1996年7月30日火曜日
[機器][携帯電話] PanasonicデジタルムーバP(MA841DムーバG), 1996年
18年前のたからもの
2014/6/27(金) 午後 11:40 日々のくらし 熊本県
2階のクローゼットを片付けてると、懐かしいモノが出てきました。
古いケイタイデンワ。
私にとって2台目の携帯電話だったと思われる、パナソニックのデジタルムーバP。1996年製です。
最初に10万円オーバーで買った(って言うかこの頃はまだ機器はレンタルだった)日本無線製のアナログムーバRから機種変更したんだったと思います。ってコトは最初のアナログムーバRはかなり長期間使用したってコトになりますね。アナログの機器は殆どのユーザーがレンタルで使用していたハズなので、お手元に残ってる方は稀でしょう。私もアナログムーバRは機種変更の際にドコモの窓口で回収されました。
アナログムーバの頃から使ってた革のケースに入った状態で発見されました。ちなみに「機種変更」って言うことばが出来たのは、この頃だったと思います。私の場合この機種以降スマートフォンになるまでの間、ほぼ1年~長くて2年のペースで機種を交換して来ました。一時期携帯電話販売の仲介をしてた頃がありましたので、他のかたよりはハイペースですよね。
まだこの頃は機種名(P101とかそういう呼称)は本体に書いて無いです。ただ「P」と。
デンチを外してみると、正式名称は「MA841DムーバG」って言うらしい。Gってのはたぶんゴールドってコトかな?黒一色だった携帯電話から初めて色が付いたヤツじゃ無かったかなー?確かシャンパンゴールド、とか。勿論まだIモードとかありませんよ。
そういえば、もう20年以上も携帯電話ってキカイのお世話になってるワケです。
相当便利になったなーって感謝する反面、こんなモン発明したヤツを時々恨んだりもします(笑)
おやまの車庫
https://oyamanotanchan.blog.fc2.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/oyamanotanchan/40005722.html
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c2-73/oyamanotanchan/folder/547159/22/40005722/img_0
1996年7月12日金曜日
[機器] IBM Aptiva H5E
[機器] IBM Aptiva H5E
[Aptiva H5E]
製品紹介
購入は、96年の11月。
買った直後にMMXのCPU搭載モデルが登場して、 結構悲しい思いをしました。
まぁ、製品使用を見ていただけば判るとは思いますが、 この機種、ベースクロックが60MHzなので、オーバードライブプロセッサーを積んでも180MHzにしか ならないのです。
仕様
CPU:Intel Pentium 150MHz
Memory:96MB(標準:16MB)
Disk:2.5GB x2(標準:2.5GBx1) WesternDigital社製 WDAC22500
Modem:なし(標準:IBM MWAVE)
Sound:CreativeLab AWE64Gold(標準:IBM MWAVE)
LAN:ELECOM Laneed 10Base2/T(PCIバス)(標準:なし)
注)IBMのMWAVEのカードは外しました
PC
http://www.geocities.co.jp/SilyconValley/1051/pc.html
http://www.geocities.co.jp/SilyconValley/1051/newpc.html
The Graceful
http://www.the-graceful.com/
HDDから直接・・・
2015/5/31(日) 午前 9:36 媒体 練習用
17年位?前のIBM Aptiva
起動させるとWindows98
データやり取りの媒体としてFDD主流
USB挿せるが認識せず
やむなく開腹手術
HDDを摘出し
例の便利ツールでデータ取り込HDD戻して縫合
あとは適正な処分方法で・・・
物に感謝しつつ
見栄晴の場合
https://blogs.yahoo.co.jp/b318_jm/65394048.html
不可思議の正体こそ「運命」のなせる技・・・。
2005/7/22(金) 午前 2:32 人間とは。 その他文化活動
皆さん、身の回りのものを見てください。あなたの周りにある全ての物にも運命があるのを感じますか。
私が今、使用しているパソコンはIBMのAptivaという古い物です。
でも、このパソコンと同機種のほとんどのものが現在は廃棄されています。
にもかかわらず、私に縁があったこのパソコンは古いものですから、
立ち上がって最初のトップ画面が出るまで「ブィー」という凄い音をあげながら、2~3分もかかってしまいます。
それでも使えるうちは使おうと愛用しています。
パソコンにもちゃんと大事にされる、されないという運命があるのです。
いつもお世話になっている紙はどうでしょう。
同じ紙なのに、お尻を拭いて捨てられるトイレットペーパーも紙ですし、毎日入ってきては捨てられるチラシも紙ですし、皆さんが後生大事にしているお札もまた、紙でできています。
紙にもちゃんと大事にされる、されないという運命があるのです。
それを踏まえて人間には運命はないのでしょうか。
もう一度、繰り返します。
今日、ただ、道を歩いていただけで、あなたも私も無意識の内に何匹の蟻を踏み潰したでしょう。
ただ、道路を歩いていただけで。
蟻にもちゃんと運命があるのです。
森羅万象すべてに渡って、宇宙も蟻も私たちもすべて必然の運命があるのです。
ただ、他の生物と私たち人間の決定的違いは運命を感じることができるか、できないかだけです。
ですから、私たちは素直に「運命」を受け入れ、尚且つ「運命」に左右されない強い意志を持たなければいけない、と思います。
「運命」さえも変える力を私たちは内在してていると聞きました。ただ、それに気付かないだけですから。
大人の学校「ケロッグ魔法学院」
https://blogs.yahoo.co.jp/big1win/7569450.html
サーバーセットアップ
2005/3/2(水) 午後 11:26 無題 練習用
■サーバスペック
IBM Aptiva Eシリーズ:2196-47J
AMD-K6-2 533
メモリ:512MB(256@2枚)
HDD:シリアル80GB(FedoraCore3:40GB/Windows XP SP2:40GBのデュアルマシン)
psbbsan
https://blogs.yahoo.co.jp/psbbsan/296319.html
■パソコンの登場
しかしダウンサイジングの主役はいまや超小型機種のミニコンではない。もっとコンパクトな,パソコンやワークステーションと呼ばれる卓上機や卓上に乗るほど小さなコンピュータである。成り立ちからいえば全く新しいコンピュータと言った方が適切かも知れない。パソコン,ワークステーションの歩みは大手主導の歩みから寄り道したところで始まったものだからだ。
半導体開発はIC時代を迎えて,ますます集積化が進み,LSIから超LSIへ,さらに超々LSIチップ(半導体の小片)へと歩みを進めていった。
その過程でひとつの製品が生まれた。ひとつのチップの上に,コンピュータの基本的な能力である演算処理機能を詰め込んだ「マイクロ・プロセッサ」と呼ばれるものである。このマイクロ・プロセッサを中心に作られたのが,個人用のコンピュータ「パーソナル・コンピュータ」つまりパソコンである。
マイクロ・プロセッサが一回にデータ処理できる能力によって,パソコンは4ビット,8ビット,16ビット,32ビットのものが実用化されている。現在の主流は16ビットで32ビットはパソコンの上位機種で使用されている。
「高性続コンピュータを開発するためには,演算素子に優れた半導体を必要としたが,逆に高性能な半導体から生まれたコンピュータが「パソコン」なのである。ありていに言えば半導体のお化けがパソコンである。
そのパソコンの頭脳マイクロ・プロセッサを1971(昭和46)年に開発したのが米国の大手半導体メーカー・インテルである。
■Apple
しかし実際にパソコンを開発し,そのブームの火付け役となったのは半導体メーカーでもIBMなど大手のコンピュータ・メーカーでもなかった。米国の半導体産業のメッカ・シリコンバレーには半導体メーカーやコンピュータ・メーカーだけでなくコンピュータの力の虜になった個人が引き寄せられていた。「ハッカー」と呼ばれたコンピュータ・
マニアたちは,シリコンバレーに集まっては各人の手作りコンピュータの品評会のようなものを開催したりして交流を続けていた。彼らの関心はメーカーのお仕着せのコンピュータではなく,自分たちに必要なコンピュータ,個人が無料で利用できるソフト開発など誰もが使いうるようなコンピュータを誕生させることであった。
そのようなコンピュータ・マニアの中にスティーブン・ウォズニアックとスティーブン・ジョブスという二人の若者がいた。彼らこそが世界最初のパソコンを開発し社会に送り出した張本人である。
ウォズニアックが最初に開発した「アップルI」は回路基盤だけのコンピュータだったが,仲間の間ではさいわい高い評価を得た。そこで二人はアップ
ルの商用化に乗り出すことにしたのである。
1977年,ジョブスが愛車を,ウォズニアックが計算機を処分して得た千数百ドルを元手にニ人は「アップル社」を設立した。パソコンが個人的趣味からベンチャービジネスに変化した瞬間である。会社の研究所兼事務所はジョブスの父親のガレージを改造したものだった。
そしてそのガレージからパソコンの大ベストセラー機「アップルII」がその年の6月に誕生した。軽量プラスチック製の本体に,洒落たデザイン。それまでの手作りコンピュータとは全く違った新しい機械だった。パソコンが「商品」として社会に登場したのである。
アップルIIは,誰もがコンピュータを使えるようにしたという点において画期的な製品であった。発売以来アップルIIはパソコンの愛好者を開拓しまたたく間にパソコン市場を席巻した。 アップル社はガレージ企業から10億ドル企業に急成長しパソコン界のIBMとまで言われるようになった。
パソコンが普及するにつれ,それまでコンピュータが持っていたイメージはがらりと変わった。何か得体の知れない貴重で高価な機械,あるいは大企業の奥の部屋にデンと据えられている計算機で,使用する者はわざわざその部屋まで出向かなければならないというのがそれまでの一般的なイメージだった。しかしパソコンは個人の机の上に乗り使い方も夕イプライターに似たキーボードを叩くだけで使える。機器というよりも日常的な道具であっ
た。それゆえ親しみ易いイメージを持たれるようになった。
1981年4月,「黄金の80年代」の始まりとともにIBMはパソコン市場への参入を発表した。それまでパソコン事業には進出しないと公言していたことを考えるなら,大型汎用機を中心にビジネスを展開してきたIBMにとって,当初はパソコンはコンピュータの玩具にしか思えなかったのであろう。
■IBM-PC
スタートが遅れたものの,IBMが市場に送り出したのが新型パソコン「IBM・PC」だった。3年後,IBMはパソコン市場で業界トップのアップル社のシェアを抜いた。コンピュータ業界の巨人の底力を新興メーカーに見せつけた瞬間であった。
IBMのパソコン分野参入は,とかくマニアの世界の遊び道具と受け取られがちであったパソコンをビジネス分野の製品として社会に認知させる役割を果たした。「あのIBM」が事業として取り組んだという事実が,パソコンに社会的な意味づけを行う効果をもたらしたのである。それにともないパソコン市場には新規参入が相次いだ。
■MS-DOS規格登場
IBMの成功にはいくつかの伏線があった。なかでもパソコン分野に新規参入するさい,従来とは全く違う手法を用いたことである。IBMはパソコン事業を担当するセクションとしてIBMの経営組織に束縛されない一種の独立部隊を編成した。そのうえで全
ての権限を与えたのだった。IBMは本社→地域統括会社→各国IBM(現地法人)という経営組織をタテ軸にして世界120ヵ国以上の営業拠点を統括するとともにビジネスを展開していた。またIBM本社に直轄される形で世界市場を製品別に担当する開発・製造組織がヨコ軸として大型機種,中型機種,小型機種,周辺機器といった分野を担当する開発・製造のセ
クションが全世界のそれぞれの市場に対して責任を持つわけである。IBMでは「マトリックス」とよばれる組織編成である。
マトリックス編成は縦横の相互チェックを行い安定した品質の製品を市場に送り出すことが出来るが,反面決定まで時間がかかるという致命的側面も持っていた。素早い対応が求められるような新製品開発などの場合にはもっとも不向きな体制であった。
その点マトリックス経営から離れた 独立部隊にパソコン市場参入の全権を与えたのはIBMの見識であった。それまでと違って不安定な個人需要の動向を常に注目しながら,身軽な方向転換を要求されるパソコン市場ではIBMの独立部隊はもっとも相応
しい組織といえた。
その軽快な経営組織が選んだ戦術は,これもまた従来のIBMからは考えられないきわめて異例なものであった。IBMは「自前主義」を原則としている。米国の他のコンピュータ・メーカーと違って,システム/360以来,半導体部門を内部に抱え半導体を自前
で開発してきたように,全て自社製品でコンピュータを生産しているのである。だが,パソコンでは基本ソフトの開発を自前で行わなかった。独立部隊であるがゆえ既存の開発組織を利用しにくいという面もあっただろうが,それにしても選んだ基本ソフト「MS-DOS」は、ビル・ゲイツという20代の青年が社長を務める新興ソフトメーカー「マイクロソフト社」の開発したものだった。その頃はパソコン用の基本ソフトとしては,デジタルリサーチ社の「CP/M」が君臨していた時代である。実績,安定性からいえばデジタルリサーチ社の基本ソフトを採用するのがベターな選択であろう。しかし独立部隊はマイクロソフト社を選んだ。そのうえパソコンの頭脳であるマイクロ・プロセッサも自前のものでなくインテル社が開発したものを使用したのだった。
しかし独立部隊の開放主義はそれにとどまらなかった。IBM本社の閉鎖主義とは反対にIBM-PCの仕様までも公開したのである。IBM互換機を認めた,いや積極的に推進したのである。皮肉なことに汎用機部門で互換幾叩きを始めたIBMが,パソコン部門ではなんと最初にオープンシステムを実現したメーカーになっていたのである。
独立部隊が示したこのオープン性によって,パソコン市場は一挙に活性化した。巨人IBMのパソコン市場参入を契機にパソコン・メーカー各社もMS-DOSを採用し一斉にIBM互換機を開発しだしたのである。まさに勝ち馬に乗れというわけだ。たちま
ちIBM-PCとその互換後はパソコンの完全な基準となっていた。.....
■IBMの采配
ここでIBMはジレンマに陥る。IBM-PCがパソコンの標準になったとはいえ,その基本ソフトは他社製品である。パソコンに採用されている基本ソフトの9割近くを占めるようになったMS-DOSは,マイ
クロソフトという特定のソフトメーカーが全ての権利を保有している商品なのである。その点では本当の意味でのオープンシステムとは言い難かった。
基本ソフトで,IBMは,大型汎用機分野におけるアムダール社と同じ立場にあった。そしてパソコンの分野でIBMの立場を占めていたのはマイクロソフト社だった。パソコンの分野ではIBMはハードウェア・ビジネスしが展開していなかった。IBM-PCは急速に売上を伸ばし,たしかに1985年には大型汎用機のそれに迫る勢いを見せた。しかし利益面でいえば,大型汎用機の足元にも及ばなかった。というのは,パソコン分野ではIBMはアセンブル・メーカーに過ぎなかったからだ。もっとも美味しい部分は,まずマイクロソフトのものとなり,次にインテル社に,そして最後に残された少しの果実がIBMへ,というのが現実であった。
パソコン分野の売上高が急伸したことでIBMの姿勢に変化が現れた。独立部隊は解散させられ,パソコン事業はIBMのマトリックス経営の組織に組み込ま
れてしまうのだ。そして仕様は非公開に改められた。IBM本来の閉鎖主義にパソコン事業も染められていったのである。
IBMは独自の基本ソフトの開発に乗り出した。そして大型汎用機分野で成功した手法をパソコン分野にも持ち込むのである。
だがIBMの既存組織が取り組むようになるとパソコン部門の伸びは減少傾向に転じてしまった。IBMからのシェア奪回をめざしたアップル社の新型パソコン「マッキントッシュ」に反撃されたという側面もあるが,それ以上に動きの早いパソコン市場にIBMのマトリックス経営が追いつけず有効な対抗策をとれなかったためというべきであろう。
現在IBMはトップの座を死守しているものの二位のアップル社との差はきわめて接近したものになっている。そして10パーセント台そこそこのシェアしか持続できないIBMは,もはやパソコンメーカーとしてもワンオブゼムでしかない。.......
ー覇者の誤算,講談社文庫,立石泰則
yhjjuj pc
1996年6月19日水曜日
[機器][PDA] Poqet,Poqet PC(MS-DOS, Palmtop)
[機器][PDA] Poqet,Poqet PC(MS-DOS, Palmtop)
My Collection
Poqet PC (MS-DOS, Palmtop)
Kako's Home page
http://www.kako.com/
[機器][PDA] NTTドコモ Mobile-Z
[機器][PDA] NTTドコモ Mobile-Z
My Collection
Mobile-Z (SHARP ZAURUS PI-8000 compatible)
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[機器][PDA] Atari Portfolio(MS-DOS)
[機器][PDA] Atari Portfolio(MS-DOS)
My Collection
Portfolio (MS-DOS)
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1996年4月29日月曜日
[機器][アーケードゲーム] SEGA MODEL Series
CPU | Main | 32bit RISC PowerPC603e | Clock 100MHz |
32bit RISC PowerPC603ev | Clock 166MHz | ||
Sound | 16bit 68EC000 | Clock 11.3MHz | |
Memory | Main RAM | 8MB | |
ROM | 136MB(MAX?) small... | ||
Graphic ROM | 64MB(MAX) | ||
Sound ROM | 16.5MB(MAX) | ||
Backup RAM | 64MB (?) big... | ||
Graphic | Resolution | 496x384~640x480dot | |
Color Depth | 16,677,216(Max) | ||
Geometarizer | 1,000,000polygons/s | ||
Renderer | 60,000,000pixels/s | ||
Full Color Texture Mapping | |||
Tri-Linear Interporation Micro Texture | |||
Shading | High-Specular Gouraud Shading | ||
Fix Shading, Flat Shading | |||
Texture & Edge Multi Layered Anti-Allasing | |||
Lighting Effect | Parallel Light, 4 Spot Light, Pin Spot Light | ||
Special Effect | Zoning-Fog | ||
32 Level ob Translucenncy | |||
Sound | SCSP( YAMAHA FH1 128-step DSP ) x2 | ||
Sampling rate 44.1kHz | |||
16bit 64Voice 4Chanel | |||
MIDI Interface |
1996年ロッキードマーチン社との共同開発によるMODEL3
1996年 9 月STEP1.2 バーチャファイター3(MODEL3初タイトル)
1996年12月STEP1.5 スカッドレース
1997年STEP2.0バーチャストライカー2(?)
K.Inoue’sWeb
http://www2.plala.or.jp/k-inoue/
CPU | Main | 32bit RISC CPU | Clock 25MHz |
Sound | 16bit 68000 | Clock 10MHz | |
Co-Processor | FPU | 32bit | 16M FLOPS |
Operation | Froating Point, Stem Rotate, 3D-Matrix | ||
Memory | Main-ROM | 8MB | |
Main-RAM | 248MB(MAX) | ||
Sound-ROM | 16kB | ||
Sound-RAM | 5MB(MAX) | ||
Graphic | Resolution | 496x384dot | |
Color Depth | 65536(1024 Color Palette) | ||
Geometry | 300,000polygons/s 900,000vectors/s | ||
Rendering | 1,200,000pixels/s | ||
Scroll | 2 | ||
32768(128 Color Palette) | |||
Window | 2 | ||
32768(128 Color Palette) | |||
Shading | Flat Shading, Perspective Texture, Micro Texture, Multi Window | ||
Diffuse Reflrection Mode, Speculer Reflection Mode | |||
Sound | FM Sound | 6Voice LR2Chanel | YM3438 |
PCM Sound | 28Voice 2Chanel | Sampling rate 44.643KHz Quantization bit 18bit | |
MIDI Interface | |||
Acitve Serbo Speaker System |
マーチンマリエッタ(当時)との技術提携で完成したMODEL2
初タイトルは、デイトナUSA
K.Inoue’sWeb
http://www2.plala.or.jp/k-inoue/
CPU | Main | 32bit V60 | Clock 16MHz |
Sound | 16bit 68000 | Clock 10MHz | |
Co-Processor | FPU | 32bit | 16M FLOPS |
Operation | Froating Point, Stem Rotate, 3D-Matrix | ||
Memory | Main-ROM | 1MB | |
Main-RAM | 47MB(MAX) | ||
Sound-ROM | 16kB | ||
Sound-RAM | 5MB(MAX) | ||
Graphic | Resolution | 496x384dot | |
Color Depth | 65536(1024 Color Palette) | ||
Geometry | 180,000polygons/s 540,000vectors/s | ||
Rendering | 1,200,000pixels/s | ||
Scroll | 2 | ||
32768(128 Color Palette) | |||
Window | 2 | ||
32768(128 Color Palette) | |||
Shading | Flat Shading | ||
Diffuse Reflrection Mode, Speculer Reflection Mode | |||
Sound | FM Sound | 6Voice LR2Chanel | YM3438 |
Sampling rate 44.643KHz
MIDI Interface
Acitve Serbo Speaker System
初タイトルは、バーチャレーシング
K.Inoue’sWeb
http://www2.plala.or.jp/k-inoue/
■ARCADE
beatmania 3rdMIX DJ-Simulation KONAMI ★★★★★
あのbeatmaniaの続編。今回はスクラッチが大きくなったので、スクラッチしやすくなったり、Greatを連発すると、コンボ数が表示されるなどの改良点があります。前作の曲は、[Classic]と表示されています。アーケードに出てくる曲リストを作ったので、参考にしてください。曲リスト・裏技はこちらです。
beatmania 2ndMIX DJ-Simulation KONAMI ★★★★★
DJになりきれるゲーム。ルールは、上から降ってくるバーに合わせて、ボタンを叩き、ターンテーブルをスクラッチする、と単純だが意外にこれが難しい。リズム感がかなり重要。曲もある程度覚えていないとつらいかも。アーケードに出てくる曲リストを作ったので、参考にしてください。曲リスト・裏技はこちらです。
GET BASS Fishing SEGA ★★★★★
以前から1度やってみたくて、やったらハマってしまった魚釣りゲーム。専用コントローラ(?)で、遊べます。このゲームのコツは、やっぱり何種類かあるルアーの動きなんですが、どうもうまく魚に見せかけることができず、魚がルアーを食いついてくれません。練習用の100円か、よりリアルな200円を選ぶか。財布の中身次第ですね。
MOTOR RAID Action RACE SEGA ★★★★★
攻撃ボタンのあるバイクレースゲーム。レーサーはだいたい武器を持っていて、相手に迫ったり、後ろから近づいてきたら、「うりゃっ!」って攻撃する。当たるととても気持ちいいんです。ちょっと暴走族気分?また、アクセルを2回ひねると、ターボがかかるのもいい感じです。
電脳戦機VIRTUALON ORATORIO TANGRAM Action VS SEGA ★★★★★
前作よりもかなりPowerUPした。様々な移動パターン、攻撃方法、戦略性が増している。テムジンがレーザーをぶっ放すようになるとは思わなかった。CPUはAI搭載で、稼動すればするほど、個性がでてくるらしい。その方が面白いかもしれない。私のよく行くゲーセンでは、CPUのAPHARMD Bがかかと落しをやってきた。私のゲーセン歴でもっともコインを投入しているのでしょうか?といっても、1週間で2,3日、しかも1日2コインですが。
SCUD RACE RACE SEGA ★★★★★
高速速度によるハンドルが重くなるのがいい感じ。Graphicも最高です。ただレースゲームだけに、あまりじっくりは見ることはできませんが。私はあまりレースゲームをやりこんでないので、ほとんどまっすぐ走れないです。ちなみに初級を完走したことがあったか、なかったか。
VIRTUA FIGHTER3 Action VS SEGA ★★★★★
SEGAのMODEL3最初の作品。最初に画面を見た時に、感動した。凄すぎる。MODEL2なんか比較にならないぐらいに凄い。Graphic画面の端から端まで見てしまった。やりこんだわけではないので、詳しくは知らないのだが、CPU戦を初コインで、ノーコンティニューでクリアしてしまった。
STREET FIGHTER3 Action VS CAPCOM ★★★★☆
最初に超必殺技を1つだけ選択する変わった方式を採用。私的には、あまりいい感じがしない。やりこんだわけではないので、詳しくは知らないのだが、どうもいまいち。いままでのSTREET FIGHTERと何が違うのだろうか?いろいろなバージョンのSTREET FIGHTERがありすぎて把握しきれません。
K.Inoue’sWeb
http://www2.plala.or.jp/k-inoue/
けんちゃんの小部屋
http://www1.plala.or.jp/kencyan/gameroom/index.html
http://www1.plala.or.jp/kencyan/contents.htm
http://www1.plala.or.jp/kencyan/ge-sen-database/
1996年4月19日金曜日
[OS] Windows95 セットアップ
Windows95 セットアップ
~ 純粋な Windows 95 への道 ~
■準備
Windows 95 CD-ROM を用意(OEM 版)
キャビネットファイル解凍セットを入手(Lhmeltやcab32.dllなど)※3
ハードディスクにおよそ 60 MBの空き容量を確保
「Windows 95 起動ディスク」を必ず作成しておく。
Winsetup.bin および Dossetup.bin がどこにあるのか確認しておく(検索機能などで)
通常、X:\Windows\Option\cabs にある はず...(^^;
しかし、なければセットアップできないので、あきらめましょう...
■作業
Windows 95 CD-ROM の X:\Win95 のデータをディレクトリごとハードディスクにコピーします。
ただし、これから Windows 95 をインストールしていく領域にはコピーしません。
ここでは元データを、D:\Win95 にコピーするものとして進めます。また、Windows 95 は C ドライブにインストールしていくものとします。
次に先ほどの、Winsetup.bin と Dossetup.bin を D:\Win95 にコピーします。 (重要)
すでにこれらのファイルがある場合はここの作業は不要
D:\Win95 の Mini1.cab を「半解凍」または解凍します。
LHMelt をお使いの場合は、Mini1.cab を LHMelt 本体か LHMelt のショートカットへドラッグアンドドロップします。 するとこの cab ファイルに格納されているファイルが参照できます。(この状態で「半解凍」とする)
setup.exe を見つけだし、これだけを解凍します。(先ほど解凍している場合は「取り出します」)
解凍した setup.exe (5184 バイト)を D:\Win95 に移動します。
一応、Winsetup.bin と Setup.bin のバージョンが同じであることを確認しておきましょう...
(プロパティで確認)
※3 キャビネットファイルを解凍するツールをお持ちでない方は、 次に示すダウンロードサイトからダウンロードしてください。 LHMelt と LHAユーティリティ32 は「窓の杜」のダウンロードサイト一覧へリンクしています。 LHMelt と LHAユーティリティ32 のどちらか一方、または両方を、あなたにとって一番速くダウンロードできそうなダウンロードサイトからダウンロードしてください。 CAB32.dll は「統合アーカイバープロジェクト」から直接ダウンロードされます。
LHMelt
LHAユーティリティ32
CAB32.DLL
C ドライブに残留している保存しておくべきデータを全て C ドライブ以外の領域に待避させます。
(この先の過程で C 領域をフォーマットします)
Windows を終了します。
「Command Prompt Only」モードでコンピュータを起動します。※4
コマンドが入力できる状態になったら試験的に「D:\Win95\Setup.exe」 と入力してみます。
「Windows 95 Setup」の背景が出て、マウスが使えるようになるところまで無事に進んだら「セットアップの中止」を選択してセットアップを中止して Windows に戻ります。 (「Command Prompt Only」モードで起動した場合は「win」コマンドで Windows に戻る。起動ディスクから起動した場合は「Ctrl+Alt+Delete」で再起動。)
マウスが使えるようになるまでに何らかのエラーが表示されてセットアップが終了されるようであればとりあえず今回のセットアップはあきらめましょう。お疲れさまでした...
(ヒント:エラーの種類によってはエラーを無視して続行しても差し支えありません。ご自分でいろいろとお試しください...)
Windows NT を併用してお使いの場合
Windows NT をお使いの場合は、C ドライブをフォーマットすることで起動しなくなります。
予め、C ドライブ(C ルート=C:\)にある次のファイルを新しいフロッピィディスクにコピーしてください。
Ntdetect.com
Ntldr
boot.ini
bootfont.bin (日本語表記するためのものです。必須ではありません)
フォーマット後 Windows 95 をセットアップする前に Windows NT を起動する必要が生じたら、 このフロッピィディスクから起動します。 ただし、OS Loader で出てくる Windows 95 は Windows 95 のセットアップが完了するまでは当然起動しません。
このディスクを作成していない場合は、Windows 95 をセットアップ後 Windows NT の修復セットアップをするまでは Windows NT が起動できません。
この他、ここで「システム修復ディスク」を更新されることをおすすめします...
ここまでに問題なく進んだら、再度待避させておくべき重要データの残留がないか確認します。(Windows に戻って)
確認が終わったら、「Command Prompt Only」モードでコンピュータを再起動します。※4
コマンドが入力できる状態になったら C 領域をフォーマットします。(当然ですがフォーマットしたら次に Windows 95 をセットアップするまで Windows 95 は起動できません)
C 領域をフォーマットするコマンドは、「format c:」です。※5
フォーマットが完了したら、いよいよ Windows 95 のセットアップです。
「D:\Win95\Setup.exe」と入力します。
「Windows 95 Setup」の画面が出てきますのでガイダンスに従ってセットアップしてください。 (必要に応じて Windows 95 のマニュアル等を参照のこと)
※4 もし、新しいバージョン(OSR2.x)の Windows 95 を破棄して古いバージョン(a)の Windows 95 をインストールする場合は、 古いバージョンの「起動ディスク」から起動してください。
新しいバージョンの Windows 95 の「Command Prompt Only」モードまたは「起動ディスク」から古いバージョンの Windows 95 をセットアップしようとすると、 警告が出ます。(「無視」することで続行できますが...)
※5 フォーマット後何らかの理由でコンピュータを再起動する場合は、「起動ディスク」から起動します。
「起動ディスク」を作ってない場合は、この方法によるセットアップはあきらめましょう...
ぱらだいす
http://kusatsu932.tripod.com/win95/win95/win95_1.html
http://kusatsu932.tripod.com/index.html
OSR2のインストール
Windows95 OSR2インストール奮戦記
■前置き
このページは、「自分のホームページを持つようになったのはいいけど、いったい、どんなものを載っけたらいいんだろう?」と悩んだ末に、その時にちょうど四苦八苦してインストールをしたときのことをまとめたものです。当時は、Windows95 OSR2に関する情報がそんなになかったので、「それなら載せる意義があるかな?」なんて思い込んで作りました。
その後、Windows 98, 98 SE, Me…とリリースされ(別系統ではWindows NT, 2000, XPというものもあります)、このページの内容もかなり古くなってしまいましたが、でも、せっかく作ったページで、消してしまうのはちょっともったいないと思ったんで、こうして載せ続けています。
「内容が古すぎる」とか、「ホームページ用のディレクトリの空き容量が足りない!!」なんていうことがあるまで、このまま掲載しておこうと思います。実際、いまだに「Windows 95」とか「OSR2」というキーワードで検索エンジンを探して、私のホームページまでたどり着いてくださる方もいらっしゃいますし、それに、その他の OS(Windows 98/Me )の場合でも、もしかするとプリインストールモデルの場合には同じような壁にぶち当たるかもしれませんので……(未確認)。
Windows 95 OSR2とは?
Windows95 OSR2 (OEM Service Release 2)とは、96年11月末以降に新規出荷されたPCにバンドルされているWindows95のことです。
そして、その内容ですが、これまでにリリースされた修正モジュールに加え、Windows95発売後に登場した新しいハードウェア用のドライバなどが提供されています。
自分の持っているPCにプリインストールされているWindows95がOSR2かどうかを判別するには、システムのプロパティを調べればOKです。
システムのプロパティ
上の図のように、Windowsのバージョンが「4.00.950B」となっていれば、そのWindows95はOSR2です。しかし、バージョンが「4.00.950a」であれば、残念ながらOSR1(あるいは、OSRでない製品版のWindows95にService Pack1を適用しているWindows95)であることになります。
Windows95 OSR2の新機能は?
OSR2の新機能のうち、最大の目玉とも言える機能が、FAT32です。
OSがハードディスクを使用する場合、ハードディスクを1つ以上のパーティション(区画)に分割して使用します。
通常、1つのパーティションに対し、1つのドライブ文字が割り当てられます。
そして、パーティションの中に保存されるデータの最小単位(クラスタと呼ばれます)を管理するために使用されるのが、 FAT(File Allocation Table)と呼ばれるテーブルなのです。
OSR2以前のWindows95やWindows 3.x, DOSなどで採用されていたFAT16(16bit FAT)やFAT12(12bit FAT)では、管理できるクラスタの最大数は、FAT16では65,536(=216=65,536)、FAT12では4,096(=212) でした。
そして、最大クラスタサイズはFAT16で32KB、FAT12で8KBであったので、1パーティションの最大容量は、それぞれ2GB、32MB でした。
そのため、2GBを超えるサイズのハードディスクが搭載されているPCであっても、OSR2以前のWindows95インストールモデルでは、 2GB以下のパーティションに分割されて、出荷されていたのです。
パーティションの中に保存されるデータの最小単位をクラスタと呼ぶことは、前述の通りですが、このことは、「たとえ、1バイトのファイルを保存する場合にも、クラスタ単位のディスクスペースを消費してしまう」ということを意味します。例えば、パーティションが2GBだとすると、クラスタサイズは32KBになりますから、1バイトのファイルを保存させるために、32,767(=32×210-1)バイトも使用不可能なスペース(クラスタギャップ)ができてしまうことになります。
ですから、クラスタサイズが小さいほうが、ハードディスクを効率良く使用できることになります。
FAT32では、クラスタの最大数が4,294,967,296(=232)になるので、1パーティションの最大容量は2TBになります。FAT16の場合に比べて、クラスタの数を216倍も多く管理できるため、クラスタサイズを小さく抑えることができるようになり、クラスタギャップのことを、ほとんど気にしなくて良くなります。
クラスタの最大数が桁違いに多くなってしまう、ということは、その分、管理しなくてはならないテーブルが増えてしまい、管理領域のサイズや、処理スピードに対する不安が出てきてしまいますが、その辺は大変良くできていて、パーティションサイズに合わせて、適切なクラスタサイズを設定し、テーブル数を減らすことで、スピードを上げています。
Windows95 OSR2は、どのように入手できるか?
OSR2という名称が示すように、このWindows95は、OEM供給されるために用意されているバージョンです。
ですから、新規発売のPCにのみ、バンドルされるものです。
ですから、新しいPC(旧モデルではダメです)を購入しない限り、基本的に入手は不可能です。
OSを入手するには、MSDN(Microsoft Developer Network)のプロフェッショナルサブスクリプションにに入会するという方法があります。
MSDNとは、マイクロソフト社のOSに対応するアプリケーション開発者に対して開発環境や技術情報を提供する、会員性有償サポートサービスのことです(詳細はhttp://www.microsoft.com/japan/msdn/default.asp)。
しかし、現在提供されている最新のCD-ROMには、日本語版のOSR2は含まれていないので、今のところ、新しいPCを購入するしか、OSR2を入手する方法はないようです(注: これは、このページを作った1997年の2月中旬現在の話です。今はもちろん、含まれています)。
あなたが、販売店やメーカーなどに強力なコネを持っているならば、OSR2のCD-ROMを入手することができるかもしれません。しかし、OSR2をインストール(セットアップ)するには、実は、大変大きな壁が立ちはだかっているのです……。
Windows95 OSR2のインストール時の大きな壁とは?
「OSR2インストール時の大きな壁」とは、ズバリ!! OSR2のCD-ROMにはsetup.exeがないことです。
OSR1までのWindows95のCD-ROMには、セットアップ用のプログラムsetup.exeが含まれていましたが、OSR2のCD-ROMには含まれていません。では、なぜCD-ROMからのセットアップが不可能なのにCD-ROMが付属されているのでしょうか?
新しいハードウェアデバイスが追加されたり、ネットワークプロトコルを追加する場合に、組み込まれていないWindowsファイルをコピーする必要があります。その必要なファイルを供給するために、OSR2のCD-ROMは添付されているようです。
では、もし、ハードディスクの中身がグチャグチャになっちゃったりして、Windowsを再インストールしなくてはいけなくなった場合にはどうしたら良いのでしょうか?
OSR2がプリインストールされているPCには、OSR2のCD-ROMの他に、ハードディスクの中身を出荷時の状態に戻すためのリカバリ用のCD- ROMが添付されています。ですから、Windows95を入れ直したい場合には、このリカバリ用のCD-ROMを使用することになります。
しかし、このリカバリCD-ROMというヤツがちょっと曲者なのです。とにかく、「出荷時と同じ状態」に戻すためのものなので、Windowsディレクトリをデフォルトの「Windows95」ではなく、「Win95」というように変更したりできませんし、ハードディスクのパーティションやファイルシステムも、出荷時と同じでなくてはいけないのです。
OSR2バンドルのPCは、なぜか1パーティションが2GB以下の状態で出荷されています。しかも、フォーマットはFAT32ではなく、FAT16で行なわれています。
FAT32は、OSR2で新しく採用されたファイルシステムなので、Windows97が登場するまでは、OSR2でのみアクセス可能(Windows NTでも、FAT32のパーティションにはアクセスできません)なのです。ですから、従来のOSでも読めるように、という配慮からなのでしょうが、せっかくのFAT32を使えなければ、これでは宝の持ち腐れというものです。
そうなると、OSR2のユーザーは、ブートディスクであるCドライブをFAT16で使用して、Dドライブ以降をFAT32で使用するしかないことになります(実際、雑誌の記事などで、FAT32のことが取り上げられている場合にも、Dドライブに対してのみ、FAT32によるフォーマットを施していますからね)。
しかし、ちょっと工夫をすれば、FAT32でフォーマットしたCドライブに、OSR2をインストールできるのです。
OSR2をインストールする(その1)
まず、1つ目の方法が、もう1つハードディスクを用意して、そのハードディスクに対してFAT32でフォーマットを施した後、現在のCドライブの内容をそのドライブにコピーして、新しいハードディスクをCドライブとして使用するというものです。
ハードディスクの内容を別のハードディスクに移す方法については、橋本祐基さんの開いているホームページ「Win95J祐基のホームページ」(このページリリース当時の名前です。今は「Win98J祐基のホームページ」に変わってます)の中の「Win95 FAQ」で、「Windows 95を新しく買ったハードディスクへ移す方法は?」という項目で紹介されていますので、そちらを参照してください。
この方法を使えば、たしかにOSR2のブートディスクのパーティションを、FAT32にすることはできます。しかし、これでは、Windows95 OSR2を再インストールをしたことにはなりません。インストールディレクトリは相変らず、デフォルトの「WINDOWS」ですし、必要なオプションだけを選択してインストールし直すこともできません。また、出荷時にインストールされた不必要なファイルなども、残骸として残っているワケですから、おせじにも美しい状態とは言えません。
こうなると、何がなんでもsetup.exeを実行したくなります。しかし、肝心のsetup.exeはOSR2のCD-ROMには含まれていないのです。したいのに、できない。まさに生殺し状態です(ちょっと例えがヘンですね)が、どうしたら良いのでしょうか?
OSR2をインストールする(その2)
「なんとしても美しく再インストールしたい!!」と、悩んでいた私Hirochanでしたが、ふと、あることを思いついたのです。
setup.exeがないのなら、持ってくればいいんじゃないか!!!
実に単純な、「コロンブスの玉子」的な発想です。ないものは持ってくれば良いのです。では、その足りないものはどこから持ってくれば良いのでしょうか? 賢明な方はもうお気付きですね。そう、OSR1のCD-ROMから、セットアップに必要なファイルを持ってくれば良いのです。
Windows 95 setup (Intro.)
http://kusatsu932.tripod.com/win95/win95/win95_1.html
■Windows95 OSR2をCドライブにインストール
以下に、OSR1とOSR2のCD-ROMを使用して、OSR2をCドライブにインストールする方法を示します。
1. [コントロールパネル]-[アプリケーションの追加と削除]-[起動ディスク]から、Windows95起動ディスクを作成する。
2. 起動ディスクに、CD-ROMのドライバを組み込み、フロッピーディスクから起動した状態でも、CD-ROMドライブが認識できるようにする。
3. FDISKでパーティションを実行し、現在のパーティションをいったん開放し、パーティションを作成する。
4. フロッピーディスクからWindows95を起動し、ハードディスクをフォーマットする。
5. ハードディスク上に一時ディレクトリを作成(例:\win95.cd)し、そのディレクトリに、OSR2のCD-ROMのwin95ディレクトリの内容をすべてコピーする。
6. OSR1のCD-ROMのwin95ディレクトリから、以下のファイルを前項で作成した一時ディレクトリにコピーする。
dossetup.bin
oemsetup.bin
oemsetup.exe
setup.exe
winsetup.bin
7. カレントディレクトリを一時ディレクトリに移し、setup.exeを実行する。
8. 画面の指示にしたがって、Windows95のセットアップを行なう。
この方法は、OSR1のCD-ROMを持っていないと使用できませんが、1からWindows95をセットアップすることになるので、無駄なファイルをインストールすることなく、美しくWindows95 OSR2をセットアップすることが可能です。
FAT32の効果
「FAT32の威力がどんなものなのか、ピンとこない」という方のために、FAT16とFAT32では、どのくらいディスクの消費量が違うかをお見せしましょう。
下図は、1GBのハードディスクに、FAT16でOSR2をインストールしたドライブ(Cドライブ)のプロパティです。
FAT16によるフォーマット結果
そして、同じインストールオプションで、同じディスクドライブにFAT32でOSR2をインストールしたドライブのプロパティは、下図の通りです。
FAT32によるフォーマット結果
ディスク全体の容量だけでみると、FAT16のほうが、FAT32よりも1.9MBほど使用可能な容量が多いようですが、Windows95インストール後の空き容量で比べてみると、FAT16よりもFAT32のほうが、33.6MBほど、ディスクの使用量が小さいことが分かると思います。
ぱらだいす
http://kusatsu932.tripod.com/win95/win95/win95_1.html
http://kusatsu932.tripod.com/index.html
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