1973年9月23日日曜日

[機器][携帯電話] Motrola DynaTACプロトタイプ完成, 1973年携帯電話誕生











いまから40年前、マーティン・クーパーというモトローラのエンジニアが、史上初の携帯電話を使った通話のデモを行った(この時の通話の相手は、なんとライヴァルのベルラボで働く研究者だった)。
そして携帯電話が一般大衆の手の届くものになったのはその10年後、モトローラが初めて携帯電話機「DynaTAC」(日本語版記事)を売り出した1983年のことだった。モトローラが製品を発売する10年も前に製品発表をしていたというのは、当時のテクノロジービジネスがいかに奇妙なものであったかを示す一例と言えよう。
1973年の4月3日、モトローラは最初の携帯電話を発表した。それから40年が経った今でも、われわれは相変わらず通話が途中で切れたり、つながりにくい場所で電波を探したりといった経験をし続けている。それでもこの間、携帯電話の果たす役割は大きく変化した。携帯電話で喋ることは随分と減ったが、代わりに携帯電話が人々のデジタルライフのゲートウェイとなった。メッセージのやりとりからステータスのアップデート、写真の投稿、音楽鑑賞まで、いろんなことが携帯電話から済ませられるようになった。
DynaTACの登場から現在までの間に、膨大な数の携帯電話が登場しては消えていった。ただし、そのなかでほんとうに革新的と呼べそうな製品は驚くほど少ない。
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WIRED
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1973年9月14日金曜日

[機器] カシオミニ(Casio Mini), CASIO MINI CM-603(1973)

CASIO MINI CM-603(1973)



_/_/_/_/_/ 卓上計算機の進化 _/_/_/_/_/
19世紀に入ると、1820年ごろチャールズ・ザビエ・トーマス・ド・コルマが発明したアリスモメーター(Arithmometer)が近代の機械式計算機の始まりとなった。
1886年Arithmometer       
1903年に矢頭良一の「自働算盤」
アリスモメーターは、1886年にアメリカで量産されるようになった。
日本でも明治36年(1903年)に矢頭良一が「自働算盤」という機械式計算機の特許を取得。歯車式で1個の円筒と22枚の歯車などで構成されていた。
タイガー計算器(国立科学博物館の展示)
大正13年(1924年)3月に大本寅治郎によって「タイガー計算機」が販売され、1970年代まで売られていた。
当初、国産品は「壊れやすい」との風評で売れなかったが、商品名を「虎印」から「タイガー」に変更した途端に売れた・・・との逸話も残っている。
これら汎用の機械式計算機は、主に会計経理、統計など実用的な分野に利用されていたようだが、土木工学や兵器開発に伴う微積分などの高度な計算機も機械化が進んだ。
すでに普及していた真空管を使って世界初の電卓「Anita Mark8」をBell Punch and Sumlock-Comptometerが1961年10月に発売した。次第に電子式電卓が機械式にとって代わる先駆けとなった。
更に、真空管はトランジスタなどの半導体に置き換えられ、集積回路がになり、専用大規模集積回路の時代になる。
ビジコン社 BUSICOM 141-PF
ビジコン社(旧、日本計算器販売)が昭和46年(1971年)10月に、インテル社と共同開発した「インテル 4004」で、世界初のマイクロプロセッサを搭載した電卓「ビジコン 141-PF」を発売した。このintel 4004が、後のパーソナル・コンピュータの発展の元になった。
◆CASIO MINI CM-603 electronic calculator (1973)
当初は数十万円していた電卓を、昭和47年(1972年)8月にカシオ計算機が一気に12,800円の低価格を実現した
「カシオミニ」(Casio Mini)
を売り出して、パーソナル向けに普及した。

日本人の暮らし向き
https://blogs.yahoo.co.jp/japanism20/14752105.html





ENIAC,1942