1995年3月6日月曜日

[機器][携帯電話] Tu-Ka/Kenwood,DP-132

 







2010/3/31
「PDCユーザ包囲網(終)ソフトバンクPDC停波と新機種と思い出と」  
無線・通信
まだ金沢に住んでいた15年くらい前だったろうか。
そろそろ周囲にも携帯を持つ人間が出始めて、一般加入電話しか引いていない筆者は当時の携帯への割高な通話料金設定に戸惑い、「JR系だから」という理由で市外電話契約をしていた日本テレコムのコールセンターに「携帯電話との通話に対する割引サービスを検討していないのか」と聞いた事がある。
対して先方の回答が「そういうサービスの予定はありませんが、「デジタルホン」という携帯電話サービスがスタートしますのでよろしかったらご検討下さい」てな感じの内容。
日本テレコムが東名阪で携帯電話会社を立ち上げるのは知っていたので言葉を濁しながらも礼を言って電話を切ってから、当分大都市だけだしドコモやセルラーとローミングできない上に受信も出来ないデジタル方式だし(当時の筆者にとって、アナログ全盛だった携帯は他の無線同様「聴くもの」、正確に書くと「電波法に触れない程度に聞き流すもの」であった)、意味ねえよなあ、と思ったものだ。
その後、ツーカーに出資していいた日産と日本テレコムが双方の携帯を地方で使えるように、と合同でデジタルツーカーを設立、デジタルツーカー北陸の進出で意外と早く北陸でもそのチャンスがやってきたが、貧乏学生風情に携帯は要らぬと特に気にもせず。ただ将来持つなら鉄としては鉄道関連企業であるデジタルツーカーにしよう、とは思っていた。
新潟に戻ってほどなく妹が進学で一人暮らしを始めるにあたり、一般加入電話は引かず携帯だけ持とうということになった。そこで迷わず勧めたのがデジタルツーカー。無論ただ自分が持たない代わりに持たせてみたかっただけ。ただ当人にとっては割合相性が良かったと見えて、現在に至るまでMNPもせずソフトバンクを継続し、なぜか最初に持ったT4以来東芝機を使い続けている。
その後筆者も社会人2年目の1999年秋にようやくデジタルツーカーSH4を購入して携帯を持つこととなったが、その時の大きな理由は仕事で必要だからでも何でもなく「デジタルツーカーブランドが無くなるから」。
これは日産がツーカーとデジタルツーカーから資本を引き揚げ、デジタルツーカーについては共同出資者の日本テレコムに譲ったことで、少し前からデジタルホンが使っていたブランド名Jフォンにデジタルホン・デジタルツーカーを統一したことによるもの。
変更直前の9月末に契約したため、契約自体はデジタルツーカー東北とだったが契約完了のお知らせ等は社名変更したJフォン東北からだった。
それから10年半。今日午前2時を以てデジタルツーカー時代から続いたソフトバンクのPDCサービスが終了した。
この間会社は更にJフォン東京と北海道との合併でJフォン東日本東北支社、
Jフォン東海と西日本との合併でJフォン東北支社、
日本テレコムが手放して外資となってボーダフォン、
意のままにならなかったケータイガラパゴス日本市場を見捨てたボーダフォンがソフトバンクに渡して現在のソフトバンクモバイルと変遷。日本テレコムもJRが手放して外資に行ったり何やかやで結局ソフトバンク傘下のソフトバンクテレコムになって結局立場は違えど同じ企業グループに。
ここまでしぶとくSH4を使い続けたのもどうかと思うが、短文とはいえiモードよりも早い時期からEメールのやり取りができた機種であったため、ほとんど不自由は無かったから使ってこられた事が大きい。
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さて、今回のソフトバンクPDC終了が2年前のツーカー終了の時と違うのは、周囲に「(Jフォン当時)鉄系だったから」「(あくまで契約当時)料金が断然安かったから」「(みんな3Gに機種変したから)コミケで繋がる」てな理由で、かつ最期を見届けたいからという理由で周囲にPDCユーザが大勢いる事。そういった人らはホワイトプランだったのでそちらから掛けてもらってその時を迎えた。何しろこちらは料金プランもデジタルツーカー東北のローコールプランをここまで「動態保存」しており、高くついてしまうので甘えさせてもらった。
ちなみに左が予備PDC回線として購入したプリペイド契約の201SH(カード残高は使い切って着信専用化していた)、真中がSH4、ついでにサービス終了後もソフトバンク基地局へのローミングでアンテナバーだけは立っていたツーカーのプリケー、PT11。
現役2台からイヤホンコードが伸びてるが、これを両耳に入れてそれぞれと三者通話まがいの状態で話しつつツーカーの番号を引き継がせた912Tで撮影、とそういう光景。
3時まで話し続けたが切断される様子が無いのでそれぞれとつないだまま就寝、5時50分頃まで接続は維持されていた。
若干仕事内容に余裕のある水曜日だったので配達のついでにソフトバンクショップで機種変。
これまで他社がサービスを終了した時と比較して移行時の優遇措置などがあまりにもとんでもない対応であった事嫌気がさしたり怒りを覚えたりで離れる方も多いようだが、私としては端末代を払ってでもソフトバンクを維持する道を選んだ。
端末も料金プランも継続は出来ないが、メールについてボーダフォン時代の「h.vodafone.ne.jp」ドメイン、更に実は今なお受信専用として使えるJフォン時代の「jp-h.ne.jp」ドメインを動態保存したかったのと、会社の営業さんにはソフトバンクの法人契約端末が貸与されているので、仕事上の通話で会社に余計な費用を掛けさせない、自分がいい加減余計な費用をかけたくない為もある。何しろローコールの通話料金って主にレジャー目的での携帯使用を想定していて平日昼間が高く設定してあり、仕事の電話ではえらい目にあってたもんで。
新機種は931P。以前修理中の代機でデジタルツーカーP4を使って以来のパナ携帯。
これの機種変する時は、また新しい携帯電話サービスに替わる時なのかもしれないな・・・。
      
広坂ぼやき亭(旧館)

   
      
   
            
   
      
   

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