1995年4月13日木曜日
1995年4月2日日曜日
[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Kenwood DP-134
[機器][携帯電話] J-Phone/DP-134
携帯電話遍歴
2008/5/4(日) 午前 10:59
携帯電話 携帯電話
引越しの準備のため、少しずつ荷物をまとめているところ・Part-4。
これまで使ってきた携帯電話だ。
私はSoftBankの携帯ユーザー(J-PHONEの時代からずっと)。
◆初代:DP-134
初代はKENWOODのDP-134。
液晶はモノクロ(当時はそれが当たり前)で、6文字×3行表示。
イルカをイメージした「ドルフィンライン」という流線形のボディがそのころは目新しく、形が気に入ってこの機種にした。
当時、「(藤原)紀香ケータイ」として一世風靡し、J-PHONEのシェア急拡大に貢献したらしい。
◆2台目:J-SH01
2台目はJ-SH01。
J-PHONEにおけるSHARP初代機。
私はこれ以降ずっとSHARPを使っている。
液晶が当時としては大きい8文字×6行表示。
(当時、他のは2行~せいぜい4行程度だった)
液晶の大きさと、バックライトが明るくきれいな青緑色のELなのが気に入ってた。
◆3台目:J-SH02
携帯初のカラー液晶搭載機。
ちなみに厳密に言うと、カラー液晶は、発表は本機が世界初だったが、発売はDoCoMoのF502iに先を越された。
で、液晶は8文字×7行で、かつ256色表示可能なカラー液晶。
事前にどこからか情報を仕入れて、発売日(か、せいぜい数日後)に機種変した記憶がある。
◆4台目:J-SH04
携帯初のカメラ搭載機。
カメラそのものはワタシは特に必要ではなかったが、目新しさを演出するには十分だった(笑)
液晶は8文字×9行。画面が広くなったのもさることながら、
SH02に比べると遥かに画面が明るいのに惹かれた。
備考:
この次に、携帯初のTFT液晶搭載機であるJ-SH05が発売された。
液晶フェチ(?)なワタシはこれもかなり欲しかったが、SH04の機種変から時間がたってなかったこともあって、機種変できなかった。
◆5台目:J-SH08
イメージ 6携帯初のカラーサブ液晶(背面液晶)。
登場したときは「裏までカラーにするか!?」と思ったものだが、ワタシは飛びついたのである(笑)
ただし背面液晶は画面が狭く細長く
また暗く発色が悪かったため視認性はあまりよくなかった。
メイン液晶はサイズはSH05から変わらず
TFTの120×160ドットだが、1670万色表示可能で、かつ、さらに明るくなっている。
熱心に機種変してたのはこの頃まで・・・
それまでハイエンドのSHARP機を選び続けてきたが、ほどほどの性能でそんなに重くないものを望むようになった。
◆6台目:V301SH
V301SH。
これはVodafoneのラインナップの中ではむしろエントリーモデルになる。
「携帯初」の機能は何もない。
ただ、エントリーモデルながらメイン液晶は2.2インチQVGA(240×320)、
サブ液晶は64×96ドット。
必要十分な液晶を搭載していて、かつコンパクトで薄く、軽かった。
けっこう長く使ったな。2年ちょい?
備考:
このしばらく後に携帯初のVGA液晶搭載機であるVodafone 904SHが発売された。
2.4インチでVGA(480×640ドット)ということは、解像度としては333dpiとなり、普通の印刷物よりも解像度が高いことになる。
実際、液晶に目を近づけて見ても、ドットは見えないくらい細かい。
ただ、やはり重いし、このときは3Gにしたくなかったので、機種変せず。
◆7台目:810SH
SoftBankの810SHで、現在使用している端末である。
これも、特に「携帯初」の機能はない。
ただ、VGA(480×640ドット)液晶が(当時としては)だいぶコンパクトな端末に収まるようになったので機種変してみた。
コンパクトといっても上のV301SHよりは大きくなってしまったのだが。
3Gで、SoftBankらしい新しいサービス(Yahoo!連携など)やおサイフ機能などあるが、これらの機能はほとんど使ってない。
携帯に音楽を落として聞くというのも当初はやったが、胸ポケットに入れるには重くまた使い勝手もイマイチなので、使わなくなった・・・
ただ、パソコン用のWEBサイトも見れるブラウザを搭載しているので、たまに出先で調べ物をするときなどに使っている。
「最近の機種らしい使い方」で、VGA液晶の高解像度が役に立つシーンだ。
他は、サブ液晶が、消灯しているときは鏡のようになるのが気に入ってる。
携帯を選ぶのはもうそんな理由になってきた・・・
これも1年半くらいになる。
もうこれ以上の機能はいらない(ワンセグも)。薄いのが欲しいな・・・
iPhoneがSoftBankから出たら、SHARPをやめてiPhoneにするかで激しく葛藤しそうだ。。。
いかん、こんなことばっかりしてると引越しの片づけが全然進まない(笑)
Fill her up!
https://blogs.yahoo.co.jp/mappleaflet/37620017.html
我がケータイ史
2009/1/3(土) 午前 4:11
備忘録 その他趣味
今使っているケータイを見て思った。
何てカラフルなんだ、と。
最初に使ったケータイは2行表示モノラルだったのに...
たかだか10数年で凄い進歩だよ。
最初にケータイ、いやPHSを買ったのは大学に入ったすぐ。
高校の頃はポケベルを持ってなかったせいか、嬉しかった記憶。1997年頃だったか。
今は亡きキャリアである「アステル」。
覚えている人の方が少ないのかも知れない。
画像はなかったが、三菱製のフリッパータイプだったはず。
あの頃はケータイよりピッチの方が安かったしなー。
◆J-Phone/DP-134
しっかーし、ガビーンとカッコいいケータイを見つけて
J-Phone (今のソフトバンク)に乗り換えてみた。
この頃はまだデジタルホンだったかな?
ケンウッドのドルフィンライン。欲しい色がなくてなくなく黒を買った記憶。(1998年/DP-134)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_0?1230923467
◆J-Phone/J-P01
それから、1年毎に新製品に替える事が数年続く。
どうも飽きっぽいようで。(1999年/J-P01)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_1?1230923467
◆J-Phone/J-SH03
次はシャープ製にしてみた。
以後、しばらくシャープ製が続く、使いやすかったから。
この頃からディスプレイがカラーになった。(2000年/J-SH03)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_2?1230923467
◆J-Phone/J-SH07
次は折りたたみ型に替えてみた。
ちょっと前から流行りだして妙に羨ましかったのだ。
この頃からカメラケータイになりだした。
写メールが流行ったのはこの頃だったかな? (2001年/J-SH07)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_3?1230923467
◆J-Phone/J-SH51
次はSDカードが付くようになった。
でも、それだけでそう変わり映えがしなかったかも。(2002年/J-SH51)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_4?1230923467
◆J-Phone/J-SH53
で、次はデザインだけで乗り換えた。
この頃からボーダフォンに変わる。
ジーンズと一緒に洗濯してダメにしてしまい、同じ端末をもう1台購入した記憶。(2003年/J-SH53)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_5?1230923467
◆DoCoMo/P900iV
東京に転勤になったのを機に、ドコモに替えた。
理由はなんとなく。
あと、シャープが嫌いになったので、メーカーも替えた。
何だか変なケータイだったなぁ。(2004年/P900iV)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_6?1230923467
◆DoCoMo/SO902i
さすがに折りたたみケータイが飽きてきてた。
よって、久々のストレートタイプ、やっぱりソニー好き。
ボタン操作はやりづらかったのが難点。(2006年/SO902i)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_7?1230923467
◆DoCoMo/SO905iCS
これはつい最近。
端末価格が高くなって、頻繁に替える気がトンとなくなった。
スライドタイプのごっついケータイに憧れて替えてみた。
サイバーショットケータイ、本当にゴツい...(2008年/SO905iCS)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_8?1230923467
あと10年経ったらどうなってるんだろ?
ふと思った正月休み。
Good Times Bad Times
https://blogs.yahoo.co.jp/gtbt9212/59616689.html
私はかつて、なぜか携帯電話に異常に興味を持っていた時代がありました。
その当時は買うわけでもないのに、カタログをもらってきては、いろんな製品の機能等のマニアックな情報を趣味的に集めていました。
スマホが全盛となった今では、ほとんど興味がなくなってしまいましたが・・・。
ちなみに私の携帯電話の機種歴は以下のとおりです。
①1998年 ケンウッド DP-134(J-PHONE)・・・ドルフィンラインのデザインが秀逸。
②1999年 シャープ J-SH01(J-PHONE)・・・初めてのWEB対応。
③2000年 東芝 J-T04 (J-PHONE)・・・初めてのカラー液晶。釣りゲームにハマる。
④2002年 シャープ J-SH52(J-PHONE)・・・初めてのカメラ機能。30万画素。SDカード対応。
⑤2004年 シャープ V602SH(vodafone)・・・初めての光学ズーム。200万画素。アプリのゲームにハマる。
⑥2007年 シャープ 910SH(SoftBank)・・・カメラが500万画素。見かけはまるでデジカメ。
⑦2009年 シャープ 930SH(SoftBank)・・・ワンセグを多用している。もうこれ以上携帯に望む機能はない。
事務系公務員の『仕事に効く』文房具
https://blogs.yahoo.co.jp/suvemanju/30694221.html
シャープの歴代ケータイ端末
2015/3/16(月) 午後 10:56 電子技術関連 スマートフォン
【情報端末】携帯電話端末 歴史
◆ガラケーはどう進化してきたのか - シャープ20年のケータイの歴史を振り返る
マイナビニュース(2015/1/24)
『 シャープがAndroid搭載でスマホ的な要素を搭載したケータイ「AQUOS K」を発表したことが話題になっている。
シャープは、1月21日に開催した同端末の発表会において、2015年は携帯電話業界参入20年目の節目にあたるということで、
会場に歴代のケータイを展示。
これまでの歩みを紹介した。
1995年:シャープ初のケータイ「DP-201」登場
シャープが携帯電話市場に参入したのは1995年。
デジタルホン(現:ソフトバンクモバイル)の端末として「DP-201」を発売した。
当時はまだiモードをはじめとする携帯電話IP接続サービスがないだけでなく、国内でも地方への移動の際にはローミングが必要という時代だった。
その後1997年に、コンパクトでキーパッド部分のカバーを開閉して使えるタイプの「SH201」でNTTドコモへの参入も果たしている。
左がシャープ初のケータイ「DP-201」、右が「SH201」
1998年:WEBサービス対応第1号機「J-SH01」、1999年:初のカラー液晶モデル「J-SH02」
1997年にはNTTドコモの「10円メール」やJ-PHONEの「Sky Walker」といった携帯メールサービスが開始され、
1998年にはJ-PHONEのネット接続サービス「スカイウェブ」がスタートしたが、その対応端末として「J-SH01」が発売された。
「スカイウェブ」のWEBサイトを閲覧でき、画面に48文字表示できるなど当時のケータイとしては大画面であることが話題に。
ただし、画面はモノクロ表示だった。
左が「J-SH01」、右が「J-SH02」。
また、中央はケータイとしてもPHSとしても使えるドコモの「ドッチーモ」対応端末である「SH811」
WEBサービス対応に続くシャープのケータイ開発のトピックは「カラー液晶」だ。
1999年、「J-SH01」を小型軽量化した上でカラー液晶を搭載した「J-SH02」を発売。
当時はNTTのiモード対応機種もカラー液晶搭載携帯が登場し、携帯はただWEBサービスが利用できるだけでなく、液晶のきれいさを求められるように。
その後、2000年にはシャープ初の二つ折りケータイ「J-SH05」ではTFTカラー液晶を搭載し、6万5536色が表示できると話題になった。
技術屋みやびまん
https://blogs.yahoo.co.jp/miyabiman_now/26501019.html
車上荒らしにあい、半年で解約。
しばらく携帯の無い生活を送ったが、やっぱり必要に迫られ購入。
DP-134(ケンウッド製)。
当時、アンテナ3本仕様が普通だったが、液晶が別にあり、パワーゲージで表示される異色機。
ただ、ボタンがゴムだったので早打ちが出来ず。
(ファミコンの四角ボタンが連射できないのと同じ)
風呂くん・はぁと
https://blogs.yahoo.co.jp/nexttinmemachine/15511373.html
まだいけるぞ!
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2006/9/10(日) 午後 2:03
a その他文化活動
今日の午後早く、前々から懸案事項だった
「東京デジタルホン時代の携帯電話(PDC)は、今でも携帯電話として使えるのか?」
を試してみた。まずは近くのボーダフォンショップへ。
「持ち込み新規でこの電話登録できるかな?」
とショップのオネーチャンに相談開始。オネーチャン初めて古い携帯電話を見るらしく、コネクタ位置がわからない。
ちなみに機種は東芝の名機DP-172。裏面にあるんですなこれが。
「まずは登録できるかどうか確認してみます」
と店の奥へ。待つこと数分「これから確認しますので製造番号を教えてください」電池パックをはずして製造番号をメモしてもらい、オネーチャンは再び奥へ。
そしてオネーチャンは出てくるとこういった。
「登録完了まで30分くらいかかりますのでご連絡先をこちらに書いてください。完了次第連絡しますので・・・」
というわけで連絡先を記し、ショップを出た。マックで軽く昼を食べ、ゴールデンバットを3本吸ってもういいかな、くらいの時間になったのでショップへ戻る。
できてました!
DP-172復活です!
故障したら後にはDP-174が控えています!
まだまだいけます!みんんなも古い電話器をもっていたら試してみよう!
ただし、ツーカー、ドコモのシティフォン、ドコモPHSは新規受付は終了しているのでできませんので念のため。
凡庸なるつれづれ
https://blogs.yahoo.co.jp/kenbo9454/41591284.html
1995年3月9日木曜日
[機器][ゲーム] ATARI,LYNX
[機器][ゲーム] ATARI,LYNX
名称:LYNX
発売日:19??年?月?日
定価:?????円
虎菊
http://www3.wind.ne.jp/toragiku/game_ma/lynx_.htm
[機器][ゲーム] バンダイ,PiPPiN@(PA82001)
[機器][ゲーム] バンダイ,PiPPiN@(PA82001)
正式名称(型番):PiPPiN@(PA82001)
発売日:199?年?月?日
定価:?????円
虎菊
http://www3.wind.ne.jp/toragiku/game_ma/pippin.htm
1995年3月6日月曜日
[機器][携帯電話] Tu-Ka/Kenwood,DP-132
2010/3/31
「PDCユーザ包囲網(終)ソフトバンクPDC停波と新機種と思い出と」
無線・通信
まだ金沢に住んでいた15年くらい前だったろうか。
そろそろ周囲にも携帯を持つ人間が出始めて、一般加入電話しか引いていない筆者は当時の携帯への割高な通話料金設定に戸惑い、「JR系だから」という理由で市外電話契約をしていた日本テレコムのコールセンターに「携帯電話との通話に対する割引サービスを検討していないのか」と聞いた事がある。
対して先方の回答が「そういうサービスの予定はありませんが、「デジタルホン」という携帯電話サービスがスタートしますのでよろしかったらご検討下さい」てな感じの内容。
日本テレコムが東名阪で携帯電話会社を立ち上げるのは知っていたので言葉を濁しながらも礼を言って電話を切ってから、当分大都市だけだしドコモやセルラーとローミングできない上に受信も出来ないデジタル方式だし(当時の筆者にとって、アナログ全盛だった携帯は他の無線同様「聴くもの」、正確に書くと「電波法に触れない程度に聞き流すもの」であった)、意味ねえよなあ、と思ったものだ。
その後、ツーカーに出資していいた日産と日本テレコムが双方の携帯を地方で使えるように、と合同でデジタルツーカーを設立、デジタルツーカー北陸の進出で意外と早く北陸でもそのチャンスがやってきたが、貧乏学生風情に携帯は要らぬと特に気にもせず。ただ将来持つなら鉄としては鉄道関連企業であるデジタルツーカーにしよう、とは思っていた。
新潟に戻ってほどなく妹が進学で一人暮らしを始めるにあたり、一般加入電話は引かず携帯だけ持とうということになった。そこで迷わず勧めたのがデジタルツーカー。無論ただ自分が持たない代わりに持たせてみたかっただけ。ただ当人にとっては割合相性が良かったと見えて、現在に至るまでMNPもせずソフトバンクを継続し、なぜか最初に持ったT4以来東芝機を使い続けている。
その後筆者も社会人2年目の1999年秋にようやくデジタルツーカーSH4を購入して携帯を持つこととなったが、その時の大きな理由は仕事で必要だからでも何でもなく「デジタルツーカーブランドが無くなるから」。
これは日産がツーカーとデジタルツーカーから資本を引き揚げ、デジタルツーカーについては共同出資者の日本テレコムに譲ったことで、少し前からデジタルホンが使っていたブランド名Jフォンにデジタルホン・デジタルツーカーを統一したことによるもの。
変更直前の9月末に契約したため、契約自体はデジタルツーカー東北とだったが契約完了のお知らせ等は社名変更したJフォン東北からだった。
それから10年半。今日午前2時を以てデジタルツーカー時代から続いたソフトバンクのPDCサービスが終了した。
この間会社は更にJフォン東京と北海道との合併でJフォン東日本東北支社、
Jフォン東海と西日本との合併でJフォン東北支社、
日本テレコムが手放して外資となってボーダフォン、
意のままにならなかったケータイガラパゴス日本市場を見捨てたボーダフォンがソフトバンクに渡して現在のソフトバンクモバイルと変遷。日本テレコムもJRが手放して外資に行ったり何やかやで結局ソフトバンク傘下のソフトバンクテレコムになって結局立場は違えど同じ企業グループに。
ここまでしぶとくSH4を使い続けたのもどうかと思うが、短文とはいえiモードよりも早い時期からEメールのやり取りができた機種であったため、ほとんど不自由は無かったから使ってこられた事が大きい。
クリックすると元のサイズで表示します
さて、今回のソフトバンクPDC終了が2年前のツーカー終了の時と違うのは、周囲に「(Jフォン当時)鉄系だったから」「(あくまで契約当時)料金が断然安かったから」「(みんな3Gに機種変したから)コミケで繋がる」てな理由で、かつ最期を見届けたいからという理由で周囲にPDCユーザが大勢いる事。そういった人らはホワイトプランだったのでそちらから掛けてもらってその時を迎えた。何しろこちらは料金プランもデジタルツーカー東北のローコールプランをここまで「動態保存」しており、高くついてしまうので甘えさせてもらった。
ちなみに左が予備PDC回線として購入したプリペイド契約の201SH(カード残高は使い切って着信専用化していた)、真中がSH4、ついでにサービス終了後もソフトバンク基地局へのローミングでアンテナバーだけは立っていたツーカーのプリケー、PT11。
現役2台からイヤホンコードが伸びてるが、これを両耳に入れてそれぞれと三者通話まがいの状態で話しつつツーカーの番号を引き継がせた912Tで撮影、とそういう光景。
3時まで話し続けたが切断される様子が無いのでそれぞれとつないだまま就寝、5時50分頃まで接続は維持されていた。
若干仕事内容に余裕のある水曜日だったので配達のついでにソフトバンクショップで機種変。
これまで他社がサービスを終了した時と比較して移行時の優遇措置などがあまりにもとんでもない対応であった事嫌気がさしたり怒りを覚えたりで離れる方も多いようだが、私としては端末代を払ってでもソフトバンクを維持する道を選んだ。
端末も料金プランも継続は出来ないが、メールについてボーダフォン時代の「h.vodafone.ne.jp」ドメイン、更に実は今なお受信専用として使えるJフォン時代の「jp-h.ne.jp」ドメインを動態保存したかったのと、会社の営業さんにはソフトバンクの法人契約端末が貸与されているので、仕事上の通話で会社に余計な費用を掛けさせない、自分がいい加減余計な費用をかけたくない為もある。何しろローコールの通話料金って主にレジャー目的での携帯使用を想定していて平日昼間が高く設定してあり、仕事の電話ではえらい目にあってたもんで。
新機種は931P。以前修理中の代機でデジタルツーカーP4を使って以来のパナ携帯。
これの機種変する時は、また新しい携帯電話サービスに替わる時なのかもしれないな・・・。
広坂ぼやき亭(旧館)
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