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1980年6月13日金曜日

[機器][PC] CASIO PB-1000~黎明期ポケットコンピュータ






[機器][PC] CASIO PB-1000~黎明期ポケットコンピュータ
CASIO PB-1000 FOREVER!
■これがPB-1000/Cだ!(Introduction)
昭和61年にカシオから発売された「PB-1000/PB-1000C」は、
折り畳み式のポケットコンピュータで
ファイル管理・スクリーンエディタ・JIS準拠BASIC・ディスク・正式にマシン語がサポートされる等、いわば「小さなパソコン」だった。
誕生から十数年経過した現在でも、PB-1000の魅力は褪せる事はない。
ここでは、そんなPB-1000の魅力に迫りたいと思う。
■PB-1000/Cの生い立ち
「『PB-1000・PB-1000C』って言うけれど、PB-1000って何?」とおっしゃる方の為に、PB-1000/Cについて説明したいと思います。
PB-1000/Cは昭和61年6月にカシオ計算機から発売された「ポケットコンピュータ」です。
ポケットコンピュータとは、関数電卓にプログラム機能(主にBASIC)が搭載されているもので、コンピュータの教育実習や電卓では困難な計算が必要な業務などで使われてきました。ポケコンが初めて登場した頃は表示も16桁1行など狭かったりメモリも少なく、
搭載されているBASICも「PRT」(=PRINT)や「VAC」(=CLEAR)など独自のものを採用していました。
ポケットコンピュータを発売しているのは主にカシオとシャープで、年月が経つにつれて徐々にバージョンアップしていきました。
カシオでは上記の様な構成の「PB-100」と言うポケコンが好評だった為に、以後に発売される機種はPB-100の互換性を重視して
あまり大きな変更はありませんでした。しかし「PB-700」でグラフィック画面やマイクロソフト系BASICの導入等の大きな変更を施し、さらに進化した「PB-1000/PB-1000C(以下PB-1000/C)」が生まれました。
PB-1000/CはJIS準拠のC61-BASICを搭載し、正式にマシン語をサポートしてアセンブラ搭載、192×32ドットのグラフィックは当時最大の
画面、タッチキー搭載で使いやすいスクリーンエディタ、メモリ最大40KB等・・・と、はっきり言って「小型のパソコン」と言っても過言ではない構成
でした。
現在では様々なモバイル系パソコンが登場していますが、PB-1000/C発売当時(1986年)はこういったコンピュータは少なかったと思います。
やっぱりモバイルの基本はポケットコンピュータだと思うのです。その中でもPB-1000/Cはパソコンを意識した様々な要素を取り入れており、
コンピュータの未来像を予感させるものでした。
いつでもどこでも電源オンですぐに使えるPB-1000/Cは、人に一番身近な真のパーソナルコンピュータを目指していたのかもしれません。
カシオは現在でもデスクトップパソコンは発売せずに「カシオペア」や「カシオペア・ファイバ」などの小型のコンピュータを発売し続けています。
いつでもどこでも使える身近なコンピュータにこだわって作り続けているのかもしれませんね。
■PB-1000/Cの主な機能
BASIC機能
(BASIC Language)
「PB」は「Pocket Basic」の略ですから、BASIC言語を基にしたシステム構成になっています。
PB-1000/Cで搭載されているBASICは「C61-BASIC」と言うものでJISに準拠したBASICになっていて、
よりパソコンのBASICに近いものとなりました。「MSX BASIC」と比べると、いささか非力に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、
これはこれでなかなか使い易いBASICなんです。
PB-1000/CのBASICで独特な所と言えば、「GOSUB」命令のジャンプ先(サブルーチン)にファイルを指定出来ると言う所でしょうか。
つまり、よく使うサブルーチンをファイルにしておいて、複数のファイルから呼び出す事が出来ます。
計算機能
(CALclation mode) CALモード画面
 普通のパソコンでは考えられないのが、CALモードでしょう。簡単に言えば電卓機能です。
ただし普通の電卓と違い、カッコ等を含む複雑な計算式もちゃんと優先順位にしたがって計算してくれます。
元々、ポケットコンピュータは電卓の発展型な感じがあるので、こういった機能が搭載されているのは当然の事と言えますね。
CALモードと言っても大したものじゃなく、BASICで言うダイレクトモードでPRINT文が付いて実行されていると言った感じです。
メニュー機能
(File Management)
 PB-1000/Cでは、本体に複数のファイルを登録出来るようになっています。
本体に記録されたファイルをBASICコマンドで管理するのは大変至難の業です。
そこでPB-1000/Cでは、強力なメニュー機能を搭載しています。
このメニューで、ファイルの新規作成・削除・名前変更・各デバイス(補助記憶装置)へのセーブ・ロード、通信(送信・受信)等が行えます。
PB-1000/Cのファイルシステムで面白い所は、「操作は常にファイルに対して行なわれている」と言う事です。
例えば、BASICプログラムを作成している時にプログラムは決められたフリーエリアに収められるのではなく、ファイルに収められます。
ファイルをコピーする時は現在のファイルに対して外部記憶装置に「セーブ」する事で行います。RAMに対しても同様です。
上の画面は、ファイルのリネームとコピー(RAM内に)を行っている場面です。よって、PB-1000/CにはCOPY命令がありません。
私はCOPY命令によるファイルのコピーに慣れていたので、「既にセーブしてあるファイルを別な名前でまたセーブする」と言う行為は非常に
面白く感じました。
数式記憶機能
(Formula Memory)
簡単に連続計算させたい時に、その都度プログラムを組むのは非常に面倒です。
PB-1000/Cに限らず、大部分のカシオのポケットコンピュータには数式を登録するだけで入力・計算してくれる「数式記憶機能」が
搭載されています。上の画面の様に変数を含んだ数式を[IN]キーで登録して[CALC]キーを押します。
PB-1000/Cは数式の計算に必要な変数の入力を要求してきます。値を入力するだけで計算結果を得られる便利な機能です。
スクリーンエディタ
(Screen Editor) スクリーンエディタ画面
従来のパソコンのBASICでは、ユーザーに十分な開発環境が与えられていませんでした。
プログラムリストを表示させるLIST命令も画面が流れるだけで画面を戻す事が出来なかったり、
シーケンシャルファイル(テキストファイル)の内容を見る方法がなかったり今イチ使いづらいものでした。
PB-1000/Cでは、スクリーンエディタが搭載されています。
画面を上下にスクロールさせてプログラムリストを自由に見る事が出来たり、文字列の検索などが出来ます。
もちろん、シーケンシャルファイルも直接編集出来ます。エディタではBASICプログラムを編集している時と
シーケンシャルファイルを編集している時と殆ど操作に違いがありません。操作性が一貫しているのも使い易い証拠なのです。
上の画面は、行の修正・追加を行っている所です。
アセンブラ機能(HD61700 Assembler):PB-1000 only
 PB-1000になって、一番の進歩はなんと言ってもマシン語の正式サポートされて、アセンブラが内蔵されている事です!
このアセンブラは最低限の機能しかありませんが、他機種ではアセンブラのソフトを読み込んでからソースリストを読み込むと言う
二度手間を考えると、やはり「内蔵」は大きな強みと言えるでしょう。
マシン語プログラムを作成し、PB-1000の能力を最大限に発揮させましょう!
CASL機能(Virtual Computer 'COMET' Assembler):PB-1000C only
 PB-1000Cには、アセンブラが内蔵されていない代わりに情報処理技術者試験で使われている仮想コンピュータの
アセンブラ言語「CASL」が搭載されています。これを使って、練習問題をそのまま打ち込んでみて動作を確認出来るのです。
これは強い味方になります!(私もコレのおかげでかなり助かりました)
ただ、CASLは近年に大幅な仕様の変更が施されており、PB-1000CのCASLだけでは全てを対応出来なくなったのは残念です。
しかし、CASLの入門用としては使えるでしょう。 
仮想スクリーン機能(Virtual Screen)
PB-1000/Cは従来のポケットコンピュータよりも画面が広くなっています・・・とは言え、やはりパソコンに比べたら
画面が狭いと言う事を認めざるを得ません。そこで画面の狭さをカバーするために「仮想スクリーン」が搭載されています。
これは実際には4画面しかありませんが、画面がスクロールする事によって8画面分の編集が可能になっているのです。
かなり画面が広く感じる事が出来るでしょう。
PB-1000/Cがどんなコンピュータか、お分かり頂けたでしょうか?PB-1000/Cにはもっと沢山の機能が搭載されています。
これを読んで、1人でも「PB-1000/Cが欲しい」と思う方がいらっしゃれば幸いです。

PB-1000 Forever!
http://homepage3.nifty.com/lsigame/










嗚呼、PJ!!(Pockecom Journal)
■ポケコンジャーナル  
皆さんはポケコン専門誌が発刊されていた事をご存じですか?
ポケコン記事と言うと、「マイコンBASICマガジン(電波新聞社)」なんかにちょこっとプログラムが
載っている程度で専門誌なんか無いと思われている方も多いと思います。
「ポケコンジャーナル(以下、PJ)」・・今は休刊してしまいましたが長い間(7~8年)ポケコン専門誌
として(株)工学社から発刊(月刊)されていたのです!
(左写真がPJ誌の数々、一番上の女性がポケコンを持っているのが創刊号<'88 No.1>です。)
ポケコンと言うとゲーム以外にも用途は様々で、むしろゲームよりコンピュータの教育(コンピュータ入門や
機械制御実習)やビジネスでの利用の方が本来の利用方法と言えます。
当然、PJでもこれらの事やパソコンとの通信の仕方やプログラム入門などを重点的に取り扱っています。
ポケコンの徹底解析(改造 etc.)的な記事も多くありました。もちろん新製品の情報なんかもありましたが、
パソコンに比べてポケコンは新製品が出るスピードが緩やかで基本設計が変わらないので愛機にも
愛着が沸き、しゃぶり尽くす様な事が出来たんですね。なんかパソコン雑誌見てると新製品レポート
ばかりで自分の機種がどんどん時代遅れになっていくので悲しくなってきます(汗)。
PJ誌はマジメな雑誌です。イラストが多い月なんかは「イラストが多すぎる」とか意見もチラホラ出ていた
程です。ちゃんと学校の図書室にも置いてもらえる、為になる本なんです、PJ誌は。
それでは私がPJ誌で気になった記事を紹介しましょう。
■PJにおけるチェックポイント!(私なりにセレクトしました)
1.「バグ情報」
「バグ情報」・・要するに「間違えてました。ごめんなさい」のコーナーなんですが、PJ誌は間違いの多い雑誌でした。
総ページ数がそんなに多く無いのに毎月必ずと言って良い程、このコーナーが存在するのです(苦笑)。
記事中の誤りだったらまた良いのですが、プログラムや配線図の誤りはちょっとキツいです(^^;)。
バグ情報でびっくりしたのは、プログラム自体がまるごと別なヤツが掲載されてしまったケースがあったと言う事でしょうか(苦笑)。
はっきり言って、印刷前に実際に打ち込んで確認して欲しかったと思います(^^;;;)。
プログラムを他の機種(パソコン)等に転送して印刷していたみたいな所が原因かもしれません。
私は以前、PJに掲載されていたPB-1000用の「ブロック崩し」のゲームをPB-1000Cに打ち込んで実行したら、思いっきり暴走しました。
入力確認の為に何回かダンプリストのチェックサムをチェックした所、重大な事に気が付きました。
「アドレスが飛んでる・・」。私はひたすら数値を順々に打ち込んでいたのですが、よく見るとアドレスが飛んでいる箇所があるのです。
実はこれ、アドレスが飛んでいるのではなくて、リストが抜けていたのです!(涙)。
PJ編集部に確認したら、「そうですね、抜けてますね」の一言で片づけられてしまったのにはさすがに呆れてしまいました。
それから数ヶ月後のPJ誌においてバグ情報として抜けた分のリストが掲載されましたが、打ち込みませんでした。
(結果的には、PB-1000用のマシン語プログラムはそのままではPB-1000Cでは使えない・・。私はこの事を知らなかったので
完全なリストがあったとしても動かす事は出来なかったと言うオチがあるんですけど。 ^^;;;)
あと、PJ誌か増刊の「ポケコンプログラム集」に載っていたPC-1262用の「プロテクター2」と言うゲームを入力して実行したら
何故か「IMADOKI INVADER2」と言うインベーダーゲームが動きました。なんか説明読むと「テクザー」っぽいと思ったのですがハテ?
これはこれで面白いので今でも入れてます(笑)。
2「PJプラザ」
どんな雑誌でも必ずページ欄外に読者の投稿コーナーがあります。
「PJプラザ」はそんなコーナーなんですが、他の雑誌とは違う所があります。
それは(1)1人で複数のページにまたがる事があるのと、(2)PJ編集部からの返事が少ない・・
と言う事です。
(2)に関してはPJ編集部はあまり関与せずに読者に交流の場を提供すると言った考えが
あったのかもしれません。しかし、ここにも「バグ」の影が(苦笑)。
何と同じ記事があちこちに掲載されている場合があるのです(笑)。
実はこのPJプラザ、創刊当初はペンネーム制ではなかったんです。
工学社の堅実さが伺えますね。
話の内容はと言うと、色々な話(ゲームミュージック、鉄道、小説など)があって、
まさにインターネットの掲示板の前身っぽさがありました。
ゲーム雑誌なんかだとゲーム系の事ばかりなんですが、
こっちの方が話題が豊富で良かったです。ちょっと「濃い」感じもしますが(笑)。 誌面はこんな感じです。
3.「PJクラブ」
これもどんな雑誌でもある読者のページです。いやぁ~やっぱり「濃い」です(笑)。←注)悪い事では無いです。
「ホケコン戦隊ピージェイン」とか「PJ仮面」等の読者が考えた連載小説(?)やイラスト道場、独自の考えやテクニックなどを力説していたり
ここから生まれた企画(※)も多くありました。なかでも凄いのが「100枚イラスト掲載」!
よく同一誌で100枚ものイラストが掲載出来たなぁ~と感心しましたが、
達成者が何人も居るのが驚きです。PJ編集者もその頑張りを評価したのでしょう。
イラストについては結構皆さんこだわりがあるようで、「スクリーントーン使用しない=手抜き説」まで発生して議論を繰り広げてました。
確か、「イラストにテーマを設定してみては」と提唱したのも読者だったと思います。
他誌の読者コーナーに比べたら、数倍充実した内容になっているのです。
※読者が考えた企画
・「ゲームデザイン館」=読者が簡単なゲームのアイデアを提案してプログラムを募集し掲載する。
・「イラスト爆弾回し」=爆弾の入ったイラストを書き、次にイラストを書く人を指名する。
・「この絵はだあれ?」=イラストを書いた人を当てる。
など、多数(手持ちのPJが少なくてあまり確認出来ませんでした)・・。
4.「ブリキック・トーク」
創刊当初から連載されていた「満珠菓子子」さんの連載エッセイです。自分の身近に起きた出来事に対しての見つめ直したり的な
(自分の考えを織り交ぜたり)内容で非常に読みやすかったのが印象深いです。PJ誌全体がマニアックになっている(コンピュータ誌だから
しょうがない)のに対して、唯一万人にも読める記事になっていました。実際、毎月読むのを楽しみにしている方も多かったんじゃないかと
思います。実は私もそうでした。
まだまだPJ誌には沢山の魅力があります。ぜひ手にして確認して下さい。
(古本屋でも入手は難しいかもしれませんが)
●PJ誌の多彩に変化に注目!
PJ誌は10年近く発刊されていた雑誌です。誌面でも色々変化がありましたが、外見上についても同様でした。
そこで外見上の変化を追っていきたいと思います。
表紙から見るPJの歴史 1.この頃の表紙は女性がポケコンを持った写真でとても印象的でした。
たぶん、彼女らはポケコンなんて何だか知らなかったでしょう(笑)
2.創刊してしばらくすると、今度はゴチャゴチャした賑やかなイラスト
になりました。ゴチャゴチャしたイラストってよく見ると色々な所で気を使っていて
見ていて楽しいですね。
3.次もイラストですが、動物を使った独特なイラストになっています。
イラストのテーマも記事に沿っているようです。紙質・ページ数の変化のせいか、
雑誌の綴じ方も変わりました(糊付けされているようです)。
4.イラストは変わらないのですが、誌名が「ポケコンジャーナル」から
「PJ(ピージェイ)-電子手帳とポケコン」に変わりました。
愛称が正式名称になった!何だかナムコの「ファミリースタジアム(ファミスタ)」みたいですね(笑)。
当時、ビジネスマンに流行していた電子手帳関係の記事にも力を入れていたので
こうなったのでしょう。これで新規読者となった電子手帳ユーザーもいたはず。
5.誌名が「ポケコンジャーナル」に戻り、イラストがやたら綺麗なCGに変わりました。
記事で使っている紙もツルツルの上質紙(?)となりゴージャスに。
雑誌の綴じ方も初期の様なホチキス止めに戻りました(更に後期になると糊付けに変わりました)。

PB-1000 Forever!
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1973年9月14日金曜日

[機器] カシオミニ(Casio Mini), CASIO MINI CM-603(1973)

CASIO MINI CM-603(1973)



_/_/_/_/_/ 卓上計算機の進化 _/_/_/_/_/
19世紀に入ると、1820年ごろチャールズ・ザビエ・トーマス・ド・コルマが発明したアリスモメーター(Arithmometer)が近代の機械式計算機の始まりとなった。
1886年Arithmometer       
1903年に矢頭良一の「自働算盤」
アリスモメーターは、1886年にアメリカで量産されるようになった。
日本でも明治36年(1903年)に矢頭良一が「自働算盤」という機械式計算機の特許を取得。歯車式で1個の円筒と22枚の歯車などで構成されていた。
タイガー計算器(国立科学博物館の展示)
大正13年(1924年)3月に大本寅治郎によって「タイガー計算機」が販売され、1970年代まで売られていた。
当初、国産品は「壊れやすい」との風評で売れなかったが、商品名を「虎印」から「タイガー」に変更した途端に売れた・・・との逸話も残っている。
これら汎用の機械式計算機は、主に会計経理、統計など実用的な分野に利用されていたようだが、土木工学や兵器開発に伴う微積分などの高度な計算機も機械化が進んだ。
すでに普及していた真空管を使って世界初の電卓「Anita Mark8」をBell Punch and Sumlock-Comptometerが1961年10月に発売した。次第に電子式電卓が機械式にとって代わる先駆けとなった。
更に、真空管はトランジスタなどの半導体に置き換えられ、集積回路がになり、専用大規模集積回路の時代になる。
ビジコン社 BUSICOM 141-PF
ビジコン社(旧、日本計算器販売)が昭和46年(1971年)10月に、インテル社と共同開発した「インテル 4004」で、世界初のマイクロプロセッサを搭載した電卓「ビジコン 141-PF」を発売した。このintel 4004が、後のパーソナル・コンピュータの発展の元になった。
◆CASIO MINI CM-603 electronic calculator (1973)
当初は数十万円していた電卓を、昭和47年(1972年)8月にカシオ計算機が一気に12,800円の低価格を実現した
「カシオミニ」(Casio Mini)
を売り出して、パーソナル向けに普及した。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html





ENIAC,1942