1987年12月15日火曜日
[社会] ゲーセンの店長という職業
■ゲーセンの店長という職業(98.12.06)
※今回はエッセイと言うよりどちらかと言うと懐古な雰囲気で書いてます。
ぼくがゲーセンで仕事をしているのはそういう運命だったというか必然性によって築き上げられたと思う。幼い頃の僕はカレンダーに興味を持ってよく見ていたらしい。小学生になる頃には、ピンボールの回転するドラムを見て”どうなってるんだろうとも思った。
そのおかげで小さい時は数字にはめっぽう強かった。
非常にカルチャーショックを受けたのはやはりインベーダーの存在だろう。何せ敵を倒すとスコアーが自動的にあがっていくのを見て"どうなってるんだろう。"とものすごい衝撃を受けたからだ。
ぼくがたまにこっそり行っていたスーパーのプレイランドにやさしいおじさんが店番をしていて、それが妙に印象的だった。
そんな時たまに「ゲームコーナーの人はどんなお仕事をしているのかな?」と漠然と考えているだけだった。
中学生の時になってからはナムコランドの店員のおばあさんがよく遊びに行くのでという事でよくサービスしてくれていた。
まあ、こういう仕事をすると子供が妙になついてくるので(俺の場合は悪ガキだったらしいが。)ついやさしくしちゃうんだよねー。
高校に入ってからはプレイシティーキャロットによく入り浸り家にろくに帰らないような状況もかなりあった。そんなときに知り合った友人を通してコンパイルの社長に遊びに行くように誘われたり会社でゲームのテストプレイをしているうちにいつのまにかコンパイルに入社してしまうという事態に陥ってしまっていた。
なお、その頃にゲーム機の中に基板という物でゲームが制御されている事を初めて知り、その頃にMSXパソコンを購入してお家でゲームをしていたが、キーボードでのプレイに不満を持っていたためにジョイスティックをゲーセンの人に分けてもらい改造したのがまさかこの仕事に役立つ事になるという事はまだ知る由もなかった。
でも、ゲーム漬けな人生を送っていたので普段からの不勉強がたたっているためにすぐに退社してしまったが、実はちゃっかり今の職場に1回目の入社(バイトとして)していたりする。まあ、持ち前のいいかげんさと世間知らずなところが災いして何度かの転職をしていたりするが、それでも結局はゲーム関係の職場におちついたりするんだけど。
その頃にはゲーム機の改造はバッチリできるようになっていて、とりあえず基板関係のセッティングをマスターした。
一つ目の転機を迎えるのが、今の職場の2回目の退社時にコンパイルに2回目の就職を果たしていて、それから1年間ほど仕事をしていたがその頃は給料が遅配を繰り返すのでまた今の会社に逆戻りをするようになった。その理由は”今の会社が新店舗を出すのだが、その立ち上げでまた戻って仕事をしてくれないか?”との事なので戻って仕事をする事にした。
この時に始めて店長として勤務するようになったのである。
初めての当社におけるオリジナル店舗である。エアロシティーにその当時珍しいテーブルポニーを配置してのプレースタイルを提供する空間となっている。
その頃はバブル時代の最盛期でぼくのレイアウトにより店舗を打ち立ててすぐにスト?Uが出たので追い風に乗った感じでお客でごった返した。広島で伝説となったゲーセン”テイクオフ”という店がそれである。 (伝説というくらいだから1996年末に閉店しました。)
常に新しいゲームとマニアックなゲームが50円で楽しめるために最盛期は38台の機械に50人以上のお客が入って満席という状況も珍しくはなかった。
ものすごく儲かっていたために広島で唯一”スーパーストリートファイタートーナメントエディション”を導入する事ができた。
しかし、ぼくの性格に問題があるためか気に入らないお客がいたり少しでも悪い事をするお客は容赦なく切り捨てる(要は出入り禁止)まことに変なお店ではあった。
なぜかというとゲームセンターが不良の溜まり場というイメージをもたれるのが非常にいやで店内に不良行為をされるのが非常に嫌だったのである。
今ではそんなイメージも変わっていると思われるかもしれないが、一皮剥けばやはり同じ事なのである。相変わらずの高校生の喫煙、まあゲーセン限定の風景でなくなった分には気は軽いのだがゲーセンには風俗営業法の規定と各都道府県の青少年保護条例にのっとっての営業となるので放っておくわけにも行かないというジレンマを抱えての毎日の営業ではある。
この思いは今でも変わらない。
そうしてるうちに対戦台というスタイルのプレイ方法でゲームをするのがはやるようになった。最初の頃はハメや待ちという概念がなかったため盛況だったが、そのうちにそういったことがらが原因で店内での乱闘があったりといざこざが出てくるようにもなった。
そんな状況を見てるうちにゲームセンターで店員をするのが嫌になり辞めたくなってきた。ぼくの悪い癖である。
そんな頃に某基板販売会社が東京に来て”新しく基板を販売する会社をもう一つ開設するので来ないか。”との甘言に誘われ東京に行き、そのお店の立ち上げをする予定だった。
が、しかしそんなぼくでも一からのスタートというのは気分が滅入る作業である。何ヶ月かでふらっと広島に帰ってしまったのである。
広島に帰ってから始めて職なしの状態が続いたが、いくつかのバイトを経ているうちに椎間板ヘルニアで体を壊して入院してしまったのである。
退院してからまた職を失ったがとりあえずの仕事をしている時、運のいい事にまた今の会社が”あたらしいお店を作るのでまた一つ頼むよ。”といわれて今の会社に入っているわけである。
今では何となくといった感じでそれなりにお客さんとうまく行ってるが、それでもやはりタチの悪いお客には今でも手を焼かされる。そんなお客は適当にあしらってればいいが、それでも若い客がどうもマナー以前の問題のようなというか勘違い系といった感じの人が多いのでなかなか理想どおりの接客というわけにもいかないのである。
話は変わって最近はゲームセンターに足を運ぶ人も限られてきていて、なかなか厳しい状況です。また、対戦もプレイのマンネリ化でゲームセンターがゲームを愛する人の物ではなくなってきています。「最近ゲームセンターに行っていないな。」と思う人に一言あるとすれば、
最近のゲームセンターをつまらなくしているのはあなたがゲーセンに遊びに行かないからかもしれませんよ。
どうです、たまにはゲームセンターに行って楽しい雰囲気を味わいに行きませんか?お金なんてちょっとしか使わなくてもいいからさ、見てるだけで面白いかもよ。
ゲーセンのいいところは自分のプレイを不特定多数の人に見てもらう事で(勝手に見てるだけとの解釈もある)同じゲームをしている人とのコミュニケーションがあったりまた逆に上手い人のプレイを見る事でいい刺激になったりするかもしれないし、また練習して自分のプレイが上手くなった時はそのテクニックの発表の場になったりとさまざまな活用があったりすると思うんだけど。
ちなみに俺の場合は人に見られると燃えます。(ナニがだろ。)
■ビッと生きようぜ!(98.12.09)
最近の若い子を見ていると思うのが、どうもダルそう(といってもダルシム僧ではない。)に行動してるように思う。特に女子高生に多いと思うけど。(もうこの時点で俺がオヤジ入ってる事が確定してるが。)
最近は若い子にもチャンスを生かせるという環境がなかったり、あらかじめテストの点数とか実力とかそういったもので進路を決められたりするのでついていけないと思った時点で楽なほうに走っていくようにさえ思われる。
最近はちょっとした事でも挫折感が常についてまわるのが世の中を悪い方向へと走らせているようにも感じる。
なぜかって?昔には分からなかった事や不明だった事もだんだん分かるようになってきて”こうだからこう!”と思う人が多くなったのかな?お勉強だって分からない人はたとえ子供だろうと容赦無く切り捨てられていってるし希望が見出せないまま学校行ってれば確かにそうなるな。
それに人生自体にもロマンを感じられないのが最大の原因だと思う。
結論も導き出せないまま挫折していくようだしせっかくこの先にチャンスが転がっても気付かずに通り過ぎて行ってるかもしれない。
それでもみんな持ってる悩みや事情が違うので一概にそう決め付けるわけにも行かないが、結果は自分が積み重ねた成果が今の自分にしっかり反映されているのは間違いのない事実なのでその辺を正確に見通せるか否かで自分の成長度や考えの進み具合が分かってくるものなのだ。
自分の未来を見通せる人はたとえ今この時でもおろそかにはしていないものだ。
たとえば、夢や念願がかなってプロ野球に入れたみんなの表情が生き生きして見えるのはあきらめず夢を追いかけた成果なのだ。(たまたま今がドラフトの時期だからそうなったが。)
それに、大会社を興した人物だって最初は小さな商店や工場の人々だったりするわけだし、いろいろな可能性を見出したり追求した成果がそこにしっかりと反映されていると思うよ。
失敗しても何もない状態よりマイナスになるなんて事はそう簡単にありえないんだから。
彼らだって小さな悩みから挫折寸前といったシチュエーションはあっただろうし、これからももっと大変なのである事は間違いないのである。
だから、どんな小さな事でも夢や目標を持つ事で人生が生き生きとするし自然に行動にシャープさが出てくるようにも思う。
ビッと生きようぜ!というのは常に最善をつくそうという心の現われなのでもある。
カッコイイ人は常に最善の努力の積み重ねによって成り立っているのである。
カッコだけでは成り立たないのは歴史でも証明されてるのである。
どこか他人と違う執念を持ってこそ始めてカッコイイのである。
クレイジーと思われても他人に迷惑がかかってなければそれでもいいじゃないか。夢や情熱や執念を持てないものはただ生きてるだけの骨と肉塊に過ぎないのだ。
俺は違う。クレイジーと呼ばれると至福の快感を感じるのだ。
だって、他人とは違う感性を持ってる事がその人から認められるんだよ。
しかし、こんな事を書いていてふと思ったのがカッコよさって狂気と紙一重なのかな?
■どっちを忘れる?(98.12.09)
仕事をしてると実にいろんな人に会う。だいたいはお仕事がゲーセンで働いているので来る人は常にハッピーを求めている。だから来る人もどこか気のいい人でごった返すのである。
しかし、商売柄不特定多数のお客が来る性質からか中には来てほしくない客やうっとうしい客も少なからず来るのである。
ま、そうなれば当然ムカつく事もいう輩が現れるわけで当然のように何やら訳の分からない事を言ってこちらを困らせる事もかなりあるわけでして店員(俺は店長だが、)といえども人の子なので腹が立つ事もあるのだがそんな時にこんな事を思って忘れるようにしている。
”いい人はいい事を忘れない。”
”悪い人は悪い事を忘れない。”
というすり替えで怒りを昇華させているのである。
なかなかその事実が分かっていてもそう簡単には俺の熱いジェネレーションは簡単に打ち消せないが、心がけ一つで物の見方や人生が変わるのだから面白いというか自分の気が楽になるのだからお安いものだよね?
「すみません。」より「ありがとう。」 (99.01.12)
今日、仕事中に自転車の整理で学生さんが自転車を出すのでサポートしてあげたら「すみませんでしたー。」と言ってるのでふと思った。
大体親切にされると「すみません。」と言ってる人がかなり多いように思える。
もちろん気持ちの問題なので言ってくれると嬉しい。<っていうか、言わないと仕置き
しかし、本来親切にされると「ありがとう。」と言うのが普通だと思っているのではあるが、親切にされるとついとっさに「すみません。」と言っている事が多い。
「すみません。」だと迷惑をかけたというかその手の後ろめたさを感じるのでここは素直に「ありがとう。」と言える心を持ってみんなに接してみようと思った。
というわけで、これを読んでくれたみなさん「ありがとう。」
疑問を持つと言う事(99.01.12)
※このエッセイはちょっと自信がありません。というか気持ちに整理ついてないまま書いております。
最近世の中が不景気なせいか、社会や政治について文句を言う人が多くなった。
自分の事を棚に上げて他人を批判する輩も増えたように思う。
結局のところ「自分も社会の一員なので俺が変えてやる。」と言う志のないまま他人に他人の文句を行ってもどうしょうのない事である。
というわけで自分が変わらなければ何を言おうと失格である。
疑問や不満のないところに向上心は表れないのである。
しかし、矛先を他人ばかりに向けてどうしろと言うのか?自分にも責任はないのか?
いま、自分に何が出来るか考えた事ありませんか?
世の中に流されて生きるのも一つの選択だけど、自分や他人の可能性について少しでも追求してみたら・・・ 今からでも遅くはないんだから。
けんちゃんの小部屋
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http://www1.plala.or.jp/kencyan/contents.htm
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