1982年5月21日金曜日
[ゲーム][LSDゲーム] 学研,アミダー(AMIDAR)(1982)~業務用ゲームの電子ゲーム移植版
[ゲーム][LSDゲーム] 学研,アミダー(AMIDAR)(1982)~業務用ゲームの電子ゲーム移植版
アミダー(AMIDAR)
学研/1982年頃
(C)1982 KONAMI/GAKKEN
ゲーム性 ★★★★★
テンポが良く遊びごたえがある内容!
操作性 ★★★★
多少操作しにくい部分もあるが反応の良いスティック
キャラクタ(画面) ★★★★
ブタ・モンスターやフルーツなど賑やかな画面!
サウンド ★★★★★
寂しさを感じない賑やかなメロディ!
ハード ★★★★
デザインは良いと思うが、少々大きいかも。
総合 ☆☆☆☆☆
業務用そのままと言っても過言では無い!プレイ必須だ!
JUN AMANO'S HOMEPAGE
http://homepage3.nifty.com/lsigame/
■ゲーム解説:業務用そのままの「遊べる」電子ゲーム!
アミダーのゲーム画面
アミダーのゲーム画面
ちゃんと迷路状に線が引いてあります
昔のコナミは良かった・・。黎明期の業務用ゲームやファミコン(FC)・MSX等で数々の良質ゲームを発売、多くのファンを魅了してきました。
そして、ナムコやタイトーなどと共にゲーム文化の発展に大きく貢献した大手ゲームメーカーです。
「グラディウス」「ツインビー」はご存知の通り、大ヒットとなって看板シリーズとして現在でも続編が登場しています。
特にコナミはMSXにも非常に力を入れており、他機種同様に名作ゲームを次々連発、「コナミ無くしてMSXは語れず」と言っても過言では無かったのです。
私はFCの「沙羅曼蛇」「グラディウスII」の渾身の出来に感激し、MSXの「メタルギア」でデータレコーダーをピーピーガーガー言わせながらMSXFAN片手にクリアしたり、「グラディウス2」等に搭載されたSCC音源の音色に胸を打たれたものでした。懐かしい思い出です・・・。
(さすがに最近のジャレコの「VJ」を巡る争いには興ざめしましたけど。^^;;;;)
さて、話は横道に反れましたが(反れすぎ ^^;)、電子ゲームの発売された頃のコナミのゲームと言うと「フロッガー」「スクランブル」「スーパーコブラ」等があります。
聞き覚えのある方が多いかと思いますが、コナミのゲームの多くは電子ゲームに移植されているのです。
今回紹介する「アミダー」も業務用で、アイデアが光る佳作といったゲームでしたが、気になるのは制限の多い電子ゲームへの移植具合。
あまりにアレンジが掛かりすぎても、「マリオブラザーズ」の様な秀作で無い限り、業務用ファンを魅了する事は出来ません。
はたして、電子ゲーム版「アミダー」はどのような出来になっているのでしょうか?
「アミダー」・・この名前を聞いてピンと来ない人はまずいません。(笑)
ゲームフィールド上がアミダ状になっているから付いた名前でしょう。
安直かもしれませんが、世の中の商品名なんて皆こんなもんです。
(例えばNTT関連で言えば「ドッチーモ」「テレホーダイ」等とか、
最初聞いた時はギャグかと思いました。それと「~くん」と言う名前が
付けられている場合は大抵その商品の内容から付けられている場合が
殆どです。要するに聞いてすぐ分かる名前にしているんですね。^^;;)
電源スイッチをゲームAにするとデモンストレーションが始まるので
JUMPボタンを押すと、メロディが鳴ってゲームスタート!
(ここでピンッと来た方はかなりのゲーム通です!このメロディ、
なんと業務用のメインBGMなんですね。なんだか学研の意気込みが早くも
感じられますね。)
☆「アミダー」キャラクタ紹介☆
ブヒブヒ~ッ!食いしん坊で悪かったナ! (ブタ)業務用でもアミダくじだけの役回り
だったけど今度は主役さ!
ブタめ・・いい気になるなよぉ~。 (モンスター)俺達ゃ仲良し3人組~。
おっと、でもタイムボカンのヤツらとは
違うぜ。(意味不明)
八百屋じゃないけど、おいしいフルーツはいかが? (フルーツ)
色とりどりのフルーツがゲームを
賑やかにする!
どんどんフルーツを出して、
得点稼ごうゼ!
パワーアップの秘密も隠されているゾ!
ゲームA画面:どんどん食え!
迷路を頭にたたき込んでとにかくエサを食べまくれ!
ゲームAではエサを食べると
フルーツが出現!
エサを食べるとフルーツが出現! ゲームAでは、アミダ上のフィールドにエサが散りばめられています。
ブタを動かしてモンスターを避けながらエサを全て食べてしまいましょう。
(業務用では訳の分からないキャラばかりでしたが、
変更された電子ゲーム版のキャラの方が可愛くて良い感じです。)
エサを食べる毎に10点が加算されます。アミダ状の迷路にはフルーツが
隠されており、周辺のエサを食べるとフルーツが出現、20点が加算されます。
ゲーム開始初期からモンスターが3匹とキツイ設定ですが、もしモンスターと
ぶつかりそうになったら、JUMPボタンを押す事で1パターンで3回、回避できます。
全てのエサを食べると1パターンクリアです。
尚、四隅のフルーツを出現させると、一定時間無敵になって敵に逆襲出来ますので
エサを1つだけ残しておき、タイミングを見計らってパワーアップするなど有効に
利用しましょう(モンスターを1匹目は10点/2匹目は20点・・と得点が加算されます)。
このゲームAでは「パックマン」風な内容となっていますが、テンポが早く
フルーツ出現やゲーム音の賑やかな演出が手伝って一味違う内容となっているのです。
ゲームAやゲームBを1パターンをクリアするとアミダくじのボーナスゲームが楽しめます。
移動しているブタをJUMPボタンで止めて、アミダくじをスタート!
(私はこの時、「あみだっくじ~あみだっくじ~・・」と言う「オレたちひょうきん族」の「タケちゃんマン」で出てきた「アミダババァ」の歌が思い浮かんでしまいます・・。)
無事、アミダくじが成功するとボーナスとして100点が加算されます。
アミダくじ上でのブタの動きは決まっているので、止める位置を把握しておく事も高得点のカギと言えるでしょう。
エサを全て食べてパターンクリア!
フルーツのお陰で画面は非常に賑やかだ!
フルーツ一杯で賑やかなクリア時画面
ゲームBではゲームAとは全く違う内容になっています。
今度はブタを動かすと足跡(点)が出来ます。足跡で四角く囲うとフルーツが
出現します。フィールド上を全ての足跡で埋めると1パターンクリア。
ただし、囲う途中で別な場所を(四角く)囲おうとすると、今までの付いてきた足跡が
消えてしまいますので注意してください。このゲームBこそアミダーの醍醐味でしょう。
敵を避けながら足跡を全て埋めるのは容易な事ではありません。
このアミダー、ボーナスゲームのアミダくじはもちろん、緊急回避の要素、パワーアップ要素や2種類のゲーム構成・メロディなど、業務用ファンもうなずく再現度です!学研の移植にこだわり・意気込みがヒシヒシ感じられるのです。
電子ゲーム版を先にプレイした人が、タイトルを伏せて業務用をプレイしても何のゲームか分かる位だと思って差し支えないでしょう!
強いて違う所といえば、業務用では2種類のゲームを交互に登場させる面構成でしたが、電子ゲーム版ではそれぞれ独立した形になっていると言う事でしょうか。
単に「見た目」のゲーム数を増やしたかったと言うのもあると思いますが、おそらく業務用と違い電子ゲーム版では2種類のゲームの見分けが付かないと言った理由もあるのでしょう。
ゲームBではモンスターを
避けながら
足跡を付けまくれ! グルッと回ってフルーツ出現!
モンスターを避けながら、画面一杯に足跡を付けるんだ!
足跡で囲むとフルーツが出現!
囲っている最中に他の四角を
囲もうとすると
足跡が消えるので注意!!
ボーナスゲームのアミダくじ。
ブタの動くパターンを覚えよう!
素早く動くブタを止めて、アミダくじ開始!! このゲーム、画面がカラフルなだけでなく、フルーツ出現などの効果的な演出、
軽快で多彩なメロディも、テンポが良いゲーム内容をさらに盛り上げているのです。
この三拍子はそう実現できるものではなく、「アミダー」自体が電子ゲームに向いて
いるのと、電子ゲーム上でそれを見事に再現した学研の技術の現れでしょう。
(カラフル・メロディが休み無く鳴っているバンダイの「きてよ!パーマン」は
それほど盛り上がりません。これはゲーム内容にも問題があったのかもしれませんが・・。)
しかし、悲しい事にこの機種(同シリーズ)には「ディグダグ」がありました。
業務用の「ディグダグ」は当時爆発的人気、ナムコの看板ゲームと言っても過言では
ありません。電子ゲーム版でも、その人気を反映してか「アミダー」よりも
「ディグダグ」の方が人気があったのでした。
はっきり言って、電子ゲーム版では面白さにおいて「アミダー」は「ディグダグ」
より数段上だと思います。レア価値など抜きにして、遊んでいただきたいゲーム、
それが「アミダー」です。そろそろ正当な評価をされても良いかと思う今日この頃です・・・。
当たり~!ボーナスゲットだ!
アッミダくじ~、アッミダくじ~・・でボーナス100点!
■本体解説:見た目と実用性を兼ねたデザイン
アミダー本体クローズ時 本体機種には「アミダー」の他に「ディグダグ」「ジャングラー」があります。
折りたたみ式のこの本体、さぞかしコンパクトになっている事と思いきや、
かなりのデカさです。当時、電子ゲーム本でさぞかし小型化しているだろうと思っていた私は
ゲーム機本体を見て驚いてしまいました。
単2乾電池×4本使用とくれば、本体がかなり大きいと想像できますね。
私個人では「ボンブマン」並に小型化していれば何処でも持ち運びが出来て嬉しいのですが、
これが「アメリカンスタイル」・・いや、「アーケードスタイル」なのでしょう。
がっしりした本体、大画面、派手なメロディ、そして多い消費電力・・(笑)。
FL機には「小型」は似合わない・・当時の電子ゲームのラインナップから見てもそう感じ取れます。
この機種、レンズ使用の拡大画面やレバー・ボタンの位置など本体デザインは良いと思います。
画面を閉じるとレバーなどの操作部分が隠れるのも特質すべきところです。
ただ画面を閉じた時に見える本体上部のアミダーの絵がシールと言う若干頂けない部分もありますが・・。
実用性と見た目の両方を兼ね備えたデザインとしては参考になると思います。
■備考:電子ゲームは「知育トイ」です?!
とにかくカラフルな画面の「アミダー」。
もっともっと堪能したい!・・と思ったアナタに朗報です!
説明書に記載されていないのですが、JUMPボタンを押しながら電源を入れると、図の様に全パターンが表示されます。
しかも徐々にパターンが表示されていくと言う凝りぶり。
これはもしかしたらテストモードってヤツでしょうか?!
ひょっとしたら業務用の立ち上げ時の画面を意識しているのかもしれませんね。
この抜け目の無い作り、学研製のFLゲームには「力作/名作」と呼ばれるものが
多いのです。
どう考えても、学研にゲーマー魂(根性)を持った社員がいたとしか思えません。
そう思うととても親近感が沸きますね。(当時はTVゲーム業界にも参入してましたし・・)
私は前から思っていたのですが、学研の「フィッシングボーイ」の箱を見ると、問い合わせ先が「知育トイ事業部」になっています。
もしかしたら、電子ゲームは「玩具」じゃなくて(子供の頭脳を発展させる)「教材」だ!!
・・とか言う意気込みで電子ゲームを発売していったのではないでしょうか?
でも、アミダーでは「知育トイ・ホビー事業部」になっている事から「やはり玩具だ」との
意見に落ち着いた・・・と、勝手な想像を膨らませてしまうのですが実際はどうなのでしょう?
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1982年5月20日木曜日
[機器][PC] SHARP MZ-700シリーズ
MZ-721
MZ-731
名称 | MZ-711 MZ-721 MZ-731 |
|
---|---|---|
発売日 | 1982年11月?日 | |
定価 | MZ-711 79,800 MZ-721 89,800 MZ-731 128,000 |
|
CPU | Z-80A(3.58MHz) | |
ROM | 4KB (モニタ) 4KB (キャラクタジェネレータ) |
|
RAM | メイン | 64KB |
ビデオ | 4KB | |
テキスト | 40x25文字 カラー 8色 80x25 |
|
グラフィック | なし (セミグラフィック機能として80x50ドット表示できます) |
|
サウンド | 単音8253から出力 | |
外部記憶デバイス | CassetteTape 1200 bps(721,731) | |
インタフェース | プリンタインターフェイス カセットインターフェイス内蔵 アナログジョイスティックインタフェースx2 |
|
その他 | 外部フロッピーディスクは拡張ボードが必要(1F07等が使用可能) 711はデータレコーダー プロッタプリンタはオプション 721はプロッタプリンタはオプション HAL研究所より発売されたPCG700を使用すれば文字の形状定義が可能 |
|
電源 | ||
寸法 | ||
重量 |
1982年5月19日水曜日
[ゲーム][LSDゲーム] バンダイ,大脱走(DAIDASSO)(1982)~LCDソーラーパワーシリーズ
[ゲーム][LSDゲーム] バンダイ,大脱走(DAIDASSO)(1982)~LCDソーラーパワーシリーズ
大脱走(DAIDASSO)
バンダイ/LCDソーラーパワーシリーズ/1982年頃
(C)1982 BANDAI ELECTRONICS
ゲーム性 ★★★★
看守の目を盗んでの鉄格子ギコギコのスリルが最高!
操作性 ★★★★
操作良好!
キャラクタ(画面) ★★★★
バンダイキャラって本当にいいよねって思わせるゲーム
サウンド ★★
ソーラーパワーでは、仕方がないのか?演出が良いだけに惜しい!
ハード ★★★★
他社のソーラー製品に比べ、ダントツに良いボディ!
総合 ☆☆☆☆
ソーラーパワーの中では1、2番のデキだと思います!
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■ゲーム解説:看守の目を盗んでいるわりにはバレバレ?(笑)
大脱走の第1パターン画面(牢の中) 私がソーラーパワーの存在を知った時、かなり衝撃を受けました。
今まで、電子ゲームを毎日何時間もプレイしていた為に電池代もバカになりませんでした(少ないお小遣いなので)。
それが、ソーラーパワーでは太陽電池の為にボタン電池不要・・・0円になる・・・。
どうして太陽の光だけでゲーム画面が出るのかとオロオロするばかりでした。
後になって考えれば太陽電池式の電卓(ソーラー電卓)が既に出ているんだから、
太陽電池式のゲームが出るのは時間の問題だったのかもしれません。
しかし、当時の私は小学生だったんで電卓なんてロクに触っていないので
ソーラー電卓なんて知る由もありませんでした(汗)。
(それどころか電卓を使ってちゃんと計算しなければいけない仕事なんてあるのか・・と思っていたくらいです)
さて、大脱走ですが、プレイヤーは何故か捕まっています。こうなると目的は一つ、脱走するだけです(笑)
いじわる(?)な看守は常時、見張っています。プレイヤーはベッドで女性のボスターに見とれているふりをします。
看守がいなくなった隙に鉄格子に近づき、隠し持っていたノコギリで鉄格子をギコギコ切っちゃいます。
看守がドアを開けた時にベッドに戻っていないと、脱走計画がバレてしまってミスになります。
鉄格子を1つ切る(鉄格子の前でLEFTキーを10回押す)と10点加算されます。3本切ると無事外に脱出出来ます。
実はこの看守、かなりのやっかい者でフェイントのオンパレードです。連続でドアを開けたりしてイヤな奴です。
本当に看守の目を盗まないと脱出出来ません(笑)。頑張って脱出しましょう!(題材がヤバい様な気がしますが・・・)
あと、ずっとベッドにいればいいじゃないか・・と思われますが、ベッドに20秒間以上寝ていると、自動的に移動させられます。
大脱走のミス時画面
大脱走の第2パターン画面(牢の外) 脱出成功!・・と思いきや、なんと既にバレバレ状態・・(笑)
数限りない警察犬が襲ってきたり、看守はピストルを発砲しまくったりと、
地獄絵図そのものに見えます(汗)。脱走者を殺す気でしょうか?
プレイヤーは当然、これらを避けなければいけません。警察犬の攻撃を避ける毎に10点加算されます。
向こうに仲間のクルマがある時に駆けつけると、無事脱出成功で500点のボーナスとなります。
牢の外で警察犬に襲われたり、看守の銃に当たってもミスにはならずに牢屋の中に戻されます。
この辺はバンダイのソーラパワーで良く使われているシステムです(ミスは第1パターンのみ)。
このゲーム、牢屋の中と外とでは全く違うゲームになっていて、本当に感心させられます。
バンダイのキャラはなかなか漫画的で表情豊かで良いと思います。
看守の目を盗んで鉄格子をギコギコ・・・これはかなりスリリングな行為です。一見の価値ありなゲームだと思います。
■本体解説:閉じれば非常にコンパクト!電池代不要の凄いヤツ!
上のゲーム解説でも書きましたが、太陽電池式の為にボタン電池などは一切必要ありません。また、コンパクトの様に閉じる事が出来ます。
ソーラーパワーシリーズには他に「天国と地獄」「謎のピラミッド」「恐怖の無人島」「激戦!Uボート」「謎の沈没船」等があり、
液晶板を2枚使って、しかもジョイスティック装備のソーラーパワー・ダブルパネルがあります。
ダブルパネルシリーズには「エアポート・パニック」「悪霊の館」「秘境!アマゾン」「Mr.フランケン」等があります。
LCDソーラーパワーはサウンドを装備している為か、蛍光灯などの弱い光には反応せず、昼間の明るい時や電気スタンドの下でないと動きません。
■当時の思い出
このゲームは、友人のA.Y氏に借りてプレイしました。
個人的にはソーラーパワーの中では「謎のピラミッド」の次に好きな作品です。
ソーラーパワーのボディって白いから、時が経つと黄色く変色しちゃうんですよね。
個人的にこの部分がイヤです(笑)
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1982年5月14日金曜日
[ゲーム][LSDゲーム] バンダイ,ツッパリコンサート(TSUPPARI CONCERT)(1982)~プロもマッ青 熱狂ライブ!
[ゲーム][LSDゲーム] バンダイ,ツッパリコンサート(TSUPPARI CONCERT)(1982)~プロもマッ青 熱狂ライブ!
ツッパリコンサートの本体
ツッパリコンサート(TSUPPARI CONCERT)
バンダイ/LCDゲームデジタルシリーズ/1982年頃
(C)1982 BANDAI ELECTRONICS
ゲーム性 ★★★
中途半端な受け止めゲームになっている様な気がする
操作性 ★★★
機敏な操作を要求されるが、ボタンが少し小さい(子供には問題なし?)
キャラクタ(画面) ★★★★
ツッパリバンドのキャラクタがイカす!バンダイはキャラクタ描くのが上手!
サウンド ★★★
ミスした音がゲームデジタルの中では凝っていると思う
ハード ★★★
カラーリングがイマイチ・・・?
総合 ☆☆☆
設定がイカしたゲーム。ゲームデジタル3980円シリーズの名に恥じない作品
JUN AMANO'S HOMEPAGE
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■ゲーム内容:プロもマッ青 熱狂ライブ!(パッケージより)
近年、"音楽"を扱ったゲームが多く発売される様になりました。
内容的にはリズムに合わせて演奏を楽しむものがほとんどです。
(Beat Maniaなどでゲームセンターで達人の演奏を聴くと感動を覚えますね)
電子ゲームでも音楽機能を搭載した機種はいくつかありました。
しかし、「音楽を演奏しているバンドそのもの」を題材にしたゲームはそんなにないでしょう。
このゲームの名は「ツッパリコンサート」。
バッチリ笑えてインパクトのある名前のこのゲームの舞台は80年代初めのツッパリバンドのコンサートホール。
"横浜銀蝿"を始めとするサングラス・リーゼントに皮ジャンがトレードマーク(?)のツッパリバンドが流行っていた
頃の時代です。もちろん、このゲームの主人公はそんな格好をしたツッパリギタリスト(ボーカル)です!(^^;)
超満員のコンサートホールにファンも次第にテンションが高くなるのでしょうか、
演奏中にも関わらず花束などのプレゼントを投げてくるではありませんか!
ツッパリギタリストを左右に動かして、ノリノリ気分でプレゼントを受けとめましょう(20点加算)。
プレゼントを受け損なってもミスにはなりません。
ただし、ツッパリギタリストは常に右腕を上下していて、各プレゼントが観客の手から離れて2コマ目に到達した時に
近くに移動させないと受け止めてくれませんので注意して下さい。
(実際に受け止めるのは3コマ目なのですが、この時に移動させても受け止めてくれないと言う事です。)
・・と、ここまでは良いのですが、なんとツッパリギタリストを引きずり落とす観客が出てきたのです!
ファン心理から来るものと言ってしまえばそれまでですが、こんな事されてはひとたまりもありません。
最前列の観客が手をさしのべたら、すばやく避けてください。
観客に捕まると、ステージから引きずり落とされミスとなります。
痛々しいツッパリギタリストのミスマークが表示され、3回ミスするとゲームオーバーになります。
ゲームデジタルの基本システム通り、得点が1000点毎にひと休み、
左端の女の子にKISS(キッス)をもらってボーナス500点が加算になります。
ツッパリコンサートの画面2
キケン!
ミス画面(見にくくてゴメンナサイ!)
出演者には手を触れないで下さい!
以上がゲームについてですが、実際に遊んでみると設定は面白いのにゲームは平凡(基本の受けとめパターン)
と言う印象を受けます。しかも従来と違い、プレゼントを受け損なってもミスにならない所が
緊張感がイマイチ沸かない原因にもなっていると思います。
特にゲーム開始後、何もしなくても700点近く得点出来てしまうのにはゲーム内容的に問題があるのでは
ないでしょうか。
しかし、名作揃いの3980円(サンキュッパ)シリーズの名に恥じない印象深い作品である事には
変わりありません。比較的、手に入りやすい機種ですので、これを機にプレイされてみてはいかがでしょうか。
祝福のKISS
ボーナス時のキッス1
ボーナス時のキッス2
ボーナス時のキッス2
ヤッタネッ!
■本体解説:本体の細かい仕様変更、さりげない気配りがグー!
ゲームデジタル3980円シリーズについては、「ハンバーガーショップ」「影忍者」「Dr.デンタル」をご覧下さい。
このシリーズ、途中の機種から電池蓋にネジが付くようになりました。これは誤って子供がボタン電池を飲み込まない様に
配慮したものとの事です。このネジの紛失率が非常に高かったのは言うまでもありません(笑)。
また、このタイプになってから元から電池は組み込まれており、絶縁シートを取り除いて使用するようになりました。
JUN AMANO'S HOMEPAGE
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1982年5月6日木曜日
[PCソフト] NEC PC-8001アプリケーション,関東電子
関東電子
◆mysoft
ジャンル: アプリケーション
タイプ練習とワードプロセッサ
タイプ練習がメイン?
◆PC8001ゲームライブラリNo.1
ジャンル: ゲーム集
デモプロガイド
ムーゲーム
バトルゲーム
カーゲーム
ライナー
三次元グラフィック迷路
微細プロックくずし
万年カレンダー
◆Word Processor”書くべえ”
ジャンル: アプリケーション
NEC PC-8001mkII用ゲーム
[MEMO]
・トラ技 1980.9 広告
・タイプ練習とワードプロセッサ
・PC8001ゲームライブラリNo.1
・デモプロガイド
・ムーゲーム
・バトルゲーム
・カーゲーム
・ライナー
・三次元グラフィック迷路
・微細プロックくずし
・万年カレンダー
OUT of STANDARD
http://www.geocities.jp/upd780c1/n80/frame.html
Word Processor”書くべえ”
1982年5月1日土曜日
MS-DOS
MS-DOS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
MS-DOS 開発元企業 / 開発者 マイクロソフト
OSの系統 DOS
開発状況 終了
ソースコード クローズドソース
最新安定版リリース 6.22 (単体販売最終版)/ 1994年
カーネル種別 モノリシックカーネル
既定のUI DOS CLI、TUI
ライセンス プロプライエタリ
PC DOS (IBM DOS) 開発元企業 / 開発者 IBM
OSの系統 DOS
開発状況 終了
ソースコード クローズドソース
最新安定版リリース
PC DOS 2000
/ 1998年
カーネル種別 モノリシックカーネル
既定のUI DOS CLI、TUI
ライセンス プロプライエタリ
MS-DOS(エムエス-ディーオーエス、えむえすどす)とは、マイクロソフトが開発・販売していたパーソナルコンピュータ向けの16ビットのオペレーティングシステム(OS)である。IBMのPC DOS (IBM DOS)のOEM供給版として誕生し、バージョン6より分化したため、本稿では両者を説明する。
名称
MS-DOS
正式名称が「MS-DOS」で、「マイクロソフトのDOS(ディスクオペレーティングシステム)」(Microsoft Disk Operating System)の意味である。
単に「DOS」と呼ぶ場合は、本来はディスク管理中心のオペレーティングシステムの総称だが、現在はMS-DOSを指す場合が多い。また厳密には、MS-DOSもバージョン1では複数のOEM供給先メーカーが複数の名称を付け、正式に「MS-DOS」名称に一本化されたのはバージョン2からである(従って「MS-DOSバージョン1」は後の呼称であり、当時はその名称の製品は存在しなかった)。OEM供給版の日本語版は、多くの場合「日本語MS-DOS」名称である。
なお、MS-DOSという名称の影響で、他のマイクロソフト製品も「MS-Windows」、「MS-Office」、「MS-Basic」など「MS-」を付けた略称が使用される場合があるが、いずれもMicrosoftを略した俗称であり、正式名称に「MS-」が付くのはMS-DOSだけである。
PC DOS / IBM DOS
正式名称はバージョンにより異なるが、総称して「PC DOS」または「IBM DOS」と呼ばれる場合も多い。
バージョン 英語版 日本語版 備考
正式名称 略称
1 IBM Personal Computer
Disk Operating System
(IBM PC用) PC DOS (なし) 略称がPC DOS
2 日本語DOS K2.x(5550用)
日本語DOS 2.0(JX用) 日本語版が登場。Kは「漢字」の意味。
3 日本語DOS K3.x(5550用)
4 IBM DOS 4.0 IBM DOS IBM DOS J4.0 (PS/55用)
IBM DOS J4.0/V (DOS/V) 名称変更。日本語版はDOS/V版が登場。
5 IBM DOS 5.0 IBM DOS J5.0 (PS/55用)
IBM DOS J5.0/V (DOS/V)
6.1, 6.3 PC DOS 6.x PC DOS PC DOS J6.x/V (DOS/V) 名称変更(元の略称が正式名称に)。日本語版はDOS/V版のみに。
7 PC DOS 7.0 PC DOS J7.0/V (DOS/V)
2000 PC DOS 2000 PC DOS 2000日本語版 (DOS/V) 日本語版の表記変更
なお「PC-DOS」との表記は正式ではない。また「IBM MS-DOS」や「MS-DOS IBM版」は存在しない(歴史的にはPC DOSのOEM版がMS-DOSであり、法的にはIBMはOS共同開発契約とその清算によりPC DOSの権利を最初から所有しており、マイクロソフトからライセンス供与を受けたのでは無い)。
概要
MS-DOSとPC DOS(IBM DOS)は、パーソナルコンピュータ向けの16ビットのディスク・オペレーティング・システム(DOS)で、その名前の通り主にディスクの管理を行うシングルタスクのオペレーティングシステムOSである。
基本的なユーザーインターフェースはキャラクタユーザインタフェース(CUI)で、コマンドラインインタプリタCOMMAND.COMの表示するコマンドプロンプトにコマンドを与えて操作を行う。一部のメーカーが独自に追加したり、後のバージョンで搭載されたグラフィカルなツールもある。UNIXを参考にした階層型のファイルシステムを持つが、ファイル名の制約などが厳しく機能は低い。
歴史的には1981年にIBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
両社はバージョン5まではOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)を結んでおり互換性が保たれた。当時は8ビット市場ではCP/Mが事実上の標準であったが、16ビット市場ではPC DOSならびにMS-DOSが主流となった。
特にMS-DOSはインテルのx86系マイクロプロセッサを搭載した各社・各機種のパーソナルコンピュータに移植され、世界的にはPC/AT互換機、日本ではNECのPC-9800シリーズ、富士通のFMRシリーズ、東芝のダイナブックなど各社独自仕様のアーキテクチャに移殖された。後にはAXのベースとなったし、更には組み込み機器などに、広く普及し主流となった。
しかしMS-DOS (PC DOS)を搭載しているPCであっても、アーキテクチャが異なる機種間ではアプリケーションソフトウェアの互換性はほとんど無かった。MS-DOSは画面描画に関わるAPIを持たないため、グラフィックメモリを操作して画面描画を行うアプリケーションはハードウェアを直接操作せざるを得ず機種依存となったためである。
日本ではソフトウェアのみで日本語表示を可能としたDOS/Vが発売され、漢字V-RAM機能を持たないPC/AT互換機が普及した。
バージョン6からはIBMとマイクロソフトのOS共同開発契約が終了し、後にMS-DOSとPC DOSの単体販売やサポートも終了したため、現在はオープンソースを含めた互換DOSの他、Microsoft Windowsのコマンドプロンプト環境などのDOS互換環境が存在する。
MS-DOSは1995年時点で全世界で1億本を出荷した[1]。
歴史
開発の経緯
詳細は「シアトル・コンピュータ・プロダクツ」および「QDOS」を参照
1980年7月頃、IBMは後にIBM PCとなるパーソナルコンピュータの開発に着手した。しかし、IBMの主力商品である汎用コンピュータに比べるとごく少数のスタッフとわずかな予算しか与えられなかった。プロジェクトリーダーのフィリップ・ドン・エストリッジは、可及的速やかに商品化にこぎ着けるためにソフトウェアは自社開発せずすべて外部から調達する方針を立てた。
当時のマイクロソフトはBASICインタプリタやアセンブラならびに各種言語のコンパイラ等を開発しており、それらの製品のほとんどが当時のパーソナルコンピュータ市場におけるデファクトスタンダードOSであるデジタルリサーチのCP/M上で動作するものであった。
IBMはマイクロソフトに対し当初はBASICなどの言語製品の開発を依頼していた。OSについても8086対応版のCP/Mをマイクロソフトに開発してもらおうとした。しかし彼らはCP/Mのソースの権利を持っていなかった為、ビル・ゲイツのアドバイスに従ってデジタルリサーチ社と交渉することにした。しかしデジタルリサーチとの交渉はうまくいかず、結局マイクロソフト自身がOSを開発する事となった。
とは言うもののマイクロソフトにはOSの開発経験は無かったため、同じ頃CP/Mが8086に移植されない事に業を煮やして独自に移植作業を行っていたシアトル・コンピュータ・プロダクツ社の86DOS(QDOS)を開発者込みで買収しIBM PC用に改修した[2]。
各メーカーへのOEM供給
IBMは当初は「PC DOS」名称でIBMのみへの供給を主張し、マイクロソフトはIBM以外のメーカーへのOEM供給を主張した結果、「IBM用はPC DOS名称。マイクロソフトによる各メーカーへのOEM供給も認めて普及を図る」という役割分担となったと言われる。(この役割分担は後のOS/2 1.xでも同様となる。)
リスクを軽減化するために買い取りを避けIBM PCの出荷台数に対して使用料を支払うというライセンス契約をしたこと、そしてマイクロソフトから各メーカーへの自由なOEM供給を認めた事が後のマイクロソフトの躍進の原動力と言え、また見方を変えれば、最終的に「軒先を貸して母屋を取られた」IBMの大失策であるとも言えるが、MS-DOS(およびPC DOS)の普及(デファクトスタンダード化)を決定づけたとも言える。
マイクロソフトからのOEM版の最初は1982年のバージョン1.25でZenith Data SystemsのZDOSと言われる。供給先メーカも名称も複数あったと言われる。1983年のバージョン2.0より「MS-DOS」名称に一本化された。ただし複数のバージョン1も後に「MS-DOS 1.0」などと総称される場合が多い。「MS-DOSエンサイクロペディア」によると、IBM以外の各メーカーへのOEM供給版に自社の商標(MS)をつけ「MS-DOS」名称としたのは、OEM先メーカーが独自の名前をつけたため混乱を避けるために整理したものとされている。
その後も富士通FM TOWNSのTownsOSや各種の制御機器など、内部的にMS-DOSがOEM提供されている場合には「MS-DOS」の名称はユーザーに見えない場合が多い。
DOSの限界と終息
DOSは標準でグラフィカルユーザインターフェースやマルチタスク機能や仮想記憶を持たず、80386などの32ビット環境でも「高速な8086」としか使用できなかったため、DOSの拡張や次世代OSが待望された。
1985年にはDOSエクステンダーであるDESQviewや、DOS上で稼働する「オペレーティング環境」としてMicrosoft Windowsが登場した。
更に1987年には本格的なDOSの後継OSとしてIBMとマイクロソフトからOS/2 1.0が登場した。OS/2はDOSと同様に、IBMからはOS/2 IBM版が、IBM以外のメーカーへのOEM版としてはOS/2 マイクロソフト版が提供されたが、性能やDOS互換環境の問題もあり広く普及しなかったためDOSは継続して使われた。
1990年に日本ではIBM DOSバージョン4からDOS/Vが生まれ、マイクロソフトもバージョン5からDOS/Vを採用して単体での直販も開始したため、日本市場でもPC/AT互換機が普及した。
1993年のバージョン6からは、IBMとマイクロソフトのOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)が終了したため以後はIBMまたはマイクロソフトの単独開発となり、基本部分の互換性は保たれているが付属ユーティリティの相違などが広がった。マイクロソフトはこのMS-DOS 6を単体販売の最終バージョンとし、1995年のMicrosoft Windows 95以降は単体のDOSも不要となった(技術的にはDOSは内部的に存在しているが、製品としてバンドルされている)。IBMはDOSの改良を続けたが、1998年のPC DOS 2000が最終バージョンであり2002年にはサポートも終了した。
機能
MS-DOSと名付けられているように、マイクロソフトのパーソナルコンピュータ向けのDOS(ディスク・オペレーティング・システム)であり、主にディスクの管理を行うシングルタスクOSであった。マルチタスク機能・メモリ保護機能などはOS内部には持っていなかった。またグラフィック画面やサウンドの操作・ネットワーク機能などは、Microsoft WindowsやLAN Managerのほかアプリケーションが直接I/Oを操作するかデバイスドライバなどで提供されていた。
ファイル管理
ファイルの管理は、FATとクラスタにより構成され、ファイル名は8.3形式(8文字までのベース名と3文字までの拡張子の合計11文字まで(拡張子の前の「.」は数えない))で表す。アルファベットの大文字と小文字は区別しない(全て大文字と見なされる)。さらにバージョン2以降では、ディレクトリやファイル属性の与奪が使用できた。
起動順序
起動順序はバージョンによって若干違うが、概ね以下の通りである。
1. コンピュータのBIOSやディスクのマスターブートレコードからディスクのセクタ0にあるブートセクタを読み込んで実行。
2. IO.SYSを起動し、その後MSDOS.SYSに制御を移行する。
3. CONFIG.SYSが起動ドライブのルートディレクトリにあれば、記述されたデバイスドライバを読みこむ。
4. バッチ処理のためのコマンドインタプリタでもある標準シェルのCOMMAND.COMを起動する。
5. AUTOEXEC.BATが起動ドライブのルートディレクトリにあれば、その内容を実行し、環境変数の設定や起動時に実行すべきコマンド等の呼び出し、場合によってはアプリケーションの起動なども行う。
COMMAND.COMでは、各ドライブをA:から最大Z:(これは環境変数LASTDRIVEで変更可)までのドライブレターで管理し、内部コマンドではファイル・ディレクトリ一覧の参照、ファイルとディレクトリの作成・コピー・名前変更、コンピュータの時刻や環境変数およびパスの設定参照などができるほか、外部コマンドやアプリケーションなどの実行形式のファイルの起動が行えた。またVer.2以降ではUNIXを意識したリダイレクトやパイプなども利用できたが、MS-DOS上のパイプやリダイレクトはいずれもテンポラリファイルを介した擬似的な実装に留まっていた。
実行ファイル
MS-DOSにおける実行ファイルの形式は、現在のUNIX系環境で言うシェルスクリプトに類似したコマンドのバッチ処理を記述するBATファイルと、CPUが直接実行するバイナリファイルに大別することができる。
このうちバイナリファイルには、単一のセグメントを使うCOM形式、各セグメントが異なるアドレスに設定される場合のEXE形式、さらにデバイスドライバとしてSYS形式が存在し、それぞれ同名の拡張子を持つ。
COM形式の実行ファイルは、バイナリ読み込み時に設定されるコード・データ・スタックの各セグメントが同一アドレスに設定され、プログラム内部でセグメントを操作しない場合は単一セグメント、最大64KBのメモリ空間を操作する。CP/M80用に書かれた8080用のアセンブリ言語のソースコードを8086へコンバートした場合を想定したメモリモデルであるが、COM形式のバイナリであってもプログラム側で適切にセグメントを操作することで64KB以上の空間へのアクセスが可能である。
このうち.SYS形式のバイナリは、原則的に起動時に一度だけ実行されるCONFIG.SYSに記述する以外の方法では直接読み込むことができない。ただし、NECのPC-9800シリーズ版の一部からADDDRV.EXEと登録を記述したファイルの組み合わせにより登録しDELDRV.EXEで外せるようになった(キャラクタデバイスのみであり、CONFIG.SYSで一度登録したデバイスドライバは外せない。IBM PC用では何種類かサードパーティで同様のプログラムが作成されている)。
システムコール
システムコールは、通常INT21hにより呼び出されるが、8080やZ80などの8ビットのコンピュータではメジャーな存在だったCP/Mとの互換性、特に8080用にアセンブリ言語で書かれたソースコードを8086にコンバートして用いる場合を想定し、call 5でも利用可能としてCP/M 80からの移行を促した。
メモリ管理
MS-DOSにおいて、DOS自身のカーネルを含むプログラムの実行に確保できるメモリ空間(ユーザーメモリ、コンベンショナル・メモリ)は、8086のアドレス空間の最大1MBである。ほとんどのコンピュータでは、この空間にBIOS ROMやメモリマップドI/O、VRAMなどの空間も存在するため、バンク切替えや様々なメモリ拡張手段などを用いずに一時にアクセス可能なメモリ空間は最大でも640KB(IBM PC互換機およびPC-9800シリーズ等)から768KB(PC-H98やFMRシリーズ・FM TOWNSなど)程度であった。
ただし、RAMディスクドライブやディスクキャッシュなどはバンクメモリやEMS、プロテクトメモリ(80286/386以降)等のコンベンショナルメモリ以外の領域・手段の利用が一般化していたため、「貴重な」コンベンショナルメモリがこれらの領域によって圧迫されることはなかった。
日本語入力用のFEPなどの常駐型のデバイスドライバを使用すると一度に使用できるユーザーメモリはさらに減少するため、ユーザーはEMSやXMS、HMAやUMBなどの拡張メモリの管理機能を利用して、辞書や常駐部やMS-DOSシステムの一部をそれらへ配置し、コンベンショナルメモリの圧迫を少しでも避けることが重視されるようになった。
これらのメモリへの配分設定はCONFIG.SYSやAUTOEXEC.BATを記述することで行い、事実上ユーザーに一任されていた。
バージョン3まではこれらの設定を行うためにはサードパーティー製のメモリドライバ等を使用する必要があったが、バージョン5では標準機能としてOSに組み込みメモリドライバやデバイスドライバも付属するようになった。また、これらの環境設定を半自動的に行う設定アプリケーションも添付された。
メモリドライバや各種デバイスドライバには組み込み用のバッチやスクリプト、設定アプリケーション等が整備され、「とりあえず動く」という状態を作るだけであればエンドユーザーがこれらを直接操作する必要はほぼ無かったが、千差万別なユーザーの環境にこれらが対応することもまた困難であり、ひとたびイレギュラーが発生した場合それらのお仕着せの環境に頼り切ったユーザーには事態収拾のハードルが高かったのも事実である。また「とりあえず」に飽き足らず無駄を省き最適な設定をするためには知見と試行錯誤が要求されるある種の職人芸的な資質が要求されたため、これらの事情が「MS-DOSの環境設定は非人間的で困難なものであった」とする後世の評価を招く原因ともなった。
Windows 9x
Windows 9x系のOSは製品としては「DOSを必要としない、Windowsという単体のOS」と称しているが、内部的には従来のWindows 3.xと同様MS-DOSモジュールから起動してプロテクトモードで稼働しGUIや擬似マルチタスクを提供する構造(一種のDOSエクステンダー)をしていた。ただし、Windowsが使用するMS-DOSシステムコールはごく一部に限られ、VFATなどによりファイル管理方法が拡張されている。なお、Windows 95・98などのWindows本体を起動していないMS-DOSモードの場合はVFAT上のロングファイルネームでも8文字+拡張子3文字のショートファイルネーム形式のファイル名で表示された。
バージョン
ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/MS-DOS
MS-DOS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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MS-DOS 開発元企業 / 開発者 マイクロソフト
OSの系統 DOS
開発状況 終了
ソースコード クローズドソース
最新安定版リリース 6.22 (単体販売最終版)/ 1994年
カーネル種別 モノリシックカーネル
既定のUI DOS CLI、TUI
ライセンス プロプライエタリ
PC DOS (IBM DOS) 開発元企業 / 開発者 IBM
OSの系統 DOS
開発状況 終了
ソースコード クローズドソース
最新安定版リリース
PC DOS 2000
/ 1998年
カーネル種別 モノリシックカーネル
既定のUI DOS CLI、TUI
ライセンス プロプライエタリ
MS-DOS(エムエス-ディーオーエス、えむえすどす)とは、マイクロソフトが開発・販売していたパーソナルコンピュータ向けの16ビットのオペレーティングシステム(OS)である。IBMのPC DOS (IBM DOS)のOEM供給版として誕生し、バージョン6より分化したため、本稿では両者を説明する。
名称
MS-DOS
正式名称が「MS-DOS」で、「マイクロソフトのDOS(ディスクオペレーティングシステム)」(Microsoft Disk Operating System)の意味である。
単に「DOS」と呼ぶ場合は、本来はディスク管理中心のオペレーティングシステムの総称だが、現在はMS-DOSを指す場合が多い。また厳密には、MS-DOSもバージョン1では複数のOEM供給先メーカーが複数の名称を付け、正式に「MS-DOS」名称に一本化されたのはバージョン2からである(従って「MS-DOSバージョン1」は後の呼称であり、当時はその名称の製品は存在しなかった)。OEM供給版の日本語版は、多くの場合「日本語MS-DOS」名称である。
なお、MS-DOSという名称の影響で、他のマイクロソフト製品も「MS-Windows」、「MS-Office」、「MS-Basic」など「MS-」を付けた略称が使用される場合があるが、いずれもMicrosoftを略した俗称であり、正式名称に「MS-」が付くのはMS-DOSだけである。
PC DOS / IBM DOS
正式名称はバージョンにより異なるが、総称して「PC DOS」または「IBM DOS」と呼ばれる場合も多い。
バージョン 英語版 日本語版 備考
正式名称 略称
1 IBM Personal Computer
Disk Operating System
(IBM PC用) PC DOS (なし) 略称がPC DOS
2 日本語DOS K2.x(5550用)
日本語DOS 2.0(JX用) 日本語版が登場。Kは「漢字」の意味。
3 日本語DOS K3.x(5550用)
4 IBM DOS 4.0 IBM DOS IBM DOS J4.0 (PS/55用)
IBM DOS J4.0/V (DOS/V) 名称変更。日本語版はDOS/V版が登場。
5 IBM DOS 5.0 IBM DOS J5.0 (PS/55用)
IBM DOS J5.0/V (DOS/V)
6.1, 6.3 PC DOS 6.x PC DOS PC DOS J6.x/V (DOS/V) 名称変更(元の略称が正式名称に)。日本語版はDOS/V版のみに。
7 PC DOS 7.0 PC DOS J7.0/V (DOS/V)
2000 PC DOS 2000 PC DOS 2000日本語版 (DOS/V) 日本語版の表記変更
なお「PC-DOS」との表記は正式ではない。また「IBM MS-DOS」や「MS-DOS IBM版」は存在しない(歴史的にはPC DOSのOEM版がMS-DOSであり、法的にはIBMはOS共同開発契約とその清算によりPC DOSの権利を最初から所有しており、マイクロソフトからライセンス供与を受けたのでは無い)。
概要
MS-DOSとPC DOS(IBM DOS)は、パーソナルコンピュータ向けの16ビットのディスク・オペレーティング・システム(DOS)で、その名前の通り主にディスクの管理を行うシングルタスクのオペレーティングシステムOSである。
基本的なユーザーインターフェースはキャラクタユーザインタフェース(CUI)で、コマンドラインインタプリタCOMMAND.COMの表示するコマンドプロンプトにコマンドを与えて操作を行う。一部のメーカーが独自に追加したり、後のバージョンで搭載されたグラフィカルなツールもある。UNIXを参考にした階層型のファイルシステムを持つが、ファイル名の制約などが厳しく機能は低い。
歴史的には1981年にIBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
両社はバージョン5まではOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)を結んでおり互換性が保たれた。当時は8ビット市場ではCP/Mが事実上の標準であったが、16ビット市場ではPC DOSならびにMS-DOSが主流となった。
特にMS-DOSはインテルのx86系マイクロプロセッサを搭載した各社・各機種のパーソナルコンピュータに移植され、世界的にはPC/AT互換機、日本ではNECのPC-9800シリーズ、富士通のFMRシリーズ、東芝のダイナブックなど各社独自仕様のアーキテクチャに移殖された。後にはAXのベースとなったし、更には組み込み機器などに、広く普及し主流となった。
しかしMS-DOS (PC DOS)を搭載しているPCであっても、アーキテクチャが異なる機種間ではアプリケーションソフトウェアの互換性はほとんど無かった。MS-DOSは画面描画に関わるAPIを持たないため、グラフィックメモリを操作して画面描画を行うアプリケーションはハードウェアを直接操作せざるを得ず機種依存となったためである。
日本ではソフトウェアのみで日本語表示を可能としたDOS/Vが発売され、漢字V-RAM機能を持たないPC/AT互換機が普及した。
バージョン6からはIBMとマイクロソフトのOS共同開発契約が終了し、後にMS-DOSとPC DOSの単体販売やサポートも終了したため、現在はオープンソースを含めた互換DOSの他、Microsoft Windowsのコマンドプロンプト環境などのDOS互換環境が存在する。
MS-DOSは1995年時点で全世界で1億本を出荷した[1]。
歴史
開発の経緯
詳細は「シアトル・コンピュータ・プロダクツ」および「QDOS」を参照
1980年7月頃、IBMは後にIBM PCとなるパーソナルコンピュータの開発に着手した。しかし、IBMの主力商品である汎用コンピュータに比べるとごく少数のスタッフとわずかな予算しか与えられなかった。プロジェクトリーダーのフィリップ・ドン・エストリッジは、可及的速やかに商品化にこぎ着けるためにソフトウェアは自社開発せずすべて外部から調達する方針を立てた。
当時のマイクロソフトはBASICインタプリタやアセンブラならびに各種言語のコンパイラ等を開発しており、それらの製品のほとんどが当時のパーソナルコンピュータ市場におけるデファクトスタンダードOSであるデジタルリサーチのCP/M上で動作するものであった。
IBMはマイクロソフトに対し当初はBASICなどの言語製品の開発を依頼していた。OSについても8086対応版のCP/Mをマイクロソフトに開発してもらおうとした。しかし彼らはCP/Mのソースの権利を持っていなかった為、ビル・ゲイツのアドバイスに従ってデジタルリサーチ社と交渉することにした。しかしデジタルリサーチとの交渉はうまくいかず、結局マイクロソフト自身がOSを開発する事となった。
とは言うもののマイクロソフトにはOSの開発経験は無かったため、同じ頃CP/Mが8086に移植されない事に業を煮やして独自に移植作業を行っていたシアトル・コンピュータ・プロダクツ社の86DOS(QDOS)を開発者込みで買収しIBM PC用に改修した[2]。
各メーカーへのOEM供給
IBMは当初は「PC DOS」名称でIBMのみへの供給を主張し、マイクロソフトはIBM以外のメーカーへのOEM供給を主張した結果、「IBM用はPC DOS名称。マイクロソフトによる各メーカーへのOEM供給も認めて普及を図る」という役割分担となったと言われる。(この役割分担は後のOS/2 1.xでも同様となる。)
リスクを軽減化するために買い取りを避けIBM PCの出荷台数に対して使用料を支払うというライセンス契約をしたこと、そしてマイクロソフトから各メーカーへの自由なOEM供給を認めた事が後のマイクロソフトの躍進の原動力と言え、また見方を変えれば、最終的に「軒先を貸して母屋を取られた」IBMの大失策であるとも言えるが、MS-DOS(およびPC DOS)の普及(デファクトスタンダード化)を決定づけたとも言える。
マイクロソフトからのOEM版の最初は1982年のバージョン1.25でZenith Data SystemsのZDOSと言われる。供給先メーカも名称も複数あったと言われる。1983年のバージョン2.0より「MS-DOS」名称に一本化された。ただし複数のバージョン1も後に「MS-DOS 1.0」などと総称される場合が多い。「MS-DOSエンサイクロペディア」によると、IBM以外の各メーカーへのOEM供給版に自社の商標(MS)をつけ「MS-DOS」名称としたのは、OEM先メーカーが独自の名前をつけたため混乱を避けるために整理したものとされている。
その後も富士通FM TOWNSのTownsOSや各種の制御機器など、内部的にMS-DOSがOEM提供されている場合には「MS-DOS」の名称はユーザーに見えない場合が多い。
DOSの限界と終息
DOSは標準でグラフィカルユーザインターフェースやマルチタスク機能や仮想記憶を持たず、80386などの32ビット環境でも「高速な8086」としか使用できなかったため、DOSの拡張や次世代OSが待望された。
1985年にはDOSエクステンダーであるDESQviewや、DOS上で稼働する「オペレーティング環境」としてMicrosoft Windowsが登場した。
更に1987年には本格的なDOSの後継OSとしてIBMとマイクロソフトからOS/2 1.0が登場した。OS/2はDOSと同様に、IBMからはOS/2 IBM版が、IBM以外のメーカーへのOEM版としてはOS/2 マイクロソフト版が提供されたが、性能やDOS互換環境の問題もあり広く普及しなかったためDOSは継続して使われた。
1990年に日本ではIBM DOSバージョン4からDOS/Vが生まれ、マイクロソフトもバージョン5からDOS/Vを採用して単体での直販も開始したため、日本市場でもPC/AT互換機が普及した。
1993年のバージョン6からは、IBMとマイクロソフトのOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)が終了したため以後はIBMまたはマイクロソフトの単独開発となり、基本部分の互換性は保たれているが付属ユーティリティの相違などが広がった。マイクロソフトはこのMS-DOS 6を単体販売の最終バージョンとし、1995年のMicrosoft Windows 95以降は単体のDOSも不要となった(技術的にはDOSは内部的に存在しているが、製品としてバンドルされている)。IBMはDOSの改良を続けたが、1998年のPC DOS 2000が最終バージョンであり2002年にはサポートも終了した。
機能
MS-DOSと名付けられているように、マイクロソフトのパーソナルコンピュータ向けのDOS(ディスク・オペレーティング・システム)であり、主にディスクの管理を行うシングルタスクOSであった。マルチタスク機能・メモリ保護機能などはOS内部には持っていなかった。またグラフィック画面やサウンドの操作・ネットワーク機能などは、Microsoft WindowsやLAN Managerのほかアプリケーションが直接I/Oを操作するかデバイスドライバなどで提供されていた。
ファイル管理
ファイルの管理は、FATとクラスタにより構成され、ファイル名は8.3形式(8文字までのベース名と3文字までの拡張子の合計11文字まで(拡張子の前の「.」は数えない))で表す。アルファベットの大文字と小文字は区別しない(全て大文字と見なされる)。さらにバージョン2以降では、ディレクトリやファイル属性の与奪が使用できた。
起動順序
起動順序はバージョンによって若干違うが、概ね以下の通りである。
1. コンピュータのBIOSやディスクのマスターブートレコードからディスクのセクタ0にあるブートセクタを読み込んで実行。
2. IO.SYSを起動し、その後MSDOS.SYSに制御を移行する。
3. CONFIG.SYSが起動ドライブのルートディレクトリにあれば、記述されたデバイスドライバを読みこむ。
4. バッチ処理のためのコマンドインタプリタでもある標準シェルのCOMMAND.COMを起動する。
5. AUTOEXEC.BATが起動ドライブのルートディレクトリにあれば、その内容を実行し、環境変数の設定や起動時に実行すべきコマンド等の呼び出し、場合によってはアプリケーションの起動なども行う。
COMMAND.COMでは、各ドライブをA:から最大Z:(これは環境変数LASTDRIVEで変更可)までのドライブレターで管理し、内部コマンドではファイル・ディレクトリ一覧の参照、ファイルとディレクトリの作成・コピー・名前変更、コンピュータの時刻や環境変数およびパスの設定参照などができるほか、外部コマンドやアプリケーションなどの実行形式のファイルの起動が行えた。またVer.2以降ではUNIXを意識したリダイレクトやパイプなども利用できたが、MS-DOS上のパイプやリダイレクトはいずれもテンポラリファイルを介した擬似的な実装に留まっていた。
実行ファイル
MS-DOSにおける実行ファイルの形式は、現在のUNIX系環境で言うシェルスクリプトに類似したコマンドのバッチ処理を記述するBATファイルと、CPUが直接実行するバイナリファイルに大別することができる。
このうちバイナリファイルには、単一のセグメントを使うCOM形式、各セグメントが異なるアドレスに設定される場合のEXE形式、さらにデバイスドライバとしてSYS形式が存在し、それぞれ同名の拡張子を持つ。
COM形式の実行ファイルは、バイナリ読み込み時に設定されるコード・データ・スタックの各セグメントが同一アドレスに設定され、プログラム内部でセグメントを操作しない場合は単一セグメント、最大64KBのメモリ空間を操作する。CP/M80用に書かれた8080用のアセンブリ言語のソースコードを8086へコンバートした場合を想定したメモリモデルであるが、COM形式のバイナリであってもプログラム側で適切にセグメントを操作することで64KB以上の空間へのアクセスが可能である。
このうち.SYS形式のバイナリは、原則的に起動時に一度だけ実行されるCONFIG.SYSに記述する以外の方法では直接読み込むことができない。ただし、NECのPC-9800シリーズ版の一部からADDDRV.EXEと登録を記述したファイルの組み合わせにより登録しDELDRV.EXEで外せるようになった(キャラクタデバイスのみであり、CONFIG.SYSで一度登録したデバイスドライバは外せない。IBM PC用では何種類かサードパーティで同様のプログラムが作成されている)。
システムコール
システムコールは、通常INT21hにより呼び出されるが、8080やZ80などの8ビットのコンピュータではメジャーな存在だったCP/Mとの互換性、特に8080用にアセンブリ言語で書かれたソースコードを8086にコンバートして用いる場合を想定し、call 5でも利用可能としてCP/M 80からの移行を促した。
メモリ管理
MS-DOSにおいて、DOS自身のカーネルを含むプログラムの実行に確保できるメモリ空間(ユーザーメモリ、コンベンショナル・メモリ)は、8086のアドレス空間の最大1MBである。ほとんどのコンピュータでは、この空間にBIOS ROMやメモリマップドI/O、VRAMなどの空間も存在するため、バンク切替えや様々なメモリ拡張手段などを用いずに一時にアクセス可能なメモリ空間は最大でも640KB(IBM PC互換機およびPC-9800シリーズ等)から768KB(PC-H98やFMRシリーズ・FM TOWNSなど)程度であった。
ただし、RAMディスクドライブやディスクキャッシュなどはバンクメモリやEMS、プロテクトメモリ(80286/386以降)等のコンベンショナルメモリ以外の領域・手段の利用が一般化していたため、「貴重な」コンベンショナルメモリがこれらの領域によって圧迫されることはなかった。
日本語入力用のFEPなどの常駐型のデバイスドライバを使用すると一度に使用できるユーザーメモリはさらに減少するため、ユーザーはEMSやXMS、HMAやUMBなどの拡張メモリの管理機能を利用して、辞書や常駐部やMS-DOSシステムの一部をそれらへ配置し、コンベンショナルメモリの圧迫を少しでも避けることが重視されるようになった。
これらのメモリへの配分設定はCONFIG.SYSやAUTOEXEC.BATを記述することで行い、事実上ユーザーに一任されていた。
バージョン3まではこれらの設定を行うためにはサードパーティー製のメモリドライバ等を使用する必要があったが、バージョン5では標準機能としてOSに組み込みメモリドライバやデバイスドライバも付属するようになった。また、これらの環境設定を半自動的に行う設定アプリケーションも添付された。
メモリドライバや各種デバイスドライバには組み込み用のバッチやスクリプト、設定アプリケーション等が整備され、「とりあえず動く」という状態を作るだけであればエンドユーザーがこれらを直接操作する必要はほぼ無かったが、千差万別なユーザーの環境にこれらが対応することもまた困難であり、ひとたびイレギュラーが発生した場合それらのお仕着せの環境に頼り切ったユーザーには事態収拾のハードルが高かったのも事実である。また「とりあえず」に飽き足らず無駄を省き最適な設定をするためには知見と試行錯誤が要求されるある種の職人芸的な資質が要求されたため、これらの事情が「MS-DOSの環境設定は非人間的で困難なものであった」とする後世の評価を招く原因ともなった。
Windows 9x
Windows 9x系のOSは製品としては「DOSを必要としない、Windowsという単体のOS」と称しているが、内部的には従来のWindows 3.xと同様MS-DOSモジュールから起動してプロテクトモードで稼働しGUIや擬似マルチタスクを提供する構造(一種のDOSエクステンダー)をしていた。ただし、Windowsが使用するMS-DOSシステムコールはごく一部に限られ、VFATなどによりファイル管理方法が拡張されている。なお、Windows 95・98などのWindows本体を起動していないMS-DOSモードの場合はVFAT上のロングファイルネームでも8文字+拡張子3文字のショートファイルネーム形式のファイル名で表示された。
バージョン
ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/MS-DOS
1982年4月15日木曜日
[PCゲーム] NEC PC-8001ゲーム,OMC SOFT
[PCゲーム] NEC PC-8001ゲーム,OMC SOFT
OMC SOFT
◆ヒットキャンサー
ジャンル: シミュレーション
NEC PC-8001mkII用ゲーム
◆地獄八景
ジャンル: アドベンチャー
NEC PC-8001mkII用ゲーム
OUT of STANDARD
http://www.geocities.jp/upd780c1/n80/frame.html
ヒットキャンサー
地獄八景
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