1981年11月18日水曜日

[PCゲーム] NEC PC-6001,アースバウンド~黎明期アドベンチャー



[PCゲーム] NEC PC-6001,アースバウンド~黎明期アドベンチャー
アースバウンドの紹介だよ。
アースバウンド
X'TAL SOFTのAVG、『アースバウンド』を紹介。
古き良き時代のアドベンチャーゲームを、存分に楽しむことができますよー(汗
■ラ・テールの村
ということで、金貨一枚握りしめてラ・テールの村にたどり着いた主人公
レディ・ジューンはどこにいるのかしらん? と思いながら、まずは村の中を歩いてみましょうかね。
村の大通り沿いをてくてく。幾つか家もありますので、どこか立ち寄ってみることにしてみましょっか。
ちなみに家を通りすぎたい時は「GO THROUGH」としないと、家の前に立ち止まっちゃいます。なんか不思議なシステムですね、これ(汗
一件目のお家に突撃してみるの図。
壁にずいぶんとカラフルな服が掛けてありますが、ひょっとして服屋さん?
家主のOLDFUETHさんいわく、金貨一枚で服を譲ってくれるそうです。うーん、どうしようかな?
OLDFUETHさんの家を出て、次の家に。
家のデザインが現代の建て売り住宅以上にそっくりで迷います(汗
この家には何があるかなーとドアを見てみると、ん、これはなんだろう?
家の中に入ってみると、何やら不思議な色合い。
あ、部屋の中が暗かったんですね。これは気が付きませんでした(汗
あーだこーだして部屋の中を明るくして、さっそく家捜しに挑戦。何か見つかるかしらん?
先ほどの家を出て、道を進む主人公。
いかにもな穴が空いている木がありますが、穴の中には特に何もなかったので、さらに先へ。
家の向こうに何やら見えますが、とりあえずお家にお邪魔してみることにしましょう。
こちらのお家のあるじは、REISCIAという予言者さん。
主人公がレディ・ジューンを捜していることを知っていて、ずっと待っていたそうです。
そんな彼女からは、水晶玉と呪文のプレゼントが。ありがたやです(^^
・・・ん、川の番人には気を付けろ? どういう意味なのかなあ。すぐに分かります(汗
村の外れに到着。村の境は川になっているみたいです。
川の番人CLOUDHANPHが言うには、「お前の服が気に入らないから、ここから先には通さない」とのこと(ぇ。
服といえば、OLDFUETHさんところで購入できたけど、なんか釈然としないなあ。強行突破できないかしらん。
強行突破に失敗しました(涙
この乱暴で理不尽な川の番人に従うのはシャクですが、ここは素直に服を買ってくることにしましょうかね。
■OLDFUETHさんのお家
再びOLDFUETHさんのお家へ。
服は3種類あるけど、果たしてどの色がいいのかなあ。
しばらく悩んだ後に、赤色に決定。どうか気に入ってくれますように(-人-)
気に入らなかったようです(T_T) 予言者さんのいうとおり、やっかいな人だなあ、このひと。
またOLDFUETHさんところに行かないといけないなあ(涙
またもやOLDFUETHさんのお家へ。
服の色はあと2種類。どうしようかしらんと悩んだ結果、今度は青にしました。
「え、なんで服がまた買えるの?」と思った方、どこかで見落とししてますよ^^;
再度CLOUDHANPHのところへ。今度はどうかな?。
・・・おー、服のことを気に入ってくれたみたいですね。正解は青だったのかな?青が正解というわけじゃなく、どうやら「服は2回買わないといけない」みたいです。こ、こいつめ!(怒り
ところがここで、またもやCLOUDHANPHから難題が。水晶玉をくれないと通してくれないなんてご無体な(泣
泣く泣く水晶玉を渡して先に進むことに。
CLOUDHANPHは大喜びで、「川を渡る時には斧を忘れるなよ」なんてアドバイスまでくれました。ナンカハラタチマス(怒
川に浮かぶボートの先には、先へと続く道がかすかに見えています。
やれやれ、それじゃあボートに乗ろうかな、とTAKEしたところ、「水晶玉を持たずに川を渡るなんてムリー!」という天の声が。どうしろってんだよもう(T_T)
■墓場
何とか苦労して水晶玉を手に入れ、川を渡ることに成功しました。
水晶玉を見つけた後も、川を渡るにはひと工夫が必要です。
CLOUDHANPHのウソつきっぷりの徹底さには、逆に感動してしまいました(怒り
ここで第1章が終わり、続けて第2章へ突入とあいなります。
レディ・ジューンに無事会えますように(-人-)
川を渡った先には、雷鳴とどろく墓場に到着。
墓石には「CONFUSION」という文字が見えますが、碑銘にしては変わってますね。
・・・で、とあることをしてみたら、お墓の主と思われる方がご登場。ゴメンナサイモウシマセン
ん・・・どうやら怒っている訳ではない様子。ちょっとお話をお伺いしてみましょうか。
墓石の主さんのアドバイスに従って岩場に向かってみることに。
岩場に向かう途中では、可愛らしい白猫と出会います。
猫と言えばタイトル画面にもいたなあ、なんて思いながら声をかけてみますが、白猫さんは警戒しているもよう。とりあえずは先に向かおうかな。
岩場の先にある洞窟に突入だっ!
洞窟の中では通路が2つに分かれているんですが、どっちも行き止まりのご様子。うーん、どうしたらいいのやら。
昔のアドベンチャーゲームだと、こういう時は「タタク カベ」が王道中の王道なんですが、果たしてうまくいくのかしらん?
無事に洞窟の奥にある部屋に到着できました。
部屋に置かれた本を開いてみると、そこには何やら呪文らしきものが。どこで使うかは分かりませんが、とりあえずメモしておこうっと。
■塔
墓場まで戻ったら、今度は逆の方向へ。
こちら側には高い高い塔がそびえ立っています。
この塔とレディ・ジューンが関係あるかどうか分からないんですけど、分からないのなら調べに入ってみないといけないんだろうなあ(涙
やっぱり入るんじゃなかった(涙
塔の中はずっとこんな感じで、上り階段と下り階段が続きます。どちらも直近の階に通じている訳ではないので、ちゃんとマッピングしないと同じところをぐるぐる回ることに。
まさかアドベンチャーゲームでマッピングすることになるとはなあ。とほほです(>_<)
5階に到着してみると、部屋の中に首輪を発見。
この大きさからすると、ちょうど先ほどの白猫に合うような気がしないこともないけど、試しに持っていってみるかな?。
ビンゴです(>_<)b。
首輪を持っている自分を見た白猫は、あっさりと捕まってくれました。
この白猫がゲームの進行に関係があるかどうかは分からないんですけど、ほら、昔のゲームってそういうものじゃないですか(爆
ということで、塔のマッピングを再開。
似たような構造の部屋が続くので迷ってしまいそうになりますが、親切なことに現在の階が表示されますので、マッピングも比較的らくちんさんです。階を教えてくれる天の声に感謝感謝。
ちなみにこの塔は、全部で20階・・・やっぱりマッピングしんどいなあ(泣
ん、20階から下ってきたら、いつの間にか裏庭に降りてきていました。どういう構造なのかよく分からないです(汗
それはともかくとして、裏庭には大きくて平らな石が鎮座ましましています。
人が乗れるくらい大きな石だなあ、とあれこれしていると・・・おっ、急に動き出しましたよ!

sky goes on somewhere
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1081/
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1081/koryak.htm
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/1081/mugen2/map.htm

@秘密基地
http://hyonz.hp.infoseek.co.jp/















































1981年11月13日金曜日

[機器][PC] NEC PC-8801FH





















セットアップモード/PC-8801FH




PC-8801(8MHz機) 
■セットアップモード/PC-8801FH/MH
88SR
□周波数:動作クロックスイッチ 「8」⇔「4」
□BASICモード:システムモードスイッチ 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:ディスプレイスイッチ 「24K」⇔「15K」
□メモリウェイト:セットアップモード 「ON」⇔「OFF」
□その他:起動時に [N][8][0]      ⇒ N-BASIC
起動時に [D] ⇒ デフォルト設定
セットアップ中に [B][C][G] ⇒ 拡張セットアップ
※調査協力:くれゆに様, akutsu様
■セットアップモード/PC-8801FA/MA
実行画面実行画面
88SR
□周波数:動作クロックスイッチ 「8」⇔「4」
□BASICモード:システムモードスイッチ 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:ディスプレイスイッチ 「24K」⇔「15K」
□メモリウェイト:セットアップモード 「ON」⇔「OFF」
□その他:起動時に [N][8][0]      ⇒ N-BASIC
起動時に [D] ⇒ デフォルト設定
セットアップ中に [B][C][G] ⇒ 拡張セットアップ
※調査協力:akutsu様
■セットアップモード/PC-8801FE/MA2
88SR
□周波数:動作クロックスイッチ 「8」⇔「4」
□BASICモード:セットアップモード 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:起動時に [f・8] ⇒ 24kHz
起動時に [f・9] ⇒ 15kHz
□メモリウェイト:セットアップモード 「OFF」⇔「ON」
□その他:起動時に [N][8][0]      ※ 使えません ※
※調査協力:akutsu様
■セットアップモード/PC-8801FE2, MC
88SR
□周波数:セットアップモード 「8MHzH」⇔「8MHzS」⇔「4MHz」
□BASICモード:セットアップモード 「V1S」⇔「V1H」⇔「V2」
□ディスプレイ:起動時に [f・8] ⇒ 24kHz
起動時に [f・9] ⇒ 15kHz
□メモリウェイト:セットアップモード 「OFF」⇔「ON」
□その他:起動時に [N][8][0]      ⇒ N-BASIC
※調査協力:akutsu様

OUT of STANDARD
http://www.geocities.jp/upd780c1/n80/frame.html






















■PC-8801の歴史(簡略版) 知らない人の為に・・・
PC-8801(ぴーしーはちはちまるいち)とは15年ほど前(1984年頃)に登場した NEC製の8bitパーソナル・コンピューターである。初代PC-8801(無印)を初めとして、PC-8801mk?U、PC-8801mk?USR/TR/FR/MRが次々と発表され、その後PC-8801FH/MHと、後ろの[mk?U]が無くなったシリーズが出始める。その後サウンド機能を強化したPC-8801FA/MAが、その改良版であるPC-8801MA2が出た。また、そのちょっと前にはFH/MHの色違いバージョンであるPC-8801FH/MH Black Typeなども出てた。その後はちょっと路線を変更したのか16bit版のPC-8801VA/VA2/VA3が出た。またこれと並行して廉価版のPC-8801FE/FE2が、更にその後CD-ROMドライブを搭載したPC-8801MCが出てそれを最後に NECはPC-8801シリーズからは撤退した。
PC-9801の視点から見てみると、その後PC-9801と機能を合体させた(スイッチで98/88を切り替える)PC-98Doが発売された。そのすぐあとに 88のサウンド機能をMA2と同等にしたPC-98Do+がすぐに発表され、 Doを買った人の顰蹙(ひんしゅく)を買うことになった。
■PC-8801の性能(簡略版)
以下は私の所有しているPC-8801MHの仕様である。
CPU・・・メインCPU μPD70008(Z80Aコンパチ) (FH以降、動作クロック4MHz/8MHz切替選択可能) サブCPU μPD780C-1(ディスクコントロール) 4MHz
ROM・・・メイン N88-BASIC、モニタ他 128KB スロット内増設可能 最大56KB 
      サブ ディスクコントロール用 8KB
RAM・・・メイン ユーザーズメモリ 192KB 
       N88-BASIC動作時 テキストエリア 32KB
       変数・ワークエリア・テキストVRAM 31KB
       グラフィック用VRAM 48KB
       テキストVRAM     4KB(ハイスピードモード時のみ使用可)
       スロット内増設可能 32K単位でバンク切り替え
グラフィックス機能・・・カラー同時発色数 512色中8色(アナログRGBディスプレイ使用時)、解像度 640×200 1画面、もしくは白黒640×200 3画面、もしくは白黒640×400 1画面。
キャラクタ表示機能・・・テキスト最大80×25文字表示可能。
サウンド機能・・・ビープ音、SR以降FM音源3音、PSG音源3音)。但しFA/MA、VAシリーズはFM音源6音(左右振分可)、PSG音源3音、リズム音源6音(ステレオ)、ADPCM1音に拡張。
ディスクドライブ・・・ 5.25インチ 2D(両面倍密度 容量320KB)モデル30はドライブ2基搭載(mk?U以降)。 Mxシリーズは5.25インチ 2HD(両面高密度 容量1.2MB)モデル30はドライブ2基搭載。
2Dの容量は256KBと書いていましたがどうやら320KBのようです。ご指摘くださったKUMASANさん、有難うございます!
■PC-8801でプログラミング
今から10数年前、初めてうちにPC-8801mk?Uモデル30(5インチディスクドライブ2基搭載。ちなみにモデル20は1基、モデル10は無し)が来た。非常に高価で、定価は確か275,000円だった。当時はディスクドライブ対応のソフトというものが出回っていなかった為、供給はすべてカセットテープから行われた。テープにピーガガガーというノイズのような特有の音が録音されていて、その音をパソコンに繋いだケーブルを通してパソコンに聞かせる訳である。一つのソフトを実行する為にはまずこのロード作業が行われてから実行される訳である。当然、使用言語はBASIC。私も当時子供の科学という雑誌に載っていた、一画面いっぱいに時計をキャラクタグラフィックで表示させるプログラムを打ち込んだ。BASICプ ログラムは1行打ち込み終わる毎にRETURNキー(今で言うEnterキー)を押してパソコンに記憶させなければならないのだが(と同時に改行も行われる)初めて打ち込みをする私にそんな事が判るはずもなくただひたすらカーソルキーで行頭に移動させては (面倒くさいなぁ)と思いつつも800行にもわたるプログラムを打ち込んだものだ。苦労の末(2時間ぐらいかかったと思う)実行させると画面にはただOKの文字が輝くのみであった・・・当たり前だ。パソコンに何も記憶されてないのだから。
その後、近所の子(通学時一緒に登校した人)から「マイコンBASICマガジン」(電波新聞社・刊)なる雑誌の存在を教えられプログラミングすることに喜びを覚える。といっても、ただ雑誌に載っているリストを打ち込むだけだったが。
その後PC-8801FHを購入してからもプログラミングはし続ける。
それが嵩じて、よく人のうちに遊びに行ってはプログラミングをした事もあった。知り合いの家でSONYのSMC-777という機種のプログラムを打ち込んだ事もあった。
PC-8801でプレイングゲーム(^^ゞ
前にも述べたが当時はカセットテープのソフトしかなかった。また、しょぼいゲームしかなかったため、ほとんど買わなかった。(親がどうしようもなくつまらないゲームの詰め合わせを買ってきてくれた時は参った)
なにせこのゲーム、言語はすべてBASICである。おまけに販売品であるにもかかわらずエラーで止まる。(バグなどという複雑なものではない)単なる打ち込み間違いである。こんなモノが商品になったのだからいい時代だったのだなぁ。ちなみにそのソフトのうちの一つは、桃太郎が鬼が島に行って鬼を退治するという内容だったような・・・。発売はチャンピオンソフトという名称だったような気がする。
■PC-8801FHとの出会い
それからしばらくしてPC-8801mk?USRが出た。ゲーム業界もようやく活気づいてきて、PC-8801にとっての黄金時代が始まるのであった。
私はそれからしばらくしてPC-8801mk?UFRを購入を決意して勝手にマイコン流通センターというところに電話して注文したところを親に替わるという段階で反対され、注文は取り消された。あの頃は子供心にがっかりしたものだ。しかしのちに懇意にしている電気屋さんからFRの後期型であるFHが発売されると聞いて私は心が躍るのを感じた。
早速その電気屋さんに注文。納品されたのは雪が降る12月であった。その夜、PC-8801FHではPC-8801mk?USRと同時に出たというアクションシューティングのテグザー(THEXDER)が動いていた・・・。感動の嵐であった。mk?Uで動かなかったテグザーが動く。他の今まで音が鳴らなかったソフトも次々と素晴らしい音を奏で始めた・・・。
■PC-8801とマシン語プログラミング
PC-8801で扱えるプログラミング言語として有名だったのはBASICの他にはマシン語、正確に言うとアセンブリ言語だった。C言語はまだ流行ってなかった。ちなみにCP/Mと言うのもあったらしいが詳しくは知らない。
PC-8801は起動するとN88BASICが使えるようになるがその状態でmon[RETURN]と打ち込む事によりモニタ・モードとなってマシン語を打ち込む事が出来る。入力はすべて16進数で行われる。アセンブリ言語を打ち込むにはどうすれば良いかというと 別でアセンブラーを買ってきてやったほうが良い、というわけである。PC-88は内部にも一応アセンブリ・モードというものがあって出来る事は出来るのだが命令体系が昔のインテル社のi8080という仕様なので非常に扱いづらいのである。
例を挙げるとロード命令であるLDは88の内部アセンブラーだとMOVという命令になっている。また、表記上Z80系の命令が理解できず、逆アセンブルすると???と表示されてしまうのであった(もちろんプログラムは動くのだが)。
PC-88用のアセンブラーとして有名だったのはアスキーという会社が発表したMF-ASMというもの、またPC-8801シリーズに多大な貢献をしたフリーのプログラマーである日高 徹(ひだか・とおる)氏がそれを更に改良したMF-ASM2、のちにさらに改良を加えた究極のアセンブラーであるHIT-88(ひっと・はちはち)等がある。
MF-ASM2は普通のBASICプログラムのようにプログラミングをしていき(行の最初にアポストロフィーをつける)、最後にMF-ASM2でアセンブルするというものである。
10 ' ORG 0B700H
20 ' DI
30 ' LD C,5
40 ' LD D,01111111B
50 ' LD E,10000000B
60 ' LD HL,0C000H
     こんな感じ…
■PC-8801のエミュレーター
今は良い時代になったものである。かつての古き良き?マシン達を今のPCで再現できないかと言う事で幾人かの人々がWindows上やDOS上で88が動くエミュレーターと言うものを製作している。もちろん動かすためにはPC-8801に搭載されているROMの内容をPC上に構成しなければならない。そのための手段としてシリアルケーブル(RS-232Cケーブルとも言う)経由でデータを転送する方法やPCに5インチディスクドライブが搭載されている場合に限りディスク経由でデータを移し替える、と言う作業が必要だ。また当然肝心のソフトウェアも同様の方法でデータを移し替えなければならない。
オリジナルのソフトウェアではデータの転送(いわゆる吸出し)がうまくいかないのでそのソフトウェアのバックアップ品から行う事になる。吸出しの際にそのソフトウェアにかけられたプロテクトが邪魔をするらしいのだがこのおかげでバックアップも簡単には作れないようになっている。それでも何故か?コピー品と言うものは存在する。またコピーツールというものもかつてのソフトショップには堂々と?売られていたから驚きである。
そのツールは各ソフトウェアによって違うプロテクトの方法をデータベース化して一枚のディスクもしくは別売りのデータ集として分割しておくものである。今となってはそれを手に入れるのも困難でありもし持っている人がいたらそれは非常に貴重品と言う事になるであろう。今ではコピー目的にではなくエミュレータ目的のために使えるのだから何が役に立つかわからないと言うものである。今現在知る限りのエミュレーターは以下の通りである。
PC88Emulator for Windows (Windows 95/NT用のエミュレータ)
M88 -PC-8801 Series Emulator (Windows 95/NT用のエミュレータ)
X88000(Windows 95/NT用のエミュレータ)
ぶるー牧場 (PC-9801上で動くエミュレータ)
QUASI88 (UNIX+X Windows上で動くエミュレータ)
N88BASIC for Windows(Windows用のN88BASICのエミュレータ)
■PC-8801のサウンド
PC-8801SR以降からサウンド機能が強化されてFM音源3音、PSG音源3音が同時に発生可能となった。それより前はビープ音のみだったのだからたいした進歩である。一応私の持っていたmk2でもビープ音の周波数を変えて音階を作り出すことができた。88を買うとついてくるデモディスクには88の魅力を余すところなく(?)伝えようという涙ぐましい努力の基に作られたいろいろなデモが行われる。アニメーションの表示やスペックの表示、めまぐるしい色の書き換えやなんやかんや…話がそれた。そこでビープ音の音階でクラシック曲である展覧会の絵のキエフの大門(クライマックスの曲)が流れていたのが印象深い。ただやはりビープ音なので音色に変化がつけにくいのと(デモ曲ではビブラートまで!かけていたが)単音しか出せないのでかなり苦しかったのは事実である。そう言うわけでPC-8801mk2SRが出たころはかなりうらやましかったことを覚えている。
それからしばらくしてFAシリーズが出たら今度はFM音源6音、PSG音源3音、リズム音源6音、ADPCM音源1音が同時発声可能ときた。しかもFM音源とリズム音源とADPCM音源は左右に振り分けることが可能とある?これで擬似ステレオ効果を作り出せる、と思った。しかもうれしいことに以前の機種でもそのサウンド機能を拡張することのできる拡張ボード通称サウンドボード?Uが発売されることが決まったときはもう嬉しすぎて気が狂うかと思った。サウンドボード?UこのADPCM音源というのは何じゃいな?と思うだろう。これは外部の自然音などを取り込んで再生することができるのである。だからサンプリング音源とも言った。ADPCMとはそのサンプリング方式の名前で、アナログ音源の波をデジタルに変換するわけだがサンプリングレートでどのぐらいの頻度で音の採集を行うかを決めることができる。この頻度が高ければ高いほどもとの音に近い音を出すことができる。普通のPCM方式ではその採集したデータが巨大になってしまうので前の時間との変異のみを記録しつづける方式がADPCM方式だと、どこかの本に書いてあった 。つまり、10という値を基準として次の値はその値よりも+3、その次の値はその値よりも-2、という風にして数値を格納する方法らしい。これを10、13、11、という風に格納するよりもデータ量が少なくてすむのである、という説明を読んだときはなるほど!と思ったものだが果たして本当に少なくなるのだろうか?
今ではPCには標準でPCM音源が搭載されてデータが多少大きくなろうともぜんぜん問題にならなくなったが当時はディスクの容量が2Dなら最大でも256KB、2HDなら1MBとかなり少なかったのでデータをいかに小さくするかということで編み出された技術であろう。実際に音を採集できる時間は拡張ボードに搭載されたRAMの容量が256KBなので一番悪いサンプリングレートで 128秒。最高に音質がよい状態だと32秒である。ただサンプリングしたデータをディスクから読み込むにもかなり時間がかかったのでゲームなどでオーケストラヒットや人の叫び声などを入れているゲームなどは極めて少なく、また最初の読み込み時間はかなり待たされた。サンプリングデータだけで一枚のディスクを使い切ってしまうものもあったぐらいだ。FM音源自体の左右振り分けも結構有効に使われているゲームは少なかったがすばらしい技術力を持っているソフトメーカーはかなりよい音を発していた。
ちなみにこの拡張ボード、SR、FR、MR、TR対応のPC-8801-23、FH、MH用のPC-8801-24、FE、FE2用のPC-8801-25の三種類が発売されたようだが記憶が定かではないのであまり正確ではない。そう言えばVA用のサウンドボードはあったのだろうか?またSRより前の機種ではFM音源自体が搭載されていないので拡張するにしてもSR並にはなってもFA並にはならなかった。残念。
SR用のサウンド拡張カードとFH/MH用のそれとでは操作するハードウェアポートが当然違うのでプログラムのほうで機種判断をしてポートを自動的に切り替える部分が必要である。それをしていない?ゲームなどは一部PC-8801-23には対応していない、と書かれていることもあった。SRユーザーなどには納得ののいかない話であろう。例として日本ファルコムから発売されていたぽっぷるメイル、英雄伝説?Uなどはそうであった。
    
NEON'S ROOM
http://www3.cds.ne.jp/~neon/pc88.html




1981年11月7日土曜日

[雑誌] マイコン専門誌 RAM




[雑誌] マイコン専門誌 RAM
昭和の56年のマイコン専門誌 RAM
当時まだパソコンという言葉は使われていなかった。OSがなくBASICで動かしていた。
(-_-)
S56年にパソコン買いました。MZ-80は名機でクリーンコンピュータ、先行の普及機はNEC8001、だがしかしコスパが良いとの広告にまけて、後発の東芝PASOPIA買ってえらいめにあったw ソフトが皆無で、マイコン雑誌のBASICプログラムを徹夜で打ち込んで、動かしたら1分で終わるゲームとかだった(笑) たしかに当時はパソコンという呼び方はなくて、マイコン派とパーコン派が主導争いしてたw

Facebook
https://m.facebook.com/groups/787995507932288?view=permalink&id=825658604165978

1981年11月4日水曜日

[言語] PC-6001でBASIC





[言語] PC-6001でBASIC
特設:PC-6001 Development
このサイトで扱っている PC-6001 の開発についてです。
資料も環境も乏しいため容易ではありませんが、高度なことをしなければ1から始めてもそれなりの事は出来ます。
久々に弄りたいけど、資料集めにオークションにまで手を出すほどでは無いという方も結構居ると思います。
経験や記憶に頼る場合もありますが、持っているものは活用しつつ、試行錯誤で理解を深めていく昔ながらの方法で開発を進めましょう。
■ 開発環境
いきなりアセンブラの話になりますが、BASIC の知識も必須です。
最初に立ち上がるのが BASIC なので当然といえば当然ですが。
Windows 上での開発とエミュレータでの実証という環境が一番手軽だと思いますので、以下そのように進めます。
1)アセンブラを用意する
アセンブラは「AS」を使います。
http://john.ccac.rwth-aachen.de:8000/as/index.html
ここの Win32 Binaries からダウンロードします。
AS は、多機能なマクロアセンブラです。
ソースの書式は一般的なもので、ZASM(Vector) などのソースも最小限の手直しで使えました。
ただし、多機能でターゲット CPU も多い分マニュアルも巨大で、機能を把握するまでが大変です。
サンプル解説も少ないので、筆者も書式が合っているのか未だ自信がありません。
とりあえず、EQU や ORG などの擬似命令のいくつかを覚えておけば間に合うだろうと思います。
2)プログラム書く or ソースを用意する
このサイトのソースリストであれば、上に掲載したスクリーンショットと同様に各圧縮ファイルを展開します。
アセンブラ本体は bin フォルダに配置されているので、パスを通しておくと良いでしょう。
AS のデフォルトの拡張子は .ASM ですが、ここでは .Z80 とします。中身はテキストファイルなので、
メモ帳やテキストエディタでコードを書いていきます。
Z80 非公開命令も使えますが、コンパイル時にオプション -CPU Z80UNDOC と指定しなければなりません。
使えるレジスタは「IXH,IXL,ILY,IYL」でなく「IXU,IXL,IYU,IYL」となることにも注意します。
数値の書式は「0abcdH」などのほか、指定によって「$abcd」や「0xabcd」なども使えるようです。
ラベル以外の命令や ORG などの擬似命令は行頭に置くとエラーになるようです。
BASIC のプログラムを書く場合でも、Windows 上でエディタを使って書いてエミュレータで読める形式に
変換するツールがあります。詳しくはこちら→iP6 homepage。
3)コンパイル
このサイトのソースに入っている zoom.bat 等バッチファイルには、コンパイルの一連の作業を記述してあります。
ダブルクリック一発で(エラーが出なければ)バイナリファイルが出来上がります。
自力でコンパイルする場合は、ZASM のヘルプを良く読むか、各.bat ファイルを参考にしてみてください。
エミュレータで読み込む場合は PC6001VW であれば、モニターモード(ALT+F6キーを押す)から setbin コマンド
または bat コマンドで仮想マシン内のメモリに直接バイナリファイルを読み込めます。
このモニターモードからは、BASIC の cload 命令で読み込めるテープイメージ形式(.P6) に変換することも出来るので大変便利です。
ただし、BASIC+マシン語といった構成になると若干面倒かもしれません。
テープイメージをバイナリエディタで開き、切り貼りをする作業が必要になります。
実機でやるよりは全然楽な作業ですが。
■ 資 料
ネット上に技術的な資料はほとんどありません。
筆者が手元に持っている実物の資料といえば、新星出版社というところから出ていた
「PC-6001/6001mkII わかるマシン語入門」
という本1冊だけで、これにしてもI/Oの詳細やメモリーマップなどについては載っていません。
今現在でも手に入る資料としては 2005年に ASCIIから出た
「みんながコレで燃えた!PC-8001・PC-6001」
という本があります。これは普通に書店で入手できました。
内容については割愛するとして、資料としてみた場合、付録の CD-ROM 中に(本文中にも抜粋されていますが)昔の
月刊アスキー LOAD TEST
という記事の PDF が含まれており、若干見にくいですがメモリーマップや BASIC 命令表などが掲載されています。
直接関係はありませんが、ビデオチップの MC6847 はデータシートが PDF で入手できます。
これは検索すればあちこちで見つかるはずです。
大半はチップの概要ですが、スクリーンモードに関する資料が数点見られます。
Z80 命令表などは基本中の基本ですが、見やすいものが欲しいです。
命令数が多いのとクロック計算が面倒なので。
・というわけで作ってみた命令表
・HOME OF THE Z80 CPU
Z80 の情報多数。全て英語です。
・B型同盟  PC-6601 BASIC リファレンスを公開されています。

特設:PC-6001 Development
http://www.geocities.jp/submarine600/html/p6/pc60.html





















フラグの意味
フラグの意味
Sサインフラグ。演算結果の最上位ビットのコピー。
Zゼロフラグ。演算結果が 0 なら 1。
Y演算結果の bit5 のコピー。
Hハーフキャリーフラグ。bit 3 から bit 4 への桁上がり(桁借り)のとき 1 になる。
X演算結果の bit3 のコピー。
P/Vパリティフラグまたはオーバーフローフラグまたは IFF2 の状態(兼用)。

セットされたビット数が偶数のとき 1。奇数のとき 0。

演算結果が +127 ~ -128 の範囲を超えたとき 1。範囲内に収まるときは 0。

特別な命令で IFF2 の状態がコピーされる。
Nサブトラクトフラグ。演算が加算系の時 0、減算系のとき 1。
Cキャリーフラグ。演算で桁溢れ・桁借りが生じたとき 1。






フラグの意味
bit76543210
FLAG S Z Y H X P N C

▼ 記号の意味
-変化なし
0リセット
1セット
*結果によって変わる
?不定
P1=偶数パリティ,0=奇数パリティ
V1=オーバーフローあり,0=オーバーフローなし
IFF割り込み状態


































































































































































































▼ 8ビット・ロード命令
ニモニック オペレーション 備考 ステート バイト フラグ
S Z H P/V N C
LD r,r' r<
- 4 1 - - - - - -
LD r,n r<
7 2
LD r,(HL) r (HL) 7 1
LD r,(IX+d)
LD r,(IY+d)
r<<(IX+d) r<<(IY+d) -128≦d≦127 19 3
LD (HL),r (HL)<
- 7 1
LD (IX+d),r
LD (IY+d),r
(IX+d)<
-128≦d≦127 19 3
LD (HL),n (HL)<
- 10 2
LD (IX+d),n
LD (IY+d),n
(IX+d)<
-128≦d≦127 19 4
LD A,(BC)
LD A,(DE)
A<<(BC) A<<(DE) - 7 1
LD A,(nn) A<<(nn) 13 3
LD (BC),A
LD (DE),A
(BC)<
7 1
LD (nn),A (nn)<
13 3
LD A,I A<
9 2 * * 0 IFF2 0 -
LD A,R A<
9 2 * * 0 IFF2 0 -
LD I,A I<
9 2 - - - - - -
LD R,A R<
9 2
LD xr,n xr<
未定義命令
xr=IXH,IYH,IXL,IYL
11 3 - - - - - -
LD xr,r xrr 未定義命令
xr=IXH,IYH,IXL,IYL
r=A,B,C,D,E
8 2 - - - - - -
LD r,xr r<
未定義命令
r=A,B,C,D,E
xr=IXH,IYH,IXL,IYL
8 2 - - - - - -
LD IXH,xr
LD IXL,xr
IXH<
未定義命令
xr=IXH,IXL
8 2 - - - - - -
LD IYH,xr
LD IYL,xr
IYH<
未定義命令
xr=IYH,IYL
8 2 - - - - - -








PC6001本体NG+拡張ユニット+フロッピードライブ 

ヤフオク
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1981年10月9日金曜日

[ゲーム][PCゲーム] Ultima1-the First Age of Darkness~米オリジナル版,RPG誕生

















[ゲーム][PCゲーム] Ultima1-the First Age of Darkness~米オリジナル版ウルティマ
#apple2

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[ゲーム][PCゲーム] Ultima1/ウルティマ~黎明期RPG二大巨頭
1981.6.9

コンピュータ情報
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1981年9月24日木曜日

[人物] Bill Gates, 1981
















八十年代以降、コンピューター世界の派権を握り続けてきた企業は、いうまでもなくマイクロソフトだ。
IBMのパソコンにMS-DOSというOSを搭載して以来、パソコン使用にあたってはマイクロソフトのソフトウエアを使用するというのがパソコンでの作業では当たり前とみなされてきた。エクセル、ワード、パワーポイント、インターネット・エクスプローラ、そしてウインドウズ。言い換えれば、パソコンの使用とは、イコール、マイクロソフトのアプリケーションを使うということだった。
これらソフトを使うためにパソコンを購入したと表現すればよいのだろうか。
ところが、最近、マイクロソフトは影が薄い。新製品を発表してパッとしないし、評判もあまり聞かない。業績はまあまあの状態を維持してはいるが、これら利益のほとんどは既存の製品からの売上に依存している。
■マイクロソフトとアップルの拮抗
その一方で、飛ぶ鳥を落とす勢いなのがAppleだ。2010年の第二四半期において、Appleは過去最高の売上と利益を計上した。
しかも、この業績はマイクロソフトと肩を並べるほど。13年前、スティーブ・ジョブスがAppleに復帰した時、Appleは瀕死寸前だったことがウソのことのようにさえ思える。
しかし、なぜこんなにもコンピューターを巡る企業の情勢が変化してしまったのだろうか?今回は、これについて考えて見たいと思う。その際,注目したいのはソフトウェアだ。
僕はソフトウェアをどのように時代状況にあわせてコンピューター市場に適合させるかがコンピューターの世界を左右するキーポイントと考えている。結論を先取りしておけば、マイクロソフトはソフトウェアに固執したがゆえに、パソコンの世界で覇権を獲得したと同時に、現在、覇権を失いつつある。いっぽう、Appleはソフトとハード二つにこだわり続けたゆえに派遣を取りそこねたと同時に,現代では逆にこれにこだわり続けるがゆえに,派遣を握ろうとしている。
次回からはソフトウェアの攻防を巡ってコンピューター世界がどのように変容してきたのか、またどのように変容していくのかを考えていこう。 
■80年代以降、マイクロソフトはいかにして覇権を握ったか
80年代初頭、まだ数あるソフトウェア企業の一つ でしかなかったマイクロソフトがあっという間に派遣を握ることができたのは、その技術力によるのではない。むしろ技術を売る巧みさにあった。
当時、コンピューター企業の巨人であったIBMは、意外なところから脅威を感じはじめていた。
「意外なところ」とは、ヒッピー文化から誕生した「パーソナル・コンピューター」(以下「パソコン」)という、さながら玩具のようなコンピューターだった。
今でこそ、パソコンといえばコンピューターの代名詞的な存在だが、当時、コンピューターとは大型汎用フレーム、つまり一部屋を優に占用するようなバカでかいマシーン=システムを意味しており、もっぱら企業が利用するものだった。
当然、費用も膨大なものとなるのだが、こういったシステムの構築に関して、IBMは巨人的な存在だった。
ところがホビー・マシンとしてしか捉えていなかったパソコン、具体的にはAppleのAppleⅡが、意外にも取り回しが良く、ビジカルクなどの表計算ソフトがビジネス・ユースにも使えることがわかり、人気を博するようになると、IBMはこれを脅威とみなすようになり、対向手段、つまりIBM製のパソコンを急遽開発する必要が生じるに至った。
つまり、IBMは明らかにあわてていたのだ。
急ごしらえパッチワーク・パソコンを作ったIBM
しかし、ちんけなコンピューターであるパソコンとて、そう一朝一夕で開発できるわけではない。そこでIBMは製品のほとんどを外部から集め、これを一つの箱のなかに収め、箱にIBMのロゴを貼りつけて売り出すという急ごしらえの方法を思いつく。その時選ばれたCPUがインテル社のもので、OS、つまり基本ソフトがマイクロソフトのMS-DOS(Microsoft Disk Operation System)だったのだ。
そしてこの時、マイクロソフトは大企業を相手に極めて狡猾なビジネスを展開する。
CEOであるビル・ゲイツはMS-DOSをIBMに売却するのではなく、リースしたのだ。
しかも独占使用権すら与えなかった。
ようするにゲイツはIBMが焦っていることを察知して、弱小ソフトウェア・ハウスが巨人から、自分の商品を保持したまま膨大な金をまきあげることにまんまと成功したのである。
他人のふんどしで相撲をとったマイクロソフト
いや、それだけで話がすむわけではない。
マイクロソフトは巨人の背中に乗っかって、あたかも他人のふんどしで相撲をとるかのようなビジネスを展開する。
IBMがパソコンを販売するということは、その圧倒的な力で、即座にパソコン市場を席捲することを意味している。
そして、それは必然的に搭載されているMS-DOSが市場を席捲すること、つまりMS-DOSがパソコンOSの業界標準になることも意味する。
つまりIBMのネットワークに乗っかることで、IBM自体がマイクロソフトの広告媒体として機能したのである。
これはうまいやりかただった。
いや、それだけではない。
マイクロソフトはIBMとOSのリース、つまり利用契約を結んでいるにすぎない。
前述したように、独占使用権もIBMは持っていない。
いうことは、マイクロソフトは他のエレクトロニクス・メーカーにもMS-DOSをリースしても構わないということだ。
そして、実際、ゲイツはそれを実行した。
その結果、IBMは単なるマイクロソフトの宣伝媒体に成り下がってしまう。
「巨人IBMが採用しているのなら、ウチでも安心して採用していい」
こんな認識が業界全体に漂うようになったのはまもなくだった。逆にIBMの立場からすれば、これはとんでもないことだった。売れば売るほど、他のメーカーも同じものを作ってくるのだから、これは単純に価格競争の激化を生むことになる。儲かるのは、結局のところマイクロソフト(とCPUを提供したインテル)ということになってしまった。(続く)
■Appleを駆逐したのはIBMではなくマイクロソフト
Appleに脅威を感じ、これを駆逐しようとたくらんだIBM。
実際、その目論見自体は見事に功を奏する。
MS-DOSを搭載したパソコンは、瞬く間に市場を席捲した。
しかし、その原因はIBMがパソコンを発売したからではなく、マイクロソフトのOSを搭載したパソコンが様々なメーカーから発売され、Appleのマシンを囲い込んでしまったからだった。これに対抗すべく、1984年Appleはウインドウをベースにした画期的なOSであるMacOSを搭載したパソコン・Macintoshを市場に投入するが、多勢に無勢という状態になってしまった(そのあまりの高額さにユーザーの腰がひけたということもあったということもあったのだが)。
ただし、勝者はIBMではない。
勝ったのは他人のふんどしで相撲をとったマイクロソフトだった。
結局、市場に出回ったのはIBMのパソコンではなく、マイクロソフトのOSを搭載し、インテルのCPUが内蔵されたパソコンだったのだ。
IBMはApple駆逐とともに、自らの首もまた絞めることになってしまう。
最終的に競争に敗北したIBMは2004年、パソコン部門を中国の企業・Lenovoに売却、この市場から撤退する。
IBMの市場を縦横無尽に活用
マイクロソフトの罠にまんまと引っかかったIBM。パソコンを巡る攻防の勝利者は対立したAppleでもIBMでもなく、第三者のマイクロソフトだったのだ。マイクロソフトはIBMにコバンザメのようにぶら下がることで、両者を駆逐することに成功。パソコン業界に帝国を築くまでになっていく。そのプロセスはパソコンと関わってきた人間なら周知のことだろう。MS-DOSに続き、ほとんどAppleのMacOSのパクリに等しいWindows95をリリース。この時点でOSの機能としてはMacOSに比べてはるかに性能的には劣るにもかかわらず、IBMを利用して奪い取った市場を利用して市場をさらに拡大することに成功する。
この成功は、いわば缶コーヒーのジョージアが売れるのと同じ仕組みだ。缶コーヒーはBOSS、Wonda、Fireなど様々な商品が各メーカーから発売されているが、シェアはジョージアがダントツである。これはなにもジョージアが飛び抜けてうまいからだからではない。そうではなくて、ただ単に日本国内でコカコーラ・ボトリングの自販機が圧倒的に多いことから来る結果だ。
マイクロソフトの製品についてはまさにこれと同様で、要するに市場にはWindows95をインストールできるマシンがあちこちにあった。だから、その使い勝手などはともかく、ユーザーは自らのマシンにお手軽にWindows95をインストールしたのである。
二十世紀に現れた二人の巨人は発明していない
ビル・ゲイツは、しばしば「二十世紀最後の巨人」と称されることがある。これは二十世紀最初の巨人がエジソンであったことになぞらえて呼ばれている。
ただし、それは相当の皮肉を込めてであるのだが。
二人は技術については二十世紀を代表する発明家と言うことに表面的にはなる。ただしエジソンはある側面からすると評判が悪い。電球、録音機など、エジソンは様々な発明をした発明王としてつとに有名ではあるが、実のところ彼自らが発明したものはほとんどないと言われている。では、あれら一連の発明はどうやったのかというと、これらを発明した人間から著作権を買い取ったり、奪い取ったりした結果なのだ。つまり人のやったものに自分の名前を貼り付けて売り出したのだ。それが、結果として「発明王」という代名詞になった。
一方、ビル・ゲイツも同様だ。
IBMに搭載されたMS-DOSというOSはキル・ドールが発明したCT-MとというOSをちょっとだけ改造して、MS-DOS名前を貼り付けただけなのだ。
ウインドウズについても同じだ。
これは明らかにMacOSのパクリなのは周知のことだろう。
では、なぜエジソンが二十世紀最初の巨人で、ビル・ゲイツが二十世紀最後の巨人と皮肉を込めて揶揄されるのか。それは、二人には法律に詳しいという共通する特徴があり、法律を縦横無尽に駆使し、自分の地位を築いたからに他ならなかった。要するに「発明王」になるためには、発明の才に長けているよりも法律に詳しいことのほうが大事なのである。
ただし、そうはいっても市場にパソコンを広げることに多大なる貢献をしたのがマイクロソフト=ビル・ゲイツであることを疑う余地はない。そして、それはソフトウエアに特化したことから起きたことであることも。80年代以降、IBMの市場を縦横苦心に駆使しながらマイクロソフトはどのようにして覇権を握っていったのだろう。(続く)
■ソフトとハードを分離したオープン戦略でマイクロソフトが勝利する
マイクロソフトは、いわばオープンな展開をすることで市場を席巻することに成功したと言えるだろう。「オープンな展開」とはソフトとハードを分離し、様々なメーカーのハードに自らのソフトを搭載可能にするやり方をさすのだが、こうすればそれぞれのマシンの特性に依存することなく、ユーザーは自由にマイクロソフトの製品を使用することが出来る。
実を言うと、それまでのコンピューター、パソコン企業のほとんどはこのような考え方とは逆、つまりソフトとハード一体型と展開を基調としていた。しかもハード重視タイプの戦略。つまりエレクトロニクス・メーカーは自らのハード=機械を売りたいがために、これを使用するためのソフトを、いわば「オマケ」的に開発し、販売していたのだ。だが、そういった一体型の売り方というのはいわば「抱き合わせ販売」のようなもの。一旦ソフトがもはや時代の流れに合わないものになってしまったならば、ハードごと全てを取り替えなければならない。これはユーザーの側からすれば少々博打的な色彩を含むものになってしまう。ハードを買って使ってみたらソフトがダメだったということになったとき、それはソフトの交換ではすまされず、ハード=システム全てを交換しなければならなくなるからだ。
ところがマイクロソフトの製品はそうではない。
一般的には大方のマシンに搭載可能だ。だからユーザーは安心してこれを求め、一方でソフトとハード一体型のメーカーは撤退することを余儀なくされていったのだ。
事実上の抱き合わせ販売で他のソフトウエアハウスを凌駕する
ただし、これだけの条件ならば、それはマイクロソフトに限った話ではない。他のソフトウエア・ハウスもマイクロソフトのOS上で稼働するのだから、MS-DOSやWindows以外のアプリケーションに関しては参入の余地があるはずだ。
ところが、ここにもマイクロソフトは、こういった他業種を閉め出す対策をきちんと整えていた。
一つは自らの販売することをマイクロソフトのOSに最適化したこと。
典型的なのはワープロ、表計算、プレゼンテーションソフトなどからなるアプリケーション・スイートのMicrosoft Officeで、これらはパソコンを買うならマイクロソフトのOSを購入し、マイクロソフトのOSを購入するならばOfficeを購入するという流れを作ってしまう。実際、パソコンにはあらかじめOSがインストール済みなのがあたりまえになり、さらにはOfficeも標準装備かオプションで選択可能というハード販売をハードメーカーに指示するというまでになっていく。またインターネットの世界への参入が遅れたことを察知するやいなや、ブラウザのインターネット・エクスプローラーを投入して失地挽回を図ったのだが、これはなんとWindowsのOSに無料で標準装備されていたのだ。これによって、これまでネットスケイプの独壇場だったインターネット・ブラウザの世界はすっかりエクスプローラーによって凌駕されてしまったのだ。
(こういう強引なやり方は、やがて法律的に不可能になっていくのだが)。(続く)
■革新的なパソコン・マッキントッシュだったが
アップルもまた典型的なハードとソフト一体型の企業だった。そしてアップルもまた当初、ライバルとして危惧していたのはマイクロソフトではなくIBMだった。
だから1984年にマッキントッシュを発表した際にも、販売の際に標的としたのはIBMのパソコンだったのだ。
1984年スーパーボウルのテレビ中継のハーフタイムに一回きりで放映されたマッキントッシュのCMはIBMを明らかな仮想敵にしていた。
そのCMのキャッチコピーは
「1月24日、アプルコンピュータがマッキントッシュを発売します。
今年、1984年が『1984』年のようにならない理由がおわかりになるでしょう」
だったのだが、この『1984年』とはジョージ・オーウェルの小説をさしている。
この作品の中ではビッグブラザーと呼ばれる支配者が人々を一元管理し、人々に自由がなくなるという状況が描かれているのだが、
この物語をCMはもじっている。IBMの代名詞はビッグブルーであったのだが、視聴者にはビッグブルー=ビッグブラザーの図式を暗示することで「IBMのパソコンを購入すると飛んでもない管理社会が登場しますよ。マッキントッシュを使って自由な世界をつくりましょう」とアピールしたのである。
実際のところ、マッキントッシュ(以下、マック)は革命的なパソコンだった。
ウインドウを開きマウスでポインタを操作するという、現在のウインドウの概念のほぼ全てを既に実現していた。
実質的にこれが発売された1984年の時点で、11年後にマイクロソフトがブレイクさせたWindows95よりも優れたOSを構築していたいってもよいくらいだったのだ。
■クローズドな展開がAppleを窮地に追いやる
しかし、前述したようにアップル(当時の名前は「アップルコンピュータ」)もまた敵を間違えていた。
本当の敵はIBMではなく、ソフトをスタンドアローンで展開するマイクロソフトだったのだ。
だから、いくら優れたマシンを作り上げたところで、マックもまたハードとソフト一体型のクローズな製品。
他の撤退を余儀なくされた企業と同様、オープンな展開をおこなっているマイクロソフトには太刀打ちできなかったのである。
ただし、その秀でた機能でマックは唯一、マイクロソフト帝国の中で生き延びることは出来た。そのすばらしさを指示する一部の層(デザイナー、編集業者、医者、そして弁護士)が、マックを買い求めたからだ。
こういったユーザーに限定されたのは、機能的な側面でマックが必要(デザイナー、編集者)か、あるいは高額なオモチャとして所有したいか(マックは極めて高額だった)の、どちらかのニーズしかなかったからだった。
とはいうものの、マイクロソフトの狡猾さはこれだけに留まるのではない。ビル・ゲイツはどこまでも賢いCEO。他にも様々な手を打っていた。
(続く)
ソフトウエアが覇権を握ると言われたコンピューター業界。
しかし、それだけなら何もマイクロソフトが一人勝ちすることはあり得ない。
他のソフトウエア・ハウスにもそのチャンスは平等にあるからだ。
ところがマイクロソフトだけが一人勝ちした。
そしてその理由がパソコンの業界標準であるマイクロソフトのOS(MS-DOSやWindows)に自社のアプリケーションを最適化させたことに一人勝ちの理由があったことは、このブログの前々回で取り上げておいた。
しかし、マイクロソフトのアドバンテージはこれだけに留まらない。
■当初マイクロソフトのアプリには、事実上プロテクトがかかっていなかった
その、もうひとつは、アプリケーションにほとんどプロテクトがかけらていなかったことにある。
前述のOfficeがその典型で、ユーザーたちはこぞって、違法にこれをコピーして使用するようになった。
そしてマイクロソフトはこれを黙認した。
いわば「タダでばらまく」ということをユーザーにやらせたのだ。
これだったら儲けはあがったりということになりかねないが、
ところが、むしろこうすることでマイクロソフトはさらに収益を上げていくことになる。
■タダ乗りユーザーを背後に持つことで巨大なマーケットが獲得される
そのからくりは、ユーザーを二つに設定したことにある。
ひとつは企業や合法的にアプリケーションを使おうとするユーザー。
この手のユーザーは、ルールを守るのでアプリケーションをちゃんと購入した。
そしてマイクロソフトにとっては大事な収入源である。
もうひとつは違法ユーザー。
こちらはおそらく合法ユーザーよりもはるかに多いと考えられる。
ところが、この違法ユーザーたちがこぞって業界トップのアプリケーションであるMicrosoft Officeをタダで使用することで、Officeのユーザーが世界に遍在するようになる。
となれば、Officeの各アプリケーションは、事実上、
業界の基準ソフト=デフォルト・アプリケーション
となる。だがみんなが使うとなれば、やはり一定の割合で正規にアプリを購入するユーザーも存在するわけで、このユーザーが購入するだけで、その利益は膨大なものとなるのだ。
わが国では、このやり方で締め出しを食らってしまった典型的なアプリケーションがジャストシステムの“一太郎”だった。
一太郎は日本におけるワードプロセッサーの業界標準の地位から引きずり下ろされてしまった
(現在、ジャストシステムは、日本語環境だけに特化したされたアプリケーション、フロントエンド・プロセッサ=日本語入力メソッドATOKの企業という位置づけになっている。
日本という文化にローカライズされているがために、この分野だけはマイクロソフトに駆逐されることがなかったのだ)
ちなみにOfficeはいまだに違法コピーが可能だが、事実上の業界独占となったマイクロソフトのOSに関しては、アクティベーションによって極めて強固なプロテクトがかけられている。
つまり「釣った魚に餌はやらない」。
ようするに、自由にコピーさせ、これによって市場を独占した暁には、突如としてプロテクトをかけ、金を払わせるようにする。
「それなら、マイクロソフトOSの使用をやめてやればいい」
ということになるのだが、もう市場は事実上、独占されてしまっていて、ユーザーは選択肢を失っているというわけだ。
マイクロソフトがやったことは、こうやって実質的にアプリケーションをタダでばらまくことで高額な収益をもたらすという、極めて狡猾な方法、近年話題になり始めたFree Businessの先駆け的な営業展開だったのだ。
こうやってパソコン業界は完全にソフトウエアが世界を牛耳るという構造になった。
しかし、このソフトウエア至上主義の支配は21世紀になるとその様子が怪しくなってくる。それが、今回特集のタイトル「マイクロソフトは何故ダメなのか」と言うことになるのだが……(続く)
■21世紀におけるソフトウエア至上主義の崩壊
ソフトウエアがハードウエアを凌駕し、パソコン市場の方向性を決定するという神話は未来永劫続くと思われた。
マイクロソフト帝国が、一層の支配を進め、ビル・ゲイツのもと情報化社会はこれからも動いていくと誰もが疑わないような風潮が21世紀の初頭にはいわば当然のように語られていたのだ。しかし事態は以外の方向に展開する。しかも新展開をもたらしたのはデジタル電子プレイヤーという、意外なハードだった。

勝手にメディア社会論











ビル・ゲイツ氏成功の秘密
我が国でも有名になったマイクロソフト社の会長ビル・ゲイツ氏。彼は今や全世界のコンピューター業界を牛耳る王とでもいえる存在となっている。
しかし、彼がいかにして現在の地位を築いたのかについては、諸説紛糾している。
ある者は、彼が模倣の天才であり、他人の作成した物を上手に自分の物として利用する術に長けているからだという。またある者は、彼の類い希なる商才のためだという。
しかし、わたくしはそれ以上に、彼には運命的な力が働いていると考えている。
そして、その理由は彼の名前にあると。
彼はビル・ゲイツという名前で有名だが、実はこの名前は通称にすぎないのだ。
彼の本名はWilliam H. (Bill) Gates III。
そう、彼は「ウィリアム三世」なのである。
ここまでくれば、歴史に詳しい読者の方なら、お察しがついたかもしれない。
ウィリアム三世といえば、イギリスの名誉革命の後に即位した王で、その通称は「オレンジ公」なのだ。
つまり、彼がパソコンの「革命」的な進歩の中で「王として君臨」することは、彼の名前から運命的に決定づけられていたのである。
そして、「オレンジ」に対する「アップル」の衰退も・・・・
このように、彼の成功が名前によって運命的にもたらされたとすると、彼の将来も歴史から占えるのではないか。そこで、試みに以下で彼の将来を歴史から占ってみる。
*****
彼が天下を取った後、マイクロソフト社の最高意思決定会議は活性化する。そして、その会議の中で、低年齢層に重点を置くべきとする玩具(Toy)党と、高年齢層に重点を置くべきとするカツラ(Wig)党という2つの派閥が生まれる。ゲイツは当初は両者の代表者に共同で同社の意思決定をさせていたが、やがて両党のうち多数派が同社の意思決定をするようになる。
ゲイツには子供がいなかったため、その死後はメリンダの妹アンがマイクロソフト社の会長として君臨する。
アップル社が同社に吸収合併されるのも、アンが会長職にある時代のこととなる。
・・・・(以後略)

藤木総研・研究部
http://member.nifty.ne.jp/fuzsiki/tanul.html