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2014年1月30日木曜日

WRC-300FEBK-R





11n対応無線LAN中継器
WRC-300FEBK-R
無線ルーターの電波が届かない場所まで電波を中継します。
設定はWPS対応の無線ルーターと本製品のWPSボタンを押すだけなので非常に簡単。
また、有線LAN接続機能を搭載し、有線ネットワーク機器を簡単に無線化することが可能です。

ELECOM
http://www2.elecom.co.jp/products/WRC-300FEBK-R.html




WRC-300FEBK

11b/g/n 300Mbps 無線LANルーター  
WRC-300FEBK
家庭で最も普及しているIEEE802.11n/g/b 300Mbps(理論値)に対応。
スマホ・タブレット・PC・TV等、あらゆる無線LAN機器と接続が可能です。
製品本体(幅約107×奥行き約72×高さ約25mm)と従来製品の半分以下まで小さくなり、
非常にコンパクトで置き場所を選びません。
関連リンク検索結果 - ELECOM WEB SITE!

ELECOM
http://www2.elecom.co.jp/search/link/search.asp?kataban=WRC-300FEBK&link_type=2





【WRC-300FEBK】中継する方法はありますか?/中継機モードの設定方法は?
※本製品の管理画面を開く時のご注意※
本製品は、使用モードや接続状況により、管理画面にアクセスするアドレスが異なります。
管理画面にアクセスするアドレス
ルータモード時
 192.168.2.1
中継機モード時
(親機と接続する前)
 192.168.2.251
中継機モード時
(親機と接続した後)
 192.168.x.251
  (x部分は、親機のIPアドレスのセグメントと同じものを入力します)
  例:親機のIPアドレスが「192.168.3.1」の場合
  アクセスするアドレスは、「192.168.3.251」となります。

ELECOM
http://qa.elecom.co.jp/faq_detail.html?id=5657




2012年2月29日水曜日

「うるう日」バグ

シャープ製レコーダーに表示不具合 「うるう日」バグで「予約できない」 (J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
J-CASTニュース 2月29日(水)18時52分配信
シャープ製レコーダーに表示不具合 「うるう日」バグで「予約できない」
「うるう日」のバグで「この予約は最後まで実行できません」といったエラーメッセージが表示される不具合が明らかになった(シャープの発表文書より)
 4年に1度の「うるう日」にあたる2012年2月29日、シャープ製のブルーレイディスク(BD)レコーダーなどに、予約を行おうとしても「この予約は最後まで実行できません」といった誤ったメッセージが出る不具合が発生していたことが明らかになった。ただ、予約そのものはできるようだ。ソフトウェアの「うるう年」の処理をめぐるバグ(不具合)が原因だった。
■予約が実行できないというエラーメッセージが出る
 不具合の内容は、12年2月29日に録画予約の確認をしようとすると、予約ができないことを指す「×」が表示されるほか、2月29日の番組を予約しようとしても、
  「現在のHDD残時間ではこの予約は最後まで実行できません」
  「HDD残時間を増やすにはタイトル消去を行ってください」
と、ハードディスクの容量が足らないことを示すメッセージが表示されるというもの。
 シャープ広報室によると、メッセージが表示されても実際には予約録画は可能。そのまま使用するように求めている。3月1日以降は、今回問題になったメッセージは表示されないという。16年2月29日以降の「うるう日」についても、問題は起きないとしている。
 不具合が発生したのは、BDレコーダー13機種、DVDレコーダー23機種、DVDレコーダーやVHSのビデオデッキを搭載した機種3機種の合計39機種。不具合が起こった機種の合計出荷台数は明らかにしていないが、相当な台数にのぼる模様で、2月29日のお昼頃から、ツイッターやQ&Aサイトで不具合を訴える声が続出している。
 中には、
  「この怪現象でHDDにためてた映像をごっそり削除しちゃった人たちが沢山いるんだから、ちゃんと説明してほしい」
という声もあった。
 シャープは、17時過ぎに不具合の内容を説明する文章をウェブサイトに掲載した。
■4年前にはチェックイン機のトラブル
 うるう日をめぐるコンピューター関係のトラブルは、決して今回が初めてだという訳ではない。例えば、08年2月29日には、米ユナイテッド航空の自動チェックイン機が故障し、手動でのチェックインを余儀なくされている。また、マイクロソフトの音楽プレーヤー「Zune(ズーン)」も、1年が366日に増えるという処理を正しく行えず、08年12月31日に不具合を起こしている。

Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120229-00000004-jct-bus_all

2012年2月2日木曜日

2011年11月30日水曜日

[広告] iPhone4

2011





IPHONE 4 
2010/6/10(木) 午前 9:25 無題 練習用
立て続けに新製品を出してくるAPPLEを抑え込む企業はないのでしょうか?^_^;
IPHONEの3作目?の4が出ます。
詳しいスペックは判りませんが見た目はちょっといい!!
IPADを秋田で売らないAPPLEなんかへへへのへーんだってやってやりたいんですが
この4はかなり出来が良さそう。
これが出たらエクスぺリアとどっちにするかって考えるだけが楽しみだったんですが
半分以上こっちに傾いてます^_^;しかも実際に買ってみたい(笑)
IPODを新製品出す度に機能アップして値下げする手法のAPPLEなので現在のIPHONEは中途半端な存在と
ずっと様子見してました。
そしてこの24日に発売される4こそが本命と信じてました(^^♪
実際は今の端末が爆発的に売れてスマートフォンを世に知らしめたわけですが
そのヒットの後の作品は力が入ってないわけがないと信じております。
どの機種でもそうですが,最初に出た型の下位モデルが消えて中位が下位にランクされ
ハイスペックなどの2種が導入されます。
簡単に言うと8GBモデルが最初出た型は他に16GB,32GBと出てきます。新型が発売されると
8GBモデルは消え,
16GB,
32B,
64GB
になります。
そしてさらに新型が出ると16GBが廃止され,32GB,64GB,80GBのようなスペックで売り出すのが
APPLEの特徴です。
古いモデルを長く使いたい場合は最初の段階で中位か上位のモデルを買わないと新型が出る度に
自分のモデルがかなり古く感じさせるマジックです。
値段はIPODの場合で旧型の料金より数千円安くなって容量は旧型より多くなるので
実質の値下げと同じ感覚です。
この売り方を知らなくて3世代目のIPODを買った半年後,上記の状態になってすごく損をした気分になりました(>_<)
IPODやIPHONEのいいところは指で触ったタッチの反応が比較的優れている事。他社の一部の携帯のタッチセンサーは
感度が弱くてイライラすることもしばしば。
良い面だけではありません。ソフトバンクの電波は所により一時不通やダウンするなどのかつてのドコモの
FOMAエリアを思い起こさせる感じです。
そうそう,ドコモのFOMAは最初つながらないのでMOVAと2台持ってくださいって店の人になんとなく言われて
「んな,馬鹿な話があるかい!!」って敬遠した事もありました(笑)
それほどひどくはないですが,山道や時々なんでもない場所で電波がないのを見て残念でした^_^;
IPHONEという一つの文化(もう文化だね(笑))にはまりまくるのは嫌ですが,使ってみてなぜそんなに
信者がいるのか体験してみたいですね(^^♪
ただ,信者の中にはそれしか認めない極論者とかアンチ信者のような面倒くさい存在もいるので
おいらはただ純粋にその端末を楽しんでみたいです(^^♪
もちろんパケットは最小限に(笑)何事も自分の抑制心と好奇心の狭間の戦いです(^^♪
過ぎたるは及ばざるがごとしでしたっけ?(^^♪

ゆっくりじっくりとびっきり









iPhone for Steveか 
2011/10/8(土) 午後 9:38 Macとのひととき ソフトウェア
iPhone 4Sは最近ネットではiPhone For Steveとか言われています。
最後にスティーブ・ジョブズが精魂込めて創り上げたプロダクトなんでしょうね。
本当はiPhone 5の構想もあっただろうとおもうのですが。

Macintoshのつぶやき









不思議です。
2011/10/7(金) 午後 8:50 Macとのひととき 
ジョブズがなくってから、Macに触ると悲しくなってきます。
やはり、Mac と OSX にはジョブズのエネルギー、思想があふれているのでしょう。
LionはジョブズがみたOSXの一つの完成形だったのでしょうね。
おそらく、iPhoneが生まれたことで若干のブレは出てきたと思いますが。

Macintoshのつぶやき








日本を愛したジョブズ氏 
2011/10/25(火) 午前 8:26 
2011年、10月24日の毎日新聞夕刊に「日本を愛したジョブズ氏」という記事が掲載されていました。
お別れ会を友人たちと繰り返し行なっていたそうです。
その場所がお寿司屋さん。
その中に注文してもあまり食が進まない。
だけど注文する。
というエピソードがありました。
それは食べて治すということを考えていたからではないか。
弱気にならない所がさすがだと思います。
自分もできないとか諦めずに、どんどん挑戦していこうと思います。あきらめたら終わりです。
(2011年10月25日、誕生日に思ったこと)

Macintoshのつぶやき


2010年7月2日金曜日

外付HD


REGZAやトルネで使える超静音外付けHD
 WD社「GreenPower」だけを採用した超静音、省エネHDです。
今だけポイント10倍
12,980円

gfdgfd pc



2006年11月7日火曜日

[通信] iBOOK G3で無線LAN

2006.10.01 Sunday

自宅では旧型のiBookを使っている。G3の500MHzのものだ。もう5年以上たつこのパソコンだが当然無線LANは内蔵されておらず、当時はまだ高 嶺の花だったAirMacカードは買えなかった。そのうちに買おう買おうと思っていたのだが、規格が変わって今appleで売っているものは使えない状態 になってしまった。
しかし、このパソコン、最新OSに変えても問題なく動くし、インターネットとメールしか使わない私にとっては、まだ十分使えるのだ。無線LANがないので外で使えないからなあ…と思っていたところ。
うれしいことにUSBメモリみたいな無線LAN子機で、かつMacでも動くというものが発売された。写真がそれで、プラネックスコミュニケーションズという会社のGW−US54GXSという製品。いや〜すばらしい。ちゃんと動きます!
この製品、ネットにつながっているpcに接続すると逆に親機にもなるそうで、すごく便利。パッケージに同梱されていたUSBの延長ケーブルがこれまたあり がたい。今までiBookのマウスのケーブルが短かったので、これをつけるとちょうど良い長さに。(本来の使い方と違うけど)
こんなに便利なのに、お値段は税込4000円以下!古いMacをお持ちの方には朗報ですね。ホント。今このブログも無線LANで更新しております。

Easy-WorkStyle
http://fukarei.jugem.cc/

2006年2月14日火曜日

[機器][携帯電話] docomo,次世代通信方式「HSDPA」対応試作機を開発




[機器][携帯電話] docomo,次世代通信方式「HSDPA」対応試作機を開発
ドコモ、HSDPA対応機を試作
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2006/2/1(水) 午後 11:56
DoCoMo Report ホームページ
NTTドコモは次世代通信方式「HSDPA」に対応した試作機を開発したと発表した。2月13日から16日にかけてスペイン・バルセロナで開催される「3GSM World Congress 2006」で展示する。富士通、Motorola、NECと共同開発しており、3機種が用意されている。
HSDPA(High Speed Downlink Packet Access)は、次世代の高速パケット伝送技術。ドコモでは以前から、2006年度第2四半期に対応サービスを開始すべく準備を進めている。試作機のデータダウンロード速度は、いずれも従来の約10倍となる最大3.6Mbpsを実現しているという。
HSDPAの規格としては、3GPP Release.5のカテゴリー6に対応。HSDPAは理論上「下り最大14Mbpsを実現する技術」と紹介されることが多いが、カテゴリーによって速度が異なり、カテゴリー6の場合は3.6Mbpsが上限となる。
~HSDPAのイメージとは?~
試作機が明らかにされたことで、ドコモのHSDPAの姿がおぼろげに見えてきた。端末開発は、海外メーカーのMotorolaを含めた複数社が積極的に取り組んでいる状況。サービス開始当初から、複数のHSDPA端末が発表されると見てよさそうだ。なお、各社によって開発状況にばらつきがあるかもしれず、発売時期などは何もいえないという。また3メーカー以外が端末を開発する可能性は「未定」。
試作機のボディ形状はそれぞれ富士通製「F901iS」、Motorola製「V3X」(RAZR)、NEC製「N902i」をベースとしているが、当然ながら実際にこのままの形状で販売されるわけではない。価格は「従来のFOMAから高くなるのか、さほど変わらないかなども含めて、現状では未定」とのこと。
HSDPA端末では、従来のFOMA同様iモードサイトの閲覧やiモードメールの送受信が可能。インフラ側は従来のFOMA向け基地局をアップデートすることでHSDPA対応となるため、「HSDPA対応済み」の基地局とのみ最大3.6Mbpsの通信を行える。ただし「本サービスがそうなると決まったわけではないが、HSDPA未対応の基地局とも、従来どおり384kbpsでの通信は可能だ」という。
        
Φ Mobile Phone Unlimited Φ
https://blogs.yahoo.co.jp/strike_extreme2







ドコモ、HSDPA対応の試作機3モデル
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2006/2/2(木) 午前 0:35 DoCoMo Report ホームページ
NEC製の試作機、N902iベース
F901iSベースの富士通製試作機
V3xベースのモトローラ製試作機
        
Φ Mobile Phone Unlimited Φ
https://blogs.yahoo.co.jp/strike_extreme2








HSDPA【えいちえすでぃーぴーえー】
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2006/2/1(水) 午後 11:58 DoCoMo Report ホームページ
FOMAの3Gに続き、3.5Gとして研究が進められている通信方式が、HSDPAだ。
HSDPA(High Speed Downlink Packet Access)は、新しく開発された高速パケット伝送技術の1つ。FOMAなどの3Gに対して、3.5Gと位置づけられている。HSDPAを採用することで、現状のFOMAと同じ5MHzの周波数帯域幅を使った場合でも、最大14.4Mbps(下り方向)の通信速度を実現する。開発したのは業界団体の3GPP。
この通信速度の向上に、最も貢献しているのが適応変調方式だ。適応変調方式とは、変動する電波伝搬路の状態、すなわち空中の電波の伝わりやすさの変化を総合的に判断し、最良の変調方式を自動的に選択するというもの。具体的には、電波の受信状態が悪いときは低速なQPSK(Quadrature Phase Shift Keying)が用いられ、受信状態が良い時は高速な16QAM(16 Quadrature Amplitude Modulation)という変調方式が用いられる。いずれも速度の速さと相反した雑音への強さとなっている。
また、符号化の際の符号化率についても、受信状態が悪い時は誤り訂正能力が大きいものが、受信状態が良い時は誤り訂正能力が小さいものが使われるなど、受信環境に応じた選択が自動的になされる。こうして、変調方式と符号化の組み合わせが空中の状態に最適化され、結果的に速度を向上させる。
HSDPAのもう1つの特徴としては、ハイブリッドARQがあげられる。これは既存のARQ(Automatic Repeat Request:自動再送要求)に誤り訂正符号を加えた技術。一般のARQは、エラーが生じた際に「エラーが生じた」というNAK信号を、エラーがない時にはACK信号を相手に送るようになっている。だが、ハイブリッドARQでは最初からを誤り訂正符号を送信することで、送信側からのパケット再送回数を減らすことが可能になる。
        
Φ Mobile Phone Unlimited Φ
https://blogs.yahoo.co.jp/strike_extreme2






2005年11月24日木曜日

[通信]ウィルコム,ADSLサービス開始  



[通信]ウィルコム,ADSLサービス開始  
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2005/11/22(火) 午後 8:40 WILLCOM Report 練習用
ウィルコムは11月22日、ADSLサービスを12月1日から開始すると発表した。
アッカ・ネットワークスのADSL回線を使い、全国で提供する。料金は「50M超コース」で合計3485円、「3Mコース」で合計2585円。初期費用は合計で6038円だが、2006年3月31日までに申し込むと無料となる。
合わせて、「AIR-EDGE」「ウィルコム定額プラン」「ウィルコムADSLサービス」のいずれかをセットで契約すると月額料金を割り引く「マルチパックサービス」も提供する。組み合わせによる割引料金は下記の通り。
     
Φ Mobile Phone Unlimited Φ
https://blogs.yahoo.co.jp/strike_extreme2
     





レピータ返却
2008/8/12(火) 午後 9:55
うぃるこむてきな何か 携帯電話
だいぶ前に使わなくなっていたポケットレピータを、ようやく送り返しました。
箱にはウィルコムではなく、懐かしい「DDI POCKET」の文字。
現在の月額レンタル制がスタートする前にレンタル契約したので、
預託金の1万円が帰ってきます。
地味に嬉しいw

人形者ライフ
https://blogs.yahoo.co.jp/ningyoumono_life/42845684.html






2003年2月17日月曜日

[通信] HOTnet~北海道の電力系通信会社

[通信] HOTnet~北海道の電力系通信会社
HOTnet
北海道総合通信網株式会社
札幌市中央区北1条東2-5-3塚本ビル北1館
TEL(011)341-3000

HOTnet
http://www.hotnet.co.jp/













[通信] パワードコム~全国電力系通信会社
HOTnet
北海道総合通信網株式会社
札幌市中央区北1条東2-5-3塚本ビル北1館
TEL(011)341-3000
TOHKnet
東北インテリジェント通信株式会社
宮城県仙台市青葉区一番町三丁目7番1号電力ビル
TEL(022)799-4212
POWERED COM
株式会社パワードコム
東京都港区港南2丁目16番1号品川イーストワンタワー
TEL(03)4555-0081
CTC
中部テレコミュニケーション株式会社
名古屋市中区栄2-2-5電気文化会館
TEL(052)740-8004
HTNet
北陸通信ネットワーク株式会社金沢市下本多町5-26
TEL(076)209-5500
K-OPT(旧:OMP)
株式会社ケイ・オプティコム
大阪市北区西天満5丁目14番10号梅田UNビル
TEL(06)7501-8470
ENECOM (旧:CTNet)
エネルギア・コミュニケーションズ
広島市中区小町4番33号
TEL(082)233-8527
STNet
株式会社STNet
高松市春日町1735-3STNet本社ビル
TEL(0878)44-2251
QTNet
九州通信ネットワーク株式会社
福岡市中央区天神1-12-20日之出東京海上ビル
TEL(092)981-7576
OTNet
沖縄通信ネットワーク株式会社
沖縄県那覇市東町4-1KDD那覇ビル
TEL(098)866-7727

北陸通信ネットワーク株式会社
http://www.htnet.co.jp/astel/



2003年1月27日月曜日

[通信] ISDNからADSL回線切り替え


ISDNからADSL回線切替えのトラブル事例
  (2003年7月14日に掲載)
システム管理者の眠らしてくれない夜
副題が「システム管理者の眠らしてくれない夜」になっている。
理由は、ADSL移行に時、トラブルが多発して、眠らしてくれない事態に陥ったからだった。
ちなみに「システム管理者の眠れない夜」は、システム管理者のカリスマ的存在の柳原秀基さんの名著。
勝手に模倣品の題名を付けてしまいました。柳原さん、ゴメンなさい m(--)m
大変光栄な事に、柳原さんは、この奮闘記を、ご覧になってくださっています。
さて、うちの会社のインターネット回線は、インターネット接続時以来、ISDN回線を使っていた。回線速度は64Kだった。
でかいファイルをダウンロードする時は、メチャクチャ時間がかかる。
実は、2001年の秋ぐらいにADSLへの移行の申請をあげた。
しかし、その当時は、フレッツ網は普及してなくて、プロバイダーへの専用線型のプランで、まだ回線費用が高かった。
ISDNに比べ、少し値段がアップする上、回線速度があがっても、何も利益にならないと判断した上層部は
現状の回線で困らんやろ!
即、却下になった (TT)
ISDNからADSL回線切り替えの経緯
転機が訪れたのは、2002年の9月だった。
9月に本社に赴任したパソコン好きの部長の発言だった。
パソコン好きの部長は、インターネットが大好きで、自宅にADSL回線を引いている。
その部長が社長に・・・
ADSLだと安くて速いのに、どうして入れないのですか?
と言ったのがキッカケになった。
さぁ、パソコン好きの社長。回線速度が相当速くなると聞くとすぐに
なんで、うちはADSLを入ってへんのや!
と言い出した。
それを聞いた私は
去年、却下しておきながら、なんでねん (TT)
と思った。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html






フレッツADSL導入準備
しかし、2002年12月に事態は急転回をみせた。
それは、12月のある日のことだった。
N社という通信会社から、うちの会社のシステム担当者宛てにダイレクトメールがきていた。
こういう手紙は担当者の私が開ける。
中身は、ネットワークに関するアンケートだった。アンケートに答えたら、図書カードが貰える物だった。
図書カードをもらうのだー (^^)
という事で、早速、アンケートに答えた ← おい (^^;;
翌日、N社の営業ウーマンのH子さんから電話がかかってきた。
わざわざ図書カードを届けに行くという。
さて、H子さんが来社。
早速、図書カードを頂いた。
そこから、H子さんの営業の話になった。
回線の話をしていたら、ADSLの話が出てきた。
H子さんは・・・
フレッツADSLでしたら安くできますよ
と言ったので、見積もりを出してもらうことになった。
数日後、H子さんが来社。見積もりを見た。
フレッツADSLの8Mタイプ。
IPアドレス8個割り当て。
回線費用がISDNに比べて、半額になるので、安さに驚いた。
しかも、配線速度は劇的に早くなる。
私は・・・
これなら、稟議が通る!
と思った。
H子さんとの話が終わり、応接室から自分の席に戻る時、
あのADSL導入のキッカケを作った張本人のパソコン好きの部長がニヤニヤしながら・・・
かわいい、おねーちゃんと、何、話していたの?
と言ってきた。
部長と私のやりとり

部長
言葉に誘われて、ADSLを選ぶんだから
ちなみに、H子さん。20代前半の女性。
明るい笑顔で応対する、感じが良い人なので、私が鼻の下を伸ばしていると部長が言っても不思議ではない。
しかし、商売なので、鼻の下を伸ばして、デレデレするわけにいかないのでここでは真面目に対応する (^^)
さて、早速、稟議をあげることにした。
回線速度が劇的に向上する上、回線費用が半額になる。
しかも、初期投資も2~3ヶ月で回収できる。
これだと稟議が通らないわけがない。
すぐに稟議書を作成。無事、稟議が通ったので、H子さんに連絡を入れた。
後は、回線の切り替えの時期と、ISDN回線の契約解除を考えるだけ。
と思ったら、大変な事実が発覚した。
ADSL対応のルーター購入
稟議が通って後は回線の切り換えだと思いきやH子さんから連絡が来た。
現在のRTA52iだとADSLが使えないのでADSL対応のルーターが必要です!
という連絡がきた。
そんな事、全然、知らなかった・・・ (--;;
もちろん、調べなかった私も悪いのだが、稟議が通った後に追加費用。
私が上層部に怒られ嫌味を言われるだけでなく、話が白紙になるかもしれない。
どう言い訳して良いのか。非常に頭が痛い。
そこで、最初は、極力、安いルーターを選んで、ごまかそうと考えた。
上層部に報告する前に、ルーターを選びからはじめた。
H子さんがメールで、1万円台の安価なルーターと、ヤマハのルーターを
紹介してくれた。
予算の都合を考えたら、1万円台のルーターを使いたい所。
しかし、ヤマハのホームページを見て、不正アクセス検知器や、
動的フィルター導入で、セキュリティーが向上する事が書かれていた。
ヤマハのルーターが良いと判断した。
実は性能を理解できる知識はなかった (^^;;
実はこの時、動的フィルターの意味を知らなかった!!
しかも、ルーターの設定すら、まともにできなかった。
商品説明だけで「凄い」と思って選んでしまった
とても、ええ加減な管理者です (--;;
ただ「システム奮闘記・その18」に書いていますが
実際に性能が良いので、結果的に良いルータを買った感じです。
ヤマハルーターの設定(RTA52iとRTA55i)
ヤマハのADSL対応ルーターでも、何種類かある。
回線切り替え時に、ぶっつけ本番で設定するのも恐いので、
現在の環境でも設定の練習ができる物として、ISDNにも対応した物を選んだ。
そうなると、ヤマハのRTA55iが該当する。
値段を調べると、約3万5千円。
いかに、ルーターの予算を認めさせるか。ワル知恵の得意な私。
 予算を通すために考えた。
現在のルーターではセキュリティーの問題があります!
 セキュリティー問題を活用した。
コンピューター・ウイルスで騒ぎになったり、上層部が日経新聞の
ウイルス記事を読んで慌てるぐらいなので、これだと予算は通ると思った。
無事、社長の決済でOKが出た。
その日の夕方、ルーターを買いに行った。
NTTの回線確認のはずが、いきなり配線工事
こんな調子だから、先が思いやられる。そう思った矢先だった。
ところで、フレッツADSLの申し込みは、H子さんが代行してくれた。
H子さんから「NTTの方が配線の確認に来られます」と連絡がきた。
うちの会社の電話回線の状況を確認しにくるという事だった。
さて、NTTの方がきたら、何やら電話回線や交換器などを見た後、
いきなり、配線を引いたりで工事を始めた。
 いきなり事務所で工事をされたら、仕事の邪魔になるため
上司が私に対して・・・
 こういう時は、前もって連絡してくれ!
 と言った。
 しかし、私にとっても寝耳に水だったので
 私自身も工事の話は聞いていないですよ
 と答えた。
 回線確認だけとしか聞いていなかっただけに、驚くしかなかった。
そして、ADSLモデムを置いて工事費用の明細を渡された
「設置料」があった。
 何や、これは?
 と思った。
H子さんから貰った見積もりには全く載っていない。
NTTの人に聞いたら・・・
 うちは知らないですわ。N社さんに聞いてください
 と言われた。
さて、H子さんに連絡して聞いたら「えっ、先に工事が行なわれたのですか。
菅さんでしたら、ADSLモデムの設置できると考えましたから、
工事だけしてもらう予定だったので、設置料は入れていませんでした」だった。
どうもN社とNTTとの間で連絡が、うまくいっていない感じだった。
さて「設置料は何?」と聞かれたら、どう言い訳するのか悩んだが、
聞かれることなく済んだので助かった (^^;;
ADSLの工事が済んだので、あとは回線開通日を決めるだけ。
できるだけ早く開通させたい気持ちがあるが、失敗だけは避けたいので、
回線切り替え時の設定の準備が必要。
2月20日に回線切り替えを決定した。回線の切り替わるのは20日の未明。
最初、夜中にネットを使う人はいないから、無理に夜中に出社しなくても、
いつもよりも早く出社して設定変更すれば良いという意見があった。
しかし、私は、もしもの事を考えて、時間に余裕を見て、会社に泊まり込んで
20日の未明から行なう事にした。
回線費用の請求だが、今までは専用線型のISDN回線を使っていたため
K社に一括支払していたが、フレッツ網の場合、NTT西とN社と別々になる。
上司に「なんで、回線業者をNTTにしなかったんや。料金バラバラで面倒やん」と
言われた。
だが、当時、フレッツ網が何なのか、全くわかっていなかった私は、
「どういうわけか、料金の支払いがバラバラなんですよ」と答えるしかなかった。
もちろん、フレッツ網なので、NTT法のため、NTT東西がプロバイダー事業を
行えないため、NTT西に一本化は無理な話だが、そんな事も知らなかった。
フレッツ網については「システム奮闘記:その35」をご覧ください。
 (インターネットVPN導入)
さぁ、準備が始まった。何せ失敗だけは許されない。
設定地獄になることだけは避けたかった。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html









回線切り換えのための準備と内容
内容
ルーターの設定方法の勉強
ルーター設定の副産物
NetBIOS over TCP/IP
サーバーの時計を修正
セキュリティー向上のため
カーネルのバージョンアップ
実は、上に挙げたシステム奮闘記の記事は、全てADSL回線切り替えの
準備の時に出てきた問題だった。
パンドラの箱を開けた感じで、知らなかった事や、いい加減にしていた事や、
勉強の時に誤解したため、誤った設定した話など続出した。
今のうちに出てくる問題点を全て潰していこうとした。
  そして、本番の際、失敗が出ないように、全て用心深く準備を行なった。
 だが、現実は、そんなに甘くなかった!
  20日未明から24日まで5日間、地獄の奮闘が始まった。
  さて、5日間の地獄の様子を書くことにします。
トラブル続出のISDNからADSL回線切り換え作業
  19日、定時に一度、帰宅した。緊張をほぐすため、ゆっくり風呂につかり、
ゴロゴロしながら、テレビを見た。そして、23時に出社。
  さて、時計の針が0時を指した。日付が変わった。回線がN社に変わった。
2003年2月20日(木)未明
まずは、ルーターから設定変更を行なった。
ヤマハの設定マニュアルを開いた。
「はじめにお読みください」と明記されているし、ISDN回線でも、
マニュアルに沿って設定すれば、何も問題なかった。
フレッツADSLの欄を見て、マニュアルに沿って設定した。
実は、この場合だとIP自動取得の設定になってしまう。
これが原因だとわかったのは、地獄から解放された翌日だった!
そして、サーバーのIPアドレスを変更した。DNSの設定ファイルも書き換えた。
普通なら、これでうまくいくはずだが・・・。
インターネット接続がおかしくなった!
それだけでなかった。
サーバー同士が通信できなくなった!
2台サーバーがあったのだが、お互いの通信が全くできなくなった。
当時のネットの構成
社内ネットワークの構成
原因がわかっている今だから書けるが、サーバー同士の通信ができなくなったのは
ルーターの設定に問題があり、ルーティングができなかったからだった。
しかし、その時は、全く原因がルーターにあるとは思っていなかった。
なぜ、ルーターに原因があると思わなかった理由だが、
インターネット接続ができていたからだった!
外部にはpingがうまくいったので、ルーターに原因があるとは考えつかなかった。
サーバーに原因があると考え、IPを見直したり、サーバーの設定を見直したり、
念のため、ルーターのマニュアルを読み直したが、考えられる原因が見つからない。
何がなんだか、わからなくなったため、パニックに陥った。
でも、自分に「まだ、時間がある」と言い聞かせながら、原因は何か調べるが
見当すらつかない。時間だけが過ぎていった。
朝までには復旧させたいという気持ちで焦るが、どうにもならない。
幸い、ISDN回線の契約が20日一杯まであったので、設定を元に戻した。
DNSの情報の伝播に時間がかかるため、ぎこちない状態だが、
前のネットの設定でも、ネット接続ができていた。
それで、一旦、ごまかして、第2ラウンドに賭けようと考えた。
それにしても、DNSがおかしい。
なぜか、namedデーモンを立ち上げるとエラーを出す。
/etc/resolv.confの中身の、nameserverの指定を、DNSサーバーのIPでなく
127.0.0.1にすると、なんとか正引きはできた。逆引きはダメだったが、
これで、ごまかす事にした。
DNSについて
実は、この時、DNSの設定は、あまりわかっていなくて、本の丸写し。
そのため、何がおかしいのか、わからなかった。
DNSに関しては、詳しくは「システム奮闘記:その22」をご覧ください。
(DNSの設定)
とりあえずは、朝の9時に上司に報告して帰宅した。
肉体的だけでなく精神的にも疲れているので家で睡眠。
だが13時くらいに会社から電話。ネットがつながらなくなったという。
「やめてくれ」と思いながら、準備などをして、17時くらいに出社。
また、眠らしてくれない夜がやってきた。
外部と遮断された状態だったので、私のパソコンをグローバルIPを割り振って
ルーターに接続した。
これで、外部のWebを閲覧できるため、googleなどが使えるし、
外部の私のメール(hotmail)も使える。
もしかして、私の知識では手に負えないくらい設定がグチャグチャに
なっているかもしれない。
だとすれば、OSを再インストールすれば、なんとかなるかもしれない。
そこで、OSの再インストールすることにした。
メール&DNS&Web&プロキシー&NATのサーバーから、OSの再インストールを
始めることにした。
さて、サーバーのデータのバックアップを移す方法を考えた。
サーバー間のデータ通信ができなくなっていたので頭を抱えていたが、
幸い、通信できたので、通信が生きている間に、データを移そうと考えた。
そして、PostgreSQLサーバーに、バックアップデータを保管することにした。
実は、この時、ISDN回線の環境に戻していたので、ルーターの設定は問題なく
ルーティングがキチンとできていたので、通信ができていた。
でも、当時は原因がわかっていなかったため、偶然、回復していたと思っていた。
OSの再インストールにとりかかった。
RedHat6.2を使っているが、うちの会社のサーバーとの相性は、いまいち。
インストールの最後の部分である、LILOのインストールでコケる。
(詳しくは「システム奮闘記:その8」)
予想通り、LILOのインストール部分でコケた。
ブートディスクで立ち上げるが、システムが不安定な感じがした。
しかも、マシンの挙動がおかしい。DNSなどが変なエラーを吐き出す。
rebootした時、ネットワーク関係のファイルに異変があるような
ログを書き出していた。(残念ながら、とっていない)
ファイルが破損していると思った。
そこで、再インストールすることにした。
不幸は同時に降ってくるもの。
いきなりCD-ROMが認識しなくなった!
CDの出し入れは可能だったが、Linuxが認識してくれなくなった。
内蔵のCD-ROMの故障!!
他にもマシンの挙動がおかしい部分が見られる。
マシンの挙動がおかしくなったのは、マザーボードがやられたのでは・・・
いきなりの故障のトラブル。しかも、夜中の作業。誰の助けも呼ぶことができない。
困った。なにせ、予想もしなかった出来事だけに・・・。
でも、何もしないのでは前に進まない。
そこで、実験サーバーとして使っていたマシンをサーバーにする事にした。
しかし、スペックはPentium133MHz RAM48。インストールに1時間半かかる。
その上、挙動がおかしい。
オマケに、このサーバーはCD-ROMがついていないので、社内の余った
CD-ROMを使ったが、何やら動きがあやしい。
あれや、これやとやっているうちに日が明けてしまった。
2月21日(金)
そして、9時に役員に呼び出される。
「いつまで、かかっているだ。」と詰問された。
私は「予想外の故障のトラブルのため、なかなか復旧できません」と答えた。
役員は「最初からADSLに移行しなかったら良かったのだ。
だいたい、会社で導入しようというなら、まだしも、君の提案やろ」と言った。
普段なら「社長が導入しようと言い出したからだ!」とブチ切れているが、
とにかく寝不足、肉体的、精神的疲労のため、反論する気力もない。
役員曰く「業者は呼ぶ事を考えたら、どうなんだ」
私は「自社開発した物を見てくれる業者なんかありません」と答えた。
役員は「Linuxは導入は安いかもしれないが、業者の技術者は少ないのやろ。
今後、システムをWindowsに変える必要が出てくる」と言い出した。
Windowsへの変更は、私のやってきた事を全て否定されることを意味する。
普通なら猛反発する所だが、とにかく反発する気力がない。
ただただ「はいはい」という感じだった。
その後、上司2人と私の3人で打ち合わせ。
上司に「どうして、ISDN回線を2、3日継続しなかったのだ」と言ってきた。
私が「IPも変更になりDNSの親も管理が変わったため、前の回線を使っても
接続できないです」と答えた。
しかし、DNSとかIP通信の概念を知らない次長や主任は、
ADSL回線がダメなら、ISDN回線を使えば問題ないという発想だった。
いくら説明しても、話が噛み合わなかった。
とりあえず、復旧作業を続ける事になった。
パートのKさんと、Hさんがお菓子の差し入れをしてくれた。
精神的にボロボロになっているだけに、人の優しさに感激を覚える (TT)
ドリンク剤を飲んで体力維持と、眠気をとるため、つまようじを噛んで作業。
まるで、ドーピングして、無理矢理、頭と体を動かしている感じだった。
営業所からは
 いつになったら復旧するの?
 という問い合わせがくる。
復旧のメド立たず・・・
 という解答しかできない。
中には「お客さんにメールが出せない」とか「取引先へエクセルの資料を送りたい」
の声があった。対外的な問題だけに、復旧は急がねばと思ったが、前に進まない。
その時、思ったのは、丁度、2年前(2001年2月末)に、
2日間、ネットを止めたことがある。
原因はBINDへのDoS攻撃を避けるため、OSの再インストールをしたが
相当、てこずってしまった。(詳しくは「システム奮闘記:その8」)
その時は、社長には「はよ、直せ」と言われたものの、
周囲からは何も言われなかったし、徹夜もしなかった。
当時は、ネットを止めても、社内間の連絡以外は、ほとんど困る事もなかった。
しかし、2年の月日は大きく変化させる。ネットはなくてはならない
インフラになっていた。対外的にも重要になっている。
ふと私は「2年の月日で、ここまで変わったんだなぁ」と思った。
ネットワーク関連がおかしい。ルーティングに原因があるのではと思った。
しかし、ルーティングの設定の知識は全くなかった (--;;
そこで「改訂新版 標準 RedHat Linux リファレンス」を取り出して
ルーティングの部分のページを開いた。
routeコマンドの使い方などを調べた。
ところが、本と実際の設定を照らしてみるが、問題のある部分が見つからない。
念のため、まいパパさんに設定内容のチェックをお願いしたが、
問題点は見つからなかった。
一体、何が原因なのか、見当がつかない (--;;
原因を追求のため、シラミ潰しのように設定ファイルなどを見ていった。
設定したはずのネットワーク関連のファイルが書き変わっていない事がわかった。
RewdHat6.2をインストールの時、どうしてもLILOのインストールでコケる。
LILOのインストール後も、何か自動的に設定が行なわれている。
おそらく、途中でコケるため、何かが悪さをしていると考えた。
このままでは、ニッチモサッチもいかない。
そこで、OSのバージョンアップに賭ける事にした。
RedHat6.2からRedHat7.3へアップさせる。
そして、ジュンク堂へ行った。秘密兵器として次なる本を購入した。
「RedHat7.3対応で作るLinux7」(サーバー構築研究会:秀和システム)
「RedHat Linux 300の技」(加藤 彩・加藤 仁・橘 あゆみ:技術評論社)
さて、これで実験サーバーだったマシンにインストールを試みるが、
CD-ROMだけだと、インストーラーが起動してくれなかった。
そこで、インストールディスクを入れたら、CD-ROMは認識してくれた。
これで、なんとかなると思ったが・・・。
なんと、CD-ROMがいきなり開いた。
途中でインストールがコケたのだった。この時、原因がわからなかった。
時間は、20:30になっていた。
体力的にも限界で、原因を探る気力がなかった。
次の日に挑戦になった。
もう、フラフラで、千鳥足で帰宅した。
2月22日(土)
朝、少し頭痛がする。鼻水も出る。風邪にやられた。
しかも、花粉症も併発していた。家の近くの病院へ行く。
11時近くまで家でゴロゴロ。少し回復してきたので、なんとか出社した。
さて、復旧作業がはじまった。
CD-ROMでのインストールが困難だった。
場合によっては、途中でコケる。なんと、CDにゴミがこびりつくため、
読み取り不能になって、インストールが途中でコケることがわかった。
しかも、不幸な事に、他のパソコンの付属のCD-ROMだと認識してくれない。
あやしいCD-ROMだと、わかっていても、使わざる得ない。
なにせ、Pentium133MHz RAM48M。インストールだけに1時間半かかる。
インストールが成功しても、ネットワークが動いてくれない。
そして、インストールの繰り返しが続き、それで時間が潰れていった。
23:00になり、体調不良もあって徹夜せずに帰宅することにした。
2月23日(日)
朝、フラフラだったが、なんとか立ち上がり出社。
外部(私が学生時代にいた大学の研究室)にtelnetしていた時に、
ふとlastコマンドを叩いた。
そうすると、接続先のIPが
「XXX.YYY.ZZZ.48」
だった。
これは、うちの会社のネットワークアドレスになっていた。
本来なら、アクセスしているホストのIPでないと、おかしい。
ここでようやく、ルーターが原因だということがわかった。
しかも、大学の研究室から、ルーターのIPに対して ping コマンドを叩いたが全く返答がなかった。
ルーターのフィルターを全開しても同じだった。
不幸は続くもの。日曜日なので、ヤマハのサポートセンターは休み。
まいパパさんに聞いてみるが、原因不明だった。
マニュアル通り設定しているのに、なぜ???
そこで、N社の回線を使っているので、N社のサポートセンターに電話すると、
「ルーターが勝手にXXX.YYY.ZZZ.48を自動取得する設定になっている」
と言われた。
ルーターのどこに原因があるか突き止めるため、ルーターのコマンド設定を
見ないといけなくなった。
今まで、簡単設定ばかりに頼っているため、コマンドが読めない。
本を見ながら、四苦八苦して、コマンドを見ていくハメになった。
コマンドを読んだりしていると
「うそー!」
と思うことがわかった。
なんと、NATの設定がされていた!
どうやら、家庭のネット接続のようにIP自動取得の設定になっていた。
それで、通常ではあり得ないネットワークアドレスをIPとして自動取得していた。
コマンドを削除しようにも、削除する方法がない。
どうする事もできなかった。
20:00くらいに
「こりゃ、徹夜で復旧作業」
と覚悟を固めた。
近くのダイエーへ食糧を買い出しに行く。
同僚と会う。同僚に「今日も復旧作業か。大変やなぁ」と言われた。
徹夜と覚悟だけは決めたが、先行が全く見えない。
腹ごしらえが済んだので、復旧作業を開始することにした。
ヤマハのルーターの設定ができないため、設定を断念して、
代わりに、LinuxマシンでADSLルーターを構築しようと考えた。
冒険だが、もう、これに賭けるしかない。
最後のチャンスということで、壊れたと思ったサーバーに
社内で余ったCD-ROMをつけてRedHat7.3をインストール。うまくいった。
壊れたと思ったのは、付属のCD-ROMだけであった。
他の挙動があやしかったのは、実は、RedHat6.2が悪さしていただけだった!
これで地獄から抜けられると思って、検索サイトを開いて、
Linuxで作るADSLルーターを探しまくった。
いくつか見つかった。設定方法が書いてあったので、真似をした。
しかし、うまくいかなかった (TT)
いろいろ触ったが、どうにもならなかった。
もうお手上げ状態だった。
希望が見えかけた所から、絶望の奈落の底へ突き落とされた。
ついに、最後の切り札と考えた事まで使ってしまった。
全く手の施しようがない。この時間帯だと誰の助けも呼べない。
肉体的にも精神的にもボロボロ。そして悲壮感を通り越えた絶望感。
本気で
「役員の机に退職届を置いて、夜逃げしよう」
と考えた。
静かに止まったサーバーに向かって
「お前ら、もう、おしまいや」
と声をかけた。
ホントに絶望一色だった。
夜逃げの前に、冷蔵庫の中にあるビールでも飲んで、酒盛(?)をしようと思った。
 (決して、大袈裟な表現でなく、本当に、この心境になっていました)
そんな時、ふと、頭の中に、LinuxマシンでのADSLルーターの図がよぎった。
図には、Linuxルーターに2つIPを持たせていた。
プロバイダー側につながるNICと、LAN側のNICに別々のIPを
割り振っていた。
「これは使えるぞ!」と直感が働いた。
ルーターのNATが勝手に動いているから、逆に、NATを騙してみよう。
プロバイダー側のIPを、勝手に自動取得するIPを割り振って、
NATを使っているので、LAN側のIPをルーターのIPを割り振る。
いかにも、NATが動いているようにしてみよう。
そこで、下図のように、ルーターにIPを割り振った。
IPの割り振り
ルーターに割り振ったIPアドレス
奇策というのか、破天荒というのか。メチャクチャというのか。
しかし、何が起こっても、おかしくないという開き直りから、やってみる事にした。
ルーターがまともに動き出した!!
実際に、私がいた大学の研究室にtelnetで入ってみる。
lastコマンドで、どのIPから接続されたかを見ると、ちゃんとtelnetコマンドを
打ったパソコンから接続していた。
研究室のサーバーから、会社のルーターのIPと、自分が使っているパソコンに
pingコマンドを打ったら、正常な反応が返ってきた。
ルーターが、まともに動いている。これで突破口が開けた!
絶望の淵にいただけに、起死回生の逆転満塁ホームランを打った感じだった。
まだ終わりでないので「さよなら」はつけられないが、希望の光が差し込んでいた。
そして出口が見えていた。
時計の針を見たら、午前0時を過ぎていた。
2月24日(月)
ようやくルーターが、まともに動いた。これで突破口が開けた!
こうなれば、あとは地道にサーバーを立ち上げていく作業のみ。
サーバーの構成を考えた。
もし、どれかが、おかしくなっても、上のように分散させていたら、
全滅だけは防げる。
そして、Pentimu133MHzのマシンにプロキシーは負担が思いと考え、
回線速度が早くなるからプロキシーの必要はないと判断。
プロキシーの廃止を決めた。
あやしいCD-ROMのため、インストールの成功率が2分の1。
特に、DNSサーバーは、Pentium133MHz。インストールに時間がかかる。
インストールに1時間半はかかる。
メールサーバー。sendmail.cfファイルの作成。
3年前、サーバーを構築した時、sendmail.cfファイル作成ツールとして
CF-3.7Wp12を使っていた。
3年ぶりに使ってみた。しかし、sendmailデーモンを動かすと、エラーを出す。
「うそー!」と思った。そこで
「RedHat7.3対応で作るLinux7」
を開いて
sendmail.cfファイル作成方法を探した。
/etc/mail/sendmail.mc
ファイルを編集して、m4コマンドで変換する。
ややこしいなぁと思った。
sendmail.mc
の編集方法を読む。
頭があまり働いていない上、睡魔との戦い。
なかなか前に進まない。
特に夜中の3時、4時に睡魔のピークが来る。眠い目をこすりながらの作業だった。
あやしいCD-ROMと、慣れない設定に四苦八苦しながら、ついに朝を向かえた。
役員に「いつまでかかっているだ! 早く復旧してくれ」と言われる。
心の中では「うるせーなぁ、今、その復旧作業中なんだよ」と思いながら、
突破口が見えているだけに、後は、地道に設定作業をするのみ。
社内には「まだかよ」という声がなかった。
さすがに、徹夜連続で死にかけている私を見て、何も文句が言えない状態だった。
ようやく9時くらいになり、Pentium133MHzのサーバーにLinuxが無事、
インストールでき、DNSサーバーが正常に動き出した。
DNSが復旧すれば、こっちももの。
続いて、Webサーバーが復旧した。
NATの設定(ipchains)は、本の丸写しで復旧。
NATやipchainsなどの設定について
 NATの設定を適当に行なうのは誉められた事ではない。
 実は、ipchainsなど、後になって知らなかった事が沢山でてきました。
 詳しくは「システム奮闘記:その21」をご覧ください。
(iptables パケットフィルタリングとNATの設定)
残りはメールサーバーの復旧だった。
 思考回路がメチャクチャ。DNSサーバーに誤ってpop3を入れてしまったり等々。
早く終えたいという焦りと、睡眠不足で思考回路が働かないため、ミスをしてしまう。
sendmail.cfの設定はOK。
sendmailのデーモンを走らせた。
外部からメールが入ってくる。それを見て、私が「メール復旧!」と叫んだ。
「でも、メールができないよ」と上司が言った。
 それを聞いてガクっときた。
OutlookExpressからメールが受送信できなかった。
おかしいなぁと思い、メールサーバーから上訴の携帯にメールを送ると問題なく送信できた。
色々、ネットなどで調べると、メーラーがメールサーバーにアクセスする際、
アクセスチェックするファイルの存在があることを知る。
そこで、
/etc/mail/access
ファイルを書き換える。
 3年前に設定した時には、こんなファイルを触った記憶がない。
単に、私が知らなかったのか、それとも、3年間に追加された物なのか?
メールが復旧した。上司がFAXで全営業所に通達を流してくれた。
ところが、埼玉から「まだ、メール、できないんだけど」と上司に
電話をかけてきた。
横で聞いていた私は「
もしかして、ルーティングの変更をしてないのでは」
と思いNATのマシンの設定状態を確認して見ると、案の定、変更されていなかった。
ルーティングの変更前
もう、この設定状態は、どういう意味か、わかっていたので動じることはなかった。
「しもた、しもた。営業所の事を忘れとった」という感じだった。
  そこで、routeコマンドを使って、上のように変更すると、埼玉は無事、
メールが読めるようになった。
  役員が「ホームページ、見れへんのやけど」と言ってきたので、
「わかりました」と返事して、役員のパソコンを見た。
  原因は、わかっていた。プロキシーを廃止したのに、マシンの方は、
プロキシー設定をしていたからだった。
プロキシー設定を解除したら、無事、Webの閲覧が可能になった。
営業所にプロキシー解除の連絡をした。
設定に関して、問い合わせがきたら、対応を上司にお願いした。
そして、完全復旧した。時計の針は14:30ぐらいだった。
もう、フラフラ。足はふらついていたし、思考能力はゼロ。
営業所から、全く別の問い合わせが来た。
徹夜が続いたりすると、ネット関連に対しては、頭が働いていても、
他の事になると、全く働かなくなる。
頭が働かないため、電話の内容が理解できない。急ぎでなかったので、
「すいません、もう思考能力がありません。明日で構いませんか」と言った。
営業所の人も「徹夜の連続だから仕方がないなぁ」という感じだった。
役員が私の上司に「菅ちゃんを、帰らした方がええで」と言った。
上司も「その方が良いですね」と言った。
残務整理中、役員が「ご苦労さん、明日もあることやし、
そろそろ帰りなさい」と言ってきた。
私が「もう少しで残務処理が終わりますので、その後、帰ります」と答えた。
残務処理が終わったので帰宅。
完全に足腰はフラフラ。駅まで歩くのが大変だった。
帰りの電車。車内に差し込む太陽がまぶしいが、それでも激しい睡魔が襲う。
寝過ごしてはいけないから寝ないようにしたが、寝てしまった。
幸い、最寄り駅で起きれた。家に帰って、シャワーを浴びて、その後ダウン。
ようやく安心して寝ることができた。
この5日間で、24時間以上の連続勤務が2回。徹夜3回。
ドリンク剤を10本ぐらい飲み、眠気覚しに噛んだツマヨウジが数知れず。
体力が25才を境に、どんどん落ちている事を日頃から感じていただけに、
この非常事態に耐えられたので、まだ、体力はあると自分でも驚いた。
地獄から解放された翌日(2月25日)
24日に帰宅した時点では「明日は死んでいる」と思っていたが、
意外と元気な状態で出社できた。
差し入れをしてくれたパートのKさん、Hさんに、お礼として、
ケーキ屋で買ったお菓子を渡す。
地獄の中の、仏のような差し入れの感謝の気持ちで一杯だった。
戦いの現場だったサーバーの置き場の周辺の片付けなどを行なった。
Linuxなどの本、おかしの屑、ドリンク剤の空瓶などで散らかった状態だった。
散らかり具合いが、戦いの凄まじさ物語っていた。
ADSLへの移行。
移行前は「回線速度が早くなる」に興味を示さなかった人が
「えらい早いやん。便利でええわ」と言っていた。
社内中が「ADSLって凄い」の声だった。
数メガのファイルのダウンロードも、1分以内にできたりする。
私自身、設定地獄を見てきただけに、感激は人一倍だった。
高速データ通信の通信基盤ができた。次は、方向を考え実行の段階。
さて、ヤマハに電話した。
私は「黄色のマニュアルの方法でやったが、うまくいかないのですが」と聞いた。
サポートの人が「青いマニュアルの150ページを開けてください。
この方法でいけば大丈夫です」と答えた。
私は、唖然とした。そして、思った。
こんなわかりにくいマニュアルの書き方で良いのか!
しかも、最初に読むのは黄色のマニュアル。
ISDNの常時接続の場合は、キチンと書かれている。
しかし、ADSLの場合は、常時接続と書かれていながら、
青いマニュアルのP150への誘導も何も書かれていない。
しかも、青いマニュアルの目次を見ても、簡単にはわからない。
明らかにマニュアルの不備。
メールでマニュアルの不備を丁寧に指摘して、改善を求めたが、無視だった。
誤解のないように書きますが、ヤマハはダメだとか
ヤマハ製品を否定をする気はありません。
ただ、折角、良い物を作っているのだから、わかりやすいマニュアルを作った方が
より多くの人に便利になるからです。
私はヤマハ製品が良いと思っているだけに、敢えて苦言しています。
商品の価格を3000円アップしても良いから、読みやすく、わかりやすい
マニュアルを作成して欲しいと思う今日この頃。
RTX1000の付属マニュアルのように、色々な設定事例集があれば良いと思う。
上級者の方で「しっかり読まないのが悪い」と思う方には次のように反論しまっせ!
高尚で難解な物を理解できるのが、偉いと思うのは大間違えでっせ!
難解な言葉を並べるよりも、平易な言葉で、わかりやすくする方が大変でっせ!
みんなが理解できるように書く人の方がホンマに偉いんでっせ!
PL法は、マニュアルも対象にしとるのは、知らへんのかいな?
ちなみに、私の破天荒な設定に関しては、ヤマハのサポートの人は
「そのような設定だと、何が起こるかわかりませんので、やめてください」だった。
よい子のみなさんは、決して、真似しないでくださいね (^^;)
その後
激闘の後、ルーターの設定を、破天荒な設定状態から、まともな設定に
変更する必要があった。
ある休日出勤日した時、設定変更を行った。
トラブルが起こっても、誰もいないので安心だし、トラブルが起こっても
破天荒な設定に戻せば良いと思っていた。
そして、まともな設定に変更した。問題なく変更できた。
実験用サーバーをNAT&DNSサーバーに使ってしまったため、予備が1台もない。
そこで、予備のマシンを申請した。10万円のDOS-Vを買ってもらった。
Celeron1GHz RAM 256M。インストールが早い。コンパイルが早い。
サーバーにするのは勿体ないので、開発&実験用マシンに使う事にした。
ADSLの速度を測るサイトで測定した。1.3~1.5Mだった。
ISDN回線の時の64Kと比べるとISDNからADSL回線切り替えのトラブル事例
  (2003年7月14日に掲載)
システム管理者の眠らしてくれない夜
副題が「システム管理者の眠らしてくれない夜」になっている。
理由は、ADSL移行に時、トラブルが多発して、眠らしてくれない事態に陥ったからだった。
ちなみに「システム管理者の眠れない夜」は、システム管理者のカリスマ的存在の柳原秀基さんの名著。
勝手に模倣品の題名を付けてしまいました。柳原さん、ゴメンなさい m(--)m
大変光栄な事に、柳原さんは、この奮闘記を、ご覧になってくださっています。
さて、うちの会社のインターネット回線は、インターネット接続時以来、ISDN回線を使っていた。回線速度は64Kだった。
でかいファイルをダウンロードする時は、メチャクチャ時間がかかる。
実は、2001年の秋ぐらいにADSLへの移行の申請をあげた。
しかし、その当時は、フレッツ網は普及してなくて、プロバイダーへの専用線型のプランで、まだ回線費用が高かった。
ISDNに比べ、少し値段がアップする上、回線速度があがっても、何も利益にならないと判断した上層部は
現状の回線で困らんやろ!
即、却下になった (TT)
ISDNからADSL回線切り替えの経緯
転機が訪れたのは、2002年の9月だった。
9月に本社に赴任したパソコン好きの部長の発言だった。
パソコン好きの部長は、インターネットが大好きで、自宅にADSL回線を引いている。
その部長が社長に・・・
ADSLだと安くて速いのに、どうして入れないのですか?
と言ったのがキッカケになった。
さぁ、パソコン好きの社長。回線速度が相当速くなると聞くとすぐに
なんで、うちはADSLを入ってへんのや!
と言い出した。
それを聞いた私は
去年、却下しておきながら、なんでねん (TT)
と思った。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html


















フレッツADSL導入準備
しかし、2002年12月に事態は急転回をみせた。
それは、12月のある日のことだった。
N社という通信会社から、うちの会社のシステム担当者宛てにダイレクトメールがきていた。
こういう手紙は担当者の私が開ける。
中身は、ネットワークに関するアンケートだった。アンケートに答えたら、図書カードが貰える物だった。
図書カードをもらうのだー (^^)
という事で、早速、アンケートに答えた ← おい (^^;;
翌日、N社の営業ウーマンのH子さんから電話がかかってきた。
わざわざ図書カードを届けに行くという。
さて、H子さんが来社。
早速、図書カードを頂いた。
そこから、H子さんの営業の話になった。
回線の話をしていたら、ADSLの話が出てきた。
H子さんは・・・
フレッツADSLでしたら安くできますよ
と言ったので、見積もりを出してもらうことになった。
数日後、H子さんが来社。見積もりを見た。
フレッツADSLの8Mタイプ。
IPアドレス8個割り当て。
回線費用がISDNに比べて、半額になるので、安さに驚いた。
しかも、配線速度は劇的に早くなる。
私は・・・
これなら、稟議が通る!
と思った。
H子さんとの話が終わり、応接室から自分の席に戻る時、
あのADSL導入のキッカケを作った張本人のパソコン好きの部長がニヤニヤしながら・・・
かわいい、おねーちゃんと、何、話していたの?
と言ってきた。
部長と私のやりとり

部長
言葉に誘われて、ADSLを選ぶんだから
ちなみに、H子さん。20代前半の女性。
明るい笑顔で応対する、感じが良い人なので、私が鼻の下を伸ばしていると部長が言っても不思議ではない。
しかし、商売なので、鼻の下を伸ばして、デレデレするわけにいかないのでここでは真面目に対応する (^^)
さて、早速、稟議をあげることにした。
回線速度が劇的に向上する上、回線費用が半額になる。
しかも、初期投資も2~3ヶ月で回収できる。
これだと稟議が通らないわけがない。
すぐに稟議書を作成。無事、稟議が通ったので、H子さんに連絡を入れた。
後は、回線の切り替えの時期と、ISDN回線の契約解除を考えるだけ。
と思ったら、大変な事実が発覚した。
ADSL対応のルーター購入
稟議が通って後は回線の切り換えだと思いきやH子さんから連絡が来た。
現在のRTA52iだとADSLが使えないのでADSL対応のルーターが必要です!
という連絡がきた。
そんな事、全然、知らなかった・・・ (--;;
もちろん、調べなかった私も悪いのだが、稟議が通った後に追加費用。
私が上層部に怒られ嫌味を言われるだけでなく、話が白紙になるかもしれない。
どう言い訳して良いのか。非常に頭が痛い。
そこで、最初は、極力、安いルーターを選んで、ごまかそうと考えた。
上層部に報告する前に、ルーターを選びからはじめた。
H子さんがメールで、1万円台の安価なルーターと、ヤマハのルーターを
紹介してくれた。
予算の都合を考えたら、1万円台のルーターを使いたい所。
しかし、ヤマハのホームページを見て、不正アクセス検知器や、
動的フィルター導入で、セキュリティーが向上する事が書かれていた。
ヤマハのルーターが良いと判断した。
実は性能を理解できる知識はなかった (^^;;
実はこの時、動的フィルターの意味を知らなかった!!
しかも、ルーターの設定すら、まともにできなかった。
商品説明だけで「凄い」と思って選んでしまった
とても、ええ加減な管理者です (--;;
ただ「システム奮闘記・その18」に書いていますが
実際に性能が良いので、結果的に良いルータを買った感じです。
ヤマハルーターの設定(RTA52iとRTA55i)
ヤマハのADSL対応ルーターでも、何種類かある。
回線切り替え時に、ぶっつけ本番で設定するのも恐いので、
現在の環境でも設定の練習ができる物として、ISDNにも対応した物を選んだ。
そうなると、ヤマハのRTA55iが該当する。
値段を調べると、約3万5千円。
いかに、ルーターの予算を認めさせるか。ワル知恵の得意な私。
 予算を通すために考えた。
現在のルーターではセキュリティーの問題があります!
 セキュリティー問題を活用した。
コンピューター・ウイルスで騒ぎになったり、上層部が日経新聞の
ウイルス記事を読んで慌てるぐらいなので、これだと予算は通ると思った。
無事、社長の決済でOKが出た。
その日の夕方、ルーターを買いに行った。
NTTの回線確認のはずが、いきなり配線工事
こんな調子だから、先が思いやられる。そう思った矢先だった。
ところで、フレッツADSLの申し込みは、H子さんが代行してくれた。
H子さんから「NTTの方が配線の確認に来られます」と連絡がきた。
うちの会社の電話回線の状況を確認しにくるという事だった。
さて、NTTの方がきたら、何やら電話回線や交換器などを見た後、
いきなり、配線を引いたりで工事を始めた。
 いきなり事務所で工事をされたら、仕事の邪魔になるため
上司が私に対して・・・
 こういう時は、前もって連絡してくれ!
 と言った。
 しかし、私にとっても寝耳に水だったので
 私自身も工事の話は聞いていないですよ
 と答えた。
 回線確認だけとしか聞いていなかっただけに、驚くしかなかった。
そして、ADSLモデムを置いて工事費用の明細を渡された
「設置料」があった。
 何や、これは?
 と思った。
H子さんから貰った見積もりには全く載っていない。
NTTの人に聞いたら・・・
 うちは知らないですわ。N社さんに聞いてください
 と言われた。
さて、H子さんに連絡して聞いたら「えっ、先に工事が行なわれたのですか。
菅さんでしたら、ADSLモデムの設置できると考えましたから、
工事だけしてもらう予定だったので、設置料は入れていませんでした」だった。
どうもN社とNTTとの間で連絡が、うまくいっていない感じだった。
さて「設置料は何?」と聞かれたら、どう言い訳するのか悩んだが、
聞かれることなく済んだので助かった (^^;;
ADSLの工事が済んだので、あとは回線開通日を決めるだけ。
できるだけ早く開通させたい気持ちがあるが、失敗だけは避けたいので、
回線切り替え時の設定の準備が必要。
2月20日に回線切り替えを決定した。回線の切り替わるのは20日の未明。
最初、夜中にネットを使う人はいないから、無理に夜中に出社しなくても、
いつもよりも早く出社して設定変更すれば良いという意見があった。
しかし、私は、もしもの事を考えて、時間に余裕を見て、会社に泊まり込んで
20日の未明から行なう事にした。
回線費用の請求だが、今までは専用線型のISDN回線を使っていたため
K社に一括支払していたが、フレッツ網の場合、NTT西とN社と別々になる。
上司に「なんで、回線業者をNTTにしなかったんや。料金バラバラで面倒やん」と
言われた。
だが、当時、フレッツ網が何なのか、全くわかっていなかった私は、
「どういうわけか、料金の支払いがバラバラなんですよ」と答えるしかなかった。
もちろん、フレッツ網なので、NTT法のため、NTT東西がプロバイダー事業を
行えないため、NTT西に一本化は無理な話だが、そんな事も知らなかった。
フレッツ網については「システム奮闘記:その35」をご覧ください。
 (インターネットVPN導入)
さぁ、準備が始まった。何せ失敗だけは許されない。
設定地獄になることだけは避けたかった。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html










回線切り換えのための準備と内容
内容
ルーターの設定方法の勉強
ルーター設定の副産物
NetBIOS over TCP/IP
サーバーの時計を修正
セキュリティー向上のため
カーネルのバージョンアップ
実は、上に挙げたシステム奮闘記の記事は、全てADSL回線切り替えの
準備の時に出てきた問題だった。
パンドラの箱を開けた感じで、知らなかった事や、いい加減にしていた事や、
勉強の時に誤解したため、誤った設定した話など続出した。
今のうちに出てくる問題点を全て潰していこうとした。
  そして、本番の際、失敗が出ないように、全て用心深く準備を行なった。
 だが、現実は、そんなに甘くなかった!
  20日未明から24日まで5日間、地獄の奮闘が始まった。
  さて、5日間の地獄の様子を書くことにします。
トラブル続出のISDNからADSL回線切り換え作業
  19日、定時に一度、帰宅した。緊張をほぐすため、ゆっくり風呂につかり、
ゴロゴロしながら、テレビを見た。そして、23時に出社。
  さて、時計の針が0時を指した。日付が変わった。回線がN社に変わった。
2003年2月20日(木)未明
まずは、ルーターから設定変更を行なった。
ヤマハの設定マニュアルを開いた。
「はじめにお読みください」と明記されているし、ISDN回線でも、
マニュアルに沿って設定すれば、何も問題なかった。
フレッツADSLの欄を見て、マニュアルに沿って設定した。
実は、この場合だとIP自動取得の設定になってしまう。
これが原因だとわかったのは、地獄から解放された翌日だった!
そして、サーバーのIPアドレスを変更した。DNSの設定ファイルも書き換えた。
普通なら、これでうまくいくはずだが・・・。
インターネット接続がおかしくなった!
それだけでなかった。
サーバー同士が通信できなくなった!
2台サーバーがあったのだが、お互いの通信が全くできなくなった。
当時のネットの構成
社内ネットワークの構成
原因がわかっている今だから書けるが、サーバー同士の通信ができなくなったのは
ルーターの設定に問題があり、ルーティングができなかったからだった。
しかし、その時は、全く原因がルーターにあるとは思っていなかった。
なぜ、ルーターに原因があると思わなかった理由だが、
インターネット接続ができていたからだった!
外部にはpingがうまくいったので、ルーターに原因があるとは考えつかなかった。
サーバーに原因があると考え、IPを見直したり、サーバーの設定を見直したり、
念のため、ルーターのマニュアルを読み直したが、考えられる原因が見つからない。
何がなんだか、わからなくなったため、パニックに陥った。
でも、自分に「まだ、時間がある」と言い聞かせながら、原因は何か調べるが
見当すらつかない。時間だけが過ぎていった。
朝までには復旧させたいという気持ちで焦るが、どうにもならない。
幸い、ISDN回線の契約が20日一杯まであったので、設定を元に戻した。
DNSの情報の伝播に時間がかかるため、ぎこちない状態だが、
前のネットの設定でも、ネット接続ができていた。
それで、一旦、ごまかして、第2ラウンドに賭けようと考えた。
それにしても、DNSがおかしい。
なぜか、namedデーモンを立ち上げるとエラーを出す。
/etc/resolv.confの中身の、nameserverの指定を、DNSサーバーのIPでなく
127.0.0.1にすると、なんとか正引きはできた。逆引きはダメだったが、
これで、ごまかす事にした。

システム奮闘記
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DNSについて
実は、この時、DNSの設定は、あまりわかっていなくて、本の丸写し。
そのため、何がおかしいのか、わからなかった。
DNSに関しては、詳しくは「システム奮闘記:その22」をご覧ください。
(DNSの設定)
とりあえずは、朝の9時に上司に報告して帰宅した。
肉体的だけでなく精神的にも疲れているので家で睡眠。
だが13時くらいに会社から電話。ネットがつながらなくなったという。
「やめてくれ」と思いながら、準備などをして、17時くらいに出社。
また、眠らしてくれない夜がやってきた。
外部と遮断された状態だったので、私のパソコンをグローバルIPを割り振って
ルーターに接続した。
これで、外部のWebを閲覧できるため、googleなどが使えるし、
外部の私のメール(hotmail)も使える。
もしかして、私の知識では手に負えないくらい設定がグチャグチャに
なっているかもしれない。
だとすれば、OSを再インストールすれば、なんとかなるかもしれない。
そこで、OSの再インストールすることにした。
メール&DNS&Web&プロキシー&NATのサーバーから、OSの再インストールを
始めることにした。
さて、サーバーのデータのバックアップを移す方法を考えた。
サーバー間のデータ通信ができなくなっていたので頭を抱えていたが、
幸い、通信できたので、通信が生きている間に、データを移そうと考えた。
そして、PostgreSQLサーバーに、バックアップデータを保管することにした。
実は、この時、ISDN回線の環境に戻していたので、ルーターの設定は問題なく
ルーティングがキチンとできていたので、通信ができていた。
でも、当時は原因がわかっていなかったため、偶然、回復していたと思っていた。
OSの再インストールにとりかかった。
RedHat6.2を使っているが、うちの会社のサーバーとの相性は、いまいち。
インストールの最後の部分である、LILOのインストールでコケる。
(詳しくは「システム奮闘記:その8」)
予想通り、LILOのインストール部分でコケた。
ブートディスクで立ち上げるが、システムが不安定な感じがした。
しかも、マシンの挙動がおかしい。DNSなどが変なエラーを吐き出す。
rebootした時、ネットワーク関係のファイルに異変があるような
ログを書き出していた。(残念ながら、とっていない)
ファイルが破損していると思った。
そこで、再インストールすることにした。
不幸は同時に降ってくるもの。
いきなりCD-ROMが認識しなくなった!
CDの出し入れは可能だったが、Linuxが認識してくれなくなった。
内蔵のCD-ROMの故障!!
他にもマシンの挙動がおかしい部分が見られる。
マシンの挙動がおかしくなったのは、マザーボードがやられたのでは・・・
いきなりの故障のトラブル。しかも、夜中の作業。誰の助けも呼ぶことができない。
困った。なにせ、予想もしなかった出来事だけに・・・。
でも、何もしないのでは前に進まない。
そこで、実験サーバーとして使っていたマシンをサーバーにする事にした。
しかし、スペックはPentium133MHz RAM48。インストールに1時間半かかる。
その上、挙動がおかしい。
オマケに、このサーバーはCD-ROMがついていないので、社内の余った
CD-ROMを使ったが、何やら動きがあやしい。
あれや、これやとやっているうちに日が明けてしまった。
2月21日(金)
そして、9時に役員に呼び出される。
「いつまで、かかっているだ。」と詰問された。
私は「予想外の故障のトラブルのため、なかなか復旧できません」と答えた。
役員は「最初からADSLに移行しなかったら良かったのだ。
だいたい、会社で導入しようというなら、まだしも、君の提案やろ」と言った。
普段なら「社長が導入しようと言い出したからだ!」とブチ切れているが、
とにかく寝不足、肉体的、精神的疲労のため、反論する気力もない。
役員曰く「業者は呼ぶ事を考えたら、どうなんだ」
私は「自社開発した物を見てくれる業者なんかありません」と答えた。
役員は「Linuxは導入は安いかもしれないが、業者の技術者は少ないのやろ。
今後、システムをWindowsに変える必要が出てくる」と言い出した。
Windowsへの変更は、私のやってきた事を全て否定されることを意味する。
普通なら猛反発する所だが、とにかく反発する気力がない。
ただただ「はいはい」という感じだった。
その後、上司2人と私の3人で打ち合わせ。
上司に「どうして、ISDN回線を2、3日継続しなかったのだ」と言ってきた。
私が「IPも変更になりDNSの親も管理が変わったため、前の回線を使っても
接続できないです」と答えた。
しかし、DNSとかIP通信の概念を知らない次長や主任は、
ADSL回線がダメなら、ISDN回線を使えば問題ないという発想だった。
いくら説明しても、話が噛み合わなかった。
とりあえず、復旧作業を続ける事になった。
パートのKさんと、Hさんがお菓子の差し入れをしてくれた。
精神的にボロボロになっているだけに、人の優しさに感激を覚える (TT)
ドリンク剤を飲んで体力維持と、眠気をとるため、つまようじを噛んで作業。
まるで、ドーピングして、無理矢理、頭と体を動かしている感じだった。
営業所からは
 いつになったら復旧するの?
 という問い合わせがくる。
復旧のメド立たず・・・
 という解答しかできない。
中には「お客さんにメールが出せない」とか「取引先へエクセルの資料を送りたい」
の声があった。対外的な問題だけに、復旧は急がねばと思ったが、前に進まない。
その時、思ったのは、丁度、2年前(2001年2月末)に、
2日間、ネットを止めたことがある。
原因はBINDへのDoS攻撃を避けるため、OSの再インストールをしたが
相当、てこずってしまった。(詳しくは「システム奮闘記:その8」)
その時は、社長には「はよ、直せ」と言われたものの、
周囲からは何も言われなかったし、徹夜もしなかった。
当時は、ネットを止めても、社内間の連絡以外は、ほとんど困る事もなかった。
しかし、2年の月日は大きく変化させる。ネットはなくてはならない
インフラになっていた。対外的にも重要になっている。
ふと私は「2年の月日で、ここまで変わったんだなぁ」と思った。
ネットワーク関連がおかしい。ルーティングに原因があるのではと思った。
しかし、ルーティングの設定の知識は全くなかった (--;;
そこで「改訂新版 標準 RedHat Linux リファレンス」を取り出して
ルーティングの部分のページを開いた。
routeコマンドの使い方などを調べた。
ところが、本と実際の設定を照らしてみるが、問題のある部分が見つからない。
念のため、まいパパさんに設定内容のチェックをお願いしたが、
問題点は見つからなかった。
一体、何が原因なのか、見当がつかない (--;;
原因を追求のため、シラミ潰しのように設定ファイルなどを見ていった。
設定したはずのネットワーク関連のファイルが書き変わっていない事がわかった。
RewdHat6.2をインストールの時、どうしてもLILOのインストールでコケる。
LILOのインストール後も、何か自動的に設定が行なわれている。
おそらく、途中でコケるため、何かが悪さをしていると考えた。
このままでは、ニッチモサッチもいかない。
そこで、OSのバージョンアップに賭ける事にした。
RedHat6.2からRedHat7.3へアップさせる。
そして、ジュンク堂へ行った。秘密兵器として次なる本を購入した。
「RedHat7.3対応で作るLinux7」(サーバー構築研究会:秀和システム)
「RedHat Linux 300の技」(加藤 彩・加藤 仁・橘 あゆみ:技術評論社)
さて、これで実験サーバーだったマシンにインストールを試みるが、
CD-ROMだけだと、インストーラーが起動してくれなかった。
そこで、インストールディスクを入れたら、CD-ROMは認識してくれた。
これで、なんとかなると思ったが・・・。
なんと、CD-ROMがいきなり開いた。
途中でインストールがコケたのだった。この時、原因がわからなかった。
時間は、20:30になっていた。体力的にも限界で、原因を探る気力がなかった。
次の日に挑戦になった。もう、フラフラで、千鳥足で帰宅した。
2月22日(土)
朝、少し頭痛がする。鼻水も出る。風邪にやられた。
しかも、花粉症も併発していた。家の近くの病院へ行く。
11時近くまで家でゴロゴロ。少し回復してきたので、なんとか出社した。
さて、復旧作業がはじまった。
CD-ROMでのインストールが困難だった。
場合によっては、途中でコケる。なんと、CDにゴミがこびりつくため、
読み取り不能になって、インストールが途中でコケることがわかった。
しかも、不幸な事に、他のパソコンの付属のCD-ROMだと認識してくれない。
あやしいCD-ROMだと、わかっていても、使わざる得ない。
なにせ、Pentium133MHz RAM48M。インストールだけに1時間半かかる。
インストールが成功しても、ネットワークが動いてくれない。
そして、インストールの繰り返しが続き、それで時間が潰れていった。
23:00になり、体調不良もあって徹夜せずに帰宅することにした。
2月23日(日)
朝、フラフラだったが、なんとか立ち上がり出社。
外部(私が学生時代にいた大学の研究室)にtelnetしていた時に、
ふとlastコマンドを叩いた。
そうすると、接続先のIPが「XXX.YYY.ZZZ.48」だった。
これは、うちの会社のネットワークアドレスになっていた。
本来なら、アクセスしているホストのIPでないと、おかしい。
ここでようやく、ルーターが原因だということがわかった。
しかも、大学の研究室から、ルーターのIPに対して ping コマンドを叩いたが
全く返答がなかった。
ルーターのフィルターを全開しても同じだった。
不幸は続くもの。日曜日なので、ヤマハのサポートセンターは休み。
まいパパさんに聞いてみるが、原因不明だった。
マニュアル通り設定しているのに、なぜ???
そこで、N社の回線を使っているので、N社のサポートセンターに電話すると、
「ルーターが勝手にXXX.YYY.ZZZ.48を自動取得する設定になっている」と言われた。
ルーターのどこに原因があるか突き止めるため、ルーターのコマンド設定を
見ないといけなくなった。
今まで、簡単設定ばかりに頼っているため、コマンドが読めない。
本を見ながら、四苦八苦して、コマンドを見ていくハメになった。
コマンドを読んだりしていると「うそー!」と思うことがわかった。
なんと、NATの設定がされていた!
どうやら、家庭のネット接続のようにIP自動取得の設定になっていた。
それで、通常ではあり得ないネットワークアドレスをIPとして自動取得していた。
コマンドを削除しようにも、削除する方法がない。どうする事もできなかった。
20:00くらいに「こりゃ、徹夜で復旧作業」と覚悟を固めた。
近くのダイエーへ食糧を買い出しに行く。
同僚と会う。同僚に「今日も復旧作業か。大変やなぁ」と言われた。
徹夜と覚悟だけは決めたが、先行が全く見えない。
腹ごしらえが済んだので、復旧作業を開始することにした。
ヤマハのルーターの設定ができないため、設定を断念して、
代わりに、LinuxマシンでADSLルーターを構築しようと考えた。
冒険だが、もう、これに賭けるしかない。
最後のチャンスということで、壊れたと思ったサーバーに
社内で余ったCD-ROMをつけてRedHat7.3をインストール。うまくいった。
壊れたと思ったのは、付属のCD-ROMだけであった。
他の挙動があやしかったのは、実は、RedHat6.2が悪さしていただけだった!
これで地獄から抜けられると思って、検索サイトを開いて、
Linuxで作るADSLルーターを探しまくった。
いくつか見つかった。設定方法が書いてあったので、真似をした。
しかし、うまくいかなかった (TT)
いろいろ触ったが、どうにもならなかった。もうお手上げ状態だった。
希望が見えかけた所から、絶望の奈落の底へ突き落とされた。
ついに、最後の切り札と考えた事まで使ってしまった。
全く手の施しようがない。この時間帯だと誰の助けも呼べない。
肉体的にも精神的にもボロボロ。そして悲壮感を通り越えた絶望感。
本気で「役員の机に退職届を置いて、夜逃げしよう」と考えた。
静かに止まったサーバーに向かって「お前ら、もう、おしまいや」と声をかけた。
ホントに絶望一色だった。
夜逃げの前に、冷蔵庫の中にあるビールでも飲んで、酒盛(?)をしようと思った。
 (決して、大袈裟な表現でなく、本当に、この心境になっていました)
そんな時、ふと、頭の中に、LinuxマシンでのADSLルーターの図がよぎった。
図には、Linuxルーターに2つIPを持たせていた。
プロバイダー側につながるNICと、LAN側のNICに別々のIPを
割り振っていた。
「これは使えるぞ!」と直感が働いた。
ルーターのNATが勝手に動いているから、逆に、NATを騙してみよう。
プロバイダー側のIPを、勝手に自動取得するIPを割り振って、
NATを使っているので、LAN側のIPをルーターのIPを割り振る。
いかにも、NATが動いているようにしてみよう。
そこで、下図のように、ルーターにIPを割り振った。
IPの割り振り
ルーターに割り振ったIPアドレス
奇策というのか、破天荒というのか。メチャクチャというのか。
しかし、何が起こっても、おかしくないという開き直りから、やってみる事にした。
ルーターがまともに動き出した!!
実際に、私がいた大学の研究室にtelnetで入ってみる。
lastコマンドで、どのIPから接続されたかを見ると、ちゃんとtelnetコマンドを
打ったパソコンから接続していた。
研究室のサーバーから、会社のルーターのIPと、自分が使っているパソコンに
pingコマンドを打ったら、正常な反応が返ってきた。
ルーターが、まともに動いている。
これで突破口が開けた!

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html













絶望の淵にいただけに、起死回生の逆転満塁ホームランを打った感じだった。
まだ終わりでないので「さよなら」はつけられないが、希望の光が差し込んでいた。
そして出口が見えていた。
時計の針を見たら、午前0時を過ぎていた。
2月24日(月)
ようやくルーターが、まともに動いた。これで突破口が開けた!
こうなれば、あとは地道にサーバーを立ち上げていく作業のみ。
サーバーの構成を考えた。
もし、どれかが、おかしくなっても、上のように分散させていたら、
全滅だけは防げる。
そして、Pentimu133MHzのマシンにプロキシーは負担が思いと考え、
回線速度が早くなるからプロキシーの必要はないと判断。
プロキシーの廃止を決めた。
あやしいCD-ROMのため、インストールの成功率が2分の1。
特に、DNSサーバーは、Pentium133MHz。インストールに時間がかかる。
インストールに1時間半はかかる。
メールサーバー。sendmail.cfファイルの作成。
3年前、サーバーを構築した時、sendmail.cfファイル作成ツールとして
CF-3.7Wp12を使っていた。
3年ぶりに使ってみた。
しかし、sendmailデーモンを動かすと、エラーを出す。
「うそー!」と思った。
そこで「RedHat7.3対応で作るLinux7」を開いて
sendmail.cfファイル作成方法を探した。
/etc/mail/sendmail.mcファイルを編集して、m4コマンドで変換する。
ややこしいなぁと思った。sendmail.mcの編集方法を読む。
頭があまり働いていない上、睡魔との戦い。
なかなか前に進まない。
特に夜中の3時、4時に睡魔のピークが来る。
眠い目をこすりながらの作業だった。
あやしいCD-ROMと、慣れない設定に四苦八苦しながら、ついに朝を向かえた。
役員に「いつまでかかっているだ! 早く復旧してくれ」と言われる。
心の中では「うるせーなぁ、今、その復旧作業中なんだよ」と思いながら、
突破口が見えているだけに、後は、地道に設定作業をするのみ。
社内には「まだかよ」という声がなかった。
さすがに、徹夜連続で死にかけている私を見て、何も文句が言えない状態だった。
ようやく9時くらいになり、Pentium133MHzのサーバーにLinuxが無事、
インストールでき、DNSサーバーが正常に動き出した。
DNSが復旧すれば、こっちももの。続いて、Webサーバーが復旧した。
NATの設定(ipchains)は、本の丸写しで復旧。
NATやipchainsなどの設定について
 NATの設定を適当に行なうのは誉められた事ではない。
 実は、ipchainsなど、後になって知らなかった事が沢山でてきました。
 詳しくは「システム奮闘記:その21」をご覧ください。
(iptables パケットフィルタリングとNATの設定)
残りはメールサーバーの復旧だった。
 思考回路がメチャクチャ。DNSサーバーに誤ってpop3を入れてしまったり等々。
早く終えたいという焦りと、睡眠不足で思考回路が働かないため、ミスをしてしまう。
sendmail.cfの設定はOK。
sendmailのデーモンを走らせた。
外部からメールが入ってくる。それを見て、私が「メール復旧!」と叫んだ。
「でも、メールができないよ」と上司が言った。
 それを聞いてガクっときた。
OutlookExpressからメールが受送信できなかった。
おかしいなぁと思い、メールサーバーから上訴の携帯にメールを送ると問題なく送信できた。
色々、ネットなどで調べると、メーラーがメールサーバーにアクセスする際、
アクセスチェックするファイルの存在があることを知る。
そこで、
/etc/mail/access
ファイルを書き換える。
 3年前に設定した時には、こんなファイルを触った記憶がない。
単に、私が知らなかったのか、それとも、3年間に追加された物なのか?
メールが復旧した。上司がFAXで全営業所に通達を流してくれた。
ところが、埼玉から「まだ、メール、できないんだけど」と上司に
電話をかけてきた。
横で聞いていた私は「
もしかして、ルーティングの変更をしてないのでは」
と思いNATのマシンの設定状態を確認して見ると、案の定、変更されていなかった。
ルーティングの変更前
これだと、192.168.1.X 以外のマシンは外と通信できない。
Kernel IP routing table
Destination Gateway     Genmask         Flags Metric Ref    Use Iface
XXX.YYY.ZZZ.A   *               255.255.255.248 U     0      0        0 eth0
192.168.1.0     *               255.255.255.0   U     0      0        0 eth1
127.0.0.0       *               255.0.0.0       U     0      0        0 lo
default         XXX.YYY.ZZZ.R   0.0.0.0         UG    0      0        0 eth0
ルーティングの変更後
これだと、192.168.X.Yのマシンは外と通信できる
Kernel IP routing table
Destination     Gateway         Genmask         Flags Metric Ref    Use Iface
XXX.YYY.ZZZ.A   *               255.255.255.248 U     0      0        0 eth0
192.168.0.0     *               255.255.0.0     U     0      0        0 eth1
127.0.0.0       *               255.0.0.0       U     0      0        0 lo
default         XXX.YYY.ZZZ.R   0.0.0.0         UG    0      0        0 eth0
もう、この設定状態は、どういう意味か、わかっていたので動じることはなかった。
「しもた、しもた。営業所の事を忘れとった」という感じだった。
  そこで、routeコマンドを使って、上のように変更すると、埼玉は無事、
メールが読めるようになった。
ルーティングについて
実は、この設定を行なった時点では、ルーティングの事について、
わかった気になっていただけで、実際には、何もわかっていない事が発覚。
詳しくは「システム奮闘記:その26」をご覧ください。
(ルーティングとデフォルトゲートウェイ。ネットワーク入門)
  役員が「ホームページ、見れへんのやけど」と言ってきたので、
「わかりました」と返事して、役員のパソコンを見た。
  原因は、わかっていた。プロキシーを廃止したのに、マシンの方は、
プロキシー設定をしていたからだった。
プロキシー設定を解除したら、無事、Webの閲覧が可能になった。
営業所にプロキシー解除の連絡をした。
設定に関して、問い合わせがきたら、対応を上司にお願いした。
そして、完全復旧した。時計の針は14:30ぐらいだった。
もう、フラフラ。足はふらついていたし、思考能力はゼロ。
営業所から、全く別の問い合わせが来た。
徹夜が続いたりすると、ネット関連に対しては、頭が働いていても、
他の事になると、全く働かなくなる。
頭が働かないため、電話の内容が理解できない。急ぎでなかったので、
「すいません、もう思考能力がありません。明日で構いませんか」と言った。
営業所の人も「徹夜の連続だから仕方がないなぁ」という感じだった。
役員が私の上司に「菅ちゃんを、帰らした方がええで」と言った。
上司も「その方が良いですね」と言った。
残務整理中、役員が「ご苦労さん、明日もあることやし、
そろそろ帰りなさい」と言ってきた。
私が「もう少しで残務処理が終わりますので、その後、帰ります」と答えた。
残務処理が終わったので帰宅。
完全に足腰はフラフラ。駅まで歩くのが大変だった。
帰りの電車。車内に差し込む太陽がまぶしいが、それでも激しい睡魔が襲う。
寝過ごしてはいけないから寝ないようにしたが、寝てしまった。
幸い、最寄り駅で起きれた。家に帰って、シャワーを浴びて、その後ダウン。
ようやく安心して寝ることができた。
この5日間で、24時間以上の連続勤務が2回。徹夜3回。
ドリンク剤を10本ぐらい飲み、眠気覚しに噛んだツマヨウジが数知れず。
体力が25才を境に、どんどん落ちている事を日頃から感じていただけに、
この非常事態に耐えられたので、まだ、体力はあると自分でも驚いた。
地獄から解放された翌日(2月25日)
24日に帰宅した時点では「明日は死んでいる」と思っていたが、
意外と元気な状態で出社できた。
差し入れをしてくれたパートのKさん、Hさんに、お礼として、
ケーキ屋で買ったお菓子を渡す。
地獄の中の、仏のような差し入れの感謝の気持ちで一杯だった。
戦いの現場だったサーバーの置き場の周辺の片付けなどを行なった。
Linuxなどの本、おかしの屑、ドリンク剤の空瓶などで散らかった状態だった。
散らかり具合いが、戦いの凄まじさ物語っていた。
ADSLへの移行。移行前は「回線速度が早くなる」に興味を示さなかった人が
「えらい早いやん。便利でええわ」と言っていた。
社内中が「ADSLって凄い」の声だった。
数メガのファイルのダウンロードも、1分以内にできたりする。
私自身、設定地獄を見てきただけに、感激は人一倍だった。
高速データ通信の通信基盤ができた。次は、方向を考え実行の段階。
さて、ヤマハに電話した。
私は「黄色のマニュアルの方法でやったが、うまくいかないのですが」と聞いた。
サポートの人が「青いマニュアルの150ページを開けてください。
この方法でいけば大丈夫です」と答えた。
私は、唖然とした。そして、思った。
こんなわかりにくいマニュアルの書き方で良いのか!
しかも、最初に読むのは黄色のマニュアル。
ISDNの常時接続の場合は、キチンと書かれている。
しかし、ADSLの場合は、常時接続と書かれていながら、
青いマニュアルのP150への誘導も何も書かれていない。
しかも、青いマニュアルの目次を見ても、簡単にはわからない。
明らかにマニュアルの不備。
メールでマニュアルの不備を丁寧に指摘して、改善を求めたが、無視だった。
誤解のないように書きますが、ヤマハはダメだとか
ヤマハ製品を否定をする気はありません。
ただ、折角、良い物を作っているのだから、わかりやすいマニュアルを作った方が
より多くの人に便利になるからです。
私はヤマハ製品が良いと思っているだけに、敢えて苦言しています。
商品の価格を3000円アップしても良いから、読みやすく、わかりやすい
マニュアルを作成して欲しいと思う今日この頃。
RTX1000の付属マニュアルのように、色々な設定事例集があれば良いと思う。
上級者の方で「しっかり読まないのが悪い」と思う方には次のように反論しまっせ!
高尚で難解な物を理解できるのが、偉いと思うのは大間違えでっせ!
難解な言葉を並べるよりも、平易な言葉で、わかりやすくする方が大変でっせ!
みんなが理解できるように書く人の方がホンマに偉いんでっせ!
PL法は、マニュアルも対象にしとるのは、知らへんのかいな?
ちなみに、私の破天荒な設定に関しては、ヤマハのサポートの人は
「そのような設定だと、何が起こるかわかりませんので、やめてください」だった。
よい子のみなさんは、決して、真似しないでくださいね (^^;)
その後
激闘の後、ルーターの設定を、破天荒な設定状態から、まともな設定に
変更する必要があった。
ある休日出勤日した時、設定変更を行った。
トラブルが起こっても、誰もいないので安心だし、トラブルが起こっても
破天荒な設定に戻せば良いと思っていた。
そして、まともな設定に変更した。問題なく変更できた。
実験用サーバーをNAT&DNSサーバーに使ってしまったため、予備が1台もない。
そこで、予備のマシンを申請した。10万円のDOS-Vを買ってもらった。
Celeron1GHz RAM 256M。インストールが早い。コンパイルが早い。
サーバーにするのは勿体ないので、開発&実験用マシンに使う事にした。
ADSLの速度を測るサイトで測定した。1.3~1.5Mだった。
ISDN回線の時の64Kと比べると、20倍以上の早さだ。
20倍の速度でも驚きなのに、光ファイバーは100Mだと、
どれくらいの早さか全く想像できないなぁと思った。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html









最後に
とにかく地獄でした。
 トラブルにつぐトラブルで、最後には、精神的に追い詰められ
真剣に夜逃げを考えました。
幸い、とんでもない閃きで、起死回生できましたが、閃きがなければ、
間違いなく、ビールを飲んで最後の酒盛をして夜逃げしていたでしょう。
もう、こんな経験は2度としたくないです。
これを読んでおられる読者の方が、地獄に巻き込まれないことを、お祈ります。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html


、20倍以上の早さだ。
20倍の速度でも驚きなのに、光ファイバーは100Mだと、
どれくらいの早さか全く想像できないなぁと思った。
最後に
とにかく地獄でした。
 トラブルにつぐトラブルで、最後には、精神的に追い詰められ
真剣に夜逃げを考えました。
幸い、とんでもない閃きで、起死回生できましたが、閃きがなければ、
間違いなく、ビールを飲んで最後の酒盛をして夜逃げしていたでしょう。
もう、こんな経験は2度としたくないです。
これを読んでおられる読者の方が、地獄に巻き込まれないことを、お祈ります。

システム奮闘記
http://www.geocities.jp/sugachan1973/doc/funto19.html








米国ホテルのインターネット事情  
投稿者:Audi80  投稿日:2003年11月12日(水)02時12分40秒
米国東部の都市にでかけてきました。今回は、市内からちょっと離れて、郊外にある大手ホテルに宿泊しましたが、またもや、ダイアルアップの56Kbps接続でした。出発前にホテルの案内を見ると「High Speed Internet Access」とあったので、安心しきって到着したのですが、部屋に入ると…なんと、インターネットTVのことでした、ガックリ。東京の激安ビジネスホテルのサービスを見習って欲しいもんですね。国内ホテルでは、有線LANは珍しくなく、無線LANのFreeSpot(R)(TM)が使えるホテルも増えました。
空港のラウンジから  投稿者:Audi80  投稿日:2003年 9月28日(日)17時38分31秒
某空港のラウンジでYahooCafeからいつもの無線LAN接続をしています。海外出張の帰りの寄り道です。
いつものようにYahooBBモバイルのお店と同じようにつながります。
Yahooの直営店ということで、店内にはすべての席(いす)の数だけMebiusの無線LANパソコンがおいてあります。僕のように持ち込みの人は…いませんね(^^;会員カードを発行してもらったのですが、会員番号が50番台とは…まだまだ知名度がないみたいだ。
Re: 米国ホテルのインターネット事情  
投稿者:waka  投稿日:2003年11月13日(木)17時47分44秒
ご苦労様です。
アメリカでも郊外となると、まだまだ環境整備が進んでないようですね。
もっとも、そちらでは電話回線が月2千円程度でつなぎ放題OK!というのが殆どらしいんで、
56Kモデムで問題なし、というところでしょうか。
国内ではあちこちで無線LANサービスが開始されてますが、64Kbps程度のPHSカードでも
十分速いんで、無線LANサービスはまだまともに利用したことがなかったりします。(^^;
@FreeD  投稿者:Audi80  投稿日:2004年 1月18日(日)22時12分26秒
久しぶりです。昨年末は、米国でのスターバックス・コーヒーでの無線LANも試しました。
モバイル・インターネット接続は、国内でのPHSデータ通信接続への挑戦を残すのみとなりました。
偶然手に入れたDoCoMoのP-inFree1Sで、@FreeDに契約してみました。
地域によって64kで接続できる場所は限られるようですが、地方都市でも確実につながります。
電車で移動中もつながったのは、偶然でしょうか。都市部での接続はどのようなものか、確かめてみようと思います。
SanFrancisco  
投稿者:Audi80  投稿日:2004年 1月28日(水)18時42分25秒
Re: SanFrancisco  
投稿者:waka  投稿日:2004年 1月29日(木)12時38分21秒
モバイラーとしてはやっぱり、LANカードは使い慣れたものを持ち歩かないと。
# 手動でバインドはできないんでしょうか?
Re: Houstonから  
投稿者:waka  投稿日:2004年 3月11日(木)20時34分8秒
IntelはPCチップセットに無線LAN機能やアクセスポイント機能の追加を考えているなど、無線LANに対しては積極的ですしね。
それにしても、米国の公共空間でホットスポットが少ないというのは、意外な気がします。
Houstonから  
投稿者:Audi80  投稿日:2004年 3月 8日(月)00時59分2秒
      
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2003年1月25日土曜日

[通信] ISDN導入計画

ISDN導入計画-とらの巻
takaはPCもインターネットもほとんど素人同然です。
そのtakaがISDNを引くまでの経過を御報告します。
役に立つかどうか?
解りません(^o^) 皆さんの参考になれば幸いです。

ISDN導入計画-とらの巻
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8589/isdn-0.html











●メリット
最初にISDNを導入しようと思った時に初めにした事。
それは、人に聞いたり本を読んだり、インターネットで調べることでした。
素人の私は何が必要で何をすれば良いのかもまったく知らなかったのでそうゆう事から始めなければいけませんでした。
インターネットのSO-NET(私のプロバイダー)のページで「ISDNのひみつ」というのがあって見てみるとメリットは次の様に書いてあった。
64Kbpsの高速通信が可能です
デジタル回線なので、いつも安定した接続が可能
2回線同時に使えます。インターネットしながら電話もできます。
つまり、その特徴はなんといってもスピード。
最新のモデムでも56kbpsのスピードしかでない。
アナログの場合にはノイズがあってこのスピードがでることも稀。
ISDNなら64kbpsの安定したスピードでHPを見る事ができる。
また、64kbps回線が2本(本当は他に16kbpsの信号チャネルが1本あるが使わない)
セットになってるから電話しながらインターネットが使える。
これは私にとって魅力です。
我が家のPCはMacのPerforma5270で
モデムは内蔵の28.8kbps。
ISDNにすれば一気に2倍以上のスピードになるはずで、とゆうことは計算上、電話代が1/2になる...ハズ。
思わず「これだ!」と心に決めた。
●何が必要?
ISDNの場合にはモデムはいりません。その代わりに
「DSU:デジタル回線終端装置」と
「TA:ターミナルアダプタ」
が必要になります。
図で見てみると私のインターネット環境ではTA+DSUでISDNは出来ることになる。
あとはそれぞれを繋ぐモジュラージャックと線がいります。
これは引いてある電話の繋ぐ部分が昔ながらの銅線をネジで止める方式でなければモジュラージャック式で、
配線は壁-DSU-TA-PCでOK。(まだ実際にはやってませんが...)
●価格は?
かかる費用には2種類あって
導入初期にかかるもの
ランニングでかかるもの
導入期にかかるものとして
DSU+TA(又は一体機):定価で3~5万円
NTTの費用:自分で配線を設定すると2800円
ジャックがなかったり、配線をNTTにしてもらうと14600円以上
つまり、すでにモジュラージャックで、配線(といっても電話ジャックからDSU,TA,PCへ)を自分でやれば5万円位で出来てしまう。
意外と安くできそうである。
ランニング(月々かかる)コストはどうだろう?
NTTのINSネット64では、月々690円しか変わらないのだ。これには驚いた。
テレホーダイの差(アナログ=1800、ISDN=2400)を入れても、全体での差額は1290円。
これで、速度が2倍以上しかも2回線使えるとなっては導入するしかない。

ISDN導入計画-とらの巻
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8589/isdn-0.html





現在の環境と夢見る今後との比較





●行動その1
DSU内蔵のTAの実勢価格を調べに行った。
雑誌で調べると、最近はDSU一体のTAが主流で、性能も高くお勧めだと書いてあったので一体式ターミナルアダプタを買う事に決め、いろいろ本で調べてほぼ機種を決めた。
Aterm IT50 DSU というNEC製のTAである。
DSU内蔵で定価が3万9800円。さっそく、澁谷の◯◯カメラに実勢価格を調べに行ったところ、2万7000円で売っていた。
これは思っていたより安く、NTTなどの費用と雷対策用のフィルタを付けても4万円位で出来そうだ。
NTTに申し込む時にTAの機種を申告する必要があると聞いていたので、TAは申し込みに先駆けて購入する必要がある。
しかし、この日は買わなかった(お金がなかった^o^;)
●行動-2
さて、いよいよ行動開始だ。
いろいろ調べて頭の知識は増えたがこれから実践だ。
しかし、いまいち自信のない私はTAを買う前にNTTに電話した。
NTTで確かめた事
1-電話でもISDNの受け付けはするが、最終的には申込書を出さなければならない。
2-申込書にTAの機種を記載しなければならないので先に買っておく必要がある。
3-申込書はファックスでのやり取りでいい。
NTTの電話口の担当者(女性)は丁寧に教えてくれるので安心した。いつ頃TA買うのと尋ねられ、
今日いまからと答えると、電話を切ってから1分後にファックスで申込用紙が送られてきた。
ここで申込用紙の内容を見るとなんて書いていいのか分からないことが一杯あったが、丁寧に手書きの文字で必須項目に注意書きがしてあった。 
TA購入
NTTの電話を切ると早速TAを買いに先日下調べをした○○電気に行った。
もう、
NECのAtermIT50 DSU \27000
を買おうと思っていたが、いろいろ見ているうちに気が変わった。
性能的にはあまり差がないのだが
AtermIT65 DSU
という1つ上の機種にしてしまった。
してしまったというのは値段が機能の追加分より高い気がしたから、迷いに迷ったから。
50と65の差
1-表示部がただのLCD(50)とバックライト付(65)
2-アナログポートが2つ(50)と3つ(65)
3-ボディ色(灰色-50)と(黒-65)
4-その他不明
つまり、ポートの数が違うのと暗闇でも表示部が見える、そして見ための良さで65に決定した。
ポートの数は接続出来るアナログの機器(電話、ファックスなど)の量によって必要数が決まる。
takaの家ではアナログにつなぐのは電話1本なのでほんとはポート1でも良かったが
後々ファックスや別の電話にもつなげる可能性を残すために3ポートの65に決めた。
(¥900/月でもう一つ電話番号が貰えるってしってた?)
もう一つサンダーカット(雷が落ちた時にTAを破損から守るもの)を買おうとしたが店員(4月末でほとんどが新入社員の見習い)が無知で私の言っていることが分からないらしく、要領が得ないので止めてしまった。これは次回にしよう。
TA65はちなみに、
¥33100+消費税¥1637-値引き?¥343
で¥34394でした。
●気がついたメリット
TAの設定で128.8kbpsでの通信が可能(64.4kbpsの回線が2本あるので同時に2本使ってインターネットが出来、電話が掛かってくると1本が電話、1本がインターネットになる。
●申込み
家に帰って来て早速中味を見た。
私はMacだがMacintosh用の接続ケーブルや設定用のCD-ROMもついていた。
設定は難しそうだが、なんとかなりそうだった。
申込書の記入は簡単だった。
TAの説明書にNTTの申込用紙とまったく同じフォームで記入要領が書いてあり、5分で書けた。ファックスで送って終り。
いつISDNに切り替わるのか切り替わった時にTAの設定が出来てないと電話出来ないのかなど、聞こうと思ってNTTにもう一度電話したが5時半だったので終わっていた。
サービス時間は9~17時だそうだ。(テープの声が言っていた)
どうでしたか?
案外簡単そうでしょ?次回はいよいよ接続と設定!
いつになることやら ^o^/
 
ISDN導入計画-とらの巻
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8589/isdn-0.html













●行動その1
DSU内蔵のTAの実勢価格を調べに行った。
雑誌で調べると、最近はDSU一体のTAが主流で、性能も高くお勧めだと書いてあったので一体式ターミナルアダプタを買う事に決め、いろいろ本で調べてほぼ機種を決めた。
Aterm IT50 DSU というNEC製のTAである。
DSU内蔵で定価が3万9800円。さっそく、澁谷の◯◯カメラに実勢価格を調べに行ったところ、2万7000円で売っていた。
これは思っていたより安く、NTTなどの費用と雷対策用のフィルタを付けても4万円位で出来そうだ。
NTTに申し込む時にTAの機種を申告する必要があると聞いていたので、TAは申し込みに先駆けて購入する必要がある。
しかし、この日は買わなかった(お金がなかった^o^;)
●行動-2
さて、いよいよ行動開始だ。
いろいろ調べて頭の知識は増えたがこれから実践だ。
しかし、いまいち自信のない私はTAを買う前にNTTに電話した。
NTTで確かめた事
1-電話でもISDNの受け付けはするが、最終的には申込書を出さなければならない。
2-申込書にTAの機種を記載しなければならないので先に買っておく必要がある。
3-申込書はファックスでのやり取りでいい。
NTTの電話口の担当者(女性)は丁寧に教えてくれるので安心した。いつ頃TA買うのと尋ねられ、
今日いまからと答えると、電話を切ってから1分後にファックスで申込用紙が送られてきた。
ここで申込用紙の内容を見るとなんて書いていいのか分からないことが一杯あったが、丁寧に手書きの文字で必須項目に注意書きがしてあった。 
TA購入
NTTの電話を切ると早速TAを買いに先日下調べをした○○電気に行った。
もう、
NECのAtermIT50 DSU \27000
を買おうと思っていたが、いろいろ見ているうちに気が変わった。
性能的にはあまり差がないのだが
AtermIT65 DSU
という1つ上の機種にしてしまった。
してしまったというのは値段が機能の追加分より高い気がしたから、迷いに迷ったから。
50と65の差
1-表示部がただのLCD(50)とバックライト付(65)
2-アナログポートが2つ(50)と3つ(65)
3-ボディ色(灰色-50)と(黒-65)
4-その他不明
つまり、ポートの数が違うのと暗闇でも表示部が見える、そして見ための良さで65に決定した。
ポートの数は接続出来るアナログの機器(電話、ファックスなど)の量によって必要数が決まる。
takaの家ではアナログにつなぐのは電話1本なのでほんとはポート1でも良かったが
後々ファックスや別の電話にもつなげる可能性を残すために3ポートの65に決めた。
(¥900/月でもう一つ電話番号が貰えるってしってた?)
もう一つサンダーカット(雷が落ちた時にTAを破損から守るもの)を買おうとしたが店員(4月末でほとんどが新入社員の見習い)が無知で私の言っていることが分からないらしく、要領が得ないので止めてしまった。これは次回にしよう。
TA65はちなみに、
¥33100+消費税¥1637-値引き?¥343
で¥34394でした。
●気がついたメリット
TAの設定で128.8kbpsでの通信が可能(64.4kbpsの回線が2本あるので同時に2本使ってインターネットが出来、電話が掛かってくると1本が電話、1本がインターネットになる。
●申込み
家に帰って来て早速中味を見た。
私はMacだがMacintosh用の接続ケーブルや設定用のCD-ROMもついていた。
設定は難しそうだが、なんとかなりそうだった。
申込書の記入は簡単だった。
TAの説明書にNTTの申込用紙とまったく同じフォームで記入要領が書いてあり、5分で書けた。ファックスで送って終り。
いつISDNに切り替わるのか切り替わった時にTAの設定が出来てないと電話出来ないのかなど、聞こうと思ってNTTにもう一度電話したが5時半だったので終わっていた。
サービス時間は9~17時だそうだ。(テープの声が言っていた)
どうでしたか?
案外簡単そうでしょ?次回はいよいよ接続と設定!
いつになることやら ^o^/
 
ISDN導入計画-とらの巻
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●予約の確認
前の日5時を過ぎていたので確認が取れなかった工事日を聞こうと電話した
一切終わるまで一人(同じ)の人が受け答えしてくれるのでその人を呼んだ。
今日は5月1日で切り替えは実働なか3日かかるという。
土日は休みで4、5は連休だから5月11日(月)になる。
自分で工事やらないと普通実働10日位かかるそうだ。
自分でTA繋ぐと1週間も早くなる。
で、5月11日に決定!
NTTは月~金の9時~17時しかやってないので切り替え(局内工事)もこの時間帯しかやらず、
従って電話が通じるかどうかの確認をするのも同時なのでその時間は家にいなければならず、会社を休むはめになった。
工事の確認
以下は予約した時の電話でのやりとり
「え~!自分で工事全部やるの~?」と担当者
「はい、うちはすでにモジュラージャックだし、TAとの接続だけですよね~」
「そうですけど..よく自分でやったお客さんが電話通じなくて結局NTTから行くことになって時間がかかる事よくあるんですよね~」
と担当者。
一番恐れているとこをつかれた私は一瞬「頼もうか」と思ったが、
「でも、幾らくらいかかるんですか?」
「大体2万円位かかります」
「え~!ちょっと高いですよ!いいです自分でやります」
あ~あ言っちゃたよ。
これで逃げ道なくなって後は自分で全部やることになりました。
事前の準備
工事は以下の手順で行うと聞いた
1.こちらから電話局(工事担当)に電話して始める事を伝える
2.TAをセットする
3.切り替えて貰う
4.電話が通じるか確認する
当日までに出来ることはTA自体の設定だ!
TAの設定
先にTAの設定をやってしまおうとTAを箱から出し、接続図を見て実際に繋げてみようとした...
が~ん!何処に繋げるの?
Mac側のポートはどこ?ここで大変なことに気がついた。
TAの接続はモデムポートかプリンタポートで出来る。
あるいはデータポートの3つなのだが、プリンタポートはプリンターを繋げているので駄目!
私のMacはモデム内臓なのでモデムポートはあるけど使えないと説明書に書いてある。データポートは?解らない!
Macのサポートセンターに電話した(こうなりゃ何でもします)
「あの~、ISDNにしたいんですけど配線はどこに繋げればいいんでしょう?」
「はい、モデムポートかプリンタポートに繋いで下さい」
「プリンタポートは使っているんです。モデムは内臓されててモデムポートは使えるんでしょうか?」
「お客様の5270は内臓モデムですね、ではポートは使えませんね」
「ではどうすれば?...」
ここで凄く不安になるtaka ^o^/
「方法は2つあります」
「えっ!本当!ですか?」
その方法とは、
内臓モデムを物理的にMacから取り外す。(外すとポートが使える)
二股のコードを買ってきて、プリンタポートからTAとプリンタ両方に繋げる。
おいおい、ほんとか?
最初のモデム取り外しなんてやっていいのか?
出来るかな~?
二股コードで繋ぐのは簡単だけど、なんか正規の方法じゃないみたいでいやだな!
実際センターのおねえさんも作動確認はしていませんて言ってたし...どうしよう!
とにかく最終的にどちらの方法でやるかは後にして、TAの設定をプリンタポートに繋いでやってみた。
簡単だった!5分で出来た。
(但し、ISDNにして電話が繋がるかはやってみないと確認出来ないけど)
不安を残して当日を待たなければいけないtakaであった
皆さんどうですか?接続ポートは大丈夫ですか?
まだまだ続く試練です!
今日もISDNの使用報告は出来ませんでした。
次回は5月11日の設定のあとご報告しますネ!
 
ISDN導入計画-とらの巻
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8589/isdn-0.html




●本番当日だ!
いよいよisdn導入の日になった
前の晩から嬉しくてなかなか寝付けなかったが朝は早くにめがさめた
AM7:30
いよいよ導入計画最終日の朝がやってきた。
会社に行く日より早く目を覚ますとゆっくりコーヒーをのみ新聞に目を通し今日の予定を考えた。
AM8:00
NTTは9:00開始だからそれまでにMacintoshの内臓モデムを外しておかなければならない。
後はもう一度セッティング順序の確認をすればいいだけだ。
AM8:30
まずMacintoshに繋がっている配線関係(
キーボード、
電話線モジュール、
プリンター、
電源コード
など)を全て外し、Performaの裏のパネルを止めているネジを取った。
取り扱い説明書通りに慎重にロジックボードを引き抜いた。
「おお!コンピュータの中ってこんなんなってたのか!」
取り説の絵を見ながら内臓モデムの位置を確認し、モデムカードを取り外した。
慎重になりすぎてちょっとてまどってしまった。
もと通りにロジックボードを差し込み、蓋をしてネジ止めをした。
モデムに繋ぐモジュラージャックの穴が空いてしまったのでほこりの侵入を防ぐため、厚手のテープをして塞ぐ。
後は配線を元のとうり繋いで終わり。
約15分かかったが簡単であった。
(やる前は本当に大丈夫?と不安だったけど簡単感嘆^o^/)
AM9:00
TAの設置マニュアルをもう一度読み直して接続を確認し、いざNTTへ電話を架けた。
AM9:15
「あの~、今日ISDNへの変更を予約している者ですが...」
「お客様のお名前と電話番号は?」
「takaです。電話番号は....」
「TAはもうお持ちですね?」
「はい」
「判りました、こちらの切り替え作業は15~20分で終わりますのでtakaさんの方の接続もその間に済ましておいて下さい」
「はい」
「では..」
「あ、あの...」
「なんですか?」
「その後はどうすればいいんですか?」
「電話を使って見て下さい。普通に使えればそれで終わりです。
もし、通じない時はもう一度こちらへ電話してください。
局で判る範囲でチェックしますので。」
「判りました」
私は説明書のとおり壁のモジュラージャックとTAを繋ぎ、TAのアナログポートから電話に線を引いた。
また、TAデータポートと内臓モデムを外した際に使うモデムポートを繋いだ。
「これでいいはずさ!1~2分で作業は終わったがNTT側の作業終了まで20分ほどなにもしないで待っていた。
AM9:45
さて20分たったので電話のテストをしてみた。
まず携帯電話から自宅の電話に架けてみる
「ぷるるるる..ぷるるるる!」
「おお!かかるぞ^o^/」
次に、自宅の電話から携帯に架けてみる
「ぷるるるる..ぷるるるる!」
good!good!完璧だ!
ついでに会社に電話してみたら話せた(当り前だろ^o^;)
向こうからも架けて貰ったが問題無し!「やった~!」
TAの表示部には架ける度にどのポートから発信しているかとか受信してるかとか表示される。
また、切るとかかった料金まで教えてくれる。うれしいな~!
AM10:15
よし、今度はインターネットだ!
私はさっそくネットスケープをクリックした。
「...話し中?」
繋がらない。
もう一度「...又話し中?」。
これを5回も繰り返すと
「何かおかしい?いやな予感」^
o^;え~ん又か~?
確かにモデム経由で電話は発信してる(TAに発信と表示される)し、相手(so-net)に接続中とMacにも出るが繋がらない。
もう一度TAの「インターネットの設定」を読む。
同じ症状が乗っていて、確認方法として2つが書いてあった。
非同期、同期64Kの電話番号、初期設定コマンドはあっているか?
接続用スクリプトに不要な記述はないか?
以上が合っていてダメならプロバイダにお問い合わせください。
AM11:00
それからいろいろためした。トホホ...ダメだ!
so-netに入会した時の資料をみるとISDNは同期64Kだけとかいてあったが、
私のTAは同期/非同期を自動判別するとなっているし、接続用スクリプト(いろいろ開いていて見つけた)にも変な事はしてなかった。
しょうがない、so-netに電話だ~!^o^/
AM11:30
混んでいるのかなかなか繋がらなかったが10回位でようやく繋がった。
「あの~、今日ISDNにしたんですけど繋がらなくなってしまったんですが」
「お客様のユーザーIDは?」
「xxxです」
「takaさんですね?」
「はい」
「今、Macは起動していますか?」
「はい」
「それでは、りんごマークからコントロールパネルをクリックし
MAC TCPをだして...
次にConfig PPPをだして、...
という風に設定します。」
担当者は一から十まで、手取り足取り、設定手順を最初から始めた。
そこで原因がついに判った!^o^/
「プロバイダのアクセスポイントの条件に合わせて
[Modem init string]
欄に初期設定コマンドを半角文字で入力する」
とあったのをやっていなかったのだ!
ちなみに
atq0v1x3$n1=0&d1\q3
が初期設定コマンドである。こんなの見てたけどあんまり関係ないと思って飛ばしてたよ。
「では、繋いで見てください」
「はい....お!繋がりました~」
「よかったですね..それでは」
「ありがとうございました」
その担当者がなんとカッコよく思えたことか!
やっぱりちゃんとマニュアルどうりやってたつもりが抜けていたんだな~。
それにしても彼(so-netの担当)はプロだよプロ、感動したね~!
PM12:15
やったよ~ついにISDNで電話しながらインターネット出来るようになったぞ!
最初の体験がソネットのヘルプだったけど..まあいいや。
おっともうこんな時間か、お腹減ったしご飯たべよ! ^o^/

ISDN導入計画-とらの巻
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導入後1週間が経ちました
最後に導入前と導入後の比較インプレッションをご報告します
まずは、一番気になる接続の時間から

●感想
時間帯やプロバイダの混雑状況にもよりますが、
数字でみると平均で34%の時間短縮となりました。
が、実感でいくとそんなに短くなった気がしません
なんでだろう?
私のMacの能力が低いので
「データは入って来てるのに処理が出来ず表示が遅れる」
そんな感じです
●導入して良かった事
○接続開始からサーバへの繋がりが異常に早くなった
○データ読み込みが早い
○電話とインターネットが同時に使える
○データ送信が早い(ページUPの時)
○通信の後に電話料がわかる
○使ってはいないけど、いろいろなサービスが受けられる
●導入して良くなかったこと
○新しいMacG3が欲しくなった
どうでしたか?takaのISDN導入計画-とらの巻
1ヵ月ほどかかりましたがほぼ満足の結果だと思っています。
これから導入を考えている方に少しでも参考になれば幸いです。
それと、まだの人にもISDNはお勧めです。
特に、ホームページを持っている方はアップの時間が大幅に短縮されると思います。
最後までおつきあいいただいた皆様ありがとうございました。

ISDN導入計画-とらの巻
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/8589/isdn-0.html









激遅PC使用記
アナログ回線乗り換え記
2000.8.22
NTTはISDNの宣伝ばかりやっていますが、私も1997年2月引越しを機に、ISDNに乗り換えました。新築のマンションだったため、いきなりISDNが導入されたことになります。
1.ISDN導入まで
1997年当時ISDNはずいぶん盛り上がっていたように思えます。インターネットもずいぶんと一般的になってきて、NTTもISDNの宣伝をガンガンしていました。しかし、まだアナログ回線から乗り換えるには電話番号が変わってしまう地域もあったので、これでISDNに移行するのに躊躇する人が結構いたようです。  NTTに電話すると申し込み用紙を送ってくれました。その当時、ISDN導入の雑誌記事を読んで、接続作業は業者にやってもらった方がよいとのこと。17000円程度だったか余分にかかりますが、接続作業もNTTにお願いしました。また、引越しとともにFAXも導入することとしました。それにはFAX専用の電話番号も有ったほうがいいと、ダイアルインも申し込み二つの電話番号をもつこととなりました。  NECのターミナルアダプタを用意し、その日がくるのをじっと待ったのです。  申し込んで数週間後、ついに工事の日がやってきました。
黄緑の作業服を着た業者の方がやってきて早速作業開始。ISDNの工事はどんなことをするのかと思ってみていましたが、とくに工具を使って何かするようなこともなく、テスターを使って電圧を測ったり、携帯電話でいろいろなところと話していました。程なくしてターミナルアダプタと電話をセッティングして、通話できることを確認して終了。  あとでわかったことですが、別に接続作業は自分でやっても一向に構わなかったようです。
2.使用感
ISDNでインターネットをわが愛機FMV466D2につなぎ、しばらくはインターネットで遊びました。
激遅PCこのスピードがでるのにもびっくりしまたした。
その頃会社のインターネットは28800bpsのモデムに接続していたので、早いPCでもモデムがボトルネックになってずいぶんと遅かったのです。  また、インターネット中でも電話ができるのは、なにかうれしかったです。  しかし、もともと大して電話するほうではなかったので、ISDN+ダイアルインの基本料金が4500円程度、通話料が600円などというつきもありました。ほとんど電話しなくても5000円程度かかっているという状態です。しかもFAXなんて商売でもやっていない限り月に一回も使いません。なにか毎月の明細を見ているともったいないような気がしてきました。しかもISDNだろうがアナログだろうが、夜11時のテレホーダイタイムとなるとINTERNETもぐぐっとスピードダウンします。
3.ナンバーディスプレーに対応できない
1998年ごろから無言電話がずいぶん増えてきました。なんか気持ち悪いのでナンバーディスプレーにしようと思ったのですが、NTTに問い合わせると、ターミナルアダプタが対応していないと表示できないとの事。早速NECにATermIT55は対応しているか問い合わせましたが。ATermIT55はRAMがない為対応できないといわれました。一応NECのホームページを調べましたがどうも間違ってなさそう。せっかくオプションのS点ユニットなんかも買い込んで将来の拡張に備えたのに、わずか3年でターミナルアダプタの進歩はすばらしく。すっかり時代遅れになっていたのでした。
4.アナログ回線に移行
電話代は無駄に高いし、FAXは使わないし、速度もめちゃくちゃ変わるわけではないので、アナログ回線に移行することとしました。NTTに電話するだけでOKでした。1999年12月のことです。
5.なんと電話番号が変わってしまう
しかし、NTTが言うには、その電話番号はISDN専用なので電話番号が変わるとの事。もともとアナログ回線をISDNにしたわけではなく、いきなりISDNだったのがよくなかったです。ちょっと躊躇しましたが、あまり電話を使っているわけでもないし、知らせる相手もとりあえずそんなに多くありません。さらに、無言電話の件もあったので電話番号がかわっても良いと返事しました。あまりISDNからアナログに換える人もいないのでしょう。NTTのひとはなぜアナログ回線にするのか聞いてきました。乗り換え料金は工事費が2000円、手数料が800円でした。
6.いきなりアナログに替わっちゃうのね
あとはアナログに切り替える日時を確認しました。一応その日は会社に行く前にモジュラージャックからTAをはずして出かます。帰ってきて電話をつなぎ正常なことを確認。工事も業者が家にくるわけでもなく、NTT側で全て済ませられるようです。電話機の設定をなんどか試行錯誤するうちに念願のナンバーディスプレーも動作OKです。
7.しばらくはのんびり14400bpsで
しばらくはモデムがありません。しかし私の使っていたゼロックスのLaser Wind Office 105Wはレーザープリンタ+モノクロスキャナ+モデム+FAX複合機という代物だったので、そのモデム機能を使いモデムを買うまでのつなぎとしました。プッシュホンではなくパルス回線(電話かけるときにプツプツおとがするもの)なので、ダイアルアップに時間がかかりますね。
8.念願のFAXモデム!
しばらくはレーザープリンタについていたおまけのモデムでやっていましたが、やっぱり通信速度が遅い。そのため57KのFAXモデムを買うことにしました。14400から57600に移行するので単純に4倍以上早くなると期待に胸が大いにふみら見ます。FAXモデムはどこでも同じとチラシをみて近所のPC専門店で6000円以下で購入。
使ってみたけどあまり早くならなかったのは不満です。しかしPCが遅いので仕方がありませんしかしFAXモデムにしたとたんにメールが見れなくなりました。調べると、どうも受信中に文字化けを起こしているようです。これはモデムの設定を19200BPSにすることで解決しました。
9.結局安くなったの?
この質問にはなかなか答えにくいものがあります。
毎月1000円程度は安くなりました。
しかし携帯電話に加入したり、妙に長距離電話が多くなったりして、全般としてはプラスマイナス0と言う気分です。

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OCN事業部のホームページ
http://www.ocn.ne.jp/
ISDNユーザサポート"まるちねっとあい"のホームページ
http://debut.mmsys.mabikai.mbc.ntt.co.jp/mneti/
Garden
https://web.archive.org/web/20000709120850/http://www.garden.ne.jp/
NTT-TE東京
http://www.te-tokyo.co.jp/product/product.html
YAMAHA
ユニデン(各種TAについて)
http://www.uniden.co.jp/ta/
サン電子(TA[TS128JX3/DZ])
http://www.sun-denshi.co.jp/scc/scc-j.htm
KDD International ISDN
http://www.kdd.co.jp/service/isdn/
PC Watch (法林 岳之が選ぶ外付けISDN TAランキング)
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/970206/tabest.htm

NTT
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INSテレホーダイ
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NTTダイアルイン
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http://info.ntt.co.jp/ISDN/service/02_S/060.HTM

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https://www.nttpc.co.jp/service/infosphere/

ザグレイスフル
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アナログ回線乗り換え記
2000.8.22
NTTはISDNの宣伝ばかりやっていますが、私も1997年2月引越しを機に、ISDNに乗り換えました。新築のマンションだったため、いきなりISDNが導入されたことになります。
■1.ISDN導入まで
1997年当時ISDNはずいぶん盛り上がっていたように思えます。
インターネットもずいぶんと一般的になってきて、NTTもISDNの宣伝をガンガンしていました。
しかし、まだアナログ回線から乗り換えるには電話番号が変わってしまう地域もあったので、これでISDNに移行するのに躊躇する人が結構いたようです。  NTTに電話すると申し込み用紙を送ってくれました。その当時、ISDN導入の雑誌記事を読んで、接続作業は業者にやってもらった方がよいとのこと。17000円程度だったか余分にかかりますが、接続作業もNTTにお願いしました。また、引越しとともにFAXも導入することとしました。それにはFAX専用の電話番号も有ったほうがいいと、ダイアルインも申し込み二つの電話番号をもつこととなりました。  NECのターミナルアダプタを用意し、その日がくるのをじっと待ったのです。  申し込んで数週間後、ついに工事の日がやってきました。黄緑の作業服を着た業者の方がやってきて早速作業開始。ISDNの工事はどんなことをするのかと思ってみていましたが、とくに工具を使って何かするようなこともなく、テスターを使って電圧を測ったり、携帯電話でいろいろなところと話していました。程なくしてターミナルアダプタと電話をセッティングして、通話できることを確認して終了。  
あとでわかったことですが、別に接続作業は自分でやっても一向に構わなかったようです。
2.使用感
ISDNでインターネットをわが愛機FMV466D2につなぎ、しばらくはインターネットで遊びました。
激遅PCこのスピードがでるのにもびっくりしまたした。
その頃会社のインターネットは28800bpsのモデムに接続していたので、早いPCでもモデムがボトルネックになってずいぶんと遅かったのです。  また、インターネット中でも電話ができるのは、なにかうれしかったです。  しかし、もともと大して電話するほうではなかったので、ISDN+ダイアルインの基本料金が4500円程度、通話料が600円などというつきもありました。ほとんど電話しなくても5000円程度かかっているという状態です。しかもFAXなんて商売でもやっていない限り月に一回も使いません。なにか毎月の明細を見ているともったいないような気がしてきました。しかもISDNだろうがアナログだろうが、夜11時のテレホーダイタイムとなるとINTERNETもぐぐっとスピードダウンします。
■3.ナンバーディスプレーに対応できない
1998年ごろから無言電話がずいぶん増えてきました。
なんか気持ち悪いのでナンバーディスプレーにしようと思ったのですが、NTTに問い合わせると、ターミナルアダプタが対応していないと表示できないとの事。早速NECにATermIT55は対応しているか問い合わせましたが。ATermIT55はRAMがない為対応できないといわれました。一応NECのホームページを調べましたがどうも間違ってなさそう。せっかくオプションのS点ユニットなんかも買い込んで将来の拡張に備えたのに、わずか3年でターミナルアダプタの進歩はすばらしく。
すっかり時代遅れになっていたのでした。
■4.アナログ回線に移行
電話代は無駄に高いし、FAXは使わないし、速度もめちゃくちゃ変わるわけではないので、アナログ回線に移行することとしました。NTTに電話するだけでOKでした。1999年12月のことです。
■5.なんと電話番号が変わってしまう
しかし、NTTが言うには、その電話番号はISDN専用なので電話番号が変わるとの事。
もともとアナログ回線をISDNにしたわけではなく、いきなりISDNだったのがよくなかったです。
ちょっと躊躇しましたが、あまり電話を使っているわけでもないし、知らせる相手もとりあえずそんなに多くありません。さらに、無言電話の件もあったので電話番号がかわっても良いと返事しました。
あまりISDNからアナログに換える人もいないのでしょう。NTTのひとはなぜアナログ回線にするのか聞いてきました。乗り換え料金は工事費が2000円、手数料が800円でした。
■6.いきなりアナログに替わっちゃうのね
あとはアナログに切り替える日時を確認しました。一応その日は会社に行く前にモジュラージャックからTAをはずして出かます。
帰ってきて電話をつなぎ正常なことを確認。工事も業者が家にくるわけでもなく、NTT側で全て済ませられるようです。電話機の設定をなんどか試行錯誤するうちに念願のナンバーディスプレーも動作OKです。
■7.しばらくはのんびり14400bpsで
しばらくはモデムがありません。
しかし私の使っていたゼロックスのLaser Wind Office 105Wはレーザープリンタ+モノクロスキャナ+モデム+FAX複合機という代物だったので、そのモデム機能を使いモデムを買うまでのつなぎとしました。プッシュホンではなくパルス回線(電話かけるときにプツプツおとがするもの)なので、ダイアルアップに時間がかかりますね。
■8.念願のFAXモデム!
しばらくはレーザープリンタについていたおまけのモデムでやっていましたが、やっぱり通信速度が遅い。
そのため57KのFAXモデムを買うことにしました。14400から57600に移行するので単純に4倍以上早くなると期待に胸が大いにふみら見ます。
FAXモデムはどこでも同じとチラシをみて近所のPC専門店で6000円以下で購入。使ってみたけどあまり早くならなかったのは不満です。しかしPCが遅いので仕方がありません。
しかしFAXモデムにしたとたんにメールが見れなくなりました。
調べると、どうも受信中に文字化けを起こしているようです。これはモデムの設定を19200BPSにすることで解決しました。
■9.結局安くなったの?
 この質問にはなかなか答えにくいものがあります。
毎月1000円程度は安くなりました。
しかし携帯電話に加入したり、妙に長距離電話が多くなったりして、全般としてはプラスマイナス0と言う気分です。

マホービンの部屋
http://maho-bin.hp.infoseek.co.jp/gopc4.htm




2002年2月5日火曜日

[通信] Pikara~四国電力グループSTNetの個人向け光サービス



県都4店については、四国電力グループSTNetの個人向け光サービス「Pikara(ピカラ)」のお申し込み受付を開始し、 店名を
「@ピカラ(アットピカラ)」
に変更いたしました。
店内には、光インターネット「ピカラ光ねっと」と「ピカラ光でんわ」がいつでも無料体験できる体験コーナー「ハロー@ピカラ」を常設しております。
アステルPHSやインターネットサービスに関するご相談は、今までどおり取り扱っておりますので、引き続きご愛顧を賜りますようお願い申し上げます
■@ピカラ高松
(旧アステルプラザ南新町)
760-0051香川県高松市南新町8-12
070-5986-3007
■@ピカラ松山
(旧アステルプラザ松山)
790-0011愛媛県松山市千舟町4丁目1-3
070-5753-7227
■アステルプラザ新居浜
792-0025
愛媛県新居浜市一宮町1-8-15
070-5753-3456
■@ピカラ徳島
(旧アステルプラザ徳島)
770-0833徳島県徳島市一番町7-1
070-5753-0886
■@ピカラ高知
(旧アステルプラザ高知)
780-0822高知県高知市はりまや町1-13-1
070-5986-3010
◆取り扱い業務◆   
・ピカラ光サービス新規受付
・アステル故障修理
・アステル通話料支払い  など

アステル四国
https://www.stnet.co.jp/astel/index.htm




●営業時間●
 平日・土曜日 10:00~19:00
 (新居浜店のみ10:00~18:00)
 日曜日     10:00~17:00
●定休日●
 月曜日

アステル四国
https://www.stnet.co.jp/astel/index.htm





◇カスタマーサポート◇
◇着メロ・スーパー着メロ◇
◇アステルFan◇
アステルプラザ県都4店舗が「@ピカラ(アットピカラ)」に店名変更しました
●「アステルPHS電話サービス」全国ローミングおよび付加サービスの終了について
平成16年11月30日をもって、以下の一部サービスを終了することとなりました。
お客さまには多大なご迷惑をおかけすることとなり誠に恐縮でございますが、何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
・全国ローミング(当社提供エリア(四国4県)以外でのアステルPHS電話サービス)
現在、九州(沖縄県を除く)、北海道、北陸、関西地域では、アステルPHSがご利用いただけません。12月以降は、四国地域外のすべての地域でご利用いただけなくなります。
・付加サービス(MOZiOサービス、ドットiサービス、着メロサービス)
●「アステルPHS電話サービス」新規申込受付の終了について

アステル四国
https://www.stnet.co.jp/astel/index.htm