ラベル #アプリ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル #アプリ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

1984年1月24日火曜日

Apple System 1






Macintosh Finder

System 1 Control Panel
Contorol panel for Macintosh 1.0
Client:Apple Computer, 1983
Designer: Susan Kare









System 1
左側はSystem 1のゴミ箱、以後、中間のラインが逆になった右側が使用された。
System1 TrashAfter System1 Trash
私の所有する、Mac 128Kのシステムフォルダーは6個のファイルで構成。
主要コンポーネントはSystemとFinderのみ。
System 1.0の入った400kBフロッピーディスクは、それでも100kBの空き容量がある。
System 1.0のメニュー(Special)にはリスタートやシャットダウンが存在しない。
Specialから選択可能なのは、Clean Up, Empty Trash, Erase Disk, Set Startupの4つだけだ。
HDDが搭載されていないMac 128k, Mac 512k, Mac Plusでは当然といえば当然なのだが。
At the time; there was only 400k- single sided disks, no hard drives or double sided drives. The system, and related applications all fit onto 400K of disk space. For faster Disk I/O, many Mac Users bought the external second disk drives for their systems.
System 1.0は400KB-FD一枚で起動。当然Systemのみでフロッピーはかなりの容量を占める。アプリケーションソフトを快適に使用するには、もう一台、外付けの用の400KB-FDを購入しなければならない。
しかし、Appleの開発スタッフの手になる純正ゲーム(Alice-Through the Looking Glass)は400kのフロッピーディスク一枚を差し込むだけで楽しめた。

The Vintage Mac Museum
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/











1984年1月24日AppleがMacintosh(GUIを採用)を発表するやいなや、
マイクロソフト社はGUIの革新性(すぐれた操作性)を最大限に引き出した表計算ソフトMicrosoft Excel(Mac版)をアナウンス。
1985年には、Microsoft Excel Ver.1を発売。
マウスを使った、操作感覚は現在のそれとほとんど変わりがない。
コマンド命令による、DOS-Vパソコンとは操作感覚において、雲泥の差がある。
Mac 128k(外付け400K-FDも使用)でSystem1を起動後、画像をキャプチャー。
System 1.0, Finder 1.0 (January 1984)は上記のとおり400KB-FDで、使用可能でしたが、
数ヶ月後にVersion-UpされたSystem 1.1, Finder 1.1g (May 1984)では800K-FDにも対応。
この時代、CPUやソフトの技術開発がめざましく、数ヶ月単位でVersion-Upが繰り広げられる。
まさしくパーソナルコンピュータの黎明期。それはMacにとってもWindoesにとっても。

The Vintage Mac Museum
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/







Mac system error
ゲーム中も容赦なく爆弾に見舞われた。高得点なのに残念!!再起動を余儀なくされた。





Chicago

Font
メニューなどに使用されているフォントがChicagoであることがわかる。9インチモノクロ画面で見るこの肉厚にデザインされたフォントは本当に美しかった。後に知ったのですが、ChicagoやGenevaのMacintoshフォントのデザインはスーザン・ケアの手によるものだった。納得!納得!。
Chicago Font
Designer: Susan Kare
Year: 1983
Chicago is a sans-serif font designed by Susan Kare for Apple Computer. It was used in the Macintosh operating system user interface between 1984 and 1997 and was an important part of Apple's brand identity. It is also used in early versions of the iPod user interface. While initially a bitmap font, Apple commissioned the type foundry Bigelow & Holmes to create a TrueType version, as the OS's capabilities improved. The typeface is named after the U.S. city of Chicago.
According to Susan Kare, Chicago was the first font to be developed for the Macintosh.
From Wikipedia, the free encyclopedia
Geneva Font
Geneva Font
Designer: Susan Kare
Year: 1983
The font designed for displaying text in the original Macintosh, launched in 1984.
The First Macintosh Interface
The First Macintosh Interface
Designer: Susan Kare
Year: 1983

The Vintage Mac Museum
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/












Alice



The Macintosh's first great game.
This game is officially named "Through the Looking Glass" and it was also called "Alice" when it first came out in 1984.
Alice-Through the Looking Glass
Macintosh Finder







1983年7月16日土曜日

[機器][ゲーム] ファミリーコンピュータ
























 「ついっぷるフォト」サービスおよび画像一括ダウンロードは 2017年11月30日 13:00 を以って終了いたしました。

ついっぷる
twipple.jp










ファミコン本体の回路図
2011/6/27
投稿者:bax
ファミコンの修理をしつつ、回路図作成。
参照した回路図はここだったり、ここの「Family Computer schematic by Nintendo?」(ちなみにこれは以前●クションバンド誌に載ってたやつによく似てる)だったりするけど、一枚の図面でトータルで見たかったり、回路が間違ってたり部品が抜けていたり、ピンアサインが並んでなかったりするので新たに実機の全配線を追いながら見やすいように作成。逆に見にくくなった気もするけど。
この回路が間違ってたり抜けていたらごめんなさい。
・回路の調査に使用した本体の製造番号:H1701639
ファミコン 基板バージョン
HVC-CPU-05の回路図(サムネイル)
・ファミコン 基板バージョンHVC-CPU-05 回路図Rev.06 (PDF)
・Rev.06 2020/10/28
修正内容:U7,U8 それぞれ3ステートNOTゲート10番,9番ピン用のハイインピーダンスコントロール端子が15番ピンになっていたので1番ピンに修正。また、リセットスイッチを実際の通りに基板外に移動。
・Rev.05 2015/11/09
修正内容:SRAM 2つの容量が16KBと間違って記載。16Kbitに修正
その他、詳細はPDFファイル参照。
・Rev.03 修正内容:コンデンサが抜けていたほか。
部品表追加。詳細はPDFファイル参照。
なお、当然のごとく、基板型番が異なると回路も多少異なるので使用の際は注意。よく変更されているのはビデオ出力周辺回路の抵抗値、サウンド出力回路の抵抗値など。それから、検索したらこちらにHVC-CPU-05の基板を生基板にした方がいました。参考になります。HVC-CPU-07の画像もあるようなので、機会があったら比較してみようかと思います。
KEYWORD:FC HVC-CPU-05 CIRCUIT SCHEMAITC ファミコン 本体 回路図 メイン基板 RP2C02 RP2A03

電子機器 Junker










演算機器の歴史
年月 国名 事象
1981年 アメリカ
IBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「PC DOS」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが
「MS-DOS」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「MS-DOS」と呼んでいる。
1981年 日本
カシオ計算機は、世界初のVLSI化されたワンキーボード電子楽器「VL-1」を開発し、
電卓、シンセサイザー、ミュージックシーケンサーの機能を持って、35,000円で発売された。
1982年10月 日本
NECは、16ビットパソコン「PC-9801」を発売した。CPUに16ビットのNEC製μPD8086(5MHz)、インテルの8086ファミリチップを採用した。ハードウェア面ではPC-8000/8800シリーズを上位継承したことで従来のPCユーザーが取っつきやすいように工夫されていた。また、高速な日本語表示のためにテキストVRAMを搭載していた。
1983年06月 日本
パソコン既存メーカーに対して出遅れた家電メーカーの団結を背景として、MSX規格が考案されて発表された。米マイクロソフトとアスキーによって提唱された8ビット・16ビットのパソコンの共通規格。
1983年07月 日本
任天堂より家庭用ゲーム機としてファミリーコンピュータ (Family Computer) が「HVC-001」が発売された。 8ビットCPUは専用LSIのリコー製RP2A03で、ゲームプログラムはROMカートリッジで提供した。1985年10月アメリカで販売したのを皮切りに世界に広がった。
1984年06月 日本
トロン(TRON)プロジェクトは、坂村健による、リアルタイムOS仕様の策定を中心としたコンピュータ・アーキテクチャ構築プロジェクトが開始された。プロジェクトの目指す最終的到着点のグランドイメージとして「どこでもコンピュータ=HFDS」を掲げて、デジタル家電で広く使用されている。
1984年08月 アメリカ
IBMがパーソナルコンピュータ 「モデル5170」 を発売した。これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指すした。
1985年11月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)のウィンドウズ(Windows)が登場した。初期バージョン「Windows 1.0」は独立したOSではなく、MS-DOS上で稼動するGUIを実現するアプリケーションであった。のちに、GUI環境で先行していた1984年登場のMac OSを追い越して世界のパーソナルコンピュータ市場でトップシェアとなり、2009年10月にはインターネット上で使用されているクライアントの市場シェアの約90%を得た。
1985年11月 日本
日本電気 (NEC) が開発・提供したスーパーコンピュータ「SX-2」は世界で最初にGFLOPSを越えたスーパーコンピュータで、Cray-2に抜かれるまでのひとときであったが世界最高速であった。
1998年11月 日本
ドリームキャスト(Dreamcast)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が発売した家庭用ゲーム機である。一般にはDCやドリキャスの略称で呼ばれる。
1990年05月 アメリカ
マイクロソフト(Microsoft)「Windows 3.0」は、MS-DOSを拡張する16ビットオペレーティング環境(Operating Environment:)。1991年に発売された改良版「Windows 3.1」が爆発的に売れた。
1990年10月 日本
日本IBMが「PS/5535-S」で初めてVGAのみを搭載した機種で、それに対応したOS「IBM DOS バージョンJ4.0/V」を発表した。これがDOS/Vの最初のバージョンになった。
1991年09月 スェーデン
リーナス・トーバルズ(Linus Torvalds)は「Linuxカーネル」を開発し、一般に公開した。開発を促進するために、Linuxのファイルはヘルシンキ工科大学のFTPサーバ (ftp.funet.fi) にアップロードされた。トーバルズの協力者であり、当時そのサーバの責任者であったレムケは、トーバルズに相談することなく、サーバ上のプロジェクトに「Linux」という名前をつけた。
1993年06月 アメリカ
Hillis と Sheryl Handler はシンキングマシンズ社を創業し、AI研究、CM-5 では、アーキテクチャを完全に変更し、Fat Tree構成のネットワークでSPARC RISCプロセッサを接続し、MIMD方式で動作した。世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)によりランク付けでTOP500の第1回首位に輝く。
1993年11月 日本
航空宇宙技術研究所が研究用に構築した数値シミュレーション向けのスーパーコンピュータ「数値風洞」が、世界スーパーコンピュータのベンチマーク(LINPACK)でランク付けTOP500で首位になる。
1994年06月 日本
富士通「数値風洞」1995年11月まで、1996年6月は日立「SR2201」、1996年11月は日立「CP-PACS」がTOP500の首位を2年半維持した。
1994年12月 アメリカ
カリフォルニア工科大学で開発された、インテルパラゴン「Paragon XP/S 140」が、TOP500の首位になる。
1994年12月 日本
ソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) (現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント (SIE) )から家庭用ゲーム機「プレイステーション」(PlayStation)、が発売された。置き型の家庭用ゲーム機史上初めて累計出荷台数が1億台を突破した。
1996年 日本
本田技研工業(HONDA)が人型をしたロボット「Prototype Model P2」の開発が正式に発表された。後の「ASIMO」の二足歩行ロボット。開発の途中でローマ教皇庁に人間型ロボットを作ることの是非について意見を求め、問題がないことを承認してもらった。
1997年06月 アメリカ
インテル(Intel)スーパーコンピュータ「ASCI Red」が2000年6月までTOP500の首位になり、引き続きIBMの「ASCI White」が2001年11月まで首位になった。
2000年 日本
本田技研工業(HONDA)が、世界初の本格的な二足歩行ロボット「ASIMO」を発表した。予測運動制御によって重心やゼロモーメントポイント(ZMP)を制御して自在に歩くことができ、階段の上り下り、旋回、ダンスなども可能。
2001年11月 アメリカ
マイクロソフトが開発および販売を行った家庭用ゲーム機「XBOX」で、ゲーム市場に参入した。Xboxは固定されたゲームプラットフォームだったが、Windows 8ではエンターテインメントブランド、Windows 10ではゲームをコアとしたサービスプラットフォームと広がりを見せている。
2002年06月 日本
JAMSTECと日本電気が「地球シミュレータ」は、スーパーコンピュータの計算性能のTOP500で IBM ASCI White に5倍の差をつけて首位を獲得し、2004年6月まで2年半の長期に渡ってトップを譲らなかった。
2004年11月 アメリカ
ブルージーン(Blue Gene)プロジェクトがローレンス・リバモア国立研究所と共同で開発されたスーパーコンピュータ「Blue Gene/L」は、地球シミュレータを抜いて当時の世界最速のスーパーコンピュータとなった。
2010年10月 日本
政府の「事業仕分け」で、当プロジェクトは「予算計上見送りに近い縮減」(事実上の凍結)と判定された。
2011年06月 日本
文部科学省の次世代スーパーコンピュータ計画の一環として、理化学研究所と富士通が共同開発したスーパーコンピュータ京(K computer)がTOP500で1位を獲得した。2012年9月以降は、地球物理、生理学、天文科学、気象地震、製造技術など共用が開始された。
2013年06月 アメリカ
ローレンス・リバモア国立研究所の「Sequoia Blue Gene/Q」がGraph500で首位になる。TOP500では有効に計測されない大規模データ処理の処理性能を競うGraph500が公表された。
2013年11月 日本
東京工業大学 「TSUBAME-KFC」がGreen500で、日本製スパコンとして初めて1位を獲得した。Green500は、世界で最もエネルギー消費効率の良いスーパーコンピュータを定期的にランク付けし評価するプロジェクトである。日本では「スーパーコンピュータの省エネ性能ランキング」などと呼ばれる。2014年6月まで2年連続1位。
2013年11月 中国
国家超級計算広州中心ではスーパーコンピュータ「天河2号}(MilkyWay-2)がTOP500で首位になり、その後「天河-1A」が2015年11月まで首位となった。以降2016年11月時点で「神威・太湖之光」がTOP500で1位。
2014年06月 日本
理化学研究所とペジー・コンピューティング(PEZY Computing)の「菖蒲」(Shoubu)がGreen500で首位になり、2016年6月までの3期トップを守った。