2023年10月16日月曜日

[スポット][東京秋葉原] 秋葉原エレクトリックパーツ〜電機街Appleジャンク店1999年


秋葉原エレクトリックパーツ




[スポット][東京秋葉原] 秋葉原エレクトリックパーツ〜電機街Appleジャンク店1999年
雑誌『東京人』1999.9    
木部
電脳都市。 秋葉原に冠せられた異名である。 歓楽街が歌舞伎町。 劇場街が有楽町。官庁街が霞が関。学生街が御茶ノ水。東京にある数々の,性格の明らかな街。秋葉原もまた,電気の街,パソコンの街としてはっきりとした顔を持っている。
■秋葉原エレクトリックパーツ
JR秋葉原駅を出てすぐ目に入るのは,高架下に密集した電気部品を売る小さな店。売場面積は人ひとりがやっと入るくらいだろう。 戦後の闇市とはこうであったかと思わせる人いきれだ。さらに休日には歩行者天国となる中央通り。道の左右には大きな店構えの量販店が連なる。なかなかのにぎわいだが,本当におもしろいのはその背後。JR秋葉原駅周辺から営団地下鉄銀座線 末広町駅あたりまで南北約500mにわたるその地域は,人や店や品物のカオスだ。総武線の列車が新宿方向から秋葉原駅にすべりこんでゆく。その時,左手の車窓から見下ろすことになるのが「東京ラジオデパート」である。1998年には創立50年を祝った。秋葉原の歴史そのもののようなテナントビルだ。東ラジの愛称で親しまれるこのビルの地下に「秋葉原エレクトリックパーツ」はある。
壁にびっしりと重なっているのは,ほとんどすべて中古のMacintosh,いわゆる「マック」である。マニアの間で人気の高い「Plus」「SE/30」などが見えた。1984年に発表された「マック」の歩みの一端に,この「秋葉原エレクトリックパーツ」ではじかに触れることができる。ちなみに「マッ
ク」を開発しているアップルコンピュータが創立されたのは1976年のことである。Macの人気が,近年盛り返している。1984年から一貫してMacを愛用するファンも多い。
「アップルのマシンが日本でも発売されるようになると,秋葉原のあちらこちらでデモンストレーションが行われるようになって。その画面を子どものころ食い入るように眺めていたんです。 夢のようなできごとでした」
売場に立つ水戸部光一さんが語ってくれる。 「秋葉原エレクトリックパーツ」は,東京ラジオデパートに本店が,少し離れた昌平小学校の近くに2号店がある。どちらの店も,中心はオールドマックである。
「『マック』が発売され始めた当時,本体にモニタなどを合わせて買えば二、三百万円するような機種もありました。それをやっとの思いで手に入れて,延々とローンを払い続ける。 車一台より高かったでしょう。 それでも欲しいと思わせる何かが『マック』にはあるんです」
それにしても。10〜20年前の「マック」に何故こだわるのか,変化の激しいコンピュータの世界である。古い機種はとうてい実用に耐えないだろうに。
「古いマシンがいまだに発している空気でしょうか。「iMac」とかG3マシンなど、高い評価を得ている新製品がありますが『オールドマック』の持つ空気感は,今の「マック」から感じられません。 コンピュータでありながらコンピュータを超えてしまっています」
こうして話している間にも次から次へと人が訪れる。 買えなくても見ているだけでいい。 もう動かすことはないけれど,可能性があれば自分の手で動くようにしてみたい。そんな思いにかられた顔が,現れては消え,現れては消え…
■マクサス
「マクサス・コンピュータ・アップグレード・サービス」は「マック」を始めとするパソコンの改造を目指す人にとって,知らずにすますことができない店だ。もともとは学生仲間で始めたアップグレードのサービスだった。 場所は成城学園前から渋谷,そして秋葉原へ移転するにつれて事業も充実,拡大していく。 取締役の天宅信裕さんに話をうかがおう。
「マックをお使いの方は,本当にマックを愛しておられるんですね。 他のメーカーのパソコンは,新機種が出れば消えていくしそれにつれてお店にやってくる人の顔ぶれも変わります。しかしマックの愛好家というのは,実用本位の人,マニアの人,あらゆる方々がいつまでも使い続けたいという気持ちを持っておられます」
「アップグレード」という言葉を社名にしているように,オリジナルの形を尊重しながらも変化する時代や作業内容に合わせて「マック」の性能を高
めていく。店舗とは別な場所にはアップグレードを行うための工房も設けられている。
「一部をいじってバランスを悪くしてしまうより,使えるものは使いながら性能の高いパーツを組み込んで,より快適なマシンを作り出す。 外見は『オールドマック』でも中身はまったく別物になるわけです。オリジナルを損ねるように思われるかもしれませんが,それだけデザインが優れている証拠でしょう。ただの函じゃないんですね。もちろんオリジナルのほうがいいという方には現状維持のサービスも行っています」
そんな天宅さんにとって秋葉原という街,その魅力とはいったい何だろう?
「この街にいる限り注目度は大きいです。 成城学園前に店があった時代から,このような仕事をするのなら場所は秋葉原だと思っていました。 初めて店を構えたビルというのが,日本で初めてマイコンを作る会社が入っていた建物だったことに,因縁というか運命,導きのようなものを感じましたねえ」
中古品,ジャンク品,筐体と呼ばれる「マック」本体の函,さまざまなパーツ、ハードディスクやフロッピードライブなどの内蔵部品。それらを目当てに、絶え間なく訪れては出ていく人たち。密度は濃いのに、不思議と風通しのよさを感じる店内なのである。
■五州貿易
秋葉原駅から少し遠ざかろう…………。人混みを縫いながら末広町駅方面へ。とあるビルの屋上に「五州貿易」と大書された旗指物が見えた。大陸の風を感じる名前である。 社名のとおり「五
州貿易」を率いるのは、長春出身のル・イヤンさん。 国内ではなかなか手に入らない「中古マック」 を海外から輸入し販売するなどしている。
「もともとはエンジニアでプログラム作りの仕事もしていたんです。 コンピュータは日本に来て初めて触ったのですが,すぐにその魅力に取りつかれ
ました」
ルーさんの表現を借りれば,コンピュータは人間の頭脳の延長である。 工具なら人間の手の延長といえるが,コンピュータは頭脳の延長。 人が作り出したものには違いないが,人よりも高い能力を備えている。しかも正確だ。
「私が中国にいたころ,あちらの大学にはコンピュータが一台か二台あっただけ。触ることもできません。それが特にこの秋葉原では,客が行列を作って,まるで野菜でも買うようにパソコンを求めていく。驚きました」
「五州貿易」でも,ただ「中古マック」を並べておくだけではなく,積極的に改造品の販売を行っている。その目玉になっているのが「i/30」。 大人気の「iMac」 とマック史上の人気機種「SE/30」を合体させようという試みだ。一見すると外観は「SE/30」。 しかし「SE/30」にはなかったはずのCD-ROMドライブやインターネット接続用のモデムその他が内蔵され,処理速度もオリジナルの8MHzから最高333MHzと飛躍的に高められている。
「機械として使いやすいこと,機械なのに愛情を寄せやすいこと,それにアップルという会社のセンス。 魅力は尽きません」
「五州貿易」の扉をくぐる時,いつも感じるのは店内の明るさと開放感だ。ビルの五階にあって広いとはいえない店内に「中古マック」や各種パーツ類が置かれている。 圧迫感を受けて当然なのにどこか抜けている。 道路に面した窓から光が射し込むから。 パソコンショップには珍しい女性スタッフのAさんがいてマニアックな店にありがちな閉塞感を作らないようにしてくれているから。そうしたことに加えてルーさん自身の大陸的な雰囲気も得がたい。「五州貿易」の名をそのまま体が表しているようだ。

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マクサス



五州貿易













松葉一清: 秋葉原1995年〜バブル崩壊後リストラ旋風の中の電機街
松葉一清
秋葉原。今世紀を総括する博覧会場。20世紀の消費文明は,この街において手をかえ品をかえ欲望をかきたて続けてきた。どんな人気者もここでは盛りを過ぎた日には無惨にも打ち捨てられる。雄叫びをあげるのは、いつもただ一頭の勝ち馬だけ。。工業生産と大量消費の大原則である優勝劣敗が貫徹される。その結果,市場障壁も内外価格差も克服した自由市場が出現した。だからそこは魅力的な物産会場でもある。とにかく活気が溢れている。長引く不況が尻込みの気分を蔓延させている時代に,数十万円の現金がレジで支払われ続けるのを見るだけでも元気が出る。なにはともあれ、秋葉原へ出かけようではないか。
■形のない街
市場原理が街を目まぐるしく変える。電脳自由都市。そう呼べる状況を秋葉原は呈している。20世紀博覧会はパソコンの爆発的な普及で今やクライマックスを迎えようとしている。自由都市を標榜する街でまず注目すべきは流動性だ。20世紀の都市は前世紀までとの相違を「移動」と「速度」というふたつの概念で提示してきた。わたしはこの数年間,毎週一度か二度欠かさず秋葉原に通いつづけているが,ひと月前の街を再現しろといわれてもとてもできない相談だ。目まぐるしく街は様相を変えていく。「移動」と「速度」といっても本来は交通システムの話だったのだが,秋葉原では「街」そのものが流動してとどまる瞬間がない。それは工業化によって社会の進化に応じ都市を変貌させうるとしたモダニズムの企みを超越した,世紀末電脳都市の姿なのである。
老舗もなにもあったものではない。弱肉強食。売上げの如何が街の地図を絶え間なく変動させる。知らないうちに馴染みの店が引っ越したり閉店してしまったりという体験が一度ではない。これは既存の都市の原則が崩壊した状態である。都市は一度築けば少なくとも千年の命を永らえることを期待される。そこに建つ建築は恒久の命を求められてきた。だが秋葉原にはそれがない。市場原理という王様が街を日替りで模様替えさせる。
本来20世紀は定番商品を生む事によって欲望をかきたててきたはずだ。装身具や時好品などの店は,立地と構えで名を成し,高付加価値のブランド品を高価格で販売するのが常道だった。秋葉原はどうか?数十万円の商品を購入しても,案内もないままひと月後には元の店は引っ越してしまっている。ただ自己分力で店の移動を追跡するしかない。
そのような見定めるべき安定した文脈を失した都市は,ウィリアム・ギブスンが近未来SFの古典「ニューロマンサー」のなかで描いたナバ・シティーや,リドリー・スコット監督の近未来映画の不朽の名作「ブレードランナー」に出現する2019年ロサンゼルスなどと二重映しになる。それらのSFや映画が描きだした近未来都市には,20世紀の価値基準に基づく優れた建築が存在しない。都市のハードというハードはくたびれはて,そこに不気味な酸性雨が降る。その「建築なしの都市」の図式を秋葉原は絵に描いたように追認していく。
これ以上はないひどさのショップのエクステリアとインテリア。不挨な看板とネオンサインだけが跳梁する。作品と呼ベる建築をそこに見いだすことは不可能に近い。昭和通りを越えた東側の佐久間町にビーター・アイゼンマンが設計した脱構築主義を標榜する「IZM」が存在するが,アイゼンマンの建築的文法の破壊作業も「建築不在部市」の迫力の前では机上の空理論と映る。
■DOS/Vで開放された秋葉原
1990年に日本IBMがDOS/Vという基本ソフトを発売するまでは,秋葉原は市場障壁の象徴のような街だった。日本語を扱えるパソコンはNECの9801シリーズによる寡占状態にあり,本体も周辺機器も信じられないほど高価だった。DOS/Vはアメリカ製の安価なIBM-PC互換パソコン上で日本語を扱えるようにする画期的なソフトで,その出現によって世界中に一億台といわれるIBM-PC互換パソコンの本体と,それを想定した安価な周辺機器が日本語環境で使えるようになった。この恩恵に最初に預かったのはパワーユーザーと呼ばれるオタクたちだった。効用の大きさが,自由度の高さゆえの難しさを乗り越えさせ,DOS/Vは今では日本のパソコンの中心になった。パソコンの価格帯はDOS/Vによって30万円前後から10数万円まで下がった。性能は10倍以上に高まったから価格性能比の改善は20倍を超える。DOS/Vを普及させたのは,世界には安価なパソコンがあるのだから,それを使うことにより,日本を情報立国戦争に後れをとらせまいとする多くのひとの熱意だった。
秋葉原のパソコンショップはこれに応え,毎週のようにアメリカとアジア諸国から、最新の安価な本体,周辺機器の輸入を続けた。それが飛ぶように売れたため,大手の家電店を保護する形で販売促進を続けていた国内メーカーも仕方なくこぞって値下げに転じた。この競争は1992年頃から激化し,新しい機器と価格破壊を繰り返し,毎週のように秋葉原に通う人種が出現した。一方,長引くバブル崩壊後の不況による企業の間接部門圧縮というリストラの風が吹きはじめ,パソコン導入による事務効率向上への要求が高まった。パソコンは、もはや、避けては通れないものとなったのである。だから,秋葉原の隆盛はバブル後の産業構造の変化を映し出しているといえる。バブルは既存の都市観に基づく懐古趣味の都市を最後の徒花として開花させた。その後にリストラ気分そのままのバラックの秋葉原が歓迎されているのは皮肉な構造といえよう。国内論理が何にも優先してきたわが国において,市場原理がここまで鮮やかに市場障壁を取り去った例は他にない。秋葉原を電脳自由市場と言挙げる所以だ。
■DOS,Mac,NECの業界地図がそのまま地図に
秋葉原の北側エリア,「ザ・コン」を境に末広町側へ進むと,アキバは「ディープな世界」に入っていく。ここ数年,日本のパソコン界を二分,いや三分して行われてきた「議論」の結果がそのまま地図に現れてくる。三分とは
「DOS/V」
「マック」
「98(NEC PC-9801シリーズ)」
の3つのパソコンの系統である。
DOS/Vは1990年に登場したOS(オペレーティング・システム)で事実上の世界標準であるIBM-PCを日本語で扱えるようにしたシステムである。当時の日本はパソコン暗黒時代といわれ,NECの9801シリーズがシェアを独占していた。IBM-PCと98はもともと同じMS-DOSというOSを使っており,日米の兄弟の関係にあるが,98が日本語対応を売り物に,価格もソフトの開発も思うがままにしてきた。DOS/Vは開発当初は不人気だったが,バージョンアップとともに使いやすさが増し,また世界標準ゆえに世界中,とりわけアジア製の安価なパソコン本体や周辺機器がほぼどれでも使えるため,国際化,市場開放の波に乗って1992年を境に一気に支持者を広げた。アキバでは,最早,98の以前の「権威」を確かめることはできない。全国シェアは1位でも、アキバでは衰えを隠せない。
「マック=Macintosh」は1984年にアメリカで開発された。使い勝手の抜群によい独自のMacOSを搭載したパソコンの草分けだ。1990年代初めまでは上級機1台で車が1台買えるほど高価だった。しかし世界的なIBM-PC互換機の価格破壊の嵐の中でシェアを落とし,自身が企てた価格破壊でファンの信頼も失った。もっとも日本ではこの数年人気は急上昇だ。DOS/Vとともに98を挟みうちにしつつある。
■秋葉原ショップ事情
この街の細胞とも呼べるショップは目まぐるしく移動する。勝者は絶えず優位の立地を目指す。相当に有力なパソコン店であっても,一年前にそれがどこに存在して現在の立地が以前はどうであったかは正確にはいえない。
✔T・ZONE
「ザ・コン」を境に末広町側へ進むと,アキバは「ディープな世界」に入っていく。この地区でのショップはまず「T-ZONE」にとどめをさす。「世界最大級のパソコン・メガ・ストア」の売り文句のとおり,7階建ての巨大な店舗を持つ。品揃えの中心はまずDOS/V,次いでマック,そして98である。ビルは、もとは家電の「ミナミ」の店舗であった。「ミナミ」はバブル絶頂期には経営者の南学正夫氏がヨーロッパの城を買うなど話題を呼んだ企業だ。レンタルとはいえ,隣の小ビルの主だった「T・ZONE」が出世して引っ越した現状は変わり行くアキバを象徴する。世界最大のパソコンショップをうたう「T・ZONE」。家電ミナミの巨大なビルを貸切りに近い状態で使う大手だがついこの間までは路地をを挟んだ隣の小さな7階建てのビルで営業していた。そのまた隣の「T・ZONEアダチ」は系列店らしいがいつ出現したか記憶にない。チェーンとして店舗の多い「ソフマップ」の場合,どこもかしこも月に一度は改装と売り場の移動を繰り返している。「T・ZONE」の特色は,店のあちこちで休める場所があるし,6階にはパソコン通信のための「FAP(フリーアクセスポイント)」があるなど環境の悪いアキバには珍しいサービスをしている。電話のモジュラージャックが用意されていて,自分でノートパソコンなどを持ち込めば電話料は「T・ZONE」の負担でパソコン通信やインターネットへのアクセスができる仕組みだ。利用者もかなりの数に上っている。驚くほど日本語の上手な外国人店員を配しているのにも感心だ。
✔ソフマップ・シカゴ館
DOS/Vがオタク相手だった1992年頃は末広町に近いペンシルビルの7階までちっぽけなエレベーターで上がったところにあったソフマップ。。それがDOS/V人気とともに立地がよくなっていった。今は、中央通り沿いの駅に近い「シカゴ(ソフマップシカゴ館)」がDOS/V機の拠点のひとつ。そこは家電不況のなか倒産したシントク電気のテナントビルだった。総武線の高架沿いのゲームセンター「セガ」(旧シントク本店)からもう一軒置いた隣は秋葉原で最も勢いのあるパソコンのディスカウンター「ソフマップ」のウィンドウズ機の専門店「シカゴ」に変身した。この店名はこの秋に発売予定のウィンドウズの新バージョン「Windows95」のマイクロソフト社が開発途上で使っていた社内でのコードネームが「Chicago」だったことに由来する。ビルの外壁は真っ青に塗られ、屋上には「民衆を導く自由の女神」を意識した「バソコンはソフマップ」の外国人モデルを起用した巨大な写真看板が掲げられている。
「シカゴ」はソフマップのいわゆるフラッグシッ
プ(旗艦)店舗で,店内には有名メーカーのパン
コンが箱積みされている。価格はまあまあ安い。
「アキバの家電店はソフマップのショールーム」などといわれた時期もあるが,激烈な価格競争は、
ソフマップの存在意義を価格よりも品揃えに移
してしまった。繰り返される店舗改装が何を物語
っているのか,外部の人間には通りがたい。
✔ラオックスザ・コンピュータ館
中央通りと直交する大きな通りに面して聳え
るのは「ラオックスザ・コンピュータ館」,通称
「ザ・コン」。ここは1階の書店が素晴らしい。コンピュータ書の品揃えは抜群。うずたかく積まれた月刊誌の山がパソコンの勢いを感じさせる。
2階から上はパソコン本体,周辺機器,ソフトな
ど。店は清潔で一見高そうだがソフトなどは秋
葉原一安いことも多い。あけすけなディスカウン
ターのなかには「説明はザ・コンで聞いて,買うのはうちで。それが一番確実」などと呼び込みを
しているところもある。信用ある大店舗ゆえの「有名税」。
✔DOS/Vパラダイス
DOS/Vブームを演出した「DOS/Vパラダイス」「フリップ・フラップ」といった店が秋葉原北側エリアの一帯には群雄割拠している。いずれもIBM-PCを自作するひとのための部品をそろえ,場所を変わるたびに大きくなったショップである。そこでは円高,価格破壊の影響で毎週価格が下がっていく。こうしたハード価格の競争は多くの専門店の経営を圧迫している。DOS/V創成期のファン
には親しみのあった「スパンキー」の屋号を見か
けなくなったのは心が痛む。オタクが集う「DOS/Vパラダイス」は,当初は小ビル7階NEC-PC9800中古店のビルを改装して開店した。そこのエレベーターは7人乗りのはずが5人しか乗れず,ウエイトオーバー気味のわたしはいつも白眼視された。それがDOS/V人気で大儲けしたのだろう,裏通りとはいえかなりの広さの新ビルの1階に変わった。
✔STEP
ディスカウンターのシンポルだった「STEP」は,家電店が力を持っていた時期には,一度開いた秋葉原店をたたみ千葉の市川へ退却を余儀なくされた。復帰後,DOS/V専門店やマッキントッシュ専門店まで手を広げたが,現在は須田町交差点の一角の2店舗ですべてをまかなう。
✔ヒロセムセン
かつて秋葉原きっての大手家電店が電飾を競い合った駅に近い中央通り沿いの地区ほど,秋葉原の様変わりを物語るところはない。「シントク」と「ヒロセムセン」の2店が相次いで姿を消した。ともに豊富な品揃えと家電に関しての商品知識で秋葉原の顔として親しまれていた。それが突然,本当に突然店を閉めてしまったのである。出勤した店員たちは店頭の貼出しを見て初めて倒産を知った。バブル崩壊の一場面である。
✔PCIN
総武線の高架沿いのシントクの店舗は「セガ」
のゲームセンターと、DOS/Vパソコンに参入し
た三井物産デジタルのパイロットショップ
「PCIN」になった。このビルには倒産後,巨大なパナソニックの電光掲示板も掲げられ,今ではシ
ントクがあったことさえ忘れられた。この電光掲
示板は、漫画「ねこぢる」のヘタウマ絵で評判を
呼んだ。
✔ナカウラ
ソフマップシカゴ館の向かいの列には、家電の老進ナカウラが開いた「あんこうパソコンタワー」や,ラオックスゲーム館などがならぶ。いずれもこの2年ほとの間に出現した店である。パソコン化の急速な波がもたらした変化だ。
✔ツクモ電機
ソフマップシカゴ館の裏通りにはパソコン専門店がそろう。「ツクモ電機」は、かつてソフマップとならぶパソコンの店だったが,一時期出遅れをくって目下追い上げ中で大分復調してきた。
✔TWO TOP
秋葉原北側エリアで人気の二番手は「TWO TOP」。新参組だがアウトレット的な売りかたでアキバのプライスリーダーになっている。売っているのも少年たちなら買っていくのも少年たち。
■秋葉原ショップ事情
IBMの専門店「WAKAMATSU」,日本のパソコン界の生き字引,本多弘男さんの店「ぷらっとホーム」,ジャンクの「丹青通商」,T・ZONEの「パーツセンター」などが軒を接する。
昌平橋通りまで分け入るととりすましたインテリアのビル「リビナヤマギワ」があるが,その周囲にもDOS/Vの老舗「コムサテライト」、若者向けの廉売店「シスペック」などの店がそろい、週末には人の波が途切れない。この一帯のパーツ屋,ジャンク屋の店頭で屈み込んで何に使うかわからないソケットやケーブル,チップ類を手にして悦に入っているひとびとの喜びの奥深さは、ちょっと見ただけでは理解できない。それでもこの地区の特色を総括するなら、「ステイタス」ということになるだろう。石丸,ヤマギワ,オノデン,ラオックスといった家電時代の老舗が軒をならべる駅に近い一帯に大店舗を構えるのはいうなればアキバ人の夢だ。ソフマップが成功とともに末広町に近い立地からこちらへ攻め上ってきているのは多分そんな思いがあるからだろう。またこの一帯にパソコン専門店が急増
しているのは,それほどに旧来の「しろもの」と呼ばれる家電をパソコンが圧倒しつつあることの証しともいえる。もちろん老舗もパソコンを手掛けだしてはいる。しかし,売っただけ,持ち帰ってコンセントをさせばそれで誰でもが使えるところまでパンコンは発達してはいない。だから、「ザ・コン」のような家電老舗の鮮やかな変身はあとが続かないのである。パソコンのディスカウンターとゲーム店に押されて老舗はたじたじた。駅に近い中央通りの店頭に、新世代ゲーム機の「プレイステーション」や「セガサターン」のデモ機が並び,それをロハで遊ぶこどもたちが列を作る光景は,家電埋没を端的に物語る。
Macintoshの店はくださ秋葉原北側エリア地区に集中する。DOS/Vに先んじて元気な販売をしていたがこのところ後塵を拝しがちだ。それでも「ハロー」「リッツコンピュート」千葉の市川から新参の「マックギャラリー」が多くのファンを集めている。新参組といえば、他地区で立派に店を張ってきたショップの進出がこの数ヶ月目立つ。新小岩の「P&A」渋谷の「ソフトクリエイト」が相次いで店を開いた。小規模すぎてまだ取るに足らないが,アキバでの出世はまずこの地区からが原則だから目を離せない。
北側地区は,パソコンのディスカウンターの消長も激しい。半年前には「フリージア」が人気一番だったが,このところ品薄なようで,今の注目は「秋葉館」。アップル非公認ディーラーと誇らしげに記しMacintoshの輸入機種を販売している。DOS/Vもそうだが,少し知識があれば安価な並行輸入品で日本語が完全に動くので人気だ。輸入品を中心にしたCD-ROMソフトの店も多い。「CD-ROMパラダイス」「メディア・バレット」など。
ー雑誌東京人,1995年9月号

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11年前の秋葉原のようすがこちら
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2022/05/04 13:00
ガジェ通ウェブライター
folder生活・趣味
現在は2022年5月。世界的パンデミックで日本も多大な影響を受けていますが、秋葉原には多くの人たちが訪れ、活気を取り戻しつつあります。今回は、2011年4月の秋葉原のようすをまとめてお伝えしたいと思います。たった10年、ほとんど何も変わりはないと思うかもしれませんが、振り返ってみると、驚くほど状況が違うように感じます。
◆すれちがい広場が大盛況
ニンテンドー3DSのすれちがい通信を駆使したゲーム等で遊ぶ人たちが増えたため、ヨドバシカメラがすれちがい広場を設置。ブームは『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』から始まったともいわれていますが、それ以降も『ラブプラス+』や『ドラゴンクエストモンスターズ』シリーズなど、多数のゲームですれちがい通信を楽しむ人たちがいました。
◆まだ『かんだ食堂』があった
秋葉原の食堂といえば『かんだ食堂』。ここの豚生姜焼き定食は絶品で、おふくろの味、家庭の味、そして昭和的な食堂メシの味、さまざまな要素がギュッと詰まったおいしさがそこにはありました。海外からも多くの観光客が訪れ、そのおいしさを堪能していたほど。海外のガイドブックに掲載されたため、特に台湾の観光客に人気があったようです。
ガイガーカウンターがメッチャ売られていました放射線を測定できるガイガーカウンターが複数の店舗で売られていました。大地震が発生して間もないこともあり、天変地異や事故による予想だにしない事象に備えたり、放射性物質などに関心を持つ人が購入していたと思われます。ゲームからガイガーカウンターまで、なんでも揃う秋葉原、といった感じです。皆さんはガイガーカウンターを購入しましたか?
◆マジコンが売られまくってました
マジコン、いわやるコピーゲームを起動させる装置が秋葉原で売られまくっていました。その多くはニンテンドーDS系のもの。秋葉原でマジコンがガンガン売られていましたが、ゲーム会社によるコピーガードとのイタチごっこ状態が続き、最終的に任天堂が裁判を起こし、現在は収束していると思われます。この時代、まだマジコンがバカ売れしていたので、路上でオッサンが立ちながらマジコンを売っていることもありました。ちょっと恥ずかしい気もしますが、恥よりもお金! と思っていたのか、満面の笑みで売っていました。よほど売れたのでしょう。

GetNews  
https://getnews.jp/archives/3270146









【衝撃】昔の秋葉原、ガチでヤバいwwwwwwwwwwwww
2ch雑談・議論
2023.10.21
ジジイ「昔の秋葉原は良かった」←これwwwww
1: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 09:53:14.36 ID:mZPiM
お前が時代について行けなくなっただけだろ
ジジイって変化を嫌うよな
今の方が色々あって面白いし
2: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 09:56:30.13 ID:egmSn
と、ジジイが申しております
3: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 09:57:26.93 ID:cK6uH
・交通博物館
・任天堂で修理&ディスク書き換え
・秋葉原デパートできじ丼やお好み焼きセット
・駅前でバスケ
・トライアミューズメントセンター
・紙風船、クロスロード、路上の露店で掘り出し物探し
・飲茶500円で食べ放題
4: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 09:59:18.45 ID:mZPiM
氷河期やバブルのジジイは文句ばかり
5: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 10:00:30.03 ID:egmSn
と、ジジイが申しております
6: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 10:05:55.20 ID:ACBW7
なんか効いてる奴いるなw
8: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 11:11:10.01 ID:RqTeJ
ツウは御徒町
12: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 12:12:37.38 ID:EAuoh
キャベツと大根安かった
15: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 12:50:36.20 ID:R1JIM
マジで
民主党政権時代の秋葉原は
楽園だったよな
16: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 12:51:27.12 ID:j2H8b
変化のある街だからなあ
何を求めて通ってたかで評価かわるよな
俺はPCパーツと珍しいチャイナ製品目当てだったから今は面白くない
今あるものを求めて通ってる奴らは今が楽しいんだろう
17: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 12:52:39.82 ID:dFAzX
本生あった時のストリップはよかったよな
19: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 13:10:05.34 ID:R1JIM
エウリアンも居ない秋葉原なんて
20: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 13:13:23.86 ID:cK6uH
>>19
新大久保におるよ
21: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 13:21:40.58 ID:45MR9
今の方が時代にあってるよな
昔はオタクしか居ないし
22: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 13:28:08.68 ID:qrXIy
今のオタクの中心地はアキバは落ちぶれて中野なのかな
23: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 13:30:40.38 ID:cK6uH
今のオタクは池袋じゃないかな、乙女ロードとかサンシャインとかあるし
24: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 14:21:34.73 ID:R1JIM
外国人相手のぼったくりの街に成り下がった
民主党政権時代の秋葉原は良かった
25: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 14:53:47.32 ID:ycron
どんな秋葉原ならいいんだよと聞くとだんまりなんだよな
26: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 15:19:06.30 ID:Wtqsy
昔はよかったよな
27: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 16:12:02.40 ID:cK6uH
どのくらい昔のこと言ってるんだよw
31: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 19:03:03.58 ID:xlmF8
駅前で実演販売やってたよな
28: 名無しさん@涙目です。 2023/10/15(日) 17:59:59.22 ID:7EMsC
初めて行った時、東京駅から意外に近くてビビった
引用元:ジジイ「昔の秋葉原は良かった」←これwwwww ・https://talk.jp/boards/news/1697331194
コメント一覧
1:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:19
返信
ケバブ屋とかあったな
2:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:23
返信
どこ行ったレタスの
入ったラーメンどこにもないぞ
もう食べられないのか…
3:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:26
返信
民主党だとかそういうスレじゃねーだろ
なんでこの手の人って空気読めないんだろ
4:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:32
返信
秋葉原デパートでお好み焼きと焼きそばを立ち食い
5:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:43
返信
媚韓の民主の時代は悪夢だったぞ、株価は最低、コリアンがやたら閣僚や官僚に入り込んだ時代だ
6:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:48
返信
昔と言うからラジオデパート前で牛車を引くオジサンの写真を想像したら…
7:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 09:57
返信
買い物したり、しなくても居ても良いお店があって、店員なんだか客なんだかよくわからない奴とかがいて。
今は大洗の本屋とか米屋、呉服屋なんかがその代わりになって、おじさんが集まっている。
8:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 10:09
返信
2008年秋葉原通り魔事件が秋葉を破壊した。民主党時代は最悪のホコ天規制だよ。
これ以前のホコ天はカオスで混沌として毎回通っていたけど。エーヴイのげりら撮影やら、地下アイドルやこすぷれいやーが自作のCDやらCD-ROM売っていた。AKBもこのころは地域アイドル、バンドやらパフォーマー、露店(ケバブも露店から)で週末はお祭り騒ぎだった。
事件後2011年ホコ天再開されるが・・パフォーマンス禁止でポリが監視してた。あの何かが融合し反応して何かが生まれるカオス空間は無く成った。
9:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 10:39
返信
カクタX1の頃が懐かしい。(笑)
10:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 11:23
返信
※8
インバウンドを期待するような秋葉原になった結果の現在や
商工会議所「秋葉原が変わったのは、お前らが毎日来ない、来てもカネを落とさないからだ!!!」
百貨店閉店を惜しむ、百貨店に行かない連中 と同じ
11:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 11:25
返信
※10
「インバウンドの為の観光地化」浄化作戦の根本はこれよな
12:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 11:38
返信
昔って言っても2000年代のオタク文化が最盛期のころか90年代の電化製品やジャンク品のアングラな頃かでだいぶ変わるな。
13:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 17:26
返信
駅出たところのいすゞというラーメン屋
14:NEWSまとめもりー訪問者2023年10月21日 22:43
返信
全く別物になったからな。新宿以上に客引きいるし
        
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