1982年8月15日日曜日

[機器] シャープ・ツインファミコン


[市場] 二光通販・その日からシリーズ





[市場] 二光通販・その日からシリーズ
二光通販・その日からシリーズ。
その日から恍惚プレイ!
pinterestより引用。

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(-.-)
すいません!コレ買いました(^o^;)
(-.-)
アンプが電池しきだったりして~~その上出力5Wってさ~なんなの!!
(-.-)
 このころの少し前はグヤトーン、テスコ、エルク、そして後発のヤマハでした。
グヤトーンのLGシリーズは12500円ぐらいから、テスコのチェックメイトシリーズもそのぐらいでした。
昭和43年にグヤがモデルシャープファイブを発売し、すぐに予約しました。(2か月ほどまたされました)5万円ぐらいでした。(大卒初任給の倍ぐらいです)
その後ヤマハがモデルブルージーンズを発売しました。
当初寺内タケシが使っていましたが、自分が開発にかかわったのですが気に入らずモズライトに戻りました。
加瀬邦彦はモデルブルージーンズの12弦で「思い出の渚」をヒットさせました。あの間奏の12弦の音色はヒットの理由のひとつだと思います。
当時、フェンダーは20万円、モズライトは27万円と、サラリーマンの年収に近いものでした。
半世紀まえのモデルシャープファイブは今もなります。
(-.-)
小生が初めて手にしたエレキはトーマスのテレキャスターもどきで、5wのアンプ付きで¥9800でした。新聞配達のバイトでやっと買えたんです。
ラワンに焦げ目をつけたようなチンケなサンバーストでしたが自分にはかけがえのない盟友でした。
コイツでノーキーさんを必死で耳コピしたあの頃が自分のギター人生のスタート地点でした。
この広告を見て懐かしくて涙が出そうでした。UPありがとうございました。
(-.-)
ひねくれ者だったので、こういうの全く信じませんでした。でも、近所のディスカウントショップで怪しげなエロテープ(音だけ)をうっかり買ってしまいました。聞こえてくるのは延々ひげ剃りしてる様な音と、わざとらしいあえぎ声…(笑)
高校時代の不覚です(笑)
(-.-)
二光カタログだぁ‼️
高校時代ボロボロになるまで毎晩みてました👍✨そしてトムソン、トーマス…
今の自分のバンド人生があるのも、このブランドあってのことです。懐かしぃ〜😆

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1982年8月6日金曜日

[ゲーム][LSDゲーム] バンダイ,Dr.デンタル(Dr.DENTAL)(1982)~バンダイLCDゲームデジタルシリーズ




Dr.デンタル(Dr.DENTAL)
ゲーム性 ★★★★ オジャマ菌の存在が憎い。テンポの良いシューティング、名作です
操作性 ★★★ 機敏な操作を要求されるが、ボタンが少し小さい(子供には問題なし?)
キャラクタ ★★★★ とても可愛らしいキャラ達、患者が泣く姿もGOOD!
サウンド ★★★★ 消毒液を発射して虫歯菌をやっつけるまでの音がこのゲームならでは
ハード ★★★ とても良く合ってるカラーリング
総合 ☆☆☆☆ さすがバンダイ、アイデア勝利的なモノが見えます。是非GETせよ!





Dr.デンタル(Dr.DENTAL)
バンダイ/LCDゲームデジタルシリーズ/1982年頃
(C)1982 BANDAI ELECTRONICS
■ゲーム内容:とてもいやな歯医者だが・・・
Dr.デンタルの画面1  歯医者と言えば、子供が嫌いな所ナンバー1と言っても過言では無い場所でしょう。
あのウィーンウィーンの音には、大人も嫌になってしまう程です。
子供が泣くのも当然でしょう。私も例外ではありませんでした。
電子ゲームの大御所とも言えるバンダイは、日常生活からアイデアを取り入れた作品も多く、
この作品も言うまでも無く「歯医者」から取ったものですが、非常にうまくゲーム化されていて
いやな歯医者とは思えないほど面白く仕上がっています。
まず注目したいのは、患者でしょう。絶滅寸前のアフロヘアーなのです(笑)。
ゲーム中は目をパチパチしています。やっぱりチクチク痛いのでしょう。
(それにしても、こんなに虫歯菌に好まれるなんて何を食べていたんでしょう?)
次によく考えると、このゲームは「シューティング」の分類に入ると思います。
シューティングと言うと、TVゲームでも電子ゲームでも戦闘機ものばかり。
それを歯医者に当てはめるなんて、さすがバンダイ・・・と思いました。 Dr.デンタルの画面2
Dr.デンタルの画面3  さて、ゲーム内容ですが、ゲームが始まると上の歯に虫歯菌が現れます。
虫歯菌が歯をカジカジ囓って虫歯にしてしまうので、Dr.デンタルを操作して消毒液を発射し(FIREキー)、
虫歯菌をやっつけます(2点加算)。
ただし下の歯には、オジャマ菌が居て、Dr.デンタルの消毒を妨害します。
オジャマ菌は下の歯を虫歯にする事はありませんが、消毒液がオジャマ菌に当たった場合は
消毒液は消えてしまいます(1点加算)(オジャマ菌も消えます)。
つまり、オジャマ菌のおかげで消毒液が虫歯菌に届かない間は、虫歯菌はやりたい放題です。
虫歯菌がしばらく歯を囓ると、1段階虫歯になります。これが3段階になってしまうと患者が泣き出してしまいミスになります。
これはバンダイのお約束システムなのですが、得点1,000点毎におっかけダンス(左写真)が始まり、
ボーナス500点加算されます。つまり「パックマン」のコーヒーブレイクみたいなものですね。
このゲーム、オジャマ菌のおかげでゲームがとても面白くなっています。
オジャマ菌が原因でミスになる事がよくあります。本当にジャマな存在です(笑)。可愛いけどイヤなヤツですね。
なんとなく音もコミカルで楽しいものとなっています。ゲーム中、たまにある「間」も、虫歯菌との駆け引きには欠かせません。
是非、可愛いキャラの「Dr.デンタル」を是非プレイして下さい。
ちなみに、このゲームの虫歯菌・オジャマ菌がバンダイらしいキャラだと思った人はかなりの通だと思います(笑)
注:キャラの名称などは説明書を紛失してしまった為に正確な名称ではないかもしれません。ご了承下さい。
■本体解説
ゲームデジタル3,980円シリーズについては、「ハンバーガーショップ」「影忍者」をご覧下さい。
カラフルなカラーリングが多いシリーズですが、Dr.デンタルの青は意外に落ち着いていてマッチしていると思います。
■当時の思い出
私はこのゲームがかなり好きでやり込みましたが、当時は歯にこういった虫歯菌が居るモノと信じていた時期がありました(汗)。
当時、「どうしてDr.デンタルと言うんだろう?」と疑問を持った私は英和辞典で調べたら・・・納得。これで「DENTAL」と言う英単語を覚えました。
ゲームで遊べて英単語も学べる・・・うーん、さすが電子ゲーム!(オイオイ)。
     
JUN AMANO'S HOMEPAGE               
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1982年8月3日火曜日

[機器][PC] SHARP MZ-1200















Seed-種をまいた人-
高橋ピョン太インタビュー
このページは、現在のゲームの原点となったゲームを制作した方に、インタビューをするコーナーです。
と言っても今後、別の方にインタビューする機会があるかわかりませんが(逝)
また、テープをおこすという作業自体が初めてなので、見苦しい点があるかも知れません。予めご了承下さい。
ちなみに、ダイアルアップで接続されている方は、オフラインで読んだ方が良いと思います(逝)
今回インタビューをお願いしたのは、元ゲームプログラマーであり、元ログイン編集長の高橋ピョン太さんです。
2時間ものインタビューにつき合って頂きまして、有り難うございました。
色々な面白い話が聞けたのですが、全部を載せるわけには行かないのが残念(笑)
高橋さんのコンピュータに触れたきっかけから、ログインで働くまでの経緯を紹介したいと思います。
ただ、インタビューと言うよりも、雑談かもしれません(逝) 
でもこの話の中には、今のゲームやパソコンが失ってしまった、大切な何かがあると思っています。
注:敬称略です(^_^;
(1998年9月収録)
愛妻 お久しぶりです。
高橋ピョン太(以下、ピョン太) どうも。相変わらずだね(笑)
愛妻 今日はですね、昔ゲームを作ったときのきっかけとかを聞きたいんです。いまゲームをやっている人たちが「昔はこういう感じだったんだ~」というのをホームページに載せたいんですよ。それで今日、インタビューをお願いしたんです。
ピョン太 じゃあ、僕がなんでゲームを作ったとか、そういう事を言えば良いんだね。
愛妻 まあ昔話でも良いんですけど(笑) こんなゲームが面白かったとかそんな感じで良いんです。えーと、ピョン太さんのことはログインの紙面とかにバンバン出ていたので、知っている人は多いと思うんですが、元プログラマーだと言うことを知っている人は、あんまりいないと思うんですよ。ログインの隔週の最後に、その事が載りましたよね?
ピョン太 『デジしょく』だね(笑)
愛妻 そうです(笑) それで知ったと言う人も周りには結構居たので、じゃあ「こういうのを作ってたんだよ」みたいなのを載せたら面白いかな~と。
ピョン太 最近よく、「元プログラマーだったんですよね」とかね、言われますよ(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 基本的に昔のパソコンっていうのは、あっ、まだマイコンって言っていた時代なんだけど。
愛妻 ええ(笑)
ピョン太 マイコンって言うのに興味があって買った人は、なんだかのプログラムをしないとさ、何も出来なかったんだよね。
愛妻 そうですよね。
ピョン太 そこでしょやっぱ(笑)
愛妻 そこですか(笑)
愛妻 シャープ系のマシンはそうでしたよね。
ピョン太 そうそう。クリーンコンピュータね(笑)
愛妻 ええ、それです(笑)
ピョン太 だからまず、ベーシックを立ち上るとシステムが起動して、それで何をやるかというと、ベーシックが立ち上がっている状態だから、何らかのプログラムをロードするか、もしくはプログラムを入力しないと動かない。
愛妻 ですね。
ピョン太 で、その入力するという自体が、コンピュータの、マイコンのもっともベーシックな使い方なんだよね。そうすると自分で組むか、雑誌の後ろに付いていた・・・。
愛妻 リストプログラムですね。
ピョン太 そう。そのリストプログラムを打ち込むと。少なくとも、例え自分で作らなくても、プログラミング作業みたいな事はやらざるおえなかった。
愛妻 そうですよね(笑)
ピョン太 最初オレが始めたときは、市販ソフトという概念もなかったし。『I/O』っていう雑誌か『ASCII』。後は『マイコン』、『RAM』っていう・・・。
愛妻 ああ、ありましたね(笑)
ピョン太 その4大マイコン雑誌(笑) それで入力するしかなかった。
愛妻 『I/O』があまりの厚さで、人が殺せるっていうときですね(笑)
ピョン太 そうそう(笑) それで1番『I/O』が面白いプログラムが沢山あって。投稿がメインだったんだけど沢山載るようになって。それが楽しみで、毎月毎月プログラムが出たら自分のマシンに入力していたんだけど、そのうち入力するのが苦になって来るんだよね。マシン語なんて数字の羅列だから、面倒くさくてしょうがなくて(笑) 間違ったら動かないし、何処が間違えているのかが判らないっていうのがあって。
愛妻 結構泣けますからね。間違いが見つからないと。
ピョン太 すると『I/O』がテープサービスというのを始めたのね。プロラグラムをカセットテープにセーブしてあってそれで模範する。そういう流れだから。基本的には、必ずプログラムするよね。
愛妻 それが高じて、ゲームを作り始めたのですか?
ピョン太 オレがコンピュータでプログラムっていうか、ゲームをやろうと思ったのは、そもそもゲームが好きだったから。
愛妻 いつから、っていうか、最初にプレイしたゲームっていうのは、何なんですか?
ピョン太 それは歳がばれるから(笑)
愛妻 でも僕だって『インベーダー』とか、そういう時代ですから(笑)
ピョン太 ああ、そうなんだ。『インベーダー』をやって、『インベーダー』自体がマイコンで出来ているっていうのを知ったときに、本当に面白そうだなと思ったのね。で、最初はTK-80っていうのを見てて、買った訳じゃないんだけど見てて。高校が秋葉原に近かったから良く観に行っていて、欲しいなと思っていたんだけど手持ちが無くてナイコン(爆笑)
愛妻 はははナイコン(爆笑) やっぱりこれですね(笑)
ピョン太 ナイコンをしばらく続けていたときに、TK-80にベーシックが乗るようなシステムなったやつがあって、それでちょっとベーシックを見て、「ああ、面白そうじゃん」と思って。で、高校を卒業したときに親の仕事を手伝うって言って、それで先にMZ-80Cっていうシャープのマシンを買って貰った。それで返済するっていう形で月賦で買ったんだけど、いつの間にか親が払っていた(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 それでマシンが来たときに、その中に入っているベーシックの説明している本を見て遊んでいる内にプログラムを覚えたという感じ。で、プログラムを覚えているときに、アメリカで「アップルIIでスタープログラマーが誕生!」みたいな本を読んだのね。それをオレが見たのはね、『ポパイ』っていう雑誌があるでしょ。その『ポパイ』のニュースのところで、アメリカの億万長者じゃないけど、それに近い人というのが居て、新しい世代の新しいお金持ちみたいな感じで載ってたんですよ。それでオレもなんでか知らないけど、「これだ!」って(笑)
愛妻 凄いっすね(爆笑)
ピョン太 就職もせず日々コンピュータと接していたとき、「もしかしたら出来るかも」って言っていたくらいの頃が、『I/O』のテープサービスが始った頃だったのね。で、ポツポツと『I/O』の投稿プログラムの方にソフトを作るソフトハウスもどきなのが出てきて、ハドソンとかスタークラフトとかが『I/O』創刊の頃にそういう作業をしていて。唯一そういうところが、ちゃんとソフトハウスとして活動してたのね。えーと、九十九電気もそうだね。
愛妻 あ、そうですね。
ピョン太 お店でソフトを売ってて。
愛妻 昔のパソコンソフトって、お店を展開していて、そこにプログラムが好きな人とが集まってきて、いつの間にか会社になったというのが多いですよね。
ピョン太 そうそう。そんな感じのが多かった。
愛妻 日本ファルコムとかもそうですしね。
ピョン太 ショップを中心としたコミュニケーションの場があって、そこに集まったソフトウェアがなんだかの形で市販されるって言うかね、そんな感じですね。九十九もそうで、九十九でパソコンを買うとソフトが何本か付いてきて。まあこれも素人が作ったのだから、今で考えるとほんと”おまけ”的なソフトなんだけど、それでも全部が新しかったから、ムチャクチャ面白かったね。
愛妻 今までにない体験ですからね。
ピョン太 それで、最初に作ったのが『スタートレック』。
愛妻 はいはい(笑)
ピョン太 今だと版権がうるさいからそんな簡単には作れないけど、当時は『スタートレック』っていうのはスタンダードなゲームのルールとシナリオがあって、新しいマシンが出る度に必ず移植されていた物なのね。
愛妻 昔の雑誌とかを調べていますと、市販された『スタートレック』のゲームが、その本を書いた人が載せた数だけでも、結構な数だったんですよ。
ピョン太 『スタートレック』は必ずあった。
愛妻 その中で、どれが一番出来が良いかという事を記事にしていましたけど・・・。『スタートレック』というのは、日本ではポピュラーな物だったんですか? 私が知っていて古いというのは、深夜帯のしか知らないんですが。深夜帯で放映していたのですか?
ピョン太 ううん、最初のは違う。オレが子供の頃は、アニメーションもやっていたし。凄くメジャーだったよ。オレが高校生ぐらいのときに夕方4時とかで再放送とかしていたし。だからファンとかは沢山いて、コンピュータをやるようなやつはSFが好きが多いから、『スタートレック』なんかはまさに良いテーマだったんだよね。で、その『スタートレック』のベーシックなゲームっていうのは、もの凄くコンピュータゲームとしてはポピュラーなゲームだったんだ。誰もがやり方がわかっていたし。毎回同じように遊べるんだけど、乱数で敵とかが出てくるんで、いつでも楽しく遊べた。そんな感じで、当時遊べるシナリオっていうゲームは『スタートレック』しか無かったから、それで徹夜するよね(笑)
愛妻 なるほど(笑) 今の子供たちとゲームの遊び方が違うというのは、自分で遊びを考えるじゃないですか。例えば、プログラミングして出来た。んで、飽きた。じゃあどうしよかってなるんだけど、他にやるゲームがないから、なんかよくわからないけどベーシックを勉強して、「ここをこう変えて、なんかスピードが速くなった」とか、そんな単純な”遊び”でも楽しめたじゃないですか、昔って。
ピョン太 それが直ぐにダイレクトに出来るプログラムだったから、もちろんそういう”遊び”が楽しくてしょうがないし。例えばそのプログラムのある変数を変えると、全然自機が減らないとか、そのプログラムを作った人のコピーライトを変えるとか、そういうプログラム的な遊びで喜んでいたんだよね。
愛妻 今楽しめないじゃないですか。ガチガチに決まっていて、プロテクトも掛かっていて。それにプログラムを勉強しようと思う人はいても、実行するのにはハードルが高いと思うんですよ。今だと媒体がCD-ROMとかになっちゃって容量も大きくなっているし、言語自体もアセンブラとかC言語とか難しい言語になっちゃって、何が書いてあるかわからなくなっていますよね。何もプログラムを知らない人が覚えるための”きっかけ”というのが、今の人には少ないんじゃないかと思うんですよ。
ピョン太 完全にブラックボックスになっているからね。逆に言うと可愛そうだよね。
愛妻 そうですよね。

ピョン太 立ち上げたときにベーシックが入っていて、ペンティアムとか8086のマシンが組めるとしても、それがもう、いきなりハードルが高いからね(笑) 昔は立ち上げたら直ぐのマシンだったから(笑)
愛妻 そうですね(笑)
ピョン太 ベーシックにしてもマシン語にしても、そんなにハードルが高くない時代だったから。今は、開発用のツールを買うだけでも凄い金が掛かっちゃって、そう考えると”プログラムをしよう”と考える人じゃないと、出来ない仕組みになっちゃっているよね。だからプログラマーが増えて欲しいというのは、割とみんな希望としてあるんだけど、それをやる手順がない。でも、最近見えてきたのがHTML。ホームページを作るのにHTMLを少しやると、プログラム的な楽しみがあって、やっぱり基本的な楽しみというのでは、昔のベーシックを楽しむというのと同じように、そういった簡単なものがないとハマれないよね。それが唯一、HTMLかなって思っているんだけど。それからCGIで、画面が動いたりすれば、少しは8ビット時代に近いところで楽しめる所はあるんだけど、そこまで気が付かせるのって、結構やっぱり大変でしょう?(笑)
愛妻 ええ(笑)
ピョン太 パソコン買ってきて電源入れてそれになっていれば良いけど、そうじゃないでしょ。もし覚えられる、新しいユーザーに覚えて貰えるとしたら、やっぱりホームページ周りかなっていうのがあるね。
愛妻 ピョン太さんがパソコンとかでゲームを作ろうと思ったのは、もちろんゲームを作りたかったというのがあるんでしょうけど、組んでいて楽しかったというのもあるんですよね、きっと。
ピョン太 それはそうだよ。でも、”それ”しか無かったという良い環境なんだよね、要は。
愛妻 あ~、なるほど。
ピョン太 プログラムを組んで遊ぶしかコンピュータの使い道がなかったから。アプリケーションを立ち上げて、ワープロをやるなんていうのも無かったし、最初のコンピュータにはワープロなんて物もないわけだし。
愛妻 そうですよね(笑)
ピョン太 オレが初めてワープロというのを触ったのは、月刊アスキーに載っていたワープロの特集で、88(PC-8801の事)とFM-8のワープロが載っていて、それもやっぱりテープサービスみたいな感じで。値段は忘れちゃったけど1万円しないやつが載っていて、それを速攻で買って来て。で、漢字プリンターというのもとても高くて。
愛妻 昔は高かったですよね。
ピョン太 オレが買ったのは、漢字ROMが付いているやつで、16万ぐらいかな(笑)
愛妻 たかーい(笑)
ピョン太 「オオ、スゲェ! 20万円切った」とか喜んでいた時代で(笑) それはもう第1水準漢字しかでなくて。そういう時代だったんで、ワープロも、そんな機能的なものじゃなくて、ワープロで1ページ目を書いて2ページ目に行くのに、ページ切り替えに3分ぐらいかかるし(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 だからそんなにコンピュータっていうのは、実用性がなかったから、プログラミングで遊ぶしかないっていう感じ。
愛妻 なるほど~。じゃあ、コンピュータって言うのを知ったというのは、たまたま秋葉原の近くだっからとか、そういう事じゃないんですよね?
ピョン太 それもあるけど、やっぱり電気系のことが好きだったから。昔から電気工作とか好きで。
愛妻 高校は工業系だったんですか?
ピョン太 工業系だけど・・・建築科(笑)
愛妻 (笑) じゃあ、CAD/CAMみたいなものを・・・。
ピョン太 無い無い(笑)
愛妻 そんなの無いですか(笑)
ピョン太 無い無い。製図板とT定規で。少しプログラミングみたいのもあったんだけど。それがオフィスコンピュータというか、ミニコン。ミニコンレベルだね、プログラムっていうのは。だからちょっと質が違う。でも、その頃からマイコンの存在は知っていたし、そういうのが好きだったから、それはそれでやりたいと思っていたし。それでアキバが近かったし、アキバにも通っている内に、まあこれで『インベーダーゲーム』が出来るかなって(笑)
愛妻 家でゲームが出来るというのは、夢のような話でしたよね。
ピョン太 もう、憧れ。
愛妻 憧れでしたよね。
ピョン太 それまでは確かに、ゲームセンター行ったりとか、そういうことでゲームで遊んでいるし、『インベーダーゲーム』以前にも、電子系のデジタルゲームっていうのがあったじゃない。そういうのはやっぱり魅力的で、よく遊ぶわけだよね。で、よく遊んでいる中で、やっぱり家でもゲームが出来るとなると、これはやっぱりやらざるおえない(笑)
愛妻 そうですよね(笑)
ピョン太 だから基本は先にゲームがあって、電子系が好きでデジタル系へ進んでいったら、プログラムをやるっていう方向へ行って、プログラミングをやるからには、そんな表計算ソフトみたいのを作っている場合じゃないっていう(笑) で、ゲームを作り始めたわけ。それがきっかけ。
愛妻 なるほど~。
ピョン太 で、アメリカでスタープログラマーっていうのが出てきたっていうのを知って、ちょっと商売してみようかなっと思ったとき、何処だけっかな? コンテストみたいのが始まった、というか応募が始まって、エニックスとかアスキーとか・・・。
愛妻 ポニカとか。
ピョン太 まあ、ポニカとかもそうだけど。『スパイ大作戦』はポニカから出たんだけど、あれってコンテストの前で、それは『スタートレック』を出した会社って言うのが通販専門の会社だったのよ(笑)
愛妻 はいはい(笑)
ピョン太 そこに『スパイ大作戦』を作って持っていったときに、たまたまポニーキャニオングループの人が誰かのつてで来て、「会社を作るんでソフトを探しているんですけど」と言ったときにあったのが、『スパイ大作戦』(笑)
愛妻 あ~なるほど。
ピョン太 それで「これどうですか?」って出して。で、その時にね、ちょうど『スパイ大作戦』ってPC-6001が最初だったんだけど、それがオリジナルで。『スパイ大作戦』の最初の「おはようフェリプス君」って言う所でテープが回るんだけど、テープレコーダーの名前を『S○NY』っていう名前で書いて出していたのね(笑)
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 これは困るりますねって言われて(笑) 「直ぐに”S”を”P”に直して」って。『PONY CANION』だから『PONY』で良いやって言って。そういうノリでゲームを作って。「じゃあ出しましょう」って出したのが『スパイ大作戦』。
愛妻 じゃあ『スパイ大作戦』は『PONY』製品で言うと、何本目のソフトになるんですか?
ピョン太 えーと。
愛妻 コンテスト前の・・・。
ピョン太 何本目だったけかな。3本目か4本目ぐらいかな。第1段が出ていて、第2段が出るときに『スパイ大作戦』がっていう形になっていたから。
愛妻 では、デビュー作が『スパイ大作戦』と言うことですね。
ピョン太 いや、『スタートレック』。
愛妻 ああ、そっか。
ピョン太 あ、『スタートレック』と『スパイ大作戦』の間にもう1本あって、『アフリカンコープス』というシミュレーションゲームを作っているんです。
愛妻 『アフリカンコープス』・・・。それは一体、どういうゲームなんですか?
ピョン太 ウォーゲームで、HEXを書いて。これもPC-6001なんだけど。まず・・・早い話、将棋みたいなんだけど、自分の駒をこう並べて。これは砂漠の・・・えーと、勉強していたんだけど忘れちゃったよ(笑) 要はロンメルの戦車軍団。
愛妻 有名なやつですね。
ピョン太 あ、そうだ。タイトル名が『ロンメル戦車軍団』で、オープニングの画像の所に『アフリカンコープス』って出して、ロンメルが辿ってきたものをシミュレーションするって言う形。
愛妻 じゃあ正式な名前は、『ロンメル戦車軍団』なんですね。
ピョン太 『ロンメル戦車軍団』。それが『スタートレック』を出したところから出てきた第2段。で、順番としては『スパイ大作戦』の方が先。同じぐらいだったかな? それは片方はポニーから出して、片方はイマージュソフトっていう通販専門のお店なんですけど。
愛妻 イマージュソフトって結構有名じゃなかったですか?
ピョン太 いや、有名でもないよ。
愛妻 広告をよく見た気がしますよ。
ピョン太 広告はいっぱい出てた。イマージュソフトっていう所で2本出して、『スパイ大作戦』が3作目になるのかな。
愛妻 実際に反響とかはあったんですか?
ピョン太 『スパイ大作戦』は最初のポニーのやつで1番売れて、それで移植しましょうって事になって、移植した。
愛妻 結局、何機種ぐらい移植したんですか? 全部自分でやられたのですか?
ピョン太 88以外は、全部自分でやった(笑)
愛妻 ははは、凄い(笑)
ピョン太 (笑) 88版は実はね。これは今だから言っても良いかもしれないけど、どっかの若い訳わからないね、ヤ○ザっぽい人が勝手に出して、オレが作った様なフリをしてPONYに持ってって、出させて。だから最初、印税が入ってきていなかったのね。そういうゴタゴタもあったんだけど。
愛妻 はぁ~。これはオフレコじゃなくて良いんですか?(笑)
ピョン太 良いよ。後で見たら、殆どオレが作ったプログラムで、絵だけを変えているって感じ。
愛妻 ひゃ~。
ピョン太 それは、ちょっとそういうことがあった。
愛妻 なるほど~。実際には、中のプログラムをごっそり持っていっちゃって、自分の物にしちゃっていることですね。
ピョン太 そうそう。
愛妻 コピー物っていう事ですよね。
ピョン太 でも一応パッケージには、名前が全部書いてあったから、外から見たら全部オレが作っているように見えるんだけど、内部的には違う人が関わっていることになってる。
愛妻 その問題はクリアされたんですか?
ピョン太 まあ、ある程度ね(笑)
愛妻 ははは、はい(笑) 
ピョン太 60(PC-6001の事)と80(PC-8001の事)と88と。えーとMZ-1200とMZ-2000の5機種かな、『スパイ大作戦』は。
愛妻 互換機を合わせれば、もうちょっと量が増えますね。って言うことは。88以外の機種を移植したって事は、他の機種は自分でお持ちだったのですか?
ピョン太 買った(笑)
愛妻 買ったんですか!?
ピョン太 最初の印税で(笑)
愛妻 凄い儲かったって事じゃないですか!(笑)
ピョン太 メチャクチャ儲かった。『スパイ大作戦』と・・・。あと『スタートレック』と『ロンメル戦車軍団』の両方を合わせても、数的には6、7千本ぐらいは売れたのかなぁ。そのときは通販だから、オレに印税だけで30%入ってくる時代だったから。
愛妻 3、30%ですか・・・。
ピョン太 それで計算すればわかるでしょ?(笑)
愛妻 ウヒョヒョヒョ(笑) 
ピョン太 メチャクチャ儲かって。『スパイ大作戦』はそれ以上に儲かったから。そういう風に入ってきたお金を全てマシンにつぎ込んだっていう感じかな。
愛妻 なるほど。私はてっきり、会社で用意されている物を使ってやったのかと。
ピョン太 あ、違う違う。その後ぐらいかな? 会社で作って欲しいって依頼が来るようになったのは。で、マシンを貸し出すからっていう感じで。
愛妻 じゃあ一辺に何機種も入ったわけですね。
ピョン太 それでテクポリ(テクノポリスという雑誌が昔あった)に取材されたことがあってね。テクポリのプログラマーの取材のところでオレの部屋が写っているんだけど、殆どその機種が全部畳の上に並べてあるんだよ。
愛妻 えっ? テクポリって、そういうページがあったんですか?
ピョン太 昔あった。最初の頃のテクポリなんだけど。プログラマーの家を訪問して。
愛妻 あれ~?見ていないなー。一応、昔のゲームを調査するために古いゲームの本は読んでいるんですけど。
ピョン太 あのね、何年何月っていうのは全然覚えていないんだけど、黄色い表紙で川島なおみが表紙なんだよ。
愛妻 ははは(笑)
ピョン太 それだけ覚えている(笑)

Nostalgia
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/interview/Talk.htm
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/interview/Talk2.htm





1982年7月23日金曜日

[ゲーム] コモドールMax Machine,ゲームタイトル

[ゲーム] コモドールMax Machine,ゲームタイトル

コモドールMax Machine


コモドールMax Machine,
1982年11月発売
定価 34800円
販売元:ムーミン社
開発元:コモドールジャパン社
AMIGA(古くからパソコンをいじられている方には、VIC-1001)で有名なコモドール社が発売したマシン。
個人的には、コモドール64の方が琴線に引っかかります(逝)
コモドール64の廉価版的なマシン。ちなみにコモドール64は、マックスマシーンの上位互換機にあたる。俗に言うゲームパソコンだが、ゲームを快適にプレイするには間違い無く、ジョイスティックがあったほうが良い(逝)
またパドルコントロール対応のゲームも何種類かあるが、あまり快適にプレイできるとは言いがたいのが難点。
殆どのソフトの価格が2800円と低価格(ミュージックカートリッジの3800円)だったが、普及するにはいたらなかった。
ちなみにHAL研が、マックスマシーン用のソフトを開発していたりします。
2002/9/9 更新
なんと4800円のシリーズがあるとの情報が!
実際にパケなどを見ていないのでなんとも言えませんが、とりあえずゲームタイトルを追加しておきます。VIC-20のタイトルじゃないだろうな・・・。

Nostargia
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/max/max.html



















omega race/オメガ・レース
wizard of war/ウィザード・オブ・ウォー
kick man/キック・マン
avengers/アベンジャー
jupiter lander/ジュピター・ランダー
super alien/スーパー・エイリアン
radar rat race/レーダーラットレース
road race/ロード・レース
mole attack/モール・アタック
clowns/クラウンズ
moneywars/マネーウォーズ
ポーカー
ゴーフ
ミニ・ベーシックI
ミュージックカートリッジ
ビリヤード
スラローム
ピンボール
ボーリング
ゲームレビュー

Nostargia
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/max/max.html










■omega race/オメガ・レース
オメガ星人(オメガレース・・・プレイヤーです。)がアンドロイド星人から自分たちの植民地星を守るために戦うのが目的アクション&シューティングゲーム(以下、ASHTと略します)。
操作方法が特殊です。移動できるのは前進だけで、オメガシップの向きをによって進む方向が決まります。一度前進すると慣性が働き、そのままにしておくとオメガシップはなかなか止まりません。
これを利用して、オメガシップが進んでいる間に向きを変えて敵を撃破する戦法が使えます。
しばらくするとアンドロイド星人が機雷を設置し始めるので、その前に撃ち落すのがポイントです。操作方法に戸惑いますが、慣れると面白いです。ちょっとした息抜きにプレイするのにはベターですね。
ウォーのウイザードの洞窟に迷い込んだスペースマン(プレイヤー)は、洞窟内に住んでいる沢山の怪物をやっつけなければいけません・・・何故?(逝)
登場する怪物を倒すと次の洞窟へと進みます。ウイザードは、第2洞窟も第4洞窟以降に出現し、倒すと高得点です。
なにしろジョイスティックがないと快適にプレイできません。キーボードでプレイしたので、移動するのだけでも手間取ります。画面両端にあるワープゾーンを使う余裕などまったく無いです(笑)
特にこれといったゲームではないです(逝)
■kick man/キック・マン
落ちてくる風船をすべて割るのが目的。プレイヤーは一輪車に乗って、降りてくる風船を頭で割ります。もし風船を割れずに地面へ落としそうになったときは、キックして風船を蹴り上げれぱ大丈夫です。
2面以降は、風船を頭で割る以外に、頭にくっ付くというシチュエーションになります。ある程度頭上にたまると、それ以上は溜まらずに風船が割れ始めます。ではずっと頭上に風船が溜まりっぱなしかというと・・・なんとパックマンが風船を食べてくれます! ・・・版権は?(逝)
マックスマシーンのゲームの中でも、遊べるゲームです。もしマックスマシーンを持っているのであれば、このソフトは押さえておきましょう。
『インベーダー』です。あんまりコンシューマ機で『インベーダー』をプレイしたことは無いんですが、このゲームはかなりデキが良いです。
アベンジャー達は隊列を組んで、左右に往復しながら下に降りてきます。アベンジャーが画面1番下に辿り着いてしまうと、残機が残っていたとしてもゲームオーバーになってしまいます。
えーと、何発目でUFO撃つと、300点でしたっけ? このゲームにその要素は無いみたいですけど、弾数をちゃんと覚えていないので(逝)
普通に遊べますので、持っていて損はしないと思います。
■jupiter lander/ジュピター・ランダー
ジュピターランダー号の操縦士となって木星探査をするのが目的。と言っても、着陸するだけなんですけどね(逝)
着陸地点は3つあります。狭いところほど高得点です。
着陸ポイントに近づくとズームアップしたような画面になります。ここでうまく操縦して、着陸許容速度内で着陸しないと、たとえ着陸しても” SORRY NO BONUS”とメッセージが出て、爆発してしまいます。
ロケット噴射を行い、うまく軟着陸しなければいけないということです。ただし、 燃料には限りがあるので、あまり吹かすと操縦不能になります。
『ルナレスキュー』っぽいですけど、それほど面白くないです(逝)
■super alien/スーパー・エイリアン
平安時代中期、検非違使として都に現れた人食いエイリアンを倒すのが目的。エイリアンを倒すには、穴を掘ってエイリアンを生き埋めにする方法のみです。・・・そんな簡単に、エイリアンって死ぬのだろうか?(逝)
ここまで読んでいただければ、おわかりになる方も多いと思いますが、このゲームは『平安京エイリアン』です。移植度?は大変高く、かなり遊べます。ただしジョイステックを使わないと厳しいですよ。
エイリアンが穴に入ってから、埋めるまでが早ければ早いほど高得点。
色々な待ちパターンがありましたよね。エイリアンが早くなると手におえなくなるのまで、ちゃんと移植されていますので、マニアの方はぜひ(笑)
■radar rat race/レーダーラットレース
プレイヤーは青いネズミとなって、画面内に散らばるチーズをすべて食べるのが目的。
チーズが何処にあるのかはレーダーに表示されているので、赤ネズミや待ち伏せしている黒い猫に気を付けながら食べまくりましょう。もし赤いネズミに追いつ かれそうな場合は、星の煙幕を使うと振りきれます。
・・・はい、画面とこの文章を呼んでいただければ、おわかりになると思いますが(こればっかりだな(逝)、『ラリーX』です。
スペシャルフラッグがわりのサービスチーズを食べると、それ以降チーズを食べると点数が倍になります。タイムアタックのボーナスステージもありますので、『ラリーX』が好きな人であれば、かなり満足していただけるのではないかと思います(笑)
■road race/ロード・レース
シンプルなレースゲーム。別に邪魔する車も出てきません。99秒以内に何キロまで走れるかが目的です。
なにしろ道幅が狭い! マーカーだけが頼りなのですが、急にカーブが来たりして、簡単にクラッシュしてしまいます。標識ぐらい出して欲しいっす。
はっきりいって無駄な肉を落としたついでに、骨の部分まで削ってしまったのではないかと思われるゲーム内容です(逝)
■mole attack/モール・アタック
そのものずばりの、もぐらたたきゲームです。9個の穴からもぐらが頭を出してきますので、叩きまくります。ただし、しっぽを叩くと減点になってしまうので注意。
キーを9個使うのですが、これがストレス溜まりまくります。無理だっちゅーの。
もぐらたたきの面白さはストレス解消だと思うのですが、ストレスが減るどころか溜まります(逝)
特にゲーム内でも変わった事をしているわけでもありませんので、コレクターの方以外は買わないほうが無難です。
■clowns/クラウンズ
2人の道化師(クラウン)をシーソーを使って空高く舞い上げ、頭上にある風船を割りまくるのが目的です。
古くからゲームをプレ入れている方には、懐かしいと思います。むかしあった『風船割りゲーム』です。
完成度はとても高く、プレイしながら当時の事を思い出しました。ああ、むかしユニーの屋上でよくプレイしたなぁ。
古くからのゲームフリークは、ぜひとも持っていて欲しい1本です。

Nostargia
http://aizuma.hp.infoseek.co.jp/max/max.html








1982年7月20日火曜日

[ゲーム][エレメカ] トミー/テクノボーイ・シリーズ/スペースクルーザー(SPACE CRUISER)(1982)~電池不要!ゼンマイ仕掛けのLSDゲームもどき





[ゲーム][エレメカ] トミー/テクノボーイ・シリーズ/スペースクルーザー(SPACE CRUISER)(1982)~電池不要!ゼンマイ仕掛けのLSDゲームもどき
スペースクルーザー(SPACE CRUISER)
トミー/テクノボーイ・シリーズ/1982頃?
(C)1982 TOMY
ゲーム性:★★★★
機械仕掛けだけなのに,様々な要素が!結構遊べる!
操作性:★★★
ハンドル操作が快適!
キャラクタ(画面);★★★
何故か電子ゲームっぽい自機や敵機
サウンド:なし
サウンド無しは当然と言ったところ
ハード:★★★★
値段の割りには結構しっかりしていると思う。ハンドル装備も○
総合:☆☆☆☆
電子じゃないのにここまで出来るトミーに脱帽!他のも見たい!
■ゲーム解説:「電子」じゃない電子ゲーム機?!
「スペースクルーザー」の本体
スペースクルーザーの本体
箱に輝く(?!)「乾電池不要」の文字・・・
乾電池不要!買ったその場ですぐ遊べる!  1980年前半に様々な電子ゲーム機が各メーカーから発売されました。
後期に入る程,低価格化されましたが,それでも主力商品が3,000円~8,000円前後の
高額商品に変わりありませんでした。
当然,そんなに買って貰える訳は無く,クリスマスやお正月等のビッグイベント(?)時の楽しみでも
ありました。
しかし,このゲームは当時の標準価格でも1,500円程度・・。現在の液晶ゲームなら
その値段は妥当とも言えますが,約20年前でこの価格では電子ゲームなど実現出来る訳は
ありません。しかも,箱に「乾電池不要」の文字が目立ちます。
まさか太陽電池式?
実はこれ,電子部品を一切使わないゼンマイ式のゲームなんです。
こういうのを「疑似ELトイ」と呼ぶらしいです(私は単なる電子ゲームとは違う「オモチャ」として認識していました)。
トミーは電子ゲームで最新技術を駆使しながらも,こういったゲームも発売していたんですね。
さすが職人気質のトミーと言ったところです。
 さてゲームですが,本体右にあるメインスイッチを「STOP」にします。
そして,ツマミを止まるまで回します。本体右下にあるラップカウントを「S」にして,
メインスイッチを「START」にするとゲームスタートです。
ハンドルを動かして,「DOCK(ドック)」から自機を発進させ,向かってくる敵機を避けながら
得点を稼いでいきます。この敵機,甘く見てはいけません。なんと,外周の敵機と内周の敵機の
動くスピードが違うので絶妙なコンビネーションが繰り広げられるのです。
おかげで結構,当たりやすいです(苦笑)。ちなみにドックに入っている間は得点が加算されません。
自機が敵機と衝突したら,要注意!素早く[DOCK IN]ボタンを押して,ドックに収容して再出発しましょう。
この間もゼンマイは動いているのでロスタイムとなってしまいます。
敵に衝突している間は[DOCK IN]ボタンを押すまでハンドル操作が出来なくなっているのには驚きです。
どうやって衝突判定やハンドルロックをしているんでしょうね。
ゼンマイが止まれば,ゲーム終了。その時のラップカウントの数字が最終スコアとなります。
ただしスコアは22点までしかカウントしません。とは言っても22点行くのは至難の技でしょう。
遊んでみると,なんだか往年の業務用ゲーム「モナコGP(セガ)」を思い出してしまいます。
電子部品を一切使わずにこれだけのゲームを成り立たせてしまうトミーに感服せずにはいられません。
最後に1つ,テクニックを紹介します。敵に衝突しそうになったら,[DOCK IN]ボタンを押しましょう。
緊急回避出来ます。
ぜひ,皆さんもこういったゲームをプレイしてみて下さい。意外と味があって面白いですよ。
操作系統:
(右)ハンドルとラップカウント表示
(左)[DOCK IN]ボタン
ハンドルの左にある[DOCK IN]ボタン
ピンクのハンドル,意外とこだわっている感じがする
敵機が動き出して,さぁ発進ダ!
敵が動き出して,さぁ発進!
エマージェンシー!敵機と衝突!
イタ!敵機に衝突!すぐに帰還せよ!
微妙ハンドル操作が高得点へのカギダ!
微妙なハンドル操作が高得点のカギだ!
■本体解説:値段の割にしっかりしてる!
画面左下の意味無し表示もイカス!  
ゼンマイ式のこのゲーム。外見はどことなく電子ゲーム機を意識した作りになっています。
しかし,1,500円程度のゲーム機の割にはハンドル使用やサイバーを思わせる背景など
よく出来ていると思います(確かに安っぽい感じはあるのですが)。
あらかじめ用意されたパターンで動く電子ゲーム機と違い,
滑らかに動く機械式の本ゲームには,こういったレースゲームが良く似合っていると思います。
おそらく中に仕込まれた円盤に敵機が描かれて,それを動かしているだけだと思いますが・・。
この「スペースクルーザー」,「テクノボーイ」の2番目のゲームだそうです。
シリーズにはどのゲームがあるか不明です。ご存じの方は是非,お知らせ下さい!!
(なんと追加情報を頂きました!上のゲーム解説でプレイ感覚が「モナコGPの様だ」と書きましたが,
キャラが車に変わっただけの本当にモナコGPの様なゲームがあるとの事です!
しかも,「エキサイトバイク(FC/任天堂)」の様な横画面バイクレースもあったとの事です。奧が深いですね!)
電子を使わないゲームと言うと,パチンコみたいな玉を弾くだけのゲームや簡単な野球ゲームくらいか
思い出せないのですが,ゼンマイ式でここまで出来るとは正直言って驚きました。
そういえば,電池を使うけれども全てが機械制御の「サブマリン(メーカー不詳)」と言うのもありましたねぇ。
     
JUN AMANO'S HOMEPAGE           
http://homepage3.nifty.com/lsigame/








1982年7月16日金曜日

[機器] タカラTOMY,ぴゅう太














ぴゅう太、そのシリーズ
ぴゅう太は、シリーズ化される程、超人気のあった(気がする)、16Bitマシンだ。そのぴゅう太シリーズを周辺を含めて、確認したい。 
■~素晴らしきぴゅう太ファミリー~
ぴゅう太、ぴゅう太Jr、ぴゅう太mkII
ぴゅう太(知育玩具)、ぴゅう太くん(メダルゲーム)、TUTOR
・ぴゅう太
ぴゅう太は、ぴゅう太シリーズの元祖となる16Bitマシン。
当時、おもちゃ会社の発売するマイコンとして、珍しがられた。
まだ、ファミコンも各種ゲーム機やマイコンのひとつに過ぎず、ぴゅう太ユーザーも少なくなかった。
ファミコンが勢力の伸ばす中、ディスカウントストアで、約35000円で売られるようになった。
それでも、非常に高価なおもちゃマイコンだったのだ(定価59,800円であった)。
標準で、グラフィックを描画する機能があったが、ドローペイントタイプではなく、
セルと呼ばれる8×8マスに1つずつ書いていくもので、非常に面倒だった。
また、表示能力もMSXのSCREEN2並みの8ビットの横ラインに2色までの制限があり、
奇麗な絵を描くのは難しかったが、ゲーム画面風の絵を描くには充分だった。
MSXのSCREEN2用の8×8のパターンエディタで、フル画面のCGを描く事を想像してもらえば、かなり近いと思う。
プログラミング言語は、当時画期的な独自の日本語ベーシックを搭載していた。
「カケ」「マワレ(FOR文の事)」など、意表を付く命令で、チビッコの度肝を抜いた。
ぴゅう太後期には、BASIC1と呼ばれる拡張BOXをポートに差し込む事で、
PRINT等が使えるようになった(通常のBASICは日本語G-BASICである) 。
・ぴゅう太Jr
ぴゅう太Jrは、ぴゅう太の廉価版として発売された、こっちは正真正銘のゲームマシン。
キーボードは付属しておらず、ぴゅう太ユーザの増加には貢献したが、
ぴゅう太のマイコンとしての座を逆に下げた皮肉な結果になった。
後に、マイコンでもゲーム機でもない、コウモリ野郎と呼ばれる原因となった。
ただ、ユーザー数の少なかったぴゅう太ユーザーには、仲間が増えた事で、歓迎された。 
・ぴゅう太mkII
ぴゅう太mkIIは、ぴゅう太後期に登場した、本格的なキーボードのマイコンだ。
BASICは日本語でないG-BASICと多少普通のパソコンに歩み寄るが、
しょせんはG-BASIC。多機種との互換性の無さは致命的であった。
特筆すべきは、やはりそのキーボードで、ぴゅう太がいわゆるケシゴムキーボードだったのに対し、
mkIIは、現在のパソコンのキーボードような作りだった。
当時はまだ、現在のキーボードが主流な訳ではなく、ケシゴムキーボードを搭載したマイコンも多かったのだ。 
mkIIという名称で、機能をUPして登場したぴゅう太だったが、時既に遅く、
ファミコンの牙城が築かれている中、敗者として埋もれていったのであった。 
・ぴゅう太くん(知育玩具)
ぴゅう太の敗北から、十数年後。ぴゅう太は帰ってきたのだ。
知育コンピュータとして。セガのPICOの登場とともに、
知育コンピュータという分野が確立された。コンピュータを使っている、
知育玩具も少なくない。
TOMYの電子系知育玩具として「ぴゅう太」は帰って来たのだった。
もちろん、ゲーム機やマイコンではなく、あくまで知育玩具なので、当時のぴゅう太とは、全く違う。
しかし、TOMYのマイコンの名称は「ぴゅう太」の伝統は受けつがれていたのだ。
かわいらしく「ぴゅう太くん」と。自分もトイザらスで1度だけ実物見た事があり、
感動しました。詳しい情報をお持ちの方、お寄せ下さい。
ぴゅう太くんは、情報によれば、TVと接続し、スロットマシンのようなミニゲームが楽しめるもののようだ、
次の紹介する、メダルゲーム版ぴゅう太くんと非常に密接な関係があると言える。
残念ながら知育コンピュータ市場は、PICOの圧倒的な独占状態だが、
ぜひ、ぴゅう太くんにも頑張って欲しい所だ。価格は一万円程らしい。
・ぴゅう太くん(メダルゲーム)
なんとぴゅう太はゲーセンにまで、進出していたのだ。
よくあるコインを入れて、賭けて、当たりだと増えるタイプのコインゲーム。
TV画面を使うものも、最近は珍しくない。
その1つに「ぴゅう太」の文字が!。画面にはTOMYのコピーライトも付いてる。 
まさか、これは!!!!。そう「ぴゅう太」ブランドはここまで、来ていたのです。
自分は2回程見かけた事があります。同じく、詳しい情報をお持ちの方、お寄せ下さい。 
(※ついに発見しました。激録!ぴゅう太くんへ) 
・TUTOR
しかもぴゅう太は外国に渡っていたのだ、名前はTUTOR。ぴゅう太と似ている所がすごい。
意味的にもいい感じだ。写真によると、ぴゅう太そのまんまで、キーボードの文字が英語だけになってる。
なるほどJISキーボードではないらしい。追って調査を続けたい。 
ぴゅう太は、いつもあなたの側にいます。LOOKING FOR ぴゅう太!!

ぴゅう太の館
http://www.geocities.co.jp/Playtown/1763/








ぴゅう太、そのすごいところ
ぴゅう太の、そのすばらしい機能をここで確認したい。
■キーボード
ぴゅう太のキーボードは、今で言う、ケシゴムキーボードで、ゴム質の押したかどうか若干わかりずらいタッチのキーボードだった。
しかも、子ども向けのマイコンだったのにもかかわらず、「ヌフ」で始まるJIS配列キーボードで、後MSXが子ども向けで50音配列キーボードが少なく無かったのに対し、あえて標準を採用していたのが、とても、斬新だった。
日本語BASICを採用していたので、カナでプログラムを入力するため、ぴゅう太をマスターする頃にはJISキーボードでカナがばりばり打てるようになる、というおまけもついた。
FEPがパソコンに標準で搭載し、ローマカナ変換時代の今では想像ができない。また、非常に使用頻度の高い、MODキーや、カナキーは、ケシゴムキーボードの特徴上、だんだんキーに書いてある文字が消えてくるという驚きのマジックが見る事ができた。
■コントローラー
今でこそ、ファミコンの十字キー+2ボタンの、あのデザインが主流かつ、標準的デザインであるが、ぴゅう太発売当時、コントローラーのスタンダードというものはなく、各社色々であった。
ぴゅう太のは、今思うと、よくこんなでプレイできたなというデザインで、ぴゅう太カラーのブルー&ホワイトで、未来派だった。
後には、ジョイスティックタイプも発売というカタログもあったが、発売された所を、自分は見た事がない。
■グラフィック機能
ぴゅう太のグラフィック描画機能は、いわゆるドローペイントタイプではなく、セルと呼ばれる8×8マスに1つずつ書いていくもので、非常に面倒だった。
セル番号はセル1つ1つに振られていれ768個だった事から、32×24のセルから成り立っていたと言える。
後のMSX並みで、色彩能力もMSXのSCREEN2並みの8ビットの横ラインに2色までで、当時としてはまぁそれなり奇麗な絵を描く事ができた。
これを元にBASICで制御する事もできたが、それは結構難しいものだった。
記録には、テープレコーダーと、カセットテープで10分近く、時間がかかった。
次にロードをした時、自分は読み出せた事が一度もなく、ぴゅう太専用データレコーダは、当時秋葉原を探してまわったが、どこにも置いていません、という言葉が帰ってきた。
■プログラミング機能
ぴゅう太に採用されたプログラミング言語は、当時画期的な独自の日本語ベーシックを搭載していた。
「カケ」、「マワレ(FOR文の事)」など、一見わかりやすそうで、他社の命令とあまりにも違い、逆にわかりずらかったかもしれない。
ベーマガに当時、プログラムが長期にわたって掲載されていたが、ぴゅう太の場合、ソフト的にグラフィックを書く機能がない為、セルのドット絵も掲載されて、他のマシンとは違う雰囲気を出した。
ぴゅう太後期には、BASIC1と呼ばれる拡張BOXをポートに差し込む事で、PRINT等の標準的な命令が使えるようになり、ソフト的にキャラクターを作ったりでき、他のマイコンにもひけを取らなかった。が時既に遅く、ぴゅう太Mk?UキラーとなったMSXにその座を奪われていったのであった。
やはり記録はテープレコーダーだったが、記録に成功した事は一度も無かった。
■拡張ポート
ぴゅう太はその拡張ポートも活用されていた。1つはゲーム拡張BOX。
もう1つはBASIC拡張BOXだった。ゲーム拡張BOXは、より高度なゲームができるという触れ込みで登場したBOXで、BOX自体にカートリッジ挿入口があって、ベースボール等が発売された。
しかし、ソフトは数本が発売されたのみであった。
もう1つのBASIC拡張BOXは、先のBASIC1の事で、高度なプログラミングが可能になるのが魅力であった。
ぴゅう太は、その家庭向けの発想は、今でも古さを感じさせない。

ぴゅう太の館
http://www.geocities.co.jp/Playtown/1763/