MZ-80Bのお部屋
西村 健 さんの MZ-80 への思い入れ(投稿ありがとうございましたm(__)m)
言わずと知れた SHARP の MZ シリーズの初代機です。これでパソコンの世界にはまった人間も多いはずです。最初の MZ-80K は後に出た MZ-80C とは違って、セミキット形式で売られていました。セミキットとは何の事かといえば、ユーザーがキーボードをハンダ付けして、組み立てなけりゃいけないということです。手先の不器用な者には、使わせてやらん、と言う SHARP の悪意が見え見えですね(笑)。
まあ、本当の理由は、一番製造コストのかかるキーボード組み立てをユーザーにやらせて、コストダウンをはかろうとしたのでしょう。メモリも、初代 80K は後のシリーズよりも 16KByte ほど少なかったような気がしますが、記憶間違いかも知れません。もっとも、メモリ増設はソケット追加するだけで、簡単にできたから、すぐにみんな最大の 48KByte まで増設していました。また、この MZ のキーボードがなんとも特殊で、今の ASCII 配置とは、全然別ものでした。ビッチリ四角いサイコロを並べたようなのを、想像してもらえば近いかも知れません。第一、文字セット(コード配列)も独特で、小文字などは無かったのです。
SHARP は、この MZ-80K のヒットを受けて、すぐに完成モデルの MZ-80C を出す事になりました。もっとも、SHARP の MZ シリーズはクリーンコンピュータでしたから、完成モデルになったといっても、電源を入れてすぐに使う、とはいかないのです。この、クリーンコンピュータとは何かと言うと、電源を入れた直後はメモリは空っぽで、最低限の機能を持ったモニタプログラムが起動されると言う事なのです。ユーザーはそのモニタから BASIC なり、アセンブラなり、自分の使う言語やアプリケーションをロードして使うのです。この考え方は MZ-80B でさらに推し進められて、ROM の部分は IPL(イニシャル・プログラム・ローダー)だけになってしまって、64KByte のメモリ空間がまるまる使えるようになりました。
ところで、プログラムをロードすると言っても、当時はフロッピーではなく、カセットテープからロードするのです。ピーガラガラと5分も10分も待った後で、ようやく使えるようになるのですから、当時の SHARP ユーザーは気が長かったんですねぇ。しかし、さすがにその手持ち無沙太に耐えかねる人間も居たのか、その頃、私が行ってたバイト先では、パワーオン直後に、ROM の内容をメモリに自動コピーする拡張ボードを売っていました。「お使いの言語をその ROM に焼いて差し上げます」と言う事でした。そのかわり、クリーンコンピュータにしたせいで、MZ 用のコンピュータ言語は、数多く開発されました。とはいえ、使えるメモリがせいぜい 48 KByte なので、大抵がサブセットです。 Tiny Fortran, Tiny LISP, Tiny COBOL と言う具合に、頭に Tiny (ちっちゃい) が付いていました。フロッピードライブもなしで動かすのですから、仕方ありません。BASIC に至っては、シャープが出したやつだけで、覚えられないぐらい種類があったのです。シャープの BASIC は機能的に PET2001 の BASIC に似ていました。BASIC の文字列にコントロールコードが埋め込めるのです。たとえば、PRINT "C↓↓→→→○" を実行すると、画面消去の後、3行目の4桁目に○が表示されるというわけです。便利でしょう?この、コントロールコードの部分は、反転文字で表示されていました。
もう一方では、ハドソンソフトが Hu-BASIC という Microsoft 系の高機能なやつを出していました。この BASIC は、ありとあらゆる機能を、思い付くだけ全部詰め込んだ高機能 BASIC で、そのせいで、サイズも馬鹿でかかったのでした。しかもバージョンが上がるにつれて、サイズがブクブク太って行ったので、そのうちメモリ空間を全部使いきってしまうんじゃないかと、私はハラハラしていたものです。
他に MZ の特長と言えば、何と言ってもハードのいじりやすさがあります。筐体自体が、車のボンネットのようにガバッと開いて、基板が丸見えになるのです。Z-80 CPU の高速化だとか、リセットスイッチの追加だとかは、皆やっていたと思います。ただ、ユーザーの中には、手先が不器用で、ハードの知識もないのに、雑誌の記事を見て不用意に改造する者もいて、パソコンショップの悩みの種になっていました。どう考えても、改造に失敗したとしか見えない破壊された基板の MZ を持って来て、保障期間中だから無料で修理しろと言うのです。そんな馬鹿なユーザーも多かったのですが、また、妙な呪文で MZ を操るウィザード級のユーザーもいました。「ネ木1ネ木4」という呪文は一番有名だと思います。これは画面上に機械語命令を文字コードで入力し、それを実行するテクニックで、「ネ」が Z80 の CALL 命令で、「木1」「木4」は何かのエントリポイントだったと思います。これで何が起こるのかは、忘れてしまいました。この手のユーザーは、文字コードと機械語命令の対応を完全に暗記していて、画面に意味不明の文字列を入力して実行させていました。これも、クリーンコンピュータならではのテクニックでした。凄いなあとは思いましたが、あまりうらやましいとは思いませんでした。
ところで、当時の MZ ユーザーにとって、何が一番辛かったかと言えば、画面の表示能力だったのではないかと思います。MZ の発売当時は、40x25 の文字表示は標準的なものだったのですが、その後、PC-8001 が発売されると、どうしてもモノクロで、グラフィックのないキャラクタ画面では、ゲームなどは見劣りがしてしまいます。MZ でのゲームは、たとえばインベーダーゲームなどは「XOX」「YOY」の二つを交互に表示することで表現していました。PC では粗いけどグラフィックが使えたので、あの特徴的なインベーターのキャラクタが表示されていました。いちおう MZ にも、1文字を4分割したキャラクタを使ったセミグラフィックもありましたが、80x50 の解像度ではお話になりません。別売で、フルカラーのグラフィックディスプレイユニットもあったのですが、20万円ぐらいしたと思うし、こんなのでゲームはできません。それでも、なんとかもう少し、見栄えをそれらしくできないかと言うユーザーの要求は大きく、それに目を付けて開発されたのが PCG とよばれる、プログラマブル・キャラクタジェネレータという外付け装置です。これは、文字フォントを自由にグラフィックパターンで置き換えることができるというもので、これを使えば、上に書いた「XOX」をインベーダーのキャラクタに変えればゲームもそれらしくなるという物でした。PC-8001 用も出ていましたが、需要は MZ の方が多かったと思います。MZ-1500 には、この機能が最初から付いていたと思います(もしかしたら MZ-700 からかも)。その後、MZ-80B でグラフィック対応が行われました。ただし、解像度は 320x200 で、しかもモノクロだったので、ゲームに使用する目的としてはいまいちでしたが、MZ-80B はビジネス向けだったので、文句を言っても仕方がありません。ホビー向けにはその後 X1 が発売されました。
古パソコン補完計画
http://www3.wind.ne.jp/toragiku/kopa/mz80b.htm
名称 | MZ-80B | |
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発売日 | 1981年4月?日 | |
定価 | 278000円 | |
CPU | Z-80A(4MHz) | |
ROM | 2KB(BOOT-ROM) 2KB(C-GROM) |
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RAM | メイン | 64KB |
ビデオ | 2KB (キャラクター V-RAM(2KB)) (グラフィック V-RAM?T・V-RAM?U (各8KBオプション)) |
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表示能力 | テキスト | 40x25 80x25 |
グラフィック | 320x200(GreenDisplay)[オプション] | |
カセットデータレコーダ | データ転送方式 | シャープPWM方式 |
データ転送速度 | 2000 bit/秒 | |
コントロール | ソフトタッチキー(FF・REW・STOP・EJECT) ソフトウェアコントロール(READ・WRITE・FF・REW) |
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電源 | AC100V±10%(50/60Hz) 消費電力65W |
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寸法 | 450(幅)×520(奥行)×270(高さ)mm | |
重量 | 約16Kg |
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