昔のマニュアルって結構詳しかったね。
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2010/6/13(日) 午後 10:49 PC-98x1関係 パソコン
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皆様、こんにちは。
ネタがないので、PC-9801Fのマニュアルのご紹介。^^;
昔のPCのマニュアルって、結構技術的な内容も載ってましたね。
当時は、これが結構役立ちました。
まだまだ、PCって物が一般向けではなかった証ですね。^^;
おいらの趣味(興味)
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=7
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=5
_/_/_/_/_/ 電卓からパソコン _/_/_/_/_/
旧満州・奉天市に設立された商事会社「昌和洋行」が母体となって、戦後「日本計算器販売」に改編し、手回し計算機の製造販売を行っていた。
昭和41年(1966年)には磁気コアメモリを採用した「ビジコン161」を当時としては破格の298,000円で発売した。
シェアが15%を超えて伸びようというところで、事務機工業会の会長、通産省の課長による雑誌発表中止要請を受け、更に三菱電機からダイオードの供給増加を拒否され増産ができなくなるなどの圧力を受けたと云われている。
昭和44年(1969年)、日本計算器販売はプログラム制御の電卓を計画し、インテルにそのためのチップセットの開発を依頼していた。開発意図は電卓用という意味では専用チップというものだった。
日本計算器販売の嶋正利とインテルのフェデリコ・ファジン(Federico Faggin)が中心となって、専用LSI(大規模集積回路)として設計開発が行われて「Intel 4004」は完成した。
インテルはこのチップの汎用性に着目して、ビジコン(1970年に「日本計算器販売」から社名変更)から、コンピュータ部分の販売権を得た。
そしてインテルから1971年11月に「Intel 4004」として出荷が開始された。
因みに嶋正利は8ビット並列処理になった「Intel 8008」の開発にも関わっている。
8008は1974年に「Intel 8080」に進化して、更に高速なプログラム処理を可能にした。
一方、モトローラ社は同じ1974年に、ミニコンのアーキテクチャとプログラム手法に基づいて
8ビット「MC6800」
を開発した。
やがてフェデリコ・ファジンは、世界初のマイクロプロセッサ企業「ザイログ」を創業し、8ビットCPU「Z80」がコンピュータ普及に貢献した。
以降、Intel 8080、MC6800、更に周辺チップが高度化して、後述の大規模な演算処理装置に匹敵するようなコンピュータが卓上で可能になった。
R2E社「Micral N」
ソード電算機システム「SMP80/20」
MITS社「Altair 8800」
昭和48年(1973年)~昭和49年(1974年)、8080を使ったフランスのR2E社「Micral N」、日本のソード電算機システム「SMP80/20」、アメリカのMITS社が「Altair 8800」を相次いで開発し、卓上コンピュータを世に送り出した。
インテル「SDK-80」
東芝「TLCS-12A EX-0」
日本電気「TK-80」
更に、8080系のコンピュータプログラミングの教育用、アマチュア研究向けにキットが売り出された。
最初にインテルの評価キット「SDK-80」、東芝から「TLCS-12A EX-0」、日本電気(NEC)から「TK-80」が昭和50年(1975年)から昭和51年(1976年)にかけて10万円前後で売り出された。
決定的だったのは、機械語プログラムを手入力していたが、
ビル・ゲイツ(Bill Gates )とポール・アレン(Paul Allen)らによってマイクロソフト(Microsoft Corporation)を設立、8ビットのマイクロプロセッサを搭載したコンピュータ「アルテア」(Altair)上で動く、BASICインタプリタ(人間が認識しやすいBASIC言語をコンピュータが認識する機械語に変換するプログラム)を開発した事だろう。
ハードウェアでは、1976年7月にスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(Stephen Wozniak)が起業したアップルで、最初期に製作した「Apple I」の発表もマイクロ・コンピュータの考え方を一新させた。
SORD M200
SEIKO 5700
PET 2001
TRS-80
昭和52年(1977年)、
ソード電算機システムのZ-80オールインワン型「M200」や
精工舎(i8080A)の「SEIKO 5700」
は業務向けで高価だった。
一方、
カナダ、コモドール社(MOS 6502)の「PET 2001」、
アメリカ、タンディ(Z-80)の「TRS-80」
は低価格で、教育向けパーソナルユースを狙ってきた。
Basic Master
MZ-80K
PC-8001
翌年の昭和53年(1978年)~昭和54年(1979年)、日本は相次いで低価格機をラインナップした。
日立(HD46800)「ベーシックマスター」、シャープ(Z-80)「MZ-80K」、日本電気(μPD780C-1)「PC-8001」などが、個人ユーザーに広がった。
Home computer Apple II
日本製のパソコンが世界に広がりつつあった時期に、アップル社が威信をかけて1977年に6502で「Apple II」を発表したが、
市場に出たのは1979年10月になってからだ。
アップル2は、低価格帯ながらI/O拡張性が豊富で5インチデスク(オプション)がつなげるなど、新たなコンセプトを打ち出した。
やがてCPUも8ビットから16ビット並列処理になり、プログラム処理速度も一段と向上していった。
◆NEC PC-9801
1982年10月にNECは、日本国内シェアを席巻した「PC-9801」を販売した。
CPUはμPD8086。
以降、約10年間に渡って、ビジネスと個人の膨大なソフトウェアを生み出した。
大型コンピュータを主力にしていた富士通が、パソコンに参入したのは、昭和56年(1981年)の「FM-8」からである。
CPUはMC6809であった。
同年に眠れる獅子であった、IBMもパソコン市場に参入してきた。
IBM MODEL 5170
IBMは1984年08月、CPUのIntel 8088を使った「モデル5170」 を発売した。
これ以降、IBM PC互換機として、アーキテクチャーを継承した、いわゆるPC/AT互換機全般や、そのアーキテクチャー群を指した。
日本のパソコンメーカーを中心に、この「PC/AT」規格を採用して、「IBM PC互換機」として、次第にパソコン規格の統一が図られ、大きく普及する結果となった。
日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html
[機器] NEC PC-9801
巨大な電源? ~ PC-9881電源調達の巻
2011/11/13(日) 午前 11:28 PC-98x1関係 パソコン
皆様、こんにちは。
前回に引き続き、PC-9881に命を吹き込む為に、初代PC-9801に生贄になって頂きます。
初代PC-9801の内部を実機で見るのは初めてです。
開けてみる。
埃だらけです。^^;
何やら大きな基板があります。
メモリーボードでしょうか?
詳細は分かりません。
※追記
NECのD7220D(GDC)が乗っていますので、内蔵のグラボのようです。
もう一枚。
これば漢字ROMボードかな。
これらと電源を取っ払うと。
こんな感じ。
8086は中央部にあります。
むむ! 腐食部分発見!
内蔵電池の液漏れが原因でしょうか。
電池周りが腐食しています。
電源入れたら危なかったかも。
外した電源は、歯ブラシとエアーダスターでお掃除しました。
この状態で、電源を入れてみました。
ファンが回っています。
使えそうです。
さて、ようやくPC-9881が動かせるかな。^^
あと、初代PC-9801にはCバスが6つありますが、1つは最初から使われています。
ボードが挿してあります。
とあるHPによると、BIOS関連のボードだそうで、Cバスとして組み込む事により、後々の改良をし易くしたらしいです。
おいらの趣味(興味)
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/
https://blogs.yahoo.co.jp/def_int/folder/574038.html?m=lc&p=2
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