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1995年8月9日水曜日

[機器][PC] Be BeBox〜PowerPCデュアル搭載のPC



 

[機器][PC] Be BeBox〜PowerPCデュアル搭載のPC
BeBox 
Beは、'90年に元Appleの開発部門の責任者だったジャン・ルイ・ガゼー氏によって設立され、'95年10月にPowerPCをデュアルで搭載した「BeBox」という独自のシステムのメーカーとして登場した。
'97年にはPower MacintoshをターゲットにしたOS専業メーカーとなり、x86へのプラットフォーム拡大、BeOS Personal Editionのフリー化などの曲折を経た。最近ではBeOSのインターネット端末版パッケージ「BeIA」をメインの商品としており、1月のCESでもソニーが搭載機「eVilla」を展示していた。
□Beのホームページ(英文)
http://www.be.com/
□ニュースリリース(英文)
http://www.be.com/press/pressreleases/01-08-16_assetsale.html
□Palmのホームページ(英文)
http://www.palm.com/
□ニュースリリース(英文)
http://www.prnewswire.com/cgi-bin/micro_stories.pl?ACCT=153400&TICK;=PALM&STORY;=/www/story/08-16-2001/0001556231&EDATE;=Aug+16,+2001
□関連記事
【1月9日】【CES】ソニーが市場開拓に挑戦するインターネット端末など
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/20010109/ces06.htm
【Keyword】BeOS
http://www.watch.impress.co.jp/pc/docs/article/990114/key60.htm
(2001年8月17日)
[Reported by date@impress.co.jp]

PC Watch
http://www.watch.impress.co.jp/PC/docs/article/20010817/be.htm

1995年1月31日火曜日

[機器][PC] Apple Power Macintosh 7000シリーズ





Power Macintosh 7100/80AV(1995年/漢字Talk 7.5)







私の愛用してきたMacのラインアップ書庫Mac Life
カテゴリMacintosh
2016/10/22(土) 午後 10:05
私がこれまで愛用してきたMacの顔ぶれです。
今顧みると、そのどれもが懐かしく、多くの想い出が浮かんできます。
1988年代になってワープロ専用機がようやく手の届く値段で発売されるようになり、それを使い始めたのですが、
やはり欲しいのはパーソナルコンピュータ。それも当時は音楽とグラフィック編集に長けていたAppleが高嶺の花の存在でした。
その後値段が下がるのを待ち続けていましたが、音楽編集に使いたい気持ちとCDドライブが搭載されだしたことから、1993年の春にとうとうそれを買ってしまいました。
Macintosh IIVi(1992年/漢字Talk7.1)
Macintosh IIVi(1992年/漢字Talk7.1)
CPU : 68030 / 16MHz / 4MB RAM  / 40MB  HDD
購入時は本体に付属しているのはマウスのみで、ディスプレィはもちろんキーボードも別途購入しなければならず、30万円ほどかかったように記憶しています。更に利用したいアプリケーションを購入し、メモリとHDの容量を増やしてアクセラレータも搭載し、プリンタやスキャナ、そしてモデムなども買い揃えると、更に30万円を遥かに超える出費となったように思えます。何しろ当時はメモリだけでも増設しようとすると1MBにつき1万円くらいの値段でしたから。
◆ Power Macintosh 7100/80AV(1995年/漢字Talk 7.5)
Power Macintosh 7100/80AV(1995年/漢字Talk 7.5)
CPU : PowerPC 601 / 80MHz / 16MB RAM  / 350MB  HDD
モトローラの「Power PC」というCPUを使ったPower Mac シリーズの1機種。
Power Macの時代に入っても、相変わらず一長一短の多くの機種が乱発されてAppleの経営が悪化し始めた頃です。
Power Macintosh G3 Blue and White(1999年/Mac OS 8.5.1)
Power Macintosh G3 Blue and White(1999年/Mac OS 8.5.1)
CPU : PowerPC G3(750) / 350MHz / 128MB RAM  / 12GB  HDD
Steve JobsがApple社に復帰し、iMacを大ヒットさせると共にデスクトップタイプも一新してこの機種を発売しました。
ドライブもCDからDVDへと変わっています。
Power Macintosh G4 (Graphite)(2001年/Mac OS 8.6)
Power Macintosh G4 (Graphite)(2001年/Mac OS 8.6)
CPU : PowerPC G4 / 400MHz / 128MB RAM  / 80GB  HDD
Power Macintosh G4
Power Macintosh G4 (Mirrored Drive Doors)(2003年/Mac OS X 10.2 / OS 9.2)
CPU : PowerPC G4(7455v2.1) / Dual 867MHz / 1.25GB RAM  / 130GB  HDD
Dualコアを装着し一段とスピードアップされたタイプで、システムがOS X とOS 9.2が併用できる機種でした。
以前からのアプリケーションも使い続ける事ができ、デザインも一番気に入っていた機種でした。
Power Macintosh G5
Power Macintosh G5 Dual 2GHz(2006年/Mac OS X 10.4.2 )
CPU : PowerPC G5 / Dual 867MHz / 4GB RAM  / 160GB  HDD
この機種もかなり長い間使い続けていましたが、海外へ出ることが多くなり仕事先でも必要となってきたことから、
これまで使い続けてきたAppleのデスクトップ型はこれが最後となり、これ以後はコンパクトなノートタイプへ移行することにしました。
MacBook Pro 13-inch
MacBook Pro 13-inch , Mid2012(2012年/Mac OS X 10.7.4 Lion)
CPU : Intel Core i7 / 2.9 GHz / 8GB RAM  / 750GB  HDD
オーディオ機器を接続し、MIDIインターフェィス経由でMIDI音源やデジタルピアノを使ったり、大きな画面で製図をしたり画像処理をし、合計10TBのハードディスクを利用する為にこれまでデスクトップ機種に拘ってきたのですが、現在では細部にまで融通がきくようになりこれ一台で全て賄えるようになっています。
自宅で使用する時はThunderboltに接続した27inchディスプレイで表示させ、これまで使い慣れた外付けキーボードをUSBポートへ接続すれば、これまでのデスクトップ機種での使用感と全く変わりません。
このMacBook Proはメモリが最大8GBと記されてありましたが16GBのメモリを装着しても問題なく作動し、HDをSSDに入れ替えてからは増々快適に動いてくれています。
この機種も間もなく5年目になるので、そろそろ買い換え時でしょうが、最近のMacBook ProにはDVDドライブが搭載されなくなっていることから、その使用頻度がまだ高い私としては踏み切れずにいます。
上記の機種以外にも娘の為に購入したiMacやiMac mini、そしてサブマシンとして使用していたWindowsのノートパソコンなどもありますが、こうして自分がこれまで使用してきたMacを改めて並べてみると、それなりの時の流れを痛感します。
確かに最近のMacは誰にでも使い勝手が良くなってはいますが、初期のMacintoshやそのアプリケーションは諸設定は難しかったものの、その反面、ResEditやHyperCardなどを使って簡単に自分の好きな形にアプリケーションに手を加えたり自分で作ったり出来る楽しみもありました。
パソコンの普及がインターネットに後押しされ、今ではスマートフォンがそれに取って代わり、段々とパソコンの売れ行きが悪くなっているようです。かつてのワープロ専用機のようにこのまま消滅することはないでしょうが、一般家庭から離れ、まだまだ需要が望めるビジネスやグラフィック、音楽や映像関係などで求められる形へとこれから変化していくことでしょう。

気侭に
https://blogs.yahoo.co.jp/ac2essk/40746934.html







[機器] Power Macintosh 7300/166
Power Macintosh 7300/166 スペック
◆初期標準仕様
◆最終拡張仕様
ロジックボード TNT 
システムバス 40MHz  
CPU PowerPC 604e 166MHz
二次キャッシュメモリ 256KB
内蔵ハードディスク 2GB(SCSI)
CD/DVD-ROMドライブ(SCSI) 12倍速CD-ROM MATSUSHITA CR-812
VGAメモリ 2MB(標準)
解像度
640×480
800×600
832×624
1,024×768
1,280×1,024
◆最終拡張仕様
ロジックボード TNT
システムバス 40MHz
CPU PowerPC G3 400MHz
二次キャッシュメモリ 1MB
メモリ(メモリタイプ) 合計:512MB(DIMM:168PIN)
※128MB×2 64MB×2 32MB×4
内蔵ハードディスク 20GB(Ultra ATA 66)FUJITSU MPF3204AT 20GB 5,400rpm
CD/DVD-ROMドライブ 6/32倍速DVD-ROM PIONEER DVD-303S
VGAメモリ 4MB(標準:2MB+拡張:2MB)
※16MB →PCI拡張スロット 1参照
解像度
640×480
800×600
832×624
1,024×768
1,280×1,024
最大表示色数 1670万色

Power PCのページ
http://www.geocities.jp/apple_powerpc/spec/spec_pm7300.html
http://www.geocities.jp/apple_powerpc/spec/spec_index.html

Mac is NO1
http://www.asahi-net.or.jp/~mq3k-anzu/mac.html






表示解像度を1,024x768に設定したときは32,768色、1,280×1,024に設定したときは256色です。 1670万色
スピーカ 本体内蔵:モノラル 本体内蔵:モノラル
PCI拡張スロット 1 ATI RAGE 128 PCI 16MB
PCI拡張スロット 2 アイオーデータ機器 UIDE-66
※IDE機器最大4台まで拡張可能
PCI拡張スロット 3 システムトークス SUGOIカード SGC-42UFL
※USB2.0 3ポート+IEEE1394a 2ポート+10/100Base-TX
オペレーティングシステム 漢字Talk 7.5.5 Mac OS 9.1
特徴と拡張のポイント
Power Macintosh ならではの内部アクセスのし易い設計。ネジを使わず筐体開閉。
DOS/Vではあり得ない膨大なメモリスロット数(8本)。カタログスペック最大512MBまで増設。
CPUドーターカードによりCPUパワーアップが可能。
XLR8 ZIF CarrierカードによるPowerPC G3の搭載(PowerMacintosh G3 BW350 から移植し、多少クロックアップ)
基本がFast SCSIのため、Ultra-ATA66カード増設によりIDE機器の搭載を可能にして安価で高速なIDE HDDを搭載する。
ATI RAGE 128 PCI 16MB グラフィックカードによりグラフィック性能UP。
XPostFactoにより非対応のApple最新OSであるMac OS Xの導入が可能。現状のスペックではMacOS Xでは実用性を損なうため、MacOS 9.1で使用。
タワー型PowerMacintoshに比べ半分少ないPCIバス(3本)がネックだが、複合カード搭載で補う。
標準機能の10BASE-Tポートは使用せず、100BASE-TX機能を増設する。(複合カード)
Power Macintosh 7300 の改造に興味のある方は、こちらを是非一度ご覧下さい。PIONEER MPC-LX100やPower Macintosh G3 DT233の改造も行われています。
snappiさんのページ「Old Friends」
http://www.h4.dion.ne.jp/~mitake/index.html

Power PCのページ
http://www.geocities.jp/apple_powerpc/spec/spec_pm7300.html
http://www.geocities.jp/apple_powerpc/spec/spec_index.html

Mac is NO1
http://www.asahi-net.or.jp/~mq3k-anzu/mac.html

Old Friends
http://www.h4.dion.ne.jp/~mitake/index.html




やっぱMacは良いョ~!!
2005/11/15(火) 午前 1:26 shigeの書庫 練習用
今日また久し振りに自分のMacintoshをいじった!w。
AQUA ZOONっていう熱帯魚育成ソフトがあって、これをやるべく当時出たばかりのLC630を買ったようなもん!
(MS-DOSが嫌いだっただけ・・・苦笑)。今は買い替えのPowerMac7300/180という、第二世代PowerPC後期のMacですがMacOS8.5で全然問題ないですね!
なんでMacOS X(テン)は知らないんです!。
店頭で触るとなんかモッサリするのが嫌なのと、S.ジョブスがあまり好きではないってのもあったりしてw。
なんでiPodも買う気は全くなし。この辺は色々と理由が有りまして、追々書こうと思います。
そのAQUA ZOONですが、久し振りに立ち上げたら水槽の最終更新日から2000日止まってた・・・。
お魚は前回立ち上げた時、全滅してたんで今は水槽に熱帯魚はいません。
んで、新しく水槽を作ってネオンテトラともうコリドスジュリーをつがいで計4匹入れてまた飼い始めました!。
今度は死なないように飼わないとw。前回は5年位そのLC630から飼ってたネオンテトラが死んじゃったんでw。

shigeのバンドブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/shigehiko_0705/17085632.html








2008/3/31(月) 午前 11:59
chap-h7/パソコン パソコン
Apple PowerMac 7300/180 ,
Apple PowerMac 7200/90 ,
Apple PowerMac 7600/132 ,
Apple PowerMac 7500/100 ,
Apple PowerBook G4 ,
NEC ValueStar ,
Hitachi Flora ,
Epson スキャナー ,
IOData CDRライター ,
Sharpモニター ,
Apple PowerMacはほとんどが秋葉原ソフマップで購入、中古、だいたい平均仕入額1000円、使用年数5~10年、ほとんど故障はない。
モニターは中古、新品を買い繋いでこれが5台目か。中古液晶モニターの寿命は約1年、
今のSharpのモニターは、画像の鮮明さにおいて歴代トップ。

メモ帳
https://blogs.yahoo.co.jp/dojobzzzz/41371817.html






愛機とのお別れ
2008/12/7(日) 午前 11:08 その他メモ Macintosh
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正確には覚えていませんが、多分1997年-1998年位から使用していたのではないかと思われる中古で買ったAPPLE POWERMAC 7600/166/G3-350MHZですが、マザーボード、ハードディスク、CPUユニット等故障等により次々修理/交換してメンテナンスをしてきましたが、遂に息の根を止めるときが来ました。
この2-3年子供に払い下げていましたが遂に廃棄の為、分別して分解しました。

と黄色MR-Sとのアンニュイな日常
https://blogs.yahoo.co.jp/mit_yama/57849586.html






別れのとき・・
書庫☆MACの部屋☆
カテゴリMacintosh
2006/11/18(土) 午後 10:15
ついに・・
お別れの日を迎えました。。。><
長年、連れ添ってきた・・・・
私の相棒・・・
イメージ 1
MACとその仲間たち
もとい・・
powermac7200、CANONスキャナー、MOドライブ、三菱製17インチモニター・・
外付けハードディスクをつなげて、生き返ったのもつかのま・・
結局、内蔵ハードディスクそのものが認識されなくなってしまいました・・;;
ついに、部屋の広範囲を占拠するこのパソコンを処分することに・・・。><
そうすれば、一時的に居間においてあるeMACが、自分の部屋に移動できます。
ちょっとした模様替えなどをし・・
改めて、快適なMAC環境が整いました!*^^*
古いMACは処分といっても、お金を払って粗大ゴミに捨てるのは悔しいので、近くにある、HARD OFFというリサイクルショップに持ち込み!!

T's ROOM
https://blogs.yahoo.co.jp/tomorin_930/44111875.html

1994年12月21日水曜日

[機器][PC] Apple Power Macintosh 6000シリーズ

Power Macintosh 6100/66



小屋から懐かしいものがぞくぞく
2016/5/14(土) 午前 11:17 日記 パソコン
今回はウチの小屋にあった懐かしいものをご紹介します!
◆PowerMac6100
次は、PowerMacです。
これも秋葉原のソフマップで買ったものです。
ディスプレイ込みで15万円だったと思います。
これは小屋にあったのではなく、隣の兄(今は隣県にいる)の部屋におかさせていただいております。
AMIGA3000
最後に、AMIGA3000です。
えっと、これは職場の先輩の友達から買ったものです。
メガデモが衝撃でした。
おまけとして、この2つは、「ふぁみ魂家郎ver.6」と当時熱中したファミコン用のソフト「メルヘンヴェール」です。

結城ジュンのブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/toyosato2014/42181121.html

1992年10月20日火曜日

[機器][PC] Apple PowerBook Duo2300c~PowerPC搭載の最終モデル


[機器][PC] Apple PowerBook Duo2300c~PowerPC搭載の最終モデル
何を隠そうこの2300CがこのページのきっかけとなったDuoです。(持ち主はもちろん私、taji です)
唯一のPPC搭載モデルで(PowerPCの文字プリント有り)液晶も一回り大きく9.5インチになりました。
特徴としてはそれまでのトラックボールからトラックパッドに変更となり、しかもダブルパッド(パッドを二回たたくとダブルクリックになる)に対応しているところでしょう。
この辺は好みの分かれるところで、このパッドを嫌がりボールに換えている人も多いです。
価格はオープンプライスですが、発売当初は50万円前後で販売('95 秋)されてました。

Duo-Zone~最強のDuoを創る会
http://www.powerbook.org/duo-zone/Museum/Duosystem/duo230.html


 

1992年9月28日月曜日

[機器][ノートPC] Apple PowerBook 5000シリーズ


[機器][ノートPC] Apple PowerBook 5300
◆ Apple PowerBook 5300
物々交換で手に入れたPowerBook: PowerBook 5300
ニュージーランド留学ももうすぐ終わり帰国の途に付こうかと言う頃、とある後輩(日本人)が自分の持っているPowerBookと私の5210を交換してくれないかというオファー 
ただ当時はまだ液晶モニターというものが非常に高価な時代 
価格を抑える為に白黒液晶のモデルが存在していた 
で、そのモデルも白黒だった CPU的には自分のものより少し高速だったが白黒はやっぱり見劣りする 
当時に相場や中古価格はしらないが本人が交換+現金でというので(どうしても欲しかったらしい)OKすることにした 
が、このマシン 白黒故に用途が限られる まぁノートだから日本にそのまま持ってかえればいいかと思っていたところ、
友人から売ってほしいと言われたのでけっこう破格で売却してしまった 
実使用は数ヶ月と言うほとんど記憶に残らないモデルになってしまった 
ノートなので空き時間に学校の食堂や図書室でレポートが打てて実はけっこう重宝してんだけどね
SPEC
CPU: PowerPC 603e 100MHz
HDD: 500MB
GrayScale LCDMoniter

チビ助のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/chibisukechibikoro/

1990年9月19日水曜日

[機器][PC] Apple Performa 5000シリーズ

Apple Performa 5210




[機器][PC] Apple Performa 5210
個人的な過去のアップル製品たち1
2014/4/30(水) 午後 4:52
Macintosh Macintosh
なんとなく思い付きと懐かしさで今までに使用してきたアップル製品の記録をつけてみようと思う 
あくまで個人的な記録なので不正確だったり、どうでもいい思い出もあるので気にしないでね 
私の初めてのパソコンというものの記憶は小学生3年くらいの頃に突然父親が買ってきたFM7とかいうものだった 
ゲームのカセットをセットして、本記載されたコードを打ち込んでいくとゲームが始まる仕組み(これくらいしか出来なかった) 
まぁこれはアップル製品ではないしあまりに遠い記憶なのでこれ以上は書くつもりはないが、
記憶装置がカセットテープだったいうのは今から考えるとものすごいことだ 
Apple Macintosh IIci
時は流れて1994年 私はどういう訳かニュージーランドに留学する事になった 
そこで初めて出会ったのがMacintoshというものだった 
学校のコンピュータールームと言うものがあり、そこにずらっと並ぶマック達 
機種は良く覚えていないのだがMacintosh II CI かCXのどちらかだと思う 
本体にCDはなくフロッピーのみ 一部の機体には外付けAppleCDが付いていた 
昔懐かしのディスクをカートリッジに入れるタイプだ 
主な使用目的はレポートの作成だったので速度的にはまぁ不満はなかった 
というか、これしか知らなかったからこんなものだったのだけど
◆ Apple Performa 5210
初めてのMy Macintosh: Performa 5210
1年生の頃は日本から持ち込んだ親のお古のワープロも使っていたのだが、
マックのマウス操作に慣れてしまうとキャノン製の当時のワープロは使いにくいもの以外の何者でもなくなっていた(その後壊れたし) 
2年目の夏休みに一時日本に帰国し、その時に親にパソコンを買ってもらえないかと相談してみた 
2年目からは学校から離れた家でホームステイをしている事、
当時車を持っていなかった事などから自宅にパソコンがないとレポートなどはいっさい書けないからだ 
私は車の免許を持っていなかったので免許はニュージーランドで取得するという条件でOKをもらった 
というのも現地で免許を取れば3万くらいでとれたからだ(たしか) 
日本で取ると30万はかかった気がしたので その分をマックにまわせると言う計算 
で、当時はマックの事なんて全然知らなかったし、相場や性能もいまいち分からなかった 
ただ、学校の図書室で調べたマック情報誌によると、PowerPC搭載機が速く、今後の主流になることは知っていたので
まだ当時在庫として残っていたLC630などの680系はやめる事に 
新型として出ると言われていたPerforma 5200シリーズが一番の候補に挙がった 
というか、一番かっこ良かったんだなぁ 
当時店頭にはPowerPC601搭載のPowerMac6100とかが投げ売りされていた記憶がなんとなくあったのだが、
設置場所の関係などで一体型がよかった事と6100は電源がいまいち 
画面上でシャットダウンした後に本体の物理スイッチを切ると言う仕様がえらく古くさい仕様だったのだ 
で、Performa5210を購入 メモリを16MB追加して24MBにした 
確か30万円くらいだった 
スペック的には75MHzのCPUに500MB(ギガじゃなくメガ)のHDDという今からは考えられないもの 
でもまぁ当時としては速くはないが、標準的なパソコンだった感じだ 
少なくとも学校のパソコンよりは非常に高速だったし、CDロムも普通に使えた 
学校の外付けCDは尋常じゃなく遅かった(壊れてるかと思うくらい)
SPEC
CPU: PowerPC603(75MHz)  
HDD: 500MB
4倍速CD-ROM /FDD
15インチモニター
キーボード/マウス付属(当時のPowerMacシリーズはキーボードは別売りだった)
初心者向けのソフト多数

チビ助のブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/chibisukechibikoro/



1971年1月30日土曜日

[機器][OC] IBM 360(システム/360)〜第3世代コンピュータ誕生


















[機器][OC] IBM 360(システム/360)〜第3世代コンピュータ誕生
1964
バーケンシュトックによれば,1960年(昭和35年)当時,IBM(International Business Machine)の支配力を(完全に100とした場合に)90とするなら,国産コンピュータ・メーカー全てを合わせた総合力でも20程度のものだったろうという。個人的な印象とはいえIBMと国産メーカーでは,それほど力の差を感じさせていたのである。
モスキートの国・日本の市場を,国産コンピュータ・メーカーに少々分け与えても,IBMにすればそれほど痛手を感じない寛容でいられる時代だったのである。むしろIBMにとって,シェアを国産メーカーに分け与えたことで頭痛の種の独禁法対策になったかも知れない。いずれにしろモスキートとガリバーの共存共栄はIBMが世界市場を押さえているという余裕のなせるワザだったに違いない。.....
■IBMシステム/360
昭和29年(1964)年4月7 日,IBMは画期的な新型コンピュータ「システム360」の記者発表を米国の62の主要都市と海外の14ヵ国で同時に行った。わが国では日本IBMが,札幌,仙台,東京,名古屋,富山,大阪,広島,福岡の8会場で,ユーザーなど941社27885名を招待して「システム/360」の一大キャンペーンを展開した。日本IBMにとってもIBM製品の世界同時発表という一大イベントに参加したのは初めての経験であった。
発表当時,システム/360は30型,40型,50型,60型,62型,70型と名付けられた6つの主力機種から成り立っていた。小型機から大型機まで揃えたフルラインのシステム/360は「ファミリー・システム」とも呼ばれ,さらに超小型と超大型という両端に位置する機種も追って発表されることになっていた。
従来,どのようなコンピュータ・メーカーでも,何から何まで新設計のコンピュータを一度に6モデルも発表した例はなかった。それゆえシステム/360を売り出すというIBMの発表を米国の新聞各紙がトップで扱ったのも当然であった。
ワトソン・ジュニアは,記者発表の席で,システム/360という新型コンピュータの登場の持つ意味を「過去からの完全な離別」と指摘した。一言で言えばシステム/360は従来のコンピュータを全て陳腐化させてしまう次世代の計算機ということになる。......
発表されたシステム/360の仕様で,ワトソン・ジュニアが言うところの「過去からの完全な離別」を決定づける最大の特徴は,次の2点に絞ることができる。
第一に,システム/360が,演算部分をはじめ大量に「集積回路」 (IC)を採用したコンピュータだったことである。コンピュータは使用する素子によって世代を分けることができる。例えば
真空管式のコンピュータは「第一世代」,
トランジスタ式は「第二世代」
と呼ばれていた。集積回路を採用したコンピュータはそれまでと区別して「第三世代」に属する計算機と考えられていた。
IBMのシステム/360は、世界最初の第三世代のコンピュータなのである。....
さらに,システム/360ではプログラムの互換性をもっと完全かつ簡単にするために,オペレーティング・システム(OS,基本ソフト)という考えを採り入れていた。基本ソフトは鉄道に誓えるなら台車のような存在である。
相互に乗り入れさせるといっても,列車がいつも同じ種類とは限らない。あるときは寝台車であり,あるときは貨物列車であり,はたまた特別仕立ての豪華客車の場合もあるだろう。相乗り入れさせたい列車を,その都度必要に応じて作っていたら膨大なコストと時間を覚悟しなければならない。そこで軌道幅(アーキテクチャー)に合わせた台車を1台作り,必要な時にその上に寝台部分や貨物部分を乗せるようにすれば簡単に多くの種類の車を相互り入れさせることができるようになる。
しかもこの台車は貨物操車場のコントロールに似た機能を持っている。貨物列車は引込線から入ってきて一台ずつ切り離され,行き先ごとに分けられ,そして再び編成されていくが,そのような一連の作業が間違いなく行われるように,台車が誘導(コントロール)するのである。
■米国内の評価
まず1964(昭和39)年4月7日の記者発表までにIBMがシステム/360の研究開発に投じた資金は5億ドル以上にものぼっていた。さらにIBMは1967年末までの約3年間に米国の内外に5つの新工場を開設する計画を立てており,そのための設備資金およびシステム/360の生產資金として総額45億ドルを予定していた。
システム/360の開発計画に対して、IBMは合計50億ドル(1兆8 千億円,1ドル=360円で換算)以上の投資を覚悟したのである。その投資規模の大きさは民間企業界の事業としては歴史に例をみないほどだった。ちなみに第二次世界大戦中に原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」でさえ,政府の出費は20億ドル程度であった。
また1966年までには,事業の拡大にともない6万人以上もの従業員の新規採用を予定していた。それによって全従業員数は19万人に達し,新規採用が全体に占める割合は1/3に及んだ。このような積極的な努力はIBMという会社の性格を基本的に変えてしまうものとなり得た。.....
IBMが放ったカウンター・パンチ,システム/360の発表に始して,米国のライバル・メーカーの反応は当初は一様に冷ややかなものだった。
「完全な互換性を持ったシリーズ・コンピュータの生産や納入なんて,いくらIBMでもできるわけがないじゃないか。IBMの決定はまったく馬鹿げたものだ」
いずれ第三世代のコンピュータは誕生するであろうが,当時の被覆水準からいってIBMのいう新型コンピュータの生産は不可能だというのが,ライバル・メーカーの判断であった。その証拠として彼らが指摘したのはIBMの集積回路の技術である。
IBMがシステム/360に採用した集積回路は,正式には混成(ハイブリッド)集積回路といわれるもので,のちに主流となる単結晶集積回路ではない。現在一般に集積回路と呼んでいるものは後者である。薄いシリコンの板の上に全ての素子(トランジスタやダイオード)を取り付けてしまうものだが,IBMでは,トランジスタとダイオードを別々に作り,それをハンダ付けでまとめている。これは純粋に技術的な問題で,当時の技術レベルでは単結晶集積回路の量産は難しく安定供給できないという問題を抱えていた。IBMはハイブリッドにすることでそのリスクをクリアーしようとしたのである。しかしいずれハイブリッドが単結晶にとって代わられるのは衆目の一致するところであった。それゆえ当面ハイブリッドでいくか,あるいは単結晶が開発されるまで待つか,それは経営的判断であった。....
■日本の反応
.....のちに池田は,IBM360の発表を聞いた時の感想を次のように語っている。
「IBMが360を発表したとき,IBMはよくぞ決意したなという形で受け止めましたけど,それは,やっぱり必然的に出てきたものだとしてそんなに大きなインパクトはなかったといっていいんですよ。ところでIBMの機種の系列というものを分析しておきますと,日本の歴史にも側面的な意味を持っていますよ。(中略)富士通の中でぼくが分析したのは,IBMのどういうグループがどういう計算機をやって,だからこの次にはこのグルーはこういうことを考えてくるに違いない。(中略)そうやっててちょっと衝撃を受けたのは,これIBM360のこと――筆者注)だけなんですよ。あとはみんなほとんど推定がつきましたからね」
―池田さんの言葉 計算機の歴史を語る(富士通池田記念論文より)
「そんなに大きなインパクトはなかった」という池田の発言を額面通りに受け取ることはできない。というのも彼の発言が昭和46年10月8日に開かれた情報処理工会歴史研究会例会でのものであることを考慮するなら,約7年という年月を無視するわけにはいかないからだ。
ー覇者の誤算,講談社文庫,立石泰則

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1971
1971年(昭和46年)12月,IBMは日本市場で画期的な成功を収めつつあった。 朝日新聞社と日本経済新聞社が進めてきたコンピュータによる新開自動編集システムが完成の第一歩を踏み出していたのである。
それまでの鉛の活版ではなくコンピュータで新聞を作るという前代未聞の目標に向けて,両社はIBMの協力の下そのシステムの開発に努めていた。そのシステムに使用されたコンピュータはIBM360だった。日本経済新聞社では「ANNECS」(アネックス),朝日新聞社では「NELSON」 (ネルソン)と呼ばれたそのシステムが動き始めたのである。
ともに実験段階や一部稼働にすぎなかったが,日本の二大新聞社がIBM360を導入したという事実は,IBMがコンビュータリゼーションやコンピュータ・テクノロジーの最前線に立つトップ・メーカーであると証明したようなものであった。
IBMは,このシステムの開発を契機に日本市場に新しいユーザーを掘り起こしつつあった。
ー覇者の誤算,講談社文庫,立石泰則

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1985    
コンピュータ・スランプが始まった1985年,IBMは売上高を伸ばしたものの利益は減益となった。その最大の原因は,米国内での大型汎用機部門の不振だった。大型汎用機の売高高は,海外も含めた全体では1984年の119億ドルから1985年の121億ドルと微増したものの,米国内では64億ドルから58億ドルに減少していた。
米国の売上高はIBMのそれの25パーセントを占めるに過ぎないが,利益では全体の50パーセントを稼ぎ出していた。IBMにとって大物汎用機部門は,まさにドル箱なのだ。
高柳は,ダウンサイジングがコンピュータの歴史を根本的に変えようとしているとも指摘する。
「それまでのメーカーは,ユーザーのニーズに対して全て大型汎用機で対応させてきた。例えば,大型汎用機はクルマでいえばベンツだと思いますが,メーカーはユーザーに対して,近所の八百屋に行くにも会社に行くにも,また休日のドライブやキャンプにも,とにかくべンツを使わせたわけです。ユーザーにしても,それしかないとメーカーに言われるからベンツで出かけていた。ところが八百屋は自転車でいいじゃないか?会社は乗用車でいいじゃないか?キャンプには四輪駆動があるじゃないか?ということになってきた。鈴鹿はベンツでなくF1を走らせる方がいいと分かってきた。その結果,自転車が売れベンツは売れなくなった。
IBMの最初のドル箱はシステム/360ですが,その名前の通り360度全てに対応で言るという汎用性が売り物でした。でも問屋の在庫管理から銀行のオンラインシステム,ディーリングシステムなど全てをひとつのシステムでカバーする必要なんて本当はない。そんな全てのアプリケーション・ソフトが必要な企業なんて一社もない。
だから,余分な部分は要らないというユーザーが増えてきたわけです。30度しか要らないユーザーはこの機種,40度ならあの機種という具合にユーザーが必要な小型機種を選び出した。それがダウンサイジングなのです。少なくともタンデムの理解はきわめて過激な言い方ですが,ダウンサイジングとは大型汎用機の生態解剖である,と。大型汎用機の終焉。コンピュータの歴史が根本から変わろうとしている」
ー覇者の誤算,講談社文庫,立石泰則

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