、一層の支配を進め、ビル・ゲイツのもと情報化社会はこれからも動いていくと誰もが疑わないような風潮が21世紀の初頭にはいわば当然のように語られていたのだ。しかし事態は以外の方向に展開する。しかも新展開をもたらしたのはデジタル電子プレイヤーという、意外なハードだった。
勝手にメディア社会論
ビル・ゲイツ氏成功の秘密
我が国でも有名になったマイクロソフト社の会長ビル・ゲイツ氏。彼は今や全世界のコンピューター業界を牛耳る王とでもいえる存在となっている。
しかし、彼がいかにして現在の地位を築いたのかについては、諸説紛糾している。
ある者は、彼が模倣の天才であり、他人の作成した物を上手に自分の物として利用する術に長けているからだという。またある者は、彼の類い希なる商才のためだという。
しかし、わたくしはそれ以上に、彼には運命的な力が働いていると考えている。
そして、その理由は彼の名前にあると。
彼はビル・ゲイツという名前で有名だが、実はこの名前は通称にすぎないのだ。
彼の本名はWilliam H. (Bill) Gates III。
そう、彼は「ウィリアム三世」なのである。
ここまでくれば、歴史に詳しい読者の方なら、お察しがついたかもしれない。
ウィリアム三世といえば、イギリスの名誉革命の後に即位した王で、その通称は「オレンジ公」なのだ。
つまり、彼がパソコンの「革命」的な進歩の中で「王として君臨」することは、彼の名前から運命的に決定づけられていたのである。
そして、「オレンジ」に対する「アップル」の衰退も・・・・
このように、彼の成功が名前によって運命的にもたらされたとすると、彼の将来も歴史から占えるのではないか。そこで、試みに以下で彼の将来を歴史から占ってみる。
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彼が天下を取った後、マイクロソフト社の最高意思決定会議は活性化する。そして、その会議の中で、低年齢層に重点を置くべきとする玩具(Toy)党と、高年齢層に重点を置くべきとするカツラ(Wig)党という2つの派閥が生まれる。ゲイツは当初は両者の代表者に共同で同社の意思決定をさせていたが、やがて両党のうち多数派が同社の意思決定をするようになる。
ゲイツには子供がいなかったため、その死後はメリンダの妹アンがマイクロソフト社の会長として君臨する。
アップル社が同社に吸収合併されるのも、アンが会長職にある時代のこととなる。
・・・・(以後略)
藤木総研・研究部
http://member.nifty.ne.jp/fuzsiki/tanul.html