1996年8月14日水曜日

[機器][電話機] グレー公衆電話(ISDN回線デジタル公衆電話)





グレー公衆電話の特徴
書庫日記
カテゴリその他趣味
2017/6/21(水) 午後 5:54
※こちらの記事は、知恵ノートよりコンテンツを移行したものです。
こんにちは。今回は、グレー公衆電話について紹介したいと思います。
こちらは1990年から登場した初期タイプ。
初のグレー公衆電話となります。上から、
電話ボックス向けのDMC-4A、
公共施設向けのDMC-3C、
テレホンカード専用のDMC-2C
です。こちらは1996年から登場した後期タイプ。上記の初期タイプの改良型です。上から、
電話ボックス向けのDMC-7A、
公共施設向けのDMC-6C、
テレホンカード専用のDMC-5C
です。グレー公衆電話は、初のISDN回線を使用したデジタル公衆電話です。
当時の最先端な機能が搭載されました。
これから紹介する機能はグレー公衆電話のみの機能となります。
それよりも古いアナログ公衆電話(MC-3Pなど)やグレーよりも新しい新型の公衆電話(DMC-8A)には付いていない機能ですのでご注意を。
グレー公衆電話の機能と言えは、なんといってもこの大型液晶画面とたくさんのボタン。
これから、それらの機能を紹介していきましょう。
・液晶画面に入力した番号が表示されます。
この表示をしてくれると、入力間違いも減りそうな感じで、また、入力した番号を確認できるので、分かりやすいですね。
上が初期タイプ、下が後期タイプの表示です。
後期タイプは数字フォントが見やすいものに改良されているようです。
また、「スタート」ボタンと「かけ直し」ボタンも用意されています。
「スタート」ボタンは、番号を入力したあとに押すボタンで、そのボタンを押すと、通話が開始されます。自分のペースで通話を開始することができ、早く通話を開始したいときにボタンを押したり、入力番号を確認したあとにボタンを押したりと、そのような使い方をすることができます。
「かけ直し」ボタンは、番号を入力し間違えたときなどに押すと、最初から入力し直すことができます。このボタンを使用すると、いちいち硬貨やテレカが一度返却されることなく、そのままかけ直すことができます。
初期タイプは独立したボタンとなっており、後期タイプは、いわゆるファンクションボタンのタイプに改良されています。
 DMC-7A_005.jpg
後期タイプのみ、番号を表示無しにすることができます。
番号を表示させたくないときにこの機能を使うと便利で、さらに番号の代わりにアスタリスクが表示されるので、押したボタンが反応したかどうかを確認することもできます。
・通話中の残り時間が分かりやすく表示されます。
この残り時間の表示は、15秒単位のバーになっており、リアルタイムで残り時間を確認することができます。
しかも、常に表示してくれるので、とても便利ですね。
この写真は、後期タイプの表示です。
このように、視覚的にも分かりやすいバーとなっており、数字と数字の間の3つの点が15秒単位の表示となっています。この写真は、残り1分45秒をあらわしている表示となっていますね。
初期タイプのみ、通話中に番号をメモすることができます。
通話中に番号をメモしたくなったときなどにこの機能を使うと便利ですね。
また、メモした番号先へかけ直すこともできます。
・色々な操作ガイドが分かりやすく表示されます。
このように、料金を入れるときやダイヤルをするとき、料金が不足しているときなどにイラストとメッセージで分かりやすく表示されます。
初めての方にも使いやすいような工夫ですね。
・お辞儀するお姉さん
グレー公衆電話の1番の名物と言えるのは、やはり通話終了後の「ありがとうございました」表示のお辞儀するお姉さんです。
このお辞儀するお姉さんを見ていると、心が落ち着きますね。
こちらは動画です。0:08からお辞儀するお姉さんが出てきます。
・その他の機能
他にも、オンフックができたりなど、多機能で使いやすいグレー公衆電話ですが、一番有名(?)なのが、データ通信です。前面に端末接続口があり、この端末接続口にパソコンなどをつなぐことで、インターネットなどをすることができるもので、当時としてはとても画期的なものでした。ところが、現在は家庭などにもインターネットが普及したためか使用頻度は減ってしまったようです。
また、初期タイプにはバックライトが付いており、暗いところでも見やすくなっています。
なぜか後期タイプではなくなってしまったのは不思議ですね・・・
このように、グレー公衆電話の色々な機能を紹介はどうでしたか?
やはり、このグレー公衆電話は多機能・分かりやすい・使いやすいの3拍子でしたね。
残念ながら、現在は、新型(DMC-8A)への置き換えが進んでいるため、グレー公衆電話をご堪能したい方は今のうちにすることをおすすめします。新型の公衆電話(DMC-8A)は、今このページで紹介した機能は全く付いていないので、使い物になりませんね・・・
自分のYouTubeチャンネルにて、グレー公衆電話の動画を多数UPしております。
ぜひこちらもご覧ください。
(https://www.youtube.com/channel/UCwaa6oUiSFDxHww4cb_KsWA)
グレー公衆電話の再生リスト
(https://www.youtube.com/playlist?list=PL69N8uST5vzsmnTDafiooqtxxpFHdirrw)
公衆電話チズでは、グレー公衆電話の写真を多数UPしております。
(http://www.telmap.net/user/東京メトロ6000系)

gray_public_telephoneの知恵ノート
https://blogs.yahoo.co.jp/gray_public_telephone/14984386.html
http://www.telmap.net/user/東京メトロ6000系



DMC-4A,電話ボックス向け,1990年登場の初期タイプ
DMC-3C,公共施設向け,1990年登場の初期タイプ
DMC-2C,テレホンカード専用,1990年登場の初期タイプ







DMC-7A,電話ボックス向け,1996年登場の後期タイプ
DMC-5C,テレホンカード専用,1996年登場の後期タイプ












1996年8月12日月曜日

[機器][PDA] HP1000CX



HP1000CXを手に入れました
書庫日記
カテゴリパソコン
2014/7/23(水) 午前 1:13
HP1000CXを手に入れました。
いやぁ、結局これかよって感じで。
HP200LXを手放してから安価に手に入れられないものかとオークションを狙ってまして。
んで、難ありでしたが手に入れました。
やっぱり廃人だね。b(_<)
私知りませんでした。
こういう型番がある事を。
200LX系からシステムマネージャ関係を抜いたのが1000CXなんですってね。
まぁ、基本的にテキスト打ち、アセンブラ打ちがメインなので、問題ないっちゃ問題ないんですが。
てな訳でこれから修理と改造をぼちぼちとアップして行きます。
ちなみに開いた所。
100LXや200LXのメニューキーが、物はありますが印刷無しです。
メモリは1MB。
電源を入れた所、クロックアップはされていない模様。
キーの効きが悪い、という状態で、確かに強く押さないと効かないキーがちらほら。
まぁ、ここら辺はキーボードとメイン基板の接触不良とかでしょ、と思いつつ初日は終わるのでした。

ローテクのゴミ箱_サーマルTAMりんのブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/tamrim_lowtech/12670166.html

[分解][PDA] HP1000CX

HP1000CXの修理(キーボード)その1
書庫HP200LX1000CX
カテゴリパソコン
2014/7/26(土) 午前 0:59
さて、オークションで手に入れた1000CX、次の日にはバラして接触部分等、掃除をしました
イメージ 1ついでに基板の状況も確認。メインメモリらしきチップが2つ、DOSのROMと思われるチップが1つと、空きパターンが1つ、多分、100LXや200LXの時はこちらにもROMが付くんでしょうねぇ。
後、ドーターボード用のパターンが。てことは、ここにコネクタを付けて、1MBのRAMボードを付ければ2MBって事です。(ニヤリ
後、クロックはやはり標準でした。
取り合えず一通り掃除して組み立て直し、一通りのキー入力を確認。大体の入力はOKのよう。
昔使っていたCFを取り付けて、動作確認。認識もバッチリ。100LXの時は認識しなかったので苦労したなーと思いつつ、VZ起動
再度キー入力を確認。よーし、大体OKかな。
あれ?
ESCキーが効かない。VZが終らせらんない。(今気付きましたが、F1のメニューで終了出来ましたね。いつもesc,xで終らせる癖が付いているもんで)
キーボードかぁ。外した事無いなぁ、と数々の200LXの修理をしている方のページを覗いてみると、ありました、ありました。なになに?裏を開けなくても修理出来る?
http://lx-rest.com/200lx_keyboard_easy_remove.htm
知らなかったなぁ。早速手作り工具(といっても割箸を削るだけですが)を作って、いざ、分解。
分解すると、キーボードの左上辺りに何かをこぼした後がありました。取り敢えずキートップ等は水に付けておいて・・。
更に下を確認すると、ESCキー辺りのパターンが見事に無くなっています!!。
そりゃ反応する訳ないわなぁ。
で、こういったパターンがシートに乗っているやつって・・直せるんかいねぇ?
という訳で調べましたら、あるもんですねぇ。電導性塗料ってものが。
取り敢えずそれが無いと直せないので、今日はここまでにしました。
翌日は休みだったので、どこかで電導性塗料が無いかと店をハシゴしましたが・・・無いねぇ。以外と無いもんですねぇ。
ホームセンター(車の修理で使用する模様)も、楽器屋(エレキギターの裏に塗りたくると音が良くなるんだそうな)も。まぁうちの近くの店しか行ってないので、ある店にはあるんでしょうけど。
という訳で続きは別の日で。

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1996年8月9日金曜日

[改造][通信] PC9821のALL SCSI化



[改造][通信] PC9821のALL SCSI化
ALL SCSI化
こちらは至って簡単です。
PC-98シリーズ対応のBiosを持っている物ならまづ間違いなく使用できると思いますボードはPCIスロットに空きがある機種なら迷わずPCIのボードにしましょう。(ヲヒ これに伴いCD-ROMもSCSIの物にしました。MMXに対応していない98はIDEのコネクタがささっているだけで、起動さえしてくれないからです。
SCSI-CDROMドライブを買う時はDOS(NEC)のドライバ付きを選ぶのが良いと思います。そうする事により、窓95をCDからインストールするのが楽です(笑  私はTEAC製のCD-516Sを使用しています。当然ですが、CD-ROMもSCSIの物にしたらシステムセットアップメニューの固定ディスクは「切り離す」に設定します。IRQの空きが一つ稼げますし、MMX化するときに役立つかも? (ヲ
いままで使用したSCSIボードです。
◇INI-9100J 
昔故ICMから依頼を受けて制作してましたので98のBios持っていたりします。私はこれで、内蔵HDD(SCSI)が大丈夫かどうか実験しました>もうかなり昔の話ですけど
◇adptec AHA-2940AU
現在私が使用しているボードです。
◇IO-DATA SC-UPCI
クロックアップされ、Xa12(?)で愛用させてもらっています。ウルトラワイドのコネクタを持っていますので結構お買い得かも
現在使用しているSCSI-CDROMです。
◇PIONNER製 DR-U12X 
これは、現在Xa7で使っています。ドライバはPioneer Electronic (Europe) NV - Optical Storageこちらからダウンできます。 (タブン
◇TEAC製 CD-516S これは、現在Xa12(?)で使っています。ドライバはTEAC system create - Support Serviceこちらからダウンできます (タブン
CD-ROMをSCSIにする訳ですから、いままでのWin95インストールディスクではCD-ROMドライブは認識できません。PIONNER、TEAC共INTALLプログラムが付属されているので、Win95インストールディスクにそのまま組み込みました(汗
CONFIG.SYS&AUTOEXEC.BAT;を記しておきます
まぁ~インストールディスクなのでかなり手抜きで、不毛な物も立ち上がっていたりします。解っている人は笑って見逃してやってください。(笑

まっちんのホームページ
http://www.ix.sakura.ne.jp/~menu/y-machida/05_0Remodel/05_0pc98/05_1wildc/05_01wildc.htm




 



 

PIONNER DR-U12X
+----------《AUTOEXEC.BAT》----------+
A:\MSCDEX.EXE /D:MSCD001 /L:E
E:
CD \WIN95
OEMSETUP
+----------------------------------------------------------+
+------------《CONFIG.SYS》--------------+
DEVICE=A:\HIMEM.SYS
DEVICE=A:\EMM386.EXE
LASTDRIVE=Z
FILES=20
BUFFERS=60
SHELL=\COMMAND.COM /P /E:512
DEVICE=A:\PIONEER\DRD6000.SYS /D:MSCD001 /C:CDP
+------------------------------------------------------------+
TEAC CD516S
+----------《AUTOEXEC.BAT》-------------+
A:\MSCDEX.EXE /D:MSCD001 /L:F
F:
CD \WIN95
OEMSETUP
+-------------------------------------------------------------+
+--------《CONFIG.SYS》--------------------+
DEVICE=A:\HIMEM.SYS
DEVICE=A:\EMM386.EXE
LASTDRIVE=Z
FILES=20
BUFFERS=60
SHELL=\COMMAND.COM /P /E:512
DEVICE=A:\TEACCD\CD-600S.SYS /D:MSCD001
+--------------------------------------------------------------+

1996年8月7日水曜日

[機器][携帯電話] DDI-IDO/Motrola StarTAC





STARCKの待受け画面
2006/3/28(火) 午前 8:10
STARCK/DESIGN 工業デザイン
やや強引な今日のエントリー。
昨日、Nokia 702NKより機種変更したSamsung804SS。
「デザイン携帯」って狙いすぎのamadanaのようで、どうも好きになれず。
もちろん壁紙はSTARCK。
デザインはMotのRazorのパクリといわれてますが、StarTACっぽくもあったりします。
1996年に登場した銘機StarTAC。
Sバッテリーは待受8時間、夕方には電池切れてました。
もちろんメールもないアナログ電話機で、13万もしたのでまるで売れなかったです。

S+ARCKコレクターの日記
https://blogs.yahoo.co.jp/debis_japan/30087320.html







IDOのモトロな端末、StarTAC!改訂版
さてさて、その後のStar様ですが、解約してしまいました(涙)。単に私の経済状況ゆえなのですが、、。ただ、ラッキーなことに、灰ロムで帰ってきました(爆)。IDOプラザへ解約しにいったのですが、お姉さんがStar様をいじって奥へ持っていき、他の人とごにょごにょ、、、。で、しばらくして「お待たせしました」と電源オフにして返してくれました。解約は終わったのですが、電源を入れてみると、バーが立ってる!!うほ!らっきー、灰ロムぢゃん、というわけでした。さらに裏コマンドをぱこぱこ、、、。完璧です。電測もアノコトもできる。うふふふ。 しかし、なんで白くできんかったかなぁ?? 
閉じたところ。やはり美しい(笑)。これが全てです。これ以外に何もStarTACに要求してはいけません(笑)。 横ちょから見た所です。なんと「)」みたいな感じで弧を描いているんですよね。このあたりのコダワリには脱帽です。さすがアメリカンですねぇ。マックに通ずるモノがあります。おまけに、圏内か圏外か閉じていても分かるように、LEDのインジケータがピカピカ光ってます(爆)。どうりで電池が持たないわけです(苦笑)。 ところで、ドコモのStarTACスタイルのPDC「M204」はどうなったんでしょ??いつの間にか時代は206シリーズになっとりますが(^^;)。 

Staroのモバイル部屋
http://member.nifty.ne.jp/staro/keitaihyouka.html







◆Motrola StarTack, 
最初にフィリピンに定住したのが1996年、当時日本の携帯電話は、今の親子電話の子機くらいの大きさでした。
フィリピンではノキアとモトローラの携帯のみが販売されていました。まだアナログの時代です。
自宅用にはノキアの携帯電話を購入したのですが、仕事の関係で日本から電話がよく掛かってくるため自分用の携帯を買いました。
アメリカのドラマの主人公達が劇中で、挙って使っていたのがこの携帯電話でした。
二つ折りというよりフリップの付いたデザインで名前から連想されるようにスタートレックのコミュニケーターを気取った小さく、軽いものでした。
本体も軽いのですが当時としては珍しいリチウム・イオンのバッテリーを装備していました。
◆Nokia
時代はアナログからデジタルに変わりつつあり2機目はノキアのGSM携帯にしました。この携帯を選んだ理由は、世界で始めて携帯からインターネットに接続できるプロトコルWAPを搭載したものだったからです。
日本のiモードのように文字情報ばかりのWEB閲覧で欲しい情報も少なく電子メールくらいの使い道しか無い物でした。
この頃は、この携帯と日本製のPDAを2台持ちしていました。
横目ではHandSpring社(Palmからスピン・アウトしたメーカー)の電話の出来るPDAを睨んでいたのですが、フィリピンでも取扱店がMacの正規販売店で店員が「貧乏な一般人はけえれ」てきな対応、さらには不当な値段設定がされていたので買えませんでした。
◆HandSpring Treo650
三代目は、HandSpringが送り出した携帯+PDA(スマートフォン)でした。
キーボード付きカラーが出るまでじっと我慢していたのを思い出します。2002年くらいだったでしょうか。
こういったフリップが開く携帯はスタートレックのコミュニケーターのように見えるので、プログラムを自作してフリップのオープン・クローズ時にスタートレックのコミュニケーターの音を出すようにしました。Wave再生機能は無かったので大変な作業だったことを思い出します。
交換式のバッテリーでは無かったので例のMacの取り扱い店に何度かバッテリー交換をしてもらいました。
◆PalmOne Treo650
スマートフォン2台目はPalmOne(PalmとHandSpringが合併)のTreo650です。
Treo270は大変気に入っていたのですが、メモリーカード・スロットが無い点と早いバッテリーの劣化があったので買い替えました。
OSが変わったのでプログラムの移植が大変でした。
◆Palm Centro GSM
スマートフォン3台目はPalm Centroです。
Treo650の悩みはその厚さでした。
当時、小さなクラッチ・バックを持ち歩いていたので嵩張るのが難点でした。
Treo650と同じスペックで小さくなったCentroを、たまたま見つけてしまい衝動買いしてしまったものです。
◆Nokia E71
最後は今も使っているNokia E71です。
Centroは今でも一番好きな携帯ですが、日本で使えないのが問題でした。
数ヶ月日本に行く必要があって日本でも使える携帯として買ったものです。
タッチ・パネル式ではありませんが、
Treo270,650,Centro
と使って来て、片手操作メインのキーボード付き携帯にはタッチ・スクリーンは必要無いと思っていたので問題ありませんでした。
流石にノキア製だけあって不都合を感じる事はありませんでした。
同時にスマートフォンに対する情熱(?)も醒めてしまったようです。
私にとってのスマートフォンとは、
「何でも出来る」
「必要があればOS領域すら動作を書き換えられる」
事ができるものを指すようです。
じゃじゃ馬的な動作や気に入らない操作性を自分で作成したプログラムで書き換える事が楽しかったのだと気がつきました。
銃=>バイク=>車=>小型ガジェット=>銃=>バイク・・・
と周期的に趣味の傾向が変わっておりますが、今度、携帯に興味が出てくる頃には第2のPalm社が出てきて携帯が様変わりする頃でしょうか。

My 3D My Guns
https://blogs.yahoo.co.jp/teknotes2430/28809588.html






[雑記]::さよなら、パーム
2011/2/13(日) 午前 0:26
雑記 練習用
Palmという会社をご存知だろうか?
世紀末にPalm PilotというPDA(Personal Digital Assistant)携帯情報端末を送り出し、
以降マイクロソフトのWindowsCE(Pocket PC)と伴にPDAの発展を計ってきた会社である。
日本ではソニーがClieというPDAを販売していた時期もあったが基本設計はPalmのPDAに準ずるものであった。
PDAの位置づけはPCの下位であり、PCを母艦としてPCで収集した情報を外に持ち出す、さらには外で収集した情報をPCに送り返す役割であり、
母艦となるPCと情報を同期するのが目的であった。
逆に言えばPC無しでは十分に働けないものであった。特にネットワークにある情報に直接アクセス出来ないのは致命的であった。
まだ公衆無線LANが普及していない時代の話である。
そこで当時既にネットワークが広く展開されている携帯電話との融合が計られた。
今で言うスマートフォンである。
携帯電話のネットワークを通じてネットワーク内に保管されている個人情報と直接同期することと、
汎用のブラウザを用いてウェブにアクセスする事が狙いである。
このような狙いを受けてインフラが整備されてくると、それに乗っかった新しいビジネス・モデルに対応させるためのスマートフォンも登場してくる。
iPhoneやAndroidのスマートフォンである。
iPhoneは音楽、映像、アプリケーション・プログラム等のソフトウェアのマーケットを確率させ、出品者や購入者に課金する端末であり、
AndroidはPDA時代のPCの役割に取って替わる存在となりグーグルおよびグーグルのサービスが将来的に必要不可欠になることを狙った端末である。
こういった商業的な狙いでユーザーを必死に確保しようとする会社と、Palmやマイクロソフトのように特に商業モデルもなく、ただPDAのあるべき姿を追求しているだけのメーカーではユーザーへのアピールやサービスに違いが出てくるのは当然であり、
PalmやWindowsMobile,Nokiaのスマートフォンまでも衰退の傾向にある。
そんな環境の変化の中で、Palmはヒューレット・パッカード(Hp)に買収されてしまいPalmの名前はすっかり消えてしまった。
HPに吸収されることでPalmは生き残ると思えれば、まだ良いほうなのだが、HPという企業は、過去に自社のPDAをコンパックと合併するために消し去り、新たに得たiPaqというブランドもPalmの吸収で消し去り、Palmの後継機も最後はAndroidに乗り換えるために消し去る運命が見えるようである。
さて今回はPalm消滅記念ということで、フィリピンに来てから購入した携帯を紹介して終わりにしようと思います。

My 3D My Guns
https://blogs.yahoo.co.jp/teknotes2430/28809588.html







MOTORAZR 
2006/12/23(土) 午後 10:22 無題 練習用
ちょうど12年使っていたAU(IDO)からDOCOMOへ携帯を換えた。
MNPのおかげ?(影ではバカと言われてる。)
マイクロTACは使わなかったがIDOのstartacからAUのC100M(買ったときはIDO)
そして本日からdocomoのMOTORAZR(M702Si)
何がいいって?
やっぱMotorolaでしょ、Mマークでしょ、日本人には使いにくいでしょ。
日本には無いデザインと無線機会社では世界一でしょ。

Jeep改め「ランクル70と365日仕事」





1996年7月30日火曜日

[機器][携帯電話] PanasonicデジタルムーバP(MA841DムーバG), 1996年



18年前のたからもの
2014/6/27(金) 午後 11:40 日々のくらし 熊本県
2階のクローゼットを片付けてると、懐かしいモノが出てきました。
古いケイタイデンワ。
私にとって2台目の携帯電話だったと思われる、パナソニックのデジタルムーバP。1996年製です。
最初に10万円オーバーで買った(って言うかこの頃はまだ機器はレンタルだった)日本無線製のアナログムーバRから機種変更したんだったと思います。ってコトは最初のアナログムーバRはかなり長期間使用したってコトになりますね。アナログの機器は殆どのユーザーがレンタルで使用していたハズなので、お手元に残ってる方は稀でしょう。私もアナログムーバRは機種変更の際にドコモの窓口で回収されました。
アナログムーバの頃から使ってた革のケースに入った状態で発見されました。ちなみに「機種変更」って言うことばが出来たのは、この頃だったと思います。私の場合この機種以降スマートフォンになるまでの間、ほぼ1年~長くて2年のペースで機種を交換して来ました。一時期携帯電話販売の仲介をしてた頃がありましたので、他のかたよりはハイペースですよね。
まだこの頃は機種名(P101とかそういう呼称)は本体に書いて無いです。ただ「P」と。
デンチを外してみると、正式名称は「MA841DムーバG」って言うらしい。Gってのはたぶんゴールドってコトかな?黒一色だった携帯電話から初めて色が付いたヤツじゃ無かったかなー?確かシャンパンゴールド、とか。勿論まだIモードとかありませんよ。
そういえば、もう20年以上も携帯電話ってキカイのお世話になってるワケです。
相当便利になったなーって感謝する反面、こんなモン発明したヤツを時々恨んだりもします(笑)

おやまの車庫
https://oyamanotanchan.blog.fc2.com/
https://blogs.yahoo.co.jp/oyamanotanchan/40005722.html
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c2-73/oyamanotanchan/folder/547159/22/40005722/img_0

1996年7月12日金曜日

[機器] IBM Aptiva H5E



[機器] IBM Aptiva H5E
[Aptiva H5E]
製品紹介
購入は、96年の11月。
買った直後にMMXのCPU搭載モデルが登場して、 結構悲しい思いをしました。
まぁ、製品使用を見ていただけば判るとは思いますが、 この機種、ベースクロックが60MHzなので、オーバードライブプロセッサーを積んでも180MHzにしか ならないのです。
仕様
CPU:Intel Pentium 150MHz
Memory:96MB(標準:16MB)
Disk:2.5GB x2(標準:2.5GBx1) WesternDigital社製 WDAC22500
Modem:なし(標準:IBM MWAVE)
Sound:CreativeLab AWE64Gold(標準:IBM MWAVE)
LAN:ELECOM Laneed 10Base2/T(PCIバス)(標準:なし)
注)IBMのMWAVEのカードは外しました

PC
http://www.geocities.co.jp/SilyconValley/1051/pc.html
http://www.geocities.co.jp/SilyconValley/1051/newpc.html

The Graceful
http://www.the-graceful.com/





HDDから直接・・・
2015/5/31(日) 午前 9:36 媒体 練習用
17年位?前のIBM Aptiva
起動させるとWindows98
データやり取りの媒体としてFDD主流
USB挿せるが認識せず
やむなく開腹手術
HDDを摘出し
例の便利ツールでデータ取り込HDD戻して縫合
あとは適正な処分方法で・・・
物に感謝しつつ

見栄晴の場合
https://blogs.yahoo.co.jp/b318_jm/65394048.html








不可思議の正体こそ「運命」のなせる技・・・。
2005/7/22(金) 午前 2:32 人間とは。 その他文化活動
皆さん、身の回りのものを見てください。あなたの周りにある全ての物にも運命があるのを感じますか。
私が今、使用しているパソコンはIBMのAptivaという古い物です。
でも、このパソコンと同機種のほとんどのものが現在は廃棄されています。
にもかかわらず、私に縁があったこのパソコンは古いものですから、
立ち上がって最初のトップ画面が出るまで「ブィー」という凄い音をあげながら、2~3分もかかってしまいます。
それでも使えるうちは使おうと愛用しています。
パソコンにもちゃんと大事にされる、されないという運命があるのです。
いつもお世話になっている紙はどうでしょう。
同じ紙なのに、お尻を拭いて捨てられるトイレットペーパーも紙ですし、毎日入ってきては捨てられるチラシも紙ですし、皆さんが後生大事にしているお札もまた、紙でできています。
紙にもちゃんと大事にされる、されないという運命があるのです。
それを踏まえて人間には運命はないのでしょうか。
もう一度、繰り返します。
今日、ただ、道を歩いていただけで、あなたも私も無意識の内に何匹の蟻を踏み潰したでしょう。
ただ、道路を歩いていただけで。
蟻にもちゃんと運命があるのです。
森羅万象すべてに渡って、宇宙も蟻も私たちもすべて必然の運命があるのです。
ただ、他の生物と私たち人間の決定的違いは運命を感じることができるか、できないかだけです。
ですから、私たちは素直に「運命」を受け入れ、尚且つ「運命」に左右されない強い意志を持たなければいけない、と思います。
「運命」さえも変える力を私たちは内在してていると聞きました。ただ、それに気付かないだけですから。

大人の学校「ケロッグ魔法学院」
https://blogs.yahoo.co.jp/big1win/7569450.html





サーバーセットアップ  
2005/3/2(水) 午後 11:26 無題 練習用
■サーバスペック
IBM Aptiva Eシリーズ:2196-47J
AMD-K6-2 533
メモリ:512MB(256@2枚)
HDD:シリアル80GB(FedoraCore3:40GB/Windows XP SP2:40GBのデュアルマシン)

psbbsan
https://blogs.yahoo.co.jp/psbbsan/296319.html








■パソコンの登場
しかしダウンサイジングの主役はいまや超小型機種のミニコンではない。もっとコンパクトな,パソコンやワークステーションと呼ばれる卓上機や卓上に乗るほど小さなコンピュータである。成り立ちからいえば全く新しいコンピュータと言った方が適切かも知れない。パソコン,ワークステーションの歩みは大手主導の歩みから寄り道したところで始まったものだからだ。
半導体開発はIC時代を迎えて,ますます集積化が進み,LSIから超LSIへ,さらに超々LSIチップ(半導体の小片)へと歩みを進めていった。
その過程でひとつの製品が生まれた。ひとつのチップの上に,コンピュータの基本的な能力である演算処理機能を詰め込んだ「マイクロ・プロセッサ」と呼ばれるものである。このマイクロ・プロセッサを中心に作られたのが,個人用のコンピュータ「パーソナル・コンピュータ」つまりパソコンである。
マイクロ・プロセッサが一回にデータ処理できる能力によって,パソコンは4ビット,8ビット,16ビット,32ビットのものが実用化されている。現在の主流は16ビットで32ビットはパソコンの上位機種で使用されている。
「高性続コンピュータを開発するためには,演算素子に優れた半導体を必要としたが,逆に高性能な半導体から生まれたコンピュータが「パソコン」なのである。ありていに言えば半導体のお化けがパソコンである。
そのパソコンの頭脳マイクロ・プロセッサを1971(昭和46)年に開発したのが米国の大手半導体メーカー・インテルである。
■Apple   
しかし実際にパソコンを開発し,そのブームの火付け役となったのは半導体メーカーでもIBMなど大手のコンピュータ・メーカーでもなかった。米国の半導体産業のメッカ・シリコンバレーには半導体メーカーやコンピュータ・メーカーだけでなくコンピュータの力の虜になった個人が引き寄せられていた。「ハッカー」と呼ばれたコンピュータ・
マニアたちは,シリコンバレーに集まっては各人の手作りコンピュータの品評会のようなものを開催したりして交流を続けていた。彼らの関心はメーカーのお仕着せのコンピュータではなく,自分たちに必要なコンピュータ,個人が無料で利用できるソフト開発など誰もが使いうるようなコンピュータを誕生させることであった。
そのようなコンピュータ・マニアの中にスティーブン・ウォズニアックとスティーブン・ジョブスという二人の若者がいた。彼らこそが世界最初のパソコンを開発し社会に送り出した張本人である。
ウォズニアックが最初に開発した「アップルI」は回路基盤だけのコンピュータだったが,仲間の間ではさいわい高い評価を得た。そこで二人はアップ
ルの商用化に乗り出すことにしたのである。
1977年,ジョブスが愛車を,ウォズニアックが計算機を処分して得た千数百ドルを元手にニ人は「アップル社」を設立した。パソコンが個人的趣味からベンチャービジネスに変化した瞬間である。会社の研究所兼事務所はジョブスの父親のガレージを改造したものだった。
そしてそのガレージからパソコンの大ベストセラー機「アップルII」がその年の6月に誕生した。軽量プラスチック製の本体に,洒落たデザイン。それまでの手作りコンピュータとは全く違った新しい機械だった。パソコンが「商品」として社会に登場したのである。
アップルIIは,誰もがコンピュータを使えるようにしたという点において画期的な製品であった。発売以来アップルIIはパソコンの愛好者を開拓しまたたく間にパソコン市場を席巻した。 アップル社はガレージ企業から10億ドル企業に急成長しパソコン界のIBMとまで言われるようになった。
パソコンが普及するにつれ,それまでコンピュータが持っていたイメージはがらりと変わった。何か得体の知れない貴重で高価な機械,あるいは大企業の奥の部屋にデンと据えられている計算機で,使用する者はわざわざその部屋まで出向かなければならないというのがそれまでの一般的なイメージだった。しかしパソコンは個人の机の上に乗り使い方も夕イプライターに似たキーボードを叩くだけで使える。機器というよりも日常的な道具であっ
た。それゆえ親しみ易いイメージを持たれるようになった。
1981年4月,「黄金の80年代」の始まりとともにIBMはパソコン市場への参入を発表した。それまでパソコン事業には進出しないと公言していたことを考えるなら,大型汎用機を中心にビジネスを展開してきたIBMにとって,当初はパソコンはコンピュータの玩具にしか思えなかったのであろう。
■IBM-PC
スタートが遅れたものの,IBMが市場に送り出したのが新型パソコン「IBM・PC」だった。3年後,IBMはパソコン市場で業界トップのアップル社のシェアを抜いた。コンピュータ業界の巨人の底力を新興メーカーに見せつけた瞬間であった。
IBMのパソコン分野参入は,とかくマニアの世界の遊び道具と受け取られがちであったパソコンをビジネス分野の製品として社会に認知させる役割を果たした。「あのIBM」が事業として取り組んだという事実が,パソコンに社会的な意味づけを行う効果をもたらしたのである。それにともないパソコン市場には新規参入が相次いだ。
■MS-DOS規格登場
IBMの成功にはいくつかの伏線があった。なかでもパソコン分野に新規参入するさい,従来とは全く違う手法を用いたことである。IBMはパソコン事業を担当するセクションとしてIBMの経営組織に束縛されない一種の独立部隊を編成した。そのうえで全
ての権限を与えたのだった。IBMは本社→地域統括会社→各国IBM(現地法人)という経営組織をタテ軸にして世界120ヵ国以上の営業拠点を統括するとともにビジネスを展開していた。またIBM本社に直轄される形で世界市場を製品別に担当する開発・製造組織がヨコ軸として大型機種,中型機種,小型機種,周辺機器といった分野を担当する開発・製造のセ
クションが全世界のそれぞれの市場に対して責任を持つわけである。IBMでは「マトリックス」とよばれる組織編成である。
マトリックス編成は縦横の相互チェックを行い安定した品質の製品を市場に送り出すことが出来るが,反面決定まで時間がかかるという致命的側面も持っていた。素早い対応が求められるような新製品開発などの場合にはもっとも不向きな体制であった。
その点マトリックス経営から離れた 独立部隊にパソコン市場参入の全権を与えたのはIBMの見識であった。それまでと違って不安定な個人需要の動向を常に注目しながら,身軽な方向転換を要求されるパソコン市場ではIBMの独立部隊はもっとも相応
しい組織といえた。
その軽快な経営組織が選んだ戦術は,これもまた従来のIBMからは考えられないきわめて異例なものであった。IBMは「自前主義」を原則としている。米国の他のコンピュータ・メーカーと違って,システム/360以来,半導体部門を内部に抱え半導体を自前
で開発してきたように,全て自社製品でコンピュータを生産しているのである。だが,パソコンでは基本ソフトの開発を自前で行わなかった。独立部隊であるがゆえ既存の開発組織を利用しにくいという面もあっただろうが,それにしても選んだ基本ソフト「MS-DOS」は、ビル・ゲイツという20代の青年が社長を務める新興ソフトメーカー「マイクロソフト社」の開発したものだった。その頃はパソコン用の基本ソフトとしては,デジタルリサーチ社の「CP/M」が君臨していた時代である。実績,安定性からいえばデジタルリサーチ社の基本ソフトを採用するのがベターな選択であろう。しかし独立部隊はマイクロソフト社を選んだ。そのうえパソコンの頭脳であるマイクロ・プロセッサも自前のものでなくインテル社が開発したものを使用したのだった。
しかし独立部隊の開放主義はそれにとどまらなかった。IBM本社の閉鎖主義とは反対にIBM-PCの仕様までも公開したのである。IBM互換機を認めた,いや積極的に推進したのである。皮肉なことに汎用機部門で互換幾叩きを始めたIBMが,パソコン部門ではなんと最初にオープンシステムを実現したメーカーになっていたのである。
独立部隊が示したこのオープン性によって,パソコン市場は一挙に活性化した。巨人IBMのパソコン市場参入を契機にパソコン・メーカー各社もMS-DOSを採用し一斉にIBM互換機を開発しだしたのである。まさに勝ち馬に乗れというわけだ。たちま
ちIBM-PCとその互換後はパソコンの完全な基準となっていた。.....
■IBMの采配
ここでIBMはジレンマに陥る。IBM-PCがパソコンの標準になったとはいえ,その基本ソフトは他社製品である。パソコンに採用されている基本ソフトの9割近くを占めるようになったMS-DOSは,マイ
クロソフトという特定のソフトメーカーが全ての権利を保有している商品なのである。その点では本当の意味でのオープンシステムとは言い難かった。
基本ソフトで,IBMは,大型汎用機分野におけるアムダール社と同じ立場にあった。そしてパソコンの分野でIBMの立場を占めていたのはマイクロソフト社だった。パソコンの分野ではIBMはハードウェア・ビジネスしが展開していなかった。IBM-PCは急速に売上を伸ばし,たしかに1985年には大型汎用機のそれに迫る勢いを見せた。しかし利益面でいえば,大型汎用機の足元にも及ばなかった。というのは,パソコン分野ではIBMはアセンブル・メーカーに過ぎなかったからだ。もっとも美味しい部分は,まずマイクロソフトのものとなり,次にインテル社に,そして最後に残された少しの果実がIBMへ,というのが現実であった。
パソコン分野の売上高が急伸したことでIBMの姿勢に変化が現れた。独立部隊は解散させられ,パソコン事業はIBMのマトリックス経営の組織に組み込ま
れてしまうのだ。そして仕様は非公開に改められた。IBM本来の閉鎖主義にパソコン事業も染められていったのである。
IBMは独自の基本ソフトの開発に乗り出した。そして大型汎用機分野で成功した手法をパソコン分野にも持ち込むのである。
だがIBMの既存組織が取り組むようになるとパソコン部門の伸びは減少傾向に転じてしまった。IBMからのシェア奪回をめざしたアップル社の新型パソコン「マッキントッシュ」に反撃されたという側面もあるが,それ以上に動きの早いパソコン市場にIBMのマトリックス経営が追いつけず有効な対抗策をとれなかったためというべきであろう。
現在IBMはトップの座を死守しているものの二位のアップル社との差はきわめて接近したものになっている。そして10パーセント台そこそこのシェアしか持続できないIBMは,もはやパソコンメーカーとしてもワンオブゼムでしかない。.......
ー覇者の誤算,講談社文庫,立石泰則

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