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1986年8月16日土曜日

[書籍] マイコン雑誌いろいろ~PC黎明期を支えたメディア


[書籍] マイコン雑誌いろいろ~PC黎明期を支えたメディア
8bitとともに歩んだ雑誌たち
パソコンを語るときに、パソコン雑誌の存在は切っても切れないものがある。
ここでは、そんな雑誌を紹介していこう。
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マイコンBASICマガシン(略称:ベーマガ)
私が最も長く読み続けていた雑誌だ。
この雑誌の特徴的なもので大きなものは、投稿プログラムコーナーだ。
機種に制限を設けていないので、未だに古いパソコンのプログラムが
紙面を飾っている。つまりはこの雑誌上では現在も現役機種なのである。
当時、なかなか新しいゲームが買えず、この雑誌を頼りにせっせとプログラムを
打ち込んでいた人も少なくないはず。
それとベーマガと言えば、山下章氏(当時:新田恵利ファン)を外しては語れない。
チャレンジAVGをはじめ、その後レスキュー隊という名で彼のもとに集まってきたライターは、
ベーマガの各コーナーを担当し、ベーマガカラーを作っていったのだ。
『読者の闘技場』では、ゲームに関するあらゆるネタでバトルが展開され、
「格闘ゲームのハメ問題」など、なかなか白熱した対立は楽しませてもらった。
後期にはコンシューマのページも多くなり、底は浅いのだが、
一応はベーマガさえあれば全ての機種の情報が揃った。
良い事ばかり書いたが、ベーマガにも不満点はある。
まず前述したようなプログラムコーナーや広告が多いため、読むべきページが少ないこと。
それと、美少女ゲーム系を完全否定し、まるで歴史に無き物かのように掲載を拒んだこと。
当時はその「硬派一本で行きます」という態度は好感が持てる部分もあったが、
それにより資料的価値が下がっている事は否めない。
余談ではあるが、永遠の新人編集者「影さん」「つぐみさん」「編さん」は実在する人物らしい。
なお、文中に『後期』という書き方をしたが、現在も発売され続けている。
◆ログイン
情報量も多いが、パソコンとはまったく関係のないコーナーも多かった。
初期はぶあつい雑誌だったが、そのほとんどが広告だった。
途中から半分ぐらいの厚さになっても内容は変わらなかった事から、
如何に広告量が多かったかうかがえる。
この雑誌のイメージキャラクター的な位置にいたのが「べーしっ君」。
ライターの名前を前面に出し、個性を売りにしたのもこの雑誌が最初だろう。
その意志は、ファミ通にも遺伝している。
◆コンプティーク
最も印象的だったのは、真ん中ぐらいにあった「Hな袋とじ」である。(^^;
あとは『RPG千夜一夜』とか読んでたけどね。
ゲーム誌で毎回タレントを表紙にしていた先駆けのような雑誌である。
例の角川騒動で事実上この雑誌も分裂した。(片方は『電撃王』)
◆テクノポリス
美少女系と同人ソフトに最も強かった雑誌。
紙質が最も厚かったが、そのぶんページ数も少なかった。
でも広告が少ないからボリーム不足という感じでもない。
この雑誌のイメージは、イコール矢野健太郎という気がする。
頭頂部にジョイスティックを持つ「コナン」と「ポニーテールの女の子」は
まさにテクノポリスの看板だろう。
前述したように同人ソフトの情報は、テクノポリスが一番。
というより一般誌では、ほぼテクポリの独占分野だったと言っても良い。
一種独特であった『88の同人ソフト』の世界を除く事が出来る貴重な資料である。
また、ソフト改造プログラムなどの挑戦的なコーナーもあった。
◆ポプコム
唯一、定期購読しなかったメジャーパソゲー雑誌。
覚えている事と言えば、ダ・ビンチなどで描かれたCGをカセットレーベルにした付録が
毎回真ん中の方についていた事ぐらいか。
なぜか高橋留美子系が多かった。
◆アソコン
テクノポリスの紙室を上回る厚さで迫るページ数の少ない雑誌。
確か「遊ぶコンピューター」の略だと思う。
けっこう好きな雑誌で、廃刊になるまで買っていたが、内容はまったく覚えていない。
◆プログラムポシェット
これってMSXオンリーだったっけ?
とにかく、打ち込むだけで遊べるBASICプログラムがたくさん載っていた。
ベーマガのように、大作(?)ばかりではなく、
1行プログラムゲームとかあって、気軽に打ち込めるタイプだった。
◆I/O
ゲーム雑誌じゃないが、人も殺せる分厚さは尋常じゃない。
ログイン同様にそのほとんどが広告。
打ち込むだけでゲームが手に入るマシン語リストが載っていたが、
気が狂わんばかりのデータ量だった。
◆PEC
業界の裏話とか、改造講座とか、超インディー系パソコン誌。
本屋には置いてなかったんじゃなかろうか。
     
大帝王時代
http://enjoy.pial.jp/~tei2/
   
         
       
         
       
         
       
         
       

1985年3月11日月曜日

[書籍] ゲーム関連書籍,1985年,

[書籍] ゲーム関連書籍,1985年,
こんなものもありました・・  (゚д゚)懐スィー
◆ナムコ 豆本
「BASHISHI BOOK (バシシブック)」  リブルラブル
「DIGTIONARY (ディグショナリー)」  ディグダグ
「青春を語る8章」  ポールポジション
当時、ナムコ直営店で誰でも貰えた(数に限りはあったが)販促グッズ。
“タダで貰った”ということでその後捨ててしまった人もいるのでは?(苦笑)
不思議なことに数あるナムコ作品で、この3タイトル以外 豆本は作られていない。
「DIGTIONARY」の画像をコチラに掲載してます。
◆新明解 ナム語辞典
定価5,000円という値段の高さが災いし、発売当時買えなかった
ナムコ好きな少年少女がたくさんいたようで、今ではオークションに出品されると1万円超えは当たり前...というレアな本になってしまいました。
実は、私自身も当時買えなかった1人だったのですが、その後、古本屋で定価より安く買うことができました。
ちなみに、「復刊ドットコム」にも復刊希望の投票が多く入れられていますが、版権の問題(だったと思う)で復刊は難しいようです...。
◆ミュージカル 「スターライト エクスプレス」 パンフレット
これもゲームグッズではないのですが、ナムコが協賛したミュージカルということでちょっと載せてみました。(中村会長の顔もしっかり載ってますね)
ちなみに日本公演の主催はフジテレビです。
「スターライト エクスプレス」の日本公演は1988年11月~1989年1月までの間、国立代々木競技場(東京)と大阪城ホール(大阪)で行われ、日本人ではタレントの
川崎麻世さんが“新幹線・ハシモト”役として唯一出演していました。
ネットで調べたところ、1990年にも上演されたようですが、この時は飲料メーカーのキリンがスポンサーになっていました。
◆バシシブックの関連商品
◆公式ガイドブック 「THE BASHISHI BOOK in‘90s」
◆スーパーファミコン版 「リブルラブル」
豆本絡みということでこちらも紹介。
スーパーファミコン版「リブルラブル」のマニュアルには“復刻版 BASHISHI BOOK”と題して
当時のバシシブックの内容がほぼ忠実に再現されています。
今さらバシシブックが欲しいけどなかなか手に入らないとお嘆きのあなた!
いつか本物が手に入るまでスーパーファミコン版で我慢しましょう...。・゜・(ノД`)・゜・
左 : NEW ラリーX  ライセンスカード
右上 : 下敷き(B5サイズ)
右下 : キーホルダー型マップ
以前のラリーXではまったく宣伝していなかったのに、
NEWラリーXになり、このライセンスカードや下敷きなどを配布。
キャロットやナムコランドで積極的に製品のアピールをしていた。
ライセンスカードはAライセンスでも15万点でゲットできるので、
ちょっとやりこんだ人なら簡単に全部揃えることができた。
下敷きは誰でも貰うことができたのであっという間にお店から無くなったが、
学校で使ううちに落として割ったり折り曲げてしまった人も多いはず。(笑)
ところで、下敷きの画像を見て「おや?」と思った人は何人いるでしょうか...。
そう・・・よく見ると右半分と左半分のマップが逆さまにプリントされてますよね。
実はこれにはちゃんとした理由があります。ラリーXが発売された時も含めて、
昔のビデオゲームは新作が出ると現在のような基板のみの交換ではなく、
筐体ごと入れ替えるのが基本となっていました。(基板のみの流通が少ない)
ナムコの直営店でも同様の作業が行われており、ラリーXが入荷した時も
テーブルタイプ、アップライトタイプ共に専用筐体として入れ替えされていました。
全くの新品が送られてくるわけですから、画面サイズの調整はほぼ均一。
ナムコ直営店のどのお店に行っても同じように画面調整された筐体があります。
...と、ここまで書けばカンの鋭い人なら既に気づいているかもしれませんが、この下敷きはゲーム画面のレーダー部分にピッタリ当てはまります!
(ガラス面からブラウン管までの高さがあるので多少ズレますけど。(苦笑))
右半分が逆さまにプリントされているのも、ラウンド8以降に下敷きが画面に被らないようにするためだったんですね。
ちなみに、アップライトタイプはブラウン管のサイズが違うので、いくら新品純正だからといってもこの下敷きは使えませんヨ。

CHANNEL 084
http://www.geocities.jp/hiropong_9372/goods/goods.html
http://www.geocities.jp/hiropong_9372/ng_vol03.html






ナムコ 豆本

新明解 ナム語辞典






1983年10月21日金曜日

[書籍] 雑誌NG第3号,1983年10月発行

[書籍] 雑誌NG第3号,1983年10月発行
・トピックス
コスモ星丸登場。中曽根首相と握手
・特集  エレメカ
「Mr.プロレス」、
「ノックダウン」
「おかし大作戦」、
「ホットボールホッケー」
「バーディ・パット」、
「さんすう道場」
「ピッチ・イン」、
「シュータウェイ」
・君と開発スタッフのインターフェイス  連載開始
・ニューゲーム  「フォゾン」、「ポールポジションⅡ」
・ロボットカーニバル
・店舗紹介  大阪
プレイシティ・キャロット  関大前店
プレイシティ・キャロット  道頓堀店
プレイシティ ガムガム
なんばCITY  ビッグキャロット
・ラジオはアメリカン!(大橋 照子)
・午後の国  3話  <クリップ・クロコダイルマウス>
・パックマンと陽気な仲間たち(ゲーム機、グッズ紹介)  ...他

CHANNEL 084
http://www.geocities.jp/hiropong_9372/ng_vol03.html




エレメカ大特集
昔も今も大した差はないと思いますが機種によってメンテナンスが大変で、特にモグラ叩き系ゲームと、腕力などを競うゲームはマシンの仕様上、どうしても故障(というか破損)が多くなる傾向にあった。
この号で紹介された中では、
「ノックダウン」
「おかし大作戦」
「さんすう道場」
がそれにあたるのだが、どんな風に“大変”なのかというと...
ノックダウンの場合、的の部分が何度も叩かれるたび、ショックを吸収するウレタンが変形したり、磨耗してボロボロになったりと、だんだんとショックを受け止められなくなります。
ここで定期的な交換を怠ると捻挫や骨折といったプレイヤーにケガを負わす危険性が出てきます。
ノックダウンシリーズは人気が高く、現在までに「ノックダウン‘90」「ノックダウン2001」がリリースされ、手を守るためのグローブもついているので安全性が高くなっています。(2002年10月現在)
これはナムコのゲームではないのですが、某社の腕相撲系ゲームはプレイ中にケガをした人が出たそうで、その後、中高生以上なら誰でも最強レベルに勝てるくらい難易度の低いゲームになってしまったとのこと。(ゲーム設定(orROM交換?)でアームを制御するモーターの強さを下げてしまった)
そして、おかし大作戦と さんすう道場ですが、この2機種はハンマーを使ってプレイするために、力任せに叩くプレイヤーが多い店では、ハンマーやプラスチック部品の破損が多かった。
ちなみに当時のハンマーは中のウレタンを覆う皮部分を鋲で留めていたが、衝撃が強いと鋲の頭だけが取れることがあるため、残った針の部分でケガをする恐れがあった。
現在ではネジ留めにするなどの改良がされています。

CHANNEL 084
http://www.geocities.jp/hiropong_9372/ng_vol03.html







雑誌NG第3号
雑誌NG第3号


ノックダウン,おかし大作戦,ピッチ・イン,シュータウェイ
ホットボールホッケー,さんすう道場,バーディ・パット





「フォゾン」
ちょっと暗いイメージとポールポジションⅡの人気に押され、あまりヒットしなかった。
ゲーム自体は簡単。自機(ケミック)を操作し、画面中を浮遊する部品(モレック)を結合しながら画面中央の形と
同じ形に作ることができればステージクリア。しかし、浮遊するモレックをなかなか自分の思い通りに結合することができず、
イライラしながらプレイするゲーマーが多かった。
「ポールポジションⅡ」
大ヒットしたポールポジションの続編。
コースが前作の富士スピードウェイ(静岡県)に新たな3コースが加えられマシンもパワーアップした。
ちなみに
SUZUKAコースは三重県にある鈴鹿サーキット、
TESTコースは架空のオーバルコース、
SEA SIDEコースはアメリカ・カリフォルニア州にあるロングビーチ
がモデルになっている。
このゲーム、通常の最高速度で走り続けるとさらに加速するようになり(通称:ターボ)、アクセルを踏み続けている限りコース外に出てしまってもターボ状態を維持するようになるが、ギヤをローにしたりブレーキを踏んで減速するとターボが解除されてしまう。
ゴール時、スコアが64000点以上だとマシンが遥か彼方で大爆発します。(笑)
それからこのゲーム、出荷時は予選のタイムが90秒に設定されていますが、120秒に設定変更にするとTESTコースに限り、ある方法で予選を2周回ることができます。
館長、遊情は生れました。でも気密が・・・・
水族館でイルカと戯れているロボ君(仮称)
...っていうか、そんなとこにいて大丈夫なのかキミは!?

CHANNEL 084
http://www.geocities.jp/hiropong_9372/ng_vol03.html

Retro Game Museum
http://www.geocities.jp/arcadon765/invaders.html



1981年11月7日土曜日

[雑誌] マイコン専門誌 RAM




[雑誌] マイコン専門誌 RAM
昭和の56年のマイコン専門誌 RAM
当時まだパソコンという言葉は使われていなかった。OSがなくBASICで動かしていた。
(-_-)
S56年にパソコン買いました。MZ-80は名機でクリーンコンピュータ、先行の普及機はNEC8001、だがしかしコスパが良いとの広告にまけて、後発の東芝PASOPIA買ってえらいめにあったw ソフトが皆無で、マイコン雑誌のBASICプログラムを徹夜で打ち込んで、動かしたら1分で終わるゲームとかだった(笑) たしかに当時はパソコンという呼び方はなくて、マイコン派とパーコン派が主導争いしてたw

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