[防犯] Google Find hub,スマホ紛失 〜東海アマ・中津川限界集落日誌
スマホ紛失の顛末
2025年07月18日
15日15時ころ,中津川のオークワスーパーで買い物をして,セルフレジで会計して出た。19時ころ,スマホがないことに気づき,パソコンから位置情報(端末を探す)を検索すると,割合近所の蛭川小川屋(クリーニング店)の向かい側に表示された。思い返すと,レジに置き忘れたことを確信し,表示現場に行ってみたら,もう暗くなっていて,住居もなかった。
固定電話を解約していたので,手元の電話はスマホだけだった。それがないと通信手段はパソコンメールだけになってしまう。熊の出没する弩田舎の一人暮らしだから,周辺に公衆電話もない(蛭川は広大な面積なのに,郵便局と図書館の二か所しか公衆電話がない。家からは車で5分ほどだ)実は,このときウェブサイトで,「スマホの位置情報検索」というサイトが目に入ったので,175円で検索という見出しに釣られて,クレカの情報を入力してしまった。
https://goandfind.digital/?country=jp&l=ja&gad_source=1&gad_campaignid=22378704172&gbraid=0AAAAAC4bA4DVK4CyUIycmw60VpKEYGNsT&gclid=CjwKCAjwvuLDBhAOEiwAPtF0Vuye6r4-CrqFirSN3PTdO_6ghuKySZq8XcLqBOiIqZkbJc4-CITuQBoC-lcQAvD_BwE
普段なら,パソコンからクレジット情報を入れることなど絶対にしないのだが,このときは,ひどく焦っていて判断力が鈍っていた。クレジット情報の入力を終えると,なぜか突然,サイトが消えてしまった(上のリンクは24時間後に復活していた)
■Find hub
スマホの検索情報も表示されないままだった。このとき,フィシングサイトの地雷を踏んだのだと思った。その後も,入力した上のサイトからのメールも検索情報も一切ない。そもそもスマホの位置情報は,グーグルの「スマートフォンを探す」サイト,(Find hub)が最高精度で,それ以上の情報はありえなかった。だから,スマホの位置情報を175円で検索するという売り文句自体が,明らかにフィッシング詐欺だったのだ。もし提供されたとしても,それはFind Hubからの転載にすぎない。
そこで,焦って,カード会社に連絡しようとしたが,アクセスするのにログインと2段階認証が要求され,スマホがないと確認コードを受け取れず,ログインさえできないのだ。電話窓口が表示されていたが,公衆電話ははるかに遠くて,しかも通話品質が悪く,私のような老人にとって聞きづらく,使いづらい。それからは,地獄のようなデジタルジャングルに迷い込み,右往左往することになった。
スマホの紛失について,とりあえず警察署のメール相談窓口に連絡した。
すると翌日,朝8時半ころ,警察官が二人尋ねてきた。蛭川駐在所の人員が更新になり,新しく赴任した人だという。前任の加藤博也氏は転勤になったそうだ。この人には,私の泥棒被害を全部ウソと決めつけられ,ひどい目に遭っていることは,このブログで何度も詳しく説明している。
新しく来た警察官は,見た目,優しそうな好印象の人物だったので,私も心を許し,これまで加藤氏や近所のAと何があったのか説明した。彼は非常に親切で,その場でスマホの紛失届を作成してくれた。おかげで,AUへの紛失更新願いがスムーズに進んだので感謝している。かといって,私の説明を信用せず,問題異常者と決めつけ精神病院に連行し,あまつさえ妻との問答の証拠動画を勝手に消してしまった中津川警察署を許したわけではない。いまだに謝罪一つないのだ。
スマホを亡くした翌日,Find hub に表示されていた(1時間程度で電源が切られてしまった),蛭川小川屋クリーニング前に行ってみると,そこは駐車場や倉庫になっていた。小川屋で聞くと,近所の人が地主だという。そこで地主の奥さんを訪ねて詳しく聞いてみると,なんと小川屋に貸している土地だとわかった。小川屋の子息たちが利用していたのだ。しかし,当人は恵那で仕事をしているという。それでは,オオクワで,私が忘れたスマホを持ち帰ったのは,子息たちだったのか? このとき,位置表示の魚拓を取ることを忘れてしまっていた。その日は,公衆電話で,自分のクレカの手続きに四苦八苦させられ,結局,ほぼすべてのログイン情報にスマホの2段階認証が必要なので,スマホがなければ何もできないことを思い知らされた。そこで,AU恵那店に直接出向いて,故障紛失サービスで新しいスマホを受け取れる手続きをしたのだが,AU店では電話を貸してくれただけだった。
■スマホ新調
17日夕方,新品のスマホが届いたが,これを稼働できるようにセットするのが,人生最大級の苦難だった。Wi-Fiのパスワードを入れても全然受け付けない。グーグルもログイン情報が間違っているの表示ばかり。結局,入力しても受け付けられるのに数10分もかかることが分かった。やがて,Wi-Fiがやっと接続したが,電話が使えない。電話機能を再開するためには,SIMカードの更新をしなければならないとAUチャットで言われ,それはスマホのQRコードを読み取って電話管理サイトに接続せよといわれたが,QRコード読み取りアプリが存在しないのだ。そこでチャットが,直接サイトを教えてくれた。ここで,30分待って手続きして,やっと電話も開通した。
新スマホが宅急便で到着してから4時間後のことで,もう17時を回ったので,カード会社などの直接電話連絡は不可能だった。カード情報をフィッシングサイトと思われるところに書き込んでしまったので,慌ててカード支払いを停止しようと思ったが,そうするとAUの料金,電気代,ガソリン代の決済などが不可能になってしまう。カード番号を少し変えて別のカードに変えてもらうという手が紹介されていたが,AUやWi-Fi支払いのカード情報変更をするためには,すべてログインと2段階認証が待っていて,別のカードはカード番号も,セキュリティ番号も有効期限も,すべて表示されずVPASSというアプリにログインしなければわからないのだが,以前の情報は,紛失不明スマホにあったので分からず,ログイン情報を新規登録しなければならない。そのログインにカード番号やセキュリティ番号が必要という,がんじがらめ,フン詰まりの認証地獄が待っていた。結局,18日10時以降に,直接カード会社に電話して聞き出さねばならなくなった。
失ったスマホの位置情報を昨夕,再検索すると,我が家の近所の雑木林の中に表示されていた。どうやらスマホを持ち去った人物が,我が家に返しに来たが藪のなかに投げ捨てたらしい。スマホの機能停止コードとともに,私の住所を表示させるようにしてあったのだ。そこで,昨夕と今朝,1時間以上かけて表示された付近を捜索したのだが,表示されている場所と完全に一致する場所にいても,発見できなかった。着信音も聞こえなかった。誰かが,再び持ち去ったのかもしれない。そもそも,7年前のスマホで,こんなに長時間持つようなバッテリーではなかった。だが,なんで,紛失スマホの位置が表示されているのだろう。新しく来たスマホは,完全に正しい位置に表示されている。少しの狂いもなかった。だいたい10mくらいの誤差が出るものだが。
さて,まだカード(VISA)の再発行を求めて,支払い登録を別のカードにする手間が残っているのだが,ほぼすべての手続きが,必ずログインと2段階認証のため,いちいち電話で情報を確認しながらでないと進めないのだ。その電話も,簡単にはつながらない。公衆電話でカード会社に,表示されていないカード番号を聞くのに,待ち時間が20分,400円が消えた。声が小さい,聞き取りにくい。まさに70歳を超えて認知症が始まっている私にとっては「デジタル地獄」という表現がぴったりなのだ。
スマホを紛失すると,どんな恐ろしい目に遭うか,警鐘を鳴らすため,今回のブログを書いた。私の物忘れは病的で,今思い付いたことも5分も覚えていられない,落語の大山詣のような認知症状態なのだ。だからスマホをセルフレジに置いた瞬間に忘れてしまった。そして一人暮らしの孤独老人が,スマホをなくすと,「こんな地獄が待ってるよ」と警鐘し,スマホをなくさないためには,ワニ口ストラップとか,さまざまな対策が必要だと私は思うのだが,それ以前に,「こんなデジタル地獄を作りやがって!」と,私はむなしい激怒を繰り返している。ウインドウズも,セキュリティの名で,余計なことばかりして,使用者の利便性をひどく奪っている。最近では,ウインドウズ11がビットロッカーという,超余計な機能を設置したせいで,暗号化について無知な人たちが,そのパソコンを初期化する以外ない破目に追いやられている。個人のデータが一方的に奪われているのだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10304706310
2段階認証だけでも,ひどく困り果てているのに,それでも飽き足らず,次々に新たな障害システムを増設しまくっている。これがアメリカ人,ビルゲイツの手口なのか? その裏側で何が起きているのだろう? 庶民が,パソコンを事実上,使えないように追い込んでいるWindowsの手口の背後に,どんな理由があるのだろう?
東海アマブログ
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12917239338.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1847.html
児童ポルノとビットロッカー
2025年07月25日
私が今のようなネット情報を視聴し始めたのは,たぶん1990年ころだ。パソコンそのものは,1980年ころから使っていたが,主にワープロやBASIC自作プログラムでのデータ保存,計算,印刷などで,通信は,電話でキャラクター文字の送受信に成功して喜ぶ程度の素朴なオモチャだった。この当時,市販プログラムも少なく,未完成だったパソコンを自作プログラムで動かしていたおかげで,今でも簡単なプログラムを自作することができる。当時は,ニフティの電話回線を利用したカタカナ文字通信から漢字通信へと進歩したころだったが,突然MSDOS,V4がWindowsに変化し,初期のプラウザが登場した。最初のプラウザはファイアーフォックスだったような気がするが,よく思い出せない。
ウィンドウズが開発された理由は,CIA(NSA)が,アップデート機能を利用して,利用者の情報を盗むことだったと,スノーデンが暴露している。
https://toyokeizai.net/articles/-/320375?display=b
この問題が,今回のブログの核心的課題である。ウィンドウズに競合するOPソフトとして,1984年に坂村健がトロンプロジェクトを発表し,オープンソースとして特許も権利も放棄して世界に公開した。これからパソコン用のBトロンを土台に,ウインドウズをはるかに超える性能のパソコン用OSを松下電器が開発していたが,1985年の不可解な日航123便事故で闇に消えてしまい,ビルゲイツWindowsの一人舞台となった。これによって,ビルゲイツは,世界一の大金持ちになった。もしも,ナショナルBトロンが世に出ていたなら,今回のようなブログを書く必要はなかった。世界の闇に君臨する大王,それはビルゲイツである。
最初のころのコンテンツは凄かった。何せ,規制が何一つない。無粋な有明海苔に隠されてきた写真も動画も,何一つ隠すものもなく,正真正銘のすっぽんぽんの少女が写っていた。未成年も猥褻もクソもない。私は喜んだ。警察がURLの身元を特定しようとしても,まだ専門知識がないので手も足も出なかった。エロも殺人も虐待もやりたい放題。中国発動画には,ディープチャイナ村に迷い込んだ旅のアベックが,捕まって首を切られて血を抜かれて調理され,村人に食べられる画像が時系列で表示されていた。もちろん児童性的虐待の動画もあったように思う。
当時は,あまりウイルスの心配もしなくてよかった。ウイルスが広まったのは,駆除ソフトを売り出したマカフィーのような企業(後に創業者が獄死)が,自分でウイルスを作って散布していたのだ。私は,道徳的規制の足かせが取れたネット情報を見て,「なんでもありの良い時代がやってきた」と単純に喜んだ。今では見ただけでアカウントを剥奪されるような,残酷な動画や,ポルノがあふれていた。まあ,あれだけ規制がないと,逆に,性道徳や倫理に不感症になり,「なんでも好きにやったらええやん」と思うようになり,私自身も変態エロ小説などに感化されたりした。
そもそも,健全な若者の肢体写真に有明海苔を張り付けて性的健全を装う価値観なんてのは,統一教会のような戒律至上主義の宗教団体のものだった。「全裸大いに結構,隠す必要なんて,どこにあるんやねん…」と私は思った。グロの方だって,すでに毛沢東中国で1億人に迫る大虐殺があったし,ポルポトは300万人,スターリンは6000万人,ナチスは600万人,ルワンダやアルジェリアも数百万人,と世界中でジェノサイド大競争が続けられていた。ただ,メディアはろくに報道せず,現実を遠ざけ,隠してきただけだったのだ。日本だって,障害者数万人の人権を無視して,強制的に妊娠中絶をさせたり,強制避妊(去勢)手術を強要した。いったい誰がやったんだ! 有明海苔を写真に張り付けてきた人たちじゃないのか?優生保護法を作成したのは,日本社会党,福田昌子,加藤シヅエ,太田典礼らで,市川房江や平塚雷鳥も関係していた。彼らは,それが「良心」だと勘違いしていたのだ。
しかし,それから数年もしないうちに,エログロが大手を振ってのし歩くネット社会は,徐々に規制の枠に自ら滑り込み,再び有明海苔が復活する社会がやってきた。今は,有明海苔のないサイトといえば,XVIDOなどいくつかしか生き残っていない。まあ規制すればするほど,それは人々の本能的欲求を膨張させ,金儲けに利用する資本家も増えるのは当然のことだ。世紀をまたぐ2000年前後から,ネット社会は,極端な右傾化に走るようになった。それは世界のユダヤ人政権が,ポルノを厳しく取り締まるようになったからだ。西欧の政権やGAFAMなどユダヤ人資本家たちは,児童ポルノに対し異様なほどの過敏な反応を見せるようになった。私が,2000年前後に書いた児童ポルノ取り締まり批判のブログは,なぜかほとんど何の連絡もないまま無断削除されてしまったが,2010年ころのものが少しだけ残っている。
児童ポルノ規制法苛酷化に反対する 2009年07月10日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1030261.html
恐るべき管理社会がやってきた! ポルノ規制法の苛酷取り締まりの現実 2009年07月10日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1043898.html
警察国家への道 その2 児童ポルノ規制に見る矮小人間の大量生産 2010年05月03日
https://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2636159.html
具体的な事例は,上のリンク先に少しだけ乗せたが,驚いたのは,日本の少女向け漫画をカナダやアメリカで閲覧し,それをパソコンで保存しただけで,児童ポルノ性犯罪に問われ,最悪「15年の実刑,2500万円の罰金,3年間の司法当局による監視付き釈放」の可能性なんて取り締まり例ができてしまっていたことだ。北米では,日本の少女漫画は,ほぼすべて児童ポルノと認定される。飛行機で持ち込んだりしたら,とんでもないことになる。欧米人の性感覚の異常さに驚愕するしかなかったが,本当に恐ろしいのは,日本の当局がそのまま追随しはじめたことだ。例えば「盗撮」という概念がメディアで宣伝されているが,私の若い頃,半世紀前に他人にカメラを向けても,女子高生を撮影しても,陸上女子を撮影しても,何か性的な関心を持つ者はいなかったし,もちろん犯罪にもならなかった。今は,スーパーでボディカメラが稼働していただけで盗撮犯罪となる。女性の胸が写っていれば服を着ていても関係ない。それが犯罪なのだそうだ。
https://www.sa-criminal-defense2.jp/tousatuteigi
https://www.keijihiroba.com/crime/invasion-privacy.html
https://wellness-keijibengo.com/tousatsulawyer-lowprice/tousatsu-athlete/
さて,今回のブログで問題にしたかったのは,こうした性に対する異常なほど硬直した戒律的価値観が,マイクロソフトやグーグルの管理基準になっていることだ。以下のコンテンツで,自分の子供の数十年間の記録を,グーグルワンドライブに保存したら,それを勝手にグーグルAIがスキャン監視し,例えば子供の入浴中やプール遊びの写真が入っていた時,それをAIが児童ポルノと認識した。すると,ワンドライブのマイクロソフトアカウントが強制解除され,さらに突然ビットロッカーが作動し,すべてのデータにアクセスできなくなった。
【警告】Microsoftアカウントの突然ロックとBitLocker強制暗号化で全データを失った!【リスクが現実へ】
https://www.youtube.com/watch?v=lR-0RM3OCWQ
グーグルAIが,勝手にワンドライブを監視していて,子供の入浴写真を発見すると児童ポルノと認識し,MSアカウントとワンドライブを勝手に削除,さらにビットロッカーまで作動し,パソコンが全く使えず,復旧の見込みもないというコンテンツである。これは,いったい何を意味するのか?ワンドライブやマイクロソフトアカウントは,個人情報を保護しないどころか,勝手にスキャン監視して,子供の肌の露出を発見すると,それを犯罪と認識し,利用者を永久追放するのである。私はこのコンテンツを視聴していて,結局,ユダヤ金融資本は,パソコンの利用者に旧約聖書のレビ記20章のような戒律を押し付け,従わなければ永久にパソコン利用をさせないと,絶対者として強要しているように見える。そこで,パソコンとネットの利用者は,従わなければ追放される,「戒律に怯える」か弱き奴隷ということになる。
逆に,マイクロソフトやグーグルは,強制権力によって利用者に君臨できることになる。商品というものは購入者が主役なのだが,パソコンは,供給者に権力が集中することになる。
今や,マイクロソフトとグーグルは,こうした価値観の押し付けとスキャン監視によって,パソコンの利用者から購入者としての基本的権利を奪ってしまい,供給者が絶対権力を振りかざしているのだ。普通は,こんな理不尽なビットロッカーやポルノ規制など不愉快なので,他のシステムに乗り換えたいのだが,ネット・パソコン界は,MSとグーグルの独裁体制,占有体制が進み,もはや競争相手がいない状態だ。マックやリナックスも,利便性による格差拡大の法則が働いて衰退し,事実上ウィンドウズとグーグルの一人勝ちになってしまっている。これが新自由主義社会の恐ろしいところで,ものすごい弱肉強食社会なのだ。この弱肉強食が,パソコン利用のスタイルにまで及んできて,マイクロソフトの戒律価値観に従わない利用者は,パソコン利用から永久追放されるというのが,この管理システム,ビットロッカーである。
すると何が起きるのだろう?今回私が一番知ってほしいと思うのは,グーグルやマイクロソフトのAIがワンドライブの中身をスキャンするなら,世界の支配者に都合の悪い情報を,児童ポルノと決めつけて,勝手に削除し,不正を暴く情報や証拠を勝手に消去できるということだ。例えば,昨年,岸田文雄と萩生田光一が,台湾のTSMCなど不審な会社に3兆円もの資金援助を行った。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA04DJJ0U4A400C2000000/
あの卑劣な岸田が,裏で汚い工作をしないはずがない。送った3兆円のうち数割がキックバックでリベートとして彼らに返還されることは間違いないように思えた。かりに,その証拠が出てきて,それをワンドライブに保存してあったとすれば,AIスキャンが勝手に発見して,そのパソコンやドライブを廃棄させてしまい,二度とアクセスできないようにすることができるのだ。このような政治統制の目的で,AIスキャンが使われるのは必然だと私は思う。現在問題になっている,エプスタインとトランプやビルゲイツの,未成年者性奴隷島の問題も,トランプの指令で,その証拠を持っている人たちのパソコンに,児童ポルノだとかのイチャモンをつけて,勝手に消去させてしまい,二度とアクセスできないようにすることができる。やらないはずはないと私は思う。
ビットロッカーというのは,最初,Windowsビスタに搭載されたらしいが,Windows7までは上級エディション専用だった。ところが,10になると,すべてのOSに強制的にアップグレードすると,マイクロソフトが言い出した。
https://en.wikipedia.org/wiki/BitLocker
私のパソコンにも知らないうちに勝手にインストールされていたのに驚いた。それも最初から暗号化がオンになっていたのだ。私のパソコンなど,ヤバイ情報だらけだから,もしもAIスキャンがあれば,たちまちビットロッカーが作動して,永久に使えないことになってしまう。私は,情報を知って,慌てて暗号化をオフに切り替えた。これは恐ろしいことだ。ビットロッカーが,AIによって,このパソコンにはポルノがあると判定されて作動し,ロックされると,再開に45桁の暗号解除コードが要求される。そもそも暗号化さえ勝手に行われ,それを理解している者など非常に少ないのに,いったい誰が,暗号解除コードをパソコン外に記録しているだろう?
結局,マイクロソフトとグーグルは何をしたいのか?利用者を追い出し,情報を管理し,「二度と使わせない」とビットロッカーをちらつかせて,我々からパソコンを奪おうとしているとしか思えない。
東海アマブログ
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12917239338.html
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1847.html
東海アマ: 間質性肺炎闘病記~私が医療を信用できない理由
私が医療を信用できない理由
15-05-2024 11:17:02
それは医療関係者に,「医療プロトコール」と呼ぶ,鉄板のような足枷がかけられ,「患者の病気を治してあげたい」する思いやり,意思を強力に阻んでいるからだ。医療プロトコル=議定・手順と訳されるが,医療には歴史的に,あるいは学問的に確立された方法論が存在している。もしも,医療が失敗して患者を死なせたときでも,プロトコル(認可された手順)を実行したと認定されるなら提訴されても責任を問われることはない。だから医療関係者は,プトロコルに強く依存する。ときにプロトコルが患者を死なせる可能性があっても,医師の頭の中は,治療手順を守ることが第一義となる。医療は医療プロトコルを実行するシステムであって,その結果,もしかしたら患者が治療できるかもしれないというのが医療の真実だ。プロトコルの基本は第一に検査による病名確定,第二に投薬・注射・手術である。これを「医療」と思い込まされている人が,医師や患者の大部分である。
私の母は,慢性肺疾患を患い長期入院後に,それまでいたジョイフル名駅を追われて名城近くの老人ホームに転院した。そこでも慢性的に肺不調が続いた。担当医は,医療プロトコルに従って95歳の母に肺穿刺細胞診を行った。そして4日後に死亡した。私は,これを聞いて,まともな判断能力のある医師なら,95歳で30Kgもないような瀕死の老女に肺穿刺細胞診を行うことは殺人に等しいことを理解しているはずだと思った。もしかしたら,ホーム側の意思として,検査に名を借りて母を死なせて追い出すことが目的だったのかもしれないと思った。介護にあたっていた妹も,心の底で厄介払いができたという安堵があったのかもしれない。金と手のかかる老人は,自分の両親であっても,早く逝って欲しいと思う潜在意識は珍しくもない。周囲にいるみんなの総意として,母親は無意味でしかない=つまり病気治療にひとつの価値もない肺穿刺細胞診によって処刑されたと私は考えている。世の中,瀕死の老人を介護しながら,「早く死んでくれたら」と心の底で願う人々は,いったいどれだけの割合に上るだろうかと思う。ほとんどの人が「タテマエ」やメンツ,社会常識の世界で生きているからだ。
2014年前後のことだが,私が間質性肺炎=肺線維症を発症して,呼吸機能が半分に落ちてしまい,日常生活のあらゆる場面で息切れを起こして,自分の家もゴミ屋敷のようになってしまった。このとき自分に訪れる運命を調べていたとき,治療プロトコルを見て唖然としてしまった。ネットの情報によれば,「ブツブツバリバリ」という呼吸音を伴う肺線維症(IPF)患者の大半の余命は,発症から最大5年程度だった。普通は3年くらいで死んでしまう人が多い。私は,自分の運命を知って,かなり焦った。しかし,それまでの人生経験で医療の本質について強い疑問を抱いていたので,この情報を真に受けることはできなかった。特に,私は放射線生物学をかなり深く調べていたので,診療プロトコルの前段にある病名確定のための放射線検査に強い違和感を感じていた。そこには,約30ミリシーベルトの被曝を伴うX線CTや,スリガラス陰影確認のためのX線撮影,そして肺穿刺細胞診が認定診断のための必須条件と記載されていた。このデータがなければ,IPFとして認定されず,指定難病としての補助も受けられない。私は,ベルクロラ音という肺胞細胞が繊維化するときに出る呼吸音だけで,十分すぎるくらいIPF=肺線維症の診断が可能だと思うのだが,医師たちは,それでは納得せず,患者に大きな負荷を与えずにはおかない,視覚的に十分な特異性が見られる可視的なCTスキャンや細胞診を求め,それがなければ診断確定は不可能と主張していた。そこには,患者を治療するよりも,自分たちの学問的成果を確立したいという下心しか見えない。だが表向き,30ミリシーベルト程度の被曝であっても,実際には,転院する度や医師の興味本位(データ願望)によって,たくさんのX線撮影を重ねることが多いことを何度も経験している。だから,最悪100ミリシーベルトを超えてしまうこともありうる。医師の放射線リスクに対する認識の低さは,311フクイチ事故以来,あらゆる場面で思い知らされてきた。IPF患者は,未発症者の数十倍も肺癌発症リスクが高いのだが,この本当の理由は,X線撮影にあるのではないかとさえ私は疑った。肺穿刺細胞診は,ステロイド適応を確定するために必要だという。しかし,肺穿刺がサイトカインストームの直接の原因になって死亡してしまったIPF患者も非常に多いと記録されている。そもそも,私はステロイドをあまり信用していない。せいぜいムカデ咬傷くらいにしか使っていない。必ずリバウンドがあるからだ。「まるで検査に名を借りた殺人行為じゃないか」と私は思い,医療に依存すれば,治るものも治らなくなると確信した。公開されているアメリカなどの治験データでは,この種の疾患に本当に効果があるのは,呼吸トレーニングのようなリハビリであるとも書かれていた。
私は医療の本質は免疫とホメオスタシスだと人生経験から確信していた。近代医療が確立するまでは,庶民の大半は,骨折事故でさえ自家治療し,ホメオスタシスに頼って生きてきたのだ。私は,当時の医療水準のせいで患者の死亡が多く,平均寿命も短かったという説明には,納得していない。もっと他の社会的要素があったような気がしている。患者に強い負荷を与える診断も,投薬も手術も,ワクチンもホメオシタシス免疫システムの前には,無意味で愚かな行為としか思えなかった。つまり,ほとんどの病気は医療に頼らずとも治る。医者に行くよりも,毎日8000歩を歩いて体液の循環を行い,太陽光を浴びて免疫を強化することの方が,診断医療よりも病気が治る可能性が高まり,価値が高いように思えた。当時,肺線維症治療の主流は,ピルフェニドン・ニンテダニブ・ステロイドだったが,どんな治療をしても進行性で,死を遅らせる効果しかなかった。唯一,延命に強い効果が確認されていたのが「呼吸トレーニング」だった。そこで,私は自分の呼吸障害について,一切医療に頼らず,ただ呼吸トレーニングだけに頼って,延命自家治療することを決意した。たぶん,このおかげで10年もの延命に成功していると思う。だが,肺線維症が進行性というのは自分の体で確認している。10年前の発症直後に比べて,現在は,ひどく呼吸能力が落ちて,5年前に歩けたコースが,まともに歩けない。とりわけ,年に一度くらい,例えば濃厚な黄砂の直後とか,ユスリカの死骸を吸い込んだり,排煙を吸い込んだときなど,ブツブツバリバリの間質性肺炎の炎症が再発することがあって,これが出ると,もうそれ以前の状態には戻れない。サイトカインストームを食い止めるため葛根湯や麻黄湯を服用しながら,どんどん悪化しているのを肌身で感じ,友人,知人に遺言を書いたりするのだが,とりあえず,必死になって歩き回り,死なずにはすんでいる。
■ 医原病
私は,交通事故や帯状疱疹のように手に入りにくい特殊な薬が必要なときを除いて,原則医療を利用することはない。医療体制に頼って病気を治すという考え方に,大きな疑問を抱いているからだ。病気になれば,診断し確定しない限り,治療が始まらないのが医療プロトコルだ。すべては既存の症例,知識のなかで定まった経験則が「治療手順」として確立されデータ化されている。それは,患者を苦痛から救うというよりは,医師や研究者の名誉やアリバイ証明を前提としているようにしか見えない。だから,私にとっての本当の医療とは山を歩き回って体液を循環させ,免疫を高める食事をし,ぐっすりと眠ることである。
薬も必要最小限しか使わない。今使っているのは,痛風予防のアロプリノールやDHAのようなサプリ,ムカデやアブに噛まれたときのステロイド軟膏くらいだろうか?ピルフェニドンのような間質性肺炎治療薬を服用するより呼吸トレーニングの方が何百倍も効果があると確信している。これは辛い坂道を上って,思い切り呼吸することだ。私が発症した当時,メディアに出た肺線維症患者で,生き残っている人を知らない。みんな医療に頼ってしまったことが命取りだと思う。ただ自分とホメオスタシスだけを信じて,体液を循環させ,免疫を高めれば生き残っていられたのにと思わざるをえない。癌などの病気でも,私は医療に頼るつもりはない。肺線維症の肺癌発症率は健常者の20倍に及ぶデータがあるが,私には放射線被曝による「医原病」にしか見えないのだ。
📝医原病 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%BB%E5%8E%9F%E7%97%85
医療行為が原因で生ずる疾患のこと。「医源病」「医原性疾患」も同義。
1.臨床的医原病,2.社会的医原病,3.文化的医原病の三つの段階を経て,現代社会に生きる我々を侵食する病のこと(社会学者イリッチの提唱した概念。広義の医原病)
古代ギリシャの時代より,医者が患者を害する可能性は知られていた。19世紀の西洋では医師が,細菌のことや消毒のことも知らず,細菌に汚染された手で患者や妊婦に触れたので,患者や妊婦への細菌の伝播が起こり,患者や妊婦は高い確率で死亡していた。現代の日本でも様々な医原病が起きている。医療は他の様々な技術同様に,常に発展途上で不完全であり,医療関係者の意図にかかわらず,医療行為によっては患者を害する可能性がある。医原病の中には発生とほぼ同時にそれと判明するものもあるが,発生から長い年月を経て医療技術が進歩し新しい見地が発見された後にようやく,従来の医療行為がなんらかの医原病の原因を作っていたと判明することもある。原因としては,医療器具,医薬品,医療材料の他にも,医師による誤診,医療過誤(不適切な薬物選択,不適切・未熟な手術,検査など),院内感染等々が挙げられる。(→#原因別)
また,社会学者イリッチによって,医原病とは臨床的医原病,社会的医原病,文化的医原病の三つの段階を経て,現代社会に生きる我々を侵食する病のこと,ともされている。
パストゥールが細菌を発見する以前,19世紀中ごろまでの西洋の医学会では,清潔や不潔という概念も浸透しておらず,消毒法も確立していなかった。手術に医師は血に汚れたフロックコートを着て臨むなどし,患者らの傷口は細菌に汚染された共用の「たらい」の中の水で洗われ,患者間で細菌の伝播が起こった。医師のなかには「傷が治るためには膿がでることが必要だ」などと思っていた者も多かった。1867年の統計では,手足切断手術後の死亡率はチューリヒで46%,パリでは60%に及んだという。お産についても当時は医師が,「死亡した産婦の解剖をして産婦の子宮からでる膿にまみれた手で次のお産に立会ったので,産道から細菌が入って子宮内感染症,敗血症になって(産褥熱)死亡する産婦が多数いた。
その死亡率は10%以上にもなった。イグナーツ・ゼンメルワイス(1818年-1865年)は,まだ病原菌などの概念が無い時代であったにもかかわらず,今日で言う接触感染の可能性,医師自身が感染源になっている可能性に気づき,産褥熱の予防法として医師がカルキを使用して手洗いを行うことを提唱した。だが,医学会はそういった彼の善意からの指摘を認めず,逆に当時の医師らは彼を迫害するような行動をとった。1977年9月,ソークワクチンの開発者のジョナス・ソーク博士は,議会で次のように指摘した。1970年代初めにアメリカで発生したポリオのほとんどは,アメリカで使用されているポリオ生ワクチンの副作用である可能性が高い。つまりポリオ撲滅の功労者とも言われるソーク自身が,犠牲者を出し続けたポリオの原因が,そのワクチンにあると認めたのである。実際,アメリカ合衆国では生ワクチンが使われたためポリオが発生したが,フィンランドとスウェーデンのように死菌ワクチンを接種していた国ではポリオの発症はまったく報告されなかったという。1976年にブタインフルエンザが大流行した時に行われた予防接種について,政府とマスコミが徹底的に追跡調査してみたところ,ワクチンが原因でギラン・バレー症候群(両足の麻痺や,知覚異常,呼吸困難などを引き起こす急性多発性神経炎)が565件も発生し,予防接種を受けてから数時間以内に30人の高齢者が"説明不可能な死"を遂げていたことが判明した。太平洋戦争中,日本では腸チフス・パラチフスのワクチンは軍隊などでも接種され死亡などの事故が起きていたが,そのような事故は軍隊の不名誉として隠蔽された]。1940年代後半には,種痘は実施後に脳炎を起こす事例が頻発することが医師の間では広く知られるようになり,「種痘後脳炎」と呼ばれた。その被害規模は無視できない数にのぼり,1947年と1948年の強力痘苗だけに限定しても,犠牲者はおよそ600人と推計されており,天然痘のこの2年間の患者数405人を超えてしまっていた。日本においては,種痘事故や腸チフスの事故が多数発生していたころ,その事故数についての集計表は厚生省の机の引き出しの奥にしまわれ「絶対に公表しない,一番関係の深い人たちだけが見る」ことになっていたと厚生省防疫課にいた職員が後に語った。1948年,京都でのジフテリア予防接種の時にジフテリア毒素により大規模な医療事故が起き,横隔膜麻痺,咽頭麻痺,心不全等の中毒症状が現れ,死亡者68名という結果になった。同年,島根県でも類似のジフテリア予防接種医療事故が起き15名が死亡した。1949年から1950年ごろ,日本では結核の治療法として肋膜外剥離合成樹脂球充填術がさかんに用いられたが化膿を引き起こし摘出されることが多く,後年高齢期を迎えるころには低肺機能となった人が多い。1956年,東京大学法学部長の尾高朝雄が「ペニシリンショック」で死亡するという事故が起き,報道機関で大きく取り上げられた。この事故をきっかけとしてペニシリンによるショック死は実はすでに100名に及んでいたことが明らかになり社会問題としても扱われることになった
日本では1948年の「予防接種法」以降,強制接種や集団接種が拡大していったが,その強制接種や集団接種が安全な方法で行われていなかった。一例を挙げれば1964年に茨城県で行われた集団接種では,不十分な問診,複数の人に対して針を変えずに接種,マスクをせずに接種,不正確な量の注入,などのやり方が行われていたらしい。
複数の人に対して針を替えずに接種をする行為が蔓延していたことが日本でC型肝炎が多発した原因である,と考えられている。以下省略
東海アマ
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東海アマ: 中津川日誌~トラックの悪夢,限界集落の悪夢
夢の中へ
11-03-2024 11:17:54
今朝は恐ろしい夢のなかで目が覚めた。トラックを運転し,大きな街中を通り抜けようとしているのだが,どこへ行っても行き止まりになってしまう。広い道を進んでも,だんだん狭くなり,やがて通れなくなってしまう。そのうち,たくさんの人が出てきて,にっちもさっちもいかなくなって街中から脱出することが不可能になってしまう。
そういえば,半世紀前の若い頃,大型トラックで長距離輸送を行っていた時期があって,まったく見知らぬ小さな街で,道がだんだん細くなってしまい,通過できるか不安で焦ったことが何度もあった。この焦燥感は,トラック運転手なら,誰でも経験しているだろう。私が通り抜けようとした街は,巨大な精神病院のようにも見えた。誰もが表情のない顔をしていた。
そういえば,こんな景色を覚えている。それは,60年近い前のNHKのテレビドラマだ。「プリズナー6」という1967年BBC制作のドラマで,主人公はMI5の工作員,上層部と衝突してかっこいいスポーツカーで旅に出るのだが,なぜか突然,意識を失い,目覚めると不思議な街にいることに気づく。主人公は,あらゆる手段で,この街を脱出しようとするが,ことごとく失敗する。街を抜け出したと思った瞬間,どこからともなく白い風船が飛んできて,主人公の顔に貼り付いて呼吸を止めるのだ。それは街に戻るまで続く。
https://www.youtube.com/watch?v=osNmf_zmSyE
私が,今朝の夢のなかで恐怖を感じて目覚めた理由は,3年前に起きた私に関係する,とんでもない事件の記憶が私を凍り付かせたままでいるからだ。
📝大晦日を迎えて 2021年12月31日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5877989.html
私は2021年頃,蛭川駐在に何度も文書に書いて近所に住むAによる盗難被害を訴えたのだが,加藤博也という巡査は,私の訴えに一切耳を貸さず,事情聴取も一度も行わなかった。それどころか,私が署に電話すると,「私がウソをついているとしか思えない」と言ってのけた。そして,私が設置した,まず普通の人なら絶対に見破れない場所に設置した隠しカメラが持ち去られていたことで中津川署に連絡すると,数名の警官が来たが,私の家が肺線維症の呼吸障害で片付けられず,ゴミ屋敷のようになっていたせいか,私の主張をまるで信用しなかった。私がAの不法侵入と窃盗に対し,7台の監視カメラを設置していたのだが,いずれも,持ち去られたり,カメラの死角からすり抜けられたりで,本人を特定するだけの証拠になる映像は得られていなかった。Aという男は,監視カメラをものともせず忍び込むことができるプロ中のプロであり,もの凄い場数を踏んだ泥棒だったのだ。また警察官を欺すなど朝飯前で,善良を装う演技をして人相まで自在に変えられる恐ろしい男だった。「こんな男がいるのか」と私は驚愕するしかなかった。隣家との敷地からAが侵入したと説明しても,シャーロックホームズ気取りの50歳前後の警官が,「溝の落葉に足跡がついていないからウソだ」と決めつけた。この男の氏名は,公務であるから,いずれ情報公開法を使って実名で明らかにしようと思っているが,おそらく加藤が,「私の主張はデマ」とでも言ったことを受けたのだろう。「私が虚偽を説明している」という,この警官の認定は,後々,岐阜県警監察課や日弁連に救済を申し立てたときも,そのまま受け継がれている。いまだに,私は警察にとって「嘘つき」として認定されているのだ。救済を拒否した日弁連もそう思っているはずだ。それから数日後に,Aが我が家から盗んだ工具類を近所の藪にでも隠しているのではないかと考え,鉈を持って探していたとき,Aの妻が通りかかった。私はAの妻もグルであると認識していたので,「盗んだものを返せ」と言ったのだが,妻は「鉈を持った男に襲われている」と中津川警察に通報した。警察は緊急出動をして私を捕獲した。それから一晩勾留して,私を我が家から追い出して兵庫県の姉の家に行かせる措置命令を行った。これは警職法を見ても,そのような人権制限の法的根拠は書かれていない。棚橋という警官は一ヶ月隔離すると無責任に言ったのだが,私は数日で帰宅した。エアコンなどの電源が入ったままだったからだ。私が驚いたのは,中津川警察が私を捕獲したときの監視カメラの証拠が,すべて完全に消去されていたことだ。警官が不法に隠蔽工作を行ったのだ。また室内を捜索する場合は令状が必要なはずだが,一切それを無視して勝手に捜索を行っていた。これを告発しようと考えて弁護士に相談しても,100~200万円程度の費用がかかる。私は泣き寝入りするしかなかった。私は煮えくり返るような悔しさを抱えたまま,監視カメラを整備して,とにかくAが侵入の証拠を残してくれることを待った。証拠さえ手に入れば,Aを実名で告発出版できるし,弁護士を通じて不法侵入の損害賠償もできる。だが,その後,Aは一切の行動を起こさなくなり,自宅外にも,まったく出てこなくなった。隠しカメラを増設して侵入を待っていても期待に応えることはなかった。中津川警察や蛭川駐在は,私から見て全力でAをかばっているようにしか見えなかった。Aが侵入しなくなった事情も,「警察が証拠を残されると自分たちのメンツが立たない」とAに釘を刺して縛り付けたのだと思う他はない。2019年末,私の腕に白い斑点がたくさん出た。これは井戸水を飲まなくなった今でも一部が残っている。私は,Aが井戸にヒ素剤(シロアリ駆除剤)を投入したのではないかと疑った。Aは私が肺線維症を発症したとき,自宅で化学物質を大量に燃して黒い煤を我が家に送り込んでいたのだ。これで私の間質性肺炎は間違いなく悪化させられた。そこで井戸の周囲に電線を張って200Vの電流を流したところ,数日後の深夜に「オッ」という声がして,翌日からAは病院に通い始めた。配電盤機器が溶けてしまっていた。そして,Aの妻は私を睨み付けた。Aの侵入は,その後も続き,200Vを流した電線の,わずか30センチの隙間から侵入し,電源線を番線カッター(私から盗んだもの)でズタズタにしてみせた。私は,この男が,自衛隊などで特殊訓練を受けた人物であることに確信を持った。そして,人相を必要に応じて自由に変えられることで,これほどまで自分を隠す理由は,若い頃に強盗殺人のような凶悪犯罪を繰り返していて,摘発を逃れて隠れ住んでいるようにしか思えなかった。AのDNA鑑定をすれば,何件かの未解決重大事件が解決するような気もしている。Aの妻は,自分たちが知多市のレストランで働いて,定年退職して蛭川に住んだように説明していたが,ひどく不自然なので,調べてみると,そんな事実は一切なかった。そしてAは30年ほど前,天白区で,前を走るバイクを跳ね飛ばして運転者を殺害していた。個人情報保護法により,官報や報道の処罰歴は調べることができなかった。Aが,私の家に侵入して窃盗を働いた動機は,私に対する嫌がらせである。理由は,私が鶏を飼育したり,耕運機で大きな音を出したり,木工工作で音を立てたりすることに腹を立てていたことが分かっている。それはAによる嫌がらせに対する仕返しも含んでいたのだが,Aが直接,抗議をすることは絶対になかった。他人と直接対峙することが恐ろしいのだろう。子供の頃に何があったのだろう?普段は,人とまともな対話もできないほど,もの凄く気の小さな人間なのだ。だが,鬱憤を貯めて,私を上から目線で舐めた瞬間,突然,凶暴に変貌し,タイヤを8回もパンクさせたり,たくさんの工具類や無線機を盗んだりする驚異的なプロ級の嫌がらせを行う。いつでも,私がどこかに置き忘れたかのような工作を必ず行った。犯罪偽装の達人といってもいい。まさにプロ泥棒というしかない。私は,中津川警察に対する激しい憤りから,一連の事件を出版するつもりだが,すでに原稿はできているものの,Aが我が家に侵入するショットを表紙にするつもりで,Aの侵入を待っていた。だが,Aは2022年11月以降,一切,嫌がらせや行動をしなくなった。警察車両が我が家には一切事情聴取を行わないのに,Aの家には10回くらい止まっていることを確認したので,おそらくAに対し動かないよう説得しているのだと思った。私はトラックに乗って不思議な街を脱出しようとするが,すべての道が行き止まりになっていて,今朝,重すぎる絶望感で夢から目覚めた。
なぜ,こんな夢を見たのか考えてみると,上に紹介したAに関する問題が,すべて行き詰まっている焦燥感を反映したものだと思う。と同時に,私が感じている世界情勢,ウクライナやガザや岸田政権,自民党,米大統領選,中国問題,原発問題などのすべてが,出口の見えない行き詰まりのなかにあって,何一つ解決が見えないのだ。
未来が見えない! 出口が見えない!
Aの問題も,何一つ解決せず,進展しない。何もかも行き詰まり,この世界を脱出しようとすると,白い風船が呼吸を塞ぎにやってくる幻影に怯えているのである。
東海アマ
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12843955558.html
低年金生活者の行く末は?
08-03-2024 11:12:43
私が年金生活に入って,すでに5年くらいになるのだが,私の場合は,厚生年金でありながら国民年金の月あたり平均65000円よりも,はるかに低い5万円前後だ。だから,月5万円での生活設計は,極めて苛酷なものであり,光熱通信費と食費だけでもオーバーしてしまう。加えて,車がなければ生きてゆけない地域(近いスーパーまで徒歩3時間かかる)なので,燃料代や税金など維持費は,まるまる赤字になって重くのしかかってくる。まあ,少ない預金は毎月減って行くばかりなので,金の切れ目が命の切れ目と覚悟している。行政から不快な嫌がらせを受ける生活保護より,庭にテントを張って七輪で暖をとり,そのままオサラバすることを考えている。
以前,近所の高度差100mある高所橋を見て回ったが,近いのは福岡大橋で,これは探すのが難しい場所にあるので知っている人は少ないが,特段の飛び降り防止措置もないので容易に使える。もし宣伝すれば,飛び降りの名所になるかもしれない。ただし,下が岩場で100mという落差は,そうとう恐ろしい姿に変貌することを覚悟したほうがいい。八百津の新旅足橋なんか,数名が飛び降りたらしいが,高度差200mあるとバラバラになってしまうらしい。今は,バンジーで生きたまま飛び降り自殺の体験ができると評判だ。ただ,川床に激突した人は例外なくとんでもない姿になる。遺体を拾い集める係員は,これは左足,これは顎,これは脳味噌なんてゴミバサミで淡々と集めてゆく手間が,恐山の賽河原のようで,私は恐怖で意欲を失った。まあ,死後も人間の姿を保ちたいなら,木曽川の城山大橋や源済橋,恵那峡大橋あたりを使った方がいい。飛び降りれば,大井ダム湖に沈み,数十日かかってガスによって浮き上がり,大井ダム堰堤の流木トラップに捕獲されることになる。恵那峡大橋は飛び降りの名所で,霊感の強い人が近づくと全身金縛りに遭うことが多い。私も心底怖い思いをした経験がある。 http://hirukawamura.livedoor.blog/article/493726782.html
死を身近に考えなければならないほどの低年金暮らしの実態はというと,金食い虫を減らすことが絶対命題になる。最大の金食い虫は,光熱通信費と車だ。私の場合も毎月3万円以上かかっているので,いよいよとなったら,趣味のブログ書きをやめてネットを解約するしかない。冷暖房もできる限り節約しなければならないので,とにかく寒い思いを耐え忍んでいる。マイナス5度以下に下がる夜は,布団にくるまっても顔に痛みを感じる。マイナス10度以下になると逆に寒さを感じにくくなる。これは気温を体に伝える湿気が失われるせいだろう。食事は,もちろん100%自炊で,外食など何年も経験していない。おおむね一食200円以下に抑えないと,月あたり予算2万円には収まらないのだ。食材は,スーパーの閉店1時間程度前に,売れ残り半額サービス品を買うのだが,数年前まで,競争者が少なく,半額品がかなり自由に買えたのだが,今は違う。同じことを考える低年金老人や,普通の主婦までも売れ残り品を狙って競争が激しくなっている。
昔のバブル時代の記憶を考えると,本当に「日本は貧しくなったのだ」と実感させられる。1980年代なら,ホームレスでも廃棄食料を自由に手に入れることができた。スーパーやコンビニのゴミ箱には,期限切れ商品が満載だったのだ。今はホームレスも廃棄食品を手に入れるのは困難だろう。公園の野宿者炊き出しには,普通の生活者までたくさん並んでいるという。
https://tanakaryusaku.jp/2023/08/00029324
ホームレスや低年金老人が生きて行く上で,大きな困難は,やはり気温の問題ではないだろうか?夏場の暑さは耐えがたいものになってきているが,問題は冬場で,温暖化とはいうが,零下数度の寒さでの野宿は,私が正月に南アルプスに上って幕営していたときよりも厳しいかもしれない。私の記憶では,1980年前後だが,名古屋駅周辺で一晩に7名ものホームレスが凍死したことがあった。さぞ辛かっただろう。彼らの死に場所にゆくと,なぜか冷たい風を感じて,不安感で恐ろしくなるのだ。死者が自分の体験を伝えようとしているように思えた。これをきっかけに,名古屋市は冬場のホームレス対策として船見寮の解放がはじまった。中津川では家のないホームレスは凍死が約束されている。冬場マイナス7度まで下がることが普通だから,公園などで寝たり,歩き回っても耐えられるものではない。もし生き延びることができるとすれば,犯罪を犯して警察に逮捕されることしかない。今や,刑務所は日本最後のセーフティネットであり,犯罪者は自分の命を守るために進んで刑務所に行くしかない。これが自民党政権が作った新自由主義の社会だ。
昼間は,まだ図書館や役場などの公共機関に自由に立ち入れるので,時間を潰すのに快適な空間が約束されている。だから,今や図書館や大手スーパーの休憩空間は,夏も冬も冷暖房代金を節約する目的で時間つぶしする低年金老人たちで溢れているのだ。だが,夜は追い出されるので,仕方なしに自宅に帰るが,高価な灯油を使えず,コタツに入って厚着して寒さを耐え忍ぶ人が多い。もちろん,私も18リットル2000円以上している灯油を自由に使えず,コタツに軽羽毛服でいることが多い。灯油ストーブで暖をとると,18リットルなど三日程度で使い切ってしまうからだ。私の場合は,公共機関が遠いので利用できず,昼間はブログを書いて,肺線維症の呼吸トレーニングのため歩いていて,家に帰るとネットを見て情報収集しているのだが,新聞は高価だし,テレビは受信障害で基本的に視聴できないので,結局,ネットを相手にするしかない。ネット利用のデメリットは,視力が落ちることだ。たまには対話したくて,外出し集会などに顔を出したいのだが,残念ながら交通費などの問題から,遠方に出かけてゆくことは不可能だ。昔は居酒屋にも行ったのだが,もう20年近く行っていないし,行けるはずもない。まったく孤立して,誰とも対話しない生活が長く続いている。もちろん,年金暮らしで逼迫するようになって,大好きな温泉なども行けなくなった。昔は乗鞍高原温泉に年に数回も通ったものだが。日帰り温泉も10年くらい行っていない。床屋も金がかかるので,自分で散髪している。
こうした孤立したライフスタイルで心配になるのは,認知症の進行である。もう20年も前から,単語が出にくくなり,「あれ,それ」の指示代名詞ばかりを使う認知症初期段階だったのだが,物忘れは年々激しくなるばかりで,このブログを書いていても,小さなミスを頻発しながら,目が悪いので推敲ができないのだ。やはり,他人との対話が,認知症の進行を抑制してくれるのは間違いなく,孤独な生活は,閉ざされた思考回路で,脳の劣化をどんどん早めてゆくような気がする。だが,私の場合は,呼吸トレーニングを数日もさぼると,夜中に息苦しくなって眠れなくなるので,ほぼ毎日山道を7000~10000歩歩いていて,このとき,結構脳細胞が活性化されているため,認知症の進行を遅らせてくれていると確信している。
でも,ブログを書いていて,毎日のように自分の思考回路の劣化を思い知らされる機会があって,消えゆく老兵として悲しい思いをしている。
私の場合は,せめて,何かをこの世に残したいと思い,せっせとブログを書きためている。すでに2000編をはるかに超えているが,初期のものはヤフーによって無断削除され,2000万アクセスに迫っていたFC2ブログはまったく不可解な理由で意図的に追い出された。ブログ管理を電通子会社が行っていたことが理由と認識している。現在は4つのブログに分散記録しているが,これも,いつ排除されるか分かったものじゃない。原発政策を糾弾すると,必ず弾圧を受けるのだ。それは原子力村の利権の多くを占めている電通が,反原発の排除を実行し続けているからだ。私としては,真実に価値を見いだし,利権によるウソを追放して,子供たちの未来を守ろうとする勢力の一人として,説得力のある反原発を拡散することが義務と考えている。原子力村とともに,というか,その背後にいるディープステート=ユダヤカルトについても,その正体(ダボス会議=イルミナティ)を暴こうと努力しているのだが,ユダヤカルトが,反ユダヤ勢力に対し「陰謀論」というカテゴリーに押し込めて,それを嘲笑する「陰謀」を実行しているため,正しい指摘も,正真正銘の陰謀妄想も,十把一絡げに陰謀論にされていまい,相手にする価値がないという発想が,メディアによって固定している。そもそも,世界の金融資産の9割以上をユダヤ人が保有しているのは偶然ではありえない。日米やウクライナの通貨にフリーメーソンの「ピラミッドアイ」が印刷されているのも偶然ではないし,これはディープステート=ユダヤカルトが,その国を経済から支配したとの宣言なのだ。(クリック拡大)これを見ただけで,分かる人には世界経済の本当の意味が分かるはずだ。ビルゲイツが,世界人口をワクチンで削減すると公言してきたことの意味も分かるはずだ。
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5996309.html
私が,低年金老人として,「金の切れ目がこの世の切れ目」になる運命を与えられていることにも関係している。この世に低年金老人やホームレスがいて,死と直面しながら生きて行かねばならない本当の事情は,世界の資産の9割を,この恐ろしいカルトが独占してしまっているからなのだ。もしも,「神に選ばれた」と強烈な自尊心を前提に,「ユダヤ人以外は,ユダヤ人に奉仕するためのゴイム(家畜)にすぎない」との民族優越主義=優生保護思想を持った,人類最古,最大,最凶のカルトが存在しなかったなら,彼らによってもたらされた「新自由主義思想」がなかったなら,我々の貧困も孤独も存在しなかったのだ。世界を経済から支配してきた,超越階級を自称するやつらディープステートがいなかったなら,私も,きっと,もっと暖かい快適な冬を過ごせていたに違いない。大好きな乗鞍高原温泉に浸かれる機会も多かったにちがいない。
東海アマ
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12843955558.html
東海アマ: 蛭川模様~限界集落で生きる
山歩きの効能
2022/06/2013:32 - -
2022/07/0415:42 - -
ずっと応援していた山本太郎=れいわ新撰組が,ガチガチの原発推進派である浅草キッド(水道橋博士)を公認したことで,骨髄足裏まで反原発である私には,もう二度と応援不可能になってしまったので,参院選について何か書こうとしていたことも筆が進まなくなってしまった。
■山歩きの効能
そこで,数年前まで,ほぼ瀕死だった私が,とりあえず生き延びて,呼吸できている最大の理由について書くことにした。
それは山歩きについてである。私が山歩きにのめりこんだきっかけは,高校の林間学校が栃尾にあって,そこから学校行事として焼岳に登ったことだった。当時は,1962年の噴火災害から,あまり時間が経っていなかったので,中尾峠までしか登ることができなかった。実は,私は1991年に日本百名山を完登しているのだが,焼岳と浅間山,それに300名山の越後焼山だけは,いつも山頂立入禁止で,ピークを踏んでいないのだ。だが,このときの中尾峠登山は,私の登山欲に完全に火をつけた初登山だった。それは,あまりにも素晴らしすぎた。何に感動したかといえば,まだ60年代は,大気汚染が消えていなくて,名古屋で育った私は,大同製鋼や中部製鋼,東海製鉄などの公害で,学校のお絵かきでも空を灰色に塗る子供が大半だった時代で,滅多に見ることのない北アルプスの青い大気が素晴らしすぎたのだ。今でも,6月に上高地に行くと,日本最高景観の焼岳と穂高連峰を目の当たりにできるが,この素晴らしさは,尾瀬・八甲田・大雪と並んで,おそらく世界中の自然景観にもひけをとらないのではないかと思う。この3カ所は,日本人として生まれたなら,一度は見ておくべきだろう。あとは坊がツル,久住高原も良かったな。屋久島も素晴らしかった。初登山後,東京に出てからも,私は余裕さえあれば奥多摩・奥秩父をかけめぐった。当時は車がなかったので,電車とバスが頼りだったが,1970年代は,日本中,どんな過疎地でも,そこそこのバス便があって公共交通に不自由はなかったと思う。バス便が廃止されはじめたのは,たぶん中曽根政権が新自由主義経済による地方切り捨て政策をはじめてからだったような気がする。当時は,まだ五万図くらいしか手に入らなかったが,赤鉛筆でルートをなぞると,地図が真っ赤に染まったものだ。あの当時は,ベトナム反戦デモと奥多摩登山が私の日課だった。栃尾の林間学校では,課題として民俗学研究が出され,私にとっては,これも生涯を決定づける分野となった。当時の栃尾は,家屋がすべて板屋根に石を載せた中世以来の形式だった。後に,私は屋根や建築の研究も行うことになった。私は歴史と民俗の研究にも夢中になっていた。1970年代は,まだ登山ルートの山奥に,中世以来住み続けている集落がたくさん残っていて,奥多摩の和馬や日原,檜原などに数百年前の家屋が生きていた。これらの屋根や民俗を調べながら,この人たちは武田氏由来なのか,それとも平家の落人なのかと,胸をわくわくさせながら調べたものだ。
名古屋に戻ってからは,鈴鹿の山奥を歩き回り,廃道を歩いているうちに,野生化した大麻畑を見つけたり,朽ちかけた廃屋に残る民俗を調べたりしていた。また,山を歩きながら,その歴史を調べるて紀行文を書くことをライフワークにしていた。もちろん,こんなことをしていると,世間から評価されたり,彼女が見つかるような僥倖は皆無で,私は浮浪者や,大麻探しの半グレ人のように思われて,孤独な生活を送っていた。そして,そのまま私は一人で化石のように老いてしまった。当時書いた紀行文の多くが,ヤフーにブログとしてあげていて,廃止とともに消されてしまったので,回復できたのは半数にも満たない。以下に,ごく一部,生き残ったものを掲示する。日付は新しいが,実際に書いたのは,1980年代だ。
それぞれの山の物語 1 藤原岳 2017年02月14日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-96.html
それぞれの山の物語 2 京丸山 2017/02/14 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-95.html
それぞれの山の物語 3 台高山脈(FC2ブログのこのページがなぜか勝手に消されてしまっていたので,今回,ライブドアブログにアップし直した) http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5938719.html
それぞれの山の物語 4 それぞれの山の物語 その4 白山巡礼(これも消えてしまっていたので,一昨年,再生したもの) http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1331.html
それぞれの山の物語 5 南アルプス深南部 中編(前編,後編が発見できない)2017年02月15日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-88.html?
それぞれの山の物語 6 修験道路の山旅 前編 2017/02/16(後編が消されている)
http://tokaiama.blog69.fc2.com/?m&no=86
他にもたくさんアップしてあったが,調べるたびに,私の書いたはずの紀行ブログが消されてゆく。フロッピーディスクに記録してあった原稿も再生不能なので,もう回復できないようだ。私は1980年代から「山浮浪記」という題で,たくさんの紀行文を書いて知人に送りつけていたのだが,大半が失われ復活できないので残念だ。なかには,民俗学上の貴重な文献もあったのだが……。
一番大切にしていたのが,鈴鹿や大峰,アルプスの単独沢登りの記録なのだが,ほぼ全部失われている。フロッピーディスク記録を発見できても,もう再生できない。山歩きは,やはり文書で記録を残すことが大切だ。何十年も前の記録を参照しながら,山の変遷を理解することができる。
私は,70年代,鈴鹿の廃村で,野生化した麻の自生地をいくつか見つけたが,その集落名も分からなくなった。大麻に興味はないのだが,後に,暴力団が入り浸っているとの記事を見つけたことがある。また静岡の南ア深南部の木地屋廃村では,戦前の生活道具類を発見した。これなどは民俗学研究者にとっては垂涎の資料になるはずだが,たぶん,もう収集できないだろう。
さて,山歩きというのは,私の人生にとっては,たぶん人生と命の源のようなカテゴリーで,山歩きなしでは,私は,とうてい,この年まで生きていることはできなかった。2014年ころ,間質性肺炎(肺線維症)を発症し,布団上げや階段上りさえ困難になってしまい,一人暮らしの我が家はゴミ屋敷と化してしまったのだが,若い頃から人生の一部と化していた登山習慣のおかげで,適切なリハビリテーション=呼吸トレーニングを行うことにより,五年で死ぬはずが8年経ても生きていることができる。もしも,私に山歩きの習慣が血肉化していなかったなら,とうてい苛酷な呼吸トレーニングはできなかった。とともに,医学の本質は,ドイツ医学流の屁理屈論理学ではなく,患者のホメオステーシス(生体恒常性維持機能)を助けるリハビリテーション,すなわち自然治癒力の手助けでなければならないと強く確信を抱いた。医者は,自分の権威を見せつける目的で,余計な屁理屈に頼り,余計な検査で患者を悪化させ,殺してしまうのだ。ただ,黙って患者の自然治癒力を大切にしていれば,それで医学は十分だったのだ。私が山歩きで,もっとも大きな効能を実感したことは,認知症の予防である。
https://asl-genki.jp/?p=18579 https://www.nhk.or.jp/radio/magazine/article/yamacafe/FO9EHFgnQP.html
私は20年くらい前に,ひどい認知症になりかけたことがある。当時は腎臓や肝臓が不調で,さまざまな障害が出て苦しんでいたが,わけても「肝性脳症」になりかかってしまい,一種の精神異常状態にまでなった。文章を書いていても,突然,自分で何を書いているのか分からなくなってしまう。私はアマ無線2級だったのに,電気電波のメカニズムについて,自分の書いたものを読み直すとデタラメだったりしてショックを受けた。これが内臓の不調から来ている,脳の障害であることが分かったのだが,どう治療してよいか絶望的になった。しかし,腎臓障害も含めて,毎日山を歩くことで軽快してゆくとの報告があり,わらにもすがる思いで,必死に歩き続けた。間質性肺炎の呼吸トレーニングでも,ただただ,森林浴を兼ねた山歩きだけが,医者に行けば検査だらけで結局殺されてしまう現状に対し,自分を本当に救ってくれたと確信している。一時はまともに尿も出なくなり,ひどい腰痛で苦しんだ腎臓障害も「歩くことで治せる」という論文を頼りに,せっせと歩き回ることで,かなり正常化している。
https://www.amazon.co.jp/%E8%85%8E%E8%87%93%E7%97%85%E3%81%AF%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%A7%E3%82%88%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B-%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%8C%E8%80%83%E6%A1%88%E3%81%97%E3%81%9F%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E3%80%8C%E8%85%8E%E8%87%93%E3%83%AA%E3%83%8F%E3%83%93%E3%83%AA%E3%80%8D-%E4%B8%8A%E6%9C%88-%E6%AD%A3%E5%8D%9A/dp/4837613349
登山の効用としては,以下のように考えられている。
https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/shintai-shumi/climbing.html#:~:text=%E7%99%BB%E5%B1%B1%E3%81%AF%E6%99%82%E9%96%93%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%91,%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E5%8A%B9%E6%9E%9C%E3%82%82%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
登山は時間をかけて山道を歩き続ける有酸素運動になります。標高が高い山では低酸素状態で運動を続けることで,より循環器系に負荷をかけることができます。「高地トレーニング」として持久力向上のために使われることもあります。また,登り下りのある山道なので足腰の筋力を鍛える筋力トレーニングの効果もあります。主に使われる筋群は,腸腰筋や大腿四頭筋,大臀筋,ハムストリングスが挙げられます。登りと下りで短縮性筋活動と伸張性筋活動の両方を必要とするので,慣れない人では筋肉痛になりやすいかもしれません。石や岩がある自然の道を歩く際にはバランスを保つ力も大切になります。歩きながらバランストレーニングの効果も期待できます。
************************************
引用以上
これはトレーニングルームのなかでの運動とはわけが違う。美しい山の景色を遠くに眺めることで老人性の視力障害も軽快してゆく。パソコンでブログを書いていると,ひどいときには視力が半分以下に減退し,本はおとか,パソコン画面さえ見えなくなるときがあるが,山歩きと森林浴のなかで,見事に視力が回復してゆく。また,脳のなかに溜まったベータアミロイドとかレビー小体とか,認知症の原因になる物質も,森林浴によるストレス解消と,疲労感による快眠によって消えてゆくのだ。はっきりいって,私は毎朝二時間の山歩きなしには,ブログを書くことさえできない。山歩きだけが,脳を活性化してくれて,靄のかかったような鈍い感覚を正常な感覚に戻してくれる。私は,山歩きのおかげで認知症が改善している。そして,ブログが書けるようになっている。黄昏のような景色が,くっきりとした輪郭を持った,生き生きとした普通の景色に見えている。歩くおかげで,尿も正常化し,酒も飲むことができるようになった。私の人生で,最高の出会い,それは山歩きである。
■山の歩き方番外編
かつて,当ブログで「山の歩き方」という表題で三回ほど書いた。
山の歩き方 2010年01月06日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-9.html
続山の歩き方 2010年01月08日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-10.html
これを書いたのは,実際には1990年代で,ヤフーブログに上げたのだが,ヤフーブログの身勝手な廃止とともに失われてしまったが,livedoorに辛うじて残っていたものを転載した。続続編まで書いた覚えがあるのだが,それは失われている。2012年以降は,「間質性肺炎患者の山の歩き方」に表題を変えないといけなくなった。
私は,前世紀末まで,富士山五合目から山頂まで2時間程度で登る心肺能力と体力があったのだが,肺線維症で呼吸音にブツブツバリバリが出てからというもの,呼吸能力は常人の半分以下にまで落ちてしまった。今なら30分も歩けないで引き返してくるに違いない。だから,山歩きを云々する資格はすでにない。
2014年には,自宅の2mの階段も一気に上がれなくなり,あらゆる仕事で息切れを起こして,布団も上げられず,自分の部屋さえも,ほとんど片付かなくなってしまって,家中が典型的なゴミ屋敷と化した。今は,苦しい呼吸トレーニングのおかげで,ある程度回復したと信じたいが,実際には,今でも,重いものを運んだりするだけで激しく呼吸しなければならない。
だから,近所に住むAという泥棒ジジイが,汚い私の敷地を見て小馬鹿にし,舐めまくって何十回も盗みに入っても,その証拠保全の撮影さえできなかった。Aはベテランの泥棒=知能犯であるとともに,証拠隠滅の達人のつもりでいて,盗むときは,必ず,私が物忘れで見つからないと思い込むように工作するのだが,ゴミ屋敷の主の私は,息切れで片付けられないだけで,何が盗まれたのかを完璧に把握するだけの能力が残っていた。Aは,私の設置した8台もの監視カメラから自分の写ったSDカードを抜き取ったり,スマホで改竄したりした。また夜中に赤外線の照射能力を見きって敷地内に侵入した。「こいつは,どれほど場数を踏んでいるのか?」と驚嘆するほどだった。それを告発した中津川警察は,私の家がゴミ屋敷化しているのを見て,私を被害妄想の虚偽告発者と決めつけ,なんと精神病院に連行して診察させた。姉が「弟はウソをつく人間ではない」と断固入院を拒否しなければ,今でも強制入院させられれいたかもしれない。その後,Aの妻に詰め寄った私を逮捕(確保?)した中津川警察署まで,証拠の監視カメラのSDカードを改竄してしまった。私を多数の警官で逮捕したときの映像が全部消されていたのだ。やるだろうと思ったが,実際にそれを確認したときはショックだった。私は悔しくて悔しくて,自分の肺機能がこれ以上悪化したなら,Aを惨殺して自分もスパッとこの世と縁を切ることを考えていたのだが,Aと直接戦うために必死になって呼吸トレーニングを繰り返しているうちに,心肺機能が相当に戻り,畑仕事までできるようになったので,計画はもう少し先延ばしにしている。
それに,殺してやりたいやつは他にもいる。私に長年にわたってネット上で嫌がらせを続けているヤツだ。私が,この年になって生きる意欲といえば,そんな低レベルの報復心だけかもしれない。まあ,並木良和も,バシャールも,多くのスピリチュアリストたちも,こんな私を見たら軽蔑するだろうとは思うが,私はただの気の短い凶暴な老人にすぎない。先ほどAの姿を久しぶりに確認したので,いろいろ深く考えるものがある。
まあ半分冗談だ(残りの半分は本気だが)。Aについては,必ず泥棒やパンク犯の証拠を掴んで地検に直接告訴してやるつもりでいる。弁護士に依頼すると一財産飛ぶので心配だが,いずれにせよ,私も先が長くないのは確実なので,無一文になってもやらねばなるまい。まったく,家族がいなくて良かったと思う。
さて,前置きが長くなりすぎた。新型コロナ禍で,世界中の人々が感染し,重篤な呼吸疾患に陥った人も数億人に達すると思う。そのうち数割が,肺に取り返しのつかない間質性炎症を引き起こし,肺線維症に進んでいる可能性がある。世間では,肺線維症について,何を言っているのか?
https://www.tmd.ac.jp/med/pulm/d1.html
特発性肺線維症(IPF)と診断されるなら,余命は,3年を軸に最大5年というのが医学界の常識である。私は,すでに8年だから,「今生きていられるなら,それはIPFでなかった」と決めつけられることだろう。IPFと決めつけるためには,X線CTと肺の穿刺細胞診による診断が必須になっているので,私は,IPFの死亡例の大半が,このCTと細胞診による急性憎悪(サイトカインストーム)だろうと判断し,死んでも医療にかかるものかと決意した。IPFの診断など,本当は,ベルクロラ音という独特の呼吸音だけで十分だ。肺穿刺をやる理由は,ステロイドの適合を調べることだが,それは患者をサイトカインストームに追い込むことが多く,20ミリシーベルトものCT被曝量とともに,殺人的なものだ。「医療被曝は被曝ではない」と決めつける正真正銘の馬鹿が医学界を席巻している以上,こんな連中を信用してはいけない。まあ,新型コロナ禍で,もしも本気で生き延びたいなら医療は利用しないことだ。ほとんどの医者は,自分を特別な選ばれた人間と思い込み,高知能で優越的特権者だと思い込んでいて,患者を支配し,自分の権威を見せつけることしか考えていない。なかには,患者を見て,金を背中にくくりつけた鴨葱と思い込んでいる者も少なくない。患者の回復を心から願う本当の赤ひげ医は,たぶん100人に一人もいないだろう。もしも,そんな医師がいたなら,検査,投薬,手術なんか差し置いて,何よりも体液の循環とリハビリテーション,患者に生きる希望を与えることを考えるはずだ。。私自身の体験からいえば,長生きしたければ医療を利用するな……だ。結局,病気になったなら,自分の回復しようとする意思に頼るしかないのだ。そして,その方法は歩くことしかない。何も考えずに,歩いて歩いて歩きまくるしかない。しかし,あえて屁理屈をつけるなら,一日7000~8000歩,うち3割,20分程度は,早足やら坂道やら,やや強度の強い運動が望ましいことになっている。 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1896.html
歩いているうちに,肺線維症患者であっても,ある程度歩く能力が回復してきて,坂道でも苦痛が少なくなる。それにバリバリという呼吸音が消えてゆくのだ。それでも調子に乗って,本格的な登山に行こうものなら,2時間ほど歩いたとき,呼吸機能がハングアップを起こして,肺気腫のような状態になって,数十分も動けなくなることを何回か経験させられた。そんなときは,1時間のコースタイムを数時間もかけて,這うように帰ってくる。この数年間の経験を総括するなら,歩行は早朝2時間程度がいい。なぜか,呼吸心肺機能が落ちても,早朝はそれほど苦痛を感じない。午後になると,非常な苦しさを感じることが多い。何か重いものを持っただけで,激しい息切れが起きるときがある。早朝歩きには,可能なら100~200mのアップダウン標高差があった方がいい。最初のうちは,坂歩きが猛烈に辛い。「この世の地獄とはこんなものか」と思うほどだ。それでも,フラフラになって歩き続けていると,だんだん楽に歩けるようになる。数年間も,こんな早朝歩行を繰り返せば,片肺切除の人の残った肺が肥大化するように,繊維化して失われた肺胞細胞が再生されるのではないかと期待するのだが,そうは問屋が卸さない。
私の場合は,2014年から呼吸トレーニングをはじめて,2022年現在,肺胞細胞がどれほど回復したかと考えると,せいぜい1~2割程度だと思う。呼吸トレーニングの目的は,実は,肺線維症の進行を防止することなのだ。毎日,肺に負荷をかけ続けていると,間質性肺炎の進行が止まり,急性増悪を起こしにくくなる。しかし,蚊取り線香や喫煙副流煙など大気汚染などで,急性増悪の入口に立ってしまうこともある。ただ,ブツブツバリバリの呼吸音は,確実に減り,1年程度で消えてしまう。最初の頃は,コンコンと小さな咳が止まらなかったが,それも消えていった。例え,肺胞細胞の回復が少なくても,肺全体の機能が強化され,血流との連携が強まり,呼吸そのものが格段に楽になる。だから,早朝歩行を行わないと,呼吸機能が悪化することを非常に恐れて,雨が降っていても歩くことが多い。発病後,最初の頃は,普通の布団で上を向いて寝ることができなかった。上半身だけ敷布団を二重や三重にして,体を起こすようにして寝ていた。また,左向きに寝ることが苦しくて,右を向いて寝てばかりいた。眠りも浅いので,昼間,上体を起こした上体でうたた寝することが多かった。現在では,左右どちらを向いても寝られるようになっている。新型コロナの後遺症で,間質性肺炎になっている人も,たぶん同じ症状が出ているだろうと思う。夜寝にくい症状が出ているときは,昼間,厚手の布団に上半身を委ねて,体が起きるように「拾い寝」して爆睡すれば,なんとか睡眠不足を食い止めることができる。早朝,無理して呼吸トレーニング歩行をしていれば,疲労感から快眠できるはずだ。ちなみに,右向寝は,右心房への戻り血流が阻害されていることを意味していて,肺の炎症が心臓にも悪影響を及ぼすからだ。
間質性肺炎=肺線維症を治したければ,医療にすがるのではなく,自分の意思と対峙するしかない。早朝2時間を治療の時間と定めて,毎日,必死になって呼吸トレーニングにくらいついてゆくしかない。ステロイドなんかリバウンド炎症を引き起こすだけだ。必死になって毎日苦しんでいるうちに,小さな咳も,ベルクロラ音も去ってゆく。いつしか繊維化=蜂巣化した患部から出る音が聞こえなくなる。ほんの少しずつ,尺取り虫のように回復の希望に向かって歩んでいる自分に気づく。やがて,息切れが少なくなる。対峙する風景への暗い絶望感に光が差し込み,動かなかった体が動くようになり,片付けることさえできなくなっていたものを整理できるようになる。歩けば歩くほど,毎日,視界が広がり,明るさを増してゆくのだ。私の場合は,山中で突然動けなくなる可能性もあるので,必ず防寒具を兼ねた雨具と,ライトや保存軽食,水,虫除け,熊鈴など5Kg程度の荷物を背負っている。最悪,呼吸不全=肺気腫などを起こしたときは,その場に数時間も座り込まねばならないこともある。しかし,必ず歩ける程度には回復する。おかげで,最大5年しか生き延びられない病気でも,8年経っても生きていられるのだ。間質性肺炎と診断されても絶望せずに,医者を無視して必死に歩き続けることを薦めたい。
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ああ,水が出ない……
未分類2021/01/0915:16 - -
今朝の寒波は凄かった。手元の寒暖計ではマイナス10度,スマホ気温もマイナス8度。 何年も破裂が起きなかった手作り井戸水配管で,久しぶりに大量のつららが下がってるから,たぶん亀裂が入ってる。17年も住んでいるから,もちろん配管の蛇口,4カ所でポタポタ・チョロチョロ出しで備えていたのだが,水を出しながら凍結したようだ。それより,井戸水が湧き上がらなくなって,風呂に43度の湯を入れていたら,途中で止まってしまった。井戸水は,いったん枯渇させると,数日間は汚い水しか出てこないので,本当に苦労する。地表深くまで凍結が進み,地下水の移動が少なくなっているかもしれない。井戸使用開始後,配管破裂以外で枯渇したのは初めてのケースだ。
これから,どのような恒久修理対策をするか頭が痛い。一番いいのは,ポリエチレン管に全部変えてしまうことだが,非常に高額になるので簡単に手を出せない。ポリエチレン水道管の可塑率は10%あるので,水の凍結膨張率と同じで理屈上,凍結膨張破損しないことになっている。耐久性も,塩ビ管なみにある。だが,バルブやエルボ,チーズなどの部品がえらく高価なのだ。全部作り直すと,一財産(数十万円)かかってしまう。
私が蛭川村に移住した当初は,真冬はマイナス10度以下になるのが珍しくなくて,厳冬の晴れた朝なら,おおむねマイナス7度になるのが相場だった。これは北海道の函館付近と同じ程度の寒さだ。いわゆる内陸型の放射冷却によるもので,北海道と違って日中は,気温が上昇する。しかし,今日は,13時過ぎても,ひどく寒い。たぶん終日氷点下の冬日になるのだろう。
2008年,リーマンショックの年あたりから,昔ながらの深刻な冷え込みが少なくなった。ちょうど,この頃から,野生動物の人間社会への侵入が加速し,夜中に家の前で猪が普通に出歩くようになったこと,裏山にクマが出没すること,早朝にカモシカや鹿が騒ぐことが普通になった。このあたりから,猪が激増し普通の水田まで襲うようになった。だから,それまで獣害対策など無用だった,この村で,電柵やワイヤーメッシュ柵などの対策をしなければ,事実上農業が不可能になってしまったのだ。なぜ増えたかというと,猪の子供は,マイナス10度以下だと凍死してしまうので繁殖できない。だが温暖化が進み,マイナス6度くらいまでしか下がらなくなったので,幼獣が容易に越冬するようになり,急激に増えたというわけだ。またマイナス10度以下まで下がるのが普通になれば,猪も減ってゆくはずだ。熊が増えたのは別の理由で,ベテラン猟師が老齢化で減ったこと。やはり老齢化で果樹園などが放置され,管理されなくなった果実を食べることで増えた。それに,里山が手入れされないため荒廃して,奥山との境界が曖昧になったこともある。
急に気温が下がり始めた事情は,いくつか考えられる。私は,地球温暖化,異常気象の最大の理由は,炭酸ガス温室効果ではなく,原子力発電所温廃水であると指摘してきた。気候変動の最大の原因は,原発温廃水である 2020年11月13日 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1309.html
ところが,フクイチ事故の影響で,再稼働や定期点検が厳しくなり,54基ある原子炉のうち,2019年末に稼働しているのは,わずか9基であり,それも定検があるため,実質3基程度だ。だから,原発温廃水は,非常に少なくなっていて,海水表面温度が上昇せず,これも急激な寒冷化の一因になっているかもしれない。昨年の台風が,超大型化できなかったのも,温廃水が減った影響があるかもしれない。一番大きな理由は,多くの気象学者が提唱しているとおり,地球がミニ氷期に向かっている可能性があることだ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B0%B7%E6%9C%9F
原因は,太陽活動の衰退と火山活動の活性化で説明されている。これは,地球活動を観察してきた者には分かりやすく納得のいく理屈である。確かに,一昨年から太陽の黒点活動は著しく減少し,経済活動に影響を与えるほどの巨大太陽風も少なくなっている。それに,地球全体で火山活動が活性化しているのも,日常的に報道されている。ごく最近では,日本の巨大地震の前兆と噂されるキラウエア火山の噴火も起きた。 https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/12/post-95235.php
https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201806_post_17060/
現在の太陽活動は,マウンダー極小期に類似していて,小氷期説には大きな説得力がある。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E6%A5%B5%E5%B0%8F%E6%9C%9F
だが,今月(2021年1月)行われるダボス会議では,「炭酸ガスの増加によって地球温暖化が起きる」という子供だましの虚構が宣伝され,「このため炭酸ガスを出さない原発が必要」と,アルゴアやゲイツ,竹中平蔵らが主張し,コンピュータと原発による超管理社会に「グレートリセットする」と喚いている。地球が寒冷化しているとすれば,火力発電や石油原動機を抑制する必要はないのだが,ゲイツ,ゴアらは,何としても温暖化は避けられないと脅迫し,赤道の島々が水没すると煽っている。ちなみに,ゲイツ,ゴアともに,原子力利用に巨大な利権を保有している当事者だ。だから欧米に追従して日本まで,2030年までにガソリン自動車を全廃すると言い出していて,電気が切れたら充電に3時間もかかるEV車に切り替える路線が進行している。
もし小氷期説が正しければ,どんなに炭酸ガスを抑制しても,決して気温は上がらない。だが,原発温廃水を海洋に大量投棄することで気温が上がり,結果として炭酸ガスも増えてくるので,ゲイツらは自己正当化のためにも,必死になって原発を増やし,再稼働させようとするだろう。だが,今年の冬は苛酷だ。地球温暖化説をあざ笑うように,地球規模で歴史的な寒冷化が起き始めている。 https://earthreview.net/2021-began-with-the-extreme-cold-wave/
1月6日,スペインでマイナス34.1度が記録された。これはスペイン気象観測史上最低記録である。リンク先にあるように,1月9日現在,欧州は氷雪に閉ざされている。カナダではマイナス62度,北京では,7日にマイナス19.6度が記録された。どうやら,日本でも,今起きている寒波がピークではなさそうだ。我が家では,昨夜,と数日前,夜中に顔が痛くなる冷凍庫級寒さで,寝られなくなってしまった。出費をけちっても仕方ないので,エアコンをつけたが,初めて経験するような真っ白な吐息が出た。もしかしたら,今月,次の寒波ではマイナス15度程度まで冷えるかもと予想している。
こうなると,ポタポタ・チョロチョロ出しでは,そのまま凍結してしまい,真夜中に爆発するような音で破裂することになる。だが水を出しすぎると,今朝のように,井戸の水が涸れてしまう事態になり,頭を抱えている。テープヒーターは,恐ろしいほど高額の電気代がやってくるし……。私は,若い頃,日本アルプスの厳冬期縦走で,マイナス20度,暖房器具なしのツエルトで寝た経験が何回かあるが,一晩中寝られたものでなく,せいぜい短時間ウトウトする程度だった。今年は,もしかしたら,同じような体験をするのかもしれない。
東海アマブログ
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1367.html
蛭川模様
未分類2021/01/1214:10 - -
朝から激しい雪になり,すでに10センチ以上積もったが,今夜まで降り続くらしい。明日は凍結するので,あちこちで事故が起きる。下り坂では,スタッドレスタイヤでも止まれないほど恐ろしい道路に変わる。雪かきをしなければならないが,近所の悪態ジジイAが,真夜中に,私の車のタイヤにネジを刺して,何度もパンクさせるようなクズなので,顔を合わせるのも不愉快でやりたくない。まあ,四駆だから,なんとか動きかせるが。激怒して,よほど報復しようかと思ったが,こんなクズのために犯罪者になるのも馬鹿馬鹿しいから放置したままだが,そのうち,またやりそうだ。
過疎の別荘地では,都会では生活できなくなった異常な「はみだし者」が少なくない。我が家の近隣には,浮気して妻に追い出された老人が三名もいる。まあ,私も似たようなものだが……。私の場合は,腎不全とノイローゼだった。
***************************************
数日前に,近所で行方不明者が出た。防災メールで知らせてくる。
【市内蛭川在住の田口恵子さん(57歳)が,1月9日午前6時頃から徒歩で行方不明になっています。
身長155センチくらい,中肉,短髪白髪まじり,ベージュ色ジャンパー,黒色ズボンを着用しています。お心当たりのある方は,中津川警察署までご連絡ください。
中津川警察署 0573-66-0110(中津川市防災安全課 10時42分配信)】
もう不明から三日目,9日の朝はマイナス10度以下まで下がった。もう生存は絶望的だ。唯一の希望は,知人・友人宅にいてくれることだけだ。57才は,不明者としては,あまりにも若すぎる。若年性認知症かもしれないが,常識的には,まだ立派に判断力と防御力のある成人女性だ。老人と言うべき年齢でもない。毎月数回,不明者メールが入るが,発見されなかったことは,ほぼない。不明者は,全員が認知症気味の老人で,出かけたが帰り道を忘れて帰れなくなったケースばかりだ。私の実父も,友人の実父も,認知症で同じように道を忘れて帰れないことがあった。こんなときは,家族親戚総出で近所を探し回るのだが,一人でポツンと公園のベンチに座っていたりするのだ。だから,こんな不明メールが来ると,自分の親のことを思い出して,とても心配になって,可能なら捜索を手伝いたいのだが,情報が少なすぎて,手が付けられない。蛭川は広大なのだ。警察は,受信者が最低限,捜索に加われる程度の情報を出すべきだ。せめて大字だけでもいい。しかし,こうした老人は,ほぼ人のいる場所に向かい,交通のある道路付近で座っていることが多いので,発見されやすい。まだ本能的防御能力が残っているのだろう。道を失って,人のいない山林などに入り込んでしまう不明者は少ない。今回のケースは,もしかしたら,まだ若い人なので「恥ずかしい意識」が残っていて,人の目を避けて,どこか山林の小屋などにいて,そのまま凍死しているかもしれない。願わくば,友人の家でふて寝していてもらいたいものだ。我が家の近所で,この極寒で不明者が出たら,実に居心地が悪のだ。大字が分かれば,ドローンを入手して捜索してみたい。このご時世では,警察や消防団もドローン捜索は必須だろう。
************************************
今年はカメムシが異常に少ない。去年はめちゃめちゃ多かった。11月頃になると,家の,あらゆる隙間(ほんの2ミリでいい)から室内に入ってきて,夜になって明かりをつけたり,暖かくするとブーンという大きな音を立てて飛び回るのだ。対策は二つあって,一つは掃除機で吸い取ること。もう一つは,ガムテープ(クラフトテープ)にくっつけてゴミ箱に捨てることだ。掃除機の場合は,強烈に臭うことがあるので,テープが正解かもしれない。一日10匹,1シーズンで数千匹のカメムシを始末することなど珍しくもない。一番困るのは靴箱の靴の中に入り込むことだ。それもベロの下に潜り込む。気づかないで履いていると,潰れて猛烈な悪臭が足から取れなくなることがある。よく電動ドリルに入り込んでいて,動かすと凄まじい臭いを出す。この臭いは本当に取るのが難しい。強烈なアルカリ洗剤やアルコールで拭き取っても,臭いが消えるのに時間がかかる。靴の中で潰したら凄まじいことになる。そのカメムシが,今年秋以降,信じられないほど少なくなった。実は,カメムシが激増したのは2007年頃で,それまでは,ほとんどいなかった。だから13年ぶりに,突然,激減したわけだ。その理由が分からない。夜になってもカメムシが暴れ出すことが,ほとんどないので助かってはいるが,なぜ突然いなくなったのか,理由が分からないと薄気味悪い。理由をいろいろ考えてみたのだが,可能性としては,夏の猛暑と冬の厳寒である。当地では40度を超えるような猛暑日があった。これがカメムシの生存限界を超えていたのかもしれないと思ったが,エビデンスが見つからない。冬の厳寒も,その前に激減しているので,おそらく関係ない。ただ,カメムシは厳寒の度が過ぎると,寒さを避けて隠れていても凍死してしまうのだ。もう一つ,昨年は,ムカデが頻繁に室内に侵入したので,オルトラン粒剤を床下や周辺に散布した。ムカデが増えた理由は,洗い場の配水管が外れていて,汚水が床下に流れ出ていたことによるものだが,家の前の畑には散布していないので,これも無関係だろう。このカメムシの激減現象の謎は容易には解けそうもないが,とても興味深い。なお,カマキリの卵と積雪の関係にも関心を持って確認したが,相関性は確認できなかった。
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我が家のトイレは完全自作で,私の学問的興味から,浄化槽を二カ所,製作し,微生物分解実験を17年間続けている。このトイレは一度も汲み取りをしたことがない。すべてEM菌培養液で浄化して,浄化水は畑に流している。以前は,側溝に流していたが,下流で,途絶えていた蛍が復活した。EMの浄化力は凄いものだと何度も実感している。
浄化槽は,いくつかの槽に分かれているが,実際には,飲用水準を目指さない限り,二つあれば十分だ。一次屎尿槽と二次攪拌槽だ。一次槽に貯まった屎尿は,絶え間のない曝気ブロアーによって酸素を補給されるとともに,気泡の圧力で細かく分解される。そうして水洗便所なのでオーバーフローした汚水が二次槽に入る。二次槽では,1時間に10分だけブロアー曝気させ,50分は静置している。これは,嫌気性バクテリアを働かせるためだ。曝気とともに,汚泥ポンプを使って,一次槽に汚水を激しく戻している。汚泥ポンプの水流が,屎尿とトイレットペーパーの混在した汚水を,さらに細かく分解する。このとき,分解が不十分だと,トイレットペーパーが汚泥となって浮いてくるので,ポンプのストレーナーを掃除したり,培養液を追加したりして対応する。培養液の量は,初期量で100㍑あれば多すぎるほど,数ヶ月後から毎月数回,培養液を5リットルずつ追加してゆく。私はEM培養液を毎月20リットル作るようにしている。今は,モルトはサン興業のEMスーパー1号を40度の湯20リットルに対して0.5リットル投入,糖蜜が1.5㍑程度だ。これを暖かいところに置いて毎日攪拌,10~20日で完成し,数ヶ月は使える。もちろんだが,悪臭は皆無。オーバフローして出てくる浄化液は,飲用にするには,もう数段の浄化装置が必要だが,手を洗っても汚くないレベルまでには浄化されている。これを畑に直接流している。同時に台所排水も流しているので,こちらは塩害や油害などが出てしまい,少し作物にはマイナスになっている。時間をかければ,おそらく完全分解するはずだ。私は,このシステムが,観光バスやキャンピングカートイレとして利用可能だと思っていて,実験を続けている。ただし,車載浄化槽では,屎尿やトイレットペーパーを小容積で分解するために,特別のジェット放射が必要だと思っている。とにかく,短時間で分解させるために,屎尿を極限にまで細かく分解し,EM培養液を作用させ,強烈に曝気する。排水槽で,嫌気分解させて,すこしずつ車の下で流すようにすればいい。昔,国鉄がやっていたような生々しい垂れ流しではない。もう少し分解させれば飲用可能なほどの清浄な浄化水だから,路上に静かに垂れ流しても問題は起きない。エアコンの放水とほとんど変わらない。EM分解トイレが普及しない事情として,これを「ニセ科学」と決めつけている片瀬久美子らのグループがいて,盛んに悪意のある宣伝を続けている。論文を見たが,彼女らのグループで,エビデンスになるような厳密な実験を行った形跡はない。
私のように,直接屎尿を分解させたことも皆無だ。こんな軽薄な連中を信用してはならないが,結構,ニセ科学論が出回っていて,企業の研究者も敬遠気味のようだ。ちょうど,私に対する誹謗中傷が功を奏して,私を信用する人が少ないのと同じだが,いずれ真実が明らかになる日が来るだろう。私は,名誉も金儲けも興味がないので,無理に評価されたいとも思わない。
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腐食と凍結
2019年10月31日 (木) 18:45
カテゴリ : 未分類
自分で家を建てて,田舎に住むのは憧れのライフスタイルの一つだ。ましてや,先日,川崎市,武蔵小杉の47階建て超高級マンションが浸水して,水もトイレも使えない状態が長く続いているニュースを見ると,誰でも,現代文明の想像もしていなかった脆弱性に恐怖し,安全な高台の一軒家に住みたいと願うのが当然だ。
https://dot.asahi.com/wa/2019102100111.html?page=1
そんな手作りの田舎の一軒家暮らしで,問題になることを挙げてみたい。
私が,中津川市の過疎山村に移住したのは,2003年秋で,ちょうど今年で16年になる。来年は17年目だ。
最初は,7畳仕立ての安価な(最低ランキング=37万円だった。これは販売会社に欺された高値で,実際には30万円以下で流通している)スーパーハウスを,4トン車で搬入し,ユニッククレーンで,ブロックを並べただけでポンと置いて使用した。
これは断熱能力がひどく低くて,窓が一カ所しかないので,夏場は蒸し風呂だし,冬は外で寝てるのと,まるで変わらなかった。
私は,当時,腎臓機能が悪化していて,まともに仕事ができず,貯金も使い潰してしまっていたので,実父が心配して資金援助してくれた。今は存在しないが,「脇坂建築・プチハウス」という名で,加子母の業者が販売しているログキットだった。
完全な地元の杉間伐材で,価格は12畳で100万円程度,さすがに良質の国産材なので,未だに問題なく住んでいる。
建設組立は一人で行い,体調が悪かったので約一か月を要した。健康なら十日もあれば十分だと思う。完成後は,しばらく寝込んでしまった。これは,間伐杉材をログ羽目板に加工してあり,溝に重ねながら,長いコースレッドで止めてゆくものだ。木材は狂うので,一人だと,相当に手こずることが多い。(病人一人暮らしのゴミ屋敷なので,気分を悪くさせて申し訳ない。出っ張りは二つとも水洗トイレだ)
ログの厚さは4センチだが,杉の断熱性は頗る良好であり,スーパーハウスの鉄板家屋から移動すると,その有り難みが身にしみる。
何せ,厳冬期はマイナス10度以下にも冷えるから,布団から顔が出ていると痛くて寝られないほどなのだ。寝るときも羽毛服を着込んでいた。
建設後,15年以上も,目立った腐食も変形もなく住み続けられるのは,材料が良いのと,最大の理由は,高床式にしたことだと考えている。高床式にしたのは,地盤が平坦ながら,地面が湿地模様だったので,腐食を防ぐためだった。建築工事用の足場パイプを,トラスに組んで高さ2mの空中床面を作り,その上にログキットを組み立てた。湿気の多い地面から2m近い高さに床面があるので,湿気腐食は,ほぼパーフェクトに抑えされている。
当地は山の斜面なので心配ないが,水浸の心配のある凹地に家を建てる場合は,土盤を嵩上げするよりも,むしろ,通気性の良好な高床にするべきだと思う。2mあれば,ほとんどの洪水浸水にも耐えることができるだろう。鉄パイプ足場は,非常に安価であり強度も耐久性も高い。
12畳の家,1軒分の高床でも,費用はクランプ金具コミで20万円前後で済んでしまう。また,強度も組み方次第で自由自在だ。建築現場みたいで,みっともないと見栄を張りたい方には,化粧材で覆って,鉄パイプを隠すことも可能である。
ただし,問題がある。それは冬の寒気だ。北海道では,まず絶対に高床式は採用されない。それは,床下を吹き抜ける寒気が,家屋内をひどく冷やすからで,当地のように冬期マイナス10度以下になる地域では,必ず床面に厚さ5センチ以上の,スタイロフォームという断熱材を敷設しなければならない。そうしても寒いことは寒いが,薪ストーブのおかげで耐えられている。また,当地のようにガンマ線量の高い地域では,家の床面を高くするのは遮蔽のために重要である。
近所の蛭川一色という寒い場所に,10年ほど前,二軒の新築分譲家屋が建設された。おそらく地元の業者ではあるまいと思ったのは,それが吹き抜けの高床式だったからだ。地元の大工なら,湿地でない限り高床式は採用しない。たぶん名古屋あたりの寒さを知らない無責任な業者が設計したのだろうと思ったが,建設途中に中断してしまい,倒産したのだと思った。この家は転売されてネット上でも安く販売されていたのだが,数年前に二軒とも買い手がついた。しかし,どう見ても居住者は,ひどく寒い思いをしているはずだ。断熱材も,最低厚さ5センチ必要なのだが,入っているようには見えない。
こういう場合の対策は,吹き抜けの周囲を,冬場だけベニヤ板で覆ってしまうことである。風を遮断すれば,大幅に暖かくなる。家屋本体は,高床のおかげで腐食も少なく,安定しているが,風呂用に20万円で入手したプチハウス3畳は,さすがに水分浸食を受けて,腐食し,今は困った状態になっている。
東海アマ
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今日は散歩の話など
2022/05/0517:18 - -
私の住む中津川市は,登山道の宝庫だ。コースタイム30分から10時間まで,よりどりみどり。我が家から車で30~60分程度で行ける登山口が,たぶん50カ所くらいはある。私は,若い頃から,蛭の少ない,この周辺の山々が好きで,年を取ったなら必ず中津川市界隈に住むつもりでいて,それが実現できた。
私が,間質性肺炎=IPFになったのを確認したのは,たぶん2014年くらいだが,その頃には,わずか2メートルの階段を一気に駆け上がることさえできなくなっていた。原因は,たぶん名古屋(大気汚染)公害のせいで若い頃から喘息(アトピー)体質になっていて,大型トラックの配送運転手をやっていたとき,助手が吸うタバコの副流煙によって,喘息が悪化して仕事を辞めたのだが,一度体質化してしまうと,何かことあるたびに,喘息が蒸し返されていた。
ある夏,浄化槽や向かいの池に,ユスリカが大発生して,その死骸粉末を吸い込んだことがきっかけで蜂巣肺=肺線維症に至った。呼吸のたびにバリバリ・ブツブツと音(ベルクロラ音)がして,激しく息切れを起こすようになり,調べてみれば,回復の見込みもない進行性の重篤疾患で,指定難病にもなっていた。ほとんどの場合,発症から五年程度でお陀仏になると書かれていた。「こりゃ,一巻の終わりだ……」と覚悟したのだが,診断要件に,X線CTと穿刺細胞診が挙げられていたのを見て,若い頃から放射線生物学を学んでいた私から見ると,この致死要因は,たぶん医原性=つまり,30ミリシーベルトにも及ぶ被曝と,穿刺によるサイトカインストームであるように思えた。また,ステロイドの非常識な多用も,リバウンドを考えない医師の自己満足にしか見えなかったので,「これじゃ治るはずがない……」と思った。
だから私は,絶対に医師・医療を利用しないことを決意し,文献を調べまくって,本当に治療効果があるのは,「呼吸トレーニング」であることに確信を持った。このとき,私は,自分が結婚して家族を持たなかったことの意味と,若い頃から山登りに夢中になって,1990年には日本百名山を完登した自分の人生の意味を悟った。
私は,子供の頃から不思議な予知能力があって,自分の運命が数年も前から見えてしまうことがある。例えば,東日本大震災の数ヶ月前から,私が凍結路で事故を起こすビジョンが見えていて,震災の半月ほど前に,それは見事に100%実現した。また,この年の正月,横向温泉中ノ湯に湯治宿泊したのだが,このとき,旅館の廊下で転倒し,尾骶骨を骨折していて,ものすごく嫌な予感が続いていた。何か得体の知れない不安感に苛まれる毎日だったが,その事故は,2月末に,とうとうやってきた。このとき,瑞浪市の屏風山の凍結路で車が回転してガードレールにぶつかり,鎖骨を四カ所粉砕骨折した。救急車で運ばれた病院(東濃厚生病院)は大外れ。磯部という整形外科担当医は,「態度が悪い」という理由で,まともに歩くことさえできない私の手術を拒否し,転院先も紹介せずに追い出した。私の一生で出会った最悪の医師であり,このときから医療に対する絶対的不信に陥った。今でも,私の左肩には,盛り上がった偽関節があって,ときどき激痛を催すため,まともな仕事につけないでいる。
ほとんどの予知ビジョンが,その通りに実現してしまうのだが,一度だけ,自分が青いバイクを運転中に,トラックに引っかけられて後輪に巻き込まれて潰される鮮明なビジョンが見えたにもかかわらず,実現しなかった。自分の予知にも実現しないものがあることを,そのとき知った。「どうやら,予知した未来を変えられるかも知れない」とも思った。
私が中津川に移住した本当の理由は,もしかしたら,将来,間質性肺炎になることを無意識に予知していて,それを克服するために,登山に邁進し,また家族を持たなかったのかもしれないとも思った。間質性肺炎の治療文献を調べてゆくと,「呼吸トレーニング」の成果について希望にあふれた肯定的な意見が多い。他の治療法,ステロイドや,ニンテダニブ・ピルフェニドンでは,完治の報告はなく,結局,時間伸ばしだけで患者が死亡するデータしか存在しない。そのとき,私は中津川市に住んでいることの本当の意味を理解したのだ。
ここは,呼吸トレーニング場の宝庫なのだ。高さ2メートルで息を切らしていた段階から,普通の登山に近い本格的な段階まで,たくさんの治療用ルートが用意されている。また一年中,深い緑や素晴らしい自然環境のなかで,交通事故の心配もなく,ストレスなく歩き続けることができる。もしかしたら,私と同じような呼吸器系疾患に苦しんでいる人に治癒のデータを提供できるかもしれないと思った。呼吸トレーニングといっても,早い話,歩いて強めに呼吸するだけの話だ。最初は平地で,数千歩程度だが,私の場合は,まるで蒸気機関車のように激しく呼吸しなければ,前に進むことさえできなかった。ただ,苦しみながら強めの呼吸トレーニングを繰り返すことで,夜,寝ているとき,布団のなかで呼吸不全に陥って起き上がってしまうことが非常に少なくなったことで,希望が持てて続けることができた。そして,呼吸に負荷をもたらす,坂道やザックに背負う荷物を少しずつ増やしていった。
最初の三年程度は,おおむね7000歩,標高差が100~200メートル,1時間半~2時間を目安に,雨の日も毎日休まず歩き続けた。利用したコースは,主に,苗木「夜明けの森」高峰湖周辺コース(海抜380メートル)である。ここは,入門が高峰湖一周30分コースで,これを三回回れば7000歩くらい歩ける。 慣れてくれば,高塚山487メートルやチン湖ルートを加えてゆき,最大1万歩,標高差150メートル程度をとれるが,春先は,目を見張るような美しいツツジのプロムナードになる。夏場は蜘蛛の巣や害虫が多いので,私は1000メートル程度の高所ルートに変える。ここを苦しまずに歩けるようになれば,次は,この上にある高峰山コースが良い。 高峰山944mは,鎮野峠に車を置いて,2時間,9000歩,標高差200メートルのコース。登り始めは,呼吸器疾患の患者にとっては苦しい急登が続く。高峰山からの下山コースは,林道開発のためズタズタにされてわかりにくい。私がつけた標識テープもなぜか,ほとんど捨てられた。山頂まで50分の標識があるが,実際には1時間でも困難だ。コンパスを持参して,変なところに引き込まれないように歩く。
暑くて虫の多い夏場は,やはり1000メートルを超すような散歩道がよい。
整備された登山道としては,笠置山や二ツ森山,根ノ上高原が良い。以下は笠置山,姫栗林道と川向林道の交点に「望郷の森」駐車場があり,ここに車を停めて,尾根コースで山頂まで45分程度,下りは林道を利用すれば,1時間半に満たないが,海抜1000メートル,標高差200メートルの良いコースがとれる。(黄色線)途中の丸太土留め道は邪魔で苦しいが,脇に丸太を外した踏み跡も多いので,そちらを利用する。笠置山とほぼ同じような標高で,すぐ隣の山,二つ森山も眺望の素晴らしい名山だ。一番近いフォレスト観光道は駐車場から山頂まで30分程度。切越峠から尾根道経由で山頂まで,標識には50分とあるが,実際には2時間近くかかると思った方がよい。中津川市の道程表示は昔の屋久島地図と同じでメチャクチャなので信用してはいけない。切越尾根ルートからの帰路は,大楢ルートと,林道ルートがある。本格的登山を覚悟しなければ行けないきつい道だ。
あとよく使うルートとしては,瑞浪市屏風山800メートルがある。下の概念図の黄色いルートは,大草から北側の登りは危険な急登が続く。同じ大草への下山も膝を痛めやすいが,標高差350メートルあり,往復2時間以上は見なければならない。大草の登山口は,実にわかりにくい。聞けるような家もない。地図を正確に読まなければならず,北側の急登の入口も,送電線巡視路を利用しているのでわかりにくい。呼吸器疾患者が最初から行けるようなルートではないが,いつかは挑戦しなければならないだろう。
平坦で,夏場は涼しい900メートルの高原散歩道が,根ノ上高原だ。根ノ上湖と保古湖を全部まとめて周囲を歩くと,ちょうど1万歩,標高差が100メートルほど,100分程度のルートになる。ほとんど日陰なので,それほど日焼けもしない。快適なルートだが,車道が多いので,ときどき車がうっとうしい。それに,道標の整備が悪く,道に迷うことが多いので,何回か通う必要がある。このような散歩ルートを毎日歩いていれば,必ず不治の肺病=間質性肺炎も,蜂巣化して失われた肺胞細胞が再生されて,相当に呼吸機能が改善されることは,私の経験が保証する。IPFの診断で,余命5年であっても,必死になって呼吸トレーニングすれば,寿命まで生き延びる可能性もある。
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