1986年5月12日月曜日

[ゲーム][TVゲーム] 任天堂FC,ロマンシア





[ゲーム][TVゲーム] 任天堂FC,ロマンシア
ロマンシアのプレイ日記6:レトロゲーム(ファミコン)
投稿日:2020年3月6日
前回からの続きです!
皆さんこんにちは。
ロマンシアのお姫様の気配を大分近くに感じている伊達あずさです。
でも果たしてお姫様を助けて「はいおしまい!」ってなるかなぁ・・・何1つとして根本的な問題が解決していない上、ロマンシアとアゾルバが兄弟によって治められていたというストーリー上の必要性が今のところ何もありませんもんね。きっと、セリナ姫を助けただけでは終わらないんじゃないかな。

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そんなわけで、何の解決にもなりませんが、一先ずセリナ姫はとっとと救出しちゃいたいと思う私です。まあ、ここからセリナ姫が捕らえられている場所までどれくらいあるかもわかりませんしね。そしてその道中で、根本原因となる何かが判明するかもしれませんし。さ~今回はちゃんと闇を照らすランプを持ってきたため、しっかりとその全貌を確認することができます。この世界では明かり無しで進むことはできないんですよ。操作感もあれですし・・・
洞窟の中にはリザードマンのような敵が出現します。これも例にもれず倒すとお爺さんになりますが、良い子であることをやめてしまった私の敵ではありません。しかし、お城の奥が洞窟になっちゃってるっていったいどういった構造なんでしょうね・・・
リザードマンを虐殺しながら進んだその先には巨大なカタツムリ風の敵が立ちふさがっています。前後に移動しながら泡のようなものを出して攻撃してくるのですが、最奥まではにじり寄ってきませんし、肝心の泡も見た目より当たり判定が小さいため、敵との距離感さえ間違わなければ、こちらが負ける要素は何1つありません。
巨大カタツムリを倒すと、久しぶりに青い玉が落ちてきました。さ~この奥で何が私を待っているのか!
穴ですね・・・穴がありましたよ。そしてこの穴は何と上じゃなく下で入る穴だったのです。
穴の先には・・・金貨1枚で体力を1回復してくれるお爺さんが居ました。相変わらずお爺さんしか出てきません。
疫病が蔓延したとか魔物が出現したことよりも、そっちの方がよっぽど国難な気がしますけど。
奥にもまた下で入る穴があります。今度は金貨1枚で剣をくれるらしいです。剣先を飛ばす行為は耐久度を減らして行ってるっぽい仕様なので、これは金貨1枚でMAXまで回復してくれるってことなのかな?まあ、交換しないから真相は闇の中ですけど。梯子を降りるとセリナ姫っぽい人が閉じ込められている牢屋が見えます。でも、ここからでは助けに行けなそうです。迂回しなきゃ。迂回すべく急いで梯子を降りるとそこには・・・何でしょうこれ?甲殻類のようにも見えますし、そうではないような感じもする名状しがたい魔物のようなものが出現します。ちなみに飛ばしてくるこの爪のような物体は剣で攻撃すれば叩き落せます。
飛んでくる爪はまあまあの追尾性能を持っているため、左端の梯子なども利用してかわすと良いかもしれません。
巨大な魔物を倒すとまたも青い玉が落ちてきます。そういえば、ここって地下なのに前回も地形を無視してこの青い玉って降ってきてましたね。梯子を登ってセリナ姫が捕らえられている牢屋に近づけば救出できるんです!巻物が正しければね!!あ~~別の世界線での苦悩の記憶が蘇っちゃうよぉぉぉぉ~
誰の仕業かわかりませんが、セリナ姫を牢から出すと、急に2体の天使が現れ、ロマンシアのお城まで強制送還されます。そんなわけで、国難の原因がさっぱりわからないままセリナ姫の救出に成功しちゃいました。まずいな・・・今回分のプレイ日記が短くなっちゃうよっ、とか思っていたら、この後に及んで良い子ポイントがMAXまで急上昇したので、その心配は杞憂に終わりそう。
何と今度はセリナ姫の魂だけ連れ去られちゃいました。この事態を目の当たりにした王様は・・・
「勇者よ、今一度姫を助けてくれないだろうか。されば姫を其方の妃にしようぞ」
ですって。自分の娘どころか、私の気持ちすら無視したこの提案!流石に今さっき会ったばかりの人と結婚っていうのはどうかと思います。しかしまあ、私の目的はこのロマンシアを乗っ取り、自分の祖国を奪還するための足掛かりとすることが目的なので、それもまあよいでしょう。でもなぁ・・・ロマンシアって超超高齢化社会なんですよね。さっきみたいに城の中に平気で魔物がやってきちゃえる程の脆弱ぶりですし、果たして、このロマンシアには国としての価値がどれほど残されているのか・・・
非常に悩ましく思いながらも、セリナ姫の魂を求めて、再び旅立つ私。私の冒険はまだ始まったばかりだっ!・・・って、なんだか最終回みたいな雰囲気を醸し出してしまいましたが、一体どこへ行けというのやらです。
勢いよく飛び出した直後で非常にお恥ずかしいのですが、一旦お城へと戻り、新しい剣を王様から頂くことにしました。更に、温存し続けた金貨の出番が全然やってこなかったので、盾の修理に全部使っちゃうことにしましょうかね。
天上界へ行って、MPも回復しておきましょう。これで準備万端!ではどこへ向かうのかと言うと・・・
多分ここかなぁ・・・本当は城の手前にあった壊れた建物かな~とか思っていたのですが、やっぱりそちらへは入れませんでした。相変わらず、お城へ入って直ぐのところにはこの人がいるので、良い子ポイントは0にしておく必要がある・・・と、思っちゃいますよね?いえね、私もそう思ってたんですよ。少なくても最初はね・・・
でも、後々のこと考えると実はここでは良い子のままでいた方が何かとお得だと気づいちゃったのですよね。なので、素直に豚にされちゃうことにします。ここから下っていきます。とか、さらっと言ってますけど、ここが降りれることに気づくまで結構時間無駄にしてますからね!?ちなみにここ、牢屋の中から繋がっていたのですよね。セリナ姫はどうしてこちら側へは逃げなかったんでしょうね。
それと、ここ・・・見た目では左右に移動できそうに見えますが、梯子を伝って下へ進む以外に進めないのです。でも、全く同じ風景で左右に進める場所もあるんですよね。つまり・・・この牢屋の地下空間はひたすら同じ風景の繰り返しで進んでいくことになります。容量を減らすための試みだったのだとは思いますけど、全く変化しない地形が延々と続くなんて、現実世界ですら稀なことです。目印すら付けられませんしね・・・
そんな攻略前から気がめいりそうな地下空間を目の当たりにしたところで、今日はここまでかな。

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人間はカルマの塊である
海外のRPGというのは、テーブルトークが基となって作られていたのが殆どである。
しかしこの時代の日本には、テーブルトークで遊ぶプレイヤーは少なく、馴染みのない分野であった。強いていうなら、ボードゲームの『人生ゲーム』ぐらい、という人が多かったのではないだろうか?
1984年。この年に日本独特のRPGが登場する。日本ファルコム社の『ドラゴンスレイヤー』(1984年9月)と、T&E社の『ハイドライド』(1984年12月)である。
■アクションRPG 
DORAGON SUREYER/ドラゴンスレイヤー
HYDELIDE/ハイドライド
この2つのゲームは、RPGに”アクション”を取り入れたゲームだ。
アクションといっても、 飛んだり跳ねたりするのではなく、フィールド上を移動するシーンと敵と戦うシーンが同一の画面で展開 されるといった意味合いである。
『ウルティマ』や『ウィザードリィ』の様に敵に遭遇してから戦うのではなく、画面上に存在している 敵にそのままぶつかって戦う。その際に重要なのは、RPGといえばこれだという”レベル”だ。
敵を倒しながら”経験値”を稼ぎ、キャラクターをレベルアップして成長(攻撃力や体力値のアップ) していかないと、強い敵には攻撃が効かなかったり、すぐに叩きのめされたりしてしまう。
このRPGの要素がプレイヤーに受けた。アクションが苦手でもレベルアップすれば敵を倒せるし、とりあえず謎に詰まってもレベルを上げる楽しみがあるので、AVGよりもプレイヤーが長く楽しめた。 人気が出るのも頷けるというものだ。
『ドラゴンスレイヤー』は、アクションの他に”パズル”の要素も入っていた。ドラゴンが守る四つの王冠を探し出すのだが、パズルゲームの様に壁を押して道を作ったりすることができるという、珍しいゲームだった。自由に迷路を変えられたので、敵が出現する墓の周りを壁で固めてしまうなどのテクニックも使えた。また魔法が8種類もあり、なかでも敵を凍らせたり、時間を止められるという魔法は役に立った。
敵キャラも非常に個性が強かった。”足”とか”タ○リ”とかでてくるし(逝)
このアクションRPGという新しいジャンルのゲームは、『ハイドライド』の登場で一気にブームとなる。
『ハイドライド』は提示性は薄いがきちんとしたストーリーがあり、謎を解きながら進んでいくAVGの要素も入っていた。王国の平和を維持するために必要な、3人の妖精や宝箱を探し出すのに苦労した人も多いと思われる。しかし決して難易度が高いというわけではなく、きちんとしたシナリオをベースにゲームをクリアしていけた。これが人気を得た理由だろう。
RPGの重要な要素である戦闘は、攻撃と防御がスペースキーを押すだけで切り替えられたので簡単だった。ただ、攻撃しているつもりで敵にぶつかっていたら、実は防御していたということがよくあった(逝)
草地でじっとしていれば体力が回復するという親切さも、人気が出た要素の1つだろう。
hyde3/ハイドライド3
ちなみに『ハイドライド』は『3』まで制作されている。『3』は『1』や『2』とは違い、ゲームシステムに変更が加えられている。
まず攻撃手段が体当たりからスペースキー連打になったこと。そして近距離用の剣に加えて遠距離用の弓で攻撃できる飛び道具が加わり、攻撃に幅が出たことだ。
だが『3』は、今までの『ハイドライド』シリーズが好きなファンの中でも賛否両論がある。
それは時間や重量制限というシステムが関係している。寝ないと弱くなっていくのは良いとして(良くない)、特に重量が評判悪いのは重量制限だ。
レベルが上がるごとに持てる重さが増えていくのだが、そこに楽しさを見出せないのである。なにせお金まで重さがある。持てる・持てないで、ストレスを持つことになる(逝)
もうちょっと制限が緩くても良かったと思う。
ちなみにWindowsで『1』から『3』までをプレイできるリメイク版も発売されている。
XANADU/ザナドゥ
そして、アクションRPGの人気を決定づけたゲームが登場する。ドラゴンスレイヤー2として発売 された、日本ファルコム社の『ザナドゥ』(1985年11月)である。
『ザナドゥ』は、よりアクション性が高くなり、ジャンプなどを駆使しなければ移動できない場合も あった。より軽快なアクション、巨大な敵キャラ、使っている武器がレベルアップしていくという斬新さ。
今まで使っていた武器の方が新しく入手した武器よりも使いやすいという、現実的な”熟練度”を 用いた点は、当時のプレイヤーを驚かせた。
そしてプレイヤー達をもっとも悩ましたのが”カルマ”だ。倒してはいけない敵を 倒すと”カルマ”が溜まっていく。この”カルマ”があると、レベルが上がらなくなってしまうのである。 でもやっぱりRPGだと、オラオラー!って感じで行っちゃうでしょ! 行くよね!(逝) やっぱり人間って さ、業が深い生き物なんだからさ(逝)
目的はドラゴンを倒すことと決まっているが、そこに行くまでの過程はプレイヤーに大きくゆだねられていた。『ハイドライド』とは違い、自由度を感じられるのがこの『ザナドゥ』の特徴だろう。
にリメイクされたのでプレイした人も多いと思うが、今のプレイヤーがプレイしても面白いと思うかが興味深いところだ。
■余談
『ドラゴンスレイヤー』の生みの親である木屋善夫氏は、自分が関わったゲームを全て『ドラゴンスレイヤー』のシリーズと定義付けていた。
『ザナドゥ』、『ロマンシア』(1987年3月)、『ソーサリアン』、『ロードモーナク』へと続いていく。
・・・ハドソン社の『ファザナドゥ』(1987年11月)とか、ナムコ社の『ドラゴンスレイヤー4』(1987年7月)はどうなんだろうか?(逝)
romancia/ロマンシア
ファザナドゥ
ドラゴンスレイヤー4
シナリオを追っていくタイプのハイドライドシリーズと、自由度の高いドラゴンスレイヤーシリーズは、両社の看板ソフトとなり 、人気シリーズとなっていく。
ソーサリアン
『ドラゴンスレイヤー』にしろ『ザナドゥ』にしろすべて自分1人だけだったのだが、『ソーサリアン』はパーティーが組めた。
なによりも特徴的なのが、魔法の掛け合わせである。これは数ある魔法を組み合わせると、より強い魔法が作れるといったものだ。もちろん、威力が半減する場合もあるのだが。
この組み合わせを探るのだけでも、十分に楽しめたプレイヤーは多かったのではないだろうか。
しかもこのゲーム、キャラクターに寿命がある。せっかく強く育ててもいつかは死んでしまう。・・・のだが、あることをすると不老不死になれる。これを利用して魔法の組み合わせを色々と楽しんでプレイした人も多いだろう。
また追加シナリオという形で、次々と新しいシナリオをプレイすることが出来た。これはファンにとって嬉しい。長く遊べる要素を用意したというのは、良い事だと思う。
このゲームは、ビジュアル・演出・戦闘システム・シナリオが抜群に絡み合っており、いまプレイしても色あせないほど高い完成度だ。ぜひプレイしてみて欲しい。
なお『イース』は2003年11月現在、『6』まで発売されている。『1』などは何回もリメイクされているのでいつでもプレイできるはずだ(逝)
個人的には、PCE版が1番格好良いと思っている。
余談
ゲームセンターにもRPGの要素を含んだアクションゲームが登場して人気を得ている。ナムコ社の『ドルアーガの塔』(1984年)や、『ドラゴンバスター』(1985年)、アタリ社の『ガントレット』(1985年)などが有名だろうか。
また、タイトー社の『カダッシュ』(1990年)は、上記のタイトル以上に変っている。レベルアップの概念があるのである。これがあるために、えらく長い時間が掛かるゲームになってしまっていた。ゲームセンターにはあまり嬉しくない長時間プレイは、好評を得なかったようである(笑)
ドルアーガの塔(FC版)
ドラゴンバスター(FC版)
カダッシュ
そうそう。変わったシステムをもつRPGといえば、このゲームを忘れてはならない。ボースティック社が発売した『レリクス』(1986年)だ。プレイヤーは最初、”影みたいなもの”だ。そしてゲームの目的も、最初はさっぱり判らない。非常に難易度が高いゲームだった。
このゲームの特徴として面白いのは、乗り移るというシステムだ。RPGというのは大体が自分自身を成長させていくものだが、このゲームは敵に乗り移って行動していく。憑依するといったら、わかりやすいだろうか?
RELICS/レリクス
敵の持つ能力などを考えて乗り移っていき、進んでいく。自分を成長させていくのではなく、能力を借りるという発想はなかなか凄い。
しかしこのゲーム。何をして良いのかが本当によくわからない。挫折した人も多いと思う。私は挫折しました(逝)
でも世の中には、クリアした人がいるんですよね、凄い。

Nostalgia
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/rpg/rpg4.htm











1986年5月7日水曜日

1986年4月24日木曜日

漢字トーク( KanjiTalk ) 1~日本語版OS誕生

















[OS] 漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )
漢字Talk V1.0
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )では12ポイントと18ポイントのKyoto,Sapporoフォント(明朝体)を使用、日本語入力も完璧と思いきや、その変換にはやや不安定な所も、、、、、、。
Kyoto,Sapporoフォントは、9inch/mono Displayにはサイズ的に実用的ではなく、きれいなフォントとは言い難かった。
Osakaフォントが使えるようになったのは、KanjiTalk 2.0からだ。
■漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )では日本語と英語のモードの切り替えが可能で、右上のアップルマークが英語モードでは「A」、日本語モードではひらがなの「あ」とカタカナの「ア」に変わる。
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は、800KのフロッピーディスクにMacWriteとMacPaintを同時に入れてもまだ31Kの余裕が・・・
マックドロー
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は、800KのフロッピーディスクにMacDraw日本語版を同時に入れても、まだ余裕が。
フロッピーディスク一枚でMacDraw日本語版は起動できた。
■クレジット画面に開発にかかわった人たちの顔
by Mark Davis and Ken Krugler
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )のクレジット画面には、開発にかかわった人たちの顔が表示された。
Ken Krugler
MIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業後アップルに入社
彼は雑誌のインタビューに次のように答えている。
「最初にした仕事はLisa 上で走るMacintosh のエミュレータの開発でした。アップルは売れ行きの芳しくないLisa をMacintosh の開発マシンとして再販しようとしていた。このエミュレータは後にMacWorksという名称で発表され、Lisa もMacintosh XL という名称で販売された。
しかしながら、このエミュレータの開発業務は、いわばLisa が死んで行くためのソフトですから、仕事もネガティブで退屈なものだった。それで、この仕事が終わると同時に休暇をとることにした。その時、会社から「休暇をとるなら、日本に立ち寄って彼らのサポート(日本語システムの開発)をしてみてはどうか」と言われ、これはちょっとした冒険になりそうだと思い、OKした。」
来日後、彼は、ジェームス比嘉らと協力、漢字Talkの開発をより強力に推し進めていく。
その後、彼はAppleを離れTransPac Software,Incを設立。
2バイトコードのソフト開発をしている。以下に英文の彼の業績を記しておく。
Ken Krugler(TransPac Software,Inc.)
Ken Krugler worked at Apple from 1983 to 1987 on the Lisa Filer, MacWorks, Macsbug, the MacPlus ROMs, KanjiTalk, the Script Manager, and ChineseTalk.He then started TransPac Software in 1987. Since then, this company has done script system projects (Japanese, Korean, Tibetan), input methods (Japanese and Chinese), outliner and word processor applications (Japanese, Chinese, Thai, Tibetan), online dictionaries (Japanese and Chinese), training, code reviews, many and varied consulting projects, and health club "expert trainer" computer systems.
Mark Davis
Mark Davis博士は、IBMの100%子会社であるTaligentのコアテクノロジー部門のディレクター。 博士はUnicodeを共同創設し、現在はUnicodeコンソーシアム社長。
Unicode Standard Version 1.0および新しい Version 2.0の主要な共著者の一人であり 編集者。 博士はマネージメントとソフトウェア開発のいずれにもかなりの専門知識があり、彼の部門は、オペレーティングシステムサービスやテキストと国際化を得意とする。技術的にはオブジェクト指向プログラミング、国際化およびテキストのソフトウェアの設計と実装を専門とした。
数年間、スイスでプログラミングについて学んだ後、 Macintoshの漢字Talk(KanjiTalk)およびScript Manager(後にWorldScriptになりました)の共同制作、アラビア語、ヘブライ語版Macintoshシステムの制作、 さらに最近ではCommonPoint国際化 フレームワークとJava 1.1国際化ラ イブラリの大部分の設計をおこなった。
■漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )と漢字トーク V2.0( KanjiTalk 2.0 )
漢字トークV1.0( KanjiTalk 1.0 )
システムフォルダ
漢字トークV2.0( KanjiTalk 2.0 )
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は1986年、Macintosh Plusにバンドルされ日本で発表。その後KanjiTalk 1.1にアップデートされた。
Macintosh PlusはCPUが8MHの68000、メインメモリーが512Kの2倍の1MBに拡張され、HFS(階層構造ファイル管理)、SCSIポートなどがサポートされた。
日本語モデルは、基板に128KBの漢字フォントROMを装備。Macintoshが正式にサポートする初の漢字対応システム漢字トーク( KanjiTalk ) V1.0が完成。
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は800Kフロッピーディスク一枚にコンパクトに収められた。Chicago、Geneva、Kyoto、Monaco、Sapporoの5書体が付属。このうち日本語フォントはKyoto、Sapporoの2書体。
漢字トーク( KanjiTalk ) V1.0発表前、キャノン販売が独自に漢字ROMを搭載して発表したモデル(DynaMac)にはカナシステムが採用された。
当時、オールドマック(漢字トーク)を、お世話することは、本当に大変だった。Macはアメリカ生まれ、なれない日本での生活は、苦労が多かったのでしょう。私も、使用時間の6割ぐらいは、お世話の時間に費やした。
■漢字トーク V2.0( KanjiTalk 2.0 )
漢字トーク( KanjiTalk )や(漢字版)Kanji version にまつわるお話を、当時Aldusで Product Managerを勤めていらっしゃったYoshiyuki Kubo氏、ご本人からお聞きすることができた。そのメール内容を許可の元、掲載させていただいた。
こんにちは。
初めてメールさせていただきます。
実は検索エンジンでたまたま自分の名前を検索したどり着きました。
SuperPaint 2.0のAldus Product Managerを勤めていたYoshiyuki Kuboでございます。
当時私はアメリカシアトルに在住で、Aldus本社にて日本語および2バイト版ソフトの開発を指揮しておりました。お気づきいただいたように、すべての印刷物、パッケージがアメリカで製造されていました。さまざまな試行錯誤を繰り返して、当時のアメリカで日本語の製品が製造させました。
SuperPaintのシリコンビーチ社はAldus社が買収をし、そのためSuperPaintも私が日本語化を担当いたしました。しかし、 SuperPaint2.0は既にシリコンビーチ社ブランドで英語版が出荷されていた関係で、日本語版もシリコンビーチ社ブランドで出荷することにしました。その後に出荷したSuperPaint3.0はAldusブランドで出荷してます。
また、当時マックの日本語OSは漢字トーク、日本語版ソフトは漢字バージョンと呼ばれておりました。そんな中、自分の製品に対してはKanji versionと言う表記をJapanese version(日本語版)と言う名称に変更し、アップルをはじめとしたソフトメーカーに呼びかけを行い、日本語版に対する漢字と言う表現を改めさせました。
すべてのメーカーが漢字のハンドリングに高いハードルを覚え、何時しか日本語を克服することが、漢字への克服と言ったことから、日本語版を漢字版と呼ぶようになってしまったのでしょう。
ホームページを拝見させていただき、当時のことが懐かしくよみがえりました。また、私の仕事がこのような形で取り上げていただき、非常にうれしく思います。また、実名入りでご紹介いただき、ありがとうございます。
今後のソフトの収集など、心より応援しております。
久保 芳之
日本語版にまつわる話ですが、現在のアップル関連の業界ではMOJIBAKEと言う英語の言葉が定着しております。
日本語の文字化けのことです。文字が化ける現象は2バイト文字の開発を行って初めて出現するバグで、ページメーカーの開発がアメリカで行われた最初の日本語アプリケーションでもあったことから、エンジニアに文字化けを理解させるのに非常に苦労しました。結果、英語で文字化けを説明するよりも、 MOJIBAKEとは何かを理解させることの方が簡単であると考え、英語としてMOJIBAKEを定着させました。知らないうちにMac関連業界の常用語となっているようです。
TSUNAMIのような感じですね。
久保 芳之

The Vintage Mac Museum
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/







漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )では12ポイントと18ポイントのKyoto,Sapporoフォント(明朝体)を使用、日本語入力も完璧と思いきや、その変換にはやや不安定な所も、、、、、、。
Kyoto,Sapporoフォントは、9inch/mono Displayにはサイズ的に実用的ではなく、きれいなフォントとは言い難かった。
Osakaフォントが使えるようになったのは、KanjiTalk 2.0からだ。
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )では日本語と英語のモードの切り替えが可能で、
右上のアップルマークが英語モードでは「A」、日本語モードではひらがなの「あ」とカタカナの「ア」に変わる。
漢字トーク KanjiTalk
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は、800KのフロッピーディスクにMacWriteとMacPaintを同時に入れてもまだ31Kの余裕が・・・
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は、800KのフロッピーディスクにMacDraw日本語版を同時に入れても、まだ余裕が。
フロッピーディスク一枚でMacDraw日本語版は起動できた。
漢字トーク KanjiTalk Screenshot 4
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KanjiTalk was the name given by Apple to its Japanese language localization of Mac OS. It consisted of translated applications, a set of Japanese fonts, and a Japanese input method called Kotoeri. The software was sold and supported only in Japan. However, it could be purchased through other re-sellers in the United States, though Apple did not support it for that market.
Early versions of KanjiTalk were based on a proprietary Kanji script input system called 2.0 & 2.1. Developments following version 2.0 laid the groundwork which eventually became Kotoeri intoroduced with System 7.1.
KanjiTalk debuted with version 1.0 in 1986, corresponding to Apple's universal System 3.0 and distrubted first with the Mac Plus. It was followed with limited version updates to 2.0, 6.0, and then parallel updates with Apple's System 7. Development was so slow prior to System 7, that Apple released a special version of System 6.0.7.1 for use on its new PowerBook models which only supported System 7, in order to market them in Japan.
KanjiTalk was succeeded by Apple's more standardized precursor to Unicode called WorldScript from Mac OS 8 to Mac OS X, a controversial decision as it did not adequately provide for all of the traditional Kanji characters.
From Wikipedia, the free encyclopedia
by Mark Davis and Ken Krugler
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漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )のクレジット画面には、開発にかかわった人たちの顔が表示された。
Ken Krugler
MIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業後アップルに入社
彼は雑誌のインタビューに次のように答えている。
「最初にした仕事はLisa 上で走るMacintosh のエミュレータの開発でした。アップルは売れ行きの芳しくないLisa をMacintosh の開発マシンとして再販しようとしていた。このエミュレータは後にMacWorksという名称で発表され、Lisa もMacintosh XL という名称で販売された。
しかしながら、このエミュレータの開発業務は、いわばLisa が死んで行くためのソフトですから、仕事もネガティブで退屈なものだった。それで、この仕事が終わると同時に休暇をとることにした。その時、会社から「休暇をとるなら、日本に立ち寄って彼らのサポート(日本語システムの開発)をしてみてはどうか」と言われ、これはちょっとした冒険になりそうだと思い、OKした。」
来日後、彼は、ジェームス比嘉らと協力、漢字Talkの開発をより強力に推し進めていく。
その後、彼はAppleを離れTransPac Software,Incを設立。2バイトコードのソフト開発をしている。
以下に英文の彼の業績を記しておく。 
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Ken Krugler(TransPac Software,Inc.)
Ken Krugler worked at Apple from 1983 to 1987 on the Lisa Filer, MacWorks, Macsbug, the MacPlus ROMs, KanjiTalk, the Script Manager, and ChineseTalk.He then started TransPac Software in 1987. Since then, this company has done script system projects (Japanese, Korean, Tibetan), input methods (Japanese and Chinese), outliner and word processor applications (Japanese, Chinese, Thai, Tibetan), online dictionaries (Japanese and Chinese), training, code reviews, many and varied consulting projects, 
and health club "expert trainer" computer systems.
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Mark Davis博士は、IBMの100%子会社であるTaligentのコアテクノロジー部門のディレクター。 博士はUnicodeを共同創設し、現在はUnicodeコンソーシアム社長。
Unicode Standard Version 1.0および新しい Version 2.0の主要な共著者の一人であり 編集者。 博士はマネージメントとソフトウェア開発のいずれにもかなりの専門知識があり、彼の部門は、オペレーティングシステムサービスやテキストと国際化を得意とする。技術的にはオブジェクト指向プログラミング、国際化およびテキストのソフトウェアの設計と実装を専門とした。 
数年間、スイスでプログラミングについて学んだ後、 Macintoshの漢字Talk(KanjiTalk)およびScript Manager(後にWorldScriptになりました)の共同制作、アラビア語、ヘブライ語版Macintoshシステムの制作、 さらに最近ではCommonPoint国際化 フレームワークとJava 1.1国際化ラ イブラリの大部分の設計をおこなった。
漢字トークV1.0( KanjiTalk 1.0 )
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は1986年、Macintosh Plusにバンドルされ日本で発表。その後KanjiTalk 1.1にアップデートされた。
Macintosh PlusはCPUが8MHの68000、メインメモリーが512Kの2倍の1MBに拡張され、HFS(階層構造ファイル管理)、SCSIポートなどがサポートされた。
日本語モデルは、基板に128KBの漢字フォントROMを装備。Macintoshが正式にサポートする初の漢字対応システム漢字トーク( KanjiTalk ) V1.0が完成。
漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )は800Kフロッピーディスク一枚にコンパクトに収められた。Chicago、Geneva、Kyoto、Monaco、Sapporoの5書体が付属。このうち日本語フォントはKyoto、Sapporoの2書体。
漢字トーク( KanjiTalk ) V1.0発表前、キャノン販売が独自に漢字ROMを搭載して発表したモデル(DynaMac)にはカナシステムが採用された。
DynaMacの発売はMacintoshの日本総代理店であるキヤノン販売から1985年8月20日。
DynaMacのカナシステムの作成日は1984年5月になっている。
1986年に発売された漢字トーク V1.0( KanjiTalk 1.0 )はSystem 3.0(English version)をベースに、漢字トークV2.0( KanjiTalk 2.0 )は System 4.1(English system)と密接な関係のもと日本語に対応できるよう拡張。漢字トークV6.0( KanjiTalk 6.0 )以降はSystemのバージョンと 同じ番号を使用。1996年発売の漢字トークV7.55( KanjiTalk 7.55 )がこの名称を、用いる最後となった。Mac OS 7.6以降はすべて「Mac OS」に統一された。
漢字トーク V2.0( KanjiTalk 2.0 )は1988年、Macintosh?、Macintosh SEと同時期に発表。
System4.1をベースに2度目(second major version)の大幅に改良が加えられた日本語システムでHDDまたは2FDDの使用を前提に開発された。
日本語処理には、スクリプトマネジャー機能が追加された。これにより漢字トークV2.0( KanjiTalk 2.0 )に使われている2.0変換モジュール以外にサードパーティー製のフロントエンドプロセッサーの交換使用が可能となった。
書体の自由度も高まり、12,16,24ドットのKyoto(明朝体)とOsaka(ゴシック体)のフォントを新たにサポート、JIS第二水準の漢字の追加などの充実がなされ認識出来るボリュームも拡大された。
バージョン1.0で慣れ親しまれた、Sapporoフォントは消えることになった。
しかし、大幅な環境の変化がさまざまな問題も生みだされた。これにより動かない英語のソフトが出てきてしまった為、以後、日本のMac Userは英語と日本語のシステムそのものを切り替えて使うことが、当然のようになってきた。漢字トーク( KanjiTalk )は、このVer2.0をベースにして、漢字トーク(KanjiTalk)V6.0.7まで改良が加えられた。この間にインライン入力がサポートされ日本語ユーザーはスクリーン下部に表示される入力ウィンドウで日本語の変換処理をし、その後テキスト画面に戻すという手間から解放された。
当時、オールドマック(漢字トーク)を、お世話することは、本当に大変だった。Macはアメリカ生まれ、なれない日本での生活は、苦労が多かったのでしょう。私も、使用時間の6割ぐらいは、お世話の時間に費やした。

The Vintage Mac Museum
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/












KanjiTalk was the name given by Apple to its Japanese language localization of Mac OS. It consisted of translated applications, a set of Japanese fonts, and a Japanese input method called Kotoeri. The software was sold and supported only in Japan. However, it could be purchased through other re-sellers in the United States, though Apple did not support it for that market.
Early versions of KanjiTalk were based on a proprietary Kanji script input system called 2.0 & 2.1. Developments following version 2.0 laid the groundwork which eventually became Kotoeri intoroduced with System 7.1.
KanjiTalk debuted with version 1.0 in 1986, corresponding to Apple's universal System 3.0 and distrubted first with the Mac Plus. It was followed with limited version updates to 2.0, 6.0, and then parallel updates with Apple's System 7. Development was so slow prior to System 7, that Apple released a special version of System 6.0.7.1 for use on its new PowerBook models which only supported System 7, in order to market them in Japan.
KanjiTalk was succeeded by Apple's more standardized precursor to Unicode called WorldScript from Mac OS 8 to Mac OS X, a controversial decision as it did not adequately provide for all of the traditional Kanji characters.
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The Vintage Mac Museum
http://www.d4.dion.ne.jp/~motohiko/



1986年4月8日火曜日

[ゲーム][Old Mac] Microsoft FlightSimulator, Microsoft Corp.(1986)~フライト・シュミレータ




Microsoft FlightSimulator
Microsoft Corp. 1986
Microsoft FlightSimulator Ver.102です。

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