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1995年8月7日月曜日

[機器][PDA] hp 200LX(MorphyOne)









HP200LX のハードウェア
200LX は今でこそ貧弱な性能ですが…1994年の発売時点ですでに見劣りのするスペックでした。
当時の標準的なパソコンとして93年末発売の PC-9821Ap2と,200LX,LX シリーズ初代となる 95LX ,それに 200LX のベースとなった IBM-PC/XT のスペックを,表にして比較してみましょう。
■OS
200LX は XT をベースにしているとはいっても,XT よりは良くなっています。
とはいえ,同時期のデスクトップ機に比べると性能は雲泥の差…
こんなに性能が低くても名機と呼ばれるのは,200LX が「携帯できるパソコン」という明確な方向性を持っていたためです。
ノートマシンというのは当時すでにありましたが,移動できるだけで「携帯」とまでは行かないものでした。200LX はポケットに入れやすいサイズ・重量に設計されていましたし,立ったまま入力しやすいように設計されていました。
その設計の犠牲となって各部はプラスチックで破損しやすく,トラブルが絶えなかったとしても,携帯できるパソコンを求める人にとっては,200LX は他に変えられるものがない名機なのです。
■本体サイズ
200LXの本体サイズは,閉じた状態で 幅158x奥行き86x厚み26mm となっています。
サイズ比較このサイズは,「ポケットコンピューター」である PC-E500よりも小さい。写真は,PC-E500 の上に重ねた HP200LX。
何気なく見れば「ふぅん,確かに小さいね」というくらいのサイズなのですが,実はこの数字は「絶妙な」バランスを生み出しています。
シャツのポケットに入る奥行きの 86mm という数字は,普通のシャツの胸ポケットの幅でちょうど入るくらいのサイズです。ポケットに入れるとき,幅158mm というのは「上にはみ出る」のですが,これはそれほど問題のあることではありません。
200LX では,「PCを携帯する」というのが鞄に入れて持ち歩けるという意味ではなく,いつでも取り出せる位置にあるということです。
200LX 以降さまざまな携帯PCが作られましたが,胸ポケットに入る大きさに作られている物はありません。他機種は,すべて「鞄に入れて持ち運べる」サイズに作ってあるのです。一度使ってみるとわかることですが,これは使い勝手に大きな差を与えます。
幅の 158mm というのも,実は入力時に重要な意味を持つ絶妙なサイズとなっています。詳しくは次の「キーボード」の項でお話しましょう。
■キーボード
200LX のキーボードは,賛否両論別れる所です。「あんなもので入力する事は出来ない」と言いきる人もいますが,多くのユーザーは「慣れればまったく問題無し」と言います。
「慣れれば」というのが重要で,通常のキーボードとは違う物だ,というのは事実でしょう。
キーボードまず,配置が違います。キーボードをコンパクトにする時,まずはテンキーが削られる事が多いのですが,200LX ではテンキーを残して,英字配列上段の数字キーを無くしてしまいました。
ここらへん,200LX が「高級電卓」として開発されているためで,ポケコンと同じ発想でしょう。
余談ですが,Shift キーは押してすぐ離すと「シフトロック」します。これもポケコンと似た発想です。
通常数字キーが並ぶ所には,独自のアプリケーションキーが並びます。また,キーボード右端の方の記号類は,テンキーのShift状態などに移動しています。
ここで重要なのは,このような「配置替え」は大胆に行われているものの,根本的に「無くなった」キーはないと言う事です。200LX を PC として見た時,すべてのキーがそろっているというのは,あたりまえなようで実は重要な事です。
200LX のキートップは 7mm と小さいのですが,キーとキーの間に十分な余裕を持って配置されています。このため,間違えずに「ひとつの」キーを押すために使える面積は 14mm 確保されていて,隣りあったキーを間違えて押す事が無くなっています。
親指タイプ200LX のキーは,「本体を両手で持って,親指でキーを押す」という設計思想で作られているそうです。立ったままでも使える,まさにどこでも使えるコンピューターと言う発想です。
ここで,本体の幅が 158mm であるということが重要になってきます。このサイズであれば,両手でしっかりと本体を持った時に,親指がすべてのキーに届くのです。…ただし,大人のアメリカ人男性の手であれば。
日本人の手では,「しっかりもつ」と中央にまで親指が届きません (^^; ただし,「軽く持つ」ようにすれば問題はありません。
最後に,キー配置の特徴として,右上に寄せられたカーソルキーを挙げておきます。通常,PCのキーボードではカーソルは右下にあるのですが…
実はこの位置を持つと,縦でも横でも200LX の重心を支えられるようになっています。
ゲームはもちろん,テキストビュワーなど「カーソルのみで操作出来る」ソフトは数多くあります。カーソルキーを使う時に最も安定する,というのは,使い勝手を十分に考慮した上での配置変更と言えるでしょう。
■画面
200LX は PC/XT 互換機です。なので,画面も CGA となっています。
…と言っても,日本では XT 互換機に馴染みが薄い(XT の時代,日本では PC-9801 が普及していました)ので,まずは CGA の説明からしましょう。
CGA は,白黒 640x200 dot ,もしくは4色カラー 320x200 dot を表示出来る画面アーキテクチャです。200LX も,この両モードに対応しています。とはいっても,カラーは出ないので白黒4階調となりますが。
よく 200LX を白黒2値のマシンだと思っている人がいるのですが,それは日本語を表示するためにドットの細かい白黒モードを使っているからです。日本語を使わないのであればテキストでも4階調表示が可能で,この場合は 640 dot(横8dotのフォントで80文字) で白黒4階調のテキストが表示されます。
ともかく,200LX の画面は,「CGA です」の一言で終わりです。表示からメモリマップまで,何一つ特徴はありません。
実は LX シリーズ最初の機種であった 95LX では,XT 互換を謳いながら画面だけは非互換でした。ちょうど 98HA がそうであったように。
その点,200LX で「完全な XT 互換」が実現されていたことは非常に重要なのです。

魔法使いの森




MorphyOneの軌跡
MorphyOneプロジェクトの歩んだ道を再確認するサイト。
技術的な検証は2chモバイル板かnomore-あれへどうぞ。
より詳細を知りたい方はMorphyWikiへどうぞ。
2ちゃんねるMorphyOneスレッドダイジェストを作りました。
Since 2002/11/14 00:35
Last Update 2003/04/16 23:25
各章へのリンク 序 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11
● 序章 MorphyOne、その過去と今
「MorphyOne」という名をご存知だろうか。
1999年末、各種雑誌・メディアにて取り上げられた期待のPDA(情報携帯端末)、いわゆるモバイル機の名である。
PDAの名機として未だ愛用者も多く、根強い人気を誇る「HP200LX」に代わるものとして注目されたのだ。
しかしそれだけでマスコミに取り上げられたのでは無い。
これはある一個人により事実上全ての開発が行われ、更にその設計は全てオープンにして自由な参加を促すという
「オープンハード」
の思想を持った画期的なものだったのである。
当初の計画では、2000年4月頃には組み立てを開始し、第1次ロットとして850台が配布されている予定であった。しかし2002年11月現在、配布はおろか試作基板も完成していない状況が続いている。
このプロジェクトに一体何があったのか、今どうなっているのか。
このサイトは現在に至るまでのありとあらゆる紆余曲折、そして経緯をできるだけ事実のみ伝えることを目的として作成した。
筆者の拙い文章力でそれができるか疑問ではあるが、もし見苦しい点があればご容赦願いたい。
尚、基本的な情報収集は2chモバイル板のMorphyOneスレッドで行っている。
寄稿や誤字脱字の指摘はこちらにご連絡頂きたい。
特に2年半もの出来事は筆者も把握できていないので、寄稿は歓迎させて頂く。
このサイトは「オープン」なのだから。
93-229@mobile

MorphyOneの軌跡
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/6906/

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/Morphy_One









● 1章 MorphyOne構想の源 ~HP200LXとは何か~
1999年8月、米Hewlett-Packard社はPDA「HP200LX」の生産中止を発表した。
これが全ての始まりであった。
では、そもそもHP200LXとは何だったのか。
元は1991年に遡る。
米Hewlett-Packard社から「HP95LX」というハードウェアが発売された。
当時の表計算ソフトの代表である「Lotus1-2-3」が標準で内蔵されている「電卓」としての発売だった。
しかしこれは世界初の「手のひらに乗るPC-XT互換機」だったのである。
つまり、この大きさでDOSソフトウェアが動作するという画期的なハードだった。
やがて日本でも輸入販売され、脚光を浴びることとなる。
しかし輸入販売だった為か、マニュアルまでもが英語での販売だった。
また、画面サイズが特殊であった(240×128ドット)為、そのままでは動かないソフトもあった。
しかしこのサイズで当時隆盛を誇っていたDOSの資産を使える、という事実は魅力的すぎた。
この魅力に惹かれた人間が知識と時間、技術を惜しみなく注ぎ込み、やがて英語しか使えないはずのHP95LXで日本語表示に成功した。
パソコン通信(NIFTY-Serve(現@Nifty)、日経MIX等)で情報交換を行った末の結果だった。
この出来事はあまりに衝撃的であった。これ以降、ユーザーの手によって技術情報が提供され、ソースコードが公開され、ソフト的な要求を徐々に満たして行った。やがて日本語化キットが完成し、市販されたのは特に大きな出来事と言える。ハードウェア面では後継となるHP100LXが発売され、HP200LXへと時代は移り変わっていく。それでも基本的な部分は変わらず、高速化とメモリの増加が主な変更であった。ソフトの資産は益々積み重ねられ、更にハードウェアに手を加えて更なる快適環境が目指されて行く。クロックアップやバックライト搭載も試行錯誤しつつも技術的に確立され、実行されていった。
HP200LX(以下の文中ではHP95LXやHP100LXを区別せず、便宜上全てHP200LXと単独表記する)というハードウェアに特別な機能は少ない。しかしテンキーの内蔵、DOSソフトが動作可能、軽量、小型、乾電池駆動。これらの用件を全て満たしたハードウェアというのは無い。ユーザーの力で発展したハードウェアは他にもあるが、そういったハードには概ね共通していることがある。「代替になるものが見当たらない個性」それこそがユーザーをひきつけ、長年愛され続けた要因であろう。
そして1999年7月6日、米Hewlett-Packard社によりHP200LXの生産中止が告示される。ユーザーは猛反対したが、それもむなしく同11月1日に生産中止された。中止前後、予備機として「買い溜め」を行う者が後を絶たなかった。また再生産を要望する署名運動が開始され、異例な事に街頭でも署名活動が行われた。
ただ私見ではあるが、実際に再生産が行われると信じていたユーザーは少数派だったのではないだろうか。HP200LXというハードウェアへの思い入れが、何かをさせずにはいられなかったのではないかと思う。この活動はHP200LXというハードがどれだけ愛されてきたのかを如実に示す出来事と言えるだろう。しかし愛故の反動として、生産中止決定後しばらくは米Hewlett-Packard社への怨嗟の声が絶えない状況であった。しかしHP200LXの国内販売開始は1994年9月。コンピュータという陳腐化の早い商品を5年間も製造し続けた米Hewlett-Packard社の企業努力も賞賛されて然るべきだろう。
とにもかくにも、HP200LXという名機の歴史はここで一つの区切りを迎えたのである。ユーザー達は今後、何を使えばいいのか悩んでいた。HP200LXが持っていた個性を持ったPDAは見当たらなかったのだ。予備機があるうちはいい、しかしその後はどうする?
・・・そんな声の中、一人の男が名乗り出た。「とよぞう」その人である。

MorphyOneの軌跡
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/6906/






参考資料:
HP 200LX日本語化キット開発秘話
● 2章 MorphyOneプロジェクトの誕生 ~とよぞう氏の登場~
「とよぞう」これは勿論ハンドルネームであり、本名は「佐川豊秋」と言う。産業系SEを名乗る彼は、1999年8月にNifty-ServeのFHPPCにて、Elan SC400というチップを用いた自作PDAの構想を発表したのだった。
このスペックは、多くのHP200LXユーザーの渇望してやまないものだった。簡単に言えば「高速なHP200LX」であるが、ユーザー達はそれ以上を望んでいなかった。DOSが動く、乾電池が使える、CFが使える、10キーがある、小さく軽い。概ねこれだけでよかったのである。豪華な機能など必要が無いのは、手元のHP200LXが証明してくれていたのだから。
勿論この構想は大反響を呼んだ。少量生産ながらも、ユーザーに配布できる形を目指していたことも要因であろう。また、スペックが目の前にあるHP200LXの高速版であるが故、非常に現実に近い夢であると多くのユーザーは感じ取ったのであった。折しもHP200LXは生産中止が決定され、代替機を模索しているユーザーは多かった。そこへ公開されたのがまさにHP200LXの代替としては理想のスペック・・・。この構想はHP200LXユーザーに賞賛され、瞬く間に圧倒的な支持を得た。当時とよぞう氏はこう語っている。「回路図が愕然とするほど簡単だったんです。」「これならいけますよ!!」
そしていわゆる同人ハードとして製作されることになったMorphyOneであるが、これまでの同人ハードには無かった特殊な形で製作することが決定された。「法人化」である。
この頃までにも同人ハードは多く存在した。特に有名なのはSHARPのPC、X68000シリーズ用のハードウェアである。
趣味の範囲でCPUアクセラレータボードまで製作されたのは国内ではおそらくこれだけであろう。X68000に限らず、同人ハードも実に幅広い開発が行われていたが、その殆どが「製作者負担で設計・開発および部品購入」という形態であった。趣味のものだから、自分で負担して製作し、購入してくれた人に喜んでもらう。あわよくば黒字になるかも知れない・・・それが普通だったのである。
話を戻そう。筆者の知る限りでは一つの同人ハード製作の為に法人化した例は現在・過去のどちらにも無い。だがこのプロジェクトは設計データを全て無償で公開する「オープンハード」を作ろうという理念を掲げ、その実行の為の「手段として」法人化が選択された。
法人化と言っても、メーカーのように販売とサポートを積極的に業務として行う予定は無かった。あくまで「多人数で小額ずつ出資する」という目的を最もスマートに達成できるのが法人化であり、合資会社設立であるという判断が当時されたのだ。そしてその法人は営利を目的とするのではなく、MorphyOneを製作することを目的として作られた。完成・配布後は解散する組織なのである。
また法人には有限会社・株式会社等の様々な形態があるが、合資会社を選択することになった。開発を全て一人で行うことになるとよぞう氏に絶対的な権限を与え、効率化と著作権の問題をクリアするのが目的だった。勿論、無限責任社員(出資金に関わらない、無限の責任を負う社員)となるとよぞう氏にはリスクも大きいと考えられていたが、無限責任社員のデメリットよりもメリットを優先させる結果となった。
何はともあれ1999年12月21日「合資会社モルフィー企画」が設立された。
FHPPCのユーザー達、そしてその他からも多大なカンパや出資を受け、2000年2月10日にはとよぞう氏の本業である会社にも秋葉原にも近い、湯島に事務所を開設。とよぞう氏は本業の合間をぬって開発に励むこととなったのであった。

MorphyOneの軌跡
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参考資料:
オープンハードウェア・パームトップコンピューティング協議会(通称OHPA)
合資会社 モルフィー企画
2chの過去ログ
● 3章 開発作業の始まり、FHPPCとの終わり ~生まれる確執~
ここで時間は多少戻る。
「理想のハードを自分達の手で」。この夢が現実味を帯びてきた1999年8月以降、FHPPCは活気に満ちていた。KTR(恵庭有)氏を始め、HP200LXの発展に多大な功績を残したメンバー達が全面協力体制に入り、発言者各々が自分の夢をMorphyOneにぶつけていったのである。特にキーボードに関する話題が盛り上がったのはHP200LXユーザーならではと言える。
そして1999年11月、開発と同時に進められてきたプレスリリースがHP200LXの生産終了に合わせてとよぞう氏のサイトで正式公開された。既に回路図のα版が同年9月、CGイメージが同年10月に発表されており、順風満帆な出だしであった。
活力に満ちていた当時のMorphyOneを取り巻く環境であったが、全く平穏無事だったと言う訳ではない。FHPPCの発言の転載に関わる、論争が巻き起こる。
NIFTY-Serve(現@Nifty)内にあるフォーラム。ここでの発言を転載することは基本的に禁止されている。今でこそプロバイダの会員サービスとして行われているフォーラム運営だが、当時のNIFTY-Serveは現在のYahoo!掲示板又は2ちゃんねるにあたる。ある意味日本で最も速く、地域を問わずに最新の情報が手に入る魅力的な場所だった。しかし有料サービスである以上、その発言の持ち出しはタブーとされていた。少なくとも投稿のヘッダ部分はNIFTY-Serveに著作権があるので、転載に際しては最低限ヘッダ除去の必要とされた。但し、フォーラム管理者が許可すればNIFTY-Serveも認めていたようである。
しかしとよぞう氏とプロジェクトメンバーは、管理・運営側にメールでの断りを入れず、フォーラム上で発言者の許可は得たものの、管理・運営側の許可を待たずにWeb上にMorphyOneに関するFHPPCのログを転載し始めた。ヘッダ除去は当初考慮していたが、結局そのままの形で転載したようである。そこへ、MorphyOneへの協力者でもあるFHPPCフォーラムの管理者NORI氏、YAFO氏がクレームを付けたのである。
内容は傍目にはあまり気持ちの良いやりとりでは無く、結局とよぞう氏はこの事件を契機にFHPPCから離れていき、メーリングリストとWebが主導になってMorphyOne完成を目指すことになったのである。尚、この事件でとよぞう氏の使った「拙速主義」という言葉は、後にとよぞう氏本人を揶揄する言葉として多く用いられることになる。
前述の事件は1999年11月末に起こったものであるが、MorphyOneプロジェクトを揺るがす程の事件とは言えなかった。その証拠にとよぞう氏は各種メディアの取材をこなしつつ、同年12月に東京・名古屋・大阪にて登記準備を兼ねたオフ会を開催。成功をおさめて合資会社モルフィー企画の登記を終了させた。
会社設立に際しては、設立及び開発に必要な資金集めが行われた。「出資者」の募集である。
出資者は、1口50,000円を合資会社モルフィー企画に出資する。これはあくまでも出資金なので購入費ではなく、返還される保障も無い。出資者は合資会社モルフィー企画の有限責任社員とされ、最終的なMorphyOneの価格や生産中止・遅延へのリスクを許容することとされている。しかしそのリスクを許容する分、優先的にMorphyOneを購入でき、価格も割引される。注意しなければならないのは、これはあくまで出資金でありMorphyOneの購入費用では無いことである。とはいえ注目のハードウェア・MorphyOneがいち早く入手できるということも手伝ってか、およそ130人が出資。一部にはプロジェクトの趣旨に賛同してか、予約はせずに出資のみを行った人も居たようだ。こうして650万円もの資金が集まった。 そして明けて2000年2月、この資金を利用して湯島事務所が設立された。
湯島事務所は東京都文京区湯島に設立され、その地名から湯島事務所と呼ばれている。本来サラリーマンであるとよぞう氏の勤務先に近く、同じく秋葉原も近い。通勤時間を短縮して開発時間を確保し、必要に応じて部品調達を容易にするのが目的である。合資会社モルフィー企画名義で賃貸されたこのマンションが、今後の開発の中心舞台となった。同時に、後に大激論の中心舞台となった場所。その歴史的な第一歩であった。
参考資料:
も・う・だ・め・ぽ
● 4章 湯島事務所の稼動 ~部品手配と試作の日々~
湯島事務所の設立前後は、何かと忙しい時期であった。
3章で既に語ったように法人としての登記が済み、基本的に無償で顧問弁護士・日置雅晴氏を確保し、法務担当として法曹界よりOzaKit氏も加入し定款の雛型などを作っている。予約はこの時点では金銭を伴わない、いわば購入希望者調査を兼ねた仮予約といった形だったが、それでも希望が殺到。ペーパークラフトを作る人まで現れるなど、MorphyOneに対する期待は盛り上がる一方であった。しかしこの時期の開発はあくまで机上のものであり、あまり進んでいなかったと考えられる。法人としての事務処理に追われており、何より部品調達がネックになっていたのである。
特に部品調達は深刻であった。電子機械の場合、多種少量の部品を用意する必要がある。MorphyOneの場合、当初計画では1次ロット1000台(配布850台、残りは保守用)だが、これは内容を考えると同人ハードとしては大規模だが、工業製品としては実に小規模である。多すぎず、少なすぎるわけでもないこの量では店頭購入するわけにもいかず、最小発注単位を考えると商社にも発注しづらい。また、手配に時間を掛けすぎるとディスコン(生産終了による供給停止)となりかねず、全体の構想に影響を与えるばかりか調達済みの部品まで使えなくなる可能性もある。
そこへ助け舟を出した人物が居た。原科氏である。この人物は電子部品の供給から基板製作、実装(部品を基板載せる作業)までを行える会社に勤務しており、とよぞう氏にとっては最も欲しい協力者であったのではないだろうか。
これ以後、とよぞう氏は原科氏に部品の入手性・価格・最低発注単位等で数々のアドバイスを受けていく。そしてサンプル部品の供給も受けられるようになり、2000年1月25日、試作部品を原科氏に発注する。MorphyOneプロジェクトはハードルを一つ越えたのであった。
尚、この時の総額及び部品単価は明らかにされていない。とよぞう氏は多少ぼかした形での公開を考えていたが、OzaKit氏の反対、原科氏の要望もあり、公開されなかった。
そんな中、2000年1月23日OHPA-MLに回路図2.2がまとめて掲載される。ここまで検討してきた回路図をまとめたものである。そして2000年1月30日、特に回路図に関する話題が無い内に回路図のフリーズが宣言される。2000年2月6日の定期報告で回路図について触れられているが、これは事実上これ以上の変更は考えていないという意思表示であった。
そして2月に入り、湯島事務所の設立と移転が終了してから、とよぞう氏以下の開発メンバーは試作部品を使った本格的な開発に取り組み始める。とはいえ、実際に回路を組んだような報告は特に見当たらず、この時期に至っても机上検討と部品調達が主であったと想像される。その状況は3月に入っても続いている。2000年3月3日にはOzaKit氏が本業を理由にOHPA-MLから離脱。しかしMorphyOneプロジェクトからの離脱というわけでもなく、定款など必要な書類作成などは概ね終了している状態。特に問題視はされなかった。
3月はフリーCPU計画、ロジックアナライザ購入と、景気の良い話題が続く(フリーCPU計画は2000年4月28日に改めて提案されている)。そしていよいよ1次ロットWeb予約が開始される。2000年3月23日に開始されたこの予約で募集されたのは280台分。出資者ではない一般向けの予約であったが、2000年3月28日、つまり2日間で予定台数に到達、一旦終了となり、2次ロット予約へと移ったのである。
一般予約が良い結果に終わり生産台数が見えてきた2000年4月11日、原科氏より評価基板MOEV01が発送、同年4月13日湯島事務所へ到着した。このときの原科氏の発言は若干の不安感を匂わせるものの、問題視はされなかった。また、BIOS(ハードウェアとOSの仲立ちをするもの)の契約もこの時期に行われている。
そして2000年5月2日、吉報が入る。液晶に文字が表示されたという報告である。続いて6月12日にはCFからのブート(中身は読めず)と、開発は順調に進んでいったのであった。
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参考資料:
Morphy One はどうなった?
● 5章 予約金入金開始 ~量産化への移行~
2000年6月12日にCFからのブートに成功したMorphyOne試作基板であったが、この時点で既に当初の予定(2000年4月に量産)から大幅に遅れていた。しかもここからはDOSのブートとCFの読み書き、そして量産化という決して低いとは言えないハードルが待ち受けていた。しかしモルフィー企画はそれを待つことはせず、予約金の入金開始に踏み切る。
2000年6月初頭から予約者に対するシリアル番号の発行が行われた。シリアル番号の確定は即ち購入の意思があるということで、入金を促している。この時入金されたのは1台あたり84,000円。若干問題はありながらも、結局2000年8月27日までに626台分(52,584,000円)が確定している。寧ろ入金された後の処理に追われていた様子が伺える。1次ロット850台に対してやや少ない数であるが、一部キャンセルや出資金の返金処理があったようだ。それでも2次ロットにも相当数の予約者が居る為、大勢に影響は無かった。
シリアル番号確定作業に追われていた2000年7月11日、遂にCFからDOSがブートしたという報告が行われる(筆者注:ML等での報告は見つかっていない。情報求む)。このDOSブートに多大な貢献をしたのが「くろさわ」氏である。
くろさわ氏は湯島事務所開設以来、主にソフトウェア面でとよぞう氏を支援してきた人物である。MorphyOneのBIOSカスタマイズなどを手がけており、プロジェクトの根幹を担う人物であったことは間違い無い。キー配置などで激論を交わし、強硬手段を取ろうとする素振りまで見せるなど、技術者として頑固な一面も持つ。
くろさわ氏の貢献度はスタッフ日記を見れば概ね見当が付く。何しろ液晶に文字が表示され、CFが読み出された6~7月は殆どの日記に「くろさわ」の文字が躍る。7月に至ってはMorphyOneの技術的な報告は殆どくろさわ氏の記述によるもので、その存在の大きさが見て取れる。
一方のとよぞう氏は、7月にMorphyMini構想の発表、USBWriterの製作を行っているが、MorphyOneに関する報告は少ない。8月に入ってもUSBWriterの話題は出しているが、MorphyOneの話題は少なく、やはりくろさわ氏による記述が目立っている。
・・・そして2000年8月14日、くろさわ氏は体調を壊して湯島事務所を去る。OHPA-MLには2000年10月初頭までの投稿はあるが、それ以降は完全に表舞台から姿を消している。MorphyOneプロジェクトは大黒柱を失ったのであった。
そして残ったとよぞう氏は開発を続行する。この頃、試作機の現状を問う投稿があったが、とよぞう氏は輸送は無理という返事を返している。また、暗に湯島への現状視察を申し入れている投稿もあるが、これは黙殺された。
ひとまずDOSブートにまで辿り着いたMorphyOneであるが、ここからは量産化へ向けての改良・改善が目的となる。この時点からの量産化には、試作基板の安定化、基板の小型化(設計の簡略化)、部品の入手性の再確認などが必要となってくる。しかし、この時期から開発の報告は急激に進行を遅くしていったのである。
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● 6章 立ちこめる暗雲、生まれる火種 ~MLから2ちゃんねるへ、そして「何か」~
2000年9月より、開発の報告(と言うよりも進捗だが)が遅れるのに伴い、メーリングリストも次第にその流量を減らしていく。開発の進捗が遅く、目新しい情報も無く、特に話題が無い状況では当然と言えば当然である。とよぞう氏自身はと言うと、取材はこなしていたが、開発状況は芳しくなかったようである。
その理由の一つとして、当時の世界的な部品不足が挙げられている(このリンク内容に関しては後述)。量産基板に必要な部品の発注は終了していても、物が届かないとどうしようも無い、という事だ。そこでこの持て余した時間を利用して、MorphyOneへ関係有る無しに関わらない小物を作るようになった。サブプロダクツの起こりである。
始まりはUSBWriterだった。2000年7月に作成すると発表はされていたが、これが2000年11月、汎用USB-IOとして突然販売されるようになった。これがMorphyOneを作る為だけに設立された合資会社モルフィー企画、そのはじめての成果物であった。以降、サブプロダクツは順調に商品を追加、こまめな在庫情報の更新がされてこのように今現在も商品として販売されている。
その頃肝心のMorphyOneの状況はと言うと、設計データが多少更新された程度で、目立った進歩は無かった。メーリングリストも相変わらず閑散としており、とよぞう氏の発言はMorphyOneとは直接関係無いものだったり、将来の展望だったりと「今」については殆ど語られていない。
そして2001年1月。21世紀になった矢先、2ちゃんねるに一つのスレッドが立ち上がる。記念すべき、と言っても差し支え無いだろう、「Morphy Oneはどうなった? 」スレッドである。この頃は公式サイトも更新が途絶えがちになっており、メーリングリストも内容・量共に寂しい限りとなっている。既に触れてはならない禁忌となりつつあったMorphyOneプロジェクト。それを真っ向から語れる初めての場所だったのではないだろうか。後年、2年近くの長きに渡り100近いスレッドを重ね、2ちゃんねるモバイル板の名物ともなるスレッドの発祥であった。
スレッドが立ち上がった当初はまだ反応が薄かったが、それでもとよぞう氏の「裏」のサイト(現在は消失。内容はhttp://web.archive.org/に残っているのでこちらを参照して頂きたい。日付をクリック)のアドレスが報告されるなどしている。2ちゃんねるはその性質上、嘘も多いが真実も含まれている。そして何より肩の力を抜いて気軽に話せる場でもある。技術の話や法律の話、そしてとよぞう氏本人への批判など、メーリングリストではできない話がされていった。この最初のスレッドでは1000件の書き込みに3ヶ月を費やしているが、やがて2日とかからず1000件に達する程に膨大な発言が繰り返されるようになるのは、また後の話である。
さて、ここで一つ触れておかなければいけない事件がある。それはここでは「偽春菜事件」と呼称させて頂く。詳しくは「偽春菜問題、概要」を見て欲しい。但し、この事件は2者間のメールでのやりとりが中心な為に、外部からでは不明な点も多い。前述のリンクにしても、筆者が意図するしないに関わらず、バイアスがかかっている可能性があるので、両者の名誉の為にも参考資料として考えて欲しい。2001年3月頃の事件である。
簡単に言うと、魅力的だが荒削りな既存ソフトウェア(シェアウェア)の進化が殆ど無いことに業を煮やした個人が、そのソフトの上を行くソフトを作ってしまった。そして作者同士(先発は法人)のせめぎ合いにより、結局後発の作者は公開を中止してしまった事件である。この当時、後発側のソフトは「あれ以外の何かwith任意」という名称だったが、「何か」あるいは「任意」という呼称が一般的であり、ここでは「何か」と呼称する。
この「何か」の公開中止は多くのユーザーの落胆を呼んだ。ソフト自体はアクセサリ的なものだったが、従来のソフトには無いAI的な挙動と、他ソフトやネットとの連携による実用性も持っていた。技術さえあれば絵も挙動も変えられる(ゴーストと呼ばれる)こともあり、その当時ですら複数の作者によるゴーストが公開され、非常に盛り上がっていた矢先の出来事だった。そこへ立ち上がった人物が居た。その人物は「沢渡みかげ」(佐野拓)氏と言い、この魅力的なソフトの再配布を行うべく、「さくら基金」を創設した。
この基金はつまりカンパである。「何か」の公開に必要な費用や、将来訴訟などが行われる際の危機回避に使う為の費用を集めることを目的として創設された(初期リリースはこちら)。 そしてここに意外な人物の名が挙がる。「とよぞう」氏である。
基金設立にあたり3人の名が明記され、それぞれの役割が記されている。まずソフト開発者として「閑馬永空」氏。その配布に関わる費用を収集・負担するのが「沢渡みかげ」氏。そしてソフトを配布し、法的な責任を負うのが「とよぞう」氏とされたのである。
この発表は「何か」のファンは勿論、MorphyOneを待っている予約者達にも寝耳に水であった。特に「何か」のファンは突然挙がってきたこの名前を調べてMorphyOneプロジェクトに行き着き、その現在までの状況を調べるにつけ不安を感じたようである。また、そもそもとよぞう氏のさくら基金における存在意義も疑問視された。基金自体も当初公開するとされた口座残高を「戦略的理由により」非公開とされるなど不明な点が多く、公開するとされている支出も創設以来一度も支出されていないと発表されている。これらの理由からさくら基金の不透明さに疑問の声は今現在まで残っているものの、基金は強制ではなくあくまで任意。ユーザーが被害を被る性質のものでは無い為、現在はあまり問題にされていない。ソフトも順調に開発が進み、「伺か」と名称変更され、今もって人気を博している。
この当時、開発の遅延が続くMorphyOneがあるにも関わらず、とよぞう氏が「何か」に関わったことは問題視されながらも重大視はされなかった。とはいえ後年、とよぞう氏批判の材料となったのは言うまでも無い。
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● 7章 進まない開発、高まる非難 ~急変する事態~
さて、何故か「何か」にまで関わったMorphyOneプロジェクトであったが、2001年初頭からはゆっくりとした歩みであるが、主な出来事は以下の通りである。
2001年2月1日 量産試作基板のチェック者募集(立候補者は3人)
2001年4月30日 試作基板の写真公開
2001年6月14日 湯島の状況報告(古参メンバーのFLASH HACKER氏による)
2001年6月20日 「もうじきDOSがブートしそうな感じです」と、とよぞう氏談
2001年10月20日 外装の削りだし状況の発表
2001年11月11日 外装部品の各試作バージョン公開
2002年1月21日 外装最終版公開
2002年2月21日 新基板到着報告
それぞれの出来事の間が非常に空いているのは省略しているわけでは無い。この間は発表が無かったか、大して大きな出来事でも無いか、MorphyOneに関係無い発表だったか、のどれかなのだ。
2001年2月1日の量産試作基板のチェックは比較的大きな動きで、久方ぶりに湯島事務所に人材を求めている。しかし既に閑散としていたメーリングリストは数人の反応しか返ってこず、既に固定化された数人のメンバーでの話題のみと言って良い状況になっており、改めて報告を入れるも無反応であった。すっかり熱が冷め切ってしまった感は否めない。
2001年6月20日のDOSがブート直前であるという報告もかなりの進歩のはずだが、これも非常に反応が薄い。そしてここからは殆どモルフィー企画のサイト更新の連絡のみとなる。その内容もMorphyOne関連は殆ど無く、サブプロダクツ絡みが多いという、何とも寂しい状況であった。作る側はMorphyOneが動かない状況に、待つ側はMorphyプロジェクトが動かない状況に飽きていたのだろう。そんな中でもサブプロダクツは着々と充実していき・・・、
以降、殆どメーリングリストに投稿は無くなっていく。
逆に活気があったのは2ちゃんねるである。MorphyOneスレッドは比較的おとなしいモバイル板にしては、かなりの書き込み頻度があるスレッドであった。そこに出資者が、予約者が、そして傍観者が毒を吐いて行く。MorphyOneプロジェクトの状況は極めて悪いとしか言い様が無く、その非難の矛先は当然とよぞう氏に向いた。そして少ない情報の中、批判する側と擁護する側とで不毛な争いが続けられた。
批判の内容はさまざまである。とよぞう氏の技術的な問題は勿論、人格的な問題も問われた。DOSの起動画面はコラージュと噂され、とよぞう氏個人の裏のページからペドフィリア(幼児性愛者)扱いまでされている。他にも何故かモルフィー企画の電話が不通になっているという謎も報告され、金銭管理や出資者・予約者への対応、逆に出資者・予約者の責任まで問う声もある。2002年1月21日に公開された外装最終版など「おろし金」と揶揄されている。このあたりのやりとりは是非OHPA-MLの過去ログ(主にこのページの4300番以降)又は2ちゃんねるの当時のスレッド(14番目以降)を見て確認して欲しい。当時、如何に情報が少なかったかも同時に読み取れるはずである。
特に、金銭に関することは最大の謎であった。この時点で推定される予約者はおよそ1000人。予約金でおよそ8400万円が存在すると推定されるが、支出について初期段階では多少報告があったものの、それ以後は完全に途絶えている。前述の外装を削りだしたのもMODELAという高価(新品で30~40万円)な3次元プロッタを用いている。また湯島事務所の費用も出資金・予約金から捻出されていると考えられるし、一連のサブプロダクツも費用はどこから捻出されているのかはっきりした報告は無かった。肝心な資金の残金についてはあいまいな表現に留まっている。、その会計処理の不透明さには批判が集中した。「オープン」な企画は、奇しくも出資者にすら貸借対照表・損益計算書が報告されないという「クローズド」な会計処理に終始していたのであった。
そして2002年6月を境に、メーリングリストは一気に加熱していく。それに伴い2ちゃんねるも加熱。多くの謎があり公開を望む声の中、それを拒んでいるとしか思えないとよぞう氏の発言。様々な憶測を呼ぶ中で、2002年6月14日、ついに重い口を開いた。
「口座の現金についてお答えしますと、350万円ほどになります。」
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● 8章 紛糾の情報開示 ~湯島への前夜祭~
残金350万円。3500万円では無い、あくまで350万円である。8000万円と推定された予算は、2年の月日を経てここまで目減りしていた。この頃、メーリングリストと2ちゃんねるは話題がリンクしており、メーリングリストの投稿を肴に2ちゃんねるの話題が進む形式が確立している。この報告は勿論2ちゃんねるでかなりの反響を呼び、出資者と予約者と、そして大多数を占める傍観者に絶望を突きつけた。いや、絶望はまだ無かったかもしれない。何しろ、信じることができない金額だったのだから。
まだ量産試作基板すらまともに動作する報告が無い段階である。少なくとも量産基板作成・部品の実装・外装の作成・組立て・梱包・出荷・サポートと、しなければならない事は山とある。しかも部品が購入済みなのかどうかすらも分からない。たった350万円の予算でそれらが可能なのか?大多数の意見は「不可能」であった。しかしとよぞう氏はこのメールの中で、「何とか可能である」と金額を出して主張を行っている(但し実装や梱包・出荷は含まれていない)。
いずれにしてもこの残金の発表は大きく、2ちゃんねるでもかなりの混乱を招いた。使途が全く不明であったからだ。いずれにしても、尋常な使い方ではここまで資金が目減りすることは無いはずで、部品を購入したにしても金額が大きすぎると考えられていた。84,000円の予定価格に比して、全てが部品代につぎ込まれたとしても原価(正確には材料費)が90%を超える計算になってしまうからだ。常識的に、そのような数値では元を取るどころか、赤字になりかねない。
そして前述のメールから4時間後、支出についての大まかな内訳が公開された。これは今まで不透明なままであった会計情報の初めての公開だった。そして同時に、やはり大半の部品が既に購入済みだったことが判明した。それによると、部品は原科氏(4章参照)の会社で一括購入され、そのまま氏の会社の倉庫で保管中だったのである。
この情報は「残金350万円」よりもある意味反響が大きかった。何を買ったのか。高価すぎるのではないか。そもそも何故既に部品を購入しているのか、基板完成後に実装屋に部品調達を含めて依頼すればいいだけではないのか。慌ててそんなに購入する必要など無い。
・・・これらが主な意見である。しかしとよぞう氏はこれらの意見に対応できる発言を行っておらず、どうして動作していない基板の部品を発注・購入したのかは不明のままである。また、とよぞう氏自身も600万円程の出資(形式上は融資)していることが判明している。
ところで、とよぞう氏自身は、ここまでほぼ一貫して自信ある態度で報告を行うなりインタビューを受けるなりしてきた。しかしこの時期のメーリングリストへの投稿は殆どが非難ばかりで、擁護派も居るもののあまりに少数派で無力な存在。状況が状況だけに言い返すこともできず完全に弱気一辺倒となり、事実上の敗北宣言まで出ている。何しろ、ここまでオープンにされなかった情報は殆ど全てとよぞう氏に都合が悪いものばかりだった。そのツケが回ってきたと言って良いだろう。
しかしそれでも技術的な話題に対してはまだ若干強気な姿勢であった。しかし技術関係の話題に「ごけんつ」氏が登場。的確な指摘と状況分析力を発揮し、徐々にとよぞう氏のしてきた事が明らかとなっていく。
ここで分かったことは、とよぞう氏はここまでに2種類の量産試作基板を用意しており、最初のものがMO19、後のものがMO25と名づけられている事。そして前者はDOSの動作実績があるが、後者にはそれが無い事。この状況では普通、一先ず動作実績のあるMO19に注力するものだが、何故かとよぞう氏はMO25に固執。当然疑問の声が挙がるが、とよぞう氏はMO19には量産上の問題がある為としてこれを固辞している。
しかしごけんつ氏は強かった。MO19に動作実績があり、その基板が現存していることを背景に、DOS起動オフの開催を強力に推して行く。そして決定される。湯島事務所の関係者しかDOSの起動を目撃していないMorphyOneが、遂に事実上の一般公開を迎えることとなったのである。これと同時に、とよぞう氏には「MO19のDOS起動を見せる」という宿題が生まれた。しかしこれは当日早朝に努力はしたができないとの報告が投稿されるも、ごけんつ氏は一蹴。そのまま朝を迎えることとなった。
運命の日は2002年6月16日。日本中がサッカーワールドカップと言う祭に熱中する中、もう一つの祭が東京・湯島にて開かれようとしていた。
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● 9章 湯島監査開始 ~2002年6月16日という日~
2002/06/16 11:59
オフ会現場からの第一報が入る。「現在8人が集合。とよぞう氏も合流」。この段階でのとよぞう氏の合流は予定になかった。既に実況体制を取っていた2ちゃんねるモバイル板MorphyOneスレッドの傍観者達は狼狽。
2002/06/16 12:27
一行がファミリーレストラン・ジョナサンに到着。2グループ(とよぞう氏、龍氏、ごけんつ氏、オフ屋氏と、ML派氏を含むその他)に分かれて着席。とよぞう氏は無精髭を生やしていた。
2002/06/16 12:40
食事をとりつつ、登記簿謄本を回覧。100万円を払った出資者まで居ることが判明する。とよぞう氏はこの時「目が死んでいる」状態。とよぞう氏が居ないグループではモバイル機を並べて歓談、とよぞう氏が居るグループは話し掛けることもできない程の重い雰囲気に包まれる。
2002/06/16 13:06
とよぞう氏のグループが「笑いながら歓談中」との報告が入るが、目は笑っていない模様。相変わらず最悪の雰囲気の中で歓談と実況が続けられる。
2002/06/06 13:22
ここまではメーリングリストに流れている以上の情報は無く、現在までの経緯を確認しながらの会話を行う。とよぞう氏は力なく話をする。尚、この時点でのオフ会参加者には出資者・予約者は居なかった。
2002/06/16 14:16
湯島事務所への移動(徒歩)が開始される。ここまで馴れ合いの様相は全く無く、距離を置いて会話が出来た。
2002/06/16 14:38
湯島事務所に到着。メーリングリストの当事者が先に入り、それ以外は交代で入ることになった。湯島事務所には「御神体」は見当たらず、開発作業は行われているように見える。オフ会に向けて特別片付けたような気配は感じられない。しかし何故か本棚にはさくらが。
2002/06/16 14:57
入出金の帳簿(Excel)が公開されるも、「とよぞうのこづかい帳」との声が参加者より出る。また、出納関連の書類は税理士に預けられていることも判明。結局、湯島事務所には金銭の流れの証拠となる物が殆ど無く、2年前(の一部?)分だけが置かれていることがわかる。
2002/06/16 15:13
湯島事務所にある請求書・領収書から、大半の部品をある一社を経由して購入していることが判明する。その額は2000年で19,875,372円。そして湯島事務所の家賃が1ヶ月で約14万円であることも判明。税理士の氏名・電話番号も確認がとれた。
2002/06/16 15:36
湯島事務所を出て、「炭火喫茶 古炉奈会議室」にMorphyOneの基板と共に移動を開始。量産試作基板であり、DOSの動作実績があると言うMO19は、湯島事務所ではブートできず、ブートした頃のロムは無いらしいとの報告。
2002/06/16 15:54
古炉奈会議室に到着。オフ屋氏により、速報画像が公開される。プレイステーション2などが写っており、傍観者の憤慨を誘う。
2002/06/16 16:07
ML派氏により、大まかな金銭の流れが報告される。2000年に部品代の半額、2000万円を前払いしている。しかし翌年にもう2000万円払っているとすると、部品代総額5700万円の説明がつかず、ごけんつ氏も1700万円分も購入すべき部品はおもいつかないとの事。
2002/06/16 16:10
とよぞう氏「ちょっとまだぁブートしないんですけど」。これを受けて2ちゃんねるでは一斉に罵声が飛び交う。現場ではテスターを買いに行き、その場でMO19の修理を開始。
2002/06/16 16:17
MO19の修理がひとまず完了し、起動に成功する。しかしブートには失敗。液晶に「Non System Disk or Disk Error」の表示。コンパクトフラッシュが読めず、DOSが起動できない模様。とよぞう氏曰く、「試作基板ではPC-DOS2000とDOS7が起動。MO19ではDOS7が起動し、ソフトも動いた」との事。
2002/06/16 16:33
「残金350万で(完成)できますか?」との参加者の問いに、とよぞう氏「350万ではできない、あと400万必要」(概略)との答え。これにも2ちゃんねるで一斉に罵声が飛ぶ中、とよぞう氏は銀行からの借り入れを考えていると語る。また、以前公開されたMorphyOneの筐体作成に50万円かかっていると証言。
2002/06/16 17:05
ML派氏の「今回を機に解約が増えたらどうしますか?」の問いに、「そこはしばらくお待ちいただくしかない」と、とよぞう氏談。ここまであまりに大きな怒りと絶望ばかり突きつけられてきた為、2ちゃんねるでの反応は多少ある程度に終わる。また、とよぞう氏はごけんつ氏の「完成して出荷したら税金が発生しますよね」との問いに沈黙を持って答える。
2002/06/16 17:10
古炉奈会議室から退去。ごけんつ氏と龍氏はとよぞう氏と共に再び湯島事務所へ向かい、その他のメンバーはチムニー(居酒屋)で反省会を開く。最終的には予約者・出資者も数人参加していた模様。また、龍氏は一言も口を聞くことがなかった。
2002/06/16 17:58
メーリングリストにオフ会終了の報告として、この日判明した事の概略が投稿される。
2002/06/17 02:36
とよぞう氏より、今までの経緯も記した大反省文とも言える投稿がメーリングリストに流れる。「~べきだった」という表現が非常に多く、16日のオフ会がとよぞう氏に対して非常に大きな影響を与えたと考えられる。
結局この夜、とよぞう氏はメーリングリストに20通近い投稿を行った。内容は殆ど平身低頭、謝り続けている。とよぞう氏とMorphyOneに関わった人間、全てにとって一番長い日は終わったのであった。
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● 10章 祭りのあと ~感想戦~
ワールドカップで日本チームが熱戦を繰り広げている最中で行われた湯島オフ。その成果は無意味では無かったが、決して多くも無かった。
そもそもとよぞう氏がMorphyOneに関する一切の情報の公開をほぼ1年に渡りストップしていたに過ぎず、その情報が一気に流入しただけと言える。しかしその情報も断片的なものばかりであった為、2ちゃんねるモバイル板はこの後情報の整理・検討とメーリングリストを肴に議論を交わしていく。
この時点で間違い無い情報は、大反省文により、2001年6月24日の「もうすぐDOSが起動しそうです」という発表の段階まで「復元しておりました」という事実のみ。つまり丸1年をほとんど無駄にしていた事だけははっきりした。
開発という作業を考えると試行錯誤は決して無駄とは言えないが、既に辿り着いていたはずの地点に戻っただけでは無駄と言われても仕方が無いだろう。とよぞう氏の技術力への不信感は湯島オフ前から語られ尽くされたことではある。しかし結局オフ終了後にメーリングリスト流されたとよぞう氏の投稿には「自分の技術力の不足」を反省する弁は一切無い。忘れていたのか、自信があるのか、それは本人にしか分からない。ごけんつ氏が現状を非常に端的にまとめているが、この現状を正しく認識しているかも本人にしか分からない。
会計については前章でも触れたように、この時モルフィー企画の出納関連の資料は殆どが税理士の所にあるとされ、自身への信用が無いことを自覚してか税理士の判断を仰いだ上での公開と語った。しかし何が公開されようと、メーリングリストでの費用見積によると、残金350万程度では既に資金不足なのは明らかであり、変わらない。
そして会計と関連する問題であるが、部品についてである。量産に必要な量の殆どを開発機が未完成の現状で既に購入済み、しかもそれは2年前の話であると言う。あまりに唐突で、不可解な事であった。何故そんなに高額の資金を投入したのか。何故こんな2年も前の大きな出来事をこれまで発表せずにいたのか。長期保管だが部品の品質は維持できているのか。
そもそも、本当に購入したのか。
この時点で信用が完全に失墜しているとよぞう氏の言葉は既に誰も信用しなくなっていた。領収書などの証拠があってもそれすら信用されなくなり、「こちら側の人間」が確認しない限り、多数の信用は得られない状況にとよぞう氏は追い込まれていたのである。尚、開発状況と部品に関しての感想をごけんつ氏がまとめている。
この時、と言うよりこの1年近い期間の合資会社モルフィー企画には、協力者はおらず、技術力は問題視され、資金も無く、部品の存在まではっきりしない。企業運営には必須とよく言われる「ヒト・モノ・カネ」の全てが無いという八方塞の状態であった事が判明した訳で、開発云々以前の状態であったことが十分に露呈した。
考えてみれば情報がもう少し公開されていればこの現状は予約者達には簡単に伝わったはずで、とよぞう氏は公開による解決より隠匿による回避を選択したのである。だがこのプロジェクトは多数の出資者、そして予約者の資金によって運営されている。少なくとも原価に関しては当初から「ガラス張り」とFHPPCでも製作発表会でも唄っていただけに、とよぞう氏への非難は当然と言わざるを得ない。
湯島オフは「期待通りの期待外れ」であったが、このお陰でようやくMorphyOneプロジェクトは再びスタートラインを踏むことができた。多くの観客は当初と違うゴールラインを覚悟しているが、湯島オフをきっかけとしてゴールの見えない無限回廊は抜け出すことができたのである。また、湯島オフのおかげでメーリングリストは活性化し、2ちゃんねるではモバイル板の常識を超える速度で議論が交わされるようになった。情報量は小さかったが、周囲への影響は非常に大きかったのが湯島オフであったと言えるだろう。
そしてそろそろ議論にも落ち着きが出てくるかと思われた2002年6月18日、意外な人からの投稿がメーリングリストに転送された。
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● 11章 湯島退去、OHPA-ML撤退 ~より「クローズド」に~
「弁護士の尾崎です。ご無沙汰しております。モルフィー関係のプロジェクトに関 わるのは、約2年ぶりになります。」
そう、MorphyOneプロジェクト初期のメインメンバー、OzaKitこと尾崎孝良氏その人であった。尾崎氏はMorphyOneプロジェクト発足当時は司法修習生(司法試験に合格後、弁護士等になる為の研修を受けている人。公務員扱い)で、やがて本業を理由に一時離脱を表明。その後は一度もOHPA-MLに登場していなかった。その尾崎氏の投稿が転送とは言え2年3ヶ月ぶりにOHPA-MLに流れたのである。
尾崎氏は、MorphyOneプロジェクト初期に法務担当として活躍していた人物である。プロジェクト内に法律面に明るい人材が居なかった事もあり、この方面はほぼ全面的に任されていた。元々は恵庭有氏から紹介されて参加したようである。尾崎氏自身は、立場が公務員同様ということもあって、出資等はしていない(予約は当時受け付けていない)。己の正義には忠実という雰囲気で、それに対する相手にはかなり挑発的な文章も書いている。
氏は、会社組織としてのモルフィー企画、つまりその責任を一身に背負うとよぞう氏の責任を可能な限り回避する事に尽力したと言って良いだろう。MorphyOneプロジェクトはかつて無いオープンハードウェアプロジェクト、しかも法人化という特殊事情もあり、法律面での問題解決は必須であったし、法律に明るい人材は絶対に必要であった。氏は当時まだ卵とは言え、法律の専門家としての知識を活かして短期間ながらアクティブに活動した。氏の功績により、モルフィー企画の法的不備はかなり解消され、当時議論された法的不備は殆ど解決したと言って良いだろう。失敗だったのはとよぞう氏の技術力と善性を信じすぎたことであるが、この時点でそれを求めるのは酷というものだろう。
それから2年以上経過し、本人もこのようなメールを送る事になるとは予想していなかった事だろう。これは事実上の最後通牒、法人としてのモルフィー企画がほぼ「終わった」状態であると伝えているに等しい。
また前日の17日にはOHPAという組織自体が架空の物であるという発言がOHPA中枢メンバーから投稿され(OHPA-ML:4623)、混乱に拍車がかかった。
擁護する人間が事実上一人だけという状況で、とよぞう氏は湯島事務所の退去を決定。その日の夜に予約者専用メールマガジン(注:以降、hpyoyakuと表記する)でお詫び文を発表した。そしてこの文にある「情報発信は必要であるが、不正確な情報により混乱を招くことの無いよう慎重に行うこと」という顧問弁護士の助言を忠実に守っているのか、それとも単に逃げたのか、OHPA-MLで一切の発言を行うことが無くなった。これにより予約者も部外者も、とよぞう氏と公開の場で討論する場所が失われた。やり取りは全て直接メールでやりとりするだけのクローズドなものか、とよぞう氏から3日に一度発行されるメールマガジンの一方的な連絡のみとなった。
思えばOHPA-MLはとよぞう氏と議論が可能な唯一の場所、そして最後の「オープン」な場だったのかも知れない。「最もクローズドなオープンプロジェクト」の再出発である。
ここからのとよぞう氏のクローズドぶりは徹底している。OHPA-MLには一切の投稿を行っておらず、技術的な話もhpyoyakuで一方的に連絡するのみである。OHPA-ML参加者はとよぞう氏と直接メールでやりとりをした内容を転送したり、hpyoyakuの内容を転送・引用した上で、MLととよぞう氏本人に同時に送付しているが、その一切に対して送信者への返信のみで返事をしている。
それでもそのメールマガジンに多少なりとも建設的な事が書かれていれば良いが、予約者・出資者・部外者が最も知りたい技術や予算の情報は全く触れられないか、非常に簡素にしか触れられないか、的を外したものばかり。その割には全くどうでもいい内容は非常に詳細に纏められており、益々予約者・出資者・部外者は苛立っていく。
それでも、どれだけ非難されてもとよぞう氏は頑なにこのスタイルを崩さない。予約者・出資者・部外者にとって、あまりに不毛なやりとりの開始。後日「蒟蒻(こんにゃく)問答」と呼ばれたスタイルの確立である。
ここからは実質的に他人の声を無視する体制に入ったとよぞう氏であるが、OHPA-MLでの反応が消えて久しい2002年6月28日、ASCII24のインタビューに答えている。hpyoyakuでの情報が殆ど無意味なものだっただけに、約1週間ぶりとなる追加情報だった。しかし内容は自信とやる気に溢れており、2ちゃんねるでは「徹底抗戦の宣言」と言われた(OHPA-MLはあまり反応は無かったが、この時点で議論のメインは殆ど2ちゃんねるだった)。しかしとよぞう氏もOHPA-MLでは無反応を貫いているのにインタビューには応えたことに、若干後ろ暗いところがあったらしく、hpyoyakuで釈明している。
ところでこのインタビュー内では「私は技術的な不安は感じていません。大丈夫だと思っています。」という台詞がある。しかしこれは本当に技術的に問題が無ければ、使う必要すら無い言葉である。このプロジェクト、ひいてはとよぞう氏を象徴する言葉と言って良いかもしれない。
金銭に関しては、インタビュー内では国民金融公庫からの融資について触れられているが、これは以後殆ど触れられておらず、「無かった事」にされている。ただ、2002年6月21日のhpyoyakuにて、比較的詳しい会計状態がモルフィー企画税理士の飯田氏からのコメントとして投稿されている。これで概ねは把握できるが、それでも予約金の総額や部品の明細等の不明点は数多く残っており、金銭面での不透明さは相変わらずであった。
それでも追加出資をした人が居るが、これは例外といって良いだろう。
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参考資料:
MorphyWiki

MorphyOneの軌跡
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/6906/








HP200LX 三たび
2018/1/31(水) 午後 0:42 無題 練習用
今さらですがHP200LXを手に入れました。
3回目です。
1回目と2回目は手に入れた後もったいなくてほとんど使わず、売却してしまいました。
今回は使い慣れたいものです。■

巻雲、ココア、PDA。
https://blogs.yahoo.co.jp/cirrus_cocoa/40916139.html




スマフォ以前に
2018/2/3(土) 午後 1:12
無題 練習用
現在は手元にたっぷりの情報とインターネットで広がる情報交換のスマフォの時代です。
Androidスマフォを手に入れ(SIMカードはなくてもWi-Fiで接続可能)、内蔵のmicroSDカードに昔テキスト化した「新潮100冊の本」を入れ、
さらに最近買った「新潮 明治の文豪」をテキスト化
http://vr-4.air-nifty.com/weblog/2012/04/100-c810.html 
して気が付きました。
もう30年ほど昔の話です。HP社からLX95というDOSポケコンをもらったのを機に、日本語化アプリを組み込み、DOSプログラムをいくつか作り、後続の
HP200LX
https://ja.wikipedia.org/wiki/ 
まで合わせて数台買ってしまいました。
そしてついには一つしかないスロットに通信と外部メモリがセットになったカードを組込み、出回り始めた携帯電話と接続しniftyメールの送受信までできるところにこぎつけました。
このポケコンにはまったマニアが情報交換しながら日本語化し、通信環境を作り出して持ち歩き用情報端末にしてしまったのです。
またWindowsの専用ソフトでしか読むことのできなかった「新潮100冊の本」をテキストで読めるようした人もいて、さっそくポケコンにも組み込んでみました。
これが20年前のそろそろ定年が近くなってきたころです。
DOSポケコンに触れたことを機にWindowsのアプリも趣味でいくつか作り始め、対局囲碁ソフトも作ってホームページにアップし、
今に至ってもネット対局(ボード碁)を楽しんでいます。
しかし最近買った「新潮 明治の文豪」を「新潮 100冊の本」と同様にテキスト化すると章立てがくるってしまいます。
再度調べなおしてDOSやPerlプログラムを確認しながらようやく整形できました。
これで昔のHP200LXの後継が現代のスマフォで出来上がりです。
HP200LXでは最大2GBしかなかった外部スロットもスマフォでは128GBもあり、動画を入れることもできます。
手元に情報端末の願いは昔からの話でした。

さんでーぷらっと
https://blogs.yahoo.co.jp/k_maz/43477760.html



私のLXと、その周辺機器達をご紹介します。
LXのお友達って、集めだすと止まらないんですよねぇ・・・(爆)

LXの小部屋
http://www.asahi-net.or.jp/~KC4Y-YMJ/200lx/lxfamily.html





hp 200LX
2009/11/3(火) 午後 5:26 無題 練習用
私が最初に購入したPDA、ヒューレットパッカードのHP200LXです。
詳しい仕様等はWIKI等を参照してください。年月は忘れましたが、夏のボーナスが出たときに、紀伊國屋書店のアドホック店で本体+日本語化キット+20Mのフラッシュカードを130Kくらいで買ったと思います。
この機械自体は、PC/XT互換機という、ただの英語版のPCであり、ニフティのフォーラムを中心にの有志の努力により日本語環境が構築されたものです。私が購入した頃は、プログラムのライブラリーや初心者向けガイドブック等が市販されていて、日本語化環境も十分安定した状態になっていました。
当時会社に入ったばかりの私は、現場の仕事が多く、しばらくはおもちゃとして、いじり倒していました。そのうち会社でデスクワークもするようになると、自分のスケジュール管理ぐらいはする必要があり、業務で使うようになりました。
この機械の優れた点は多々あるのですが、私にとって一番便利だっだのは、内蔵のスケジューラーの出来が非常によいことでした。「母艦」となるデスクトップPCと連携する仕組みも用意されていて、電池は持つし「to do」は便利だし、非常に重宝したのを覚えています。
何の問題もなく実に役に立っていましたが、02年についにヒンジ部分に亀裂が入り、ヒンジのパーツが破断してしまいました。機械自体は問題なく動いていましたが、98年に200LXは製造を終えており、今後の事を考えると代替品を探さなければならなくなりました。
当時既に、Windows CEを積んだカシオペアやモバイルギア、Palm等がありましたが、店頭でさわってみると「スケジューラーの月間表示で予定が文字で表示されない」という私にとってはクリティカルな欠点があり、(逆に言うとHP200LXの表示は一覧性に優れていました)代替機にはならないと評価していました。(便利なフリーウエアが出回ってるなんて知らなかったので)
そんな時でした。VGA液晶を積んだSL-C700 リナックスザウルスが発表されたのは。

はんぺんのPDAどつぼ (-_-;)
https://blogs.yahoo.co.jp/bungo7l/2838947.html



スマートフォン購入!さて何??
2011/1/28(金) 午後 5:25
生活 携帯電話
昔からポケベルから始まり携帯、モバイル端末は好きで一番初めの買った携帯は、自宅では入らないMotorolaの物だった・・・
(確か、キャリアは、auの前身のIDO!?)
それから基本はドコモの携帯をアナログの時代から15年4ヶ月使っている
モバイル端末もDOS/VマシンであるHP200LXから始まってドコモのシグマリオンやソフトバンクのWindowsMobileのX01HTなどを使って来た
今、現在、私は仕事で外回り出る時は以下の物を持って出ている
・ドコモ携帯(モバイルSuica、iD、Edy付き)
・SoftBank携帯(特定顧客用、通話のみ)
・X01HT(SIM無しで、会社PCと家のPCとの連携用)
・iPod
・ノートPC
以上、結構色々持ち歩いているし、やはりノートPCは重たいので最近、流行のソフトフォンを色々検討していた
廻りは、やはりiPhoneが断然多いしXperia等ドコモ系の少々居る
私はメインはドコモなのでいずれはドコモのスマートフォンに換えるが
今、現在では所謂ガラゲ機能(おさいふ機能、imode)を駆使しているので
今、ソフトフォンに切り換えると多分かなり困る
例えば、株、為替の取引を迅速行い、モバイルSuicaで都内を移動してコンビニやMacでiD、Edyを使って買い物をする等々・・・
先日も財布を忘れて外出したがドコモ携帯一つあれば何も困らなかった
でもやはり・・・そろそろソフトフォンを一つ欲しい所だ・・・
で・・・最近、楽しい事が無かったので・・・検討の結果として先週の金曜に半ば衝動的にスマートフォンを購入!!!
さてどの機種を買ったでしょうか??

Good day sunshine!
https://blogs.yahoo.co.jp/tskuro/27127116.html








[分解][PDA] hp 200LX(MorphyOne)
またやっちまったよ・・。
書庫HP200LX1000CX
カテゴリパソコン
2018/2/20(火) 午前 0:23
いったいこれで何個目の200LXなんだか。
でもまぁ、今回はそこそこ高くなってきた200LXをまぁまぁな値段で手に入れたからね。
大体相場が1万超え。すごいよね。
それが6500円。
映らないけどね!
映らないLXでも6500円するってのもスゴイんだけど。
んで、分解し始めて気づいたのがなんか、スイッチ付いてるよ・・クロック切り替えか?
と思いつつ裏蓋を開けると・・。
見たことない部品が所狭しと並んでるんですけど・・。
で、線を辿っていったら、液晶面に延びてる・・。
ELバックライトだ!
初めて見たよ。周りでやってる人は居なかったから。
こんなすばらしい改造をしている200LXを触らせてもらうのはおこがましいきがしつつ。
まぁ、直す為にも分解するんだけどね。
で、バックライト使わないから外すんだけどね。
ていうか、電池入れても点かなかったし。寿命っぽい。
で、直しました。
画面が黄緑になるのは仕様です。
でも、ちょっと薄かったので、今はもうちょっと角度を変えても少し緑っぽくなってます。
んー。直しちゃったよー。
分解、修理については
http://1.lx-rest.com/
こちらを参考にさせて頂きました。
色々と勉強させて貰ってマス。

ローテクのゴミ箱_サーマルTAMりんのブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/tamrim_lowtech/








2009-11-03
hp 200LX
私が最初に購入したPDA、ヒューレットパッカードのHP200LXです。
詳しい仕様等はWIKI等を参照してください。年月は忘れましたが、夏のボーナスが出たときに、紀伊國屋書店のアドホック店で本体+日本語化キット+20Mのフラッシュカードを130Kくらいで買ったと思います。
この機械自体は、PC/XT互換機という、ただの英語版のPCであり、ニフティのフォーラムを中心にの有志の努力により日本語環境が構築されたものです。私が購入した頃は、プログラムのライブラリーや初心者向けガイドブック等が市販されていて、日本語化環境も十分安定した状態になっていました。当時会社に入ったばかりの私は、現場の仕事が多く、しばらくはおもちゃとして、いじり倒していました。そのうち会社でデスクワークもするようになると、自分のスケジュール管理ぐらいはする必要があり、業務で使うようになりました。この機械の優れた点は多々あるのですが、私にとって一番便利だっだのは、内蔵のスケジューラーの出来が非常によいことでした。「母艦」となるデスクトップPCと連携する仕組みも用意されていて、電池は持つし「to do」は便利だし、非常に重宝したのを覚えています。何の問題もなく実に役に立っていましたが、02年についにヒンジ部分に亀裂が入り、ヒンジのパーツが破断してしまいました。機械自体は問題なく動いていましたが、98年に200LXは製造を終えており、今後の事を考えると代替品を探さなければならなくなりました。当時既に、Windows CEを積んだカシオペアやモバイルギア、Palm等がありましたが、店頭でさわってみると「スケジューラーの月間表示で予定が文字で表示されない」という私にとってはクリティカルな欠点があり、(逆に言うとHP200LXの表示は一覧性に優れていました)代替機にはならないと評価していました。(便利なフリーウエアが出回ってるなんて知らなかったので)そんな時でした。VGA液晶を積んだSL-C700 リナックスザウルスが発表されたのは。
hanpen77 10年前

hanpen77のブログ
https://hanpen77.hatenablog.com/

はんぺんのPDAどつぼ (-_-;)
https://blogs.yahoo.co.jp/bungo7l/







HP100/200LXユーザー待望のミニACアダプター発売
マッチ箱サイズの小型ACアダプター
Jornda用小型ACアダプターでおなじみのダイヤテック(株)のご協力によりHP200LX小型ACアダプターが完成いたしました。
¥4,200
ご購入はこちら
※在庫は豊富にございますが 今回限りの製造になります。

PS/PLAZA WAKAMATSU 
http://www.wakamatsu.co.jp/





1995年6月11日日曜日

[機器][PC] IBM ThinkPad220




[機器][PC] IBM ThinkPad220
IBM ThinkPad220
ThinkPad220の2号機である。230のHD換装時に余った260MBのハードディスクに換装してある。
RAMは2MB+8MBで、Win3.1を入れてあるが、DOSでの使用がメインである。現在(97年9月)Niftyの巡回はこれで行っている。KTX+KTXNIF+NIFPの組み合わせである。
D-mailとLOUKも入れてあってこっちもよく使う。WebBoyやInternetExploer3.1のWin3.1版も入れてあるが、使うのはもっぱらこっちだ。やっぱり220でのWin3.1の使用は実用的とは思えない。
しかし、ほんとにいいマシンだと思う。しかし、こういう時代遅れのマシンをこの先いつまで使い続けるんだろう?
未だに220は立派に現役である。
CPUが486,Pentium,MMX Pentium,Pentium?Uと変遷していく中で、相変わらず立派に活躍してくれている。
Niftyの巡回、ログ読み、D-Mailでのメールチェック、LoukでNewYorkTimesを読む、TurboC++でCのプログラミングのお勉強。枕元でフルに活躍している。
ThinkPad220の周辺機器
220で使っている14400bpsのモデム。MEGASOFT STARFAXCARD 1414。
KTXとNIFPでNiftyの巡回&ログ読み。D-Mailでメールチェックと大活躍である。
一応,Win3.1でIE3.0とInternetMailも入ってはいるが,実用のレベルではない。

Burgundy
http://www.bekkoame.ne.jp/~burgundy/doc/dpc.html



MEGASOFT STARFAXCARD 1414


 

1995年1月6日金曜日

[機器][PC][改造] NEC PC-9821改造

あの素晴らしいFELLOWをもう一度
NEC機
花の命は短くて夢見る月日は駆け足で過ぎゆく
☆はじめに
私は日電機には正直あまり詳しくないのですがこのマシンについて知っている事を簡単に並べてみます。(^_^;)
「PC-9801 BX4」98x1低価格路線の先兵として送り出されたFELLOWシリーズの最終機にして最後の9801型番機です。
私の記憶では当時の98はWindowsアクセラレーター(いわゆるビデオカード)を標準装備した機種を9821、従前の98グラフィックスのみ装備の機種を9801と呼んでいました。
しかしながらこのBX4は9801でありながらハード的には9821Xe10と同系列のマザーを使い、GD5430を使ったWindowsアクセラレーターを装備するという内部的には9821なマシンでした。
奇しくも時代は急速にWindowsに突き進んでいき、結局デフォルトでWindowsが使えない9801系はこのマシンで最後になりました。
と言うことで嫌いつつも憧れだった9801シリーズの最終機と言うことでぢつわ以前から欲しかったマシンなんです。(^◇^;)
運良くヤフーのオークションにて15百円で落札する事が出来たので、晴れてオーナーとなることになりました。(^^)
☆簡単なスペック
入手時のスペックと現状は以下のとおりです。
スペック 入手時 現在
CPU AMD DX2-66 33×2 AMD Am5x86-P75 40×4
MEM 8M SIMM 4M×2 8M SIMM 16M×2
FDD ×2 3.5inch 同左
HDD Non IDE 540M WD Caviar 2540
CDD Non ATAPI ×40 A-Open
VIDEO GD-5430 標準装備 同左
マシンの外観は大体こんな感じです。
元々日焼け有り汚れ有りのジャンク扱いでしたから文句言えた義理じゃありませんし、出品者が言うほど悪くもありません。
ちょっと驚く事もあったりしましたがたいした問題ではなく、可もなく不可もない素体でした。
素体の外観
素のままでもDOSベースでの通信機程度ならそのまま使えそうですが、Windows95以降は厳しいですね。まぁ同じWindowsでも3.1ならそこそこ行けそうですが。(笑)
取りあえずはHDDとCDDの調達が第一でしょう。幾らDOSベースとは言っても流石に今時FDベースでの運用は厳しいです。(笑)
☆強化改造の記録
なんと言っても486機ですから目指す方向はDOS専用マシンです。と言うか9801はDOSで使ってこそ生きるというのが私の持論です。
ベースクロックのアップも含めていじり倒した後、最終的にはDOSベースで家庭内LANに繋いでルーター経由でのネットサーフィンを出来るようにしたいと考えてます。
もちろん実用重視ではなく趣味の一環としての可能性の探索って奴です。日電がWebboyの98x1版を出していれば話は簡単なんですが・・・。
☆☆MENU☆☆
☆セカンドシリアルを増設する
★ATAPI CD-ROMを装備する
☆HDDを装備する
★IDE-98を使ってみる
☆マザーボードの換装と改造
☆CPUを換装する(Am5x86-P75)
★CPUを換装する(podp83)
☆HDDを増設する
☆セカンドシリアルを増設する
98ユーザーの間では割と有名な事のようなので敢えて書くほどでもないような気もしますが、一応枯れ木も山の賑わいと言うことで書いておきます。(^_^;)
セカンドシリアル増設の詳細についてはこちらをご覧下さい。
★ATAPI CD-ROMを装備する
入手した時点では付いていたのは2FDDだけでした。
純粋にDOSゲームマシンとしてはそれでも良いんでしょうが、やはり今時使うにはちょっと寂しいです。
と言うことで秋葉の湘南で3千円で売られていたA-Openの40倍速ドライブを買って来ました。
586RAの時は汎用のドライバが使えずに色々と困ったりもしましたが、今回はDOS6.2付属のドライバを総当たりで試してみたらNECCDC.sysが使えたので良かったです。
ちなみに作業的にはIDEケーブルを繋いで電源差し込んだ後本体にネジ止めするだけですからちょろいもんです。
しかし最近の高速ドライブはうるさい。ATだとタワーで蓋閉めてるからそんなに気にならないんだけどデスクトップは辛いです。(^_^;)
☆HDDを装備する
なんとなく順番が逆なような気もしますがついでにHDDも取り付けます。
このマシンは最大で4.3Gまでのドライブが取り付け可能らしいですが、あいにく最近じゃそんなに小さいドライブは有りません。
しかしなぜか我が家には540Mのドライブが幾つかストックされていたのでこれを使うことにしました。
Windowsだと厳しい容量ですがDOSで使う分には全くもって余裕でしょう。
これも作業的にはIDEケーブルを繋いで電源差し込んだ後固定金具にネジ止めして本体に固定するだけですからちょろいもんです。
しかしこのマシン、2機目のFDDを取り付けているとIDEコネクターが隠れてケーブルが挿しにくいのが難点です。
一度目は挿しが甘かったらしくエラーが出てフォーマット出来なくて焦りました。一度FDDを外して挿し直して解決です。
★IDE-98を使ってみる
HDDの装備のところで書きましたが、最初にHDDを繋いだ時にエラーが出てフォーマットできませんでした。
原因が分からなかった私は「ATで使っていたHDDは9801IDEと相性が悪いのではないか?」と考え(笑)、ストックしていたIDE-98を試しに繋いでみました。
コネクターを付け直したのですから当然フォーマットは成功するわけですが、丁度良い機会なのでDOSでの速度を測ってみました。
ベンチ結果の詳細についてはこちらをご覧下さい。
どうも若干の違いはあるもののスロット一つ潰してデバイススキャンで起動時間が延びる程の価値が有るかというと些か疑問です。
と言うことでうちではIDE-98は使わないことにしました。
ちなみにBX4のCバスとIDEは98x1の中でもかなり速い部類のようです。
☆マザーボードの換装と改造
上でも書きましたがBX4はXe10とほぼ同じマザーを使っています。両者の違いはセカンドシリアルの有無と音源ボードの有無くらいです。(と、この時は信じてました。(^_^;))
と言う事で(?)音源ボードとFDDの予備を確保するという建前の元、オークションにてXe10を落札したのでした。(ちなみに今回はキーボードと電源ケーブル、2FDDにHDDと16Mのメモリまで付いて17百円。ラッキー)
しかし、届いたマシンをバラしてみて愕然!一番欲しかった音源ボードが付いてない~。どうも良く解りませんがXe10には音源が無いタイプも有ったようです。しくしく(ρ_;)
で、前置きが長くなりましたが、肝心の音源カードは無かったもののその他のパーツは予備としてモスボールする事にしました。
更に双方のマザーボードを良く見比べてみるとBX4の物が「G8VBD」Xe10の物が「G8TZA」です。更に良く見てみるとBX4の奴にはあるジャンパーが省略されていたりして、ネットで調べてみた結果からもどうもXe10のマザーの方が新しいようです。
と言う事でマザーを換装することにしました。(だったらXe10にしろって?だって「最後の9801」が欲しかったんだもーん。)
さらに換装するなら折角バラした状態に有るんだから今のうちに手を入れちゃえと言う事でOSCをソケット式に改造しちゃいました。(^^ゞ
二つのマザーボードとOSCのソケット化の詳細についてはこちらをご覧下さい。
★CPUを換装する(AM-5x86P75)
こいつを入手した時点ではオリジナルのAMD DX2-66が付いていました。DOSベースでの運用となればこれでも十分ではありますが、丁度手元にAM-5x86P75とPODP-83が余っていたので換装しました。
PODP-83とどちらにするか迷ったのですが、ネット上であちこち読むとクロックアップ耐性の良さからこちらを押す意見が多かったので取りあえずこれにすることにしました。
#PODP-83もいずれ使って双方比較してみる予定です。
一応OSCを交換してベースクロック40×4で動作させてますが特に問題はないようです。さすがADZ。(^^)
ベンチについては適当な物が思い浮かばなかったので取ってません。
★CPUを換装する(PODP83)
別ページでも書きましたがPODP83をオーバークロックで使うために改造したので早速取り付けてみました。
挑戦時点で既にベースクロック40状態ですからいきなりのオーバークロックです。
結果から書くと駄目でした。DOS等ではしばらく使えますがWin95では起動時にフリーズしてしまいます。
折角改造したのに残念でしたがPODPのクロックアップ耐性はかなり低いようです。
ベースクロックをもう少し下げれば動くかもしれませんが、それにはもう少し色々な種類のOSCを探してこないと…金かかりそう。(^_^;)
もう一度やるにしても大分先の話になるでしょう。
ベンチについては正常動作しない状態ですから取ってません。
★HDDを増設する
このマシンにはドライブ増設用のスペースとしてセカンドFDDのスペースがありますが、ここにフロッピードライブを増設してしまうと他には設置場所がありません。
とは言ってもDOSはともかくWin95まで入れるとなると最初に入れた540MBのHDD一個では小さすぎます。
仕方ないのでどこかに設置できる空間がないかと探したら…有りました。CDDの下です。
しかしここは高さ的に狭いので通常の3.5インチドライブは入りません。仕方ないので2.5インチドライブを変換コネクター経由で接続して押し込んでみました。
接続はプライマリ側-540MBセカンダリ側-4.3G(マスター)-CDD(スレーブ)で繋ぎました。 BX4のIDEはスレーブ接続のドライブは使えないらしいですが、CDDであればBIOSで見えなくともドライバで使えるのでこういった形で繋ぎました。
しかしこの状態で起動すると早速問題発生です。DOS用のCD-ROMドライバであるNECCDC.SYSはスレーブ接続のドライバでは使えないようなのです。
「困ったなー」と思いつつセットアップを続けると更に不可思議な現象に出会いました。
セカンダリーのマスターに接続したHDDから起動してWin95のSETUPを行って無事にセットアップができたように見えるのに、再起動してセカンダリードライブから起動を始めると途中でプライマリードライブに起動ドライブが移動してしまいます。
不思議に思ってプライマリーのHDDを覗くとWindows本体がこっちにインストールされてます。…どゆこと??
何度か試行錯誤してみましたが、どうやらBX4(Xe10)は必ずプライマリーポートに繋いだHDDから起動するようになっているようです。
ちなみにプライマリー側のHDDを外してセカンダリー側だけ繋いで起動しようとすると「システムファイルを入れてチョ」って言われます。
さらに4.3GBのHDDをプライマリ側に繋ぐとメモリチェックの後固まりました。セカンダリ側なら問題なく使えるのになぜ??
CDDは使えないわ大容量ドライブは駄目だわでやる気を削がれたので結局一度元に戻してしまいました。
やはりドライブ増設はSCSIで外付けなのかな~。(--;)

しーど君の工作記
http://seedkun.orz.hm/menu.html

Lacis
http://www.ksky.ne.jp/~musa/hard/epson_ix.htm

EPSON PC ROOM
http://www.mal-o.com/epson%20pc/epsonpchome.htm

どるこむ
http://www.dorcom.net/







パソコン
改訂:2000/08/10
2000/08 枚方の自宅用にもスリムタイプPCを購入
ノートPCを持ち歩いていて、枚方の自宅でもこれを使っていたが、アマチュア無線機器とつないで使うには不便なので、横浜のと同じくブックシェルフタイプのスリムPCを購入。
もちろん、メーカー製ではなく、自作タイプである。横浜での新規PCとほぼ同じ構成でインストールする。
昔使ってたプリンタがうまく動作しない。プリンタのインクカートリッジを変えてみるがだめ。どうもプリンタ自信がおかしいようだs。何せ、20年近く前のBJ-10Vだから。
LinuxのXWindowがうまく動作しないのは横浜と同じ。
2000/07~08 横浜の社宅にスリムタイプPCを購入
アマチュア無線用とインターネット用と使い分けしたいので、もう一台PCを買うことにする。
ブックシェルフタイプのスリムPCを購入。もちろん、メーカー製ではなく、自作タイプである。CPU、HDD、メモリ以外はすべてついているベアボーンタイプというのが19800円で打っていたのでこれを購入、HDDは前のディスクトップのものを流用することにし、CPUは500MHzもあれば十分なので一番安いのにする。でも、一番安いので533MHz、それ以下は作っていませんとのこと。メモリは64MBが最低と言うことなのでこれにする。てなわけで、今持っているデスクトップよりも遙かに性能のいいものが合計37000円程度で入手できてしまった。これで、KB、マウス、さらにスピーカがついてくるのだ。パソコンメーカーは大変なわけだ。
さて、Windows98とLinuxさらにブートマネージャを27GBのディスクに導入しようとしたのですが、ここからが大変。ディスクサイズの壁があるはあるは。さらに加えて、PartitionMagicのバグが重なってずいぶん手こずりました。おかげでずいぶん勉強になりました。
パソコン・勉強になった事
(1)ディスクサイズの壁
(2)PartitionMagicのバグ
(3)解決はしたが、不明のエラー
てなわけで、なんだかんだと突き当たりインストールとそのあとの環境整備で1週間ほどもかかってしまいました。でも、ホント勉強になった。
で、とりあえず、Windows98の方は前のディスクトップと同じ状態で日常の作業に使えるようになったのですが、Linuxの方はまだXWindowがうまく動作しないません。まあ、これからの楽しみです。
1999/07 ディスクトップにCD-R/Wを導入
最近、CD-Rが馬鹿に安いので、バックアップツールとしてCD-R/Wを導入しました。
現在のCDの上のスロットに入れてみました。特に問題もなくすんなりと導入完了
1999/12 横浜の社宅にPC環境を整備
突然の転勤で、横浜の社宅へ。とりあえず、枚方の自宅の機材の内、現行稼働のディスクトップ周り一式を持っていく。
モバイルで使っているPCとのLAN環境も設定。プリンタもLANに直接つなげるアダプタを導入する。
1999/10/11 LCDモニターを購入
古いデスクトップを活用するために、今、メインで使っているCRTモニターをそちらに回し、新しくLCDモニターを買った。15インチのが最新のようだがずいぶん高い。14インチのものが結構良い性能で安い。1インチの差で3万円ほども違うので迷うことなく14インチのものを買ってくる。それにしても最近のLCDはずいぶん明るい。今まで使っていたCRTモニターよりも明るい。早速、模様替えして見るCRTモニターはずいぶんスペースをとっていたものだと改めて感じ入る。これで、机の上にプリンタまで置ける様になる。
1999/10/10 SSTVインタフェースを作成トランシーバとつなぐ
かねてから暖めていたSSTVインタフェースを作成。トランシーバとつないで動作を確認。
1999/03/07 LANカード不良
2~3週間前から電源を入れて、しばらくするとLAN接続がおかしくなる。
どうも、LANカードが電源を入れてしばらくたつと認識されなくなるようだ。この間買ったばかりなのに全く困ったものだ。日本橋までクレーム付けに行ってもいいが交通費だけで新しいLANカードが買えてしまうので考えてしまう。結局デスクトップを1台に集約することにした。古いデスクトップからLANカードを抜いて新しいデスクトップに入れて使うことにする。
1999/02/18 古いデスクトップが調子おかしい
新しいデスクトップを待っていたように古いデスクトップの調子がおかしくなる。
HDDの認識が何か変だ。インストールし直すが、ますます悪くなっていくようだ。いよいよご臨終か?
1999/02/06 書斎机を導入
パソコンも無線機もパソコンラックに入れていたのだが、どうも使いにくいのと、無線を本格的に再開したくなったので机を買うことにした。140cm幅のもので、サイドラック等のある落ち着いたものを買う。早速、パソコンと無線機を並べ替える。子供たちには一人に一つの机があったのに、やっとオヤジにも専用の机が与えられた。机に向かってパソコンと無線機をさわりながら、思わずニヤリとする。
1998/12/02 フライトシミュレータを買う
前から欲しかったフライトシミュレータを買う。同時に中部・近畿シーナリーも買ってくる。早速、マニュアルを見ながら離着陸をやってみる。これはなかなか奥が深そうだ。自分の家の上あたりもとんでみる。
1998/11/08 新しいデスクトップを買う
今のデスクトップをバージョンアップするか新しいのを買うか迷ったが、結局新しいのを買うことにした。K6-2の350MHzで6.4GBHDD、LANとHubもあわせて買う。OSもWin98のクリーンインストールできるものを購入した。
1998/09/26 デスクトップにLANを増設
会社で使っているA5タイプのPCをモバイル用として常時持ち歩いているので、これと、我が家のデスクトップをつないでデータ交換をしようと言うことでLANカードとクロスケーブルを買ってきました。HUBを買おうかとも思いましたがLANカードよりも随分高く、とりあえず、対抗接続でうまくいって、更にPCが増えたときに買えばと思って、クロスケーブルだけにしました。LANカードも随分安くなったものだ。下手にデータ交換用の大容量記録メディアを買うよりも楽である。説明書通りセットアップしたがどうも調子がおかしい。再起動するとハングアップしてしまう。いろいろ調べたらIRQが競合しているみたい。IRQを違うチャネルに変えたらあっけなく正常動作になった。これで、デスクトップのHDDにA5ノートのデータをバックアップできるようになった。また、FDD、CDD、プリンタなどのリソースを共用できるようにセットアップしたので、ケーブル一本をつなぐだけで、A5ノートで、3.5”FDや5”FDのデータ、CD-ROMのデータなどを読み込むことが出来るようになった。、また、プリンタへも簡単に出力できるようになり、快適な「家庭 内LAN」となった。もちろん会社では、このA5ノートは会社のLANにつながっています。
1998/09/06 現在使用中のデスクトップ
数年前のDOS/V機、Windows3.1でスタート486DX2の66MHz、240MBのHDD、メインメモリ8MBこれでも最新機種でした。
その後、増設変更などを繰り返し、今は、Windows95とOS/2とLinuxをマルチブート、CPUは変わらず、HDDは540MBのIDEと2GBのSCSI、メモリは20MBに拡張、プリンタはBJ420。それでも、遅い、新しいのがほしい。
PC9801NEだったかな
10年ほど前にアメリカ出張時に買ったものです。386SX33MHz、に20MBのHDD、640kBのメモリ、プリンタはBJ10でDOSに一太郎4.3、ロータス123で十分間に合っていました。UNIXの端末に使ってメールリーダーとしても活躍しました。
PC9801RX2
更に前に買ったものです。286の10MHzでした、もちろんDOS、プリンタはワイヤドットインパクトタイプのカラープリンタでした。
会社では
ミニコンのMAC7から始まって、SPARCのWS迄をさわっていました。PCは4004や8008のINTELの出始めの頃から組込用マイコンとして使っていました。
もどる

TAKAさんのホームページ
http://homepage3.nifty.com/hirotaka929/pc.htm
http://homepage3.nifty.com/hirotaka929/top.htm






1994年7月14日木曜日

[機器][PC] EPSON PC-486GR~PC-98互換機

PC-486GR

06-03-11
いつだったかどこかで体験版のCDを貰った「Pranetarian ~ちいさなほしのゆめ~」
面白そうだなと思いつつも、クレカのみの支払いでダウンロード販売だったから放置。
が、4月にパッケージ版の販売が有ると聞いてワクテカ。まあ金無いんですが。
先月末から机に放りっ放しだった「半分の月がのぼる空6巻」。久々に手に取る。
30ページだけ読んであった所をとりあえず読破。そして鬱る。
一昨日は「流れ星がきえないうちに」を読んでたし、今週は橋本紡ウイークか。
21世紀になって随分経つ今日に、またDOSマシンが増えてしまった。
エプソンのPC-98互換機、PC-486GR
FDDが3台という本家には無い構成。Cバスも4本と豊富。SCSIのHDを内蔵。
純正キーボード+社外マウス付きで0.5K。
互換機は色々面倒っぽい上に特に用途も無いと言うのに買ってきてしまった。
最悪カノープスのグラボ抜いてPC-9821Ce2に移植すれば良いか。
とりあえず、モニタ出力を31KHzにするために改造しなくては。

Untitled
http://www.geocities.co.jp/1065/diary/06-03.html








06-03-12
486GRに5インチFDが有るのを考えて、押入れをかき回したらこれが。
新品の10枚入りが出てきた。
裏の懸賞の日付を見る限りは平成6年前後の製造っぽい。
買ったのは覚えてたが、まさか使う事になろうとは。

Untitled
http://www.geocities.co.jp/1065/diary/06-03.html








PC-486P

PC-486FS

[機器][PC] EPSON PC-486~EPSON98互換機
コンパクトデスクトップとともに歩んだ日々
~ PC-486PからPC-486FSへ ~
1,486Pとの出会い
1992年も暮れに押し迫ったある日、突然僕の目に飛び込んで釘付けにするマシンがそこにはあった。
マイコンBASICマガジン1993年1月号、それまでEPSON98互換機には目もくれていなかった僕にとって、
デザイン、スペック、価格、全てが驚きで全てが魅力的であった。
PC98はまだDOS全盛期、初代9821が発表、Windowsは3.0、一太郎Ver.5発売、X68000、FM-TOWNSがまだまだ元気だった時代、
そして僕は大学受験を控えた高校生であった。「EPSON PC-486P」あこがれはここから始まった。
2,486Pとの再会
1993年、無事に大学に入学した僕はアルバイトを始めた。
高校生の頃からPC-9801NVユーザーで往年の名機MT-32とともにMIDIにのめり込んでいたが、1ドライブでモノクロの98NVがゲームに向いてないことをひしひしと感じる毎日だった。そんなある日、いつものように近所のPCショップに行くととそこにはあのあこがれの486Pが店頭に並んでいた。中古で買い取られた486Pは、並んでいるどのマシンよりも「A列車で行こう4」の店頭デモを高速に動かしていた。衝動は動き出したら止まらずその日の晩には両親に借金の交渉をしていた。こうしてあこがれは現実となった。
3,緩やかなる進化
購入した時にはすでに後継機である486SE/SRが発売されていた。同サイズで明らかに拡張性が上であるSEをなぜ選ばなかったのか、答えはただ一つデザインが486Pの方が好きだったからである。それに当時はこのマシンパワーならばそれほど拡張する必要もないであろう、と考えていたからだ。その後なんとなくWindows3.1を触ってみたくなりメモリを増設し(お金がなかったので4MBと2MBという情けない買い方をした)、HDDもSCSI2の500MBを増設し、Simcity2000のためにカノープスのPowerWindow928Gも導入した。メルコのCD-ROMドライブやQ-VISIONのWaveMaster、DX4ODPも導入したがそれほど増設に燃えていたわけではない。
重要なのはパワーアップではなくゲームが動く最低限の環境だったのである。
4,インターネットというブラックホール
気がつけば社会人になっていた。
日がたつにつれ486Pへの愛着は薄れていた。世はすでにWindows95でインターネットという時代だったが、我が家では相変わらずJustWindowが主役でWin3.1すらあまり使っていなかったからだ。時代遅れの感がだんだん強くなっていく中ある転機が訪れた。会社のPCを個人的にインターネットに接続し、自分のメールアドレスを持ったのである。最初は社内でメールチェックをしていたがやはり自宅でもつなぎたいと思い、14400bpsのモデムを知り合いからタダでもらい486PでWin3.1+IE3.1+TrumpetWinsock+AL-Mailという環境でインターネットを始めたのである。それは魔境への入り口であった・・・
5,ゑぷらーとの出会い
もともとDOS時代でもパソコン通信にも興味がなかった僕だったが、WWWよりもメールにはまってしまった結果、遅い環境でも十分満喫できるネット生活だった。WWWは画像の表示を全て切り、それほど徘徊することもなかった。ところがある日、なんの気なしにYahoo!でたたいた「EPSON98互換機」という文字が、どろどろに濃いゑぷらーの世界に足を踏み入れてしまるきっかけとなってしまった。「ゑぷらー」・・・EPSON98互換機をこよなく愛し、限界までチューンナップする人たちのことを自らこう呼ぶ。彼らのホームページは今まで聞いたことのない情報の宝庫であった。
自分がいかに井の中の蛙であるかということを思い知らされた。
6,増設フィーバー
早速僕もえぷらーとしての道を歩み始めた。
NECのWindows95を9.6MB、ノーマルディスプレイの486Pにインストール。
あまりにあっさりと動くので拍子抜けしてしまった。
これで今まで3.1環境で出来なかったPostpetも出来る。
調子に乗った僕は増設を繰り返した。
メモリ、グラフィックボード、HDD、SCSIボード、CPU etc、毎月の給料のどれだけをこいつらにつぎ込んだか数えたくもない。ただ、確かに486Pは生まれ変わっていった。少々のことに目をつむれば家で使うぶんには不自由しなかった。あのSEGA Rallyですらもそこそこゲームになるスピードであった。この頃の構成はPC-486P(Cx5x86 100Mhz)、45.6MB RAM、2.6GB HDD、MDC-926RS、GA-DRV4/98という486Pではほぼ最強のつもりであった。ただ一つグラフィックボードだけはあの伝説のCanopus PowerWindow968が手に入らなかった。中古屋、個人売買、オークションなどでも探し回ったが全く見つからずあきらめかけていた頃、fj(ニュースグループ)での掲示を見つけた。すぐにメールにて問い合わせ何とかゲット出来たPW968は、しかし本体もしくは周辺機器との相性によりパフォーマンスを最大に発揮できなかった。結局GA-DRV4/98に戻ってしまったのだ。また無謀なのはわかりつつも好奇心には勝てず、Windows98を486Pに導入したのもこの頃だ。MusaさんのページのNaOさんの記事を参考に慎重に進めた結果導入にも成功した。この頃が486Pの黄金期だった。
7,世代交代の時
時は同じ頃、週間アスキーにて個人売買のHPの存在を知った僕ははじめての入札でPC-486FSを落札してしまった。SE/SR以降のEPSON互換機の型番に詳しくない僕は早速山田さんのHPにて486FSのスペックを確認した。どうやら486Pと同じコンパクトPCらしい。しかしベースは33Mhzだしグラフィックボード用のローカルバスも装備しているので486P以上の性能はたたき出せそうだ。486Pに装備している物をすべて486FSに移そうとしたが、肝心のCPUアクセラレーターが装着できない。物理的にケースの中に収まらないのだ。調べてみるとこいつにはPK-EP586x3しか刺さらないらしい。ちょうどその頃「アキバの祖父地図でこいつを特売している」と言う情報を手に入れ通信販売で購入した。EPSONローカルバス用グラフィックボ-ド「PCSKB5」もなんとか個人売買で手にいれることが出来た。
この時点でついに486Pはセカンドマシンの座に落ちてしまったのだ。
8,さらなる拡張
拡張スロットが埋まってしまった以上拡張は出来ない、
これはPCでは当然の宿命だ。
486PではSCSIとグラフィックボードでいっぱい、486FSでもSCSIボードを入れたのであと一つしか空きがなかった(グラフィックボードは専用のスロットなので)。しかしPC98にはC-Bus拡張BOXというものがある。名前の通り拡張スロットの数を増やすことが出来るのだ。この奇妙なオプションもなんとか個人売買で手に入れ拡張スロットは2から4になった。増えた拡張スロットに何をいれるか?1つはLANボードと決めていた。結婚すると「ピアピアにしてルーターからインターネット」にあこがれていたからだ。もう一つは音源ボード。これもSB16を手に入れた。最後の一つに入れたもの,それはPCカードアダプタであった。これでPCカードをTYPE3でも2枚同時に装着できる。将来的にはここにUSBカードを装着しWindows98を導入してEPSON486機でUSB機器を接続という新たな夢が出来た。

EPSON PC ROOM
http://www.mal-o.com/epson%20pc/epsonpchome.htm
















[機器][PC] EPSON PC-486noteAV~MS-DOS5.0 PC
[機器][PC] EPSON 586RA~EPSON98互換機
~MALの相棒、もしくは金食い虫~
2002年5月18日現在
2002年現在のMALのPCデスク全景です。
下の2000年現在と比べて大きく変わっているわけではありませんが、メインPCの586RAが増えてますね。
真ん中の上の物はもちろんドリームキャストです。
右上の黄色い時計は先日オークションで手に入れた「ポッキー四姉妹物語」の物・・・。
真ん中に入れ物が置いてあるのはPCデスクがたわんでいるからです。
規定以上の物を置いているので両端に並べないと机が折れる・・・。
NaOさん家からお嫁入りしてきた586RAです。外観的にはCD-ROMを16倍速に換装してますね。
黒い線はドリキャスのLINE。ドリキャス二号機はVGAユニットを使い586RAとディスプレイ切り替え機でモニターを共有しています。
音声は586RAに入り、内蔵スピーカーから鳴る仕組み。
2000年4月16日現在
2000年現在のMALのPCデスク全景です。
いつもこの前に座って作業をしています。
左のPowerMACは飾りとして置いているだけで電源も入りません。
キーボードは486FSに付属の物を使用。
マウスパッドはPostpetです。その他の飾りは下にて。
先代のマシン「PC-486P」です。こいつに憧れてEPSONファンになりました。酷使しましたが壊れているのはODPソケットのみ。博多に旅行に行った時に撮ったプリクラとかポスペのシールが貼ってありますが、なんと言ってもポイントは「intel in it」のステッカーじゃないでしょうか。今現在はディスプレイ台としての役割がほとんどですね。そろそろ復活させてやらないと。
メインマシンである「PC-486FS改」です。デザイン的には決して好きではないのですが外観はどノーマルのままです。パワーサプライから電源を供給するので(外付け機器が多いため)、電源スイッチは常にONのままです。
YAMAHAのMIDI音源「TG300」です。SoundBlasterのジョイスティック端子より接続しています。
最近は全く打ちこみをしていないので、もっぱら鑑賞用です。
やつらの記憶部分担当のお二人です。普段は右側のメルコの2GBのみですが、DOS用に左側のエレコムが存在しております。
相変わらず現役の2.4倍速CD-ROMです。上に乗っているのはPotpet2001初回限定付属のフィギアと、網走で買った「ニポポ人形」と、イースター島で買った「モアイ人形」です。左にあるのは我らがえぷらーの必需品「EPSON版 Windows95 ドライバCD」ですね。
CD-ROMを上から眺めた所です。
下の板はイースター島で買った「ロンゴロンゴ」、上の茶色いのはバリ土産の笛です。その右にあるのがこのPCの最終兵器「Cバス拡張BOX」です。実際には右からSoundBlaster、LANボード、PCカードスロットが刺さっています。
Cバス拡張BOX部分の拡大です。
PCカードスロットに何も刺さってないのがよく分かります。
ケーブルが咲き乱れてるのはお約束ということで。

EPSON PC ROOM
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システム構成図
我が家の異様なネットワークです。
DELLは和室に、ルーターはダイニングに、それ以外は寝室兼MALの部屋にあります。
特徴としてはゑぷ側は至って普通なのですが、DCのうち1台はブロードバンドアダプタ(BbA)を装備することにより通常のネットワーククライアントとしてLANに参加しています(もちろん固定でIPを振っています)。DC二号機は内蔵モデムからルーターのアナログポート同士の内線機能を利用してWindows2000のDELLに着信接続することにより、LANに参加するという荒技をやってのけています。

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EPSON98 Value Up
ハードディスク・CD-ROMの接続情報コーナー追加
586RVにK6-III搭載!結果は!→【CPU換装】
586RVでPIONEER製CD-ROMが動作しました。
このページは私の所有マシンをベースとしたアップグレードを紹介しています。
対象機種は486MV、586RVおよびRJです。(恐らく、486M/Rシリーズ、586M/Rシリーズもほぼ同じと思います)
486MV、586RVともに1994年に発売されたマシンです。この時のOSはDOS、またはWindows 3.1でした。
それから5年。OSはWinodws 95を経てWindows 98そして、2000へ。マシンも500~600Mhzのものが常識になりました。
多くのEPSONユーザーがアップグレードを行っていると思いますが、情報不足でアップグレードをためらっている人への参考にしてもらえればと思います。
注意!
●以下のページで行われている改造は、一部を除きメーカー保証外の行為です。
●改造がうまくいかなかったり、最悪の場合、システム本体の破壊をもたらす可能性があります。
●動作しない場合でも、Musa、情報提供者、メーカーは一切の責任を負いません。あくまでも自己責任において、改造を行って下さい。
※内容等で不明な点があれば、メール・掲示板等で可能な限りお答えします。
Windows 95/98で使用する場合、ほぼ全てのパーツを強化しなければなりません。
ここではメモリ、CPU、グラフィックアクセラレータ、ハードディスク、CD-ROM、その他の順で紹介していきます。
メモリ
CPU換装
グラフィックアクセラレータ
ハードディスク換装
CD-ROM換装
その他

Lacis
http://www.ksky.ne.jp/~musa/hard/epson_ix.htm

EPSON PC ROOM
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どるこむ
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EPSON 98 Value Up
CPU換装
486編
標準搭載されているのは i486 33 or 66Mhz。(MEは除きます)
交換対象はPentium ODP 83Mhz、メーカー製CPUアクセラレータ、下駄を利用したCPU交換になります。このうち、下駄利用は自身で行っていないのでここでは紹介しません。興味のある方はリンクページから他のEPSONユーザーのページへ飛んでみてください。
◆Pentium ODP(販売終了)
Winodws 95で多少の問題があったものの、メーカーが動作保証しているので安心感が高い製品です。intel insideがいい方はこちらをどうぞ。ただ、製造が終了しているので、新品の入手は不可能でしょう。中古で価格がこなれていれば整数演算・浮動小数演算のバランスのいいCPUなので買ってもいいと思います。
◆PK-A586/98
I・O DATA製。AMD製Am486DX5使用(Am5x86-P75相当)し、133Mhzで駆動。EPSON機では基本的に関係ないがセカンドキャッシュとの併用を保証している数少ない製品。価格は24800円。
◆VIPER Max Drive CVS(販売終了)
アセットコアテクノロジー製。AMD製Am5x86-P75を使用し、133Mhzで駆動。動作保証機種がPK-A586/98とは若干異なる。価格は19800円。
基本的にどれを購入してもいいと思います。ワープロなどの事務的作業にはAMD製CPU使用のアクセラレータの方が向いていますがバランスはPentium ODPの方が勝っています。新品で欲しい方はメーカー製のアクセラレータしか選択できませんね。私はVIPER Max Drive CVSを利用していますが、小さな問題はあるものの、特に困ってはいません。
※小さな問題について
実はフロッピーによっては起動できないことがあるんです。対処方法は、前面にあるクロック切り替えスイッチを利用して起動時のクロックを最低にしておき、起動したら最速に切り替えることで問題をクリアしています。ハードディスクでは問題なく起動できるので基本的に困ることはありません。
586―ソケット4編
Pentium ODPと下駄を利用する方法があります。ちなみにRVやMVに搭載されているPentiumはソケット4というレアなソケットのためかなりアップグレードが限られます。
◆Pentium ODP
Pentium 120相当までのアップグレードが行えます。ただし、製品の販売は終了しているので中古での購入になります。
◆下駄の利用
K6-III動作確認しました。(保証はできません)(^^ゞ
98シリーズのアップグレードでおなじみのPowerleap社製の下駄‐-を利用します。これを利用することでソケット4のマシンにソケット7用のCPUを搭載することが可能になります。現在、K6-IIIの360Mhzでの動作が確認できています。
1.なぜ下駄が必要か?
RVシリーズのCPUはSocket4を利用します。これは現在のSocket7とは物理的なサイズがそもそも違い、そのままではPentium系のCPUが挿せません。また、MMX Pentium以降、IDT製Win Chipを除いて、CPUのコアとIO部で電圧が違うデュアルボルーテージ仕様が主流になっています。また、ベースクロックに対する倍数設定を行うための機構もRVには用意されていません。
PL-54CMMXを利用することで上記の問題を解決することが可能になります。
2.動作させたCPU
K6 PR200
K6-2 PR2-300 (330Mhzでも動作しました)
K6-III 400 (300・360Mhz、コア2.2Vで駆動しました)
詳細はこちらに掲載!
CPUの全てのロットで確認しているわけではないので動作保証はできません。御自身のリスクにおいて換装してください。
K6等にI/O部3.45VのCPUがありますが、なるべくI/O部3.3VのCPUを利用したほうが良いと思います。
この他にも「動作確認した」CPUがありましたら、メールをいただけるとうれしいです。

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EPSON 98 Value Up
メモリ換装
486編
最大メモリ搭載量は61.6MBです。ただし、PCSKB5(後述)等を搭載した場合、57.6MBに制限されます。
また、本体ソケットは2本のみ(8M×2)なので、増設サブボードを利用します。使えるサブボードはEPSON製PCRB02、I・O DATA製EP-RB02、メルコ製ERF等になります。
◆PCRB02
恐らく店頭で手に入れることは不可能です。私は店で注文して取り寄せました。ただし、かなり前のことなので、現在製品があるかは不明です。
◆EP-RB02
ボード自体は現行製品ですが、動作保証されているメモリのうち、大容量のもの(16Mや32M)は販売が終了しています。
◆ERF
メルコ製EMF-P(NEC)用を利用した増設が可能です。これはパリティ有り・無し両用タイプなので、本家のマシン(Xa等)で使えて、両方持っている人は流用が可能です。
586編
EPSONとI・O DATAからは正式対応の製品は現在販売されていません。メルコ製はEMW-P(NEC用)が正式対応しています。
486/586ともに、メモリはAT互換機用等が利用できる場合もありますが、動作リスクと最近の価格上昇を考えると、他のマシンからの(あるいは他のマシンでの)流用が可能な場合を除いてメーカー品のものを利用したほうがいいように思います。もちろん、自身でリスクを被ることのできる人は安いものを利用してもいいと思いますが。

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PC-486GR
エプソンPC-486GR 機能仕様書
 ハイレゾリューションモードノーマルモード
CPUi486SX クロック25MHz(ノーウェイト) フロントスイッチによりi386DX10/5MHz相当に切り替え可能


ROMBIOSその他 64KB96KB
RAMユーザーズメモリ1.5MB1.6MB
デイップスイッチによリ
512KB~640KBのメモリ空間を切り離し可能
最大ユーザーズメモリ14.5MBまで本体内実装可14.6MBまで本体内実装可
RAM増設RAMモジュールソケット×2:増設RAMモジュールが増設可能
内部拡張スロット×2:RAMボードの増設が可能(RAMボードには増設RAMモジュールが4枚まで装着可能)
VRAMテキスト用12KB
グラフィック用512KB256KB







テキスト表示80文字×25行80文字×25行、80文字×20行
40文字×25行、40文字×20行
カラー8色(アナログRGBディスプレイ使用時)
グラフィック表示カラー1120×750ドット 1画面640×400ドット 2画面
640×200ドット 4画面
4096色中16色(アナログRGBディスプレイ使用時)
モノクロ1120×750ドット 1画面640×400ドット 8画面
640×200ドット 16画面
拡張グラフィック描画機能内蔵
漢字表示JIS第一水準、第二水準漢字ROM標準搭載
 ANK(英数カナ) 240字 半角文字 281字
 JIS第一水準漢字 2965字 拡張文字 388字
 JIS第二水準漢字 3388字
 非漢字・罫線文字 524字
 その他の漢字 814字
 ユーザー定義文字 188種
24×24ドット16×16ドット
キーボードJIS標準配置準拠(106キー)テンキー、コントロールキー、15ファンクションキー
その他、キャピタルロック可、セパレートタイプ(本体とカールケーブルにより接続)



フロッピーディスクGR3:1M/640KB両用タイプの3.5インチFDD2基+5インチFDD1基内蔵
GR5・5E:1M/640KB両用タイプの5インチFDD2基内蔵
GR2・2E:1M/640KB両用タイプの3.5インチFDD2基内蔵
モード設定により外部FDDとして使用可能外部FDDモード
バードディスクGR5・2・3:20MBタイプ3.5インチ固定ディスクユニット、40MBタイプ3.5インチ固定ディスクユニット、100MBタイプ3.5インチ固定ディスクユニット(SCSI対応)、200MBタイプ3.5インチ固定ディスクユニット(SCSI対応)のうち1基内蔵可能
GR5E・2E:100MBタイプ3.5インチ固定ディスクユニット(SCSI対応)内蔵






マウスインタフェース内蔵 PCマウス(PCMS2)及び相当品使用可能
プリンタインタフェース8ビットパラレルインタフェース/セントロニクス社準拠仕様36ピンコネクタ
 14ピンコネクタも使用可能(ノーマルモード)
シリアルインタフェース1ch内蔵 RS-232C規格準拠
外部FDDインタフェース内蔵(ターミナルFDDモードのI/Fを兼ねる)
キーボードインタフェース8ピンミニDIN
デジタルRGBインタフェース8ピンDIN
アナログRGBインタフェース15ピンD-SUB
サウンドLINE OUTインタフェースミニジャック
外部HDDインタフェースHDD内蔵モデルのみ
サウンド機能FM音源3和音、SSG音源3和音、スピーカ内蔵、オーディオ出力端子/外部オーディオ装置との接続が可能(ミニジャック)
カレンダー機能電池によるバックアップ
内部拡張スロット2スロット(内部増設メモリ用/アウトラインフォントボード用)
外部拡張スロット3スロット(第4スロットにハイレゾボード装着済/PC-9800シリーズ用互換オプションボード装着可能)
内部増設FDDスロット1スロット(GR5/5Eのみ)オプションの増設3.5インチFDDユニットを装着可能
電 源AC100V±10% 50/60Hz
温湿度条件温度10~35℃ 湿度20~80%(但し結露しないこと)
外形寸法本体:389(W)×347(D)×150(H)mm キーボード:430(W)×169(D)×40(H)mm
重 量GR3:9.6kg/GR5:9.7kg/GR5E:10.9kg/GR2:8.7kg/GR2E:9.9kg/キーボード:1.4kg
消費電力GR3:50W/GR5:50W/GR5E:65W/GR2:45W/GR2E:60W/各モデル最大160W
本体添付品キーボード、電源ケーブル、アース線、ユーザーズマニュアル、ファーストステップガイド、用語集・文字コード集、保証書、愛用者カード兼「VALUE up」資料請求書、ソフトウェアインストレーションプログラム、プリンターケーブル(36ピン)、ターミネーター※

1994年6月16日木曜日

[機器][PC][改造] EPSON PC-486改造~EPSON98互換機


我が青春のPC-486GRSuper
私はこれと共に生きこれと共に死す!何の躊躇いがあろう
☆はじめに
かつて私はエプソンのPC-386GSユーザーでした。
ガイナックスの電脳学園3がやりたくて秋葉のソフマップで中古で買い求めたものです。
まだ若かった私は秋葉から本体とキーボード・モニター・マウスを箱に詰めて貰い両手に持って当時住んでいた新大久保まで電車で帰ったものでした。(筋肉痛で死にました)
暫く至福の時が流れましたが少ししてエプソンが486GRを発表してちょっと悲しかった事を覚えています。当時はパソコンはとても高価な物で、中古とは言え本体とモニターを買ってしまった私には本体を買い換える金はなくただ指をくわえて眺めるだけだったからです。
386GSは結婚してからもAptiva720を買うまで間、現役の通信・家計簿マシンとして活躍していましたが、やがてその座を自作AT互換機達に譲って引退し時が流れました。
そして…それはある日の日米地下での出会いでした。
ふと立ち寄ったら積み上げて有るNECマシンの中に2台だけエプソン機があったのです。PC-486GR+とPC-486GRSuperでした。
正直言ってどっちのスペックがどうというのは全く知らなかったんですが「あの」憧れの「GR」が有ったのです。しかも【5千円】の値札を付けて。(笑)
かくして気が付くと私はGRSuperを抱えて電車に乗っていたのでした。
ちなみに「Super」を選んだのは「+」より名前が格好良いというただそれだけの理由です。
☆強化改造の記録
道楽の記録とも言う。(笑)
素のままでもDOSマシンとしては十分な能力なんですがそこはちょっと色々と強化してみたくなるのが人情ってもんです。
まぁ「壊れても5千円」って意識も強いですが。定価で買っていたらきっと出来なかったでしょう。
なお、拡張ボードの類を挿すだけは強化改造としていないので略して有ります。
拡張カードの交換による強化についてはこちらです。
☆☆MENU☆☆
☆ビデオ出力31KHz化改造
★FDD自動3モード化
☆CPU用OSCソケット化
★PK-EP586x4の120駆動化
☆PENTIUM化
★PK-586x3+Am5x86-P75化
☆PK-586x3の4倍速化
★メモリ増設
☆Am5x86のWB化
○ビデオ出力31KHz化改造
買ってきてまず問題はモニターでした。386GSとセットで買った98モニターが取って有ったので一応は使えましたが狭い我が家にそうそう何台もモニターは置けません。(ただでさえ1部屋1台有るのに…)
仕方ないので解決方法を検討した結果、ニフティのFEPSONXのライブラリにあったGR_UPG30.LZHを参考にビデオ出力用のOSCを交換してビデオ出力が標準の24KHzから31KHzになるようにしました。
方法は至って簡単、ベースボード上のCR6と書かれた42.1052MHzのOSCを54MHzに交換するだけです。後々の為にソケット化しましたがまぁもう弄ることはないでしょう。
○FDD自動3モード化
我が家ではPC環境は全てAT互換機になっているため98用の1.2MフォーマットのFDDが読めません。
ATの方に3モードドライブを導入すれば良いんですが、使用頻度も低いし費用も馬鹿になりません。と言うことでここは少数派のGRを改造することにしました。
これ又ニフティや各ネットの過去ログを集めまくって方法を検討した結果、FM音源チップを利用した自動3モード化が可能な事がわかったため改造しました。
これも改造自体は簡単で、FDD基盤から各1カ所と音源チップ1カ所、これらのケーブルを集めて一カ所、合計4カ所半田付けしてドライバを組み込むだけです。
これでGRSuperの3.5FDDは二つとも自動3モードになりました。
しかしどうも3モードドライブ組み込むとディスクアクセスが遅くて、最近は必要なら家庭内LANに繋ぐためあまり活用していません。(^_^;)
○CPU用OSCソケット化
GRSuperは素のままでもDX2-66なのでWIN95を使ったりしない限りは特に問題はないのですが、データ転送のため家庭内LANに接続したいとなると話は別です。
我が家ではWIN95を使ったお手軽LANなのでGRSuperにもWIN95を入れる必要が出るからです。
まずは簡単にCPUボードについているクロック発信用の50MHzのOSCをソケットにしてクロックアップできるようにしてみました。
ビデオの時とは違い今回はいきなりOSCの足をペンチでカットしてそこにソケットの足を半田付けするという乱暴な方法です。
おかげで大分背が高くなってしまいました。(^^ゞ
しかしGRはメモリアクセスがかなり遅いのでCPUを速くしてもあまり体感速くならないですね。
○PK-EP586x4の120駆動化
やはりDX2-66クロックアップだけの高速化には直ぐに限界が見えたのでソフマップで投げ売りされていたPK-EP586x4の世話になることになりました。
しかしこいつはCx5x86-120が載っているのに100で駆動しています。
そこでOSCを40MHzに交換してCPUボードのJ4・下駄のJP1を共にOPENにして120駆動に挑戦しましたが上手く行きません。
多分Cx5x86-120は定格電圧が3.6Vなのに下駄の方は3.45Vしか出していないので安定動作しないのではないかと思い3.6Vが出るように下駄を改造しました。
作業的にはチップ抵抗を2個外して可変抵抗を1個取り付けるだけです。
下駄の改造後、他のマザーで電圧を3.6Vに調整した上でGRSに挿してOSC40MHz、J4&下駄のJP1共にOPENで挑戦しました。
WIN3.1の起動には成功しましたがまだ不安定で良くフリーズします。それにCPUの発熱も結構あってやはりファン付きヒートシンクによる強制冷却は必須です。
最初の数分はまぁなんとか動きますが5分あたりを過ぎるとまるで駄目です。
一度WIN95の起動にも挑戦しましたがやはり起動画面で止まってしまいますね。
今のところATのマザーと電源で3.6Vに調整しているのでひょっとしたらGRSの電源だともう少し上げてやる必要があるのかも知れません。
直接電圧が測れると良いんですがさすがにあれだけ狭いとプロープ突っ込むのも大変でして…。(^^ゞ
○PENTIUM化
GR系はソケット1な為そのままではP24Tは挿さりません。そこでスルーの下駄を使ってP24Tを挿してみました。
そこそこ速くて安定しているというのが正直な感想です。(安定というのは大きな利点です。Cx5x86の不安定な事と言ったら…。)
ただし、CPUボードとソケットの隙間が狭くそのままでは入らないためCバス基盤から飛び出ているピンを全部ペンチで切ってやる必要があります。
それでもまだ少し足りなくてネジ止めは出来ないんですが動作だけは確認できました。
多分下駄を使わずに外周ピンを全部切って直接ソケットに挿せばCPUボードの固定も可能じゃないかと思いましたがさすがにそこまでは思い切れませんでした。(^_^;)
○PK-586x3+Am5x86-P75化
PK-EP586x4が安定動作しなかった時にたまたま手に入れたPK-586x3にAMDのAm5x86を載せてみたらきっちり安定動作してしまいました。
もちろんベンチではCx5x86に全然かないませんが、Cx5x86で発生していたPCM再生の音切れやベンチマークでのフリーズが全くなくなりました。
結局今はこの構成で使用しています。やはり速度より安定が一番ですね。(^^ゞ
しかしまぁCx5x86と下駄もせっかく改造したんですからいずれ暇を見て再挑戦する予定です。
ちなみに現状では森ベンチで約46枚程度です。下駄を改造して4倍動作にしようかとも思いましたがDOSゲームには現状でも十二分なので手を入れるのは止めにしました。
こちらでもOSC40MHzでJ4OPENの120MHz駆動に挑戦しましたが、やはりDOSは起動するもののWIN3.1ではかなりの率で起動に失敗してWIN95では起動できませんでした。
そのまま起動するマシンもあるそうですからこの辺は個体差による当たり外れと言うことで諦めるしかないと思っています。
熱的にはそう熱くはないのですが、一応ラジパ二階で売っていた8ミリ厚のファン付きヒートシンクをシリコングリスで貼り付けてあります。
○PK-586x3の4倍速化
Am5x86を載せて使っているPK-586x3ですが、やはりここは4倍速で動作して欲しいので改造しました。
と言っても下駄の方を改造する程の事でもないのでジャンパー線作ってCPUのR17ピンとP17ピンを繋いだだけなんですが。(^_^;)
これで4倍速駆動しましたが正直言ってあまり速くなった気がしません。
元々DOSで使う分には不自由無かったし窓で使うにはCPUよりメモリが少ない事に依るスワップの発生が足を引っ張っているしでベンチレベルでしか変わりません。
結局精神的満足感が得られただけでした。(これはこれで重要な事ですが)
一応HDBENCHの最新版落としてきたので計ってみました。
★ ★ ★ HDBENCH Ver 2.610 ★ ★ ★
使用機種ゑぷそん PC-486GRSuper
Processor Am5x86/WT/4x [AuthenticAMD family 4 model E step 4]
解像度 640x480 65536色(16Bit)
Display GA-1280A,GA-1024A (I-O DATA)
Memory 7,360Kbyte
OS Windows 95 4.0 (Build: 950)
Date 1998/11/29 0:40
SCSI = ICM IF-2771 (FIFO Mode)
A = QUANTUM LPS525S Rev 3110
B = ALPS DR312D Rev 4.D
C = FUJITSU M1606S-512 Rev 6236
D = GENERIC NEC FLOPPY DISK
E = GENERIC NEC FLOPPY DISK
F = GENERIC NEC FLOPPY DISK
ALL 浮 整 矩 円 Text Scroll DD Read Write Memory Drive
1721 2612 4100 2543 891 841 50 0 1364 1367 1682 A:10MB
いやはや、現行の最新マシンの結果と1桁違いますね。(笑)
しかしDOSでなら十二分な性能だし、窓でもメモリさえ積めばそれなりに使えるマシンだと思うんですが…。この前ERFを見逃したのがつくづく痛いですね。
○メモリ増設
秋葉巡回中にずーっと探し求めていたメルコ製ERFを発見、即座に(嘘、10秒ほど迷いました(笑))ゲットしました。
この増設メモリボードは本来はGR用ではないくSE・SR用なんですが、スロット形状が一緒なのでGRにも挿せる上にJEDEC規格メモリ対応なので専用メモリに比べて安く大容量メモリが使えるようになります。
ちなみにアイオーデータ製のEP RB-02も同じマシンをターゲットにして、同じくJEDEC対応なんですが何故かGx系で使っているという話を聞きません。
きちんと使えるのならばメモリスロット数がERFの3つに対して4つなのでポイント高いと思うんですが…何ででしょうね?
他機種用なので固定金具はGRとは合わないので簡単に自作して本体に固定します。これで8+8+8の24Mが簡単に増設できました。(^^)v
当初今まで使っていた親ガメボードとの2枚差しを狙っていたんですが、メモリボード用のスロットの間隔の関係で断念しました。
おかげで元々付いていた2MB-SIMM1本遊ばせることになってしまいました。とほほ。
さて、増設後の観想ですが「DOSでは体感できないけど(当たり前)WIN95では劇的に快適になった」と言った感じです。
なにしろ今までは7.6Mしか無かったから直ぐにメモリスワップが起きてましたが、今は気にならない程度に収まり用途を限定すればそこそこ使えます。
これでWIN98をインストールする最低条件はクリアされました。(^^)
○Am5x86のWB化
PK586x3に挿して使っているAm5x86をWB化してみました。
結果、若干の問題はありますがWB非対応の486GRSで安定したWB動作に成功しました。
イリーガルな方法なので良い子は真似をしないで下さいね。(^_^;)
色々と手を入れて売りにも出せないこいつでしたが、ついに可愛がってくれる人が見つかり貰われていきました。
貰い先ではDOSゲームマシンとして利用されるようです。さようなら、元気でね。(T^T)/
お前は本当に最高のマシンだったよ…。(泣笑)

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我らの前に勇者無く、我らの後に勇者無し!
☆はじめに
私はエプソン98互換機を今も愛用しています。
特別エプソンと言うメーカーが好きだったわけではなく、昔エプソン機はNEC機に比べて価格/性能比が良かった事とNECが嫌いだったからです。
なぜNECが嫌いだったかというと、最近はどうか知りませんが昔のNECのユーザーサポートの悪さと言ったら…ええ。(^_^;)
そんなこんなでエプソン製98互換機を今でも使い続けています。
もっとも最近は使う事よりも改造することの方に楽しみを見出しているので実際にはあまり使ってはいないのがちょっと問題と言えば問題です。(^_^;)
このページはそう言った各機体に対して行った改造について簡単にまとめたものです。
98互換機自体がエプソンに見捨てられてしまった今となっては入手も困難であり、あまり参考にする人もいないとは思いますが、せっかく訪問されたんですからまぁチョイと覗いていって下さい。(^^)/

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踊っているのでなければ踊らされているんだろうさ
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☆★☆お品書き☆★☆
異機種改造機建造
非ATマシンにATを組み込むという道楽につていての詳細です
PC-9801VX《改》
TERA DRIVE《改》
X68000 ACE《改》
X68000 ACE《改》-bis
X68000 ACE《改》-Mk2
Power Macintosh 6100《改》
Macintosh SE《改》(未完)
PC-FX《改》
PC-286U《改》
OASYS用外付FDD《改》
PC-9831mf2《改》
☆特設会場☆
PC-9821Cu16の改造
使用工具一覧
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EPSON製9801互換機の強化改造の記録です
我が青春のPC-486GRSuper
愛と青春のPC-586RA
本家でGO! NEC製PC-9801・PC-9821の強化改造の記録です
あの素晴らしいFELLOWをもう一度
サインはV!
その他の作品
コンピュータ関係以外の創作物です(^^;)
お風呂の踏み台
地中戦車キングモグラス
アンデミノレミノレ
サウンドトイガンの改造
今宵銀河を廃にして
今まで行った廃な実験の記録です
PS55用モニターをATで使う
他社製マザーのBIOSをホットスワップで焼く
SCSI-BIOSをホットスワップで焼く
SC-98IIIに内蔵コネクター取り付け
Xpert@Playの画質改善
PODP83のファン交換+α
PC-9801n-J02RをAT互換機で使う
AmityVPのレストア記録
元祖浪花屋の柿の種AT化計画
液冷システムの製作
GATEWAY G6-200を近代化改装する
ジャンクPL-iP3 Rev2.0を復活させる
LA100-CardBus-T V2に他機種のケーブルを流用する
無音マシンを建造してみる
アンドロメダの拡散波動砲強化
ノートPC冷却台の自作
お気に召すまま 直接ハードと関係ない徒然です
リマークPen2ゲットだぜ
SETI@HOME症候群
白血病解折プロジェクト
インターネットTV電話に挑戦
趣味のビデオカードコレクション
おうちサーバー計画
PC-9821+MS-DOS Ver6.2でインターネット
ファミコンと踊れ
リンク 異機種改造系では国内屈指と自負してます。(^_^;)
なんでも掲示板 閉鎖しました。長い間ありがとうございました。
暫定版アップローダー 暫定運用中です。日本国内法を尊守して下さい。
このHPは1024×768を基準に制作されています。(要するにうちの通信環境なり)
表示確認はNC4.78とIE6.0で行っています。 ブラウザ依存は無いようにしたつもりですが、もし正常に表示できなかった場合は…諦めて下さい。(^◇^;)
書き方のどこが悪いのかアドバイスいただければ直しますです。m(__)m
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装備品の数々
1,NECPC-KD854N(14インチノーマルディスプレイ)
本体と同時に購入。
ドットピッチ0.39mmの14インチどノーマルディスプレイ。DOS時代には可もなく不可もなく使っていたがWindows3.1導入辺りから厳しい状況に・・・。でもWindows95導入当初もこいつを使用していたので,当初は640*400の16色にてPostpetを動かしていた。
2,ELECOMEH-120EX(120MB SCSI1HDD+SCSIボード)
同じく本体と同時に購入。
現在手元にないので型番は正確かどうか不明。120MBもの大容量を何に使おうか、と悩んだ記憶がある。コロコロと非常ににぎやかなHDDだった。
3,α DATAAD-F51L(外付け5インチディスクドライブ)
98NVの頃より所持。
当初は雑誌の付録も全て5インチであったし、メディアも圧倒的に5インチの方が安かった(というよりも3.5インチが高かった)ので、当時のバックアップは5インチでとってある。
いまは486Pに接続しメディアコンバートとして利用している。
4、三鈴エリーEMU-232C(RS-232C用MIDIインターフェイス)
同じく98NVの頃より所持。
ノート時代にC-Bus用のMPU-PC98Ⅱに憧れてあの頃、ノートにも接続できるRS-232CタイプのMIDIインターフエィスは画期的だった。当初音源はRolandのMT-32、その後KORGの03R/Wと、YAMAHAのTG300を使用。03R/Wは後期になるとバンド専用になり、486PにはTG300ばかり使っていた。Win3.1まではRolandのシリアルドライバが使えたが、Win95では使えず、三鈴エリーに聞いても対応してない、とのこと。現在MIDIファイルを演奏するにはDOSでMIMPIという王道パターンに返り咲いている。
SB16導入後は95上で聴けてるけどね。
5,MELCOXRB-2000S、4000S(2MB,4MB SIMM)
初めての拡張。
486Pにはメインボードに2つのSIMMスロットがあり、異なる容量でも認識できた(486だから?)。1MB\5,000の時代だったので、お金がない僕は2MB+4MBという情けない構成で使っていた。後に個人売買にて4MBをもう一つ手に入れる。
6,ELECOMEHD-500HG(500MB SCSI2HDD+SCSI2ボード)
当時のHDDは「127MB+残り」という感じでパーティションがあらかじめ切ってあった。なんとなくそのまま使い続けたので後々えらい面度臭くなった。ちなみにマルチベンダー機能のない時代とはいえ同じメーカーなので2のHDDは認識するだろうとふんでいたが認識しなかったため、5インチディスクで120MBのバックアップを取った記憶がある。
ちなみにDOSの頃使ってたメニューソフトはEOシステム。
7,CANOPUSPower Window 928G(グラフィックボード)
Windowsなんぞ普段は使わないのでGAには興味がなかったが、256版DOS用Simcity2000のためなら・・・ということで購入。変にプライドがあったのでブランドイメージでカノープスを選びその中でも高いクラスのもの(928Ⅱが最高)を導入。もちろんWindows3.1ではノーマルディスプレイで高解像度を表示出来るモードがあった。カノープスは自宅の近くに本社があるし、やっぱりいまだに一番好きなメーカーかも。
8,MELCOCDS-E(2.4倍速CD-ROMドライブ)
トレイ式CD-ROMドライブの価格破壊を行った機種。ドライブはSONY製。付属で付いてきたCD-ROMソフト「OnHand体験版」を再生して、PCM音源を買わねば・・・と痛感した。現役。
9,Q-VISIONWaveMaster(PCM音源+SCSI2ボード)
スロット数の少ないマシンにとっては非常にありがたい2階建てボード(別名:多機能ボード)。発売前に広告を見てすぐに自分のバイト先で予約した。6のSCSI2ボードよりは転送速度が若干遅かったが、86互換の音源はゲームに非常に役に立ってくれた。
10,IntelDX4ODP-75(オーバードライブプロセッサ)
256色DOSフライトシュミレーターのStrikeCommanderのために購入したが思ったほどは効果出ず。でも、こいつのおかげでWindows95は使い物になったとあとになって喜ぶ。ちなみ導入当時もっとも効果のあったアプリはDOS版「ペブルビーチの波」であった。あのグリーンの高低のワイヤーフレーム表示ね。
11,MICRO COREMC14400FX(14400bps外付けモデム)
バイト先の店長にただでもらう。Win3.1+IE3.1+TrumpetWinsock+AL-Mailにてインターネットを始めた時のモデムだったが、本体のCOMポートからの出力が9600bpsしかでなかった。画像の表示を切ってWEBブラウジングしていた。
12,MicrosoftNEC用Windows95
ずっと、EPSON互換機にはEPSON版Win95しか入らないと信じてきたのに、えぷらー系のサイトにてインストールできるという情報をゲット。空き容量のほとんどないHDDと9.6MBのメインメモリ、ノーマルディスプレイという劣悪環境の中でも何のトラブルもなくインストール完了。しばらくそのまま使い続けた。なぜならEPSON純正のオプションを全く装備してなかったからである。
13,ELECOMFDD-35S14(外付け3モード3.5インチディスクドライブ)
家電屋にて\3、000ほどで手に入れる。非常に有益な買い物であった。本体側のドライブが死んだとしても、こいつはまだ新しいから安心。現役。手動で1.2MBと1.44MBをボタンで切りかえる。
14,αデータACM-215(15インチマルチスキャンディスプレイ)
6のPowerWindow928GでもWin95ではノーマルディスプレイのモードを持っていなかった。格安のディスプレイを求めていたところ、某リース会社のサイトにてリースバック品で\10、000で手にいれる。初めての高解像度&多色に感動するが時間が経つとフォーカスが甘くなる、という決定的な弱点を持つ。
ところが後にPCSKB5を導入すると問題は解消。グラフィックボードとの相性か?
15,aiwaPV-AF2881(外付け28800bpsモデム)
もともと古い98シリーズはシリアルポートが19200bpsまでしか出ずそれ以上のモデムはあきらめていたが、486Pディップスイッチをいじるだけで38400bpsまで出るようになる。その情報を手に入れたため会社の人より\2、000にて手に入れる。
16,I・OデータGA-DRV4/98(グラフィックボード)
Trident TGUI9680に4MBのVRAM搭載。セカンドバスという2階建ての2階部分のボードを好きに組み合わせて載せることが出来るI・Oの独自規格がある。2階部分のLANボード、もしくは音源ボードを探しまくったがいまだに見付からず。
音源ボードであるQ・VISIONのSecondBusStarは未だに個人売買で高価に取引される。
17,MELCODSC-U2000(2GB UltraSCSI2HDD)
さすがに120+500MBの環境ではつらくなったので祖父地図にて中古で手に入れる。UltraSCSIであろうがC-BusのSCSIボードには関係ない。それどころか9のWaveMasterがメインメモリが16MBを超えるとバスマスタではなくPIO転送に変わるため非常に遅い状況であった。WaveMasterのWin95用のドライバは別売で送料込みで\3,000ほどするのでばかばかしくなり新しいSCSIボードを検討しはじめる。現役。
18,EPSONWindows95
EPSON直の通信売買でしか手に入らない商品。現在は通信販売も終了し、HDDへのインストールサービスのみ行っているらしい。EPSON486ユーザー必須の「RECMEM.SYS」が入っている。個人売買にてゲット。もちろん現役。
19,MELCOERF-4M(内臓増設RAMボード)
486PのWin95環境に非常に大きく寄与している彼。もともと486Pの最大搭載メモリは13.6MBだったが、ディップスイッチをいじり、対応機種外のERFを導入すると55.6MBまで認識できる。ただし、デバイスとしてRECMEM.SYSがないとWindowsが起動しない(フリーウェアでこれに値するファイルはある)。さらにERFにはDOS/V用のノンパリのSIMMが搭載できる。ただしSIMM-IDが設定されていないSIMMの場合は実際の1/4しか認識できないので、半田を当ててSIMM-IDを設定してやる必要がある。僕は半田付けが非常に下手なため、16MBの2枚はうまく出来たが32MBは失敗しチップの足に半田を思いっきり付けてしまいお陀仏にしてしまった。
20,緑電子MDC-926Rs(SCSI2+高速シリアルボード)
C-BusのバスマスタSCSIボードでは最速とのうわさもある。バスマスタ転送なのだがSMIT並みのスピードが出る(らしい)。またCD-Rでの2倍書き込みも報告されている。SMIT転送はCPUに負荷がかかるため、Pentiumならばいいのだが486系では逆に遅くなる(らしい)。また高速シリアルも56kモデムを導入する予定だったのでよい買い物だった(結局ISDNになってしまったが)。実は新品バルクを博多駅前の店で\2,480でゲット。
21,I・OデータPK-586x4(CPUアクセラレーター)
個人売買にて\3,000にて手に入れる。Cyrix5x86-P75搭載。4倍クロックで動作するので486Pでは100Mhz。エプソン用にはPK-EP586x4という製品があったが、PC98専用であるこいつでもまったく問題なし。現行製品であるPK-A586/98(こちらはAMD5x86)にも言えることだが、OverDriveSocketがブルーソケットのために通常では取り付けできない。そこで電圧も倍率も何も触らない高足ソケット(PGAソケト)を使うと問題無く装着できる。
22,AMD5x86-P75
21の下駄にAMD5x86を載せると下駄の2倍*CPUの4倍で200Mhzで動作できるかも、という情報を聞き早速実行。2*3の150Mhzでは動作したが熱暴走を起こすのと、ライトバックキャッシュが有効にならないので結果的に速くないのとで現在冬眠中。それでも、この486Pで142.27Mhzという数字を見た時は感動した。
23,ラトックシステムREX-9851(PCカードアダプター)
現在進行中である「USB計画」第一弾。現行機種。C-BusのUSBボードが出る可能性は全くないがPCカードならあるかも、ということで個人売買で\10,000でゲット。いまのところ海外ではCardBus用でそのような製品は出ているが16bitカードでは出てない。スピード的にやはりきついか?でもこれからいろいろと遊べそうな獲物。
24,MicrosoftWindows98(PC98用)
シカゴである。
UpGrade版にて挑戦(詳しくはMusaさんのページに載っているNaOさんの記事をご覧ください)。今までのPC人生であまり時代についていってることがなかったので、発売後半年以内のOSを使うなんて初めての経験。何の支障もなく動作。ただし、HDBENCH2.61にて各々の数値が下がっていたこと、アニメーションの効果を切っても再起動すると戻っていること、Win95+IE4.01を使っている人間にとってはそれほどメリットがない、という理由で現在Win95に戻す。とりあえずの実験だったので借り物でしたしね。
25,EPSONPC-486FS2(EPSON98互換機)
なぜか突然の本体の登場である。486Pと同系列のコンパクトサイズPCで、2世代後に登場した。スペック的にはSE/SRシリーズとほぼ同等である。CPUはDX2(66Mhz)、メインメモリ3.6MB、C-Bus2スロット、内臓ビデオボード搭載可能、ノート用IDE HDD搭載可能。実は全く購入するつもりなどなかったが、初めて訪れたオークションサイトで興味本位で入札したところ見事落札。「PlayStation The Best」よりもう少しやすい価格であった。やはり魅力はベース33Mhzと、内臓ビデオボードが搭載できるということ。486Pをクロックアップする勇気はなかったし、32bitバスであるビデオボードには非常に期待を持っていた。
26,I・OデータEP-RB01(内臓増設RAMボード)
486FSに内臓されていた。19のERFと同じ性質のものであるが、こちらはEPSON専用のSIMMを2枚1組で増設させる必要があり、さらに最大でも16MBしか搭載できない、という弱点があった。こいつの後継である「EP-RB02」は最大**MBまで増設できたがWindows95が起動できなくなる、というこれまた最大の弱点がある。ただしこれはあくまでメーカーオフィシャルの見解であり、実際にWin95で使っている方は多数いる。
27,メルコIFN-SC(SCSI2ボード)
同じく486FSに内臓されていた。全く使ったことがないため詳細不明。
28,CANOPUSPower Window 968(グラフィックボード)
知る人ぞ知るカノープスの最後のC-Busボードにして、C-Bus史上最強、最速、伝説のグラフィックボードである。一時は戦時中の米のような価格で取り引きされていた。486Pに装着する決定版として導入したが、速さのあまりバグってしまう(マウスカーソルが表示されない)という欠点があった。ハードウェアアクセラレータのレベルを「最大」から「大」に落とすと正しく表示されるが、GA-DRV4/98よりもテキストの表示が遅くなってしまい、なんのありがたみもなくなってしまう。。486FSにさして見たところ問題無かったので本体かPK-586x4との相性かと思われる。我が家にいたのはたったの一週間ほど。それでも「最大」にした時の速さはC-Busでは考えられないほど。いつかまた特価品でも見つかれば導入してみたい。
29,EPSONPCSKB5(グラフィックボード)
内部拡張ローカルバス用グラフィックボード。絶対的な玉数は上のPW968と張り合うほどの貴重品であろうと思われる。ビデオチップも同じくS3社の964、ドライバの開発もCANOPUSである。スピードはもちろんのことだが、C-Busが1スロット節約できるのがうれしい。こいつと次のPK-EP586x3で我が家はついに2台体制を行う準備が出来た。個人売買にて\15,000でゲット。
30,I・OデータPK-EP586x3(CPUアクセラレーター)
PC-486FSが我が家にやってきた時、増設してあるものをすべてこちらに移行させてメインマシンにするつもりであった。しかし肝心のPK-586x4が物理的に取り付けが不可能だった。CPUソケットの場所と向きの関係で全く刺さらなかったのだ。その結果当分の間は486Pがメインの座に居座り続けた(FSにはその間はひろったDX4(100MHZ)をさして使っていたのだが)このPK-EP586x3はずらし下駄を採用することによりそのトラブルを解消した製品だ。なぜ4倍ではなく3倍なのかはわからないがともかくこれで486FSがメイン機となり得ることが出来た。新品バルク品を\5,000程度でゲット。
31,アセットコアVIPER Max Drive 586L(CPUアクセラレーター)
ほんとはメルコのHSM-MQが試してみたかったのだがなぜかこちらを個人売買でゲット。AMD5x86-P75を搭載した4倍クロックのCPUアクセラレーター。電源ケーブルなく冷却FANが回るのがなんかうれしい。486Pでは動作したが486FSではうんともすんともいわず。ところが抜き差ししている間にピンを曲げてしまいお陀仏に。
32,コンピューターテクニカSLT-3(C-Bus拡張BOX)
C-Busスロットを2つ増やす拡張BOX。昔から欲しかった逸品。486P,FSはコンパクトさゆえC-Busスロットが2スロットしかなかった。上でも書いたように2階建てボードを使う、という手もあるがやはりそれぞれ最高のものを使いたいではないか。というわけでいろいろ探してみたのだがどのメーカーもSCSIボードやグラフィックアクセラレータは使えない、といった制限の多いものばかりであった。ただしこの製品のみ制限なし(ただし電圧不足は仕方がないが)だったのである。理由はいろいろ考えられるが、この製品の機構があまりにも単純だからではないか?詳しくはこちらのページを参照のこと。さぁ、これでまた拡張が出来るぞ!
33,CreativeSound Blaster16/98(PCM音源)
いわずと知れたWindows標準音源。祖父地図で型番詳細不明の返品不可で\980にてゲット。どこから見てもSB16とわかるはずだが。全く認識せず付属品が一切ないためどうしたもんかと悩んだが、こちらのページにてディップスイッチの詳細を知りデフォルトに戻すとあっさり認識。WaveMasterをはずして以来約1年ぶりに唸りを上げるPCになった。
34,ICMIF-2769(SCSI2ボード)
今は亡きICMの傑作SCSIボード。MDC-926Rsよりも速い!ただし速いのは926RsでフォーマットしたHDDをこいつで使った時であって2769でフォーマットしたものはそれほど速くない。不思議なこともあるものだ。PC工房で\1,480にて新品バルク品をゲット。ICMのドライバに関してはいくつかのページで公開されているのでご参考に。
35,NECPC-9801-104(LANボード)
NEC純正のLANボード。正確にはB4680インターフェースボードという。いったい自分の買ったこいつは実はLANボードじゃないんじゃないかとか、実はC-Busボードじゃないんじゃないかと思わせるこのネーミング。またもや祖父地図にてジャンクで\980でゲット。ディップスイッチの設定はどるこむで教えていただいたが問題は別にあった。それはNECのWin95では標準でドライバで持っているがEPSON Win95には入っておらず、かといってドライバが公開されているわけでもないのだ。結局最終的には職場の本家98にインストールしてあるWindowsのinfフォルダからinfファイルを引っこ抜きインストールする、という力わざで成功。これって著作権違反?ところが最近あれだけ探しても見つからなかったNECのサイトであっさりとドライバを発見。この苦労はなんだったのか....
36,YAMAHARTA50i(ダイヤルアップルーター)
デザインが最高なダイヤルアップルーター。一目見た時からこいつ以外考えられなかった。ただし結構上級者向けのため一般的なインターネット接続の設定以外ではWEB上では出来ない。そういう意味では富士通のNetVehicleなんかは初心者にはいいかも。ところでなぜTAではなくルーターなのかというと、ちょうどこの時結婚したからであり、彼女のDELL Dimentionも接続する必要があったからだ。回線スピードにPCがついていけてないという珍しい状況が日夜繰り広げられている。
37,I・OデータPK-A586/98x3(CPUアクセラレーター)
486系では最高のCPUアクセラレーター。AMDのAm5x86-P75を搭載。ベースクロックの4倍で動作するため486FSでは133MHzでの動作になる。さらにハードウェア側でWB動作を可能にしており、下駄+CPUでは非常に苦労することをあっけなくやってくれる素晴らしい商品。ただし発熱量も半端ではなく、我が家では486FSにK6-III用の大型FANを取り付けることによりハングアップを免れている。こいつの取り付けの際には色々トラブルがあり、結局予備機(486FSの)を確保した上で大手術を行ったという辛い想い出が・・・。その辺りは掲示板の278~332をどうぞ。ソフマップで\4,800で購入。
38,EPSONPC-586RA1LW(EPSON98互換機)
NaOさんが新PC(エンデバー)を購入した際に、「大きな買い物した直後で感覚が麻痺して(ご本人からのメールより引用」)我が家に嫁入りしてきたゑぷのPentiumマシン。兄弟機であるRV2は電圧ゲタを使用することによりK6-IIIが搭載できたりするのだがこいつは不可能。ただしPCSKB5は標準搭載ってのが豪華仕様ね。
39,IDTWinChip2A-233(Socket5用CPU)
Socket5用CPU。下駄をつける必要がなくコストもかからない割には非常によいパフォーマンスを叩き出してくれるゑぷには最適な互換CPUであった。相性問題もそれほど発生しにくく低コストで旧マシンをアップグレードするのに最適であったが、今となっては希少で探し出すのも難しい。586RAの嫁入り時に嫁入り道具として我が家にやって来ていただく。
40,QuantumST21H501-02-N(2.1GB内蔵IDE HDD)
いわゆるATA33な2.1GBのIDE HDD。586RAの純正(540MB)と換装するために某所から奪ってきた物。容量的にも問題がないためなんの苦労もなく取り付け完了。もちろんゑぷなIDEは転送速度が遅いことが有名で、本来のパフォーマンスを発揮できてないのだが・・・。
41,MITSUMICRMC-FX4820T(48倍速内蔵IDE CD-ROM)
こちらも586RAの純正と換装するために導入。ただしDOSレベルでは認識しないためWindows再インストールでは苦労するだろうなぁ(下のNECのもね)。
42,NEC CDR-1600(16倍速内蔵IDE CD-ROM)
我が家のDELLに装着されていたドライブ。CDをMP3化する際に転送率があまりに悪いことに気付き上のミツミの物をDELLに装着。代わりにこちらを586RAに付けることに。
まぁ、ゑぷにとっては何倍速であろうがあんまり関係ある話ではない(笑)
43,Allied TelesisCentreCOM RE1000(LANボード
C-busの10BASE-Tネットワークボード。特に述べることがないほど一般的かつ素直な商品。\980で購入。
44,MELCOHP5-MX300-L(CPUアクセラレーター)
メルコが発売した変態CPUアクセラレーター。ノート用のモバイルMMXPentium300MHzをSocket5に搭載できるように下駄を履かせた物。一時期話題だった黄金戦士と理屈は同じね。誰が最初に試したのか、気が付けば586RAに搭載できる最速のCPUに。アキバの某店で特価販売されているとの情報を元に無理矢理通販を敢行。ファンがうるさいことで有名だが、うちではそれほど気にならない。

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