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1989年10月20日金曜日

[ソフト] NEC PC-9801環境でDOS用バックアップツール「オーシャノグラフィII」をつかう

[ソフト] NEC PC-9801環境でDOS用バックアップツール「オーシャノグラフィII」をつかう
根気とフロッピーがあれば2GBでも・・・。 ~ オーシャノグラフィII ~
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2010/12/27(月) 午後 6:50
PC-98x1関係 ソフトウェア
皆様、こんにちは。
年末も近づき、おいらも忙しい日々になっています。><
まぁ、今回が今年最後の記事になるかもしれません。
とは言え、取って置きのネタもないので、またまたソフトのご紹介。^^;
今回は、マイクロデータ社製のバックアップツール「オーシャノグラフィII」です。
今年は、おいらの2大イベント
「Dual PentiumPRO機 OS探しの旅」
「PC-9801F 再稼動計画」
が終わり、真っ白に燃え尽きました。^^;
来年は新しい薪を探し、燃えて行きたいと思っています。^^ノ
皆様、本年中は大変お世話になりました。
来年もまた、宜しくお願い致します。
良いお年をお迎え下さい。^^ノ

おいらの趣味(興味)
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=2
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=5














1989年10月19日木曜日

[ソフト] NEC PC-9801/MS-DOS用ワープロソフト「一太郎 dash ver.1」


何故にdashなのか・・・。 ~ 一太郎 dash ~
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2010/11/29(月) 午後 8:47 PC-98x1関係 パソコン
JUSTWINDOWS
PC-9801/MS-DOS用ワープロソフト「一太郎 dash ver.1」
皆様、こんにちは。
さて、やはりPCは弄ってないので、懐かしのソフトでもご紹介しておきますかね。^^;
今回は超有名なワープロソフト「一太郎」のノート向け軽量版である、「一太郎 dash」のご紹介。
とは言っても、手元には有るけど、使った事は無いのでした。^^;
一太郎 Ver.4のサブセットだったようですね。
PC-9801Fで作動するので結構古いものですね。
DOSもVer2.11が入ってますし・・・。
今回、ジャストウィンドウとか懐かしい言葉も思い出しました。
一太郎のWikiを見てみると、文芸作品作成に最適化された「一太郎 文藝」、公文書作成用の「一太郎ガバメント」なんかもあるんですね。
恐るべし一太郎ファミリー!

おいらの趣味(興味)
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1988年10月20日木曜日

[ソフト] NEC PC-9801/MS-DOS用ディスクアナライザ「WIZARD98」


WIZARD98とWIZERD V3/98
ディスクアナライザ? ~ WIZARDシリーズ ~
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2010/6/28(月) 午前 0:00 
PC-98x1関係 ソフトウェア
皆様、こんにちは。
今となっては大きな声では言えませんが、昔は、PCソフトのレンタルショップが沢山あり、まぁ、そういう時代でしたので、ソフトのコピーツールも沢山ありました。^^;
勿論、正規ソフトのバックアップツールとしての名目であった気はしますが・・・。^^;
確か、おいらはベビーメーカーとかを使ってました。
今回ご紹介するのは、WIZARD98とWIZERD V3/98です。
まぁ、ディスクアナライザ的なものですが、恐らく単純にコピーツールとして使ってた人が殆どだと思います。
WIZARD ディスクマガジンなども販売されて、増えていくソフトに対応するって感じでしたね。^^;

おいらの趣味(興味)
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1988年8月25日木曜日

[社会] 演算機器の歴史

[社会] 演算機器の歴史
演算機器の歴史(まとめ)私見
書庫技術立国の源流
カテゴリ工学
2017/2/20(月) 午前 7:01
ナイル川源流地域(コンゴ東部)で発見された約2万年前の「イシャンゴの骨」、
紀元前3000~2600年頃の「古代インド数学」、
紀元前1900年から1600年頃の「バビロニア数学」、
紀元前1600年頃~1046年の中国の殷王朝時代の数学
など、紀元前から史料が人類と数学の結びつきを示している。
以前に「日本人と数学史」でも考えてみたが、前漢・後漢の紀元前1世紀から紀元後2世紀に出来上がった「九章算術」を元に日本の数学も広がったと云われている。
演算装置(機器)の歴史を追ってみたが、「通信技術」と同様に軍事技術と密接に関係があることが解った。
演算機器の歴史(上) 17世紀 1960年
演算機器の歴史(中) 1961年 1980年
演算機器の歴史(下) 1981年 2015年
道具を使った高度な演算は、17世紀初頭にスコットランドのジョン・ネイピア(John Napier)によって発表され、6年後にイギリスのエドムント・ガンター(Edmund Gunter)が対数尺を考案した記録が残っている。
ガンターが発明した計算尺は長さ60cm、幅4cmの長い板に、数直線とそれに対する三角関数の値と対数値などが刻んであり、この計算尺は電卓が広まる1970年代まで広く使われたようだ。
更にイギリスのウィリアム・オートレッド(William Oughtred)が複数の円盤スケールをずらして計算を行う方法で、通常の対数目盛の他、三角関数等の関数値のほか、乗除計算もできるようになった。
TRIGONOMETRY
機械式計算機が生まれたのはフランスで、パスカルの原理、パスカルの定理などで知られるブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)が、1642年に歯車式計算機を完成させた事だろう。
歯車式計算機「パスカリーヌ」
パスカルは、わずか17歳で歯車式計算機を計画し2年後に完成させて、「パスカリーヌ」(Pascaline)50台の試作機を作ったと云う。
ドイツのシッカートの計算機(1623年=未詳)、同じくドイツのライプニッツの計算機(1670年代)と比較されるが、この時代に機械式の計算機が発展して行ったことは間違いないだろう。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html






演算機器の歴史
年月 国名 事象
1981年 アメリカ
IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが
「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
1981年 日本
カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、
電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。
1982年10月 日本
NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで従来のPCユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。
1983年06月 日本
パソコン既存メーカーに対して出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表された。米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格。
1983年07月 日本
任天堂より家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。 8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03で、ゲームプログラムはROMカートリッジで提供した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界に広がった。
1984年06月 日本
トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げて、デジタル家電で広く使用されている。
1984年08月 アメリカ
IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指すした。
1985年11月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場した。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。のちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。
1985年11月 日本
日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。
1998年11月 日本
ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。
1990年05月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。
1990年10月 日本
日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。
1991年09月 スェーデン
リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。
1993年06月 アメリカ
Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。
1993年11月 日本
航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。
1994年06月 日本
富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。
1994年12月 アメリカ
カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。
1994年12月 日本
ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。
1996年 日本
本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。
1997年06月 アメリカ
インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。
2000年 日本
本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。
2001年11月 アメリカ
マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、Windows 8ではエンターテインメントブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。
2002年06月 日本
JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。
2004年11月 アメリカ
ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。
2010年10月 日本
政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
2011年06月 日本
文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。
2013年06月 アメリカ
ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年11月 日本
東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。
2013年11月 中国
国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。
2014年06月 日本
理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。

1985年10月25日金曜日

1985年10月17日木曜日

[OS] Windows1.0




















演算機器の歴史
年月 国名 事象
1981年 アメリカ
IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが
「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
1981年 日本
カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、
電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。
1982年10月 日本
NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで従来のPCユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。
1983年06月 日本
パソコン既存メーカーに対して出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表された。米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格。
1983年07月 日本
任天堂より家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。 8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03で、ゲームプログラムはROMカートリッジで提供した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界に広がった。
1984年06月 日本
トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げて、デジタル家電で広く使用されている。
1984年08月 アメリカ
IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指すした。
1985年11月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場した。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。のちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。
1985年11月 日本
日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。
1998年11月 日本
ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。
1990年05月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。
1990年10月 日本
日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。
1991年09月 スェーデン
リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。
1993年06月 アメリカ
Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。
1993年11月 日本
航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。
1994年06月 日本
富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。
1994年12月 アメリカ
カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。
1994年12月 日本
ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。
1996年 日本
本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。
1997年06月 アメリカ
インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。
2000年 日本
本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。
2001年11月 アメリカ
マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、Windows 8ではエンターテインメントブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。
2002年06月 日本
JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。
2004年11月 アメリカ
ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。
2010年10月 日本
政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
2011年06月 日本
文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。
2013年06月 アメリカ
ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年11月 日本
東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。
2013年11月 中国
国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。
2014年06月 日本
理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。























































[ゲーム] シンキングラビット「道化師殺人事件」,NEC PC-9801版アドベンチャーゲーム


[ゲーム] シンキングラビット「道化師殺人事件」,NEC PC-9801版アドベンチャーゲーム
緻密なグラフィック・・・? ~ 道化師殺人事件 ~
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2010/5/23(日) 午後 7:33 PC-98x1関係 パソコン
皆様、こんにちは、
今回は、なべひゃんさんから頂いたソフトをご紹介。^^ノ
シンキングラビットの名作「道化師殺人事件」です。
PC-9801/E/F対応 2DD版
1985年に発売され、シナリオの良さと緻密なグラフィックで、当時大変人気のあったアドベンチャーゲームです。
コマンド入力方式という、今じゃありえない方法でゲームを進めていきます。
前に進む時は「8」「N」「NORTH」とかのコマンドを入力します。^^;
おいらは遊んだ事無いけど、リメイクされて、PS版とか出てたみたいだから、確かに面白いのでしょうね。
おいらは・・・だ、駄目だ・・・。
アドベンチャーゲーム自体をあまりしないし、コマンド探すとか耐えられません。><
攻略サイトでも見つけますかねぇ・・・。^^;

おいらの趣味(興味)
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=8





1984年8月15日水曜日

[OS] Windows NT


マイクロソフト研究1(サイト)
2005/10/23(日) 午前 1:42
無題 ホームページ
マイクロソフト研究(サイト)
公式サイト
http://www.microsoft.com/
http://www.microsoft.com/japan/
***
マイクロソフトというとウィンドウズ、ビルゲイツ、オフィスまではいえてもそれ以上をいえる方は少ない。この文は実は映画「ネットフォース」に関連して自分でマイクロソフトについて勉強するために作成したレポートである。
時間の都合もあり先人の業績にかなり負っている。

現在マイクロソフト社(Microsoft Corporation /NASDAQ: MSFT)は世界90ヶ国以上に展開するグローバルIT企業である。
実質、パソコンのソフトウェアにおいてグローバルスタンダードを形成している。
「マイクロソフト (Microsoft Corporation) は、世界最大のコンピュータ・ソフトウェア会社であり、ハードウェアも扱っている会社。1975年4月4日に
ビル・ゲイツとポール・アレンによって設立された」(1)。
「マイクロソフト社は現在もっとも成功した会社といわれる。また、その創業者であり現CEO のビル・ゲイツ氏は、ここ数年、世界一の金持ちである。
(フォーブス誌によると1994年以来、ビル・ゲイツは常に世界一の富豪である。)
そのため、彼は、アメリカン・ドリームを実現させた天才といわれている」(2)
今回はマイクロソフト社の歴史をウイッキペディア百貨辞典から引用したのち、対外的問題、対内的問題を指摘してみる。
*****引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/

概要
本社はアメリカ合衆国ワシントン州レッドモンド市(シアトル郊外)にあり、広大な敷地に中低層のビルが点在し、運動場もあることから、大学のキャンパスになぞらえて「マイクロソフト・キャンパス」と呼ばれている。
これにちなんでマイクロソフトのことをレッドモンドと呼ぶことがある。
当初は、世に登場して間もない8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア (Altair)」上で動く、BASICインタープリタの開発・販売で成功を収めた。
当初はネイティブ環境(カセットテープベースでOSは無く、ROM-BASICに近い環境のもの)であったが、CP/Mが標準プラットフォームとなると、CP/Mベース
のMBASICを発表する。グラフィックス機能をつけたGBASIC、16bit用のGWBASIC(GWのWは16bitを意味するダブルバイト/ワードだとされている)が登場する。
ついで、IBM-PC上のOSの開発を請け負い(シアトルコンピュータプロダクツの86-DOSの権利を購入し改良、86DOSの開発者ティム・パターソンは後にマイクロソフトに引き抜かれMS-DOSの開発メインスタッフとなる)、PC-DOS(自社ブランドでMS-DOS)を開発。IBM-PCとそれら互換機の普及と共に OS の需要も伸び、現在に至る地固めを確かなものとした。
マイクロソフトは、MS-DOSを改良するほかに各機種用のBASICやC言語・Fortranなどの開発を手がける一方、Macintoshの影響を受けて、MS-DOS上で動作するGUIシステム「Windows」の開発に注力した。
また、ビジネス向けの表計算ソフトやワープロソフトなどを開発し、先行する他社と「買収か潰すか、どっちか」とまで言われた熾烈な競争を繰り広げ、各方面で賛否を仰ぎながらも、多方面のビジネスソフトでシェアを独占するに至った(
このビジネスモデルにより、後にブラウザ戦争や、Java陣営・Linux陣営との確執なども行われている)。
黎明期の1970年代後半-1980年代前半には、当時早稲田大学の学生であった西和彦(アスキー創業者、元社長)がビル・ゲイツと意気投合し、マイクロソフトの副社長を務めるなどした。このことは、マイクロソフトの日本進出に大きく作用している。
アスキーは、MSXやAXの共同展開や、日本法人設立までの日本代理店を務めるなど、大きな貢献をしていたが、80年代後半にマイクロソフトが日本法人を、アスキーから一部の社員が独立する形で設立したため、いったん提携を解消した。
OSはMS-DOSの他にXenixの開発や、IBMと共同でOS/2の開発もしていたが、その後DECの開発チームを移籍させるなどしてWindows NTを開発した。
このノウハウを元にWin-dowsとMS-DOSを一体化し、GUIを改良したWindows95を発売し、世界中で独自規格のパソコンをPC/AT互換機に移行させた。また、このときにアスキーとの復縁もアピールした。
その後もWindowsの改良を進め、何度もマイナーチェンジを繰り返した他、インターネット経由やCD-ROMなどで大量のパッチを配布している。Windows NTによりサーバー市場への進出も果たした。
最終的にはMS-DOS系のWindowsをWindows NT系に統合した。
また、ゲーム機としてXboxを2001年に発売した。因みに何の因果か、ゲー-ム業界ではライバルである任天堂の米国法人(ニンテンドー・オブ・アメリカ)とは、立地上お隣同士である。(1 2005年10月22日現在)
***
問題点の1はCP/M(正確には互換OSの86-DOS)をMS-DOSに改良して販売した点にある。
この互換OSはシアトルプロダクツのプログラマーが開発したものだが、マイクロソフトはその互換OSを、25000ドルで買い取り、MS-DOSという名で、販売した。
それは独創的なものとは言いがたいものだった(これはBASICに対してもいえ
ることである)。
問題点の2はウィンドウズはコントロールパネルやメニュー操作など、マッキントッシュ(MAC-OS)の操作性を模倣したことになる、初期のバージョンではウインド
ウズはマックよりも遅く、思うように操作もできなかったため問題にならなかった。
しかし、1993年、MS-DOSの上で動作する3.1が発表され、さらにMAC-OSの開発プログラマーを大量にスカウトし、ウィンドウズ95が完成するとアップル社との係争が持ち上がった。
ウインドウズ95はMS-DOSなしで単体で動作するOSで、操作性がMAC-OSとほぼ同じで、ごみ箱やフォルダ、ショートカットなどデザインも同一だった。
それは独創的なものとは言いがたいものだった。
問題点の3は抱き合わせ販売である。パソコンメーカー各社は自社のパソコンに他社のワープロや表計算といったソフトウェアをあらかじめバンドルして販売していた。
マイクロソフトは、そこに目をつけ、自社のワープロや表計算をバンドルすれば、ウィンドウズのライセンス料金を軽減するという措置をとったのである。それはインターネットの普及と共にサイト閲覧用のソフトであるブラウザ(ME)にも及んだ。

以上が社会的問題だが、以下は同社の戦略における問題である。
問題点の4。2001年のITバブルの崩壊においても一時的には収益の拡大をすることができたが、パソコンの需要が伸び悩み収益が頭落ちになっている。
問題点5としてはゲーム機市場での出遅れである。2000年のゲームデベロッパーカンファレンスにおいてX-BOXというゲーム機の発表がなされたが、市場への投入は遅れた。
これはそれまでのOSと同じ調子だが、ITバブルの崩壊と共にゲーム機のバブルもはじけたといわれる時期に発売がされた。
これはインターネットの時の対応遅れと同じには行かないだろうと思われる。既にゲームはネットゲームの時代に入ってしまった。
***
マイクロソフトについてのサイト
やはり、WIKIが大変よい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/

日本語
宮井氏のものは簡潔であり、内容もぬきんでている。
映画のページもあるが「ネットフォース」がないのは残念である。

http://www.asahi-net.or.jp/~fu8h-myi/microsoft.html
(参考にさせていただいた)

マイクロソフトの独禁法(抱き合わせ禁止条項)違反事件については日本でも
問題となった。
法律の専門家の研究サイトだが、分かりやすい用語で書いてある。
( http://www.dokkinken.gr.jp/ )
http://www.dokkinken.gr.jp/study/microsoft.html

マイクロソフトのソフト自体の問題の指摘サイト
linuxのプロによる指摘。
http://www.ntlug.org/~cbbrowne/msprobs.html
***
マイクロソフトをもっとも簡単に知るサイト
「がんばれゲイツ君」
http://www.asahi-net.or.jp/~FV6N-TNSK/gates/
***
参考本
「ビル・ゲイツの野望」、脇英世、講談社、1994年。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=19424564
ブックオフによくある。
「マイクロソフトの蹉跌」ディーン・タカハシ、永井訳、ソフトバンク、
2002年、2400円。*)
プロジェクトX-BOXの真実とあるように、マイクロソフトのゲーム機参
入の遅れを指摘している。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=31042013

ビル・ゲイツの著書
「ビルゲイツ未来を語る」西和彦訳、アスキー、1995年、1835円。
ブックオフによくある。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=19670767
私は英語の勉強に原書を買った。ハードカバーで286ページ。
両親にささげられているだけあって読みやすい。コンピューターの歴史から情報ハイウェイ、コンピューター家電まで述べられているが、ネットの指摘は少ない。
「思考スピードの経営」ビル・ゲイツ、大原進訳、日経新聞社、1999年、2000円。*)
ビル・ゲイツ自ら、インターネットへの対応の遅れを反省している。
http://7andy.yahoo.co.jp/books/detail?accd=30530365

マイクロソフト社理解のための映画
直接名指しているものでないが、「ネットフォース」がある。
この映画もマイクロソフト問題を知る上で早道である。
(エンターテイメント特有の誇大な表現はあるが・・)
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=vd&cf=0&id=37725
内容は以下のサイトが詳しい。
http://store.nttx.co.jp/_II_D110470343
アバタはアニメ調から実写調へとなる。2005年にはなっているはずだが・・
ビルさん、および関係者の方、急いで作りましょう。
*)
*印は次回解説。

いまどきの経済
https://blogs.yahoo.co.jp/pxd025462002jp/14719958.html









■パソコンの登場
しかしダウンサイジングの主役はいまや超小型機種のミニコンではない。もっとコンパクトな,パソコンやワークステーションと呼ばれる卓上機や卓上に乗るほど小さなコンピュータである。成り立ちからいえば全く新しいコンピュータと言った方が適切かも知れない。パソコン,ワークステーションの歩みは大手主導の歩みから寄り道したところで始まったものだからだ。
半導体開発はIC時代を迎えて,ますます集積化が進み,LSIから超LSIへ,さらに超々LSIチップ(半導体の小片)へと歩みを進めていった。
その過程でひとつの製品が生まれた。ひとつのチップの上に,コンピュータの基本的な能力である演算処理機能を詰め込んだ「マイクロ・プロセッサ」と呼ばれるものである。このマイクロ・プロセッサを中心に作られたのが,個人用のコンピュータ「パーソナル・コンピュータ」つまりパソコンである。
マイクロ・プロセッサが一回にデータ処理できる能力によって,パソコンは4ビット,8ビット,16ビット,32ビットのものが実用化されている。現在の主流は16ビットで32ビットはパソコンの上位機種で使用されている。
「高性続コンピュータを開発するためには,演算素子に優れた半導体を必要としたが,逆に高性能な半導体から生まれたコンピュータが「パソコン」なのである。ありていに言えば半導体のお化けがパソコンである。
そのパソコンの頭脳マイクロ・プロセッサを1971(昭和46)年に開発したのが米国の大手半導体メーカー・インテルである。
■Apple   
しかし実際にパソコンを開発し,そのブームの火付け役となったのは半導体メーカーでもIBMなど大手のコンピュータ・メーカーでもなかった。米国の半導体産業のメッカ・シリコンバレーには半導体メーカーやコンピュータ・メーカーだけでなくコンピュータの力の虜になった個人が引き寄せられていた。「ハッカー」と呼ばれたコンピュータ・
マニアたちは,シリコンバレーに集まっては各人の手作りコンピュータの品評会のようなものを開催したりして交流を続けていた。彼らの関心はメーカーのお仕着せのコンピュータではなく,自分たちに必要なコンピュータ,個人が無料で利用できるソフト開発など誰もが使いうるようなコンピュータを誕生させることであった。
そのようなコンピュータ・マニアの中にスティーブン・ウォズニアックとスティーブン・ジョブスという二人の若者がいた。彼らこそが世界最初のパソコンを開発し社会に送り出した張本人である。
ウォズニアックが最初に開発した「アップルI」は回路基盤だけのコンピュータだったが,仲間の間ではさいわい高い評価を得た。そこで二人はアップ
ルの商用化に乗り出すことにしたのである。
1977年,ジョブスが愛車を,ウォズニアックが計算機を処分して得た千数百ドルを元手にニ人は「アップル社」を設立した。パソコンが個人的趣味からベンチャービジネスに変化した瞬間である。会社の研究所兼事務所はジョブスの父親のガレージを改造したものだった。
そしてそのガレージからパソコンの大ベストセラー機「アップルII」がその年の6月に誕生した。軽量プラスチック製の本体に,洒落たデザイン。それまでの手作りコンピュータとは全く違った新しい機械だった。パソコンが「商品」として社会に登場したのである。
アップルIIは,誰もがコンピュータを使えるようにしたという点において画期的な製品であった。発売以来アップルIIはパソコンの愛好者を開拓しまたたく間にパソコン市場を席巻した。 アップル社はガレージ企業から10億ドル企業に急成長しパソコン界のIBMとまで言われるようになった。
パソコンが普及するにつれ,それまでコンピュータが持っていたイメージはがらりと変わった。何か得体の知れない貴重で高価な機械,あるいは大企業の奥の部屋にデンと据えられている計算機で,使用する者はわざわざその部屋まで出向かなければならないというのがそれまでの一般的なイメージだった。しかしパソコンは個人の机の上に乗り使い方も夕イプライターに似たキーボードを叩くだけで使える。機器というよりも日常的な道具であっ
た。それゆえ親しみ易いイメージを持たれるようになった。
1981年4月,「黄金の80年代」の始まりとともにIBMはパソコン市場への参入を発表した。それまでパソコン事業には進出しないと公言していたことを考えるなら,大型汎用機を中心にビジネスを展開してきたIBMにとって,当初はパソコンはコンピュータの玩具にしか思えなかったのであろう。
■IBM-PC
スタートが遅れたものの,IBMが市場に送り出したのが新型パソコン「IBM・PC」だった。3年後,IBMはパソコン市場で業界トップのアップル社のシェアを抜いた。コンピュータ業界の巨人の底力を新興メーカーに見せつけた瞬間であった。
IBMのパソコン分野参入は,とかくマニアの世界の遊び道具と受け取られがちであったパソコンをビジネス分野の製品として社会に認知させる役割を果たした。「あのIBM」が事業として取り組んだという事実が,パソコンに社会的な意味づけを行う効果をもたらしたのである。それにともないパソコン市場には新規参入が相次いだ。
■MS-DOS規格登場
IBMの成功にはいくつかの伏線があった。なかでもパソコン分野に新規参入するさい,従来とは全く違う手法を用いたことである。IBMはパソコン事業を担当するセクションとしてIBMの経営組織に束縛されない一種の独立部隊を編成した。そのうえで全
ての権限を与えたのだった。IBMは本社→地域統括会社→各国IBM(現地法人)という経営組織をタテ軸にして世界120ヵ国以上の営業拠点を統括するとともにビジネスを展開していた。またIBM本社に直轄される形で世界市場を製品別に担当する開発・製造組織がヨコ軸として大型機種,中型機種,小型機種,周辺機器といった分野を担当する開発・製造のセ
クションが全世界のそれぞれの市場に対して責任を持つわけである。IBMでは「マトリックス」とよばれる組織編成である。
マトリックス編成は縦横の相互チェックを行い安定した品質の製品を市場に送り出すことが出来るが,反面決定まで時間がかかるという致命的側面も持っていた。素早い対応が求められるような新製品開発などの場合にはもっとも不向きな体制であった。
その点マトリックス経営から離れた 独立部隊にパソコン市場参入の全権を与えたのはIBMの見識であった。それまでと違って不安定な個人需要の動向を常に注目しながら,身軽な方向転換を要求されるパソコン市場ではIBMの独立部隊はもっとも相応
しい組織といえた。
その軽快な経営組織が選んだ戦術は,これもまた従来のIBMからは考えられないきわめて異例なものであった。IBMは「自前主義」を原則としている。米国の他のコンピュータ・メーカーと違って,システム/360以来,半導体部門を内部に抱え半導体を自前
で開発してきたように,全て自社製品でコンピュータを生産しているのである。だが,パソコンでは基本ソフトの開発を自前で行わなかった。独立部隊であるがゆえ既存の開発組織を利用しにくいという面もあっただろうが,それにしても選んだ基本ソフト「MS-DOS」は、ビル・ゲイツという20代の青年が社長を務める新興ソフトメーカー「マイクロソフト社」の開発したものだった。その頃はパソコン用の基本ソフトとしては,デジタルリサーチ社の「CP/M」が君臨していた時代である。実績,安定性からいえばデジタルリサーチ社の基本ソフトを採用するのがベターな選択であろう。しかし独立部隊はマイクロソフト社を選んだ。そのうえパソコンの頭脳であるマイクロ・プロセッサも自前のものでなくインテル社が開発したものを使用したのだった。
しかし独立部隊の開放主義はそれにとどまらなかった。IBM本社の閉鎖主義とは反対にIBM-PCの仕様までも公開したのである。IBM互換機を認めた,いや積極的に推進したのである。皮肉なことに汎用機部門で互換幾叩きを始めたIBMが,パソコン部門ではなんと最初にオープンシステムを実現したメーカーになっていたのである。
独立部隊が示したこのオープン性によって,パソコン市場は一挙に活性化した。巨人IBMのパソコン市場参入を契機にパソコン・メーカー各社もMS-DOSを採用し一斉にIBM互換機を開発しだしたのである。まさに勝ち馬に乗れというわけだ。たちま
ちIBM-PCとその互換後はパソコンの完全な基準となっていた。.....
ー覇者の誤算,講談社文庫,立石泰則

yhjjuj pc



1983年10月14日金曜日

[データ] PC8001ゲーム

ロードランナーの拡張データ
ロードランナーと言えば、150面クリアした時に
「一体どんなエンディングが待っているのか?」
と期待を膨らませていたら、何事も無かったように1面に戻ったことが今だに忘れられないのですが、ここに、すごいソフトを見つけました。
なんと300面分のデータ集です。
よくぞこんなに作ったものです。
ロードランナーはファミコンにも移植されたぐらいで当時結構流行っていたので、買ってプレイした人もいるのかもしれません。
自分は根性が足りないので、こういう高難度版の追加データとか続編はからっきしダメなのですが・・・
(ザナドゥもシナリオ2は解けませんでした。ザ・キャッスルは解けたのですが、エクセレントはダメでした。
バルダーダッシュは・・・ノーマル版すら解けませんでした)
それにしても、150面解けたら次の150面がもらえるシステムというのはよく判りませんね。
昭代産業の「将棋大将位」と同じシステムなのですが、最初から300面付けてくれりゃいいのにと思うのですが・・・。
・・・・よく考えたらこれ「ロード」と「労働」をかけていたのですね。
ずいぶん後になってから気付きました。

昔のPCに関するホームページ
http://www.geocities.jp/ahirudanna/zatsubun04.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/pc88.html
http://www.geocities.jp/ahirudanna/





Frog The Lively
このゲームはあの「ハイドライド」シリーズの作者・内藤時浩さんがアマチュア時代にI/Oに投稿したPC-8001用のゲームです(83年5月号に掲載)。
主人公のカエルさんを操作して池の上空を飛んでいるチョウやトンボなどの虫をジャンプして食べていきます(撃墜しているようにしか見えませんが)。
なぜか池(周囲の水色の部分)に落ちるとミスになってしまいます。
チョウやトンボは攻撃してこないのですが、一定時間経つとヘビが出てきてそいつに当たってもミスになります。

昔のPCに関するホームページ
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DRAGON 'N' SPIRIT
一時期、ベーマガではNモードを使った力作が多く発表されました。
時代的にはもうPC-8801FHあたりが主流だったのですが、毎月力作が紹介されて異様な盛り上がり方でした。
それらの作品の中でも最高傑作のひとつと思われるのがこのBug太郎さんによる
「DRAGON 'N' SPIRIT」
です('87年10月号に掲載)。
ゲーム内容もさることながら、秀逸なのがオープニングデモです。
山の頂上にいる主人公が剣をかざしたところに雷が落ちてきてドラゴンに変身する場面がノーマルキャラクターで見事に(?)再現されています。
このゲーム作者のBug太郎さんはその後アーケードゲームを作る会社に就職されて、本物のゲームクリエイターになったそうです。
すごいですねぇ・・・。
ちなみに、このシリーズにはR-TYPEをNモードで再現した
N-TYPEや、
3DシューティングのSPACE'N'HARRIER、
さらにはThander'N'Blade
がありました。もう、Nモードは楽し過ぎです。

昔のPCに関するホームページ
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パソコン黎明期
2000.09.13
4.周辺機器事情
(1)クローズが当たり前だった
今はいい時代です。
Windows系/Mac系があれども周辺機器は豊富にあり、安価でかっこいい。
しかもオープン思想なので多少の相性はあれどもドライバーさえあれば動作します。
昔は周辺機器といえば各パソコンにラインナップされていたのでした。
つまりパソコンメーカーが作っていない周辺機器は使えないという今考えるともーなんか信じられません。
(2)めちゃ遅かったカセット
補助記憶装置(これも今あんまりいわない)はカセットテープが一般的でした。FAX見たいな音で記録していきます。5分程度のデータ用のカセットも売っていました。ゲームソフトなんかもカセットで供給していました。
(3)高価なFD
FDは8インチが主流で5インチも出始めといったところでしょうか。私の場合FM7が12万台だと思いましたが、FD装置はたしか25万ぐらいしたような気がします。めちゃくちゃ高くてとても手が出ませんでした。しかも、拡張ユニットを買ってそれにさらにFD装置がつくような構成です。しかも160KBとか320KBぐらいの容量しかなく、当然フォーマットもメーカーが違えば読めませんでした。今2~3000円で売られているものより遅いしうるさいものでした。
(4)ぼそぼそディスプレー
いまはディスプレーの性能の目安としてドットの細かさを記載しますが当時は1画面あたりの文字数を記載していました。
だいたい以下のようなものがありました。
                安価        1000文字/画面
                普及帯     1500文字/画面
                高級        2000文字/画面
大体1000文字は使い物になりませんがそれ以外では、漢字も表示しないので別にOKでした。
一文字あたり8DOT×8DOTなので1000文字のディスプレーはピクセルに直すと8×8×1000で64000Pixelという事になります。
しかもデジタルRDBなので8色だけです。それぞれの文字を良く見ると、白い文字の場合、赤青黄の色の三原色が別々に見えたりしました。

日立SHシリーズの部屋
http://www.geocities.co.jp/ward1122_tech/1004/pcrei_4.html

マホービンの部屋
http://maho-bin.hp.infoseek.co.jp/







(ショートカット)   
コンピュータ情報,$NEC PC-8801 

コンピュータ情報
https://databug2210.blogspot.com/search/label/%24NEC%20PC8801?updated-max=1984-10-13T21:54:00%2B09:00&max-results=20&start=9&by-date=false
https://databug2210.blogspot.com/search/label/%24NEC%20PC8801?updated-max=1983-04-08T06:23:00%2B09:00&max-results=20&start=16&by-date=false
https://databug2210.blogspot.com/search/label/%24NEC%20PC8801?updated-max=1982-06-11T09:49:00%2B09:00&max-results=20&start=22&by-date=false
https://databug2210.blogspot.com/search/label/%24NEC%20PC8801?updated-max=1981-06-18T07:44:00%2B09:00&max-results=20&start=29&by-date=false
https://databug2210.blogspot.com/search/label/%24NEC%20PC8801?updated-max=1981-03-03T07:05:00%2B09:00&max-results=20&start=31&by-date=false






1983年9月8日木曜日

[言語] DOSコマンド

[言語] DOSコマンド
最低限の MS-DOS
■ 前書き
今日では MS-DOS のみを使う必要性はほとんどないが、時には Microsoft Windows の DOS 窓を使う必要性もあり、また DOS 窓から、コマンドを打ち込むほうが手っとり早いこともあるので、簡単に MS-DOS の説明をする。
UNIX との比較もすることになるが、この場合はコンソールでの UNIX と思ってもらってもよいし、 DOS 窓と見かけが随分似ている XWindow の (kterm などの) 仮想端末からの UNIX のコマンド入力との比較であると思ってもらってもよい。
■ MS-DOS の用語
ごく基本的な用語の説明をする。 Windows ではファイル名に大文字、小文字を使うことができるが、両者を区別しない。
MS-DOS のコマンドも原則的に大文字と小文字の区別をすることはないが、以下 UNIX と比較するためにも、MS-DOS のコマンドを小文字で表記する。 (UNIX では大文字、小文字を厳密に区別するが、システムコマンドは通常小文字である。)
プロンプトとコマンドライン
MS-DOS や UNIX などで、コマンドをキーボードから入力できる状態のときに端末などに表示されるマークを プロンプトという。
たとえば (UNIX ではシェルによってプロンプトの形が変化して)
 >  MS-DOS
% UNIX (csh)
# UNIX (bash)
プロンプトの直後にコマンド (命令) を入力することができ、この行のことをコマンドラインという。なおコマンドを計算機に与えるためには最終的にリターンキー (あるいはエンターキー) を押す必要がある。
ドライブ名
Windows (MS-DOS) では接続されているハードディスク装置、フロッピーディスク装置、CD-ROM 装置などには必ずドライブ名 (a から z) が付けられる。例えば
        * a   フロッピーディスク装置
        * c   Windows のシステムがあるハードディスク
となっており、異なる装置には異なるドライブ名が割り当てられている。コマンドラインから
d:
のように打ち込めば、ドライブ d に移動する。
UNIX にはドライブがない。UNIX では複数のハードディスクなどが接続されている場合にも、見かけ上、一つのハードディスク (より正確には唯一つのファイルシステム) があるだけである。このファイルシステムは UNIX をインストールする時点で決まり、あとでハードディスクを増設することが不可能である。増設するためには最初からインストールをやりなおさなければならない。これが Windows と違う点である。
ディレクトリー (or フォルダー)
各ドライブにはディレクトリー (or フォルダー) と呼ばれるものを作って、ファイルを分類整理できる。例えば
ディレクトリーの作成例
d:\
  |-- archiver
  |          |-- work
  |
  |-- work
  |-- usr
        |--local
        |--bin
        |--mule2
        |--share
のような構造を持つ。上の例では d ドライブ全体が一つのディレクトリーで、その中に幾つかのディレクトリーがあり、更に各ディレクトリーの中に幾つかのディレクトリーがある (あるいは作ることができる)。
階層が一番上のディレクトリーをルートディレクトリー と呼び \ で表示する。
ディレクトリーと呼ぶのは MS-DOS や UNIX の方式で、 MS-Windows ではフォルダーと呼ぶ。ファイルを整理するための階層構造という点からは、 フォルダーと呼ぶ方がすっきりするかもしれない。
先にも説明したように UNIX ではドライブがなく。ファイルシステムは唯一つである。そのためルートディレクトリーは唯一つしかない。UNIX ではルートディレクトリーを / で表記する。 (円記号 \ は UNIX では常に逆スラッシュ\になるが、MS-DOS のディレクトリー表示の \ は UNIX ではスラッシュ / である。)
ディレクトリーの絶対指定と相対指定
下の例では d:\work は赤で表示したディレクトリーで、 d:\usr\local は黄色で表示したディレクトリーである。
このようにディレクトリーを表示する方法をディレクトリーの 絶対指定という。
d:\
  |-- archiver
  |          |-- work
  |
  |-- work
  |-- usr
        |--local
        |--bin
        |--mule2
        |--share

ディレクトリー構造が上のようになっているときに d:\archiver において
 \work  赤のディレクトリー
 work   緑のディレクトリー
となる。すなわち先頭に \ などを付けずに、ディレクトリー指定をすれば、それより下位のディレクトリーを指定することになる。
これをディレクトリーの相対指定という。ディレクトリーの相対指定にはこれ以外に
 .   現在のディレクトリー(カレントディレクトリー)
 ..  現在のディレクトリーの一つ上のディレクトリー
がある。カレントディレクトリー (current directory) は DOS 窓ごとに決まる。DOS 窓は何個も開くことができて、この各々の窓ごとに現在のドライブ、ディレクトリーが定まってくる。
従って Windows ではシステム全体のカレントディレクトリーは定まらない。UNIX においても同様である。
また UNIX でのディレクトリーの絶対表記は例えば /usr/local のようになる。
■環境変数
普通、変数はプログラム内部で有効なだけであるが、 環境変数と呼ばれる変数はシステムで有効な変数で、すべてのプログラムから参照することができる。これは任意に設定できるが、普通のプログラムと同様に役目の決まった予約変数がある。
例えば、環境変数 PATH はコマンドを探すときのディレクトリーのリストを示す。例えば、
SET PATH=C:\WINDOWS;C:\WINDOWS\COMMAND
とすれば、コマンドを
c:\windows, c:\windows\commannd
の2つのディレクトリーを探すことになる。
以上の設定はコマンドラインから打ち込んでもよいが、普通は c:\autoexec.bat に書き込むのが普通である。
どのようにして、コマンドラインのパラメータや環境変数が読み取られているかを知っている方がコマンドの動作の仕組を理解しやすいことがあるので、参考までに以上の変数を獲得する C 言語サンプルをつける。 (UNIX 上の C 言語は原則的に英語版であるため、以下のプログラムを UNIX で動かすためには日本語を英語にしたほうがよい。)
C プログラムからパラメータ、環境変数を獲得するサンプル
#include
#include
void main(int argc, char *argv[]){
    printf("コマンドラインから手渡された文字列の数は %d です。\n", argc);
    printf("コマンドラインから手渡された最初の文字列は %s です。\n", argv[1]);
    printf("環境変数 PATH の値は %s です。\n", getenv("PATH"));
}
■MS-DOS のコマンド
コマンド 意味 対応する UNIX コマンド
mkdir ディレクトリー作成 (make directory) mkdir
cd ディレクトリー移動 (change directory) cd
copy ファイルのコピー (copy) cp
dir ファイル名の一覧 (directory) ls
以下に、より詳しく説明します。
mkdir
mkdir ディレクトリー名
でディレクトリーを作成します。以下の 2 つの使用方法では違って結果が起きることに注意します。
  mkdir work 現在いるディレクトリーの下に work を作る (相対指定)
  mkdir \work 現在いるドライブのルートディレクトリーの下に work を作る (絶対指定)
下の図の d:\archiver にいるときには、第 1 の方法でできるディレクトリーが緑色、第 2 の方法でできるディレクトリーが赤色です。
d:\
  |-- archiver
  |          |-- work
  |
  |-- work
cd
cd ディレクトリー名
でディレクトリーを移動します。以下の 2 つの使用方法では違って結果が起きることに注意します。
  cd work 現在いるディレクトリーの下の work に移動 (相対指定)
  cd \work 現在いるドライブのルートディレクトリーの下の work に移動 (絶対指定)
下の図の d:\archiver にいるときには、第 1 の方法による移動先ディレクトリーが緑色、第 2 の方法による移動先ディレクトリーが赤色です。
d:\
  |-- archiver
  |          |-- work
  |
  |-- work
copy
copy A B
の構文で、原則的にファイル A をファイル B にコピーしますが、
    * A がファイルのとき、ファイル B がなければ ファイル B ができて、中身が A のコピーになります。
    * A がファイルのとき、ファイル B がすでにあれば B の内容が A のコピーになります (上書きされる)。
    * A がファイル、 B がディレクトリーであれば、ファイル A のコピーをディレクトリー B の中に作ります。
    * A, B が共にディレクトリーであれば、 A の中のファイルを全部 B の中にコピーします。
B がディレクトリーのとき、
copy *.txt B
によって、現在のディレクトリーにあるファイルで、拡張子が .txt であるファイルがすべて B にコピーされます。 * は任意の文字列を意味し、トランプのワイルドカード (どのカードにも一致するカード) の意味で使用されます。
UNIX のコピーコマンドは cp で、名称が少し違いますが、tcsh などでは * は同様な意味を持っています。
dir
dir
で現在いるディレクトリーのファイル名の一覧を表示します。対応する UNIX のコマンドは ls です。
■シェル (shell)
MS-DOS ではコマンドを解釈するプログラム (command.com) によってコマンドが処理されていました。 Windows NT では command.com 自身が動いているのではなく、これをエミュレート (emulate, 真似) する cmd.exe によって、コマンドが処理されます。
UNIX ではコマンドを解釈するプログラムはシェル(shell) と呼ばれ、そのため Windows の cmd.exe や command.com のことを一般的にシェルと呼ぶ傾向があります。
このように呼ばれる理由の一つに、現在では UNIX シェルを DOS 窓で使用できるようになったこともあります。つまり cmd.exe, command.com は Windows の DOS 窓で動かすことができるシェルの一つに過ぎないわけです。
バッチファイル (シェルスクリプト)
常に同じ一連のコマンドをコマンドラインから打ち込む必要がある場合には、普通はファイルに一連のコマンドを書いておいて、このファイルを実行させるのが普通です。このようなファイルは MS-DOS では拡張子に .bat が付いていて バッチファイル と呼ばれます。 UNIX では同様なファイルはシェルスクリプト ( shell script) と呼ばれ、 MS-DOS のバッチファイルのこともシェルスクリプトと呼ばれることがあります (UNIX ではシェルスクリプトには特別な拡張子は付きません)。
UNIX のシェルスクリプトには if 文などの条件文を使うことができ、一方 MS-DOS のバッチファイルにはこのような機能がほとんどありませんから、バッチファイルのことをシェルスクリプトと呼ぶことは少し分不相応な面があります。
autoexec.bat
autoexec.bat は MS-DOS が起動時に実行するバッチファイルです。ここでは普通、環境変数を設定します。例えば
autoexec.bat の例
SET PATH=%PATH%;d:\archiver;d:\usr\local\bin
のようにします。環境変数 PATH の値 (これは文字列です) をバッチファイル内で使用する場合には %PATH% とします。従って上の autoexec.bat の意味はすでに値が設定されている環境変数 PATH の値 (文字列) の後ろに ;d:\archiver;d:\usr\local\bin を付け加えるものです。
UNIX にも同様なファイルがあります。シェルによって違いますが、csh (C シェル) を使用している場合には、 .cshrc が autoexec.bat と同じ役目を果たします。例えばコマンド検索パスの設定は次のようになります。
.cshrc のサンプル (一部分)
set path = (. /usr/local/bin /usr/lib /users/bin $path)
$path は autoexec.bat の %PATH% と同じ役目をします。
色々なシェル
UNIX のシェルで Windows に移植されているものに、次があります。
 sh  角藤版 pLaTeX に同梱
 bash  Cygnus GNU-Win32
 tcsh  Virtually UN*X!
Cygnus GNU-Win32 に関しては
    奥村晴彦, LaTeX2e 美文書作成入門, 技術評論社
に説明があります。
mule for Win32 が Windows 95 の command.com で動作が不安定の場合には、 bash, tcsh を使用した方がよいようです。設定方法などは
    mule for Win32 の FAQ
を参照してください。
5. 標準入出力
標準入出力の考えは C 言語をある程度知っていないといけません。ここでは標準入出力の考えを C 言語のサンプルプログラムで説明します。標準入出力の考えは DOS でも UNIX でも変りません。
リダイレクト
次のようなプログラムを考えます。
sample.c
#include
void main(){
    int i;
    scanf("%d", &i);
    printf("%d\n", 2*i);
}
中身は単に数値を入力して、2 倍して出力するだけのものです。この場合の scanf は実は標準入力から入力する命令で、 printf は標準出力に出力する命令です。通常は標準入力はキーボードで、標準出力はディスプレーになっていますが、これをファイルなどに切り替えることができます。例えば中身が次のようなファイル
test.dat
15
を用意して、コマンドラインから
sample のようにすれば、入力が test.dat に切り替わり、30 がディスプレーに表示されます。出力に関しても同様で
sample result.dat
とすれば、ファイル test.dat から入力され、ファイル result.dat に出力されます。以上の方法を入出力のリダイレクト (redirect = 向きを変えること) といいます。一般にプログラムで入出力がリダイレクトできるかどうかは、プログラムの書き方で決まってきます。
パイプライン
今 2 つのプログラム A, B があって、
A | B
のようにコマンドラインに打ち込むと, A の標準出力が B の標準入力となります。このときの縦棒は A の標準出力を B の標準入力に流し込むためのパイプあるいはパイプラインと呼ばれます。標準入出力の時のサンプルを使用すれば
sample とすれば、ディスプレーに 60 が表示される。
以上、パイプラインは DOS でも UNIX でも使用することができますが、違いがあります。DOS のパイプラインはディスク上の一時ファイルを経由するようです。従って A | B の構文では事実上 A の処理が終了するまで、 B の処理が始まりません。これに反して UNIX ではオンメモリーで処理をし、 A | B の構文では A, B が連結した状態で動きます。そのため場合によっては UNIX の方が圧倒的に速さを見せることになります。

MS-DOS 入門
http://mail2.nara-edu.ac.jp/~asait/latex/msdos.htm#section22





1982年5月1日土曜日

MS-DOS

MS-DOS
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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MS-DOS 開発元企業 / 開発者 マイクロソフト
OSの系統 DOS
開発状況 終了
ソースコード クローズドソース
最新安定版リリース 6.22 (単体販売最終版)/ 1994年
カーネル種別 モノリシックカーネル
既定のUI DOS CLI、TUI
ライセンス プロプライエタリ
PC DOS (IBM DOS) 開発元企業 / 開発者 IBM
OSの系統 DOS
開発状況 終了
ソースコード クローズドソース
最新安定版リリース
PC DOS 2000
/ 1998年
カーネル種別 モノリシックカーネル
既定のUI DOS CLI、TUI
ライセンス プロプライエタリ
MS-DOS(エムエス-ディーオーエス、えむえすどす)とは、マイクロソフトが開発・販売していたパーソナルコンピュータ向けの16ビットのオペレーティングシステム(OS)である。IBMのPC DOS (IBM DOS)のOEM供給版として誕生し、バージョン6より分化したため、本稿では両者を説明する。
名称
MS-DOS
正式名称が「MS-DOS」で、「マイクロソフトのDOS(ディスクオペレーティングシステム)」(Microsoft Disk Operating System)の意味である。
単に「DOS」と呼ぶ場合は、本来はディスク管理中心のオペレーティングシステムの総称だが、現在はMS-DOSを指す場合が多い。また厳密には、MS-DOSもバージョン1では複数のOEM供給先メーカーが複数の名称を付け、正式に「MS-DOS」名称に一本化されたのはバージョン2からである(従って「MS-DOSバージョン1」は後の呼称であり、当時はその名称の製品は存在しなかった)。OEM供給版の日本語版は、多くの場合「日本語MS-DOS」名称である。
なお、MS-DOSという名称の影響で、他のマイクロソフト製品も「MS-Windows」、「MS-Office」、「MS-Basic」など「MS-」を付けた略称が使用される場合があるが、いずれもMicrosoftを略した俗称であり、正式名称に「MS-」が付くのはMS-DOSだけである。
PC DOS / IBM DOS
正式名称はバージョンにより異なるが、総称して「PC DOS」または「IBM DOS」と呼ばれる場合も多い。
バージョン 英語版 日本語版 備考
正式名称 略称
1 IBM Personal Computer
Disk Operating System
(IBM PC用) PC DOS (なし) 略称がPC DOS
2 日本語DOS K2.x(5550用)
日本語DOS 2.0(JX用) 日本語版が登場。Kは「漢字」の意味。
3 日本語DOS K3.x(5550用)
4 IBM DOS 4.0 IBM DOS IBM DOS J4.0 (PS/55用)
IBM DOS J4.0/V (DOS/V) 名称変更。日本語版はDOS/V版が登場。
5 IBM DOS 5.0 IBM DOS J5.0 (PS/55用)
IBM DOS J5.0/V (DOS/V)
6.1, 6.3 PC DOS 6.x PC DOS PC DOS J6.x/V (DOS/V) 名称変更(元の略称が正式名称に)。日本語版はDOS/V版のみに。
7 PC DOS 7.0 PC DOS J7.0/V (DOS/V)
2000 PC DOS 2000 PC DOS 2000日本語版 (DOS/V) 日本語版の表記変更
なお「PC-DOS」との表記は正式ではない。また「IBM MS-DOS」や「MS-DOS IBM版」は存在しない(歴史的にはPC DOSのOEM版がMS-DOSであり、法的にはIBMはOS共同開発契約とその清算によりPC DOSの権利を最初から所有しており、マイクロソフトからライセンス供与を受けたのでは無い)。
概要
MS-DOSとPC DOS(IBM DOS)は、パーソナルコンピュータ向けの16ビットのディスク・オペレーティング・システム(DOS)で、その名前の通り主にディスクの管理を行うシングルタスクのオペレーティングシステムOSである。
基本的なユーザーインターフェースはキャラクタユーザインタフェース(CUI)で、コマンドラインインタプリタCOMMAND.COMの表示するコマンドプロンプトにコマンドを与えて操作を行う。一部のメーカーが独自に追加したり、後のバージョンで搭載されたグラフィカルなツールもある。UNIXを参考にした階層型のファイルシステムを持つが、ファイル名の制約などが厳しく機能は低い。
歴史的には1981年にIBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
両社はバージョン5まではOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)を結んでおり互換性が保たれた。当時は8ビット市場ではCP/Mが事実上の標準であったが、16ビット市場ではPC DOSならびにMS-DOSが主流となった。
特にMS-DOSはインテルのx86系マイクロプロセッサを搭載した各社・各機種のパーソナルコンピュータに移植され、世界的にはPC/AT互換機、日本ではNECのPC-9800シリーズ、富士通のFMRシリーズ、東芝のダイナブックなど各社独自仕様のアーキテクチャに移殖された。後にはAXのベースとなったし、更には組み込み機器などに、広く普及し主流となった。
しかしMS-DOS (PC DOS)を搭載しているPCであっても、アーキテクチャが異なる機種間ではアプリケーションソフトウェアの互換性はほとんど無かった。MS-DOSは画面描画に関わるAPIを持たないため、グラフィックメモリを操作して画面描画を行うアプリケーションはハードウェアを直接操作せざるを得ず機種依存となったためである。

日本ではソフトウェアのみで日本語表示を可能としたDOS/Vが発売され、漢字V-RAM機能を持たないPC/AT互換機が普及した。
バージョン6からはIBMとマイクロソフトのOS共同開発契約が終了し、後にMS-DOSとPC DOSの単体販売やサポートも終了したため、現在はオープンソースを含めた互換DOSの他、Microsoft Windowsのコマンドプロンプト環境などのDOS互換環境が存在する。
MS-DOSは1995年時点で全世界で1億本を出荷した[1]。
歴史
開発の経緯
詳細は「シアトル・コンピュータ・プロダクツ」および「QDOS」を参照
1980年7月頃、IBMは後にIBM PCとなるパーソナルコンピュータの開発に着手した。しかし、IBMの主力商品である汎用コンピュータに比べるとごく少数のスタッフとわずかな予算しか与えられなかった。プロジェクトリーダーのフィリップ・ドン・エストリッジは、可及的速やかに商品化にこぎ着けるためにソフトウェアは自社開発せずすべて外部から調達する方針を立てた。
当時のマイクロソフトはBASICインタプリタやアセンブラならびに各種言語のコンパイラ等を開発しており、それらの製品のほとんどが当時のパーソナルコンピュータ市場におけるデファクトスタンダードOSであるデジタルリサーチのCP/M上で動作するものであった。
IBMはマイクロソフトに対し当初はBASICなどの言語製品の開発を依頼していた。OSについても8086対応版のCP/Mをマイクロソフトに開発してもらおうとした。しかし彼らはCP/Mのソースの権利を持っていなかった為、ビル・ゲイツのアドバイスに従ってデジタルリサーチ社と交渉することにした。しかしデジタルリサーチとの交渉はうまくいかず、結局マイクロソフト自身がOSを開発する事となった。
とは言うもののマイクロソフトにはOSの開発経験は無かったため、同じ頃CP/Mが8086に移植されない事に業を煮やして独自に移植作業を行っていたシアトル・コンピュータ・プロダクツ社の86DOS(QDOS)を開発者込みで買収しIBM PC用に改修した[2]。
各メーカーへのOEM供給
IBMは当初は「PC DOS」名称でIBMのみへの供給を主張し、マイクロソフトはIBM以外のメーカーへのOEM供給を主張した結果、「IBM用はPC DOS名称。マイクロソフトによる各メーカーへのOEM供給も認めて普及を図る」という役割分担となったと言われる。(この役割分担は後のOS/2 1.xでも同様となる。)
リスクを軽減化するために買い取りを避けIBM PCの出荷台数に対して使用料を支払うというライセンス契約をしたこと、そしてマイクロソフトから各メーカーへの自由なOEM供給を認めた事が後のマイクロソフトの躍進の原動力と言え、また見方を変えれば、最終的に「軒先を貸して母屋を取られた」IBMの大失策であるとも言えるが、MS-DOS(およびPC DOS)の普及(デファクトスタンダード化)を決定づけたとも言える。
マイクロソフトからのOEM版の最初は1982年のバージョン1.25でZenith Data SystemsのZDOSと言われる。供給先メーカも名称も複数あったと言われる。1983年のバージョン2.0より「MS-DOS」名称に一本化された。ただし複数のバージョン1も後に「MS-DOS 1.0」などと総称される場合が多い。「MS-DOSエンサイクロペディア」によると、IBM以外の各メーカーへのOEM供給版に自社の商標(MS)をつけ「MS-DOS」名称としたのは、OEM先メーカーが独自の名前をつけたため混乱を避けるために整理したものとされている。
その後も富士通FM TOWNSのTownsOSや各種の制御機器など、内部的にMS-DOSがOEM提供されている場合には「MS-DOS」の名称はユーザーに見えない場合が多い。
DOSの限界と終息
DOSは標準でグラフィカルユーザインターフェースやマルチタスク機能や仮想記憶を持たず、80386などの32ビット環境でも「高速な8086」としか使用できなかったため、DOSの拡張や次世代OSが待望された。
1985年にはDOSエクステンダーであるDESQviewや、DOS上で稼働する「オペレーティング環境」としてMicrosoft Windowsが登場した。
更に1987年には本格的なDOSの後継OSとしてIBMとマイクロソフトからOS/2 1.0が登場した。OS/2はDOSと同様に、IBMからはOS/2 IBM版が、IBM以外のメーカーへのOEM版としてはOS/2 マイクロソフト版が提供されたが、性能やDOS互換環境の問題もあり広く普及しなかったためDOSは継続して使われた。
1990年に日本ではIBM DOSバージョン4からDOS/Vが生まれ、マイクロソフトもバージョン5からDOS/Vを採用して単体での直販も開始したため、日本市場でもPC/AT互換機が普及した。
1993年のバージョン6からは、IBMとマイクロソフトのOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)が終了したため以後はIBMまたはマイクロソフトの単独開発となり、基本部分の互換性は保たれているが付属ユーティリティの相違などが広がった。マイクロソフトはこのMS-DOS 6を単体販売の最終バージョンとし、1995年のMicrosoft Windows 95以降は単体のDOSも不要となった(技術的にはDOSは内部的に存在しているが、製品としてバンドルされている)。IBMはDOSの改良を続けたが、1998年のPC DOS 2000が最終バージョンであり2002年にはサポートも終了した。
機能
MS-DOSと名付けられているように、マイクロソフトのパーソナルコンピュータ向けのDOS(ディスク・オペレーティング・システム)であり、主にディスクの管理を行うシングルタスクOSであった。マルチタスク機能・メモリ保護機能などはOS内部には持っていなかった。またグラフィック画面やサウンドの操作・ネットワーク機能などは、Microsoft WindowsやLAN Managerのほかアプリケーションが直接I/Oを操作するかデバイスドライバなどで提供されていた。
ファイル管理
ファイルの管理は、FATとクラスタにより構成され、ファイル名は8.3形式(8文字までのベース名と3文字までの拡張子の合計11文字まで(拡張子の前の「.」は数えない))で表す。アルファベットの大文字と小文字は区別しない(全て大文字と見なされる)。さらにバージョン2以降では、ディレクトリやファイル属性の与奪が使用できた。
起動順序
起動順序はバージョンによって若干違うが、概ね以下の通りである。
1. コンピュータのBIOSやディスクのマスターブートレコードからディスクのセクタ0にあるブートセクタを読み込んで実行。
2. IO.SYSを起動し、その後MSDOS.SYSに制御を移行する。
3. CONFIG.SYSが起動ドライブのルートディレクトリにあれば、記述されたデバイスドライバを読みこむ。
4. バッチ処理のためのコマンドインタプリタでもある標準シェルのCOMMAND.COMを起動する。
5. AUTOEXEC.BATが起動ドライブのルートディレクトリにあれば、その内容を実行し、環境変数の設定や起動時に実行すべきコマンド等の呼び出し、場合によってはアプリケーションの起動なども行う。
COMMAND.COMでは、各ドライブをA:から最大Z:(これは環境変数LASTDRIVEで変更可)までのドライブレターで管理し、内部コマンドではファイル・ディレクトリ一覧の参照、ファイルとディレクトリの作成・コピー・名前変更、コンピュータの時刻や環境変数およびパスの設定参照などができるほか、外部コマンドやアプリケーションなどの実行形式のファイルの起動が行えた。またVer.2以降ではUNIXを意識したリダイレクトやパイプなども利用できたが、MS-DOS上のパイプやリダイレクトはいずれもテンポラリファイルを介した擬似的な実装に留まっていた。
実行ファイル
MS-DOSにおける実行ファイルの形式は、現在のUNIX系環境で言うシェルスクリプトに類似したコマンドのバッチ処理を記述するBATファイルと、CPUが直接実行するバイナリファイルに大別することができる。
このうちバイナリファイルには、単一のセグメントを使うCOM形式、各セグメントが異なるアドレスに設定される場合のEXE形式、さらにデバイスドライバとしてSYS形式が存在し、それぞれ同名の拡張子を持つ。
COM形式の実行ファイルは、バイナリ読み込み時に設定されるコード・データ・スタックの各セグメントが同一アドレスに設定され、プログラム内部でセグメントを操作しない場合は単一セグメント、最大64KBのメモリ空間を操作する。CP/M80用に書かれた8080用のアセンブリ言語のソースコードを8086へコンバートした場合を想定したメモリモデルであるが、COM形式のバイナリであってもプログラム側で適切にセグメントを操作することで64KB以上の空間へのアクセスが可能である。
このうち.SYS形式のバイナリは、原則的に起動時に一度だけ実行されるCONFIG.SYSに記述する以外の方法では直接読み込むことができない。ただし、NECのPC-9800シリーズ版の一部からADDDRV.EXEと登録を記述したファイルの組み合わせにより登録しDELDRV.EXEで外せるようになった(キャラクタデバイスのみであり、CONFIG.SYSで一度登録したデバイスドライバは外せない。IBM PC用では何種類かサードパーティで同様のプログラムが作成されている)。
システムコール

システムコールは、通常INT21hにより呼び出されるが、8080やZ80などの8ビットのコンピュータではメジャーな存在だったCP/Mとの互換性、特に8080用にアセンブリ言語で書かれたソースコードを8086にコンバートして用いる場合を想定し、call 5でも利用可能としてCP/M 80からの移行を促した。
メモリ管理
MS-DOSにおいて、DOS自身のカーネルを含むプログラムの実行に確保できるメモリ空間(ユーザーメモリ、コンベンショナル・メモリ)は、8086のアドレス空間の最大1MBである。ほとんどのコンピュータでは、この空間にBIOS ROMやメモリマップドI/O、VRAMなどの空間も存在するため、バンク切替えや様々なメモリ拡張手段などを用いずに一時にアクセス可能なメモリ空間は最大でも640KB(IBM PC互換機およびPC-9800シリーズ等)から768KB(PC-H98やFMRシリーズ・FM TOWNSなど)程度であった。
ただし、RAMディスクドライブやディスクキャッシュなどはバンクメモリやEMS、プロテクトメモリ(80286/386以降)等のコンベンショナルメモリ以外の領域・手段の利用が一般化していたため、「貴重な」コンベンショナルメモリがこれらの領域によって圧迫されることはなかった。
日本語入力用のFEPなどの常駐型のデバイスドライバを使用すると一度に使用できるユーザーメモリはさらに減少するため、ユーザーはEMSやXMS、HMAやUMBなどの拡張メモリの管理機能を利用して、辞書や常駐部やMS-DOSシステムの一部をそれらへ配置し、コンベンショナルメモリの圧迫を少しでも避けることが重視されるようになった。
これらのメモリへの配分設定はCONFIG.SYSやAUTOEXEC.BATを記述することで行い、事実上ユーザーに一任されていた。
バージョン3まではこれらの設定を行うためにはサードパーティー製のメモリドライバ等を使用する必要があったが、バージョン5では標準機能としてOSに組み込みメモリドライバやデバイスドライバも付属するようになった。また、これらの環境設定を半自動的に行う設定アプリケーションも添付された。
メモリドライバや各種デバイスドライバには組み込み用のバッチやスクリプト、設定アプリケーション等が整備され、「とりあえず動く」という状態を作るだけであればエンドユーザーがこれらを直接操作する必要はほぼ無かったが、千差万別なユーザーの環境にこれらが対応することもまた困難であり、ひとたびイレギュラーが発生した場合それらのお仕着せの環境に頼り切ったユーザーには事態収拾のハードルが高かったのも事実である。また「とりあえず」に飽き足らず無駄を省き最適な設定をするためには知見と試行錯誤が要求されるある種の職人芸的な資質が要求されたため、これらの事情が「MS-DOSの環境設定は非人間的で困難なものであった」とする後世の評価を招く原因ともなった。
Windows 9x
Windows 9x系のOSは製品としては「DOSを必要としない、Windowsという単体のOS」と称しているが、内部的には従来のWindows 3.xと同様MS-DOSモジュールから起動してプロテクトモードで稼働しGUIや擬似マルチタスクを提供する構造(一種のDOSエクステンダー)をしていた。ただし、Windowsが使用するMS-DOSシステムコールはごく一部に限られ、VFATなどによりファイル管理方法が拡張されている。なお、Windows 95・98などのWindows本体を起動していないMS-DOSモードの場合はVFAT上のロングファイルネームでも8文字+拡張子3文字のショートファイルネーム形式のファイル名で表示された。
バージョン

ウィキペディア(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/MS-DOS



1981年11月13日金曜日

[機器][PC] NEC PC-8801FH





















セットアップモード/PC-8801FH




PC-8801(8MHz機) 
■セットアップモード/PC-8801FH/MH
88SR
□周波数:動作クロックスイッチ 「8」⇔「4」
□BASICモード:システムモードスイッチ 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:ディスプレイスイッチ 「24K」⇔「15K」
□メモリウェイト:セットアップモード 「ON」⇔「OFF」
□その他:起動時に [N][8][0]      ⇒ N-BASIC
起動時に [D] ⇒ デフォルト設定
セットアップ中に [B][C][G] ⇒ 拡張セットアップ
※調査協力:くれゆに様, akutsu様
■セットアップモード/PC-8801FA/MA
実行画面実行画面
88SR
□周波数:動作クロックスイッチ 「8」⇔「4」
□BASICモード:システムモードスイッチ 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:ディスプレイスイッチ 「24K」⇔「15K」
□メモリウェイト:セットアップモード 「ON」⇔「OFF」
□その他:起動時に [N][8][0]      ⇒ N-BASIC
起動時に [D] ⇒ デフォルト設定
セットアップ中に [B][C][G] ⇒ 拡張セットアップ
※調査協力:akutsu様
■セットアップモード/PC-8801FE/MA2
88SR
□周波数:動作クロックスイッチ 「8」⇔「4」
□BASICモード:セットアップモード 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:起動時に [f・8] ⇒ 24kHz
起動時に [f・9] ⇒ 15kHz
□メモリウェイト:セットアップモード 「OFF」⇔「ON」
□その他:起動時に [N][8][0]      ※ 使えません ※
※調査協力:akutsu様
■セットアップモード/PC-8801FE2, MC
88SR
□周波数:セットアップモード 「8MHzH」⇔「8MHzS」⇔「4MHz」
□BASICモード:セットアップモード 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:起動時に [f・8] ⇒ 24kHz
起動時に [f・9] ⇒ 15kHz
□メモリウェイト:セットアップモード 「OFF」⇔「ON」
□その他:起動時に [N][8][0]      ⇒ N-BASIC
※調査協力:akutsu様

OUT of STANDARD
http://www.geocities.jp/upd780c1/n80/frame.html






















■PC-8801の歴史(簡略版) 知らない人の為に・・・
PC-8801(ぴーしーはちはちまるいち)とは15年ほど前(1984年頃)に登場した NEC製の8bitパーソナル・コンピューターである。初代PC-8801(無印)を初めとして、PC-8801mk?U、PC-8801mk?USR/TR/FR/MRが次々と発表され、その後PC-8801FH/MHと、後ろの[mk?U]が無くなったシリーズが出始める。その後サウンド機能を強化したPC-8801FA/MAが、その改良版であるPC-8801MA2が出た。また、そのちょっと前にはFH/MHの色違いバージョンであるPC-8801FH/MH Black Typeなども出てた。その後はちょっと路線を変更したのか16bit版のPC-8801VA/VA2/VA3が出た。またこれと並行して廉価版のPC-8801FE/FE2が、更にその後CD-ROMドライブを搭載したPC-8801MCが出てそれを最後に NECはPC-8801シリーズからは撤退した。
PC-9801の視点から見てみると、その後PC-9801と機能を合体させた(スイッチで98/88を切り替える)PC-98Doが発売された。そのすぐあとに 88のサウンド機能をMA2と同等にしたPC-98Do+がすぐに発表され、 Doを買った人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことになった。
■PC-8801の性能(簡略版)
以下は私の所有しているPC-8801MHの仕様である。
CPU・・・メインCPU μPD70008(Z80Aコンパチ) (FH以降、動作クロック4MHz/8MHz切替選択可能) サブCPU μPD780C-1(ディスクコントロール) 4MHz
ROM・・・メイン N88-BASIC、モニタ他 128KB スロット内増設可能 最大56KB 
      サブ ディスクコントロール用 8KB
RAM・・・メイン ユーザーズメモリ 192KB 
       N88-BASIC動作時 テキストエリア 32KB
       変数・ワークエリア・テキストVRAM 31KB
       グラフィック用VRAM 48KB
       テキストVRAM     4KB(ハイスピードモード時のみ使用可)
       スロット内増設可能 32K単位でバンク切り替え
グラフィックス機能・・・カラー同時発色数 512色中8色(アナログRGBディスプレイ使用時)、解像度 640×200 1画面、もしくは白黒640×200 3画面、もしくは白黒640×400 1画面。
キャラクタ表示機能・・・テキスト最大80×25文字表示可能。
サウンド機能・・・ビープ音、SR以降FM音源3音、PSG音源3音)。但しFA/MA、VAシリーズはFM音源6音(左右振分可)、PSG音源3音、リズム音源6音(ステレオ)、ADPCM1音に拡張。
ディスクドライブ・・・ 5.25インチ 2D(両面倍密度 容量320KB)モデル30はドライブ2基搭載(mk?U以降)。 Mxシリーズは5.25インチ 2HD(両面高密度 容量1.2MB)モデル30はドライブ2基搭載。
2Dの容量は256KBと書いていましたがどうやら320KBのようです。ご指摘くださったKUMASANさん、有難うございます!
■PC-8801でプログラミング
今から10数年前、初めてうちにPC-8801mk?Uモデル30(5インチディスクドライブ2基搭載。ちなみにモデル20は1基、モデル10は無し)が来た。非常に高価で、定価は確か275,000円だった。当時はディスクドライブ対応のソフトというものが出回っていなかった為、供給はすべてカセットテープから行われた。テープにピーガガガーというノイズのような特有の音が録音されていて、その音をパソコンに繋いだケーブルを通してパソコンに聞かせる訳である。一つのソフトを実行する為にはまずこのロード作業が行われてから実行される訳である。当然、使用言語はBASIC。私も当時子供の科学という雑誌に載っていた、一画面いっぱいに時計をキャラクタグラフィックで表示させるプログラムを打ち込んだ。BASICプ ログラムは1行打ち込み終わる毎にRETURNキー(今で言うEnterキー)を押してパソコンに記憶させなければならないのだが(と同時に改行も行われる)初めて打ち込みをする私にそんな事が判るはずもなくただひたすらカーソルキーで行頭に移動させては (面倒くさいなぁ)と思いつつも800行にもわたるプログラムを打ち込んだものだ。苦労の末(2時間ぐらいかかったと思う)実行させると画面にはただOKの文字が輝くのみであった・・・当たり前だ。パソコンに何も記憶されてないのだから。
その後、近所の子(通学時一緒に登校した人)から「マイコンBASICマガジン」(電波新聞社・刊)なる雑誌の存在を教えられプログラミングすることに喜びを覚える。といっても、ただ雑誌に載っているリストを打ち込むだけだったが。
その後PC-8801FHを購入してからもプログラミングはし続ける。
それが嵩じて、よく人のうちに遊びに行ってはプログラミングをした事もあった。知り合いの家でSONYのSMC-777という機種のプログラムを打ち込んだ事もあった。
PC-8801でプレイングゲーム(^^ゞ
前にも述べたが当時はカセットテープのソフトしかなかった。また、しょぼいゲームしかなかったため、ほとんど買わなかった。(親がどうしようもなくつまらないゲームの詰め合わせを買ってきてくれた時は参った)
なにせこのゲーム、言語はすべてBASICである。おまけに販売品であるにもかかわらずエラーで止まる。(バグなどという複雑なものではない)単なる打ち込み間違いである。こんなモノが商品になったのだからいい時代だったのだなぁ。ちなみにそのソフトのうちの一つは、桃太郎が鬼が島に行って鬼を退治するという内容だったような・・・。発売はチャンピオンソフトという名称だったような気がする。
■PC-8801FHとの出会い
それからしばらくしてPC-8801mk?USRが出た。ゲーム業界もようやく活気づいてきて、PC-8801にとっての黄金時代が始まるのであった。
私はそれからしばらくしてPC-8801mk?UFRを購入を決意して勝手にマイコン流通センターというところに電話して注文したところを親に替わるという段階で反対され、注文は取り消された。あの頃は子供心にがっかりしたものだ。しかしのちに懇意にしている電気屋さんからFRの後期型であるFHが発売されると聞いて私は心が躍るのを感じた。
早速その電気屋さんに注文。納品されたのは雪が降る12月であった。その夜、PC-8801FHではPC-8801mk?USRと同時に出たというアクションシューティングのテグザー(THEXDER)が動いていた・・・。感動の嵐であった。mk?Uで動かなかったテグザーが動く。他の今まで音が鳴らなかったソフトも次々と素晴らしい音を奏で始めた・・・。
■PC-8801とマシン語プログラミング
PC-8801で扱えるプログラミング言語として有名だったのはBASICの他にはマシン語、正確に言うとアセンブリ言語だった。C言語はまだ流行ってなかった。ちなみにCP/Mと言うのもあったらしいが詳しくは知らない。
PC-8801は起動するとN88BASICが使えるようになるがその状態でmon[RETURN]と打ち込む事によりモニタ・モードとなってマシン語を打ち込む事が出来る。入力はすべて16進数で行われる。アセンブリ言語を打ち込むにはどうすれば良いかというと 別でアセンブラーを買ってきてやったほうが良い、というわけである。PC-88は内部にも一応アセンブリ・モードというものがあって出来る事は出来るのだが命令体系が昔のインテル社のi8080という仕様なので非常に扱いづらいのである。
例を挙げるとロード命令であるLDは88の内部アセンブラーだとMOVという命令になっている。また、表記上Z80系の命令が理解できず、逆アセンブルすると???と表示されてしまうのであった(もちろんプログラムは動くのだが)。
PC-88用のアセンブラーとして有名だったのはアスキーという会社が発表したMF-ASMというもの、またPC-8801シリーズに多大な貢献をしたフリーのプログラマーである日高 徹(ひだか・とおる)氏がそれを更に改良したMF-ASM2、のちにさらに改良を加えた究極のアセンブラーであるHIT-88(ひっと・はちはち)等がある。
MF-ASM2は普通のBASICプログラムのようにプログラミングをしていき(行の最初にアポストロフィーをつける)、最後にMF-ASM2でアセンブルするというものである。
10 ' ORG 0B700H
20 ' DI
30 ' LD C,5
40 ' LD D,01111111B
50 ' LD E,10000000B
60 ' LD HL,0C000H
     こんな感じ…
■PC-8801のエミュレーター
今は良い時代になったものである。かつての古き良き?マシン達を今のPCで再現できないかと言う事で幾人かの人々がWindows上やDOS上で88が動くエミュレーターと言うものを製作している。もちろん動かすためにはPC-8801に搭載されているROMの内容をPC上に構成しなければならない。そのための手段としてシリアルケーブル(RS-232Cケーブルとも言う)経由でデータを転送する方法やPCに5インチディスクドライブが搭載されている場合に限りディスク経由でデータを移し替える、と言う作業が必要だ。また当然肝心のソフトウェアも同様の方法でデータを移し替えなければならない。
オリジナルのソフトウェアではデータの転送(いわゆる吸出し)がうまくいかないのでそのソフトウェアのバックアップ品から行う事になる。吸出しの際にそのソフトウェアにかけられたプロテクトが邪魔をするらしいのだがこのおかげでバックアップも簡単には作れないようになっている。それでも何故か?コピー品と言うものは存在する。またコピーツールというものもかつてのソフトショップには堂々と?売られていたから驚きである。
そのツールは各ソフトウェアによって違うプロテクトの方法をデータベース化して一枚のディスクもしくは別売りのデータ集として分割しておくものである。今となってはそれを手に入れるのも困難でありもし持っている人がいたらそれは非常に貴重品と言う事になるであろう。今ではコピー目的にではなくエミュレータ目的のために使えるのだから何が役に立つかわからないと言うものである。今現在知る限りのエミュレーターは以下の通りである。
PC88Emulator for Windows (Windows 95/NT用のエミュレータ)
M88 -PC-8801 Series Emulator (Windows 95/NT用のエミュレータ)
X88000(Windows 95/NT用のエミュレータ)
ぶるー牧場 (PC-9801上で動くエミュレータ)
QUASI88 (UNIX+X Windows上で動くエミュレータ)
N88BASIC for Windows(Windows用のN88BASICのエミュレータ)
■PC-8801のサウンド
PC-8801SR以降からサウンド機能が強化されてFM音源3音、PSG音源3音が同時に発生可能となった。それより前はビープ音のみだったのだからたいした進歩である。一応私の持っていたmk2でもビープ音の周波数を変えて音階を作り出すことができた。88を買うとついてくるデモディスクには88の魅力を余すところなく(?)伝えようという涙ぐましい努力の基に作られたいろいろなデモが行われる。アニメーションの表示やスペックの表示、めまぐるしい色の書き換えやなんやかんや…話がそれた。そこでビープ音の音階でクラシック曲である展覧会の絵のキエフの大門(クライマックスの曲)が流れていたのが印象深い。ただやはりビープ音なので音色に変化がつけにくいのと(デモ曲ではビブラートまで!かけていたが)単音しか出せないのでかなり苦しかったのは事実である。そう言うわけでPC-8801mk2SRが出たころはかなりうらやましかったことを覚えている。
それからしばらくしてFAシリーズが出たら今度はFM音源6音、PSG音源3音、リズム音源6音、ADPCM音源1音が同時発声可能ときた。しかもFM音源とリズム音源とADPCM音源は左右に振り分けることが可能とある?これで擬似ステレオ効果を作り出せる、と思った。しかもうれしいことに以前の機種でもそのサウンド機能を拡張することのできる拡張ボード通称サウンドボード?Uが発売されることが決まったときはもう嬉しすぎて気が狂うかと思った。サウンドボード?UこのADPCM音源というのは何じゃいな?と思うだろう。これは外部の自然音などを取り込んで再生することができるのである。だからサンプリング音源とも言った。ADPCMとはそのサンプリング方式の名前で、アナログ音源の波をデジタルに変換するわけだがサンプリングレートでどのぐらいの頻度で音の採集を行うかを決めることができる。この頻度が高ければ高いほどもとの音に近い音を出すことができる。普通のPCM方式ではその採集したデータが巨大になってしまうので前の時間との変異のみを記録しつづける方式がADPCM方式だと、どこかの本に書いてあった 。つまり、10という値を基準として次の値はその値よりも+3、その次の値はその値よりも-2、という風にして数値を格納する方法らしい。これを10、13、11、という風に格納するよりもデータ量が少なくてすむのである、という説明を読んだときはなるほど!と思ったものだが果たして本当に少なくなるのだろうか?
今ではPCには標準でPCM音源が搭載されてデータが多少大きくなろうともぜんぜん問題にならなくなったが当時はディスクの容量が2Dなら最大でも256KB、2HDなら1MBとかなり少なかったのでデータをいかに小さくするかということで編み出された技術であろう。実際に音を採集できる時間は拡張ボードに搭載されたRAMの容量が256KBなので一番悪いサンプリングレートで 128秒。最高に音質がよい状態だと32秒である。ただサンプリングしたデータをディスクから読み込むにもかなり時間がかかったのでゲームなどでオーケストラヒットや人の叫び声などを入れているゲームなどは極めて少なく、また最初の読み込み時間はかなり待たされた。サンプリングデータだけで一枚のディスクを使い切ってしまうものもあったぐらいだ。FM音源自体の左右振り分けも結構有効に使われているゲームは少なかったがすばらしい技術力を持っているソフトメーカーはかなりよい音を発していた。
ちなみにこの拡張ボード、SR、FR、MR、TR対応のPC-8801-23、FH、MH用のPC-8801-24、FE、FE2用のPC-8801-25の三種類が発売されたようだが記憶が定かではないのであまり正確ではない。そう言えばVA用のサウンドボードはあったのだろうか?またSRより前の機種ではFM音源自体が搭載されていないので拡張するにしてもSR並にはなってもFA並にはならなかった。残念。
SR用のサウンド拡張カードとFH/MH用のそれとでは操作するハードウェアポートが当然違うのでプログラムのほうで機種判断をしてポートを自動的に切り替える部分が必要である。それをしていない?ゲームなどは一部PC-8801-23には対応していない、と書かれていることもあった。SRユーザーなどには納得ののいかない話であろう。例として日本ファルコムから発売されていたぽっぷるメイル、英雄伝説?Uなどはそうであった。
    
NEON'S ROOM
http://www3.cds.ne.jp/~neon/pc88.html