1995年5月23日火曜日

[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Panasonic DP-144



[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Panasonic DP-144
携帯購入備忘録
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2012/3/21(水) 午後 9:24 ひとり言 練習用
最初に買った携帯。
DP-144(パナ製)。
「電話に縛られたくない」と粘っていたが、必要に迫られ購入。
当時、ブランド名がJ-Phoneで社名が東京デジタルホン。
ロゴも東京デジタルホンのもの。
車上荒らしにあい、半年で解約。

風呂くん・はぁと
https://blogs.yahoo.co.jp/nexttinmemachine/15511373.html

1995年5月22日月曜日

[機器][PHS] アステル/東芝,A171













A171
■略歴
(ASTEL関西(2号機)+子機(901U) ---> ASTEL関西(1号機)+子機(901U) ---> 子機(901U)---> ASTEL関西(1号機)+子機(901U) ---> 子機(901U) ---> ASTEL関西(1号機)+子機(901U) ---> 子機(901U) ---> ASTEL関西(1号機)+子機(901U) ---> 子機(901U)--->子機(Z121))
東芝製。96年10月導入。電測+バイブ付きに引かれて、この頃叩き売りされて いたため入手。現在は電番を移して3代目現用機に。また、1回破損したため 筐体表面だけ交換歴がある。A272,A211の関係で一時期子機にしていたが やはりA171の「名機」は私の中では揺るがない。
端末導入総投資額7100円
■評価
☆よい点
電測モード+バイブコールがある
呼出メロディが(個人的に)好みのものが多い
隠しコマンドが豊富
CSの切替が早い、でもCSの少ない区間では結構粘る
電測モードでも電池の持ちが「わりに」よい
☆悪い点
ちと重い
ベースデザインがCarrotsと同じ
機能キーを使った設定がNTTPと類似している(はっきり言って使いにくい)
着信履歴が直後の1件しか残らない
両面待受けができない(Carrotsはできるのに・・・)
電測サンプリング間隔が1秒と長い
留守電確認の特電(1416)に電話した後、自動でオフフックしてくれない
☆総評
ご存知、アステル東京では初代中山美穂端末として有名です。
東京以外ではあまり使っている方を見かけませんが、電測モードが付いている 中では1・2を争う名機でしょう。機能的にも充実していますし。
ただ惜しむらくはデザインが2代目キャロッツ譲りな所。

Kansai PHS Janker's Club
http://www.mahoroba.ne.jp/~tukanana/astelps1.html






PHS日記
このページでは、PHS を中心にしたいろいろな出来事を綴った日記や情報を 公開します。(予定)
Special thanks to KADUHI
HEADLINE
わたしのPHSは?
TOSHIBA PHS
ASTEL A171 (by TOSHIBA)
この機種のデザインはなかなかよい。Nifty SASTEL フォーラムでも名機の評 価がちらほら。
どうやら、この適度な厚みとボタンの配置が操作しやすい点、電測モードで電 池の保ちがよいなどの点が評価されているようである。でも TOSHIBA の新機 種 A271,A272 はそんなに評価が良くないのよね。
改善してほしい機能はとりあえず次の3点だ。
着信音設定を無音にしたらバイブレーター着信に切り替ってほしい
キーロックしていてもキーライトが光ってほしい
着信メロディーをMMLで入力したい
▼1996/12/08はれ:寒い(^^;;
かなり久しぶりの更新である。ホームページの更新もままならない自分がな さけない。
ところで、PHS の話題であるがいよいよ ASTEL でもホームアンテナの発売 が計画されているようである。(^O^)/
我が家でも3Fの窓際およびロフトではアンテナ2本立つのだが、発信がま ともにできない。ってことは、着信できてもまともに話せない可能性が高いのだ 。ロフトにホームアンテナがセットされれば、着信環境が改善される!!
(こんなこといったら、親機普及協会のぺけどん氏に怒られるかな??)
▼1996/08/27あめ:涼しい
先日の新聞に、NTTのクレジット通話が値上げの続報が掲載されていた。それによると郵政省の諮問機関がこの値上げを審議したそうで、委員の一人 が、「公衆電話より安く通話できることを売り物にしていたので問題がある」と の意見を出し、反対したそうである。(賛成4人、反対1人)
通常この手の審議で反対することは珍しいそうだが、普通の感覚ではおかし いよな絶対。この反対した委員だけが「まとも」じゃないのか?
さて PHS の方だが、25日にわが家に来客があり、彼の 202S によって NTT-P の電波が室内にとどいていることが判明した。発信できるほど強くないようだ が、NTT-P ならばホームアンテナを使えば公衆モードでの使用が可能になる。
ASTEL はホームアンテナを作る気がないようだが、こんな調子ではどんどん NTT-P に水をあけられてしまうぞ。最近住宅地にもアンテナ上げてるんだから 、わが家の前の電柱にも 200mW のCSを付けてね。>ASTEL
▼1996/08/22はれ:あつい
今日は東京に出張。新幹線で移動中に「あの」中部アステルのエリアである 名古屋を通過した。早速駅でエリアチェック..といっても当然圏外である(*1)
しかし転んでもただでは起きない私は早速「電測モード」に切替。すると、 おぉっ。CS番号が表示されるではないか。そう、電波はとどいているのだ。で も圏外。きっと位置登録で「無効な端末」としてはねられているのだろう。(← これ推測です)
新横浜で駅のCSをみたら ASTEL のロゴがでかい!かなり自己主張してい る。アステル関西はロゴなんか入ってない(入っていても見えない)。これって 結構、「アステルって、駅に強いぜ!」と思わせる作戦なのかもしれない。
*1 --- 現在アステル中部は他のアステルグループの端末を利用できない。着 信はもちろん発信すらできないのである。
▼1996/08/17くもり:涼しい
今朝の新聞によると、公衆電話から利用するNTTのクレジット通話が値上 げになるようだ。いままでは、加入電話か公衆電話か区別がつかなかったので、 公衆電話からのクレジット通話も通常料金だったのだが、秋から公衆電話の料金 体系にするそうな。
ひとこと言わせてもらう。「かなりあくどいぞ!!」
それは、1ヶ月ほどまえのこと。日本橋のNTTでかなりしつこく,この「 クレジット通話」の勧誘をうけたのだ。(営業新人のセールス実習のようだった )そこでは、「加入料金で公衆電話が使えます」と売込んでいた。月額100 円を払う(*1)のがバカらしい私は当然申込みしなかったが、あの調子で勧誘して おいて秋に値上げとは。まぁ、利用者は解約すればすむ話だが、どうも釈然とし ない。この時点で値上げは決っていたのではないか?まぁ、末端まで知らされて いるとは限らないのだが、やっぱり市内網独占は弊害が多いのでは?と短絡的に 思ってしまう。はやく市内網の自由化が実現しないものだろうか?
*1 -- NTTのクレジット通話は月額100円がかかる。こんなサービス無料 にしてもいいとおもうのだが。トーンダイヤル(プッシュホンのこと)有料も訳 わからんが。
ちなみに、日本テレコムのクレジット通話(公衆電話から日本テレコム経由の 電話ができて、料金は口座振替)は申込みも基本料金も無料である。クレジット 通話用テレカもタダで送ってくれる。
▼1996/08/16はれ:あつい
家の中では、Z121が親機,A171が子機のコードレスホンとして活躍している PHSだが、ひさしぶりに家の中で A171 を公衆モードに切替えてみた。すると 、いままで天井裏のロフトでしか入感しなかった電波が来ている!アンテナ2本 だ。早速自分の家に電話してみるが,かからない。逆に呼出してみると、PHS はなるのだがつながらない。
もっとアンテナがほしい。こんな誤解を与えるようなPHSに,未来はある のだろうか?来年の 32kbps サービスが心配である。
▼1996/08/14はれ:あつい
かづひ氏の好意により、このホームページを開設することができた。いざ作 るとなると結構面倒なものだ。企画、文章すべて自分が頼り。
かづひ氏のページが更新されないのもうなずける【笑】
夕方から友人がわが家に遊びに来た。Visual BASIC の話をしていて、リソ ース不足の原因がどうやら Windows にあるらしいことを聞いた。form 上の多数 のコントロールを移動させたり色を変更すると GDI リソースの解放に取りこぼ しがでてリソースが不足するとのこと。
じゃ、24時間実行するにゃ,どうすればいいの?と Microsoft に聞きたくなってくる。Windows 3.1 では連続運転するなって ことか?でも、MS をつかわざるを得ない現実が悲しい。
▼1996/08/13夕立:わりと涼しい
今日は一日だらだらとしていたが、夕方買物に行く途中に ASTEL の新しい アンテナを発見する。このへんは田舎の住宅地なので、突然アンテナがあるとび っくりする。CSは高出力タイプのようで楽しみである。早速電測モードで確認 するが電波がでていない。よく見ると保安器がついていない(;_;) 。
はやくうちの近くにもアンテナつけてね >ASTEL
                 
パチもん研究所
http://www.kaduhi.com/taniguchi/welcome.html
              
HP-LX World
http://www.kaduhi.com/
http://www.st.rim.or.jp/~kaduhi/
http://kaduhi.com/links2friends.html



1995年5月18日木曜日

[ソフト] ネットスケープナビゲータ

plug-n-play-mosaic ,1991

Netscape Navigator







ネットスケープナビゲータはそれからどうなったのか~20世紀末ブラウザ興亡史~
インターネットインターネットの歴史   
2010年10月22日
前回、『AOLタイム・ワーナーはそれからどうなったのか』においてAOLタイム・ワーナーの行方について触れました。
そこでもちょっと触れましたが、合併した時の巨大なグループの中には「Netscape」というものが見られます。
今日はそのお話で。
Boxed Netscape Navigator
Boxed Netscape Navigator / Marcin Wichary
■かつて存在したブラウザ、Netscape Navigator
さて、このNetscapeをご存じの方、今ではどのくらいいらっしゃるでしょうか。
近年はすっかり聞くことが減ってしまった名前ではありますが、インターネット黎明期では、ネット利用者においてこの会社の名前、そしてここの製品である
「Netscape Navigator(ネットスケープナビゲータ)」
を知らない人の方が少数だったくらい、知名度の高いものでした。
一応説明しておくと、これはインターネット閲覧用ブラウザ。
今このブログを見るのに使っておられるであろうものです。
先述のように1990年代のWindowsパソコンにおいては、現在ブラウザ全体の半数以上のシェアを誇るインターネットエクスプローラと並ぶくらいの使用率だったこともあるものです。ちなみにメールソフトなどを合わせた統合アプリとして「Netscape Communicator(ネットスケープコミュニケーター)」と呼ぶこともあります。
では、そのNetscape Navigatorは、そして開発元のNetscape社はどうなったのかということを、1990年代後半から2000年代前半のネットブラウザ史(主にWindowsの)のことについても加えて書いていこうと思います。
■源流のWebブラウザ、Mosaic
plug-n-play-mosaic / finalcut
世界初のWebブラウザは、1991年2月に公開された「WorldWideWeb」というもの。
そしてインターネットにおける研究、開発とともに、それを閲覧できるブラウザの開発もなされましたが、それまではテキストと画像を別々に見ることしかできませんでした。そこに1993年、インライン画像を扱うことができるブラウザ、「Mosaic」が当時イリノイ大学の米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)から発表され、ネットブラウザの代名詞となります。
そのNCSAでMosaicの開発に携わり、分離、独立したマーク・アンドリーセンらは、Silicon Graphics社の創立者ジム・クラークとMosaic Communications社を立ち上げます(のちに抗議によりNetscape Communications社へと名称変更)。
そこで1994年に開発されたのが
「Netscape Navigator」(以下NN)
(最初の名前はMosaic Navigatorでしたが、NCSAの抗議により名前を変更)。
このブラウザは非常に高機能で、多くの利用者に使われることになります。
当初はUNIXでの利用が多かったようですが、そのうちパーソナルコンピュータ用も作られ、利用者が急増しました。
一時期はインターネット接続ブラウザといえば、ほぼイコールNNという時代もありました。
ちなみに現在のブラウザはほとんどのものにおいてイコール無料となっていますが、この時代のNNは有料でした。
■ライバル、Internet Explorerの登場
しかし、1995年。Windows95が発売され、パーソナルコンピュータ(Dos/V機)のOSとして爆発的に広まってゆきます。
そこでインターネットの広まりを予測していたWindowsはインターネット機能を強化し、そのひとつとしてマイクロソフト社製インターネットブラウザ、Internet Explorer(以下IE)がリリースされます。
これは、 NCSAからライセンスを受けたSpyglassからさらにマイクロソフトがライセンスを受けることで開発されたもので、源流にはネスケと同じ、Mosaicがあります。
1995年8月にリリースされた初代IEには利用者があまりいませんでしたが、1995年11月にリリースされた2.0を経て、1996年8月に発表されたIE3.0で、当時のNN3.0と対立することになります。ここにはじめての本格的なブラウザシェアの奪い合いが発生しました。
しかしここではまだIEよりも機能的、安定的にNNのほうが優勢でありました。
Internet Explorerの爆発的普及
Internet Explorer 4.0 / theadamant
しかし1997年、IE、NNともにバージョン4を発表します。
ちなみに正確にはここでNetscape社はNNをメールソフトなどを含めたWebアプリ統合環境
「Netscape Communicator」(以下NC)
の一部とします。
ここでマイクロソフトはこの時点のパーソナルコンピュータ市場で圧倒的なシェアを誇っていたWindowsとIEの連携を深めます。
それにより、IEのシェアが急増してゆきます。
しかし、このWindowsとIEの統合がもとで、マイクロソフトは後に数々の独占禁止系訴訟を起こされることとなります。
参考:IE特許訴訟、裁判所がマイクロソフトの訴えを却下 - CNET Japan
■参考:グーグルもInternet Explorerをめぐる反トラスト訴訟に加わる - オール・アバウト・マイクロソフト - ZDNet Japan
ただ、IEシェアの増加はWindowsへのバンドルによる力だけではありません。IE4.0はHTML 4.01やCSS 1といったものを採用し、当時としてはかなり高度に成長したブラウザだったのです。反面、NNはバグだらけのものであり、かなりエラーや表示ずれが起きていました。それにより、バンドルや無料もあり、IEをメインに使う人が増えてきました。
ほかにも、まだNNが有料であったのに(とはいえ、この頃から個人では試用版など無料で使う人は多かったですが)、IEが無料で配布されていたこともシェアの増加につながりました。
そして1998年には、それまで有料だったNCを無料化。まあ私の記憶では、それまでに一般ユーザーは事実上無償使用出来ていたような感じでしたが。
■ネットスケープ社が「Netscape Navigator」の無償配布開始
しかし、IEの勢いは止まらず、Windows98が出る頃にはIEがかなりのシェアを占めてゆくようになります。
Netscape Navigatorの衰退
1998年10月、NC4.5がリリースされますが、基本的には4.0シリーズとは変わりませんでした。
そしてこの頃にはすでに、IEはNCを抜きトップブラウザとなっていました。
そしてこのリリースの一ヶ月後、1998年11月に、Netscape社は当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったAOLに買収され、傘下となります。
■AOL、Netscape買収で正式に合意(1998年の記事)
しかし、IEの優位は変わらず、シェアの差はどんどんついてゆくことになります。
そして、1999年3月にはIE5が発表されます。
一方、NCのバージョン5は開発はされていたものの、なかなか発表されませんでした。
その間にIEはどんどんシェアを伸ばし、約9割にまでなります。
Mozilla誕生
KF-front-OSX-netscape6 / Knight Foundation
しかしその一方でNetscape社は次世代のWebアプリのためのフリーソフトウェア及びオープンソースプロジェクト、
「Mozilla」
を行っていました。
ここでは全く新しいレンダリングエンジン「Gecko」の開発を行い、独自ブラウザのMozillaにもその技術が使われていました。
そんな折、Netscape Communicator5の開発を中止し、既存のルートを破棄、そして同社が中心となったオープンソースプロジェクトのMozillaを利用したものに差し替えるとの発表がなされます。
2000年11月14日、Mozillaの技術を利用したNetscape6.0が出されましたが、まだこれはMozillaプロジェクトの中では未完成のようなもので、かなり重く、そしてバグも多かったために、シェアの回復には至りませんでした。
Netscape日本撤退とFirefoxの誕生
Firefox logo / Titanas
2002年8月、Mozilla 1.0.1ベースのNetscape7、そして2003年6月にはMozilla 1.4ベースの
Netscape7.1
が出されますが、シェアは回復しませんでした。
ちなみに2004年当時のシェアはIE群が95%以上という圧倒的なものでした。
■参考:Web資料館-ブラウザのシェア調査
そしてNetscapeの日本法人も撤退し、日本語版はこの7.1が最後となります。
その後、MozillaプロジェクトはそれまでのNetscapeやMozillaブラウザなどを経た後、その集大成として新ブラウザ、Firefoxをリリースします。そしてそれは再び(6以降あまり評判がよろしくなかった)IEと争うことになり、現在につながります。
Netscapeの開発終了
Netscapeですが、AOLでもNetscapeチームが大量にレイオフされ、開発は外部への委託となります。
そして2005年、
Netscape Browser
という名前で、バージョン8がリリースされ、その後2007年まで8のまま続きます。
2007年1月23日、新しいスタンドアローン版ウェブブラウザのNetscape Navigator 9のリリースが表明され2007年10月15日に9.0の正式版が公開されましたが、この頃はすでにFirefoxもバージョン 2.0になっており、新たな必要性がありませんでした。
そして2008年2月20日、とうとうNetscape最後のバージョンとなる、9.0.0.6が公開され、これをもって開発の停止及びFirefoxへの移行推奨がなされました。
■Netscapeが開発終了。AOL、ブラウザ開発事業から撤退 : ネットPR.JP - netpr.jp -
OperaとSafari
Safari 3 Public Beta Windows Version / FHKE
ここで抜かすと一部の方から怒られそうなので、OperaとSafariについても少し。
Operaの歴史は意外と古く、1996年にはOpera 2.0がリリースされています。
2000年リリースOpera 4.0ではいち早くタブブラウジングが実装されておりました
2002年には日本語版も発表され、IEが圧倒的主流だったこの当時、IEを嫌う人たちの受け皿になっていました。
そのうち無償化し、独自の利用者を得ていましたが、どちらかというとOperaが強かったのはPCよりモバイル機器でのブラウジングで、Wiiやケータイなどでの利用が現在でも数多くあります。
Safariは、アップルにより開発されているウェブブラウザで、2003年6月に公式版が発表。それまでのMacではNetscapeシリーズやInternet Explorerが標準ブラウザとして使われてきましたが、ここからはこれがMacにおける標準ブラウザとなります。
とはいえ、あくまでMac専用のブラウザであり、Windowsなどでの普及率は低いものでしたが、近年、iPhoneなどのApple製品が広まるにつれ、それらにも標準で搭載されているSafariの存在感は確実に増した感じです。
※2014/12/22追記
ただ、SafariはWindows用のブラウザとしては事実上手を引いており、iPhoneやMacなど自社製品向けのブラウザとなっています。

Time Steps
http://timesteps.net/archives/1327866.html







現在のブラウザ戦争
2010
Przerabianie aplikacji z Androida do Chrome / download.net.pl
現在はInternet Explorer、Firefoxのほか、OperaやSafari、そしてGoogle Chromeまで加わり、再びブラウザ戦国時代となっております。
■参考:IEのブラウザシェア増加に転向、IE6も増加 | エンタープライズ | マイコミジャーナル
相変わらずIEが半数以上ですが、FirefoxやChromeもジリジリとシェアを上げている状況です。さて、数年後にMozillaの系統はIEを抜くことはあり得るでしょうか。
※2014/12/22追記
2014年時点でのデータはこちら。
■IE11がシェアトップ - 10月ブラウザシェア | マイナビニュース
IEが過半数を保っているものの、Google Chromeがジリジリとシェアを伸ばしている感じ。
そのうちIEに過半を切らせることが出来るようになるのでしょうか。
ちなみに私はブログをいくつか持っていますが、一ヶ月にごく少数、ネットスケープナビゲーターで閲覧されている方がいらっしゃるようです。使い続ける意思は好きですが(もしかしたら知らないでやってるのかもしれないけど)、セキュリティには気をつけてください。
※2016/1/10追記
今だとさらにスマホブラウザの割合が大きくなり、それに強いSafariやChrome、そしてその他もブラウザも、もはや無視する事が出来ず、混迷機に入っている模様です。
そしてWindowsPC用のマイクロソフト製ブラウザもEdgeにと継承されました。
IE10までのIEも今月でサポート終了、やがて完全サポート終了する時代が来るのでしょう
■Tech TIPS:古いInternet Explorerは2016年1月にサポート終了! その対策は? - @IT

Time Steps
http://timesteps.net/archives/1327866.html




1995年5月1日月曜日

1995年4月2日日曜日

[機器][携帯電話] 東京デジタルホン-J-Phone/Kenwood DP-134




[機器][携帯電話] J-Phone/DP-134
携帯電話遍歴
2008/5/4(日) 午前 10:59
携帯電話 携帯電話
引越しの準備のため、少しずつ荷物をまとめているところ・Part-4。
これまで使ってきた携帯電話だ。
私はSoftBankの携帯ユーザー(J-PHONEの時代からずっと)。
◆初代:DP-134
初代はKENWOODのDP-134。
液晶はモノクロ(当時はそれが当たり前)で、6文字×3行表示。
イルカをイメージした「ドルフィンライン」という流線形のボディがそのころは目新しく、形が気に入ってこの機種にした。 
当時、「(藤原)紀香ケータイ」として一世風靡し、J-PHONEのシェア急拡大に貢献したらしい。
◆2台目:J-SH01
2台目はJ-SH01。
J-PHONEにおけるSHARP初代機。
私はこれ以降ずっとSHARPを使っている。
液晶が当時としては大きい8文字×6行表示。
(当時、他のは2行~せいぜい4行程度だった)
液晶の大きさと、バックライトが明るくきれいな青緑色のELなのが気に入ってた。
◆3台目:J-SH02
携帯初のカラー液晶搭載機。
ちなみに厳密に言うと、カラー液晶は、発表は本機が世界初だったが、発売はDoCoMoのF502iに先を越された。 
で、液晶は8文字×7行で、かつ256色表示可能なカラー液晶。
事前にどこからか情報を仕入れて、発売日(か、せいぜい数日後)に機種変した記憶がある。
◆4台目:J-SH04
携帯初のカメラ搭載機。
カメラそのものはワタシは特に必要ではなかったが、目新しさを演出するには十分だった(笑)
液晶は8文字×9行。画面が広くなったのもさることながら、
SH02に比べると遥かに画面が明るいのに惹かれた。
備考:
この次に、携帯初のTFT液晶搭載機であるJ-SH05が発売された。
液晶フェチ(?)なワタシはこれもかなり欲しかったが、SH04の機種変から時間がたってなかったこともあって、機種変できなかった。
◆5台目:J-SH08
イメージ 6携帯初のカラーサブ液晶(背面液晶)。
登場したときは「裏までカラーにするか!?」と思ったものだが、ワタシは飛びついたのである(笑)
ただし背面液晶は画面が狭く細長く
また暗く発色が悪かったため視認性はあまりよくなかった。
メイン液晶はサイズはSH05から変わらず
TFTの120×160ドットだが、1670万色表示可能で、かつ、さらに明るくなっている。
熱心に機種変してたのはこの頃まで・・・
それまでハイエンドのSHARP機を選び続けてきたが、ほどほどの性能でそんなに重くないものを望むようになった。
◆6台目:V301SH
V301SH。
これはVodafoneのラインナップの中ではむしろエントリーモデルになる。
「携帯初」の機能は何もない。
ただ、エントリーモデルながらメイン液晶は2.2インチQVGA(240×320)、
サブ液晶は64×96ドット。
必要十分な液晶を搭載していて、かつコンパクトで薄く、軽かった。
けっこう長く使ったな。2年ちょい?
備考:
このしばらく後に携帯初のVGA液晶搭載機であるVodafone 904SHが発売された。
2.4インチでVGA(480×640ドット)ということは、解像度としては333dpiとなり、普通の印刷物よりも解像度が高いことになる。
実際、液晶に目を近づけて見ても、ドットは見えないくらい細かい。
ただ、やはり重いし、このときは3Gにしたくなかったので、機種変せず。
◆7台目:810SH
SoftBankの810SHで、現在使用している端末である。
これも、特に「携帯初」の機能はない。
ただ、VGA(480×640ドット)液晶が(当時としては)だいぶコンパクトな端末に収まるようになったので機種変してみた。
コンパクトといっても上のV301SHよりは大きくなってしまったのだが。
3Gで、SoftBankらしい新しいサービス(Yahoo!連携など)やおサイフ機能などあるが、これらの機能はほとんど使ってない。
携帯に音楽を落として聞くというのも当初はやったが、胸ポケットに入れるには重くまた使い勝手もイマイチなので、使わなくなった・・・
ただ、パソコン用のWEBサイトも見れるブラウザを搭載しているので、たまに出先で調べ物をするときなどに使っている。
「最近の機種らしい使い方」で、VGA液晶の高解像度が役に立つシーンだ。
他は、サブ液晶が、消灯しているときは鏡のようになるのが気に入ってる。
携帯を選ぶのはもうそんな理由になってきた・・・
これも1年半くらいになる。
もうこれ以上の機能はいらない(ワンセグも)。薄いのが欲しいな・・・
iPhoneがSoftBankから出たら、SHARPをやめてiPhoneにするかで激しく葛藤しそうだ。。。
いかん、こんなことばっかりしてると引越しの片づけが全然進まない(笑)

Fill her up!
https://blogs.yahoo.co.jp/mappleaflet/37620017.html





我がケータイ史
2009/1/3(土) 午前 4:11
備忘録 その他趣味
今使っているケータイを見て思った。
何てカラフルなんだ、と。
最初に使ったケータイは2行表示モノラルだったのに...
たかだか10数年で凄い進歩だよ。
最初にケータイ、いやPHSを買ったのは大学に入ったすぐ。
高校の頃はポケベルを持ってなかったせいか、嬉しかった記憶。1997年頃だったか。
今は亡きキャリアである「アステル」。
覚えている人の方が少ないのかも知れない。
画像はなかったが、三菱製のフリッパータイプだったはず。
あの頃はケータイよりピッチの方が安かったしなー。
◆J-Phone/DP-134
しっかーし、ガビーンとカッコいいケータイを見つけて
J-Phone (今のソフトバンク)に乗り換えてみた。
この頃はまだデジタルホンだったかな?
ケンウッドのドルフィンライン。欲しい色がなくてなくなく黒を買った記憶。(1998年/DP-134)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_0?1230923467
◆J-Phone/J-P01
それから、1年毎に新製品に替える事が数年続く。
どうも飽きっぽいようで。(1999年/J-P01)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_1?1230923467
◆J-Phone/J-SH03
次はシャープ製にしてみた。
以後、しばらくシャープ製が続く、使いやすかったから。
この頃からディスプレイがカラーになった。(2000年/J-SH03)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_2?1230923467
◆J-Phone/J-SH07
次は折りたたみ型に替えてみた。
ちょっと前から流行りだして妙に羨ましかったのだ。
この頃からカメラケータイになりだした。
写メールが流行ったのはこの頃だったかな? (2001年/J-SH07)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_3?1230923467
◆J-Phone/J-SH51
次はSDカードが付くようになった。
でも、それだけでそう変わり映えがしなかったかも。(2002年/J-SH51)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_4?1230923467
◆J-Phone/J-SH53
で、次はデザインだけで乗り換えた。
この頃からボーダフォンに変わる。
ジーンズと一緒に洗濯してダメにしてしまい、同じ端末をもう1台購入した記憶。(2003年/J-SH53)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_5?1230923467
◆DoCoMo/P900iV
東京に転勤になったのを機に、ドコモに替えた。
理由はなんとなく。
あと、シャープが嫌いになったので、メーカーも替えた。
何だか変なケータイだったなぁ。(2004年/P900iV)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_6?1230923467
◆DoCoMo/SO902i
さすがに折りたたみケータイが飽きてきてた。
よって、久々のストレートタイプ、やっぱりソニー好き。
ボタン操作はやりづらかったのが難点。(2006年/SO902i)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_7?1230923467
◆DoCoMo/SO905iCS
これはつい最近。
端末価格が高くなって、頻繁に替える気がトンとなくなった。
スライドタイプのごっついケータイに憧れて替えてみた。
サイバーショットケータイ、本当にゴツい...(2008年/SO905iCS)
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/cf/82/gtbt9212/folder/1510729/img_1510729_59616689_8?1230923467
あと10年経ったらどうなってるんだろ?
ふと思った正月休み。

Good Times Bad Times
https://blogs.yahoo.co.jp/gtbt9212/59616689.html






私はかつて、なぜか携帯電話に異常に興味を持っていた時代がありました。
その当時は買うわけでもないのに、カタログをもらってきては、いろんな製品の機能等のマニアックな情報を趣味的に集めていました。
スマホが全盛となった今では、ほとんど興味がなくなってしまいましたが・・・。
ちなみに私の携帯電話の機種歴は以下のとおりです。
①1998年 ケンウッド DP-134(J-PHONE)・・・ドルフィンラインのデザインが秀逸。
②1999年 シャープ J-SH01(J-PHONE)・・・初めてのWEB対応。
③2000年 東芝 J-T04 (J-PHONE)・・・初めてのカラー液晶。釣りゲームにハマる。
④2002年 シャープ J-SH52(J-PHONE)・・・初めてのカメラ機能。30万画素。SDカード対応。
⑤2004年 シャープ V602SH(vodafone)・・・初めての光学ズーム。200万画素。アプリのゲームにハマる。
⑥2007年 シャープ 910SH(SoftBank)・・・カメラが500万画素。見かけはまるでデジカメ。
⑦2009年 シャープ 930SH(SoftBank)・・・ワンセグを多用している。もうこれ以上携帯に望む機能はない。

事務系公務員の『仕事に効く』文房具
https://blogs.yahoo.co.jp/suvemanju/30694221.html







シャープの歴代ケータイ端末
2015/3/16(月) 午後 10:56 電子技術関連 スマートフォン
【情報端末】携帯電話端末 歴史
◆ガラケーはどう進化してきたのか - シャープ20年のケータイの歴史を振り返る
マイナビニュース(2015/1/24)
『 シャープがAndroid搭載でスマホ的な要素を搭載したケータイ「AQUOS K」を発表したことが話題になっている。
シャープは、1月21日に開催した同端末の発表会において、2015年は携帯電話業界参入20年目の節目にあたるということで、
会場に歴代のケータイを展示。
これまでの歩みを紹介した。
1995年:シャープ初のケータイ「DP-201」登場
シャープが携帯電話市場に参入したのは1995年。
デジタルホン(現:ソフトバンクモバイル)の端末として「DP-201」を発売した。
当時はまだiモードをはじめとする携帯電話IP接続サービスがないだけでなく、国内でも地方への移動の際にはローミングが必要という時代だった。
その後1997年に、コンパクトでキーパッド部分のカバーを開閉して使えるタイプの「SH201」でNTTドコモへの参入も果たしている。
左がシャープ初のケータイ「DP-201」、右が「SH201」
1998年:WEBサービス対応第1号機「J-SH01」、1999年:初のカラー液晶モデル「J-SH02」
1997年にはNTTドコモの「10円メール」やJ-PHONEの「Sky Walker」といった携帯メールサービスが開始され、
1998年にはJ-PHONEのネット接続サービス「スカイウェブ」がスタートしたが、その対応端末として「J-SH01」が発売された。
「スカイウェブ」のWEBサイトを閲覧でき、画面に48文字表示できるなど当時のケータイとしては大画面であることが話題に。
ただし、画面はモノクロ表示だった。
左が「J-SH01」、右が「J-SH02」。
また、中央はケータイとしてもPHSとしても使えるドコモの「ドッチーモ」対応端末である「SH811」
WEBサービス対応に続くシャープのケータイ開発のトピックは「カラー液晶」だ。
1999年、「J-SH01」を小型軽量化した上でカラー液晶を搭載した「J-SH02」を発売。
当時はNTTのiモード対応機種もカラー液晶搭載携帯が登場し、携帯はただWEBサービスが利用できるだけでなく、液晶のきれいさを求められるように。
その後、2000年にはシャープ初の二つ折りケータイ「J-SH05」ではTFTカラー液晶を搭載し、6万5536色が表示できると話題になった。

技術屋みやびまん
https://blogs.yahoo.co.jp/miyabiman_now/26501019.html









車上荒らしにあい、半年で解約。
しばらく携帯の無い生活を送ったが、やっぱり必要に迫られ購入。
DP-134(ケンウッド製)。
当時、アンテナ3本仕様が普通だったが、液晶が別にあり、パワーゲージで表示される異色機。
ただ、ボタンがゴムだったので早打ちが出来ず。
(ファミコンの四角ボタンが連射できないのと同じ)

風呂くん・はぁと
https://blogs.yahoo.co.jp/nexttinmemachine/15511373.html




まだいけるぞ!
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2006/9/10(日) 午後 2:03
a その他文化活動
今日の午後早く、前々から懸案事項だった
「東京デジタルホン時代の携帯電話(PDC)は、今でも携帯電話として使えるのか?」
を試してみた。まずは近くのボーダフォンショップへ。
「持ち込み新規でこの電話登録できるかな?」
とショップのオネーチャンに相談開始。オネーチャン初めて古い携帯電話を見るらしく、コネクタ位置がわからない。
ちなみに機種は東芝の名機DP-172。裏面にあるんですなこれが。
「まずは登録できるかどうか確認してみます」
と店の奥へ。待つこと数分「これから確認しますので製造番号を教えてください」電池パックをはずして製造番号をメモしてもらい、オネーチャンは再び奥へ。
そしてオネーチャンは出てくるとこういった。
「登録完了まで30分くらいかかりますのでご連絡先をこちらに書いてください。完了次第連絡しますので・・・」
というわけで連絡先を記し、ショップを出た。マックで軽く昼を食べ、ゴールデンバットを3本吸ってもういいかな、くらいの時間になったのでショップへ戻る。
できてました!
DP-172復活です!
故障したら後にはDP-174が控えています!
まだまだいけます!みんんなも古い電話器をもっていたら試してみよう!
ただし、ツーカー、ドコモのシティフォン、ドコモPHSは新規受付は終了しているのでできませんので念のため。

凡庸なるつれづれ
https://blogs.yahoo.co.jp/kenbo9454/41591284.html