2000年1月25日火曜日

[通信] ISDNの構造






【ISDNの概要】
このHPはISDNの概要にについてまとめたものです。
1-1ISDNとは
「ISDN」とは、電話やFAX、データ通信を統合して扱う、サービス統合デジタル網と呼ばれるサービス体系の総称。通常のアナログ回線 に比べて高速で安定した通信が可能。アクセス方式には、下記の2種類がある。
●BRI(基本インターフェイス)
●PRI(一次郡速度インターフェイス)
★BRIサービス
「BRIサービス」は基本インターフェースに基づく個人向けのサービス。データ通信用の64kbpsのBチャ ネル2本と呼制御用の16kbpsのDチャネル1本で構成され、「2B+D」と表現される。データー通信用に確保する帯域幅は、Bチャネルを2本合 計した128kbps。
★ISDN2つのカプセル化タイプ
ISDNのデータリンク層には、異なる2つのカプセル化タイプを使用する。
●データー用(Bチャネル)のカプセル化タイプを「LAPB」
●制御用(Dチャネル)のカプセル化タイプを「LAPD」
という
★PRIサービス
「PRIサービス」は一次郡速度インターフェイスに基づく企業向けのサービス。北米と日本ではPRIサー ビスはデーター通信用の64kbpsのBチャネル23本と呼制御用の64kbpsの1本で構成され「23B+D」と表現される。欧州やその他の地域では、 PRIサービスはBチャネル30本とDチャネル1本で構成され、「30B+D」と表現される。
1-2ISDNの機能グループと参照点
★ISDNの機能グループ
ISDNでは、接続するデバイスの特徴に基づいて「機能グループ」を定義している。機能グループは下記 の表のとおり。
機能グループ
NT1
NT2
TE1
TE2
TA
★参照点
「参照点」はアーキテクチャ上で、定義されているインターフェイス。参照点は次のとおり。 NT2がない場合もあり、その場合はS/T点となる。
参照点
U点(User点)
T点(Terminal点)
S点(System点)
R点(Rate点)
●ISDN機能グループ/参照点
1-3ISDNスイッチタイプの設定
ISDN交換機のタイプを「 スイッチタイプ」という。BRIインターフェイスでISDNに接続するにはキャリア側のスイッチタイプを指定する。スイッチタイ プを指定するには{isdn switch-type}コマンドを入力し、引数に<スイッチ タイプ>を指定する。
スイッチタイプは国によって異なる。例えば日本では、キャリアがNTTなのでnttを指定する。
【ISDNスイッチタイプの設定】
(config)♯isdn switch-type <スイッチタイプ>※スイッチ タイプ:キャリアのタイプを指定
1-4ISDNのステータスの確認
ルーターが電話局のISDN交換機と正しく通信できているかを検証するには、[show isdn status]コマンドを入力する。このコマンドでISDN交換機と の通信で定義したスイッチタイプや物理層がアクティブかどうかを確認できる。
また、データリンク層のステータスでは、TE1の割り当ての状況を確認できる。
【ISDNステータスの設定】
♯show isdn status
>
※TE1
ISDNに接続可能な電話線、FAX、コンピューターなどの機器を識別する端末識別番号。複数台の端末を接続してISDNを利用する場合、ISDN交換機は64~126の範囲内の番号を端末に自動で割り当てる。
1-5接続状態の確認
ISDNの接続状態を確認するには、[show dialer]コマンドを入力する。Bチャネルごとに次の様な情報が表示される。
●接続の状態
●発呼のトリガとなったパケットの情報
●切断までの時間
●接続後に経過した時間
●接続先の電話番号
【ISDNの接続状態の確認】
♯show dialer
通信がなくなってから90秒すると以下の表示が出て,いずれのチャネルも回線が切断さ れる。

Ciscoルーターの内部構成・機能について
http://www.geocities.jp/cwqnx949/isdn/
http://shikaku949.ohuda.com/

NTT
http://info.ntt.co.jp/ISDN/

INSテレホーダイ
http://web.hqs.cae.ntt.co.jp/shop/annai/ith/ith-k.html

NTTダイアルイン
http://info.ntt.co.jp/ISDN/service/02_S/060.HTM#(参考)「契約者回線番号」

NTT/NTT-TE東京MN-128(DSU内蔵)
https://www.nttpc.co.jp/service/infosphere/

ザグレイスフル
http://www.the-graceful.com/



































ISDN Tips
ここでは、一歩上を行く快適なISDNライフのためにいくつか書いてみたいと思います。
■ISDN機器の賢い選び方
ISDN機器というと、TAとDSUが先ず頭に浮かぶと思います。その他に最近はダイヤルアップルータを導入される方も増えてきた様です。それにこの他にパソコン内蔵型のISDNボードやPCカードも有ります。
さて、これから新たにアナログからISDNに切り替えようとする方にいくつかアドバイスです。
その昔はDSUとTAは別体であるのが一般的でした。
しかし、現在はTA、ルータ共にDSU内蔵型のモデルが数多く出ています。
これらDSU内蔵モデルの中にはS/T点が外に取り出せない物があります。この様なモデルはいくら安くても手を出してはいけません。
SCSIボードを買う時に1台しか周辺機器を繋げられないボードは選びませんよね。同様にオプションになるにしてもS/T点が出せる物を選びましょう。
■ISDNバス配線(S/Tバス配線)を生かそう
ISDN導入を扱った入門にはDSU内蔵型TAにパソコン、アナログ電話、FAX、モデム等を配線してある解説が圧倒的に多いようです。この様な配線例はワンルームマンションや狭いアパート等に住んでいる方にとっては問題ありませんが、数部屋のマンションや一軒家になると問題が出てきます。元々電話のローゼット(RJ11)が有った場所とパソコンを使う部屋が離れている場合、一台のTAで配線を考えると無理が出てきます。例えば、電話のローゼットが一階に、パソコンが二階に有る場合です。一階から二階へ宅内配線(2線)を伸ばし、二階のDSU内蔵TAからまた一階までアナログ配線を伸ばす事になります。あるいは、一階に設置したTAからRS-232C線を延々二階に上げるという事になります。配線の総延長が増えたり、RS-232Cを伸ばしてノイズが入りやすくなるのでは困ります。
そこで、ISDNバス配線の出番です。一階にDSUとTAを設置し、そこから二階にバス配線を伸ばしてもう一台のTAからパソコンに繋ぎましょう。配線がすっきりします。この時、一階のTAはアナログポートのみの使用になります。しかし、ノートパソコンがあれば一階から接続する事も可能になります。
■TAの選び方
現在、TAはモデルチェンジサイクルも早く、パソコン並みの価格変動を示しています。DSU内蔵、乾電池によるバックアップ、フラッシュロム採用、2Bを用いた128kMP通信等、怒濤のように進化しています。雑誌等では、新製品の新機能を大々的に取り上げていますが、惑わされる事はありません。
■目的別に分けて選ぶ
先程、例に挙げた様に大きな家屋では2台のTAが必要になります。アナログのみ使用する1台めのTAではデジタルポートの性能にこだわる事はありません。乾電池による停電時のバックアップがあり、グローバル着信に対応していれば、フラッシュロムでなくても、MPによる128k通信出来なくても良いわけです。従って、1Bしか対応していない旧機種でもまったく問題ありません。
予算に限りが有る場合、叩き売りされている旧機種等を探し歩いた方が、アナログポート内蔵DSUより安く上がることもあります。或いは中古という選択もあります。
■パソコン側の機器
ではパソコン側に繋ぐ2台目のTAはどうでしょうか?もし、快適なISDNライフを目指すのであれば、TAでなくルータやISDNボードを選ぶべきです。TAでの128k2B使用はシリアルポートの制限があり、高速シリアルカードが必要となる場合が多いです。それに、64kまたは128kの同期通信をRS232Cのシリアルに繋ぐためには、同期-非同期変換が必要になります。TA内でのこの変換は転送速度のオーバーヘッドとなって現れてきます。この点、ISDNボードやPCカードでは同期のままでデータのやりとりが出来るため、ボトルネックが少なくなります。
さらに、最近はパソコン1台でなく、2台以上持っている方もおられると思います。この様な方にはダイヤルアップルータがおすすめです。まだ、家庭内LANを組んでいない場合でもルータ導入を機会にLANを組んでしまうのも良いでしょう。ルータは以前は価格も高く、設定が難しい事からプロや法人ユースが主体でした。それにNATによるIPアドレスの変換機能を持たない場合、ISPとの契約がLAN型接続または専用線契約となり高価でした。しかし、97年から低価格ダイヤルアップルータが各社から発売になりました。これらのルータはNATによるIPアドレス変換機能を持ち、WWWブラウザのGUIによる説定が可能なものです。また、家庭内でのISDN回線向けにアナログポートを設け、DSU内蔵型のものも発売されています。ネットワーク機器であるルータのメリットは数多くあります。
■1台ですべてと考えない
1台でデジタル通信、アナログによる電話、FAX、モデムをまかなおうとすると、どうしても配線に無理が出ます。また、ISDN機器の機能にも限りがあります。そこで、ISDN導入時からISDN機器を2台以上使う事を考えましょう。
ISDNはモデムによるアナログ通信と比べてトラブルも少なく安定性が有ります。しかし、機械であれば故障が全くないとは言い切れません。こうしたトラブルの時に1台しか機器がないとどこがトラブルになっているのかの切り分けが出来ません。数台あれば機器を繋げ変える事によりトラブル箇所の特定がしやすくなります。SOHO等仕事にも使う方は電話はライフラインですからバックアップの意味でも複数台のISDN機器を使用した方が安心でしょう。

武蔵野通信
http://www.musasino.org/isdn/isdntips.htm







ISDNの光と影
■名称について
ISDNはIntegrated Services Digital Network(統合デジタル通信サービス網)の略称であるのは皆さんよくご存じですね。このISDNのNTTにおけるサービス名称がINSネット64(または1500)です。ではINSは何の略かと言うと,Infomation Network System(高度情報通信システム)の略称です。その昔(昭和59年),武蔵野三鷹地区でINSモデルシステム実験がはじまった頃にはINSを「I・いったい,N・何を,S・するのだろう」とも揶揄されてました。
大企業以外の通常の2B+DのISDN(INSネット64)は別名BRI(Basic Rate Interface・基本インタフェース)と言います。23B+DのISDNはPRI(Primary Rate Interface・一次群速度インタフェース)と言います。NTTではINSネット1500と呼ばれています。では,ISDNでない通常のアナログ電話は他にどんな呼び方が有るのでしょうか?NTTでは加入電話と呼び,その他にPSTN(Public Switched Telephone Network・公衆電話交換網)という呼び方もあります。
■何故,ISDNのオンライン申し込みページはあんなに多いのか?
サーチエンジン等でISDNをキーワードにして検索すると,ISDNについての説明とオンラインまたはメールでの申し込みの出来るページが数多くあります。ISDNについての説明は簡単なものから力の入った物まで様々です。TA等のISDN機器のメーカが自社製品のPRを兼ねてISDNの解説をしているのはもっともですが,それを上回る数の申し込みページが存在します。これらのページは,NTTフレンドリーショップと名乗っているところもあります。平たく言うと,NTTの代理店です。彼らは,ISDNやテレホーダイ等のNTTのサービス商品の申し込みを,ユーザからNTTに取り次ぐ事によりNTTからマージンをもらっています。そこで,ISDN申し込みページを開設してユーザからの申し込みを待っている訳です。最近では,客寄せのためにマージンの一部を申し込みしたユーザに還元して景品やキャッシュバック等を行っているページもあるようです。まだ申し込みが済んでいなくて,日数に余裕のある方はこれらの景品付きのところで申し込むのも一つの手かもしれません。(注:筆者はこれらのページの保証はいたしません。)
■ISDNの知られざる利点
パソコン雑誌や上記のオンライン申し込みページやNTT ISDNホームページ等で取り上げられているISDNのメリットは,回線速度が速い,一度に2回線使えるというのが多い様です。
確かにそうですが,それ以外にもメリットはあります。 1.ISP(プロバイダ)にインターネット接続する時に繋がるまでが速い。
プッシュホンでないダイヤルパルス式でモデム接続するとすごく時間がかかります。プッシュホン契約すると少し時間が縮まりますが,TAやISDNボードでの接続はそれをさらに上回ります。ルータに至っては意識してダイヤル接続する事なしにブラウザやメーラ等を動かすとトリガパケットが発生して数秒後には繋がります。この感覚は専用線に近いものがあります。その反面,意識しないでも繋がるために注意しないと通信料がかさみます。
2.データ通信時に安定している。
モデムによるアナログ接続は33.6kや56kまで拡張されましたが,これらは最大スペックというだけで,常にその速度での接続が可能なわけではありません。現実にはモデムで接続した後も常に通信速度は変化しています。また,NTT自身はアナログによるデータ通信速度を9600bpsまでしか保証していません。従って,回線状態が悪くて通信速度が上がらなくても,NTTによる改善は望めない事が多いでしょう。さらにアナログでは天候によっても回線状態が変化します。ISDNではこの様な事は無く,Bチャネルあたり64kbpsの速度をNTTが保証しています。
3.数多くの通信機器を使用出来る。
アナログでもブランチ接続で複数の機器を使用する事は出来ますが,接続する機器が増える程不安定になります。ISDNではS/T点からのバス配線により8台までのISDN機器が接続出来て,TA等のアナログポートにアナログ機器を接続出来ますから,トータルでかなりの数の通信機器を安定して接続出来ます。
■ISDNの欠点
電話回線は通話やFAX,パソコン通信,インターネット接続だけに使われている訳では有りません。その他にもガス会社の検針や警備会社への通報等にも使用されています。これらのサービスはアナログ網を前提としているため,ISDNでは問題になることがあります。例えば東京ガスのマイツーホーはQ&Aにあるように端末装置(T-NCU)がデジタル対応ではありません。参考リンクのISDN & ガス集中検針もご覧下さい。LPガスのオンライン監視にはウェルネットのWELCOME24やYAZAKIのNCU一体型・収納型S型保安ガスメータ等があり,実際の様子をここで見る事ができます。これらのサービスはノーリンギング(無鳴動着信)を利用している事が多いのですが,ノーリンギングはISDNのTAではサポートされていません。Dチャネルを用いたISDN向けの機器が開発されるまでは,フルにサービスを受けられない事になります。ガス会社からの検針はサポートされても,外出先からの自動遮断等はISDNではサポートされていません。
また,家庭やオフィス等で警備会社と契約すると,窓やドア等にセンサーを付けて,侵入者や非常時等に電話回線経由で警備会社に通知するサービスがあります。これらのサービスはアナログ回線では通話中の回線を強制切断して警備会社に通報する装置を設置します。ところが,ISDNではサポートしてるといってもその内容はごくごく一部の種類のTAのアナログポートにその装置を接続出来るというだけで,S/Tバス配線上に繋がれた他のISDN機器がBチャネルを2つ用いている場合,警備会社への通報は行われません。
■ISDNは停電に弱い?
アナログ回線に電話機能のみの単純な有線電話(黒電話等)を使用している場合,電力線が停電になっても,電話は48Vの局給電で動作出来ます。しかし,ISDNでは停電になると電話が使用出来なくなると言われています。そのために最近のTA等は乾電池により停電時のバックアップをしています。これを「ISDNは停電に弱い」などと言っている無知な人を見かけます。これは嘘です。現在,アナログ向けに売り出されている家庭用電話機器は停電時の動作を考慮しているものはほとんど見かけません。コードレスの親子で,親機の受話器まで無線にしたものなどを多く見かけます。これでは,停電時に親機からの電波送受信が出来なくなり,通話は不可能です。ISDNの場合はTA,ダイヤルアップルータ共に最近の製品は停電時に電池による動作が可能です。電池使用がいやであれば,外付けの単体DSUにNTTのS-1000かS-2000を繋げば,局給電のみで動作可能です。 
■ISDNの不利
ISDNに切り替えても,基本料金は高くなるものの,通話料(通信料)はアナログと同じであるというのが97年までは常識でした。テレホーダイではサービス料金が高くなるとはいっても,2B同時接続も出来る訳ですから,アナログよりは高くても納得出来ました。テレホーダイ以外の定額制でない割引サービスにアナログのみのものもありましたが,会話主体に考えられており,データ通信主体として考えるとそれ程魅力のあるサービスではありませんでした。NTT以外の長距離NCCや国際電話の料金もアナログとほぼ同等でした。
しかし,その前提が崩れるときが来ました。言うまでもなく,地域系NCCの東京電話(TTNet)の参入です。市内通話さえも割引する料金体系に,NTTをはじめとする既存のキャリアはなりふり構わない値下げ競争を始めました。ところが,東京電話はアナログ回線のみのサポート(TTNetの自社網を除く)で当初参入し,ISDNでのサービス開始は98年夏となりました。迎え撃つNTT側もエリアプラスやタイムプラス等の割引サービスをアナログ回線のみに限って開始しました。ISDNは東京電話とNTTの値下げ合戦の恩恵を受けるのがお預けになってしまいました。これは0422,0424地域のような03地域の隣接MAエリアや,テレホーダイ以外の時間にインターネットアクセスするユーザにはかなりの不利です。これらの不利も,東京電話がISDNでのサービスを開始すれば解消していくと思われます。(98年3月記)
98/6追記
やっとこさISDNでのエリアプラスが始まります。詳しくはこちらへ。また,東京電話のISDNサービス開始は遅れています。

武蔵野通信
http://www.musasino.org/isdn/isdntips.htm
http://www.musasino.org/isdn/yomoyama.htm





SOHO向けのISDNプラン(アナログ編)
大きな会社やオフィスであればISDNでもINSネット1500という事になりますが、ここでは個人事業主や零細事業所でのISDNプランを考えてみましょう。SOHOと一口に言っても規模も違えば、業種も色々です。ここで取りあげるのは個人自営業で従業員が10人未満、業種はコンピュータ関連や電話勧誘ビジネス等以外の場合を想定しています。
さて、SOHOと言うからには電話とFAXが必要です。また、ここを読んでいるくらいの方ならば、インターネットへの接続も出来ないと困るでしょう。
まず、INS回線の契約はダイヤルインを1番号契約してグローバル着信許可とします。電話番号とFAX専用電話番号の2つは必要でしょう。TAはアナログポートが合計3ヶほしいところです。新規購入するのであれば1台に3ヶのアナログポートをもつものが有りますが、既にTAをお持ちであればS/Tバス配線して2台目のTAでアナログポートを確保しましょう。
3ヶのアナログポートのうち、2ヶは電話用で契約回線番号、1ヶはFAX用にしてFAX専用番号を割り当てて使います。ダイヤルイン及びグローバル着信の設定はTAのマニュアルを参照して下さい。DSUは予算を切りつめたい場合はTA内蔵型でも結構ですが、TA故障時に回線ごと使えなくなるリスクがあります。単体のDSUの方がより壊れにくいでしょう。事務所を無人にする事が多い方はALEXONのTAがおすすめです。転送機能に関してはNTTのボイスワープ契約無しで、他の電話や携帯、PHSに転送が出来ます。もちろん、ボイスワープ契約をしても構いません。
最近のTAはPHSを子機として収容したり、無線により2台のTAを結んだり、バス配線で異なるTAに内線転送出来るものも出てきています。デジタル通信側の機能UPが一段落したのでアナログ側の機能UP等にメーカーも力を入れるようになってきたと考えられます。これ自体は歓迎すべき傾向ですが、SOHO用としてみた場合は不満な点も多くあり、あまりおすすめは出来ません。
ではどういった点が良くないのでしょうか?これらのTAに収容する電話機は基本的に1回線のみの使用しか考えていないので、ISDNの2Bを用いた2回線分を使用して保留、転送、切り替えをするには制限があったり、複雑な操作を必要とします。さらに家庭用電話機の主流となっているコードレスホンは内線同士の通信などの機能は充実していますが、アナログ1回線のみを前提に作られているので、やはりおすすめは出来ません。
この様にTAのみの機能で拡張するのではなく、最初から複数回線の使用が出来る2回線用のホームテレホンやビジネスホンを用いるべきでしょう。TAのみの機能拡張に比べて、主装置が必要になり、子機の値段も上昇しますが、使い勝手は飛躍的に良くなります。自分一人だけが使うのであれば複雑な操作でも平気でしょうが、従業員や家族が全て使いこなせるとは限りません。可能な限り操作がシンプルな方が間違いなども減るはずです。それに、ホームテレホンやビジネスホンは高価ですが、それほどすぐに壊れるものではありません。パソコンが2~3年で陳腐化して買い換えを余儀無くされることに比べれば決して高いものではありません。
現在、ホームテレホンとして2外線収容可能な物はNTTのレカム・ホームテレホンVX-II/DタイプとパナソニックのVJ-617MSがあります。これらの2外線収容可能なホームテレホンがおすすめです。この2外線というのはアナログ回線2外線を意味しており、ISDNでは1回線が2Bでアナログ2回線分有るため、ISDNを2回線収容出来るという事ではありません。働いている人数の規模が拡大する予定があったり、住居併設でもう1回線あるならばさらに多くの外線を収容出来るビジネスホンにするべきでしょう。ビジネスホンについては数多くのメーカーから発売されていますが、個人向けの小売りは一般的でないため、電話業者に相談されるのがよろしいでしょう。これらは、ドアホン(インターホン)も収容できるので便利です。SOHO向けビジネスホンとしては松下からパ ナホンDSII-iというISDN2回線収容のモノが出ています。(ニュースリリース) また、田村電機からデジタルSVやデジタルPVというISDN2~4回線収容出来るものが出ています。ISDNを2回線(4B)以上導入する予定があれば検討の価値があります。
さて、ホームテレホンやビジネスホンの主装置にTAのアナログポートから2本の電話用の配線をします。あとは主装置からそれぞれ子機に配線すれば良いわけです。下の図に配線を示します。TAは一台でアナログポート3ヶのものでも構いません。しかし、NTTからの配線の引き込みする場所とFAXの設置場所が離れている場合は電話用のTAとFAX用のTAとを分けてS/Tバス配線で繋ぐ方が良いでしょう。アナログポートからの配線を長く伸ばしてFAXに繋ぐのはノイズが入りやすくなるため、おすすめしません。
また、留守番電話機は、ホームテレホンやビジネスホンのオプションでは値段が高い割には機能が少ない事が多いので通常のものを2台目のアナログポートに繋いでいます。この辺りはお使いになる方の考え方にもよるでしょう。留守番機能だけで通常の電話機としては用いません。もちろん、現在お使いになっている留守番電話機があればそれを利用しても構いません。

武蔵野通信
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歴史と構造を知る
ここでは、ISDNの歴史とその構造を説明しています。 ISDNの歴史から記載していますが、構造から先に知りたい方は、 こちらをクリックして下さい。
構造の項は、必然的に専門用語の嵐となりますが、 できるだけリンクにてご説明いたしますので、お気軽にお読み下さい。
■ ISDNの歴史を知る
ISDNの検討は、1960年頃にITU-T(旧CCITT)がデジタル通信の国際標準化作業を開始したことより始まりますが、 ISDNの概念は、1984年にISDNの基本事項に関する勧告(レッドブック)にて一応の形ができ、1988年には、国際標準化の勧告がなされました。(ブルーブック)
ISDNプロトコルは、第三(ネットワーク)層までIシリーズ勧告として制定されました。
日本ではNTTがこの勧告を元に、同(1988)年の4月より「INSネット64」と云う商品名でISDNのサービスを東京・名古屋・大阪を皮切りに 開始しました。
翌年1989年には「INSネット1500」と云うISDNサービスも開始し、当初は回線交換と云う通信モードだけでしたが、 翌々年1990年にはパケット交換サービスも追加されました。
国内のインターネットがブームになる1995年前後までは、ISDNの用途は主に業務用に限られていましたが、 インターネットのブームとともに個人ニーズにも爆発的な伸びを記録しています。
■ ISDNの構造を知る
・64(ロクヨン)・64(ロクヨン)128(イチニッパ)のお話
まず、ISDNのCMなどでよく聞く64・64・128って何なのだ?と云うところから、お話をしようかと思います。
この謎の数字の羅列は、実はISDN(INSネット64)の回線速度と構造を表しています。
INSネット64は、先にもお話ししたように1つの回線で2通話が同時にできます。 これを2B+Dと呼んでいます。
ここで云うBとかDとかは、チャネルを表しています。 2B+Dを正確に云うと2つのBチャネルと1つのDチャネルと云うことになります。 Bが情報チャネル、Dが信号チャネルです。
このBチャネル1本の回線速度が64kbpsですので、2Bは64kbpsと64kbps、 2つ足して128kbpsで、64・64・128となります。 (正確な由来は、NTTではないので分かりませんが、おそらくこういう事でしょう。)
・TAって何?DSUって何?
ISDNの話題になると必ずといって良いほど出てくるTA(ティ・エー)とは何でしょうか?
TAは、正式にはターミナルアダプタと云います。 ISDNは、デジタルで全てを処理していますので、従来の電話回線で使用していた電話機やモデム・FAXなどは、そのままでは使用できません。 
これを可能にするもの、つまりISDN対応でない通信機器をISDN対応に変換する機器がTAです。
話の本筋からは若干それますが、ここでTA購入のチェックポイントを幾つか説明しておきます。
・信頼性の高い製品を選ぶ
TAはISDN通信機器の要の部分であり、これに問題が生じると電話やFAXが使えなくなります。つまりライフラインです。 従って信頼性のある製品を選びましょう。
リモートメンテナンス機能や停電対策の 有無、サポートの良さなどがチェックポイントとなります。
・ISDNのサービスを全て発揮できる製品を選ぶ
せっかくISDNにしたのに、電話回線と同様のサービスしか利用できないのでは、面白くありません。
従来の電話回線では実現できない三者通話などに対応している製品を選びましょう。 今すぐにその機能を利用しなくとも、そのメーカーがどのくらいISDNを熟知しているかの目安になります。
・操作のしやすい製品を選ぶ
パソコンはまだしも、電話機は家族全員が使うものです。設定はまだしも、操作は簡単にできる製品を選びましょう。
本当に簡単に説明しましたが、TAってなんだかご理解していただけたでしょうか?
では、DSUって何なのか超簡単に説明いたします。
これは、ISDN1回線に1つ必ず必要なものです。・・・簡単すぎますね。
これでは全然説明になっていないので、もう少し簡単に説明します。
DSUとはDigital Service Unitの略で、デジタル通信に必要な信号変換や過電圧保護などの機能を持っています。 通信網からはU点と呼ばれるインターフェース(接続口。I/Fとも記載します。)に、4芯のメタリックケーブルで接続します。 つまり従来の電話線と同じものです。
単体のDSUの場合には、ここよりS/T点と呼ばれるインターフェースより、 8芯のメタリックケーブルでTAやデジタル通信機器(G4FAXやデジタル電話)と接続します。
このあたりを詳細に書くと、かなりややこしくなりそうなので、やはりISDNに必要なものと思って下さい。 最近は、省スペースや接続の簡易さなどよりDSU内蔵のTAが殆どです。 
2台目以降のTAにはDSUの必要はありませんが、貴方が1台目のTAの購入を検討しているのならば、DSU内蔵のTAを購入しましょう。これは、業界の常識です。
■ Tips
・ITU-T(旧CCITT)
ITU-Tは、 ITU(International Telecommunication Union 国際通信連盟)の下部機構です。
ITU-Tは、ITUの電気通信標準化部門であり、 元々はCCITT(Consutation Communication International Telegraph and Telephone 国際電信電話諮問委員会。略語はフランス語による。) と云う組織で、1993年3月にITUに組み込まれました。
ちなみにCCITTは、そのままシー・シー・アイ・ティ・ティと読みます。 ITU-Tは、アイ・ティ・ユーのティーと私は読んでいますが、ホントは何と読むのかは知りません。 どなたか知っている方がいれば教えて下さい。
・ITU(International Telecommunication Union 国際通信連盟)
1865年にフランスのパリにて設立された万国電信連合と、 1906年ドイツはベルリンにて設立された国際無線電信連合が、 1932年にスペインのマドリッドにて合体し設立した組織です。
本部はスイス、ジュネーブにあり1996年2月現在、加盟国は185カ国です。現在ITUは、UN(国際連合)の専門機関となっています。
・UN(国際連合)
ご存じ世界の平和のために設立された組織です。 残念ながら科学特捜隊やウルトラ警備隊は、 ここの所属ではありません。
国際連合、通称国連の正式名はThe United Nationsと云います。
・科学特捜隊やウルトラ警備隊
ここまでクリックしてきた貴方は、 クリック猿病にかかっている可能性があります。
・クリック猿病
リンクが張っているとクリックせずには、 いられない!ブラウザを観ながらひたすらクリックをし続ける人のことです。
例えば、ここに危険押すな!などと云うメッセージがあっても、 何も考えずについ押してしまいます。
・開始
世界初のISDN商用サービスとのことです。 ちなみに国内のISDN試験サービスは東京・三鷹にて1982年から約3年間にわたって行われました。
・回線交換
通信中は、その接続ルートを占有する通信方式です。
従来の電話回線がその代表的なものです。また、現在のインターネット接続も同様です。 ちなみに回線交換の課金は接続している距離と時間を元に算出する形を取っています。
・パケット交換
データをその名の通りパケット(小包)化してやり取りする通信方式です。
各パケット内に送信先や送信元の情報が入っていますので、 通信網に複数のパケットを混在させることが可能であり、 通信中にその接続ルートを占有することもありません。
また、課金も距離や接続時間は殆ど関係なくやり取りした情報量 (パケット数)による形を取っていますので、 常時つなぎっぱなしの専用線のような利用を低価格で実現できます。
接続の時間の割には、データのやり取りの少ない将棋や碁などの通信ゲームにも最適です。
ちなみに、NTTの提供するパケット交換サービスには以下の3種類あります。
・INS-P(INSネットパケット通信モード)
INSネットでのパケット交換サービスです。 基本料金が安価で、一回線で複数の端末を同時に利用したり、通話しながらもできるなどのマルチメディア通信が可能です。
・DDX-P(第1種パケット交換サービス)
端末とパケット網の交換機との間をデジタル回線で結ぶパケット専用線です。 基本能力が高いため、高トラヒックの発生しやすいパケットのホスト側に主に利用されます。 80年度版以降はINS-Pと相互接続が可能です。
・DDX-TP(第2種パケット交換サービス)
従来の電話回線を利用できるパケットサービスです。 ホームバンキングなどで利用されますが、残念ながらINS-Pとの相互接続はできません。
・主に業務用
当初(現在でもそうですが)は専用線のバックアップなどの用途で回線交換が利用され、データ量が少ない場合にはパケット交換での利用が主でした。
また、パケット交換は業務用だけでなく一回線で複数の同時通信ができ、また遠距離でも比較的料金が安価というメリットがあるため、 個人BBSでも利用されました。
当初、回線交換は高速通信のできるというメリットがありましたが、インターネットのように画像や音声を頻繁にやり取りする 事がありませんでしたので、データ量の少ない場合には、専用線に比べコスト的に安価なパケット交換がよく利用されました。
・爆発的な伸びを記録
INSネット64の契約数は、1994年度には約34万回線だったのが、 1996年末には100万回線を越えています。
実は当初通信網の交換機がISDN対応でなかったため、ISDNの契約を受ける度に高価なISDN対応交換機を設置しなくてはならず、 売る度に赤字になると云う状態が続いていたらしいです。
このため当初はISDNの宣伝を積極的に行っていませんでしたが、最近インフラも整備されたので積極的にISDNの宣伝を行っています。
ISDNの最近の爆発的な伸びは、インターネットのブームにも一因がありますが、NTTの営業努力も大きいと思われます。
・INSネット64
64・64・128は、INSネット64での話です。
INSネット1500を同様に表すと、
64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・64・1472(いーすーちーに)
となります。
なぜ、そうなるのかは本文中で明らかにしてゆきますので、どうぞ続けてお読み下さい。
・2B+D
INSネット1500は、1つの回線で同時に23通話できますので23B+Dと呼びます。 また、もう一回線INSネット64か同1500があれば、Dの部分を共用することで同時24通話可能です。 この場合には24Bと呼びます。
・BとかDとか
なぜBなのか?なぜDなのか?詳しい話は知りませんが、 ISDNの検討段階にはAやCもあったらしいです。 検討段階で消えてゆく規格(企画?)・・・よくある話です。
・チャネル
TVのチャンネルと同等に考えて下さい。BchとかDchとか書く場合もあるところも一緒です。 ただしTVは、各チャンネルを周波数帯で分けているのに対して、 ISDNでは各チャンネルを時分割によって分けています。
・情報チャネル
実際のDATAが流れるチャネルです。相手先の電話番号や料金情報などは流れません。
・信号チャネル
相手先の電話番号やこちらの電話番号、 料金情報など実際のDATA以外(接続する前後)の様々な付加情報の流れるチャネルです。
・64kbps
なぜ、64kbpsに決まったかというと、 現在の電話(通話)の情報量をデジタルに換算すると64kbps必要だからです。
参考までにkbpsの意味を説明すると、
・k
1,000の単位を表しています。すなわち64K=64,000です。
・bps
bit(ビット) /(パー)sec(セック。second。秒)の略です。 1秒間に何bit送れるかと云うことです。
bitとは、デジタルであらわす情報量の最小単位です。
64kbpsとは、64,000の情報(0or1)を1秒間に送れると云うことを指しています。
これだとまだちょっと分かりにくいので、例として漢字をどの位送れるか計算してみます。
漢字は1文字あたり16bit (8bit=1byteですので2byteとも云います。漢字は2byteというのが一般的です。)ですので、64,000bps÷16bit=4,000文字/秒 で、1秒間に漢字4,000文字、400字詰め原稿用紙10枚分の情報を送れます。 (実際には、間に制御信号等が入りますのでちょっと足らないかと思いますが・・・)
ちなみにDチャネルは16kbpsです。
・2つ足して128kbps
Dチャネルはどこに行ったのだ?
・リモートメンテナンス機能
通信を介して直接TAの設定内容・通信記録を確認できる機能です。
サポートの最終兵器とも云えます。
・停電対策
正直云って、現在の国内電力のサポート能力はかなり高く、 突発の長期停電は殆ど起こりませんので必要がないかと思われます。 これは保険みたいなものです。
・有無
リモートメンテナンス機能は初代ALEXより、停電対策はALEX-128/HGよりサポートしております。
・三者通話
別々の場所よりかかってきた(もしくはかけた)2人の電話と同時に話すことができます。
ちなみにHGでは、2つあるTELポートで三者通話を個々に利用できますので、 あっと驚く電話井戸端会議が可能になります。 ただしキャッチホンでもそうですが、サービス料は徴収されます。
・ご理解していただけたでしょうか?
ご理解できなかった方は、 info@alexon.co.jp まで「わから~ん!」とメールを寄越して下さい。
より分かり易く説明するように鋭意検討させていただきます。
・従来の電話線
モジュラーケーブルとも呼ばれています。 また、形が一緒ですので従来の電話回線からISDNに変更しても、 壁のモジュラージャックを取り外したりの工事を全くすることなく 簡単にISDNに変更できます。
                      
わいわいISDN
http://www.alexon.co.jp/know/isdn/index.html
http://www.alexon.co.jp/know/isdn/i_can.html
http://www.alexon.co.jp/know/isdn/index.html
http://www.alexon.co.jp/know/isdn/i_history.html












2000年1月20日木曜日

[機器][通信] PHS(NTT-Pocket,DDI-Pocket,アステル)


左からシャープ321S(NTT-P)、東芝DL-S26P(DDI-P)、東芝A271(ASTEL)



◆PHS各社の比較
・全般
一般的に言われていることですが、
エリアの緻密さでNTT-P、
広さでDDI-P、
アステルは駅では強いが住宅地に入ると今一歩
という感じです。
自宅では部屋の中でもDDI-Pは完全に圏内。
NTT-Pとアステルは窓際では圏内ですが部屋の中央では圏外です。
NTT-Pの場合はホームアンテナを窓際におくことで家の中でも使えますが、アステルは自宅での利用は困難。
アステルにはNTT-Pのホームアンテナと同じ仕組みのパワーアンテナというものがあり2年間無料貸し出しをしていますが、
残念ながらA271はパワーアンテナに対応していないので使えません。シクシク....。
・通話料金
NTT-Pとアステルは最低20円かかりますが、DDI-Pのみどこへかけても10秒だけなら10円というのがあって便利。
その他は各社似たようなもんかなぁ。
・着信転送サービス
PHS宛てにかかってきた電話を自動的にほかの番号へ転送する着信転送サービスについて比較してみます。
まず電話の転送は各社とも無料です。
やり方はNTT-Pとアステルは特番"142"にダイヤルして設定できます。
もちろん無料です。
NTT-Pとアステルはシステムが同じで、転送先を2つ設定できて
(留守電サービスを申し込んでいる場合、転送先2は留守電センターになっていて変えられない)、
加入者が選択できます。
加入者電話からも設定できますがNTT-Pの場合センターまでの電話料金がかかります。
ぼくの場合NTT-P関西契約なので大阪までの電話料金がかかってしまいます。
アステルはかかりません。
DDI-Pは以前は加入者が設定できずいちいち申込書を記入して提出しなければいけなかったのですが、最近は特番
"143"
でユーザが設定できるようになりました。
★メッセージ転送サービス
メッセージ(文字)転送のサービスは
DDI-PはPメール、
アステルはAメール
と呼ばれいずれも20字以内(アステルはよくわからない)の文字転送が可能です。
これはPHS同志の間で文字を送るシステムで両方の端末が圏内にいないとできません。
通話料金以外は無料です。
NTT-Pはこの手のサービスはありません。
またこれとは別にセンター蓄積タイプの文字転送サービスがありこれは端末が圏外でもセンターに蓄積されるので大丈夫です。
NTT-Pはきゃらメール、
アステルはもじトーク
と呼ばれていて各々月額100円とられます。
DDI-Pにはこの手のサービスはありません。
NTT-Pはインターネットからある特定のアドレスにメールを出すことで利用できます。
コリャ便利。
ただし漢字の表示できる端末以外は漢字混じりは拒否される。

PHSのページ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/1458/phs/index.html




シャープ製321S



端末-シャープ製321S
2000-1-26改訂
去年の12月にふとしたことからPHSを入手しました。
NTTパーソナルのシャープ製PHS端末(312S)で、ホームアンテナ(HA-2A)[注1]がおまけでついて無料でした。
買った店はモバイルテレホン倶楽部という店です。
ただし3ヶ月は解約できません。
これをマニアは"縛り"と称するようです。
PHSを解約して電話番号を消去したもの(これを白ロムと呼ぶ)を集めるのを趣味にする人達がいます。
ホームアンテナとペアで無料で入手。
3ヶ月の"縛り"。
ただし初期加入料金(3,000円)は無料。
月々の支払いはプラン198で基本料金が1,980円。
あと、「留守番電話」と「きゃらメール」は3ヶ月強制加入(それぞれ月々100円)。
契約はNTTパーソナル関西なので「留守番電話」は利用するたびに大阪までの通話料をとられるのでメリットなし[注2]。

PHSのページ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/1458/phs/index.html






シャープ製HA-2A

ホームアンテナ-シャープ製HA-2A
二階の出窓に置いています(アンテナ3本立ちます)。
意外に小さいので驚きました。電池を内蔵(単4×3)できるので、停電時も安心。
ただし待ち受け38時間/通話8時間。外は1月の大雪で真っ白です。
今度はやっぱりインターネット上で見つけたDDI-Pの販売店で
東芝の端末DL-S26P+京セラの親機MO-510
を無料で売っているところを発見し早速申込み。
ただし加入料\2,700は自己負担。
買った店はおででカンパニー。
ここも3ヶ月の縛りあり。
3ヶ月間NTT-Pと両方使ってどっちかを解約するつもり。
それとこれは申込から端末と親機が宅急便で送られてくるまでがすごく早かった。
申込書郵送して2日後に親機が、3日後には端末が宅急便で送られてきた。

PHSのページ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/1458/phs/index.html




東芝製DL-S26P

端末-東芝製DL-S26P
デザインは上のシャープ製312Sよりいいと思います。
ただ312Sに比べると少し大きい(長い)のが気になるところ。
ただしシャープ端末にはない、電測[注3]という大きな機能があります。
(これが欲しくてこの端末を選んだようなものです)
DDI-Pは家の中でも圏内なのです。
ただし夜はBusyが多くて使い物になりません(笑)

PHSのページ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/1458/phs/index.html





親機-京セラのMO510

A271

親機-京セラのMO510
この電話機、音声の品質が最低です。
機能的には普通のただの留守番電話。
ブチブチノイズの音が入ります。
これじゃ使えん!! まあタダだからあまり文句も言えんが...。
PHS端末をこの親機-公衆回線経由で使ったときと、直でPHS回線経由で使ったときの音質の差は歴然。
調子に乗って3台目を手に入れてしまいました。
今度はASTEL。
6ヶ月縛りですが、キャッシュバック[注4]有りなので通話しなければ6ヶ月無料です。
契約はASTEL関西です。買った店はフレックスアシストサービスです
端末はA271。
やはり東芝製で電測機能つき。
ただし少し古い機種なので文字伝送やデータ通信の機能がありません。
残念ながらASTELは家の中では圏外です。窓際でかろうじてアンテナマークが1本か2本立ちますが。
でもASTELが家のなかで使えれば一番いいだけどなぁ....
というわけで、3キャリアの端末勢揃い
(シャープ321S(NTT-P)、東芝DL-S26P(DDI-P)、東芝A271(ASTEL))

PHSのページ
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-PaloAlto/1458/phs/index.html




















電測モード

これはA271(アステル)の電測モード時の表示です。
10 キャリア ASTEL東京
E089 収容交換局
04C8 個別CS-ID



電測モードへの入りかた

(壊れたり内容が消去されても責任持ちません!!)

DL-S26Pの場合:
  1. 電源を切る
  2. 4、7、#を押しながら電源を入れる
  3. 全表示が消えたら即座に「通話」を押す
  4. 「コウチュウコウモクセンタク」と表示される
  5. 2を押す
  6. 「レベルヒョウジ 1:ON 0:OFF」と表示される
  7. 1を押す
  8. リダイヤルを押す
  9. 電源を切る
  10. 再び電源を入れる

A271の場合:
  1. 電源を切る
  2. 1、4、#を押しながら電源を入れる
  3. 全表示が消えたら即座に「通話」を押す
  4. 「コウチュウコウモクセンタク」と表示される
  5. 2を押す
  6. 「レベルヒョウジ 1:ON 0:OFF」と表示される
  7. 1を押す
  8. リダイヤルを押す
  9. 電源を切る
  10. 再び電源を入れる


端末メーカーキャリア加入解約
312SシャープNTT-P関西97-12-1898-3-??
DL-S26P東芝DDI-P東京98-1-2198-10-7
A271東芝ASTEL関西98-1-2798-7-27
AT-15東芝ASTEL関西98-7-2798-12-13
DP-174東芝東京デジタルホン98-8-499-7-1
DL-S26P東芝DDI-P東京98-11-2799-3-24
331T-II東芝NTT-D東北99-1-25--
DL-S200東芝DDI-P東京00-1-25--





























2000年1月17日月曜日

[検索] ODIN~独自システムの国産サーチエンジン

[検索] ODIN~独自システムの国産サーチエンジン
ODIN
■ODINについて
ODINは,原田昌紀が東京大学在学時代にサービスを開始したサーチエンジンです. 
現在ODINは未来ねっと研究所の研究プロジェクトに運用を移行し,実験のために使用されています.
ODINの使用している全文検索エンジンは,以下のように変遷しています.
PROTO-TYPE (1995/10/20~)
C++で実装され,CGIとして呼び出していました.
TEST-TYPE (1996/03/04~)
C++で実装され,Apacheのモジュールから検索サーバにアクセスしていました. 独自の「絞り込み語提示機能」を持っていました.
PRODUCTION-TYPE (1997/12/24~)
C++で実装され,CGIとして呼び出されていました. PRODUCTION-TYPEに用いられている全文検索エンジンは,Freyaという名称でフリーウェアとして配付されています.
Jerky (1999/09/10~)
Javaで実装され,servletとして呼び出されています.
Jerky
現在のODINは,全文検索エンジンとしてJerky (開発コード名)を使用しています. 
Jerkyは今まで使用してきた全文検索エンジンとは大幅に設計を変更し,Java言語でまったく新規に実装しなおしました. Jerkyは,以下のような特徴を持ちます.
Unicode対応全文検索エンジン…日本語に限らず,さまざまな言語の情報を扱うことができます.
プラットフォーム独立性…Java 2 (J2SE) の動作する環境であればOSを問いません. また,ノートパソコンからサーバ専用機まで広く使用できます.
コンパクト性…システム全体が非常にコンパクトに実装されています.
Jerkyは,今後この研究プロジェクトがおこなう種々の研究に使用する予定の,重要な基本モジュールの一つです.
■ODINの特徴
ODINは,現在の多くのサーチエンジンとは,以下の点が異なっています.
1, Webページの選択収集
ODINでは,重要だと推測されるWebページを優先的に収集しています. 
そのために,索引サイズを小さく押さえていても,検索される内容を充実させることが可能です. 
ただし,日本,あるいは世界でほとんど存在しないような情報を探す用途には向きません.
2, 検索結果のグループ化
ODINでは,本来ひとつのドキュメントとして作成されたWebページ群を,できる限りまとめてに扱えるように配慮しています. 
さらに,同種のドキュメントが多量にある場合には,サイトごとに分類して閲覧することができます.
3, 適切な検索結果のスコアリング
個々のWebページの内容だけでなく,ハイパーテキストとしての性質を考慮することにより,従来より適切な検索結果のスコアリングが可能になりました. 
たとえば,"NTT"のような特定の組織の名称を入力した場合には,NTTのホームページが最上位に来るように,ロボット型サーチエンジンでありながら,ディレクトリサービス型サーチエンジンに近い性質も合わせ持っています,
4, キーワードの表現の違いへの対処
ODINでは,ある程度一般的におこなわれているキーワードの表現の違いに対処しているだけでなく,その表現がどの程度一般的に使用されているかという要素も考慮しています. ただし,このために,検索されたページに,検索に使用されたキーワードそのものが含まれないことがあります.
5, 検索できない単語
ODINでは,検索手法と運用手法の面の改良により,検索できない単語を極力減らしています. たとえば,多くのサーチエンジンでは,「プレステ2」を「プレステ」として検索しますので,どちらで検索しても検索結果数が変化しません. これは「2」という文字の出現頻度が多すぎるために無視しているのです. しかし,このような表現はよく使われますから,これらのサーチエンジンではうまく検索結果を絞り込めません.
技術的な詳しい解説は,現在発表されている,あるいは将来発表される私たちの論文やプレゼンテーション資料をご覧ください. また,今後も続々と新しい試みを行っていきます.
■システム構成
現在,ODINは以下のようなシステム構成で運用されています. ただし,高速化やバグ対策,セキュリティ維持などの目的のために,予告なしにシステム構成を変更することがあります. データ量も,徐々に増加させています.
なお,本研究プロジェクトでは,基本的に安価な汎用ハードウェアを使用しています. これは,将来的に実験に協力してくださる方々が汎用ハードウェアで運用できることを目指したテストを兼ねているからです.
ただし,ユーザ数の増加によっては,一時的に反応が悪化することも考えられ,これに対しても適時対処していく予定でいますが,研究予算の制約という大きな問題もあるので,充分な対処が遅れることも考えられます. 
その場合は,この事情をご理解の上,しばらくお待ちください.
ハードウェア
CPU Pentium III 850MHz (256k) x 2
メモリ 2048MB
ハードディスク 36GB x 4 (Ultra2 SCSI)
ソフトウェア
OS Solaris 2.8 Intel Edition
Java Runtime Java 2 SDK 1.3.1 beta HotSpot Server VM
Web Server Apache 1.3.14改
Servletコンテナ Tomcat 3.2.1改
全文検索エンジン Jerky 2000/10/25版
検索Servlet ODIN Servlet 1.0
データ
URL数 約1213万URL
索引ファイルサイズ 約31.3GB

Nippon Telegraph and Telephone Corporation
http://odin.ingrid.org/help/odin.html

2000年1月16日日曜日

[通信][ISP] ch@bネットワーク~ISAO.NET









[通信] ch@bネットワーク~ISAO.NET
MESSAGE
アミューズメント・コンテンツに対してのソリューション・サービス・プロバイダを目指して
2002年は、我が国の「オンラインゲーム元年」と言われています。
調査会社のデータによると2002年度の市場規模は770億円ですが、このマーケットが2006年までに2,710億円までに成長すると予想されています。
オンラインゲーム市場の盛り上がりに代表されるように、高速・常時接続環境の急速な普及とともに、ネットワークを余暇や娯楽に利用する傾向がますます盛んになると予想されます。
実際、今年に入り、家庭用ゲームコンソールによるネットワーク対応が実施されはじめ、去る5月には、ソニー・コンピュータエンタテインメントのPlayStation2が「PlayStationBBサービス」として、ネットワーク・サービスをスタートしました。本サービスには、弊社も提携ISPとして参画しています。
また、夏以降、任天堂「GameCube」、マイクロソフト「Xbox」についてもそれぞれの方法でネットワーク対応が予定されています。
今後益々の拡大が予想されるネットワークゲームの世界に、今、大手ソフトメーカーがネットワークに対応した有力タイトルの開発に力を入れはじめており、今後、魅力的なネットワークタイトルが多くリリースされることと期待しています。これら、アミューズメント・コンテンツの市場は、今後急速に成長、拡大すると考えています。
ISAOは、オンラインゲームをはじめとするアミューズメント・コンテンツを保有するコンテンツ・ホルダに対して、開発から運用まで、フルラインでサポートできる「ソリューション・サービス・プロバイダ」を目指します。
ネットワークビジネスにおいて、ネットワークシステムの開発・運用には、負荷分散や遅延回避などのシステム面の効率化や、コンテンツの継続的利用に関してのノウハウといった、多くの経験と開発費用が必要とされます。
弊社はオンラインゲームや着メロなど、BtoC向けのオンラインサービスの実績も多く保有し、アミューズメント・コンテンツ向けのシステム開発、運用実績などクライアントから高い評価と信用を頂いております。
また、認証、課金、決済といったアミューズメント・コンテンツ事業に不可欠なモジュールも保有しており、多様化するネットワークビジネスをワンストップでスピーティーかつ的確にネットワークビジネスを展開頂けることが大きな強みとなっております。
さらに、会員登録数100万人を超えるisao.netのユーザーはゲームやアミューズメント志向が高く、クライアントに対してのソリューション・サービスの提供とともに、isao.netに代表されるコンシューマービジネスの双方を保有することで、好循環が生まれる事業展開を進めてまいります。
今後のISAOにどうぞご期待ください。
代表取締役社長
河野哲也

ISAO CORPORATION
















◆PSOコースDC版(定額ゲームコース)
費用:2,100円(税別)通話料が別途必要
特典:PSO(DC版)利用料を一部含む
特徴:PSO(DC版)のネットワークゲーム利用料を含んで、
   通常合計額より安価
  ・定額継続(クレジットカード支払)のみ対応
  ・全国144ケ所のアクセスポイントが使用可
 [月額料金](isaoへの)毎月のお支払い額=2,100円(税別)
※別に購入するより、167円(税別)お得です。
◆ドリカラコース(定額ゲームコース)
費用:3,600円(税別)通話料が別途必要
特典:ドリカラ使用料を一部含む
特徴:ドリカラのネットワーク利用料を含んで、
   通常合計額より安価
   ・定額継続(クレジットカード支払)のみ対応
・全国144ケ所のアクセスポイントが使用可能
 [月額料金](isaoへの)毎月のお支払い額=3,600円(税別)
※別に購入するより、191円(税別)お得です。
◆open dice(定額ゲームコース)
費用:2,200円(税別)通話料が別途必要
特典:open dice使用料を一部含む
特徴:open diceネットワーク利用料を含んで、
   通常合計額より安価
  ・定額継続(クレジットカード支払)のみ対応
  ・全国144ケ所のアクセスポイントが使用可能
 [月額料金](isaoへの)毎月のお支払い額=2,200円(税別)
※別に購入するより、163円(税別)お得です。

ISAO CORPORATION
http://www.isao.net/course/teigaku/teigaku.html


















2000年1月13日木曜日

[ゲーム][PS1] moon

[ゲーム] moon
『moon』再論~いつか、ゲームに「ラブ」がやどる日まで~
中川大地
2000.1.31追補
■はじめに~ふたつの『moon』像を結びつけるために~
それほど系統だて、数を追ってみてきたわけではないし、さらには資料をおさえての実証ではなく、あやふやな記憶によるイイカゲンな印象であることを、どのみち話を組み立てるための便宜以上のつもりがないからという理由であらかじめ断っておきますが。
『moon』というタイトルが97年に発売されてから今日にいたるまで、その評価にはおおむね二種類の傾向があるような気がしていました。
ひとつは、たとえば『ゲーム批評』に掲載されたものがそうだったかと思いますが、独特のグラフィック・デザインや様々なジャンルのアーティストたちのセンス良い楽曲をゲーム中のBGMとして自由にかけかえられるMoonDisk(MD)のシステムなどの視聴覚演出の秀逸さや、キャラクター造形やイベント演出のほのぼのした味わいを讃える、「おしゃれでポップな小品」ということを主軸にした評価。この文脈で、『MOTHER』シリーズに比肩させているものも目にしたことがあります。
もうひとつは、「もう勇者しない」というプロモーション・コピーにあらわれているような既存ロープレへの挑発的パロディとしての側面や、メタフィクション的とされるシナリオの結末部分を重視し、複雑なおももちで「ロープレないしゲームそのものへのアンチテーゼ」とか「過激な実験作」としての性格を云々するタイプのもの。
それぞれ、かならずしも単線的に結びつけることのできる特徴ではないように思えたので、評判を聞く限りでは、『moon』が実際のところ、何をめざしたどんないでたちのゲームなのかのイメージをむすぶのが、少々難儀なところがありました。
両方の評判を折衷し、小粋なスタイルとして自己言及や自虐をまとったアヴァン・ポップ芸術調の鼻持ちならない作品であるのか、はたまた描写と主張とが矛盾した、頭でっかちの未成熟なタイトルだったと捉えるべきなのか。
今更に『moon』というタイトルを語りなおすにあたって、さしあたり、ふたつの方向へと分裂してしまったかにみえるこの作品の見方をひとつの視座によって有機的に結びつけるという課題を、この稿のターゲットに据えてみようかと思います。
なぜならば、演出とか美術とかシナリオとかゲーム性とかいった言葉で切りわけられるゲームの諸側面は、互いにわかちがたく結びついてひとりひとりのプレイヤーのトータルな体験を形成するものであるということを、自身のゲーム体験を通した直観によって僕は信じていて、そうした個々のゲーム体験のもつトータリティをどうにかして把捉しようとする努力を放棄しては、ゲームをゲーム以外の何物でもないものとして語ることのできる自律的な批評など、いつまでたっても生まれえないと思うからです。
そんな課題を達成するため、『moon』を実際にプレイしたときの体験の整序に即し、ひとつひとつのプレイ過程がもつ意味を以下、ベタに順を追って検討してこうかと思います。
これはあのハイタッチな『moon』をあつかう手つきとしては、あまりに無粋な力技です。残念ながら、それぞれのパーツ毎の印象批評相互の関係のとっちらかりをねじ伏せて、てっとり早く作品構造の見取り図をつかむためのよりベターな方法を、僕はほかに思いつくことができませんでした。
そうでもしなければこの作品を新しく見直すことをできなくせしめたこれまでの語りたちの不明を、不遜ながらちょっとだけ呪ってみてもいいかという気も、一方ではしてたりするのですが。
■「Fake MOON」がみせるもの~『moon』の立ち位置と批評意識の矛先~
ゲームスタート直後、淡いクレパス画調の絵で描かれる少年とテレビ、それに「ゲームステーション」。ほかに余計な情報のない無色暗闇バックや、いま僕らがコントローラーを握っているプレイステーションをそのままひきうつした「ゲーステ」の造形は、この少年の肉体のすまう「現実」をプレイヤーである僕らの生きる現実と重ねあわせて見立てることが、これから展開される『moon』をプレイするうえでの約束事であると教えてくれます。
視点が先に描かれた少年のそれと一致し、我々が見るモニタの画面に少年の「現実」のテレビのフレームがクローズアップされ、「ゲーステ」のゲーム画面が映し出される次のショット。このゲームが「Fake MOON」。
平仮名で主人公の「勇者」に名前をつけ、王宮の謁見の間で国王に冒険へと送り出されます。白く縁取られた青バックのウィンドウに流れるメッセージ文はすべて平仮名。城下町では人々の胡散臭いほどの勇者への期待が聞かれ、酒場ではタンスを調べて何やらのアイテムを持ち出すことがこれみよがしに奨励され、突如エンカウントして「くるった犬」との主観視点での戦闘に移る。以後、ラストダンジョンでの「ドラゴン」との戦闘にいたるまで、四つの章に過程を端折りながら、「勇者の冒険」のプレイをなぞります。
そう、誰もが指摘するように、これは一定のゲーム経験をもつプレイヤーたちの抱く、いわゆるRPGないしはロープレとよばれるタイプのゲームのイメージを想定し、それを皮肉な見方で戯画化したものにほかなりません。このことは、『moon』を「アンチRPG」であるとする評の、ひとつの根拠となるものでしょう。
しかし、どうして僕らはこの「Fake MOON」を「RPGのパロ」だと感じたのか。逆に問えば、「Fake MOON」が喚起した我々のなかの「RPG」とは、いかなるものであったのか。『moon』の意味づけに「RPG」という一般化された言葉を貼りつけて思考を終わらせる前に、その具体的な内実について、もうすこしだけ詳細な検討をくわえる必要があると思うのです。
もちろん、いまさら「RPGとはロールプレイングゲームの略でそもそも…」というレベルの“原理的”解析を云々するのは、無意味な野暮にきまっています。けれども、僕らがその画面をみてただちに「RPG」というコトバを想起したところの「Fake MOON」に込められている実際の参照先のゲームタイトルが、実はただのふたつでしかないことは、誰もが気のついたことなのではないでしょうか。
それはコンピュータRPGの起源とされる『ROGUE』でも、多くのプレイヤーの心に尋常ならぬ名作として残る『Wizardry』でも『Ultima』でもありません。国産RPGの金字塔とされる『ブラックオニキス』でも『ハイドライド』でも『ザナドゥ』でもなければ、はじめてRPGらしい息吹を国民機ファミコンに吹き入れた『ドルアーガの塔』や『ゼルダの伝説』でもない。
そうです。80年代後半のファミコンブームの安定期に第一作が世にあらわれ、RPGの代名詞として90年代初頭のスーパーファミコン全盛期にかけて連綿とシリーズ化されるにいたった、『ドラゴン・クエスト』と『ファイナル・ファンタジー』の二大シリーズ以外の何らのイメージも、「Fake MOON」に見てとることはできません。
「勇者」のモチーフや平仮名名、主観視点での戦闘などはドラクエから。オープニングの絵、もってまわった設定とストーリーの解説テキスト、白く縁取られた青いウィンドウ、セーブ画面を模した画面デザインや飛空挺などが、FF。
これらの意匠的特徴が、シリーズを重ねる中で両タイトルのアイデンティティとして我々の意識に焼きつき、なおかつドラクエとFFの名を挙げれば、ほとんどすっかりRPGなるもののイメージが覆いきれてしまうほどの両シリーズの商業的成功という前提があって、はじめて「Fake MOON」を「RPGのパロディ」として見立てる我々の認識が成立するわけです。
また、「Fake MOON」の視聴覚的デザインが、プレイステーションというハード本来の性能からすると、グラフィックの描画方法やBGMの音数などを故意に制限することで過去のコンシューマ・ゲーム機のハード条件を模し、我々がかつて通ったゲーム体験の記憶を喚起しようとしていることも、見過ごさずに指摘したいところです。すなわち、「Fake MOON」の手ざわりは、スーファミ初期のタイトルがもっていた特徴と、ほぼ重なり合っている。
プリミティブで記号っぽかったファミコン時代の絵よりも色数や解像度が増し、キャラクタはよりイラストっぽくなり漫画のようなアップ絵もそれなりに見れるものになったけれど、間違っても「映画のような」映像表現は存在せず、一枚絵ではなく未だブロック・パターンの組みあわせで描かれたマップを一コマ単位で動き、サウンド面のハード制約がかなり改善されながらファミコンPSG音源での楽曲づくりの習慣から抜け出せずにいた時代(註1)。
そうしたゲーム環境の再現が僕らに喚起するのは、たとえばファミコンブームの熱気が冷めやらぬなか、はじめてドラクエの第一作に触れたときの古き良き衝撃、というようなものでない気がします。むしろ、ドラクエやFFがシリーズを重ねることで、個々の作品の出来とは別の次元でみずみずしさを失い、スーファミがあたりまえのように新しい国民機になるなかで、ゲームをするという体験が僕らのなかで陳腐化しはじめた時代の倦怠感をこそ、思い起こさせるものがあったのではないでしょうか。
したがって「Fake MOON」がいったい何のパロディなのかといえば、そんな「90年代初頭あたりに確立され、現在にひきつづく僕らとゲーム(特にロープレ)との、どちらかというとネガティブな関わり方そのもの」に、その批評意識の矛先が向けられているのだと、僕は考えてみることにしました。
どうしてか。論証のために重箱の隅をつつけば、プレステを模したはずの「ゲーステ」でスーファミ風のゲームがなされているのは考えてみれば妙な話です。「いま、ここ」でゲームをプレイしているプレイヤー自身を少年と同一視させるためにこその「ゲーステ」という仕掛けであるのに、何故ひと時代前のゲームを模すのでしょう。
それは制作者が俎上にのせようとしているものが、決して「普遍化された形式としてのRPGの仕組み」だとか「表現物としての個々のゲームタイトル」などではなく、「プレイヤーたる僕らが内面化しているロープレ体験のありかたそのもの」以外の何物でもないために、それをもっとも効果的にディフォルメしうる意匠として、スーファミ初期の時代の記憶に依ったとみる以外には、整合性ある解釈を立てにくいと思います。
このように、ゲームの表現を僕らの体験にひきよせて考えるための手がかりとしうるところにこそ、個々のゲームタイトルがよってたつ「歴史」的前提を評価することの、ひとつの必要性があるのではないでしょうか。そうした認識を欠いては、たとえば「『moon』は既存大作RPGシリーズへのアンチテーゼである」などという、しょせんは他人事でしかない、送り手側の作家論じみたところへ関心の所在を追いやってしまう大雑把な物言いのくだらなさに気がつくことが、それだけ難しくなるのです。
そして、こと『moon』については、その結末がゲームをプレイするということをめぐる明確なメッセージ性を有していることを特徴としています。そのメッセージを、プレイヤーにとってより整合性のたかいゆたかなものとして受け取るためにも、「Fake MOON」がパロディの矛先とした90年代初頭のゲーム状況の時代性についての感触があることは、不可欠とはいわぬまでも、ひとつの感性的なベースとなるのです。
この点については、のちに詳しく検討いたします。
■「落ちた少年の物語」の視聴覚演出の指向性とゲームとしての骨格~『moon』はアンチテーゼ?
「Fake MOON」のラスボス戦は結末を迎えないまま、母親の「テレビゲームなんてやめて、早く寝なさい」という音声で中断され、少年はいちど彼の「現実」に引き戻されます。そしてゲーステの前を離れて床に就こうとしたとき、スイッチを切ったはずのテレビ画面がざわめき、少年はそこに吸い込まれる。
次のショットで半透明になった少年のキャラクタが空を落ち、先の「Fake MOON」とはうって変わったプレステ本来のハード性能で(という表現が技術的に正確でなければ、「最近のゲームっぽく」)描かれた彩りゆたかな世界に着地します。画面に展開されるのは、個々の好き嫌いはともかく、間違ってもひとにネガティブな感性反応を起こさせるような企図の見出すことのできない、丹念にデザインされた美術と世界の住人たち。
ここでプレイヤーが納得させられた約束事は、いま目にしている画面が、「Fake MOON」に対する「本物の」ムーンワールドであるということ。
「リアルとフェイクが交差する」という宣伝コピーが示すように、スーファミ時代に比して格段に実在感のある世界を表現でき、さらにスーファミ的な手ざわりを模した「Fake MOON」との一目瞭然の描き分けを可能とするプレイステーションというプラットフォーム的前提があってはじめて成立するところに、『moon』というタイトルの歴史的立ち位置が存在するわけです。
キャラクターたちとの会話のテキストが、独自にデザインされた音声言語で喋る声に付せられる字幕として処理されているのも、オリジナルな実在感を指向する演出のひとつに数えられるものだと思います。
会話の演出へのこだわりという点で想起されるのが、すべてのテキストの平仮名による処理を、ハード性能の制約がなくなってからも自覚的に選択し続けた『MOTHER2』。かつてハードの性能が強いた偶然の状況に過ぎなかったはずの平仮名テキストを、ゲーム体験のプリミティブな力を構成する本質のひとつととらえ、こだわり続けた糸井重里の感性は、今も多くのプレイヤーの信頼を集めています。
『moon』が採った、字幕による意味伝達と既存の言語系で分節不能な音声とを衝突させる方法は、そうした糸井の直観と底を通ずるものでありましょう。彼らの見出した演出的直観をあえて言語化するなら、言語中枢の処理を受ける以前の、聴覚刺激としてのことばの豊穣さを見過ごさなかったということなのだと思います。こんなことを一例として、『moon』と『MOTHER』シリーズに共通して指摘される「RPGらしからぬ演出の独創性」は、単に漠然としたモチーフやテーマ性の類似ということではなしに、具体的な表現づくりのひとつひとつの過程に、実は非常に理にかなったものの見方の丁寧さが、OSのように貫かれていることに起因しているのではないかと僕なんかは考えるのです。余談ですが。
ともかく、ひとつひとつ間違いなく緻密につくりこまれた基本的な視聴覚演出のベースに下支えされて、『moon』の本筋たる「落ちた少年の物語」が始まります
そのままではこの世界の人々には姿が見えず、存在を認めてもらえない少年は、いくつかの誘導で盲のおばあちゃんの家にたどりつき、「Fake MOON」の勇者につけた名前の片仮名表記で呼ばれる彼女の亡くなったはずの孫と誤認され、この世界の服を得ることでとりあえずの姿を獲得します。ここまでの過程で、月の光を奪った悪い竜を退治すべく王宮からものものしい鎧と剣に身を固めた勇者が送り出され、さっそくモンスターと勘違いして犬を追いかけ回したり、民家の家具を物色したりの騒動で町の人々の顰蹙を買っていることが描かれます。
プレイヤーはここで、この勇者の所業が「Fake MOON」で操作した「勇者」の行動と対応するものであり、「Fake MOON」が文字どおりこのムーンワールドの出来事を、勇者に都合のよい“偽”の視点で歪めて描いたものであり、実際のところは画面上で「リアルに」展開されているような、周囲にとって迷惑千万なものであったという仕掛けに気づくわけです。こののちも、勇者のとる行動は、「Fake MOON」の展開と実に些細な部分まで対応をみせ、「落ちた少年の物語」のなかで皮肉かつユーモラスなその「真相」が曝露されていきます。
さて、少年はのちに彼をこのムーンワールドに召還した月世界の存在であると判明する、夢で出会う女王とその従者ムツジローから、勇者がモンスターとして殺害した51匹の罪なき動物たちの魂をキャッチし救済すること、および地上世界の住人たちとさまざまなかたちで関わることで「ラブ」を収集するよう示唆されます。少年がこの世界で連続して活動できる時間は限られており、そのアクションリミットが切れる前にベッドで眠り休息をとらなければ命をなくしてしまうのですが、一定の「ラブ」を集めると少年の「ラブレベル」が上昇し、活動限界時間が長くなるのです。
このような物語上の動機づけと重ね合わせられて、ようやく「落ちた少年の物語」のゲームとしての骨格が明らかになりました。すなわち、昼夜と曜日のルーチンサイクルでタイムテーブルの進行する世界において、アクションリミット分の時間制限を受けながら、動物たちのソウルキャッチと人々にまつわる「ラブ」の発見・獲得という趣向に見立てられたイベントを探しだし、謎(パズル)解きをおこなうこと。この構造が終局まで貫かれ、「落ちた少年の物語」のストーリーを形成します。
この時点で、「『moon』はRPGへのアンチテーゼである」という評価の仕方について、これを「『moon』がこれまでみられたRPGという範疇に批判的意識を持ち、そこにおさまらない新しいゲーム性を実現した、ないし目指した」と解する場合の議論が可能になります。
まず、実際のゲームに照らし合わせるかぎり、明らかにこの見方は不当です。操作キャラクターに与えられた行動制限を何らかのゲーム課題(戦闘とかアイテム収集とかパズル解きとか)をこなすことによって徐々に解除する(成長する)過程をストーリーと絡めて進行させるという性質は、RPGとカテゴライズされうるあらゆるコンピュータゲームに共通する最大公約数的構造の表現として大きな問題はないと思いますが、先に要約した『moon』のゲーム性は、この構造を一切逸脱するものではありません。
もしこの論点を生きながらえさせようとする場合、ロープレの本質についての定義をより狭めて限定する以外にありませんが(たとえば成長のための課題を“戦闘”に限定するとか、行動制限の性質は定量化されたヒットポイントでないと駄目だとか)、そのような試みのばかばかしさは指摘するまでもありません。
また、制作者自身がそうした逸脱を目指す意図のなかったことを証言するインタビュー記事も存在する(註2)ことから、「『moon』はアンチRPGを目指したが失敗した」も単なる事実誤認といえます。
では、「アンチRPGなシステムを目指すべきだった、ないし目指して欲しかったのにそれは実現されず、したがって失敗」式の議論についてはどうでしょうか。
こう展開するにいたり、ようやくまともな検討の余地が生まれます。これは『moon』という作品総体のなかでのシステムないしゲーム性の意義づけに関する話題であり、以上のようなゲーム構造単体の議論からでは結論を出すことができません。
おそらく、「目指すべき」の主張は、次のふたつの解釈を前提に成立していると思われます。
(1)「落ちた少年の物語」は、結局のところ「暴力的な勇者へのアンチテーゼとしての平和主義・博愛主義のアジテーション」である
(2)「Fake MOON」の存在意義は、上記の「落ちた少年の物語」の読み解きの正当性を際だたせるものとしての「勇者なシナリオ」を揶揄することである
そして、『moon』の販促コピーが「もう勇者しない」であったことなども補完材料としながら、このふたつの前提より、
(3)『moon』の作品総体のテーマは、いわゆるRPGの表面的な謂としての「勇者なシナリオ」の否定ないし揶揄以上のものではない
と、さらなる解釈を展開します。
この地点からゲームとしての「落ちた少年の物語」がもたらしたプレイ体験を振り返ると、それは世にある多くの「勇者なシナリオ」がそうであるところのロープレの体験と、結局同じようなものでしかなかった。つまり、シナリオとプレイ体験とがちぐはぐであるがゆえに詰めが甘く、(3)の「テーマ」は、中途半端で不徹底と評価すべき。
したがって、各々のパーツが協同して感動を高めあうよりトータルな作品であるためには、不徹底の元凶であるゲーム性の部分において、強力にRPGのオルターナティブを目指すべきだった。
というのが、この主張の論理でありましょう。
しかし、僕はこの(1)~(3)すべての解釈に反対ですので、この主張は斥けられるべきだと思います。
このうち、(2)についてはすでに詳論し、「90年代初頭的な『ロープレ体験の陳腐化』を想起させること」という対論をなかば呈示しており、あとは「落ちた少年の物語」との関係による意義づけをのみ残すだけです。
ですので、次は「落ちた少年の物語」のゲーム性とその見立て演出とがどう絡んでプレイヤーの体験を構成したのかを追いながら、(1)の解釈の反駁に繋げたいと思います。しかるのち、おのずと(3)の無効性が明らかになるという寸法です。
■「落ちた少年の物語」のゲームに秘められた「歴史」~ゲームはなにを得、なにを失ったのか~
外堀から埋めはじめてみたいと思います。そういえばRPGとしての「落ちた少年の物語」は、過去のいくつかのタイトルにおぼえた感覚を、思いおこさせてくれるところがありました。
たとえばアクション・リミットによる行動範囲の制約は、かつて『Ultima』シリーズでFOODのルールが同様のゲーム上の効果をもっていたことを思い出させます(註3)。饒舌なテキストによるつよいシナリオ誘導がなく、世界をあてどもなく歩くなかで“謎”を探し、キャラクタ操作とアイテム選択の素朴な操作で解くべきパズルを見出していくあの頼りなげな味わいは、『ゼルダの伝説』とか『ワルキューレの冒険』。
どちらかといえば、「RPG」というゲーム様式のイメージがあまり明確なかたちで存在せず、かなりイイカゲンな言葉だった時代の息吹。というより、80年代半ばくらいに放課後をファミコンとともに過ごした子供たちは、それらのゲームを「RPG」なんていう耳慣れないコトバで認識していたのではなかったはずです。
むしろ僕らの気持ちの実際は、『マリオブラザーズ』や『マッピー』にアスレチック広場を、『グーニーズ』や『スペランカー』に秘境探検を、そして『チャレンジャー』や『スーパーマリオブラザーズ』(註4)にさらに広々した冒険世界を見出してきた「遊び世界」の拡張のベクトルの延長線上に、それら「アクションRPG」のもつ“世界の謎”との悠々とした戯れ方と、出会っていたのではなかったでしょうか。
逆に、そのころにRPGという言葉を意識していたようなのは、たまさか『Wizardry』とか『Ultima』とか『ザナドゥ』に触れることのできた一部のパソコン持ちに過ぎなかったでしょう。そんな恵まれた一人だった僕なんかの意識において、『指輪物語』~『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の舶来ハイファンタジーのゲーム化の直接的な刻印をはっきり見てとることのできる正統的パソコンRPGは、ファミコンみたいなコドモの遊びと一線を画した、ある種の「高踏教養」であったわけです。ストイックなインターフェースと、緻密なパラメータにもとづく戦闘の戦略性、横文字で書かれたアイテムやモンスターなどの道具立てのフェティッシュさなどにみられる何やら秘儀めいたゲーム体験が、そんな意識のあり方を担保していました。
「RPG」というゲームスタイルの原体験を振り返るとき、僕のなかにはそんな、相異なるふたつの「RPG体験」があったような気がするのです。「遊び世界」と近寄りがたいコア・カルチャーと。
ドラクエやFFは、この後者の息吹を前者にそそぎ込むことによって、僕らとゲームとの関係を、それまでとはまた違ったものにせしめたのでした。それは、「RPG」が「ロープレ」になってゆく時代の幕開けであったとも、言い換えられるでしょう。
この変化のなかで、「ロープレ」に切っても切り離せない属性として産み落とされた歴史的産物が、言葉によって明晰にゲーム過程のなかで語られる「シナリオ」です(註5)。これにより、それまではRPGのゲーム性がもたらすプリミティブな感性反応のパターンを、言語処理系の網目にすくいあげて能動的に秩序化する以外の回路のなかったプレイヤーの内的な<物語>(註6)形成の過程に、ダイレクトに言語情報を投ずる回路が重層的に加わり、高度に秩序化された<物語>を構築することが容易に、しかも低い能動性の水準で(ほとんど意識をはたらかすことがなくとも)、実現できるようになりました。
そのようにして、言語性のたかいシナリオ進行と数値化されたパラメータやコマンド選択による戦闘秩序とが、「ロープレ」らしさの車の両輪と認められて90年代にかけて洗練されていくにつれ、かつての「遊び世界」系のアクションRPGとコアRPGとが持っていたそれ以外の“雑味”は、切り捨てられたりRPGジャンルの周縁に追いやられたりといった運命を、たどってきたのではないかと思うのです。
僕が「落ちた少年の物語」のゲーム体験に与えたいと思っている意味づけの輪郭が、そろそろ見えはじめてきたのではないでしょうか。それは、これまでみたような「ロープレ」化以前と以後の我々とゲームとの関わり方の変化についての認識があって、はじめて空虚なレッテルとして以上の理解がえられる性質のものだと考えたので、かくもの回り道をさせていただきました。
つまり、RPGという言葉に自縄自縛される以前のRPG、とりわけファミコンブームのメインストリームたる冒険アクションゲームの最終型としての「遊び世界」系アクションRPG体験がもっていた、非言語性の見立てパズルを能動的に、しかも反射神経的ではなく、悠々と発見して取り組む楽しさの息吹(註7)。
プレイヤーにとってこのムーンワールドでの体験を、ビビッドで実在感あるゆたかなものとして記憶されうるものに仕立てあげるべく、せめて最低限、80年代半ばの「ゲームの面白さ」の水準を実現しようという真正な意志。
この言葉にはすこしの客観性もありません。直接実証できる方法もわからない。けれども、「ああ、そういうことか」と納得してもらえる感性の少なからぬを信じます(註8)。
ただし、これはやはり骨格としてのゲーム性がもたらす、体験の輪郭であり、下地塗りにすぎません。それを具体個別の見立てがどう充填し、上塗りをしたかをみて、はじめて個々のタイトルのゲーム体験をトータルに<物語>化できるのではないかと思います。
したがって「落ちた少年の物語」についての前節(1)の<物語>についての反駁も、その検討が済んだのち、おのずから完了することになるわけです。
■「落ちた少年の物語」のゲームの見立て演出~『moon』だけの「ラブ」とはなにか~
見立て演出の検討とはどういうことかというと、「落ちた少年の物語」のひとつひとつのパズル解きが、具体的にどういうイベントだったかを評価し、それが僕らのこころに喚起してくれた「てつがく」を見えるようにすることです。
「落ちた少年の物語」のパズル解きの見立て演出の最大の特徴は、言うまでもなく、きわめて丹念に設計されたムーンワールドの住人が、昼夜曜日の繰り返しの日常をいとなむその「生きざま」に寄り添うことで、それが何の見立てであるのか(インテリゲンチャのヨシダでさえ)誰にも答えられない「ラブ」という不思議な定量パラメータを収集することにあります。動物たちのソウルキャッチは、それぞれが人とは別の律でこの世に存在(粘土細工でつくった造形を取り込むというかたちで、月世界の生き物たちはデザイン的に差別化されている)していた、「生きざま」の記憶を読みとることで捕まえるという、人々の「ラブ」ゲットと共通性と異質性をもつ行為です。あれもラブ、これもラブ、そして動物たちのタマシイがラブ。
見立ての意味性の強弱を比較すれば、意味の世界に生きる人間たる少年から相対的に遠いところにある動物たちの「生きざま」を、動物図鑑アニマルファイルをガイドに解読する作業は、人々に付き合う際のそれよりも、無機物を相手どった純然たるパズル解きに近い位置にあります。人間科学よりも自然科学の方が没価値性がたかいのと同じ道理。したがって前節でみた、パズル解きのゲーム性による下地塗りが、トータルな体験のなかで比較的むきだしの色合いを出します。
よって、見立て演出がもたらす意味づけの上塗りの性質は、もっぱら人々にまつわる「ラブ」ゲットのイベントを対象に考えてみることにします。
全体を概観しましょう。
ムーンワールドの住人たちはすべて違った顔と「生きざま」をもっており、各人について必ずひとつないし複数の「ラブ」イベントが用意されています。各々のイベントは基本的に独立ながら、たがいに絡み合っているものも少なくありません。
特につよい超越的な意味性をもたない、平和な日常のなかでの各人の「生きざま」における小事件をあつかったものが大半ながら、勇者の竜退治の大義名分である「月の光の喪失」という世界の異変についての「大きな物語」に絡むものも一応存在しています。ヘイガー博士の月探査ロケットのパーツ集めに関わる一連のイベントは少年の旅を直接終局に導くものであるのと、「Fake MOON」でプレイヤーの見た場面と正確に対応している勇者絡みの諸騒動、少年の出自を知り「現実」への帰還のための方策として「光の扉」を開けることを示唆する狂言回しフローレンスとの出会い、およびヨシダに付き合って世界観と問題意識を学ぶ夜中の大学のイベントは、少年をエンディングに向けて動機づけるという意味での「本筋」とみなすこともできるでしょう。
ただしこうした目的性があまり饒舌なテキストで語られたり、少年を強烈に促したりするような演出はなく、あくまで他のイベントと等価なかたちで断片的に呈示されるのみであり、プレイ中ほとんどの瞬間は「本筋」への目的性などを意識せず、偶発的ないし気まぐれに個々の登場人物たちと関わるはずです(ついでにいえば、かけかえ可能なMDで、各場面の物語的意味づけを役割とする固定的なBGMを排したのも、それと通底した演出戦略でしょう)。そういう前提で「ラブ」収集がおこなわれます。
もちろんひとつひとつの「ラブ」ゲットをすべてトレースするわけにはいきませんので、各々の「ラブ」ゲットイベントの見立てバリエーションを、次のように三類型7種類に分類整理して計上してみました。
第一類型は、少年が積極的に一肌脱ぐことによりキャラクターたちの感謝の「ラブ」を受け取るタイプのものです。合計20件で、「落ちた少年の物語」の最大類型をなします。この類型は、多くのRPGやAVGでよく目にする、メジャーかつわかりやすいタイプのイベントのつくり方だといえるでしょう。
第二類型は、特に少年が何か積極的なアクションを起こさずに得られるタイプの「ラブ」を分けました。“みまもり型”とは、相手が相手の「生きざま」の文脈のなかで何かを得たり、人の知らない秘密のすがたをみせたりする場面に立ち会うことで手にする「ラブ」。“はげまし型”は、特につよい援助行動をするわけではないが、相手が自力で悩みを克服したり自分を変えたりする契機に少年がなったときの「ラブ」。一風変わったのが“つきあい型”で、特にコミュニケーションらしいコミュニケーションが成立するわけでも、普通の意味で相手がポジティブな変化をするわけではないが、愚痴を聞いたり相手の手前勝手な自己納得に付き合ったりすることで得られる「ラブ」です。合計15件と、少なくありません。
第三類型は、人間相手や無機物を相手に勝負して、勝ったときに得られる相手との友情や勝利の達成感という意味での「ラブ」です。計8件あります。これも第一類型同様、他のRPGやAVGで一般的なイベントのあり方でしょう。
以上みてみると、第二類型のイベントのあり方が、他のゲームタイトルではあまり目にすることのない『moon』独特のきわだってユニークなものであることに気づかされます。システム的な背景としては、昼夜曜日のタイムテーブルに沿った各キャラクターのルーチン行動パターンが存在し、「大きな物語」に拘束されないかたちで少年がその「生きざま」に都合をあわせて行動するというプレイスタイルがあってはじめて実現するタイプのイベントだからです。
このことは、世界が決して特権的な存在としてのプレイヤーのために準備されているのではなく、自らが歩み寄らなければ見えない世界があるのだというムーンワールドのゆたかな実在感をまたしても僕らに与えるのと同時に、各々のキャラクター造形とあいまってこの作品が抱く人間についての「てつがく」をも垣間みせてくれるものです。
すなわち、決して安易に立ち入り、肩代わりしたりわかった気になったりすることのできない、「他人の人生」というものの陰影。あるいは、もっと身も蓋もないコミュニケーション不能な他者の存在。
こうした人間観は、これまでゲームがあまり積極的に描いてはこなかったものだと思います。そんな人々との距離感のオモシロさを、このゲームは「ラブ」と呼んだ。よくいわれる悪意とか毒気とかいう感想の持ち方は、すこしばかりプアではないでしょうか。
そんな「てつがく」に貫かれたこの世界の住人たちの造形のもつ陰影は、個々の好き嫌いを越えて、ただごとでない水準にあると僕は思います。
毎日クッキーを焼き続ける、盲目のおばあちゃん。「おばあちゃんは病気がよくなって嬉しいんだよ」と少年を孫と信じて語りかけるすがたのやりきれない寂しさ。
週に三日、ナイトバーで酒をあおる門兵のイビリー。別れた女房が連れた息子との「約束」をはたすべく、毎週太陽の日の練習で、念願かなって飛行機は夕暮れの空を舞う。ただしその「約束」は、今のところまだ、彼の心の中だけのもの。
そのナイトバーの女主人ワンダ。カウンターの中に拘束されたフリーキーな体躯と、彷徨人フローレンスと彼とのあいだの一人娘フローラへの想いとのギャップが醸しだす、えもいわれぬ哀感。
トンガリMD屋店員バーン。半端に途切れるギターサウンドと忙しくギターを隠す恥じらいの仕草の、たまらない愛らしいさ。示されてみるとイカニモな類型を切りだす、制作者のまなざしの確かさ。
80年代以降の露悪的ホンネ主義の結実、エコ三兄弟。イッてしまった長兄長女と、戸惑いを捨てられない純朴な末弟という設定の芸の細かさ。
個人的ヒットをつかれた、「バリバリ島」で「電波サル」に「ギャムラン」を習う、次男坊☆スマの傑作エピソード(註9)。いじけっぽい自意識では、あの島のコミュニティ楽器は弾けないよ。
90年代っぽいクラブノリが直接ひきいれられたMDミュージックにのせて描かれる一筋縄ではいかないキャラたちへのまなざしは、少々突き放した感じがするかもしれません。けれどもそれはイマドキの感覚によりかかった不人情ではなく、この時代の表現にはどうしたって欠かせない「照れ隠し」にほかならないのだと、僕は感じます(註10)。なんなら、戦後民主主義的タテマエのオルターナティブが未だみつからないなかでの最低限のバランス感覚とかいう大文字に言い換えてもいい。
そうした根っこの部分の素直さを信じられるのは、前節でみたような「ゲーム」としての下地が、僕らの体験の嘘のなさを担保してくれているからなのでしょう。もはや何も信じられなくなった我々が、なぜかひとりゲームだけは信じている。そういう物言いの成り立つ現実は、確かにあるような気がするのです。
なんにせよ、前々節の仮定(1)。「落ちた少年の物語」は浅薄な平和主義・博愛主義のアジテーションである、が成り立つ余地は、すくなくとも僕の体験の中にはありません。のみならず、多くの人が無理なく受け止めるであろう素朴な印象を死なせてしまう有害な言葉の使い方だと思います。
だから仮定(3)、作品総体としての『moon』の価値を、「失敗したアンチRPG実験である」と貶める見方も、ここでは棄却されます。第一、この見方はエンディングの整合性ある解釈を諦め、その失敗を作品の不出来に転嫁する、批評としての完成度の低いものでした。個人的に、作品の失敗を指摘するならするで、その失敗の断面から読者に何らかの有効な視座や価値、あるいは興を再構成して提供するまでの心構えをもたないものは、自身も表現物であるにほかならない批評としては未成熟なのだという価値観がもっと当たり前にならなければいけないと思います。その前提がない意見は、せいぜいあくまで自立した批評にサンプルとして参照されるだけの「材料」としての位置づけをしかもちえないものです。
次節では、ゲームを楽しむことに根ざした多くの意見や感想たちに批評たるを断念させた、結末部分の検討に入ります。我々はなぜあの選択をしなければならなかったのか。その必然性を、あくまで作品内の論理から探ることが、この稿の最大の目的なのです。
■そして終局へ~「勇者の竜退治」と「落ちた少年の物語」、リアルの世界とフェイクの世界~
ゲーム中、明示的に描かれるわけではありませんが、『moon』の物語の「本筋」は、いくつかのアイテムを人に見せたときの反応やポイントを調べたりして得ることのできる複数の情報の断片を再構成することによって、プレイヤーが見立てる<物語>として得ることができます。というよりも、ゲームを進行させるイベントクリアのためのフラグ立てとは関係のない、ただ興味のあるプレイヤーに「本筋」についての<物語>の材料を提供するためだけに存在するアイテムが存在していたりして、近頃の「ロープレ」化したRPGよりもむしろ『ゼビウス』や『ドルアーガの塔』に近いストイックな<物語>喚起の姿勢が感じられました。余談ですが。
そうした純然たる<物語>喚起アイテムのひとつが、「白羽の矢」でした。これは勇者の由来を説明づけるものです。かつて月の光が失われたとき、「伝説の勇者が悪い竜を倒し、月の光を取り戻す」というストーリーで人心をなだめるため、勇者をでっちあげるためにおこなった「白羽の矢」儀の名残であると。ここで選ばれたのが実は死んだと思われていたおばあちゃんの孫であり、城に伝わる呪い鎧を着せられて死ぬまで剣を振るい続けることになったという真相が、やはり純<物語>喚起アイテムである「勇者のブロマイド」を酒場のイビリーに見せることによって判明します。
王様の要請を受けてのヘイガー博士の月探査ロケット計画は、大臣のこの妄執的な「世直し」に対し、月世界に直接おもむくことで月の光の喪失原因を探ろうというものでした。要するには「世界の危機」に対するふたつの対処のシナリオがあり、一方が「勇者の竜退治」(少年の「現実」から眺めると「Fake MOON」)、もう一方が「落ちた少年の物語」であったというわけです。
かなり危険なことを示唆してロケットに乗り込ませておきながらのヘイガー博士のなかなか無責任な誘導と、これまで関わった人々の意識的無意識的な援助を受けながら、幾多に演出される危機を越えて月に到着する少年。そこで目にするのが、ゲーム中ヒントのための預言書として扱われていた「奇盤」が、うずたかく積まれた月世界の光景。ROMチップのかたちを模した奇盤には、この世界に棲むすべての人々の「生きざま」や物事の進行が書き込まれていた。
月の女王の言では、勇者の所業により月は奇盤であふれかえるようになり、この世界は危機に瀕している。それを回避するための預言と女王らが考えた「落ちた少年の物語」の奇盤にしたがい、少年を外の世界から召還したのだと。そして勇者が月の城をラスト・ダンジョンとみなし、女王の裏面のもうひとつの顔として描かれている竜を倒しにくる前に、ラブに満ちた透明な少年の手により「光の扉」を開かなければならない。
ここで、それまでには明示されていなかった、勇者の行動の脅威が明らかになります。
いかに周囲に迷惑であれ、アニマル殺しの暴力が甚だしかれ、基本的には世界を救うためであるはずの勇者の行動が、生命なきコンピュータ・プログラムの謂としての奇盤へと事物を還元してしまう。
この設定の意味は何でしょうか。プレイヤーはここで、いよいよこの『moon』という作品の矛先が、ゲームをプレイする我々自身に向けられていることに気づくべきヒントを与えられたのです。なぜか。
生命のないコンピュータ・プログラムのもたらす視聴覚情報を個性あるキャラクタに見立て、活き活きとしたゲーム体験を見出すのは、僕ら自身のこころのはたらきにほかならないからです。
勇者の剣が、キャラクターたちの複雑な(わざわざクレイモデルを組み立てまでした)質感を奪い、ただのプログラムに変えること。これが、そのようにゲームを見立てる人のこころのはたらきの危機を隠喩するもの以外の、いったい何だというのでしょうか。
その「ゲームを見立てる人のこころのはたらきの頽落」が実際にどのようなものであるかは、すでにご覧いただいた、「Fake MOON」の意味づけと「落ちた少年の物語」のゲーム性についての議論を思い返していただければ、おのずから明らかであると思います。おそらくはドラクエ、FFのシリーズ化とスーファミの新国民機化とを背景に、90年代初頭くらいから支配的になったゲーム体験の自堕落化・マンネリ化の傾向。さらにその生理的内実についてのひとつの考察として、RPGが「ロープレ」となり、「シナリオ」が支配的ファクターとなってプレイヤーの積極的意識活動としての<物語>生成のアクティビティが相対的に低下した可能性を、僕は指摘したのでした。
すくなくとも、そうした実感をゲームと共にあゆみ成長するなかで抱いたことのある人にとっては、勇者が無造作に振るう剣がキャラクター達をただのパターンの塊に帰したその描写は、決して唐突なものではなかったはずです。
少年は促されるまま、「光の扉」に手をかけ、開けようとする。開かない。
ムツジローが少年の失敗をなじり、女王/竜は困惑する。そうこうするうち実は彼にとっての「飛空挺」としてロケットに隠れ乗っていた勇者が降り立ち、少年が救った動物たちをラス前の中ボスとばかりに一掃、動物たちは次々とむきだしの奇盤のかたちへと変じていく。
ここで初めて、女王/竜はこの世界のほんとうのからくりに気づくのです。彼女ら自身の奇盤が世界のどこにも見つからなかったわけ。それはこの世界を統べる彼女ら自身もまた、奇盤に運命を記述されたプログラムの幻影に過ぎなかったから。外の世界から少年を呼びだし、「落ちた少年の物語」を歩ませたこともまた、プログラムの予定調和に過ぎなかった。ハードディスクに書きこまれたOSがみずからをフォーマットすることができないように、この運命を内側から変えることはできない。
絶望のなか、いよいよ勇者の剣が迫る…。
僕はこの稿で、ゲームとしての「落ちた少年の物語」が、いかにプレイヤーにゆたかな実在感を喚起するために工夫されているかを、視聴覚演出・ゲーム性・見立て演出と下から順に階層を積みかさね、再三にわたって強調してきました。「Fake MOON」との対比で、セーブすら意識させない一回性の、極力ゲームくさい嘘を感じさせないリアルな世界として一貫して描きだすのが、トータルな体験としての「落ちた少年の物語」の表現戦略であったと思います。
ところが、その「落ちた少年の物語」もまた、いかに巧妙に描かれていたとはいえ、結局は「Fake MOON」同様のプログラムされたフェイクに過ぎないという、作品からの見解の呈示。ここからも、この作品を「勇者の暴力主義に対し博愛主義を対置しただけ」とするのが誤解であることがわかります。そのどちらもが、等価にフェイク(動物の救済を疑いなしに善とするムツジローの造形も、根っこのところでプレイヤーに胡散臭さを感じさせるよう狙ってあったとみなせますし)。
そのことの意味を考える暇もなく。女王/竜は最後のぎりぎりの希望として「落ちた少年の物語」の奇盤に結末が書かれておらず、外の世界から来た少年ならばもしかすると発揮できるかもしれない、「レベルであらわせないラブ」による救済の可能性を示唆し(もちろんそれ自体もプログラムされた誘導であるに間違いありません)、勇者の必殺技の前に、死して奇盤と化します。
最後に、勇者が自らの分身である少年を斬り、この世界に実体をもたないふたつの影がともに倒れた瞬間。
「テレビゲームなんてやめて、早く寝なさい」
視点は「現実」、テレビの前。画面に浮かび上がるのは、ゲームオーバー時に誰もが目にする、あの見慣れた選択肢。長い旅を終えてふたたび「現実」へ戻った少年と立場を一にする、「外」の世界の人間として、僕らはひとつの選択を迫られました。
ゲームを続けるか、否か。
■「ゲームを捨てよ、街に出よう」の底にあるもの~ひとつの作品との対比から~
もうすこしだけ、まわりみちをしようと思います。
その選択を迫られたとき、僕はひとつの既視感をおぼえたのです。
あの素気のない、少年の母親の声が、たぶん記憶のリリーサーになったのでした。子供のころをゲームとともに過ごしたことのある人ならば誰もが経験したことがあるだろう、「ゲームなんて」の無理解との対峙。自分にとってはまぎれもない真実である、こころのなかの世界に対する理不尽な無視。
かつて、少年の日のフィクションとのそんな関わり方の底にある心象を鏡のように描いた一遍の物語を、僕は夢中になって読んだことがありました。ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』。『指輪物語』や『ゲド戦記』とともに、わが国でもっともよく読まれている現代ファンタジー作品のひとつです。
運動も勉強もダメでいじめられっ子のバスチアンが唯一心を解き放てるのが、物語の与えてくれる空想の世界。そんな彼がいかに「早く寝なさい」に抗し、ベッドに懐中電灯を持ち込んだりして本読みに耽ったかという描写をつよく記憶しているのですが、『はてしない物語』はまさにそのように読むべき本でした。周知のようにこの作品は、主人公バスチアンが冒険物語「はてしない物語」を読んでいく過程に、本好き・ファンタジー好きの読者のすがたを重ね合わせ、やがて彼が物語で描かれる異世界ファンタージェンの危機を救うために本の世界へ招請されて帰還するまでの筋立てのなかで、物語する人々のこころの問題を深いレベルで描き出し、第一級のファンタジーと称されたのです。
『moon』の筋立てをよくある話だとして、新奇性のなさを指摘するためにだけ、異世界ファンタジーの漠然としたカテゴリーを想定する感想のもち方はこれまでもいくつか見られたのですが、僕はカテゴリーの金字塔であるこの『はてしない物語』には、もっと詳細かつ本質的な部分での同型性を見出せる気がするのです。
バスチアンが「はてしない物語」の外側からアトレーユの血沸き肉踊る冒険物語に引きつけられ、“虚無”からファンタージェン国を救うために現実世界でのダメな自分自身を捨て、勇気をもって幼な心の君の招請に応えるまでの前半部と、ファンタージェンの救世主として増長し、本来の自分自身を忘れ身勝手にふるまうことで再度世界を荒廃させ、自分自身のアイデンティティを危機に追いやってしまう後半部とのシンメトリー。
これに対比すると、モニタの外から体験されたゲーム体験の陳腐化・自堕落化による世界荒廃の謂としての勇者のシナリオ「Fake MOON」と、ゲームが元来もっていた活き活きとした非日常体験の回復への願いとしての「落ちた少年の物語」のシンメトリーは、時系列順序と異世界内外での体験の位置づけをのみ入れ換えた、逆順『はてしない物語』ともいえる構造を抱いているのではないでしょうか。
世界の事物を次々と奇盤へと還元する勇者の剣は、まさに文明がファンタジーの本来の想像力を萎えさせ、物語がただの受動的な消費娯楽と堕落化した事態の象徴としての虚無や、いずれはそのような虚無と化す増長したバスチアンの逃避的なファンタジーの関わり方と、同じものだといえるでしょう。
人狼グモルクはアトレーユに、かつてファンタージェンを訪れ、亡者となって二度と現実世界に帰れなくなった者たちの話をしました。ファンタージェンを訪れた人間はそこで思い通りの願いをかなえることができるかわりに、現実世界での記憶をひとつずつ失うので、結局「願い」の主体である自分自身をも失ってしまったというわけです。バスチアンもまた、その道を半ばまで歩みかけたのでした。
言い換えれば、空想世界のなかに留まるかぎりにおいて、そこではすでにつくられたイメージを蕩尽し、縮小再生産をしかなしえないのだという、ひとの精神についてのエコロジーが唱えられているというべきでしょう。一見「人の想像力は無限である」というような耳あたりのよい主張に傾くかのイメージをもたれがちなファンタジーという表現の本質は、そのような、ひとのこころの妥協のない写像なのだと思います。
そんな、ファンタジーのなかのファンタジー『はてしない物語』は、ファンタージェンで出会ったかけがえのない友たちの援助によって真実に気づくことのできたバスチアンが、本来の自分自身を受け入れ、この魅力ある架空世界をすこやかな姿に保つため、現実に帰還することによって幕を閉じます。ただしそれは以前のバスチアンでなく、ファンタージェンという「リアル」を自分のなかに得た、新しい現実との付き合い方のできる彼になることが、この物語のエピローグでした。
そして愛すべきファンタージェンの住人たちも、あの有名なフレーズ「それはまた別の話。また別の時に語ることにしよう。」で示唆されるように、それぞれの物語をどこかでつむぎつづけているのでしょう。
そう、僕らの選択の話でした。
それはファンタージェンを体験したバスチアンのこころをなぞれば良かった『はてしない物語』の読者よりも、きっと困難な立場であるにちがいありません。バスチアンはエンデの選んだ、道を誤り亡者となることをさいわい避けることができた成功のサンプルだったわけですが、僕らはよりみずからの体験そのものに近いところに立脚し、失敗する可能性を実際に背負ったうえで、成功を選びとらなければならないのですから。
ただし、正解はきわめて論理的です。
一見すべてのことが思いのままになりそうなファンタジーが、実は誰にも揺るがすことのできない独自の“律”をカテゴリーの存立根拠としているように、そこにはかならず、そうしなければならない必然があるのです。
奇盤というチップにすべての運命が書きこまれたムーンワールドを、そうでない地点へ解放するとはどういうことか。月面の奇盤で「ワンダがカウンターの外に出ることは、絶対にない」の記述を見つけたときのかなしみを、どうすれば救い出せるのか。今のままでは永遠にプログラムに拘束された幻影でしかない彼らが、「それはまた別の話」を歩みだすことができるようになるために、僕ら自身は何をすべきなのか。
だから、ほかの何事かのためではなく、あくまでムーンワールドと『moon』を体験した僕ら自身を救うためにこそ、あの正解は正解だったのです。
■おわりに~「リアル」と「フェイク」の断絶を越えて~
かくして正解を選びとることのできたプレイヤーたちは、少年自身の「現実」に解き放たれ、ムーンワールドの住人たちが「また別の話」を歩みはじめていることを示唆するエンディングを目にしたことでしょう。
けれどもさいわいに、いちどは正解を選びそこねてフェイクの円環に戻されてしまった人も、ファンタージェンの亡者として一生閉じこめられるようなことはなく、みずから気づいたり先達に道を尋ねたりして正解にたどりつくことができるまで、何度も選択をやりなおすことができます。
もちろん、あの選択にこれまでみたような意味に気づくことなく、ただ二択の作業として偶然に正解を選びとることもあれば、逆に一度か何度か正解選びに失敗してこそ気づきうる場合もあると思います。
それが、ゲームというものです。
この稿では、僕自身の内的な体験としての『moon』が、決して僕個人だけに意味あるものではないことを信じ、オルターナティブとして役不足と感じた他の見方については僭越にもかなり躍起に否定したりしながら、長々と再現させていただきました。しかしながら、わざわざ確認するまでもなく、ひとがゲームに何を見出すかは、そのひとが生きる現実の具体個別の文脈のなかでゲームがどのような位置づけにあるかに依りますので、僕の言葉の体験喚起のリリーサーとしての有効性は、そこに縛られたものでしかありません。
たとえば80年代のゲーム体験がなく、僕が指摘した歴史の大勢みたいなこととは関係なしに90年代初頭のロープレを活き活きとした青春として過ごした人にとっては、『moon』が勇者にあのようなイメージを託したことは、自分自身のかけがえのない体験を踏みにじる悪意として受けとるほかのないものだったことでしょう。
だけれどその場合であれ、すくなくともゲームを語ることをそれぞれの文脈において必要視したり、実際そうしていることを共通前提にするならば、誰にとっても関心をもたずにはいられない、僕らが生きる「現実」とゲームのなかの「虚構」との関係のありかたについて、ひとつの批評的示唆を読みとることのできる立場を、『moon』という作品が存在せしめたという事実を「知って」おくのは、決して無駄なことではないと思うのです。
「現実」とゲームの「虚構」とを、相反する断絶したものではなく、たがいにどちらか一方だけではすこやかな世界を築くことのできない相互的なものととらえること。これがもっとも作品内の諸表現を整合的に説明し、多くのプレイヤーの現実にとってみのりをもたらしてくれると僕が感ずる、『moon』のメッセージにほかなりません。
そしてこのメッセージはひとり『moon』が突如として唱えたものではなく、『はてしない物語』において顕著に意識化・対象化される、ファンタジーという様式の本質として、近現代文学の周縁に連綿と受け継がれてきたものでもありました。
さらに根源に遡るなら、もともと人間が、神話というかたちに集約された「虚構」の体系を祝祭の場において再現し、「現実」を周期的に活性化する(というよりも、「現実」も「虚構」もない人間精神の構造に即した起伏やリズムをもつ、ただひとつの“現実”を生きる)ライフスタイルを、人類史の圧倒的多くの時間、当たり前にしてきたことを指摘してもいいでしょう。そうした「現実」と「虚構」との一体化した関係が、とりわけ近代以降に決定的に喪失するなか、日常の論理への従属を特徴とする近現代文学のリアリズムの手法を逆手にとって、より質感ある原初的な架空世界を描く手段に転用することで現れたのが、こんにちのファンタジーなるものの氏素性であるとする見方は、大雑把な見通しを晴らしてくれると思います(註11)。
ゲームもまた、日常を構成する現実世界を効率的に写像し制御するために生まれたコンピュータという未曾有の器を「遊び」の意志のもとに転用した徒花として登場しました。文字で書かれたファンタジーよりもさらに膨大な感性情報に満ち、ミクロな場面におけるビット換算の情報量とチャンネルの多様さだけみれば、コンピュータ・ゲームは相対的によりかつての祝祭に近いかたちで人間の生理に即した普遍衝動を回復しうる回路となったともいえるでのしょう。
けれどももう一面では、ゲームを成り立たせるコンピュータ・テクノロジーは際限のない欲望の拡大再生産のシステムとしての高度資本主義産業なくしては存在しえないものであり、本質的にそこでは人間のアクティビティは狭い専門の枠で分割され、なおかつその内外で一方的な供給者であるか享受者であるかの分裂症的なふるまいを強要されるものです。これが、あくまでトータルな世界観の共有のもと、そのなかでの秩序ある進行としてケとハレのリズムが存在する本来の祝祭が機能する社会の文脈とは、似ても似つかないものであることを忘れるわけにはいきません。
「現実」と「虚構」とが分裂し、トータルな“現実”を構成するリズムとはなりえず、それを統合しようとする秩序や価値観の見通しも立たないまま、ミクロな感性体験だけが人の原初の衝動に近づいていくゲームという文化装置は、人間の精神にとって、文字で書かれたファンタジーとは比べものにならないオーダーの頽落の可能性を、確かに抱いているのだと僕は思います。おそらくエンデは、コンピュータ・ゲームを人間の想像力への敵とみなしていたことでしょう。
そのあたりの問題は、もはやほとんど文明論の範疇になるしかなくて、認識したからとて誰かが操作的にどうにかできる話では、当然ながらないわけなのですが。
であればこそ。文明だの社会システムだのが投げかける、マクロには一過性の受動的な享楽として消費されるマスプロダクトにすぎないという縛りのなかで、可能なかぎりリアルとフェイクとの関係を善きものとする能動性をプレイヤーに促そうと、情報環境の幾多の不適合を越えて描かれた『moon』の祈るような「ラブ」を、僕は肯定しておきたい。ちょっぴり人の悪いイマドキの照れ隠しの部分も、すっかり含めたうえで。
ともすれば想像力のエコロジーを簡単に崩してしまいかねない危険をわきまえたうえで、せめてゲームとともに成長し、抜きがたい原体験としてもつ僕たちくらいが、そいつにうまい“現実”での居所を与えてやるようなやりようを考えないでどうするのか。それができないかぎり、僕らはいつか、みずからをフェイクの牢獄にとらえられた操り人形に貶めてしまうのではないでしょうか。
汲みとるべきは、そういうことなのだと思います。
<参考文献>
『はてしない物語』ミヒャエル・エンデ作/上田真而子・佐藤真理子訳岩波書店1982
『ファンタジーを読む』河合隼雄講談社α文庫1996(原1991)
『機械じかけの夢』笠井潔ちくま学芸文庫1999(原1985)
『SFとは何か』笠井潔編著NHKブックス1986
『情報環境学』大橋力朝倉書店1989

沢月亭
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/guest/moon.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/guest/clove_r.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/essay/game2.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/goebbels.html



  

















(註1)
戸塚義一監修『ゲーム音楽』では、スーファミ登場直後の1990~1992年はゲーム音楽の「惰性期」と区分されています。
(註2)
別冊宝島『このゲームがすごい!'98プレイステーション編』所収「LOVE・de・LICインタビュー・MOONはボクたちの愛です」におけるインタビュアーと工藤太郎とのやりとり。
───今までのRPGというと、だいたいパターンって決まってるじゃないですか。(中略)そういった従来のパターンを覆そうとか、新しいRPGの新境地を切り開こうという意識を持って『MOON』を作られたのでしょうか?
工藤RPGを別の角度から見てみようという意識はありました。でも『MOON』は純粋なRPGではないですからね。RPGをネタにしたゲームって感じで、RPGの行く先とかは全然考えてないですから。
(註3)
ウルティマシリーズのFOODの意義についてはこちら。
(註4)
本稿の文脈とは直接関係ないが、80年代ファミコンブームに少年時代をすごした筆者による素晴らしいスーパーマリオ体験の息吹。
(註5)
『ゲーム批評サンダー』第2特集「ゲームシナリオの存在意義って?」の堀井雄二インタビューでは、ドラクエにおけるシナリオの導入がいかに自明なものではなく歴史的だったかがうかがえます。
(註6)
いうまでもなく、沢月さんの用法にしたがっています。
(註7)
もちろんこの意味でなら、たとえば64の『ゼルダの伝説時のオカリナ』とかの方がはるかに徹底しているではないかという話しにもなるけれど。アクションRPGのアクションについてのすぐれた考察といえばここ。あとここも。
(註8)
ただ、前掲の制作者インタビューのプロフィールで工藤太郎、倉島一幸、木村祥朗の三氏はそれぞれ好きなゲームとして『新・鬼が島』『ゼルダの伝説』『リブルラブル』を挙げており、80年代中盤のゲーム体験のつよさがうかがえます。
(註9)
5音階からなる青銅の打楽器アンサンブル「ガムラン」をはじめとする絢爛たる民族芸能で多くのフリークをもつインドネシア・バリ島の州都は「デンパサール」。地元土着信仰と複雑に融合した独特のヒンドゥー教を抱くこの島の平民カースト(非常にゆるやか)の子弟は生まれた順にワヤン、「マデ」、ニョマン、クトゥッのミドルネームがつく。蘊蓄御免。
(註10)
前掲インタビューより、素直さとひねくれの入りまじった制作者の「てつがく」をうかがえる箇所。
工藤(中略)たとえばゲーム中で話をしたり、頼みを聞いてあげたとき、単なる数字としての経験値を積み上げていくというのは、なにかおかしい。じゃ、何だろう。“愛”か、みたいなノリでしたね。もちろんシナリオ上のテーマとして愛をわかってもらいたいっていうのはありましたけどね。
木村作っているときは、愛ってことをけっこう馬鹿にしたソフトだと思ってたんですけどね。全体的におちょくってるんですよ。(中略)おまえらもうちょっと力抜けやっていう。
(註11)
こうした大文脈整理による見方にイマイチ実感がわかない向きに、よい文章がありました。特に「異世界に旅するとはどういうことか」についてのサンタクロースの例えによる説明はたいへんわかりやすい。
あとうちの大学の児童文学研がこんなん出してます。

沢月亭
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/guest/clove_r.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/essay/game2.html
http://homepage1.nifty.com/sawaduki/game/goebbels/goebbels.html














moon

類型

タイプ

件数

具体例

第一類型

おつかい・悩み解決型

17

王様、ヘイガー博士、ダイア、リーマン、クリスetc

関係とりもち型

ワンダ/フローレンス、ガセ/フローラ、おしべ/めしべ

第二類型

みまもり型

ベイカー、フレッド、玉屋歌子、パパス、ママス、ノージ

はげまし型

イビリー、マデ☆スマ、ニッカ、ヨシダ、レディテクノ

つきあい型

エコ倶楽部、風車庵のおじいちゃん、ポッカ、キュリオ

第三類型

競争型

バーン、アダー、玉屋平吉、鳥男、ビーハヴ

純粋パズル型

虹マシーン、ロビ、ジンギスカン

2000年1月10日月曜日

[機器][pc] Sotec, Winbook






[機器][pc] Sotec, Winbook
1999
Winbook Eagle
スリムなボディに、
大型液晶カラーを搭載。
これが高速スペックの
ハイエンドモデルです。
13.3インチ大型カラー液晶を搭載しながらも、スリム軽量化を実現。しかも最新MMX®Pentium® 266MHzを
採用し、次のノートパソコンの基準を提示しています。
■製品仕様 
H1P266MTX (MMX®Pentium® 266MHz、13.3インチTFT、XGA)
H1P233MTX (MMX®Pentium® 233MHz、13.3インチTFT、XGA)
H1P166MTX (MMX®Pentium®166MHz、13.3インチTFT、XGA)
オプション (拡張メモリ、HDD等)
大きく見やすい。13.3インチ大型液晶ディスプレイ。ディスプレイは、断然見やすい13.3インチの大型画面を採用。1,024x768ドットのXGA表示に対応した高解像度で、表計算書類や精密な画像も鮮明に映し出します。また、128ビットグラフィックコントローラ(NMG4)を搭載し、動画をより美しくスムーズに再現します。
ビジネスを快適にサポートする高速、高性能。
CPUは全モデル、マルチメディアデータの高速処理に適したMMX機能を搭載した、高性能MMXテクノロジPentiumプロセッサを採用。さらにメモリ、ハードディスクも大容量。例えば266MTXもモデルの場合、64MBのメインメモリ、4GBのハードディスクを搭載し、各種アプリケーション作動に、より快適な使用環境を提供します。
CD-ROMユニット搭載でも、スリムなボディ。
CD-ROMユニット、大型ディスプレイ、大容量バッテリ、大型ステレオスピーカを標準搭載しながらも、38mmという画期的薄さを実現。しかも約2.7Kgの軽量化も同時に達成しています。

Sotec    
http://www.sotec.com/



2000年1月6日木曜日

[社会][機器] HP Jornada日誌/連続冒険活劇680の大冒険~PDA/PHS派の俺の日記

[社会][機器] HP Jornada日誌/連続冒険活劇680の大冒険~PDA/PHS派の俺の日記
■1999年7月11日
連続冒険活劇 680の大冒険 1回目
むかし,むかし,Jornada村に,仲のいい820と680の兄弟が住んでいました。
ある時,二人が山へしばかりに出かけると,680が倒れ込んでしまいました。そうです,標準バッテリ9時間の680のバッテリが底をついてしまったのです。弟思いの820は,自分のバッテリを680へ分けてあげたのでした。
さすが,標準バッテリ13.5時間のお兄チャンです。二人が山から帰る途中。今度は,急にお兄チャンが苦しみはじめました。大きなファイルをPocketWordで編集していたためです。さすがのレスポンスを誇る,お兄チャンもこれではタマリません。
兄思いの680は,PocketWordより,はるかに高速に動くフリーソフトのエディタをお兄チャンに渡そうとしました。
「お兄チャン これ使って」
「680。ううう。ダメなんだ」
「ダメて,お兄チャン。兄弟どうし,同じソフトを動かしても問題ないじゃないか。ましてや,フリーソフトだよ」
「実は,お前のソフトは俺では動かないんだ」
「えー・・・・・・・・・・」
そうだったんです。680と820は,兄弟の様に育てられていましたが,実は,まったく血がつながってなかったです。幸いな事に,820はファイルを分割する事により事無きを得ました。
しかし,本当の兄弟では無いと知ってしまった680は,
「お兄チャン。今までありがとう。僕,本当の兄弟を探しに旅に出るよ。」
「弟よーーーー」
こうして,680の兄弟探しの旅が始まるのでした。
つづく。
※当日誌は,技術的根拠が無い事が多く含まれています。
■1999年7月17日
連続冒険活劇 680の大冒険 2回目
JORNADA村から,本当の兄弟を探すために旅に出た680があてもなく,さまよっていると城が見えてきた。近づくにつれ,その城は古ぼけて,老朽化していたが,今まで見た事がない程,大きな城であった。
城のこれまた大きな門をくぐると,城壁の方から呼び止められた。
「オイ!!」
680が見上げると,680の数百倍は大きな青いコンピュータが立っていた。
「このドチビ何物だ」
「えーと,僕はJORNADA村からやってきた680といいます。
兄弟を探しに旅をしているのです。」
「お前の様なドチビの兄弟なんて,この汎用機国にはいない。とっとと出で行け。」
出てゆけと言われても,あてのない680は素直に聞くわけにいかないのであった。
「本当に,この国には僕の兄弟はいないのですか。せめて,探させてください。」
すると大きなコンピュータの仲間が城からぞろぞろ出てきた。
「JORNADA村なんて聞いたことがない。ましてや汎用機国以外に国などあろうはずがない。」
「こいつは野蛮なヤツに違いない!!」
さすが,中華思想がはびこり,未だに中央集権国家の汎用機国である。
「こんなヤツ叩きつぶせ。!!」
と物騒な雰囲気になってきた。
この,騒ぎを静める様に,長老とおぼしき古めかしいコンーピュータが現れた。
「ENIACじいさんどうする。コイツ」
「・・・・・・・・・・」
「叩きつぶしてしまいましょうか」
「・・・・・・・・・・」
ENIACじいさんは,レスポンスに難があった。
ENIACじいさんの煮えきらない態度に我慢しきれなくなった,大きなコンピュータ数十台が680を取り囲み,今にでも攻撃してきそうになった。
680も戦うしかない。先制攻撃だ。
「こんなコンパクトなマシンでブラインドタッチができるヨービーム」 ビビビビー
効かない。さすが汎用機,カードパンチから歴史がある入力デバイス関連の攻撃は効かないのであった。
「TCP/IP,POP3オープンシステムキック」
このオープンシステムキックは効いた。大きなコンピュータがひるんだすきに,囲いを抜け出し城壁の方へ全力で走った。
しかし,大きなコンピュータたちは,以外にもスピードが早く,すぐに追いつかれてしまった。
「このドチビめ,これでも食らえ..100万件トランザクション処理パンチ」
この攻撃に,680は気を失いそうになった。680ピンチ!!。城壁の前で大勢のコンピュータに囲まれ,気を失いかけてる680。この危機を逃れる事ができるのであろうか。次回を待て。
■1999年7月24日
連続冒険活劇 680の大冒険 3回目
汎用機国で,大きなコンピュータに攻撃を受けて,気を失いかけてる680。
そこエーーーー,。
「この,ドチビ。とどめだ!! 銀行の勘定系システムは,ほとんど汎用機でやってるんだぜチョ・・」
あーまりにも長い攻撃名が幸いした。攻撃名を告げ終わる直前に背にしている城壁の壁が開き680が引きずりこまれたのであった。
「おいしっかりしろ ドチビ!!」
680が気が付くと,古臭いデスクトップコンピュータに抱えられていた。
「ここは・・・・・。君は・・・・・・・」
「秘密の通路さ。俺は I〇M5150。ATて呼んでくれ。さあ早く。やつらが追ってくる,早くこの通路を抜けるんだ!!」
こうして,680はATの言われるまま通路を走った。すると,大きな川が目に前にあらわれた。どうやら,城の外に抜け出した様だ。
「AT君。どうして僕を助けてくれたの」
「いづれわかるさ。
それに,助かったとは限らないゼ。この川を渡らないと」
「え,デモ AT君。僕は兄弟を・・・・」
680が言うのをさえぎる様にATが言った。
「おまえの,兄弟はこの国にはいない。とにかく,この川を渡らないと,あのドデカイヤツらが追ってくる。」
「わかった。でどうやって渡るの?」
「そこにあるLAN橋を使うんだ。」
「えー僕,渡れないよ」
そうなのである。LANカードを購入していない680には,LAN橋が渡れないのであった。
「おまえ,今時  LANカードも持っていないのか。しかたないなー,ハイこれ10万円でいいよ。これで命が助かるんだぜ」
ATが680へLANカードを手渡した。
「10万円もするの。普通1万円以下だよー」
納得できないが,このLANカードを使うしかない680は,しぶしぶ払うのであった。
「毎度あり。それと,兄弟を探しているなら東へ行け。お前見たいなのが,いっぱい居るはずだ」
「ありがとう。AT君は,渡らないの?」
「俺は,無理なんだ。」
ATが自分の足元を指さしながら言った。見ると,端末制御装置の線らしき物が,ATの足元から城へと伸びていた。
「それじゃな。橋をわたったら,決して振り返るんじゃないゼ。
とにかく東を目指すんだ」と言うとATは来た通路を戻って行った。LANカードを購入した680は,無事LAN橋を渡りきった。
ATが言っていた様に振り返らず東の方向へ向かった。しかし,丘の上に立った時,ちょっと疑問がよぎった。
振り返ると,ちょうど城の中庭が見えた。すると,どういうわけか,ATと攻撃してきた大きなコンピュータが仲良くビールジョッキ片手に飲んでいった。
「だまされたのかな・・・・・」
さすが,I〇M。商売上手なのであった。世の中の厳しさを思い知った680は東へ向かって歩き出した。
今度は決して振り返らずに。・・・・つづく。
■1999年7月31日
連続冒険活劇 680の大冒険 4回目
汎用機国から,東へ向かった680であったが,いけども,いけども何も見えてこない。そろ,そろ充電しないとヤバイ状況なのである。
町につけば,喫茶店とかファーストフードの店に入り,コンセントのある席でコッソリ充電できるのだが・・・・。
さらに歩くと,一面花に覆われた野原にでてきた。すると,遠くの方で花を積む,680みたいな筐体をした女の子たちがいた。
そこまで,歩いて行くのにバッテリが持ちそうもない。
「オーイ。そこの娘たちー」
680に気付いた,一人の娘が近づいて来た。
「どうしました。」
見ると,妙にフリフリの服を着た。とってもカワイイ女の子だった。
「すみません。バッテリが切れそうなのです。
助けて下さい。」
「私の,単三乾電池じゃダメかしら?」
「ゴメンナサイ。コンセントのある所へ・・・・・・・」
すると,女の子は仲間を呼んで680を抱えて,町の集会場へ連れてってくれた。
「フー。助かった,ありがとう。僕,680です。JORNADA村から兄弟を探しに旅をしている途中なのです。」
「私,ポケ子です。ここは,『お気軽メール村』です。
本当にダイジョウブですか?しばらくゆっくりしていって下さい。」
680もポケ子のカワイさにひかれて,しばらくこの村でゆっくりしていこーと思った。
お気軽メール村では,680は大人気であった。
「わー大きい。キャピ。」
JORNADA村ではチビで通っていた680は,とっても気分がいいのであった。
「私,メールでたくさんお返事をしなければいけないの。680さん手伝ってくださる?ルンルン。」
「大変,680さん。メールで添付ファイルがきちゃった。読んでんでくださる?」
と,680に近づく娘があとをたたないのであった。
でも,680はポケ子が気になってしかたがなかった。
その日も,680は町の娘のリクエストに色々と答えて,夕方くらいに寝床に
している集会場に戻ってきた。すると,ノックがする。
「はーい。」
680がドアーを開けると憧れのポケ子が立っていた。
「こんにちは。エート。キャピ。1時間後,私の家で夕食でもどうですか?
それに,集会場の床ではゆっくりお休みになれないでしょ?
今日は,私の家にお泊りになって下さい。ルンルン」
「エー・・・・・・・。もちろん!!」
オイオイ。ポケ子。ちょっとだいたん過ぎないか?
それに,680。なにが「もちろん」だ!!。これは,680の冒険活劇だぞー,
恋愛物語じゃないつーの。
連載4回目にして,もはや主人公は作者の手を離れ勝手なことを
しだしてしまった。
この後どうなるのか・・・・。作者も しーらない。            
つづく。
■1999年8月7日
連続冒険活劇 680の大冒険 5回目
お気軽メール村で,大人気の680。
なんと,憧れのポケ子から夕食と夜のお誘いを受けてしまった。
約束の時間まで,まだ1時間ある。
この間680は,目一杯,オシャレをするのであった。
まず,バックライトを最大限にし,暗闇でも目立つ様にする。
そして,自慢のJORNADAのロゴをだす。
「フフフ・・。WIndowsCEの中でも,ここまで見栄えのするのは,僕だけ。」
と鏡の中の680は微笑むのであった。
すっかり,お気軽メール村で勘違いしてしまった様である。
さあ時間だ。
いそいそとポケ子の家の前まで来て,ドアをノックする。
「はーい」
「680です。」
ドアが開けられると,ポケ子が立っていた。
「エー。どなたですか?」
「どなたって,ポケ子さん。1時間程前に食事に誘ってくださったじゃないですか?」
「えー。キャピ。覚えてない。」
なんてこった。ポケ子は少ないユーザメモリのため,不用な記憶を削除していた際に,誤って680の記憶を消してしまったのである。
「そんなーヒドイじゃないですかー」
理由がわからない680は,いつまでもごねるのであった。
そこへ,お気軽メール村の男どもがやってきた。
「どうしたんだ。ポケ子」
「プラス男さん。変な人が家に入れろってひつこいのー」
「ナニ。こいつやっちまえ!!」
あっというまに,男どもに囲まれ攻撃を受けてしまった。
「コイツ。くやしかったら,携帯,PHSインタフェース標準で装備してみろ!!ボコボコ」
「10円メールもできんのか。オラオラ」
オイどうした680。戦うんだ!!。お前の方が値段が高いんだぞ。
しかし,680は無抵抗だった。
「もう,そのへんでヤメテ。」
ポケ子の言葉で,男どもは攻撃をやめた。
「とっとと村から出てゆけ!!」
680は立ちあがり,ポケ子の方を見た。
「さよなら。」
しかし,ポケ子から返事はなかった。
トボトボと村をあとにする680であった。
「しかし,なんでポケ子さんは,あんな事したんだろ。」
謎は説けない様だが,女の恐さを少しは思い知っただろう。
ちょっと調子に乗っていた680にはイイ社会勉強だ。
兄弟を探し見つけるまで,おまえに安息の地はない。
戦え680-----                
つづく。
■1999年8月15日
連続冒険活劇 680の大冒険 6回目
お気軽メール村から,とぼとぼ東に向かって歩いていた,
680であったが,さびれた町にたどり着いた。
町といっても人っ子一人出会わないのである。
「オーイ誰かいませんかー」
たまりかね,680が叫んでみたが返事がない。
「おかしいなー,誰もいない様だなー」
充電する必要があるため,1件のバーに入ってみた。
「こんにちは。」
「はーい。なんの様かね。」
人が居るとは思われなかったが,奥から大きな老人がでてきた。
「680といいます。充電をさせてもらえないでしょうか?」
「ああ,いいよ。 そこのを使いなさい。」
老人が指さした方のコンセントから充電をはじめながら,680が尋ねた。
「この町には人がいないのですか?」
「町どころか,このミニコン国の人間,みんな逃げ出してしまった。
なんせ,長い間戦乱が続いているからね。
あんたも,命が欲しいなら早くこの国をでなさい。」
「はい。わかりました。」
充電を終えた680が立ちあがり,礼を言い店を出ようとすると,
「待ちなさい。この国を抜け出すには,
この,VT80エミュレータが必要だ。なんせ,DECnet対応だからね。18万円じゃ。」
VT80エミュレータやDECnetなんて聞いた事がない,ましてや18万円は高すぎる躊躇する680であった。
「いや。いいです。」
「何をいってるんじゃー。このDEC族のVAXの言う事が信じられないのかー」
今までの雰囲気とは違って老人が激しく怒りだした。
それでも,680は買う気にはなれなかった。
すると,
「ははっはは。VAXじいさん,そいつは,引っかからないぜ。」
何処にいたのか,店のすみの方で飲んでいた,大きな中年のコンピュータが言った。
「おれは,K。VAXじいさんも,おれも昔はこの国でチョットは有名だったんだぜ。
特にDEC族なんか10年前は,理工系女子学生就職したいNO.1だったんだ。
しかし,あいつらのせいで今じゃ,こうやって旅人に物を売って暮らしてるてわけさ。」
橋田寿賀子風にやけに説明調のセリフ回しである。
「はー。そうですか。大変ですねー。」
<あいつら>て誰だろうと680は思ったが,これ以上関わりたくないため,気の無い返事をするのであった。
くやしがる,VAXじいさんを横に,Kはしゃべりつづけた。
「この国を無事抜け出すんなら,これだよ。K端末エミュレータ。10万円でイイよ。インストール費用は別途だけどね。
それに,この親指シフトのOASYSキーボートがあれば完璧さ。」
もう,いい加減にしてくれという気持の680であった。
「僕,間に合ってますから,失礼します。」
「おーい・・・・・イーサーネット・TCP/IP対応もあるん・・・・」
Kが呼びとめるのを振り払う様に店をでた。
680,少しは大人に成った様だ。しかし,この国,一癖も二癖もあるヤツがいる。果たして,680身ぐるみ剥がされず抜け出す事ができるのであろーか。
次回,至上最強のコンピュータの登場である。      
つづく。
■1999年8月22日
連続冒険活劇 680の大冒険 7回目
ミニコン国のさびれた町で,妙な物を売りつけられそうになった680であったが,町ハズレまで来たとき,
「・・・・オープンシステムブーメラン」
背後から,攻撃を告げる声がかすかに聞こえたと思った瞬間680の肩に激痛が走った。
「う・・・・ん・・」
余りの痛みにうずくまる680であった。
すると,背後から馬のヒヅメの音がスゴイ勢いでせまってきた。
「隊長。肩をかすめています。ネライ通りです。」
「捕らえろ!!」
680が見上げると10騎程の騎馬隊に囲まれていた。そのうち,一人が馬を降り,680へ近づいて来たとき,
「TCP/IP,POP3オープンシステムキック」
680の攻撃だ。ところが,全然効かない。効くどころか,
「はっはっははは」
「こいつ,まさか このSun族にオープンシステム攻撃をしかけるとは,はっはっははは・・・・。」
おいおい680。オープンシステム先駆者のSunに,この攻撃は通じないぞ。
よーしこうなったら新兵器だ!! 680いけー。
「大容量48M CFカード メガトンパンチ!!」ドカーン。
「今度は,48Mだって,ガハッハッハ。それも大容量だってよ・・・。はっはっは・・・」
ダメージどころか,500Mを超えるメモリーを搭載する騎馬隊は笑いをこらえるのに必死であった。
「早く捕らえろ! 敵の者かも知れぬぞ!!」
隊長の命令により,先ほどの兵士が680の肩に手をやった,その時
「隊長ー。前方に敵です。それも,大軍でーす。」
見ると数キロのところに,何百という騎馬隊がこちらに迫って来ている。
「ナニ!。本隊に知らせるぞ。」
「隊長。コイツはどうしましょうか?」
「ほっとけ,急げ! 行くぞ。」
すると,680を囲んでいた騎馬隊は,ものすごいスピードで来た方向に走り去って行った。
「なんってこった・・・・・」
680,助かったのであるが,それよりも攻撃が全く効かなかった事がショックなのであった。
しかし,680落ち込んでいる暇はないぞー。
今度は,何百という騎馬隊が迫っているんだ。
このミニンコン国では,お前の攻撃は効かない。とにかく逃げるんだー。 
つづく
■1999年12月12日
連続冒険活劇 680の大冒険 8回目
JORNADA村から,兄弟を探す旅をしている680であったが,ミニコン国で,Sun族と戦ったがまったく歯が立たない!!
ショックのままうずくまる680の背後にSun族の敵と思われる,何百の騎馬隊が迫っている。
680ピンチ!! 早く逃げるんだ!!
と,作者が応援する間もなく2騎の騎馬がせまって来た。
「アッツ!」
680が声を上げた瞬間に,騎馬の戦士に両肩を持ち上げられ,騎馬隊の中へ引きづられて行った。
「隊長。この者です。」
「ウン。見たところSun族の者ではないな。」
「僕は,680です・・・JORNADA村から兄弟を探すため,旅をしている者です・・」
もはや,戦う事も逃げる事もできない680であった。
「JORNADA村,・・・・・・,顔を見せて見ろ!!」
680が顔をあげた。
「もしかして,お前の母親は620でないか?」
「ハイ。そうですが・・・」
「ガハッハッハ,そうか,そうか・・・・・」
いきなり,隊長が満面の笑みを浮かべ,
「皆の者!! 聞け!! この者は我々と同様HP族であるぞ!!」
なんと,この手の冒険話しは都合良くできているもので,
680最大の危機と思われたが,捕らえられた先はなんと,母方の親戚であるHP族であったのだ。
Sun族に攻撃された傷の手当てを受けながら,HP族の騎馬隊と共に過ごす680であった。
「隊長,なぜSun族と戦うんですか?」
「うん。それはな,もし戦わねばこちらがやられてしまう。
戦いを望んでいるわけでは無いんだ。」
680に説明する隊長であった。
「それに,680。バブル崩壊で日本の経済は冷え込み,昔みたいにUNIXサーバだからって簡単に売れないんだ。この中で生き残るのは顧客データ・・・・・・」
680にはよくわからない話しだったので,さえぎる様に680が言った。
「そんな事よりも,隊長。僕にSun族と互角に戦える様に攻撃技を教えて下さい。」
「いいぞ。まず,わしにお前の攻撃をしてみろ。」
とまどいながら,680が攻撃をしかけた。
「TCP/IP,POP3オープンシステムキック」
「ははっはは・・・。そんな攻撃じゃダメだな。」
「もっと,お前らしい攻撃をしかけないと,やつらには通じないぞ。」
「自分らしい攻撃・・・・・・よーし」
「大容量48M CFカード メガトンパンチ!!」
「だめだな。もっと自分の特徴をアピールするんだ。」
「よーし,では・・・」
680が身構え精一杯の声を張り上げた!!
「個人情報携帯端末でブラインドタッチができ,リモコン代わりにもなるんだよカカト落とし!!」ブーン
「うーん カシオペアユーザから文句が出そうだが,いいぞ! その調子だ!」
てな,感じで技を鍛錬する680であった。
傷も癒え,攻撃技に自信を取り戻した680がある時,
「隊長,そろそろ僕・・・・。兄弟探しの旅に戻ります・・」
「わしたちといっしょにSun族と戦う気持にはなれないのか・・」
「そんな,企業間の戦いには巻き込まれたくないです。僕はやっぱり個人をターゲット
としたコンピュータなんです・・。だから・・・」
「わかった。お前はお前の道を歩むがいい。」
せっかくの親戚との出会いをたちきり,心身ともリフレッシュした680は兄弟探しの旅に戻るのであった。
次回,摩訶不思議な国に紛れ込んでしまった680~。お楽しみに。
■2000年1月17日
連続冒険活劇 680の大冒険 9回目
偶然にも親戚であるHP族に助けられ,ミニコン国を抜け出した680であった。
兄弟を探すために,旅をしているのだが一向に手がかりがみつからない。
しかし,東にその手がかりがある事を信じてひたすら歩くのである。
すると,ポップ調の色彩で彩られた屋根が立ち並ぶ,町が見えてきた。
「派手な町並みだなー」
と思う680であったが,ジョルナダ村では紫色した筐体をもつチョット異色であった680には期待が湧いて来るのである。
町の入り口で,デザイナー風に見えるイチゴ色,薄い黄色,薄い紫色の
身体の中が少し透けて見えるオールインワン型のコンピュータがおしゃべりをしているのを見かけた。
「こんにちは。えーと ここはどこですか?」
問いかけると3台のコンピュータが振り向き,680の顔を見ると,どういうわけか又,3台で話しだした。
聞こえなかったのかと思いもう一度大きな声で聞くのである。
「すみません。ここはどこですか?」
今度は,明らかに聞こえているはずだが680の方を見ることもなくおしゃべりを続けるのであった。
「なんだこいつら。まあ失礼な人ていうのはどこの町にもいるもんだ,
ついてなかっただけ,違う人に聞こーと。」
気を取りなおす680であった。
しばらく行くと,OL風の薄い青色,青りんご色したコンピュータがおしゃべりをしていた。
「すみません。ここはどこですか?」
同じであった。
680の顔を見ると無視されてしまうのである。
「ヒドイ人達だなー。それとも,僕の顔に何かついているのかなー」
窓越しに自分の顔を見るのであるが,いつもの様に,Windows CEのデスクトップが出ているし,ディスプレイの輝度も問題ない。
とにかく,充電させてもらって早く町を出ようと考えた。
しかし,行けども尋ねれそうなコンピュータに出あわなかった。
「おーい。」
「おーい。」
まさか,その声が自分に向けられていると思わなかったが,ひつこく声がする。
振り返ると。この町で見かけた人とは違い,ディスプレイ・フロッピが別売りの様で筐体には付いていない初老のコンピュータが声を掛けてきた。
「見かけぬコンピュータだな。旅人だろー。」
「はい。兄弟を探すために旅をしている者です・・・。
 680といいます。ここは,なんという町ですか。
 みんな教えてくれなくて・・・・・・」
「そうか,悪かったネ。ここは,アップル国じゃ。
 みんな悪気はないんだよ。
 ただ,お前さんみたいなWindows顔のやつには,どうしてもそんな態度
 をとっちゃうんだよ。
 おっと,わしは『アップル?U』とでも呼んでくれ。」
Windowsがなぜ悪いのか不思議に思ったが,親切に話してくれる,
アップル?Uに悪い様な気がして聞けなかった。
「アップル?Uさん。充電したいのですが・・・・」
「うーん。実はわしの家は,焼けちゃってなー。わしも焼きだされたのだが,
チョット修理すれば,このとおり元気になったというわけさ。
その当時は,奇跡だとかいって話題になったもんなんだー・・・・」
なぜか,思いでを語り出すのであった。
「そうかそうか,充電だったな。わしの知りあいの所へ行こう。」
そう言われ,アップリ?Uの後をついて行くのであった。
変な国に来てしまった680。果たして無事充電をして抜け出す事ができるのであろうか,まだまだ何かありそうなアップル国。次回をお楽しみに。
■2000年2月5日
連続冒険活劇 680の大冒険 10回目
アップル国で充電に迫られた680は,親切なAplle?Uといっしょに充電ができる場所を求めて歩くのであった。
Aplle?Uの後をついてゆくと,やがて町ハズレの古ぼけた一軒家の
前に来た。
「ここだ。」
Aplle?Uが指差した。
「スリー!」ドンドン。と呼びかけても応答が無い。
「しょうがない,ヤツだなー」と言いながらAplle?Uがドアを開けると,暗い部屋の中で,1台のコンピュータが椅子に座っているのが見えた。
「昼間から飲んでいるのか!」
「ウィ。あ~。兄貴か・・・」
「すまんが,電源を貸してくれないか。旅人が困っているんだ」
「フーン。兄貴はいいよなー。どうせ俺なんか・・・・」
といいながら住人は酒をあおるのであった。
「すまんなー。コイツではだめな様だ。次へ行こう。」
次へ向かう途中で,680が思いっきり聞いてみた。
「さっきの人は,弟さんですか?」
「うんそうだ。Aplle?Vていうんだが・・・・。どーも俺をネタンでいる様でな
世間からも見放されてしまっているんだ。」
次はここだ。
「リサ!」ドンドン。と呼びかけると中から派手なオバチャンが出てきた。
「あらー叔父さん。こんにちは。」
「すまんが,電源を貸してくれないか。旅人が困っているんだ。」
「えー。叔父さんが私に頼みごと?。珍しいわね。
まあそのぐらいしないと叔父さんも割に合わないわね。
でも,今,出かけるところなの。オホホホ・・・。」
と,一方的にしゃべりたおしたあとドアが閉められた。
「すまないねー。
姪のLisaと言うんだが・・・。プライドばかり高くて。」
二人は無言で理由もなく出合った場所へ向かって歩き出した。
すると,前方にネズミの様なものが,電柱の影から影へと動いたのが見えた。
「ニュートン」
Apple?Uが呼びかけ近づいて行くと
「ひゃー。ごめんなさい。すみません。道を歩いていててごめんなさい。
生まれてきてごめんなさい。」
「いやいやそうじゃないんだ。ニュートンすまんが,電源を貸してくれないか。旅人が困っているんだ」
「えー。ごめんなさい。僕のせいで・・・コンセントなら電柱の上の方にあるんで,もし使えなかったごめんなさい。
さよーならー」
と,又ネズミの様に道の隅っこから隅っこを素早く動きながら去っていった。
ニュートンはかなり自虐的な性格な様だ。
「おー。そうか そうか。680ここのを使いなさい。」
といって,電柱に設置されてコンセントを指差した。
「ハイ。ありがとうございます。」
680が充電を始めた。
すると,最初に出合った,身体が透けている派手な色のコンピュータが沢山集まってきた。
680の顔をじーと見ているのだが,その目線は冷たく,陰険なムードが漂っていた。
「Apple?Uさん。いくらあんたの知りあいでもMS-Windows顔のヤツにこの町の電源を使わすなんてゆるさないゼ!」
一人の青リンゴ色したコンピュータが言った。回りのコンピュータも同調する様にうなずくのである。
「何を言っているんだ。この子は困っているんだぞー」
「困っているのはそいつの勝手さー。MS-Windowsの連中に助けてもらえばいいんだ。
みんなー。コイツをこの町から追いだすぞ!!」
と言うと十数台のコンピュータが充電中の680を囲み,無理やりコンセントから引き離そうとした。
680~。おとなしく言うことを聞くんだ。
なんせ,Macファンはパワーユーザが多くて,作者も立場が悪くなるんだ。抑えてくれー。頼むー。
と作者の訴えを聞いていないのか,680が攻撃名を告げるのであった!!
「昔のEXCELはロータスより人気がなかったけど,Macファンに支持されたおかげで,広まって行っただよー有効ビーム」
ビーーーおーおーなんて素晴らしい攻撃なんだ。
攻撃を受けたコンピュータたちは,たちまち柔和な顔に変化したいった。
「いやー悪かったねー。そうだったんだー。充電していってよ。」
夢中で攻撃をしかけた680であったが,あまりの効き目にあっけにとられるのであった。
しかし,いつまた追いだされるかわからないため,いそいで充電を切り上げ町を出ようとした。
「皆さん。ありがとうございました。Apple?Uさんありがとう。」
「ウン。いいから早くいきなさい。」
Apple?Uも680と同様に不安を感じているのか,せかす様に言うのである。
「680さん。もっとゆっくりして行きなよ。家に泊まっていってもいいからさー。」
さっき,追い出そうとしたコンピュータに言われたが,逃げる様に町はずれへ向かった。
Apple?Uへ満足に礼を言えなかった事,みんなに嫌われている事,すっきりしない680であったが,兄弟探しの旅は終っていない。
そう言い聞かせ,また,東へと続く道を進むのである。

HP680日誌
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